
はてなキーワード:意識とは
チラシの裏代わり。
あとになって、そのとき、どう考えていたか分かるよう書き残しておく。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM027MH0S5A201C2000000/
すでに過去の話だが、2025年11月7日高市早苗による台湾有事発言を受けた在日中国大使の発言を受けて、ネットでは「では台湾の領有権は、未だ日本にあるのか」と嘲笑の声があがった。しかし、このような場違いとも思える発言が、現在の自民圧勝の鍵を解くヒントになるかもしれない。
55年体制は、1955年に始まった自由民主党の長期単独政権であり、93年に細川護熙連立政権が発足して、自民党が下野した地点で終了したとされている。
その成立の背景として、東西冷戦下、日本がソ連-中国という共産圏の防波堤となるため、保守政党の合同により、生まれた自由民主党の一党単独政権が望ましいというアメリカをはじめとした日本を含む西側国全体の思惑もあった、とのこと。
55年体制の前提が近隣諸国との関係にあったので、それが変化しなければ、根本的な変化はない、と考えられていた。実際、93年の自民党の下野は、ソ連の崩壊(89年)により、社会党の方向転換が可能性として見えてきたこともあったため、と言われている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E5%86%85%E9%96%A3
そして今回の高市発言によって左翼・リベラル派の受けた打撃は、本質的なものであった。仮定の話とはいえ、中国との交戦の可能性が露呈してしまった。これが四半世紀ほど前、いや十年前でも高市政権は選挙で過半数とるどころか、苦境に立たされただろう。ただ現在は、左翼・リベラル的な主張のオールドメディアの後退、また中共が周辺諸国との間で抱える領土問題があり、高市首相を一方的に悪者にすることもできなくなっていた。
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202512010000150.html
ASEANの南沙諸島・南シナ海の周辺国ベトナムやフィリピンとの衝突(そのためフィリピンは、一次弱体化した米国との軍事同盟を再強化さえした)、インドとは長年にわたるラダック地域、その他の国境紛争があり、また10年以上も前からオーストラリアでの静かな侵略(サイレント・インベーション)、最近もダーウィン港の貸借も問題になっている。
左翼・リベラル側から、インターネットが浸透し、SNSのデマの拡散のせいで自陣営が苦境にあるとの意見を聞くが、インターネットの浸透で多くの人々の意識に政治的な主張とは別に、地味であるが影響を与えているのはデータへのアクセシビリティの向上だ。過去の新聞やテレビについて偏向報道が取りざたされるが、本質的な問題は、まともに報道されない事柄が圧倒的に多かったことだ。「報道しない自由」と揶揄されるが、これはイデオロギー云々以前のオールド・メディアの限界で、報道枠が決められているなかで、読者、視聴者の注意を惹きそうにない話題を報じるのは難しかった。報じられていたのは、主に北米、西欧というより米仏独、アジアでも中国、韓国がせいぜいであり、それも日本との関係する話題がメインだった。中近東、アフリカ等の地域,或いは近隣の国々でも日本と直接関係ない情報は少なかった。だが例えば、さきの記述で書き漏らした「アフリカ諸国での中国の振る舞い」も現在では、スマホでたちどころに知ることができる。
4半世紀前であれば、先述したテレビ「モーニングショー」での発言を信じる人も多かったかもしれない。
https://diamond.jp/articles/-/383704
先のロシアによるウクライナ侵攻、そして今回の中国の威嚇により、これで戦後、連綿と続いていた保守/革新、左翼、リベラルという対立軸が、ようやく完全に過去のものになったように見える。
日本国民は、先述の駐日中国大使のようにサンフランシスコ講和条約に引き戻された。そして、あの時の日本の「単独講和」をようやく国民が支持する結果を出した。即ち、皮肉にもこの単独講和に反対して全面講和を主張して平和憲法を護持した勢力=今でも護持し続ける勢力に対し、憲法改正が可能な議席数の2/3以上を与えられた自民党を突きつけた。
すでに国政政党となった "参政党”や "日本保守党”は、55年体制の対立軸の見直しを迫るものだった。
そして今回の選挙で "中道”の壊滅に次いで話題となった "チームみらい”の躍進。中国の手先だの裏に竹中がいるだの散々いわれているが、これは55年体制以降、これからの対立軸の濫觴かもしれない。
"チームみらい" のいかにも経済にも政治にも "しろうと" の政策。日本経済において、最大の問題は増え続ける厖大な社会保険料であり、とても消費税をさげられる状態にはないという前提は、平均的な理解能力を持つ経済の "しろうと" でも、調べれば分かることだ。しかしそれを政策に掲げるのは、理解能力が平均に届かない人々、実情を調べようともしない人々や国に対して「お客さま」として求めることしかしない人々も、イデオロギーの左右問わず選挙民の半数いることをわかっていない "しろうと" のやることだ。
このクレクレ民を育てたのは、視聴者に阿るテレビを中心としたオールド・メディアもあるが、やはり自民党の長期政権である。国民に信を問う代わりに、過半数を維持し続けることがその結党以来の至上命題であった。それは欠点なのだが、今回の大幅な議席増の要因にもなった。自民党はそのなかに、本来、対立すべき両陣営を丸ごと抱えこみ過ぎているのだ。それは、55年体制で日本民主党と自由党が合同してできた寄り合い所帯の宿命でもあった。55年体制の「一度目の」終焉の際、細川内閣発足や小泉政権での郵政選挙で、自民党を割る、あるいは党内の対立軸を明確にして選別するような施策も行われたが、時間が経つにつれ、元に戻ってしまった。
管理人としては、批判ばかりで国に求めることしかしない人々に対し、 "しろうと"目線とはいえ、国をよくするにはどうしていけばいいか、そのために自分たちは何ができるか考える人々が出てきたことは、( "しろうと" 考えだが)前進だと思う。少なくとも生き残りに汲々とする過去世代の"くろうと"たちよりも、これからの世代の"しろうと"を応援したくなる。今後、時代遅れの左翼・リベラル勢力が一掃されれば、国民にとっても、もっと現実を見据えた選択肢が増えるだろうと期待している。
