
はてなキーワード:恰好とは
二三年前の夏、未だ見たことのない伊香保榛名を見物の目的で出掛けたことがある。ところが、上野驛の改札口を這入つてから、ふとチヨツキのかくしへ手をやると、旅費の全部を入れた革財布がなくなつてゐた。改札口の混雜に紛れて何處かの「街の紳士」の手すさみに拔取られたものらしい。もう二度と出直す勇氣がなくなつてそれつきりそのまゝになつてしまつた。財布を取つた方も内容が期待を裏切つて失望したであらうから、結局此の伊香保行の企ては二人の人間を失望させるだけの結果に終つた譯である。
此頃少し身體の工合が惡いので二三日保養のために何處か温泉にでも出掛けようといふ、その目的地に此の因縁つきの伊香保が選ばれることになつた。十月十四日土曜午前十一時上野發に乘つたが、今度は掏摸すりの厄介にはならなくて濟んだし、汽車の中は思ひの外に空いて居たし、それに天氣も珍らしい好晴であつたが、慾を云へば武藏野の秋を十二分に觀賞する爲には未だ少し時候が早過ぎて、稻田と桑畑との市松模樣の單調を破るやうな樹林の色彩が乏しかつた。
途中の淋しい小驛の何處にでも、同じやうな乘合自動車のアルミニウム・ペイントが輝いて居た。昔はかういふ驛には附きものであつたあのヨボ/\の老車夫の後姿にまつはる淡い感傷はもう今では味はゝれないものになつてしまつたのである。
或る小驛で停り合はせた荷物列車の一臺には生きた豚が滿載されて居た。車内が上下二段に仕切られたその上下に、生きてゐる肥つた白い豚がぎつしり詰まつてゐる。中には可愛い眼で此方を覗いてゐるのもある。宅の白猫の顏に少し似てゐるが、あの喇叭のやうな恰好をして、さうして禿頭のやうな色彩を帶びた鼻面はセンシユアルでシユワイニツシである。此等の豚どもはみんな殺されに行く途中なのであらう。
進行中の汽車道から三町位はなれた工場の高い煙突の煙が大體東へ靡いて居るのに、すぐ近くの工場の低い煙突の煙が南へ流れて居るのに氣がついた。汽車が突進して居る爲に其の周圍に逆行氣流が起る、その影響かと思つて見たがそれにしても少し腑に落ちない。此れから行先にまだいくらも同じやうな煙突の一對があるだらうからもう少し詳しく觀察してやらうと思つて注意してゐたが、たうとう見付からずに澁川へ着いてしまつた。いくらでも代はりのありさうなものが實は此の世の中には存外ないのである。さうして、ありさうもないものが時々あるのも此の世の中である。
澁川驛前にはバスと電車が伊香保行の客を待つてゐる。大多數の客はバスを選ぶやうである。電車の運轉手は、しきりにベルを踏み鳴らしながら、併しわり合にのんきさうな顏をしてバスに押し込む遊山客の群を眺めて居たのである。疾とうの昔から敗者の運命に超越してしまつたのであらう。自分も同行Sも結局矢張りバスのもつ近代味の誘惑に牽き付けられてバスを選んだ。存外すいて居る車に乘込んだが、すぐあとから小團體がやつて來て完全に車内の空間を充填してしまつた。酒の香がたゞよつて居た。
道傍の崖に輕石の層が見える。淺間山麓一面を埋めて居るとよく似た豌豆大の粒の集積したものである。淺間のが此邊迄も降つたとは思はれない。何萬年も昔に榛名火山自身の噴出したものかも知れない。それとも隣りの赤城山の噴出物のお裾分けかも知れない。
前日に伊香保通のM君に聞いたところでは宿屋はKKの別館が靜かでいゝだらうといふことであつた。でも、うつかりいきなり行つたのでは斷られはしないかと聞いたら、そんなことはないといふ話であつた。それで、バスを降りてから二人で一つづゝカバンを提げて、すぐそこの別館の戸口迄歩いて行つた。館内は森閑として玄關には人氣がない。しばらくして内から年取つた番頭らしいのが出て來たが、別に這入れとも云はず突立つたまゝで不思議さうに吾々二人を見下ろしてゐる。此れはいけないと思つたが、何處か部屋はありませうかと聞かない譯にも行かなかつた。すると、多分番頭と思はれる五十恰好のその人は、恰度例へば何處かの役所の極めて親切な門衞のやうな態度で「前からの御申込でなければとてもとても……」と云つて、突然に乘込んで來ることの迂闊さを吾々に教へて呉れるのであつた。向うの階段の下では手拭を冠つて尻端折つて箒を持つた女中が三人、姦の字の形に寄合つて吾々二人の顏を穴のあく程見据えてゐた。
カバンをぶら下げて、悄々しをしをともとのバスの待合所へ歸つて來たら、どういふものか急に東京へそのまゝ引き返したくなつた。此の坂だらけの町を、あるかないか當てにならない宿を求めて歩き※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はるのでは第一折角保養に來た本來の目的に合はない、それよりか寧ろ東京の宅の縁側で咲殘りのカンナでも眺めて欠伸をする方が遙かに有效であらうと思つたのである。併し、歸ることは歸るとしても兎も角も其處らを少し歩いてから歸つても遲くはないだらうとSがいふので、厄介な荷物を一時バスの待合所へ預けておいてぶら/\と坂道を上つて行つた。
宿屋が滿員の場合には入口に「滿員」の札でも出しておいたら便利であらう。又兎も角も折角其家を目指して遙々遠方から尋ねて來た客を、どうしても收容し切れない場合なら、せめて電話で温泉旅館組合の中の心當りを聞いてやる位の便宜をはかつてやつてはどうか。頼りにして來た客を、假令それがどんな人體であるにしても、尋ねてくるのが始めから間違つてゐるかのやうに取扱ふのは少し可哀相であらう。さうする位ならば「旅行案内」などの廣告にちやんと其旨を明記しておく方が親切であらう。
こんな敗者の繰言を少し貧血を起しかけた頭の中で繰返しながら狹い坂町を歩いてゐるうちに、思ひの外感じのいゝ新らしいM旅館別館の三階に、思ひもかけなかつた程に見晴らしの好い一室があいてゐるのを搜しあてゝ、それで漸く、暗くなりかゝつた機嫌を取直すことが出來たと同時に馴れぬ旅行に疲れた神經と肉體とをゆつくり休めることが出來たのは仕合せであつた。
此室の窓から眼下に見える同じ宿の本館には團體客が續々入込んでゐるやうである。其の本館から下方の山腹にはもう人家が少く、色々の樹林に蔽はれた山腹の斜面が午後の日に照らされて中々美しい。遠く裾野には稻田の黄色い斑の縞模樣が擴がり、其の遙かな向うには名を知らぬ山脈が盛上がつて、其の山腹に刻まれた褶襞の影日向が深い色調で鮮かに畫き出されて居る。反對側の、山の方へ向いた廊下へ出て見ると、此の山腹一面に築き上げ築き重ねた温泉旅館ばかりの集落は世にも不思議な標本的の光景である。昔、ローマ近くのアルバノ地方に遊んだ時に、「即興詩人」で名を知られたゲンツアノ湖畔を通つたことがある。其の湖の一方から見た同じ名の市街の眺めと、此處の眺めとは何處か似た所がある。併し、古い伊太利の彼の田舍町は油繪になり易いが此處のは版畫に適しさうである。數年前に此地に大火があつたさうであるが、成程火災の傳播には可也都合よく出來てゐる。餘程特別な防火設備が必要であらうと思はれる。
一と休みしてから湯元を見に出かけた。此の小市街の横町は水平であるが、本通りは急坂で、それが極めて不規則な階段のメロデイーの二重奏を奏してゐる。宿屋とお土産を賣る店の外には實に何もない町である。山腹温泉街の一つの標本として人文地理學者の研究に値ひするであらう。
