
はてなキーワード:戦隊モノとは
クウガ・アギト・W・オーズのレベルで語られる作品がまだ出せてないってどんだけしょーもないんだよ・・・。
ガヴもず~~~っとライダー見てるニチアサオタクが「今回のは面白かったね」と言ってるだけで、他の界隈で騒がれてる様子全くなし。
試しに1話と2話だけ見たけど、大人の体格してる奴が「お菓子美味し~~~コンビニ弁当も美味し~~~~」みたいなことやってるの見るのはしんどすぎた。
知るかバカうどんのパワー系みたいな言動の主人公とか無理でしょ。
前に「主人公たちは子供のまま時間を飛ばされたので内面が幼い」って設定の戦隊モノがあった気がするけど、アレでもここまでヤバイ人間じゃなかったと思う。
いやマジでさ、「身長180cmの小学生が主人公のギャグ漫画」みたいなノリの台本でライダーやるのはキモすぎるって。
男であれば「オパシティ派?オシリティ派?」の議論がよくあると思うが、俺は性に目覚めてから初志貫徹、完全にオパシティ派である。
俺にとっては選択肢にすらなっていなくて、完全にオパシティのよさしかわからない。オシリティにはロマンがない。
もっといえば、脚やらパンティに興奮するという気持ちが、正直なところ全くといっていいほどわからない。
しかし、ニュースや私人逮捕YouTuberを見ていると、世の中にはあまりにもスカート盗撮が多いように思う。
[Info]
スカート内を撮影して、その成果物(成果と言ってはいけないものである。)を見たとき、本当に彼は興奮しているのだろうか?
撮影するスリル。創作や文化によって作られた「スカートの中は男のロマン」に、ある意味では「男たるものこれに興奮するべき」という何かから得た情報自体に、興奮しているとは考えられないだろうか。
100%オパシティ派の俺は、どうにもそう思わざるを得ないのである。
かくいう自分自身、幼少期に、性欲なんてものについて当然自覚することもなく、そもそも存在すらしていないはずの"ファントム性欲"に振り回されたことがある。
アニメ作品の「かっこいい男」がそうしていたから。この行為をすれば、「悪い男」(~= かっこいい男)になれるから。
"スカートめくり"を企てたことがある。「パンツ見えた!」と声に出したことだってある。あれは一体何だったのだろうか。
[Warning]
絶対に間違えてほしくないのは、この文章の主張は「パンツに興奮する男は創作の被害者である」ではない。
盗撮などの罪を犯したのであればそれは100%その人が悪いし、それをアニメ作品などのせいにするなんてのは言語道断である。
幼少期は、「エロ」がわからなかったが「創作上の男のかっこよさ」に憧れる感覚があった。
どの作品の誰とは言わないが、かっこいい主人公は幼馴染や同級生のスカートをめくっていた。
もっといえば、「男としてかっこよくあろうとすることが、かっこいい」という価値観があった。"男の美学"である。
そういう世界観が(ひょっとすると今はないのかもしれないが、)俺がガキの頃にはあった。(平成初期の話である。)
そういった男のマネをしたまま、大人になってしまい、それが自分の感覚であると思い込んだままの人がいるのではないだろうか。
とはいえ「男性がスカート内に興奮するとしたら、それは入れ知恵のせいである」と主張するのは、さすがに非常に乱暴であるし、共感は得られないだろう。
俺がオパシティのことが大好きなのと同じように、根源的にオシリティ、スカーティやパンティが好きな人間がいるのは全く疑いようがない。
先に盗撮の話をしてしまったので、それに合わせてもっと踏み込むならば、そういった性癖と、犯罪を犯すかどうかは本当に全くといっていいほど関係がない。
では、「戦隊モノ」「電車」「野球」etc…が好きであることが"男の子","男性らしさ"として捉えられていることに、違和感がある人はいないだろうか?
