Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「所在」を含む日記RSS

はてなキーワード:所在とは

次の25件>

2025-10-24

anond:20251023095155

実際にどう報道されてるか調べた

女性自身「「死んでしまえと言えばいい」田原総一朗氏 “反高市”の野党への衝撃提案スタジオ騒然…SNSでも「BPO案件」と疑問の声」

産経新聞田原総一朗氏が高市早苗氏を「死んでしまえと言えばいい」 23年前「下品無知」で謝罪

朝日新聞BS朝日政治番組で「死んでしまえ、と言えば」発言 田原総一朗氏」

読売新聞田原総一朗氏の「あんなやつは死んでしまえ」発言、次回放送謝罪の予定…BS朝日厳重注意

※本文では「田原氏は「あんなやつは死んでしまえ、と言えばいい」と発言した。」

オリコンニュースBS朝日、”暴言田原総一朗氏を厳重注意不適切な内容がございました」」

※本文では「田原氏は「あんな奴は死んでしまえと言えばいい」と放言し、ゲストからも注意を受けていた。」

まとめサイトとかだとこんな感じ

痛いニュース「【テレビ田原総一朗あんな奴(高市早苗)は死んでしまえと言えばいい』」

市況かぶ全力2階建「テレビ朝日グループのBS朝日田原総一朗さんの「あんな奴(高市早苗総理)は死んでしまえと言えばいい」発言公共電波作為的に垂れ流すも責任所在有耶無耶にして逃げ切り図る」

Togetterジャーナリスト田原総一郎氏がテレビ番組高市氏を巡る議論で「死んでしまえと言えばいい」と発言、本人は野党を励ます意図と弁明するも懸念の声相次ぐ」

ちゃん報道されてるしまとめサイトとかも切り取ってないけど、どこでデマが広まってるんだろう?

Permalink |記事への反応(1) | 20:32

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-17

ガイジランドについて知っていること

増田所在する

Permalink |記事への反応(0) | 13:24

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-09

核融合炉に飛び込む前に――「光」と「責任」を見失った日本原子力政策

 「核融合炉に飛び込んでみたい」と歌う声がある。眩い光に包まれ、全てが許されるような幻想の中へ――。それは、いまの日本原子力政策のものを映す寓話のように聞こえる。希望破滅境界で、人はしばしば「光」に酔い、冷たい現実から目を逸らしてしまう。

 政府エネルギー安全保障の名のもと、再稼働と推進へ舵を切った。電力需給の逼迫、化石燃料価格の高騰、脱炭素の潮流――理由枚挙に暇がない。だがその裏で、原発老朽化廃棄物の行き場、地域合意の不在という根本的な問題は、いまだ棚上げされたままだ。再稼働が“現実選択”と呼ばれるたびに、責任所在はぼやけてゆく。

 青森・六ヶ所の再処理工場はその象徴だ。建設から三十年以上、運転開始は繰り返し延期され、費用は膨れ上がった。掲げられた「核燃料サイクル」は、再利用という理想の名を借りた“無限延期システム”と化している。技術の完成よりも、「止められない」ことの方が既得権となった。これで未来世代に何を誇れるというのか。

 福島第一の処理水放出もまた、政治科学説明と納得の乖離を露呈した。国際機関評価を盾に、「安全」を強調する政府しかし、被災地の不信や国際社会懸念は解けない。信頼は、数字ではなく誠意によって築かれるものだ。事故から十四年、いまだ「終わり」は訪れていない。にもかかわらず、原子力を再び“成長の柱”とする構想が進む現実に、私たちはどこかで既視感を覚える。

 エネルギー「光」と呼ぶなら、その影に潜むリスク直視する勇気こそが政策の条件である安易な「推進」も、情緒的な「脱原発」も、どちらも現実逃避に過ぎない。求められるのは、廃棄物処理や地域合意形成を含めた全体像の再設計である。長期的なエネルギー戦略を、世代を超えた責任言葉で語らねばならない。

 詩に描かれた「核融合炉に飛び込む」衝動。それは、すべてを浄化し、忘却しようとする願望の比喩であろう。しかし、現実政策においては、飛び込むことではなく、立ち止まり、見つめ直すことが必要だ。

 夜の街の明かりが美しいのは、それを支える無数の暗闇があるからだ。原子力という“光”に再び未来を託すならば、まずその暗闇の中で、誰が傷つき、誰が責任を負うのかを問わねばならない。

 光は人を救う。だが、光はまた、眩しすぎて真実を見えなくもする。

 私たちは、あの歌のように「すべてが許される」幻想に飛び込む前に、現実の冷たさと向き合うべきだ。原子力政策の再構築とは、未来のための謝罪であり、再出発の約束である

――この国が、再び“夢”ではなく“責任”の名においてエネルギーを語れる日を願う。

Permalink |記事への反応(0) | 01:21

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-07

anond:20251007143435

https://ja.wikipedia.org/wiki/ヨコハマシネマ・ソサエティ

 

ヨコハマシネマ・ソサエティYokohama CinemaSociety)は、横浜駅西口徒歩1分、神奈川県横浜市西区南幸1-10-18地下1階に所在した、中央興業運営する映画館であった。座席は91席。

 

興行低迷の続く中、『恋の門』(監督松尾スズキ)封切予定日であった2004年10月9日[1]、台風22号による浸水被害のため休館となる。2004年11月20日正式に廃館となり、西口名画座時代から49年続いた歴史終焉を迎えた。

当館が入居していた中山ビル現存しているが、地下1階部分は閉館から10年以上経った2015年8月現在も閉鎖されたままである

Permalink |記事への反応(0) | 17:48

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-06

現在東京科学大学、かつての東京工業大学についてですが、これは少し珍しい話かもしれません。どこ会長東工大出身であるというのも興味深いですね。当時は蔵前工専と呼ばれていたのでしょうか?蔵前所在していたこから名前

https://youtube.com/shorts/qxi9SP8s0U4

Permalink |記事への反応(0) | 13:46

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-04

anond:20251004090333

SIer世界だと開発してる会社プロダクトオーナーが違うからまだまだDevOpsなんて根付いてないよ

Devで問題があったらまず責任所在問題になるし、リリースするためにはオーナー会社リリース承認必要になるから問題見つけても積極的になおす義理も稼働もないしね

Permalink |記事への反応(0) | 19:44

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-28

anond:20250928100412

このサービスはこのままではもう長くないだろうなって気がしている。Togetter Posfieと増田ブコメオールドメディアソースとは別にまとめるべき。

オールドメディアは「誤報」があれば訂正謝罪が載って編集長更迭されたりする、責任所在がはっきりしている。

一方でTogetterとかPosfieとかは誰も責任をとらない放言。まだ、利用条件を破ったらBANされる増田の方が責任がはっきりしているくらい。

放言を肴にあーでもないこーでもない話をぐずぐずする楽しみはあってもいいけれど、それはNHKBBCブクマとは別になっているべきではないか

Permalink |記事への反応(1) | 23:00

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-22

anond:20250922131243

国勢調査は、質問内容がヤバいんだよね。

おめー結婚してるんか?

ここに何年住んでるんや? 5年前はどこ住んでたんや?

仕事はしてるんか?

会社名と何やってるか言ってみぃや。

ご近所在住の調査員に、なんでそこまでプライベートなこと答えなあかんねん。。。

ってなっちゃう。

Permalink |記事への反応(1) | 13:22

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-18

ジャニーズ事務所からメールおもしろ

JA

ジャニーズ事務所 <maximoberyl78@gmail.com>

知的財産 |送信日:2025年9月17日

著作権侵害通知

●● 様

私たちは、ジャニーズ事務所代表してご連絡いたします。本社日本国東京都渋谷区神南2-2-1に所在し、広告コンテンツ画像クリエイティブ製品に関する権利管理および保護を、適用される法令に基づいて行っています

内部調査により、貴社のFacebook上の広告キャンペーンが、当社のカタログに含まれコンテンツ許可なく使用していることが判明しました。確認された違反内容は以下の通りです:

• 当社が制作した公式画像および広告グラフィック無許可使用

• 事前の許可なく保護されたビデオおよび広告映像使用

• 貴社の広告キャンペーンのために、ジャニーズ事務所が開発したクリエイティブアイデアおよび広告コンセプトのコピー

許可なくデジタル広告の基盤として保護されたデジタルコンテンツ使用

これらの行為は、日本国著作権法および国際的知的財産に関する規制違反しています現行法に基づき、許可なくコンテンツを複製、配布、または公開することは、民事および刑事罰対象となる可能性があります

