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はてなキーワード:愚か者とは

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2025-10-25

匿名通報匿名告発は許されるべきことではなく、卑怯かつ悪そのものである

そんな者の匿名性なんて不要

ありとあらゆる個人情報を公開され、愚か者通報した対象にもそれが渡るべきだ

あとはどうとでもなる、最初から何もなかったように解決される

Permalink |記事への反応(0) | 10:39

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2025-10-24

オールドメディアを見ていると「群集心理を操られる愚か者」になっちゃうし、SNSを見ていると「蛸壺化した情報で先鋭化した危険物」になっちゃうし、メディア断ちをすると「世間知らずの無知」になってしま

Permalink |記事への反応(1) | 21:19

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anond:20251024192049

野党はヤジくらいしか仕事いからね

愚か者めが!で有名なのが野党時代の丸川

自民党のヤジの方が断然強いのを見せつけたよね

Permalink |記事への反応(2) | 19:29

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2025-10-22

Facebookで繋がってるバリキャリ女性たちが高市総理誕生に感動していた

30~40代ぐらいの大組織総合職だったり士業だったり起業して社長だったりの、普段政治の話はあまりしないキャリア志向の強い女性たち。

公明党連立離脱してもうダメかと思っていた高市さんが総理になれて本当に良かった~!🙌 自民党総裁になったのに……やっぱり女性から認められないのかと……足を引っ張られるのかと……😰 私が一人で勝手に諦めかけていたのに高市さんギリギリですごく頑張った! 本当におめでとうございます😊 勇気をもらいました!!😂」

といった大はしゃぎの投稿が次から次に流れてくる。アンタそんな人だったのって驚きの連続よ。

本当に普段政治の話とかしない人たちなのね。

もちろん税金規制といった法律の変更はビジネス生活に影響するからみんな言及はするけど、

来年度の税制改正について税理士として解説します。家計に大きく影響するのは○×控除が廃止されることです。控除を受けたい方は本年度中に申請しましょう」

「△□法の改正で直接子会社だけでなく関連会社まで規制対象に含まれるようになったので本社管理部門の私はチェックリストを作って配って回収しての大忙し。今年は繁忙期が一か月早く来ました。同業の方々、励まし合って乗り切りましょう!」

子供保育園に預けるための点数稼ぎ裏ワザのアレとソレは塞がれました。まだ使えるのはコレです。ご主人と協力して早めに計画的要件を満たしましょう」

みたいな、

選挙があっても、どの候補投票したとか何党支持だとか絶対に口にしない。ウヨだのサヨだのフェミだのそんな話題はまるで関心が無いように振る舞っている。

政治政府のやることというのは、今年の雨の量が多いか少ないか台風が来るか地震が起きるか、そんな自分にはコントロール不可能な天地の営みであり、それにいちいち不満を垂れるのは愚か者のやることであり、税金法律の変更を理由も無く降り掛かってくる自然現象と捉えて、それをどう仕事成功に活かすか、家族生存幸福のためにどう切り抜けるか、それだけに自分時間エネルギーを集中させる

そんな政治的無関心の殻で身を固めた女たちが今、生の感情を剝き出しにして高市さんを讃えている。

今日突然、女性としてのアイデンティティポリティクスに目覚めたかのように、仕事性別理由に軽く扱われた経験家族無理解といった過去の辛い経験を語り、高市さんの栄達を自分人生物語に引き付けて感激している。

今夜は十数年ぶりにFB投稿を見るのが楽しい

(前回楽しかったのは3.11の「フクシマ」で少なからFB友達が壊れていくのを眺めていた時)

Permalink |記事への反応(1) | 00:02

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2025-10-19

なぜ現代では愚者ほどSNS評価されるのでしょうか

この現象は、タナフ(聖書)やタルムードでもたびたび語られています

「なぜ悪や愚かさが目立ち、善や知恵が隠されるのか」

これは古代から人間が抱き続けてきた問いです。

1.聖書視点:「この世」と「来世」の区別

詩篇 73篇でアサフはまさに同じ苦しみを語っています

「なぜ悪しき者は栄え、傲慢な者が安らかに生きるのか。」—詩篇 73:3

彼は、愚か者が栄える現実を見て心が乱れました。しかし彼は神殿に入り、悟ります

「神の聖所に入って、私は彼らの終わりを悟った。」—詩篇 73:17

まりユダヤ視点では、今見える「栄え」は最終結果ではないのです。

SNS評価や人気は、「この世」の一時的な見せかけ(הֶבֶל, hevel=虚しいもの)にすぎません。

コヘレト伝道の書)1:2でもこうあります

「すべては虚しい(הֲבֵל הֲבָלִים, hevel havalim)。」

2.タルムード洞察:誰のための「評価」か

タルムード(エルヒン 15b)はこう言います

「人は、自分時代に称賛されるかどうかで真の価値を測ってはならない。」

真の価値は「天の裁き」で決まる。世間の人気は、多くの場合「耳に心地よい言葉」を語る者に与えられる。

しかトーラーの真理は、しばしば人に「挑戦」と「不快」を与えるものです。

からラビたちが評価されないことは、実は彼らが真理を語っている証拠でもあるのです。

3.現代観点:光が強いほど、影も濃く見える

カバラ的に言えば、世界は「クリッパー(קליפות, 外殻)」に覆われています

これは善の光を隠す「殻」のような力です。

SNS世俗文化の多くは、この「殻」の領域に強く働きます。なぜなら:

