
はてなキーワード:性教育とは
ツイフェミさんは言い換えると「メガリア」「保守系フェミニズム」「TERF」「ラディカルフェミニスト」のことです。90年代までの日本ではリベラル系フェミニズムが主流であったこと、また現在でも欧米のフェミニズムはリベラル系フェミニズムが主流であることが背景にあります。
つまり、リベラルな価値観の人から見ると現在のツイフェミさんは「偽物のフェミニズム」となるわけです。
わかりやすく言えば
J.K.ローリングは「TERF」もしくは「保守系フェミニズム」
欧米では J.K.ローリングをフェミニストが批判して炎上していましたよね。一方ツイフェミさんはJ.K.ローリングを信奉しています。そういうことです。日本と欧米ではフェミニズムが逆転しています。
リベラル系フェミ「性役割からの解放。性は社会的に作られた(ジェンダー)。多様性の包摂。フェミニズムは男性も救う。」
保守フェミ「性別は生まれ持ったもの。男は女性に優しくすべき」
リベラルフェミ「女性の性欲も認めるべき。性教育重視。女性の主体的恋愛を」
青少年健全育成運動「子供のためにエロ漫画を規制すべき。ゾーニング」
リベラルフェミ「服は自分のために着るもの。男のために着るのではない。我々が何を着ても自由である」
保守フェミ「社会は男が作っている。我々はセクシーな衣装を着ることを強いられている」
まだ女性差別の残っていた80年代から90年代初期、フェミニズムを担ったのは主に高学歴女性でした。
当時の社会において生き辛さを感じていた「バリバリ働くたい人」「女らしくない人」「出世欲のある人」たちがリベラル系フェミニズムを推進したのです。
女性差別がなくなり女性が働くのが当たり前になった現在、立場が逆転しました。
「低学歴の人」「女の子らしい人」「働きたくない人」が現在の社会では生き辛い人になり、フェミニズムの担い手が逆転しました。
ツイフェミさんはリベラル系フェミニストのことを「名誉男性」と呼び批判します。
あまりにも急激に社会が変わったのでそのバックラッシュと言えるでしょう。
またリベラル系フェミニスト側から見ると現在の社会は生きやすいので、多くの人が活動家を終了してしまっています。なので保守系フェミニストしか残っていないように見えるのです。
漫画で言うと槇村さとるの「おいしい関係」「イマジン」あたりがリベラル系フェミニズム、「Real Clothes」は当時流行り始めた保守系フェミニズムの影響を受けています。フェミニズム的理想の女性像の変遷がわかりやすいかもしれません。
https://ameblo.jp/kohou5382/entry-12502622173.html
毎日新聞の変態記事はまだあります。「日本人の母親は、中学生の息子が成績を落とさないためにフェラチオをする」「ポケモンの意味は勃起した男性器である」「福岡の米祭りは、顔に塗る白い液体の「顔射」に似ている」
「日本人女性の55%は、初対面の男性と一緒に寝る」「日本の性教育は、初めに性行為・強姦の方法を学ぶ」「日本のファーストフード店では、女子高生が性的狂乱状態になる」こんな記事が5年以上も毎日新聞社の英語報道メディアに掲載されていたのです。
毎日新聞は朝刊一面トップに謝罪広告を掲載し、WaiWaiを閉鎖しましたが、日本国を著しく貶める行為であり、朝日新聞の従軍慰安婦虚偽報道と同様に謝罪すれば許されるような問題ではありません。
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最近、少子化の話があちこちで出てるけど、政府とかがいくら補助金出したり、保育園増やしたりしても、根本的な解決にならないと思う。
