
はてなキーワード:提案とは
私は「間違った正義」という言葉が好きではない。なぜなら、それが「間違った正義」を指す言葉なのか「手段が間違っている」という話なのかの区別が無いからだ。
如何せんキャッチーなもので、多くの人が気軽に使うようになったこの言葉だが、この辺の区別がつけられないためどうにも万能じゃないように思える。
そこで、先ほど述べた「間違った正義」と「手段が間違っている」という区別について提案したい。
「間違った正義」というのはともかく根本から間違った考え方だ。例えば「『クマを殺すな』という考え方から、自治体に苦情を送る人」がいたとする。
そもそも日本では人里に降りてくるクマが増加し、人がクマに襲われるという被害が相次いでいる。そういった人間への被害を度外視してまず「クマを殺すな」というのは無理筋のように思えるし、苦情という形で押し付けられてもどうにもならない。
対して「手段が間違っている」という話では、思想自体は間違っていないけどその実現のための手段に問題がある場合だ。
例えば「地球環境負荷を減らすため、プラスチックストローの廃止を訴える人」がいたとしよう。
紙ストローはプラスチックのように万能ではないし、環境負荷とプラスチック製品にはあまり関係が無いように思えるし、何より人々に受け入れられない方法をゴリ押しするのもどうかと思う。
しかし、根柢の思想の方はどうだろうか。近年は日本でも気候変動の激化で気象災害が多発している状況であり、環境問題がそれを扱う分野であればそれ自体は間違っていないように思える。
ただやり方=手段がおかしい。紙ストローはごめんだ。この場合は「手段が間違っている」と位置付けられるだろう。
これで、これまで「間違った正義」としか見えなかったものが少なくとも二つに分類できるということが分かるだろう。私がおかしいと思ったのは、手段がおかしいおかしくないという理由で、その思想自体の正当性を決めてしまう人が多いというところにある。
まずは根本がおかしいのか手段がおかしいのかという区別をするべきではないかと思った次第だ。それで手段がおかしいと判断したら手段のおかしさを馬鹿にすればいいし、根本がおかしいと判断すれば根本のおかしさを馬鹿にすればいいと思う。
(P.S.当記事で述べた二つの事例が絶対的におかしいとか、間違っているとかいう話はしていないので悪しからず。あくまで私自身から見た正当性であり、私の判断が間違っている場合もある。)
実際にどう報道されてるか調べた
女性自身「「死んでしまえと言えばいい」田原総一朗氏 “反高市”の野党への衝撃提案にスタジオ騒然…SNSでも「BPO案件」と疑問の声」
産経新聞「田原総一朗氏が高市早苗氏を「死んでしまえと言えばいい」 23年前「下品で無知」で謝罪」
朝日新聞「BS朝日の政治番組で「死んでしまえ、と言えば」発言 田原総一朗氏」
読売新聞「田原総一朗氏の「あんなやつは死んでしまえ」発言、次回放送で謝罪の予定…BS朝日が厳重注意」
※本文では「田原氏は「あんなやつは死んでしまえ、と言えばいい」と発言した。」
オリコンニュース「BS朝日、”暴言”田原総一朗氏を厳重注意「不適切な内容がございました」」
※本文では「田原氏は「あんな奴は死んでしまえと言えばいい」と放言し、ゲストからも注意を受けていた。」
まとめサイトとかだとこんな感じ
痛いニュース「【テレビ】田原総一朗『あんな奴(高市早苗)は死んでしまえと言えばいい』」
市況かぶ全力2階建「テレビ朝日グループのBS朝日、田原総一朗さんの「あんな奴(高市早苗総理)は死んでしまえと言えばいい」発言を公共の電波で作為的に垂れ流すも責任の所在を有耶無耶にして逃げ切り図る」
Togetter「ジャーナリスト・田原総一郎氏がテレビ番組で高市氏を巡る議論で「死んでしまえと言えばいい」と発言、本人は野党を励ます意図と弁明するも懸念の声相次ぐ」
日本弁護士連合会(日弁連)に対する「売国活動」の噂について、保守派や右派ユーザーから強い批判が寄せられている。これらの噂は、日弁連の政策声明や活動が「日本を弱体化させる」「外国人優遇」「反日」と解釈される点に集中している。以下に、主な噂の内容をまとめるわ。
| 噂の種類 | 詳細な内容 | 背景・例 |
| -------------------------------------- | -------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- | ----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- |
| **国旗損壊罪の制定反対** | 日弁連が「国旗損壊罪」の新設に反対声明を出したため、「日本の国旗を侮辱する行為を表現の自由として守る売国行為」と非難。外国国旗の損壊は罰せられるのに日本国旗は罰せられないのは「日本差別」との声。 | 2025 年10 月、日弁連が高市早苗氏らの提案に「憲法違反、表現の自由侵害」と反対。X 上で「日弁連は日本の敵」「売国奴」との投稿が急増。 |
| **不法滞在者・外国人犯罪者の人権擁護** | 法務省の「不法滞在者ゼロプラン」に反対し、DV被害者や人身売買被害者の在留資格を擁護する姿勢が「外国人優遇」「日本人の安全を脅かす」と批判。外国人犯罪の不起訴が多いのは日弁連の影響と噂。 | 2025 年、入管庁の計画に「実態に反する」と反対声明。X で「日本人より外国人犯罪者を守る売国組織」との投稿多数。 |
| **スパイ防止法の反対** | スパイ防止法制定に反対し、「中国などのスパイ活動を野放しにする売国」との噂。帰化中国人や留学生増加を侵略と結びつける陰謀論的な声も。 | 過去の反対声明が引きずられ、X で「日弁連は媚中」「日本侵略の片棒を担ぐ」との投稿。 |
| **選択的夫婦別姓推進** | 選択的夫婦別姓制度の推進が「戸籍制度破壊」「日本文化の崩壊を狙う売国」と批判。 | 制度推進活動が「中国の影響下」との憶測を呼ぶ X投稿。 |
| **旧統一教会関連の弁護士擁護** | 紀藤正樹弁護士(旧統一教会関連訴訟で活躍)が日弁連とつながり、「反日カルト擁護の売国」との噂。 | 2025 年、紀藤氏のトレンド入りで「日弁連は売国団体」との投稿。 |
