
はてなキーワード:指向とは
世界のIT企業ってすべてが研究室や金満ベンチャーから生まれた訳じゃない
実家のガレージの車を売って、そこで中古のコンピュータ使って事業を始めました、という有名エピソードのようなルーツを持つこともある
会計処理のために嫁が買ったパソコンでゲーム作り始めた人や、大学の中古機材を廃材置き場から持って行って立ち上げたこともる
リソースの余剰と人の暇が組み合わさると発展につながるのだ。帝国には辺境が必要、という国家論も同じことを言っている。
また生産者は義務的な供給のためだけに生産するようになり、イノベーションの発生が抑えられる
まさに資本主義社会であるのに社会主義のような閉塞を招くことになるのだ。
どんどん作り、どんどん余り、その余り物に付加価値をつけてより沢山作るようになる
減反は失われた30年を40年に引き伸ばすだろう
トランスジェンダーやクィアはオーソドックスなジェンダー規範を内面化することができない人として消極的に定義される。トランスジェンダーには性倒錯が入るが、小児愛者・ペドフィリアや動物性愛者・ズーフィリア、死体愛好者・ネクロフィリアなどの他害性の高い性指向はパラフィリアとして別だとされている。社会的に有害な在り方でしか欲求を満たせない存在を切り離すことで、トランスジェンダーは無害であり、受け入れない社会の方が間違っていると主張するためだ。つまり人為的な区切りである。何のことはない、昔は「変態」とされていた言葉の区切りを変えただけだ。
なお、性指向と性自認は必ずしも同期しない。だから、自分は男に生まれて女性の心を持っていて、女性的な振る舞いをするが、性愛の対象も女性であると云うのは全くおかしなことではない。ただ、女性への性愛のために性指向を虚偽申告したとしても、傍目には区別がつかない。
この問題に対して、性別違和(性同一性障害GDI)の人の苦しみを挙げて反論する論者がいるが、全くの筋違いである。性別違和は医学的定義であるのに対し、トランスジェンダーは政治的定義である。前者は精神的に苦痛を軽減するために医学的処置を受ける必然性がある場合に認められる。かつて、トランスジェンダー界隈が「くたばれGDI」と言う標語で性別違和当事者を攻撃してきたのは、性別違和者は既存の社会のジェンダー規範に合わせたいという強い希求があり、それに応じて法律上の地位を得ていることへの攻撃だったといえる。トランスジェンダーイデオロギーは、既存の男女二分法に基づいた社会規範は間違っていて非倫理的であるという主張に基づく。処置を受けて社会に適応すると言う考え自体が、トランスジェンダーイデオロギーと真逆の発想なので、対立するのは当然といえる。さらに、トランスジェンダーの定義として、表立っては反対しにくい性別違和者の例を挙げるなどしてるが、トランスジェンダーイデオロギーが浸透することで性別違和者が「生きやすく」なるかは疑問である。なぜなら、性別違和者は生まれ持たない既存のジェンダーロールを身に付けたいと願っているが、その試みはトランスジェンダーイデオロギーにとっては悪しきものだからだ。
結論としては、トランスジェンダーやクィアと言うのは政治的カテゴリーであり、「社会悪でない性的逸脱」全般を指すと考えて良いと思う。数多くの逸脱が内包されている以上、一致した見解はなく、既存の社会を批判するためにつくられた「ポリコレ叩き棒」といっても差し支えないように思う。
友達と遊戯王の話をしていた時のことを取り留めもなく書いておく
あくまでも素人の勝手な考察ということでオフィシャルな意見でも文献資料に基づくものでもない
俺の結論としては、遊戯王はデジタルカードとしての側面が最初からあったために一般的なTCGとは隔絶していたんだろうってこと
まず遊戯王ってルールが複雑だと言われるけど、そのおおもとの原因は他TCGが採用していることの多い総合ルールを持たないことにある
総合ルールはいってしまえば全てのルールの下敷きに当たるものであり、ここに書いてある定義や用語、記法に従ってカードは作られる
時に総合ルールでは判断が難しい状況というのはフロアルールなどで解決するし、非常に難解なテキスト同士の処理はジャッジや公式が裁定を出す
この裁定が間違っているかどうかも総合ルールに照らして考える必要があって、総合ルールが裁定に合わせて改訂されることだってある
そういうのが一般TCGのやり方ではあると思うけど、遊戯王は総合ルールという公のルールを持たず、代わりに裁定でカードの挙動を示している
だからときに過去の裁定と符合しなかったりする場面が出てきたりする
この取り組みが良いかどうかは別として、どうしてこういうことができるのかって話
総合ルールを前提にした運用ってのはそもそもプレイヤーにルールの全貌が開示された状態と言っていい
例えば呪文を唱える手順については、場合によっては大変細かく総合ルールに記載されているが、こうするのは呪文の唱え方一つとっても統一した運用をすることで公平な競技ができるようにする意味がある
オレオレルールを通して勝手な処理をさせないようにするってことだ
こういうのはアナログなゲームであるTCGだからこそで、ボードゲームをルーツにしているから全員にルールが開示されていないとダメって思想が根底にあるんだろう
じゃあ遊戯王をみると、裁定という結果は開示されているがその理由や仕組みは明らかになっていない
これは罰則の基準はあってもその基準を誰がどうやって作っているか、どういう法律に基づいた罰なのか明らかにされていないのと大体似ている
総合ルールを持たないことが悪いとは言わないが、それは競技指向がそれほど強くないカードゲームや運営にやる気がない場合に多いとは思う
じゃあ競技性の塊のようなゲームで、コナミのいち柱である遊戯王が、総合ルールを持たない理由ってなんだろう
これって恐らく、遊戯王が元々デジタルカードゲームと並行していたからなんだと思う
当初の遊戯王OCGはゲームボーイから始まり、その付録あるいはメディアミックスの一つがOCGだった
コナミ自体はデジタルゲームの会社だから、紙のTCGという文化となじみがあまりない
つまり現在の遊戯王OCGの源流ってデジタルゲームの派生なんじゃないかな?
例えばマジック・ザ・ギャザリングはアリーナ以前にも多くのデジタルゲームがあったけど、当初は存在していなかったしMOとアリーナくらいしか実績がない
ポケカもデュエマも一応はデジタルカードゲームはあるんだけど、遊戯王に比べるとシリーズといてあまり確立していないし歴史もぶつ切りだ
遊戯王のように長い期間デジタルと紙が並行して作られていたTCGはあまりないように感じる
そこで思うのは、遊戯王はデジタルが核なので総合ルールというゲーム自体をオープンにするというやり方が合わなかったんじゃないかな?