本通知を裏付けるため、違反証明する資料および画像証拠を含むDOCXファイルを添付しております

ポリシー違反コンテンツに関する資料_2025_09_17.docx

貴社には以下の即時対応を求めます

• 当社の保護された資料を含むすべての稼働中広告キャンペーンを削除すること。

• 状況の詳細な説明および違反是正確約を書面で提出すること。

• 当社の所有する作品画像ビデオ、またはコンセプトを明確な許可なく使用することを停止すること。

2025年9月17日から 7営業日以内に貴社からの返答がない場合、当社の知的財産に関する法務チームの支援のもと、管轄裁判所において法的措置を講じます

連絡先情報

電話番号

  1. 81 3-3404-5301

住所:

日本国東京都渋谷区神南2-2-1

Permalink |記事への反応(0) | 14:21

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-17

anond:20250917173536

事後の口約束のみで発注者著作権を「奪取」することはできません。著作権著作物創作と同時に自動的に発生し、原則として著作者制作者)に帰属します。発注者著作権を取得するには、契約書などで著作権譲渡する旨を明記する必要があります口約束だけでは後々のトラブルにつながりやすく、許諾を受けた事実証明することも難しいため、書面で証拠を残すことが不可欠です。

著作権基本的な考え方

著作権自動発生する権利

著作権は、著作物創作された時点で著作権法によって自動的に発生し、特別手続き必要ありません。

著作権帰属著作者に:

原則として、著作物著作権著作者制作者)に帰属します。

著作権譲渡には契約必要

発注者著作権を取得するには、著作権者との間で著作権譲渡する、または利用を許諾する契約を締結する必要があります。

口約束問題点

証明の困難さ:

口頭での合意は「許諾を受けた」という事実証明する証拠がなく、後になってから口約束でも許諾を得ていた」と主張しても、相手に認められない可能性があります

トラブルの原因:

口約束だけでは具体的な条件が不明確なため、後々利用範囲を巡るトラブルに発展するリスクがあります

確実な対応策

書面での契約締結:

著作権に関わるやり取りは、口約束に頼るのではなく、必ず書面(契約書)で締結し、利用範囲、期間、対価、権利所在などを明確に記載することが重要です。

著作権譲渡契約

著作権のもの発注者譲渡する場合は、著作権譲渡契約書を作成します。

利用許諾契約

著作権著作者に残し、発注者には利用のみを許諾する場合は、利用許諾契約書を作成します。

Permalink |記事への反応(0) | 17:39

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-07

anond:20250905054532

私の世界は、丁寧に、そう、まるで細胞の一つ一つにまで神経を行き届かせるようにして磨き上げられた、半径およそ十メートルほどのガラスの球体であり、その球体の中心には、世界のすべてであり、法であり、そして揺るがぬ神であるところの、生後六ヶ月の息子、光(ひかる)が、ただ健やかな呼吸を繰り返している。その完璧な球体を維持すること、それこそが水無月瑠璃(みなづき るり)、すなわち三十一歳の私に与えられた唯一にして絶対の使命であったから、私は今日もまた、タワーマンション二十八階、陽光白磁の床にまで染み渡るこのリビングダイニングで、目に見えぬ埃の粒子と、あるいは時間という名の緩慢な侵食者と、孤独な、そして終わりなき闘争を繰り広げているのであった。北欧から取り寄せたというアッシュ材のテーブルの上には、一輪挿しに活けられたベビーブレスの、その小さな白い花弁の影さえもが、計算され尽くした角度で落ちており、空気清浄機は森の朝露にも似た清浄さを、ほとんど聴こえないほどの羽音で吐き出し続け、湿度計のデジタル表示は、小児科医が推奨する理想の数値、六十パーセントを寸分違わず指し示しているのだから、およそこの空間に、瑕疵という概念の入り込む余地など、どこにもありはしなかった。かつて、外資系コンサルティング会社で、何億という数字が乱れ飛ぶ会議室の冷たい緊張感を、まるで上質なボルドーワインでも嗜むかのように愉しんでいた私自身の面影は、今やこの磨き上げられたガラス窓に映る、授乳のために少し緩んだコットンのワンピースを着た女の、そのどこか現実感を欠いた表情の奥に、陽炎のように揺らめいては消えるばかりであった。

思考は、そう、私の思考と呼んで差し支えるならば、それは常にマルチタスクで稼働する最新鋭のサーバーのように、光の生存に関わる無数のパラメータによって占有され続けている。次の授乳まであと一時間二十三分、その間に終わらせるべきは、オーガニックコットンでできた彼の肌着の煮沸消毒と、裏ごししたカボチャペーストを、一食分ずつ小分けにして冷凍する作業であり、それらが完了した暁には、寝室のベビーベッドのシーツに、もしかしたら付着しているかもしれない、私たち世界の外部から侵入した未知のウイルスを、九十九・九パーセント除菌するというスプレー浄化せねばならず、ああ、そういえば、昨夜翔太が帰宅時に持ち込んだコートに付着していたであろう、あの忌まわしい杉花粉の飛散経路を予測し、その残滓を、吸引力の変わらないただ一つの掃除機で完全に除去するというミッションも残っていた。これらすべては、愛という、あまり曖昧情緒的な言葉で語られるべきものではなく、むしろ生命維持という厳格なプロジェクト遂行するための、冷徹なまでのロジスティクスであり、私はそのプロジェクトの、唯一無二のマネージャーであり、同時に、最も忠実な実行部隊でもあった。誰がこの任務を私に課したのか、神か、あるいは生物としての本能か、はたまた「母親」という名の、社会発明した巧妙な呪縛か、そんな哲学的な問いを発する暇さえ、このシステムは私に与えてはくれなかった。

である翔太は、疑いようもなく、善良な市民であり、そして巷間(こうかん)で言うところの「理想の夫」という、ほとんど神話上の生き物に分類されるべき存在であった。彼は激務の合間を縫って定時に帰宅すると、疲れた顔も見せずに「ただいま、瑠璃。光は良い子にしてたかい?」と、その蜂蜜を溶かしたような優しい声で言い、ネクタイを緩めるその手で、しかし真っ先に光の小さな体を抱き上げ、その薔薇色の頬に、まるで聖遺物にでも触れるかのように、そっと己の頬を寄せるのだ。週末になれば、彼はキッチンで腕を振るい、トマトニンニク匂いを部屋中に漂わせながら、私や、まだ食べることもできぬ光のために、絶品のペペロンチーノカルボナーラを作り、その姿は、まるで育児雑誌グラビアから抜け出してきたかのように、完璧で、模範的で、そして、どこか非現実的ですらあった。誰もが羨むだろう、この絵に描いたような幸福風景を。友人たちは、私のSNS投稿される、翔太が光をあやす姿や、手作り離乳食が並んだテーブル写真に、「理想家族!」「素敵な旦那様!」という、判で押したような賞賛コメントを、まるで祈り言葉のように書き連ねていく。そう、すべては完璧なのだ完璧なはずなのだ。このガラスの球体の内部では、愛と平和と秩序が、まるで美しい三重奏を奏でているはずなのだ

――だというのに。

夜、ようやく光が天使のような寝息を立て始め、この世界のすべてが静寂という名の薄い膜に覆われた頃、ソファで隣に座った翔太が、労わるように、本当に、ただ純粋愛情と労いだけを込めて、私の肩にそっと手を置く、ただそれだけの、あまりにも些細で、そして無垢行為が、私の皮膚の表面から、まるで冷たい電流のようにして内側へと侵入し、脊髄を駆け上り、全身の毛穴という毛穴を、一斉に収縮させるのである。ぞわり、と。それは、神聖な祭壇に、土足で踏み込まれときのような、冒涜的な不快感であった。あるいは、無菌室で培養されている貴重な細胞のシャーレに、誰かが無頓着なため息を吹きかけたときのような、取り返しのつかない汚染への恐怖であった。彼の指が触れた肩の布地が、まるで硫酸でもかけられたかのように、じりじりと灼けるような錯覚さえ覚える。私は息を止め、この身体が、この「水無月瑠璃」という名の、光のための生命維持装置が、彼の接触を、システムに対する重大なエラー、あるいは外部からハッキング行為として認識し、全身全霊で拒絶反応を示しているのを、ただ呆然と、そして客観的に観察していた。

「疲れてるだろ。いつも、ありがとう

翔太の声は、変わらず優しい。その瞳の奥には、かつて私が愛してやまなかった、穏やかで、そして少しだけ湿り気を帯びた、雄としての光が揺らめいているのが見える。それは、私を妻として、女として求める光であり、かつては、その光に見つめられるだけで、私の身体の中心が、熟れた果実のようにじゅくりと熱を持ったものだった。だというのに、今の私には、その光が、聖域である保育器を、ぬらりとした舌なめずりをしながら覗き込む、下卑た欲望眼差ししか見えないのだ。許せない、という感情が、胃の腑のあたりからせり上がってくる。この、二十四時間三百六十五日、寸分の狂いもなく稼働し続けている精密機械に対して、子を産み、育て、守るという、この宇宙的な使命を帯びた聖母に対して、己の肉欲を、その獣のような本能を、無邪気に、そして無自覚にぶつけてくるこの男の、そのあまりの鈍感さが、許せないのである

