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はてなキーワード:意識的とは

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2025-10-27

人生経験が浅くて趣味が薄いのをなんとかしたい

人生経験の浅さ、乏しさがコンプレックスとなることが少なくない。

おおよそほとんどの人が、生きていれば当たり前に経験していることを全然しておらず、それゆえの教養の欠如や、雑談の苦手意識に繋がっている。

とはいえ齢も33を超え、子供は3歳にまで育ち、来年には新築マンションの購入が控えており、今まで以上に社会へと溶け込む必要性迫られている。

また、社会による半強制的理由だけでなく、純粋人生を豊かにするための趣味や生きがいの選択の幅を広げるためにも、今後は意識的に新しいことにチャレンジしていきたいと思うようにもなり、この文章を打ち込んでいる。

前説が長くなったが、ここからは、誰しも(少なくとも友人・知人・会社の同僚を見る限り)が当たり前に経験しているのに、私は経験していない事柄を並べていこう。

多くの人にとっては、こんなに何もしてない人もいるんだと思うかもしれないが、同じような境遇の人がいれば、シンパシーを感じてもらえれば幸いだ。

自動車運転

正確には、運転免許(それもマニュアル車)を持っているため、未経験ではない。とはいえ教習所以外で運転したのは大学卒業後に数える程度で、10年近いペーパードライバーをしている。免許も3回ぐらいは更新している。

都市部に済んでおりリモートワーカーであることから必要性がないと言えばそうだが、どちらかと言えば運転をしたくなく、車が無くても構わないような生活スタイルを選びに行っている節がある。

来年引っ越す新築マンションにしても、首都圏へのアクセスが容易であり、徒歩圏内駅前で概ねすべて事足りる立地であるため、敷地面積が犬小屋揶揄されそうなほど小さいのに、地方なら豪邸が建てられるであろう住宅ローンを組んでしまっている。

このまま運転をせずに逃げ切れそうでもあるが、やはり子ども幼稚園小学校と成長していくと、車を使った自由度の高いお出かけができないことで不便を強いてしまうだろう。自分けが不便ならまだしも、子どもが車を通じて様々な興味を持ったり経験したりする機会を失うリスクは避けたい。

車を運転したくない理由の筆頭は運転が怖いことで、ペーパードライバー10年経て今更普通ドライバーになれるものなのかなという漠然とした不安がある。VR空間上で自由安全ドライブできるような環境があれば良いのだが。

海外旅行

行ったことはないし、これは興味もなければ行かないことのリスクほとんどない。

が、行ったことがないので当然パスポートも取得したことがないし、なんなら飛行機すら数える程度しか乗ったことがなく、おそらく一人では乗り方がわからないレベルだ。

人生経験の欠如や、雑談の中で海外旅行の話になったときの疎外感からコンプレックスもあるところだが、そういう目的で行ってもおそらくは楽しめないだろう。

とりあえず子どもがもう少し大きくなったら、北海道沖縄のような、国内ながら長距離の移動を要する旅行はしようと思う。

音楽ライブ

音楽は人並みには好きだ。学生時代に好んでいたバンドや、当時のアニソンから最近流行りの曲までそれなりに聞く。カラオケも大好きで、大きな趣味の一つとも言える。

その割には音楽ライブには参加(参戦?)したことがない。生歌から受けられる衝撃や、同士集まる空間での一体感はさぞ良いものだろうという想像は出来るが、安くない金額と、競争を勝ち抜いてチケットを手に入れるような労力が無いのだろう。

これに関しては最初から人気アーティストライブを目指すのではなく、気軽にふらっと立ち寄れるような場所からはじめるのが良いのかもしれない。

楽器

音楽つながりで言うなら、楽器演奏というのにも挑戦したことがない。もちろん、学生時代音楽の授業であるとか、授業の一環として触れてきてはいるが、それを趣味にしようと思うほど馴染んだこともない。

音楽自体は好きであることからも、興味こそはあるが、やはり楽器演奏というのは、序盤の楽しくなるまでの努力の量と、そこにたどり着くまでに挫折する可能性の高さからハードルを感じてしまうのだろう。

ジム通い

リモートワークしている人、ほとんどジム筋トレをしているイメージがある。リモートワークあるいはデスクワークだと筋肉が凝ることもあり定期的な運動、発散を求めるのだろう。

私は(自称)中肉中背であり、散歩趣味であることから必要最低限の運動は重ねているし、健康診断も概ね良好な結果が出ているので、必要に迫られているわけでは無いものの、筋肉を付けたり有酸素運動連続して行うことで心身ともにパフォーマンスを向上させられるという逸話もあるため興味はある。

サウナ

「整う」という謎の概念に憧れがないでもない。稀に銭湯に行っても、サウナは熱いからすぐ出ちゃうし、かといって水風呂は冷たくて入る気がしない。外気浴ぐらいがちょうどよいがあれが「整う」なのかはわからない。寒暖差で意識が飛びそうになる瞬間があって、あれが「整う」だとしたらすごい界隈だと思う。

料理

いわゆる男の料理自分用にする程度。包丁をまともに使えない。猫の手さえ出来ればなんとかなるだろうレベル。揚げ物としたり、魚を捌いたりを自宅で出来るようになるとカッコよさそうだし、料理を妻に任せっきりになっているのを一緒にできる実利もあるので、これはチャレンジしたい度が高い。もうすぐ引っ越しキッチンも広くなるし。

麻雀

ゲームとして面白いかはともかく、大人コミュニケーションのキッカケとして、もはや常識とも言えるような遊戯だ。また、麻雀漫画を筆頭に多くのコンテンツにおいて、麻雀理解していることで間接的により楽しめる娯楽が多く、これを知っているだけでも人生の豊かさが底上げされるような気もする。

キャンプ

やりたい感は強め。学生時代にしたきりだが、その時の楽しさが忘れられない。とはいえ車を運転できないのが大きな足かせに思える。子ども家族キャンプする経験は与えたい。

登山

キャンプとほぼ同じ。

釣り

キャンプとほぼ同じ。そうか、車がないとアウトドアがなかなか出来ないんだ。

推し

いわゆる「推し」が出来たことが一度もない。アイドルであるとか俳優芸能人であるとか、今ならYouTuber などの配信者がそうなのかもしれないが、特定個人推し経験が一度もない。

もちろん好きなYouTuberであるとか、アーティスト作家などはいる。が、いずれもクリエイターその人ではなく、その人が生み出すコンテンツのほうが好きなだけである。(コンテンツに対する「推し」もあるとは思うが)