| **その他の排外主義反対活動** | 排外主義の高まり(例:クルド人問題)への懸念表明が「移民推進の売国」と解釈。尖閣諸島関連の学校条例反対も「中国寄り」との声。 | X や 5ch で「左翼支配の売国弁連」との投稿。 |
今日もごみ出しをして、切れてたパンを買って帰ってきたところなんだけど、こういう日常の流れってこのままでいいのか?ってまた考えてしまった。
夫婦の役割分担は、別に完全に半々じゃなくてもいいと思ってる。
収入や体力、得手不得手、育った環境や生活リズムが違うのは当たり前だし。
ただ、ある程度はバランスが取れててもいいんじゃないかって思う。
時間に余裕があるほうや収入が少ないほうが家事を多めにやるのは自然だと思ってる。
家賃や光熱費は収入比率で割り、通信費や新聞、食費は自分が全部負担。
だから朝のごみ出し、ルンバや洗濯乾燥機のごみ取り、排水ネット掃除はほぼ自分。
換気扇や空気清浄機のフィルター掃除、床拭き、水回りの掃除もだいたい自分が先に気づく。
トイレ掃除も夫がやることはあるけど、自分のほうが頻度は多い。
改善のために「夜のうちにごみ出してくれない?」って提案したこともある。
たまにやってくれるけど習慣にはならない。タスク表を作って分担しようとしたら同意はしてくれたけど、実行はしない。
結局こっちが日程を決めて貼り出すところまでやらないと動かない気がする。
一度、あまりにモヤモヤが消えなくて、カウンセリングにも行った。
そこで言われたのは「まずは相手の立場で話を聞くことから始めてみては」ということ。
どういう考えでそうしているのかを、そのまま聞くのが大事らしい。
でも正直、それをやったとして本当に状況が変わるのかはわからない。
こっちはそれなりにやってるつもりだし、提案もしてきた。
それって家庭内でマネージャー役やるみたいなもんじゃないのか?って思うことがある。
時々、いっそ家事やめたほうがいいのか、そもそも自分が「こまめにやるべき」って勝手に決めつけてるだけなのか、そこまで考えることもある。
個人で仕事を受けおい、収入はあまり高くなく年収は300万円程度である。
家で仕事できるのは良いが親の介護などもあり他の仕事を探すのも難しい。
イラストの生成AIは盛況しているがピクセルアートの分野はまだ未発達。
偶然相談できる人が現れたので現状を相談してみたところ何か力になれるかもという事だったので相談してみたところ
大雑把なところ(0→50点くらいまで)は生成AIを使い、細かいところ(100点まで)は引き続きあなたの手でやってくださいという提案を受けた。
これならAIを使っている形跡もほぼなくなるしという事でアドバイス通りに工程に生成AIを取り入れてみたところ作業時間の短縮ができた。
年収は正直、あまり変わっていないけど作業時間は月に150時間くらいになった。
まだまだ改善できそうということで今後も相談していくつもりである。
工程は変わらず一発目の生成AIが50点目指すところを60, 70 とあげて、最後の仕上げの部分で100を目指してほしいとのこと
カプコン側からすれば「全員出場できないと不利になるルール」を作った上で全員出場できないチームが出てきた。
このままずっと不戦敗が続けば当然リーグ運営しているカプコン側にも「このルールどうなんだ」って批判が来るし動画収入的な意味でも試合できるならやってほしい。なので向こうから特別に入れ替えさせてもらえないかって提案があるなら、他のリーグ参加者が問題なければ断る理由はない。その中で「入れ替えさせていただくためにペナルティとして翔選手は引退させます」って言われたら、そこまでしてもらうのは逆に困るってなるでしょって話。
仮に「特別措置で翔選手とヤマグチ選手を入れ替えるための納得感のために翔選手は引退することになりました」ってZETAが発表したらカプコン叩かれるなんてもんじゃないよ。
僕は今夜、ルームメイトがリビングで実験的にベーコンを低温調理している匂いを鼻孔の厳密な位置で嗅ぎ分けながらメモ帳を開いた。
朝は6時17分に目覚ましを止め(そのミリ秒単位の遅延は許容されない)、6時18分にコーヒーの比率を変える習慣を行い、靴下は左から右へ、座席は常にソファの北東端(座る位置は位相対称性を破らない)である。
食事は火曜日のパスタの残り物は三等分して水曜と木曜の朝食に回す。洗濯は必ず偶数週の水曜に行い、洗剤は0.8倍希釈、脱水は中速、干す向きは北向き。
ルームメイトがドアに爪痕をつけたら即座にログを取り、隣人が郵便物を誤って取った場合は「郵便誤配報告フォーム」を三回に分けて提出する。
こうした儀礼を守ることで僕の内的位相空間が安定するのだと論理的に考えている。
今日の思考の核は超弦理論と量子情報の交差点についての、かなり尖った自己流の定式化にある。
まず、僕は物理的直感を避けて抽象数学で事象を語る。弦理論の摂動系列を有限厚さの∞-圏としてモデル化し、ブレーンを対象、開弦状態をモノイド的なホモトピー演算子として扱う。
局所座標の代わりにファクタリゼーション代数を使い、スパイダー図式を経て得られる交叉相互作用を高次ホモトピー群のコハート化として再解釈することを提案する。
ER=EPRについては、古典的なワームホール=絡み合いという語り方を離れて、僕はエントロピー・双対モジュールの同値性という言葉で捉えている。
つまり、二つのエントロピックモジュールの被覆圏と、それらに対応する重ね合わせのコボルディズム(圏論的な結合双対)を同一視することでER=EPRを圏論的に定式化できるのではないかと考えている。
これを超弦理論に接合するには、AdS/CFT 的なホログラフィック双対の場で、境界側の張力的演算子族が内部のブレーンカテゴリ(例えばフカヤカテゴリやコヒーレント層の導来圏)に対応するという見方を取り入れる。
すると、エントロピー双対モジュールの同値性は、境界とバルクの間で起こる圏の再同型化として現れ、ER=EPRは本質的に圏的ホログラフィーの一命題になる。
ここで僕が提案する小さな拡張は、量子誤り訂正符号のコード代数を∞-圏の射として扱い、その可換性条件がワームホールのコボルディズムの可逆性と一致するというものだ。
これにより、エントロピーの再構成操作がブレーン間のファンクターとして自然に理解でき、局所性の回復を説明する新しい枠組みが得られると僕は思う(これは僕の勝手な定式化で、厳密性は今後の証明を待つ)。
