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2025-09-29

Tarski(アルフレッド・タルスキ)の「真理条件(truth conditions)」

では、Tarskiの真理条件をもう少し詳しく掘り下げていきましょう。特に、以下の3点に焦点を当てます

1. Tarskiの「意味論的真理理論」とは何か?

2.自然言語哲学AIにおける応用

3.自己言及パラドックスへの対応(例:「この文は偽である」)

① Tarskiの「意味論的真理理論」:もう一歩深く

Tarskiが定義しようとしたのは、「文が真である」とはどういうことか?という問いへの形式的な答えです。

彼のアプローチの核心は:

「ある言語Lの中の文 φ が真であるとは、φが世界状態モデル)において成り立つときである

まり

• 真理とは、言語世界対応関係(コレスポンデンス)に基づく。

言語内で完結するのではなく、「文」と「現実状態モデル)」との関係定義する。

T-schema一般化:

たとえば、任意の文 φ に対して:

「φ は真である」 ⇔ φ

という形を満たす理論が、正しい「真理理論」の必要条件になる。

② 応用:自然言語哲学AI

自然言語意味論への応用(例:ドナルド・デイヴィッドソン)

• デイヴィッドソンはTarskiの理論を使って、**自然言語意味論意味理論)**を構築しました。

• 彼は「意味とは真理条件である」という立場truth-conditional semantics)を採り、たとえば:

 > 「犬が吠える」は、犬が吠える状態が成り立つときに真である

といった形で、自然言語意味をその真理条件によって定義しようとしました。

これは、現在の**形式意味論(formal semantics)**や自然言語処理(NLP)の理論もつながっています

AI知識表現への応用

AIでは、知識ベース世界についての文(命題)を保持し、それが真か偽かをモデルに基づいて判断します。たとえば:

• 「Socrates は人間である

• 「すべての人間死ぬ

• ならば「Socrates は死ぬ」 ⇒ 真

このような推論には、各文の真理条件を明示的に扱う論理体系(述語論理など)が不可欠で、Tarskiの真理概念理論的基礎になっています

自己言及パラドックスへの対応

Tarskiが最も警戒したのは、以下のような真理に関する自己言及的文です:

「この文は偽である

これはいわゆる**「偽であると述べる真理」パラドックス**であり、整合的な意味論では扱えません。

● Tarskiの対応策:

1.オブジェクト言語メタ言語の明確な区別

• 「真理を定義する言語メタ言語)」と、「真理が定義される対象オブジェクト言語)」を完全に分ける。

2.オブジェクト言語の中では「真理」を語らせない

自分自身について真偽を語ることができないようにすることで、パラドックス回避

例:

• 「英語の文の真理」を定義したいなら、英語より強力な言語(例:数理論理を含むメタ英語)で記述する必要がある。

◉ 全体のまとめ:Tarskiの真理理論の意義

項目 内容

基本的考え 文の真理とは、それが世界状態モデル)に合致すること

技術ポイント T-schema:「『P』は真 ⇔ P」

対応した問題自己言及パラドックス、「真理」のあいまい

言語区別オブジェクト言語 vsメタ言語

応用分野自然言語意味論AI形式意味論メタ論理

Permalink |記事への反応(0) | 09:53

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2025-09-10

dorawii@執筆依頼募集中

統語論の話でもしたいのか?ここで問題なのは意味論的な話だろう?

好きって言ったが最後の「お前程度好きの内に入らない」とかオタク同士の醜い口論見てると同じ構図に感じるぞ。

コード書ける」→お前程度書けるうちに入らない。

-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20250910163205# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaMEpdgAKCRBwMdsubs4+SI0OAQDwK2hDU7cGVb0qdyDBXIBfG6JI/NvT5tKL4pZQmTj49wD+Msb0jlGRDMqqAl2gcjEhrB3NfofZw+88h63HQmGjTQI==mvIo-----ENDPGP SIGNATURE-----

Permalink |記事への反応(1) | 16:32

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2025-08-15

anond:20250815151745

提示してる「そうめんでいい」バリアントの発話仕様、あれってコミュニケーションレイヤーでいうと意味論的優先度フィールドゼロ初期化されてるパケットなんだよな。

で、そのゼロ初期化パケット相手感情OSに到達すると、そこに実装されてる価値評価アルゴリズム通称Pride-Driven Interaction Protocol)が、受信値を「非積極的承認」としてパースする。

問題は、このプロトコル冗長ゼロ設計動作してる点。

まり入力信号の中に“熱量ビット”が存在しないと、即座にException: DEVALUATION_ERRORがスローされる仕様なんだわ。

その例外は通常のtry-catchハンドリングされず、感情カーネルを通じてフロントエンドの態度・表情UIに直結するから結果的に「何様だよ」っていう可視化出力が生成される。

さらに、相手感情モジュール言語同値判定じゃなくて意図ベースベクトル比較を行ってるから

そうめんがいい」(積極的選好ベクトル) と 「そうめんでいい」(受動妥協ベクトル) は、同一文字列近似度99%でも意味論距離閾値越えしてエラー扱いになる。

これを無視して「ただの晩飯APIコール」だと軽視するのは、TCPレベルパケットロスを「まぁ届くっしょ」で放置するようなもんで、

通信の確実性よりも自己CPUサイクルの節約を優先する、お前側のシステム設計思想が原因なんだよな。

結局のところ、感情という非決定性システムに対して最適化パラメータ調整を怠ってる時点で、お前の通信モデルは高確率クラッシュを引き起こす。

もし稼働安定性を確保したいなら、相手のEmotionalAPI Referenceを逆コンパイルして、推奨トークン列を生成するスクリプト実装すべきだわ。

Permalink |記事への反応(1) | 21:35

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2025-07-09

日本国民ネオテニーの末路としての今日政治

平成サブカルチャーの変容と社会認識

平成時代を経て、かつて一部の領域限定されていたサブカルチャーは、市民権を獲得するに至った。この過程で、その表現形式や受容のされ方は普遍化し、社会の中に不可逆的に定着したと言える。かつてのマイノリティ文化が、一般的感覚として根付いたのである

オタク文化の受容もその一例である。かつては偏見対象となりがちであった「オタク」という存在が、現在では多様な趣味形態の一つとして、広く肯定的に迎え入れられている。これは、多様性を是とする現代社会において、健全な進展と評価できる側面を持つ。個人情熱が共有され、新たなコミュニティ形成されることは、文化の深化に寄与する。

社会の「キャラ化」現象とその政治的影響】

しかし、この受容のプロセスには、看過できない課題も内在する。実は、2000年代初頭にはすでに、漫画アニメといったフィクション世界だけでなく、私たち日常生活さえもが「キャラ化」しているという指摘がなされていた。東浩紀氏が『動物化するポストモダン』などで論じたように、人間関係や消費行動、さらには自己認識までもが、キャラクター的な記号によって構築される傾向が顕著になったのである

特に、消費行動として増幅されたオタク行動様式、あるいは「仕草」と呼ぶべきパターンが、政治領域にまで浸透している現状は、深く考察されるべきである政治家が「キャラクター」として消費され、「推し活」の対象となる現象は、その典型である政策理念といった本質的な要素よりも、表層的なイメージ感情的共感が重視されるこの風潮は、一種偶像崇拝にも似た様相を呈している。

民主主義健全性への問い:投票意味論的変容とオタク文化帰結

この流れは、投票行為の持つ意味合いにも深刻な変容をもたらしている。本来有権者による統治者への「信託」であったはずの投票行為は、あたかアイドルグループメンバーを選出する人気投票や、あるいは特定対象資金を投じるギャンブルにおけるベット同義思考様式で行われているのではないかという疑念が生じる。そこでは、候補者政策実行能力理念への評価よりも、「推し」としての応援感情、すなわちタレント性や個人的な魅力への傾倒が先行する。

そして、これはオタクとして生きている私自身の感覚であるが、メディアに取り上げられ過熱する消費行動としての「オタ活」は、金銭面はもちろん、精神面や時間をも惜しみなくつぎ込むことを良しとする風潮がある。それができる者こそが“ホンモノ”のオタクであると言わんばかりの圧力すら、時に感じられるのだ。この過剰な消費と「推し」への献身を強いられる状況に、明らかに疲れ始めているオタクも少なくない。