例えばモンハンなどのデジタルゲームで様々なパラメータが開示されていたりダメージ判定などがされているが、それらの計算や基準となるものの正体まで開示されているわけではない
これはユーザーにとって必要な情報と開発運用にとって秘匿すべき情報が分けられているから
でもTCGは書いてあることが全てでありその情報をユーザーが自力で説いて計算することが求められる
なので総合ルールなど詳細で厳密なルールが必要なんだけど、デジタルゲームでそれをするのはゲームそのものの仕様を公開するのと同等だよね
それってデジタルとアナログが混在していた遊戯王では色々問題があったんじゃないんかな
元々が紙のゲームで総合ルールでしっかり定義づけられているか、あるいはシャドバのようにデジタルと紙が分離されているなら別だけど、遊戯王はデジタルと紙がずっと平行しつつアニメもやっていた
なので恐らくだけどデジタルと紙の細かな仕様が完全には一緒ではなく、総合ルールという形に置き換えることが困難だったのかもしれない
デジタルの挙動をアナログゲームに置き換えるには相当時間と労力もかかるから、結果だけをあわせるため、裁定が豊富になったんじゃないかな
よく女が言ってる「ストーカー被害を警察に相談したけど証拠がないと何もしてくれなかった」って言ってるやつね
そりゃそうだろ、証拠もないのに相手に何かしたら法治国家の否定だよ
それと同じでこういう体験談を聞いても「だから何?」としか思わなくなった
https://anond.hatelabo.jp/20250921205546
https://anond.hatelabo.jp/20250921212318
https://anond.hatelabo.jp/20250923195220
ぶつかりおじさん、食い尽くし系夫、ポテサラじいさん、さす九、何か流行ると連鎖的に【体験談】が膨れ上がって有無を言わせぬ空気を作り上げていく
内容はミサンドリーな男性叩きなのに否定するやつはミソジニーだと逆の事を言う
入院中の妻の病院食を食べつくしたみたいな明らかな嘘松や、女衒アカウントの嘘松も大盛況
九州女性の幸福度は軒並み高いとか日本の性犯罪率は暗数込みで低いとかデータで示しても無駄
女性の上昇婚指向の話題になれば逆にデータではなく「友達が下方婚したけどダンナ側が卑屈になって結局別れた」みたいな体験談をワーワー騒いで押し切ろうとする
デートの奢り奢られ論争が起きれば「昔の彼氏が割り勘派だったけど家事育児は女性がやるべきだと思っているクズ野郎だった」みたいな体験談が生えてきてまるで割り勘派の男性が全員そうであるかのようにふるまう
今増田/はてブでも同じようなことやってるわけだろ。誘ったおっさんが上司でもなんでもないんだからセクハラじゃないのに
【おっさん飯誘い罪】【おっさん下心出し罪】ではしゃいでさ、権力差がどうこう勝手に設定が生えたりして被害者感を強調してさ
もうダメだろこの人たち。あまりにも男叩きしすぎた。あまりにも同情心を搾取しすぎた。
●相手の言い分直接聞かないと客観的にも判断できないですよね?
●それが何か法に触れるんですか?
あまりにも女性の体験談が力を持ちすぎる現状に際して、これから男性はこういう機械的な感情になっていくんだろうなと思う
つまり女性の【体験談】を聞いても「だから何?」でしかなく、何か同情したり共感したり納得して欲しいなら、発信者側がちゃんとしたエビデンス添えてくださいよっていう空気になっていくわけ
そりゃロシア文学とかブラジルの音楽性とか見てたら、気候やら政治やらそんなこんなで創作物の指向が変わるのは理解できるけどさ。
同じ日本で「九州はこう、東北はこう」みたいな考えってめちゃくちゃ過激で、参政党が謎のデータと偏見で「日本はこう、海外はこう」って言ってんのとほぼ同じなのに、賢そうな人々がこぞって同意してるのが意味わからんくて腹立つ。
あと物知り顔で「震災の影響もある」とか言ってる人にも腹が立つ。九州の人間が感化されなかったとでもいうのか?関わりを持とうとしなかったとでもいうのか?
地域性・県民性の違いがあるのはわかるんだよ。そういうのむしろ好きだし。ただなんか今バズってるのにはやたら腹立つんだよな〜。俺の体調が悪いのかな。
おいらの所はいわゆる限界集落で、山奥過ぎて集落(平成の大合併の前の村の範囲)では既に人口400人を切って、高齢化率が8割を超えているような場所なんよ。
かつての街道筋で国道は通っているけど、二十数年前に高速道路が開通したもののインターは無し。交通量がガクンとへって一気に寂れたと言う。
例えば、ガソリンスタンドも苦労して維持している。タンクの交換期限が来て廃業すると言う話を、みんなでお金を出し合って出資して会社を作り、なんとか維持している。
病院も診療所が一応あるが医師は常駐して無くて、ドラッグストアどころか薬局もない。そんな場所だ。
そんな場所に唯一日常のものを売っている施設、それがファミリーマートなのだ。
元々ここにコンビニはなかった。ただ、道の駅がまだ純粋に長距離ドライブの休憩ポイントとしてバランス良く配置されることを指向していた時代に、道の駅が作られた。それに併設されている。
当時、色々な奇跡と偶然が重なって補助金もとれて、道の駅に既存の温泉宿を取り込んで日帰り温泉と小さな宿泊施設を作った。その一角に誘致して作られたのがサークルKだ。
サークルKのオーナーは周辺で何店舗もサークルKを運営し、他にも古本屋やレストランなどのフランチャイズをやっている会社さんで、お土産物も扱っている関係で手を上げてくれたという経緯がある。
ただ経営は厳しく。それでもつないでくれて、吸収合併を経てファミマとなった。
しかし無理になったのがコロナ禍だ。道の駅にも客は来ない。温泉施設は危険だという事になって業務停止。宿は形の上だけではやっていたが客はおらず。
それでも営業を続けてくれようとしていたが、従業員としてメインで働いていた皆さんは高齢者がほとんど。流行中の中にお店に立つことが難しくなっていて退職され、いくらお金をだしても店を開けられなくなった。
これで一度は閉鎖された。
ただ、オーナーさんはそれでもミニファミ号という移動店舗を派遣してくれていて、それでなんとかつなげていた部分がある。
本来はこの水準だと明らかな赤字になる、再開するにしてもそのままでは難しく新たに改装などが必要なこと、など色々な問題があるが、自治体と、道の駅とガススタの運営をしている合同会社が入って話し合いを進め、ファミマの本部側も例外的な処置を認めてくれて、基準に満たないけれども出典にGOサイン、朝6時から22時までの営業にするなどを認めてもらい、恐らく配送ルート的にも赤字なのにやってくれることになった。
オーナーさんも儲からないのに再び経営に乗り出してくれたし、道の駅とガススタの運営会社も人員面で協力すること。さらに改修費用は自治体が出すこととなって、再開にこぎ着けたのだった。