チラシの裏代わり。
あとになって、そのとき、どう考えていたか分かるよう書き残しておく。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM027MH0S5A201C2000000/
すでに過去の話だが、2025年11月7日高市早苗による台湾有事発言を受けた在日中国大使の発言を受けて、ネットでは「では台湾の領有権は、未だ日本にあるのか」と嘲笑の声があがった。しかし、このような場違いとも思える発言が、現在の自民圧勝の鍵を解くヒントになるかもしれない。
55年体制は、1955年に始まった自由民主党の長期単独政権であり、93年に細川護熙連立政権が発足して、自民党が下野した地点で終了したとされている。
その成立の背景として、東西冷戦下、日本がソ連-中国という共産圏の防波堤となるため、保守政党の合同により、生まれた自由民主党の一党単独政権が望ましいというアメリカをはじめとした日本を含む西側国全体の思惑もあった、とのこと。
55年体制の前提が近隣諸国との関係にあったので、それが変化しなければ、根本的な変化はない、と考えられていた。実際、93年の自民党の下野は、ソ連の崩壊(89年)により、社会党の方向転換が可能性として見えてきたこともあったため、と言われている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E5%86%85%E9%96%A3
そして今回の高市発言によって左翼・リベラル派の受けた打撃は、本質的なものであった。仮定の話とはいえ、中国との交戦の可能性が露呈してしまった。これが四半世紀ほど前、いや十年前でも高市政権は選挙で過半数とるどころか、苦境に立たされただろう。ただ現在は、左翼・リベラル的な主張のオールドメディアの後退、また中共が周辺諸国との間で抱える領土問題があり、高市首相を一方的に悪者にすることもできなくなっていた。
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202512010000150.html
ASEANの南沙諸島・南シナ海の周辺国ベトナムやフィリピンとの衝突(そのためフィリピンは、一次弱体化した米国との軍事同盟を再強化さえした)、インドとは長年にわたるラダック地域、その他の国境紛争があり、また10年以上も前からオーストラリアでの静かな侵略(サイレント・インベーション)、最近もダーウィン港の貸借も問題になっている。
左翼・リベラル側から、インターネットが浸透し、SNSのデマの拡散のせいで自陣営が苦境にあるとの意見を聞くが、インターネットの浸透で多くの人々の意識に政治的な主張とは別に、地味であるが影響を与えているのはデータへのアクセシビリティの向上だ。過去の新聞やテレビについて偏向報道が取りざたされるが、本質的な問題は、まともに報道されない事柄が圧倒的に多かったことだ。「報道しない自由」と揶揄されるが、これはイデオロギー云々以前のオールド・メディアの限界で、報道枠が決められているなかで、読者、視聴者の注意を惹きそうにない話題を報じるのは難しかった。報じられていたのは、主に北米、西欧というより米仏独、アジアでも中国、韓国がせいぜいであり、それも日本との関係する話題がメインだった。中近東、アフリカ等の地域,或いは近隣の国々でも日本と直接関係ない情報は少なかった。だが例えば、さきの記述で書き漏らした「アフリカ諸国での中国の振る舞い」も現在では、スマホでたちどころに知ることができる。
4半世紀前であれば、先述したテレビ「モーニングショー」での発言を信じる人も多かったかもしれない。
https://diamond.jp/articles/-/383704
先のロシアによるウクライナ侵攻、そして今回の中国の威嚇により、これで戦後、連綿と続いていた保守/革新、左翼、リベラルという対立軸が、ようやく完全に過去のものになったように見える。
日本国民は、先述の駐日中国大使のようにサンフランシスコ講和条約に引き戻された。そして、あの時の日本の「単独講和」をようやく国民が支持する結果を出した。即ち、皮肉にもこの単独講和に反対して全面講和を主張して平和憲法を護持した勢力=今でも護持し続ける勢力に対し、憲法改正が可能な議席数の2/3以上を与えられた自民党を突きつけた。
すでに国政政党となった "参政党”や "日本保守党”は、55年体制の対立軸の見直しを迫るものだった。
そして今回の選挙で "中道”の壊滅に次いで話題となった "チームみらい”の躍進。中国の手先だの裏に竹中がいるだの散々いわれているが、これは55年体制以降、これからの対立軸の濫觴かもしれない。
"チームみらい" のいかにも経済にも政治にも "しろうと" の政策。日本経済において、最大の問題は増え続ける厖大な社会保険料であり、とても消費税をさげられる状態にはないという前提は、平均的な理解能力を持つ経済の "しろうと" でも、調べれば分かることだ。しかしそれを政策に掲げるのは、理解能力が平均に届かない人々、実情を調べようともしない人々や国に対して「お客さま」として求めることしかしない人々も、イデオロギーの左右問わず選挙民の半数いることをわかっていない "しろうと" のやることだ。
このクレクレ民を育てたのは、視聴者に阿るテレビを中心としたオールド・メディアもあるが、やはり自民党の長期政権である。国民に信を問う代わりに、過半数を維持し続けることがその結党以来の至上命題であった。それは欠点なのだが、今回の大幅な議席増の要因にもなった。自民党はそのなかに、本来、対立すべき両陣営を丸ごと抱えこみ過ぎているのだ。それは、55年体制で日本民主党と自由党が合同してできた寄り合い所帯の宿命でもあった。55年体制の「一度目の」終焉の際、細川内閣発足や小泉政権での郵政選挙で、自民党を割る、あるいは党内の対立軸を明確にして選別するような施策も行われたが、時間が経つにつれ、元に戻ってしまった。