階段の上ぼりつめに伊香保神社があつて、そこを右へ曲ると溪流に臨んだ崖道に出る。此の道路にも土産物を賣る店の連鎖が延長して溪流の眺めを杜絶してゐるのである。湯の流れに湯の花がつくやうに、かういふ處の人の流れの道筋にはきまつて此のやうな賣店の行列がきたなく付くのである。一寸珍らしいと思ふのは此道の兩側の色々の樹木に木札がぶら下げてあつて、それに樹の名前が書いてあることである。併し、流石にラテン語の學名は略してある。
崖崩れを石垣で喰ひ止める爲に、金のかゝつた工事がしてある。此れ位の細工で防がれる程度の崩れ方もあるであらうが、此の十倍百倍の大工事でも綺麗に押し流すやうな崩壞が明日にも起らないといふ保證は易者にも學者にも誰にも出來ない。さういふ未來の可能性を考へない間が現世の極樂である。自然の可能性に盲目な點では人間も蟻も大してちがはない。
此邊迄來ると紅葉がもうところ斑に色付いて居る。細い溪流の橋の兩側と云つたやうな處のが特に紅葉が早いらしい。夜中にかうした澤を吹下ろす寒風の影響であらうか。寫眞師がアルバムをひろげながらうるさく撮影をすゝめる。「心中ぢやないから」と云つて斷わる。
湯元迄行つた頃にはもう日が峯の彼方にかくれて、夕空の殘光に照らし出されて雜木林の色彩が實にこまやかに美しい諧調を見せて居た。樹木の幹の色彩がかういふ時には實に美しく見えるものであるが、どういふものか特に樹幹の色を讚美する人は少ないやうである。
此處の湯元から湧き出す湯の量は中々豐富らしい。澤山の旅館の浴槽を充たしてなほ餘りがあると見えて、惜氣もなく道端の小溝に溢れ流れ下つて溪流に注いで居る。或る他の國の或る小温泉では、僅かに一つの浴槽にやつと間に合ふ位の湯が生温るくて、それを熱くする爲に一生涯骨を折つて、やつと死ぬ一年前に成功した人がある。其人が此處を見たときにどんな氣がしたか。有る處にはあり餘つて無い處にはないといふのは、智慧や黄金に限らず、勝景や温泉に限らぬ自然の大法則であるらしい。生きてゐる自然界には平等は存在せず、平等は即ち宇宙の死を意味する。いくら革命を起して人間の首を切つても、金持と天才との種を絶やすことは六かしい。ましてや少しでも自己觸媒作用オートカタリテイツク・アクシヨンのある所には、ものの片寄るのが寧ろ普遍な現象だからである。さうして方則に順應するのは榮え、反逆するものは亡びるのも亦普遍の現象である。
宿へ歸つて見ると自分等の泊つてゐる新館にも二三の團體客が到着して賑やかである。○○銀行○○課の一團は物靜かでモーニングを着た官吏風の人が多い。○○百貨店○○支店の一行は和服が多く、此方は藝者を揚げて三絃の音を響かせて居るが、肝心の本職の藝者の歌謠の節※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はしが大分危なつかしく、寧ろ御客の中に一人いゝ聲を出すのが居て、それがやゝもすると外れかゝる調子を引戻して居るのは面白い。ずつと下の方の座敷には足踏み轟かして東京音頭を踊つて居るらしい一團がある。人數は少いが此組が壓倒的優勢を占めて居るやうである。
今度は自分などのやうに、うるさく騷がしい都を離れて、しばらく疲れた頭を休める爲にかういふ山中の自然を索たづねて來るものゝある一方では又、東京では斷ち切れない色々の窮屈を束縛をふりちぎつて、一日だけ、はめを外づして暴れ※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はる爲にわざ/\かういふ土地を選んで來る人もあるのである。此れも人間界の現象である。此の二種類の人間の相撲になれば明白に前者の敗である。後者の方は、宿の中でも出來るだけ濃厚なる存在を強調する爲か、廊下を歩くにも必要以上に足音を高く轟かし、三尺はなれた仲間に話をするのでも、宿屋中に響くやうに大きな聲を出すのであるが、前者の部類の客はあてがはれた室の圍ひの中に小さくなつて、其の騷ぎを聞きつゝ眠られぬ臥床ふしどの上に輾轉するより外に途がないのである。床の間を見ると贋物の不折の軸が懸かつて居る、その五言の漢詩の結句が「枕を拂つて長夜に憐む」といふのであつたのは偶然である。やつと團體の靜まる頃には隣室へ子供づれの客が着いた。單調な東京音頭は嵐か波の音と思つて聽き流すことが出來ると假定しても、可愛い子供の片言は身につまされてどうにも耳朶の外側に走らせることの出來ぬものである。電燈の光が弱いから讀書で紛らすことも出來ない。
やつと宿の物音があらかた靜まつた後は、門前のカフエーから蓄音機の奏する流行小唄の甘酸つぱい旋律が流れ出して居た。併し、かうした山腹の湯の町の夜の雰圍氣を通して響いて來る此の民衆音樂の調べには、何處か昔の按摩の笛や、辻占賣の聲などのもつて居た情調を想ひ出させるやうな或るものが無いとは云はれない。
蓄音機と云へば、宿へ着いた時につい隣りの見晴らしの縁側に旅行用蓄音機を据ゑて、色々な一粒選りの洋樂のレコードをかけてゐる家族連の客があつた。此れも存在の鮮明な點に於て前述の東京音頭の連中と同種類に屬する人達であらう。
夜中に驟雨があつた。朝はもう降り止んではゐたが、空は低く曇つてゐた。兎も角も榛名湖畔迄上ぼつて見ようといふので、ケーブルカーの停車場のある谷底へ下りて行つた。此の谷底の停車場風景は一寸面白い。見ると、改札口へ登つて行く階段だか斜面だかには夥しい人の群が押しかけてゐる。それがなんだか若芽についたあぶら蟲か、腫物につけた蛭の群のやうに、ぎつしり詰まつて身動きも出來さうにない。それだのにあとから/\此處を目指して町の方から坂を下りて來る人の群は段々に増すばかりである。此の有樣を見て居たら急に胃の工合が變になつて來て待合室の腰掛に一時の避難所を求めなければならなかつた。「おぢいさんが人癲癇を起こした」と云つてSが笑出したが、兎も角も榛名行は中止、その代りつい近所だと云ふ七重の瀧へ行つて見ることにした。此の道筋の林間の小徑は往來の人通りも稀れで、安價なる人癲癇は忽ち解消した。前夜の雨に洗はれた道の上には黄褐紫色樣々の厚朴の落葉などが美しくちらばつてゐた。
七重の瀧の茶店で「燒饅頭」と貼札したものを試みに注文したら、丸いパンのやうなものに味噌※(「滔」の「さんずい」に代えて「しょくへん」、第4水準2-92-68)を塗つたものであつた。東京の下町の若旦那らしい一團が銘々にカメラを持つてゐて、思ひ思ひに三脚を立てゝ御誂向の瀧を撮影する。ピントを覗く爲に皆申合せたやうに羽織の裾をまくつて頭に冠ると、銘々の羽織の裏の鹽瀬の美しい模樣が茶店に休んでゐる女學生達の面前にずらりと陳列される趣向になつてゐた。
溪を下りて行くと別莊だか茶店だかゞあつて其前の養魚池の岸にかはせみが一羽止まつて居たが、下の方から青年團の服を着た男が長い杖をふりまはして上がつて來たので其のフアシズムの前に氣の弱い小鳥は驚いて茂みに飛び込んでしまつた。
大杉公園といふのはどんな處かと思つたら、とある神社の杉並木のことであつた。併し杉並木は美しい。太古の苔の匂ひがする。ボロ洋服を着た小學生が三人、一匹の眞白な野羊を荒繩の手綱で曳いて驅け※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)つてゐたが、どう思つたか自分が寫眞をとつて居る傍へ來て帽子を取つてお辭儀をした。學校の先生と間違へたのかどうだか分らない。昔郷里の田舍を歩いて居て、よく知らぬ小學生に禮をされた事を想ひ出して、時代が急に明治に逆戻りするやうな氣がした。此邊では未だイデオロギー的階級鬪爭意識が普及して居ないのであらう。社前の茶店に葡萄棚がある。一つの棚は普通のぶだうだが、もう一つのは山葡萄で紅葉してゐる。店の婆さんに聞くと、山葡萄は棚にしたら一向に實がならぬさうである。山葡萄は矢張り人家にはそぐはないと見える。
