
はてなキーワード:持ちネタとは
聞き方が悪かった
これこれこういう理由で持ちネタという言葉を使ったのだ、と説明することで持ちネタという言葉の意味が何か変わるの?特に変わってないように見えるんだけど
ことあるごとに奴らの発言を信用するなリメンバークサツって20年は言われそう
@kudanshinbashi
草津町、レイプの町ではなかったがすっかりアンフェの町にはなってしまったな。戸定梨香に似た展開。草津ほどの観光地ならさほど影響はないだろうが、じわじわ広がる悪印象がどう転ぶか。
俺は町長がリコール制度を濫用したこと許せない。実際に裁判すれば普通に勝てたわけだし /
grdgs 2025/09/2917:09
北守さん@hokusyu1982
「持ちネタ」ですかね。
「キャンセル・カルチャー」や「ポリコレ」の「害毒」なるものが喧伝されるとき、その証拠として持ち出されるのは、
決まってこうした断片的で、誇張もしくは歪曲された「持ちネタ」の一群のみである、ということは何度も触れておきたいですね。
ネトウヨが朝日新聞の珊瑚KYをいつまでも持ち出すとか、アンフェが草津の件をいつまでも持ち出すみたいなやつを総称して言える言葉が欲しいね。
同様に、ブクマカからも支持を集めてブクマクされてる北森(藤崎)超大先生が新橋先生の発言を引用したものがこちら。
草津冤罪が、利権問題に端を発した、恐らく組織的な冤罪工作における現町長潰しの政治工作の側面もあると
2020年の段階から指摘され続け、今日改めて報道も周知されているにも関わらず、これだ。
謝罪しないどころか、更に差別者・加害者のレッテルを貼り、相手を悪人に仕立て上げて更に誹謗中傷を繰り返す。
性犯罪被害者に対し中傷をするのがセカンド・レイプならば、性犯罪者に仕立て上げられそうになった冤罪被害者に対し中傷をするのは最早ファースト・レイプでは無いのか?
はてなーやブクマカは最早、ヒトラーの蛮行を尚も支持しつつユダヤ人への差別を表明するネオ・ナチと同等の存在であると言わざるを得ない。
※コメントで「性被害自体が無かったのでフェミニストやはてなーが行っている行為はファーストレイプでは無いか?」という指摘があったのでタイトル修正しました。
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そもそもネット配信で同じ話が擦られ続けると偏った思想になる現象があるよな
最近はスマホ用の縦型動画のせいでネタの消費速度がとんでもなくなってるから尚の事
怪談や都市伝説って結局誰かのまた聞きで自分で作る奴ってのは居ないわけじゃないか
自分でコンテンツが作れない奴らほど短絡的な再生数だのいいねだのが簡単に取れる偏った思想に寄って行く
元J隊(陸)だったのに急に空・海の話し始めたり、元営業マンのくせに全然関係ない介護業界のモノマネ動画始めたり
東大卒が解説!とか言う割にWiki丸写しみたいな動画内容だったり、弁護士が解説!とかいう割にただのネットニュース朗読だったり
こいつらの共通するところは持ちネタよりも生活の基盤たる再生数優先になってる所なわけで、最終的に思想が偏ろうがどうでもいいんだと思う
「なんでボクを呼び止めたんですか?」
自転車が古く(サビだらけだった)、動かないリング錠を放置でワイヤーロックを付け足してあったから盗難車の恐れがあると思った、と教えてくれたよ
前職をクビになったタイミングで、前から働いてみたかったニセコで冬限定の除雪の仕事に就いた。期間は12月~3月までの3か月間。いわゆるリゾバ(なお私の職務は除雪であり、リゾバとは言えないほどに激務)
