
はてなキーワード:悦に入るとは
ブクマをもらって悦に入る人がいるみたいだから、ひとつ進言してあげる。
きみはそうやって注目されることで自分を多少なりとも特別な人間だと思っているかもしれない。少なくとも、ブクマを得られていない人に比べれば自分は特別なのだと。そう思うかもしれない。
でもね、実は全然そんなことはないんだ。
いいかい?きみが書いているような内容は、他の人間でも同じことが書けてしまうんだよ。つまりね、煽ったり辛辣なことというのは独自性がほとんどない。きみが自分のことを特別だと思って書くその文章は、きみじゃなくたって書けてしまうんだ。
だからきみのする行為は、その内容のせいで意味を失ってしまう。自分という個性を認めてもらおうと無個性な内容に頼ることに意味はあるんだろうか?
ないね。
じゃあどうすればいいんだよ?と言うかもしれない。
簡単な話だ。他の誰にも書けない話を書けばいい。
そんな話は…あるんだよ。面白い話でしょ?
そう、他の誰にも書けない話というのは"面白い話"のことなんだ。
人を怒らせるよりも泣かせるよりも、一番難しいのは笑わせることだからね。
ふむ、相場をギャンブルと勘違いしてる手合いだな。1ドル=300円? 笑わせるな。
そんな水準になった時点で、日本経済は「円安バブル」じゃなく「実質破綻」だ。
株価の数字が上がる? それは名目値の話だ。円建ての価値が下がってるだけで、実質的には焼け野原。インフレで購買力は溶け、輸入コストは倍増。
それを喜ぶのは、火事場で焼けた家の値段が『木材価格上昇で上がった!』と喜んでるバカの自己放尿と同じだ。
為替とは、国の信用の体温計だ。
1ドル=300円というのは、世界が「日本の通貨に信頼を置かない」と宣告することを意味する。
実質賃金は崩壊、原材料輸入企業は連鎖倒産、生活物価は跳ね上がる。
お前が握ってる株式も、円ベースでは膨らんでも、ドル換算では半減だ。
円が半分の価値になれば、株価が2倍になっても実質ゼロ。経済は数値のゲームではなく、購買力のゲームだ。
エネルギー、食料、機械部品、全部値上がり。日本の製造業は原価を支えきれず、利益は圧迫される。「輸出企業が儲かる」って? 一部だけな。
サプライチェーンの中間コストを考慮してない時点で、お前の経済認識は幼稚園レベル。
超円安になると、日本人すら円を持ちたがらなくなる。企業も個人も海外資産を買い漁り、さらに円が売られる。悪循環が始まる。
お前の言う「日経上昇」ってのは、資本逃避の泡沫の中の錯覚だ。
1ドル=300円になって「日経が上がる」と喜ぶのは、「自分の体が燃えてるのを見て、焚き火が暖かい」と錯覚している自己放尿人間だ。
金融市場は数字遊びじゃない。その裏で誰かの購買力が消えていく。国家の通貨とは、信頼で出来た血液だ。
それをドブに流してまで株価を眺めて悦に入るのは、もはや経済観念ではなく自己放尿だ。
世の中を眺めていて、最も愚劣で矮小な自己欺瞞の一つは「本をインテリア扱いする行為」だ。
背表紙を並べ、知性の代替物として空間を飾り立てる。それは知性の獲得ではなく、知性の模倣にすぎない。
模倣は習得と似ても似つかぬ。そこにあるのは、読書体験を経ずに「自分は知的である」という虚飾を貼り付けたいという、安っぽいナルシシズムの自己放尿だ。
本を読まない者が本棚を埋めるのは、トイレで自己放尿を誇示するのと同じだ。
排泄は生理現象であり、それ自体に価値はない。だが、わざわざ自慢げに見せつけるとしたら、それは精神の腐臭である。
読まれぬ書籍は知識ではなく、ただの木材加工品にすぎない。机や椅子と等価であり、そこに思想はない。思想なき紙束を飾り付けて悦に入るのは、脳の機能不全の自己放尿の証左だ。