俺は正直、いずれも全然好きじゃない。しかし、ガキの頃に「電車だ!」「仮面ライダー見る!」と、ハシャいだふりをして、親が喜んだ顔をするのが嬉しかったのをよく覚えている。
性癖の話でスタートした増田だが、書いてるうちに発散してしまった。
昨今、男という生物について色々と議論があり、なかなかこういった議論というか、あるあるネタとか、提言がインターネット上でできなくなっている気がする。
人格がどのように形成されたかは、大人になってみれば後付であり、人のせいにするための被害者アピールであることが多くなりがちである。
今生きているのは自分で、「こういう社会で」「こういう家庭で」「こういう文化で」生きてきたことは、今の自分を変えない言い訳にしやすい。
しかしそのままではどうしようもないので、もしそれを自覚しているのであれば一歩踏み出すことを推奨する。
今一度、本当に自分が根源的には何が好きなのか、考え直してみてほしい。
35歳になって愛着障害を知り「自分もこれじゃ?」と自己判断をして過去に向き合う時間が増えた。
過去と向き合う前は「そんなに辛い環境ではなかった」「もっと辛い人もいっぱいいるしな」と思っていた。
でも、腰を据えて向き合ってみたら本当に当時の自分は辛かったんだなと、よく頑張ったなと思うようになった。
そして、よくよく家族での楽しかった思い出、嬉しかった思い出を思い返してみたら3つしかなかった。
ゲームをしない父親がスーファミのファミスタは付き合ってくれたこと。小1とか。
両親が離婚して突然家からいなくなった母親が、自分の学校帰りに会いに来て「一緒に来ないか」と言ってくれたこと。小3。
実際にはもっとあったとは思う。
でも思い出せない。
小3~大学生までの自分が家族の誰かと笑い合ってる姿が想像できない。
みんなはどうなんだろうか。
スターライトナイトのテーマ曲完全版がYouTubeに来てるw
スターライトナイトってのはゼンゼロの作中で放送されてるらしき特撮戦隊モノ番組ね
いつもログイン画面でちょろっと聞こえてたメロディに大幅に肉付けしてきたな
はいはいエイプリルフールね、圧倒的な素材不足で草、と流してたら
これ曲はガチでいいな!
メロは昔の歌謡曲感だしてんねーって感じだけだが
サビ前からサビにかけてクソカッコいい本気の仕上がりじゃないか
歌ってる人はハセガワダイスケさん
オタク的にはジョジョアニメ第5部黄金の風OP「裏切り者のレクイエム」を思い出す人が多そうだ
続き
Season1から見てる。前にも書いたけどキン肉マンを見るのは昭和のキン肉マン以来だったので全部は知らないのだけれど、
ちゃんとキン肉マンしてる感じが出ていて、いいなと思いました(小並感)
双方意識はしているがツンデレでいがみ合い、他にも主人公に好意を持った女子もおり、ハーレム状態よくある話。
金持ちが用意するダブルベッドにしては小さい気がする。いろいろと余裕が欲しいでしょ。
素直に1000円! まとめて1000円!
追記:朱音のツンデレ具合が面倒くさすぎて陽鞠ともっとバトって欲しかった
タイトルとキービジュアルを見てアニメーターお仕事アニメを想像していた人も多いかと。
ハマグリ弁当にあたって異世界へ飛んだ天才アニメ監督がピンチな状況をまるっと描きかえ修正してしまう。
毎回「あれ、どこかで見たような」有名アニメ演出を用いて全修してしまうところがアニメファンの心をくすぐる。
追記:この世界に存在しないものまで描く力で生み出し、世界を救い出してしまう。勇者まで作ってしまうことも。
圧倒的脅威もなんだかんだで愛の力をプラスして乗り越えた。これはもう魔法陣グルグルだ。
生と死のはざまのセカイ、といえば誰ソ彼ホテルと被るか。ちょっとデフォルメされたキャラクタと成り、闘技場で戦ったりする。
戦いには特殊な装備をつけたりして、また修行シーンなんかはメガロボクスを思い出す感じ。
登場人物の生前の記憶が実写映像で途中で挟み込まれるのが特徴的。
中国アニメではこういう演出をたまに見るが、もしかしてここが日本人には好き嫌いが分かれるかもしれない。
bilibiliなアニメは個人的に苦手なの多いけれど、これ結構好きかも。
追記:ストーリーとバトルもよかった。この人、人の精神面書くの好きね。また続きが見たい
神のお告げで運命の人が100人いるらしく、最終的には100人と同時に付き合いそうな、
イナバ物置もビックリハーレム生活かよってなぶっとんだラブコメ。
実は1期はいろいろ時間の都合で見てないのだけれど、2期見たら面白いので見てます。
6話の野球回は最高に泣いて笑った。どういうことだ!