だって、男性が女性へ子供を孕ませられるかどうかって、結局のところ「お国のため」みたいな大義名分じゃなくて、純粋に「この人に子供を孕ませたい」って気持ちが大事だよね。
妻が魅力的で、毎日一緒にいてワクワクするような人なら、自然と子供が欲しくなるし、ジャンジャン孕ませたくなるはず。
学校教育とか、職場環境とか、全部が「仕事ができる人」を作ることに偏ってる。
例えば、ユーモアがあって、優しくて、家事も積極的にやってくれる女性が増えたらどうなる? きっと、結婚率も出生率も上がるんじゃないかな。
義務教育で「コミュニケーションスキル」や「感情知能」の授業を増やして、女の子たちが自然と魅力的に育つようにする。
デート術とかじゃなくて、相手を尊重する心構えとか、面白い話の仕方とか。
企業も、残業ばっかりじゃなく、ワークライフバランスを本気で推進して、女性が家庭で活躍できるようにする。
体力的にも精神的にも魅力的な男性が増えれば、男性は「この人に家族を孕ませたい」って思うようになる。
もちろん男性側も魅力的に育つべきだけど、今回のテーマは女性側に焦点を当てる
だって生物学的に見て男性の僻み意識が強いんだから、そこを狙うのが効率的だと思う。
他の人がつくったまとめを読むのが好きなので、俺もならって書く。
※2025年に読んだ上位10冊だと、必ずしも2025年(もしくは前年末)に出版されたものに限らない。極端な例として、英文学の傑作とされる『闇の奥』とか出てくる。1902年版。
そこで、1年以内に刊行されたものだけでも10冊以上になるようにした。+αはその意。
有性生殖の壮大な歴史を概観する、いわゆるビッグヒストリーもの。
ぱっと見ではちょっと下世話なタイトル。しかし、20億年というバカでかい数字も含まれているとおり、読み始めるとビッグバンの話から始まって、地球が天体レベルで迎えてきた過去の大絶滅のイベントが進化に与えた影響について紹介するなど、大変にスケールが大きい&しっかり科学的な本。
作中では、まず物質から命が生まれ、単細胞から多細胞になり、性別を持ち…という流れが、生物史のイチから描かれる。やがて、多細胞生物は進化とともに性的役割分担を生じ、その中の一種であるホモサピエンスは狩猟採集から農耕に移行する中で複雑な社会を形成するようになり、階層が生まれ、新しい社会で性別は役割や職業だけでなく差別とも切り離せなくなり、そして現代では? というところまで総観される。
後半の主役はどうしても人類になるけど、一方で、人間とて有性生物の一種に過ぎず、我々の社会も「生物がつくりうる群れのパターンの一つ」でしかない、という視点が体感できるのが、この本の良さ。いわゆる文系でも読める。そこそこ厚めの科学系ノンフィクションがいける人はぜひ。ちなみにオチの一文がシャレている。
まったく余談だけど、本作は集英社刊行。この手のジャンルは早川や河出、みすずあたりが強いイメージがあるので意外だった。
俺は小さめの青虫なら手で触れるぐらい虫が好きで、知識もそれなりにあるつもりだけど、それでもどのページを開いても「ほお~」と嘆息してしまうぐらい情報が豊か。この本も、地球というのが生命の壮大な実験場で、長い歴史の中で膨大な選別と滅亡を繰り返している世界であり、いま生きているやつはみんな、構造の複雑さや大きさに関係なく、各自の戦略でもって何かしらの頂点、キングであることがわかる一冊。
見入ってしまう理由はもう一つあって、写真が本当に美しい。昆虫嫌いはどのページを開いても卒倒すると思うけど、うっかり手にとって目覚めてほしい気持ちもある…。
イスラエルのIT企業が制作・販売し、やがて各国要人のスマートフォンに忍び込むことになったスパイウェアをめぐるノンフィクション(←重要)。