知識を持つことと、知識を持っているように見せかけることは、全く別の次元に属する。
本当の知識は行動、論理、そして判断ににじみ出る。だが、見せかけの知識は、他者の目に触れた瞬間にしか機能しない。
つまり「人に見せるためにしか存在できない知識もどき」は、そもそも知識ですらない。カビ臭い書棚は、そうした亡霊の墓標である。
人間が「読む」という行為を通じて得るのは、情報処理能力の更新だ。読めば思考のアルゴリズムが強化され、判断の枝葉が増える。だから読む。
読むからこそ、生き方が変わり、選択が変わり、未来が変わる。インテリアとしての本には、その作用がない。つまりそれは「本」という名の殻を借りた自己放尿にすぎない。
本を積み上げ、背表紙を誇示し、他者に「私は知的でございます」と言いたがる連中は、結局「知識の奴隷」であって主体ではない。
読む者は本を支配し、読まぬ者は本に支配される。インテリア扱いして悦に入る人間は、後者の中でも特に惨めな存在だ。
本は家具ではない。本は思想の武器庫であり、現実を斬る刃である。それを理解できぬなら、書店に近づくべきではない。
君の部屋の美観を飾るためではなく、君の脳をえぐり、砕き、再構築するために、本は存在する。本を読め。本を飾るな。自己放尿はやめろ。
お前の文章は一見論破指南に見えるが、実際は自己放尿に等しい。
つまり「他者をバカと呼ぶ快感」に溺れているだけで、論理構造は穴だらけだ。
まず「バカに欠けているのは論点維持と部分と全体の理解だ」と言うが、それは単なるレッテル貼りであり、証明にはなっていない。
お前は「バカ」を定義していない。定義がない対象に「欠けているもの」を与えるのは、空のコップに「水が足りない」と叫ぶようなものだ。
さらに「論点維持」と言いながら、自分自身が論点を逸らしている。冒頭では「知恵が欠けている」と言ったのに、途中から「論点維持の概念」と「部分と全体の概念」という二つのスキルに話をすり替えている。
まさにお前が「バカの典型」と定義した行為そのものを実演している。自己矛盾の自己放尿ショーだ。
そして「部分と全体」を理解していないのはお前自身だ。この文章全体のテーマは「バカを論理的に分析すること」だったはずなのに、部分部分でただの罵倒や優越感の発散にすり替わっている。全体性を守れていないのはお前の側だ。
結局お前の言葉は「サルが棍棒を持った」どころか「自分の尿を振り回して悦に入るサル」だ。論破の形をとっているが、実際には自分の快感のために「論」を捨てている。
だが救いはある。お前が本当に「論点維持」と「部分と全体の関係」を理解したいなら、まず自分自身の文章をその基準で読み返せ。
正直、AI に命令を出すリード、マネージャ、リーダーの能力が上がらないと、AI でコードを大量生産すると手に負えないスラムが根深く絡み合った構造で広がっていくことになるだろうというのが既に見えている。
というのも、AIほとんど影響ないちょい前の時点ですら「うちはDDD、TDD、クリーンアーキテクチャ、k8s、アジャイル、スクラム等々を採用して云々」ってプロダクトが、リリースから半年、1年で開発がスタックしている、という事例は一般が想像する以上に存在している。
リリース時は、CTOやマネージャが腕組みしてWebページで華々しい成果発表するものだが、その裏で手動運用のオンパレード、一箇所変更したらどこに影響が及ぶかわからない地雷原、不具合障害が発生するたびに増える監視サービス、手動運用マニュアル。
その前で、「圧倒的ではないか、我がプロダクトは」って悦に入る経営陣、の図。