タイトル通り。1話では転生前の戦隊の活躍が描かれているが、ホント戦隊モノのそれ。解像度が高い。
しかもレッド以外の声優は実際に戦隊ヒーロー経験者が声をあてている、これはうれしい。
異世界転移後は魔導士イドラと共に冒険するのだが、レッドとイドラ達のカルチャーギャップを見るのが面白い。
「なんで変身後とか、いちいち爆発するの」それは視聴者にも分からん。
6話での"絆創合体"は迷言になりそう
転生したらベヒーモスになった。捕食能力もあり、戦ったモンスターの能力を習得することもできる、ぶっちゃけ強い。
幼生の時はまるで猫みたいなかわいらしい姿で、偶然出会った(スタイルのいい)エルフにペットのように可愛がられる。
本当のタイトルは『Sランクモンスターの《ベヒーモス》だけど、猫と間違われてエルフ娘の騎士として暮らしてます』
長い。放送局のEPGは「ベヒ猫」だったり「Sランクモンスターの《ベヒーモス》だけど、猫と間違われて」だったりする。
伝説の殺し屋が家庭を持って平和な日常を過ごしている。が、それを許さない組織が刺客を送り込んでくる。
愛する家族を守り、穏やかな暮らしを続けつつ、降りかかる火の粉をはらっていくお話。
正直ジャンプでは読んでない漫画ですが、アニメで見てる感じです。
やっぱりこういうアクション系はアニメでしっかり描かれると魅力が増すね。
追記:基本ギャグアニメって認識でいいのかな。ギャグとギャグじゃないのが中途半端というか、もっとメリハリあるとよかったんだけど。
続きあると思うけどもういいかな
奈落に落ちて絶体絶命だと想ったら世界樹と大賢者に助けられ、すごいトントン拍子で強くなる話。
追記:ボーッと見てて気がついたら女性キャラが7人に増えてた。もういいかな
魔法に憧れてた男性が死後、異世界転生した先で魔法の研究を始める。
いきなり凄い魔法が使えるわけではなく、愚直に魔法が使えるよう努力するのがいい。
周りのキャラクタも魅力的よね。あと両親が協力的なのがいい。歳を取ると家族愛の(略
追記:怠惰病の話長かったなーというのが見終わってからの感想。でも面白かったので続きあったら見ます
ラブコメもいいけど、だんだん家族になっていく感じに弱いので。好きです。
追記:白日ちゃんに幸あれ。最後24話では妃教育でもよくある「デン!」って効果音が流れる。なにこれ流行ってんの?
OPのダンスが謎だと少し話題のアニメ。多分、ラッキースケベを楽しむアニメだと思う。
私には主人公とヒロインに魅力を感じないめずらしい作品。心頭滅却しながら見てます。
お弁当を持って異世界に行ったり、異世界エルフをお持ち帰りしたり。
仕事はいつも定時で帰ったり、平の会社人っぽいのに広い家に住めてるし、
大きな車まで持ってるし、どっちも異世界か?
異世界の話が面白いわけではないんだけれど、現代に来ての彼女の反応が面白い、
共感が持てる、聖地が協力してくれて(?)本物を見せてくれてる、
っていうか十分に弘前城とかこっちの世界を紹介するのに力いれてんだよなぁ
顔が見えると感情移入しにくいというならば、中の人は作中で一度も顔を見せてはいけないはずだが、ヒーローが顔を隠すのは戦うときだけなので、それはちょっと変な理屈だと思う。
顔が見えていても男児も十分にヒーローと自分を同一視できているだろう。
むしろ某男性エロ漫画批評家は、エロ漫画を読む時に男性読者が自分と同一視しているのは女性の登場人物であると言い切っていた。
プリキュアが好きな大きいお友達も性別問わずプリキュアなのではあるまいか?
一見性的な欲求に見えるものがその実同一視を伴う憧憬ではないと言い切れるだろうか?
その前ではコスチュームが甲冑だろうとドレスだろうと、もっと言えばキャラクターの性別さえも、そんなことは瑣末な違いでしかないのである。
ただそこに、好きな作品がある。
それだけなのだ。
体張ってる演技だよね?
時々本気が入るって言われても、大半が演技なのに、何が面白いのか分からない
あれか、戦隊モノやプリキュアの着ぐるみショーを見に行く感じなのかな?
AV女優が役割を演じ、あたかも本気でイってるように「見せている」んだけど、それも踏まえた上で、ファンタジーとして楽しんでるのかな
ヤラセだとか脚本がある程度あるとか言ったら怒られるし、もうなんなんって思う
AVはピュアな人しか見れなくて、自分みたいな冷めた人はお断りなんだろうな
「嫌なら見るな」だから見ないけど、あたかもガチSEXやってますみたいな嘘は良くないと思うんだよな
「AVはエンタメとして演技してます」とはっきり言うべきなのでは?