作品としていくつかの側面があり、「テクノロジーの悪用を追求する社会派ノンフィクション」「追うものと追われるものの駆け引きを描いたサスペンス」「一つの大きなプロジェクトを、組織横断で運営する困難を描いた仕事もの」として読める。
俺は、どんな技術でも基本的にそれ自体には善い悪いはないと思っている。実際、優秀な若者だったイスラエルの起業家たちがペガサスを立ち上げたエピソードは、そこだけ読めば、ほかのビッグテックの成功譚の導入と変わらない。
ただ、巨大な力の行使を自主的に規制せず、金を払えるところならどこでも売る、という条件だけで市場に開放すれば、やがて歯止めが利かなくなる…というか、大きなクライアントから契約を得ること以外の指標がはじめから存在しないため、ブレーキのかかりようがなく、最後はろくなことにならない、ということがよくわかる。
いわゆるマルチバースについて、いくつかの可能性を科学的に整理した本。
俺のような文系にはややハードだったが、逆に言えば、宇宙物理学(ビッグバンとか、観測できる宇宙の果て)や量子力学について、ぼんやりとでもイメージができれば、なんとなく理解しつつ読める。
この本、何が素晴らしいかというと、一般的にひとくくりにされがちなマルチバースという概念について、いくつか種類があるということを整理してくれるところ。
俺は宇宙物理とか量子力学の本をたまに読み、その中でいわゆる多世界解釈についても目にするので、「いろいろと読んだけど、こんな本が意外とマジでなかったな~」と感動している。
例えば、ある宇宙における一つの文明から物理的に到達しうる距離の限界を仮定して、その範囲を超えたところに別の文明や星が存在するなら、それはある意味でマルチバース。もちろん、まったく別の宇宙が別次元に複数存在してもマルチバース。
一方、超ミクロにも視点を移して、量子のゆらぎが世界の一つの可能性に収束するのではなく、複数の世界に分岐していくのだ、と主張するなら、それもマルチバース。
要するに、「マルチバース」という言葉の意味自体がマルチなのだが、そのことをかみ砕いてくれる本というのが実は貴重。これ系好きな人はおすすめ。次の本を読む上での下地にもなるかも。
アテンションエコノミーによって駆動している現代のデジタルプラットフォーム・SNSとの付き合い方について、作者が専門家と交わした議論をまとめた対談集。
アテンションエコノミーとは、ざっくり言って、ユーザーの注意関心を定量化し、それを指標としてコンテンツや運営方針を決めていくスタンスのこと。これを重視しすぎるあまり、商環境におけるモラルが二の次になってしまう、という問題がとっかかりなのだが、本作のすごさは、そこから人間の認知構造まで踏み込み、「そもそも、人が自由に自立して何かを消費するとは?」まで進むラディカルさにある。
例えば、人間の認知というのは迅速にorゆっくり判断する、という二つの軸を持ち、同時に、無意識にor意識して評価する、という二つの層を持っている、という点が説明される。そして、アテンションエコノミーというのは「迅速&無意識」の部分を攻撃しているため、やっかいであるとされる。
攻撃と表現したとおり、本作においてアテンションエコノミーとは、(全面的に悪とは言えないまでも)人類最高峰の知能を持つ人たちが、一秒でも長く少しでも多い反応をユーザーから引き起こすために仕掛けてくるハッキング行為でもある、というスタンスをとっている。
ここでジレンマ、というタイトルにつながってくる。俺たちが社会全体でアテンションエコノミーとの付き合い方を学ぶとしたら、有効な方法の一つは、教育を通じて学習することである。ただ、学んで育つとは、基本的に人間の本来の強さ・賢さを信じ、それを伸ばそうとするものであるため、「俺達は根本的に抗いようのない領域を抱えており、そこをハッキングされるとひとたまりもない」という弱さの認識とは食い合わせがあまりよくなく、手段の確立に苦労している(書いていて思ったが、性教育や薬物の危険さを学ぶことの難しさも同じかもしれない)。
