はてなキーワード:感情移入とは
まず、「韓国語」に馴染みがなくて凄く違和感を感じて面白く感じないんだわ、ストーリーを
前作にあたるゲームはちゃんと音声も日本語になってて感情移入できたけどね
「英語」と「日本語」は感情移入できる、音でも何言ってるかある程度わかるから
でも「韓国語」とか「中国語」とか、まだしっかり聞き慣れてはいない言語だから「ここすっげえかっこいいこと言ってるんだろうな」ってシーンでもハテナが頭に浮かぶのよね
ワイ
ある調査では、イスラエルに好意的な人の割合は、日本はイスラム教国(トルコ、インドネシア)を除けばもっとも悪かった。なぜ?
とても興味深い観点ですね。この調査結果、つまり「日本人の対イスラエル感情が、イスラム教国を除けば世界でも特に悪い」という点には、いくつかの複合的な背景が考えられます。以下、主な理由を分析してみます:
---
日本は中東ともユダヤ教・キリスト教文化とも歴史的な接点がほとんどありません。欧米諸国のようにイスラエル建国やユダヤ人迫害の歴史と関わりがないため、「イスラエル=同情や歴史的な負債」という認識が薄いです。
---
日本人は、歴史的に「弱者」や「被害者」に感情移入しやすい傾向があるとされます。ニュース映像で繰り返し流されるガザ地区の破壊、パレスチナ人の犠牲者などは、イスラエルの側を「加害者」と印象づけやすい。特に近年の空爆映像や子どもの死が報道されると、日本の一般視聴者の感情は一気にパレスチナ側へ傾きがちです。
---
日本の報道機関(NHKや大手新聞など)は、比較的「中立」を装いつつも、実際にはパレスチナ側の被害を強調する傾向が強いです。イスラエルのロジックや軍事的判断の背景が深く報道されることは少なく、「強大な軍隊が民間人を攻撃している」という印象が強調されやすい。
---
日本には一部「欧米で称賛されているものに対して冷淡になる」心理もあります。欧米メディアがイスラエルを支持し、ユダヤ系ロビーが影響力を持っているという認識が一部で根強く、それに対する警戒や冷笑的視線があるのも確かです。いわば、逆張り的なスタンス。
---
ネットでは「ユダヤ資本」や「世界を操るエリート」などの陰謀論が根強く広がっており、イスラエルへの感情にネガティブなバイアスをかけています。陰謀論的世界観は日本語ネット界隈でも多く見られ、特に政治不信や社会不安と結びつくと、「イスラエル=搾取する側」と見られがち。
---
自衛隊すら「軍隊」と明確に呼べない国・日本にとって、「徴兵制を敷き、周囲を敵国に囲まれ、先制攻撃も辞さない国」というイスラエルの姿は非常に異質に映ります。防衛の論理よりも、軍事力そのものへのアレルギー反応が出やすい。
---
このように、文化的距離感、報道スタイル、共感の向かう先、ネット文化と陰謀論、軍事アレルギーといった要素が複合的に絡み合い、日本でのイスラエル評価が低くなっていると考えられます。
東京BABYLONって昔の漫画の桜塚星史郎ってキャラに似てるな
それまで主人公昴流の味方のように思われていた桜塚星史郎は、最後の方になって主人公を何とも思っていなかった事を表明し、主人公を裏切る。
これって相手をずっと騙してきて最後の最後で信頼を裏切る点で、ジークアクスのシャアとシャリア・ブルの関係に似ていると思う。
大切に思っている姉(妹)を利用して傷付ける点も同じ。
問題は、東京BABYLONとは違ってジークアクスでは、こんな極悪人が何故か支持され絶賛されているという事だけど。
出番が多くて表面上主人公っぽければ人はそっちに感情移入するものなのかなあ…だけど視聴者の期待や信頼を裏切った悪役としか思えないんだが…
善良かと思わせていた主人公が実は犯人だった叙述トリックミステリーは世に沢山あるし、ジークアクスのシャリア・ブルもそういう類の話だと思うんだが
あるいは感情移入して観るなんてしなくない?みたいなやりとりを観るけど
これは登場人物の誰かしらを自分の事のように受け止めて見るなのか
もう少しズレて登場人物の感情に賛同できるというか熱量を受け止めれるみたいな話なのか
基本的に考察?しながら観るとか比べて下に見られてるような扱いされてる気がするのは
自分がバリバリ主要人物に感情合わせて観ようとしてる側だからだろうか
ただそういう派である私としてはこの作品は感情移入できないとか
この作品は感情移入できるようになってないとかおかしいと思うのよね
なぜ不評なのか考えてみたが、シュウジのキャラが空っぽだったことが不評の半分以上を生み出していると思う。