茶店の周圍に花畑がある。花を切つて高崎へでも賣りに出すのかと聞くと、唯々お客さんに自由に進呈するためだといふ。此の山懷の一隅には非常時の嵐が未だ屆いて居ないのか、妙にのんびりした閑寂の別天地である。薄雲を透した日光が暫く此の靜かな村里を照らして、ダリアやコスモスが光り輝くやうに見えた。
宿へ歸つて晝飯を食つてゐる頃から、宿が又昨日に増して賑やかになつた。日本橋邊の或る金融機關の團體客百二十人が到着したのである。其爲に階上階下の部屋といふ部屋は一杯で廊下の籐椅子に迄もはみ出してゐる。吾々は、此處へ來たときからの約束で暫時帳場の横へ移轉することになつた。
部屋に籠つて寐轉んで居ると、すぐ近くの階段や廊下を往來する人々の足音が間斷なく聞こえ、それが丁度御會式の太鼓のやうに響き渡り、音ばかりでなく家屋全體が其の色々な固有振動の週期で連續的に振動して居る。さういふ状態が一時間二時間[#「二時間」は底本では「二間時」]三時間と經過しても一向に變りがない。
一體どうして、かういふ風に連續的に足音や地響きが持續するかといふ理由を考へて見た。百數十人の人間が二人三人づつ交る/″\階下の浴室へ出掛けて行き、又歸つて來る。その際に一人が五つの階段の一段々々を踏み鳴らす。其外に平坦な縁側や廊下をあるく音も加はる。假に、一人宛て百囘の音を寄與コントリビユートするとして、百五十で一萬五千囘、此れを假に午後二時から五時迄の三時間、即ち一萬八百秒に割當てると毎一秒間に平均一囘よりは少し多くなる勘定である。此外に浴室通ひ以外の室と室との交通、又女中や下男の忙はしい反復往來をも考慮に加へると、一秒間に三囘や四囘に達するのは雜作もないことである。即ち丁度太鼓を相當急速に連打するのと似た程度のテンポになり、それが三時間位持續するのは何でもないことになるのである。唯々面白いのは、此の何萬囘の足音が一度にかたまつて發しないで、實にうまく一樣に時間的に配分されて、勿論多少の自然的偏倚は示しながらも統計的に一樣な毎秒平均足音數を示してゐることである。容器の中の瓦斯體の分子が、その熱擾動サーマルアヂテーシヨンのために器壁に反覆衝突するのが、いくらか此れに似た状況であらうと思はれた。かうなると人間も矢張り一つの「分子」になつてしまふのである。
室に寐ころんだ切り、ぼんやり此んなことを考へてゐる内に四時になつた。すると階下の大廣間の演藝場と思はれる見當で東京音頭の大會が始まつた。さうして此れが約三十分續いた。それが終つても、未だその陶醉的歡喜の惰性を階上迄持込[#「持込」は底本では「持迄」]んで客室前の廊下を踏鳴らしながら濁聲高く唄ひ踊る小集團もあつた。
「バスの切符を御忘れにならないやうに」と大聲で何遍となく繰返して居るのが聞こえた。それからしばらくすると、急に家中がしんとして、大風の後のやうな靜穩が此の山腹全體を支配するやうに感ぜられた。一時間前の伊香保とは丸で別な伊香保が出現したやうに思はれた。三階の廊下から見上げた山腹の各旅館の、明るく灯のともつた室々の障子の列が上へ上へと暗い夜空の上に累積してゐる光景は、龍宮城のやうに、蜃氣樓のやうに、又ニユーヨークの摩天樓街のやうにも思はれた。晝間は出入の織るやうに忙がしかつた各旅館の玄關にも今は殆ど人氣が見えず、野良犬がそこらをうろ/\して居るのが見えた。
團體の爲に一時小さな室に追ひやられた埋合せに、今度はがらあきになつた三階の一番廣く見晴らしのいゝ上等の室に移され、地面迄數へると五階の窓下を、淙々として流れる溪流の水音と、窓外の高杉の梢にしみ入る山雨の音を聞きながら此處へ來てはじめての安らかな眠りに落ちて行つた。
翌日も雨は止んだが空は晴れさうもなかつた。霧が湧いたり消えたりして、山腹から山麓へかけての景色を取換へ取換へ迅速に樣々に變化させる。世にも美しい天工の紙芝居である。一寸青空が顏を出したと思ふと又降出す。
とある宿屋の前の崖にコンクリートで道路と同平面のテラスを造り其の下の空間を物置にして居るのがあるのは思ひ付きである。此の近代的設備の脚下の道傍に古い石地藏が赤い涎掛けをして、さうして雨曝しになつて小さく鎭座して居るのが奇觀である。此處らに未だ家も何もなかつた昔から此の地藏尊は此の山腹の小道の傍に立つて居て、さうして次第に開ける此の町の發展を見守つて來たであらうが、物を云はぬから聞いて見る譯にも行かない。
晝飯をすませて、そろ/\歸る支度にかゝる頃から空が次第に明るくなつて來て、やがて雲が破れ、東の谷間に虹の橋が懸つた。
歸りのバスが澁川に近づく頃、同乘の兎も角も知識階級らしい四人連の紳士が「耳がガーンとした」とか「欠伸をしたらやつと直つた」とか云つたやうな話をして居る。山を下つて氣壓が變る爲に鼓膜の壓迫されたことを云つて居るらしい。唾を飮み込めば直るといふことを知らないと見える。小學校や中學校でこのやうな科學的常識を教はらなかつたものと思はれる。學校の教育でも時には要らぬ事を教へて要ることを教へるのを忘れて居る場合があるのかも知れない。尤も教へても教へ方が惡いか、教はる方の心掛けが惡ければ教へないのも同じになる譯ではある。
上野へついて地下室の大阪料理で夕食を食つた。土瓶むしの土瓶のつるを持ち上げると土瓶が横に傾いて汁がこぼれた。土瓶の耳の幅が廣過ぎるのである。此處にも簡單な物理學が考慮の外に置かれてゐるのであつた。どうして、かう「科學」といふものが我が文化國日本で嫌はれ敬遠されるかゞ不思議である。
雨の爲に榛名湖は見られなかつたが、併し雨のおかげでからだの休養が出來た。讀まず、書かず、電話が掛からず、手紙が來ず、人に會はずの三日間で頭の疲れが直り、從つて胃の苦情もいくらか減つたやうである。その上に、宿屋の階段の連續的足音の奇現象を觀察することの出來たのは思はぬ拾ひものであつた。
温泉には三度しかはひらなかつた。湯は黄色く濁つてゐて、それに少しぬるくて餘り氣持がよくなかつた。その上に階段を五つも下りて又上がらなければならなかつた。温泉場と階段はとかくつきものである。温泉場へ來たからには義理にも度々温泉に浴しなければならないといふ譯もないが、すこしすまなかつたやうな氣がする。
他の温泉でもさうであるが、浴槽に浸つて居ると、槽外の流しでからだを洗つて居る浴客がざあつと溜め桶の水を肩からあびる。そのしぶきが散つて此方の頭上に降りかゝるのはそれ程潔癖でないつもりの自分にも餘り愉快でない。此れも矢張り宿屋へ蓄音機を持ち込み、宿屋で東京音頭を踊るPermalink |記事への反応(0) | 18:19
「端っこ」とは、単なる両端のイレギュラーではない。それは、必然されど意図せず生み出される最高の特等席であり、選ばれし者のみが手にできる栄光である。
食べ物の「端っこ」は、真ん中とは一線を画す特異な美味しさを持っている。
カリッ、ザクッ!焼き菓子やパンの耳は、熱に最もさらされ、その結果、他にはない香ばしい歯ごたえを獲得する。このカリカリ感こそ、端っこ好きの特権である。
濃厚な味わいの凝縮!カステラや羊羹の切れ端には、蜜や素材の風味がギュッと閉じ込められている。真ん中の上品さとは違う、力強い素朴な美味しさがある。
具材の氾濫!巻き寿司や卵焼きの端っこは、具がはみ出さんばかりに詰まっている。この「不恰好だけどお得!」という豪快さが、心を躍らせる。