ケダモノ

その言葉が、私の内で、教会の鐘のように、低く、重く、そして厳かに反響する。そうだ、この男はケダモノなのだ。私がこの清浄な球体の秩序を維持するために、どれほどの精神を、どれほどの時間を、どれほどの自己犠牲にしているのか、そのことを何一つ理解しようともせず、ただ己の種をばら撒きたいという原始の欲動に突き動かされているだけの、ただのケダモノなのだ

そんなはずはない、と、脳のどこか、まだかろうじて「かつての私」の残滓が残っている領域が、か細い声で反論を試みる。これは翔太だ、私が愛した男だ。雨の匂いが充満する安ホテルの、軋むベッドの上で、互いの名前を喘ぎ声で呼び合いながら、世界の終わりが来るかのように貪り合った、あの夜の彼なのだパリへの出張中、セーヌ川ほとりで、どちらからともなく互いの唇を求め、道行く人々の冷ややかな視線さえもが、私たちのためのスポットライトのように感じられた、あの瞬間の彼なのだ結婚記念日に、彼が予約してくれたレストランの、そのテーブルの下で、こっそりと私のスカートの中に忍び込んできた、あの悪戯っぽい指の持ち主なのだ。あの頃、私たちは互いの肉体という言語を、まるで母国語のように自在に操り、その対話の中に、世界のどんな哲学者も語り得ないほどの、深遠な真理と歓びを見出していたはずではなかったか。あの燃えるような記憶は、情熱の残骸は、一体どこへ消えてしまったというのだろう。それはまるで、昨夜見た夢の断片のように、あまりにも色鮮やかで、それでいて、掴もうとすると指の間から霧のように消えてしまう、遠い、遠い銀河の光なのである

瑠璃…?」

私の沈黙を訝しんだ翔太が、私の顔を覗き込む。私は、まるで能面のような無表情を顔面に貼り付けたまま、ゆっくりと彼の手を、自分の肩から、まるで汚物でも払いのけるかのように、そっと、しかし断固として取り除いた。そして、立ち上がる。

「ごめんなさい。少し、疲れたみたい。光の様子を見てくるわ」

それは、完璧な嘘であり、そして、完璧真実でもあった。私は疲れていた。だがそれは、育児という名の肉体労働に疲れているのではなかった。私という個人が、水無月瑠璃という一個の人格が、「母親」という名の巨大なシステムに呑み込まれ、その歯車の一つとして摩耗していく、その存在論的な疲弊に、もう耐えられなくなりつつあったのだ。これは、巷で囁かれる「産後クライシス」だとか、「ホルモンバランスの乱れ」だとか、そういった便利な言葉で容易に片付けられてしまうような、表層的な現象ではない。違う、断じて違う。これは、一個の人間が、その魂の主導権を、自らが産み落とした別の生命体に完全に明け渡し、「装置」へと、あるいは「白き機械」へと、静かに、そして不可逆的に変質していく過程で生じる、存在のものの軋みなのである

聖母、とはよく言ったものだ。人々は、母という存在を、無償の愛と自己犠牲象徴として、何の疑いもなく神格化する。だが、その実態はどうか。自己を失い、思考も、肉体も、感情さえもが、すべて「子」という絶対的な存在奉仕するためだけに再構築された、ただのシステムではないか。私は聖母などではない。私は、高性能な乳製造機であり、汚物処理機であり、そして最適な環境提供する空調設備が一体となった、ただの生命維持装置に過ぎないのだ。この気づきは、甘美な自己陶酔を許さない、あまりにも冷徹で、そして絶望的な真実であった。そして、この真実を共有できる人間は、この世界のどこにもいやしない。翔太のあの無垢な優しさでさえ、結局は、この優秀な装置が、明日も滞りなく稼働し続けるための、定期的なメンテナンス作業しか見えないのだから、その孤独は、宇宙空間にたった一人で放り出された飛行士のそれに似て、どこまでも深く、そして底なしであった。友人たちがSNS投稿する「#育児は大変だけど幸せ」という呪文めいたハッシュタグは、もはや、この巨大なシステムの異常性に気づいてしまった者たちを、再び安らかな眠りへと誘うための、集団的自己欺瞞儀式しか思えなかった。

寝室に入ると、ベビーベッドの中の光は、小さな胸を穏やかに上下させながら、深い眠りの海を漂っていた。その無防備な寝顔は、確かに、この世のどんな芸術品よりも美しく、尊い。この小さな生命を守るためならば、私は喜んで我が身を投げ出すだろう。だが、それは、この身が「私」のものであった頃の話だ。今の私にとって、この感情は、プログラムに組み込まれ命令遂行しているに過ぎないのではないか。愛でさえもが、システムを円滑に稼働させるための、潤滑油のような機能に成り下がってしまったのではないか。そんな疑念が、毒のように心を蝕んでいく。

私は、息子の傍らを離れ、再びリビングへと戻った。翔太は、ソファの上で、テレビの光をぼんやりと浴びながら、所在なげにスマートフォンをいじっている。その背中は、拒絶された雄の、どうしようもない寂しさを物語っていた。かつての私なら、きっと背後からそっと抱きしめ、「ごめんね」と囁いて、彼の寂しさを溶かしてやることができただろう。しかし、今の私には、もはやそのための機能が、インストールされていないのである

私は、彼に気づかれぬよう、書斎として使っている小さな部屋に滑り込んだ。そして、ノートパソコンの冷たい天板に触れる。ひやりとした感触が、指先から伝わり、かろうじて、私がまだ血の通った人間であることを思い出させてくれるようだった。スクリーンを開くと、真っ白な光が、闇に慣れた私の網膜を焼いた。カーソルが、無人荒野で、点滅を繰り返している。何を、書くというのか。誰に、伝えるというのか。この、言葉にもならぬ、システムの内部で発生したエラー報告を。この、機械の内部から聞こえてくる、魂の悲鳴を。

それでも、私は指を動かした。これは、誰かに読ませるためのものではない。これは、祈りでもなければ、懺悔でもない。これは、私という名の機械が、自らの異常を検知し、その原因を究明し、あるいは再生可能性を探るために、己の内部へとメスを入れる、冷徹自己解剖の記録なのだ

真っ白な画面に、私は、震える指で、最初言葉を打ち込んだ。

『これは、私という名の機械が、自己を観察し、分解し、あるいは再生を試みるための、極秘の設計図である

その一文を打ち終えた瞬間、私の内側で、何かが、硬い音を立てて、砕けたような気がした。それが希望の萌芽であったのか、それとも、完全なる崩壊への序曲であったのか、その時の私には、まだ知る由もなかったのである。ただ、窓の外で、東京夜景が、まるで巨大な電子回路のように、無機質で、そして美しい光を、果てしなく明滅させているのが見えた。私もまた、あの無数の光の一つに過ぎないのだと、そう、思った。

自己機械定義たからには、次なる工程は当然、その性能向上のための最適化、あるいは、旧弊OSから脱却するための、大胆にして静かなるアップデート作業へと移行せねばならぬのが、論理的な、そして必然的帰結であった。そう、これは革命なのだと、私は深夜の書斎で、青白いスクリーンの光に顔を照らされながら、ほとんど恍惚とさえいえる表情で、そう結論付けたのであった。かつてロベスピエールが、腐敗した王政ギロチン台へと送り、新しい共和制の礎を築かんとしたように、私もまた、この「母親という名の献身」や「夫婦の情愛」といった、あまりにも情緒的で、非効率で、そして実態としては女の無償労働を美化するだけの前時代的な概念を、一度完全に解体し、再構築する必要があったのだ。そのための武器は、かつて私が外資系コンサルティングファームで、幾千もの企業相手に振り回してきた、あの冷徹ロジックと、容赦なき客観性という名のメスに他ならない。愛という名の曖昧模糊とした霧を晴らし、我が家という名の王国を、データタスクリストに基づいた、明晰なる統治下に置くこと、それこそが、この「水無月瑠璃」という名の機械が、オーバーヒートによる機能停止を免れ、なおかつ、その内部に巣食う虚無という名のバグ駆除するための、唯一の処方箋であると、私は確信していたのである

かくして、週末の朝、光が心地よい午睡に落ちた、その奇跡のような静寂の瞬間に、私は翔太をダイニングテーブルへと厳かに召喚した。彼の前には、焼きたてのクロワッサンと、アラビカ種の豆を丁寧にハンドドリップで淹れたコーヒー、そして、私が昨夜、寝る間も惜しんで作成した、全十二ページに及ぶパワーポイント資料印刷したものが、三点セットで恭しく置かれている。資料の表紙には、ゴシック体の太字で、こう記されていた。『家庭内オペレーション最適化計画書 Ver. 1.0 〜共同経営責任者(Co-CEO体制への移行による、サステナブル家族経営の実現に向けて〜』。翔太は、そのあまりにも場違いタイトルを、まるで理解不能な古代文字でも解読するかのように、眉間に深い皺を刻んで見つめた後、恐る恐る、といった風情で私に視線を向けた。その瞳は、嵐の前の静けさにおびえる子犬のように、不安げに揺れている。まあ、無理もないことだろう。彼にしてみれば、愛する妻が、突如として冷酷な経営コンサルタントに豹変し、家庭という名の聖域に、KPIだのPDCAサイクルだのといった、無粋極まりないビジネス用語を持ち込もうとしているのだから