間もなく雇用期間が終了するが、これまで都会でなんとなく毎日を過ごしてきた時と違い、この3か月間はあまりにも得るものが大きかったので、他の人にもお勧めしたい。
もちろん、万人にお勧めできるとは言わないが、環境を変えることの力をこれほどまでにと感じた。
以下に列挙してみる
場所を変えることで、当然ながら自分を取り巻く人間関係が一変する。
住み込みで働いたため、プライベートも今までの生活では決して交わることのなかった人達との縁が出来た。
海外からバックカントリー目的で働きに来た外国人(彼らとはよく会話をした)
オーストラリアから来て、この仕事が終わったら、日本を旅行してその後日本語学校に通う、日本とのハーフの男性。
近隣の農家たち。
みなそれぞれのバックグラウンドがあり、それぞれ面白い体験談を話してくれた。
面白かったのは「ナスカの地上絵は日本人ともう一つ何とか人くらいしかいない」というもの。
これは説明の必要は無い。都会の喧騒から離れることで、精神的な疲労が回復していくことを実感出来た。
わたしは前職で人間関係のトラブルを起こし半ば解雇に近い形での退職となったが、この職場では1日、また1日とメンタルが回復していくのを実感出来た。
たった3か月ではあるが、今はもう前職での辛かった日々は完全にこの3か月のプラスの記憶で塗り替えられている。
リゾバ軍団は知らないが、社員同士は基本ギスギスしていない。というか精神的に余裕がある人が多い。それは表情からも見て取れる。みな、余裕を感じる。季節雇用者の私に対して笑顔で挨拶をしてくれる方がとても多い。
ここで働くには英会話のスキルが必須条件であることが多いが、それをクリアできるだけのスキルがあるにも関わらず、都会ではなくこんな辺鄙な田舎に働きに来ている時点で、ある程度の精神的な余裕があるのだろうと推測している。事実、社内で険悪な雰囲気になったところを見たことが無い(裏ではあるのかもしれないが)
働いている特典としてシーズン券(15万円相当)が無料でもらえるため。滑りたい放題である。
何か嫌なことがあったら、今まではyoutubeのショート動画を無限に見ていたりしたが、今はシャトルバスに乗ってスノーボードを楽しむ毎日。今シーズンは15回。リフトの回数で言うと100本以上は滑った。
ニセコ特有かもしれないが、この時期の観光客はマジで外国人しかいない。
人口比率に占める外国人比率で言うなら東京よりも多い。生の英語を学ぶなら最高の環境だろう。
また、意外かもしれないが、リゾバに来ている若者も英語が達者な連中が多い。そのため、彼ら彼女たちから効果的な英語の学習方法を聞いたりしていた。複数の人間から英語の学習方法を聞くことで、意外と発見もあった。
仕事は何も都会だけで回っているのではない。わたしは札幌生活が長かったが、札幌を離れても仕事はある。
むしろことニセコに限るなら札幌よりも待遇が良かったりもする。要するに自分の視野を広くすることが出来る。
地下街を歩いている時にすれ違う仕事帰りの人達を見て、「みんな何でそんなに頑張ってるんだろう。えらいね」って気持ちになった。
自分を変えるには「時間の使い方を変える、人間関係を変える、環境を変える」と言われているが、リゾバ、短期バイトならすべて叶う。わたしはおっさんの部類だが、おばさんで来ている人も何人か見かけた。みな各々の目的があって来ている。
嫌なことがあるのなら、リゾバで短期間環境を変えてみるのはいかが。
これを書いて一晩明けて、「得たものはほかにもあったな」と思ったので追記していく。