「端っこ」には、金銭的な価値を超えた、精神的な豊かさが詰まっている。
ひそやかなご褒美!店頭に並ぶ「切れ端」「お徳用」の文字を見た時の、あの胸の高鳴り!最高品質のものを、こっそり安価に手に入れられる喜びは、何物にも代えがたい。
選ばれし者の特等席! 混雑する電車内でたまたま座席の「端っこ」をゲットできた時の、小さな勝利感!その場所が、あなたにとって最も落ち着くプライベート空間になるのである。
そして「端っこ」は、いつも私たちに安心と調和を与えてくれる。
集合写真で端に寄りがち、トイレの端の個室に入る、といった習性からもわかるように、人は「端っこ」に身を置くことで、世界と適度な距離を取り、静かな安心感を得る。
決して華々しい中心にはないが、中心もまた端っこがなければ成り立たない。世界を完成させるためには欠かせない存在。その謙虚な役割こそが、端っこの持つ最も奥ゆかしい魅力である。
端っこで嫌なことはこの世に存在しない!ときどき観劇やライブで見えにくい指定席に当たった時くらいである!
かつて公立高校の教師をしていた。何年も前に辞めて、今は別の教育業に従事している。その頃の思い出が脳裏によぎることが最近よくある。どこかで書いたら心の整理がつくのではと思った。
なお、この日記は身バレ防止のために、ChatGPTにお願いして文体を変えている。鼻に付く文章があれば申し訳ない。
これから書くのは、最後に赴任した高等学校でのことだ。実は普通の高校ではない。訳アリの子が通うための高校だった。
いわゆる、事情がある子というのがいて、全日制の高校に進学するとか、通い続けるのが難しい。そういう子が通うための学校である。仮にポジティブ学園としよう。
3部制を採用していて、午前・日中・夕方以降の3つの中から、自分にとって都合のいい時間帯を選んで履修できる。早い子だと、普通の高校生のように3年で卒業する。
制服か私服か、自由に選ぶことができる。アルバイトができるし、メイクもピアスも全て大丈夫。髪染めもOKで、ピンクや青髪で学校に通う子もいる。
ここに来る前、私は全日制の高校にいた。地元では人気のあるところだった。毎年冬にある推薦入試の倍率は20倍を超える。そういう学校である。人口だと約40万人が在住する地域だったが、その中でもトップに近いところだった。
真面目な生徒たちに囲まれてたと思う。彼らは偏差値の話もしていたけど、それ以外にも部活動とか友達との交流とか、文化祭・体育祭など、とにかく人としての「生きる力」というか。そういうのに溢れていた。
当時の私は、まだ30代のヒラ教師だった。それが高校生のあるべき姿だと思っていた。学業が一番で、余った時間で部活動その他の自己を高める活動に取り組むのだ。
だが、ポジティブ学園に赴任して、現実を思い知らされた。自分がこれまでに教えてきた生徒らは、いわゆる上澄みというやつだった。毎日学校に通学して、学業や部活動や趣味に打ち込むことができる時点で、高校生としては相当できる方である。
今でも思い出す。ポジティブ学園に通う生徒らは……教室の隅でうつむく子や、理由をつけては学校を休む子。授業など聞く気すらない子、授業中に堂々を飲み食いする子。なんというか、彼らには当時の県教委が教育の柱としていた理念のひとつ、「生きる力の醸成」が通用しなかった。
そうした生徒たちに、私は何もしてやれなかった。何をしたらいいのか分からなかった。ただ毎日、教科書に従って授業を進めるだけ。彼らに対して指示や指導をすることはあったけど、そもそも内容を理解できてるかも怪しい。
一応、入学試験はあるのだが、実質的に全員合格させるスタイルだった。普通の高校に行けない子――そういう子のための最後の受け皿としての役割を、ポジティブ学園は担っていた。
最初に話したとおり、ここは「訳アリの子」が通う学校である。不登校経験者とか、昼間は家業を手伝う子とか、家計を支えるために夜働いている子。様々な事情を抱えて、全日制のレールから外れることになった生徒たちが、自分のペースで学び直す場所だ。
赴任の初日、当時の校長は私に言った。「ここは、生徒たちが『それでも学びたい、高校生をしたい』と選んでくれた場所です。先生の役目は、彼らの気持ちを全力で応援することです」ってさ。
さっきと矛盾するようだが、生徒たちはひたむきだった。普通の高校生と一緒で、やる気のある子はいるし、そうでない子もいる。昼間の授業中、うるさい教室の中でも真剣にノートをとる生徒とか。放課後になると、「じゃあ働いてくる~」といった感じでアルバイト先に向かう子もいた(ほぼ金髪の子だった)。
夜間部の教室だと、疲れ切った顔で教科書と向き合う生徒もいた。全日制の「普通」とは違うけれど、彼らには彼らの「普通」があった。
赴任してから次の年度、就職指導を担当することになった。人生初経験である。私は民間企業で被服の営業の仕事をしていた。泥臭い仕事を約十年やっていたということで、白羽の矢が立ったのだと思われる。
これまでの学校では就職する子や、専門学校に行く子は稀だった。仮にいたとして、実際なんの指導も必要なかった。受け入れ先の企業も「なんでこの学校の子が……」といった顔パスに近い扱いだった。
履歴書の書き方一つとってもそうだ。社会人でいうところの空白期間。不登校だったとか、全日制の高校を中途退学したとか、中学卒業してからフリーターだったとか、あるいは何もしてなかったとか。
そういう経歴を書く場面になると、彼ら彼女らは詰まってしまう。無理もない。これまで何度も、そのことで心を痛めてきたのだから。
私は履歴書を読み直す度に、「君の経験は無駄じゃない。乗り越えた証拠なんだ。学校、来てるじゃないか!」と声をかけた。最初は疑いの眼差しだった生徒たちも、次第に心を開いてくれるようになった。心を開いてくれない子もいたけど、それは致し方ないのだ。
私は教師だから、「いつかは通じるはず。別に今じゃなくても、数年後だっていい」と思って就職指導をした。
秋のある日。就職関係のイベントがあった。「○○圏域 企業と学校の交流会」みたいな名称だった。これは、企業と学校(大学、専門学校、高等学校、専修学校その他もろもろ)のそれぞれの担当者が各ブースで話し合いの場をもつというものだ。
企業からは採用担当者が、学校からは就職支援の担当者が出席する。参加団体は企業だけでも100社を超えていた。学校からは、その地域の学校という学校はほぼすべて出席していた。
ここに、私と校長の2人で出かけた。目的は、企業の方々にポジティブ学園を知ってもらうこと。うちの学校にはただでさえ偏見が多い。少しでも解きほぐす必要がある。
たくさんの企業ブースが立ち並ぶ中、それこそ時間が許す中、多くの企業ブースに足を運んだ。校長自らが話をしていた。約十分ごとに挨拶から始まって、学園の概要説明、どういう子がいるかや、これまでの就職実績など。
そして、いつも最後に、「わが校には、難しい状況にある子が通っています。それは事実です。そういう状況でも、彼らは自分の道を切り開く努力をしています。面接の際に見かけましたら、どうぞよろしくお願いします」と相手先企業に伝えるのだ。
企業の反応は……まあ、社交辞令みたいな感じだった。「わかりましたよ、でもうちの会社の採用対象かどうかはねぇ」という表情だった。
そういう反応になるのも無理はない。ポジティブ学園は、県道沿いの大きな平地にある。昔は地域の伝統校が鎮座していた。少子化で別の学校と合併になり、校舎が空いたところに県教委がポジティブ学園を創設した。
例えば、毎朝の登下校時、いや昼以降の登下校時でもそうなのだが……校舎前の県道には、ダボっとした私服で、髪を染色していて、ひと昔前の不良漫画(今時でいうと薫る花は凛と咲く)の雰囲気を漂わせた未成年が闊歩している。初めてその光景を見る人からすると、「そういう高校なんだ……」という感想になる。
だから、企業担当者がうちの学校に対してそういう態度になるのは、ある種の必然だと思っていた。偏見を持たれてもしょうがないって、当時30代半ばだった自分は感じ取っていた。
そうでない企業もあった。社交辞令とかじゃなくて、真剣にこちらの話を聞いてくれる。というか、むしろ聞きたいという恰好で話に臨んでくれる。
半導体装置を作っている会社がそうだった。その時も、校長は満面の笑みで相手方の採用担当者に熱心に話をしていた。
「○○さんは、福山を代表するハイテク企業でいらっしゃる。我が校にも理系の才能を持つ生徒がたくさんいるんです。どうか、偏見なく見てやってください」
そしたら採用担当者は、少し戸惑った表情になって、「私達を馬鹿にしないでください。もちろんですよ(^^)」と答えてくれた。
それから数年か後のこと。ポジティブ学園の進路実績だが、創立当初からずっと変化はなかった。大学進学者だと地元にある限りなくボーダーフリーに近いところか、地元の専門学校、地元の民間企業だった。そもそも、ここまでたどり着ける子自体が少ない。入学した子のうち1/3以上は中途退学してしまう。
その年のことはよく覚えている。3年生に1人の生徒がいた。名前は仮にケンタとする。プログラミングが好きな子だった。授業中も休み時間も、ずっとPCの画面とにらめっこしていた。授業中にも堂々と副業的なことをしていたが、単位は取っているので見逃していた。
ケンタは、数学や情報処理の成績が抜群だった。数学の問題でも、いつの間にか自分で勝手にアレンジして、勝手に問題を解くようなプログラムを組んだこともあった。
それを友人に共有しようとしたが、難しい様子だった。能力・興味的な部分もあるし、自分だけのノートPCを持ってる子が少ないのもある。
ケンタは中学校の時は不登校だったらしい。原因は、特定の誰かからいじめられたわけではなく、「教室という空間がなんか違うと思った」からだと言う。
大人だったら「息苦しい」ということになるのだろうか。全日制の高校には行きたくないと、自らこの学校を選んだ。
私は、彼の才能を埋もれさせてはいけないと思った。彼とは幾度となく話をしたけれども、ただ生きにくい性格であるだけで、才能はあるのだ。
私は就職戦線が始まる直前にケンタを呼んだ。「この会社を受けてみないか?」と誘ってみた。さっき上の方で話した半導体装置の会社である。半導体以外にも、ディスプレイや機械制御装置も手がけていた。
ケンタは驚いたような、呆れたような様子だった。「知らない会社ですけど、半導体には興味ありますけど、無理だと思います」と言ってた。
「お前はできる。この会社は理系の才能を求めてるし、才能を正当に評価してくれる」
と言うしかなかった。実際、私の出身地域では評判の高い企業だったし、2025年現在では全国的に知名度のある企業にまで成長している。
強引に進めるしかないと思った。何しろ、ケンタは卒業後の進路を決めてなかった。とりあえず先延ばしにしている印象だった。
そこで、ケンタをどうにか説得して、彼の履歴書を添削して、推薦状も書いた。履歴書には、不登校だった過去も、ポジティブ学園を選んだ理由も正直に書かせた。彼のプログラミングに対する情熱を備考欄にこれでもかというほど書き連ねるようにした。
面接練習のとき、ケンタは口ごもることが多かった。相手の目を見て話すことが苦手だった。コミュニケーションが苦手なタイプ。正直、公式な場での会話が難しい子だと思う。
けれど、たどたどしい感じになっても、自分の思いはちゃんと伝えてくる子だった。
「大丈夫だ。プログラミングの話になったら、お前はきっと大丈夫」
※AtCoderで最高位に近い色だった
私はそう言って、彼を送り出した。自分には確信があった。あの会社は、肩書きや学校名じゃなくて、実力で人を判断する会社だと。あのイベントの時、うちの校長の言葉に耳を傾けてくれたんだって。
約一か月後、職場に電話がかかってきた。あの会社の採用担当者からだった。胸がざわついた。
以下、話の内容である。言葉の感じも、当時の手帳を元に大体そのままにしてある。
「あの、ケンタ君の件で、社内で検討を重ねた結果、今回は採用を見送らせていただくことになりました」
「なぜですか?」
「プログラミングのスキルは、正直高いです。うちの主任技術者も高く評価しました。ただ……」
※この時私は、苛々とともにペンをカチカチしていた
「ただ、入社後のサポート体制を考えた際にですね。彼が当社の環境に馴染むことができるか、という点に懸念が残りました。不登校経験があるということも、正直に申しまして、入社後のメンタル面のリスクを拭い切れませんでした」
「それは、偏見ではないのですか?」
言ってしまった!と心の中で後悔した。先方の声が少しだけ硬くなった。
「そう言われても仕方ないかもしれません。しかし、会社の事情があります。我々もギリギリまで議論を重ねました。安易な気持ちで彼を採用して、もし彼が再び辛い思いをすることがあれば、それはお互いに不幸です。今回は本当に申し訳ありません」
電話が切れた後は、多分……しばらくボーっとして、職員室の椅子に座ったままだった。
あの時はこう思った。やっぱり、ポジティブ学園の子はそうなんだ。どんなに才能があっても、過去のレッテルから逃れられない。あの日イベントで抱いた期待を裏切られた気がした。
だが、その後の日々で、冷静になって考えてみた。
採用担当者の言葉に嘘はなかった。彼らは、私が抱えていた不安を彼らなりの言葉で伝えてくれただけだ。
採用すれば良いというわけじゃない。無理に引き受けて、彼の心の傷をさらに深くしてしまうかもしれない。
そう考えたとき、彼らの不採用という決断は、ある意味、生徒のことを真剣に考えてくれた結果なんだと思った。
むしろ、偏見だと決めつけて、彼らに向き合わなかった私の方が……傲慢だった。
ケンタに不採用の知らせを伝えると、しばらく沈黙が続いたっけ。
「そうですよね~僕みたいなのが、あんな会社は無理ですよね」ってケンタが言うと、心にグサッときた。
「ごめん」としか言えなかった。生徒に謝る事態なんて、教師として三流以下だと思った。
ここまでがポジティブ学園での思い出である。それからケンタは、遠方にあるコンピューターの専門学校に進学した。私が様々な方向性を提案して、ケンタと話をした結果、彼が自ら考えて決断したのだ。
ケンタが高校を卒業して、何年もの月日が経った。最初のうちは、メールで年に何度か近況報告をもらうこともあった。プログラミングがやっぱり楽しくて、大会にも出場しているといったことだった。
やがて、やり取りをすることもなくなった。それは彼がナニカに集中するようになったからでは、と心の中で期待していた。やがて、ケンタのことを思い出すこともなくなった。
ある日、一通のメールが届いたのだ。ケンタから。内容は、就職先の内定のことだった。「報告があるのですが、○○(※あの半導体の会社)に内定をもらいました」という端的な文章だった。