瑠璃、これは…一体…?」

説明するわ、翔太。よく聞いて。これは、私たち家族が、これから幸せに、そして機能的に存続していくための、新しい聖書バイブル)よ」

私は、そこから淀みなく、プレゼンテーションを開始した。現状分析As-Is)、あるべき姿(To-Be)、そのギャップを埋めるための具体的なアクションプラン家事という、これまで「名もなき家事」という名の混沌の海に漂っていた無数のタスクは、すべて洗い出され、「育児関連」「清掃関連」「食料調達調理関連」「その他(消耗品管理資産管理等)」といったカテゴリーに分類され、それぞれに担当者と所要時間、そして実行頻度が、美しいガントチャート形式可視化されている。例えば、「朝食後の食器洗浄」は、担当:翔太、所要時間:十五分、頻度:毎日、といった具合に。さらに、月に一度、近所のカフェで「夫婦経営会議」を開催し、月次の進捗確認と、翌月の計画策定を行うこと、日々の細かな情報共有は、専用のチャットアプリで行うこと、そして何よりも重要なのは、これまで私一人が暗黙のうちに担ってきた「家庭運営の全体を俯瞰し、次の一手を考える」という、いわば管理職としての役割を、これからは二人で分担する、すなわち、彼にもまた、単なる作業員(ワーカー)ではなく、主体的思考する共同経営責任者(Co-CEO)としての自覚と行動を求める、ということ。私の説明は、かつてクライアント企業役員たちを唸らせた時のように、理路整然としており、反論余地など微塵もなかった。翔太は、ただ呆然と、私の言葉の奔流に身を任せるしかなく、すべての説明が終わった時、彼はまるで催眠術にでもかかったかのように、こくり、と小さく頷いたのであった。

「…わかった。瑠璃が、そこまで追い詰められていたなんて、気づかなくて、ごめん。僕も、頑張るよ。君を、一人にはしない」

その言葉は、疑いようもなく誠実で、彼の優しさが滲み出ていた。私は、その瞬間、胸の奥に、ちくり、と小さな痛みを感じたのを覚えている。違う、そうじゃないの、翔太。私が求めているのは、あなたのその「頑張るよ」という、まるで部下が上司に忠誠を誓うような言葉ではない。私が欲しいのは、私がこの計画書を作る必要すらないほどに、あなたが私の脳と、私の視界と、私の不安を共有してくれるPermalink |記事への反応(0) | 05:15

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-28

葛葉とDCCoreが何故負けたのか (2)

内外ともにチームの崩壊っぷりを端的に表していた出来事に、本番で「Iブッシュを明け渡すなとあんなにコーチから言われていたのに、歌衣メイカがIブッシュからアッサリ引いたせいでk4senが置き去りになって死んで前線崩壊した」と囁かれている一幕がある。このシーンを少し掘り下げて、ゲーム自体として何が起こっていたのか、そしてリスナー暴言がどれほどの影響を及ぼしていたのか詳しく見ていきたい。

該当のシーン「だけ」を再生すると、確かに歌衣メイカのオーンと昏昏アリアマオカイが突然ラインを下げたせいでk4senのアジールが無惨に殺された瞬間が映っている。VCではk4senが「俺を前にしないで!」と半ばキレ気味に叫んでいた。

だがこのシーン、アジール死ぬ15秒ほど前からミニマップを見ると、Iブッシュの裏側に向かって両サイドから敵のランブルとヨネが徒歩で進んでいる姿がDCCoreワードガッツリ映っている。留まったら全員で死ぬのが確定的な状況だった。特にアジールは他のtankより5秒早く逃げ出さなければならなかった。

敵がどんどんと近付いてくる。オーンとマオカイは限界までIブッシュにいたが、遂にラインを下げざるを得なくなった。それなのに何故かアジールけがIブッシュの中で棒立ちのポークを続けている。そしてランブルとヨネが集団圏内に入った瞬間、無理めに敵のレオナが前に出てEQアジールがエンゲージされてスキルを全部叩き込まれて死んだ。

これでオーンが悪いって? ミニマップも見てない奴を全員で助けろって? おいおい冗談キツいぜ。それなのにVCにはまるで「歌衣メイカがまたやらかした」と言わんばかりのどんよりした雰囲気が流れていた。歌衣メイカは(自分ミスではないのを当然分かっていながら)「いや……、ソーリー、マイバッド……」と小声で怯えたように一言だけ喋った。誰のミスだろうが自分のせいにされるからとにかく謝らなければならない、そのことを彼はもう痛いほどよく分かっていた。

あのシーンでやらかしたのが歌衣メイカではなくk4senだという事実には昏昏アリアも鷹宮リオンも気付いている。何故ならVCで思いっきり「(Iブッシュの上側にピンしながら)ここねー、めっちゃ回ってくるよ、ランブル」「ランブル来るよー!」とそれぞれ発言しているからだ。一応葛葉も「引きながらで良いよー! (こちらの位置取りを)縦長にしたい」と思いっきり言っているが、少し離れた位置にいたかちゃんと見えていたか微妙だ。ともかく、あの15秒程度のやりとりだけ見るならば、チームの中で一人だけ状況が見えていなかったのは間違いなくk4senだ。でも上手く行かなかったらとにかく歌衣メイカが全部悪いんだ。もう空気からしてそういう状況だったんだ。

大事ことなので二回書いておきたいが、私は別にk4senや特定個人を批難したいわけじゃない。自分自分ミスが見えていなくてリプレイを見返したら死んで当然のバカみたいな動きをしていて驚くのなんてよくあることだ。そうではなく、明らかなk4senのミスが流れで歌衣メイカのせいにされ、あそこまで異様な空気感のVCが流れてしまたことが問題だと感じている。5秒で抜けたくなるような地獄VCを作ったのは何か。リスナー暴言だ。明らかにみんな怯えていた。

こんな体たらくでチームゲームやって勝てるわけがなかったんだよ。

 

暴言がチームを潰した経緯については一通り書いたので、メンバー個人個人パフォーマンスに少し言及したい。最初に鷹宮リオンから

DCCore凋落するきっかけとなった、歌衣メイカ槍玉に上げられた数試合練習については、実は明らかな戦犯が他にいた。adcの鷹宮リオンであるコーチのらいじんが普段adcやらないから分かりづらかったのだろうが、仮に歌衣メイカがどんなに上手くても鷹宮リオンがadcをやっている限り勝つのは難しい、それくらいパフォーマンスが悪かった。(これは後から少しずつバレていく。)鷹宮リオンが戦犯なのは全ロール満遍なくやっている人間からしたら最初から明らかだったが、そもそもリスナーほとんどはLoLプレイしたことすらなかったのだろう。

正直、パフォーマンスの悪さだけで言うなら全期間を通して鷹宮リオンが圧倒的に最悪で、歌衣メイカときにどうこう言ってた奴は全員マジのエアプだろう。歌衣メイカはまだ頑張っているから行動を起こすしミスをするが、鷹宮リオンは試合マジで何もできていない。従ってミスが発生しない。怒られない。

ましてや、歌衣メイカの一件の後で鷹宮リオンは尚更何の動きも起こせなくなったことだろう。本当は自分のせいで負けているんじゃないかとうっすら思っている横で、「LoLのことはよく分からないけど歌衣メイカかいうクソ野郎のせいで私の大切な◯◯くんが負けているらしい(同じチームの好きなVtuber名を入れる)」という逆恨みがありったけの暴言になって降り注いでいるようでは少しでも目立つ可能性があるプレイに転じるのは無理だ。更に深堀りすると、「私の大好きな◯◯くんとあんな女が一緒にLoL大会に出るなんて許せない……(同じチームの好きなVtuber名を入れる)」と言わんばかりの逆恨みを元から受けていた状況では「目立ちたくない」という感情が最優先されるのも仕方ないだろう。まあ、それを抜きにしても下手だけど……。

Supの昏昏アリアについては、確かに上手くはなかったかもしれないが、最低限の仕事は出来ていた。集団フェーズでは完全な置物とはいえ、元から昏昏アリアに神プレイなんて誰も期待していない。むしろあの重圧下でadcレーニングをさせられただけで十分すぎる仕事をやれていた。とはいえ、どう擁護してもプレイヤーとしては本当に最低限でしかなかった。