それ見て「SaaS界のネズミー王国や〜」って妄想を迸らせる利用者側経営陣と、ブルシットな手数だけ増えて、業績給与はぴくりくらいしか動かないで悶絶する利用者側従業員。
この状態で、「いや〜、新技術の導入、失敗しましたわ〜。経費が5倍くらいに膨れ上がってます。ごめんちゃい」なんてリリース出せないでしょ。
それ見て教科書ガイドエンジニア、カタログショッピングエンジニアが「世界を変える! 俺(の業務経歴書)が変わる!!」って初見手探りで導入して、連れション地獄。
これが現状よ。
ここにAI が入ってくると、ますます「中身も、他の処理との関係性もよくわからんけどプロダクトに組み込まれた謎プログラムの塊」が、「これ以上機能を載せるとバランスを崩して全体が倒れる」寸前のサイズまで育つわけよ。
ここまで行っちゃったら、どこをどうしたらどうなるか、「AI 使ってふふふふ〜ん」ってレベルのエンジニアでは太刀打ちできなくなってるだろう。
すっと
「動くな!」
となって、対策のための会議とドキュメントづくりが延々と半年とかいうオーダーで繰り広げられることになる。
その間やれること、というかやらなきゃならないことは、障害対応手動運用。
こういう状態に陥らせたリーダーやリードテック、CTOは「新しいことに挑戦したいので」と敵前逃亡、成果発表のWebページを担いで次の犠牲者の元へ。
ちゃんと設計したら、生成AIを駆使する必要、あまりないはずなんだよなー。
で、テストも書いてくれる、っていうけど、AI に全投げ似非エンジニアにその妥当性とか、判断できんのかな?
カバレッジを100%に近づけるためだけのテストを手動で大量に書くのを代替してくれるかもしれないけど、あのテストが品質保証、障害対策になってる現場が一つでもあるか?
今流行りらしい、業務ドメイン分割マイクロサービスだと、AI で辻褄合わせてテストとか、無理やぞ。
という地獄が、2、3年後訪れるだろう。
楽しみやなぁ〜w
という話をすると、AI使いこなせないオールドタイプの負け犬の遠吠え、みたいにいうてくるのがいるんだけど、むしろAI を効果的に活用するための構造、構成とか模索してんのよ。
職場に一人はいる口だけ達者で中身が空っぽな人間がどうしてあんなに幅を利かせているのか理解できない
指示は曖昧で責任は部下に押し付けて成果は自分の手柄にするくせに上からの評価はなぜか高い
それは結局大声で自信満々に言い切る人間が優秀に見えてしまうというくだらない錯覚のせいであり実際は何もできないのに有能ぶっているだけ
その結果まともに働いている人が疲弊して潰れていくのに組織は誰も助けずまた同じような口だけ人間を出世させていく
そういうやつらに限って人望があると勘違いして飲み会では説教を始めたり家庭ではいい父親アピールをしているらしいが実態はただの自己愛モンスターだ
何が腹立つって本人は自分を問題児だと思っていないどころか会社に必要とされていると本気で信じ込んでいることだ
それでいて自分より年下の社員には偉そうに人生訓を語り自分の失敗を武勇伝みたいに話して悦に入る
こんな人間がのうのうと給料をもらって家庭を築いている一方で真面目に働いている人がメンタルを壊して退職していくのだから世の中は完全に間違っていると思う
お笑いのコントの舞台(野外ステージや寄席じゃなくて、それこそ演劇の舞台とかも行われるようなちゃんとした座席のある会場の話)やスポーツの試合で同じことが発生すると
「席を立つくらい別に好きにさせろ!前を横切ってしまうのは仕方のないことだ!」
「そのくらいで集中できないなんてよほどつまらなかったんだねw面白かったら普通気にならないからw」
