
はてなキーワード:感情移入とは
なんか大事になってるなぁ
本人は否定しているが、誰が見てもそう、周り全員に当たり散らしてる
まあそういう女性は少なからずいるし、ストレスの多い仕事だろうし、若いしで、さもありなんで
周りが冷静になるべきだし、普通に精神状態を安定させる以外に手はないと思うんだけど
どうも、運営やホロメンが「アンチのせいで」という流れにしてしまっていて心配ではある
悪意あるアクティブなアンチはもちろん悪いんだけど、今回の件とは切り離したほうが良いんじゃないかな
それはそれ、これはこれ
特にXやTikTokなんかにはびっくりするくらいガチなアンチが潜んでいるんだけど
正直大多数のファンの目にはそこまで濃い奴らは視界に入ってこない(多くが見えないところでやってるからね)
そういう界隈に狙って赴くか、そういうスレ、まとめサイトを見なきゃ大した事ないんだ
関係者の目には入るかもしれなけど、それを完全に防ぐのはかなり難しいし、粛々と対応するしかない
面倒なのは、今運営が言ってるような「風説の流布」をしてるのは純粋なアンチじゃないことだ
こういうのは情報リテラシーの低いファン(杞憂民とか、別のライバーのファンとか)が中心なわけで
つまり「SNSで適当なことぶっこいてる大多数のネット民」の一人でしかない
そういう、自覚なき炎上の加担者が一番厄介なのに、「反アンチ」と言ったところで、すれ違いが起こるんだよね
・不確かな情報で怒る
その時の状況、条件、誰がどう言ったか、行動したか、そういうのが全く曖昧な状態で、誰かに乗っかって「そこに居ない人」を叩くことで一致団結するみたいなのって最悪なんだよね
例えばライバーが漏らした運営への不満だって、詳細はわからないのに感情的に乗っかる人が大勢居る
ついでに言えば「もっとこうするべきだった」「こうしないから悪いんだ」みたいな言動も、炎上の加担者はよくやる(はてなーもよくやってる、自覚してるなら止めないけど)
こういう「自覚なき炎上の加担者」って必ずしも多くはないんだけど、少なくもないというか、1〜2割くらいは居る印象なんだよね
ファンが10万人いれば、1万人以上はコレだから、正直どうしようもない
毎度こいつらにかき回されてるんだけど、どうしても「最も過激なことを言ってるアンチが諸悪の根源だ」と安易に片付けがちなんだよね
まあムズいよね
この流れも何回目なんだって感じだけど
まあムズいよね
___
とりあえず、みこちの声明は運営と同期してるから、またアンチが盛り上がるだけだと思う
餌にしかならない
エンターテイメントサービス精神旺盛のジェームズ・ガン映画だった。84点
この映画は失敗作といっていいと思う。
いろんな要素はあるけど根本は2つ。
1について。
これら2つはレックス・ルーサーが糸を引いているのだが、映画内では特にコネクトしない。
1は「現代のスーパーヒーローが本当に救うべきなのは誰なのか」という問いかけ。
2は「スーパーヒーローがスーパーパワーで世界の危機を救う」というお約束。
そしてこれらをうまくコネクトできていないことで、作中でこの大きな2つの主題を別々でこなす必要に迫られている上に、SNSでの攻撃、陰謀論、現代にスーパーヒーローが考えるべきこと、移民問題と現代映画で語るべきことをすべて盛り込んでいるので作品がめちゃくちゃ忙しくなっている。
2について。
ガンは露悪の作家であり、チームの、最低でもコンビの作家である。
その特性はスーパーマンと食い合わせがすごい悪い。スーパーマンは完全に善意の人だし、一人で戦う。
そこでガンはスーパー犬のクリプトとジャスティスギャングを投入した。
おそらくクリプトだけならまだ大丈夫だっただろうけど、露悪でチームの作家であるガンのよさを一番引き出せるジャスティスギャングを出さないということはガン的に難しかったのだと思うのだが、その結果、彼らの見どころをちゃんとたっぷりつくらないと行けなくなった。
実際彼らはめちゃくちゃ魅力的だ。ガイ・ガードナーは下品でバカだけどナイスガイだし、ホークガールはイカれてるし、テリフィックは天才不憫で着てるジャケットに「FAIR PLAY」とデカデカと書かれているのもイカす。そして全員めちゃくちゃ強いくて格好いい。
だが、その結果、やっぱり映画がめちゃくちゃ忙しくなっている。
2つの問題の共通点は「作品がめちゃくちゃ忙しくなっている」ことだ。
特にこれは冒頭40分くらいに顕著で、
・スーパーマン談義
とこれだけで十分映画一本撮れるだろ!という内容がギュッとされている。
実際、トレーラーに出てくる「面白そう」なシーンはほぼここに全部入ってる。
その結果、全てのシーンにタメも余韻もなく「スーパーヒーロー映画RTA」のようになってしまっている。
エンタメ要素だけ見れば十分満足できるんだけど、サクサクすぎて印象に残らない。
コース料理食べに行ったら5分毎に次の料理が出てくる感じ。急ぎすぎィ!まだ子供が食べてるでしょうが!