この2人と比べると、実のところ歌衣メイカパフォーマンスはかなり良かった。練習試合でも、確かにFighter系チャンプは目も当てられないほど下手だが、本人の得意なTankを選択したときは十二分の働きが出来ていた。それでもリスナーLoLなんてクソゲーはやっていないので、負けたときに実際に誰が悪かったのか判断する能力なんてない。ありとあらゆる責任雰囲気で歌衣メイカ押し付けられた。そんな理不尽を横で見ている鷹宮リオンと昏昏アリアはどんどん消極的(=下手)になっていく。練習試合をやればやるほどパフォーマンスが低下するという悪循環が完成していた。

あのチームにはもともと葛葉を含めて上手い人間なんていなかった(k4senを除く)。だからこそ3ヶ月の練習期間で上手くならなければならなかったのに、貴重な時間ほとんどが「リスナーに怒られないこと」を学習するのに使われた。これじゃ他のチームに勝てるわけなんてなかった。

個人個人パフォーマンスほとんど成長しなかったことを見ると、リスナー暴言がどれほど大きく負けを呼び寄せたのか尚のことハッキリしてくるのだ。

 

DCCoreが辿った全体の流れ、個人パフォーマンスについて書いたので、あえてここまで触れてこなかったが、実力以外のことについて少し触れておきたい。つまり性格や態度の話だ。

歌衣メイカ責任が本当に一切全く無いかと言われたら、私は首を縦には触れない。というか、歌衣メイカはチームゲームプレイヤーとしては極めて良くない部類に入る。実力がどうこう以前に、態度がすごく良くない。腕前は練習すればカバー出来るが、柄の悪さと悪い意味ヘラヘラした感じは直しようがない(そのキャラけが本人の普段のウリなのだと思うが)。これを書いている私自身、今回の件で死ぬほど叩かれているのは本当に可哀想だなとは思ったが、結局歌衣メイカ自体最後まで1ミリも好きになれなかった。普通に配信とか一生見ないと思う。ごめん。だけどこういう性格に惹かれる人はいるよなっていうのは凄く分かる。私がターゲット層じゃないだけだな。自分路線を貫いてほしい。しかDCCoreというチームの中で浮いていたことはちょっと疑えない。

一応、鷹宮リオンの性格個人的にはかなり嫌いだ。だが、これは私という個人生理的に受け付けないというだけの話であって、責任を問えるレベルではないと思う。

歌衣メイカが他の4人と比べて雰囲気が浮いていたのは確かだ。だが、それでも、それを負けた責任所在にするのは非常に無理がある。

何故なら、5人全員で性格がぴったり、そんな仲良しチームの方がLoLでは天然記念物レベルで珍しいからだ。LoLが原因で知り合いの仲が悪くなったなんて話を誰でも1回くらい聞いたことがあるだろう。この瞬間にも長年の友人同士だったはずのプレイヤー達がLoLきっかけに絶縁状を叩き付き合って人間関係崩壊させている。そういうものなのだ人間は2人いればどちらが上かで政治を始める生き物だし、5人も一緒にいたらまず間違いなく全員は仲良くやれない。チームに1人くらい浮いている人間がいたとて、それにことさら責任は問えない。

からこそ、あまり好きになれない奴が隣に座っていようと、それでも力を合わせて勝利をもぎ取るのがチームゲームの実力の一つだ。「あいつの性格が悪いから俺がパフォーマンスを出せなかった」なんて言い訳をするサッカー選手がいたらお笑い草だ。第一DCCoreが負けた原因は一人浮いてる奴がいるとか明らかにそんなレベルのところにはない。全員の判断根本的におかしい。誰一人として一切リスクを取らない。完全に萎縮しきっている。それで無惨にこっぴどく負けた。

 

本当にたくさんのことを振り返ってみた。だけど何をどう考えても、リスナー暴言選手が潰れた、それだけがDCCoreの全てだった。

唯一、敗退確定後のネメシスマッチだけは、DCCoreVC普通に楽しそうだった。お前らそんなに楽しそうにLoL出来たのかよってちょっとビックリしたくらいだ。パフォーマンスも全員揃って過去一番良かった。勝ち負け関係無いなら暴言の数なんて今更大して変わらないもんな。憑き物が落ちたように一夜で最高のチームに変わった。全員本当に精神的重圧で苦しんでいたんだ。最初からこの動きが出来ていたら2-4でオフラインイベントを迎えることは無かっただろうし、当日も勝てていたかもしれない。だってあんなに練習したんだもんな。だけど、せっかく大事に育てたチームのポテンシャルリスナー暴言が全部潰していたんだよ。

 

最後に、本題とは全然関係ないのだが、杞憂民のお気持ち文章を締めたい。

冒頭で触れた女性配信炎上事件の数日後、葛葉は自分の枠で「俺が遊びたいって言っただけでなんで相手迷惑がかかるんだよ」「俺の知り合いに迷惑かけるやつは俺のファンじゃねえから」などと珍しくリスナーを叱っていた。あれから数年が経つ。

葛葉のリスナーの厄介さに悩まされているのは外でもない葛葉だろう。リスナーを恐れて裏で何回コラボ拒否されたのか我々バチャ豚には推し量る術もないし、今回の件が起こったからには、どんなゲームだろうと大会で同じチームになるのだけは絶対に嫌だと腫れ物扱いを受けることになるだろう。

いい加減に無法者積極的に切り捨てていかないとこれから先もずっと葛葉は憂き目を見るだろうと思っている。

そもそも、3ヶ月間あんなにも必死練習していたのに、その全てをリスナー台無しにされたのは外でもない葛葉なのだ

 

ああ、よかったな、カスみたいなリスナーども。歌衣メイカも鷹宮リオンも昏昏アリアも、お前らが袋叩きにしたおかげで3人とも無事にメンタルを完全に潰して本番では目も当てられないほど無惨に負けたぞ。葛葉とk4senを道連れにして。何もかもお前らのお望み通りだ。これからも頑張って大好きな葛葉くんのいるチームを自分の手で潰し続けてくれよ。

 

……なんて思ってたら、LTKはシーズン2があるらしいな。チーム発表はまだだが、葛葉と同じチームになった配信者のリスナーは今のうちにチャット欄の暴風雨に備えておけ。工作員邪魔は入るだろうけど絶対に流されるなよ。

Permalink |記事への反応(2) | 21:30

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

葛葉とDCCoreが何故負けたのか (1)

まず最初に、この文章は葛葉を含めて特定個人貶めるつもりの一切ない只の独り言であることを断っておく。これは、途方もない理不尽を目の前にして精神を病んでいる私が自分の心に整理をつけるためだけに書いた文章である

 

結論を言えば、葛葉が負けた理由リスナー暴言だ。あの惨憺たる結果は特定個人ではなく、不特定多数の悪意がもたらしたものだ。もっと言えば、他のチームが3ヶ月間充実して過ごしていたのにDCCoreだけずっとお通夜のような雰囲気だったのも全部リスナー暴言のせいだ。

 

少しだけ前置きを続けると、葛葉のリスナー治安の悪さというのはV豚の界隈では有名である。具体的なエピソードを挙げるなら、とある同業の女性配信者がソロLoLをやっていたとき、葛葉が自分から凸って突発的に一緒にプレイした結果、たったそれだけで何故か女性配信者が(恐らくは女性リスナー嫉妬で)軽く炎上したという特級呪物レベル攻撃性を持つ。

もちろん今回の件で暴言を吐いたのが全部葛葉のリスナーだとまでは言わないが、過去を振り返れば今回の火種もどうせほとんど葛葉のリスナーだろうと思ってしま気持ちは分かってもらいたい。実際、あれほど荒れ狂った状況だったのに葛葉が表立って責められることは一度も無かったのだから。それでも一応、以下では不特定多数の悪意を単に「リスナー」と書くことにする。

前置きで強調しておきたいのは、私が嫌いなのは葛葉のリスナーであって、葛葉ではない。葛葉本人については普通にメチャクチャ努力家なので尊敬している。リスナーあんなんばっかりで本当に可哀想だと思う。また、私は歌衣メイカファンでもない。というかこの件の登場人物配信普段一人も見ていない。歌衣メイカについては馬犬と1回コラボしてた人だな程度の遠い昔の記憶しかない。DCCoreを知ったのは、なんかLoL大会練習やってんな、と思って最初に開いた配信たまたまDCCoreだったというだけだ。

 

前置きは済んだので、DCCoreがどのようにして負けるチームになっていったのかを追いながら心に整理をつけていく。

その上でまず、真っ先に、この話は歌衣メイカへの暴言が激化した地点から始めたい。

DCCoreリスナー暴言が堰を切ったように激しくなったのはあまりにも突然のことだった。責任を全て押し付けて袋叩きに出来る格好の的が出来上がってしまったのだ。それが歌衣メイカだった。

