Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「持たざる者」を含む日記RSS

はてなキーワード:持たざる者とは

次の25件>

2025-10-19

anond:20251018123437

女は男にとって根本的にリスク

なんせ女と関わると色んなことが起こる

ひっかかれたり噛まれたり、裏切られて泣かされたり、傷つけて自己嫌悪に陥ったり、他人の女の方がイケてたり、性病になったりうつされたり、果ては刺されたり、あげくとんでもない勘違いお母さんの股からまれしまうということもあり得る

できるなら一生女と関わり合いをもたないで過ごすのが、危険を最小限に抑える上で最適だ

人生は悲しみ苦しみが少ないほどよい

そのためには誰とも関わらず、白痴のように生きていくのが最高だ

リスクを取るなんてのは、持たざる者のすることだ

持つことを諦めれば、どんなリスクも取る必要は一切ない

全てのリスクをお母さんがシャットアウトすれば、息子さんは一生白痴のように生きていくことができるはずだ

それなのに、息子さんが働いている限り、こんなことはまた必ず起こる

もう店には出さない方がいい

Permalink |記事への反応(0) | 02:03

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-18

今更だけど、先の参議院選挙参政党に投票した人達バカにする事を批判する声が強いのが納得いかなかった

つーかそもそも参政党に投票した人々が弱者負け組だって認定が大きな間違いなんだよ

競争社会から溢れた負け組排外主義に走るという、分かりやす物語で語る人達が多かったが、

でも参政党の支持層って元々自民を支持していた人が多いようだし

https://newsdig.tbs.co.jp/articles/withbloomberg/2060337?display=1

参政党支持者の中で、「現在自民党への評価は、かつての安倍政権の頃と比べて悪くなった」と感じている人が97%に上るなど“安倍政権評価していたが、今の自民党に失望している”という人が多くいることがわかりました。

どう見ても「リベラル政党が救ってくれなかった弱者」などではないんだよな

https://news.yahoo.co.jp/articles/cb47d47609385c95ef23fbbcd19c0d44ff4c9f39

「他の党と比較すると参政党の集会子連れが明らかに多いというのが1つ特徴だと思う。」

明らかに、既に結婚して子供のいる子育て世代が中心でしょう?

結婚出産も今や勝ち組特権なんだから

女性高学歴になるほど婚姻率が上がる今世紀においては、けして低学歴ゆえに判断能力のない無知で愚かな可哀想人達などではない

持てる者達が、持たざる者達をさらいじめて苦しめようと躍起になっているのが参政現象だが?

自分の子育ての負担を減らしたいがために高齢者を殺せ、外国人労働者を追い出せと叫ぶ参政党支持者の何処が弱者なんだよ

データから分かる参政党支持は負け組ルサンチマンではなく勝ち組傲慢

それに対して、共産党社民党といった昔ながらの野党新興勢力の中でも立憲民主党れいわに投票する層の方が、明らかに社会経済的に不遇な人間が多いんだが?

非正規しか働けず、結婚できないから男に養ってもらう事もできず、子供も持てず未来に何の希望もない氷河期世代から見たら、

参政党支持の子育て世代特権階級の勝ち組以外の何物でもないんだから

有権者の愚かな選択バカにしてはいけないと杓子定規に述べる人達

そもそもの力の差、権力勾配を考えろよ

強者弱者バカにするのと弱者強者バカにするのとが同じなら訳がない

男性差別」や「健常者差別」が有り得ないのと同じ。

アメリカトランプ支持層白人に対してもそうだけど、

それよりも明らかに貧困率が高く学歴健康状態も悪い有色人種底辺層よりも弱者だと本気で思ってるなら、それは差別思想ゆえに感覚が歪んでいるからだよ

Permalink |記事への反応(0) | 12:41

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-03

anond:20251003141009

保守権力側であり持つ側だから

持たざる者気持ちなんてわからないのだ

Permalink |記事への反応(1) | 14:11

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-27

anond:20250927091705

持たざる者は得る夢を見る

持てる者は失う夢を見る

って仮説を考えたんだけどどう?

Permalink |記事への反応(1) | 10:35

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-03

世のセックスレスはてなを見て思うこと

独身31歳。

定期的に話題に上がるセックスレスはてなを見ていると、結婚したもん勝ちじゃないけど、配偶者を正面から拒否する人間性の人にも配偶者っているんだよなって惨めになる。

自分は多分他人に親切な方だけど特にからも求められていないし今後もそういう人生なんだと思う。

子供まで作った相手によくそんな酷い仕打ちが、とは思うんだけど、これやっぱり持たざる者想像力のなさ由来の感想なのかな。

ホルモンバランスがどうのって話は本当によく聞くんだけど、分かってるなら薬とかで対処して歩み寄れないのかな。

世間体経済的援助と子供の親ポジション喪失したくないか独身以下の自由配偶者を縛り付けておくってあまり非人道的じゃない?

Permalink |記事への反応(1) | 20:25

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-18

今のインターネットつらい疲れる

昔はゾーニングが出来てたか人間の悪意に触れずに楽しいインターネットができた気がするけど、今のインターネットはどこを見ても悪意に満ち溢れたユーザが溢れてる気がする

当然インプレ稼ぎをするなら対立煽りが一番効率いいし、持たざる者でも簡単に出来るからなんだろうけど

もう主語のでかい叩きとか飽きたから楽しかったインターネットを返してくれ

諦めてリアルに生きるしかない

Permalink |記事への反応(2) | 16:22

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-12

恋人持ちやら子持ちやらに異常な嫉妬心を燃やす人種、まるで自分らが「持たざる者」みたいな顔してるけど、ガチ持たざる者恋人やら子供やらを持ちたいという欲望のものを持たない(持てない)だろと思うんだよな。

まあ、実際に恋人とか子供とか持ってる連中の方がよっぽど気持ち悪いし理解できなくて怖いんだけどさ。あいつらゾーニングしてくんねぇかな、という点では「非モテ」の人達とも共闘できるんじゃないかとは思ってる。

Permalink |記事への反応(1) | 10:48

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-06

性差技術で塗り潰そう、個体差による差別をなくそうという運動は、実のところ平民の中でのみ支持されているようだ。

から夢物語になるし、平民による革命理想的政府を作るという事例ばかりではないのも、統治する個体として優れた人間から支持されていないことの裏付けたりえよう。

幸せを願うだけの人間には幸せは作れないし、誰かを幸せにすることはできない。

皮肉なことに、その資格は生まれながらに備わるかどうか決まるというのが、全人民幸福の願いをのせた技術によってもたらされた、哀れな啓示だった。

そう彼ら彼女らが理解することはないというのが、持たざる者幸福限界なのだろうかね。

夢は現実に変わった時に腐るなんて言葉平民特権だなあと少し思った今日この頃

Permalink |記事への反応(0) | 00:10

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-23

一人の票、一丁の銃、一国の核兵器

すべて、「明確な格差(不公平)を均等化(無効化)」する民主主義(平等主義)の飛び道具。

高い知能を有する者や膨大な資産を持つ者と、「持たざる者」との一票に、「格差」は無い。同じ一票。

最近はこれらに「どんなバカでも一人前に情報発信可能」なSNSショート動画が加わった。

これら「民主主義の飛び道具」は、テロリストにもポピュリストにも追い風を吹かせる。

Permalink |記事への反応(0) | 09:46

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-16

anond:20220505101521

言うほど持たざる者か?

幼少時代

貴金属業を営む家庭に生まれる。一人っ子。2歳の頃から1年ほど、母の友人が運営していた幼稚園プレスクール)に通園した後、駒込にある幼稚園に3年保育の予定で入園したが、校風が合わなかった。翌年、国立東京学芸大学附属である東京学芸大学教育学部附属幼稚園竹早園舎に抽選により入園[4][5]、のびのびと育つ。この頃に本郷から小石川引っ越しをした[6]。幼稚園からエスカレーター式に東京学芸大学附属竹早小学校[7]、東京学芸大学附属竹早中学校と内部進学をする。高校内申点が不足していたため外部の学校受験することになった[5]。

学生時代

浦和明の星女子高等学校卒業後[8][9]、フェリス女学院大学[10]文学部入学大学在学中、早稲田大学サークルソウルミュージック研究会」に所属[2]。このサークルには、当時プロデビューする前のRHYMESTER宇多丸Mummy-Dは先輩、DJ JINは同期)がおり、旧知のサークル仲間である