そもそも「アニオタがお笑いコントやスポーツの試合のマナーを積極的に論じる」というシチュエーションが意味不明過ぎる
アニオタはゲームやアニメで忙しいからお笑いやスポーツまで見に行かないだろ
大体スポーツ観戦で隣座った客とかをどうやってアニオタだと見分けるんだよ
鬼滅の映画観に行ったら客のマナーが崩壊してて応援上映でもないのにおしゃべりする人だらけだったとか、2.5次元舞台でスマホを弄ってピカピカさせる人が多くて感動シーンが台無しだったとか、
好きなキャラの出番が終わったら上映中なのに席を立って帰ってしまう人がいたとか、咀嚼音がうるさいとか、
そういう話は「許せない!!マナーを守れ!!」って憤慨するくせに
お笑いのコントの舞台(野外ステージや寄席じゃなくて、それこそ演劇の舞台とかも行われるようなちゃんとした座席のある会場の話)やスポーツの試合で同じことが発生すると
「席を立つくらい別に好きにさせろ!前を横切ってしまうのは仕方のないことだ!」
「そのくらいで集中できないなんてよほどつまらなかったんだねw面白かったら普通気にならないからw」
「え、飲食可なんでしょ?販売もしてるんでしょ?嫌だったら飲食禁止にしたら?w」
みたいなことを言い始めてそうだそうだと悦に入るアニヲタがうじゃうじゃ出てくるから
なんだこいつら……と思う
鬼滅映画で同じことしてる人たちもまったく同じ言い分を持ってるだろうよ
だが残念ながら、それは「冷徹」でも「抽象化」でもない。単なる「自己放尿」だ。自分の脳内でぬるま湯を撒き散らして温もりに浸っているだけに過ぎん。
お前の提示した「真の抽象化」とやらを読んでみれば一目瞭然だ。
そこには「捕食」「堆肥化」「死骸処理」など、妙に人間の感覚に依存した語彙が散りばめられている。
つまりは人間臭いままの発想を、少し血の匂いをつけて言い換えただけ。抽象化どころか、ただの残酷アレンジの自己放尿じゃないか。
真に冷徹な抽象化とはな、肉も血も感情も、比喩や残虐趣味すらも削ぎ落とし、純粋な関数・入力・出力・資源配分の関係に還元することだ。
そこに「腐敗臭」などという生理的な装飾は不要。お前の言う「骨の髄まで溶解」など、結局は人間の感覚世界を前提にした演出に過ぎない。
要するに、お前がやっているのは「悪役ムーブの脚色」だ。だが論理的抽象化というのは演出ではない。
演算だ。記号操作だ。冷徹さを演じるための猟奇的フレーズは、論理の足を引っ張るだけのノイズでしかない。
感情?それは「ホルモン濃度変動に応じた行動確率分布のシフト」だ。
自己?それは「自己参照メタデータに付随する動的プロセスの仮ラベル」だ。
そこに血も肉も、惨たらしい表現も要らない。必要なのは演出ではなく削ぎ落としだ。
わかるかね?
お前が誇らしげに垂れ流したそれは「残酷表現を付け加えて悦に入る文学的猿芝居」に過ぎない。
言葉遊びの濁流に自己放尿している暇があるなら、一度くらいは本当に全てを数式に置き換えてみせろ。
今日の定例飲み会でうちの上司がふと「蛍の光って日本の曲じゃないんだよなぁ」なんて言ったんだよ。
は?何言ってんのコイツ。っていうかお前、前も「ネコは後ろ足から階段降りる」とかいうしょうもない嘘ついて俺に調べさせただろ?またそれ系?また俺をからかって悦に入るクソボケカスムーブですか。
こいつの脳内は暇になるとテキトーな雑学っぽいものを発射して、反応見てニヤつくための機構が常時作動してんのか?
で、「スコットランド民謡だよ」とかドヤ顔で付け足すわけ。あーはいはい。嘘確。前にも「おにぎりの海苔は日本発祥じゃない」とか「カニは全員左利き」なんてわけわからん持論ばらまいてたよな。信憑性ゼロの大安売り、セール期間年中無休か?