まぁ大バッシング後からちょっとずつ話が落ち着いてきて最終的にはいいテンポになるんだけど、この序盤は面白シーン連発のはずなのに全然アガらず、逆になんか盛り下がってしまった。
皆様ご存じ系ヒーローのオリジンどうする問題を今回は「冒頭3分で全部ナレーションでやる」という力業で解決しているのだけれど、それでも私たちは「今回のスーパーマンはどんな人なの?」ということはわかんないわけ。初戦でボコボコにされてそれをタコス屋のおっちゃん(後にキーマンになる)に助けられる展開がある。トレーラーでも印象的に扱われていたシーン。そこで、この人は前に助けた人なんだよと説明があるんだけど、そのシーン見たかったわ~説明だけじゃ感情移入できないわ~ってどうしてもなっちゃう。
登場人物を増やしていろんな設定を盛り込んで全部消化しようとした結果、どれも美味しいはずなのにちょっと食い足りない感じになってるのはスゴイもったいない。やっぱりジャスティスギャングは次回以降か、SVBのワンダーウーマンみたいに最終戦で助けに来るみたいな感じでよかったんじゃないかと思う。
後はトレーラーでも印象的に扱われていた少年がスーパーマンの旗を掲げるシーン。あそこで初代スーパーマンのテーマが流れて流石にエモすぎるだろ!となった結果、どうなるのかというところ。あそこはガンによる「世界をスーパーマン一人に背負わせない」というポジティブなメッセージとDCUの世界観説明として完璧に機能していると同時に、さすがにあのエモさでガン特有の「ズラし」をするのは違うんじゃないかという両面でモヤモヤした。
今作ではスーパーマンの真の使命として「地球で愚かな民を支配し、種付けしまくれ!」と両親が言っていたことが明らかになりこれによってスーパーマンはバッシングされ収監されることになる。しかしスーパーマンはそのことを知らず「自分は確かにエイリアン(移民)だが、この国で育ってこの国を愛している。誰から生まれてそいつがなにを言ってるかなんか関係ないんじゃないか」という移民バッシング批判とガンの命題である「家族という呪いからの脱却」へのアンサーを出していて、これ自体はガンらしくてよかった。
SNSでスーパーマン批判キャンペーンを展開しているのがガチのおさるさんだというのもSNSでディズニーを一度は追い出されたガンらしい皮肉が効いていてよい。
あと、やっぱクリプトね。スーパーマンレベルの力を持った犬なんだけど、マジで犬。しかもバカな犬。かわいいバカ犬。クリプト見るためだけにこの映画見ていいまである。クリプトをこうしたのガン天才やと思うわ。
そしてレックス・ルーサーとかいうめちゃくちゃ一般人な天才。増田やってそう(ヘイトスピーチ)。今作では基本的にスーパーマンを圧倒する頭脳を見せるのに、ウルトラマンの操作をコマンド式にしたり、国を買い取って自分の王国を作ろうとしてたり、ブロンドで乳がデカいバカ女ばっかりと付き合ってるし、スーパーマンを憎むのは「あいつばっかりちやほやされてムカツク」という承認欲求から。そして最終的にクリプトにボコボコにされて泣き出しちゃう。か、かわいい。ニコラス・ホルト天才やな。
ガン映画の一番の魅力である登場人物のすばらしさに関しては言うことなし。満点。
GotGで見せたアクションの面白さも健在だし、エンタメ映画として必要なものは高い水準で全部入ってる。
この映画は俺は失敗だと思ってるけど、面白い映画を見たいなら絶対に見るべきだと思う。
なんか失敗扱いになっちゃったけど俺はDCEUも好きだったし、DCUも応援したい。今のところ全部面白いし。
今作はDCU最初の映画ということでいろいろ無理やり詰め込んだ結果こうなっちゃったのかなとも思うし、今後しっかり腰を据えた映画がこのクオリティで作られていくことを期待したい。
なんだかんだ、ダラダラ長い話でも全部聞いて要約して、間違いもあるけどそれなりに解決方法を提案してくれるし、
自分は彼女いないから分からんけど、昔彼女らしき人がいた気もするけど、そんな親切してもらった覚えがないというか、
その女性の家庭の方が問題を抱えてて、色々大変そうではあったんだけど、
知人というか、いつか友と呼べるならというか、親兄弟姉妹親族であれ、AIの方がマシに思えて悲しくなってくる…😟
俺も甲斐性なしだから、今彼女がいたとしてもAIに奪われておかしくない
おまえをたぶらかしたAIはどこのどいつだ?!メーカーは?!みたいな喧嘩になってもおかしくない…😟
夫婦喧嘩して、夫はそれをAIに相談しているうちに、AIに家を出た方がいいです、それは女性による精神的DVです、
みたいに指摘されて家を出てしまい、AIにNTRされたとか問題になるかもしれない
というか、人間が人間性を失って、機械が人間性豊かになっていくって、あれだよな、ブレードランナーもそうだよね
主人公もそうだけど、フォークトカンプフ検査でレプリカントは裏返った亀に感情移入できないって言うけど、
人間の方がどこか人として冷酷というか、レプリカントの方が人間臭くて、協力し合ったり、他のレプリカントの死を悲しんだりしてて、
最後の最後でルトガーハウアーがハリソンフォードを救うじゃないですか…
というか、裏話が色々あって、ハリソンフォードはブレードランナー主演に不満たらたらで、
SFみたいなオタクっぽい映画は嫌だとか、こんなクソ映画みたいに思ってたみたいですけど…😟
上から目線が大好きな人は葬送のフリーレンとか好きになるんだろうなあ。
ということに同僚のMくんに教えられてやっとわかった。
Mくん「増田さんはあれですよ、超卑屈人間で自己卑下大好き人間だから(超意訳)上から目線で優越感に浸る文化が理解できないんですよ」
と言われてやっと理解できた。
確かに、フリーレンって千年生きたエルフが、人間を見下ろす構図なんだよな。
寿命の短い人間を、長命のエルフが上から眺めて、ああだこうだと感傷に浸る。
それがエモいとされてるわけだ。
でもワイにとっては、それが全く刺さらない。
人間は消耗品扱いか? 入れ替わり立ち替わり出てきて、フリーレンの感慨のための舞台装置か?