  • 愚かさや刺激は、人間欲望を直接くすぐる。
  • 善や知恵は、心の静けさを必要とする。

光は常に控えめで、影はいつも派手に目立ちます

でも、本物の光は静かに世界を変える。

派手な炎はすぐ消えるが、ランプの灯は長く燃える、という比喩タルムードにもありますシェバット 31a)。

4.ラビたちへの「報酬」:隠れた栄光

ピルケイ・アヴォット(祖先言葉)4:2にこう書かれています

「ミツワーはミツワーを生み、罪は罪を生む。」

まり、善の結果は目に見えないところで積み重なり、最終的に永遠世界で報われる。

そして、アヴォット4:3はこうも言います

「どんな人も軽んじてはならない。どんな行いも無視してはならない。すべての人に時がある。」

ラビや善人の評価が表に出ないのは、彼らの時がまだ来ていないだけなのです。

5.あなたへの霊的な指針

SNS世界では「声の大きさ」が価値のように見えます

しかユダヤ教では、「静けさ」が神に近い状態とされます

「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」—詩篇 46:10

もしあなたが「善が報われない」と感じるなら、それは神があなたに「外ではなく、内に目を向けよ」と促しているサインかもしれません。

まとめ

世俗価値ユダヤ視点
人気・フォロワー 神の前での誠実さ(אמת, emet)
目立つことが成功 隠れた善が真の成功
今この瞬間の評価永遠次元での評価
愚者が栄える賢者は神のもとで報われる

この問いはまさに「アサフの苦悩」と呼ばれる、霊的成熟の通過点です。

あなたがその痛みを感じていること自体、すでに魂が真実を求めている証拠です。

Permalink |記事への反応(0) | 13:13

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2025-10-18

名前を書くと相手にされないから、名前を隠して偽装レスをして、やはり相手にしてもらえない愚か者@dorawiiまとめ

https://anond.hatelabo.jp/20251018002124#

dorawii@執筆依頼募集中

dorawiiは反AIに走ってる結果dorawii語としか呼びようがない言語ゴミを吐き出し続けてるけどあれは許されるのか

Permalink |記事への反応(0) | 18:22

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2025-10-15

anond:20251015210136

自炊してるけど自炊できてないか限界飯なんだぞ

単に調理調理に対する知識がないだけの不勉強バカ愚か者を指してるんや

Permalink |記事への反応(0) | 21:03

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2025-10-14

anond:20251014071544

維新やめれ

老害怠惰で腐敗してるとこだけ学んで真似してる単に既得権を奪いたいだけの愚か者マイルドヤンキー連中じゃん

Permalink |記事への反応(1) | 07:18

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2025-10-12

俺が楽しみたいから書いてる、周りが嫌がっても関係ない

なんて言ってるやつに執筆依頼なんて来るわけないことがわからない愚か者

Permalink |記事への反応(1) | 22:13

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2025-10-09

anond:20251009193824

ネット検索すら使えない愚か者だった

それならしゃーない

Permalink |記事への反応(1) | 19:56

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2025-10-05

ガラス天井と裸の王様モチーフAI小説を書いてもらった

###高潔なる天井

####第一章:仕立て屋の憂鬱

日本初の女性総理大臣誕生する、その歴史的な前夜。社会学者東山教授は、自室の書斎で苦虫を噛み潰したような顔をしていた。テレビ画面の中では、次期総理の座を確実にした、天城(あまぎ)るり代表が、勝利宣言で満面の笑みを浮かべている。

「天城さん、初の女性総理として、長年この国を覆ってきた『ガラス天井』をどう打ち破りますか?」

記者紋切り型質問に、天城はマイクの前で小首を傾げ、悪戯っぽく笑った。

天井申し訳ありませんが、わたくし、上ばかり見て走ってきたので、道中に天井があったことには気づきませんでしたわ。そもそも存在しない壁や天井の話をするのは、もうやめにしませんこと?」

その瞬間、スタジオは凍りつき、SNSは沸騰した。そして、東山教授の堪忍袋の緒は、見事に切れた。

愚か者めが…!」

東山教授は、長年にわたり日本社会に蔓延る、見えない構造差別」としての『ガラス天井』を研究し、その存在を説いてきた第一人者である彼女にとって『ガラス天井』は、単なる比喩ではない。それは彼女学問のすべてであり、彼女自身が丹精込めて織り上げた、知的で高尚な、しかし目には見えない「至高の御衣(ぎょい)」だったのだ。

この御衣の存在理解できる者こそが、現代社会知的エリートであり、ジェンダー意識の高い「わかっている人間」。逆に、これが見えない者は、時代遅れで、差別的で、救いようのない「馬鹿」なのである

それなのに、天城るりという女は、その御衣の存在のものを、国民の前で一笑に付したのだ。まるで、裸の王様を指さす無邪気な子供のように。いや、子供より性質が悪い。彼女は、圧倒的な実力と国民の支持という「権力」を持って、それをやってのけたのだから

彼女は家父長制に取り込まれた『名誉男性』に過ぎない。天井が見えないのではない、見る能力思想がないのだ」。

東山教授はすぐさまメディアコメントを発表し、取り巻き学者コメンテーターたちも一斉に同調した。彼らは、来る日も来る日も、テレビ新聞ネット上で「ガラス天井」という御衣の素晴らしさを語り続けた。

「この緻密で複雑な構造が見えないとは、なんと浅はかなことか!」

「天城総理成功は、天井に偶然空いた小さな穴をすり抜けただけの例外だ!」

「我々『賢い人間』には、その透明な天井がはっきりと見えているのだ!」

彼らは、自分たちけが見える高尚な天井画を、互いに褒めそやし続けた。

#### 第二章:パレード野次

天城るりが総理大臣就任し、組閣は驚くべきスピードで進んだ。能力主義を徹底し、性別や年齢、派閥など一切関係なく、適材適所人材を抜擢していく。彼女政策は明快で、実行力に満ちていた。国民支持率は、うなぎのぼりだった。

そんな中、東山教授とその一派は、国会議事堂の前で奇妙なデモ計画した。プラカードにはこう書かれている。

天井はここにある!』

『見えないからって、無いわけじゃない!』

『我々の知性を無視するな!』

彼らは空に向かって指をさし、「見よ、この分厚く、冷たいガラス天井を!天城総理あなたにもこれが見えないのか!」と代わる代わるシュプレヒコールを上げた。しかし、道行く人々は、何もない空を指さして熱弁をふるう一団を、ただ不思議そうに眺めるだけだった。中には、不審者を見るような目で、足早に通り過ぎていく者もいた。