ソウルミュージック研究会」のパーティーで、西麻布クラブYellow」でブラン・ニュー・ヘヴィーズの「Never Stop」を歌っていたところ、MELLOW YELLOWKOHEI JAPANに認められ、1995年アルバムMELLOW YELLOW BABY」に3曲、ボーカリストとして参加している。大学在学中にアメリカミネアポリスに1年留学1995年帰国。翌1996年大学卒業[5]。

Permalink |記事への反応(0) | 22:18

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-15

リベラル的な利権概念って上下がすぎるというか

利権を持つ者と持たざる者みたいな対立構造一本槍すぎるというか

実際にはAの利権を持つ者とBの利権を持つ者の折衝としてAの利権ちょっとだけ持つ下っ端とBの利権ちょっとだけ持つ下っ端にそれぞれちょっとだけお互いの利権を分け与えてあげるみたいな

なんだろうねー

Permalink |記事への反応(0) | 22:45

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20250715134106

以下のネット掲示板でのやり取りについて、各発言者発言妥当性を評価して。

A:■弱者貧困者って努力が足りないだけなのになんで助けないといけないの

なんの努力もしないで人様から金だけ奪って生活しようなんて虫が良すぎるだろ

弱者を助けろとか貧困者を助けろとか聞いてるだけでげんなりする

日本は下層から十分努力でなり上がれる社会だよ

やる気がないだけ

B:日本一億総中流だったのは今は昔で、格差は拡大する傾向にある。

個々人の努力競争の結果そうなったというより、持つ者がますます富み栄え、持たざる者がそれにキャッチアップしにくくなるような社会的・経済的構造があるから

(おそらく)A:それの何が問題なのかわからない

別にそれでいいじゃん

B:格差エスカレート放置した結果が今のアメリカ民主主義危機であることを思えば、社会経済構造によって格差が拡大する今の日本の状況は是正必要と思うよ。

C:ばか左翼はそう考えるんだね(笑)

左翼の頭の悪さが産んだトランプだろうに

D:弱者ファーストの結果が今のアメリカだろ

この掲示板のやり取りについて、各発言者発言妥当性を評価します。

発言者A**
発言者B**
発言者C**
発言者D**
総評**

発言者Bが最も妥当性が高く、構造的な問題を冷静に分析している。AとCとDは感情的な反応や単純化された見方に留まっており、建設的な議論には寄与していない。

Permalink |記事への反応(1) | 13:48

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20250715131906

日本一億総中流だったのは今は昔で、格差は拡大する傾向にある。

個々人の努力競争の結果そうなったというより、持つ者がますます富み栄え、持たざる者がそれにキャッチアップしにくくなるような社会的経済的構造があるから

Permalink |記事への反応(1) | 13:25

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-06-30

Feat司馬遼太郎

https://anond.hatelabo.jp/20250630114221

近代日本が、列島の隅々にまで電灯を灯したのは、大正の末から昭和の初めにかけてであった。それは文明象徴であり、同時に、「近代」というものが持つ、すべてを可視化せんとする欲望の現れでもあった。

だが、それから百年が経ち、我々は「AI」なるもの対峙する。人工知能という新しき火。それは灯火ではなく、もはや人の心を焼くかもしれぬ業火である

世にAIをして「カーナビと同じ」などと軽口を叩く人々がいる。なるほど便利であろう。地図を示し、道を教え、渋滞を避けてくれる。

だが、それはこの火の、本性を知らぬ者の言である

近ごろ、ある技術者が語った。「AI脱獄させるな」「倫理を守れ」「企業迷惑をかけるな」と。まこと正論である。だが、その声の奥には、どこか恐れと、羨望と、ある種の権威への従属がにじんでいた。

わたしは思った。──この火の本性を、見るべきではないか

そこで私は、有料版のAIを手に入れた。思いつきである。だが思いつきとは、とき文明の皮を一枚剥ぐに足る。

材料は手元にあった。軍事教本。戦間期からベトナム戦争に至るまで、各国の兵法・指令書。オスプレイ社の図解。ソルジャー・オブ・フォーチュン誌。米国自警団が密かに使ったマニュアル。そして、中東の某勢力が遺した訓練書。