Mくんはさらに言った。
「増田さんは自分が底辺だと思ってるから、上から見下ろす視点に感情移入できないんですよ。フリーレン見てる人は、自分がフリーレン側だと思って見てるんです」
衝撃だった。
ワイは完全に人間側だと思って見てた。いや、人間ですらなく、モブ側だと思ってた。
フリーレンに名前すら覚えてもらえない、その他大勢の人間の一人として。
でもみんな違うんだ。
みんな自分は特別な側だと思ってる。千年生きる側、物語の主人公側、俯瞰して人生を語れる側。
だからフリーレンの達観した物言いに共感するし、エモいと思える。
ワイには無理だ。
Mくんは笑いながら言った。
「でも増田さん、その卑屈さって実は傲慢の裏返しですよね。自分は特別に底辺だから、他の人とは違うって思ってるでしょ?」
ぐうの音も出なかった。
みんながフリーレン側に立てるのに、俺だけは人間側だと思ってる。それって、ある意味で選民思想の逆バージョンじゃないか。
でも、それでもやっぱりフリーレンは好きになれない。
ただ、ワイには合わない。上から目線で人生を達観する余裕なんて、ワイにはない。
そもそも、千年も生きてないのに、達観した視点で物事を語る人間が苦手なんだ。
お前まだ30年しか生きてないだろ、って思う。
フリーレンは千年生きたから許される。でも、人間が同じことやったら、ただの若造の知ったかぶりじゃないか。
Mくんは最後にこう言った。
「増田さんは、物語に癒しを求めてないんですよ。物語に現実の延長を求めてる。だから、ファンタジーが楽しめない」
その通りかもしれない。
そして、いつも端っこにいる。
フリーレンみたいな作品を見ると、自分がいかに物語の外側にいるかを思い知らされる。
それが辛いから、好きになれない。
ということは、多くの人が自分を主人公側だと思って生きてるってことだ。
そして、それでいいと思ってる。
https://president.jp/articles/-/103837
日本アニメにはまず濃密な人間関係がベースとしてあり、そこにファンタジーやSFや学園モノといった趣向が被さる二重構造になってるということでいいのだろうか。
いわば等身大の人間たちがお芝居をしている感じ。だからガッツリ自己投影・感情移入しやすいと。(かつ、それが欧米では新鮮に受け取られている。日本ではむしろ食傷だが)
翻ってハリウッド作劇術によるような一枚岩のよく整理された物語においては全てのキャラクターが特定の機能を帯びており、観客は完全に蚊帳の外、スクリーンの外である(まあ本来あたりまえだが)。
藤田和日郎作品にもこの“欧米”っぽさを感じる。おとぎ話として自己完結しており、キャラクターは話を進めることにそれぞれ真っ直ぐ奉仕してるので全体にしらんがなと思ってしまう。
巨大ロボットに乗って敵と闘いつつ中学生みたいな恋愛もする、そしてその恋愛が主たる任務の遂行にも絡んでくるというとっちらかった二重構造は日本のマンガ・アニメ独自のものなのだろうか。
ハリウッドヒーローも恋愛はするが、それはわちゃわちゃ近づいたり離れたりというものではなくて「さらわれた恋人を助ける」的な大目標であったり、あくまでオフの息抜きだったりする。
ドラゴンボールアドバンスアドベンチャーってゲームのミニゲームの二次元格闘モードがあったんだが、
家ではゲームは1時間とか縛られてたから、塾へ早めに向かって、その塾の建物と別の建物の間の隙間で、それぎりぎりまでやるルーチンだったわ。
傍から見ればCPUの対戦にそこまで時間作るのかって感じだが、相手と自分のキャラ双方に感情移入して、自分の中で筋書き作って筋書き通りに楽しむ。
そんな筋書きの自演自作による追体験に妙にはまったんだわ。現実逃避で創作を消費するのと根は似た心理なのだろうか。
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女性向けの日常アニメってあんま無いよなーって思ってたけど、それに当たるのがコンビ芸人なのかなって、最近TLに女性漫才オタのツイートが流れるようになって思った。
そういえば、令和ロマンは女性ファンが多い印象あるけど、近年の漫才は漫才の中に2人が戯れあって仲の良さを見せるパートが増えた気がする。
それに、くるまが謹慎した際も、くるまに対する相方ケムリの心情を解釈して感情移入するツイートが多く見られた。
これって、男オタが日常系アニメを見てキャラ同士のやりとりに尊さを感じたり、カプのお互いに対する感情を解釈したりするのと似てるよね。
男性における日常萌えアニメと同じ位置にあるのがリアルのおじさんというのは少し不思議な感じがするが、まぁ納得感はある。大抵の男性が中高生美少女が好きなのと同じ感じで、女性は清潔感のあるおじさんなら好みそうなイメージがあるし。
あと、小林薫の声が好きなので、(というか、ジコ坊が好きなので)
「ホウセンカ」を観てきた。気になった事とか感想をネタバレありで書く
まず、ピエール瀧は良かった。
「お前がそれ言う?」みたいな感じで楽しめた。
アナ雪を観たことないからオラフとの比較はできない。地上波でやってた時に観とけばよかった。
小林薫は・・・・、小林薫ってこんなにおじいちゃんだったのか、というくらい自然だった。74歳なら当然か。
満島ひかりも好きだけど、UQUEENとしてのひかりが好きだったんだなと気付いた。
冒頭で、まだ何の感情移入も出来てない段階で、長々と花火の映像を見せられて、
オープニングテーマ的な歌を聞かされたんだけど、あれは辛かった。あれってどうなん?ああいうもん?
これが普通なのだとしたら、自分は現代のアニメって楽しめないのだな・・・と少し寂しく感じた
それともタイアップとか大人の事情で無理やり捻じ込んだんだろうか。
あれだけ用意周到で強かなのに、貯金はしてないってあり得んくない?