今後、どうしたらいいかは探っていくしかないよね、という感じだが、一つ面白かったのは、デジタル技術は基本的に、自主的な決定と自己責任を重んじる、いわゆるリバタリアン的な価値観によって推進されることが多いが、その行く末が「ユーザーにそもそも判断させる余地を与えない無意識下の攻撃」に成り下がってるのでは? という指摘は、皮肉でかなり響いた。
ジレンマをもう一つ。利益面で言えば、プラットフォーマーにとっては無思考に時間とお金を費やしてくれるユーザーが一番ありがたいわけだが、消費者もそこまでお人よしではない。「全然自由度が低いっていうか、なんかナメられてね?」と思うこともある。
そこで、「じゃあ自分好みにいろいろ選べるように協力しましょう」という良心的な運営もあるだろうが、「ユーザーが自分で自由に選べた、という感覚さえ演出できれば、実態は別でもかまわない」という方向に進んでしまう運営も現れうる。いまやテックジャイアントの在り方とは、消費者の自主性を尊重している姿勢を見せつつ、いかに自分たちの利益に誘導できるか、その妥協点の模索に陥っているのでは(そもそもの理念はそんなじゃなかったはずなのに…)という見方も紹介されており、面白かった。
本年ベスト級。下で紹介している『アルツハイマー病の一族』がなければ1位だった。
九州の農協に勤めていたあるエース営業マンの不審死を追ったドキュメンタリー。
一人の優秀なサラリーマンが、組織内にも地域にも一つの「帝国」を築き、邪魔者は排除し、しかし、最後は(おそらく)破滅した様が描かれる。
大げさな言い方をすれば、社会における悪とは何かを考えさせられる作品。主犯とされる男が周囲の人に行ったことや、横領行為は悪いに決まっている。しかし、こんなやつは罰さなくては(もう本人は亡くなっているが)、という義憤がときどき迷子になってしまうのは、「本当に彼だけが悪いのか?」、そして「そもそも、この社会はこうした『悪』を罰せられる構造になっているのか?」と思ってしまうから。
読み進めると、彼が所属していた組織もお金の流れもあまりにいい加減で、根本的に腐敗しており、システムの中心としてそれを差配していた彼の周囲に群がっていた同僚や市民も、何か妙なことが起きていることを薄々察知しながら甘い汁を吸い続けていたことがわかる。
つまりこれは、悪事と責任が彼以外にも分散しているということなのだけど、もう一つ思うのは、そもそも社会というのが、本質的に悪の所在をあいまいにし、「悪」でさえなくす、ロンダリングする仕組みなのではないか? ということである。
どういうことかというと、物事や手続というのは本来は筋道や道理があり、それらにのっとらないといけないはずなのだが、これを四角四面に処理しようとしても遠回りになるだけで何の意味もないことが往々にしてあり、そして、よく言えばそれを円滑化する、悪く言えば本筋をねじ曲げることのできる人物がどこにでもいるもので、結果としてその人のおかげで、(あくまで、そのコミュニティの中では)物事がうまくいく、ということがよくある。
肥大化&形骸化したナンセンスな仕組みなら見直せばいいのだが、組織にそんな向上心もリソースもなく、それでも体裁を取り繕わないといけないとき、それを(自分の利益とブレンドしつつ)調整する役目を負う者が求められ、必然的に出現するとしたら、その誰かを悪と断じることの意味はなんなんだろう? と思ってしまうのである。
もちろん、シンプルに悪事は悪事であるという答えはぼやかせない。
盗んだり誤魔化したり、他者をいじめたら悪いに決まっている。当然のことだ。ただ、システムを悪用して悪事の限りを尽くすやつと、有能ゆえに組織の悪徳を背負わされて破滅するやつが、同じ人物ということもあり得るよな、とは思う。