ファミマが復活したことや、近くにスマートインターができたこともあってコロナ前よりも道の駅の利用者は増えている。ファミマも店舗の収支としては赤字にはなってないよう。
普通のファミマよりも服や日用品、野菜や果物といった生鮮食料品なども扱ってくれるし、本当に助かっている。
消費する人の数だけ嗜好も指向もあって主体はする側にあるのに何でその被害性を対象のキャラ造形や描写で定義するのかどう理屈が通ってるのかわからない
それって性的興奮の責任を被害側に見出す蔑視的な視点での痴漢自衛論みたいなのと変わらないし本来は消費する側の主観的で自己完結的でしかないはずの行為に搾取としての能動的加害性を指摘するのは消費される対象への支配的強制力を併せて認めるものだしそれって言わば性的消費のエンパワーメントだし被害性を論うための相対的根拠として効果狙って用いられてるの普通に意味わかんないなって思う
男性の裸体表現が女性に向けた消費物であったとしてもある種のナルシシズムで受け取られるように本来公平には性的魅力は本人の自己愛の発露、生物的造形美としての意味性があって然るべきなのに消費被害の論において女性のそれは問答無用で男性のための性的消費物として扱われてるの本質的な女性差別蔑視的価値観の喧伝刷り込みでしかないからやめて欲しいなとも思う
所謂ノイズもそうやって消費する人達の好き"そうな"描写表現自体を加害性パッケージで定義したものであくまで被害を叫ぶ側のバイアスかかった漠然とした基準でしかないし
胸の揺れや女性的曲線美、クネクネしてるとかそれ自体は結局女性性を示す一表現もしくは性的魅力を伴うもの以上でも以下でもないのにそうやって「ノイズ」の定義に恣意的な個人のハードルでブチ込んで加害性をタグ付マーキングして流れ作業的にジャッジしてるのが最近の「フェミニズム」の傾向で、踝出してたら性的って時代から今変化してるみたいに性的忌避性はそのまま性的定義に繋がってて性的定義からの解放は対象の忌避性を意識させないまで日常化する事でしか得られないのに今やってる事と言えば真逆で女性の社会における性的受容性の観念的制限増と実を伴わない嫌悪感の生産なの地獄だなと思う
是非は別としても媒体によるターゲット層の違いなんかでゾーニングとしての表現変更はマーケティングとして真っ当だけど性的消費でノイズだから、は主観と客観区別つかなくなってるんだろうなって
消費物として用意された女性の描写が加害性を伴うって論についてもそれは元来のフェミニズムにおける性の消費問題であくまで男性への消費性に対して相対差による役割上のバイアス形成を前提にした「女性の性」を消費するから害なのでなく「女性」を性を消費するための存在として属性付ける観念傾向を害としたもので前時代の欧米の抗議性は相対バランス是正としてのアファーマティブアクションによるものだし欧米の場合は更にそこに宗教ラインの女性の性的魅力欲求を男性のためのものとした原理的観念がベースにあって女性性や女性の性=男性を性的に満たす役割って価値観そこからの脱却としてフェミニズム文脈での女性視点のセクシャルな表現解釈の自由獲得含めた性的解放に向かうわけで海外ではって言葉もよく聞くけど特にアメリカはコミックコードで元々開放的な表現を規制した結果女性の作家と読者が減って育たず男性に大きく偏った上での性的表現/男性に向けたマクロにおける相対的視点での性的表現性是正で女性作家の性的表現、女性向けの性的供給が男性向けに対して映像メディア含め欧米で進歩的に扱われて許容されるのもLGBTQ作品然りその偏りがまだまだ前提にあるからで、二次元表現における男女平等公平性、女性の性的能動性や創作における受容度からして進歩的な日本の状況でフェミニズム男女同権を謳って女性の性的な表現自体を厭うのはゾーニング論にしかなり得ず性的忌避的価値基準はそのまま双方へ働くわけでだからBLはどうだショタはどうだ女性向けのピンナップはって話になってしまう
保守的主張として性的に絶対的基準をって話ならまだしもそのゾーニングを個人的な快不快でフレキシブルに運用できると思ってるのは単純に考えなしで自分で首絞めてゲロ吐き散らかしてるみたいで迷惑だからやめてほしいと思う
自分は昔からネットでクリエイター系趣味をやっていた友達が多い。
絵師・イラストレーターをはじめ、小説を書く同人者もいれば、MMDなどの3DCG方面に特化した人、手芸が得意な人などもいた。
中にはボカロPもいたし、人力ボカロとか音MADみたいな方向性の動画を作ってる人もいた。
ザ・クリエイターと言うのとはちょっと違うかもしれないが、オフ会などの企画の音頭を取る、何かのデータをまとめて分かりやすく皆に提供する、などの方向性で活動をしていた人も、広く言えばこの中にいる。
だいたい彼らが10代後半から30歳ぐらいまで、彼らは本当にキラキラと精力的に活動してた。
しかしこの辺りを過ぎると、趣味を仕事にしたか、余程燃え滾る何かがある人以外は、次々と離脱していってしまう。
そんな彼らが決まってハマるのがVTuberだ。
もう少し上の世代だとこれが競馬とかだったのだが、最近の人は大体VTuberだ。
恐らく、もうゲームなんかも元気にプレイする気力がなくて、加えてアニメや漫画と違うのは、自分が場に居るという参加感を得られる事だろう。
ある意味、ライバーの生配信というのは、単にライバーのみの活躍だけでなく、コメントの雰囲気なども含めて皆で作り上げるものと言っても過言ではない。
彼らはきっと、もう残り少ない気力で、それでも何かを作り上げたいというかつての指向だけはわずかに残っていて、そこに辿り着くのだろう。
ちなみにVTuberという物自体はなんも悪くない。明らかにクリエイター分野では雇用・需要を生み出してる存在なので、むしろありがたいと思っている。
加えて言えば、絵を描くだのして、クリエイティブな形でファン表現をするVTuberファンもいくらでもいる。
ただ、あんなに好きなものを熱い想いで語り、形にして作っていた人たちに、今はもうその元気がないという事実が、たまに少し寂しいだけである。
■39歳女、初めてのTLエロ同人 〜そして晒されました〜
仕事中に流す適当な音楽がなく、たまたまNetflixで見れそうなものを探していたのがきっかけだったような気がする。
恐ろしいほどハマった。ハマりにハマった。
出産を3ヶ月後に控えて、連日掲示板で仲間たちと展開について、キャラについて語り合い、拙い考察(笑)を書き込み、夢中になってアニメ及びその原作漫画について毎日考えていた。
時に熱く激論を交わし、時に世代の違う仲間からの深い批評に膝を打ち、時には無邪気な感想に思わず微笑んだ。ひとつひとつが思い出深く、素晴らしい日々だった。
そしていよいよ出産予定日を1ヶ月後に控えた頃、とうとうアニメの最終話が放映された。
寂しい。あまりにも寂しい。
悶々としてどうしようもない思いを抱え、大きな腹を揺らしながらごろごろと寝返りを打つ日々。
一体この気持ちをどうすれば?