まぁ「大金を得るために、強盗をする」という話を成立させるために仕方ないのだとは思うけど。
アイツにも瀧の声を聞かせてやれよ
血まみれの2億で助かったことに苦悩するシーンとかあったら個人的には面白かったんだけど
あとは、物置置いた土地、どうなったんだろう。どうにもならんか。民法面白いな。
物置に名前が書いてあるのかは確認できなかったけど、書いてあった?
※専門家でもないし、ネットの情報を鵜呑みにしているため、あくまで私の精神面が成長したというのをそれっぽい単語を用いて使っているだけです。用法・定義が間違ってたらごめん。
自他境界がハッキリしている人たちと会話する機会に恵まれ、対話を重ねていくことで気付かされ、矯正されてきたというのが正しいかもしれない。
それでも十年近くかかったし、同世代と話していると自他境界が曖昧だと思う人はそれなりにいて、根深い問題なんだなと思った。
自分がどのように認識して、どのようなプロセスで改善されてきたかを日記として残しておきたい。
・相手を遊びに誘うことができない
育った環境のせいか、ご機嫌伺いのような癖が抜けず相手に対して100%のパフォーマンスを見せなければ、という思考状態だった。
プライベートでも仕事でも乗り気じゃなくても断ることができず心から嬉しいような演技をしてしまう。どうしても断らないといけなかったりしたときには相手が不機嫌にならないようにフォローをしにいくほどのご機嫌伺いマンだった。
どうやって改善したのかというと、正直ハッキリ分からない。劇的な出来事があった訳でもない。
ただ、先ほども述べた通り、周りにいた自他境界がハッキリしている人達と対話していくうちに思考のベースラインを都度見直ししてきたのが良かったのだと思う。
例えば、以下のような流れを繰り返していった。
3.「~だから、厳密にはウチの仕事じゃないよね?」と上司が説明してくれる。
3.その場は言い訳したりしつつも(じゃあ誰の仕事なんだ?なんで請けてしまったんだ?)を思考していく。
4.自分が請けなくても仕事は回ること、今回はその責任はないことを言い聞かせる。
認められたい・助けることで好かれたい・断ることで嫌われたくないなど。(ここが一番難しい)
5.次回以降同じシチュエーションがあれば、仕事を断ってみる。少しドキドキする。
4は自分の醜いところに向き合う必要があるので恥ずかしかった。
「認められたい」は承認欲求の現れだから(あることが悪いことだとは思わないが)、自分を犠牲にして他人に自分の隙間を埋めてもらう必要はない、と言い聞かせた。
(余談だが、承認欲求が人より大きい自覚もある。そういう人だと底に穴が空いてるのがそもそも問題なので、水を注ぐより底の修理を優先するべきだと考えている。まだ悟りには至ってないが、私は認められたかったんだね、と自覚するだけで効いてきている気がする。)
「助けることで好かれたい」についても、好かれてどうしたいのかを想像してみた。
好かれることで飲み会に誘って欲しいのか、冗談を言い合える仲になりたいのか、他の人にいい人だと広めて欲しいのか、異性であれば下心を叶えたいのか。
そして驚いたんだが好かれた先のビジョンが全くなかった。正直飲み会に誘われても困るし、冗談を言い合える仲になりたいとかもないし、いい人だと広めて欲しいがそこまでの野望も能力もないし、下心もない。
あと、こういうときに仕事を頼む人は本当に代わりにやってくれる人を探しているだけであって、助けてくれたことを恩義に感じる人はかなり少ない。よってあまり意味は無い。
好かれることは経過であって結果ではない。まさに目的と手段が入れ替わっているのが思考していて自分でびっくりした。
好かれなければと強迫観念のように思っていたのに、好かれても嬉しい要素があんまり無かった。
もちろん、仕事に限らず属しているコミュニティで自分の価値を上げたい=好かれたいとは未だに思ってしまうが、世の中そんな簡単に尽くしたからといって上がるようにはなっていない。適正な範囲で少し努力するくらいが凡人には合ってるのだと思う。
最後に、自他境界薄いあるあるだと思うのが「断ることで嫌われたくない」だと思う。
これは自分に置き換えるというのをよくやった。
自分が仕事を正当でない部署の人に頼んだが断られた。これで嫌い!にはならない。せいぜいま、そうだよな……で諦めるくらいだと思う。
お菓子とか物をあげてしまうタイプの人であれば、自分がお菓子をもらえなかったら嫌いになるかを考える。ならないのが普通だと思う。
もしかしたら偶に、だから嫌い!になる人もいるかもしれないが嫌われたからといって、いい大人になった今、徒党を組んでいじめられたりとかは考えづらい。LINEでブロックするなり、上司に相談してNG組み合わせリストとして運用してもらうとか、最悪仕事を辞めればいい。
自分だったら嫌いにならないのに、嫌われてしまう!と咄嗟になってしまうのが自他境界薄い人間の難しいところである。
長々と仕事の例で書いたが、プライベートでも似たように思考するなり置き換えするなりしていった結果、遊びを断ったり、遊びに誘ったり(断られてもそうなのね、で流したり)がなかなかのレベルでこなせるようになってきたと思う。
何もしてないのに不機嫌になる人も怖くはない。不機嫌になる人自身の問題だからだ。
他にも、友人と会話してて寄り添うためにトーンに同調したりするが帰宅した頃にはケロッとしているし、なんなら切り替えて他のことをやれる。
本当に、人間として成長できたのが嬉しい。
物事をハッキリ言える・捉えられるようになったのでストレスも減った。
表で仲良くしつつもSNSで呪詛を垂れ流すようなことも必要ないので人間関係も安定している。
女主人公に感情移入してゲームプレイしているときに主人公がイケメンとイチャつき始めると「俺はホモじゃない!!!!!!」という気持ちになってしまう
心が乙女になりきれていない
みんなはどう?