これはデカい。いままでは世間一般の人たちと同様、暇があればスマホ。暇があれば動画。暇があればyoutubeだった。
特に自分は議論系の動画が大好きだったので、暇さえあればabemaprimeなどの動画を流して、感情を高ぶらせ社会に参加した気になっていた。
でも、今は不思議と動画を見るモチベーションは無い。3か月間、強制的にそのような生活から離れられたのが大きいのだと思う。
ある種のスマホ断ち合宿。また、それよりも楽しいことがたくさんあると知っている。
もう、以前のようにyoutubeなどの動画にハマることは無いと思う。
生活習慣の改善。今まではストレスにストレスがかさんで、8時にギリギリ起きていた(9時出社)。
ニセコにいるときに7時起き生活が始まりそれが知らないうちに習慣化された。
コメントでも書いたが、除雪の仕事をした最大の理由は「痩せるため」である。
昨日(2月末)の計測では24.8%だった。除雪の仕事は1日平均18,000歩も歩く。 痩せたい人にもお勧めだ。
ニセコの中では安宿ではあったがホテル暮らしをすることにより、札幌にある自宅の生活環境がいかに劣悪かを客観的に認識できるきっかけにもなった(1Rに10年以上住んでいる)。それは部屋の広さ、ふとんのふかふかさ、調度品、そうじの大事さ、におい、眺望、また人と毎日コミュニケーションをとれることの大切さなど多岐にわたる。
Permalink |記事への反応(11) | 20:57
発達障害を自認しながら身近な発達障害者をSNSで晒してウケ狙ってる人いるじゃん
Xにもはてブにも、他のSNSにもいる、単発の投稿じゃなくて持ちネタになっちゃってる人
過去の検索すると発達障害の兄が~姉が~って数えきれないくらいヒットする人
あれ本人は同じ発達障害だからセーフって思ってるかもしれないけど、単なる差別なんだよね
上肢と下肢でも違うし視覚や聴覚などそれぞれの苦悩があることが当たり前と考えてるから、同じ身体障害者としての発言は相当慎重に行われている
精神障害者ですら精神障害一般については配慮した物言いが当たり前になってる
なのに発達障害についてはそういう発言を頻繁にする人が目立つのは何故なのか
発達障害の詳しい診断が下っていてDSM-5についても知識がありながら差別発言を繰り返しているのは何故なのか
病状や深刻さが近しいならかろうじて自虐として成り立つ余地もあるかもしれない
以前「夏目漱石「月が綺麗ですね」の元ネタを遡る」という記事を書いたのだが、いろいろ追記することがあったので改めて整理しなおそうと思う。
大雑把に言えば、この「夏目漱石がI love you を月が綺麗ですねと訳した」という話は、
に分解できる。ひとつずつ追っていこう。
まず、夏目漱石は「I love youは日本語にない表現である」と書き残している。これは漱石のイギリス留学時代である1901年から1902年にかけて書き留められたメモ書きの一つで、ジョージ・メレディスの『Vittoria』という小説に言及したものである。ただし、この台詞はヴィットリア(Vittoria)がラウラ夫人(Signora Laura)に向けて言った台詞なので、恋愛の「I love you」ではなく親愛の「I love you」である。
formula ノ差西洋日本 “I will excuse myself toyouanothertime,” said Vittoria. “I love you, Signora Laura.”――Vittoria p.113. 此I love you ハ日本ニナキ formula ナリ.
1908年の『明治学報』に掲載された、上田敏の「予の観たる欧米各国」という講演の書き起こしにも、同様に「I love youは訳せない」というような記述がある。上田敏は高名な英文学者で「山のあなたの空遠く幸住むと人のいふ」や「秋の日のヴィオロンのためいきの」などの詩訳で知られる。漱石よりは年下だが、同時期に東京帝国大学で教鞭をとっていたこともあり、文学論を語り合う仲だった。
日本では「我汝を愛す」と云ふことは言へない、日本では何と云ふかと云ふと、「私アナタに惣れました」と云ふ、それでは「アイ、ラブ、ユー」と云ふことに当らない、「我汝を愛する俯仰天地に愧ず」それはどう云ふたら宜いか、(笑声起る)、所が「私はアナタに惣れました」といふことは日本語ではない、さういふ日本語は昔からないです、だから日本ではそれをパラフレーズするか、或はペリプラスチック、言廻はして、「誠にアナタはよい人だ」とか何とか云ふ工合に云ふより外言ひ方はない、「私はアナタが好です」と云ふと何だか芝居が好きだとか、御鮨が好だとか云ふやうになつて悪いです
同じく1908年に劇作家の益田太郎冠者という人物も次のように書いている。
欧羅巴人にはアイ・ラブ・ユーといつた、美しい詞があり、此の詞の中には、女の身上を刺激する意味が十分に含まれて居るが、日本人には斯ういふ詞が無く、その上「言はぬは言ふにいや優る」などといふ事が古来から上品としてあつて、万事詞が引込み思案になつて居るのです。
やや遅れるが、1922年に刊行されて当時のベストセラーになったという厨川白村『近代の恋愛観』にも、同様の主張が書かれている。厨川白村は漱石の教え子で、恋愛観について議論を交わしたこともあったという。
日本語には英語の『ラブ』に相當する言葉が全く無い。『戀』とか『愛』とか云ふ字では感じがひどくちがう。"I love you" や "Je t'aime" に至つては、何としても之を日本語に譯すことが出來ない。さう云ふ英語や佛蘭西語にある言語感情が、全く日本語では出ないのある。『わたしあなたを愛してよ』、『わたしや、あなたにいろはにほの字よ』では、まるで成つて居ない。言葉が無いのは、それによつて現はさるべき思想が無いからだ。
以上からすると、夏目漱石が最初に言い出したかどうかはともかく、この時期にさまざまな人が「I love youは日本語に訳せない」と主張していたことは確かなようである。
そしてこの「I love youは訳せない」という話から「月が綺麗ですね」が派生する。いまのところ見つけられたかぎりでは、1927年の『帝人タイムス』に掲載されたコラム「東方へ」での記述が最も古かった。
西洋デハ人ノ表情ガ露骨デアツテ 例ヘバ恋ヲ囁クニモ 真正面カラ アイラヴユー ト斬込ムガ 日本デハ 良イお月デスネー ト言フ調子デ 後ハ眼ト素振リニ物ヲ言ハス
1935年刊行の笠間杲雄『沙漠の国』にもそうした表現がある。元になった記事が雑誌に掲載されたのは1926年ごろのようなので帝人タイムスの記事より早いかもしれない。
第一、欧米人にとつては一生の浮沈を定める宿命的な宣言『アイ・ラヴ・ユウ』の同意語すら、日本語には無い。(中略)斯ういう意味を外国人に答へると、然らばあなた方日本人は、初めて男なり女なりを愛する場合に、どんな言葉で意志を通ずるのかと、必ず二の矢の質問が飛ぶ。私は答へる。我々は「いい月ですね」と言つても、「海が静かね」といつても、時としては「アイ・ラブ・ユウ」の翻訳になるのだと。
以降も「月が綺麗ですね」という話は散見される。たとえば1950年の雑誌『英語研究』。
月下に若い男女が語らい合つている. 男が女に愛の言葉をささやくとして, この場合の純日本的な表現は今夜はいい月ですねえ!ということであり, 女がほんとうにいい月ですこと!といつたとすれば, それは男の愛を受け入れたことになる.