今日はそのメモを、黒板に書く代わりにルームメイトの背中越しにノートに書き留めた。
ところで、僕は靴の磨き方にも数学的基準を設けている(円周率の小数を用いた磨き順列を使っている)。
出かける前のチェックリストはトポロジー的順番、たとえば鍵→財布→スマホ→ペンという順序は位相連結成分を最小化するから合理的だ、と説明すると友人たちは顔をしかめるが、これを守ると予測可能性が上がる。
今夜はRPG系ではELDENRINGのビルド論とRTAコミュニティのメタ的動向を気にしていて、この作品が2022年にFromSoftwareからリリースされ、多くのビルド最適化やメタが確立されていることは周知の事実だ(初リリースは2022年2月25日)。
また、このIPは映画化プロジェクトが進行中で、A24が関与しているという報(映画化のニュース)が最近出ているから、今後のトランスメディア展開も注視している。
僕はソウルライクのボス設計とドロップ率調整をゲームデザインの位相安定化とは呼ばないが、RTA勢のタイム削り技術や周回遺伝(NG+)の最適手順に対して強い敬意を持っている。
ファンタジーRPGの装備付け(メタ)に関しては、装備のシナジー、ステータス閾値、クラフト素材の経済学的価値を語るのが好きで、例えば「その装備のクリティカル閾値を満たすために残すステータスポイントは1だが、その1が戦闘効率を%で見るとX%を生む」というような微分的解析を行う。
FFシリーズについては、Final Fantasy XVIがPS5向けに2023年6月に、続いてPC版が2024年9月にリリースされ、さらに各プラットフォーム向けのロールアウトが段階的に行われたことなど実務的事実を押さえている(PCリリースは2024年9月17日)。
僕はこのシリーズの音楽的モチーフの再利用やエンカウンター設計の比較研究をしており、特に戦闘ループの短周期化とプレイヤー感情の連続性維持について言及するのが好きだ。
コミック方面では、最近の大きな業界動向、例えばマーベルとDCの枠を超えたクロスオーバーが企画されるなど(Deadpool×Batmanの一連の展開が話題になっている)、出版社間でのIPコラボが再び活発化している点をチェックしている。
これらはコレクター需要と市場流動性に直接影響するため、収集と保存に関する経済的最適化問題として興味深い。
今日、隣人が新しいジャンプ作品の話題を振ってきたので僕は即座に最新章のリリーススケジュールを確認し、One Pieceの次章の予定についても把握している(最新チャプターの公開予定など、週刊連載のスケジュール情報は定期的に確認している)。
例えば「午後9時に彼らがカップ麺を食べる確率は、僕の観察では0.83だ。ゆえに僕は9時前に冷蔵庫の位置を変えるべきだ」という具合だ。
結語めいたものを言うならば、日常のルーティンと高度に抽象化された理論は相反するものではなく、むしろ同じ認知的圏の異なる射影である。
だから僕は今日もルームメイトの忍耐を試す微細な仕様変更(例えばリモコンの向きを30度回す)を行い、その反応をデータ化している。
さて、20時30分だ。これでノートを閉じ、決まった手順で歯を磨き、眠りの準備に入る。明日の朝のアジェンダは既に分解されているから、心配は要らない、と自分に言い聞かせてから寝るのが僕のやり方だ。
今産業界は裁量労働制の適用拡大と要件緩和の方をロビー活動しているようだよ
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA10CFR0Q5A011C2000000/
経団連は毎年秋に公表する政府への規制改革要望で、長年の悲願を再び盛り込んだ。仕事の進め方や時間配分を自分で決められる「裁量労働制」の対象業務の拡大
(中略)
裁量労働制は専門業務型と企画業務型の2つに大別される。(中略)厚生労働省の調査によると、労働者のうち専門型の適用は1.4%、企画型は0.2%にとどまる。
(中略)
経団連は労使の合意や十分な健康確保措置などを条件に労使で裁量労働制の対象を決められる仕組みの創設を求めた。
(中略)
19年に施行した働き方改革関連法は当初、企画型の対象に顧客の課題解決策を提案する営業職などを加える予定だった。しかし、裁量労働制に関する厚労省のデータに不備が見つかり、対象拡大を法案から削除することを余儀なくされた
(中略)
自民党の高市早苗総裁は総裁選で、心身の健康維持と従業者の選択を前提に労働時間規制を緩和する考えを示した。経団連は前進を期待
で、近頃の労働組合は労使協調路線…要するに御用組合ってやつが大半なので、実際に実現したら、高プロ制度では対象にならない一般のリーマンが対象になってくる。高プロは適用する方が従業員に対してプラスになる場合しか認められなかったが、裁量労働制は同意していると言う建前によって労働コストを定額・低コストにする施策だから結構影響はでかいと思うよ。
最近、ブログやSNSで記事を書いていると、ふと気づくことがある。自分が「これ、めっちゃ良いこと書けた!」って思って書いた記事が、意外と反応薄だったりする一方で、なんか軽い気持ちで書いた愚痴っぽい記事や、誰かをちょっとディスった記事がバズったりする。というかそう言う記事しかバズらない
例えば「職場のあの人がムカつく」とか「世の中のこういう風潮、クソくらえ」みたいな、ちょっと毒っ気のある記事。こういうの、なんでか知らんけど、めっちゃリツイートされたり、ブックマークされたりする。
コメント欄も「わかるー!」「ほんとそれ!」みたいな共感の嵐。自分としては、「いや、こんなんでバズってもな…」ってちょっと複雑な気持ちになるんだけど、でも、なんでこういう記事がバズるんだろう? そこには何か理由があるんじゃないかって、最近よく考えるんだよね。
まず、なんでこういう「愚痴系」や「ディスり系」の記事がバズるのか、考えてみた。ネットを見てると、こういう記事にはいくつか共通点がある気がする。
愚痴とか批判って、読んでる人の「わかる!私もそう思ってた!」って感情を刺激するんだよね。職場で理不尽な目にあった人、SNSで変な絡まれ方した人、みんな何かしら「ムカつくこと」抱えてるじゃん? そういう人たちが、自分の気持ちを代弁してくれる記事を見ると、「これこれ!」ってなる。共感って、ネットで拡散する最強の燃料だよね。