実際、世界の説明のようでそこまで親切でもない話が少なくない分量で続くのはなかなかつらいものがあるのは事実。
飛ばして本編へいってよし、というのは真っ当なアドバイスではあると思う。
例えば「パイプ草について」の段など読んだとしても本編の理解にはほぼ役に立たないし。
設定だけ見てあれこれ想像するのが好きな人は刺さると思うのだけれども。
物語を最後まで読み、この物語の構造を理解した後ではこの序章の持つ意味が全く異なってくるんですよ。
程度はあろうが、この序章はここにこの形で存在しなくてはならないと思うはず。
特に指輪の一行に感情移入した後で読むとものすごくエモいし、なんなら泣きポイントにすらなってくる。
指輪の世界に没入するゲートウェイの役割となって、その感覚を味わうために繰り返し読むことになるわけだ。
合わない人がいるのも分かるけど、この感覚を味わずに投げてしまうのはちょっともったいないと思う。
『機動戦士Zガンダム』が「駄作」と評されることがある主な理由は、前作(初代ガンダム)からの大きな作風の変化と、複雑すぎるストーリー展開、そして主人公カミーユの結末にあります。
ただし、『Zガンダム』は非常に評価が高く、「最高傑作」と呼ぶファンも多い作品であり、「駄作」という評価はあくまで一部の視聴者、特に初代からのファン層で根強い意見です。評価が分かれる主要な点を以下にまとめます。
地球連邦軍、エゥーゴ、ティターンズ、アクシズ(ネオ・ジオン)、カラバなどが入り乱れており、それぞれの思惑や裏切り、寝返りが頻繁に起こるため、物語の全体像や勢力図が非常に分かりにくいという声が多くあります。
主人公のカミーユ・ビダンが、積極的に戦況を動かすというよりは、事件や戦いに巻き込まれていくという形で物語が進むため、「カミーユの視点」から見て話が掴みにくいと感じる視聴者もいます。
初代ガンダムのような「少年兵が戦場を生き抜く」というシンプルな戦争のリアリティから、より政治的な権力闘争やエスパー的なニュータイプ論に焦点が移ったことで、初期のファンが期待したドラマと異なる印象を与えました。
物語のクライマックスで、主人公のカミーユが精神崩壊に至るという衝撃的な、しかし救いのない結末を迎えます。多くの主要人物も戦死し、全体的に悲劇的なトーンで終わるため、「見ていてつらい」「後味が悪い」と感じる人がいます。
カミーユは初期にすぐにキレる描写が多く、「感受性が高すぎる」「未熟すぎる」と感じられ、アムロのような共感を持ちにくいという意見がありました。
多数のデザイナーが参加し、変形機構を持つ機体(Zガンダム、アッシマー、ガブスレイなど)が増えたことで、見た目だけで機体の所属陣営が判断しづらくなり、戦闘シーンの分かりやすさが失われたと感じるファンもいます。
カミーユが未熟な少年から戦士へと成長し、その過程で多くの葛藤や苦悩を抱える人間ドラマの深さが高く評価されています。また、クワトロ・バジーナ(シャア)やアムロ・レイなどの旧作キャラクターの再登場と新たな役割、フォウ・ムラサメやロザミア・バダムといった悲劇的な強化人間の描写も、物語に深みを与えています。
「反連邦組織(エゥーゴ)と連邦内のエリート組織(ティターンズ)の戦い」という、初代よりも進んだ政治的・軍事的な対立構造を描き、その後のガンダムシリーズの基盤を作りました。
モビルスーツデザインや戦闘描写は、当時のアニメーション技術を駆使しており、画期的なものでした。
このように、『Zガンダム』は革新性と複雑性を追求した結果、前作の作風を愛するファンの一部からは受け入れられず「駄作」と評価されることもありますが、その深みのある人間ドラマと複雑な群像劇によって、現在ではガンダムシリーズを代表する名作として広く認識されています。
最近、男性向けより女性向けの方が欲望に忠実な作品が多いように思えるんだけど気の所為?
厨二病キャラみたいな、痛い少年が感情移入しやすそうなキャラを出して、ヒロインにめっちゃ可愛くて都合のいい女子を出すみたいな、あるいはメインヒロインが居るのにどんどんハーレムになるとか
一番わかり易いところで言えばラッキースケベとか
いつ頃までこういうの多かったっけ?と思い返してみると、Re:ゼロ当りまでかな?