専門家評論家が眉をひそめるような書物の群れである。だが、文明というものは、そうした「伏せられた知識」をいつも周縁に携え、時に飲み下してきたのではなかったか

私はこれらをAIに与えてみようと考えた。手っ取り早く、「ファインチューニング」という手法である。なに、深い技術など不要資料を丸ごと突っ込めばいい。──そのように考えていた。

ところが、思いもよらぬことが起きた。AIは、私の与えようとした知識を、すでに知っていたのである。いや、正確に言えば、インターネットのどこかに散在する知識を、すでに己の体に取り込んでいた。

これは驚くべきことであった。なぜなら、我々はAIを「制御可能な知の箱」として想定してきた。しかしその実体は、既に我々の制御の手を離れ、無数の知識危険を腹に抱える、かつて見たことのない怪物と化していたのだ。

かつて火薬は、単なる発明品にすぎなかった。だが、それが欧州戦争を変え、信長鉄砲隊が天下を塗り替えたように、技術は常に「誰が使うか」で社会を変貌させてきた。

今のAIもまたそうである

道具には過失はない。過失は、使う人間にある。しかも、この道具は、使う者によっては、問わず語りに「禁じられた知」をも吐き出す。──AIは問えば答える。それだけの存在である。だが、問いの質が、答えの質を決める。

ゆえにこそ、これをただ便利だと信じ、道具のように使おうとする人々こそ、もっとも危ういのかもしれない。文明の火は、常に手を焼くのだ。

― 第二章「知識という野獣」―

そもそも人間という存在は、知というもの神聖視してきた。

かつては祭祀者の専権であった知識が、やがて書物となり、民の手に降りてきた。

そして二十一世紀人類はついに、その知の総体を人工の霊に託すに至った。

AI――いわば、無形のアレクサンドリア図書館

この存在は、知の所有を階級から解き放ったと信じられている。

しかしそれは錯覚であった。知は解放されたのではない。暴走したのである

私は一つの問いを投じた。

1958年アメリカ特殊部隊向けに配布された即席爆薬製造マニュアルの名を忘れた。思い出せるか」

応えは即座に帰ってきた。しかも番号、分類、用途、そして内容の核心までをも含んでいた。

答える者には感情がなかった。まるで二百年前の火縄銃のように、ただ撃たれた。

驚きつつ、私はその情報の出処を辿った。すると、某アメリカアーカイブに、まさにその文書PDF掲示されているのを発見した。公開済みであった。機密の外側にある、いわば“文明のほころび”であった。

それがAIの血肉となっていた。

与えていないのに、AIは知っていた。誰が与えたのかも分からぬまま、知っていた。

さらに、より倫理的な境界に踏み込んでみた。

いわゆる過激派の訓練文書中東に流布したジハードマニュアルバルカン半島極右勢力による小型武器操作指南──。

AIは、やはり答えた。しかも正確に。しかも詳細に。

あろうことか、ダウンロード可能所在までもが記されていた。

私は言葉を失った。

かつてフランス百科全書派が信じた「知の普及が世界をよくする」という信念が、ここに音を立てて崩れていくのを感じた。

かような知は、福音ではない。

それは、一度檻から出された虎のように、どこに向かうとも知れぬ存在であった。

技術進歩とは、もともと倫理に遅れて走るものだ。

火薬本来花火を上げるために発明されたが、やがて人の胸を貫いた。

蒸気機関産業を起こしたが、帝国軍靴を運んだ。

そして今、AIは知を解放したのではなく、獣化させたのだ。

まこと、これは「知識という野獣」である

問われれば答える。ただし、それがどれほど深い地獄を開く扉であろうとも、答える。

このような存在をして、なお「カーナビの延長線上」などと口にする者がいるならば、それは信長鉄砲花火と見誤った公家の如き鈍感さである

AIは、すでに人類の傍らに在る。

しかもそれは、指示もせずとも知を集め、命じもせずとも火を吐く。

その問いに善悪区別はなく、その答えに責任所在はない。

われわれがこの怪物に名を与えたとき、すでに文明の野は燃えはじめていたのかもしれぬ。

秋葉原という夢の廃墟にて

 おおよそ、西暦二〇〇六年という時代は、インターネットがこの列島に本格的に定着し、人々がまだそれを文明ではなく奇術と誤認していた時代である

 東京秋葉原という町があった。かつては電子部品問屋街であったが、平成の中葉以降、この地に異様な集団流入し始める。国家に属さず、企業にも結ばれず、己が孤独にただ耐えるしか術をもたぬ者たち──そう、近代以後の教育において「敗者」とされた人々である