「うわっ!」と、思わず声を上げてしまった。その端的な文章の下に、いろいろと書き連ねてあった。彼らしく、無駄が一切ない文面だった。
要約すると、専門学校で就職インターンシップに申し込む際、事前説明会があったとのこと。参加した時、人事の方に「ケンタ君だよね?ポジティブ学園の」と声をかけられたという。
「あの時の採用担当者の方が僕のことを覚えてました。『あの時よりも自信に満ち溢れている』って言われました。」
「専門学校で、僕はプログラミングのスキルだけじゃなくて、コミュニケーション能力も、人との関わり方も学びました。飲食店でアルバイトもしました。おかげで、あの時よりも、面接で自分の言葉でしっかり話すことができたんです。あの時、もし会社に受かっていたら、僕は挫折していたかもしれません。…(中略)…でも、先生が僕の可能性を信じてくれたから、僕を諦めなかったから、頑張ることができた。本当に、ありがとうございました」
キーボードを触りながら、返信しようと思いつつも、手が震えてうまくできなかった。
私はあの時、半導体の会社を偏見で判断した。ポジティブ学園の子だから、そういう目で見たんだろうって。そして、生徒の可能性を信じきれず、不採用という結果に囚われた。
でも、本当にケンタに向き合ってくれたのは、彼らの方だった。再認識させられた。成長したケンタを、あの人達は今度もまたちゃんと見て、採用という判断をしてくれた。それだけだ。
ここで結びにする。
あの学園にいた時は、生徒たちの「訳アリ」の部分に目がいってしまうことがあった。でも「訳アリ」なのは、過去の物語によって起きた結果にすぎない。彼らは皆、自分の人生を懸命に生きている。できる子がいたし、できない子もいたけど、未来に向かって進もうとしていた。
私はもう学校教諭ではない。けど、あの頃は就職指導の先生としてだけじゃなく、人として彼らの未来を信じて背中を押し続けたつもりだ。
自分は応援団のひとりに過ぎないと思っていた。でも、応援された生徒は、やがて自分で未来のことを考えて、切り開こうとチャレンジする。そういう人になってほしいと願っていた。
今は、別の形ではあるけど、若い人にものを教えている。学校と違って、純粋に実務上の知識や技術を教える仕事である。
これからも、誰かの未来を応援し続けようと思っている。それが、訳アリの子の就職指導をしてきた、自分にできる使命なんだと思ってる。
可愛いロリータ服、美しいドレスをおじさんが着たって別に構わないが、せめてプロトコルは守っていただきたい。
男体・女体の体形の問題ではなく、女の服には男の服とは違うプロトコルがある。
これを破っていると、たとえ顔が可愛く華奢で可愛い女が可愛いロリータ服やドレスを着ていようがプロトコル違反なのである。
ふんわりレースにもじゃもじゃのすね毛や胸毛は似つかわしくないし、スリットの深く入ったドレスから突き出す脚に立派なすね毛が生えそろっていてはあまりに似合わない。
女でもムダ毛処理をしないでそんな着こなしをしていれば眉を顰められる。
ふわふわロリータ服なら合わせてお人形のような目鼻だちに近付けるメイクにするし、タンゴの発表会のようなバチバチに決めたドレスなら、顔も髪も負けないように作るのである。
主役は人であるが、せっかく選んだ素敵なお召し物を台無しにしてはもったいない。
ヒゲクマ系ムキムキおじさんが可愛い服を着ているのが良い? それは性癖である。一般的な服飾のプロトコルではない。
そして最後に動き。
素敵な恰好をしておきながら、そこらにだらしなくヤンキー座りしたり、ガニ股で脚をかっぴろげて座ったりビールを飲んでゲップをするなどもプロトコル違反である。インシデントである。
普段着ならいざ知らず、可愛いや綺麗などちょっと特別な物を着る場合は、服に合わせた顔や髪型、装い、動きをするのがプロトコルである。
この意識を持つだけで全く違う。
意外にもこのプロトコルの守り方が見事なのがマツコ・デラックスである。
ローブのような服に化粧は意外にもしっかりメイクで、アップになっても青髭など小汚なさがない。
手や指にムダ毛も見当たらない。
基本姿勢は手は身体の前で、裾を蹴立ててどガニ股でどかどか歩くでもない。
体形はふくよかであるが、トータルで「あーいうおばちゃん居る」のラインに収まっていて見事である。
マツコ氏の場合は女装なので男が男として可愛い服や綺麗な服を着たいという向きとは異なるが。
おじさんやおじいさんやお兄さんが何を着てもいいのだが、お召し物の選択肢のひとつとして現在は女物とされている可愛い服や綺麗な服を選ぶのならば、女がやっていても「げっ」と思うようなプロトコル違反はしないよう心掛けていただければと思う。
田村麻呂も麻呂ってついているから白粉つけて独特の眉描いてお歯黒つけている恰好をしていたのかどうか?今やっとそこが疑問たりうることに気づいて気になった自分は頭悪いんだろうねえ。
多分ほとんどの人は習った瞬間にそこに一瞬で思い至ったうえでどうでもいいやと無視するだけ。
-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20250831180654# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaLQQswAKCRBwMdsubs4+SFDwAQDEmCOAr/yWO7M8IH/kthdaDTq0AfCTVDuJ/HAlCZVmqwEA9MDBofN54IwTVQCt0M+WyanEYambMXpXb84kt89ctgY==l1w/-----ENDPGP SIGNATURE-----
なんだか同じジャージを着ている人がたくさんいるとうれしくなっちゃうのか、乗車マナーはいいとはいえませんな。
昔大阪で甲子園球場にいくときのファンもあんな感じでしたが、一駅くらいです。
途中から乗ってくるファンも乗車位置を知らせて合流しようとしているのか、降りる人などいても無視で乗り込んできます。
大阪のように阪神がメジャーな応援対象であるところと違って京王線は一般のひとがほとんどで、サッカーの応援のためにのるひとは一部です。
ぜひとも盛り上がるのはスタジアムについてからにしてほしいものです。あと試合のあとはできればジャージは着替えてから乗ってほしいのですが、、、
いろいろな意味で。
試合に来る時の電車も普通の恰好できて、味の素スタジアムについてからジャージーは上からかぶればいいんじゃないかともおもったりしますが。
繰り返しますが、阪神のファンが甲子園に向かうのと違って、いくら飛田給が田舎でも、同じようにファン専用列車ではなく、一般人が主には乗る電車なのでそこはよろしくお願いしたいというところです。
https://anond.hatelabo.jp/20250411085219
戻ってきたということなので、結果を書きに来た。
成婚退会した。
年齢:35以下
身長体重:基本不当(どちらかと言えば丸い人が好き。病的デブガリNG)
収入:私同等~以上(年齢で加算)
好奇心があって元気な人。夕食を一緒に笑いながら囲みたい人。
年齢:1個上
身長:170cm 60kg後半ぐらい 中肉中背
収入:800~900
海外旅行は相手も大好き。だから私を選んだらしい。相手も年に1、2回の頻度で行く。