原作コミックはすでに完結済みで続編も内容的に望むべくもない。アニメは再放送の予定は当分先であると発表された。
掲示板で語り合った仲間たちもいくらかトーンダウンし、書き込みの内容も他作品との比較やネタ的な冗談が混じり始めていた。物足りない。寂しい。寂しすぎる。
頭の中で、不安定なホルモンバランスと作品への愛がドロドロに混ざり合い、ある結論に達した。
そうだ、同人を作ろう。
それは最終話が放映された夜、12時間ほどかけて一気に書き上げられた。
ずっと頭の片隅に構想はあった気がする。
しかし本当に形になるとは思っていなかった。
不思議な情熱が全身を突き動かし、5000文字の掌編小説が書き上げられた。
なんだこれは。
なんでエロ?
しかしエロだろうがグロだろうがギャグだろうがなんでもいいのである。大切なのは作品への紛うことなき愛。そしてそれが形になったことではないか。
そう結論づけると、漫画、アニメ好きの漠然とした知識から、同人を投稿するべき場所を求めてネットを彷徨った。pixivである。
自分が学生の頃にはすでにあった気がする。エッチでいかがわしいイラストを投稿するサイトではなかったか?今は小説も投稿できる?アプリも存在する?ほう、ではやってみるしかないではないか。
なんとなく感覚的に進めてみる。
とても使いやすい。
コピペをして、適当にタグ付けをし、もちろん18禁作品なので、ゾーニングは間違えない。投稿ボタンを押した。
みるみる閲覧数が増えてきた。ほう、さすが放送日の直後である。みな供給に飢えている。なるほど。
なぜ???
何かを間違えたのだろうか。慌てて編集ページに入り、とりあえず付けられたタグを消してみる。タグ編集不可に設定を変更。
そうしているうちにメッセージが続々と入り始める。
何件かのメッセージを読んでいるうちに漠然と概要を理解しはじめる。どうやらエロは公式のタグを付けてはいけなかったらしい。理由は不明。しかし恐縮である。急いで外す。
さて、これでいいのだろうか。閲覧は止まることなく伸び続ける。1時間ごとに20-30ビューは増えただろうか。増えすぎである。少し不安になる。
何が起きているのか…。
そしてあるメッセージが入った。
「◯◯役声優の××さんのXアカウントに作品のリンクが貼られていますが大丈夫ですか?」
とりあえずアカウントは持っていないが、見るだけ見に行ってみる。リンクはどこに貼られているのだろう。よく分からない。しかし閲覧は伸び続ける。どうすればいいのか。
連続で入り続けるメッセージを読む。pixivの設定を、全体公開のR-18から、ログイン限定のR-18に変更すればいいらしい。言われた通りに変更する。一安心である。
少し閲覧数の伸びが収まってきた。
またメッセージが入り始めた。
どうやらキャラクターの年齢が問題らしい。(*実はこれは問題ではない。既にこの頃、同じキャラクターの18禁イラストが大量にアップされているのだが、この時筆者は知る由もない)
晒しの被害に遭わない為には、そのように対策された専用のサイトに行かねばならないとのこと。
言われるままにそのサイトに行き、アップしなおしてみる。
誰も見ない。
というか、誰もいないのである。
極端に人口が少ない。
書いた作品を誰にも見てもらえないのなら、発表する意味はどこにあるのだろうか?
うーむ。
しかも、先程から何度も連絡を入れてくる人々、やけにメールの口調が同じなのである。
もしかして、たった1人の人間が複数アカウントで連絡してきてる?
そんな気がする。
何しろ、同人歴はホヤホヤでもこちとらネット歴は20年である。もうだめぽの時代から2ちゃんねるにはお世話になっている。なんとなくネットの勘どころは、少しはある、はずだ。
とりあえず無視してみよう。
えっちな小説はとりあえずログイン限定設定にしておいて、続編を書いていく。爆速で書き上がる。
いろいろと葛藤はあったが、ちょっと攻めた設定のSM小説である。濃い。
濃くてナンボやろう。どうせ商業ではないのだし、好きなシチュエーションで好きなキャラをアンアンさせたいではないか。
年端も行かない美少女を縛り上げて過激なセックスである。ぐふふ。楽しい。これ以上に楽しいことがあるだろうか。股ぐらがいきり立つ(ないけど)。
反応はまあまあである。読者はいきなりの方針転換にいささか戸惑っている様子が窺える。
女性読者が多いのかもしれない。そういう市場の場合、女性が男性に過激に責められて喜ぶようなシチュエーションや陵辱ものは受け入れられにくいという素地はあるだろう。
しかも好感度の高い善人キャラが責めである。これは戸惑う人もいるかもしれない。しかしこれはあくまで伏線。次の話で盛大な種明かしが待っている。急いで続編だ。
そして入り始めるメッセージ。
◯◯◯◯というタグは取り下げてください!
はあ?
何が界隈か。お前の個人的な趣味だろう。嫌ならミュートしてくれ。編集さんにわざわざメールしたのもお前だろうが。仕事を増やすんじゃない。
お気に入りのキャラが女性キャラクターと一対一でアンアンしているのが気に入らないのだろうか
(念のため書き添えておくが、この記事は腐女子全てを悪として告発するものではない。筆者の友人にもウン10年腐女子をやっている歴戦の兵がいるが、今回の騒動については多大な助力を得ることができた。この場を借りて感謝を伝えたいと思う)。
無視して続編を書いていると、pixiv事務局から作品の盗作疑惑で連絡がはいる。
第二話が余程お気に召さなかったらしい。
通報元の作品と見比べても、盗作の可能性が高いとのこと。また権利を主張しているとのこと。
しかし事務局に確認するが、あくまで第三者からの連絡であるとのこと。
けっ。
この時筆者は産まれたばかりの子供の世話でてんてこ舞いである。幸い玉のような女児であったので難は免れたが、もし男児であったら名前は「同人」(なおひと)になっていたかもしれない。危ないところである。
私は普段メールの下書き機能で小説を書いている。よって初稿が書かれた日時を証明するのはとても簡単な作業であった。
自分なりに納得のいかない描写もあったので、一旦小説を削除してしまったのである。思い出しても悔やまれる。
第三話を書き上げ、第二話のリライトを終えて、同時にアップしたのが、夫の故郷への里帰りの前日である。
翌朝、新幹線の車内でビュー数が伸びていくのをニヤニヤと見守る。
人気キャラクターがおしおきされている第三話は、人気のカップリングというのもあり反応は上々であった。
荒らしから途方に暮れたようなメッセージが入る。またこいつか。
分かりました。では第一話と第三話はこのままで大丈夫です。でも第二話はマイピク専用に変更してください。
はあ?
マイピクなんているわけねーだろ。こちとら無頼のエロ小説書きじゃい!!!!!!