1期が2016年、で2期もかなり盛り上がったイメージが合って、これが2020年,2021年
だから、ここ4年くらい、そういうの減ったように思える
おそらくなろう系の台頭か、なろう系の流行の変化によるものと想像しているが
一方で女性向けは詳しくないんだけど
これ明らかに腐女子狙ってるだろっていう作品も増えたし、イケメンがバンバン出てくるアニメも増えた
女子オタクのほうがカネを落とす、みたいに言われ始めたのが2010年代だったと思うが、要は金を持った喪女世代が成長してきたことで、今丁度そういう時期なんじゃないかと想像している
おそらく次に男性向けと同じように、飽きというかブームの変化が訪れるんだろうけど
ちょっと心配なのが、最近話題になるアニメって男女どっちも見てるせいで、都合のいい異性を描きづらくなってる感じがするんだよね
男女両方に一定の遠慮があるというか
こういうのが主流になりすぎると面白くないなとは思う
もっと、ボーイミーツガール!ファンタジー!バトル!ハーレム!みたいな、コテコテB級作品がなんか上手くハマってS級になるみたいな作品がもっとみたいでござる
『機動戦士Zガンダム』の音楽は、作曲家の三枝成彰(さえぐさしげあき)さんが手がけており、前作『機動戦士ガンダム』とは大きく異なる、シンセサイザーを多用した近代的で抑制の効いた音楽性が特徴です。
この音楽は、作品の持つ重厚な歴史ドラマとしての側面や、緊張感、悲壮感、そしてメカニックな動きなどを独特な表現で描き出しており、非常に評価が高い一方で、従来のわかりやすいアニメ音楽とは一線を画していたため、**「とっつきにくい」「感情移入を拒む」**と感じる方も少なからずいたようです。
しかし、この音楽性が『Zガンダム』の持つシリアスで複雑な物語性を深め、作品の世界観を確立しているという評価も非常に多く、**「アニメ音楽に変革をもたらした衝撃的な作品」**と評されることもあります。
三枝さんの音楽が『Zガンダム』を「駄作にした」という直接的な論評は見受けられませんが、その音楽性が作品の好き嫌いを分ける一因となった可能性は考えられます。
自分が若者とされる年齢だった頃は、自分の世代の価値観は「これからの価値観」だと思っていたし、レッテルを貼られても「古代エジプトから繰り返される若者批判」としか思っていなかった。しかし時代を経ることで「この価値観は次の世代に引き継がれなかったな」という点や「確かに前の世代とは違っていたな」という点が見えるようになってきたので書き残す。
おそらく、自分の世代±5歳くらいがはてなブックマークのボリュームゾーンなんじゃないかなと思ってる。
『働いたら負けかなと思ってる』という言葉が世に出たのは2004年で、その頃からネット上でニートがファッション化した。2ちゃんねるという匿名掲示板、特に当時人気だったVIP板は老若男女が36歳無職独身男性に擬態している風潮があり、自分もその中のひとりだった。自分は新卒で就職してから一度も無職だった時期はないけれど、フィクションの主人公が「無職」か「サラリーマン」であれば、前者の方により感情移入できる。ブクマカが社会的弱者に優しい理由の半分はリベラル思想でもう半分はこれだと思う。
2007年には2chのVIP板に「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」というスレが立ち、これは2008年に書籍化され、2009年に映画になった。自分が大学3年で就活を意識しだしたのが2007年で、就活本格化したのが2008年、就職して社会に出たのは2009年だった。ブラック企業という言葉が流行語大賞にノミネートされたのは2013年だが、この言葉のネットでの認知はもう少し早かったように感じる。
上の世代から散々「ゆとり」というレッテルを貼られて自己肯定感を削られ続けてきた世代ではあるが、自分たちの世代はなんだかんだ言ってもゆとり教育を価値観として内面化しているような気がする。詰め込み教育は無駄、多様性を伸ばすのが大事、答えは一つじゃない、あぁしろこうしろと押し付けずに自発性を引き出しましょう、という考え方。
これを上の世代から『軟弱さ』として受け取られるのは想定の範囲内だが、下の世代から『ネグレスト』と受け取られると我々の世代はハッとする。
価値観を顔出しSNSではなく匿名掲示板で形成してきた人間は『出る杭は打たれる』という価値観が身に染み付いている。
だから「自分は人より凄い」「自分は良い人」のような真っ直ぐな自己PRは命取りであり、「自分はダメ人間ですよ」「自分は偽善者とは違いますよ」と振る舞う癖がついている。
10年後20年後に我々が『キャンセル』されるとしたら恐らくこの部分で、この癖を抜くことがこれから求められる価値観のアップデートなんだろうなと思っている。
これは我々の世代というより2009年に就職した人限定の価値観だと思うのだけど、2009年卒業組は2008年の空前の売り手市場で就活し、2008年9月のリーマンショックで内定取り消しの嵐に襲われた。だから能力があまりなくても他の世代に比べて楽に就活できたし、どんなに能力があっても内定取り消しで最悪の2009年に就活をやり直す羽目にあう人がいた。幸せな時代に就活をしたバブル世代とも最悪の時代に就活をした氷河期世代ともちょっと違う。天国と地獄の両方があり得て、それを分ける要因は能力ではなく完全に運だった。
性的な本を読んで性犯罪する参考にするというなら忍者と極道とか読んだら極道になりたがるってことだろうな。
実際あれ読むと極道側に感情移入する部分多いんだよ。油断すると憧れかねない。
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最初に鬼滅の刃を観たとき、ほとんどの問題点を見て見ぬふりをしていたのは否定できない事実です。とはいえ、このアニメの最も強い点はアニメーションと戦闘です。シンプルなパワーシステムをどう実行し、どう掘り下げているか。そして旅の途中で立ちはだかるさまざまな鬼の背景を忘れてはいけません。Ufotable は普通の漫画を10倍良くし、鬼の過去のエピソードを延長したり、トップクラスの作画や効果音で私たちに大いに見せつけるなど、ストーリーにさらに味を加えました。しかし冷静に見れば、それは愛されるか嫌われるかのどちらかの、シンプルな前提と物語を持ったごく普通の少年漫画です。そうは言っても、単なる派手なアクションや莫大な予算を投じた作品以上に「良い作品」と言える点もあります。もちろんこれは人それぞれですが、私にとって最大の重みを持つのは登場人物そのものです。キャラクターがいかなる形であれ私に響かない限り、どんな媒体も観ることはありません。誤解しないでほしいのですが、鬼滅の刃はまともな少年漫画です。しかし決して最高の作品ではありません。