冷静で理性的な分析記事より、怒りとか悲しみとか、強い感情がこもった記事の方が人の心に刺さる。だって、感情って伝染するもん。読んでる側も「うお、わかる、ムカつく!」って一緒に盛り上がっちゃう。逆に、データだらけの真面目な記事って、読むのに頭使うから、ついスルーされがち。
愚痴記事って、だいたい短くてストレート。難しい言葉使わず、誰でもパッと読める。だから、忙しい人でも「2分で読めるし、ちょっと見とくか」ってなる。SNSのタイムラインで流れてきたとき、スクロール止めるハードルが低いんだよね。
これ、ちょっと怖いんだけど、特定の誰か(上司とか、インフルエンサーとか、世の中の「マナー警察」とか)を悪者にして、そこにみんなのフラストレーションをぶつける構図、めっちゃ効くよね。「あいつらが悪い!」「ほんとそれ!」みたいな感じで、読者が一体感を感じる。敵を作ると、仲間意識が生まれるんだよね。
でもさ、こうやってバズる記事の「法則」を考えてみると、なんかモヤモヤしない?だって、こういう記事って、結局「負のエネルギー」で動いてる気がするんだよ。誰かを叩いたり、世の中をdisったりすることで、みんなの溜まったストレスを発散させてるだけ。確かにバズるし、瞬間的な注目は集まるけど、これって本当に「良い記事」なのかな? なんか、もっと違う形で、読んだ人を元気にしたり、やる気にさせたりする記事って書けないもんかなって思うんだよね。
バズる記事が持つ「負のエネルギー」には、実はけっこう問題があるんじゃないかって、最近気づいた
1.一過性で終わる
愚痴や批判の記事って、瞬間風速はすごいけど、すぐに忘れられる。だって、読んだ人は「わかるー!」って盛り上がるけど、結局その場でストレス発散して終わり。次の日には別のバズり記事に流れてく。なんか、ファストフード食べて一瞬満足するけど、すぐお腹空くみたいな感じ。
愚痴系記事って、読者を「共感して終わり」の受け身な状態にしがち。読んだ人は「うんうん、わかる」ってなるけど、そこから何か行動しようとか、考え方を変えようとか、そういう次のステップに繋がりにくい。
これが一番モヤモヤするんだけど、こういう記事って、だいたい「悪いのはあいつら」「世の中がこうだからダメなんだ」って責任を外に押し付けるよね。確かにスッキリするけど、でも、それって読者に「自分は何も悪くない」「自分は被害者」って思わせるだけじゃない? それ、なんか健全じゃない気がするんだよね。だって、世の中を変えるには、結局自分も何かしないといけないわけじゃん?
4. 負の連鎖を生む
誰かを叩いたり、世の中をdisる記事って、読んだ人の心にネガティブな感情を増幅させる。で、その人たちがまた別の誰かを叩く記事を書いたり、コメント欄で荒れたり…みたいな負の連鎖が続く。ネット見てると、ほんとそういう空気、感じること多くない? なんか、みんなで一緒に落ちていくみたいで、怖いよね。
どうすればもっと「良い記事」を書けるんだろう? 読んだ人をやる気にさせたり、ポジティブな行動を促したり、世の中をちょっとでも良くするような記事って、どうやったら書けるのか
共感は大事。やっぱり、読者の「わかる!」を引き出すのは、記事の第一歩。でも、そこから一歩進めて、「じゃあ、こういう時、どうすればいい?」って具体的な提案を入れる。例えば、「職場のあの人がムカつく」って話なら、「こういう人とどう付き合えばストレス減るか」「自分の心を守る方法」みたいな実践的なアドバイスを添える。読者が「わかる!」で終わらず、「よし、ちょっとやってみるか」って思えるような記事。
怒りや不満じゃなく、希望とかワクワクとか、ポジティブな感情を刺激する記事って、実はもっと強い力があるんじゃない? 例えば、「こんな面白い挑戦してる人がいた!」とか「自分、こんな失敗したけど、こうやって乗り越えたよ」みたいな話。読んだ人が「自分も何かやってみようかな」って思えるような、エネルギーを与える記事。
3. 読者に「考える余地」を残す?
バズる記事って、だいたい結論がバーン!って提示されてるけど、逆に、読者に「あなたはどう思う?」って問いかける記事って、もっと深い議論を生むんじゃない? 例えば、「世の中のこういう問題、みんなはどう思う?自分はこう考えてるけど」みたいな感じで、読者に考えるきっかけを与える。コメント欄が荒れるリスクもあるけど(笑)、でも、ちゃんと議論が生まれたら、めっちゃ面白いよね。
4. 「自分ごと」にしてもらう?
責任を他人に押し付けるんじゃなくて、読者に「あなたもこの問題に関係してるよ」「一緒に変えていかない?」って呼びかける。例えば、環境問題の話なら、「こういう小さなアクション、実はあなたもできるんだよ」って感じで、読者を「消費者」じゃなくて「参加者」に変える。そういう記事って、読んだ後になんか行動したくなるよね。
正直、愚痴や批判の記事を書くのは簡単だし、バズるのも気持ちいい。でも、なんかそれだけじゃ物足りないんだよね。だって、ネットって、ただのストレス発散の場じゃなくて、もっとすごい可能性がある場所だと思うから。読んだ人が「自分も何かやってみよう」「世の中、ちょっと変えられるかも」って思えるような記事を書きたい。それが、ブログやSNSで発信する意味なんじゃないかな。
でも、こういう「良い記事」を書くのって、めっちゃ難しいよね。バズる記事の「即効性」に慣れちゃうと、ついそっちに流されそうになる。読者の心をつかむには、やっぱり共感や感情の力が必要だけど、それをどうやってポジティブな方向に持っていくか。そこが、ライターとしての腕の見せ所なのかも。
自分はそこそこ賢いと思い込んでるおバカちゃん達の歯切れの悪い言い訳が笑えるんだが、
「やるとしても今じゃない」「他にもっと優先すべき事がある」っていう詭弁には何かズバリの名前はないのかな?
これがなんで詭弁なのかと言うと、
だよ。
以下追記
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ある提案に対して、「やるとしても今じゃなくてもいいだろう」「他にもっと優先度の高いことがあるはずだ」などと言って、内容について直接の批判はせずにネグレクトすることで実質的に否定しようとする詭弁に、何か通りの良い呼び名はあるだろうか?