「どうして見えないのだ、この愚民どもには!」

東山教授は苛立った。彼女が何十年もかけて織り上げてきた、世界で最も高尚で、最も知的な「見えない御衣」が、誰にも理解されない。それどころか、天城総リは、そんな騒動を意にも介さず、外交に、経済政策に、次々と目に見える成果を上げていく。

国民は、もはや空虚天井画には興味がなかった。彼らが見たいのは、自分たち生活が良くなるという、具体的な未来予想図だった。

####最終章王様の新しい服

就任後、初の所信表明演説の日が来た。国民の注目が、官邸から国会へと注がれる。東山教授も、テレビの前で腕を組み、天城がいつ「天井」の存在言及し、自分たち知識人謝罪するかと待ち構えていた。

壇上に立った天城るりは、朗々と、しかし力強く語り始めた。経済外交社会保障。具体的な数値と計画を伴った演説に、野党からさえも感嘆の声が漏れた。そして、演説最後に、彼女はふと笑みを浮かべ、こう言った。

「さて、一部の賢明な方々が、わたくしが打ち破るべき『天井』の存在について、大変ご心配くださっているようです」

議場がざわめいた。東山教授テレビにかじりついた。

「その方々が仰るには、わたくしには見えていないだけで、この国の空には、それはそれは分厚いガラス天井が広がっているのだとか。そして、それが見えない者は、愚か者なのだそうです」

天城はそこで言葉を切り、満場の国会議員と、その先にいる全国民に向かって、堂々と宣言した。

「ならば、わたくしは、喜んで愚か者でありましょう。わたくしには、見えない天井を見上げて嘆いている時間はありません。わたくしが見ているのは、天井の先にある、この国の未来です。国民一人ひとりの、笑顔です」

彼女は両腕を広げた。

「皆様。存在するかどうかもわからない天井の話は、もう終わりにいたしましょう。それよりも、わたくしが仕立てた『繁栄』という名の新しい服を、共にご覧いただきたい!」

その瞬間、割れんばかりの拍手が議場を包んだ。それは、もはや誰にも止めることのできない、新しい時代ファンファーレだった。

テレビの前で、東山教授呆然と立ち尽くしていた。彼女が心血を注いで織り上げたはずの「至高の御衣」は、いつの間にか、誰の目にも見えないどころか、誰の記憶にも残らない、ただの空気に成り果てていた。

王様は裸だ…」と叫んだのは誰だったか。いや、そもそも王様などいなかったのだ。いたのは、自分の仕立てた服こそが最高だと信じて疑わなかった、時代遅れ仕立て屋だけだったのである

Permalink |記事への反応(2) | 10:39

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2025-10-02

畳の上で死ねないって言うけど

家に畳ありませーん、って返答してくる人がいたらそいつ愚か者だと思うよね。

Permalink |記事への反応(1) | 16:12

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anond:20251002130227

まさに「愚か者経験に学ぶ」じゃん

Permalink |記事への反応(0) | 13:05

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2025-10-01

箴言かなんかで「馬鹿に関わるな」みたいのなかったっけ?

はい、あります

おそらくあなたが思い出しているのは『箴言ミシュレイ)』にある、愚か者との関わりについての警句だと思います

箴言 26:4 「愚か者の愚かさに従って答えるな、あなたも彼のようにならないために。」

箴言 26:5 「愚か者にその愚かさに従って答えよ、彼が自分を賢いと思わないように。」

この二つの節が並んでいるのが面白い点です。最初は「愚か者に関わるな」と言い、次は「関わって正してやれ」と言う。

タルムード的な読み方では、これは矛盾ではなく「場合による」ということを示している、と解釈されます

時には相手にしてはいけない(巻き込まれから)、時には答えてあげないと彼が自分の愚かさに気づかないからです。

他にも

箴言 14:7 「愚か者の前を離れよ、そこには知識言葉が見出せないから。」

まり、「愚かさ」に巻き込まれることを避けるのは聖書的な知恵の一部だとされます

Permalink |記事への反応(0) | 00:39

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2025-09-30

anond:20250930191141

中二病」って揶揄するやつって、尖ったところが何もないクズが言いがちなんだよな

中二病って貫き通せばむしろかっこいい概念で、

そういう、相手のいいところを茶化して萎縮させようって言う下劣精神から発せられる言葉なんだよな

出る杭を叩く愚か者のもの

Permalink |記事への反応(1) | 19:23

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2025-09-29

今日無知を嗤う系のコンテンツが人気ですね

とある小説家が『無言の帰宅』の意味を知らなかった人が、「そんなのわかるわけないじゃん!ふつうに『死んだ』って書けよ!」と言ってるのを知ってグッタリした話…言葉を知らないこと自体を責める意図はなく知らない言葉出会った時に怒る人が少なからずいる事実がつらい

https://togetter.com/li/2608744

SNS上の「行方不明だった夫が無言の帰宅となりました」という報告に対して、「命があってよかったです」「今は色々聞かないであげて下さい」とレスしている人々がいて、びっくりした

https://togetter.com/li/2607275

わかるわかる

他人無知を嗤うのは面白いよねえ

無知なくせにその自らの無知にさえ気付けない愚か者が、あまつさえ怒って周りを攻撃している姿を嘲り笑うのはとても面白いよねえ

自分が知っていることは「まともな人間」なら知っていて当然だよねえ

「教えていただきありがとうございました」しか発するべきではなく、怒るなんて論外だよねえ

どうして殊勝な態度を取れないんだろうねその人は。存在が許せないよねえ

そんなクズが生きていることに憤りさえ感じてしまうよねえ

その感情SNSに吐き出してみんなで共感しあうと気持ちが良いよねえ

そういう叩きやすい人を叩いても良心全然痛まないし、むしろ快感なうえ、みんなで共感しあえる最高のネタなんだからそりゃ叩くに決まってるよねえ

みんな幸せになりたいよねえ

Permalink |記事への反応(2) | 07:04

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2025-09-28

anond:20250927132801

私も愛されたかった。

記事の元よりかはマシな方だとは思うけれど。でも、書きたくなった。

私も30代後半になってきて、ここまで彼女なんていない。

年収1000万円超えて仕事は充実して、身長175cmで。顔は周囲の反応からはそれなりにイケメンらしい。自分でも悪くないとは思う。その辺は人によるだろうが、それなりに服装や身なりには気を付けてる。でも、言い寄られた経験とかはないので、そこまででもないかもしれないが。