好奇心は旺盛すぎるくらいある。デートは朝から晩までずっとおしゃべりした。巨大書店だけで本を見ながらあれがこれがと4時間は過ごした。相手も実家暮らしなので、家族と食事は好き。23区生まれ、育ち。
芸能人に似ている人が思い浮かばない。昭和歌手みたいな顔。若いころのクリ〇松〇さん10000倍希釈。笑うとぼやけた綾〇はるかのそっくりさんに似ている。
Xさんはお見合いで9人目の人。Xさんから私に申し込んでくれた。恋愛や結婚などは考えず、友人になれそうと思いながら仮交際。お見合い中は条件とかどうでもよくて、ずっと海外旅行と遺跡と大学の話だった。
Xさんからの仮交際OKの理由は「よく笑う人で、興味津々で楽しかった」。確かにお見合いの場で、邪馬台国の場所について興味津々に食いつく女は少ないと思う。そして鼻息荒くムフムフ言いながらモアイ像とクリフパレスの解説を涎が垂れてしまうほど話す女も少ないと思う。ぶっちゃけ私は「必死オタク過ぎたな…お断りされるな…」と思っていた。
Xさんについてはなんでこんな面白く・高学歴な人が結婚相談所にいるんだ?と思ったらどうやら相手も男子校→男だらけの大学→男職場、気が付いたら30手前でヤバいと思ったらしい。アプリは怖い上に遅いので、結婚相談所に来たとのこと。
しかし、Xさんには、とある人を選ぶ性格(?)がある。Xさんは喋り方がオネェだ。
指摘もしないし聞きもしていないので意識的かは不明。4仕事帰りは青年なのだが、全体的な雰囲気はこち亀のマリアちゃん。「~ですわ」っていつか言いそう。というかこち亀にいそう。マリアちゃんの友達にいそう。「ふふふ」と笑う。Xさんは3人姉妹がいるのだが、それが影響しているのか。
そして博識。科学技術やら生物工学やら世界史やらの話をやたらする。「どうした、急に」って何度突っこんだことかわからない。私がつい考古学知識披露をしてしまっても、ほぼ知っている。知らなくても「知りたい!」と目を輝かせてくれる。私は英検4級で海外旅行に行っているが、Xさんは英・仏・独がペラペラで海外旅行に行っている化け物だった。盛ってない。私も聞いたときは盛ってんのかこいつと思ったが本当に読めていた。
細かいところを世間的な減点方式にすれば「私服がダサめ」「LINEは二日に一回あればいい方」「姉妹の話をする」「ニキビ跡」「早口オタク」「眼鏡」「剃った髭痕」「実家暮らし」「デート中に欲しかったガンプラを買う(謝罪と理由あり)」「何かを持つときに小指を立てる」「酔うとオネェが加速する」「私がノースリーブを着て行ったら、ノースリーブを大胆な恰好と認識しており、照れる」「持っていたタオルがガルパン」と結構出てくるもんだが、私はその辺どうでもいいと思っているので減点にならない。
清潔感はある。清潔感とか曖昧なことを言うとキレられそうなので、「服は洗濯してシワなし」「歯が綺麗」「スキンケアしている」「髪の毛はセットしていてケアしている」「日焼け止めを塗っている」「TPOをわきまえた服装はする」「ハキハキしている」「姿勢が良い」とかそんなもん。
そちらが適当な服なら、こちらも適当にするまで。スカートはお見合い時のみだった。私も遠慮なくメイクを適当にしてみる。というかメイク無しでも気が付いていなかったらしい。推しのキーホルダー付けてみる。
Xさんと私は家の雰囲気がとても似ている。金銭感覚も、嫌なものに対するスタンスも同じ。ハプニングがあっても「どうにかなるだろう」の精神。あと嬉しい事や楽しい事に「嬉しい!」「楽しい!」ってニコニコでいう。大型犬みたいな人だ。
仕事もお互いに「辛い時もあるが、楽しい」と思っているので、その辺りの不安はない。
Xさんは女慣れしていないのか、エスコートが何度か空回りしていることがあった。私がエスコートであったと気が付いていないのが悪い。しかも私がエスコートをガン無視してしまい、自分でやってしまう。「車、危ないですよ」と私がXさんを歩道側に寄せたときは心の中で(逆だったな…)とちょいと申し訳ない事をした。
女性慣れしていないという割には、ちゃんとそれっぽいお店やデートを考えてくれていたのでその努力が良かった。姉妹から叩き込まれたのかもしれない。仲はいいけど姉ちゃんは絶対君主という典型的な弟だった。
Xさんと仮交際中、私は親友みたいで安心すると思っていた。恋愛感情は一切なかった。というか恋をしたことがないのでよくわからない。ドキドキはしなかった。しかし、真剣交際後に初めて恋愛感情が湧いた。それからはドキドキしっぱなしな状態だった。「女性は後から恋愛感情がくる」とよく言われているが、その通りだった。
Xさんは出会った時からべた惚れだったらしい。私からすると女子校の時に甘えてきた子たちに似ているなと思った。甘えたくなる、私はそういう星の人間なのかもしれない。
自分では意識しなかったが、Xさんは私がスキンシップになれておらず、恥じらう姿がギャップがあって凄く好きらしい。私は子供っぽいリアクションをしてしまい申し訳ないと思うのだが、それが良いって人もいるんだなぁ。あとは優しいところと、笑顔が多いこと、一緒に笑い合えるとこと、なんでも興味ある、紳士なのに恥ずかしがり屋がいいらしい。そうなのか?と思うが、相談所に送る振り返りにはそう書いてあるらしい。
そしてどうやらカウンセラー的に、私はすぐ成婚すると思っていたらしい。
理由は「カウンセラーといつも楽しく会話できているから(人の話を聞く)」と「『相手は自分と同じ感じがいい』と言っていたから(意味不明な高望みをしない)」と「笑顔が多い」の3つらしい。というか「笑顔」が爆発的に素敵らしい。私からだとわからない。笑える人生を目指すのがモットーではあるが。
私が「美人じゃないし、どちらかと言えばブスって子供の頃はいじめられて…」と弱音を吐いたら「見た目で決めつけるような人と結婚しなければいいだけの話ですよ」と言われた。
入会・月費用・成婚料・交際費含めるとすごい値段。しかし、ヨーロッパ旅行1回を我慢すれば…1、2年の海外旅行を犠牲にしただけだと思えばいい……結構辛い。と当初は思っていたが、Xさんと結婚できたなら安いどころかおつりがくるほどである。夜の生活はまだ知らないが、Xさんとなら駄目でも一緒に歩み寄れそうだ。
結婚相談所はスピードがあるのが良い。さっさと海外旅行に行きたいんだよ。というかXさんとはすでに近場に一回行ってきた。海外旅行がクリアできればだいたいの問題はない気がする。
参考になるかはわからないが、結婚相談所に悩んでいる人には悩む時間があるなら入ったほうが良いとは伝えたい。スピード重視ならいいんじゃないだろうか。
結婚相談所のダイマみたいになってしまったが、本当であると言っておく。運がよかったのは事実ではあるが、運が適当に転がっていたわけでもなかったとは思う。仮交際中は別れた後に「悪いことはしてないはず。お断りがこないでくれよ」と毎回不安だった。本当かどうかは行った人ならわかるかもしれない。お、なんかオカルトっぽくて興奮してきたな。
Permalink |記事への反応(23) | 22:17
うちはBtoBの会社で、営業はスーツを着てるんだけど、スタッフ部門は普通にカジュアルな服装をしている。
おれはスタッフ部門で、ビジネスカジュアルでノーネクタイ、シャツ、少しタイトなパンツ、革靴のスタイルが多い。
一方で横に座ってるダサい服の同僚。
くたびれたシャツの上に田舎の爺さんが羽織るようなアウター、ダブダブのズボン、極めつけはダンロップのスニーカー。
お母さんに買ってもらったんか?