マチュやニャアンに感情移入できない人がいるのも、「シュウジに熱狂するマチュとニャアンが理解できない」からで、その原因はシュウジが空っぽだからだろう。
さらにシュウジを空っぽに感じる理由を考えてみたが、タイトルの通り「ガンダムが言っている」が悪さをしていると気付いた。
中盤までのシュウジのセリフの結構な割合を「ガンダムが言っている」が占めている。つまり、シュウジに割いた時間が「ガンダムが言っている」で消費されている。しかし、「ガンダムが言っている」のセリフでシュウジの内面を知ることはできない。(「ガンダムが言っている」はシュウジの考えをそういう言い回しで言っていただけ、という説があるが、そうだとしてもそれが視聴者に伝わらなかった)
シュウジに割いた時間でシュウジの内面を伝えられなかった結果、シュウジが空っぽになってしまった。
監督はシュウジをほとんど喋らないキャラと設定し、脚本家がそれを実現するために「ガンダムが言っている」というセリフを生み出したらしい。喋らないキャラの内面を表現するなら、普通はキャラの行動や所持品で行うのだが、このアニメの制作者はなぜか「ガンダムが言っている」のセリフ越しにやってしまったようだ。
特に第4話は、シュウジの目的が「(地球に)行きたいとガンダムが言っている」や「ガンダムが薔薇を探している。だから地球に行く」とガンダム経由で語られていて、もろに影響を受けている。
お前みたいに過去を真面目に考察して一定の政治的態度を持つ奴が真面目に理解できないんだよね。
スノッブ。お前のような奴らにはこれが似合う。
-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20250628143723# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaF9/lAAKCRBwMdsubs4+SKnZAP92EYWssTYfxoAUOlxrFdivdidqIaAVlswiTE91iJ3sSAEAr/Kn1h+h/eQZycHKSSsENYb2ksuniySeyEosFM9uewc==PR3V-----ENDPGP SIGNATURE-----
この前授業で同期が発表してて、それが本当に準備不足な出来で聞いてて辛かった。レジュメやスライドが未完成とかのレベルじゃなくて、発表してる対象について何もわかってないなっていうのがテーマ違ってもわかるレベル。先生は表面上優しげにアドバイスしてる感じだったけど内心叱りたそうなのが丸わかりだったし、他の研究室から来てる人たちも興味なさそうにパソコンいじってて呆れてるのが伝わってきた。
共感性羞恥の心が痛いバージョンというか、自分は何も関係ないのに発表の間ずっと苦しかった。今まで聞いてきた発表の中で一番酷かったから、自分の同期だから過剰に感情移入してるのか、別の研究室の人でも同じように同情するのかはわからないけど、自分が先生や周りに呆れられているかのように感じてしまって心臓がキュッとした。
その同期は普通にいい奴で仲も良いけど、あんな酷い発表するような無能なんだとどこか見下す気持ちが生まれてしまい、自分って嫌なやつだなと思った。隠しているだけなのかもしれないが、本人はそんなに落ち込んでいなさそうなのも、もっと反省しろよと思ってしまった。本当に仲が良ければ今日の発表いくら忙しかったにせよ酷すぎだろとか茶化せたのかもしれないと思えば、元々そんなに仲良くないのかもしれない。
発表の準備ってやりたくないし苦しいけど、内容をコンパクトにしてでも、最後まで自信持って話せるくらいに作り込もうという教訓になった。あと無駄に他人に感情移入するのをやめて、失敗しても気にしないメンタルがほしいなと思った。
自分が体験してもないことについてここまで体験した人の立場に立って感情移入して味方に立とうと思えるの、ある意味すごいわ。
俺には当然どうでもいいし知っちゃこっちゃねーとしか思えんもの。これが現実。これが率直な感情。
-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20250627205556# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaF6GygAKCRBwMdsubs4+SLfJAQCC1bYBlVuVsWSTETVSStALJpvZsQrlL23MEefxUJS9YAD/RawmTzE3t1BCrfHW6crOR2B9hRE+6Eg7ZijWoRknvQ0==T9AJ-----ENDPGP SIGNATURE-----
ジークアクスを楽しめないといけない風潮なんなの?
俺がおじさんのせいだからかも知んないけど、主人公に全く感情移入できなかったし、ガンダム小ネタでテンションはあがったけど、シュウジの正体の説明もないし、ほとんどの謎は投げっぱなしで、大学のアニメサークルが作りそうな作品じゃないか。
面白くなかった。や、面白くなかったというより中盤からどう見ていいかがわからなくなった。
初見というてもハサウェイは付き合いでみた。
TLに死ぬほどガンダム考察が毎回流れてきて、それを変に取り入れたい!!ちょっと知りたい!と思ったのも良くなかったのかもしれない、初見勢としていろんな考察を無視して終始マチュだけに感情移入し続けることもできなければ、メタ的に作品の構造を理解し三人称視点で俯瞰して見ることもできず、そして見方が定まらないので「これは、マチュという一人の人間を描ききれてないよ」といったような一人称視点での批判もできず、かといって「これは、作品の構造がうまく作れてないよ」というメタ目線での批判もできず、自分がどういう原因で真に楽しめなかったのかがわからないまま、TLがなんとなく盛り上がってるなぁ、で終わってしまった。
中盤辺りからそもそも連邦軍?と公国?って違うんか?とか混乱しだした。キシリアとシャリアなんか争ってんの?え?辺りでも混乱し出した。この辺りも描き方というよりかは、自分の中で『無視していい情報かそうでないか』がわからなくて混乱したというのが大きい。
例えば、自分は劇場版のパートは楽しめた。あれはシャアという男について詳しく知らなくても楽しめるから。マチュという一人の女の子の話にある程度集中してていいから。
だから旧作関連の情報は多少無視してもわかるものと割り切ってしまい、実際途中まではよかった。バスク・オムが具体的に何者か、サイコガンダムがどういう兵器かわからないままでも、とりあえず『なんかニュータイプに対抗した強化人間とやらと、強そうな別種ガンダムがおる』ぐらいのふわっとした理解で良かった。
そのノリで連邦?とやらの内部のゴタゴタも旧作の話見てないとわからなさそうだし、としてたらそのあたりで一度つまずいた。TLの情報もありなんとかキリシア派閥とシャリア派閥?があんのかな?あたりようやくついていけたものの、そのあたりから段々無視すべき情報と取り入れるべき情報の判断がつかなくなり、地に足つかないままとりあえず追いかけたという感じになってしまった。
しかしそうすると、最後の方は怒涛の旧作の話ばかりになり、ますます無視すべき話と取り入れるべき話のバランスが全く取れないまんま混乱しまくり、TLから知識が流れ込んでくる為完全にすべてを無視することもできなくなり、最後はみんなが何をそんなに面白い面白いと言ってるのかわからないまま、そして言語化出来ずともなんとなくはおもしろかった!!という感覚すら得られないまま最終回が終わってしまった。
まぁただ何度もいうが、描き方、書き手側の問題でこうなったのか自分だけが一方的に変でこうなった(変な見方をしようとした、メタ的目線にこだわりすぎた、など)かが現時点で判別付かない。TLを見る限り後者な気がしているが、もう一人ぐらいは自分とおんなじ混乱に陥った人はいるのでは?と思って書いた。
児童ポルノ問題、にくっついてくる非実在児童が登場するポルノ漫画問題で時々ネット上が騒がしくなってるとき、俺はただただ静観してる。理由はなく単にどんな話題でもネット上では議論しない人間なだけ。
だからどういう議論が為されているかは実はよく分かってないんだけれど、ポルノに批判的な立場の人間にしろ擁護的な立場の人間にしろ、想定してるポルノ漫画の読者層に俺みたいなヤツって全然入ってなさそうだなーって気はしてる。
それでちょっぴり疎外感を感じたりもするから、こういう人間もいますよーって自己主張、というよりただひたすら長いだけの自分語りが以下延々と続くよ。注意はしたからね。
よくある話、なのかはBL好きな友達少ないから分からないけど、全寮制男子校モノの商業BLコミックを少女漫画だと勘違いして手にとったのが、まずBLとの最初の出会い。高校の卒業式前、暇過ぎてブックオフに入り浸ってた時期。
この時点では俺はまだ完全にはゲイを自認してない。ゲイだと認めたくないみたいな否定的な感情はそれほどなくて、野郎のマッチョな肉体とチンチンにはすこぶる興味あったしオカズにもしていたけれど(完成されたマッチョが好みだったので高校の同級生をそういう目で見るとかはなかった、体育教師はそういう目で見てた)、
そんな野郎と恋がしたいとかセックスしたいみたいな欲求は全く湧き上がってこなくて、ただ街ゆくタイプの成人男性を脳内保存して妄想のオカズにするだけ。
なんか中途半端だなー、これゲイってことでいいん……だよな?みたいな戸惑いがほんのりあった。
俺は大事なこともひたすら先延ばしにする性分で、この件も特に実害はないため一旦保留。
その後もポルノ中心の性生活は続き、実在の男性とセックスに至ったのはそこから10年も後の話。想像以上に気持ち良かったけど、無いなら無いでも別にいっかなーって優先順位なのは、それなりに経験を重ねた今も変わらず。
この心持ちは地方暮らしで頻繁にゲイとの出会いがあるわけではないのも多少は影響してそうだけど、仮に東京に住んでたとしても盛り場ではお仲間との他愛もないおしゃべりを楽しむだけで、帰宅後ひとりポルノと妄想で慰めてる方が俺の人生っぽいかなって気はする。
補足でだいぶ話が逸れてしまったや。
そんな性欲強め?ながら妄想で自由に羽ばたく自慰オンリーの性生活してた俺が、妄想の権化たるBL世界を知ったため、BLをオカズにするゲイ(多分)が爆誕した。
そのまま熱中して地元のブックオフのBLコーナーを端から端まで漁りに漁り、漁りきったあとはそこそこ都会な隣県のブックオフまで遠征したところ、当時はBLレーベルからも単行本を少し出してた田亀源五郎先生を始めとするガチムチ系BLとの運命の出会いを果たし、ついでにショタ系BLとも出会ったって流れになる。
この通り俺はマッチョ好きでショタ専のゲイではないし、実在の未成年をそういう目で見たこともない。
ショタ系BLもショタ系ゲイポルノ漫画も、読んだ作品数はガチ嗜好の人たちほどは多くないと思う。
ただ妄想の中での俺は時々ショタになっている。いたいけな少年になり、インモラルな成人男性と何やかんやあって男性のチンチンを尻に受け入れ、才能を開花させセックス狂いになる。現実の俺は身長180を超える腹の出たアラフォーゲイだけど。
やっぱり心のどこかで、セックスが無くても問題ない生活より、セックスしたくてしたくてたまらないセックス中心のゲイ生活も、しんどいこと多そうだけど楽しそうだな、羨ましいなって気持ちがあるんだと思う。
そこでどうして自分がショタに戻って大人にセックス仕込まれる妄想をする必要があるのかは、自分でも良く分からない。
恋愛イベントにはそこまで憧れてないし、それなりに楽しく青春やれてたから性愛以外のリベンジ願望も無い、って理由もある……のかな?
受け身で快楽だけ浴びるほど享受したい、しかも思春期突入後最速でという俺の欲望の、依代としてのショタというか。
とあるショタポルノ作家さんの作品が、ショタに手を出す野郎共は多種多彩な容姿とバックボーンなのに、肝心のショタがやや没個性なキャラクターとデザインなのは、俺みたいな読者の依代願望に応えてのあえての没個性なのでは?と推測してる。記号としてのショタ。
俺はショタもの読むことを公言してなくて読者同士の横の繋がりもないから、これもまたただの妄想かも知れないけど。
とにかく、俺はショタの心身でマジカルチンポにメロメロになり、セックス街道まっしぐらな人生の妄想を何度も何度もしてしまう。そんな妄想の触媒としての、ショタ系ゲイポルノ漫画のライブラリー。
万引きがバレたコンビニで通報しない交換条件として店員に性交渉を提示されて受け入れるこの少年は、俺。
セクシーなパンイチ自撮りをSNSにあげて、チヤホヤしてくれた見ず知らずの成人フォロワーとうっかりリアルで会う約束しちゃう少年も、俺。
はー俺って俺のこと大好きじゃん、自己愛キッショ。嘘、キショくない、大好き。
だからもし非実在児童のポルノ漫画が無くなったら、悲しいは悲しいし、無くなっていい世の中になった!って嘯いてる連中がいたらぶん殴りたくもなるけど、俺は俺のこと大好きだから、ぶん殴らないし、ちょっとだけ前より色褪せた妄想の世界にまた逃げ込むだけ、それだけ。
うーん・・面白いけどエンタメ的な面白さっていうより子供向けの学習教育マンガ的な面白さだな
だから読んでストレス解消になったりあーたのしーおもしろ!ってなる感じじゃない
フィクションもたくさん入ってはいるけど基本史実から外れることはない領域でのちょっとしたお遊びレベルだし
ヒストリエだかキングダムだかでもあったけど、歴史書にない部分を作者が想像して描写してる部分はおもろいんだよね
全編そういうんだったらいんだけど基本史実ベースだからどうしても話の軸がつまんないんだよなあ
もっと細かい日常描写とかすりゃ感情移入もしやすいし世界観もわかりやすくなるんだけどそこらへんがほとんどなくて、
あとアニメ化は思い切ったなあと思う
動きがあるわけでもないし萌えキャラでもないしエロでもないし絶対円盤も売れないしそもそも原作中途半端すぎてどこまでやんの?ってなるし
まあアニメにする上で上述したような行間がめっちゃ埋まるんなら意味はあるとおもうし、
まず最初に真面目で誠実でめっちゃいい映画でアホな感想しづらいからこんなとこに書くんだが、激渋中年祭り。もう出てくるキャラが良すぎる。
見た人も多分同じように思ってるはずだけど、多分内容が真面目すぎて言えないだろうから、代わりに言う。
小栗旬(のキャラ)はちゃんとした大人になって責任感もその取り方も知ってる感じ。いい感じに疲れてて「ああこの人所属俳優のせいで大変だもんな」って同情も相まってキャラに深みが出てる。
窪塚洋介はキングが更生して医者になってDMAT仕切ってる感じが出ててキャラ立ちしすぎ。こいつだけ漫画だろ。小栗のこと「結城ちゃん」呼びしてるのも含めて最高。でもそれも史実なんですか!?
池松壮亮は、まじ普通。こう言うとアンチみたいだけど、普通の人を普通に演じるのって凄いと思うし、一般的に普通の感覚の人がこの場所にいることがあまりにも過酷で泣けてくる。演技が馬鹿うまい。劇場の観客一旦みんな感情移入しすぎて池松壮亮になってたわ。池松壮亮は100通りあるねん。
松坂桃李は………なんだこいつは!!最高の萌キャラが出てきたぞ。お前はシン・ゴジラにも居ただろ!?って官僚で、ツンデレ激かわいいのに仕事ができまくる。ただ史実はもっととんでもない動きしてたって聞いて、ちょっと現実が怖くなりましたね。
森七菜は!君は!ポスターの真ん中に居ていい主人公ではないか!!!と訴えたくなるくらい、主人公してる。(まあ医療従事者じゃないからあれだが)ていうか英語うまい。喋れなかったとは思えない。もうみんな森七菜の味方だから。あなたの笑顔を守りたい。制服とパンプスで走り回る森七菜、ありがとう。
桜井ユキはまーーじでムカつく役してる!!!でも桜井ユキは鑑賞者とも一体だから。俺達私達は実は桜井ユキってこと。え、桜井ユキになれるんですか?ありがとうございます…。ヒール的位置を引き受けてさらに感情の揺れがあんなに繊細に出せる桜井ユキ、もう名俳優ですよ。
滝藤賢一は出番は後半だけ、なのに印象に強く残って、いつもどおりムカつくのに全員から好かれるようなキャラを好演してムカつく。
光石研もまた桜井ユキと同じかそれ以上にムカつく役なのに光石研のこと嫌いになれないのなぁぜなぁぜ?まあみんな、そばには1人くらい光石研がいるからな…ああいうやつ味方につけたら強いんだよな…。
まじで題材的にこういう目で見てごめんだけど、そういう目でも楽しませてくれるように作った制作チーム、強い。
SNSでわかりやすく真面目に感想しなきゃとか、あんま思わなくていいので。気ままに見に行ってくれ。
本当にいい映画なので。