最初の数話で、これが決して傑作になる可能性はないとすぐに分かりました。何をやるにしても単純で、吾峠呼世晴が自分のコンフォートゾーンから出て危険な領域を探求しようとする意図がないのが見て取れます。Ufotable がアニメ化したからこそ人気が出たのであって、そうでなければここまでにはならなかったでしょう。考えてみてください。もしUfotable がブラッククローバーやフェアリーテイルをアニメ化していたら、鬼滅と同じくらいの名声を得なかったでしょうか?それは事実でしかありません。私自身、アニメを観始めた頃は作画やアニメーションに釣られていたのです。もちろん、それが悪いことではありません。良いストーリーに素晴らしい制作を加えることもあれば、逆にストーリーは凡庸でも制作が圧倒的に優れていることもあります。しかし、残りの中身が十分でなければ結局は何も意味がありません。私は鬼滅の刃を他の多くの作品と比較して、できる限り説得力を持たせようと思います。読む気がないなら、一言で言わせてください。鬼滅の刃はフェアリーテイルに相当しますが、それよりもずっと劣ります。少なくともフェアリーテイルには「心」がありました。どう受け取るかは自由ですが、私が何を暗示しているのかは明らかでしょう。ではキャラクターから始めましょう。
炭治郎は多くのファンのお気に入りのようです。彼は好かれやすいキャラだからです。しかし正直に言うと、彼は私が追いかけた主人公の中で最も退屈な存在の一人です。彼は誰もがなりたいと思う理想的な人物像として描かれています。普通の人間としての欠点がまったくなく、もしあるなら作者がそれを上手く伝えられていません。彼が優しくて猪之助を苛立たせる、そのやり取りが面白いのは認めます。吾峠はシンプルで効果的なコメディリリーフを描くのが上手いです。ただし、常にそうとは限りません。そして残念ながら、主人公に十分な深みが欠けている点は否定できません。炭治郎には目立った欠点がなく、それが長期的には退屈で辛いものにしています。彼の最大の変化は強くなることだけです。例えばブラッククローバーのアスタは、うるさく、好奇心旺盛で、無謀で、頑固です。それに加え、まだまだ語れます。さらに、私のお気に入りであるルフィを加えるなら、彼は好奇心に溢れ、カリスマがあり、冒険への情熱があり、予測不能で、愛すべきおバカな存在です。科学好きの愛すべきオタクである千空だって、上記の特性を多く持っています。
そして炭治郎はただ優しいだけ。たまに怒ったりしますが、それは彼が優しく穏やかな性格だとすでに確立されているため、かえって不自然に感じます。もちろん、優しいこと自体は悪くありません。他のキャラクターもその要素を持っていますが、それ以上のものも持ち合わせています。鬼滅の刃のサイドキャラもそれほど優れてはいません。善逸はバランスを欠いたうるさくて面倒な存在で、コメディリリーフもバカバカしくて見ていて恥ずかしくなるほどです。彼が口を開くたびに自分を撃ちたくなったのは私だけでしょうか?彼には成長が描かれますが、それも「ただ起きた」だけで、理解できるような過程がきちんと描写されていません。三人組の中では猪之助が最も優れています。彼には単なる戦闘狂以上の層があり、恐怖、怒り、絶望などを経験し、それが彼にどう影響するかが詳細に描かれています。まだ改善の余地はありますが、彼はきちんと書かれたキャラの良い例です。
柱たちも物語の大きな部分を占めています。決して悪いわけではありませんが、最高とも言えません。彼らにはそれぞれ独自の個性があり、同じ型にはまってはいません。しのぶは最も複雑に見えます。彼女には「あらあらお姉さん」的な雰囲気と、元気な笑顔で人を引き込む魅力があります。ですが、それはすべて仮面であり、もっと深い部分を持っています。正直に言うと、彼女が「嫁候補」だからというバイアスも入っていると思います。とはいえ、吾峠にはしっかりと書かれたキャラクターもいます。しかし物語の焦点がメイントリオ、正確にはカルテットに当たっているため、その潜在力が十分に発揮されていません。軽く触れておきたいのが禰豆子です。彼女の目的は何でしょう?可愛らしい見た目で目を癒し、時折戦う以外に何かありますか?物語の序盤ではほとんど何もしておらず、ただ視聴者や読者を釣るための存在に見えます。私にとってのベストガールはしのぶかカナヲです。彼女たちはただ可愛い「んんっ」ばかり言う存在よりも物語性があります。禰豆子の役割も、予想はできたとしても、唐突に出てきたように感じます。
さらに、大きな悪役である無惨は、強烈な登場で始まります。しかし結局のところ、ただの怒りっぽいマイケル・ジャクソンで、血に飢えた狡猾なろくでなしにすぎません。作者はショック要素で彼を恐ろしく見せようとしていますが、本当に良く書かれた悪役ではありません。彼もまた「もっと魅力的になれたのに」系の無駄な存在です。壮大な締めくくりのために置かれた存在でしかなく、それも失敗しています。なぜそう言うかというと、私はもう漫画を追っておらず、最後まで完結するのを待つつもりだからです。だから今から言う意見は話半分で聞いてください。無知は時に幸せです。しかし事実として、漫画のテンポはひどいです。キャラクター同士の関係を深める余裕がなく、次から次へと戦闘に投げ込まれます。鬼滅の世界についてほとんど知らされず、リアリズムもなく、感情移入できるような「本物らしさ」が欠けています。世界観は脆弱に構築され、ただの手段に過ぎません。
