
はてなキーワード:情報ソースとは
オープン型のSNSはみんなオッサン・オバハン化して新規の若い子入る場所がどの位あるんやろか。
言うてTikTokやインスタとかのような若さがアドバンテージになる所やXのようなオタクコンテンツの広報拠点はある程度の流量確保できるやろけど、交流に使う子ってもうあんまりおらんのと違うか。
早々と仲間内で繋がってDiscordとかクローズドの場所に潜って行くようなイメージがあるな。
もしそうなら、おっちゃんは正しい使い方しとると思う。
オッサンやオバハンがSNS云々騒いで規制しようとするけれど、規制するまでも無く最早只の情報ソースとしか見てないんじゃないかと思う。
規制したら規制したでまた若い子は新しい物を生み出すだろうから、そしたら昔2chやTwitterがワイワイしてた時代に思いを馳せられるような面白いものが見られるかも分からんね。
成金のオッサンの自己アピールと偏屈者同士のストリートファイトと売女ばかりの場所、おっちゃんも退屈で仕方ないわ。そら仲間内で平和にわいわいやりたいわな。
「立憲民主党も参政党に声かけてただろ」っていう増田のエントリが伸びている。記事中に個人IDが入っており規約違反であるので、そのうち削除されるのではないかと思うが、頭書の指摘自体は正しい。かくいう自分も、立憲民主党が参政党に協力要請をしていたニュースは報道された当初から知っていたので、「自民党が参政党に協力要請」のブクマが荒れている様子を見て、ブクマカの情報ソースが偏っているのか、はたまた手のひらが高速回転しているのか、と思ったものだ。
SNSなどを通し、陰謀論やデマを厭わずに感情を煽動させるような政治運動が世界的に勃興している。昨今の移民問題などを背景に、そのような運動は極右政党によるものが目立ち、左派層にこういった状況を憂う人が多い。しかし、左派がそのような陰謀論やデマから離れ、より良い民主主義を体現しているかと言われると、それはそれで疑わしいなと、左派層が多いはてブを見て思う。今勢いがあるのが単に右派なだけで、左派もまた、自分たちに都合がよければ陰謀論やデマにどっぷりと浸かっているからである。
先日の参院選で、投票日直前に「参政党を支えたのはロシア製ボットによる反政府プロパガンダ」という記事がホットエントリに入った。しかし、この記事中で述べられていることはある種の「におわせ」にとどまり、記事の投稿日時点において、これだけでは陰謀論の類と言っても差し支えないレベルであった。当時、参政党とロシアの関係において、明確なソースが伴う話は同党の候補者(後に当選)がロシアのメディアに出演していたということのみで、それ以上は明確な情報源を伴う形では存在しなかった。しかし、この記事は反参政党や左派にとっては都合の良い話であったために、安易に飛びつかれたのである。
結局のところ、「自分への都合の良さ」で情報に対する真偽の判断の手を緩めることはしてはならない、というあまりにも陳腐な結論に行きつく。石破首相の所感に「そうだそうだ」と盛り上がっているが、あの文書に書かれている教訓めいたものは、自分自身にも適用されるのだということを自覚すべきだろう。
はてぶトップに来てるNHKのニュース開いたら怪しい「金払ってますか?」のバナー。
俺は咄嗟に「払ってないよ。テレビないもん」と「サービスを利用しない」をクリック。
あー、やっちゃったなー
これさ、たとえば外国人が「OH!こういう時はジャパンのニュース見ます!私アニメで日本語覚えてるよー!」とNHKに行っても「OH!ジャパンのニュース海外から見れない!ソース探すの面倒だからレジットの翻訳鵜呑みにしますです!」となる未来なわけじゃん?
それやる?
まあ人頭税になるかスクランブルガチガチにするかの究極の二択やからね。
しゃーないよね。
いやどうなん?
じゃあ次は「憲法改正か自衛隊解体の二択ですから、自衛隊を無くします!」ってやるのか?