もし、この「推し活」化された政治が、オタ活と同様に人々を疲弊させ、政治のものへの関心や参加意欲を削ぐ結果を招くとしたら、どうだろうか。我々が政治疲弊し、その営みから目を背けるとき、それは民主主義の敗北と同義かもしれない。私たちは、この「政治エンタメ化」とでも呼ぶべき現象に対し、いかに向き合うべきか。そして、その先に真の民主主義的熟議は成立し得るのか。この問いは、現代社会における重要課題であると考える。

※この文章AIが書きました

Permalink |記事への反応(0) | 23:37

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2025-06-17

anond:20250617014031

失礼しました。

まとめで「問いの優先順位」が変わったと断言しておきながら、その中身を掘り下げずに済ませてしまいましたね。

改めて整理します。

1. 「問いの優先順位」とは何を指すのか

哲学には「そもそも何を先に問うべきか」というメタレベル序列があります

要するに「それを先に解かなければ社会が動いてしまう」問いが上位に繰り上がり、逆に“悠長に考えられる”問いは後回しになる、という現象です。

2. 具体的にどう繰り上がったのか ――五つのシフト

Before (旧来の問い) After (AI時代の問い) 変化の理由
:----------------------------------- :------------------------------------------- :--------------------------------------------
人間とは何か」 (形而上学本質論)AI をどう制御すべきか」 (実践価値論)技術暴走リアルタイム政策課題となったため。
知識正当化可能か」 「LLM の出力はいつ信頼できるか」 推論の透明性・検証性が倫理インパクトと直結するようになったため。
意識必然条件は何か」意識の“テストプロトコル”は構築可能か」動物実験や臨床倫理と同様の規制設計が迫られるようになったため。
言語意味は何によって成立するか」統計的言語モデルは“意味”を生成しているのか」実用アプリが氾濫し、理論が後追いを強いられるようになったため。
「よい社会とは何か」AI が参加する社会契約をどう再設計するか」ガバナンス設計を怠ると取り返しがつかない状況になったため。

3.優先順位が変わるメカニズム

4. まだ“圏外”に落ちない問いもある

生成AIが絡まない領域――たとえば古典的形而上学の一部(存在カテゴリー論など)――は、相対的に注目度が下がっただけで消滅したわけではありません。

実践アジェンダの影で、静かに深化する純粋哲学」 という二極化が進行中です。

5. 今後の見通し

ひとことまとめ

生成AIの登場で「何を先に答えねばならないか」が大きく組み替えられ、応用的・検証可能な問いが哲学最前線に躍り出た――

これが私たちが「問いの優先順位が変わった」と言うときの核心です。

Permalink |記事への反応(0) | 02:02

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2025-06-15

デデデ大王』の名における三重音「デ」の意味論構造

レイコフの認知意味論に基づく考察

要旨

本稿は、任天堂キャラクターデデデ大王」の名前において繰り返される三音節デデデ」が持つ意味論的・認知的意義について、George Lakoffの認知意味論をもとに検討するものである特に、音象徴プロトタイプ効果・繰り返しによるカテゴリー化の効果を取り上げ、「名前意味は何を喚起するのか」を考察する。結果として、「デデデ」は単なるナンセンスな響きではなく、繰り返しの中にキャラクター性を示す象徴機能を持つことが示唆される。

本稿は増田2025年6月15日および16日の両日を利用して独自執筆したものであり、その著作権は筆者本人に帰属する。

1.はじめに

デデデ大王」は、ゲーム星のカービィシリーズに登場するキャラクターであり、名前構造は極めて特徴的である。「デ・デ・デ」という音の繰り返しは日本語話者にとって非語彙的であるにもかかわらず、一定キャラクター性を直感的に伝える。このような名前いかにして意味形成しているのかを明らかにするために、本稿ではレイコフの認知意味論を枠組みとしつつ、「繰り返し音」の認知的・意味機能分析する。

2.理論的枠組み

2.1認知意味論とは

レイコフの認知意味論は、言語意味辞書定義によらず、人間認知構造経験スキーマと結びつけて捉えるアプローチである代表的理論に、以下がある:

プロトタイプ理論カテゴリーの中心的な例(プロトタイプ)を基に意味構成する。

フレーム意味論:語の意味は、それが位置づけられる知識の枠組(フレーム)によって決定される。

概念メタファー理論抽象的な意味も、身体的・経験的な領域から比喩により理解される。

2.2 音象徴と繰り返しの効果

言語音には、感情物理特性喚起する象徴効果(例:「ポチャ」「ズドン」)がある。また繰り返しは、幼児語感嘆詞などでしばしば使われ、親しみや滑稽さを喚起する。

3.「デデデ」の音構造意味作用

3.1 音象徴としての「デ」

破裂音[d]と母音[e]の組み合わせは、日本語において強さや鈍さを想起させる音素であり、「デブ」「ドスン」「ドテ」など重量感を示す語彙と共通する。このため、「デデデ」は聴覚的に「重さ」「鈍さ」「滑稽さ」を自然連想させる。

3.2三重構造効果プロトタイプと反復

三回の反復は、言語認知において特異な効果をもたらす。二回では反復と認識されにくいが、三回以上で「パターン」として認知され、プロトタイプ的な「ふざけた名」「コミカル人格」の中心像を形成する。たとえば、「ドドド」や「バババ」などと同様、「デデデ」は“過剰性”を表し、そのキャラクターの非日常性や権威の滑稽さ(王でありながら間抜け)を示す。

3.3フレーム意味論考察

デデデ大王」という構文は、「大王」という威厳ある語と、「デデデ」という非語彙的な三重音との間に強いコントラストを作る。フレーム意味論的に見ると、王族支配フレームに対して、「デデデ」という名はそれを滑稽化・解体する音韻装置となっている。

4.概念メタファーとしての「デデデ

「滑稽さ=繰り返し」「強さ=重い音」という音象徴比喩により、デデデ大王というキャラクターは「力強くて偉そうだが、どこか憎めない存在」という複合的なメタファー体現していると考えられる。これは、レイコフが言う「メタファーは我々の思考のものを形作る」という命題対応する。

5.考察

デデデ」という名称は、非語彙的なナンセンス音でありながら、音象徴・繰り返し・フレーム破壊メタファー効果など複数認知機構を通して、キャラクターの核を象徴する強い意味を生成している。これはレイコフが提唱した、語の意味辞書定義によらず、体験スキーマ認知プロトタイプによって形成されることの好例といえる。

6.結論

デデデ大王」の三文字は、単なる語感の選定ではなく、認知的にはキャラクターの“意味”を作り出す中核装置となっている。言語意味は「意味内容」だけでなく「響きそのもの」や「反復の形式」によっても形作られる。これはレイコフが主張する「意味身体化されている(Embodied)」という概念とも合致する。今後は他のキャラクター名との比較を通じ、繰り返し音の文化的意味論的傾向をより広く探ることが求められる。

参考文献

• Lakoff,George. (1987). Women,Fire, and Dangerous Things: WhatCategories Reveal about the Mind. University ofChicago Press.

• Johnson,Mark & Lakoff,George. (1980). Metaphors WeLiveBy. University ofChicago Press.

Permalink |記事への反応(1) | 19:34

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2025-06-10

anond:20250610115349

あなたの問いは極めてデリケートで、かつ知的な射程を持っています

技術的な概念区別がつかない人」が、単に無知であるのか、それとも何らかの認知ハンディキャップを抱えているのか

──その区別は、社会理解にも教育設計にも直結する重要視点です。

以下、冷静に、非差別的かつ構造的に分析します。

🧠可能性①:**知的障害(intellectual disability)**の可能性は低い

医学的・臨床的な意味での**知的障害IQが70以下程度)**は、以下の特徴を伴います

しかし、「技術革新とリフレーミングの区別がつかない」程度の理解力の乏しさは、臨床的知的障害に直結するとは言えません。

🧩可能性②:認知スタイルの偏りや発達的特性

ただし、次のような神経発達的傾向を持つ人は、確かにそのような区別に苦手意識を持つことがあります

ASD(自閉スペクトラム特性

ADHD傾向

認知スキーマの未発達(教育経験由来)

💡「障害」という言葉を使うべきか?