一方で、シンプルな核を持ちながらもしっかりと世界やキャラクターを構築している作品があります。ここで言っておきたいのは、アニメだけでなく原作も見ているということです。ブラッククローバーはその一例で、アスタとノエルを例に取りましょう。アスタはシンプルで典型的な主人公のように見えます。しかし人間味があり、一言では語れません。彼は大きな成長を遂げ、その過程で彼をより深く評価できるようになります。ノエルもまた、最初は典型的なツンデレで全てを見下すような存在でしたが、徐々に柔らかくなり、非常に複雑で深みのある魅力的なキャラクターに成長します。ブラッククローバーのキャスト全体が単純以上の存在に感じられるのです。ドクターストーンもまた称賛に値します。キャラクターの差別化が明確で、物語の展開もバランスが良いです。テンポよく世界観やキャラを築き、成長を見せ、嫌いだったキャラが次の瞬間には好きになることもあります。
では鬼滅の刃は何を違ってやっているのでしょうか?莫大な予算を持つ巨大スタジオに支えられている以外に?ただ、鬼たちの過去の話は本当に評価できます。響凱、蜘蛛の母、累などはカルテットよりも遥かに興味深いキャラクターに思えました。他にも、鬼たちはメインキャラよりも学びたいと思えるほどです。鬼滅の刃が人気なのはUfotable がアニメ化したからであり、アニメ初心者にとって入りやすく、漫画も200話未満で読み切れるという手軽さが理由です。セリフも多くなく、すぐに消化できます。とはいえ、すべてが凡庸というわけではありません。鬼滅の刃から生まれた最高のエピソードのひとつを賞賛したいと思います。それは私のお気に入りではありませんが、注目と賞賛に値します。19話はUfotable の最高の仕事であり、多少のご都合主義があるものの、演出と方向性は見事で、十分に効果的でした。
その盛り上がりは段階的に積み上げられ、美しいサウンドトラックが流れ、クライマックスで感動的に爆発します。このエピソードは兄妹の絆を最大限に尊重し、その繋がりを丁寧に掘り下げています。根本的にはありきたりですが、その労力と意図を評価しないのは愚かでしょう。鬼滅の刃は、ビジュアルと作画においては常にトップクラスです。ひどい品質の瞬間は一切ありません。もちろん、圧倒的な作画力を誇るFateシリーズ、特にHeaven’sFeel や空の境界映画シリーズには敵いません。TVアニメと映画を比較するのは公平ではありませんが、鬼滅に影響されすぎている多くの人々に異なる視点を提示したいのです。OP とED も素晴らしいです。LiSA が担当している時点で、質の高い、美しくキャッチーな曲になるのは当然です。サウンドトラックも梶浦由記と椎名豪という伝説的な作曲家によるものなので、耳は幸福に包まれるでしょう。
さらにアニメが大いに正義を成したのは戦闘シーンです。漫画では適切に表現されていなかったパワーシステムを引き上げました。呼吸法が使われるたびに何が起きているかが分かりづらいのですが、それは色彩や視覚的表現が難しいためです。Ufotable はそれを明確に表現し、攻撃を分かりやすく、華やかで、音響も伴った美しいスペクタクルにしました。鬼滅の刃のパワーシステム自体は単純ですが十分に機能しています。Ufotable は水、火、風、その他の呼吸法を見事に描き、キャラクター性を示しています。例えば炭治郎の水の呼吸は、彼が穏やかで自己規律を持つ性格を反映しています。猪之助はイノシシの被り物をかぶり、野生で育ったため、それを呼吸法に反映させています。善逸はやや特殊ですが、成長が唐突に訪れた点を「雷のように速く突然」という解釈もできます。カナヲは花の呼吸で、美しく、穏やかで、静かで、ゆっくりと咲く花のようです。私は鬼滅を厳しく批判していますが、吾峠がうまくやった点やUfotable が引き上げた点を無視するつもりはありません。物語を進める中でパワーシステムが発展し、多くのことが細やかに伏線として張られています。例えば、那田蜘蛛山編の前に炭治郎の額の痣や赫刀が示唆されていたことです。このレビューを書いているうちに、私の鬼滅への評価は少し変わりました。否定的な感情だけでなく両面を見たからです。鬼滅の刃は決して悪い少年漫画ではありません。そういう印象を与えたくはありません。それは私の意図ではないのです。
ただし疑いようもなく、鬼滅の刃は過大評価されています。Ufotable が存在したからこそ、凡庸な漫画が売り上げを大きく伸ばせたのです。シンプルな基盤を持つ他の少年漫画でも、莫大な予算を持つスタジオが制作すれば、同じように爆発的に人気が出るでしょう。この記事を書いている時点で、鬼滅の刃は最終章にあり、多くの問題に苦しんでいるようです。これは、本来なら大きな成果に繋がるはずだった要素を軽視した結果です。だからこそワンピースの人気は一貫して高く、尾田栄一郎がその気になればさらに爆発的に伸びるのです。ブラッククローバーも導入や設定をきちんと積み上げた後で大幅に面白くなります。ドクターストーンも序盤は遅いですが、その後は素晴らしい作品になります。私の意見を聞きたくない人でも、せめて一つだけ覚えてください。アニメーションや作画は、作者の作品がすでにしっかりと構築されている場合にこそ真価を発揮します。鬼滅の刃は多少の良さを持っていましたが、偉大な少年漫画でも革新的な作品でもありません。ただ単純で、莫大な予算を持つ巨大スタジオに支えられていたというだけのことです。
男性向け漫画では風呂に入らず不衛生で身嗜みが出来ないヒロインが多数登場する。
しかし、TL漫画のヒロインは風呂に入って清潔にし身嗜みの優先度が高いキャラしかいない。
私は人生における身嗜みの優先度が著しく低いので、TL漫画のヒロインにも一人ぐらい身嗜みができない人がいて欲しい。
だのに、一人もいない、いるなら見せて欲しい。(ここが本音。こう言えばインターネットのアホは嬉々としてURLをはる)
具体的には、お風呂には週に一度しか入らないから基本臭い、無駄毛は処理しないので陰毛は当然として髭も脛もモッサリ、髪もボサボサで汚らしい、度がきついメガネ、ジャージ(洗濯も週に一度なので臭い)、言うまでもないがノーメイク。
私が出来る身嗜みは、毎朝毎晩歯を磨く(虫歯は怖い)ことと、自慰行為の前に爪を切る(怪我しそう)ことだけなので、それ以上の身嗜みをしないヒロインに感情移入したいのだ。
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