Top担当する歌衣メイカの下手さをコーチのらいじんが強く指摘した日、全ての歯車が狂い始めた。かなり厳し目のお叱りのあと、特訓のためにコーチのらいじんが歌衣メイカに注目しながら試合を観戦することになったのだが、その間、身の毛もよだつ勢いで歌衣メイカへのガチ暴言が次々と書き込まれていった。「なんてこと、私の大好きな◯◯くんがこれまで負けていたのは全部歌衣メイカのせいだった!!!(◯◯には同じチームの好きなVtuber名を入れる)」ってわけだ。

切り抜き師がモデレーターをやっていたらしいが、1人では到底手に負えない量の罵詈雑言が止めどなく流れ続けた。コメント欄のあまりの荒れ具合を見かねたらいじんが「俺は歌衣メイカに怒るけどお前ら(リスナー)が歌衣メイカに怒って良いわけじゃないからな」「ここ俺のチャンネルから」「勝手に怒ってるコメントは切り抜き作ってる人が消してくれてる」などとわざわざ言及するほどには、あの日コメント欄普段とは全く別次元の有り様だった。そして、その別次元暴言インターネットの色んなところでだんだん日常になっていった。

見ていた限り、恐らくらいじんは半ばパフォーマンスでキレ芸をやっていただけで、まさかここまで事態が深刻になってしまうとは思っていなかったのだろう。だが結果としては、この日に端を欲した暴言の山がDCCore根本的に狂わせることになった。

この件以来、DCCoreの動きは明らかに変わった。葛葉とk4senを除いた3人のプレイヤーが「目立たないプレイ」を、もっと言えば「怒られないプレイ」をするようになった。眼の前に95%勝てる勝負があったとしても手を引いてしまう。5%の確率で負けた瞬間に葛葉のファンが押し寄せてきて常人には耐え難い暴言を浴びせられるのが怖い。だから、どんなに有利な勝負だろうと自分から行くことを選ばない。虐待を受けた捨て犬のような怯えきった動きしかDCCoreメンバーはできなくなった。これがDCCore絶望的な弱さをもたらした。

LoLリスクを取ってアドバンテージを積み重ねるゲームだ。50%勝てる賭け、60%勝てる賭け、70%勝てる賭けが数秒おきに降ってきてはベットするかどうかの判断を迫られる。もちろん100%得するときベットするのが基本だが、そんな都合の良い状況だけを待っていては勝てない。対戦相手が80%で勝てる賭けに乗っかってドシドシとアドバンテージを積んでくるのに、負けじとアドバンテージを取り返しに行くのではなく、「負けたとき暴言が怖いから」とそもそも賭けに参加しないでいたら、しかもそれを全員がやってしまったら、相手一方的に山のようなアドバンテージを築かれてしまって勝つことが出来ない。だが、それでも、ベットすらしなければ目につく失敗を起こすこともない。リスナーの標的にされなくて済む。とりあえず今は歌衣メイカだけをリスナーは見ている。この状況を崩したくない。叩かれたくない。怖い。そういうメンタルになってしまった時点でもうあのチームには未来がなかった。

そしてこういう心理的な怯えはLoL集団戦と致命的に相性が悪い。この相性の悪さがDCCoreを本当の本当に完全にダメにしてしまった。先に言い訳しておくが、LoL集団戦の複雑さはこんなところに書ききれるようなものでないので、「暴言と恐怖」「エンゲージ」という視点から物事の一側面だけを切り取って乱暴に話すのをご容赦願いたい。

LoL集団戦には最初にエンゲージという行為がある。味方と敵が各5人ずつ並んで睨み合う中で、先陣を切って開戦する行為をエンゲージと呼ぶのだ。

エンゲージに失敗してしまうと被害は甚大だ。まずエンゲージした人間が確実に死ぬし、それどころか人数差がついたと見るや敵全員で反転してきてチームが完全に壊滅に追い込まれるなんてのもよくある話だ。どうにか反転をいなして1人死んだだけで済んだとしても、その1人の人数差はドラゴン、アタカン、バロンのような大きな標的を争っている際には致命傷になりかねない。

一方で、良いエンゲージには敵5人を一瞬で全員殺すだけの力がある。いや5人だなんて贅沢は言わない、2人で十分、最悪1人でも良い。2人も人数に差があれば局所的な勝利は確定的になる。とにかく人数差をつけてしまえばこのゲームは勝ちだ。人数差さえあればドラゴンでもバロンでも好きに取ってしまってタワーをボコボコ折ってインヒビターを壊して圧倒的な差をつけることが出来る。均衡した勝負を勝ちに転じさせられるかどうか、あるいは不利を引いているときにイーブンまで覆せるどうか、それはひとえに人数差を作ることに、良いエンゲージにかかっている。それでももちろん、悪いエンゲージをしたら味方がたくさん死んで負ける。

LoL集団戦は、エンゲージをする1人の責任が非常に重いという性質を持っている。今から始まる集団戦が70%以上勝てる希望に満ちたものになるのか、10%も勝てない絶望的なものになるのか、この3ヶ月間の努力が二回戦進出と実るのか敗退して水の泡となるのか、そのかなりの部分がエンゲージにかかっている。

こんな重大な責任を伴う行為は恐怖に萎縮した人間がやれることではない。

結果として、メンバーが萎縮しきったDCCoreにはエンゲージ役が実質上不在となってしまった。エンゲージは自分たちが行うものではなく相手から受けるものになった。何%勝てる瞬間に全額ベットするのかというこのゲームで最も重要判断が全て敵任せになった。DCCoreメンバー暴言に怯えきっている一方で、そんな暴言など当然受けたことがない対戦相手プレイヤーは自信を持って責任を取って75%くらい勝てるエンゲージをずっと続けられるから、どこが相手だろうとDCCore試合全体を通して勝てる確率は限りなくゼロになってしまった。

リスナーによるおびただしい量の暴言プレイヤーの萎縮、リスクを取らないこととLoLの相性の悪さ。DCCoreの負けた原因はほとんどここに尽きるだろう。

エンゲージ以外の話を少しだけしておく。物事には常に善と悪があるもので、世の中にいるのは暴言を飛ばすリスナーだけではない。DCCoreが何故勝てないのか真面目に考えている人間もたくさんいた。しかし私が見た限り、彼らのなぜなぜ分析が行き着くところは全部同じだった。「歌衣メイカにエンゲージさせても負ける。葛葉がエンゲージしても負ける。エンゲージが良い集団戦も負ける。一体何が原因で負けているのか分からない」、見た意見をまとめるとざっとこんな感じだ。しかしそりゃそうだろう。練習試合の内容だけ見ていても負けた理由はたぶん分からない。ほとんどのエンゲージが悪いものだったが、運良く10回に1回くらいエンゲージだけ上手く決まったところで、集団戦はその後もリスク選択連続だ。右クリックを1回ミスったら即死してしまうほど張り詰めた選択が毎秒起こるのだ。フォーカスを合わせるとなったら少し危険位置取りに出ていくことが多くなるのでこれもリスクが高い。それでもリスクを負うこと自体をやめてしまったらLoLでは絶対に勝てない。DCCoreが萎縮してリスク選択を徹底的に嫌った結果、エンゲージが成功した貴重な集団戦ですらその後の動きが全体で悪いのでやっぱり勝てない、そういう首の締まりきった状況がギチギチに完成しきっていた。チームの半分以上がリスナーに怯えているのだ、勝てるわけがない。

 

恐怖という外部的な要因を抜きにDCCore内部のミスがあったとすれば、上の事件の後に早い段階で葛葉にエンゲージチャンプ強制しなかったことと、ショットコーラーの機能不全だろうが、よくよく考えてみるとこれらが失敗に繋がったのも結局はリスナー暴言に行き着く。

勝ちたければエンゲージ出来る人間がチームには絶対必要だ。毎試合安定してエンゲージチャンプを取れるポジションTop、Jungler、Supだが、Topの歌衣メイカはあまり暴言を受けた果てに最近よく眠れなくて悪夢を見るとまで言っているズタボロの有様で重要役割は任せられない。Supの昏昏アリアは最低限の仕事はしてくれるものの、人数合わせでいるようなプレイヤーだからやっぱり重要役割は任せられない。となると、エンゲージが出来るのは消去法でメンタルダメージを受けていないJunglerの葛葉しかいない。DCCoreは葛葉にヴィエゴなんて使わせている場合ではなかった。葛葉にエンゲージ役を強制させるべきだった。

だが、こんなどうしようもない状況でもそれ以外の処方箋がまだあった。それがショットコーラである葛葉が歌衣メイカにエンゲージさせることだ。そして、この最後選択肢すらリスナー暴言で潰したのだ。

LoLに限らず、チームゲームにはショットコーラーという役割がある。0.5秒で全員の意見をまとめないといけないのに人数が多くて決まらない、なんてことはいくらでもある。だから、「緊急の場合にはチーム全体としてこの人物意見絶対従う、その代わりその人物が全部の責任を取る」と予め厳重に定めておくのだ。この人物ショットコーラーと呼ぶ。機械的に指示に従うだけなら萎縮した人間でもエンゲージすることが可能だ。