管理人としては、批判ばかりで国に求めることしかしない人々に対し、 "しろうと"目線とはいえ、国をよくするにはどうしていけばいいか、そのために自分たちは何ができるか考える人々が出てきたことは、( "しろうと" 考えだが)前進だと思う。少なくとも生き残りに汲々とする過去世代の"くろうと"たちよりも、これからの世代の"しろうと"を応援したくなる。今後、時代遅れの左翼・リベラル勢力が一掃されれば、国民にとっても、もっと現実を見据えた選択肢が増えるだろうと期待している。
木曜の夜、僕は渋谷のマークシティの横のエスカレーターに立っていて、上に行く人たちの後頭部を見ていた。みんなどこかに行くところがあって、誰かに会う予定があって、それが当然みたいな顔をしている。僕にはこの後の予定がない。さっきまで打ち合わせだった。クライアントじゃない、業務委託のデザイナーとの打ち合わせで、サイトのワイヤーフレームの修正点を詰めていた。二十二歳同士の打ち合わせ。たぶん外から見たら、意識の高い大学生が何かやってるな、くらいのものだ。くらいのものだ、ということを自分でわかっているということが、たぶん僕の一番の問題だと思う。
自分の話をする。
僕は今、大学の四年生で、二年の終わりくらいからウェブのマーケティング的なことを仕事にしている。会社を作ったと言えば聞こえはいいけれど、実態はフリーランスに毛が生えたくらいのもので、オフィスはなくて、自宅の六畳の部屋が全部だ。クライアントは十二社。小さいところばかりだけれど、毎月の売上はまあ、大学生にしてはあるらしい。「大学生にしては」。この留保がつく限り、僕はまだ何者でもない。
この言葉を言われるたびに、笑顔で「いやいや全然です」と返しながら、胃の底がかすかに冷たくなるのを感じる。大学生にしては。大学生にしては。その「しては」を取ったら、僕に何が残るんだろう。
---
インターン先の話をする。大学三年のとき、半年だけ、あるスタートアップでインターンをしていた。もう辞めてしまったけど、あそこで僕は初めて、本物の優秀さというものを見た。
先輩の川島さんは二十六歳だった。東大の院を出て、新卒でそのスタートアップに入って、マーケの責任者をやっていた。川島さんは、僕が二時間かけて作った広告のレポートを見て、三十秒くらい黙って、それから「ここの因果、逆じゃない?」と言った。僕は二時間かけて間違った方向に全力で走っていたのだ。川島さんはそれを三十秒で見抜いた。
三十秒。
僕は自分の二時間と川島さんの三十秒を天秤にかけて、その傾きの角度に目眩がした。
川島さんだけじゃなかった。もう一人、営業の柴田さんという人がいた。二十八歳。この人はマーケのことなんか何にも知らない。でも柴田さんがクライアントと電話しているのを横で聞いていると、声のトーンが変わる瞬間がわかる。相手の声が、硬いのから柔らかいのに変わる。それは技術じゃなかった。人間の、もっと根っこのところにある何かだった。
僕にはあれがない。
あれが何なのかすら、正確にはわからない。わからないということが、つまり僕にはない、ということだ。
---
ここで白状しなければならないことがある。
中学のとき、僕はいじめられていた。いじめ、という言葉を使うと何か大げさなものを想像されるかもしれないけれど、そんな劇的なものじゃなかった。殴られたわけでも、金を取られたわけでもない。ただ、存在を透明にされた。グループワークで僕の意見は聞かれない。昼休みに話しかけても目を合わせてもらえない。LINEのグループに入れてもらえない。文化祭の班決めで余る。修学旅行の部屋割りで余る。「余る」。僕の中学時代はこの一語に集約される。
いじめっ子たちは別に悪い奴らじゃなかった、と今は思う。ただ、僕がつまらなかったのだ。面白くなくて、運動もできなくて、顔もよくなくて、声も小さくて、一緒にいて得るものが何もない人間。それが中学時代の僕で、たぶん、客観的に見ればそれは正当な評価だった。正当な評価だったということが、余計にたちが悪い。理不尽に虐げられたのなら怒れる。でも正当に無視されたとき、人はどこに怒りを向ければいいのだろう。
僕はそれを自分に向けた。
高校に入って、僕は変わろうとした。プログラミングを覚えた。ウェブのことを勉強した。ビジネス書を読んだ。大学に入って、すぐにインターンを始めた。自分の会社を作った。それは全部、中学の教室で透明だった自分への復讐だった。お前らが僕を無視している間に、僕はお前らの知らない場所で、お前らの知らないことを身につける。そしていつか、お前らが想像もしない場所に立つ。
復讐。そう、復讐だった。動機としては不純かもしれないけれど、僕を動かしていたのは確かにそれだった。
川島さんや柴田さんのような人間を見てしまったから。僕が中学の教室の透明な存在から脱出するために必死に積み上げてきたものの全部が、彼らの前では、ほとんど何でもないということを、知ってしまったから。
同世代で見れば、僕はたぶん上の方にいる。大学生で自分の会社を持っていて、クライアントが十二社いて、マーケのことはそれなりにわかる。合コンがあれば(行ったことはないけれど)「すごいね」と言われるプロフィールだと思う。
でもそれは同世代の話だ。同世代のトップなんて、トップでも何でもない。ちょっと世代を上にずらせば、僕みたいなやつなんかいくらでもいる。いくらでもいるどころか、僕よりはるかに速く、はるかに深く、はるかに遠くまで行っている人たちが、ごろごろいる。そしてその人たちは、僕が必死にやっていることを、息をするようにやっている。
オンリーワンでなければ意味がない、と言ったら大袈裟かもしれない。でも、「大学生にしてはすごいね」の「しては」がいつか取れる日が来るのか、僕にはわからない。来ないかもしれない。一生「しては」付きの人間として、そこそこの場所で、そこそこに生きていくのかもしれない。
そう思うと、怖い。
今の自分に満足してしまいそうになることが、怖い。「まあ、大学生にしてはやってる方じゃん」と自分に言い聞かせて、その「しては」の中に安住してしまいそうになることが、本当に怖い。こんなところで満足していたら、僕は永遠に川島さんには追いつけない。満足するな、と自分に言い聞かせる。もっとやれ。もっと上に行け。もっと。
もっと。
---
でも。
---
でも、と僕は思う。
木曜の夜の渋谷のエスカレーターの上で、どこにも行く予定のない自分の足元を見ながら、僕は思う。
僕は、楽しんだことがあるだろうか。
人生を。
中学のとき、透明だった。高校のとき、復讐の準備をしていた。大学に入って、ビジネスを始めた。二十二年間の中に、純粋に「楽しい」と思った時間が、どれくらいあっただろう。