10代、20代は頃は本当に勉強仕事オタク趣味にあけくれて、30代になるまで、いつか彼女ができるものとか考えてた愚か者だ。でも、そのおかげでこの稼ぎが得られた訳で。

30代になって、初めて彼女つくる努力をはじめて。でも、その意味女性に愛してどうアプローチすればいいかからないし、そもそもかなりのコミュニケーション障害で。

マッチングアプリで、マッチング自体はするんだけど、上記ことだからそもそも会話が全く弾まない。そして、なんとか会う約束をしても、当日になって、ドタキャンというか、連絡が途絶えてしまうなんてことが、10回以上はあった。そのおかげで、女性に対してなんてモラルがない生き物なんだ?とか思ってしまったりもした。いや、良い人もいると思う。巡り合わせが悪いんだとも考えたり。でも、だんだんマッチングアプリが怖くなってきて。より初めて会う時、挙動不審になる。

出会っても、次会うとかならない。だって、ほかの方は大抵は一回以上は彼氏がいて、そういう経験がある。でも、私はそういうのが全くない。そもそも、ここからどうやって関係を作っていくか全くわからない。口説く?下手に可愛いとか言うとセクハラになるかな?キモくないかな?とかいろいろ考えて言葉が詰まる。そのうち、興味ないのかな?とかつまらないな?と思わせてしまうんだろう。

本当にみんながやってて当然で、基本的なことが出来てないとは思う。でも何をやれば良いか、身につけるべき時に身につけられなかったんだろうと思ってる。仕事趣味大事で、色恋を軽視していた。というか、ちゃん経済力があれば、モテるだろうとか思っていた。でも、本当に私は前提やスタートラインにすら立たない。

嘘松と言われるかもしれないが、年収1000万円を超えて、その金のほとんどは自分の力で稼いだもので、仕事趣味には本当に満足している。充実している。

でも、やっぱり、愛されたかったな。

Permalink |記事への反応(0) | 04:42

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2025-09-26

電車ホームあんまり納得いかなかった話

 25日朝、都内電車が遅延した。

 都内ターミナル駅目的ホームに向かおうとしたら階段の時点で人があふれており、ホームにいたっては劣悪な家畜小屋のように人間がごちゃごちゃになってうごめいていた。

 ただ、ターミナル駅なので降りる人も多いため、電車がやって来て中の乗客を吐き出せば、ホームで待っていた膨大な人々をそれなりに飲み込んでしまうすごさがある。降車する人でホームパンクするかというと、電車が来た後はむしろすっきりしているぐらいで、すげーな、と思いつつ、俺も自分の乗る電車ホームで待つことにする。

 電車を待っている人たちの列に着く。電車が来る。列が動く。俺は前に進みつつ、到着しているいまの電車は見送ることにした。体を押し込めないと入らない気がしたかである

 俺の前に並んでいた人たちはみんな停まった車両に乗り込んだ。結果として、俺が「黄色い線の内側」の列で先頭になった。

 さて、俺が立ち止まってからも、いま停まっている電車に乗り込もうとする連中がおり(少し乱暴呼び方だがこう呼ぶ)、乗車口に向かっていく。

 車両の許容量はぱっと見で明らかに臨界に達しており、どう見ても乗れるわけがない。無理なものを無理に乗ろうとする者、「あ、これは無理だな」と遅ればせながら途中で悟った者などが逡巡ののちに乗車を断念し、だらだら車両から離れる。ホームドアが閉まって電車が出発し、結果としては、この連中が列(というか、こいつらのせいで列という既存形態あいまいになり崩壊したため、「群」)の先頭になる。

 うん? と思ってどうも釈然としない。

 これから次の電車が来るわけだが、そのとき乗車する順番は、「明らかに乗れるはずがない電車に乗ろうとして上手くいかず、あきらめて後退して列の後ろにも戻らず、乗車口(兼 降車口)の正面で待機している人たち」が先になるのだろうか?

 それ、面白くねえな、と思う。要素がいろいろ複合しているが、単純に「列に並ぶ」という点で順番を抜かされているだけで面白くない。

 いちいちこう書くのも偏執的だが、まず、すでに並んでいる列を抜かして先頭に立とうとしたらおかしいし、一回電車に乗ろうとしていた、というイレギュラーがあるからといって、「乗ろうとして乗れなかった者は列で並んでいる人の順番を抜かして集団の先頭で待っていてよい」ルールなどない。

 ただ、と一方で思う。

 俺は、じゃあ、この場にどういうことが起こるべきだと言いたいのか?

 例えば、乗ろうとして乗れなかった連中が、あきらめて全員列の後ろに並び直せばよいのか?

 さらに一つややこしいことを言うと、乗車口(=降車口)の前で滞留している連中にも理解の及ぶグラデーションがあって、一番前にいる者の気持ちはわからなくもない。

 見たところ明らかに無理、でも、すでに中にいる人たちが頑張って詰めてくれれば一人分空くだろう、という心情は、実は理解できる。明らかに無理なことが実際に無理だっただけである

 しかし、この人にあとから続いてきた者たちのことは、もう全然からない。自分の前にいるやつからして明らかに入れないのだから自分が入るわけがない。後方に行くほど理解できず、前から距離に比例してトンマだと思う。

 で、これを加味すると、俺が望んでいることは何かというと、後方から乗ろうとした連中はあきらめて列に並び直す。ごくごく前方にいた人のみ、「あいすみません…」という感じで、列そのものの先頭ではないけどもなんとなく前方で次の電車を待つ。そういうことになるのか。