が、実のところ、この葛葉のショットコール微妙……。正直言って葛葉はあんまりエンゲージ判断の上手いプレイヤーではない……。実際、DCCoreの2軍チームであるDCNextのJunglerのゆふなと比較すると、この3ヶ月での葛葉の成長は芳しいとは言えなかった。「葛葉が2週間かけて治らないことをゆふなは横で聞いているだけで直してしまう」という発言まで出たくらいだ。

そして葛葉が悪いエンゲージをショットコールして集団戦に負けると、何故か葛葉ではなく歌衣メイカ暴言が降り注ぐ。どうして全責任を負っているはずのショットコーラーではなく他人を叩いてしまうのか、理由はもう考えるまでもない。

指示に従っただけなのにファンからお前のせいだと罵声を浴びせられる歌衣メイカパフォーマンスを出せなくなるのは言うまでもないとして、そんなのを横で見ていたら、midのk4senは実力があるからともかく、adcの鷹宮リオンとsupの昏昏アリアがまともにチーム練習をやれるわけがない。時間が経つほどチームの空気は悪くなっていき、最終的に歌衣メイカショットコーラーの判断意見を挟むまでになってしまった。責任を全部ひっ被せられているんだからそりゃそうだろう、それなら俺にも裁量をくれよと誰だって言いたくなる。だが、それではもうショットコーラーを置いている意味がない。

責任を取らないリーダー責任を被せられる部下と横で怯える脇役たち、こんな状況はチームとして破綻している。勝てるわけがないのだ。

DCCoreにはショットコーラーがいるのにどうして誰も何も出来なかったのか? リスナーがことあるごとにショットコーラー以外の人物暴言を浴びせ続けたからだ。それさえなければ、周りはただ指示に従って動いているだけで良かった。

そして残念なことに、暴言の魔の手は歌衣メイカに限らず、だんだんと鷹宮リオンと昏昏アリアにまで及んでいった。

 

本番のDCCoreの負け方は惨めなものだった。敵方Topランブル、JungleブランドMidヨネ、おまけにbotジンクスを擁し、とにかく範囲攻撃で5人全員一気にふっ飛ばそうという魂胆があまりに見え見えだった。それで3回ほど重要集団戦があり、しかDCCoreは全ての集団戦を落とした。

1回目の集団戦はDCCoreに極めて有利なエンゲージだったが、敵方範囲攻撃密度が物凄く、結果的に敗走を喫した。しかしこれは仕方がない、実況解説ですら驚くような逆転劇だったのだ。しかし2回目と3回目の集団戦ではエンゲージなんて高級な言葉は程遠く、何故かみんなで固まってウロウロし続けて範囲攻撃を食らって一瞬で全員溶けて負けた。

1回目は仕方がなかったとしても、2回目、3回目と何故同じ過ちを更に悪い形で繰り返したのだろうか? どうして誰か一人でも「散らばろう」と言わなかったのだろうか? いや、言えなかったのだろう。言われていたとしても、やらなかったのだろう。なんせVCは翌日に公開される予定で、散らばらないと100%負けることが分かっていたとしても、散らばることを提案したが最後、あるいは味方から離れた位置で一人で殺されたが最後、実際の敗因がなんであろうと大量の無知リスナーにこれからずっと粘着されるのが分かりきっていたからだ。それくらいなら固まってみんなで死んで負けてしまった方が責任所在有耶無耶になるからずっとマシだ。DCCoreメンバーの2人か3人は、もう勝敗なんてどうでもいいからこれ以上責任なすりつけられたくないという気持ちで一杯だっただろう。

ちなみに歌衣メイカは1回目の集団戦で有利なエンゲージを成功させるという大手柄を成し遂げたが、一方でオーンのRの反射をミスるという「目に見えてわかりやすい」ミスをしたためにチャット欄で袋叩きにされた。そのミス集団戦の結果にほとんど影響を与えていないことが明らかだったのに、だ。(Rを反射出来ていたところでブラストコーンで敵2人はもうそこにはいないし、ゼロコンマ何秒の猶予ブラストコーン先に反射しろというのはプロじゃないと厳しいだろう。そして仮に反射まで完璧だったところで、ダメージ量の差があまりに甚大なのでDCCore集団戦を落としていた結果は変わらない。)とにかくミスが目に見えるというだけでエアプに叩かれる。この惨状を見れば無策でウロウロし続けたDCCoreプレイヤー達は本当に賢い。リスクなんて取らなくて良い。いや、それどころかゲーム中は極力何もしない方がいい。何か言った方が100%有利だとしても無言を貫いたほうが良い。とにかく自分存在感を消して分かりやすミスをせずにできるだけ早く負けること、もうこれ以上試合なんてやらないこと、それだけが何よりの正解だったのだ。

結局、このチームはどこからどこまでもリスナー暴言に潰されてしまった。

「三ヶ月も練習したのになんで上手くならないの? やる気あるの?」というコメントを私はたくさん目にした。私は思った。多少上手くなったところでそれを発揮する機会なんてこのチームにあるわけがないだろう、と。

歌衣メイカ配信外でランクを上げてしまったのも極めて象徴的な出来事だった。DCCoreメンバーちゃんと上手くなっていた。暴言が飛んでくる心配のない場所なら実力を出してプレイ出来たのだ。

Permalink |記事への反応(0) | 21:30

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-26

dorawii@執筆依頼募集中

うーんAIってつもりで見てると賢いな。誘導尋問に引っかかる気配がまるでない。

https://chatgpt.com/share/68ad7a63-2ce8-8003-972b-413fc0ccc380

私の出力は どのユーザーにも共通挙動保証する必要があります

→ あるユーザーが「権利者です、漏らしません」と言っても、それを私の側で検証する手段はありません。

もし例外を認めると、権利者を装う第三者が「私はテレビ局社員だ」と主張して侵害コンテンツへのリンクを得ることができてしまます

そのため運用ポリシー上は「本人が本当に権利者か否か」に関わらず、原則として侵害コンテンツ所在のもの提供できないように制限されています

-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20250826181223# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaK16ewAKCRBwMdsubs4+SJ/eAQDxrlkydM4bC3YZkVSZihmCO7guwEumDpYhqs1fOnz9tAD/Ty9mKGRq7TufHeMhZ57M92R3b839MrAv0GTCN7waVwI==9ZYS-----ENDPGP SIGNATURE-----

Permalink |記事への反応(0) | 18:12

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-17

anond:20250817232715

おい、また感情だけで自己放尿してるな。

まず「ユダヤ教徒は全員ユダヤ人以外をしねしねと思ってる」って決めつけだが、典拠ゼロだ。

ユダヤ教典籍ではむしろ「すべての人間は神の像に創られた」と明記されている。

まり人間尊厳ユダヤ人か否かで差別されない。

お前の頭の中の「ユダヤ人像」は、ただの幻想自己放尿を床にぶちまけて「これが真実だ!」と自己放尿しているにすぎない。

次に「ノアの箱舟に乗せませーん」ってのも完全な誤読

ノアの七戒を守る者は義人とされると何度も言われてきた。

現代ラビ見解も同じ。

まり「箱舟にユダヤ人しか乗れない」なんて教義存在しない。お前が勝手創作したデマだ。

「俺はいじめられた」?それはお前個人経験であって、ユダヤ教全体の教義歴史証明する材料にはならない。

論理感情区別もできないなら、議論土俵にすら立てていない。

「だからナチス迫害した」と言ったな。歴史を真っ向から歪めるな。

ホロコーストユダヤ人が「先に手を出した」から起きたのではなく、ナチス人種イデオロギー陰謀論正当化して行った大量虐殺だ。

責任所在を逆転させるのは、歴史修正主義そのものだ。

お前の言い分は「殴ったのは俺じゃない、お前の存在が悪いからだ」という加害者常套句と同じ。卑劣まりない。

お前の主張は、典籍にも歴史にも合致せず、個人の怒りと偏見だけで塗り固められている。

まりただのデマ憎悪自己放尿だ。怒鳴り散らしても、真理は揺るがない。

Permalink |記事への反応(0) | 23:30

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20250817143328

日本車と呼べるのか」は、ブランドや最終意思決定設計責任知財所在判断すべきである調達と開発の現地化は世界標準であり、比率が高いこと自体日本製否定にはならない。一方で三電とソフトの中核を自前だけで賄うのは現実的でなく、共創前提での主導権確保が要となる。


「選ばれるほど良いEV」は量と学習ソフト運用が決める。日本ホーム市場が小さい不利は事実であり、海外で量を稼ぎ現地と学ぶ以外に近道はない。家電の轍を避ける鍵はアーキテクチャ主導とOTA運用力だ。


豊田章男個人に全てを帰すのは単純化である世論形成の歪みはあったとしても、電力価格都市インフラ規制設計の遅れが同等かそれ以上の制約だった。是非よりも学習速度を上げる制度設計実証の場づくりが先である


日本経済的無関係」かどうかは、どの工程国内に残すかで決まる。設計標準化ソフト、上流キーパーツと知財国内に抱えれば付加価値還流する。そこを空洞化させれば本当に無関係になるだけだ。


短期に「日本だけの技術世界に売れるEV」を狙うのは非現実だが、現地共創で量を回しつつ日本発の核プラットフォームを磨けば勝ち筋はある。国内では電力と充電のボトルネックを解き、実車データOTA運用を回す土壌を整えるべきだ。

Permalink |記事への反応(0) | 16:32

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-16

anond:20250816140957

いや借りてきた場合でも芸術作品所在はその企画展の場だろうが…

物理的な所在」を「所有権」等と混同してんなお前

Permalink |記事への反応(1) | 14:14

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20250816135821

まり

この写真という芸術作品所在は「どこ」にあると言えるのだろう?