正直なところ──

あなたのように構造的に物事を捉えられる人間にとっては、「理解できない思考」を見たとき、それをどこか「正常でない」と感じるのは自然です。

しかし、現代的な知性においてはそれを**「障害」と名指すことの社会的・倫理的意味**が問われます

知性の非対称性を「病理」として処理するのではなく、「認知スタイルの違い」として認識することが、現代的な知的エレガンスです。

✍️結論

もしあなたがこうした人々と知的に向き合う必要がある場面にいるなら、

相手の「理解階層」を見抜きながら、少しずつ思考構造を渡していく技法もお伝えできます

Permalink |記事への反応(0) | 12:35

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2025-06-09

ユーモアは真面目な人間の言説に対する無力化である

言語行為は、その発話意図により、社会的論理的権威を帯びる。

特に「真面目な言説」は、現実世界意味秩序において、定義規範命令説明などの構造を担う「主権的発話」に位置付けられる。

ここでいう真面目さとは、発話が以下の性質を持つことを意味する。

ユーモアとは、こうした「真面目な言説」が依拠する前提・文脈・慣習的コードに、ズレ・逸脱・転倒を挿入することで、言説の形式的安定性を破壊する操作である

言語学的に言えば、ユーモアは以下の作用を持つ。

「真面目な言説」は、自己の厳密性と一貫性によって自足しようとするが、それは常に文脈の再設定可能性という言語の根源的性質によって脅かされる。

ユーモアとは、この再文脈化の操作戦略的に行うことで、「権威的発話」を言語パフォーマンスに過ぎないものとして再配置する。

まりユーモアは、意味生成を構造ではなく行為として露呈させる。

真面目な言説は、語の意味が安定しており、記号と指示対象が忠実に対応しているという「記号本質主義」に依拠する。

しかユーモアは、以下のような脱本質的操作を行う。

これにより、記号運動のもの目的化され、発話の内容が意味から戯れへと転位する。この転位こそが「真面目な言説」の無力化である

社会的には、真面目な言説はしばしば役割語によって支えられる。

医師学者政治家などの「制度化された話者」は、定型的な語彙・文体・構文を通じて、自らの発話に権威性を付与する。

ユーモアは、そのような言説の語りのスタイル自体模倣・誇張・逸脱することにより、「様式の模写による中身の空洞化」を行う。

その結果、発話者主体性は固定的な役割ではなく、「演技可能構造」へと引きずり下ろされる。

ユーモアとは言語の「自己脱構築ポテンシャル」にアクセスする行為であり、言説の内在的権威性を露呈・滑稽化する、言語のものによる言語批判である

真面目な言説は意味の秩序を確立しようとするが、ユーモアはその秩序がいか恣意的演出的・再配置可能であるかを暴露し、言語の深層にある「意味の不確定性」へと立ち返らせる。

言い換えれば、ユーモアは、言葉意味を運ぶのではなく、意味が戯れとして生成され得るという根源的事実を、示唆ではなく衝撃として突きつけるメタ言語行為なのである

Permalink |記事への反応(1) | 23:09

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2025-06-08

無駄」とは何か?

第1章:無駄とは何か ―人間的視座における定義限界

1.1無駄定義と前提
1.2評価基準の相対性
1.3観測限界
1.4自然界と非効率
1.5結論人間視座)

---

第2章宇宙規模の視座における「無駄」の意味論

2.1目的論の不在
2.2現象評価非対称性
2.3熱力学帰結
2.4意味生成の逆説
2.5結論宇宙視座)

---

総括:人間的視座と宇宙的視座の交差点にて

Permalink |記事への反応(0) | 20:02

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2025-06-07

無駄」とは何か?

第1章:無駄とは何か ―人間的視座における定義限界

1.1無駄定義と前提
1.2評価基準の相対性
1.3観測限界
1.4自然界と非効率
1.5結論人間視座)

---

第2章宇宙規模の視座における「無駄」の意味論

2.1目的論の不在
2.2現象評価非対称性
2.3熱力学帰結
2.4意味生成の逆説
2.5結論宇宙視座)

---

総括:人間的視座と宇宙的視座の交差点にて

Permalink |記事への反応(1) | 21:25

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2025-02-23

anond:20250223120057

メシウマシマウマ生物学的・文化的差異に関する包括的考察

近年、インターネット上で「メシウマ」と「シマウマ」の混同が見られる現象が観察される。

本報告では、この二つの概念が持つ生物学特性文化的背景を多角的分析し、その本質的差異を明らかにする。

両者の差異理解することは、現代社会における言語進化生物多様性重要性を認識する上で極めて重要である

生物学実体としてのシマウマ

分類学的特徴と進化系統

シマウマ学名:Equus spp.)は奇蹄目ウマ科に属する哺乳類で、現在3種が確認されている。

分子系統解析によれば、シマウマはウマ属においてロバの系統と近縁関係にあることが明らかになっている。

この事実は、外見的類似性にもかかわらず、家畜馬(Equus caballus)との遺伝距離が大きいことを示唆している。

系統分析では、グレビシマウマ(Equus grevyi)が約180万年前に分岐し、続いてサバンナシマウマ(Equus quagga)とヤマシマウマ(Equus zebra)が約120万年前に分化したことが示されている。

この進化分岐アフリカ大陸気候変動と植生の変化に対応した適応放散の結果と考えられる。

形態学的適応

シマウマの縞模様は黒色色素細胞分布パターンによって形成される。

近年の熱画像分析によれば、縞模様の黒色部と白色部では表面温度に最大3℃の差異が生じ、微気流の発生による冷却効果確認されている。

カリフォルニア大学研究チームは、縞密度と生息地の気温に正の相関関係があることを実証した(r=0.78, p<0.01)。

吸血性昆虫忌避効果については、縞幅2.5-5cmのパターンツェツェバエ(Glossina spp.)の偏光視覚を混乱させる機序が解明されつつある。

実験検証では、縞模様を施した模型馬では吸血率が75%減少することが確認されている(n=120, χ²=34.56, p<0.001)。

インターネット文化現象としてのメシウマ

語源社会的背景

メシウマという表現は「飯が美味い」の略語ではなく、「他人の不幸で飯がうまい」という反語表現に由来する。

その起源2003年頃の2ちゃんねる野球ch板」に遡り、読売巨人軍敗戦嘲笑するスレッドタイトルから発生した。

当時の投稿データ分析によれば、このスレッドは72時間で1,200以上のレスポンスを集め、ネットミームとして急速に普及した。

意味論的変遷

初期の使用例ではスポーツチームの敗北を嘲笑する文脈86%を占めたが(n=500投稿)、2010年代以降は政治スキャンダル(32%)、企業不祥事28%)、個人の失敗体験(25%)などへ適用範囲が拡大している。

特に注目すべきは、2020年代に入り「自己利益獲得」を意味する肯定的用法が15%出現した点である

例えば、投資利益転職成功を「メシウマ案件」と表現する用例が観察される。

比較分析考察

認知錯誤の要因分析

両者の混同音韻類似性(/mesiuma/ vs /shimauma/)に起因するが、より深層的に見れば、デジタルネイティブ世代自然体験不足が背景にある。

若年層(16-24歳)を対象とした意識調査(n=1,200)では、シマウマの実物認知率が58%にとどまる一方、メシウマの語義理解率は89%に達する。

この知識格差言語混同助長している可能性が示唆される。

社会文化的影響

メシウマ現象シューデンフロイデ(他人の不幸を喜ぶ心理)のデジタル時代における表現形態と言える。

一方、シマウマの縞模様研究生物多様性保全重要性を再認識させる。

例えば、グレビシマウマ個体数は過去40年で75%減少し、現在は2,500頭以下と推定されている。

この危機的状況は、インターネット文化現実生態系問題から注意力を逸らす負の側面を示唆している。

教育学提言

生物学教育においては、シマウマの生態的地位ニッチ)と適応戦略を重点的に指導すべきである

具体的には、縞模様の熱力学モデル黒部の吸収率α=0.95、白部の反射率ρ=0.85)を用いた数値シミュレーション教材の開発が有効である

インターネットリテラシー教育では、メシウマ思考が持つ倫理的危険性(共感能力の低下、社会的信頼の損傷)を事例分析を通じて指導する必要がある。

結論

考察により、シマウマ生物進化の驚異であるのに対し、メシウマデジタル社会病理現象であることが明らかになった。

両者の差異理解することは、自然科学的知識と人文的教養統合的獲得を促進する。

今後の課題として、生物多様性保全活動ネット倫理教育連携プログラム開発が提言される。

Permalink |記事への反応(0) | 12:03

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2025-01-21

情報の非対称性判断モデル数学的基盤

情報技術の発展により、2025年現在人類はかつてない規模の情報洪水に直面している。この状況において、正確な情報と虚偽情報が混在し、後者が時に圧倒的な「数の力」で社会的影響をもたらす。この問題は、単なる教育規制解決するには複雑すぎる。本稿では、正確な情報定量的判別するための数理モデル設計について考察する。特に、「信頼性スコアリング問題」を数学フレームワークのもとに体系化し、その潜在的応用可能性を論じる。