根拠不明の謎の命令口調を無視する。再度第二話が事務局により強制的に下書きに入れられる。
が、今日は返事が来ない。
しかし第三話のビュー数は伸びている。焦る。
ううむ。小説の内容は同じだし、通報のログには何も残っていないのだろうか?それにしてもこれは間違いなく私の書いたものだし、なんなら裁判でも証明できる。
そのことと、虚偽の「複数アカウント使用」の嫌疑によって私の初めての同人アカウントは事務局により凍結の措置となり、未だにその件に関しては解決していない。
慌てふためく私に、夫は絶対零度の瞳で告げた。
「とりあえず家に戻ってからにして。旅行中はpixivしないでくれる?」
今回の件で私が学んだことは
・荒らしはうざいが、待っていればいつかはいなくなるので、とりあえず脅されたら作品は下げて嵐が去るのを待ったほうがいい。
・問題が起きたら、1人で悩まず、同じジャンルの人になるべく相談しよう。
この3点である。
いまもって私のいる界隈で、この独断と偏見に満ちたバカタレによる乱暴狼藉はおさまっていないが、いつか必ず光明が見えてくることを信じている。
また追加で書いておきたいことが2点。
・何があっても、一回アップした作品は死んでも削除するな。下書きに取り下げておくだけでいいから。
(pixiv事務局は作品URLごとにログを保存しているらしく、削除してしまうと経緯が辿れなくなる可能性が高い)
・アカウントの転生を恐れるな。いいねやブクマの数は確かに惜しいが、それもまた努力で取り戻せるし、名前が分かっているのなら、転生時にユーザーさんにお礼のメッセージでも送ればいい。
せっかくのアカウントが、ビュー数が…!と葛藤する気持ちはよーく分かる。でも考えてみて欲しい。今が原始時代で、目の前にバチギレしたマンモスがいたらどうだろうか?アルファツイッタラーも、100万バズも、イーロンマスクも、ウォッチリストも、フォロワー数も、500userおめでとうも全て宇宙の彼方まで飛んでいくではないか?
つまりそれらは全てアドレナリンが生み出した幻想なのである。諸行無常。
もしみんなの同人ジャンルで同じような中傷、妨害、晒し行為があって、身近に相談できる人がいなかったら、小生に相談してほしい。
すぐさま解決できるとは言えないが、一緒に悩み、解決方法を模索することはできるはずだ。
どうか1人で悩まないでほしい。
連絡先はこちら:sarashi.stop@gmail.com
・作品を作るのをやめろ
・イベントに参加するのをやめろ
明らかなハラスメント行為が、1人、もしくはごく少数の加害者の暴走により行われていることが確認できた。
・pixivからポイピクに移動したところ、そちらも追いかけられて晒されたので、鍵をかけざるを得なくなった。
・ネットで繰り返し嫌がらせをされたので、イベントに参加する際にリアルでも何かされるのではないかと恐怖を感じた。
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Xをはじめとした、鍵を付けることができたり、コピペや晒し、虚偽通報などの嫌がらせ対策がされているSNSやプラットフォームに避難する、といったところだろうか。新しいアイディアや解決法をお持ちの方がいたら教えてほしい。
偶然、特定のカップリングを指向した・愛したというだけで晒しの被害に遭われ、他のカップリングの方が享受している権利(創作する権利、発表する権利、交流する権利)を制限され、精神的苦痛を受けた全ての同人制作者に、心からお悔やみ申し上げます。
仕事中に流す適当な音楽がなく、たまたまNetflixで見れそうなものを探していたのがきっかけだったような気がする。
恐ろしいほどハマった。ハマりにハマった。
出産を3ヶ月後に控えて、連日掲示板で仲間たちと展開について、キャラについて語り合い、拙い考察(笑)を書き込み、夢中になってアニメ及びその原作漫画について毎日考えていた。
時に熱く激論を交わし、時に世代の違う仲間からの深い批評に膝を打ち、時には無邪気な感想に思わず微笑んだ。ひとつひとつが思い出深く、素晴らしい日々だった。
そしていよいよ出産予定日を1ヶ月後に控えた頃、とうとうアニメの最終話が放映された。
寂しい。あまりにも寂しい。
悶々としてどうしようもない思いを抱え、大きな腹を揺らしながらごろごろと寝返りを打つ日々。
一体この気持ちをどうすれば?
原作コミックはすでに完結済みで続編も内容的に望むべくもない。アニメは再放送の予定は当分先であると発表された。
掲示板で語り合った仲間たちもいくらかトーンダウンし、書き込みの内容も他作品との比較やネタ的な冗談が混じり始めていた。物足りない。寂しい。寂しすぎる。
頭の中で、不安定なホルモンバランスと作品への愛がドロドロに混ざり合い、ある結論に達した。
そうだ、同人を作ろう。
それは最終話が放映された夜、12時間ほどかけて一気に書き上げられた。
ずっと頭の片隅に構想はあった気がする。
しかし本当に形になるとは思っていなかった。
不思議な情熱が全身を突き動かし、5000文字の掌編小説が書き上げられた。
なんだこれは。
なんでエロ?
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そう結論づけると、漫画、アニメ好きの漠然とした知識から、同人を投稿するべき場所を求めてネットを彷徨った。pixivである。
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なぜ???
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そうしているうちにメッセージが続々と入り始める。
何件かのメッセージを読んでいるうちに漠然と概要を理解しはじめる。どうやらエロは公式のタグを付けてはいけなかったらしい。理由は不明。しかし恐縮である。急いで外す。
さて、これでいいのだろうか。閲覧は止まることなく伸び続ける。1時間ごとに20-30ビューは増えただろうか。増えすぎである。少し不安になる。
何が起きているのか…。
そしてあるメッセージが入った。
「◯◯役声優の××さんのXアカウントに作品のリンクが貼られていますが大丈夫ですか?」
とりあえずアカウントは持っていないが、見るだけ見に行ってみる。リンクはどこに貼られているのだろう。よく分からない。しかし閲覧は伸び続ける。どうすればいいのか。
連続で入り続けるメッセージを読む。pixivの設定を、全体公開のR-18から、ログイン限定のR-18に変更すればいいらしい。言われた通りに変更する。一安心である。
少し閲覧数の伸びが収まってきた。
またメッセージが入り始めた。
どうやらキャラクターの年齢が問題らしい。(*実はこれは問題ではない。既にこの頃、同じキャラクターの18禁イラストが大量にアップされているのだが、この時筆者は知る由もない)
晒しの被害に遭わない為には、そのように対策された専用のサイトに行かねばならないとのこと。
言われるままにそのサイトに行き、アップしなおしてみる。
誰も見ない。
というか、誰もいないのである。
極端に人口が少ない。
書いた作品を誰にも見てもらえないのなら、発表する意味はどこにあるのだろうか?
うーむ。
しかも、先程から何度も連絡を入れてくる人々、やけにメールの口調が同じなのである。
もしかして、たった1人の人間が複数アカウントで連絡してきてる?