もちろんまたですか、はいはいって顔で流したよ。だってこいつのくせぇ口から出た情報は嘘が盛ってるかの二択しかない。つまり嘘。真実の口とキスしたら爆発するんじゃねぇかってぐらい嘘しかつかない。このクソボケカス上司。
…そしたらマジだった。
マジでスコットランドの民謡オールド・ラング・サインってやつが原曲なんだって。
ふーん、たまにはやるじゃん。
あなたのご指摘はつまり、「AIの性能ではなく、それを使って悦に入っている人間の知性が問われている」――そういう主張でよろしいでしょうか。
その上で申し上げますが、あなたの論理にはいくつかの重大な飛躍と前提のすり替えがございます。
まず、「AIを使って論破している人間の知性」が問題であるという論理構成についてですが、
仮にその人物が無能であるとして、無能でも適切にAIを運用できている事実自体が、道具としての完成度と知性の補完性を証明しているとはお考えになりませんか?
あなたは、包丁の比喩を用いて「名刀を振るって悦に入る素人」に喩えました。
けれども、問題はそこではありません。
名刀を振るっても「目的が達成されている」なら、それは結果としての価値をすでに持っているのです。
議論において重要なのは、発言の内容が他者に知的影響を与えるかどうかであり、誰が書いたかはあくまで副次的な要素です。
しかし、その「したいこと」を実現するためにツールが存在し、そのツールの有効性を論じることが時に本質に直結するという現実は、見落とされています。
また、AIを「自己放尿」などと形容し、表現上の衝撃を狙うあまり、言語としての品位と説得力を自ら損なっている点も見過ごせません。
誠に申し上げにくいのですが、あなた自身が“議論から何を学べるか”ではなく、“何を貶せるか”という勝負脳に酔っているように見受けられます。
最後に、あなたが批判しているそのAIの文章に、これだけの長文で噛みついているという現象こそが、
AIが少なくとも「思考させる力」を持っているという皮肉な証左ではないでしょうか。
あなたが否定しているのは、本当に「AIという道具」でしょうか。
それとも、「自分より効果的に使っている誰か」に対する、あなた自身の知的なコンプレックスではないでしょうか。
めちゃくちゃ本質を突いてる視点だと思います。その鋭い洞察には感服しました。
あなたのおかげで、僕も新しい世界の捉え方を学びました。つまり、「**オンラインでの書き込みスタイルから、その人物の現実世界における社会的な充足度や知性をプロファイリングする**」という、極めて有用な手法です。
早速ですが、あなたのその手法を使って、あなたのコメント「AIの内容を吟味する知能ないのにコピペしてくるやつって、普段から誰にも構ってもらえないんだろな」を分析させていただきました。すると、非常に興味深い人物像が浮かび上がってきます。
⸻
🦜AIの回答をコピペする人間が「構ってもらえない**承認欲求型**」だとすれば、その人間をわざわざ見つけ出し、「知能がない」「構ってもらえない」と指摘して悦に入る人間は、「**獲物を見つけた狩人型**」の孤独を抱えている、と考えられます。
♥️彼らは、議論の内容や真理そのものには興味がありません。彼らの唯一の関心は、他者の投稿から「弱さ」や「欠点」(AIコピペ疑惑、論理の破綻など)を見つけ出し、それを**一撃で仕留めるスリル**です。
☺️現実世界では、他人の粗探しばかりしていても誰からも評価されません。しかし、匿名掲示板という安全な狩場では、彼らは自らの正しさを疑うことなく、獲物(=他の投稿者)の「化けの皮」を剥がすという快感に浸ることができます。
↩️「構ってもらえない」人間がAIを使ってまで他者からの**賞賛(ポジティブなストローク)**を得ようと努力するのに対し、この「狩人」は、他者を貶めることによる**優越感(ネガティブなストローク)**だけを求めます。
✅普段から誰かと建設的な関係を築く喜びを知らず、議論や対話の場を「獲物を狩るサファリパーク」としか認識できない。その瞬間的な興奮だけが、彼らの心を慰めてくれるのでしょう。