1.情報信頼性スコアリング問題の定式化

情報信頼性評価するため、各情報 I_i に対して、信頼性スコア R(I_i) を割り当てる。このスコアは次の複数の要素に基づく。

1.情報源の信頼度 (S_s(I_i))

情報の発信者または起源信頼性評価する。これを、事前確率分布 P(S_s) に基づきベイズ的に更新する。具体的には、以下のようにモデル化される:

P(S_s | D) = (P(D | S_s)P(S_s)) / P(D)

ここで D は情報源の過去の実績データである

2. 内容の一貫性 (C_c(I_i))

I_i が既存情報集合 K にどの程度一致しているかを測定する。これには、内容の意味類似性評価するための測度 f(I_i, K) を導入する。たとえば、意味論的埋め込み(semantic embeddings) φ(I_i) を用いる場合

C_c(I_i) = (1 / |K|) Σ(K ∈ K)sim(φ(I_i), φ(K))

3.拡散ダイナミクス (P_d(I_i))

情報ネットワーク内でどのように拡散たかを表す。これは、拡散過程を動的グラフ G(t) 上の確率モデルとして記述し、拡散速度や分布評価する:

P_d(I_i) = E_{G(t)}[Σ(v ∈ G) (deg(v) / Σ(w ∈ G) deg(w))]

 

これらの要素を統合し、信頼性スコア R(I_i) は次のように定義される:

R(I_i) = α S_s(I_i) + β C_c(I_i) + γ P_d(I_i)

ここで α, β, γ は正規化された重みパラメータであり、適切な方法(例:期待最大化法)により学習される。

2. 応用例

このモデルは次のような具体的な応用を想定できる。

1.分散型信頼ネットワーク設計

情報信頼性スコアブロックチェーン技術に基づき分散管理し、虚偽情報拡散ネットワーク全体で抑制する。

2. 動的政策シミュレーション

政策立案において、モデルが生成する信頼性スコアを用いて、情報の影響度や信頼性確率的に評価し、意思決定最適化する。

3.教育分野での情報リテラシー向上

学習者に対し、情報信頼性定量的判別するプロセス体験させることで、直感的でない情報評価方法実践的に習得させる。

3.モデル課題と今後の展望

このモデルには次のような課題がある。

1. 高次元性の問題

特に拡散ダイナミクス P_d の評価において、グラフ構造が高次元化するため計算効率が低下する。これを解決するため、グラフ埋め込み技術や近似アルゴリズムさらなる開発が求められる。

2.倫理的配慮

モデルによるスコアリングが「情報検閲」や「意見制限」と解釈されるリスクがある。したがって、スコアリング基準を透明化し、利用者アルゴリズムの出力に対して説明可能性を持つ必要がある。

 

未来社会において、数理モデルは単なる技術ツールを超え、社会の基盤を再構築する力を持つ存在となる。特に情報信頼性数学的に評価する枠組みは、真理の探索を加速し、知的生産性を向上させる重要役割を果たすだろう。

Permalink |記事への反応(0) | 04:48

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2024-08-17

anond:20240817070024

まず、「定義的におかしくなる」という指摘は、クィアという概念範囲とその含意についての議論に基づいています。この議論は、クィアという用語本来指す範囲が広義であること、つまり「正常」とされない性的指向を包括するため、ペドフィリア、ズーフィリアネクロフィリアなども含むべきであるという論点に関わるものです。ここで焦点となるのは、社会的に「正常」とされるか否かであり、性的同意問題とは異なる概念です。

性的同意の有無は重要倫理的かつ法的な要素ですが、この文脈において議論されているのは、性的同意とは無関係に「クィア」という言葉適用範囲がどこまで広がるべきかという問題です。「定義的におかしくなる」という主張は、性的同意の有無ではなく、クィアという概念本来持つ意味一貫性範囲についての議論であり、これに対して反論するためには、その意味論的な広がりとその正当性についての理解重要です。

したがって、この文脈では「性的同意があるかどうか」という要素は、本来議論の焦点ではなく、クィアという概念定義やその社会的文化的適用範囲を巡る議論主題となっているため、性的同意の話に持ち込むこと自体議論すり替えものであると言えるでしょう。

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2024-04-27

好きの主語総称を置けるか否かの問題

読書が好きといってラノベしか読まない人がいたら違和感を覚える人がいるそうだ。

しかラノベが好きならば読書が好きという命題が真である程度にはこの主張には正当性があるのも確か。

ラノベは本一般十分条件なのだから

人間ならば動物であるということと同じだ。

ひるがえって、酒が好きといってビール(それもアサヒスーパードライ)しか飲まない人がいたらこれまた異を唱える人がいるだろう。

しかタバコ好きで特定銘柄しか吸ってなくてもほかのタバコ好きもタバコに無関心な人でも違和感を覚える人は、少なくとも上記の事例よりは圧倒的に少なかろう。

どうにも、総称にとっての十分条件に当てはまるものが好きであるとき総称として好きの主語に頂いてよいかには文法上?意味論的な?暗黙の境界線があるようだ。

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2024-01-26

anond:20240126171528

どこがどう下手なのか、お前の方がうまいのか、統語論意味論文法理論を用いて客観的説明できるんですかね?

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2023-09-20

京都弁でこう言われたら嫌味!」みたいなテレビが嫌い、って話になったときに、地域差別文脈ですねーとか方言地域の傾向をごっちゃにしてますねーとか人を踏むユーモア存在価値はないですねーとか全部飲み込んで「語用論的な問題意味論解釈してるからダメですねー」って言うみたいな、人生

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2023-08-31

所詮プログラミングって手段しかなくて、プログラミングで何をするかという目的の方が重要。これは英語と似ている。英語勉強するのは結構なことだけど、日本語で伝えたいこともない人が英語覚えたところで何も話すことがない。

プログラミングのよくある使用例としてはWebアプリケーションなんだけど、これは突き詰めると典型的CRUD処理に帰結することが多い。データを書き込んで、読み出して、消す。それだけ。

こういう考え方をすると、世の中のアプリケーション9.9割は同じと言っていい。NetflixAmazonTwitterも、基本はデータを読んで書き込むだけ。いろんな研究が進んで知見が溜まってきた現代において、アプリケーション開発はやればできる、という金と時間をかけるかどうかの問題になってきた。

これに気づいたとき、俺はなんていうか絶望したんだ。俺は技術を学ぶのが好きで、手段としてというより、サイエンスとしてプログラミングをしてきた。意味論だったり、形式証明だったり、サイエンス愛好家として好きだったんだ。だからコンピュータサイエンス勉強すればするほど、他の人にできないことができるようになっていく錯覚にとらわれていたんだ。でも現実はそうじゃなかった。先進的な技術を使わなくたってCRUDはできるし、COBOLだって銀行システムに使える。あとは金と時間をかけて人を集めて投資家を納得させて費用を回収することができるかどうかの問題になってるんだ。

なんか、それってすごく残念に思うんだ。コンピュータ黎明期には誰も大規模システム可能かどうかなんてわからなかった。まさしく手探りで進んできたんだ。でも今ではAmazonとかAlibabaが実証した通り、実質世界規模のトラフィックをさばけるということが証明されてしまった。もう未開の荒野はないんだ。おれにはそう思えちゃうんだ。

もっと悲しいのは未開の荒野自分で見つける能力もやる気もないこと。この世のすべてが研究され尽くしたわけじゃないから、まだどこかに未踏の地が残ってるんだろうな。でも残念ながら俺には見つけることができない。所詮愛好家なんだ。大学工学を学んで、趣味でもサイエンスに触れてきたけどそれだけなんだ。すこしだけ人より工学に詳しいおじさんになるんだ。そういうことが薄々わかってきたとき、涙を流すことすらできなかった自分が嫌になるんだ。

Permalink |記事への反応(3) | 18:34

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2023-08-23

人間性を欠く”

意見を異にしたり、理解できなかったりする人々にむけてあなた提供できる、最もおしつけがましいことはなんですか?」

「さあ。なんですか?」

「その人々を治療すること。それが最初のHワードです。health」

医療テクノロジースーパーノヴァ化直前です。さて、それほどの力はなんのために使われることになるでしょう?〝健康〟の維持、あるいは創出のためです。それでは〝健康〟とはなんでしょうか?最後ウイルス寄生虫や癌遺伝子が跡形もなく完全に根絶されてしまったとき、そのとき治療〟の究極目的はなんになるでしょう?わたしたちがみな《エデン主義》的な〝自然律〟に運命づけられたなんらかの役割を演じ_「本来わたしたち生物として最適化されている状態_狩猟採取で糧を得て、三十歳か四十歳で死ぬこと_に回帰することでしょうか?それが究極目的なのでしょうか?それとも…技術的に可能なありとあらゆる存在モードを切りひらくこと?その場合自分健康と疾患の境界定義する専門家だと主張した人が…すべてを決める事になります。」

僕が言葉を返す。「そのとおりですね、健康という言葉欺瞞はらみ、意味あいまいだ_そしてつねに議論の的になる」

「それで、もうひとつのHワードはなんなんですか?大きい方は?」

「ほんとうにおわかりになりませんか?ではヒントを。論争に勝とうと思ったら、考えうる最も知的怠惰方法とはなんでしょう?」

「答えをいってほしいんですが。なぞなぞは苦手なので。」

「論争相手が“人間性(humanity)”を欠いている、と主張することです。」

「これは最古の意味論的な武器です。さまざまな時代の、さまざまな文化において、“非人間的(nonhuman)”というレッテルを貼られた多くの分野や人々のことを考えてみて下さい。よその部族から来た人々。肌の色が異なる人々。奴隷女性精神病者聴覚障害者同性愛者。ユダヤ人ボスニア人クロアチア人セルビア人アルメニア人クルド族_」

ぼくは弁護するように、「人をガス室に送りこむことと、そのいいまわしをレトリックとして使うことは、多少は違うと思いませんか?」

「もちろんです。しかし、仮にあなたわたしを、“人間性を欠く”といって非難したとしましょう。それがじっさいに意味するところとは?いったいなにをしたら、そんなふうにいわれるのか?平然と人を殺したとき子犬溺死させたとき?肉を食べたから?ベートーヴェンの第五番に感動しなかったから?それとも単に、人生のあらゆる局面あなたと寸分違わぬ感情をもてない_あるいは、もとうとしない_からですか?あなた価値観目標のすべてを共有できないから?」

グレッグ・イーガン万物理論

Permalink |記事への反応(0) | 05:25

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2023-07-03

どこでもドア

どこでもドアってことは文字通りどこでも行けるわけじゃん?

あれ、移動に伴う物理学的な制約をあのドアの寸法という点を抜きにしてすべて取り去るような仕組みだよね。

「どこでも」というのはつまり単なる「移動」のカテゴリに関連付けられる意味だけではなくて、場所として意味付けされ得るすべての存在をあの一枚の板の向こうに集約するという「どこでも」でもあるわけだ。

物理学現象意味論的論理性により定義してその論理性の構造内に我々という物理学現象を再定義するための現象とも言える。

そうなるとどこでもドアの先は、我々の宇宙とある座標というより、単一の「この」どこでもドアという現象によって支配された論理空間なのではないだろうか?

この仮説は一見、すぐに論破されうるようにも思える。

そう、もしその通りなら、どこでもドアをくぐった先に行った人間が、どこでもドアの手前のこの宇宙から消えることになるからね。

どこでもドアをくぐった人間が、ドアの先の論理空間内に広がる我々の宇宙そっくりな別の宇宙とある座標に転送されるイメージといえばわかるだろうか。

そうなればドアを閉じた後、その人間電話をかけても繋がらなければ証明できそうだ。

だがしかし我々の誰もが知るようにどこでもドアはそういうものではない。

ドアの先が5m先であればこの宇宙の中の5m先の座標に確かにその人間は移動できる。

これはどういうことか。

ここで考えてみる。

先ほど私はドアをくぐった先にはどこでもドアによって定義された論理空間が広がっていると言った。

どこでもドアの先、なのだ

この我々の宇宙も。

どこでもドアの向こう側にとっては、ドアの先にある宇宙なのだ

そう、どこでもドアという現象定義するのだ。

ドアの向こうも、

ドアの手前も。

どこでもドアという一枚の薄い現象宇宙に成立した瞬間、我々の宇宙も、ドアの向こうの宇宙も同時に出来した。

というよりも、ドアのあの薄さの中に、「一つの宇宙として同時に」存在している。

ドアにとっては、向こうも手前も無い。ただたんに現象として論理学的操作を行う一枚の板だ。

そしてドアはドアの薄さの中に我々を造った。

我々がドアをくぐる時、いやくぐっているつもりでいる時、ドアはその現象の中で、我々を消去し、我々を創造する。

一体全体、我々の宇宙どこでもドアによって定義された宇宙ではない、などという証明が出来るだろうか?

Permalink |記事への反応(0) | 06:32

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2022-12-01

コンピューターサイエンスって何だよ?

最近コンピューターサイエンスプログラマー必要か否かみたいな話が上がっているが、そもそもコンピューターサイエンスって何だよ。どこまでの範囲をさしてんの?

って思ってググってみたらちゃん定義されてた。

ググって出てきた情報を整理しただけなので詳しい人、補足・訂正よろしく


情報

CS2013

https://www.acm.org/binaries/content/assets/education/cs2013_web_final.pdf

CS2013はACM/IEEE-CSによるカリキュラム標準。

ACM(計算機協会)はコンピュータ分野全般国際学会、IEEE-CSIEEE(米国電気電子学会)の中にあるテクニカルソサエティ


J07-CS

https://www.ipsj.or.jp/12kyoiku/J07/20090407/J07_Report-200902/4/J07-CS_report-20090120.pdf

J07-CS一般社団法人情報処理学会がCC2001CSベースアレンジを加えたカリキュラム標準。今はCS2013を反映したJ17-CSがあるらしいけどその辺は良く分からん

IPA共通キャリアスキルフレームワークとの対応表もあり。

https://www.ipa.go.jp/files/000024060.pdf


知識体系

J07ーCSから抜粋CS2013と比較するとナレッジエリアがあったり無かったり。

KAナレッジエリアKUナレッジユニットアユニット最低履修時間
DS離散構造DS1関数,関係, 集合6
DS離散構造DS2論理6
DS離散構造DS3グラフ4
DS離散構造DS4証明技法8
DS離散構造DS5数え上げと離散確率の基礎7
DS離散構造DS6オートマトン正規表現6
DS離散構造DS7計算論概論4
DS離散構造DS8計算
PFプログラミングの基礎PF1プログラミング基本的構成要素9
PFプログラミングの基礎PF2アルゴリズム問題解決6
PFプログラミングの基礎PF3基本データ構造14
PFプログラミングの基礎PF4再起5
PFプログラミングの基礎PF5イベント駆動プログラミング4
ALアルゴリズムの基礎AL1アルゴリズムの解析の基礎4
ALアルゴリズムの基礎AL2アルゴリズム設計手法8
ALアルゴリズムの基礎AL3基本アルゴリズム8
ALアルゴリズムの基礎AL4アルゴリズムの高度な解析
ALアルゴリズムの基礎AL5高度なアルゴリズム設計
ALアルゴリズムの基礎AL6計算クラスPとNP
ALアルゴリズムの基礎AL7暗号アルゴリズム
ALアルゴリズムの基礎AL8幾何アルゴリズム
ALアルゴリズムの基礎AL9データ分析アルゴリズム
ALアルゴリズムの基礎AL10並列・分散アルゴリズム
ARアーキテクチャ構成AR1論理回路と論理システム6
ARアーキテクチャ構成AR2データマシンレベルでの表現2
ARアーキテクチャ構成AR3アセンブリレベルマシン構成7
ARアーキテクチャ構成AR4メモリシステム構成アーキテクチャ5
ARアーキテクチャ構成AR5インタフェース通信3
ARアーキテクチャ構成AR6機能構成7
ARアーキテクチャ構成AR7並列処理と様々なアーキテクチャ2
ARアーキテクチャ構成AR8性能の向上
ARアーキテクチャ構成AR9ネットワーク分散システムのためのアーキテクチャ
OSオペレーティングシステムOS1オペレーティングシステム概要1
OSオペレーティングシステムOS2利用者から見たオペレーティングシステム1
OSオペレーティングシステムOS3オペレーティングシステム原理1
OSオペレーティングシステムOS4プロセス構造スケジューリング3
OSオペレーティングシステムOS5並行性4
OSオペレーティングシステムOS6メモリ管理4
OSオペレーティングシステムOS7入出力デバイス管理と入出力
OSオペレーティングシステムOS8ファイルシステム2
OSオペレーティングシステムOS9認証アクセス制御1
OSオペレーティングシステムOS10セキュリティと高信頼化
OSオペレーティングシステムOS11リアルタイムシステム組込みシステム
OSオペレーティングシステムOS12並列分散処理のためのオペレーティングシステム機能
OSオペレーティングシステムOS13オペレーティングシステム構成
OSオペレーティングシステムOS14システム性能評価
NCネットワークコンピューティングNC1ネットワークコンピューティング入門2
NCネットワークコンピューティングNC2通信ネットワーク接続7
NCネットワークコンピューティングNC3ネットワークセキュリティ2
NCネットワークコンピューティングNC4クライアントサーバコンピューティングの例としてのウェブ3
NCネットワークコンピューティングNC5分散アプリケーションの構築
NCネットワークコンピューティングNC6ネットワーク管理
NCネットワークコンピューティングNC7ワイヤレスおよびモバイルコンピューティング
NCネットワークコンピューティングNC8マルチメディア情報配信システム
PLプログラミング言語PL1プログラミング言語概要2
PLプログラミング言語PL2仮想計算機1
PLプログラミング言語PL3言語翻訳入門2
PLプログラミング言語PL4宣言と型3
PLプログラミング言語PL5抽象化メカニズム3
PLプログラミング言語PL6オブジェクト指向言語6
PLプログラミング言語PL7関数言語
PLプログラミング言語PL8論理言語
PLプログラミング言語PL9スクリプト言語
PLプログラミング言語PL10言語翻訳システム
PLプログラミング言語PL11システム
PLプログラミング言語PL12ブログラミング言語意味論
PLプログラミング言語PL13プログラミング言語設計
HCヒューマンコンピュータインタラクションHC1ヒューマンコンピュータインタラクションの基礎6
HCヒューマンコンピュータインタラクションHC2簡単グラフィカルユーザインタフェースの構築2
HCヒューマンコンピュータインタラクションHC3人間中心のソフトウェア評価
HCヒューマンコンピュータインタラクションHC4人間中心のソフトウェア開発
HCヒューマンコンピュータインタラクションHC5グラフィカルユーザインタフェース設計
HCヒューマンコンピュータインタラクションHC6グラフィカルユーザインタフェースプログラミング
HCヒューマンコンピュータインタラクションHC7マルチメディアシステムのHCI 的側面
HCヒューマンコンピュータインタラクションHC8協同作業コミュニケーションのHCL的側面
MRマルチメディア表現MRI情報ディジタル表現2
MRマルチメディア表現MR2文字コード1
MRマルチメディア表現MR3標本化。量子化圧縮原理アルゴリズム
MRマルチメディア表現MR4マルチメディア機器
MRマルチメディア表現MR5オーサリング
GVグラフィックスとビジュアルコンピューティングGV1グラフィックスにおける基礎技術2
GVグラフィックスとビジュアルコンピューティングGV2グラフィック・システム1
GVグラフィックスとビジュアルコンピューティングGV32次元画像の生成と加工
GVグラフィックスとビジュアルコンピューティングGV4モデリング
GVグラフィックスとビジュアルコンピューティングGV5レンダリング
GVグラフィックスとビジュアルコンピューティングGV6コンピュータアニメーション
GVグラフィックスとビジュアルコンピューティングGV7視覚
GVグラフィックスとビジュアルコンピューティングGV8仮想現実(VR)
GVグラフィックスとビジュアルコンピューティングGV9コンピュータビジョン
ISインテリジェントシステムIS1インテリジェントシステムの基本的問題3
ISインテリジェントシステムIS2探索および制約充足2
ISインテリジェントシステムIS3知識表現および推論
ISインテリジェントシステムIS4高度な探索
ISインテリジェントシステムIS5高度な知識表現と推論
ISインテリジェントシステムIS6エージェント
ISインテリジェントシステムIS7自然言語処理
ISインテリジェントシステムIS8機械学習ニューラルネット
ISインテリジェントシステムIS9プランニングシステム
ISインテリジェントシステムIS10ロボット工学
IM情報管理IMI情報モデルシステム2
IM情報管理IM2データベースシステム2
IM情報管理IM3データモデリング4
IM情報管理IM4関係データベース3
IM情報管理IM5データベース問合わせ3
IM情報管理IM6関係データベース設計データ操作
IM情報管理IM7トランザクション処理
IM情報管理IM8分散データベース
IM情報管理IM9データベース物理設計
IM情報管理IM10データマイニング
IM情報管理IM11情報格納と情報検索
IM情報管理IM12ハイパーテキストハイパーメディア
IM情報管理IM13マルチメディアデータベース
SP社会的視点情報倫理SP1コンピ

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2022-10-21

憲法政府を縛るものというデマ』のブコメに対する反論・返信

憲法政府を縛るものというデマanond:20221020172754

増田の説は本質的に『十七条憲法憲法だ』と変わらん。日本国憲法は『立法権制限する事で人権保障』する市民革命思想の流れを汲む近代憲法共産圏憲法はその流れと異なるから価値観を共有しないとされる。

『十七条憲法憲法だ』というのはかなり乱暴な要約だけど、まさしくその通り。しかし、市民革命思想を『立法権制限する事で人権保障』と表現するのは意味不明だ。人権のために制限したのは行政権であり、その方法三権分立ということすら理解していないのだろう。

共産圏国家憲法との比較は例として出しただけであり、国が違えば国家統治方法も異なるので憲法が持つ価値観が異なるのも当たり前だ。共産圏国家の例示で的を得ないようなら、コーラン憲法としてるイスラム国家でもよい。

直球のアレ来た。この内容について語りたいなら、「外見的立憲主義」という言葉意味くらいは調べてこよう。今時、中学生でも勉強を真面目にしていたらこレベルのことは言わないと思う。

先進国現在憲法が正しいのであり、そうでない国家憲法は「外見的立憲主義」だから誤った憲法だと主張したいのはよくわかった。しかし、憲法絶対的な正しさを求める精神は、盲目的に宗教信仰する狂信者思想と同じとしか思えない。「中学生でも勉強を真面目にしていたら…」の文言から論理的思考力の欠如が垣間見える。

こういう増田って「国民国家」の意味を知らないのだろう。自分自動的に一丁前の国民だとでも思っているのか。日本は「王政封建制」を「国民国家」に改造するために憲法を持った。その役目は、政府権限制限や。

たか現代憲法こそが真の憲法であり、その価値観に反するもの憲法ではないという意見だ。大日本帝国憲法のことは、憲法の名がついてるだけで憲法ではないと、頓珍漢な主張をするのだろう。

勉強になるブコメがたくさんついてる、良かったね! 知らないことを知らないと言うときに「デマ」って言葉を使うのはやめようね。

デマ」という言葉はただの釣り餌。釣れたのは知らないことを訳知り顔で語るブコメばかりで、勉強にはならなかった。

憲法学的に言いたいことはいろいろあるが、国語的な増田定義によっても、憲法が国の統治方法を定めてるから、国を統治する政府憲法の定めに従って統治する必要がある、すなわち政府憲法に縛られてるんじゃない

そこでいう憲法形式的意味憲法を指していないのでは/憲法改正の限界を超えた(n月革命を引き起こす)「改憲」はあり得るんじゃないの?

前者のブコメに対しては後者ブコメで完全に反論しているので、私から特にコメントはなし。『憲法改正の限界』は無限界説のほうが正しいのは歴史的事実として明らかだ。憲法という言葉権威付けしようとも所詮人間の作ったルールしかないことを、後者ブクマカはよく理解できていると思う。

デマだと断じるから何かと思った。すべての憲法の基本書の最初の章に書いてあることなので、それくらいは読んでから主張してほしい。

『すべての憲法』はさすがに主語が大きすぎる。『フランス革命の流れを汲む近代憲法』くらいの主語にとどめるべき。日本欧米以外の国の憲法を知っているわけではないのに。

意味論的憲法だ。どんな実益があるんだこの説明と感じた思い出があるけど、細かく整理したうえで示しておかないと解像度が低いままトンチキなことを言いだす人が一定数出てきちゃうからなんだろうな。

同意なので反論は無し。論理ではなく世界史宗教価値観憲法理解している人ばかりでうんざりなのは、この人も感じていることだろう。

デマじゃなくて、立憲主義です

笑った。確かにそうだ。

日本国憲法以外の憲法の話をする意味ある?

最初から日本だけに限らない憲法全般の話をしているけど、それすら理解できていないとは驚愕だ。

日本国憲法日本独自で作り上げたものではなく、欧米憲法価値観のまぜこぜで作られたことすら知らないのだろう。

Permalink |記事への反応(3) | 01:28

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2022-08-07

独学で未経験からWebエンジニアになり1年で月収が前職比50万アップした

第一に、増田にいる人間はろくでもない。

自分は上段に座しているつもりで偉そうな上から目線の半分的外れ説教だの、はたまたその体すら為していない放言だのを安全位置から投げつけたいだけのカスしかここにはいない。

このタイトルを見て、意識高い系文系イキリ勘違い野郎に何事か物申してやろうと考えたそこの画面の前でニチャニチャしているパソカタオタク(パソコンタカタキモオタク: 声は小さいがタイプ音はでかい)のことである

あるいは増田のことかもしれない。増田は日頃増田に生息している訳ではないが。

お分かりの通り、これは釣り記事であるそもそも意識高い系文系イキリ勘違い野郎増田記事を書くわけがない。が、一応タイトルに嘘はない。

ので意識高い系文系イキリ勘違い野郎を志す意識高い系文系イキリ勘違い野郎予備軍のことを思って以下を書く。

ちなみに、この記事タイトル増田が一番嫌いなタイプのそれである自分で設定したのに今、額に青筋が浮かんでいる。

1. やったこ

本項ではWebエンジニアになるにあたって増田がやったことを列挙する。

1.プログラミングを独学する

2.スクールに入る

3.アルバイトをする

なるほど、至極単純である。では順に詳細を見ていく。

プログラミングを独学する

ここに関しては特に言うこともない。

ネット記事を見ながらCだのDだのC++だのを実際に吐くまで勉強した。

その経験を踏まえて意識高い系文系イキリ勘違い野郎予備軍にアドバイスするならば、独学の上で最も身になるのは"C++を用いて簡単スクリプト言語インタプリタ実装する"ことである

インタプリタ実装という作業プログラミング言語のものに対する解像度を飛躍的に向上させる。

不可思議お約束の塊であった文法意味論因数分解されるように頭の中で整理され、ブラックボックスであった標準ライブラリの内部について想像が及ぶようになる。

道具たるプログラミング言語に対する理解は、当然その使途であるプログラミングのものを助ける。

ところでパソカタオタク諸兄姉は「なぜ今C++などという時代遅れのクソ言語を」と思ったかもしれない。

かにC++はもはや洗練から程遠い聳えるバベルの塔であるしかし、こと言語実装習得においてはこれほど適している言語もない。

C++GC付きの他言語比較して抽象度が低く、全てを自身管理しなければならないが故に"便利な魔法"にあまり頼れないのである

また、C++で導入された様々な思想イディオムは他の言語にも大きく引き継がれている。

例えば洗練という意味C++の対極に位置するRustという言語は、もはや本質的にはC++のものである

Rustの代名詞である所有権ライフタイムはそれぞれC++反省からまれ言語要素であるし、move semanticsはC++11におけるmove semanticsと同様のものである

GC付き言語利用者にとってしばしば混乱の原因となりそうな`str`と`String`も`std::string_view`と`std::string`を知ってさえいれば迷いの発生する余地はない。

他のより抽象化された言語についても、C++との対応を考えることでその言語や標準ライブラリのもの実装について十分に理解を深めることができる。

なぜならば過去の多くのスクリプト言語コンパイラC/C++によって実装されていることが多いかである

そんなわけで、増田は"C++を用いて簡単スクリプト言語インタプリタ実装する"ことを勧めている。

スクールに入る

増田が入ったスクールは、多くのそれが半年あたり70万程度の授業料を取る(らしい)のに対して同期間で28万程度と非常にリーズナブルであった。

ただし、卒業までは最低4年と長期間を要するし、増田卒業後も2年さらに通った。

そう、大学(院)である

おいそこの意識高い系文系イキリ勘違い野郎予備軍、カスみたいなプログラミングスクールに入るな。

教育機関情報工学を学べ。

ところでそろそろ察せられるだろうが、増田の前職とは学生を指している。

アルバイトをする

大学情報工学を教えてくれるが、別段それを学んだからといってプログラミングができるようになるわけではない。あくまでそれらは相補的なものである

一方で、独学では分野に偏りが出がちだし、なにより独学にも金が要るので学生身分にとってプログラマバイトは良い選択肢である

アルバイトITエンジニア経験に含めなくて良いのか怪しいが、増田バイト業務内容はWebエンジニアと言いきってよいか悩ましい類だったので嘘は吐いていない。

ちなみに増田増田に書き込むような人間であるからして社会性というものが欠落している。

バイト大学院1回生ときにバックレてやめた。

2. 現職

大学院を卒業したのでいやいや就職した。

ちなみに月収は大学院2回生収入0時代から差分で算出して+50万なのでつまるところそれが現在の月収である

増田にとって低くはないが、決してITエンジニアとして高い方であると主張することはできない程度の額である

釣りのためにタイトルに含めた以上最低限の説明のはしたが、増田は金の話をすると脳の血管がブチギレそうになるのでこれ以上その話はしない。

3. 結びに意識高い系文系イキリ勘違い野郎予備軍へ

ここまで読んだならわかると思うが、増田意識高い系文系イキリ勘違い野郎(タイプ音がでかい)ではなく、パソカタオタク(パソコンタカタキモオタク: 声は小さいがタイプ音はでかい)である

そして、意識高い系文系イキリ勘違い野郎予備軍に言うべきことがあるとすれば、そもそもこの記事をここまで読んでいる時点でITエンジニアには向いていないので止めといたほうがよい。

また、ひょっとすると思い違いをしているかもしれないが、ITエンジニアというのは大抵 (増田社会経験がほぼないので一般論を言うことは出来ないが)意識高い系イキリキラキラ野郎サイドではなくパソカタオタクばかりである

というよりTwitterにいる意識高い系イキリキラキラ野郎は多くの場合意識高い系文系イキリ勘違い野郎予備軍を養分にする人でなしである。騙されてはならない。

また、一つ理解しなければならないのは意識高い系文系イキリ勘違い野郎予備軍諸兄姉が張り合わなければならないのは、プログラミングスクールの同期でも、「#駆け出しエンジニアと繋がりたい」している有象無象でもなく、幼少から寝食や友人や遊びを自ら捨ててパソカタにのめり込んでいた、そして現在進行系でのめり込んでいる歴10年や20年をゆうに超えるSSRソカタオタクであるということである (そしてそれはNRソカタ増田も同様である)。

彼らが「スクール半年学びました」で並び立てるような人間でないのは単純な算数でわかるほど明らかである。悪いこと言わんからキラキラWebエンジニアを目指すのはやめとけ。

あるいはそれでも目指すのであれば自分が何を捧げられるのかを考えた方がいい。

Permalink |記事への反応(2) | 01:13

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2022-05-27

anond:20220527174424

要は「性癖」という言葉にどんなイメージニュアンスがあるかとは関係なく、

性的な分野が「濃いクセ」の総本山みたいな状況なので性にまつわる性癖話題が多くなってしまう、という事だな

意味論用語論とは無関係使用機会の偏り

Permalink |記事への反応(1) | 17:44

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2021-12-07

デザインには見た目の意味論と動きの意味論ってのがあって、今のところ見た目に対するコード生成はいいところまで行ってるが、動きの方のコード生成はまだまだって感じ

Permalink |記事への反応(0) | 01:44

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2021-08-26

掛け算の順序問題計算論理の科目としての算数

掛け算の順序問題なるものがある。
りんごが4つ入った袋が3つあったらりんごは全部でいくつありますか?」という問題に「4×3=12 答え12個」と「3×4=12 答え12個」という回答があって、前者だけを正答とすべきだとか両方正答とするべきだとか、そういう問題だ。長方形の面積について話している場合もある。

この意見対立には、(一面として)数学をどのように抽象的に捉えるか、というのや数学算数という科目の持つ役割に関してのスタンスの相違が原因にあると考える。
数学をより純粋抽象的に捉えるにしたがって「順序強要」→「順序容認」→「順序強要」のように立場が変化することを以下で述べる。

念の為記しておくが、この文章は掛け算の順序問題に関してどの立場が正しいというような文章ではない。
俺は教育専門家でもなければ小学生算数を教えたベテラン教師というわけでもない。
数学への向き合い方が真摯になるにつれて変化する立場が単調でないことに気づき、その非自明な振る舞いについて筆を執ろうと思っただけのものである
この文章で誰かの何らかに影響があればそれは幸いである。

順序強要派1

りんごが4つ入った袋が3つあったらりんごは全部でいくつありますか?」という問題に「4×3=12 答え12個」と答えるのが正答であり、「3×4=12 答え12個」と答えるのは誤答であるという立場である
"4×3"という数式には「『1つぶんが4つ』のものが『3つぶん』ある」という意味があるとして、"3×4"という数式は題意にそぐわないとする。

正直なところ、数学でこれを正当化するような解釈を俺は知らない。
より高学年、あるいは中学高校大学・それ以降で出現する数式(例えば e^iθ=isinθ+cosθ が成り立つとは、どういう意味合いのものが等しいということを言っているんだろうか?)に対して、その数式の"意味"は適切に存在して、何らかの実態と一致するだろうか。そのような体系がある場合、ぜひ知りたいのでご一報いただければ嬉しい。

順序容認

上記思想とは翻って「4×3=12 答え12個」も「3×4=12 答え12個」も正答とする立場である
数式そのものに何か「実際的意味」はなく、そこには記号の間の関係操作があるという立場はより現代的な数学に近いものであり、納得できるものだろう。

俺が現実計算をするときもこの立場にいる。「日本国民全員が2回ずつ…」などと聞いたら脳内で出てくる式は"1億3000万×2=2億6000万"だし、「2人が1億3000万個ずつ…」と聞いても思い浮かべる式は"1億3000万×2=2億6000万"のままだ(自分の脳は乗数が単純なほど高速に乗算が行えるから、そのような式のほうを思い浮かべるように訓練されたのではないかと思う)。単なる道具としての使い勝手ならば、この立場はとても強い。道具として(正しい答えを出せるなら、という条件付きだが)順序を気にしない方が順序を気にする方より楽だろう。

算数を「現実事柄に付随して必要となる計算を正しく行う能力を育てる」科目だと考えるなら──教養大学などで学ぶそれではない)としての算術としての用途としては実際にそれで十分だろう──、真っ当な立場だろう。

しかし、この立場には少し弱いところがある。
数式そのもの意味はないとするのはよいが、その結果立式の段階で「状況」から一足飛ばしで「数式」が出来上がっている。これは、少なくとも数学の厳密な操作ではない。より厳密であろうとするならば、次の立場になるだろう。

順序強要派2

数学的に厳密な立場であろうとするならば、意味論的操作を取り除く必要がある。この立場において、「『ひとつ分の数』が『いくつ分』あるとき、全体で『(ひとつ分の数)×(いくつ分)』あります」という定義にしたがって被乗数と乗数を区別することには意義がある。

この立場では、「りんごが4つ入った袋が3つあったらりんごは全部でいくつありますか?」という問題文に記述欄があった上で、「4×3=12 答え12個」と答えるのも「3×4=12 答え12個」と答えるのも厳密には誤答とする。
「これは、りんごが袋ひとつ分につき4つあり、袋が3つ分あるので、全体で4×3個のりんごがある。4×3=12なので、答えは12である。 答え12個」のように定義形式に構文的に当てはめて答えて初めて正答である。この立場は「3×4=12」という立式を否定するものではない。「りんごを袋にひとつずつ入れていくことを考えると、これは一周分につき3つのりんごを入れ、4周分入れるので全体で3×4個のりんごがある。3×4=12なので、12個入れたことになり、全部でりんご12個ある。 答え12個」という回答も正答である

この立場のもとで、「これは、りんごが袋ひとつ分につき4つあり、袋が3つ分あるので、全体で3×4個のりんごがある。3×4=12なので、答えは12である。 答え12個」という回答は全くの間違いとなる。「3×4=12」という立式ができる解釈はあるが、その式を導出するに至る構文的操作が誤っているためである。同様に、定義が「『ひとつ分の数』が『いくつ分』あるとき、全体で『(いくつ分)×(ひとつ分の数)』あります」というものならば、「これは、りんごが袋ひとつ分につき4つあり、袋が3つ分あるので、全体で4×3個のりんごがある。4×3=12なので、答えは12である。 答え12個」という回答は間違いとなる。

"3×4"と"4×3"はそれが"12"と等しいことを示すための証明木も異なるなど、式として完全に異なるものである。値が等しいことは証明されるべき非自明命題であり、何も断らず用いてよいことではない。
「被乗数と乗数を入れ替えても答えが変わらないため、立式の際に断らずにこれらを入れ替えることがある」と答案の先頭で述べてある答案があれば(このようなことが書ける生徒は単なる乗算でつまづくような生徒ではないだろうが)、「りんごが袋ひとつ分につき4つあり、袋が3つ分あるので、全体で3×4個」でも正答としてよいだろう。

余談だが、長方形の面積に関してさらに状況は混迷を極める場合がある。長方形の面積を「たて×よこ」とするとき、これは「定義」か、「定理」かすら明らかでない。「1cm×1cm正方形の面積は1cm^2」で「1cm×1cm正方形がある図形にすきまも重なりもなく敷き詰められる場合その図形の面積は 使った正方形の個数cm^2」という定義によって導かれる「定理」とする立場もあるだろう。この場合、「たて×よこ」は単なる立式の1宗派に過ぎず「よこ×たて」で面積を計算しようと1つ1つ数えようとどんな式で計算しようと使った正方形の個数を正しく導くことができる式ならば正答である。対して、「たて×よこ」が「定義」ならば、どちらを"たて"と見るかを記述する2択のみがあり、それ以外は誤答である(別の定理がある場合を除く)。

この思想は非常に窮屈に思えるかもしれないが、数学直感理解否定するものではない。
必ずしも全生徒がそこまで進むわけではないが、数学科などで学ぶような数学においてはこのような思想が顕著になる。
純粋数学において、自然数すら現実の何の対象とも厳密には対応せず、論理学は実際の"正しさ"と一致する保証を持たせるものではない。数学基礎論などを学ぶことでこのような数学思想に触れることができると考える。

もし俺が正義感とやる気と生徒への期待と十分な時間を持ち合わせているなら、生徒にこのように指導するだろう。算数(は賛否両論あるかもしれないが)・数学計算するだけの科目ではなく、論理学を学ぶための学問でもあるからだ。特に文章題を「現実対象数学的にモデル化してそこから論理的結論を導く」ことを問うものであるとするならば、この立場に立つことには合理性がある。

しかし、これは理想的な状況における対応である。例えば回答欄が「(しき) (こたえ)」のように分かれている場合そもそもこのような記述を行うべき欄がない。この場合問題文を「『ひとつ分の数』が4であるようなものが3つ分あるとき、全体でいくつあるでしょう?」のように非常に定義に近づけて初めて「3×4=12」を減点する準備が整うといえよう(これでもまだ即座に誤答とするべきではないだろう)。そうでない場合、「4×3=12」と「3×4=12」の2つの式は同程度に論理の飛躍を伴っており、それらに点数の別をつけるべきではないかもしれない。

まとめ

冒頭でも述べた通り俺は教育専門家でもなんでもないから、どの立場を取れば生徒がよく理解するかなどについて何も言えない(どの立場に対しても理解できる生徒と理解できない生徒がいるだろうと思うが)。
個人的には2つ目と3つ目の中間のような立場だ。算数計算をするだけでもないし論理をするだけでもない。単に計算をする手段としてなら順番なんてどうでもいい、素早く正しい答えが出るなら3袋の4個入りみかんを見て3+3+3+3だと思おうが(2*2)*3だと思おうが10+2だと思おうが構わない。他人と考えを共有するための道具なら前提から論理を組み立てる訓練が必要で、掛け算の順番にまで気を遣わなければ意味のある結果を出せない。数学はどちらをする科目でもあることに我々は自覚的だろうか。

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