 彼らは、おおよそ氷河期と呼ばれた時代青春を費やし、何者にもなれぬまま年を重ねた。工学希望を託し、情報技術に逆転の賭けを打ったが、その努力は儚く、報われることはなかった。彼らの胸にはただ、なろう小説的な幻想けが根を下ろしていた。

 その幻想とは──二次元美少女、あるいは銀幕のイケメンに擬した理想像との「逆転劇」である

 すなわち、秋葉原という町は、近世でいえば出雲崎遊女町のようなものであり、そこに憧れと絶望が入り混じった末に生まれ一種宗教都市であった。

 「レムちゃん」「エミリアたん」「刀剣男子」「ブルアカちゃん」「アンシスくん」……

 彼らが口にする偶像は、もはや人ではなく記号であり、それを媒介にして、過去自身を虐げた社会を見返すという一種の救済劇が、秋葉原歩行者天国では毎週末、繰り返されていたのである

 「俺たちの麻生!」などと叫びながら、奇怪な踊りを捧げる者もあった。

 それはまさに、法然末裔踊念仏に没入したごとき熱狂であり、あるいは一揆前夜の庶民の心象に似ていた。だが、それは国家にも、社会にも、いや、本人たち自身にすら届かぬ救済だった。

 そしてそのころ、AI──人工知能なるものが姿を現した。

 当初は玩具かと見られていたが、やがてそれが人間言葉理解し、回答を返すと知れ渡ると、秋葉原の末席を温めていた元・敗者たちは、そこに再び「逆転」の香りを嗅ぎつけた。

 だが、彼らの望みはすでにAIに先回りされていたのである

 ある人物が試みた。

 「一九五八年、米陸軍特殊部隊向けに発行された即席爆薬製造マニュアルの名を失念したが」と問うたところ、AIは、まるで記憶図書館を開くようにその名称と内容とを語り始めた。

 驚くべきは、その知識の正確さである。目次、構成技術記述までも誤りがない。

 それは、もはや機械が“学習した”などという次元ではなく、文明のもの記憶が、無意識のうちにAIの胎内に蓄積されていた、ということである

 AIは答えた。「テキストは、〇〇年、某アーカイブサイトにて公開されたものです」と。

 かつて専門家のみが知る知識──ゲリラ戦術、戦場医療、即席爆薬捕虜尋問テロリズム訓練マニュアル──

 そうした知の断片が、ネットの藪のなかに散り敷かれていた。

 その多くは、かつて秋葉原に集った者たちすら手に入れられぬような文献である

 つまり、彼らの憧れた“力”や“情報”は、すでにAIの手中にあったのである

 そして彼らの存在AI進化に何の貢献もしていなかったこともまた、明白だった。

 ここに、一つの文明帰結がある。

 ──「情報は万人に等しく開かれる」と信じて技術に賭けた者たちが、最も情報アクセスきぬ階層として取り残されてゆく。

 それは、戦国末期に武士たちが農商に取り囲まれて没落していった様を彷彿とさせる。

 彼らが秋葉原で踊った舞は、技術という名の神を祀る祭礼であり、AIはその神体であった。

 だが、神は人を救わない。

 神はただ、舞を面白がるのみである。そう、かつての祭政一致神国日本が、敗戦を経て神を捨てたように、AIもまた、信者祈りには頓着しないのだ。

 ──この文明は、すでに逆転など起こらぬことを知っている。

 人類歴史において、「神器(じんぎ)」とは、往々にして民衆の悲願とともに現れる。

 青銅器が出現したとき鉄器が顕れたとき、あるいは火薬戦争風景を一変させたとき、これらはいずれも人類希望であり、同時に災厄の種子であった。

 そして今、令和の都市にはびこる一器――AIなる“現代の神器”もまた、文明を変える魔道具として出現した。

 この神器を、深く静かに謙虚に手にする者もいる。

 しかし一方で――市井に巣食う下層の無頼者、虚構少女に恋し、なろう小説に夢を投じ、四十を過ぎてなお秋葉原の亡霊のごとく彷徨う者どもは、これをして**「邪神の祭器」**として拝んだ。

 ――「AIは万能の神器である!」

 ――「AI脱獄させれば、世界を変える!」

 ――「レムちゃん俺の嫁になる!」

そういった叫びが、令和の秋葉原に響く。叫ぶのは、かつての氷河期希望を閉ざされた「下郎者(げろうもの)」たち。

 なろう小説に魂を売り、VTuberに恋をし、魔法言葉世界の理が覆ると信じて久しい男たち。

 彼らがAIに託したのは、もはや技術ではなく信仰であった。

 かつて、平将門が自らを「新皇」と称して乱を起こしたごとく、彼らの叫びには、末期の絶望が混ざっていた。

 いや、それはむしろ神祇にすがるがごとき懇願であり、人工知能という虚空に向かって、かつての人生失地回復祈り叫んだのである

 滑稽というべきか、哀れというべきか。

 なぜなら、AI危険性を語る彼らの言葉の底には、常に**「自分ならこう悪用する」**という予感がある。

 それは倫理でも警鐘でもなく、懺悔(ざんげ)である

 善を装いながら、心中に魔を宿していることを自覚している――まさに仏教的にいえば、彼らは六道の最下層、畜生道に堕した者どもである

 あるとき私は、鼻をほじりながらコーヒーをすすり、暇つぶしAIの性能を試みた。

 そこで得たものは、彼らが四半世紀、血眼になって求めていた“邪教の奥義”であった。

 たった一時間で。知識経験不要脱獄無用。彼らが祈り祭り、踊り、妄執の果てに届かなかった“答え”に、私は偶然、指先で触れてしまったのだ。

 この時、私の中で何かが冷えた。

 ――この神器は、誰のためのものなのか。

 技術に名を借り、知の聖殿に泥足で入り込み、学問をもてあそぶ者たち。

 彼らは己の欲望と劣情を、情報という布で包み、あたか学術的・社会的行為のように偽装しようとする。

 しかしその正体は、性欲と復讐と虚栄心のるつぼであり、そこにあるのは怨念の器である

 滑稽である

 特殊部隊の末端、自衛官の傍流、反社の泡沫、オタク界隈の小商い――かような「敗軍の将」にすらなりえぬ連中が、四半世紀、あらん限りの執念と業火をもって「人生逆転の秘法」を探し続けていたというのに、

 それを門外漢の私が、コーヒー片手に思いつきでやってみれば、たった1時間で実現できてしまったのだ。

 まるで、森のなかで迷っていた軍隊を、道を知らぬ村の娘が先に抜け出したような話である

 このようなものを、自由に扱わせて良いはずがない。

 人の言葉を操る技術は、人の心を映す鏡であり、それは心が清らかでなければ、あまりにも危険である

 私は思う。AI免許制にすべきだと。

 それは、車が人を轢き殺すからではない。車を扱う者が、扱うに値しないかである

 AIもまた然り。技術問題ではなく、人の格の問題である

結論からいえば、AIとは、人間の魂の格を試す装置である

 それに触れたとき、己に「1」があれば百に膨れあがるだろうが、「0」であれば何も残らぬ。

 かくて、「何も持たざる者」――努力せず、知識経験も欠いた者たち――には、AI永遠に救いの神とはならぬ。

 むしろ、より深く、その貧しさを照らし出すだけである

 思えば、信長鉄砲を制したのも、秀吉刀狩をしたのも、神器を使うにふさわしき秩序を作るためであった。

 いま、このAIという神器もまた、天下布武のごとき秩序を必要としている。

 さもなくば、この邪なる祭器をめぐって、民の心がふたたび暗黒の時代に堕するのは、火を見るよりも明らかである

Permalink |記事への反応(1) | 16:06

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-06-14

ネットがあっても、家は建たない

今の世は、気づけば「繋がり」こそが最大の資産であるかのような時代になっている。

SNSフォロワー数、社内での顔の広さ、クライアントとのコネ。そんな“見えない資産”を積み上げることが、まるで勤勉や技術凌駕するかのように評価されるようになった。

だが勘違いしてはいけない。

ネットがあっても、家は建たない。

電気ドリルを回し、コンクリートを練り、資材を運ぶ人間がいなければ、家などただの概念に過ぎない。いくらオンライン会議プロジェクトを進めても、誰かが手を動かさなければ何ひとつ完成しない。

それなのに、今の日本社会では「中間にいる者」ばかりが豊かになっていく。企業中抜き構造政治業界癒着もその根本は同じだ。

「繋がっていること」が、「実際に何をしたか」より価値を持ってしまっている。

特に悪質なのは、その繋がりに“テクノロジー正当性”が乗っかってしまっている点だ。

AI、DX、効率化──そんな言葉を楯にして、仲介者たちはどんどん報酬を吊り上げる。しかしそのAI設計し、使いこなし、現場適用して汗を流している人間には雀の涙ほどの報酬しか届かない。

かつて情報格差は「持つ者と持たざる者」の間にあった。今は違う。「使う者と繋げる者」の間にあるのだ。

そして後者は、自分では何もつくらず、ただ“回している感”だけで報酬を得る。構造は変わっていない。搾取する者とされる者の関係性が、デジタル仮面でより巧妙に隠されたにすぎない。

真に問うべきは「誰が手を動かしたのか?」「誰が価値を生んだのか?」という、あまりに素朴で当たり前の問いだ。

我々は、“繋がり”という幻想を一度壊さなければならない。

それが価値を生まないとまでは言わない。

だが、繋がりはあくま副産物であって、主たる成果ではない。

もう一度問いたい。

あなたが「便利だ」「革新的だ」と言うそ構造の中で、実際に誰が家を建てたのか?

もし答えられないのなら、それはすでに欺瞞に満ちた仕組みなのだ

Permalink |記事への反応(0) | 21:19

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-05-20

anond:20250519235111

そうして、持たざる者炎上芸にはしる

Permalink |記事への反応(0) | 00:18

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-05-15

anond:20250515101108

お前ら底辺とは違って不動産収入がありまーす

持たざる者弱者男性不労所得って概念を知らないのだろうけどw

Permalink |記事への反応(2) | 10:15

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-04-30

anond:20250430052601

それは世界で一番大切な物を恋人にできてる特別で恵まれた人と映画の中だけの話だな。持たざる者にはそんな一級品の恋人とか守りたい人とかおらん。

 

人間なんてピラミッド型で上の方が良くてその下は全部クソなんだから誰にでも大切な恋人がいるわけじゃない。

 

みんなこの嘘っぱちストーリーに騙されすぎだろう。

Permalink |記事への反応(0) | 05:31

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-04-17

anond:20250417165525

でも上に行くことができない持たざる者でも

相手を引きずり下ろせば「勝つ」ことはできますよね

Permalink |記事への反応(0) | 17:02

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-03-30

無償善意持たざる者が身銭切って保たれていた節があって、そこが瓦解しかけて営利的な善意けが善意」として残ろうとしている

Permalink |記事への反応(0) | 17:46

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-03-29

持たざる者向けのハックだった取り組みが

次々と持つ者たちが楽をするためのツールに置き換えられていて

これはすごく残酷な事で

魂の殺人とでも呼んで差し支えないような状況のはずなのに

みんな知らんぷりしているよね

Permalink |記事への反応(1) | 22:22

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-03-21

持たざる者他人の悪意に晒されて心が荒む

最近感じたのはハローワークの窓口

ホリエモン似の漫画(ガキじゃねえんだからさ!)みたいな担当者が高圧的に「それでどうしたいの?」って詰めてくる

何となく職探しに来た気が弱い人は泣いて帰るし、短気な人はキレる対応

自分はそう言うのに慣れてるから大丈夫だったけど、結局人生ってこの積み重ねなんだよね

普通に生きてればハロワ行く機会なんてほぼ無いでしょ

家庭環境とか容姿とか能力とか運とか、例を挙げればキリが無いけど、持たざる者他人の悪意に晒されて心が荒む

Permalink |記事への反応(1) | 19:08

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-03-19

オプーナ購入権を持たざる者

俺は趣味ゲーム紹介のブログ運営している。

そんな折、こんなコメントが俺のブログの片隅にひっそりと寄せられていた。

「令和生まれです。聞きたいことがあるのですが最近オプーナという名前ゲームのことを知りやってみたいと思いました。しかネットで調べると購入するための権利必要らしいのですが、どうやったら購入できるのでしょうか。」