1957年の雑誌『産業と産業人』の対談記事「ニッポン居よいか住みよいか」。
三宅 その言葉が昔からないんだね。向うはアイ・ラブ・ユウ、実に簡単ですよ。ところが日本はそういう表現はない。「ああいい月ですな」というのが、ほれたと翻訳しなきゃならんのだ。(笑)
大山 「いい月ですね」ってそのくらいのことは言われたような気がしますけど……。(笑)
1961年の早川東三『じゃぱん紳士周遊記』。こちらは「月が青いですね」である。
ドイツ人学生が日本の女の子に夢中になった。日本語で愛の告白は何と言うのだい、と切なそうに聞くから、「われわれは皆んな詩人だからね、イヒ・リーベ・ディヒ(わたしはお前を愛する)なんて散文的なことは言わない。月が青いですねと言うんだ」と教えてやったが、ご使用に及んだかどうかは知らない。
1962年『日本人の知恵』。これは朝日新聞に連載された記事をまとめたものらしい。
さらにいえば、日本の社交の基本は「見る」ことで成立する。若い男女の恋人同士が愛の告白をするとき、西洋人のように、
「私はあなたを愛しています(I love you)」
などとはけっしていわない。そんなことばを口に出さなくとも、満月を仰ぎ見て、
「いいお月さんですね」
そして、二人でじっと空を見上げるだけで、意思は十分通じるのだ。
以上のように、戦後にも「I love youは訳せない」や「月が綺麗ですね」はそれなりに広まっていたと思われるが、しかし、この時点ではまだ夏目漱石とは結びついていなかった。
それらの話を夏目漱石と結びつけたのは、おそらくSF作家の豊田有恒だろう。たとえば1978年の『SF文迷論入門』(雑誌掲載は1977年)では以下のように書かれているが、他のいくつかの著作でも同様のことを書いており、いわゆる「持ちネタ」のようなものだったことが窺える。
明治時代に、夏目漱石が、学生に、I love you を、どう訳すか、質問した。学生は、明治時代だから、我なんじを愛すというようなことを答えた。漱石は、怒って、一喝した。おまえら、日本人か? 日本人は、そんな、いけ図図しいことは言わないんだ。I love you というのは、日本語では、月がとっても蒼いなあ、と、こう訳すものだ、って言ったろ。
ほぼ同時期に、つかこうへいが小田島雄平との対談で同様のエピソードを語っているが、こちらの記事の初出は1978年なので豊田有恒よりも後ではある。つかこうへいが豊田有恒の記述を読んだのか、それとも共通の元ネタがまだどこかにあるのか。
古くは夏目漱石がI love you はどう訳せるかって言ったという有名な話がありますよね。生徒たちがそれは「愛してます」って訳すると言ったら、夏目漱石が教壇からばかやろうとどなりつけて、「月がとっても青いから」って訳すのだと言った話がありますけど、そういう翻訳のリアリティーっていいますか、それは、時代とともにいろいろ変わっていってるんでしょうね。
以降の流れは「月が綺麗ですね・死んでもいいわ」検証に詳しい。
ツルゲーネフの『片恋』における「Yours」という台詞を二葉亭四迷が「死んでも可いわ…」と訳したという話を、「二葉亭四迷がI love youを死んでもいいわと訳した」に変形させた犯人探しも行われているが、それはおそらく土岐善麿だろう。1957年の『ことば随筆』にこう書かれている。
「アイ・ラブ・ユウ」を日本語に直訳すれば「われ、なんじを愛す」であろうが、二葉亭四迷はそれを「死んでもいいわ」と表現したことがある。ツルゲーネフの「あいびき」の中にあるのを読んで、その訳しぶりのすばらしさにおどろいた記憶がある。
この記述は、のちに金田一春彦がいくつかの著書で引用しており、そのあたりから広がっていったのだろう。たとえば金田一春彦の1975年『日本人の言語表現』ではこういった具合だ。
土岐善麿氏によると、二葉亭四迷は、トゥルゲーネフのある小説で女性の言うI love you.を訳すのにはたと困ったそうだ。何でも相愛の男女が愛を確かめあうクライマックスの場面であるが、男がI love you.と言い、女もそれに答えてI love you.と言う。男のせりふの方は「ぼくはあなたが好きだ」で簡単だ。が女の方はそうはいかない。もし、「私もあなたが好きです」とでも言ったら、それは教養のないあばずれ女ということになる。女のI love you.を日本語で何と訳すべきか、二葉亭は、二日二晩考えた末、今も名訳として伝わっている日本語を思いついた。それは「死んでもいいわ」という文句という文句だという。
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