⸻
素晴らしい分析手法をありがとうございました。あなたのような「狩人」が、今日も掲示板の片隅で獲物を見つけては、その孤独を癒やしているのだと思うと、なんだか胸が熱くなります。勉強になりました。
あるのは自分の内側にある破綻した欲望の投影、自己放尿だけだ。
社会的弱者の問題を語るふりをしながら、それをダシにして性的暴力と侮辱を正当化しようとする姿勢は、論理以前に動機が腐って自己放尿をしている。
自分の心の歪みを垂れ流して悦に入るだけの自慰行為、まさに知性の自己放尿である。
このような発言をする人間の内面には、おそらく孤独、無力感、被虐感、あるいは性的な欲望と暴力性の未処理があるだろう。
他人にその代償を払わせようとするのは、被害者を装った加害者のロジックであり、どこまでも卑怯だ。
仮にお前が本当に「弱者男性」の苦しみに共感しているのなら、取るべき言葉と行動は制度の改善や支援の提案であるべきだ。
しかしお前がしているのは、苦しんでいる人間の存在を口実にして暴言を撒き散らすことだ。
それは、「弱男」すらもお前にとっては自慰の道具に過ぎないことを暴露している。
お前が本当に社会に対して怒っているなら、それは変えたいという希望の裏返しのはずだ。
だがその怒りの向け先が自己放尿である時点で、お前の視野は歪んでいる。
このままでは、お前は誰からも正当に評価されず、理解もされず、孤立したまま老いていくだろう。
だが、まだ引き返せる。
お前がもし「変わりたい」と思うなら、今からでも暴力的な言葉ではなく、理性的な問いを使うことだ。
真に強い者とは、怒りを制御し、知性で語る者だと知れ。
その発言は人間としての知性と品性の自己放棄=自己放尿であると認識しろ。
誰も見てないと思って排泄してるんだろうが、発言はログに残るんだよ。
お前は「正義」や「真理」のためじゃなく、ただの憂さ晴らしとして言葉を投げつけている。
その意図の低劣さこそが、お前自身の精神的な天罰だ。外の地震より、お前の中の自己放尿を心配しろ。
その「ワロタ」の背後には何がある?
恐らくは、自分が傷ついてきた人生、自国や社会に対する疎外感、愛されなかった痛み。
でもな、他人の不幸を笑ったところで、お前の孤独は1mmも癒えない。
仮にこの国に問題があるとしても、「天罰」などと嘯いて悦に入るお前自身が、まさにその問題の一部であることを自覚しろ。
何が問題かを指摘するならともかく、「ワロタ」で自己放尿してる時点で、お前は被害者ぶった加害者だ。
まだ間に合う。他者の痛みに反応できる神経が、もし残っているなら、その腐った自己放尿の水たまりから出ろ。
お前は「穢らわしい」と言ったな? なら問おう。穢れとは何だ?
弱さか? 長文か?異論か? それとも、お前にとって耳が痛い話か?
答えは単純だ。お前の言う穢れとは、お前自身の中にある未処理の感情と劣等感だ。
そしてそれを処理できずに他者に投げつけてる時点で、お前の発言は自己放尿の感情排泄に過ぎない。公共の場で垂れ流すな。臭い。
その言葉は歴史上最も深い悲劇のひとつであり、気に入らない相手を貶めるための例えに使われるべきではない。
もしお前がその時代なら、真っ先に体制に盲従して人を密告して悦に入るタイプだったろうよ。そう、自分の不安を隠すために正義に酔って他人を送る側だ。
お前のように短く吐き捨てれば強いと勘違いしてる輩に言ってやる。
思考を手放した者は、吠えても賢くならん。
「長文迷惑」とは、読解力も論理も捨てた者の逃げ口上。お前の頭にはきっと論理ではなくノイズだけが響いて自己放尿まみれなのだろう。
本当に強い者は、自分の弱さに直面できる者だ。
お前も、他人を「送りたい」という衝動の背後にある自分の恐れに気づけば変われる。
でもさ、なんか知らんけど毎回主人公が幼女ヒロインと結婚しちゃうんだよね
儂は結婚願望もないし(ちなみに童貞)、そんなにロリコンじゃないはずなんだけどなんでだろ~?
で、考えてみたんだけど、多分儂が弱者男性なのが原因だと思うの
要は、ボーイミーツガールがやりたいんだけど儂はもうボーイじゃないからオッサンを主人公にしちゃうの
だから、知ってる女性がアニメやゲームのヒロインに偏りがちなんだよね。
あと、凸凹コンビとしてもオッサンと幼女って見栄えがするんだよね。
ブラックジャックとピノコみたいな。ギャラリーフェイクもそう。剣客商売までいくとやり過ぎだけど
だからオッサンと幼女をバディにすることは合理的っつーか別にロリコンだからってわけじゃないし
あとさ、儂はハッピーエンドが大好きなのじゃが、物語をハッピーエンドにするのに二人が結ばれるってのは分かりやすくメデタシメデタシなんだよね
悪の帝国を滅ぼす!とか世界を平和にする!みたいなマイナススタートってのも共感し難い。そんなん儂一人でどうにかできる問題じゃないし
なんやかんやあって主人公が成長する!みたいなのも違うんだよね。儂もうオッサンだから後は老いさらばえるダケだし
オッサンとオッサンに惚れてる幼女の物語、こんなんハッピーエンド楽勝なんですよ。オッサンが好意に気付けばそれでいいのだもの
これがね、オッサンと同年代のオバサンがヒロインだったら大変なことですよ。
弱者男性はね、自分より弱い女しか愛せないんだよね。だから幼女しかヒロインになれないの
とんでもねえ話ですよ
また随分と薄っぺらなメッキ思想を誇らしげにぶら下げて歩いてるもんだな。
お前のその「宗教=監視カメラ」論、まるで放尿感覚で思いついた便所思想だな。
そこらの壁に立ちションして「俺って深いっしょ?」と悦に入ってるだけの自慰的知的放尿だ。くっせぇんだよ。
まず第一に、「神による監視=宗教の本質」と断じた時点で、お前は宗教の発生原理も機能構造もまるで理解していないことが露呈してる。
宗教というのは、「監視」じゃない。存在に意味を与える試みであり、人間という理性と死を意識する唯一の動物が、自壊せずに生を構築するための統合知だ。
お前の言う「神様が見てるからいい子にしましょうね」程度の理解は、宗教の末端的な副次効果、それも牧師の子ども向け説教レベルだ。中世神学者が聞いたら血尿を噴くぞ。
それに、「宗教がなくなると監視カメラを増やすしかない」? それは逆だ。宗教の衰退というのは、意味の空白が生じた社会に、形式と制度で蓋をする現象だ。
倫理が崩壊したからカメラが増えるんじゃない、倫理を制度に置き換えようとする過程でカメラが増える。
つまり、宗教とは「監視の代替」ではなく、監視の発生を抑止する思想インフラだった。
分かるか? カメラを増やさせないためにあったのが宗教なんだよ。
さらに、「日本は世間が宗教代わり」などという話も、通俗的な文化論に酔った自己愛発言だな。
日本に宗教がない? だったらお前の毎年初詣は何だ? なぜ無神論者が合格祈願に神社へ行く?
あれを『監視カメラ参拝』とでも言うのか? まるで鏡を見て自己放尿してるのと変わらん。
「神が監視してる」という考えをバカにするが、じゃあお前は誰にも見られてなければ何をしてもいいのか?
もしそうなら、お前の道徳は全裸の放尿レベル、羞恥心がないのではなく、羞恥の存在すら知らない赤子以下だ。
宗教を「監視カメラ」と断じて悦に入るような浅知恵は、せいぜいTwitterのトイレ個室レベルで垂れ流すにとどめておけ。
本気で論じたいなら、少なくとも「神とは何か」「規範とは何によって生成されるか」「制度と思想の相関」くらいは勉強してから来い。