ほんま駄目だな。
適当に決めてやってるくせにその適当に対して杓子定規やろうとしてるのがよくない。
官僚組織の駄目な所出てるなあ・・・官僚組織の駄目な所出てるけどコイツら官僚じゃないから最後の最後で不真面目なんだよなあ。
いやもう無理だな。
NHKは終わったよ。
終わり。
「貧乏人にニュースなんて見せねーよバーカ!」って態度、別にいいけどさ、もうNHKはニュース媒体としての価値ほぼ0やからな?
それ情報ソースとして張っても「本人がサブスク代稼ぐために自作自演してるの?」って言われるだけ。
まあ俺はNHKニュースなんて元々怪しい内容ばっかだから潰れて良かったと思ってるんだけどな。
多分社内にも俺みたいな「いっそこの機会にNHKニュース潰さね?」って考えた人がいてここまでやったんでしょうね。
かっこいいわ。
映画の一発逆転シーンみたいやわ。
いや、よくやったよ。
ほんま嬉しい。
嬉しいけど、国営放送がこれでいいのかとは思う。
申し訳ないが、AIなるもの、まったく使い物にならぬのではないか、という話がある。十年の歳月を経てなお、同じことが繰り返されているようで、妙に感慨深いものがある。
私も軍事に興味を持つ一人である。近頃は、増田なる人物やネットの界隈で、「AIを使わぬ者は時代に取り残されている」とか、「検索は今やAIがあらゆる情報を掌中に収めている」と大声で喧伝されている。
それを耳にして、なるほど面白そうだと、一度試してみようと思い立ち、増田が推薦するAI検索サービスをいくつも使ってみた。中でも「perplexity」なるものが代表的であった。
ところが、現実はというと、AIはまったく期待外れであった。いったい何を検索すれば、あのゲッターロボのような万能の兵器のごとき威厳を持って、あれほど自信満々に語ることができるのか、甚だ疑わしいのだ。
時は1980年代、日本において一種のサバイバルブームが巻き起こっていた。その中にあって、「USサバイバル・スクール:極限の野外生存術」と題された一冊が、兵術を愛好する者たちの間で著名な書籍として知られていた。著者、高橋和弘。並木書房より刊行されたその本は、いわば体当たり取材の成果であり、当時の傭兵学校に日本人が身を投じたその記録を詳細に伝えている。
そんな中、AIなるものに一つの問いを投げかけてみた。曰く、「フランク・キャンパーという元ベトナム退役兵が1980年代に設立した傭兵学校について、日本人の参加記録を含むルポを教えてほしい」と。
返答は、いくぶん期待を裏切るものだった。毛利元貞という人物の著作群が列挙され、彼の著書『傭兵マニュアル』をはじめとした並木書房刊の書籍がその中心であるという。しかし、この毛利元貞なる者、実際にはフランク・キャンパーの傭兵学校に赴いたことはなく、時期的にも彼が逮捕され収監されている最中であったというのが事実である。
ただ一人、真実に近い記録を著したのは高橋和弘であった。彼のみが、アメリカの傭兵学校の詳細な模様を克明に綴ったのである。こうした誤認は、往々にして情報の錯綜、あるいは不正確な記憶の混入によって引き起こされるものであり、AIが取り扱う情報にも、人間のそれと同様に注意深い検証が必要であることを思い知らされた。
こうして、現代の機械に人知を求める試みは、まだ多くの試練を伴うことを示したのである。
かの小林源文の筆致で言うならば、「ボケ!」と怒鳴りつつ、佐藤氏のように中村君にビンタを浴びせている場面を想像せずにはいられぬ。
似たような話がある。何かの道に通じた者なら誰しも知ることだが、素人がたどり着ける程度の質問を検索にかけても、出てくる答えは大差ない。どれもが定型句のように似通っている。
果ては、AIは「専門書や現地新聞を調べよ」と匙を投げる。まるで自らが知識の体現者であるかのように振る舞いながら、何様のつもりかと憤るほかはない。
「情報の出所は一つ一つ人間が検証するものだ!AIが示すものなど信用できぬ!」と吠える増田氏の姿も目に浮かぶ。だが、もしその情報の源泉を把握しているならば、AIなど使う必要はないではないか。
東京の図書館の蔵書検索システムを用い、実際に足を運び、書物を手に取ればよいだけの話だ。必要なのは目と頭、そして人間の足である。AIの必要性など、初めからなかったのではないか。
率直に言おう。AIは全く役に立たない。どの分野であれ、新たな知見を得たいなら、その道の人間は瞬時に単語を選び検索をかけ、精査する。斜め上の結果を返すAIに全幅の信頼を置くなど、増田氏は真に愚かである。彼の脳はイルカのそれよりも皺が少ないのではないか、と嘲笑せざるを得ぬ。
近年、人工知能なるものが人々の話題を席巻している。しかしながら、その実用性について冷静に検証すれば、期待された万能の道具としてはほど遠い現状が露わとなる。私自身、いくつかの試用に際し、その実態を知ったところである。
まず第一に、映像の精細さを損なわずに画質を拡大する技術は特筆に値する。とりわけアニメーション作品のいわゆる「エロ絵」など、元より小さなサイズで提供される素材を二倍、四倍にまで引き伸ばし、その輪郭を鮮明に保つことができるのは、趣味の領域にとどまらぬ確かな進歩である。
また、マイナーなキャラクターに関しても、その造形を忠実に再現し、性的な表現にまで踏み込んだ生成が可能であることは、驚くべき成果と言わざるをえない。とくに着衣の背面からの描写など、限定的ながらも稀少な視点を持ちうる作品の存在も確認された。これは、AIの学習データの充実度と密接に結びついている。
さらに、数値換算や単位変換においてはAIの能力は秀でている。マイルからキロメートル、フィート毎秒から時速への変換など、正確かつ迅速に処理できる点は見逃せぬ利点だ。
されど、これらの利点を以って、AIが人間の専門的知識や創造的思考を代替できると断じるのは早計である。とりわけ、知識が一定水準を超えた者にとっては、AIはおしなべて陳腐な答えしか返さぬ道具に過ぎぬ。
殊に、増田のような社会的弱者男性群や、俗に言う「豚丼」なる者たちが望む、「若き女子高生と交際可能なSNSの場所を特定し、その手口をインターネットの断片的情報から抽出して作戦を立案せよ」といった類の要求は、いかに進化しようともAIの及ぶところではない。これは、人間社会の複雑な感情や倫理、そして微妙な人間関係の網を読み解くことが極めて困難なためである。
また、若いイケメンたちと恋愛関係を築き、ライバルたちを蹴散らすための「最強軍事戦闘技術」を情報ソース付きで提供せよという類いの願望も、いかに美少女型アンドロイドが具現化したとしても、現実を超越するものである。
このような幻想に囚われるよりは、むしろ、その人工美少女を相手に己の欲望を処理するほうが、時代の趨勢に沿った現実的な選択肢であると言わざるをえない。これこそ、現代の風潮に対する冷徹な洞察である。
現代の知識社会において、情報とは刃物にも毒薬にもなる。増田という一人の若者が、その刃の扱いに迷い、己の無知を露呈した出来事が記憶に新しい。彼は人工知能という新たな知の道具を手にしたが、肝心のその使い方を誤った。
問題の根幹は、「マーク・スクール」と呼ばれる傭兵学校の所在と実態に関わるものだった。増田はAIに問うた答えを鵜呑みにし、そこに書かれていない事実、すなわち高橋和弘氏が参加した学校が1986年に閉鎖されたキャンパーのアラバマの学校とは別物であるとする指摘に踊らされた。
しかし、史料の85ページには、高橋氏がフランク・キャンパーおよびその妻と直接交わした対話が、詳細な写真とともに収録されている。さらに付録では、当該学校へのアクセス方法までもが丁寧に記されているのだ。このような具体的な一次資料を顧みず、断片的なデータの断片だけを拾い上げた増田の浅薄さは、情報の時代における致命的な過誤を示している。
彼は、机に向かい、日々パソコンの画面だけを見つめ、現場に足を運ぶことも、現物の書物を手に取ることもなく、虚飾のネット空間で迷い続けている。こうした現代の若者の姿は、情報社会の利便性の裏に潜む疎外と無力の象徴とも言えよう。
事実、AIもまた未完成の存在であり、書物の「中身」を包括的に学習できていない現状では、ただのウェブ情報の断片集積にすぎない。従って、信頼すべきはなお人の目と頭、そして手足であるという厳しい現実に立ち戻らねばならぬ。
増田のような者にAIを使わせれば、最良の成果が得られるはずもなく、彼の報告は誤謬と混乱に満ちていた。まるで、素人が文献を断片的にかき集め、独りよがりの解釈を加えるような無残な光景だ。
だが、未来は決して閉ざされてはいない。もし膨大なコストを投じて書籍の全文をデジタル化し、AIに真に深い学びを促せば、真実に近づくことは可能であろう。されどそれは、人間の努力と叡智を抜きにしては成り立たぬ営みである。
増田は、己の無知を覆い隠すために、叫び声を上げ、古書店を駆け巡り、書物の山に埋もれて、はじめてAIに真実を語らせる手段を模索せねばならぬ。だがそれもまた、金銭と時間、そして何よりも学びへの真摯な姿勢が伴わねば無意味である。
情報技術の発展に夢を馳せる者たちよ、幻想を捨てよ。AIは人間の補助者であり、万能の神ではない。われわれの知性と労苦がなければ、どんな道具もただの鉄の塊にすぎぬのだ。
増田よ、そして同じ過ちを犯すすべての者よ、己の足で歩み、目で見、耳で聞くことを忘れるな。そこにこそ、真実が宿るのだから。
追記――
昨今、Xなる虚空の場にて、「大型言語モデルの使い方を誤っている」と喧伝する者多し。彼らの喧騒に応ずる形で、生成された人工知能の能力を検証すべく試みるも、その果ては予想通りの落胆に終わった。
技術の進展はかくも顕著に見えて、しかしながら、倫理の檻がその運用を縛りつけるゆえ、自由な翼は閉ざされている。かくて、その場に跋扈する、弱者と称し、豚丼と揶揄され、またはIT技術者の肩書きを掲げつつも、現実には群れを成す雑多な者どもが、夢見たる幻想は悉く幻と化した。
「アニメの麗しき少女や凛々しき若者と契りを結び、己の人生を一変させること。情報技術の力で無双し、世界の輝ける頂点に立つこと。羨望の視線を浴びながら、煌めく生涯を送るべく、その術と戦略を練り上げよ。」
「心得たり!忍びの者よ、我が名にて応えん!今こそ戦闘コードを打ち込み、アクセスコード『グリッドマン』を以て、退屈にまみれたお前の人生に革命を起こそうではないか。我らのみの旗のもとに反旗を翻す時が来たのだ。」
かくの如き願望は、技術上は到底実現可能であろう。しかしながら、肝要なるは己が心のありようなり。欲望の澱みに阻まれて、現実は成就せず、徒に虚空へと消えていくのである。
今後長期にわたって通用する「AIの実用・活用・応用スキル」を磨くには、
テクノロジーの進化に左右されにくい“原理原則”と“実務への橋渡し能力”に注力すべきです。
⸻
●ユースケース発掘・再構築力
●AIツールの横断的知識(NotionAI、ChatGPT、Runway、GitHub Copilotなど)
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● 軽量なデータ分析(Excel +Python + ChatGPT)
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| フェーズ | やること |
| ①習熟 | ・ChatGPTの活用法(表形式出力、要約、コード生成)を極める・各業務に1つずつAIタスクを試す |
| ②応用 | ・業務や趣味の中で「AIにやらせたタスク」をログとして蓄積・ツールを使い分ける力を磨く(例:翻訳はDeepL、校正はChatGPTなど) |
| ③発信 | ・実践例をブログやSNSで発信(反応が学びになる)・他者の活用事例をフィードバックとともに評価する |
| ④導入補助 | ・他人にAIツールの使い方を教える・PoC(概念実証)をサポートすることで思考を外化 |
⸻
https://one-suite.jp/author/yama/
いいモノを漁ってると今はだいたい中国メーカーが視野に入ってくる時代なんだよ
人間は誰しも、所属する国のために生きてるわけじゃなく、まず自分のために生きているべきだろう
自分というアイデンティティや価値観の中に、自分の体験を犠牲にしてでも国に寄与する行動をすべきだという選好をインストールしているか否かというのは、生きてる中で見てきたもの感じてきたものがそれぞれ違うわけだから、十人十色になるわけ
だから国産を贔屓しろという価値観を押し付けるのはよくないし、売国奴などといって人格批判するのは、別に愛国心が高いわけでない自分からみても、日本の恥さらしだと思うね
世の中の大部分の人は、「それがどこに属するか」なんてことにこだわるのは大した意義がなく、国内だろうと大手・有名企業だろうと腐っているところは腐っているし、他所のメーカーでも尊敬できるところは尊敬できる、ということが経験則的に理解・周知されていると思う
だから是々非々で考えて、それに紐づく国家とかの属性がもつ影響力よりも、実際のプロダクトを支えてる個々の人々を評価することのほうに意義を感じていくほうが建設的だと俺は思う
国とかの大枠で考えすぎる人は、草の根の人間の力を信じられず、権威のもつ影響力が大きすぎるかのように感じ、恐怖に支配されているんだと思うね
保守的な人ってのは結局のところビビリなんだよ、その気質をさらに肯定してくれる、脅威論をあおるような情報ソースを好んで摂取していくことでより思い込みを強固にし、より嫌悪を固めていってしまう
これは悪口ではなくそういう気質だからどうしようもないところがあるが、それに意識的になるだけでも、自分はそうだけど他人はそうじゃない人もいる、というように、他人を理解する助けになると思う
親御さんの認知能力・処理能力・ストレス耐性を確認することを目的にしてる部分があるんだ。
そうした親御さん向けの宿題の結果は、遺伝的なポテンシャルの予測や家庭環境を推察するための情報ソースとして利用させてもらってる。
「でもあんなの業者に頼むだけだけど?」と思ってる人はいるだろうが、それはもうそれで問題ない。
そうやって外注できるという時点で情報収集能力がそれなりにあることは分かるからね。
情報収集能力が低いご家庭や、ママさんネットワークから切り離されてそうなご家庭は考え方が偏ってたりする傾向があるので警戒してる。
完全にサボってくるご家庭も当然警戒する。
各ご家庭の処理能力はご家庭の教育に直結する要素なので、多少無理をしてもらっても早めに情報集めたいんだわ。
親御さんたちの体感と大きくズレは無いと思う。
それと、中学受験を控えてくる辺りで一度強く試すんだけど、これは各ご家庭の余力を見る意味合いが強い。
ご家庭にバッファがない状態で受験に入った家は色々危ういんだよね。
最後に卒業寸前でちょっと負荷をかけて、そこで集めた情報は次の学校に渡す感じ。
親御さん達からすれば連続で波が来て辛いかもだけど、ぶっちゃけ負荷テストなので申し訳ない。
学校側がこういう事してるのも別に権力を振り回して高みの見物したいとかではないんだ。
限られたリソースの中で沢山の生徒さんを管理するために、家庭環境についての情報も頭に入れておくのが目的なのです。
親御さん向けの宿題程度で何が分かるって思うかもだけど、結構こういうのにカラーは出てくるんだよね。
見栄を張る度合いとかって子供さんは親御さんの背中から学ぶものなので、どの程度のものが出てくるからはお子さんを見てればなんとなく分かったりする。
要領の良さ、締め切りに対する意識、課題分析能力といったものもお子さんは親御さんを映す鏡という言葉を痛感させられますね。
それじゃあ別にわざわざ負荷をかける必要ないように感じるんですが、ある種の答え合わせとしての部分もありまして、本当に申し訳ない。
親御さんは学校から変な課題が来たら「試されているな。ムカつく」と思わず、自分の家は特に問題ないですよとアピールするチャンスぐらいに思ってくれると助かります。
財務省解体デモに参加してる人たちって、いわゆる「ネットde真実」を得た気になってる層の典型例だよな。
「大手メディアは報じない!」「本当の敵は財務省!」とか言ってるけど、その情報ソースは怪しいまとめサイトやYouTubeの陰謀論動画だったりする。財務省を解体したら日本が良くなると本気で思ってるの?解体してその後どうするのかって具体的な話はないし、結局「敵を作って叩けばスッキリする」っていうカルト的な思考にハマってるだけ。
Qアノンと何が違うの?向こうは「ディープステートが世界を支配してる!」で、こっちは「財務省が日本を支配してる!」って言ってるだけ。どっちも「自分だけは真実を知ってる」っていう承認欲求を満たしたいだけじゃない?
しかも彼らを少しでも批判しようものなら、すぐに「財務省の犬!」「マスコミに洗脳されてる!」って敵認定してくる。結局、自分たちの考えと違うものはすべて「敵」っていう極端な二言論に陥ってる。
結局こういうのに騙されるのは、「なんか世の中が悪いのは全部あいつらのせい!」って思いたい人たち。考えるのを放棄して「真実」にすがるのは楽だもんね。で、デモに参加して「俺たちは戦ってる!」って気持ちよくなってるだけ。
テレビはかつては新聞やラジオに取って代わるものとして、速報性と視覚聴覚両方の情報の多さでメディアそのものの特徴で主流派になってきた。
ところがSNSの台頭によって、さらに速報性が高くしかも双方向性という新しい特徴を持った媒体がやってきた。それだけでもすでにテレビ業界的には一大事なのに、自主規制や公平性の担保などのチェックに時間がかかり、週刊誌以下の速報性の質になってしまった。ついに二次情報ソースに成り下がってしまった。最近はもはやその自覚をはっきりしているのか取材すらしない。とくに身内が関わるものには。
ラジオが今やマニアのための、また運転中や作業中のながら作業のお供でしか無くなったように、テレビもなにかのためだけのニッチな存在になるのだろうか?
もしくは巻き返せるのか?少なくともテレビは媒体の特徴としては週刊誌に負けてないし,SNSに優位性をとれる領域がある。(SNSは消費前提なので何度も見れる番組や映像を作ることはできない)
何一つ合ってないって、お前さん、具体的な数字やデータ出したことあんのか?
「EV進めすぎたメーカが苦境」だの「中国のダンピング」だの、耳触りのいい言葉並べてるだけで、中身はまるで無し。挙げ句「ねじ曲げる」とか寝言抜かしてるが、どっちが必死に自分の都合いい方向に話転がしてんだよ。
免許無い爺とか言い出す前に、自分こそ何か裏付け出してみろよ。世界中でEVやハイブリッド、PHEV、FCVまで群雄割拠の状況で、中国市場の価格戦略や技術投資は無視、欧米メーカーの再編や電池技術革新も全部無視して、お前さんの「EV進めすぎたら苦境」なる浅薄なまとめを押し付けるだけ。まさに一面的な図式にはめて悦に入ってるだけの、免許どころか情報ソースすら持たないお子ちゃま理論じゃねえか。
LINEヤフー株式会社の開発部長とされる人物が、自身のSNSにおいて、会社の方針変更に対する従業員の不満表明を「恥ずかしい」と表現したことが波紋を広げている。この発言は、同社が標榜する従業員の心理的安全性への配慮と矛盾するとして、批判の声が上がっている。
問題の発言は、同部長のSNS投稿において、「全く面識のない社員がSNSでブチギレしてるのもめちゃくちゃ流れてくるようになっていて、自社の話なのにSNSで騒げば自分の要望が通るという認識の人が同じ会社にいっぱい在籍しているという事実がかなり恥ずかしい」というもの。この投稿は、会社の方針転換、具体的には出社日の増加に対する従業員の不満がSNS上で表明されている状況を受けてのものと見られる。
この発言に対し、SNS上では批判が相次いでいる。「会社の方針転換で割を食う従業員から不平が出ることぐらい普通のことだろうに、それに対して部長職にある人がこういう言い方をしてしまうの、LINEヤフーという会社は従業員の心理的安全性というものを軽視している会社なんですね」といった指摘や、「本当は上位職ほどこの手の発言には気をつけるべきなんですよね。社外からは「会社としての考え方」と見做されるし、社内の人には「自分の上長も同じような考え方を持っているかもしれない」という疑念を抱かせることになる。会社として何らかの火消しをしないと収まらなそう。」といった懸念の声が上がっている。
さらに、「貴社は人材戦略の中で多様性(相互理解・尊重、議論と対話)を重点領域として挙げていますが、下記開発部長が述べている出社日へ不満を持つ社員へに対する『恥ずかしい』という公開投稿の内容はLINEヤフー社の統一見解なのでしょうか?」と、同社の掲げる理念との矛盾を指摘する声も出ている。従業員による正当な権利行使である労働争議を「SNSで騒ぐ」と矮小化する表現についても、「こんな風に騒いだりするの、普通に考えれば正当な労働争議の一種なので恥ずかしいどころか歴史的に根拠のある正当な権利なんだけど『SNSで騒ぐ』と書くだけで一気にしょぼい感じになるの不思議感あるw」との意見が見られた。
企業において、従業員が安心して意見を表明できる環境、すなわち心理的安全性の確保は、組織の健全な発展に不可欠である。今回の発言は、LINEヤフーという大企業において、管理職の従業員に対する認識、ひいては企業文化の一端を露呈したものとして、今後の同社の対応が注目される。
情報ソース:https://megalodon.jp/2024-1215-2153-27/https://x.com:443/potato4d/status/1867763685189726653
→そのファイルを作成・編集するためのソフトがインストールされていない
→作成したPCではないなら、そのファイルはどこからコピーされた?
→USBメモリでは?
頭おかしいだろ。
ほんのちょっとの小銭のために情報源から遠ざかることを選択肢に上げてくるって。
情報収集源は減らせば減らすほど集まってくる情報は偏っていくんだぞ。
受信料さえ払えない奴は「購読料がもったいないから新聞は解約した」って感じだろうし、いよいよもって身近な人間だけが情報ソースになる。
そういう人間の身近にいるのは同じく新聞もネットもみない人間ばかりだろうからいよいよまともな情報なんてない。
巷の噂を本気で世界の真実だと信じ、詐欺師にはあっさり騙され、自分でも気づかない間に犯罪に加担する無知な犯罪者の出来上がりじゃんか。
「NHKに受信料を払う」 or 「テレビを捨てる」 この二択からどちらかを選ぶっていう発想がそもそもおかしんだって。
そこから更に「ネットも捨てる」 or 「NHKにネット受信料を払う」の二択から選ぼうとか。
家庭レベルでは固定電話も公衆電話も無くなってきたこの時代にスマホ捨てるとか社会からの孤立にさえ等しいのでは?
どうせそのレベルの人間は「切手代を払いたくないから手紙は出したくない」とかも言い出すんじゃないか?
完全なる情弱の出来上がりじゃん。
いやマジでどうかしてるだろ?