ガチバトルじゃなくて、演技だよね?
体張ってる演技だよね?
時々本気が入るって言われても、大半が演技なのに、何が面白いのか分からない
あれか、戦隊モノやプリキュアの着ぐるみショーを見に行く感じなのかな?
プロレスラーが役割を演じ、あたかも本気で戦ってるように「見せている」んだけど、それも踏まえた上で、ファンタジーとして楽しんでるのかな
ヤラセだとか脚本がある程度あるとか言ったら怒られるし、もうなんなんって思う
プロレスはピュアな人しか見れなくて、自分みたいな冷めた人はお断りなんだろうな
「嫌なら見るな」だから見ないけど、あたかもガチバトルやってますみたいな嘘は良くないと思うんだよな
その昔、海老名に住んでいた頃を思い出した。
ダイクマでファミコンのソフトを買ってもらい嬉しかった。ポトラッチで洋画のビデオや邦楽のCDを借りた。
厚木ナイロンの近くのドブで釣りをして、水道みちの水たまりでザリガニを取りった。
ちかくのキャベツ畑には、理科で使う青虫を同じ班の子たちと取りに行った。
ニチイには、いつもアドバルーンがあがり、ひようたんやまの近くの崖からはそれがよく見えた。ピープルというスイミングに通い、ワーナー・マイカルはまだなく、スケートリンクだった。寒い中、自販機のカップラーメンを食べる大人がうらやましかった。映画館は厚木に行かないとなかった。
初めて食べたハンバーガーは、ニチイのロッテリアだった。反対側のステージには、戦隊モノの催しがきていた。
杉久保へむかうトンネルは未開通で、駅前に行くには細いクネクネ道を通り、歩くにはしんどかった。やがてバスが開通して、駅前には行きやすくなった。トンネルには右翼の張り紙がたくさん張られていた。
相模線はディーゼルで車両にはトイレがついていた。便器は覗くと地面見える、垂れ流しのトイレだった。踏切でうんこをしたら車が踏むのではないかと心配した。
市立図書館は夏休みによく通い、最上階のプラネタリウムを何度もみた。なぜか担任の先生がそこにいたこともあった。文化会館ではドラえもんや、ジブリの上映があった。
学校の校庭には焼却炉があり、掃除の時間にはごみを持っていって燃やしてもらった。教室には灯油のストーブがあり、先生がマッチで火をつけていた。煙突に給食のストローを溶かして遊んで怒られた。夏休みに、学校へいったらプレハブの校舎が空いていたので、中に入っていたら警備員がやってきて、翌日先生からこっひどく怒られた。鍵をかけない先生がいけないのにと思った。
自販機やコンビニなんてものは近所にはなく、酒屋がビールと灯油を家まで運んでくれていた。ペットボトルをなく、ジュースといえば、瓶のバャリースオレンジだった。なぜ「ャ」が小文字なのか分からなかった。
駄菓子屋はなかったが、個人商店に行けば体に悪そうなオヤツがいろいろ売っていた。キョンシーのお札のガムがお気に入りだった。
海老名駅は自動改札なんてものはなく、駅員がパチパチ切符を切っていた。駅前にはテキ屋があり店主は知り合いの親だときいていたが、当時はなんとも思わなかった。
若い頃洋楽好きとして生きていた身からするとB`zが昔ダサかったというのは若干?となる。
確かに小室サウンドやビーイング系ってダサいなというイメージはあったけど、B`zに関してはそもそもの楽曲クオリティが高くやや異質だった。
デビュー当初こそ肩の張ったスーツで、サウンドもギターはあんまりフューチャーされてなくてユーロビート風なアレンジだったが、稲葉の歌唱法や楽曲のセンスなどはいかにも洋楽的でもあった。
またこの時期はまだ90年代で、B`zの第一期という感じがする。
そんな中、自分がハッキリとB`zを格が違うと感じたのはウルトラソウルを聞いたときだった。
最初聞いた時はこれはもう戦隊モノの主題歌じゃないかと思ったんだけど、それは悪い意味ではなくてとにかくインパクトがすごすぎて驚愕したのを覚えてる。
ウールトラッソウル!ハイッ!に関してはもう日本人なら誰でも気持ちよくなってしまう琴線に触れる要素にあふれていて、B`zここに極まれしという感動すらあった。
ちなみに自分が最もB`zがダサいと思ったのは稲葉が短パンを履き出した時期で、いやあまりにもガンズに影響受けすぎだろと引いたのを記憶してる。