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このような論法は、論理的誤謬(fallacy)の一種として「相対的剥奪の誤謬」(fallacy of relative privation)と呼ばれるものが最も近いと考えられます。
これは、提案や議論を直接批判せずに「もっと重要な問題(または優先度の高いこと)があるから」という理由で実質的に無視したり却下したりするもので、「より悪い問題への訴え」(appeal to worse problems)や「notas badas」(それほど悪くない)誤謬とも呼ばれます。
あなたの例の「他にもっと優先度の高いことがあるはずだ」がこれに該当し、内容の本質を避けつつ相対的に矮小化する点が特徴です。
一方、「やるとしても今じゃなくてもいいだろう」というタイミングを理由にしたものは、厳密には上記と重なる部分もありますが、話題を逸らす回避策として「燻製ニシンの虚偽」(red herring)にも似ています。
これは、議論の本筋から無関係な要素(ここではタイミングや延期の可能性)を持ち込んで注意をそらすものです。
どちらも直接的な否定を避け、ネグレクト(無視)を通じて実質的に提案を弱体化させる点で共通しています。これらの呼び名は論理学や議論術の文脈でよく使われ、通りの良い表現として適していると思います。
はい、まずこれ読んでな?
日本弁護士連合会:刑法の一部を改正する法律案(国旗損壊罪新設法案)に関する会長声明
https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/2012/120601_2.html
「国旗損壊罪」はなぜ「表現の自由」の問題となるのか(志田陽子) -エキスパート -Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/b619d0442a41d4f0329ddbd262f6c252ba2e9fdb
刑法における外国国章損壊罪が規定された理由は、それらの罪に当たる行為が外国を侮辱するものであることから、国際紛争の火種となり、外交問題にまで発展する可能性があり、ひいては日本の対外的安全と国際関係的地位を危うくするからとされている。他方、上記「国旗損壊罪」の保護法益は明確でないが、少なくとも外国国章損壊罪と同様の保護法益が存在しないことは明らかである。
しかしこうした法案が提出されるとしたらその焦点は、そうした公務上の国旗を守ることではなく、一般人が国旗(日の丸)の表象を自分の表現に使うときに、その使い方(そこに込められるメッセージ)を統制する、ということだろう。この場合には、表現者が自分で作った布や紙の国旗や、作品中に描き込んだ国旗の表象が法適用の対象となる可能性も出てくる。
これには「侮辱する目的」でなければこの罪には該当しない、批判的表現にはこの規定は適用されないので「表現の自由」には抵触しない。という反論があるかもしれない。しかし、「侮辱する目的」は、運用次第で外側から認定される可能性がある。警察による事情聴取の段階で「このような表現が侮辱的だということは当然に認識できたはずだ、だから侮辱の目的があったと認められる」といった論法で問い詰められた場合、この「目的」の絞りはたいした歯止めにならない。
以前に提案された法案に対するものだからちょっとは違うだろうけど、まぁそんなに変わらないはずだ。
で、「国旗損壊罪」の想定対象について考えたんだけど、他者所有の国旗を毀損する行為は既に器物損壊などで罪に問えるよね。
だから、デモなんかで自己所有の国旗を燃やすとかの行為を想定しているんだろうけど、これが罪になるかって話。
あと、日本で行なわれたデモで日の丸をどうこうってあんまり見ないよね。(俺が知らないだけかもなのであるなら例示してもらいたい
そんなに数がないもの、実害が少ないものに対してわざわざ法律作る?って話。
もうひとつ、外国国章損壊等罪(刑法92条)は第2項の規定があるのよ。
外国国章損壊等罪と整合性をとるなら、この部分はどうするのって話。公が恣意的に運用できるような法律制定は慎重にならないといけないの。
まぁ、もし制定された場合にお子様ランチの日の丸であっても「はい、国旗損壊罪ー」みたいな煽りをしてくるヤツが出てくるのが一番ウザイいんだけれども。
私は外国人に対して怖いとは思ったことがなく、偏差値40や50程度の高校を卒業するような日本人のほうが怖いですし、実際そういう人が日本の治安を乱しています。
(立花孝志のやっていることを思えば一目同然)
また、電車の中で騒ぐ子供を目の当たりにして、しつけようとしない日本人の母親に憤りを感じます。
年収1億も稼げないうえ、建設的な提案ができず、大してGDPにも貢献できていない身で、移民反対を唱えるのはやめてください。
そんな日々の中で最も厄介なのは、CxOたちだ。
──CIO、CTO、CDO、CISO、CPO……肩書きは違っても、やっていることはだいたい同じ。
PowerPointを開いて「DXを推進している」と言う人たち。
うちのCxOはこう言った。
翌日、僕がPull Requestの内容を説明したら、「Goってタクシーのサービスの?」と返された。
その瞬間、何かが切れた。
──ケーキではない。
CxOたちはコードを読めない。
それ自体は罪ではない。
だが、読もうとしないことは怠慢だ。
よく聞く反論がある。
確かにそうだ。
ただし前提が抜けている。
つまり、コードを読めという話ではなく、読めるだけの構造理解を持てという話である。
「技術的なことは詳しくないが、成果は出している」
それはたまたまだ。
「上が言ってるから」「今期の方針だから」「スピード優先で」。
Pull Requestは読まないのに、Excelの進捗バーだけが毎日更新される。
これもよく聞く言い訳だ。
しかし、リソースが限られているならなおさら、理解の精度が重要になる。
僕が書いたAPIは、リクエストごとに外部APIを叩いていた。
「キャッシュを挟もう」と提案したが、PMは「リリース優先」と言った。
CxOたちは言った。
「想定してなかったのか?」
──想定してた。
だが、理解できないのは説明の問題ではなく、聞く姿勢の問題だ。
Slackの“#incident”チャンネルだけが、いつも一番アクティブだ。
CxOたちは「コストを切れ」と言う。
切れるのはコストだけ。
削ったコストの穴埋めに、技術的負債の利息を支払うのは現場だ。
Goで書かれた美しい構造体も、やがてはコメントだけが動くレガシーになる。
CxOたちは「我々はデジタル変革を進めている」と言う。
だが変わっているのは、スローガンのフォントと会議資料の配色だけだ。
クラウド導入もAI活用も、認知が変わらなければ儀式でしかない。
──違う軸を持つのは構わない。
現場を理解しない経営視点は、地図を見ないドライバーと同じだ。
「コードなんて書かなくていい。これからはノーコードの時代だ。」
だが、それは“コードをなくす”技術ではなく、“コードの抽象度を上げる”技術だ。
だが、隠したコードが消えるわけではない。
ボタンの裏にも、ワークフローの下にも、API呼び出しやロジックは確実に存在する。
それを理解せずに使えば、「コードを書かずにバグを埋める」だけの仕組みになる。
「ノーコードでいい」と言うCxOは、
「物理を知らなくてもロケットは飛ぶ」と言っているのと同じだ。
理解しないまま導入するノーコードは、“ノーコード”ではなく“ノーガード”である。
人を楽にするどころか、誰も直せない仕組みを量産する。
DXとは、ツールを導入することではない。
それを理解しない限り、
理解しないことだ。
真っ先に切られるのは、
──コストだけ。
CxOたちは「未来を見ている」と言う。
未来とは、仕様書ではなく、Pull Requestの積み重ねだ。
日本を代表する大企業において、50代の社員が直面する「無言の退職圧力」は、もはや例外的な事象ではなく、構造的な問題として常態化している。長年の経験と専門性を蓄積したベテラン人材を早期に手放し、その一方で育成に10年という歳月を要する未経験の新卒者を採用する──この一見不合理なサイクルは、なぜ繰り返されるのか。本レポートは、この問題の背景にある経済的力学と制度的欠陥を解き明かし、日本企業が直面する人事制度の根本課題に対する処方箋を提示することを目的とする。
この問題の核心には、見過ごすことのできない重大なパラドックスが存在する。
この矛盾した人材サイクルの根本原因は、個々の企業の経営判断ミスという表層的な問題ではない。それは、日本型雇用システムに深く根ざした「年功序列型」の賃金体系そのものに内在する構造的欠陥なのである。次章では、この矛盾を生み出す経済的メカニズムを詳述する。
持続的なリストラのサイクルは、経営の非情さの表れというより、むしろ伝統的な日本型報酬モデルに組み込まれた、根深い経済的ロジックの症状である。中高年社員の早期退職を促す構造は、短期的な財務改善という抗いがたい「誘惑」を経営陣に提示する一方で、長期的な人的資本を蝕む罠となっているのだ。
問題の根源は、多くの日本企業において、中高年社員の賃金水準が本人の生産性を大きく上回ってしまう「高すぎる給与」にある。具体的には、以下のような水準が常態化している。
この報酬と貢献の危険な乖離は、労働経済学の「レイザーの法則」によって理論的に説明できる。この法則によれば、年功序列賃金は社員のキャリアを二つのフェーズに分断する。
この報酬と貢献のデカップリングこそが、早期退職を促す構造の核心である。壮年期以降の社員を早期に退職させることが、企業にとって「膨大な利益」をもたらす財務的ロジックがここに成立する。
1.退職金のコスト:早期退職優遇制度では、退職金に「30ヶ月分」程度の給与が上乗せされるのが一般的である。
2.雇用継続のコスト: 一方で、高給与の50代社員を1年間雇用し続けるための総コストは、基本給(12ヶ月)に加え、賞与、高額な社会保険料、その他経費を含めると、給与の「24~25ヶ月分」に相当する。
3.結論: つまり、30ヶ月分の退職金は、実質的にわずか「1年3ヶ月分」程度の雇用コストでしかない。この計算に基づけば、50歳で社員を退職させることで、定年となる65歳までの残り15年分の莫大な人件費を削減できることになる。この財務的インパクトが、経営陣にとって短期的なバランスシート改善を優先し、経験豊富な人材の維持という長期的な視点を犠牲にする、強力かつ危険な誘惑となっているのだ。
しかし、この短期的な経済合理性は、深刻な副作用を伴う。かつて大規模なリストラを行ったパナソニックが、15年の時を経て再び同様のリストラを繰り返している事実は、このモデルが持続不可能であることを象徴している。この負のサイクルを断ち切るためには、問題の根源である日本の給与構造そのものにメスを入れる必要がある。
日本の賃金に関する議論は、「日本の平均給与は低い」という、統計がもたらす「罠」にしばしば陥りがちである。本章では、この誤解を解き明かし、急峻な年功カーブが一部の大企業特有の問題ではなく、日本の中堅・大企業に共通する構造的課題であることを論証する。
世間一般で語られる「低い平均給与」の根拠とされる統計データは、意図せずして実態を著しく歪めている。これらの数値は、人事戦略を構築する上で根本的に誤解を招くものであり、一種の「インチキ」と言わざるを得ない。
これらの統計からパートタイマー等の影響を除外し、フルタイムで働く男性の賃金カーブに焦点を当てると、全く異なる実態が浮かび上がる。学歴(高卒・中卒含む)や地域を問わない全国の平均値ですら、50代の平均年収は700万円に達する。これを大卒の正社員に限定すれば、さらに100万円程度上乗せされるのが実情だ。これは、日本の賃金体系が年齢と共に急勾配で上昇する、典型的な年功序列型であることを明確に示している。
では、この構造的問題はどの規模の企業に当てはまるのか。我々の分析は、明確な境界線を明らかにしている。
この分析が示すのは、この問題が一部の巨大企業に限定されたものではなく、日本の企業アーキテクチャに組み込まれたシステム上の欠陥であるという事実だ。したがって、この課題の解決策を模索する上で、グローバルな標準との比較はもはや単に有益であるだけでなく、不可欠なプロセスなのである。
日本型雇用システムの構造的課題を克服するためには、国内の常識に囚われず、海外の先進的な雇用モデルを比較分析することが極めて重要である。フランスやアメリカの事例は、日本の年功序列型とは全く異なる賃金思想を示しており、我々が目指すべき改革の方向性を明確に示唆している。
フランスの賃金体系は、エリート層と一般層でキャリアパスと給与モデルが明確に分離された「複線型」を特徴とする。
アメリカの賃金体系も、大多数の労働者においては同様の傾向を示す。中央値に位置する労働者の場合、賃金の伸びは30歳から40歳までの期間に集中し、40歳以降の給与はほぼ横ばい(フラット)となる。給与が青天井で上がり続けるのは、ごく一部のトップエリート層に限定されるのだ。