そんな気がする。
何しろ、同人歴はホヤホヤでもこちとらネット歴は20年である。もうだめぽの時代から2ちゃんねるにはお世話になっている。なんとなくネットの勘どころは、少しはある、はずだ。
とりあえず無視してみよう。
えっちな小説はとりあえずログイン限定設定にしておいて、続編を書いていく。爆速で書き上がる。
いろいろと葛藤はあったが、ちょっと攻めた設定のSM小説である。濃い。
濃くてナンボやろう。どうせ商業ではないのだし、好きなシチュエーションで好きなキャラをアンアンさせたいではないか。
年端も行かない美少女を縛り上げて過激なセックスである。ぐふふ。楽しい。これ以上に楽しいことがあるだろうか。股ぐらがいきり立つ(ないけど)。
反応はまあまあである。読者はいきなりの方針転換にいささか戸惑っている様子が窺える。
女性読者が多いのかもしれない。そういう市場の場合、女性が男性に過激に責められて喜ぶようなシチュエーションや陵辱ものは受け入れられにくいという素地はあるだろう。
しかも好感度の高い善人キャラが責めである。これは戸惑う人もいるかもしれない。しかしこれはあくまで伏線。次の話で盛大な種明かしが待っている。急いで続編だ。
そして入り始めるメッセージ。
◯◯◯◯というタグは取り下げてください!
はあ?
何が界隈か。お前の個人的な趣味だろう。嫌ならミュートしてくれ。編集さんにわざわざメールしたのもお前だろうが。仕事を増やすんじゃない。
お気に入りのキャラが女性キャラクターと一対一でアンアンしているのが気に入らないのだろうか
(念のため書き添えておくが、この記事は腐女子全てを悪として告発するものではない。筆者の友人にもウン10年腐女子をやっている歴戦の兵がいるが、今回の騒動については多大な助力を得ることができた。この場を借りて感謝を伝えたいと思う)。
無視して続編を書いていると、pixiv事務局から作品の盗作疑惑で連絡がはいる。
第二話が余程お気に召さなかったらしい。
通報元の作品と見比べても、盗作の可能性が高いとのこと。また権利を主張しているとのこと。
しかし事務局に確認するが、あくまで第三者からの連絡であるとのこと。
けっ。
この時筆者は産まれたばかりの子供の世話でてんてこ舞いである。幸い玉のような女児であったので難は免れたが、もし男児であったら名前は「同人」(なおひと)になっていたかもしれない。危ないところである。
私は普段メールの下書き機能で小説を書いている。よって初稿が書かれた日時を証明するのはとても簡単な作業であった。
自分なりに納得のいかない描写もあったので、一旦小説を削除してしまったのである。思い出しても悔やまれる。
第三話を書き上げ、第二話のリライトを終えて、同時にアップしたのが、夫の故郷への里帰りの前日である。
翌朝、新幹線の車内でビュー数が伸びていくのをニヤニヤと見守る。
人気キャラクターがおしおきされている第三話は、人気のカップリングというのもあり反応は上々であった。
荒らしから途方に暮れたようなメッセージが入る。またこいつか。
分かりました。では第一話と第三話はこのままで大丈夫です。でも第二話はマイピク専用に変更してください。
はあ?
マイピクなんているわけねーだろ。こちとら無頼のエロ小説書きじゃい!!!!!!
根拠不明の謎の命令口調を無視する。再度第二話が事務局により強制的に下書きに入れられる。
が、今日は返事が来ない。
しかし第三話のビュー数は伸びている。焦る。
ううむ。小説の内容は同じだし、通報のログには何も残っていないのだろうか?それにしてもこれは間違いなく私の書いたものだし、なんなら裁判でも証明できる。
そのことと、虚偽の「複数アカウント使用」の嫌疑によって私の初めての同人アカウントは事務局により凍結の措置となり、未だにその件に関しては解決していない。
慌てふためく私に、夫は絶対零度の瞳で告げた。
「とりあえず家に戻ってからにして。旅行中はpixivしないでくれる?」
今回の件で私が学んだことは
・荒らしはうざいが、待っていればいつかはいなくなるので、とりあえず脅されたら作品は下げて嵐が去るのを待ったほうがいい。
・問題が起きたら、1人で悩まず、同じジャンルの人になるべく相談しよう。
この3点である。
いまもって私のいる界隈で、この独断と偏見に満ちたバカタレによる乱暴狼藉はおさまっていないが、いつか必ず光明が見えてくることを信じている。
また追加で書いておきたいことが2点。
・何があっても、一回アップした作品は死んでも削除するな。下書きに取り下げておくだけでいいから。
(pixiv事務局は作品URLごとにログを保存しているらしく、削除してしまうと経緯が辿れなくなる可能性が高い)
・アカウントの転生を恐れるな。いいねやブクマの数は確かに惜しいが、それもまた努力で取り戻せるし、名前が分かっているのなら、転生時にユーザーさんにお礼のメッセージでも送ればいい。
せっかくのアカウントが、ビュー数が…!と葛藤する気持ちはよーく分かる。でも考えてみて欲しい。今が原始時代で、目の前にバチギレしたマンモスがいたらどうだろうか?アルファツイッタラーも、100万バズも、イーロンマスクも、ウォッチリストも、フォロワー数も、500userおめでとうも全て宇宙の彼方まで飛んでいくではないか?
つまりそれらは全てアドレナリンが生み出した幻想なのである。諸行無常。
もしみんなの同人ジャンルで同じような中傷、妨害、晒し行為があって、身近に相談できる人がいなかったら、小生に相談してほしい。
すぐさま解決できるとは言えないが、一緒に悩み、解決方法を模索することはできるはずだ。
どうか1人で悩まないでほしい。
連絡先はこちら:sarashi.stop@gmail.com
・作品を作るのをやめろ
・イベントに参加するのをやめろ
明らかなハラスメント行為が、1人、もしくはごく少数の加害者の暴走により行われていることが確認できた。
・pixivからポイピクに移動したところ、そちらも追いかけられて晒されたので、鍵をかけざるを得なくなった。
・ネットで繰り返し嫌がらせをされたので、イベントに参加する際にリアルでも何かされるのではないかと恐怖を感じた。
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Xをはじめとした、鍵を付けることができたり、コピペや晒し、虚偽通報などの嫌がらせ対策がされているSNSやプラットフォームに避難する、といったところだろうか。新しいアイディアや解決法をお持ちの方がいたら教えてほしい。
偶然、特定のカップリングを指向した・愛したというだけで晒しの被害に遭われ、他のカップリングの方が享受している権利(創作する権利、発表する権利、交流する権利)を制限され、精神的苦痛を受けた全ての同人制作者に、心からお悔やみ申し上げます。
刀剣乱舞の明日までのイベントで短刀部隊のレベリング兼ポイント稼ぎしながら書いてますこんばんは。
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自分の抱える特殊嗜癖(近年の一般では特殊性癖と言われるが)の特殊さを認知しながら40年近く。
まあ増田だからぶっちゃけるけど、ふたなりとショタが好きすぎ侍を40年やっとるわけ。
(今、愛染国俊・極のレベルがひとつ上がったからスクショした)
で、最近どハマリしたコンテンツ(女の子しか出てこない)のふたなりネタを渋とかでクローリングしたりするんだけど、最推しの供給なんかろくろくないわけ。ン十人いる中での端っこキャラだからそれはそうなんだけど、マイナー指向も極まってるなと思う。
そこへきてこのAIの波よ。
自ら筆をとるにもハードルが高く感じられるので、生きてる人が描いた絵よりは劣るものの…と画像生成なんかに手を出してみた。これなら自分の満足できる一枚が生み出せるかも?と思ってね、、、
すぐこの世界も甘くないと知ることになるんだけど。
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自分が手を出したサイトは基本、「モデル」と「LoRA」を組み合わせて使うらしい。
そこにお望みの要素をディレクションすることでAIの奴に描画してもらうという仕組み。めちゃくちゃざっくり言うと、こう。
ちなみにディレクションするワードは「プロンプト」なんだけど、これを俗に「呪文」って言ってるのは笑った。確かに理解に時間がかかりそうだ。
(ちなみに自分が使えそうなLoRAはないと見られる。作るのも手段のひとつだが、サンプルを相当数読み込むことになるのでこれはちょっと抵抗がある。あくまでプロンプトだけで頑張っている)
で、そのワードをとりあえず羅列してみるんだけど、まあ言うこと聞かない聞かない。もちろん、「お作法」を知らずに斬り込んできたぽっと出が簡単に結果なんか出せやしないんだけど。それはまずGrokで試し斬りして返り討ちに遭ったから分かってた。
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お察しもよくてこんなものを読んでくれる増田ラー諸兄諸姉ならお気づきのことと思うが、ふたなりとショタが好きってことはちんちんに関する描写がとても大事になってくる。いやAIの描くちんちんに不満があるわけじゃないんだ。問題はその扱い方と、ちんちんがついてるヒトの形をしたものたちの処遇について、と言うべきか…?