 そんなことが起きるわけがない。全員が列の後方にすごすごと戻る、ということもないだろう。そういう分別があるなら、そもそも、前段階である「明らかに乗れない電車突撃自体が起こらない。

 にもかかわらず、そうあるべきだ、というのは、自分でも起こるわけないと理解している「べき論」を盾に相手を論難しているわけで、おのれの正当性偏重しすぎて、おそろしく非生産的な気がする。

 といって、順番を抜かされるのはシンプルにムカつくし

 ここからさらに話が変わる。

 電車ホームで起きていることは「列で並んで待つ。他の人を抜かさない」という空間的なシステム愚か者のせいでぐしゃぐしゃになる話だが、時間的にも似たようなことは起きる。

 というか、散々書いてきてあれだが、俺こそよく、時間的意味で、「システムを壊乱する」側である。要するに締切の話である

 例えば締切が9/25だとして、俺は「とはいえ、9/26の早朝までは大丈夫ですよね?」ということをやらかす。

 実際、それで助かることは多い(もちろん、他の人には負担をかけている)。自分迷惑をかける側になってみると、システムにも遊びがあった方が助かるな…と思う。ある程度だらしなく、関わっている者全体がお互いのルーズさを飲み込んだ方が便利である

 ただ、時間的にだらしない俺が言うのもなんだが、

・締切は9/25です。

とはいえ、9/26の朝までに出せばいいですよね?

はい。本当の締切は9/26の午前です。

⇨ わかりました。じゃあ、9/26の午後イチではどうですか。

しかたないですね。9/26の13時でも受領します。

ありがとう。ところで、実は…

となって、果てしなくシステムメルトダウンしていき、ルールを守ることをナメるやつが出てきて、真面目な人が損をする。それはよくないので、やはり仕組みは仕組みとして明確に切るべきなのか(卒論の提出など、意味合いが深刻なものほどそうなっている)。


 うーん、と思っているうちの次の電車が来る。ターミナル駅なので大量の人が降りてきて、降車口の前にいる連中は思いっき邪魔になっている。その連中が脇にのくスペースをつくるために俺も脇にのくが、これで列がより曖昧になり、もう列で並ぶとか意味ないじゃん、と思う。

 その連中が乗り込んで、あとから俺も乗る。仮にの話だが、もしこいつらの乗ったために車内がいっぱいになり、この電車も見送らないといけなかったら、俺は相当ムカついただろう。だろうが、「ちゃんと並べ」という俺自身、別のところではヘラヘラやっているため、どの立場で何を怒っているのやらよくわからない。

 関係あるようなないような話だが、最近都内駅構内エスカレーターで右側を歩く、という慣習が弱まっているような気がする(気がするだけかもしれない)。乗ろうとするエスカレーターを見上げて、妙に静的なので、うん? と思うことが増えた。

 俺は空間的なことには教条的なので、大変いいことだと思う。決まりは守らないとな、と思っている。

Permalink |記事への反応(0) | 08:09

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2025-09-24

anond:20250924110046

魅力的な男性なら女性の方から嫌になるくらいくるのでどうぞ魅力を磨いて待っていてください

なんの魅力もない男性が強引にきても身の程を知らない愚か者か異常者にしか見えない

Permalink |記事への反応(2) | 12:35

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2025-09-14

anond:20250914121005

悲しいねえ。

議論論破されたからと言って、「知恵遅れ」と相手罵倒することしかできない愚か者は。

惨めで泣けてくるね。

もう今日は布団かぶって寝なよ。

Permalink |記事への反応(0) | 13:19

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仕事の早いやつはプライドを捨てて他人の技を盗む天才

俺が知ってる限り、仕事の早い人の共通点はたった一つ。

自分のやり方にこだわらないことだ。

仕事の大半は雑用の塊で、本当に時間をかけて考えるべき案件なんて全体の2割程度しかない。その2割には自分個性を最大限発揮して取り組めばいい。だが残り8割の雑用は、とにかく効率的に片付けるのが最善の選択だ。

ところが人間というのは「俺は俺のやり方がある」「これが自分流儀だ」と意味不明なこだわりを持ちたがる。つまり他人のやり方から学ぼうとしない愚か者ばかりなのだ

お前らは勘違いしてるが、俺が観察してきた仕事の早い連中は、決して「自分流」に固執しない。むしろ真逆で、他人効率的手法を見つけると、プライドを捨ててでも即座に取り入れる。

単純作業ひとつでも、知らないことは先輩には「教えてください」と素直に頭を下げる。後輩が便利な技を使ってたら「それ何?」と食いついて、その場で自分のやり方を変える。この柔軟性が圧倒的な差を生むんだ。

俺の前の職場にいたSという男は、入社1年なのに10ベテランクラス仕事処理速度だった。そいつの机を観察すると、付箋の貼り方から資料整理、メール返信パターンまで、全部「誰かから盗んだ技」の寄せ集め。それを恥じるどころか堂々と「これ田中さん直伝です」「佐藤部長の真似です」と感謝まで口にする。

普通なら「俺のオリジナルじゃない」と恥ずかしがるところを、逆に誇らしげに語るこの図太さが武器になってた。

一方で仕事の遅いやつは「俺には俺のやり方がある」と非効率方法固執する。「手書きじゃないとダメ」「このアプリじゃ集中できない」といった意味不明なこだわりで時間を浪費し続ける。

8割の雑用効率化するために必要なのは自分感情を殺すことだ。「これは俺のやり方じゃない」「達成感がない」なんて感情は全部ゴミ箱に捨てろ。雑用に達成感を求めるな。機械的に片付けて、本当に頭を使うべき2割に全力投球するのが正解だ。

結局、仕事が早い人は「学習効率」が段違いに高い。新しい方法を覚えるコスト節約できる時間を瞬時に計算し、得だと判断したら即座に乗り換える。この判断力と実行力の積み重ねが、他者との決定的な差を生む。

お前らも今日から変われ。プライドを脱ぎ捨て、周囲の効率的人間を徹底的に観察しろ。良いと思った方法は遠慮なく真似しろ。「パクリ」じゃない、「学習」だ。仕事においてオリジナリティなど何の役にも立たない。素直に盗んで、素直に感謝して、素直に成長する。それが最強の仕事術だ。

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2025-09-12

独占配信にキレるオタクたち

ジョジョ7部のアニメNetflixで全世界配信決定のツイートを見かけた

正直予想はしていたが案の定リプライ引用には独占配信か否かで騒ぎ出す層が跋扈していた

自分は彼らの感情が一切理解できないのだがアニメでは一定層そういった意見散見されるのも事実

よって今回はそんな方々が何故現れるのかを自分なりに考察してみたのでまとめようと思う。反論は受け付ける

第一に金を払いたくないテイカ気質ユーザーが多いか

ビジネスにおいて「値段を上げるとクレームや悪質なユーザーが減る」という法則があるのは有名な話だが、まさにそれと同じことがアニメでも起こってるというのが大多数であると思われる

言葉は強いが、端金も出せない貧乏人風情が平然と娯楽を享受したいというのがおこがましいのである

払いたくないのは勝手だが文句を言ったり苦言を呈したりするのはあまり傲慢じゃないかと思う

というかそもそも独占配信とは言えどリアタイ放送はやってあくま配信では独占のケースや独占配信からしばらく経ったら他のプラットフォーム地上波解禁もあるパターンも多いので焦らず待てばいいじゃんとは感じる

まあこれはアニメに限った話ではなく昔からどこにでも現れるものなのである程度仕方ないのかなとも思っている

第二に周りとの共有や一体感を求める層が多いか

独占配信話題で尽きない話題として「トレンドに載らないから盛り上がりに欠ける」「地上波放送されないと周りに進めずらい」などの意見がよく見られる

あわよくば「ニコニココメントでワイワイしてないと見れない」とかほざく連中までいる

いやいやいや、君たち本当に作品を楽しんでます(笑)

かに世間での盛り上がりや周りとの共有が視聴体験の楽しさに大きく影響しているのは認めよう(5chの実況チャンネルは今昔どのジャンル一定の人気があるし)

しかしそれはあくま副産物的な楽しみであり自身作品を視聴し、咀嚼し、考察し、気に入れば関連作品に手を伸ばす

そこに他者の介在は必要だろうか?

そもそも体感(笑)話題(笑)のようなフワフワした実態性のないワード根拠理論を展開するのが滑稽であるということに気づかないのだろうか?

少し脱線するがこれはオタクライト化の弊害も大きいと思う

かつては一部の愛好家のみが周りから侮蔑眼差しに耐えながらそれでも己の好きを追求していた

しかし今では国民オタク時代

推し活」なる承認欲求自己愛に塗れたふざけた行動の大衆化や、SNSにアクスタやぬいぐるみ写真をアップしてアクセスを稼ぎたがる連中の増加

だいぶ私怨が入ったがこれにより「お客様精神」の肥大化が進行して図々しいオタクが増えたものと思われる

もちろん金を多く払った方が偉いなどと言う気は無いがかと言って無料提供しろ文句を言うことに正当性は全くないだろう

まとめると要は「無料で気軽に楽しめるものでみんなとワイワイ盛り上がりたいから」というあまり自分勝手理由しかないことが伺える

じゃあいっそそのくらい開き直ってキレてくれればまだ笑えるが、あろうことか「伝統の実況文化が〜」「コンテンツの衰退が〜」とかそれらしい理由をつけて批判正当化したがる愚か者のなんと多いことか

別に名作はいつ見ようが一気見しようが毎週見ようが名作だし、リアルタイムで見れなかったからといってその作品にハマらないなんてことは無い

もっと周りに流されず自分意思アニメを楽しんでみてはいかがでしょうか

ところで独占配信と言えどアマプラならドキュメンタルやバチェラー、ネトフリでも全裸監督地面師など話題になる作品はかなり見かける印象なのだアニメだとなぜこうはならないのだろうか?

一説として実況文化の有無が大きいと言うがそれだけでそんなに変わるものだろうか?

よかったら意見を聞かせてください

Permalink |記事への反応(1) | 23:40

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2025-09-05

アジフライソースをかける愚か者共よ……

醤油にしなさい

Permalink |記事への反応(0) | 12:15

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2025-08-24

anond:20250824233408

その考え方が愚か者

Permalink |記事への反応(0) | 23:49

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2025-08-21

悪魔と交わる魔女について。なぜ女性が主として邪悪迷信に溺れるのか?悪魔と交わる魔女については、そのような忌まわしい行為いかにして遂行されるかという方法考察するにあたり、多くの困難がある。悪魔の側について:第一に、悪魔が装う肉体がいかなる元素から成るか;第二に、その行為に常に他者から受け取った精液の注入が伴うか;第三に、時と場所について、ある時期に他の時期よりも頻繁にこの行為を行うか;第四に、その行為が傍らに立つ者に見えないものか。そして女性の側について調べるべきは、このような汚らわしい方法で自らが懐胎された者のみが悪魔に頻繁に訪問されるのか;あるいは第二に、出生時に産婆によって悪魔に捧げられた者なのか;そして第三に、そのような者の実際の肉欲の快楽がより弱い種類のものなのか。しかし、我々はここでこれらすべての問題に答えることはできない。なぜなら我々は一般的研究にの従事しており、また本書の第二部において、第四章に現れるように、それらはすべてその働きによって個別説明されるからである。そこでは各々の別々の方法について言及されている。 それゆえ、今は主として女性考察しよう;そして第一に、なぜこの種の不信仰男性よりもかくも脆弱な性により多く見出されるのか。そして我々の探求は、第一女性一般的条件についての一般論、第二に迷信と魔術に身を委ねる女性の種類についての個別論、そして第三に、邪悪さにおいて他のすべてを凌駕する産婆についての特論となろう。迷信が主として女性に見出される理由第一問題、なぜより多くの魔女脆弱女性の性に男性よりも見出されるかについて;これは実際、信頼できる証人言葉による証言を別としても、実際の経験によって証明されているのであるから反駁することは無意味である事実である。そして神が常にその威力を広めることにおいて大きな栄光を取られた性を決して貶めることなく、この事実について様々な人々が様々な理由を挙げてきたが、それらは原則において一致していると言おう。それゆえ、女性への戒めのためにこの問題について語ることは良いことであり、それが慎重さをもって説かれる限り、彼女らがそれを聞くことを切望することが経験によってしばしば証明されている。 ある学識ある人々はこの理由提示する;自然界には三つのもの、すなわち舌、聖職者、そして女性があり、これらは善においても悪においても節度を知らない;そして彼らがその状態境界を超えるとき、善と悪の最高点と最低点に達する。彼らが善なる霊に支配されるとき、徳において最も優れているが、悪なる霊に支配されるとき、最悪の悪徳に耽る。 これは舌の場合に明らかである。その働きによって多くの王国キリスト信仰へともたらされ、聖霊キリスト使徒たちの上に火の舌として現れた。他の学識ある説教者たちもまた、死にゆラザロの傷と腫れ物を舐める犬の舌のようであった。言われているように:犬の舌をもって汝らは敵から魂を救う。 この理由で、説教師団指導者で父である聖ドミニコは、口に火のついた松明をくわえて吠える犬の姿で表される。今日に至るまで彼がその吠え声によってキリストの羊の群れから異端の狼どもを追い払わんがためである。 また一人の思慮深い人の舌が群衆の言い争いを鎮めることができるのも共通経験である;それゆえソロモン箴言10章で彼らの賞賛を多く歌うのは当然である:「悟りある者の唇には知恵が見出される。」そしてまた「正しき者の舌は選りすぐりの銀のごとし:悪しき者の心は価値少なし。」そしてまた「正しき者の唇は多くを養う;しか愚か者は知恵の欠如のため死す。」この理由で彼は第16章で付け加える「心の備えは人に属するが、舌の答えは主から来る。」しかし悪い舌については、シラ書第28章に見出すであろう:「中傷する舌は多くを不安にし、国から国へと追いやった;強固な城を引き倒し、偉人の家を覆した。」そして中傷する舌とは、争う二者の間に軽率にあるいは悪意をもって干渉する第三者意味する。 第二に、聖職者について、すなわち男女を問わず聖職者修道者について、聖ヨハネ・クリュソストモスは「彼は神殿から売り買いする者たちを追い出した」の箇所でこう語る。司祭からすべての善が生まれ、すべての悪が生まれる。ヒエロニムスはネポテアヌスへの書簡で言う:貧困から富へ、低い地位から高い地位へと上った商売をする司祭を疫病のように避けよ。そして福者ベルナルドゥスは詩篇についての第23説教聖職者について言う:もし公然たる異端者として立ち上がる者がいれば、彼を追放沈黙させよ;もし彼が暴力的な敵であれば、すべての善人は彼から逃れよ。しかし我々は誰を追放し誰から逃れるべきかをいかに知るのか?彼らは親しげで敵対的平和的で好戦的、隣人的で全く利己であるからである。 そして別の箇所で:我らの司教は槍兵となり、我らの牧者は毛を刈る者となった。ここで司教とは、自分では小指で触れることもしない重い労働を部下に課す傲慢修道院長たちを意味する。そして聖グレゴリウスは牧者について言う:聖性の名前位階を持ちながら罪の中に生きる者ほど教会において害をなすはいない;誰も彼の罪を告発する勇気がなく、それゆえ罪が広く広がる。罪人がその位階の聖性のゆえに敬われるからである福者アウグスティヌスもまたドナトゥス派のヴィンセンティウスに修道士について語る:我らの神である主の前で汝の愛徳に率直に告白するが、これは神に仕える者となって以来の我が魂の証人であるが、修道院を飾るか辱めるか以上に良くも悪くもない人々を見出すことが不可能であるという事実において、我が経験した困難は甚大である。 さて、女性邪悪さについてはシラ書第25章で語られている:「蛇の頭の上にある頭はなく、女性の怒りの上にある怒りはない。獅子や竜と住むほうが、邪悪女性と家を保つよりましである。」そして邪悪女性についてその箇所で前後に述べられる多くの中で、彼は結論する:「すべての邪悪女性邪悪に比べれば小さなものである。」それゆえ聖ヨハネ・クリュソストモスは「結婚するのは良くない」(マタイ第19章)の箇所でこう言う:女性とは友情の敵、逃れられない刑罰必要な悪、自然の誘惑、望ましい災い、家庭の危険、魅惑的な害悪、美しい色で塗られた自然の悪以外の何であろうか!それゆえ、彼女を保つべき時に離縁するのが罪なら、それは確かに必要拷問である;我々は彼女を離縁することで姦淫を犯すか、日々の争いに耐えなければならないかであるキケロは修辞学第2巻で言う:男性の多くの欲望は彼らを一つの罪に導くが、女性欲望は彼らをすべての罪に導く;すべての女性悪徳の根は貪欲からである。そしてセネカ悲劇で言う:女性は愛するか憎むかである;第三の段階はない。そして女性の涙は偽りである;真の悲しみからまれることもあれば、罠であることもある。女性が一人で考えるとき彼女は悪を考える。しかし善い女性については多くの賞賛があり、我々は彼女らが人々に至福をもたらし、国民土地都市を救ったと読む;ユディトデボラエステル場合に明らかなように。コリント第一第7章も参照:「もし女性に信じない夫がいれば、彼女は彼を去らせてはならない。信じない夫は信じる妻によって聖化されるからである。」そしてシラ書第26章:「有徳な妻を持つ人は幸いである。彼の日数は二倍となるであろう。」そしてその章全体を通じて善い女性の優秀さについて多くの高い賞賛が語られている;箴言最後の章でも有徳な女性について同様である。 そしてこのすべては新約聖書においても女性処女とその他の聖なる女性たちについて明らかにされている。彼女らは信仰によって国民王国偶像崇拝からキリスト教へと導いた。ヴィンケンティウス・ベルヴァケンシス歴史の鏡、第26巻第9章)を見る者は、最もキリスト教的なジゼラによるハンガリー改宗と、クロヴィスの妻クロティルドによるフランク族改宗について驚くべきことを見出すであろう。それゆえ、女性に対して読む多くの非難において、「女性」という言葉は肉の欲望意味するために使われている。言われるように:「我は死よりも苦い女性見出した」、そして「肉欲に従う善い女性」。 また他の者たちは、男性よりも迷信的な女性が多く見出される他の理由提示した。第一は、彼女らがより軽信的であること;そして悪魔の主要な目的信仰堕落させることであるから、それゆえ彼はむしろ彼女らを攻撃する。シラ書第19章を参照:「信じやすい者は軽率であり、減ずるであろう。」第二の理由は、女性自然により感受性が強く、肉体のない霊の影響を受ける準備がより整っていること;そして彼女らがこの性質を良く用いるとき彼女らは非常に善いが、悪く用いるとき彼女らは非常に邪悪である。 第三の理由は、彼女らが滑らかな舌を持ち、邪悪な技によって知ったことを仲間の女性たちから隠すことができないこと;そして彼女らは弱いので、魔術によって自らを復讐する簡単秘密方法を見出すことである上記引用したシラ書を参照:「獅子や竜と住むほうが、邪悪女性と家を保つよりましである。すべての邪悪女性邪悪に比べれば小さなものである。」そしてこれに加えて、彼女らは非常に感受性が強いので、それに応じて行動する。 また説教者が用いることについて非常に注意すべき他の理由提示する者たちもいる。旧約聖書において聖書女性について悪く語ることが多いのは真実であり、これは最初の誘惑者エヴァとその模倣者たちのためであるが;その後新約聖書においては、(聖ヒエロニムスが言うように)エヴァからアヴェへというような名前の変化を見出しエヴァのすべての罪がマリアの祝福によって取り去られた。それゆえ説教者は常に可能な限り彼女らの賞賛を語るべきであるしかし、この時代においてこの不信仰男性よりも女性により頻繁に見出されることを我々が実際の経験によって学ぶのであるから、もし誰かがその理由を知りたがるなら、我々は既に述べたことに以下を付け加えることができる:彼女らは心身ともにより脆弱であるから、魔術の呪文の下により陥りやすいのも驚くことではない。 知性について、すなわち霊的なことの理解について言えば、彼女らは男性とは異なる性質であるように思われる;これは聖書からの様々な例によって裏付けられた権威者論理によって証明される事実である。テレンティウスは言う:女性知性的子供のようである。そしてラクタンティウス(教育、第3巻):テメステを除いて哲学理解した女性はいない。そして箴言11章は、まるで女性描写するかのように言う:「豚の鼻の金の輪のように、美しいが思慮のない女性である。」しか自然理由は、彼女男性よりもより肉的であることであり、これは彼女の多くの肉的な忌まわしさから明らかである。そして最初女性形成に欠陥があったことが注目されるべきである彼女は曲がった肋骨、すなわち胸の肋骨から形成されたからであり、これは男性に対して反対の方向に曲がっている。そしてこの欠陥により彼女は不完全な動物であり、常に欺く。カトーが言うように:女性が泣くとき彼女は罠を編む。そしてまた:女性が泣くとき彼女男性を欺くために労苦する。そしてこれはサムソンの妻によって示される。彼女は彼がペリシテ人提示した謎を告げるよう彼を騙し、彼らに答えを教え、かくして彼を欺いた。そして最初女性信仰が少なかったことは明らかである;蛇がなぜ彼らは楽園のすべての木を食べないのかと尋ねたとき彼女は答えた:「すべての木について、等々-恐らく我らが死ぬことのないように。」それによって彼女は疑い、神の言葉への信仰が少ないことを示した。そしてこのすべては語源によって示される;フェミナ(女性)はフェ(信仰)とミナス(より少ない)から来るからであり、彼女信仰を保持し保存することにおいて常により弱いかである。そしてこれは信仰に関して彼女の本性である恩寵自然の両方によって、キリスト受難の時、すべての人において失われた時でも、祝福された処女において信仰は決して失われなかったが。 それゆえ邪悪女性は、その性質により信仰において動揺しやすく、結果として信仰を棄てやすく、これが魔術の根である。 そして彼女の他の精神性質、すなわち自然意志について;彼女が以前愛していた誰かを憎むとき、海の潮流が常に波立ち沸騰するように、彼女の魂全体で怒りと性急さで煮えたぎる。多くの権威者がこの原因について言及する。シラ書第25章:「女性の怒りの上にある怒りはない。」そしてセネカ悲劇、第8巻):炎の力も膨らんだ風も、致命的な武器も、結婚の床から離縁された女性欲望憎悪ほど恐れられるものはない。 これはヨセフを偽って告発し、彼女との姦淫の罪に同意しなかったために彼を投獄させた女性においても示される(創世記第30章)。そして魔女の増加に寄与する最も強力な原因は、既婚者と未婚の女性男性の間の嘆かわしい競争である。これは聖なる女性の間でさえそうであるから、他の者の間ではいかばかりであろうか!創世記第21章でサラがハガルの懐妊に対していかに性急で嫉妬深かったかを見よ:ラケル子供がいないためにレアいか嫉妬たか創世記第30章):そして不妊であったハンナが多産なペニンナを(列王記上第1章):そしてミリアムがモーセについてつぶやき悪く言い、それゆえらい病に打たれたか民数記12章):そしてマルタマリア・マグダレナ嫉妬たか彼女が忙しく働いている間にマリアが座っていたかである(ルカ第10章)。この点についてシラ書第37章:「彼女嫉妬する女性について、彼女相談してはならない。」つまり彼女相談することは無駄である邪悪女性には常に嫉妬、すなわち妬みがあるからである。そして女性が互いにこのように振る舞うなら、男性に対してはなおさらであろう。

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