フランスとアメリカ、二つの先進国の事例から導き出される示唆は、極めて明確である。それは、「一部のエリート層を除き、大多数の労働者の賃金カーブは若いうちに頭打ちとなり、その後はフラットに推移する」という共通の原則だ。このモデルは、年齢給による人件費の高騰を防ぎ、長期的な雇用安定を可能にする基盤となっている。このグローバルスタンダードを参考に、次章では日本が目指すべき具体的な人事制度改革案を提言する。
これまでの分析で明らかになった構造的課題を解決するためには、小手先の対策では不十分である。我々が取るべき唯一の持続可能な道は、戦略的な転換、すなわち「年功序列型賃金から、成果と役割に応じたフラットな賃金体系への移行」である。本レポートが提示する核心的な提言は、この移行を断行することに尽きる。その具体的なモデルケースとして、「年収700万円での頭打ち」を一つのベンチマークとすることを提案する。
この新しい賃金モデルは、単なるコスト削減策ではなく、企業の競争力と従業員のエンゲージメントを同時に向上させる、多面的なメリットをもたらす。
この改革は、単なる賃金制度の変更に留まらない。それは日本人の働き方、キャリア観、そして社会全体のあり方を変革し、持続可能なタレントパイプラインを構築する大きなポテンシャルを秘めている。
本レポートを通じて明らかになったように、日本の中高年雇用問題の根本原因は、個々の社員の能力や意欲の欠如では断じてない。その本質は、経済成長期を前提に設計され、現代の環境には全く適合しなくなった年功序列型の賃金システムそのものにある。
この本質的な課題を前に、我々は議論の焦点を大きく転換させねばならない。「定年後の再雇用」や「中高年のリスキリング」といった対症療法的な議論から、「そもそも定年を意識することなく、誰もが安心して長く働き続けられる雇用・賃金体系をいかにして構築するか」という、より本質的な議論へとシフトしなければ、この問題が解決することはない。
真の「雇用安定」とは、単に一つの企業に長く在籍できることではない。それは、年齢に関わらず、社員一人ひとりが自らの能力と経験を最大限に発揮し、その貢献に対して公正な処遇を受けながら、社会の一員として長く活躍し続けられるシステムである。この新しい定義に基づき、持続可能で、かつ働くすべての人々にとって公平な人事制度を構築することこそ、現代の日本企業に課せられた最も重要な戦略的責務である。
いやいやいや彼女は増田に脈あるよこれ!ありまくり!!!脈あったからこんだけ逆ギレかましてきてんだよ!
そんで増田はそんなに悪くないし彼女も(口は悪いけど)そこまで悪くないよ!2人ともコミュ障なだけ!!!
脈もまだ生きてる!「ちゃんと」謝れば行けるし、彼女側から謝ってきたら「ちゃんと」ごめん俺も悪かった、、みたいにすれば🆗
👩「明日は増田君とデートか〜、いやまだデートってわけじゃないけど、、楽しみだな✨」←非コミュなのでデートに不慣れ
👩「オシャレして、映画見て、素敵なカフェなんかで感想言い合ったりしたいな✨」←非コミュなのでデートに夢を見ている
👩「楽しみで早めに着いたら、増田君もきてた!」
👩「じゃあ映画の前にスタバ行けるじゃん」←デートっぽいことがしたい
👩「え、スタバ行こうよ」←非コミュなので提案を否定されると代替案が出せない
👩「なんでダメなの???」←非コミュなので融通が効かない、しつこい
👩「今コイツ、スタバの悪口言った?」←好きなものを否定されてキレてる
👩「スタバ好きなやつはオシャレで自分とは別の人種だと思ってる?じゃあ私の事は芋臭い非オシャレ女だと思って映画に誘ったって事???👹」←思い込みが激しい
👩「👹👹👹👹👹」←逆ギレなので相手が傷つきそうな事言ってるだけ、本気にする必要皆無
増田が何言ったのかは知らないけど、大体こんな感じでしょ
①まず増田に理解してほしいのは、彼女は増田と同じくらい非コミュだって事(多分)
増田はコミュ力弱々で男として頼りない自分(lv1)が勇気を出して可愛い女の子(lv100)を誘ったら正論パンチでボコボコにされた👊👊👊男女交際キビチィ😭と思ってるかもしれないけど、普通にこれ彼女も非コミュ(lv1)!!!
非コミュ同士は仲良くなりやすいけど喧嘩しがち!だって非コミュだから!
彼女がlv100なら増田の乗り気じゃない気持ちを察してさっさとスタバの代替案出してるし、そうすれば増田がスタバの悪口言って彼女が気分を害することもなく丸くおさまってた案件
じゃあそうしてくれれば良いのに😢とは言うなよ、だって増田だって代替案出せなかったんだろ?
②増田に理解して欲しいこと二つ目、キラキラ消費を否定するのは非コミュには難しい
だから、増田がスタバなんて敷居が高くて無理無理絶対行けない……と思っていたとしても、言われた側にはスタバ(笑)なんて絶対行けない(嘲笑)と受け取られる可能性がある。
おそらく彼女は、「俺と同じ芋ダサ非モテ非キラキラ民だと思ったから映画に誘った(※1)のに、所詮お前もキラキラバカ女か(※2)」と言われた気持ちでいる。
思い込みが激しいので。
というわけで、彼女が怒ってるのは、増田がスタバに行くのにビビってるからでもなければ、その後の罵倒内容でもない。マジでそれは気にする必要が無いからいっそ忘れろ。強いて言うなら「別にスタバに行くかどうかの問題じゃない。あなたのその失礼な態度に対する私の怒りの問題」ここは合ってる。
彼女は「俺と同じ芋ダサ非モテ非キラキラ民だと思ったから映画に誘った(※1)のに、所詮お前もキラキラバカ女か(※2)」と言われた“と感じた“から怒ってる。
実際は言われて無いのにね。
というわけで増田がちゃんと謝るには、まず①デートに誘ったのに喧嘩になっちゃってごめん、それから②彼女の事を素敵だと思ったからデートに誘った事、③スタバ好きな彼女も素敵だと思ってる事を伝える必要がある。
つまり彼女に増田の好意を伝えるのが手っ取り早い。謝って即告白しろ。
(勿論増田が彼女の事は別にもう好きじゃないならしなくていいよ)
これに対して彼女側の反応は、
①呆気に取られる
1-a 👩「あー、うん、いいよ私も言い過ぎたごめんね、、」
こんな感じにバツが悪そうに自分も謝ってきたら非コミュの中では空気が読めるタイプ
1-b 👩「ま、まあそこまで言うなら許してあげても良いけど」
②怒り出す
おそらくこんな感じのどれかだ。逆にこれ以外だったら、上に書いた私の推測は全部ハズレだと思ってくれ。
1-a、1-bなら、告白の返事の前に挽回のチャンスをくれ!って言ってもう一回デートしてこい。②なら逃げろ。
ちなみに大学生なら、学部によってはこれくらい非コミュなのは普通!よくある事だから気にすんな!