友達と夜通しくだらない話をしたこと。ない。というか、夜通し話せるような友達が、いない。彼女と手を繋いで歩いたこと。ない。当然ない。二十二年間、一度もない。
二十二年間、一度も、誰の手も握ったことがない。
旅行に行ったこと。ほとんどない。行ったとしても、移動中にSlackを見ている。映画を最後まで集中して観たこと。思い出せない。たぶんある。でも何を観たか思い出せない程度の体験しかしていない。
Twitterを開けば、同い年のやつらがサークルの合宿で海に行ってたり、学園祭で何かやってたり、彼女の誕生日を祝ってたりする。インスタを開けば、もっとだ。僕がワイヤーフレームの修正点を詰めている木曜の夜に、誰かは誰かとイルミネーションを見に行っている。
僕はそれを、ずっと、「そんなことしてる場合じゃない」と思って切り捨ててきた。川島さんに追いつかなきゃいけない。もっと仕事をしなきゃいけない。もっとスキルを上げなきゃいけない。遊んでる暇なんかない。
でも最近、夜中にベッドの中で、天井を見ながら、こう思うことがある。
僕は、「もういい」と思えるほど、生きていない。
もういいや、仕事に集中しよう。そう言い切れるほど、僕は人生を味わっていない。楽しんでいない。何も楽しんでいないのに、何かに集中しようとしている。空っぽの器を火にかけているようなものだ。中身がないまま熱し続けたら、器が割れる。
友達の作り方がわからない。二十二歳にもなって。恋人の作り方はもっとわからない。そもそも誰かと親しくなるということの手順が、僕の中にインストールされていない。中学で透明にされた三年間の間に、みんなが自然と身につけたはずの何かが、僕には欠落している。
だから僕は仕事をする。仕事なら、手順がある。クライアントの課題を聞いて、分析して、施策を考えて、実行して、数字で結果を出す。そこには人間関係の不確定性がない。数字は僕を透明にしない。数字は僕を無視しない。
でもそれは、逃げなんじゃないだろうか。
わからない。
もっと上を目指さなきゃいけないのに、同時に、もっと今を楽しまなきゃいけない気がする。でも上を目指すことと今を楽しむことは両立しない気がする。でもどっちも諦められない。でもどっちも中途半端になってる。上を目指すには全然足りていないし、楽しむなんてそもそもできていない。どっちつかずの二十二歳が、渋谷のエスカレーターの上で立ち止まっている。
ワークライフバランス、という言葉がある。あれは、ワークとライフの両方がある人間のための言葉だ。僕にはワークしかない。いや、ワークすら中途半端だ。ライフに至っては存在しない。バランスを取る以前の問題だ。存在しないものの天秤をどう釣り合わせろというのか。
こんなことで悩んでいる自分が恥ずかしい。川島さんはたぶん、こんなことでは悩まない。川島さんには友達がいて、恋人がいるかは知らないけれど、少なくとも飲みに行く相手がいて、人間としてのベースがちゃんとある上で、あの恐ろしい優秀さを発揮している。土台がある。僕には土台がない。砂の上に家を建てているようなもので、いつ崩れてもおかしくない。
おかしくない、と思いながら、それでも僕は今日も家を建て続けている。他にやり方を知らないから。
---
金曜の朝。
特に何があったわけでもない朝だった。
僕はいつも通り六時半に起きて、いつも通り白湯を飲んで(コーヒーは胃が荒れるからやめた、二十二歳で胃を心配している自分がちょっと情けない)、いつも通りMacBookを開いた。
メールを確認する。Slackを確認する。クライアントからの返信をいくつか処理する。そのうちの一件が、先月から手がけていた案件のレポートへの反応だった。
小さなオンラインショップをやっている人で、三十代の女性で、自分でアクセサリーを作って売っている。月商は二十万くらい。僕がやったのは、広告の設計と、LPの改善と、SNSの運用方針を整理することだった。
「先月お願いした施策を始めてから、はじめてSNS経由で知らない方からの注文がありました。すごく嬉しかったです。今まで友人や知人にしか買ってもらえなかったので。本当にありがとうございます」
僕はそのメールを読んだ。
二回読んだ。
三回読んだ。
そして、自分でもよくわからないのだけど、目の奥がじんとした。
「はじめて知らない方からの注文がありました」。
それだけのことだ。たった一件の注文だ。川島さんなら、こんな規模の案件はやらないだろう。やる必要がない。川島さんは何千万、何億という広告予算を動かしている。僕がやっていることは、それに比べたら、本当に小さい。
でも、あのアクセサリーを作っている人にとっては、知らない誰かが自分の作品を見つけてくれたことは、たぶん、小さくなかった。
僕がやった仕事は、完璧じゃなかったと思う。川島さんなら、もっとうまくやれた。もっと効率よく、もっと的確に、もっと大きな成果を出せた。でも川島さんはあの案件をやらない。月商二十万のオンラインショップの広告なんか、川島さんの世界には存在しない。
僕はなんでもやだ。
マーケもやるし、広告もやるし、SNSもやるし、たまにデザインの方向性も考えるし、クライアントの愚痴も聞くし、請求書も自分で発行する。専門性がない、と言われたらそれまでだ。川島さんのようにマーケティングの深い専門性があるわけでもなく、柴田さんのように人の心を一瞬で掴む力があるわけでもない。僕は何でもそこそこにできて、何一つ突出していない。なんでもや。便利で、代替可能で、オンリーワンとは程遠い存在。
でも。
あのメールを三回読んだ朝、僕は思った。
なんでもやの僕でしか、届けられなかったものが、もしかしたら、あったのかもしれない。
月商二十万のアクセサリーショップに、真剣に向き合えるのは、たぶん僕みたいな人間だ。大きすぎず、小さすぎず、どこにも分類されない、中途半端な場所にいる人間。上から見下ろすでもなく、同じ場所に立って、一緒に考える。それは才能じゃない。たぶん、境遇だ。僕が中途半端だから、中途半端な場所にいる人たちの気持ちがわかる。わかるというか、少なくとも、わかろうとすることができる。
それは川島さんには、たぶん、できない。できないというか、する必要がない。川島さんにはもっと大きな仕事がある。
僕にはこの仕事がある。
---
これが何かの答えだとは思わない。
川島さんとの距離は縮まっていないし、彼女はまだいないし、友達も増えていないし、人生は相変わらず楽しくない。木曜の夜に渋谷のエスカレーターで一人で立っている二十二歳は、金曜の朝になっても、やっぱり一人で六畳の部屋にいる二十二歳だ。
ワークの問題は解決していない。もっともっと上に行かなきゃいけない。もっと勉強しなきゃいけない。川島さんの三十秒に、いつか追いつかなきゃいけない。追いつけるかはわからない。たぶん、追いつけない。でも追いかけることをやめたら、中学の教室の透明な僕に戻ってしまう。
ライフの問題はもっと解決していない。二十二歳の、今しかない時間が、砂時計の砂みたいにさらさら落ちていっている。大学を出たら、もう「大学生」という猶予は終わる。社会人になったら、きっともっと時間がなくなる。今のうちにもっと楽しまなきゃいけないのに、楽しみ方を知らない。楽しみ方を学ぶ時間を、仕事に使ってしまう。仕事に使ってしまうことに罪悪感を覚える。罪悪感を覚える自分に対してまた恥じる。恥じている時間がまた過ぎていく。
全部、中途半端だ。
全部が中途半端で、その中途半端さを直視できるくらいには頭が回って、でも直視したところで何も変えられないくらいには無力で、その無力さすら誰にも言えないくらいには意地を張っていて、意地を張っている自分がまた恥ずかしい。
クラシックの話題は「文化資本」とかいうネットバズワードにひっかかるせいか燃える印象があるが、みんなどこまでの範囲をさしてクラシックと言っているのだろうか。俺の感覚はこんな感じだが、違うという人もいるだろう(だから話がすれ違う)。
・時代別
18世紀末~19世紀初頭 モーツァルトやベートーヴェンの時代(最狭義)
+17~20世紀 バロック音楽+ロマン派様式を継承する20世紀以降の音楽(広義。多くの人がこう考えている?)※人によっては16世紀を足してルネサンスをこっちに入れるかも
+西洋芸術音楽史全般 中世・ルネサンスや現代音楽を含む(最広義)
古典派(最狭義)
+印象派・新古典派・バッハ以外のバロック以前の音楽(広義。多分多くの人がクラシックと考えているのはここまで?)
+現代音楽(最広義)
・ジャンル別
交響曲・協奏曲・(弦楽四)重奏・(ピアノ)ソナタ(最狭義) ※コンサートのメインディッシュにされることが多い
+性格的小品、19世紀以降も書かれたバロック様式の曲(狭義) ※サロン音楽や自宅で楽しむ曲を多く含む。ショパンのスケルツォバラードワルツマズルカ等々は全部ここ。
+現代音楽(最広義) ※様式は多種多様だが、CDショップだと現代音楽だけ他のものとは別ジャンルで考えられている気がする
声楽 ※芸術音楽としての声楽は器楽よりも古いので器楽と揃えた分類が難しい
オペラ(狭義) ※器楽とはまったく独立したファン層がある。ジャンル違いの意識が強いかも。庶民には無理な高嶺の花とイメージされるのは大概オペラだと思う(安いチケットもあるが)
+宗教音楽、リート、合唱曲の類(広義)※リートの類は観賞場所が性格的小品と重なる(サロンや自宅)
+現代音楽(最広義)
クラシック音楽は多種多様だ。大規模で複雑なものもあればそうではないものもある。よく揶揄されるように綺麗な格好してイソイソとでかける(だから庶民には無理とかいう人がいる)ガラコンや正歌劇もあるし、一方で気楽な演奏会だってあるし、自宅や少人数の仲間で楽しむための音楽もある。そこがクラシック音楽の懐が深いところだと思う。
これ職場で「〜で死ぬ」連発する後輩への愚痴(azukina0772/status/2021786654563086505)への反応なんだけど今の若者怖くね?常識の移り変わり速くて震える
引用元さ、身内が死んだり大切な人が死んだり心動かされるような死に方されたら「死」を意識してあまり言わないようにするけど知らん人の死まで意識して言わないようにするのダルすぎるでしょ
軽く見てるわけないだろw 死を利用して人の事軽視してるの気づいてくれhttps://t.co/owJDfxFkJI— 🤞 (@042_satia0)February 13, 2026
べつによくね、
フォーマルな会議とかしてるわけじゃなければ上司がきもすぎるだけ
引用にいる身近な人の死が〜って言ってる人も繊細ヤクザさんすぎるゎ、🙄🙄https://t.co/gRHxVtBgYu— まいにち情緒ガ不安定嬢 (@love__jii)February 13, 2026
こういう繊細さん(感覚ズレてる人?)自分が嫌だと思ったこと矯正させようとすんのダルいからやめてくれhttps://t.co/BItb54J96d— 女のゲイ (@lkkkkisugi)February 12, 2026
Permalink |記事への反応(34) | 12:45
それでオリンピックに出場して、音速四回転の貴公子みたいな二つ名で呼ばれて、世界の頂点に立つんだけど、
年齢と共に段々成績が落ちていって、ある海外の試合で致命的な転倒事故を起こしてしまって、
意識不明で現地の病院に救急搬送されるも、半身不随になってしまって、
マスコミからも、落ち目の選手が悲劇の事故で障害者に、みたいに書かれるんだけど、
熱狂的なファンの女の子たちが病院に押し寄せて、あなたのフィギュアにかつて生きる勇気をもらいました、
お礼として、結婚して、介護させてほしい、みたいに言われて、全員と結婚して、
選手としてはもう終わってしまったけど、指導者としてフィギュア界に復活して、自伝を書いて、それが世界的にヒットして、
自分が育てた選手がオリンピックでメダルを取ったりして、益々名声は高まるんだけど、
ある日、うっかり未成年の女性選手とセクロスしてしまって、女性側の同意はあったのだけど、
日本で未成年の同意は同意じゃねーから、ということで、その女性が親に相談したところからマスコミに発覚して、
オリンピックメダリストのフィギュア選手、事故で半身不随になっても、夜のベッドで股間を音速四回転、
みたいな見出しでスポーツ新聞や週刊誌に書かれて、嫁全員と離婚、
晩年は生活保護を受けながら、西東京の辺境の老朽化した団地に住み、
ときどき老女のヘルパーに助けられながら、老人デイサービスに通っては、昔は良かった話をしてウザがられ、
デイサービスに顔を出すのもつらくなり、はてな匿名ダイアリーに活動の場を移して、
[三行でまとめ]
会社終わったあとゲームくらいしか楽しみないのに全然クリアできなくてつらい。
どうやったらシューティングゲーム上手くなるの?
[暇な人向け詳細・独り言]
普段コマンドRPGとか、マリオシリーズとかパズルゲームとか、アドベンチャーとかやってるSwitchしか持ってないゲーマーで、
かつビデオゲームデビューが最近(中年、老眼デビュー済み)なせいで、
反射神経とか動体視力が必須かつ操作がシビアそうな音ゲーとか、格ゲーは避けてきた。シューティングもそっち側だった。
・・・そう、あまりシューティングゲームと意識しないで買ってしまったのだ。(同じ製作者さんの前作がアドベンチャーでとても良かったので)
これまでは。
でもだめだ、ぜんっぜんシューティングができない。
全64面(途中セーブ・コンティニューなし)の小さなインディーゲームで、32面の壁を越せない。面白いように28面で死ぬ。
どんなゲームでも時間さえかければ、いつか必ずクリアできると思ってたんだよね。<これよく考えたら、レベルアップ概念があるアクションとかコマンドバトルの発想だな。
でも違った。
もう45時間以上やっているが、28面で多分30時間以上停滞しているんじゃないかな。
そして、製作者さんが「想定クリア時間は15分〜10時間」と言っているのを見て、心がパッキリ折れた。
もうやだ。やりたくない。でもくやしいぃぃぃぃ(ハンカチ噛みちぎり)
マイナーゲームだからか、攻略サイトも見つからない。(シューティングゲームに攻略サイトってあるのかな…)
なんかシューティングゲームのやり方を根本的に間違っている?
みんな俺の知らない秘密の方法でシューティングゲームクリアしてるor練習してるの?
もう2Dシューティングの一般的な練習法とかでいいから教えて欲しい…(リアルで教えてくれる友達はもちろんいない)
疲れた。
もう寝る。
そのことを日本は理解して尊重する、と宣言したのが日中共同声明だった。
「中国視点では」あー日本が軍事侵攻を仕掛けてきたな… と映る。
憲法9条は平和の役に立つけれど、にも関わらず「日本は侵略戦争する」んですよ。
と、言われても理解できないと思いますが、日本は「専守防衛」を敷いていますよね?
実際に世界中の国々や軍隊から日本国自衛隊は外征能力に欠いている(海外で戦う力が無い)と評価されてます。これは中国の人民軍にすらそう指摘されてるほどです
で、この専守防衛なんですけれども、つまり外国から侵略を受けた際に迎撃する事に特化するという意味なのは何となくわかるかと思います
これをですね、軍事戦略の基本的な類型を当てはめると「内線作戦」というものを取るということです
この「内線作戦」とは何か?ですけれども、前提として国内のインフラを精緻に整備することが先ず求められます
整備されたインフラを持つことによって、侵略軍が攻めてきたときに直ぐ様に戦力を集中して迎撃体制を築けるようにするんですね
おや?ここで1つ気になることがあります
精緻なインフラ整備、田中角栄の日本列島改造論で既に日本では達成されてしまっていますね?
日本は僻地離島にすらアスファルト舗装道路があるので未整備未舗装な道路よりも迅速に自衛隊は動けてしまいます
話がそれましたが、更に付け加えると「内線作戦」の特徴の一つとして「縦深(じゅうしん)」を取るというものがあります
つまり、侵略軍を自国領土へわざと引き込んで、勝手知ったる自国領土内で侵略軍を寝かせないレベルで叩き続けたり、罠を張り巡らせたりして疲弊させ、侵略軍の「侵攻限界」を目指す戦い方です
さぁ問題です
この「内線作戦」での「縦深」で先ず最初に戦災の犠牲に遭ってしまうのは日本の何処の地域でしょうか?
そうですね、現在の日本周辺の状況を考えると最初の犠牲は「沖縄県」です
沖縄県は非常に反戦意識の高い風土です。自衛隊を解散しろと言う人すら居るくらいの土地柄なのです
では、何故こんな主張をするかと言えば日本の「専守防衛」は「内線作戦」であり、最初に戦闘地域として選ばれるのは「沖縄県」だからですね
しかし、沖縄県民のすべてがこの様な極端な主張をしているわけではありません。何なら自衛隊を解散しろ派はかなりのマイノリティです
侵略へ対する抑止力としての自衛隊は保持すべきという沖縄県民はかなり多く、「専守防衛」である自衛隊は反戦戦力として適切であると考えています
ここで矛盾が発生するわけですね
「専守防衛」は性質上「内線作戦」を取らざる得ない、でも自衛隊が存在しなければ侵略へ対する抑止力とならない
これが沖縄県民が抱える戦争・軍事の悩みの中心であり、日本が軍事力を強化していって侵略する側になったらどうするんだ?という悩みはかなり現実味がなく重要度が低いんですよね
現代社会において、結婚指輪は愛情の証や社会的ステータスの象徴として自明のものとされている。しかし、文化人類学的、あるいは記号論的な視点からその本質を解剖すれば、それは単なる装飾品ではなく、一種の「洗練された呪詛(カース)」としての機能を内包していることが浮き彫りになる。本稿では、指輪という形状が持つ円環性と、左手薬指という身体的部位への固着が、いかにして個人の自由を剥奪し、永続的な拘束を強いる「呪詛」として機能するかを論じる。
指輪の最大の特徴はその円環構造にある。幾何学において円は始点と終点が一致し、無限の反復を意味する。これを婚姻関係に当てはめる時、それは「死が二人を分かつまで」という誓約を、視覚的・物理的なループへと固定する行為に他ならない。 かつて呪術的世界観において、対象を紐や輪で囲う行為は「封印」や「束縛」を意味した。結婚指輪をはめる行為は、自らの意思を特定の他者との関係性の中に封じ込め、外部世界との流動的な接触を断絶させる自己封印の儀式である。
左手薬指に指輪をはめる習慣は、古代エジプトやローマにおける「ヴェナ・アモリス(愛の静脈)」という幻想に基づいている。この指の血管が直接心臓(アニマ)に繋がっているという信仰は、解剖学的には否定されているものの、文化的な呪詛としては今なお強力である。指輪による圧迫は、微弱ながらも絶え間ない物理的刺激として身体に記憶される。この持続的な刺激は、意識下に「私は所有されている」という通奏低音を響かせ続ける。つまり、指輪は皮膚という境界線を越えて精神の深層へと侵入し、個体としての独立性を侵食する身体的同化装置なのである。
指輪は、第三者に対して「この者は売約済みである」と宣言する標識である。これは一見、不埒な誘惑から身を守る護符(アミュレット)のように機能するが、その実態は相互監視のシステムである。指輪を外す行為が「裏切り」や「隠蔽」と直結する社会構造において、指輪は装着者の行動を24時間規定する。外す自由を奪われた装飾品は、もはやファッションではなく、見えない鎖の末端に位置する「美しい枷」に他ならない。
以上の考察から、結婚指輪とは愛の象徴という美名の裏に、永続的な拘束、自己喪失、そして社会的監視を埋め込んだ高度な呪術的記号であると結論付けられる。それはロマンティシズムによって美化された「呪詛」であり、我々はその円環に指を通すことで、自ら進んで自由という名の魂の一部を供物に捧げているのである。
40のおっさんは爺どもの組織票よりは若者の組織票のほうがいいと思うから望まない結果になったとしてもかまわんぞ
投票率だけで判断することは少ないだろうけど、数はパワーなのも事実だからな
投票率がじじい80%若者90%とかならそこまで変わらんかもしれんが、じじい60%若者90%なら若者にも意識が向くのは当たり前だよ
2026年2月8日に投開票された衆議院選挙で、立憲民主党と公明党が電撃的に合流して結成した新党「中道改革連合」は、公示前の167議席から49議席へと118議席を失う歴史的惨敗を喫した。この数字は、同じ数だけ議席を伸ばした自民党の圧勝と表裏をなす。なぜこれほどまでに中道改革連合は有権者から拒絶されたのか。批判の核心は党名、政策転換、党内構造、そして支持基盤の崩壊という多層的な問題に根ざしている。
中道改革連合という党名そのものが、結成直後から激しい批判にさらされた。まず指摘されたのは「民主」という言葉の消失である。自由民主党、立憲民主党、国民民主党、社会民主党と、日本の主要政党の多くが「民主」を冠してきたのは、国民主権と対話による政治という理念を示すためだった。ところが「中道改革連合」にはその文字がない。評論家や市民からは「国民を見下す驕りを感じる」「上から目線の改革姿勢が透けて見える」といった批判が相次いだ。
さらに深刻だったのは略称の問題である。「中道改革連合」を略すと「中革」あるいは「中革連」となり、過激派組織「中核派と革マル派」を連想させる響きを持つ。ネット上では「中革派」「中核連」といった揶揄が飛び交い、穏健な中道路線を標榜する新党にとって致命的なイメージダウンとなった。保守系論者からは「中国への道」を略して「中道」だという皮肉も投げかけられている。党名は政治において最も基本的なブランドであり、その段階で既に有権者の信頼を獲得できなかったと見られている。
より本質的な批判は、立憲民主党が長年掲げてきた基本政策を、公明党との合流のために大幅に転換した点に向けられた。立憲民主党は安全保障関連法について「違憲部分の廃止」を主張し、党綱領で「原発ゼロ社会を一日も早く実現」と明記してきた。これらは同党のアイデンティティを支える「背骨」とも言える政策だった。
ところが中道改革連合は、安保関連法を合憲と位置づけ、原発再稼働も条件付きで認めた。この転換に対して、れいわ新選組の山本太郎代表は「日本をダメにしてきた者たちが看板を付け替えて、もう一回詐欺をやろうとしている」と痛烈に批判した。社民党の福島瑞穂党首も「安保関連法を『合憲』といい、原発再稼働を『認める』という。自民党とどこが違うのか」と疑問を呈し、国民民主党の玉木雄一郎代表も「背骨となる政策がこんなに簡単に変わるのか」と述べている。
こうした政策転換は、立憲民主党のコア支持層を直撃した。脱原発や安保法制違憲といった左派的価値観を大事にしてきた支持者は、公明党とくっついて中道に移行したことに強い違和感を覚えたとされる。また、反自民的な無党派層も、野党第一党として自民党と異なる価値観で対峙していた立憲民主党が、与党だった公明党と合流したことで「野党第一党としてのあるべき姿を失った」と感じたという分析がある。元NHK解説委員の増田剛氏は、立憲民主党を支持してきた土台が崩れたと指摘している。
選挙戦略の内部配分も大きな不満を生んだ。中道改革連合は比例代表の名簿で公明党出身者を全ブロックで上位に配置し、立憲民主党出身者は小選挙区で戦うという構造を採用した。公明党の支持母体である創価学会は、全国に約800万世帯とされる強固な組織票を持ち、比例代表での集票力は極めて高い。この組織力を最大限活用する戦略が採られた結果、公明党出身候補28人は全員が当選を果たし、前回衆院選の24議席から4議席増やす「勝利」を収めた。
一方、立憲民主党出身者は公示前の144議席から21議席へと7分の1にまで激減した。近畿、中国、四国、九州の各ブロックでは、公明党系候補だけで当選枠が埋まり、立憲民主党出身の候補者は小選挙区で惜敗しても比例復活できないケースが続出した。立憲民主党の創設者である枝野幸男氏、元幹事長の安住淳氏、重鎮の岡田克也氏ら、民主党政権時代に幹部や閣僚を務めたベテランが次々と落選した。
落選した兵庫7区の岡田悟氏は「比例ブロックの名簿はほぼ、公明のかたで埋められた。これをどうやって、誰がどうやって話し合って決めたのか、民主的なプロセスははっきりと経てないんですよ」と不満を露わにした。党内からは「公明に比例を譲りすぎた」という批判が噴出し、立憲民主党出身候補や支援してきた労働組合幹部の間に深い亀裂が生まれた。
創価学会員の中にも困惑があったとされる。取材によれば、長年「仏敵」とまで呼んでいた立憲民主党の候補者を応援するよう要請され、学会員の間にパニックが広がったという。組織の高齢化も課題となり、小選挙区での全面撤退により「推し」がいなくなったことで熱量を保つのが難しかったという声も報じられている。
実業家の岸谷蘭丸氏は、中道改革連合を「嫌われの元気玉」と表現した。立憲民主党も嫌われ、公明党も嫌われていた。その二つが合流したことで「1足す1ではなく、−1足す−1で−2になった」というのである。この指摘は、単なる揶揄を超えた構造的洞察を含んでいる。
日本の政治は2016年頃から「物語を失い、推し活化」してきたと評論家の與那覇潤氏は分析する。かつては「小異を捨てて大同につく」「野党結集」という物語が一定の説得力を持っていたが、2017年の希望の党の失敗以降、有権者は巨大な塊よりも「100%自分にフィットする特定の政党や政治家」を求めるようになったという見方がある。中道改革連合はこの潮流に逆行し、立憲民主党の独自性と公明党の組織力を両方とも十分に活かせなかった可能性が指摘されている。
さらに評論家の宇野常寛氏は「今回の中道改革連合の『壊滅』の原因は野田佳彦の中道路線の失敗でもなければ、国民民主党の大量擁立でもない。端的に『リベラル』な人たちの『キャラ』が嫌われているからだ」と指摘している。政策や戦略以前に、リベラル勢力全体に対する有権者の拒否反応が背景にあったという見方である。
野田佳彦共同代表は敗北後、「準備期間が足りなかった」ことを敗因に挙げた。高市早苗首相による「抜き打ち解散」で選挙が短期決戦となり、新党の理念・政策どころか党名すらも有権者に浸透させることができなかったのは事実である。結党わずか1か月での選挙戦は、政治的実験としてあまりにも性急だった。
しかし準備期間の不足は、より根本的な問題を覆い隠すものでもあると分析されている。立憲民主党の野田執行部は「野党結集」「非自民勢力の結集」という2009年の民主党政権時代の成功体験に縛られ、立憲民主党独自の社会像を打ち出せなかったとジャーナリストの尾中香尚里氏は指摘する。他の野党との連携を意識するあまり、単独で政権を奪いに行く明確なビジョンを失っていたという見方である。
2024年9月の立憲民主党代表選で野田氏は「野党の議席を最大化するのが現実的な戦略」と述べ、「非自民勢力の結集」を強調して代表に選出された。しかしこの戦略は、立憲民主党が独自に積み上げてきた支持基盤を軽視する結果を招いたと批判されている。
選挙後、野田佳彦共同代表と斉藤鉄夫共同代表の記者会見での態度には明らかな温度差があったと報じられている。野田氏が「終始うつむき加減」で敗北の責任を認めつつも曖昧な継続意欲を示したのに対し、斉藤氏は「前を向いた明るい表情」で「失敗ではないと思います」と言い切った。
この対照は、選挙結果の内実を反映している。公明党は議席を増やし、創価学会の組織票を比例で効率的に議席化することに成功した。斉藤氏は「1000万を超える比例票が短期間で集まった。議席は自民の6分の1だが票は半分で、野党第一党だった」と強調した。公明党にとって、中道改革連合は「失敗」どころか戦術的勝利だったとも言える。
中道改革連合の49議席は野党第一党としては戦後最小規模であり、立憲民主党出身者の当選は21議席と公明党出身者の28議席を下回った。主要政党の中で立憲民主党系だけが「独り負け」の状況となり、自民党はもちろん、日本維新の会、国民民主党、参政党なども議席を増やした。
中道改革連合が嫌われた理由は、一言で言えば信頼と一貫性の喪失にあると総括できる。党名は有権者の共感を得られず、政策転換は支持基盤を裏切り、党内配分は不公平感を生み、準備不足は未熟さを露呈した。そして何より、立憲民主党が長年培ってきた「反自民」「リベラル」というアイデンティティを、選挙のために安易に捨て去ったことが致命的だったと指摘されている。
政治において、有権者が最も嫌うのは日和見主義と機会主義である。中道改革連合は、公明党の組織票と立憲民主党の支持層を合算すれば勝てるという計算に基づいていたが、実際には両者の支持基盤を同時に失った。「嫌われの元気玉」という言葉が示すように、負の感情は足し算ではなく掛け算で作用したと見られている。
この歴史的大敗は、日本の野党政治にとって重要な教訓を残した。有権者は、明確なビジョンと一貫した価値観を持つ政党を求めている。選挙のための便宜的な合従連衡は、もはや通用しない時代になったことを、この結果は示唆している。
対象(本人)は元京都大生であるが、青年期特有の内省的自己愛(髭へのこだわり等)を保持していたが、社会的な儀礼(贈与への返礼等)に関する意識は希薄であり、
他者の教示を待って初めて行動に移す受動性が認められた。具体的には自分では誘うべきことに気づかず、よくしてもらったんだから招いてお礼したらと誰かにいわれ始めて行動に移した
このような状態分析としては被暗示性と鏡像段階にあることが認められ、他者からの「髭がないほうがいい」という外的な審美眼に対し、通常見られる心理的抵抗(逡巡や自己正当化)を一切挟まず、
これは、特定の他者(高学歴女子)を自己修正のための「絶対的な鏡」として内面化しており、極めて高い被暗示性を有していたことを示唆する。
形式的なマナーの欠如に反し、飲酒不可の他者へ「茶」を供するという個別的・具体的な配慮は自発的に機能していた。共感性の萌芽としての実存的配慮能についてはすでに有していたようだ。
これは、抽象的な社会規則(プロトコル)の習得よりも先に、目の前の対象への実存的共感が先行して発達していた証左である。
本症例は、全能的な自己イメージが「重要な他者」の一言によって瞬時に崩壊・再構築された、劇的な脱・自己中心化の過程である。脱・自己中心化のプロセスとしてとらえられる。
病理学的には、単なる適応遅滞ではなく、他者の視点を取り込むことで自己を社会化させていく極めて柔軟かつ純粋な発達段階として解釈される。