B`zもそんな感じだし、あの頃のムードというのは洋楽好きといっても日本のミュージシャンに興味がまったくないというほど分断していなかったと思う。
それは小室サウンド主流の時代ではあったけど、同時にバンドブームの生き残りが幅を効かせていた時代でもあり、
奥田民生、ミスチル、ジュディマリから開放されたYUKIなど彼らは売れに売れていて、洋楽好きにもリーチしまくっていた。
特に奥田民生はソロになってからパフィーのプロデュースなんかもしてたし時代を一番うまく捉えてたのかもしれない。
お前は洋楽好きといってもどうせあんま聞いてなかったんだろと言われるかもしれないが、
自分自身はグランジ~ブリットポップ系などバンド系からそのルーツを辿っていくような聞き方をしていて
自身でもバンドやったりもしてたし完全に洋楽志向、カラオケにみんなで行っても誰も歌う歌がないよね、みたいな感じだった。
強いて言えば洋楽的でありながら、はっぴいえんど的日本語ロックの系譜を継ぐサニーデイ・サービスあたりの下北・高円寺サウンドは受け入れやすい空気はあった。
そんな中である意味扱いが難しいというか、割と賛否分かれる形に一番なりやすかったのがフリッパーズ・ギター解散後のオザケンと小山田だったかもしれない。
フリッパーズは渋谷系と呼ばれることになる、洋楽の割とディープなとこからの要素が詰まりまくっており、しかも汗を感じさせないポップさで女子のハートを掴みまくっていた。
あっという間に解散したがオザケンはその後筒美京平など日本の歌謡曲、日本語詞への傾倒などもあって名曲をいくつも残すことにはなるんだけど、同時にその尖り方が尋常ではないのでフリッパーズの流れで聞いていた層には置いてきぼり感もあった気がする。
一方で小山田は洋楽志向がそのまま延長されていって、海外への活動にシフトしていったりしてどちらかというとこちらのほうが洋楽好き勢には馴染みやすかった。
この二人の方向性の違いはある意味で当時のメジャー音楽の時代感を表してるなあと思わなくもない。
00年代で忘れてはいけないのは宇多田ヒカルなんだけど、デビュー当初はモロにR&Bなサウンドであったこともあって洋楽好きとしては「新しさ」を感じる部分はそこまでなかった気がする。
またテレビなどで天才少女みたいな扱いで紹介されてる事も多くて、とにかくヘビロテされまくっていたので正直、ゴリ押し感も感じていた。
ただ曲の良さや独特なボーカルスタイルが際立っていたのは間違いない。
あまりにも洋楽的(今思えば歌詞はものすごく日本歌謡的なんだけど)なサウンドのせいか、むしろ洋楽好きが聞く日本のミュージシャンとしての割り切りにくさみたいなのもあった。
つまりビーイング系、小室サウンド好きな層にはより本格的な洋楽っぽいアーティストとしてアプローチできた一方で
自分には上辺の洋楽感を取り入れたJ-POPという見え方をしてしまっていて、なにが新しいのかよくわからなかった。(歌い方だけはなんか面白いなと思っていた)
ただ当時はユーロビート的な虚無感のある縦ノリが主流だったので、こういう横乗りな音楽が流行るのは嬉しいなとは思った記憶がある。
個人的に宇多田ヒカルのアーティストとしての唯一無二感を感じ始めたのはtravelingや光あたりでようやくといった感じ。
この辺は洋楽好きとしての偏見が目を曇らせていたんだなと感じたりもするので分断といえばそうも言えなくないか。
あとaikoも洋楽好きにも刺さったアーティストとして忘れてはいけない。楽曲のセンスがある意味宇多田ヒカルよりぐっとディープでもあり、かつ日本語詞が歌謡曲的でちょっと天才的だなと当時思った記憶がある。
椎名林檎はどうかというと、個人的には当時は一番毛嫌いしていた。なんていうかバンド好きの女の子が手当たり次第に洋楽を食い散らかしてますみたいな印象が強くて受け付けなかったのだ。
何年もしてから友達からもっぺんよく聞いてみろと言われて聞いてみたらめっちゃ良かったので、これも洋楽好きの悪いところが思い切り出てしまったパターンだと思う。
今となっては宇多田ヒカル、aiko、椎名林檎の中で一番聞いた回数は東京事変も含めれば椎名林檎が圧倒的に多い。
そんな感じで小室サウンドに代表されるJ-POP、アイドル系とは違った文脈で(もっと書こうと思えばサブカル系の流れもあるんだけど)