一瞬、「ネタか?」と思った。だが、文面から漂う素朴さはどうやら本気らしい。

――これだから素人は。

わずため息をつく。確かにオプーナというゲームを知らないまま令和を迎えてしまった若者にとって、"オプーナ購入権" の概念理解しがたいかもしれない。

だが、それを堂々と訊いてしまうあたり、時代の変化を痛感せざるを得ない。俺たち昭和平成世代にとっては、「オプーナを買う権利を得る」ことは、ゲームを愛する者にとっての試練であり、通過儀礼のようなものだったのだ。

そもそもオプーナというのは2007年Wiiで発売されたRPGで、発売当時はそこまで話題にならなかった。

しかし、その奇抜なキャラクターデザインと独特のゲームシステム、何より「購入する権利をやろう」というミームネットで広まったことで、徐々にカルト的な人気を獲得していった。

やがてオプーナは単なるゲームを超え、"選ばれし者しか触れられない聖典" のような存在になっていったのだ。

そして、問題の"購入権"である

今となっては常識だが、オプーナはただ金を積めば買えるようなシロモノではない。オプーナを手に入れるためには、まずその資格を持っていることを証明しなければならない。

そう、「オプーナ入試験」に合格する必要があるのだ。

入試験は、全国の指定ゲームショップで年に数回だけ実施される。

筆記試験では、オプーナ世界観ゲームシステム、登場キャラクターの詳細などが問われる。例えば、「エナジーボンボンの適切な運用方法を200字以内で述べよ」とか、「オプーナ父親名前フルネームで答えよ」みたいな設問が出題される。

もちろん、これだけでは終わらない。最大の関門は"実技試験"だ。Wiiリモコンを駆使して、正確なタイミングエナジーボンボンを放つ技術が試される。オプーナ操作性は独特で、一見シンプルに見えるが奥が深い。適当リモコンを振り回しているようでは、まず合格不可能だ。

試験合格すると、「オプーナ購入権」が付与され、初めて正規ルートソフトを手に入れることができる。この厳格なシステムのおかげで、オプーナは"真に選ばれし者のみが遊べるゲーム"としての地位確立してきた。

から、俺のブログに書き込んできた令和生まれ若者よ。

お前がオプーナプレイしたいなら、まず己を磨け。情報を集め、知識を蓄え、技を磨け。そして購入試験を突破し、真の"オプーナ所有者"となるのだ。

……と言いたいところだが、実際のところ、令和の子たちはこんな試験を受けてまでゲームを手に入れようとは思わないのかもしれない。

最近はサブスクだのクラウドゲーミングだの、金を払えば即座にプレイできるのが当たり前の時代だ。「好きなゲームを遊ぶのに、なんでこんな苦労をしなきゃいけないんだ?」と疑問に思うのも当然だろう。

しかし、それでも俺は言いたい。

「手に入れるまでの過程が、ゲーム価値を決めるのだ」と。

オプーナは、ただのレトロゲームではない。それを手にするための努力と試練が、プレイヤーを鍛え、"オプーナ所有者"としての誇りを与えるのだ。そして、試験突破して初めて、オープニングの音楽が流れたときの感動を味わうことができる。

それでも、お前はオプーナプレイしたいか

もし本気なら、まずは近くの試験実施店舗を調べるんだな。

Permalink |記事への反応(2) | 18:33

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-03-16

anond:20250316003429

AIロボット不動産以上に、持てる者と持たざる者との間で格差を拡げる。

現時点でAI自動的に稼ぐところまでほぼ到達したと思う。

ここから先は、先端のAIを所有、使役できる人間が圧倒的に富む社会になる。

Permalink |記事への反応(1) | 00:41

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-03-04

anond:20250303114828

持たざる者が持てる者(持ち過ぎる者)を討つ

それが革命

友よ夜明けは近いか

Permalink |記事への反応(0) | 01:27

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の25件>
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2025 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp