
はてなキーワード:愛されるためにとは
今までの人生、とある趣味に情熱を燃やし、社会に認められたくて自分なりにがむしゃらに頑張ってきたけれど無名のままで、40歳という折り返し地点が近づくにつれて、独りで生きていくことが確定したら徐々に希死念慮が強くなってきた。
なんというか、「誰にも選ばれなかった」という事実がこれほどまでに人間の自尊心を破壊するものだとは思わなかった。地球には80億人もいるのに、誰ひとり自分のことを愛していないという厳然たる現実。親との関係は悪くないが、親からの愛は他の異性から得られる愛とは別種の愛だというのは皆もわかっているだろう。
結局、人間が本当の意味で自己肯定感を得るためには、やはり独りでは無理で、親以外の誰かから愛をもらわないといつか壊れてしまうんだと思う。
かといって誰かに愛されるために努力しようとする気も起きないんだよな。というか物理的に無理。年齢も年収も恋愛市場や婚活市場では門前払いレベルだし。気難しい性格を隠して明るく振る舞うことはできるがいつかはめくれるし。もっと俯瞰で言うと「他人に好かれるために本来の自分を曲げる」という行為に強い嫌悪感がある。まぁ、俺みたいな人格の破綻した人間の遺伝子は後世に残すべきではないと思う。それが人類のため。
趣味に没頭してた頃はこんなに病んでなかったんだけど、恐ろしいことに趣味への情熱って加齢と共に薄れていくんだよね。まぁそれが凡人たる所以なのかもしれないけど。行為自体を楽しんでない。
あと今の時代、アルゴリズムが発達しすぎてあらゆる分野で「一番いい」作品にだけ人々の関心が集中するようになってて、2位以下の「いい」「普通」の作品はほとんど無視されるようになってしまったので無名から有名になるのがほとんど無理ゲーなんですよ。それも最近趣味に徒労感を感じてる原因かもしれない。みんなも「再生数の多い順」で並べ替えてるでしょ?蓮舫は2番じゃダメなんですかってほざいてたけど、2番じゃダメなんですよ。1番じゃないと。
こうして書いてみると、俺は趣味それ自体に没頭していたわけではなくて、誰かに認められたい、愛されたいという承認欲求で活動していたんだなとわかる。でもそれの何が悪いの?とも思う。モテたい、チヤホヤされたい、金が欲しいというのは人間の自然な欲求でしょう。レイヤーとオフパコしたくて漫画描いてる人たくさんいると思いますよ。口には出さないだろうけど。
あとやっぱり独身というのに強い引け目を感じるね。「結婚」という行為が社会的にどれほど重要なステータスであるかはみんなも肌で感じてるでしょ?多様性の時代とか言ってるけどあれ嘘だからね。結婚している(た)というだけでまともな人間扱いされるし、その逆も然り。最悪バツイチでもいいんですよ。独身という存在は群れからはぐれた異質なものとして警戒される。この偏見はおそらく動物としての本能に根ざしているものだから、社会の価値観が変容しても絶対に消えることはないでしょう。
そろそろまとめると、まぁ今から真人間になるのは無理なので、残りの人生刹那的な快楽に身をまかせてやり過ごすしかないんだろうな。医者の連中はアテにならんし(経験済み)。何話しても「それは大変でしたね、お薬出しときますね」で終わりだし。
あと猫を飼うことを真剣に検討してる。前に犬飼ってたときは幸せだったから。亡くなったときめちゃくちゃ落ち込んだけど。というか今でも完全には立ち直ってない。こんなに悲しい想いをするなら二度とペットは飼いたくないと思ってたけど、ペットで空いた心の隙間はペットでしか埋まらないとも思っている。
いろいろ書いたけど、自分と同じような境遇の人がもしいたとしたら、人生がクソなのはお前だけじゃないぞ!と思ってもらえれば。まぁこんな俺にも一抹の良心はあるので、ヤケクソで新聞の一面を騒がすことなくひっそりと生きてひっそりと死んでいくのでご安心を。
Permalink |記事への反応(57) | 13:28
恋愛工学的な話になるけど、結局のところ、恋愛における女性の欲望って、
「沢山の女性をヤリ捨てしてきた実績のあるモテ男に大切に愛されたい」なんだよね。
だから、女性に愛されたかったら、まずは沢山の女性を口説き落として抱いて男としての経験値をあげてモテ男にならなきゃいけないんだけど、
女性はあくまで"終着点"になりたいのであって、"通過点"にはなりたくないから、「"通過点"を増やせ、増やすほどに男はモテるようになる」と主張する恋愛工学を批判する。
「私は"終着点"になりたいんだ!他の女は"通過点"にしてもいいし、むしろそうしてほしいけど、私だけは特別扱いして!"終着点"にして!」
になるんだよね。
でも、そういう女性に愛されるためには、恋愛工学的な発想・方法で"通過点"を増やさなきゃいけないという矛盾。
童貞歴17年。弱者男性高校の2年生。趣味はVtuberのスパチャと三国志。髪はベトつき、眼鏡は曇っている。
「下方婚を愛せ」「上を目指すな、下を極めろ」などの名言を残す謎の人物。存在そのものが思想。
私立メンヘラ女子学院の3年生。過去に5回メン地下のセンターをやったが、全部クビ。
「私って……価値、ないよね?」が口癖。メンヘラだが料理はうまい。
講師歴20年、交際歴ゼロ。弱者男性のすべての敗北を知るプロフェッショナル。
春。
そこに集うは、希望も夢も見ない者たち。
壇上に現れたのは、白衣をまとい、口ひげをたくわえた校長・尊師。
そして開口一番、怒鳴る。
生徒たちは混乱した。
下方婚?
「だが、地を這う者には、地を這う者なりの幸せがあるッ!!」
こうして彼らの三年間が始まる。
目標はただ一つ――
「女は“リスク”を取らない!イケメンのダメ男なら許されるが、お前らの“優しさ”は値段ゼロ!!」
「“へぇ〜そうなんだ”を繰り返せ。会話が成立してる気にさせろ!」
「ブサイクでも清潔感があれば戦える? そんなもん幻想だ!!」
「だからこそ逆手に取れ。“俺はブサイク”を武器にして、相手の優越感を刺激しろ!!」
生徒たちはメモを取りながら泣いていた。
「ここまで貶されると、むしろ清々しい……」
合同文化祭「LRG」が始まる。
元キャバ嬢、境界性人格障害、SNS依存、ポエム投稿女子……まさに「属性地雷オールスター」。
第一印象は、最悪。
「なんか……目、死んでない?」
「いや……お前も相当死んでるよな……」
だが、不思議と話は合った。
将来の夢:どちらも“愛された記憶が欲しい”。
ナツキは呟いた。
「私さ、ほんとはずっと……下でもいいから、誰かに必要とされたいって思ってた」
その瞬間、マサヒコの心に雷が落ちた。
だが、すぐに問題が出る。
「え、彼女が全SNSアカウントを消して失踪!? ……あっ、これ地雷の“本気”や……!」
弱者男性たちは悩みながらも動き始めた。
「でも、逆に言えば、地雷を処理できるのは……俺たちだけだ!!」
弱さを知る者が、弱さに寄り添う。
それは、恋ではなく、共依存かもしれない。
だが、マサヒコは言った。
「それでもいい。俺は、誰かの最後の選択肢になれるなら、それでいいんだ」
卒業式の日。
「弱者男性よ!!」
「お前たちは“勝ち組”ではない!! でもな!!」
涙を流しながら、生徒たちは社会へ飛び出していく。
相手のスペックを問わず、自分を受け入れてくれる誰かを求めて。
リングは安物。
でも、彼の声はまっすぐだった。
「俺と、地獄でも一緒にいてくれ」
人を愛せない。人を心から信用できず、必ずどこかで疑っているから。自分とその内にいるものしか、完全には信用していない
人を愛せない。突き詰めてしまえば他人と一緒にいるのは面倒なことで、最終的には孤独であるほうが幸せなのだと思い込むようにしたから。
だから俺は愛されるために行動したりしないし、だから愛されることもない。人生は結局誰かに愛されない事には何の意味もないので、この行動は間違っているのだが。
ここまでやってんのにカップルを見ると羨ましいと思ってしまう。いや違うな、多分女が羨ましいんだろうな。可愛い服着て彼氏に愛されてる女が羨ましいんだろうな、俺は。
あぁ、酷い拗らせ方をしたもんだな
https://anond.hatelabo.jp/20170828205222
あれから5年だ
滑るように時が経った
結局のところ、どんなに人と触れ合っても何の意味もなかった
相手を思いやっているようで、その実は自分がどう見られているかを気にしているだけだった
相手に尽くしているようで、自分の思う通りにしていたいだけだった
最後の最後になって、こんな所まで来て、私の所には何も残らなかった
「相手を一番に想うなんて無理だ。この気持ちはこの一瞬だけで、永遠ではない」と冷めてしまう
「誰かのために、自分を変えていく」「愛する者のために、恥も外聞も気にせず努力していく」
そんなことは、私には無理だ
誰かのための努力なんて、そんな面倒なことはしたくないと思ってしまう
その時々でやる気にはなるかもしれない、しかしそれは続かない
さて、いったい誰がこんな私を望むのだろうか
相手のために一生を賭けるつもりもない、努力するつもりもない、虚勢を張って嘘を本当に変えようとする意地もない
本当の意味で自分を見てくれるわけでもない、関わっているつもりでも自己満足に振り回されるだけの相手
「でも一人の女に骨抜きになったことはないだろ」
「見つめられるだけで卒倒しそうなくらい神様が自分に与えてくれた天使だと思って地獄から救い出されて、自分も彼女の天使になる」
「愛の力で彼女を引き止めようと病晩乗越えて私は病室で2ヶ月間妻の手を握り締めて座ったまま寝た」
「医者も面会時間なんて決まりが私には通じないのを知って諦めた」
「本当に失うってこと、それは自分を捨てて誰かを愛した者にしか分からん」
「そこまで深く人を愛したことがあるか?」
「君を見ていると知性と自信を持った男には見えない」
「自惚れだけ強いただの臆病な餓鬼だ」
「君の深さを推し量る事は誰も出来ない」
「だが君は一枚の絵を見て全て知ったような態度で私の人生を引き裂いた」
最後まで、他人と関わるのを避け、人の思いに触れるのを避け、自分の思いを曝け出すのを避け、他人と真剣に向き合うのを避け
妥協と回避と「合理的で現実的な判断」などを並べ立てて、大人な振りをしているだけの、ただの、臆病な、ガキだ
そんなことを、もうそれこそ一生やり続けるんだろう
「お前みたいな人間は、一生逃げ続けて、本当の意味では何にも手に入れられず、輪の中に入れずただ一人で何の意味もなく孤独のまま惨めに死んでいくんだ」
そんな、予言じみた声が聞こえる
【追記・返信】
・2022/2/26
本当に他人に興味がない人って他者からの評価は気にならないと思うんですよ。だって、興味がない人からの評価とか、どうでもいいから。
自分がどう思われてるか気になる、否定されたくないっていうのは人が大好きなんだと思うので、変に気取った文章書いてないで自分の気持ちに正直になったほうが良いよ。
別に自分が愛されたいからと言って、相手を愛さなければならない法律なんかないのだから
愛されるために嘘ついたり金払ったりなんでもすりゃいいだろ。
いいや、これだけは違うね
それは「人が大好き」とは言わない
相手を「物」として見ているだけの、自分の価値を測るものとしてだけ見ているだけに過ぎない
そんなのを「好き」とは言わない
他人から見られた時の視線に耐え切れないだけの、後ろめたさだけがあるだけの、ただの臆病者の、他人に本当の意味では興味がないガキに過ぎない
だから、それだけは違う
自分にしか興味がないと言うけど、本当のところは他者との比較の中で、本当は価値がない自分を発見してしまうのが怖いのかもなー。
後半については、本当にその通りだと思う
自分の価値にしか興味がない、それを見たくもない、気付きたくもない
「他人に興味がある」のではなくて、「他人の目に映る自分に興味がある」なのであれば、それは結局は自分にしか興味がないってことになる
@Gesu_Masuda
Permalink |記事への反応(13) | 21:35
この3点は私も共通している。両親については片親で過干渉ではあったが、しかし大切にはしてくれていた。それでもあなたと同じ思考から抜け出せない。これは、境遇、個人の努力を超えて、先天的な脳の作り(ADHD)が大きく関係しているのではないか。これに人間関係の失敗経験が積み重なりフィードバックとなり囚われの強化、すなわち脳の悪い思考プロセスのネットワークの強化になっていくと仮定している。
人間関係の失敗でさらにこの自己評価が補強されてしまい、どうにも身動きができなくなってしまったのだけど、ここから脱するためにやったことを書く。
"考え方"についてはプロに任せ、むしろ考えない方法を身につけたほうがいい。
まず、ADHDはワーキングメモリが足りないため問題を大雑把にまとめて考えてしまう。
全体を捉えて、最も期待値の高い解決方法を理性的に選べている自信はあるだろうか。あなたはある程度客観視できているだろうから落ち着いているときに考えればおそらく、高ストレス時に思っていたことが実は的外れだったという経験があるんじゃないかと思う。
例えば就労が困難だったというケース(あくまで一般論の例)を考える。そうなる理由はそんなにシンプルではなく大量の変数が複雑に絡んでいる。しかし、"自分が馬鹿だから仕事ができない"という形で問題をカプセル化してしまえば、ワーキングメモリが節約できるため、ADHDは問題を単純化して自分を責める。一時的にはそれが一番ストレスが少ないのだ。本当は"環境が悪かった。定型発達でも仕事が原因で自殺していることもある"など、別の可能性が考えられるのに。
では、いつも正しい判断をするにはどうしたらいいだろう?これは、"自分の判断を常に保留する"が疲弊したADHDには正しい方針だと思う。判断は常にプロに任せる。それはどこに住んでどんな仕事をすればいいか、という大局的な判断だけでなく、"誰が悪いのか"、"なぜこうなったのか"、"どうして不快なのか"なども含めてだ。特性上、強力に単純化してしまうので疲弊してIQが下がっている今はどれも的外れになる。
寝て起きたら、デモデモダッテ思考が顔を出した。父と離れたいなんて、私のわがままじゃないかと疑っている。よく分からないから、今日、相談支援専門員さん(何回かソーシャルワーカーさんと書いてるけど、勘違いでした)に電話してみようかと思う。
だからこれで電話できたあなたはとても賢いし、自分を客観視するセンスがある。
マインドフルネス瞑想がよい。方法は適当にぐぐるとでてくる。(大きいトラウマがあると難しい場合がある。↓に追記あり) 浮かんだアイディアを0.5秒以内に棄却できるようになってくれば、鬱でも躁でも、脳の暴走状態を食い止めやすくなる。
人生史を書くとか考えたものをすべて紙に出すとか、自分のトラウマを再認識するようなセラピーは無理に実践しないほうがいい場合がある。プロのセラピストでない限りPTSD のトリガーになりかねないので、慎重に。
ストレスは回避反応を高める。ただでさえADHDは弱いとされる、長期的な価値を評価するための前頭前野が働かなくなり、極端な単純化をし始める。生存のヒントを得るために(存在しないかもしれない)脅威をあちらこちらに探し始める。
IQを上げる方法はたくさんある。有酸素運動と無酸素運動を組み合わせたインターバルトレーニング、読書、楽器演奏、人との会話、人と比べて自分が優れていると実感する、など。しかし、どれもそれができる基盤が無ければ成り立たない。基盤は、どんな形であれ"安心できる生活"だ。
プロに相談して模索しているのはとても素晴らしい。これこそ良い判断だと思う。
あなたの場合、愛着のある肉親だろうが、親元、実家から離れるのは最優先だ。トラウマ体験のある場所にいると記憶のトリガーが多く、思考のノイズが高まる。瞑想を頑張っていても考えの棄却という技術では捌ききれない量になる。例えるなら、イラク戦争でPTSDになった米兵が戦後もその戦場の脇で延々とセラピーを受けるなんてことがあるだろうか。アメリカに帰って湖で犬とキャンプでもしているべきだろう。
追記や他へのレスを見ると、同居した者と揉めた経験からグループホームや同棲に抵抗があると言っている。
↓もそう。私もこの囚われとは長年付き合っている。自分の場合、親には愛されているはずなのに。
環境を変えても、私がダメだからダメだと、ずっと思ってた。愛されるためには愛される能力が必要で、残念ながら私にはそれが決定的に欠けていると思えるから。
ちょっとつらいかもしれないから今は受け入れられなくてもいいのだけど、これこそADHD特有の極度な問題の単純化の例になっている。あのときうまくいかなかったという一例を以って、だからあれはやめたほうがいいのだ、というように考えるとワーキングメモリが大幅に節約できる。実際は、相手が特別クズだったとかグループホームガチャとか色々分解できて、次の一手はまたフラットに考えることもできるはずなのに。
今は総括(判断)せず、プロに任せて、最善の環境に居れるまで模索するのがよい。次がダメだったとしても単純化せず、また次のチャンスを模索する。単純化のバイアスを除いて考えれば、定型発達でも転職、離婚、病気のような失敗は何度も経験するのだ。
人間のつながりが欲しいと思ったとき、そうできている人とのライフスタイルを比較するのがいいと思う。親族、家、お金、車などの財産ではなく、朝起きて何をしているのか、どんな本を読んでいるのか、どんなご飯を食べているのか、どんな娯楽を好んでいるのか。"考える"代わりに"行動する"のがよい。考えても考えても財産もライフスタイルも変わらないどころか極度の単純化で誤った判断をするのが疲弊したADHDの末路だ。
安全な生活が得られるようになってきたら、形から入る。脳は考えて変わるわけではなく、運動、適度な負荷(勉強、練習など)、食事で変わるのだ。脳に振り回されて困っていたのだから、脳を手なずけるのがよい。だから順番を変える。"まともな自分になれば孤独ではない生活が得られる"というのはやめて、"孤独じゃない人の生活を真似てみればまともな自分になれる"ということ。
私も自分自身そう思いたいという部分はあるんだけど、見ている文章を見る限り全然馬鹿ではない。というか文章のみのコミュニケーションであれば誰も重度の発達障害とは感じない。
これはこの番組の予告だけ見ても思った。もし道路で出会ったらまるで思考が通じない人にしか見えないのに、文章は物凄く理知的で美しいのだ。
https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009050591_00000
我々は入出力や瞬発的な行動については困難があるかもしれない。しかし、中身までおかしいわけじゃない。
親さえもそれはわかってくれなかったかもだけど、今は世の中に知見が溜まってきているし、お互いこのようにネットで話すこともできるようになってきた。だから幼少期よりはまだ模索できる道は多いはずだ。
おせっかいかもしれないけど増田がきっかけで過集中に入ったので最後まで書きました。
スターがついていたので。
hamamuratakuo個人的な見解だが、頭が悪い人に共通している特徴は「嘘つき」であること。全てを曖昧にしており、現実を直視できず、被害妄想に耽溺。それゆえ認識が歪んで知性も劣化している。嘘をやめることが改善のスタート地点
言っていることの大筋は私と同じだ。しかし、それを「頭が悪い」「嘘つき」という主観性の強い表現であえて言い直す必要は無い。今回で言えば頭が悪いのではなくワーキングメモリが小さいと言えるし、嘘つきなのではなくワーキングメモリの節約を無意識に行っている、というようにより具体性のある話にしたつもりだし、「嘘をやめる」に対応する極度の単純化をやめる方法も示したつもり。
これも脱線するが、自分は発達障害を自覚する前、定型発達的な人々に対してリスペクトを欠いた態度を取っていた。彼らは(今思えばADHDの私に比べれば、だが)会議で発言しない、積極性が無い、すぐ行動しない。「頭が悪い」愚鈍な人々だと思っていた。つまり自分が得意なことができない人を簡単に「頭が悪い」と言うのは主観的すぎる。特に今回の文脈では発達障害という特異な脳の状態について話しているのだから、少し配慮してもいいんじゃなかろうか(隙自語同士なのでまぁいいけど)。発達障害と知的障害は異なる。高IQの発達障害は大勢いるし、発達障害の診断時にIQテストを受けるのでむしろ発達障害者のほうが自分のIQを正しく理解している。
misarine3 嘘ではなく現実を正しく把握できなsので偏って間違った認識を伝えてしまうケースもある。あとADHDかと思ったら発達性トラウマ障害(複雑性PTSD)というケースもあるので一考してほしい。
programmablekinokoマインドフルは合わなかった。多動優先だとじっとしているのが難しい。有酸素運動で強制的に頭空っぽにするか、NBackやラジオ流しながら何かを音読するなど、脳内のノイズをかき消す方法が自分には良かった。
https://anond.hatelabo.jp/20220118124641
これはそうかもしれない。実は自分の場合は自己流の荒療治でトラウマの追体験を繰り返してみたり瞑想でつらいことを棄却する訓練をやってみたりと実験してみた。この中で瞑想が継続できたということなので、n=1なのは確か。カウンセラーや精神科医などプロに相談しながらがよい。
本当は睡運瞑野がうまくかみ合えばいいのだけど、睡運瞑野ができるのは睡運瞑野がうまくいっているときだけという難しさがある。瞑想の代わりに運動する、それもできないなら何もせず寝てしまうなどで、あまり考えないようにできるといい。
sisya 前提が少しおかしい。「頭が悪いから人に大事にされない」ではなく「考えが足らずに人が傷つくことをしてしまっているが、そのことに自分が気づけないので遠ざけられる」なので、相手にその旨先に伝えてくといい。
自分のアイディアはこれとも違う。そもそも「大事にされていない」「遠ざけられている」という認識が正しくないかもしれないというのが私の立場だ。元増田についても、すでにこのスレッドやブクマで多くの人から大事にされているのだから大きな反例になっている。 少なくとも汲める事実は「両親からのモラハラがあった」「グループホームで暴力を起こした人がいた」ということだけだ。これを「遠ざけられている」と読み取ることは、私が何度も言っている極端な単純化だ。
もし「自分の考えが足りず人を傷つけるのだ」というところに根拠を置いてしまうと、「自分の考えを洗練させなければならない」という出来もしない曖昧な課題が作られてしまう。私もおそらく元増田も、このような袋小路でさんざん自分を苦しめてきた。私の主張が伝わっていれば、期待値が高い対処は例えば「なるべく親元から離れる」「相性のいいグループホームを探し、医師など専門家の支援を受ける」などになる。的外れな自省をさせる意味は無い。
aox ASMRに限らず増田さんみたいにスパスパ考えられて実行できるなら誰も苦労しないのでは ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ
私も偉そうに書いてしまっているので労せずこれに至ったと思われても仕方ないが、これに至るまでは大変な苦労をした。自殺未遂をして警察に保護されそのまま措置入院(強制)というのを何度かやった。ずっと不登校だったが一念発起して就職した会社も、それで復職できず退職した。短絡的な行動で多くの人間関係を失った。何年も睡眠が浅く、悪夢で夜中に飛び起きることが多かった。今もギリギリのバランスでやっと立っているが、それでも以前に比べれば前向きに暮らせている。むしろ読む人がこんな苦労をせず役立ててくれるなら幸いだ。
31歳の女。発達障害のため、人から嫌われ、見下されてしまう。
何をしても人より劣っているし、空気が読めず、相手が期待している言動が取れないからだ。
実家暮らしで、父と同居している。元々は父と母と一人っ子の私の3人家族だったが、8年ほど前に母は自殺した。
父は立派な会社を定年退職した後、よくYouTubeを見ている。ネトウヨで、反ワクチンで、一日中韓国人や中国人やユダヤ人の悪口を言っている。ユダヤ人は原爆を作ったから許せないんだそうだ。あとは、犬や猫を虐待したいそうだ。父の話に笑顔で頷かないと、父は不機嫌になるので、毎日とても疲れる。
母は、私が発達障害の出来損ないであるため、統合失調症を発症し、自殺してしまった。「あんたみたいな出来損ない、誰だって殺したくなる!」だそうだ。私は物心が付いてから母が死ぬまで、殴られずに済んだ日は1日もなかったと思う。「どうしてあんたはふつうになりたいと思わないの!」と言いながら、馬乗りで殴られていた。中学生の頃、私が殴り返してみたら、父が飛んできて私をボコボコにした。私が大学生になった頃、母は幻聴が聞こえるようになった。私は何度も精神科に付き添った。私は馬鹿なので大学を卒業しても就職できず、専門学校に進学したが、母の異常な言動に振り回されて、専門学校に通うことさえできなくなった。例えば、母の大量の唾液がなみなみに入った紙コップを持ってショッピングモールを歩き回らさせられるなど。
私が専門学校に通えなくなった時、母は「私の人生と子育ては失敗した」と言って、マンションのベランダから飛び下りてしまった。父はずっと単身赴任でいなかったので、遺体の確認や警察への対応は全部私が行った。
家族で車に乗っていた。父は運転席、母は助手席、私は後部座席。
「こいつって、一匹狼を気取っていて、本当にうざいよね」と父が。
「そうそう、狼になんかなれない、弱っちいリスのくせに」と母が。
「一匹リス、そりゃいいや。弱いんだから生意気言わずに、大人しくいじめられてろっての」と父が言って、両親はニヤニヤしながら私の顔を覗き込んだ。私が無表情でいると、
「ほらー、ここで泣かないから、あんたはうざいのよ」と母が笑った。
週に3回、通称B型作業所と呼ばれている、障害者の作業所に通っている。工賃は1時間あたり200円くらいだ。職員や他の障害者とは出勤時と退勤時の挨拶以外にはほとんど会話しない。昼休みもみんな静かだし、他の障害者との連絡先の交換などは禁止されている。
「おはようございます」「お疲れ様でした」「そうだね、お父さんの言う通りだよ」以外の発言は許されない環境で、ずっと生活している。
そろそろ気が狂いそうだ。
なんで自立しないのかと言えば、障害者なので一人暮らしはできず、グループホームに入るしかないのだが、
以前グループホームに入ろうとした時に、グループホーム入居希望の障害者に首を絞められて失神しかけた挙げ句、仲良しごっこをしようとしたお前が悪い、と職員に叱責されるなどのトラブルがあったからだ。
父に笑顔で頷き続けるか、他の障害者に暴力を振るわれるかの2択しかない。
どの道、誰かと人間関係を築くことはできず孤独に苛まれるだけなので、暴力を振るわれない方を選んだつもりだった。
環境を変えても、私がダメだからダメだと、ずっと思ってた。愛されるためには愛される能力が必要で、残念ながら私にはそれが決定的に欠けていると思えるから。
私は男性からもグループホームの人からも愛される能力がないから、ひどいことをされるんだと思っていた。
B型でしか働けないのは、引っ越しとそれに伴う転院による、大幅な減薬で体調が悪化したため。私は発達障害の二次障害で双極性障害になっているのだが、
今までの抗うつ薬を全部なくして、少しの気分安定薬だけにしたためだ。
作業所の職員は、今年の秋までには週5で働けるようになると思っているようだ。
父は、私の大学や専門学校の学費を出してくれた。父は、一応私を愛しているらしいので、困る。父は私に一生側にいて欲しいと再三言っているので、自立したいと言えばそれを裏切ることになる。
ずっと父を可哀想だと思っている。妻は自殺するし、娘は出来損ないだし。可哀想だから、私の人生を犠牲にしなければならないと思うが、今後の何十年を思うとぞっとする。何かがおかしいと思う。
寝て起きたら、デモデモダッテ思考が顔を出した。父と離れたいなんて、私のわがままじゃないかと疑っている。よく分からないから、今日、相談支援専門員さん(何回かソーシャルワーカーさんと書いてるけど、勘違いでした)に電話してみようかと思う。
書くの忘れてたけど、父は上記の発言を、外で大きい声で言っている。イオンの中とか、本当に恥ずかしくて消滅したくなる。
相談支援専門員と電話が繋がった。グループホームやアパートを探しましょうとのことだった。
Permalink |記事への反応(44) | 16:47
増田ではもう多分おなじみで飽きられてる例の話題における「女性の表象」について。
今週いろいろ考えていたことを書いておきたい。
多分この文章は文脈的にも時期的にもアンチフェミだとみなされると思うんだけど、自分j心にはそんなつもりはない。そもそもあの変な議連をフェミだとも思ってないし。
むしろ自分としてはクリエイターとしての違和感と普段の気持ちのメモとして残したい。
文章畑とはいえ自分はクリエイターでいわゆるオタク界隈でくらしていて商業化もコミカライズもしたっていう立場だけど、多分立場そのものとはあんまり関係ない。
はじめに感じたのは「なんか雑だな」という気持ちだった。
「女性の表象」というざっくりした単語の選択と、そこに込められた視線についてだ。
昨今のオタク界隈クリエイターとして女性キャラはいっぱい作ったし書いてきた。ヒロインとしてサブキャラとしてモブとして。それぞれに主入れを持って作り込んできた。それって「女性の表象」なのか? 自分は「女性の表象」を描いてきたか?
その答えは一般的にはYesではあるけれど、自分自身の中ではNoだ。
一般的なボリュームのラノベをささっと書くのに、自分は調子が良ければ大体三週間くらいかかると思う(念の為にこれは完成に要する時間ではない)。もちろん作中ではいろんな事が起きるし、ヒロインやヒロインとの関係は重要ではあるけれどパーツの全てではないので、この時間はそのままヒロインを描くのに使った時間ではないけれど、ひとつの参考としてそれくらいかかる。
そして読むのは早ければ二時間弱とかじゃなかろうか?
つまり作るのにめちゃくちゃ時間がかかってさっくり消費できる。これは文章畑に限らずコンテンツは何でもそうだと思う。むしろ文章畑なんてすごく素早く手軽に作れるジャンルで、映像やゲームは桁違いに時間がかかるだろう。
実際そういう現場に協力することもあるけれど、気が遠くなるくらいの人手と時間と、つまりはリソースが消費される。
それだけの時間を投下して、「女性の表象」をつくって、満足できるかといえば、自分はできない。
嫌われるかもしれない言葉をつかうけれど、正直に言う。
現実の女性の方々に訪ねたいけれど、たとえば大好きな人ができて、そのひとと来週デートするとする。初めてのデートだとする。
胸がはちきれそうなほど嬉しいとともに、膝が震えるほど怖い。なんだか冴えない一日になってしまうのが怖い。がっかりされるのが怖い。思ったよりうまくしゃべれないと思うと怖い。相手の期待ほど可愛くない自分だったらと思うと怖い。
そんなときはないだろうか? そんな時何らかの努力をしないだろうか?
自分の知る限りの知己もいままでめぐりあいのあった女性も、すごい何かをしていた。正直男性である自分からは理解しがたいほどのエネルギーをそこに注ぎ込んでいた。
その日その瞬間を「いい感じ」にするために、髪型や服を整えて、時には体型やら自分の好みまで変えて、とっておきを提供しようとしていた。そういうのを見ると恐れ多いような頭が下がる様な気持ちになったのを覚えている。
デートの時にやってくる「一番好的な彼女」というのは上記のような女性の努力の、つまりはクリエイトの結果だと自分は思っている。
ディズニーのいうありのままの自分がなんだかよくわからないけれど、彼女たちは、確かに自分自身を超えた自分を顕現させようとして、いっときそれに成功する。
自分はそれを偉大だと思う。女性だからとかそういう理由ではなくて、クリエイターとして尊敬する。言語化出来ているかどうかは定かではないけれど、彼女らはなりたい自分をクリエイトして作ったからだ。
創作物には、描きたいものがある。その描きたいものが例えば出会いとか、別れとか、嬉しいとか悲しいとか楽しいとか懐かしいとか、恋とか、そういうものがあって、その過程で必要となってヒロインがいる。
卑俗なところで言えば、可愛いとかもっと見ていたいとか、エッチなことをしたいとかでも良い。とにかくそういうエモーショナルな何かを伝えたくて創作物を作る。
女性のキャラは、例の言葉を借りれば女性の表象は、そのための道具に過ぎない。大事だし思い入れもあるけれど、過程に過ぎない。読者に伝えたいもののために必要であれば何かを盛るし、邪魔であれば削る。
それは現実の女性には不可能だ。だって現実の女性は主人公のために、あるいは読者や視聴者のためにだけは生きられないでしょう? 現実の自分の生活があって、趣味もやるべきこともたくさんあって、理想の魅力的な自分だけでは生きられないでしょう?
世の中で言われている萌キャラなんてものは、愛されるために生まれてきたものだと自分は思う。自分が関わった仕事は、全てそのつもりで仕事をしてきた。現実の女性と違って、彼女らはそれに全力投球だ。なぜなら、それが彼女らの存在意義で、全てだからだ。そのために生まれたからだ。
それ以外の私生活なんてものはない。あるように見えたとしたら、それは覗き見される前提で作られた、いわば公開用の私生活だ。飾り気のない普段の姿、という形態の作り込まれた物語にすぎない。
つまり、創作物のキャラは、現実の女性がデートの瞬間ほんの一瞬だけできる「すごい自分」でいるのをフルタイムで続けられる存在だし、それが存在価値だ。何ヶ月も、場合によっては何年もかかって産み出されて、一瞬で消費される。その巨大なコストを代償にして、現実を超えるために産み出されるのが創作物のキャラクターだ。
自分は、「現実を超える」使命を持った創作物が、そのために悩んでカロリーを叩きつけた創作物が、「女性の表象」だなんて、そんなふうに単純化されるのを我慢できない。
たとえば、あるヒロインの不安と絶望を表現するのに、創作者は雨を降らせることができる。人気のないコンビニの駐車場の暗がりを作ることも出来る。つながらないSNSを登場させることも出来る。それらは舞台背景であって舞台背景ではなくて、彼女の内面を表す暗喩だし、読者に感情移入してもらうための動線だ。
そのキャラクターが気高くて必死で尊敬に値すると伝えるために銃弾の降り注ぐ戦場も用意できるし、水晶の花咲く庭園でのダンスシーンも描ける。
彼女の魅力を伝えるためなら、そこまでやる。女性としての魅力を伝えるためにもし必要だと判断するならば、女性の体さえ抹消する。耳やら尻尾やら砲塔やらを生やす程度なら序の口で、人面蛇身にすることもあるし、なんだったらAI宇宙船の金属筒に収められた脳髄だけの少女なんて世界観にすることも出来る。
雨やコンビニや水晶の庭園が女性の表象かといわれれば誰もがNoと言うだろうと思う。でも創作者の中でそれは渾然一体で不可分だ。その時それが必要ならつくるまで。舞台だけじゃなくて、演出も、エピソードも、言葉選びも、同じ語句をひらがなで書くか漢字にするのかさえ、伝えたいものを伝えるための道具であって、ヒロインと等価で同じものだ。
読者や視聴者の人に、紙面やモニターの向こうで、恋をしてもらえるなら、涙してもらえるなら、どれだけカロリーがかかってもそれら全部はやるべきことだ。
つまりやっていることは「女性の表象を作ること」なんかじゃないのだ。青椒肉絲定食を作ってるのに対して「ピーマン切るのは許可されるか」「いやピーマンは不許可だろ」みたいな議論をされてる置いてけぼり感。
こちらはピーマン千切り業者をやってるつもりはないし、ピーマン千切りを提供したつもりもない。もっといっちゃえばお前らがいじくり回してるその皿には、パプリカは入っててもピーマンは入ってないよまである。あるいはししとう叩いて大喜びだな、なんてのも。
以上で率直な感想は終わりだ。フェミがどうこうとか性的搾取とかは、自分にはよくわからない。
でもこっちは現実の女性を周回遅れにする純度のために何かを描いてるので、現実の女性の投影であるとか、模造であるとか、そういう雑な用語選びは好きになれない。という話だと思う。
収入を2倍にして生活を安定させたい、リスクヘッジしたいとか、責任を分担して子育てをしたいとか、そういうマテリアルな目的で婚活に挑む人はまあ手段としての結婚なんだなと思って共感はしないまでも理解できるけど、今まで結婚したこともない、なんなら深く交際したこともないくせに、結婚したら安らぎとかが得られるだとか、絶対に味方になってくれる人がいるとか、無条件に幸せになるに違いないとか夢見て婚活に挑んじゃう人が謎
今まで誰かと結婚したこともないくせになんで結婚とか人とのコミットメントが自分に向いてて自分の気持ちが満たされると思うんだ???
具体的物質的な目的じゃなく、精神的な何か、心が満たされるための結婚っていうのは、誰かと心から愛し合ってその先に、人生を共にしたいと思って結婚っていう契約に至るんであって、愛されるためにとりあえず結婚っていう契約を先にするってわけわからなくないか?無条件に味方になってくれるかどうかは関係性によるだろうに、結婚しただけでそれが手に入るわけないだろ・・・
ていうのを、婚活失敗したという男の呪詛アカウントを見ていて思った。べつにそいつが男なだけで男に限らないが。
ショッピングモールの中にあるペットショップの小動物コーナー。
休日、子供連れでごった返したそこのど真ん中、蓋のない水槽に入れられたモルモットが2匹。
隠れ家もなくて、他の小動物と違って棚にも収められていないため、普通に触ろうと思えば店員の許可を取らなくても触れてしまう。
さすがに側に店員がいたけど、自分のペット用のフードを見ている15分位、その間ずっと、入れ替わり立ち替わりといったら感じで、かわいいかわいいと色んな人間に抱っこをされている。
逃げ場のない水槽で何度も捕まえられて、手指消毒してるか怪しい色んな人間に渡されて適当に撫でられて、というか座ってもない不安定な客に生体を渡すな。
やきもきしてるうちにまた一人、明らかに飼うつもりなさそうな子供が「抱っこしたいー!!!」と親に喚いて、また店員に連れて行かれて。
ずーっとじっとしている。
抱っこによく慣れてます!ってデカデカと値札の横に書いてたけど、違和感しかない。
うちにはモルモットがいて、その子に会うまでに色んなモルモットを見たけど、普通どんなに慣れてても捕まえられそうなら反射的に逃げる生き物だし、じっとしてるのは大人しいからじゃなくて怖すぎてフリーズした時だったし。
もう諦めてるのかな。
生まれてからそんなにすぐに、色々諦めちゃうような生活してるんだな、と思うと、なんか喉の奥が絞まるような、そういう苦いものが込み上げてきた。
好き放題やらせてるように見えるけど、客も店員も、一番に狙うのはモルモット。
単価の高い犬猫やウサギ、エキゾチック、クリッピングしてても逃げるリスクのある鳥類、噛む可能性のある猛禽、ハムスターなんかの小さな生き物は逃してしまうリスクが大きいからだろうなあとか考えてしまった。
結局、一番弱いものを選んでるんだな、みんな。
元々、インコの羽をクリッピングしてたり、ウサギが体格に合わないケージに入れられてたり、隠れ家がなかったり、生体の管理について違和感を感じてたけど。
今までは、コロナの影響で試しに抱っこはしてません、ってなってたから気づかなかった。
いつも買ってるフードの取り扱いがあるし、近所にできてラッキー、とか思ってたけど、もうあそこではフードも買いたくない。
なんか、なんかもう、どうしようもなく胸糞が悪い。
ペットになる動物は愛されるために生まれてきてる、と信じたい。
飼育してる時点で、自分もどこかあの人間達と同じなのかなあとか考えて寝れないので、吐き出し。
初めて付き合った人で、優しくて面白くて大好きだった。4年前に知り合って3年半前から付き合ってた。彼から告白してくれて、舞い上がってたのをよく覚えてる。月一くらいのペースで遊んだりご飯行ったりしてた。2年半くらい前に彼が部活を辞めて、別の部に入った。会う機会ががくっと減った。それまでは週3日は会ってたけど2週間に1回くらいになった。LINEはあんまりしないし、電話なんてしたことなかった。彼が新しく入った部は私がいた部とは違って、規模が大きい運動系の部活だった。女子がたくさんいて、彼は誰にでも優しかったから男女問わず人気だった。新しい部で彼が頑張ってるその頃私は学園祭とか論文書くのとかで忙しくなって、気づいたら疎遠になってた。その半年後、彼がその部の子と付き合い始めたって部の同級生に聞いた。これが自然消滅か、なんて他人のことみたいに考えてた。
私とは旅行なんてしたことなかったし、デートも映画以外はあんまりしたことなかったし、もちろんお泊りなんてしたことなかったし、毎日LINEするとかたまに電話するとか迷惑かなって考えると怖くてできなかったし、なのに今の彼女は1年間でぜーんぶやってるんだよね。いいなぁ、大切にされてんなぁ。私は特別異性受けするタイプではないし、特別同性受けするタイプでもない。普通すぎてつまんなかったのかな。私の何がダメだったんだろうって書くと自信満々な人に見えるけど、付き合いだしてから自然消滅するまで自分に変化があったと思えなくて、こんな書き方をしかできない。とってる授業がいくつか被っていて、去年と同じくらいの頻度で彼のことは見かけるんだけど、今年から彼女の方も同じ講義をとりはじめて、カップル受講してる様子が毎回視界に入ってきて本当にしんどい。なんであそこにいるのが私じゃなかったんだろうな。彼女が同じ講義をとる前までは終了後たまに話してたんだけど、もう最近は目があっても気まずそうに逸らすだけ。私との時は特別応援しているようには見えなかった共通の友人が、彼女との時に応援しているのをみるのもしんどい。彼女ちゃん尊い、らしい。普段あんまり笑わない彼女ちゃんが彼氏の前だけは表情豊かになるのが可愛いんだって。そんな1人じゃなんにも出来ない女の子が好きなんだ。私は頑張ってできることなら1人でやってきたんだけど、全部他の人におんぶに抱っこでやった方が良かったの?彼女ちゃんはそうやってて許される環境で育っただけじゃん。運じゃん、努力してないじゃん。ちょっとダメな方が愛されるって何?愛されるために頑張っても報われないの?なんで彼女ちゃんがいいの?私じゃダメなの?なんで?飽きちゃったの?それとも最初から私のことそんなに好きじゃなかったの?そうなんだ?別れるのさえ面倒だったんだ?別れたくないって言うのが分かってたんだね?それくらい好きなんだよ?なんで分かってくれないの?分かってたから告白したんでしょ?絶対私から別れることも浮気することもないから安心だったんでしょ?好きだから何されても怒らなかったよ?好きだから他の女の子とあんまり喋って欲しくなかったけど我慢したよ?知ってたよね?君の口からこんな女は嫌いだって話を聞くたびに嫌われるんじゃないかって怖くなって頑張って自分を変えたよ?もう戻れないよ?好き勝手に変えて飽きたから捨てるなんてひどいね?でも好きだからなんでも許さないといけないなって今でも思っちゃうよ?だから他の女の子と付き合ってることも私を作り変えて捨てたことも許すよ?まだ好きだよ?一刻も早く別れてほしいと思ってるよ?けどきっと私とまた付き合ってはくれないよね?こんなに好きなのにね?じゃあどうすればいいかな?ねえ?君への愛を持て余してるんだよ?どうすればいいのかわかんないんだよ?君の大好きな1人じゃなんにも出来ない人だよ?なんで助けてくれないの?なんで目を逸らすの?彼女ちゃんが教室に来るまでは座ってる私のこと見てるの知ってるんだよ?昔の部のメンバーに私のこと聞いてるのも知ってるんだよ?なんで中途半端に近づいてくるの?なんで近くに来てくれないの?受け身だからいけないの?なんでこんなに好きなのに分かってくれないの?なんで別れてくれないの?好きだよ?いちばん大好きだよ?