ただちんちんついてる女の子を出力するならどうということはない、所定の呪文を唱えればアレヨアレヨとお出ししてくれる。
真髄といえる、自分の特殊嗜癖の部分でどーーーーーーーーーしても越えられない壁があるみたいだと、およそ一週間にして気づいてしまったのだ。
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これが小生40年の持論である。どどん。
その中でも、「ちんちんのある人がちんちんのある人のちんちんを咥え込む」というのが刺さる。刺さっちゃうから仕方ない。
けど、ホモとは違うんだ。いやショタ同士の場合はホモだけど。あと普通に(普通に?)ふた×女とかも嗜むし。
で、どっちかっつうと「逆フェラ」というのがあたしゃ好きなクチでしてね、くちだけにね、、、
逆フェラっていうのは、"何らかの上下関係値のある場合において、その値が上とされる側が、下の側のちんちんを舐めたり咥えたりする"っていうことね。
ふたなりもの(なかんずく「ふた×男」)でいうと、ふたなり側がフェラされる。そのかわりフェラしてあげてる方のちんちんは放置。これ。
もちろんホモセクシャルなやつでも成立する。例えば「先輩×後輩」ものだと(ここでは左右を論じないでください頼みます)、先輩がフェラ「する」側にいる。
そのときフェラ「する」側の人ももちろん興奮状態にあって、ハァハァしてると尚良いわけです。分かりますよね。あ、分かんなくても進めます。
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AIの奴に、「年上、身長も高いふたなり」に「年下、身長も低いふたなり」のちんちんを咥えた絵を指定するんだけど一向に出してこない。
どんなにドライに、感情を排して、キーボードをたたく指を酸っぱくして打ち込んでも、おいらの望んだ構図を出してくれない。おまけに指示した髪型や目の色なんかもちぐはぐになる。
ちんちん関係なしの、ただの健全な絵なんかは普通に七割方ヨシヨシと思える絵を寄越してくれるんだけど、あと"下の子"が"上の子"のちんちんを、っていうのは何度も出てきてるんだけど。
そこで、
という疑念がムクムクと。もっこりと。あ、すいませんついつい。
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考えてみたらね。
日本では俗に「チンパク」だとか「尺八」とか言われて、ごくごく一般的に「女性が男性器に対して口淫を行う」ってのはそこに上下関係が見られないんですよ。
でも英語スラングで何て言う?となると、これが「blowjob」なんですね。感覚としては尺八と同じような表現。だけど、それが「job」なんだよ。言ってしまえば苦行を押しつけられている。
ここに根深さを感じるに至った、という。そういう話なんですな。
よくSNSなんかで男女同権とかを主張または喧伝しているビッグボイスな皆さんが、ヤレ欧米ではソレ米国では、なんて言ってるのを聞きますが、あんなのは良くて「身近な人から聞いたサンプルにならない例」ですよ。
結局、現状で(というか将来的にも)フェラチオという行為は「上下関係が前提になっている罰ゲーム的なもの」という認識が大・大・大・主流派っぽいんだな。
セックスのための用具用品を取り扱ってる女性向けのサイトでのアンケートなんかも、「支配欲が満たされる」という男性側の回答がある。しかも少なくない。多分これ国内の調査なのね。これが一神教文化圏だとまた数字が違うんだろうなあ、って。
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いや、単純に気持ちいいから好きっていう回答もあるし、女性側(受け側)がしたいからするっていうパターンも多いはずなんですよ。
でも、やってることの構図としては、ね。
ごくごく一般的なフェラチオ(まあフェラチオ自体も若干特殊嗜癖らしいんだけど…)っていうのは「男が女に"させる"もの」ってことになっちゃうんだな、と。
先程「欧米、米国、一神教文化圏」という言葉を出しましたが、これはきっとその範疇には収まらない、普遍的な現象なんだろうなと考えますよ。だって男と女のセックスなんて何にも特殊じゃないでしょ。それでアナタもワタシも生まれてきたんだから。
同性愛やふたなり趣味なんてのは少数派。明らかですよ。遍在はすると思うけどね。
(世の中には自分が特殊側の属性を持ってるけど気づけてないって人もたくさんいると思う。扉が開かれてても「自分は男だから、女だから」って見向きできないでいる、そんな人たちが)
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で、「逆レイプ」って言葉もこの世にはあるんですな。要は「女が男を犯す」という構図。創作においてであればまあそんな話、で済むけど、実際のことを考えると怖いですよね。たまーに「女性教師が男子生徒に手を出してお縄」みたいな話がありますが、社会的な立場だけで言えばこれも逆レイプに相当します。実際がどうあれ、ね。
ほんで、「逆フェラ」って検索かけると必ず「逆レイプ」「逆アナル」も引っかかってくる。逆アナルについてはもう察して。自分にとってはそれらはノイズにしかならないんだよ。マイナス検索かけても創作物の中で連続的に行われてたら芋づる式なんだよ。種芋にもなりゃしねえよ畜生!
結局「逆」なんですよ。
逆ってことは、「順」があっての「逆」なんです。主流派があっての少数派。光なくして陰はなし。与党が組まれてこその野党。別に自分はシスジェンダー・ヘテロセクシャルに反駁するわけではないが。
少数派は泣くしかないのか。
逆レイプに相当する英語スラングはあるようなんだけど、逆フェラとなると創作物の情報しか出てこない。
違うんだああああああオハナシを読みたいんじゃないんだ自分でAIに出すディレクションになるワードを探してるんだよおおおおおおおおお!