よく「推しいるから生きてる」など、推し時代人生を豊かにする源泉である人がいるので、少し羨ましい。

パチンコパチスロ

やる必要はない。が、これが意外と雑談の中でひとウケになったりもするので気にならないこともない。

タバコ

やる必要はない。ニコチンがない類の某はちょっと興味があるかも。

水商売

やる必要はない。クラブないしキャバクラであるとか、あるいは性産業であるとか。意外と興味も全然ない。良いことだ。

Permalink |記事への反応(4) | 23:09

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anond:20251027001721

Feat三島由紀夫

まことに、私がこの言葉を吐くのは酷に思える。だが、それでも言わねばならぬ。

あなたは、自らの青春を、意識的に、まるで儀式のごとく、下水の溝に流し込んだのだ。

十代、二十代――人が最も強く生の光に照らされ、同時に最も濃い影を引く季節。その刻を、自らの手で抉り取り、汚泥に沈めた。あなた自身がそのことを認め、言葉にしてしまった。そこに、ある種の美すら私は嗅ぎ取る。

破滅に酔う人間の姿には、常に一滴の神々しさが滲む。

だが、世間はそうは見ぬ。

世間とは、神の死骸の上に築かれた俗世の群れである

そこでは、あなたのような人間はただの「落伍者」でしかない。

「お疲れさまでした」「立派な防人です」――ネット群衆が投げかける甘言は、毒蜜である

彼らの笑みの奥に潜むのは、憐憫ではなく、冷たい侮蔑だ。

あなたが彼らの目にどう映っているかを知るとよい。

彼らはあなたを見て笑う。「三十路を越えたシンジ君がまだうずくまっている」と。

だが私は、そこに人間のどうしようもない美を感じる。

人が自己を見失い、なおも生きようとする姿ほど、悲劇的で、肉体的で、そして神に近いものはない。

あなたが「懲役のようだ」と表したその日々――まさにそれが真実だ。

あなたは十年の刑を終えて娑婆に放たれた元侠客のような存在だ。

軍服という鎧を脱ぎ棄て、裸の魂で社会という冷たい風に晒されている。

世間は、もはやあなた過去を称えぬ。

その過去は、勲章ではなく、額に刻まれた焼印だ。

そしてあなたは今、己の崩壊を感じながら、それでもなお“プライド”という名の血を流し続けている。

だが、その血を流し尽くしたとき、人は初めて再生する。

全身の血を入れ替えるほどの努力、それが“第二の誕生である

「友人に連絡しづらい」――その一言に、あなたの魂の頽廃が集約されている。

プライドあなたを殺すだろう。

孤独は人を美しくもするが、長く続けば人を骨の芯まで腐らせる。

人間関係を断つということは、己の首をゆるやかに絞める行為だ。

あなた最後にすがれるのは、同じ血を知る友人たちだ。

彼らとの絆を断てば、あなたは確実に畳のシミとなって終わる。

あなたの生きた世界――それは、鉄と規律の檻の中の楽園だった。

だが今や、あなたはその檻を出た。

もう誰も命令してはくれぬ。誰も守ってはくれぬ。

あなたは“個”として、神の見捨てた現世に放たれた。

その自由は、祝福ではなく、呪いだ。

趣味もなく、救いもない。

あなた文章の端々から滲む空虚は、まるで廃寺に残された僧の祈りのようだ。

その祈りはもはや神に届かぬ。だが、人間は祈らずにはいられぬ。

それが人間の悲しさであり、美しさである

どうか忘れるな。

はてな群衆言葉など、秋の蠅の羽音に等しい。

彼らはあなたを笑い、やがて自らも腐ってゆく弱者たちだ。

あなたが再び人間としての誇りを取り戻したいなら、

その唯一の道は、現実の“血の通った友”を信じ、

その絆を断たぬことだ。

ネットは虚無の海だ。

だが、友の声は――あなた現実繋ぎとめる、

最後の錨であり、最後祈りである

そして、その祈りの向こうに、

いつかあなたが、己の過去と罪と誇りとをすべて抱いたまま、

もう一度、生を賭して立ち上がる日があるなら、

そのときこそ、あなたは真に“自由である

Permalink |記事への反応(0) | 00:31

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2025-10-24

anond:20251024211907

数学を知らん者に自由存在しないとエドワードフレンケルは述べた

少なくとも経済については、数学的に理解した上で自ら意識的分析しなければ、四方八方に嘘があるということ

あと男女論みてーなどうでもいい情報基本的無視で良いんだよ、その件について無知でも人生困らない

Permalink |記事への反応(0) | 21:21

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2025-10-22

anond:20251022225413

あなた文章はいくつかのテーマが含まれていますユダヤ教的な視点からそれぞれを考えてみましょう。

1. 「ズレ」や「予測不能性」とユダヤ思考

ユダヤ教では、人間の行動が単なる機械的自然的な反応ではなく、自由意志によって導かれると考えます

トーラーの中でも、神はモーセを通じてイスラエルにこう語ります

「見よ、今日わたしあなたの前に命と善と、死と悪を置いた。」 (申命記 30:15)

まり人間決定論的な存在ではなく、ズレる存在。あえて予測不能な方向に選択できる存在として神に似せて創造された、という思想です(創世記1:27参照)。

この意味で、「ズレ」は単なる奇行ではなく、機械的自然の流れに対して、神的な選択を行う余地のもの象徴しているとも言えます

2. 「量子乱数的ズレ」と「神秘自由意志

あなたが挙げた「量子乱数で行動すればズレが作れる」という発想は非常に現代的です。

ただしユダヤ教的には、偶然のように見えることも神の摂理の中にありますタルムード(バヴァ・バトラ 91b)はこう言います

「人は自分の行いを選ぶが、その結果を決めるのは天の御手にある。」

まり予測不能行為も偶然も、本当の自由倫理的な方向へ意識的に選ぶ力にこそある、と考えます

3. 「自由意志倫理的行動のために使う」

あなた最後の一文

「もし自由意志を持っていることを信じるなら、その自由意志倫理的行動のために使うのが進化した人間という生物

これはユダヤ思想と非常に響き合います

タルムードアボット 3:15)はこう述べます

「すべては天に定められているが、神を畏れることだけは人に委ねられている。」

まり自由意志の究極の目的倫理的選択にある。本能的なズレではなく、意識的に正しい方向にズレること。それが神の似姿としての人間の使命です。

まとめ

あなた主題ユダヤ視点
ズレ・予測不能自然決定論を超えた自由意志の表れ
量子乱数・偶然神の摂理の一部であり、倫理的選択舞台
自由意志 神に似せて創られた人間本質
倫理的行動自由意志目的創造パートナーとなる道

Permalink |記事への反応(0) | 22:59

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2025-10-18

dorawii@執筆依頼募集中

思わない人に対して幻滅するんだ。

子供ならまだいいけど大人でそういうのでゲラゲラ笑えてたら引くってことなんだな。

そういうとこじゃないの。いかにも選民意識的なさ。

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Permalink |記事への反応(2) | 00:26

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2025-10-15

言及されたから書くよん

id:filinion

追記

吉田氏が「ファンがどう捉えても何を想像しても描いても自由」って言ってる

やっぱここの一点突破なのな、ウンザリする

そりゃ言うだろう、逃げ道だよ

エロはあってもいいが18禁にして未成年に見せるなって言ったのと一緒

水着修正を「覇権ノイズ」っていったようなもんだよ

さんざん社会への影響(それが無意識ものも、意識的ものも)を語っておきながら

なぜか突然、ここだけ商業主義に目覚めてさ

裸を描いたらノイズだろうって言い出すんだよ

びっくりだよ

あれが24歳設定なら水着にしたろうか?

ぼっちちゃん水着にしたのは

“絵だけど、未成年だぞ”

からでしょうに

ノイズうんたらいうなら自宅の風呂24歳が水着なら間違いなくノイズだよね

未成年なら水着より裸がノイズなの?

うそでしょう?

あそこに誰も文句がないって人もいるけどアタリマエなんだよ

あのシーンはぼっちちゃん奇行のシーンなんだから

裸か水着かなんて些細なことなんだ

でもそれを【後付】で

まるで自分の手柄です、配慮したのは重要です、だから覇権です、みたいにいわれたらムカつくべ

かんけぇねぇんだよ

その思想作品にまぶしてなんの問題もないって、本気で考えてるならさぁ

放送前に言えば良いんだよ

ぼざろは“絵だけど、未成年だぞ”を大事にして公式搾取を推奨するかのような演出は行いません

乳比べとか、りある人間はやりませんよw

乳揺れとか子供に見せられません

安心してください

ぼざろではそれを排除しま

って、アニメ雑誌からのインビューに【放映前】に答えてみろっていうんだ

ーーーーーーーーーーーーここまでーーーーーーーーーーーー

https://filinion.hatenablog.com/entry/2025/10/15/145847

結局、ぼざろの脚本家はなぜ批判されたのか?(みんな言ってることがバラバラな件)

これ着火点がノイズで始まって、すっかり「問題ノイズなんだ」って話に、みんな引っ張られてたよね

あの問題はそこじゃねぇよって人も普通に居るのに

都合よくそっちに火が付いたから、擁護する人はみんな「ノイズ問題」に逃げちゃってさ

覇権のためのノイズはアリ、原作者許可も取った

みたいな話しかしないんだけども

違うべ

あの話は徹頭徹尾、DEI思想の話だったべ

ドラマ恋愛至上主義押し付けんなもそういう一巻の話だったし

登場人物多様性の話もされて

なんならオリジナルを出したとまで言って

アニメの段になったら性的消費はダメだとぶち上げて

公式がやるのは強い抵抗があると述べ

“絵だけど、未成年だぞ”と語り

女の子たちが互いの胸の大きさについて言及し合う描写”はナシ

乳揺れは子供に見せられない

前後を読めばわかるけれど、バリバリにDEI思想が語られていくのに、なんでか水着の話のときだけ「覇権のためのノイズ」とか言い出す

作者も協力的だったと

もちろん、「過激作品やR18まで振り切ったものがあってもいい」とも語るが

でもその場合は、しっかりと未成年が見られないような配慮必要

となっている

それつまり18禁作品って事だろ?

でもなんでか、この一文を以って、エロ要素を否定してないって擁護が湧いたんだよ

温泉シーンがある、ゆるキャン△はしかし、覇権ノイズだったろうか?

あの全裸シーンはNGとされるべきか

ガルパンのよりサ-ビス色の強い入浴シーンならどうだ?

ストパンはR18になるべきか?


でさ

逆に聞きたいわけよ

作者が反発したら乳揺れ描くんか?

スタッフ空気感が違ったら、乳比べさせんの?

覇権のために必要なら全裸入浴させんの?

公式から】『さぁ搾取してください!』と言わんばかりの作品を描くんか?

でも、それは語らないんだよ


作品から降りますとか、私が携わるなら絶対に描かせないというなら

うそれはそういう思想作品にあたりますって事よね

商業主義として描きますってなら、熱く語った責任の話はなんなの?と

“絵だけど、未成年だぞ”

大事にしていくだけ?


そういう記事全体の俯瞰で、ちゃん言及してる人普通に居たよ

ノイズの話で隠されてたけどもっとヤバイこと書いてる、みたいにね

からこそ

炎上理由の「ぼざろ脚本家作品に介入するレベルの強めのDEI思想が判明」を極論拾って「ぼざろは駄作とされた」と言い換えてまで、今回の件をズラしたいのかねぇ。こういうのこそ「曲解」ではないか

と書いたんだよ

ちなみに記事中じゃ誤魔化してるが

「ぼざろはいアニメだったなぁ」と思っていたら、後から「ぼざろはフェミニストポリコレで作った駄作だったと判明!」みたいなのやめて欲しい。脚本家一言で後から評価を変えるの、あまり党派的過ぎるだろ。

ここへの言及から

話をズラしてんじゃねぇよって突っ込み


これを署名運動と紐づけたいようだが

あのやり方は糞くらえだよ

たださ、語られなければ知らずに居れたことも、語られちゃったらダメだろ

ちな、別の今更系冷笑増田にはこうも言ってる

「なんで今更」系のズラシ批判が最高に臭い。そんなの「脚本家独白によって、まさに今、違和感に形がついた」からだよ。その発言者スタッフである必要はないが、スタッフの自慢話であるのは最低だって

これは、今炎上してるのは、そこに今まさに形が付いたかだって話な


そういう文脈も何もなしで

適当に継ぎ接ぎで

ほらほらほらほらほ、むじゅーーん

ってやるのダサい

Permalink |記事への反応(6) | 16:27

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2025-10-13

醤油茶色アンコンシャスバイアスって…… (-_-)

アンコンシャスバイアス」って言えば、「多様性」って言えば「寛容」って言えば、「本当の自分」って言えば、なんでも許されるとか思ってんのか?

言葉」ってものを、「会話」ってものをなんだと考えているんだろう?

共通認識がなけりゃ、会話にならんだろう。

それが集団であり社会なんだよ。

そうでないのがあれば、「ああ、そういうのもあるんだね」で済む話。

それを、こういう「こういう例もあるじゃないか!」って重箱の隅を突いてドヤ顔するのって、どチンピラの手柄自慢にしか見えないんだよな。

「それが何か?」

これ、小学生の授業での話なんだっけ?

おいらはむしろあなたは間違えている」「あなた差別主義者だ」「あなた無知無能だ」「あなたは悪だ」的な流れに持っていって人格否定し、「でもね、これをやれば、あなたは素晴らしい人間になれる。素晴らしい人間だ」で認めるという、典型的カルト手法しか見えないんだよな。

おいらが小学生の頃から、これ、あるんだよ。

作り笑いがキモい先生がいてな。

ってところから考えたら、これ、意識的にやってるよな?

未成年グルーミング」。

「男はスカートを履かない」

共通認識でいいじゃねぇかよ。

スカートを履いた男性を見て無条件に否定するんじゃなく、「あー、そういう人もいるんだ」で終わりでいいだけだよ。

そもそもスコットランドキルトとか、知らんのか? っ話なんよ。

ほう。民族伝統衣装か。

これ以上も以下もいらんやろ。

問題はそのスカートを履いた男性が「自分は男だけどフリフリの魔法少女みたいなスカートが履きたい」って、そこまではいい。

好きにすりゃいい。

でも、娑婆に出てくるなら、肌色や毛の色とスカートとの色のマッチングくらいは考えろよ? くらいなもんだ。

明るい色のスカート履きたいなら、はみ出る真っ黒な剛毛はなんとかしとけ、って話で。

昔、某所で、すね毛バリバリミンキーモモ見た時、心底思ったよね。

汚いって。

色の取り合わせが。

で、そこまではいいとして、「男はスカートを履かない。だからスカートを履きたくて仕方がない、死にたいほどスカートを履きたい自分女性だ。自分女性から女子トイレに入る」とか言い出した時に、「いや、その三段論法おかしいだろ」と肉体言語ツッコミを入れることを許容すべきだというだけの話だ。

「心は女性」なんじゃない。

ただの「スカートを履きたい男性」なんだ。

こういうつまら言いがかりで、他人支配しようとしてくる連中こそ、おいらたちは注意しなきゃいけない。

統一教会から始まって、オウムもそうだったろ?

Permalink |記事への反応(0) | 21:23

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2025-10-11

anond:20251011084044

争いの火種を生み出すという立派な意味があるだろ

意識的にせよ無意識的にせよ、それが人々の娯楽となるんだよ

娯楽のための争いは不毛であればあるほど良い

より下層の人々まで巻き込めるし、半永続的に解決することもないからな

Permalink |記事への反応(0) | 19:28

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2025-10-08

anond:20251008145920

SFが外から内っていうのが雑すぎる

未知のものを求めているのだから意識的には常に外(現在にないもの)を向いているし、現技術の延長であろうが突拍子もないもの

あろうが、SFのもの人間の内側から出てきているものであり、変遷しているという分析適当ではないと考えます

Permalink |記事への反応(0) | 15:06

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anond:20251008064916

まりノイズの中から本質的シグナルを抽出できる人も確かに存在します。

しかし、その「宝石」を見つけ出すには、並外れた情報選別能力精神的な負荷耐性が必要です。

ノイズ常態化した情報環境で合理的意思決定を行う人には、以下の能力が備わっています

1.クリティカル・シンキング批判的思考

情報の真偽や偏り、根拠を冷静に吟味し、「これはノイズではないか?」と常に問いを立てる思考力です。

感情的論調センセーショナル見出しに惑わされず、客観的事実データに基づいて判断する能力と言えます

2.情報デトックス能力

意識的情報から距離を置く能力です。

常に情報さらされている状態から意図的に「つながらない時間」を作り出すことで、集中力を高め、思考を深めることができます

通知OFF時間の設定やデジタルデトックスは、情報過多によるストレスや「分析麻痺」を防ぎ、自分の軸を再確認する時間をもたらします。

3. 「知りたいこと」以外の情報への耐性

効率的情報を得る現代では、「自分必要とする情報」以外のものが「ノイズ」として排除されがちです。

しかし、新しい視点文脈といった偶発的な情報との出会い(これも一時的にはノイズ)の中から、誰も気づかなかった「宝石」を見つけ出すことができる人もいます

彼らは、不要情報に圧倒されず、そこから価値あるもの抽出する忍耐力と嗅覚を持っていると言えます

 

IT進化情報量を増やしましたが、多くの人にとっての課題は「情報の取得」ではなく「情報の選別と処理」へとシフトしています

結果として、「情報を拒絶することなく、情報を選ぶ力」が現代における最も重要リテラシーの一つになっているのではないでしょうか。

Permalink |記事への反応(0) | 06:51

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2025-10-07

anond:20251007073720

すごいな、わざわざ意識的電気を消さないようにしてるんだ。ただの嫌がらせじゃん

ああ、これが嫌知らずか

Permalink |記事への反応(1) | 07:40

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2025-10-06

anond:20250927012140

いやどの口で言ってんねん

n_vermillion 2025/09/27

ドゥームスクロールだなぁ。意識的に男女論から離れるようにした方が良いと思うぞ。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4776665597528977761/comment/n_vermillion

Permalink |記事への反応(0) | 21:23

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2025-10-05

カミーユ・ビダン創作について

機動戦士Zガンダムという作品の最大の功績はカミーユ・ビダンというジョブナイルを代表するとも言える繊細で、

かつて思春期を生きた人たちの痛々しい共感を刺激する、あの富野由悠季が生み出したなかでも屈指の傑作キャラクター創作にある。

この人物造形の成功は、単なるキャラクター設計の巧みさを超え、

アニメーション作品におけるリアリズム概念根底から変革した歴史的偉業として評価されるべきである

富野は従来のロボットアニメ依拠していた「勧善懲悪」の物語構造意図的破綻させ、

善悪境界曖昧世界で苦悩する思春期少年主人公に据えることで、

観る者に深刻な内的葛藤を強いる作品を創出した。

カミーユというキャラクター革新性は、その精神脆弱性感受性の異常な鋭さが、

決してロマンティックに美化されることなく、むしろ病的な危うさとして一貫して描かれている点にある。

彼の両親への複雑な感情女性性に対する屈折した意識

そして戦争という極限状況における精神の変容は、

従来のアニメが扱ってこなかった思春期特有心理的現実容赦なく暴き出している。

富野演出哲学である映像原則」において、

キャラクターは画面に映らない時間も生き続ける存在として構想される。

この思想的背景により、カミーユ言動感情の変化は、

しばしば観る者には唐突理解困難に映るが、

それこそが現実人間内面における感情の非連続性を映像作品として表現する試みであった。

さら重要なのはカミーユニュータイプ能力が、

従来の超人能力描写とは対極的に、

彼の精神不安定さと表裏一体のものとして設定されていることである

彼の鋭敏すぎる感受性戦闘において卓越した能力を発揮する一方で、

フォウ・ムラサメロザミア・バダムといった強化人間との悲劇的な邂逅を通じて、

自身精神を徐々に蝕んでいく。

これは、超能力を単純に肯定的な「進化」として描く従来のSF作品への痛烈な批判視点提示している。

富野文学的野心は、カミーユの最終的な精神崩壊という結末において頂点に達する。

これは娯楽作品としてのハッピーエンドを完全に放棄した、

極めて実験的な物語選択であった。

主人公の「敗北」を通じて、戦争本質的非人間性と、

若者が背負わされる理不尽な重荷を告発たこの結末は、

後のアニメ作品における「鬱系」ナラティブの原型を提示したと評価できる。

また、カミーユキャラクター造形において看過できないのは、

彼の「男性名へのコンプレックス」という設定が、

単なる個人的な悩みを超えて、性別アイデンティティの揺らぎという普遍的テーマを暗示している点である

富野意識的に「女性性を内包した男性主人公」としてカミーユ設計することで、

従来の男性ヒーロー像への根本的な問い直しを行った。

この試みは、後の1990年代以降のアニメ作品における「中性的主人公」の先駆的事例として位置づけられる。

Zガンダムという作品全体が示す文学的達成は、

カミーユ・ビダンという一人のキャラクター内面描写を通じて、

戦争悲惨さ、

思春期心理的危機

そして人間存在の根源的な孤独を、

商業エンターテインメントの枠組み内で表現し得たことにある。

富野はこの作品において「戯作者」でありながら、

同時に深刻な文学的主題に挑戦する作家としての側面を明確に提示した。

カミーユ・ビダンというキャラクターは、単なるフィクショナルな人物を超えて、

1980年代という時代若者が抱える実存不安象徴として機能している。

彼の痛々しいまでの繊細さと、それが招く破滅的結末は、

高度成長期終焉バブル経済への移行期という歴史的文脈において、

将来への不安を抱える当時の若者たちの心理状況を鮮やかに反映している。

こうした観点から評価するならば、

Zガンダムにおけるカミーユ・ビダン創作は、

日本アニメーション史において

心理的リアリズム」という新たな表現領域開拓した記念碑的業績として位置づけられるべきである

富野由悠季がこのキャラクターを通じて達成したのは、

娯楽性と芸術性を両立させながら、

現代人の精神危機を鋭く抉り出すという、

極めて困難な創作課題解決であった。

Permalink |記事への反応(1) | 17:45

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2025-10-02

新時代アニメ化スタッフに望むこと

脚本家吉田さんのポリシーを継ぐ若手は、今後も現れると思ってて。

そんな新人アニメ化スタッフに、皆んなは何を求める?

私による吉田さんまとめ

Permalink |記事への反応(7) | 21:21

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2025-10-01

まれ脚本家炎上が分からないヤツ

外野フェミ文句つけてきてるなら反発するのは、まだ分かるんだよ。だけど脚本家吉田氏は制作サイドだよな?しか原作者には承認どころか感謝までされてる。燃やす意味が分からない。例えばマシリト鳥山に「ブキミなものを描くな」と言ったら炎上するのか。

それでも脚本家原作批判したなら、まだ分かるんだよ。だけど一般向けアニメで裸を描くとノイズになるって話だろ。原作表現をそのままアニメ化するとノイズになる、ということ。原作原作で何も問題ないんよ。

性的搾取絶対ダメって態度なら、まだ分かるんだよ。だけどそういうのが売りの作品ならアリと明言してるし、タイバニだってそうだったろ。「抵抗がある」とか「個人としてはやりたくない」とかでモラル的にアウトなんて言ってない。無意識のうちに当たり前とされてる描写をするんじゃなく、意識的に取捨選択するのが大事、正しいか間違ってるかじゃなく、自分の考えを監督提案して話し合える現場作品クオリティを上げると言ってる。

視聴者を責めてるなら、まだ分かるんだよ。だけど「ファンの皆さんにはキャラクターをどう捉えてもらっても構いませんし、個人で何を描いても、何を想像しても自由」と明言してる。発信する側である自分の態度として「搾取してください!と言わんばかりにばら撒く」のは抵抗があると言ってる。あくまアニメ制作自分の振る舞いへの自制心の話な。オマエラをとがめてる訳じゃないか被弾しに出て来なくていいぞ。

作り手の自分ポリシー説明してるだけなのに、赤の他人がキレてるのは意味が分からないすぎる。自分の作りたいものを作りたいように作ってるんだから勝手にしていいだろ。徹頭徹尾他人を責めないが自分の振る舞いには意識が高い………脚本家としての責任感の高さが評価されてるからこそ、制作チームに呼ばれてヒットを連発してるんだと思うがね。

Permalink |記事への反応(4) | 20:31

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エマ・ワトソンは"barone"と言ったのか、"by the way"と言ったのか?

どんな発言も、その単語の組み合わせだけでなく、どのような体勢表情仕草発声を伴って行われたかというノンバーバルな要素も込みで、というより「綴り」よりノンバーバル情報こそ本心が込められているということくらい、人間常識として知っておくべきだろう。

いくら口で「愛してる」という言葉を何千回も言ったところで、その相手に正対しているか等々で、その言葉は嘘である、ってことがわかり、そちらが正しいことがある。

ことがある、じゃない。

そちらが常に正しい。

くらい、わからいか

ちなみに、この辺りは俳優修行の初期の初期に「意識的に」やることではある。

あの一連の発言文字書き起こしだけを見るのではなく、発言前後の表情、なぜ聞こえるように発音しなかったのか、それまでの一連の騒動といった背景、コンテキスト考慮に入れてみるといい。

教科書文法的に"by the way"というのが正しい?

あの場面だけを拡大して何千回見ても、そこだけ切り取って確認するだけじゃわからんよ。

「なぜ聞こえるように発音しなかったのか」

これが全てだ。

聞こえないようにして「わかる人にはわかるよね」とやった。

自分の味方だけが集まる場である、と油断していたためにやらかした。

直前の発言を受けたアドリブだったから、本心が出た。

それ以外に、ない。

あそこが"by the way"であった場合前後に断裂、歪みが生じる。

JKローリングが「作家」であり、「世界人物の流れに注意深い人間であることを、そこら辺の雑草と違って敏感な人間であることを考えれば、あの流れであのキャラクターが"barone"以外の単語選択はしないと判断したことは、あまりに当然すぎると思う。

エマワトソンを神と崇める連中は擁護しているようだが、それはない。

後になって本人がそれを否定したとして、そんなつもりはなかったと言ったとして、その全てはただの自己保身のための嘘だ。

全ては記録されている。

まぁ、自分のことしか考えられない絶望的に無神経な人間は、読み取れないで「絶対 "by the way" と言ってる!」ってなるだろうけど w

作家とか演出家かいう人の中には、信じられないくらい敏感な人がいる。

そう言う人を誤魔化すことは、不可能だ。

もちろん、作家とか演出家とかを「名乗る人」全てが敏感な人である、とは言ってないからなwww

(業界のあっち界隈にはそういうのが多すぎるんだが……)

で、なぜこの話を取り上げたのかというと、これはAIの危うさに直結しているからだ。

AI(LLM) は単語同士の関係しか扱っていない。

まり、口だけで「愛してる」と言う人間も「愛している」と評価する存在だと言うこと。

古めのSF(サイエンス・フィクション)では、アンドロイドロボットとの会話が噛み合わない、的な描写は大量にある(アシモフあたり)。

SF(サイエンス・ファンタジー)では話のためにそういうところをあえて、わざと外しているものが増えてくるが(例えばエイリアンとかは、科学アンドロイドではなく、人間性の鏡としての存在だ、とかね)。

サイエンスフィクションの方が、人工知能論理学の延長線上に構築されるというところから、したらこうなるよね、という思考実験から導かれている。

「我はロボット」とか読んで、人間アンドロイドのやり取りのどこが面白いのか理解できないようだったら、そういうのに鈍感な人間だ、ってことだろう。

Permalink |記事への反応(2) | 16:08

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2025-09-30

インターネットのps5のネガキャン見て思ったこ

  • 経緯

最新のゲーム情報見よ〜と思ってYouTubeで「PS5」と調べる(PS5持ってるので)

なんか根拠のよくわからないネガキャン動画がたくさん出てくる

ほんとにやばいのかな〜と思い決算を見てみる

軽く見た感じすごく好調そうに見える

なんか感情ありきですごいネガキャンされてる気がしてならない。

物事に対して何かしらの感情を抱くのは各個人自由であること、人の解釈事実に対して感情を通して得られるものなのは理解しているつもりだけど、なんかもう少し事実感情フィルターを薄めて見てみてもいいんじゃない?と少しモヤッとした気持ちになった

ただ、これも私の(PS5普通に使ってて良いゲーム機なのにな〜)という感情を通してインターネットを眺めていたたから今回のようなモヤッとした気持ちが生まれたのかもしれない

自分と違う意見をそういうものとして一歩引いて受け入れられなかった自分も嫌だし、少なくとも自分インターネット向いてなさそうということが今回でわかった

なるべく最近インターネット蔓延ネガティブ感情を増幅させるコンテンツ意識的に避けてたけど今回意図せず踏んでしまって改めて実感

Permalink |記事への反応(2) | 23:13

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2025-09-29

男の婚活成功方法おしえる

はじめに

とりあえずマチアプに登録すれば、まともな人間ならいいね自体は来るはずだ。清潔感も多少気を配り年収もそこそならマッチング自体はする。

顔もバケモノじゃなければ大丈夫であるバケモノ自覚がある人は整形でもなんでもしてくれ。

そして、全くいいねが来なくてもこちから送れば来るものだ。

問題は「自分が追い求めるレベル」とマッチングしないことにある。

ここが問題なのである

しかも「これぐらいなら妥協してもいいか」と思っていたレベルガッツリ下回ってくるのだ。

ちょっと待って。自分はこの怪物レベルしか結婚できないのか?」みたいなことになっているという、非常に大きな問題が出現するわけだ。

まり相手を全く選ばなければ、結婚自体は誰でもできるのであるが、さすがに少しは選びたくて、でも少し選ぼうとすると全滅、という状態なのである

これがほとんど全先進国人間に降り掛かっているのが現代の有り様だ。

やはり、いくら結婚したいからと言っても誰でもなんでもいいわけではないはずだ。人生をずっと共にするわけであるし。

相手レベルを落とすか自分レベルアップするしかない

恋愛結婚というのは必ずしも市場法則には従わないが、お互い見ず知らずの赤の他人なら外から見える価値重要になる。

から母数を増やすにはこの2択あるいは両方しかない。

相手レベルを落とさず、自分レベルも上げないまま婚活成功したい」とかいうのは難しい。

お前はイヤイヤ期かということになる。「100円あげるから200円ちょうだい」ぐらい意味不明なのだが、平気でそういうことを言う大人たちがいる。不思議なことだ。

そして、この厳しい現実から目を背けている者が多い。ここを正面から食い破ると基本的成功する。

レベルアップは、普通に言うは易く行うは難しな件

レベルアップが難しいのは、自分意識的あるいは無意識的に見ないようにしてきた自分の嫌な部分を消すとか、自分の良い点を伸ばすとかにある。

人生をサボってきた人間は、あまりの恐怖でこれを直視できない。自分人生自分存在全否定に近いところがあるからだ。

自分が何をやってこなかったかがよくわかり、直視して初めて焦るわけだ。また、本気で変えようとすると他人からよく突きつけられる。

他人は「この状態のこの人なら言っても良さそうだな」と判断して善意でグサグサと刺してくるのだ。

そこでまた蓋を閉じるかどうにか足掻くかを選択しなければならない。ほとんどはここで蓋を閉じる。「婚活 "ごとき"」で、そんな自分を品定めされるなんてごめんだ、自分もっと価値のある人間なんだと。見なかったことにする。

そして逆に、足掻くのは非常にみっともないものだ。

「いまさらそんなことやってんのかよ」「いま気付いたんかよ」「いままでお前それバカにしてなかったっけ」

別に誰も言わなくても、過去自分の積み重ねがそう言って刺してくる。

どこをサボっていたのかは自分いちばんわかっているはずなのだ

自分に目を向けない者が、異性に対してあーだこーだ文句を言う。

フェミニストもアンフェもここは同根である

レベルアップ後の戒め

レベルアップすると前より高いレベルの異性と知り合うので、変に欲が出てくることがあるかもしれない。

しかタイムリミットというものもある。適当なところ、自分が「ここで良し」と思えるところで落ち着くのがよいと思う。

ひとたびレベルアップすると「自分モテてるー!」と思う人もあるかもしれない。

しかしそのモテてるというのは人生モテてきた一軍が数十年前に通ってきた道なので、慢心は慎まなければならない。

モテてる感を出すと非常に痛いのである

また、不特定多数からモテなくても、ターゲティングした人物から好かれたなら何も問題はない。モテあくまで母数増加のためでしかないので、モテモテからといって狙った相手結婚できるとは限らない。

モテから、つまりスーパーサイヤ人になって初めて本当の戦いが始まり、別のスーパーサイヤ人存在も見えるのだ。

常にそのスーパーサイヤ人状態が維持できるかも重要である


まあそこまでして結婚したくはないかもしれない。

みっともないしバカバカしいし滑稽で惨めだ。

だが成功している人は大抵、その屈辱をくぐり抜けているのである

では次回は協議離婚編でお会いしよう。

グッドラック

Permalink |記事への反応(0) | 19:18

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2025-09-26

表現の自由戦士だが、吉田氏支持が決まった

これだけだと、なりすましかと思われるので近作上げとく。

タカ派・表現の自由戦士たちへ

表現の自由戦士だが「性的広告」についてひと言言っとく

表現の自由の戦士だが憂わせてもらう

表現の自由撤退戦になりがちな中で、新しい表現バリエーションを増やしてくれるプレイヤーが現れるのは嬉しい。

「こういう表現を世の中から無くす」と表明する連中に対して剣をとってる俺だが。

「こういう表現を取るか取らないか意識的選択する」とする吉田氏の態度に感銘を受ける。

選択肢。

素晴らしいことだ。

Permalink |記事への反応(3) | 20:34

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anond:20250926162323

焦げ食うだけで発がん性あるって言ってんのに、ワクチンとき気にする小心者たち可愛い

酸素も老化の原因になるから意識的に止めた方がいいですよw

Permalink |記事への反応(1) | 16:27

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2025-09-23

anond:20250923012033

日本人余所者への警戒心が日本人同士でも凄いからな

しろ義務意識的差別みたいなね

時々、お前ら警官かよ?と思うわ

Permalink |記事への反応(0) | 01:23

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2025-09-22

大学の思い出

西ノ京大学って実際どんなところ?世間イメージと内実が違う&よく聞かれるので、レポートしたい。

話を高校時代に戻すと、自分は成績は良かったが、帰宅すると小説ばかり読んでいたし、学校では看板とは違ってコンピュータプログラミングする部活雑談他人の作ったゲーム批評ばかりしていた口で、つまり、悲しいことに先見性はなかった。プログラミング技術習得を思い立たなかったことを、後悔している。

三年の秋に赤本を開き、勉強しないといけないことに気づいたくらいで、他校の全国模試で一桁の成績をとるような連中とは無縁だった。

運良く現役で大学滑り込み医者にならずにすんだ。しかし、他人の腹を切って中に手を突っ込んで内臓を掴むことのできる職業は、そうそうないんじゃないかと思う。学部ガイダンスで「残りの大多数の(ハズレくじの)人も大学生活を満喫できるメニューを用意しているので安心して欲しい」と言われた通り、数学の才能その他はなかった。

一、ニ年目は、講義を詰められるだけ詰めて取ったおかげで忙しかった。一般教養講義は、学生教員もお互い期待しないだけあって多くはそれなりの質だったが、中には後に知識として役立ったものもあったし、良い先生もいた。この、過去の名声に胡座を掻き教育をしない大学に、決して期待してはいけない。一方で、専門の数学物理は、よく理解できなかったが講義は良かった。生物はあまり面白くなかったが、これも適性というものだと思う。この大学学生は、大多数の成績の良い普通の人、ごく一握りの上澄み層、そして有意な笑割合を占める自分のように運良く紛れ込んだ人、として分類できそうだが、上澄み層の人に学者として適性があるかといえば、必ずしもそうでもなさそうだ(数学の才人を除いて、実務家向きが多そう。だが、残念ながら、実務家として現に活躍している人がその層出身者にも見えない。いわゆる社会的ミスマッチ個人的には人生醍醐味だろうか。彼らは、どこで何をしているのだろう?)。

諸般の事情大学院に進学した。本当は母校の悪口を言いたくないのだが、ここは匿名なので許してもらいたい。控えめに言って最悪だ。本来的には学部教育の不備が悪いのだが、研究者職業教育訓練としてのカリキュラム(そんな決まったものはないし作り難いのは承知)がまるでないし、学生意識任せ、所属する研究室の運任せだった。教授の下の親切な助教先生は懇切丁寧に指導してくれるが、それも限度がある。論文を読んだり発表するには論理的議論のやり方を習得する必要があるが、それにはこれまでの人生にひとまずさよならをして、意識的にロジカル思考をはじめないといけない。見込みのある学生は放っておいても自分で身につけ発展するのだが、それを単に後押しすることで、徒弟教育した・篩をかけたことになっている。錬金術で一が十になった事実をもって、ゼロを一にしたと主張しているのだ。

研究人間組織を作って行う以上、人事が大事なのはいうまでもない。うまくゴマをすってなびかないと干されるのはどこでも同じだろう。問題は、人事やその他(プレゼンが上手い、など)の運にのみ頼ってキャリアを築いた、偶然のエリートが、無視できない割合で混じっていることだ(ポストを用意する側にも問題はあると思うが)。講義成功者研究上の転機や目の付け所を聞くのは後学のためになったが、偶然のエリートが色気を出して「こうすればうまくいく。こうするべきだ。だからこう教えている」と経験に基づかない独自理論を言い回るのは実害がある。後に捏造で失職した人の「研究成果」を講義で拝聴したこともあるが、これと変わらない。

というわけで、大学院での大半の期間、自分研究テーマ学術的な興味をもてず、密かな劣等感に苛まれて過ごした。ゼミで先輩や教授コメントする内容が実は「大したことない」と気づいたのは、卒業する少し前のことだ。両親には支援感謝している。今では当時と縁もゆかりもないコンサル職に就いているが、「お国のため」に貢献もしているので、投資有益であったと思う。

Permalink |記事への反応(0) | 12:44

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2025-09-17

ナチスシオニズムハンナ・アーレント

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.bbc.com/japanese/articles/c1jz5exkgk9o

モサドアルゼンチンで元ナチス将校誘拐してイスラエル裁判にかけたあたりでイスラエル独善的な異常性に警告を出すべきだったのかもな。ナチスの異常さが際立ってたから影に隠れてしまった感。

この記事にこんな人気ブコメがあったのでイスラエル批判について少し補足をする

ブコメ主は知った上でこのブコメをしているかもしれないけど)

シオニズムとは?

本題に入る前にいくつかの前提知識から19世紀末にヨーロッパで広がったユダヤ人国家建設運動で、それほど新しい思想ではない。背景には、長期のディアスポラ故郷を持たず民族世界各地に散らばること)と反ユダヤ主義歴史があり、特にロシア帝国でのポグロムユダヤ人虐殺)や西欧社会での差別拍車をかけた。ナチスによるホロコーストはこの運動に大きな正当性を与え、多くのユダヤ人パレスチナへの移住国家建設を求めるようになる。1948年イスラエル建国宣言され、シオニズムはその大きな第一目標を達成する。

シオニズムネタニヤフ政権

ネタニヤフ政権は、右派リクード党や宗教右派を中核に入植地拡大を支持する勢力による連立政権。その支持層には、国家安全保障を重視し、ヨルダン川西岸地区併合パレスチナ自治の縮小を容認・推進する層が多く含まれている。

本来シオニズムの「ユダヤ人が自らの国家を持つ」という当初の目的をすでに達成しているが、現在ネタニヤフ政権シオニズムを「ユダヤ人領土拡張」と結びつけ、その名のもとに周辺地域への侵略支配正当化に利用している状況となっている。ヨルダン川西岸での入植地拡大やガザ地区での軍事行動は、単なる安全保障上の対応だけでなく「シオニズム継続的使命」として位置づけられ、内部的正当化を行っている。

この拡張路線には宗教的聖地が深く関わっており、エルサレムユダヤ教キリスト教イスラム教聖地が集中する場所であり、イスラエル東エルサレムを含めて「不可分の首都」と主張している。また、ヨルダン川西岸にはヘブロンベツレヘムなどユダヤ教にとって重要聖地があり、宗教右派は「神が約束した土地を取り戻すことこそシオニズムの使命」と訴える。当初は近代的・世俗的な民族運動だったシオニズムが、宗教的使命と結びつくことで、より強固な排外的ナショナリズムへと変質している結果が現状の強硬路線となっている。

ハンナ・アーレントとは

ここでやっと本題となるハンナ・アーレント(1906–1975)という女性について紹介する。ドイツまれユダヤ系政治哲学者で、ナチス迫害から亡命米国拠点活動した。彼女の最も大きな特徴は自身ホロコースト経験したユダヤ人でありながら、シオニズムアイヒマン裁判に対してともすれば「反イスラエル」とも取れる警鐘を鳴らし続け、それ故に特にイスラエルにいるユダヤ人から強い反発を受けたということ。

イスラエル建国への警鐘

アーレントイスラエル建国のものには一定の理解を示したが、その進め方と国家像に深い懸念を抱いていた。アーレント危惧したのは、イスラエルユダヤ人のみを中心とした排他的民族国家となり、軍事力安全保障を最優先することで、長期的な孤立アラブ諸国との恒常的な対立を招くこと。アーレントは、パレスチナにおけるアラブ人との共存模索し、多民族的な政治共同体を構築すべきだと主張していた。また、彼女被害者としての歴史を過度に強調することが、自らが加害者となる可能性を軽視する結果を招くと指摘し、歴史的な悲劇記憶免罪符として機能する危険性も説いていた。

アイヒマン裁判と悪の凡庸

アイヒマン裁判は、ナチスの高官アドルフ・アイヒマンユダヤ人大量虐殺の実行に関与した罪で1961年イスラエルで開かれた裁判アイヒマン戦後アルゼンチンに潜伏していたが、モサドによって捕えられエルサレムで裁かれることになった。この裁判は、ニュルンベルク裁判以来の大規模な戦争犯罪裁判であり、単なる個人刑事責任を超えたホロコースト全体の歴史検証の場ともなった。

アーレントはこの裁判取材し、『エルサレムアイヒマン』にまとめた。この中でアイヒマンを「悪の凡庸さ」の典型とみなし、彼を冷酷な悪魔ではなく命令に従い思考停止した官僚人間とした。つまり、深い憎悪や悪意ではなく「考えずに行動する」ことが大量虐殺に加担する原因となる、と主張したのだ。これはイスラエルシオニズム観点からすれば、自分たち悪魔的な絶対悪被害者であり、そこから立ち上がったユダヤ民族、そしてイスラエル建国というアイデンティティに反するものであり猛烈な批判さらされる。さらアーレントは、イスラエル政府が裁判を自らの正当性証明に利用した点、またユダヤ人指導層(ユダヤ評議会)がホロコースト部分的に関与していたことを批判的に論じたことが、批判拍車をかけることとなる。

アーレント懸念現実

アーレントは多くの批判さらされたが、その批判的推測や警鐘現実のものとなっている。

シオニズムに基づいたイスラエル建国に対する懸念

→周辺のアラブ諸国との絶え間なく続く紛争

被害性の強調が自身の加害性を認識できなくする

シオニズム正統性の核とした周辺諸国他人種の軽視。

イスラエル自体凡庸な悪への転化

ナチス象徴とするような凡庸な悪へのイスラエル堕落

今回はイスラエルシオニズム)とハンナ・アーレントについて整理をしたが、自分も完全に理解をしていないので間違っていたら補足を頼む。

そして彼女ユダヤイスラエル関係だけでなく、共同体運営についてもとても興味深い主張や著書が多くあるので、興味がある人はぜひ触れてみてほしい。(とはいえ共同体のあり方は、ネット前後でかなり異なるので彼女思想が今もそのままは通用しないが・・・

全体主義の起源1951年)』と『エルサレムアイヒマン1963年)』は特におすすめだ。

多くの場合、起こってしまたことに対する警鐘はそのはるかから鳴らされているのである

しかし、それを無視し時には批判することで風化し、実際に起こってやっと振り返ることしかできないのだ。

アーレントに触れて現代世界情勢と照らし合わせれば、多面的視野思考意識的に取り入れるということの重要性を改めて感じることができるはずだ。

Permalink |記事への反応(1) | 14:16

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2025-09-16

ワイ:「オンライン上にAI生成文章が溢れる未来を憂慮してる人達」に支持される文章を書いてみて

私たちはいま、人間の声が機械の雑音に埋もれていく歴史的転換点に立っています毎日何百万もの人工的な文章インターネットに投下され、かつて人間感情経験からまれ言葉の海を汚染していますあなたが今朝読んだブログ記事、昨夜シェアしたSNS投稿、友人から送られてきた「心に響く」メッセージ。それらの多くが、実は人間ではない何かによって生成されたものかもしれません。私たちは知らないうちに、機械が作り出した偽りの感情に操られ、偽りの共感に騙されているのです。これは単なる技術進歩ではありません。人間らしさそのものへの攻撃です。私たち言葉私たち思考私たち感情が、効率的に複製される商品と化しています子どもたちが最初に触れる「人間の声」が、実は機械模倣だったらどうでしょうか。今こそ行動する時です。人間が書いた文章意識的に選び、本物の声を探し求め、機械に屈服しない意志を示しましょう。私たち言葉を、私たちの手に取り戻すのです。人間性の最後の砦を、私たち自身の手で守り抜きましょう。

ワイ:欧米的すぎるから日本人らしくして

ユーザーは私が書いた文章が「欧米的」だと指摘して、もっと日本人らしい文体にしてほしいと言っている。確かに、先ほどの文章は:** 「歴史的転換点」「人間性への攻撃」など大仰な表現**二項対立的な構造**戦闘的なメタファー** 明確な行動促進これらは確かに欧米的なプロパガンダ政治的レトリックの特徴だと言える。日本人らしい文体というと:** より間接的な表現** 和を重んじる価値観**感情的な訴えよりも情緒的な共感**集団への帰属意識**「みんなで」という感覚** より控えめで謙虚姿勢** 具体的な行動提示よりも「なんとなく」の方向性日本人感性に響くAI生成文章への懸念表現するとすれば、もっと柔らかく、間接的で、情緒に訴える形になるだろう。
最近、なんだかインターネット文章が似たり寄ったりになってきたと感じませんか。SNSを眺めていても、ブログを読んでいても、どこか同じような文章ばかり。昔はもっと、その人らしい言葉遣いや、ちょっとした癖のようなものがあったような気がするのですが。もちろん、便利になったのは確かです。でも、あの人が書いたはずの文章なのに、なぜかいもの「あの人らしさ」が感じられない。そんなことが増えているように思います私たちが大切にしてきた、一人ひとりの個性や、その人なりの表現。そういうものが、知らず知らずのうちに薄れていってしまうのは、なんだか寂しいことですね。きっと多くの人が、同じようなことを感じているのではないでしょうか。だからこそ、今まで以上に、人の温もりが感じられる言葉を大切にしていけたらいいなと思うのです。日本的テクニック** 問いかから始める曖昧さ** 「なんだか」「ような気がする」の推測表現**対立ではなく「寂しさ」という情緒** 「私たち」でなく「多くの人が」の間接性** 行動促進でなく「いいなと思う」の願望

しゃらくせぇ~

しかAIマジでThisisn't just ~. Thisis ~とかis not the ~ —it’s ~構文(これは単なる〇〇ではなく、△△ですみたいな対立構造のやつ)が好きだよな

まぁAIはっていうか、なんだか闘争心が溢れて常に戦争をしている多くの人が強い言葉を使いがちっていうのもあるような気がすると思うのですけど

Permalink |記事への反応(0) | 07:44

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2025-09-14

海外に行った時に頭が全然疲れなかった話

海外に行った時に、なんか疲れないなーって思ってて、その時気付いたんよね。

「頭の中のざわめきが無いな」って。

日本だと周りの会話、広告、溢れる日本語を意識的にも、無意識的にも見てしまって、膨大な脳のリソースをそれらに割いてしまってる。

でも海外だと、周りの会話、広告、全く読めないし聞き取れないから頭使わなくて済むんだよね。

リスニングが苦手だった俺の唯一のメリット海外行った時に頭が疲れない。

Permalink |記事への反応(1) | 05:43

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