まぁ普通に、なので、色んな意味でちょっとオマケしてもらえることが多いくらい
圧倒的な美貌があるわけじゃない
体型は男の好きなもちもち感だと思う
小さい頃から近所の芸術家おじさんに服を脱がされたり、中学生の時の仲がいい友人だと思ってた男にドサクサに紛れてわざと胸を揉まれたり、いい年になってからも家に泊めてた友人にベッドから引き摺りおろされたり、泥酔させられてレイプされたり、いい思い出がない
普通に愛されたくて、愛したいのに好きな人が振り向いてくれたことはなくて、色んなことを考えると、向こうから好きだと言われても恐怖心が勝ってお付き合いはおろかお出掛けも出来ない
一緒にいて安心できる人ならわたしが好きだと思える相手なら、頑張って性的交渉にも応えられると思う
性的消費をされたくない
身体に魅力があれば、好きな人も振り向いてくれやすくなるんじゃないか とか
ないものねだりだけど、好きな人の好きなタイプになれれば とか
わたしは好きな人とセックスしたことがないから、一度でもその経験が出来ればもう少し変わるんじゃないか とか
周りの人には大切にされてる
わたしが愛されるためには、求められてきた身体が(仮に脆くても)必要なんじゃないかなと考える
惨めだなあ
わたしの稚拙な文章のせいで、こんなにレイプのことを延々突っ込まれることになるとは…。
例の「部族の漫画」じゃないけどさ、企業は「仲間であること」を強く求めてくるわけで、「能力がある」かどうかは二の次なわけ。
「常日頃からアンテナを張って脳内インデックスを書き換えてるひとじゃないと俺たちの仲間とは認められないよね」と言われてしまえばそれまで。
じゃぁ考えてご覧よ。「ちゃんとそれなりのスキルをもつ、ハゲ散らかした50歳」と「いろいろよくわかってないけど、素直で元気な25歳」が「隣で一緒にシゴトさせてください」と来たときに、どっちを採用する?
ちょっと話が飛ぶけどさ、残業ってマネジメントがうまくいってない証拠じゃん?本来は適切な能力をもつひとに適切なタスクを割り当てて かつトラブルに対するある程度のバッファーを持っておけば残業は発生しないはずで、残業がつねに発生してるということはそのマネジメントがうまくいっていないということで、つまり管理者の怠慢か能力不足なわけで、それをタスク担当者がサービス残業でなんとかするって、そもそもおかしいじゃん。
タスク担当者としてそれなりに最善をつくしてその上で時間内に終わらないのであれば、あとは管理者が調整してなんとかしなきゃいけないよね。
そういう意味では、適切なインプットに対して適切なアウトプットを返してくれるひとのほうがタスクの割り当てを管理しやすいので、管理者としてありがたいはずなんだけど、なぜかありがちなのは「与えられたことに対してプラスアルファを返してくるやつのほうが優秀」みたいな考え方。
「お金を入れたらジュースとお釣りを適切に返してくれる自動販売機」の方が管理しやすいはずなんだけど、「余分にお釣りを返してくれる猿」のほうが優秀って、もうそれマネジメントしにくくなるし、「余分なお釣り」を前提に予定を立てなきゃいけなくなるじゃん。
「俺はマネジメントの経験が少ないから、申し訳ないんだけど優秀なお前が先回りしてなんとか助けてくれないか」でプラスアルファを求めるならわかるんだけど、「俺は管理者だ!常にプラスアルファをもってこい!言われたことしかしないやつは評価を下げるぞ!」はおかしくない?マネジメントしてないじゃん。高度経済成長期とかバブル期ならそれで回るんだろうけどさ。
んでさ、もう一回言うけど、企業は「能力あるひと」よりも「仲間になれるひと」を求めてるんだよね。
何が正しいとか正しくないとかじゃくてさ、どんなに適切な能力を持っていても「あー、こいつは仲間にしたくねーな」と思われたら採用されないし、能力なんてなくても「このひととは一緒に仕事をしたいな」と思わせることができれば採用されるのさ。どんなに勉強してて優秀でも「こいつ鼻につくな」と思われたらはじかれるし、バカでアホでも愛されてれば席は残るわけ。もうそのへんの感覚は「学校」という閉鎖された空間で十分学んだでしょうに。
そのへん何回か転職活動をしたことがあるひとなら肌でわかるでしょ。面接で能力アピールとかあまり意味はなくて、むしろ「あなたの部族に加えてください」「私はすぐに部族の一員になれます」的なアピールのほうが有効だったりするよね。
ごく一部のスーパーマンみたいなエンジニアの人は別よ?そういう人はガンガン勉強して革命でもイノベーションでも起こしてくれてればいいと思うの。そうじゃなくて残りのよくいるエンジニア99%のことよ。
プライベートの時間をつかって勉強するべきとかべきじゃないとか、そうじゃなくって、「部族にひとたちから愛されるためには何をしたらいいか」なわけ。正しいとか正しくないとかじゃなくて。
ついでに。
フリーランスエンジニアがいて、中年になると仕事が減ってくるらしく、ぷらぷらしてるのね。IT業界にいる人は「忙しい忙しい」で残業だらけらしいんだけど、その割にアルバイトを雇ってなんとかなる仕事でも無いらしいんだよね。
かたや、一人親方の大工さんがいて、もう70歳近いんだけど、その人はもう3年先まで仕事が埋まってるんだって。そうかと思えば「日雇い人夫」みたく誰にでも出来るタスクまでちゃんと分解してあったりして、やっぱそのへんは業界の歴史と経験なのかね。
もうさ、「オレって勉強好きなエンジニアですげーだろ?プライベートで勉強しちゃうんだぜ?サービス残業でプラスアルファの結果だって残しちゃうぜ!だからオレの仕事はアルバイトなんかにこなせる仕事じゃないんだぜ!あー忙しい忙しい!」ってずっっっとやってりゃいいじゃん。
きっと愛されるよ。