このまま彼女に行くにしても、諦めて別の女に行くにしても、がんばれ👍
「愚痴をネット上に書くことで気が晴れる」という現代的な行為を、ユダヤ教的な視点から考えると、いくつかの重要な要素が浮かび上がります。
ユダヤ教では「言葉」は非常に大きな力を持つと考えられています。
"死も生も舌の力にある。"
つまり、言葉は単なる表現ではなく、現実を創り、人を癒すことも傷つけることもできるものとされます。
SNSで愚痴を書くとき、その言葉が他者を傷つけたり、不必要な争いを招く可能性があるなら、ユダヤ教的には慎重になるべきと考えられます。
タルムード(Arachin 15b)では、ラション・ハラ(他人について悪く言うこと)を非常に重い罪として扱います。
この教えは、単なる噂や愚痴でも、人の評判を傷つけることにつながるなら禁じられる、というものです。
ネット上に愚痴を書いても、もし誰かの名誉や人格を損なうような内容を含むなら、それはラション・ハラにあたる可能性があります。
たとえ名前を出さなくても、誰のことか推測できるような形なら注意が必要です。
悲しみ、怒り、失望といった感情を持つのは自然なことです。詩篇(Tehillim)では、ダビデ王自身が神に対して嘆きや怒りを正直に吐露しています(例:詩篇13篇、22篇など)。
ただし、彼はそれを「神に対して」表現しています。つまり、自分の愚痴や苦しみを神との対話に変えるのです。
この姿勢は、感情をただ撒き散らすのではなく、内省と成長の糸口に変えるという点で重要です。
といった形のほうが望ましいと考えられます。
これは他者を巻き込まず、同時に自己理解を深める方法でもあります。
| 面 | 判断 | 根拠 |
| 感情を吐き出すこと自体 | 肯定的 | 詩篇などでダビデも嘆きを表現している。ただしネットでpublic発言するのは注意。 |
| 他者を傷つける愚痴・中傷 | 否定的 | ラション・ハラの禁止(Arachin 15b) |
| 感情を神との対話や内省に変える | 推奨 | 詩篇・アヴォートの教え |
僕は日曜の夜という人類全体のメランコリー共有タイムを、極めて理性的に、そして効率的に過ごしている。
まず夕食はいつも通り19時15分に完了し、食後45分間の腸内活動を経て、20時にシャワー、20時30分から22時まで論文の読み込み。
現在は、僕の手の中のホワイトボードに描かれた「E∞-operadにおけるモジュラーテンソル圏の超準同型拡張」の式が、あまりにも優雅すぎて震えが止まらない。
ルームメイトが僕の部屋のドアを軽くノックして「リラックスしたら?」などと的外れな提案をしてきたが、彼にとってのリラックスとは、脳活動の停止でしかない。
僕にとってのリラックスは、∞-カテゴリーの高次ホモトピー圏の中で、対称モノイダル構造の可換性条件が自然変換として収束する瞬間を可視化することだ。
今日は、朝から「高次モジュライ空間における非可換カラビ–ヤウ多様体のファイバー化」について考えていた。
一般相対論と量子力学の不一致などという低次元の問題ではなく、もっと根源的な、物理法則の「トポス構造」そのものを再構築する試みだ。
つまり、時空という基底圏を前提にせず、まずモノイド圏の内部論理としての時空を再構成する。
これによって、弦という一次元的存在ではなく、自己指標付き∞-層としての「概念的弦」が定義できる。
現行のM理論が11次元を仮定するのは、単なる近似にすぎない。僕のモデルでは次元数は局所的に可変で、Hom(Obj(A), Obj(B))の射空間自体が物理的観測量になる。
もしこの理論を発表すれば、ウィッテンですら「Wait, what?」と言うだろう。
隣人は今日も昼間から玄関前で何やらインスタライブ的な儀式を行っていた。
彼女は一生懸命ライトを当て、フィルターを変え、視聴者数を気にしていたが、僕はその様子を見ながら「彼女は量子デコヒーレンスの具現化だ」と思った。
もちろんそんなことは口にしない。僕は社会的破滅を避ける程度の理性は持っている。
22時前、僕は友人たちとオンラインでBaldur’sGate 3のマルチプレイをした。
友人Aは相変わらず盗賊ビルドで味方のアイテムを勝手に漁るという犯罪的行為を繰り返し、友人BはバグったAIのように無言で呪文を詠唱していた。
僕はWizardクラスで完璧に戦略を構築した。敵のHP残量と行動順序を正確に把握し、Damage ExpectationValueを算出して最適行動を決定する。
つまり、他のプレイヤーは「遊んで」いるが、僕は「検証」しているのだ。ゲームとは確率と因果の実験装置であり、何より僕がゲームを選ぶ基準は「バランスの崩壊が数式で表現できるか否か」だ。
今日もルーチンを乱すことなく、歯磨きは右上奥歯から反時計回りに、時計を見ながら正確に3分40秒。
寝る前にアロエ入りのリップクリームを塗り、ベッドライトの色温度を4000Kに設定する。音はホワイトノイズジェネレーターを使い、宇宙背景放射のスペクトル密度に近づける。完璧な環境だ。
僕はこれから、寝る前の最後の思索として「量子群上の∞-層圏における自己準同型が、時間の矢をどのように内部化できるか」についてメモを取る。
もしこの仮説が成立すれば、「時間とはエントロピーの増加方向」という古臭い定義は無効化されるだろう。
時間は生成関手であり、僕が眠っている間にも自然変換として静かに流れていく。