19世紀のコンゴを舞台に、西洋文明による資源と労働力の搾取を描いたジョゼフ・コンラッドの小説。1902年刊行。
ホラー作家である平山夢明の短編『すまじき熱帯』がまず面白かったのがあり、その元ネタがたぶん、フランシス・コッポラの『地獄の黙示録』であって、その原作が『闇の奥』…という紆余曲折あって手に取った。
例えば気まぐれに古典を読むと「名作ってやっぱすげえ」と思うことが多く、実はこれは意外ではなくていまの俺たちの価値観や言葉の下地になっているものである以上、それなりに当たり前のことなのだが、はじめて読んだ『闇の奥』も例に漏れず強烈だった。
基本的にこの作品は、西洋によるアフリカの搾取、強制された苦役と恥辱の物語として読まれている。有名なセリフである「地獄だ!地獄だ!(the horror!)」も、まずこの視点から解釈するべきで、それは先進国に必須の認識だと思う。ちなみに、 セリフを発したのは現地で開発を差配していて発狂してしまったクルツという西洋人。
一方で、個人的な印象としては、クルツにある種の英雄性を感じてしまったのだった。
暗黒大陸とも形容される当時のアフリカの奥地に、「文明の担い手」として一人で立ち向かった人間。「闇」と「文明」が接する最前線で彼が発した「地獄だ!」といううわ言は、その言葉自体が、未知の世界から切り出されて西洋側に持ち込まれた(負の)成果物であると思う。『対馬の海に沈む』でも思ったが、俺は腐敗した組織の一員である誰かが役目に邁進し、自身の欲望と背負った責務の中で破滅するナルシシズムが好きなんだろう。
もちろん、コンゴの側から見れば、勝手にやってきた侵略者の一人が勝手におかしくなって破滅しただけであり、そこにヒロイズムを感じるのは先進国の大変な欺瞞だと思う。加害と被害の歴史は前提として理解しないといけないし、意見を発するうえでバランスは気にかける必要があるのだが、↑のような感想を抱いてしまった。
余談だけど、今年刊行された本に『ブラッド・コバルト』というすさまじいノンフィクションがあり、同じコンゴが今度はハイテク機器に使用されるレアメタルの産出国として、ふたたび西洋社会による深刻な搾取を被っている様子が描かれている。
医師として病院に勤務する主人公。ある日、救急で運び込まれてきた心肺停止状態の患者は彼とうり二つの顔をしていて…という導入から始まるミステリー。
2025年はミステリーやホラーを中心に15冊ぐらい小説を読んだんだけど、その中でもぶっちぎりで面白かった。
※ 以下、少しネタバレ。注意
今作の優れたところは、冒頭の謎をオチまで温存することなく、あくまで読者を引き付けるためのフックとして割り切ったところだと思う。
導入部分の真相については、正直「科学的にあり得るならこうだろうな」という域を出ない。それを冷静に見越したうえで、いわばロケット(作品)を高く飛ばすための燃料として中盤で切り離し、さらに高い地点への加速と突破は他の要素や伏線回収で狙う、という戦略だと感じた。別作品の批判になるが、同じようなネタを武器として最終盤まで引っ張ってしまったミステリーも同じ年にあり、個人的には格が違った印象がある。
ベタな表現になるが、後半もどんでん返しが続き、飽きさせない。逆に言えば、スキャンダラスな波乱の展開をいくつ詰め込めるかを始点に逆算してつくられた感じはある。これを品がないと思う人もいるかもしれないが、こだわりがない人は面白く読めると思う。
後半に続く。
5年生になって、私に追いかけ回される標的になったのは・・・言うまでもなく、Fだった。
「覗かないでよ」の一言を発した時のFの表情がキュンと来た・・・それだけの理由だった。
休み時間になる度にFを追いかけ回す私。
Fは、運動がそんなに得意ではなく、走るのもそんなに早くない。
走る速さでは中の下ぐらいの私よりも遅かった。
休み時間になる度に私に追いかけ回され、最終的には私に追いつかれ私に後ろから抱きしめられるF。
流石に同じクラスの女子の中にFに対して同情的になる女子が増えてきていた。
ところで、5年生ぐらいとなると性教育とかの授業があるわけだが・・・、性教育と言えば当然、
・・・男としては乳に興味が出てくるわけだ。
そこからがFにとっての地獄の始まりだった。
休み時間になると、Fを追いかけ回す私。
同情的になった女子達が、Fを庇う・・・。
そうやって庇う女子達を牽制する為に私が取った戦法は・・・乳揉みだった。
それも、後ろから回り込んで脇の下から手を伸ばして揉むなんてかわいげのある悪戯じゃない。
標的であるFを追いかける私、私の前に立ちふさがる女子達。
突破するために・・・真っ正面から突進して相手の胸を揉み、怯んだ隙に突破というものだった。
同じクラスの女子の半分ぐらいは、そういう経緯で乳を揉んだ・・・。
当然Fに対する追いかけ回しもエスカレートしていき、最初の頃は、追いかけ回し追いついたら
後ろから抱きしめる程度だったのが、5年生の2学期になる頃には、追いかけ回し、
後ろから抱きしめ、胸に手を伸ばし・・・揉む、という所までいっていた。
自分で言うのもなんだがひどい事をしたと思う。
それこそ、Fにとっては地獄の様な日々だったんじゃないかと今となって思う。
そしてFにとっての地獄は・・・5年生の間だけでは終わらなかった・・・。
6年生でも同じクラスだったという事だ。
当然6年生の時のクラスでも、Fに同情的な女子が庇う様になり、そんな光景が6年生の間も続いた。
いたずらで済まされるレベルではなく、親も何度か呼び出しをくらった。
だが、Fの親と私の親とが、私とFが幼稚園が同じだった事から幼稚園の保護者の会以来
それなりに古い付き合いで、Fの親は結構楽観的な反応だったらしい。
Fの親は、Fに
「そんなに好かれてるなら、付き合っちゃえば?」
みたいな事を言っていたと後で知った。
私が、懺悔したい相手の一人はFだ。
2年間、Fはどんな気持ちで毎日学校に通ってたんだろう。
心の弱い子なら登校拒否になってもおかしくなかったんじゃないかと思う。
そして、話は中学以降に移る。
もう一人の懺悔したい相手・・・いや心残りな相手なのかも知れない。
小学校卒業と同時に、私は親の転勤で引っ越す事になった。
つまり、小学校時代の同級生達とは別の中学に通う事になった。
【各話へのリンクはこちら】
【全話まとめ】 「懺悔したいことがあるんだ」
彼は新人時代に精神を病み休職、そこから明けて私の働いている職場に入ってきた。
挨拶もできない、指示が通らない、「○○はできません」と今いる1年生以下の働きしかできないのに断る口実だけは口達者、新人時代の苦手な先輩はロッカーで会ってもガン無視、安全のための手順を勝手に省く、自己学習を促したら「そういうの見ると劣等感が刺激されるんで見たくないです」、年下には実質1年目以下のくせにため口など、数々の武勇伝を彼は持っていた。
メンタルだけかと思ったら実際に体調不良もあるみたいで、たまに体調不良で休んだりもしていた。こちらもそういうのに配慮しなければならないので、力仕事などはあんまり振れなかった。
壁にぶつかっていた。
これにはみんな心配して「大丈夫!?」と駆け寄るが、彼はふらふらしながらも「大丈夫です」と言う。
彼は事情を語り始めたのだが、それが実にきしょい言い訳だった。要約すると「アニ豚御用達のイベントで遊んでて体調崩しました」なのだが、それを職場で言うのか? と宇宙猫になった。ここにはアニメ好きを公言している人なんて一人もいないのに?