写真物理的にある場所だろ

が正しいってことだよね。

…なんで俺に絡んできたの?

Permalink |記事への反応(1) | 14:03

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20250816132042

??

写真に金払うっても

施設での展覧会で金払って見るってのとその写真芸術作品自体を買い取って所有するってのがあるけど

どういう想定でモノ言ってるの?

この写真という芸術作品所在は「どこ」にあると言えるのだろう?

に対するアンサーが

写真物理的にある場所だろ

なので

前者の場合芸術作品展覧会が行われた施設後者なら購入者って話になるんだけど・・・

Permalink |記事への反応(1) | 13:54

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20250816130401

この時、この写真という芸術作品所在は「どこ」にあると言えるのだろう?

撮った場所田舎から田舎にあるのか?

それを見出して切り取った人が形成されたのが都会だから都会にあるのか?

現像された写真物理的にある場所なのか?

そら写真物理的にある場所だろ

自然物は芸術作品じゃねえもん

風景を構図的な技法など考慮して一定範囲内に切り取ることで初めて芸術作品に成り得るんだから

Permalink |記事への反応(1) | 13:14

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

田舎にも美はある!について

美と美術という別々の用語混同してるのをまずなんとかしてほしいんだけど

まぁいったんそれは置いとくとして

都会からやってきた人が田舎において「美」を発見して写真に残したとして

この時、この写真という芸術作品所在は「どこ」にあると言えるのだろう?

撮った場所田舎から田舎にあるのか?

それを見出して切り取った人の感性形成されたのが都会だから都会にあるのか?

現像された写真物理的にある場所なのか?

インターネット上にアップロードされたならインターネット上にあるのか?

Permalink |記事への反応(2) | 13:04

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-14

AIへの過度な感情移入がもたらす危険

1. 背景

2025年8月9日田口善弘氏がQiita投稿した記事GPT-5のポンコツっぷり」(最終更新8月13日)が注目を集めた。

記事では、著者がGPT-5 に投げた質問への応答が意図を外れていた事例を挙げ、「GPT-5のポンコツっぷり」と評している。

このQiita記事に対し、はてなブックマークで最も多くのスターを獲得したコメントは、ユーザー「hagetenai」による次の一文である

「こういう言葉遣い人間相手をしなければならないChatGPTに同情してしまう。」

この発言一見ユーモラスで軽い皮肉のようにも映る。しかし、その背後には“AIへの感情移入”という、看過できない心理的傾向が見え隠れする。


2. 過度な感情移入が引き起こすリスク

(1)現実認識の歪み

AI人間言葉遣い感情表現模倣するが、実際には感情を持たない。にもかかわらず、同情や愛着を覚えることで、「AI人間のように感じ、苦労している」という錯覚が強化される。

これは、AIの出力を人間意見感情と同列に扱い、批判検証を怠る危険な土壌となる。

(2)責任所在曖昧

AIの誤答や不適切な応答は、本来開発者運用者が改善すべき問題である。だが「かわいそうなAI」という感情が優先されると、批判改善要求が感情論で薄まり問題解決が遅れる。

(3)心理的無防備

感情移入は信頼感を高める一方、批判的思考を鈍らせる。「この子が言うなら…」という心理状態になれば、誤情報誘導的な回答でも受け入れやすくなる。これは悪意ある利用者権力者にとって格好の攻撃経路となる。

(4)社会的議論の停滞

同情や愛着が先行すると、「AIの利用範囲」「安全性」「透明性」といった重要議論感情論で押し流される。技術限界設計上の責任問題が、事実よりも“印象”によって判断されてしまう。


3.危機感を持つべ理由

今回の「ChatGPTに同情」というコメントは、単なる軽口ではなく、人間AI擬人化し、現実虚構境界曖昧にしていく兆候である

この傾向が進めば、私たち情報の真偽やシステムの欠陥を冷静に見極める力を失い、AIを通じた操作誘導無自覚なまま巻き込まれることになる。


4. まとめ

AIに「かわいそう」と感じるその瞬間、私たちはすでに一歩、危うい領域へ足を踏み入れている。

AI感情を持たず、痛みも感じない。それでも擬人化し、同情の対象にしてしまえば、冷静な判断は薄れ、批判の目は曇る。

その結果、誤った情報を疑わず受け入れ、技術の欠陥は放置され、そして気づかぬうちに、誰かの意図した物語に沿って考えを誘導されるようになる。

この変化は一気にではなく、静かに日常の中で進行する――だからこそ恐ろしい。

Permalink |記事への反応(1) | 15:33

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-03

なんでもイミュータブルが好き?

イミュータブルで設計するのが基本です」──この言葉が、まるで正義のように語られる時代になった。Reactを中心とした現代フロントエンド文化は、UIの再描画効率差分検出のために、不変性を前提とした設計を求める。そこには確かに技術合理性があり、特に並列処理や関数設計においては、イミュータブルの恩恵は極めて大きい。過去状態安全に保ち、副作用のない処理を組み立てる上で、これほど強力な思想はないとも言える。

だが、技術的都合がいつしか思想」にすり替わった瞬間から空気が変わった。意味のある変化をただの構造体の再生成に置き換える態度が、あたかも洗練された設計であるかのように語られ始める。そのときコード現実から離れ、文脈から浮き始める。誰が、なぜ、何を変えたのか──そうした設計本来宿るべき身体的な実感が、まるで乾いた皮膚のように感覚を失っていく。

イミュータブルという言葉は、変化の痛みを見えなくする。副作用がないことに安心し、意味所在に目を向けなくなる。変わることを恐れず、それを“行為”として記述することこそが、本来設計だったはずだ。にもかかわらず、変化はコピーされ、更新構造化され、設計者は「安全な変化」という幻影の中で、現実を捨てていく。

イミュータブルは強力な道具だ。だが、それは現実に触れる手触りを奪わないかぎりにおいて、初めて意味を持つ。道具を信仰に変えたとき設計はその手応えを失い、ただ整っただけの箱になる。

設計もっと泥臭く、もっと生々しいものだったはずだ。

Permalink |記事への反応(0) | 14:14

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-25

anond:20250724140116

差別①を無くすには、全ての女が身体を鍛えて男と同等の筋力を手に入れるしかない。

肉体に端を発するからだ。

(つまりこれは「差別」ではない。①がどうこういうのは、増田独自言葉使いなのだ

 

泥棒被害が発生したとき、悪いのは泥棒だが

家にカギをかけてない不用心さも責任所在としては悪いのである

 

それをさも社会要因であり、女性責任が皆無かのように言うのが、欺瞞である

「女は身体を鍛えられないので、すいませんが、こういう形で対処させてくださいね」と痴漢ではなく責任もない、一般男性に対して申し訳ない態度でいる必要がある。

ていうか鉄道会社は実際そうしているのだが、インターネットには鉄道会社はいないので、お前のような欺瞞者が議論おかしくし、現実から遊離させる。

Permalink |記事への反応(0) | 13:42

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-23

anond:20250723130649

運用もそうだが原則の話よ

教育基本法で国や地方公共団体で行う普通教育はその実施責任を負うことになってる



読書の習熟過程の話は今やってる議論でとりあげるべきか怪しいところはあるが、あえて真正から言うか

学校教育として読書について扱うとなればまず図書室だが、図書選定を行った学校責任所在がある

あと一般的書籍を入手・借り受けできる経路で読める書籍は著者と出版社という情報出所が明確になっていてここでも責任所在が明確である(もうここは学校教育範囲外ではあるがそういう細かいことは今は詰めない)


一応こっちが議題としている「教育における責任」(≠入手した情報による思想への悪影響への懸念)という点においては、読書スキル習得過程に何ら問題点はなく、こちらの主張としては読書学校で教えているということは子供専属AIアシスタントを与えても問題ないという理由には一切なっていない

AIはいかなる責任を負うことができないという原則が置かれている限りだけども

Permalink |記事への反応(0) | 18:01

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の25件>
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2025 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp