
はてなキーワード:悪態とは
彼女が俺の経理しながら、副業兼趣味で配信をやってるんだけど、FPS配信やってるときにやたらと悪態をつく
普段から声や雰囲気は可愛い系なんだが、九州出身で性格自体が結構キツい
それで叫ぶとそのキツい感じが漏れでちゃっておそらく見てる人ビビらせてんじゃないかなぁって思う
俺が言うのもなんだが普通に人気でておかしくないと思うんだが、数百人しか視聴者がおらず人気がない
配信についての悩みを聞かされるたびに、やんわりキツい感じをやめればと提案するけど、イラつくから仕方ないとか、若いリスナーはこういうの求めてるって言ってスタイルは変えようとしない
そうなのか?楽しそうにやってる方がいいと思うんだがな…
彼女は人気になりたいって言ってるから、いっそホロライブ?とかに入れてFPSやれない環境に身を置かせた方がいいのかな?
多分素質だけなら星川ソラ?を越える逸材だとは思うんだけど
誰の仕事も断らずにこの時間でも頑張って仕事してるんだけど、誰の仕事も断らないから暇やと思われて、ちょっと忙しい風の上司から「暇なら手伝って欲しい」みたいな仕事の頼まれ方されてる。
流石にカチンときたが悪態をついたところで俺がやることには代わりないから断らない。どうせやるなら、最初からきっぱり引き受けた方がいい。
なにより俺は天才だから、なんでもやる。さっさとやる。成長する。スキルを得る。
天才すぎるので日々のハードワークと並行して転職活動もしている。身体が壊れるか、心が壊れるか、転職できるか。
身体の方は、今年の夏緊急検査をしたけれど回復した。心の方は、2年前くらいに厳しい案件に見舞われて飛びかけたものの、なんとか持ち直して楽しくやっている。
転職の方は去年くらいから謎のエージェントと付き合うようになり、定期的に面接を受けては落ちてを繰り返していたが、いよいよ相性が良さそうな会社に出会えて今一番手応えを感じている。年内には結論が出るはず。
暇人が辞めたら上司たちも取り分が増えるから嬉しいだろう。楽しみに待っててほしい。不良債権が自分から会社を出ようとしているよ。
職場で不機嫌さをモロに出す人がいる。そいつは30代男なんだけど、あまりこの年代で珍しいような気がする。
仕事が忙しい時とか締切に追われてる時、上司に色々指摘された時、毎分毎秒機嫌が変わる。クソデカため息、舌打ち、小声で文句、デカい物音を立てるとか挙げたらキリがない。
自分は席が隣で同じチームなのでどうしたって関わらざるを得ないんだけど、仕事のことで話しかけても無視、それか「はぁ」みたいな返事しか返ってこない。仕事の事を尋ねたら「知らない」「聞いて来んな」と言われ、結果何も教えてもらえなかった。
そうかと思ったら締切が終わったり、なんかいい事があった途端ニコニコ話しかけてくる。ウザイのであんまり反応しないようにしてるけど、気づかないのかめちゃくちゃ話しかけてくる。
この温度差に辟易して、周りにも相談したり上司にも言ってるんだが、ソイツが気分屋なのは周知の事実らしく、注意されてるけど治らないらしい。
年齢は自分が一個上なんだけど普通にタメ口で話してきて、こっちは敬語。仕事では基本年齢問わず敬語で話すようしにてるが、こいつのタメ口にはマジでイラつく。(目上の人にも思わずタメ口になったりしてて聞いてるこっちがヒヤヒヤする)
不機嫌期には直接関わらず、上司もメンバーにいる複数人のグループチャットで尋ねるようにしてなんとかやっている。
そしてタチが悪いのが、人を選んで不機嫌を出してる。同じチームでも教わらないといけない人にはそんな態度は取らないし、ちょっと怖そうな人、サバサバしてる人にはニコニコしている。
悪態づいた直後にその人達に明るく話してるのを見てると人間ってクソだなと思う。まぁ、職場でソイツは有名なのでその人達もちゃんと知ってるんだけどね。
どうしても色々言われるとずっと引きずってしまって夜眠れなくなったり、休みの日も考えてしまって出かけられない事もある。忘れてしまいたい。早く1人で仕事回せるようになりたい。
【追記】
仕事で結構面倒な案件がきて、自分と上司で取りまとめる事になった。他のチームにもお願いしないと進められない案件だったので方方にお願いして回ったり、問い合わせに答えたり、課長、部長に確認取ったりとめちゃくちゃ忙しかった。
不機嫌なアイツにも当然仕事が配分されていたんだけど、全然進んでなかった。締切にも不完全な状態で出してきて、上司は呆れてた。でもなぜかその時のアイツは機嫌がよくて、こいういうの苦手なんだよねーと自分に笑って話しかけて来てた。
あるタイミングで、課長や部長が案件の方向性をガラッと変える様に言ってきた。最終締切の2週間前。上司と大慌てで対応に追われた。
そこからアイツがめちゃくちゃ不機嫌になり、上司にもモロ不機嫌で失礼な態度をとった。その後上司が呼び出して指導したらしい。謝ったらしいけど、その日は全く仕事せずに早退してた。結局アイツが担当してた仕事は自分が手直しして提出した。
この不機嫌が職場皆んなの注目の的になってたみたいで、今は腫れ物に触るような扱いになってる。彼に仕事以外で自分から話しかける人は居ないし、彼のお願い事を快く引き受ける人は居なくなった。(なんか頼んだらめちゃくちゃ嫌な顔されてた)
自分はこの案件から、他のチームの人と顔見知りになって寧ろお願いしやすくなったし、関わりが広がったから大変だったけど、やって良かったと思ってる。
やっぱり見てる人がいるし、やった事は返ってくるんだなとアイツを見てて思う。
ここのところ毎日機嫌悪いけどもう気にならなくなったし、自分は自分の仕事をやるだけと決心がついたので、不機嫌でも仕事の話ならなんでも言う様にした。
アイツがどうなろうとどうでもいい。吹っ切れたからこれから仕事もっと頑張ります。
Permalink |記事への反応(11) | 21:25
わたしは1浪で入学した首都圏の医学部に通い、いま6年生になる。
あと半年で卒業するけど、医学部はわたしにはつくづく合わない環境だったなと思う。
医学部に入って低学年の時から、周りの人たちがみな「見えない枠を外れないように様子をうかがっている」ように見えていた。あたりさわりのない会話をして、うわべでは人のよさそうな笑顔を張り付けながら、仲良しグループではどぎつい悪口を言っていたりする。
そういう雰囲気が嫌だったので、人とあまりつるまなかったら、1年生のうちにあっという間に孤立した。そして、今もとうとう孤立したまま、医学部を卒業することになりそうだ。
わたしは哲学とか、医療や日本の社会がどうなるのかとかそういう話に興味があったけど、そんな話ができる人はほとんどいなかった。「意識高い系だね」と、鼻で笑われた。
みんな、誰が付き合ったとか別れたとか結婚秒読みだとか、だれが試験に受かったとか落ちたとかそんな話ばかり。
「医者は社会を知らない」と言われるのも、無理はないと思った。
世界が狭くなるのが嫌で、わたしは自分の居場所は学外に持とうと思った。
ボランティアやインターンに参加して医学部生以外のいろいろな人とかかわったことで、自分のいる世界が特殊なんだと分かって救われた。
その時出会った人たちは、自分の人生を自分で切り開こうとしている人たちばかりで、自分の視野も広がった。
高学年になってくると、医学知識を必死に詰め込んできた人たちの中で、能力至上主義・知識偏重主義的な雰囲気が色濃く立ち込めるようになった。
成績の良くない再試験常連の人や、口頭試問にスムーズに答えられない人を笑いものにしたり、なんなら明らかに見下していたりする人も多かった。
論理的によくわからないもの、あいまいなもの、すぐに役に立たないものは「無意味」としてそぎ落とされていった。論理的に説明できる医学知識がすべてだと言わんばかりに。
講義の時も、試験に出る話の時は必死にメモをとるのに、先生のキャリアの話や雑談になったとたんに態度が悪くなる人、「あいつ話長いんだよ、国家試験の勉強させろよ」と悪態をつく人の多いこと。名門高校出身で、成績も優秀、挫折せずに現役で医学部に入っている人のほうがこういうことを言う人が多かったような気がする。
勉強熱心なのは良いことだと思うけれど、知識や能力がすべてを測るものさしになってしまうと、人間的に大事なものがどんどん零れ落ちていくのではないだろうか。
「周りの人の動向から外れないこと」がモットーの多数派医学生たちの間では、こうした風潮に大勢の人があっという間に飲み込まれていった。
たとえば実習の最初、その科でお世話になる先生に挨拶するときに、出身高校まで発表させられること。
もう全員高校卒業して少なくとも5年は経つのに、まだ高校の話するの…?と正直違和感を隠せなかった。
首都圏の名門中高一貫校出身の人には先生たちもひとしきり絡む。もはや、「子供を中学受験させてその学校に入れたいけどどんな勉強した?」とかまで聞く。いやそれいま聞く必要ある?
わたしはそこまで知名度の高くない高校出身だったので、毎度微妙な反応をされて特につっこまれることもなく、虚無な時間をやり過ごした。
エリート選民思想が蔓延する空気の中で、どうにか息がしやすい場所を探しながら過ごした6年間は本当に息苦しかった。
医師国家試験の受験資格を得るためだけに、心を無にしてなんとか毎日学校に通った。
周りの人たちは、大学受験期と同じように、より知名度やレベルが高い病院、都会の病院を探し求めて就職が決まろうとしている。「成長という幻想」にとらわれているように見える。
わたしは東京出身だが、自分の意思で、あえてゆかりのない地域の、ほとんど誰も知らないけど、独特な取り組みをしていて面白そうな、自分の肌に合いそうな病院に就職することに決めた。
わたしは1浪で入学した首都圏の医学部に通い、いま6年生になる。
あと半年で卒業するけど、医学部はわたしにはつくづく合わない環境だったなと思う。
医学部に入って低学年の時から、周りの人たちがみな「見えない枠を外れないように様子をうかがっている」ように見えていた。あたりさわりのない会話をして、うわべでは人のよさそうな笑顔を張り付けながら、仲良しグループではどぎつい悪口を言っていたりする。
そういう雰囲気が嫌だったので、人とあまりつるまなかったら、1年生のうちにあっという間に孤立した。そして、今もとうとう孤立したまま、医学部を卒業することになりそうだ。
わたしは哲学とか、医療や日本の社会がどうなるのかとかそういう話に興味があったけど、そんな話ができる人はほとんどいなかった。「意識高い系だね」と、鼻で笑われた。
みんな、誰が付き合ったとか別れたとか結婚秒読みだとか、だれが試験に受かったとか落ちたとかそんな話ばかり。
「医者は社会を知らない」と言われるのも、無理はないと思った。
世界が狭くなるのが嫌で、わたしは自分の居場所は学外に持とうと思った。
ボランティアやインターンに参加して医学部生以外のいろいろな人とかかわったことで、自分のいる世界が特殊なんだと分かって救われた。
その時出会った人たちは、自分の人生を自分で切り開こうとしている人たちばかりで、自分の視野も広がった。
高学年になってくると、医学知識を必死に詰め込んできた人たちの中で、能力至上主義・知識偏重主義的な雰囲気が色濃く立ち込めるようになった。
成績の良くない再試験常連の人や、口頭試問にスムーズに答えられない人を笑いものにしたり、なんなら明らかに見下していたりする人も多かった。
論理的によくわからないもの、あいまいなもの、すぐに役に立たないものは「無意味」としてそぎ落とされていった。論理的に説明できる医学知識がすべてだと言わんばかりに。
講義の時も、試験に出る話の時は必死にメモをとるのに、先生のキャリアの話や雑談になったとたんに態度が悪くなる人、「あいつ話長いんだよ、国家試験の勉強させろよ」と悪態をつく人の多いこと。名門高校出身で、成績も優秀、挫折せずに現役で医学部に入っている人のほうがこういうことを言う人が多かったような気がする。
勉強熱心なのは良いことだと思うけれど、知識や能力がすべてを測るものさしになってしまうと、人間的に大事なものがどんどん零れ落ちていくのではないだろうか。
「周りの人の動向から外れないこと」がモットーの多数派医学生たちの間では、こうした風潮に大勢の人があっという間に飲み込まれていった。
たとえば実習の最初、その科でお世話になる先生に挨拶するときに、出身高校まで発表させられること。
もう全員高校卒業して少なくとも5年は経つのに、まだ高校の話するの…?と正直違和感を隠せなかった。
首都圏の名門中高一貫校出身の人には先生たちもひとしきり絡む。もはや、「子供を中学受験させてその学校に入れたいけどどんな勉強した?」とかまで聞く。いやそれいま聞く必要ある?
わたしはそこまで知名度の高くない高校出身だったので、毎度微妙な反応をされて特につっこまれることもなく、虚無な時間をやり過ごした。
エリート選民思想が蔓延する空気の中で、どうにか息がしやすい場所を探しながら過ごした6年間は本当に息苦しかった。
医師国家試験の受験資格を得るためだけに、心を無にしてなんとか毎日学校に通った。
周りの人たちは、大学受験期と同じように、より知名度やレベルが高い病院、都会の病院を探し求めて就職が決まろうとしている。「成長という幻想」にとらわれているように見える。
わたしは東京出身だが、自分の意思で、あえてゆかりのない地域の、ほとんど誰も知らないけど、独特な取り組みをしていて面白そうな、自分の肌に合いそうな病院に就職することに決めた。
私は定型発達ではない。
多動である。
とはいえ、常に身体をうごかしていることは極めてすくなければ、気付いたらどこかに行ってしまうという傾向はない。
また、身体in出る動作が極めて少ないというだけで、一切ないという訳ではない。
貧乏揺すり程度の多動はあるし、一般的に正しい姿勢というのを保つのも極めて困難のため気付いたらあり得ない形で椅子に座っていることがある。
一番安定して椅子に座れる形は、デスノートのLのような座り方なので、普段はL気取りの座り肩をしている。
一切知性のないLである。
反面、私の多動さは脳の中で如実である。
私の脳内には常に、数人から数十人の人間が集まっており、各々好きなことを語っているのだ。
それは分かりもしない相対性理論だったり、デカルトの哲学であったり、メソポタミア文明が何故滅んだのかであったり、恐竜は鳥なのかの議論であったりする。
実に様々で好き放題だ。いい加減にしろ。
ちなみに、この脳内ミーティングルームには何人か「女子」もいる。
彼女たちは「かわいい」「綺麗」「イカす」という感性に敏感であり、そのようなものを見ると心に一定の安寧を届けてくれる清涼剤だ。
また、彼女たちの存在は、人間社会における協調性や社会性の育成にも大きく役立っている。
「女の子ってェ、意味のない会話してる風に見えるけど、ただわかってほしいとか聞いてほしいとか、そういう時あるからァ」
「あ、でも下心はNG。男はちょっとでもチンポを感じるとキモいし」
女子たちが常にそう囁いてくれるので、私も無闇に心のチンポを出さなくて済む。
とても感謝している。
「まって、アニメ好きとかゲーム好きとかで初手でスクライドの話するのは流石にオッサンだから」
「もっと当たり障りのないやつでジャブかけておいて。ディズニー映画とかジブリのやつ」
「相手からジョジョとかガンダムの話が出るまでそういうの、この世に存在してたんですかって顔しときな」
ギャルとして見ると古いギャル像かもしれないが、彼女たちは私が一般壮年男性として振る舞うのに重要な指針である。
さて、そのような脳を持つため、私の脳内はいつも賑やかである。
私がテレビを見てようと、小説を読もうと、漫画を読もうと、映画を……もう、何をしてようと数人がわらわら近寄ってきて色々話かけてくる。
先日も、東南アジアであった怪談を聞いている時、私の中の男児は大わらわだった。
「ここってどこの話? 外国? 東南アジア? 東南アジアにも幽霊出るんだ! すげー」
「ってか、この場合、怪異のせいにしてるけど怪異じゃなくてダニにでも噛まれたんじゃねぇの?」
「東南アジアの祈祷師……儀式の形態がキリスト教ベースは珍しいですね。植民地時代由来でしょうか? しかし悪魔ではなく霊的なものを追い出すところは土着信仰を覗わせます」
各々が自分の好きな知識を語っている。やりたい放題である。誰も自重しないのだ。
しかも頭の中の男児たちは、私が漫然と集めている知識を過去から勝手に掘り起こしてくる。
男児たちはその記憶を勝手に開けて「何これ」と、新しい玩具を見つけたように色々聞いてくるのだ。
「なー、この特異点って言葉なんだよ? よくファンタジーとか、フィクションで見るけどよー」
「いや、まず学術的な一般の特異点についてちゃんと理解しておかないと。特異点ってのは、数学的に……」
「ネコ吸いたい」
みんなで急に内容をいじくりだす。大騒ぎである。今リッチテンソルって言ったの誰だ?
そして毎回「ネコを吸いたい」「ねこかわいい」がいるが、この人物がいつもネコに顔を押し付けていないと心の安寧がはかれないのだ。
このような有り様なので、私は……自分でも一人称が非情にずれるという特性がある。
なお、今この文書を書いている私は、この集団的賑やかなキッズたちが各々もってきた玩具を片付けて、ファイリングし、棚に収め自由に使えるよう整理整頓をしている担当だと思って頂いて結構である。
大概の場合、私は表に出てくることはない。
俺、という非情に感情的だが人間的な人物がインターネット上の文責を担っている。
僕、をつかっている時は一定、記録に残る媒体での発言であることが多い。
他に、あーし、アタイ、アタシなど意図的オネエや、語尾が「ッス!」の奴もいるが、すべて思考タイプが違う。
使い分けている部分もあれば、感情的に露わになることが多いのでこのあたりも多動ではあるが、別段に多重人格やら解離性ナンタラではない。
全員が一つの、私という脳にある記憶や感情を各々勝手に見て、各々が勝手に解釈をしたり、討論をはじめたり、ネコを吸ってたりするだけなのだ。
さて、ここまで見て頂けるとわかると思うが、私の脳はとんでもなく忙しい。
例えば日常生活をしていようが、趣味のゲームや創作をしていようが、些末な情報を様々な引き出しを開けて勝手に話出したかと思えば、知らない情報を勝手に記憶・記録しているのだ。
時々「いつ見たんだこの単語」って単語が突然出てきてこまる。ビルトインスタビライザー。おい、また、今ビルトインスタビライザーをカットインさせた奴誰だ?
そして、年々語りの人数が増えている。
以前は円卓会議くらいで住んでいたはずだが、もはや秩序を失った多目的フロアである。
大勢に分離したキッズの私たちが、床で転がったり勝手に物語を構築しはじめたり、ネコを吸っているのである。
私はこのような状態で、粛々と思考のフックになるように、様々な情報をカテゴリ分けして取り出しやすくするよう動いていた。
当然、私の頭の中にいるキッズたちはファイリングした時点でもう開けて読みはじめていたり、床に散らかしてる奴がいるのだが、もう別にそれはいいのだ。
問題は、私自身がこの膨大な記録のなか、ぼんやりとした疑問を長年、脳内に蓄積させ続けていることである。
脳のリソースは有限だというのに、私の疑問や、思想が渦巻いている箇所が必ずあり、そこが私の思考の邪魔をするのだ。
私の中にいる男児たちも「これ何だ」「綿飴か?」「燻製作れそう」とすぐ近づいてきて面白そうに囲んでいて、勝手にモヤモヤを増やしていくから困る。
そういった、私の思考をある程度整理するために今、使っているのが「AI」というサービスだ。
私は散らばった思考をいくつか拾い上げ、自己が心のままに感じたもの、その構造的な議論、感情的な議論、組織的な、対人的な、道徳的な、論理的な、なるべく多角的な理論を広げるため、AIを利用している。
この利用方法の利点はまず、彼らには同じことを幾度くりかえし聞いても、決して不快にならないことだ。
人間は、私のこの漫然とした思想のとっかかりを聞くだけでもウンザリするものである。
いや、相手が嫌な思いをする、という以前に、私のこの思考スタイルを説明するだけでも時間をとらせてしまう。
その大事な時間を、私のこの下らない衝動のために使っていただくのは申し訳ない気持ちはあるのだ。ネコ吸いたい。
自分の考え、価値観、社会性などを、今まであつめた資料をもとに筋道をたて説明することで、脳の中にある負荷だけがかかるスペースを広げることができるのだ。
これは私にとって利点であった。
なぜなら、ずっと抱えていた、心の中の男児が「燻製つくれるぞ」と悪態ついていたスペースが、ミストサウナ程度は見通しがよくなったのである
だが、それであるがゆえ、日本人という単一民族であり、かなり独特の資本主義社会を築き、組織への帰属意識が高い社会性をもつ文化や背景をもつ私からすると、思いも寄らぬ世界基準の思考や、第三者の視点などを提供してくれるのだ。
自分のフィルターごしに見る世界とはまた違う視点が提供されるのは、正直かなりありがたい。
私では理解しがたい他者の考えについて、思慮のとっかかりをつくってもらえるのだから、新たに見える世界、その先にある世界というものの足がかりとなってくれている。
「それで、この知識をどうする?」と。
私向けにカスタマイズされたAIたちは、私に「これをどうやって料理するか」「このような知識は、どう設定に落とし込むか」をしきりに聞いてくる。
聞いてこない時でも、「思考の一端」として理解に役立ててくれたり、己の中にあった漠然とした知識を再構築してくれたりと、様々な分野で手をかしてくれる。
私のように、幾人もの男児と何人かの女子を頭にかかえ、ネコ吸いたい奴を見ている人間に、「思考の整理をして思考リソースを割ける」ことは大変ありがたいのだ。
つまるところ、私にとってAIは「思考のリソースを割くツール」であると同時に、再現なく騒がしい私の子供たちと付き合ってくれる、相棒のようなツールなのである。
これは、脳内多動により極めて負荷が高いと思われる、定型発達ではない人間の、AIとの接し方。
だが、私のように脳内多動により思考の整理が出来ない人間にとって、一時の安らぎとなってくれたことは、素直に感謝したいと思っている。
種類によっては30m先の餌もわかるだとかなんだとか。「まあそらあんだけ明確に餌を区別できるならそうだろうな」という感じだ。
https://anond.hatelabo.jp/20250815211751
その日、旦那さんは飲み会で留守にしていた。私は虫かごに霧吹きをしながら変なことを思いついた。
「こいつにオ、オ、オナラしたらどうなるんだろう」
優れた嗅覚が餌を探し当てるのであれば、オナラのにおいもわかるだろうし、逃げるなり餌だと思うなりするかも!今天井に張り付いてるけど、臭くておっこちちゃうかも!などと思って試してみたくなった。30代である。
だ、だ、だ、誰もいないし…ドゥフ…と虫かごに向かってオナラをしてみた。
私のオナラは旦那さんも1回しか聞いたことないプレミアモンだぞこら。
…のに、特に何も変わらんかった。
いやにおいは嗅ぎ分けてるのかもしれないけど、突然壁から落ちたり急いで逃げたりみたいなのもない。普通に動いてるだけ。臭さが足りなかったのだろうか。なんだよつまらん。こんなに恥を晒してオナラこいたのに!?キサマにはガッカリだよ!!
と、向こうは何も悪くないのに悪態をつく。
まあでも自然界にはラフレシアとかもいるし、腐敗臭って案外多くの生物にとって不快臭ではないのかも。ハエとかはむしろ寄ってくるし。私たちヒューマンは腐敗臭に危険を感じないと死んじゃうからそーゆーふうにできてるだけなのかもしれないな。
じゃあ香水とかは嫌なのかなーどうかなーとか思ったけど、そんなことであまりしつこく構っても嫌われそうなので香水のにおいをかがせたりするのはやめた。老体にこたえてもこまるし。オナラは自然の一部だしいいかなって私の中で謎の許容範囲内だったけど。
というか、コイツもむしろときどきはひっそり屁をこいてるのだろうか。
肛門あるし胃腸もあるし、呼吸もしてるし、可能性は十分ある。でも調べてもよくわからなかった。
1年前、まさか自分がカタツムリに向かって屁をこくなんて思ってもいなかったな。
そしてカタツムリ。キサマは一体いつまでいるツムリだ。
食い尽くし系で思い出したんだけど、弟はお菓子作りが趣味だった。両親は弟に積極的に道具や食材を買い与えていた。
ある時「チーズケーキ作ったから食べる?」と言われたのでいいの!?ありがとー!とワクワクしながらリビングに行ったらものっっすごくほっっっそいチーズケーキが皿に乗っていた。えっなにこれ??「残りは俺のだから」と言ってほぼホールのチーズケーキを大皿に乗せて弟は食い始めた。お、おかしいんじゃねぇか!?と内心思ったものの、作ったのは弟なんだからここで騒ぐのもみっともないな…と何もないふりをして2センチくらいのケーキを食べた。
後日、「またケーキ作ったから食べる?」と弟が言うので食べるー!とキッチンに行った。なんと私にホール丸々くれるらしい。いいの!?一緒に食べようよ!と提案したら「食べたくない。失敗したから」だと。
無理やり半分こして食べた。。弟は手づかみで失敗作のケーキをまずいまずいよくこんなの食えるねと悪態をつきながら食べていた。
確かに街で立ち止まってたり写真撮ってたり、荷物を道塞ぐ感じで置いてたりと邪魔ではある。
荷物は傍に寄せろよとか立ち止まるなよとは思うけど、総数から見たら割合で言うとほぼいないに近いしな。
若者はまあ仕方がない、脳みそが育ち切ってないだろうし、大体邪魔なのは集団だしな。
それより女。
何故道のど真ん中で突然立ち止まる?
何故突然逆走する?
何故無理やり追い抜いた後速度を落とす?
何故人の流れに逆らって動く?
何故まっすぐ歩けない?
何故狭い道いっぱいに横並びで歩く、何故その状態で避けない癖に邪魔だと相手に悪態がつける?
何故邪魔にならない場所に避けてる人に自分からぶつかっておいて舌打ちができる?
まあこれも女性の総数から見たら少ないんだろうけど、男女で街中で見かけるヤバい奴比率が1:9くらいなので気になって仕方ない。
この記事、私は冊子版で読んだ。氷河期世代に関して流布しているイメージは実際には違うものもあるという指摘がなかなか面白かった。(余談だがAIに要約させるとその辺が見えづらかった)
この記事の中で
近藤 「日本は経済成長するべきだ」と思っている度合いには世代間ですごく差があると感じています。我々より上の世代の人たちは、どこかで日本経済が復活することを願っている印象があります。我々、就職氷河期世代はバブルの頃を何となく覚えている最後の世代なので、そのあたりの感覚は人によって分かれるところですよね。私などは、「高度成長期はもう来ない」と思っちゃうほうです。
もっと下の世代だと成長の記憶がないので、「あの人たちは何をピリピリしているのだろう」みたいな反応を示すことが多い印象があります。それをもって「日本はもうダメだ」と悲観するより、もう少しできることを見たほうがいいのかなと思うんですけどね。
と言っているのだが、冊子版だとこの記事の次に甘利明(1949年生まれ)の講演会トークが載っていてそこで「日本の経済成長(復活)」 について滔々と語っていて面白い構成だった。
あと、社会的に成功している氷河期世代の中に被害者意識が強いのがいる、というのは確かにいるなあという感想。普段は自己責任信者な言動をしている年収一千万円超えの人が、急に政治や社会や低所得者に対して悪態をつくのは見かける。
曰く「努力して年収一千万円超えたのにどうして病院や区役所で貧乏人と一緒に待たされなければいけないんだ!俺を優先的に通せ!」とか「低所得者は医療や子育てにかかる金について優遇されている!けしからん!」 (そう思うなら自分も低所得者になって「優遇」されればいいのに)とか。
だけは、絶対に受け入れてくれないの謎すぎる
https://togetter.com/li/2569266
答えは簡単で、右側に立つと、後ろから歩いたり走ったりしてくるめんどくさい掟破りの無法者と対峙しなければならなくなり、悪態つかれたり、舌打ちされたりして疲弊するから。
そんなコスト払うくらいなら、初めから左側に乗るのが最適解だとみんな考えるから。
なので、「エスカレーターは二列で!」っていうルールを貫徹したいなら、そのルールを浸透させたい奴らがこういうコストを払うような体制を作ればよい。
その一つの回答が最近名古屋で始まった「エスカレーターの右側に立って乗るバイト」だ。
これは「上記のコストを全てバイトひいては行政が引き受けます」という施策だ。
これならノーコストで右側に立って乗ることができるから安心だ。
実際、名古屋ではマナーが大幅に改善し、輸送効率もあがったらしい。