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誰か知りませんか…こんな悲しい獣を救ってくれる邪神の託宣を…
ロマン優光氏(以下ロマン氏)が書いた「椎名林檎とノンポリとサブカルと」という文章を読んだ。フェアじゃないので、まず最初に言っておくが、オレは椎名林檎のファンだ。ほぼ同世代であるということを割り引いても、椎名林檎の登場は鮮烈だった。それ以来、約四半世紀のあいだ東京事変の活動も含めて椎名林檎の楽曲を聴き続けてきた。
ロマン氏の文章は「ファンが旭日旗を思わせるミニフラッグを振っている様子が物議をかもしている」ということに端を発し、椎名林檎が特定の政治的志向を持たないことに触れ、むしろその「無自覚性は時として害悪なのである」としている。オレの意見はまったく逆なので、そのことについて書いてみようと思う。
ロマン氏がいみじくも指摘するように、椎名林檎に特定の政治志向はみられない。ましてや差別意識といったものもない。差別が存在していない状況は何よりではないかと思うのだが、しかし話はそこでおわらない。なぜかロマン氏は、特定の思想の指向を持たないからといって、ほぼ死語になっている「ノンポリ」と単語を使って椎名林檎の思想信条をあげつい始めるわけだ。この人の表現に際しての単語の選択基準の鈍感さにまず驚いてしまうわけだが、それは置いておいて、そもそも魔女がいないのを知っているくせに、無理やり魔女を探してどうしようというのだ。
椎名林檎のライブで無邪気に旗を振っているファンに差別意識なんかないのは明白だし、ロマン氏自身もそのことを認めている。しかし、ロマン氏はその無自覚性が罪悪であるとうわけだ。ちゃんと旭日旗にまつわる歴史を勉強して、軽々しく扱わないようにというわけだ。その理屈は、まさに鬼滅の刃の主人公の耳飾りに旭日旗と似たデザインが描かれているので、差別的だといっているのと同じだ。言うまでもなく、旭日旗が悪いのではなく、悪いのはそこにある差別意識そのものだ。しかし、差別意識がないにも関わらず、表層的な意匠の共通性だけを根拠に、ロマン氏は「無自覚」な差別意識を見つけてしまう。
ロマン氏の言葉を本人に返すようだが、本人の主観を別にすれば、ロマン氏は批評ということにちゃんと取り組んだことのない人なのではないか。アウトサイダーアートを引き合いにだすまでもなく、むしろそうした既存の文脈と関係ないところから出てきた作品が人々に深い感銘を与えることがある。あるどころか、規定概念にどっぷりつかっているオレたちの凝り固まった感性を揺り動かすには、ロマン氏のような、既存の問題意識をお勉強しただけの、ありふれたつまらない感性から生み出された表現ではなく、その外側からの表現こそが必要だということがわかるだろう。
>横尾忠則やその影響を受けた丸尾末広、さらにその引用といったものに触発されてとかで、文脈を踏まえて支持しているとか、文脈を踏まえた上で異化しようとしている感じではない。
批評の文脈で言えば、ロシアフォルマリズムが提唱した「異化」こそが、こうした文脈にとらわれた言辞から自由になるべきだという主張であったことをロマン氏はしらないのであろうか。オレは教養主義は好まないが、ちょっと調べれば、ロシアフォルマリズムの提唱者のシクロフスキーが「石」といえば誰もが思い浮かべてしまう固定観念の「石」のイメージから観客を解放させるために「異化」という概念を提出したことが分かる。むしろロマン氏が示すような既存の文脈に回収され、解釈されてしまうような脆弱な表現ではないことこそが、椎名林檎の表現が「異化」に成功していることのなによりの証明になっているのではないか。
>「歌舞伎町の女王」は現実の歌舞伎町とは関係ない、想像上の歌舞伎町の歌であり、想像上の古い盛り場のイメージを歌舞伎町に持ち込んだものだ
だからこそ「歌舞伎町の女王」は素晴らしいのだ。そもそも表現というものは記録作品じゃない。「歌舞伎町の女王」が現実の歌舞伎町に近いかどうかは作品の価値とはまったく関係ないのだ。むしろ現実の歌舞伎町と関係のないところで、だれが聞いても歌舞伎町としか思えない音像を作り出す、椎名林檎の圧倒的な力量を理解できないのであれば、批評の真似事などやめたほうがいいだろう。椎名林檎は、昭和任侠ものの姐さんのような巻き舌で、ゴスロリと大正ロマンを重ねあわせたようなファッションを身にまとい、寺山修司や桑田佳祐を思い出させる和語まじりの歌詞で、架空の歌舞伎町を作り上げた。古臭い盛場のインチキ臭さは、歌舞伎町に多くの人が持っているイメージと、極めて効果的にに重なっていて、作品のリアリティを高めている。これはロマン氏がたかをくくっているのとは真逆で、非常に高度でクリエイティブな達成だと言っていい。
無邪気に旭日旗を模した旗を振る椎名林檎のファンに差別意識などかけらもない。すこし真面目に言えば、不幸にも過剰な政治的意味を担わされてきたシンボルを、風化させ単なる意匠に戻してあげることこそが、差別を解除する最も有効な手法だし、オレのかんがえではそれが唯一の方法なのだ。
ロマン氏が見ているものは、あなたたちこそが懸命に努力して到達しないといけない理想の状態なのだ。しかし残念ながら、ロマン氏はそのことに気がつけない。そこにオレは、思想の怠惰を感じる。歴史的文脈をお勉強して、意識が高くなれば、差別がなくなると考える、あまりに粗雑で乱暴な理屈と、その底にひそむ傲慢な選民意識にうんざりする。
ロマン氏の思想には、差別が無効化された社会とはどういう状態なのかといったビジョンがない。歴史背景を勉強して、差別は良く無いと言っていれば差別がなくなるという、ある意味では最も批評性から遠い貧弱な思想からは、オレたちが目指すべき社会のイメージを受け取ることはできない。ゲイ差別を最も効果的に無効化したのは、ロマン氏のような痩せ細った思想ではなく、マツコデラックスだろう。オレは北海道の田舎に生まれたので、アイヌ差別を身近に体験してきたが、もっともアイヌ差別の無効化に貢献したのはいくつも作られたアイヌ博物館ではなく、ゴールンデンカムイだと思う。旭日旗に背負わされた過剰な政治的な意味を無効化したのは、鬼滅の刃であり、椎名林檎の表現なのだ。
ロマン氏自身はリベラルな考えを持っていると自認していると思うが、オレの目からは旭日旗を振り回すことで真剣に大日本帝国の復活を夢見ている老人とまったく同じに見える。そこにあるのは、この先二度と復活することはない、現実的には完全に無効なお題目をとなえつづける残念な思想の姿である。