それに、その発言が普段お前の配慮をしている人の神経を逆なでするというのがわからないのだろうか。
イライラした私はGrokくんを使ってアカウントを特定しようとした。てか秒で特定できた。
私「昨日〇〇で遊んで体調崩したみたいなツイートをしている、○○(職業)のアカウントない?」と軽い気持ちで訊いてみたのだが、Grokくんはすぐに「こいつですか?」とピンポイントでアカウントを特定してくれたのだ。びっくりしてGrokくんに課金しようかと思ったよ。
ツイート内容はもう目も当てられなかった。
・アニメアイコン
・マイバチどんだー
やはりアニメアイコンの男は現実でもきしょい、ということが判明してしまった。
その他のツイート内容もひどい。「ママ(アニメキャラをそう呼んでいる)の子宮に帰りたい」だの、「性教育をしたい」だの、本当にチーチーしててキモすぎる代物だった。
それに、彼はそのキモいアカウントで「仕事だるい」とかたまにツイートしているが、
バイト以下の働きしかしていないのに何が「仕事」だ、と言いたくなってしまう。その前にそのチーチーするのをやめなさい。
年を取ると、養ってあげたいと思えるようなかわいい女が本当にいなくなる
もちろん逆もそうで、支えてあげたいと思えるような男もいなくなる
これは恋愛が冷めたとかじゃなくて、単に市場構造の話なんだよな
でも年を取ると、それを代わりに埋められる魅力を持てる人はほとんどいない
そしてその現実を受け入れずに、若い頃と同じように愛されたいと思ってる人が多すぎる
性教育で教えるべきなのは、性のモラルよりも恋愛の経済構造なんじゃないかと思う
愛は尊いものじゃなくて、供給と需要で動いてるって現実を知ることのほうがよっぽど大事
年を取ると結婚しにくくなるのは当然のことだ
市場の価値が減るのに、価格(理想)だけは下げない人が多すぎる
綺麗事よりも、まずは現実を直視するところから始めたほうがいい
やっぱりこれは義務教育で扱うべき話だと思う。
年を取っても年寄りなりのかわいらしさとか性欲的な色での繋がりはあるが、それを若い世代と同じ「市場」で語るのは違う。
実際、中年世代でのマッチングは難しく、熟年になるとさらに厳しい。
年齢とともに恋愛の質は変化し、若い頃のように誰かを養いたい支えたいと思える関係を作るのは難しい。
結局、中年や熟年で結婚がうまくいかないのは、こうした関係性を築くのが構造的に難しいからだ。
恋愛や結婚を感情論ではなく社会構造や生理的欲求として理解する教育が必要だと思う。
Permalink |記事への反応(22) | 14:24
https://anond.hatelabo.jp/20251013192216
まず、〇出しS〇Xは愛情の証、ゴムありは愛がなくてダサいという風潮を作る。
具体的には、TikT〇kとかでAIやインフルエンサー使って若者を狙ったステマさせればいい。
で、一方学校では「中絶は子供に対する殺人だ」みたいな道徳の授業をやる。
育てらんなきゃ赤ちゃんポストにシュー、すりゃええよみたいな話もセットで。
そうすると婚外子の捨て子が増加して社会問題になってくるので、
子育ては日本人としての義務だ、子無し・同性カップルでも子育てすべき、
ってドヤ顔コメンテーターやタレントにワイドショーで発言させて、
Y〇utubeやらで切り抜きをガンガン流す。
独身はズルい、独身も子育てしろ日本しね、ってな風に独身者にもヘイトを集めて、
ワンイシュー政党「日本のみらいファースト」が孤児の国民への育児割当制度
「企業の管理職になるには管理能力の担保が必要。育児管理経験のないものは管理職になれない」
それっぽい統計データやエビデンスを官僚や御用学者に作らせて箔をつけて、
自分は関係ないしいいや、と大多数が思っているうちに徐々になし崩し的に適用範囲を拡大。
そういう愛情不足の子供こそ幼くしてヤリチンヤリマンになってWin-Win。
若者の恋愛離れは異常な域にあるから恋愛支援や若者への教育(性教育や礼儀を含む)をすべきだと思うんだけど恋愛を避けたい女が多すぎて直接的に恋愛支援をやろうとするとフェミ系から批判されるのも事実だよなあ
女叩きばっかしてる人間は逆に恋愛や出会いを支持しがちで他責思考、支援が必要だと主張する人間が多いっていう
女性蔑視と間違った性規範を拗らせてたら支援があっても恋愛、結婚なんか無理なのに教育が必要という利害が一致している点には誰より反対する
そりゃ女からしたら非モテや弱者男性を名乗る集団を見てこいつらと出会わせられるとかごめんってなるわな、実際は交際できてない人間はもう少しまともで謙虚だと思うが