と言いたくなるようないでたち。
お前昨日もそれ着とったやんけ。
トイレとかコピーしに社内をのっしのっしと歩いているのを見てイラッ。
すそ踏んでんじゃねえよ。そのままトイレ行くんか。きたねえよ。
普通に働いていて悪い人じゃないし、仕事は別に良くも悪くもないパフォーマンスなんだけど、服装の不快指数が高いせいで嫌いになってしまいそう。というか嫌いだ。
いつかすごい勢いでお前の服はダサいんだよ!と説教してしまいそうで怖い。
https://x.com/karicobo/status/1936904753948307880
大学の男性教員が階段で倒れかけた女学生を直接助けず女性の救助者を呼びに行ったのを批判するこポストがあった
性的部位を”触ろうとした”と被救助者が考えただけで、逮捕された事例を覚えている人も多いだろうし
https://x.com/livedoornews/status/1909414241360400522
既婚者子持ちだからこそ、冤罪で妻子に迷惑をかけたくないから、
そもそも現代では教員が受けさせられる倫理講習ではそのように教えられるから
こういう対応になるのは既に他の人が指摘している通りだ
私としては助けてはいけない理由をさらに付け加えて言わせてもらいたい
それは
”この手の貧血だったり体が弱い女性ほど男性の接触への被害妄想を起こす可能性が高い”
ということだ
どういうことかというと、これは男女関わらない傾向ではあるが身体的な問題を抱えている人はそれを理由にイライラしたり神経質になる場合が多い
これ自体は別に悪いことではないが、その精神状態がその人をどのような方向に向かわせるかが男女によって大きく違うのだ
男性の場合はそんなことをしたら窘められて更生するか周りから人が離れていき、風貌からしておかしくなっていってしまう。
そのため周りの人は男性が倒れていても恰好がまともであれば危険性が低い(0とは言わない)ことを判断できる
”まともな人”ほどか弱い女性の被害感情を否定するのはいけないことだという社会風潮に従って窘められず
寧ろ”理解のある彼くん”や無責任な”ヤリモク”が集まってくることも少なくない
その結果、そういった女性は更生、もしくは集団から排除されることなくすくすくと《格好はまともだけど実際は被害妄想がヤバイ人》へと育ってしまうのだ
このことが”女性の証言一つで逮捕”という事実や”社会で正しいとされる女性に迷惑をかけない倫理”と合わさって男性による女性救助の忌避感を加速させてしまっている
最近は東京もすっかり治安よくなって、歌舞伎町や夜の渋谷の道玄坂通りや六本木でさえ歩いてる雰囲気からして見るからにヤカラみたいなのすっかり見かけなくなったし、なんなら怖そうな人でも手でチョップのポーズして「あ、すんません!」って子供やおじいちゃんおばあちゃんが歩いてたら、道を開けたり電車で席譲ったりちょっとかすったら謝る様な民度高い人たちばかりになってて時代は変わったなと思うと同時に
その代わり、秋葉原で土日とかいってたら、結構な頻度でそういうスタイルの人たち見かけるようになったけど、あの人たち何しに秋葉原に来てんの?って不思議に思う
毎週秋葉原行くこと多いけど月に2~3回は同一人物ではないけど「そういう属性っぽい人たち」見かけるんよね
ファッションで入れてるなって感じのタトゥーじゃなくて手首や首元までガッツリ入れ墨入れてて、肩で風切って道歩いててめっちゃ浮いてるの、
オタク友達とか連れてる訳でもなくそれも一人でブラブラ歩いてるだけ、手に持ってるのはせいぜいマクドナルドの袋くらいでオタグッズ買ってる様子もないし店に入ることも何かに話しかけることもなく、肩で風切って歩いてるだけ、でも警察が通ったらコソコソ道の端に寄ったりしてね
楽しそうにカメラやレトロゲー屋でニッコニコしながら大人買いしてる外人観光客のにーちゃんたちや、
すげえ楽しそうな笑顔でトレーダーやソフマップの紙袋からはみ出した中古エロゲー箱買いしてる中国や韓国のオタクの兄ちゃんたちも、Vtuberイベやコラボカフェで推しの話しながら盛り上がってる日本人のオタクの若者たちも、
侍みたいな目つきでプラモやフィギュアを吟味して買ってる日本人のオタクの中年たちも、客引きしてるメイドカフェやコンカフェのねーちゃんですら異様だから近づこうとしないし声もかけないから滅茶苦茶浮いてるの
ヤカラっぽいんだけど、他の場所で見かけるヤンキーや不良や悪そうなオッサンと違って、大体大体小太りで眉間に皺寄せていかにも思い通りにならない人生にイライラしてるような、童顔なのにシワや髪の毛薄くなってるみたいな、なんか妙に肌が白くてオッサンか青年なのか判断に困る幼形成熟した生物みたいなのだからなんか妙に浮いてるし異様に見えるんだよね、
あと他には小太りか太ってて顎髭はやしてて、似合わないサングラスかけてウシジマくんのファッションをそのまま真っ黒にしたみたいな恰好のヤカラみたいなオッサンみたいなのとか、なんかだらしない体型のせいで「ミスターNTR」ってエロゲのキャラにしか見えない感じがして、滑稽と同時に異様に感じるんよね
全員別人のはずなのに妙にファッションは似通ってんの、迷惑系YOUTUBERとかでいそうな感じ
ああいう、オタクでもなんでもなければ反社とも言えなさそうな個体とかよく見かけるんだが
あいつらどっから湧いて出てきてるんだ?歌舞伎町とか渋谷とか赤坂みたいなモノホンのヤカラがいる地域では一切見かけないの、秋葉原とXとyoutubeだけで見かけるオタクでもなければ不良でもない、謎の交雑個体みたいな人たち
マチュも娼婦になるファンサブとか多いけど、服装がスケスケベビードールで解釈違い。
まあ、宇宙世紀のインドの高級娼館とか知らんが、実際の高級娼婦や高級ソープとかだと、ちゃんとしたドレスとかじゃないかな?って感じるんだよね。
まあスケスケベビードールで接客する所もあるかもだけど、個人的には高級ソープなら、いわゆるお高めなキャバ嬢が来てるようなドレスとかじゃないか?
当然そういう恰好はくつろげないので普段はスケスケベビードールで接客する時はびしっとドレスを着てるイメージなんだよね。
【追記】
スケスケベビードールや下着だと、ピンサロやヘルスとかのイメージだなー。