
はてなキーワード:性悪説とは
対人関係で第一に重要なのは、それぞれの相手の認知・性格的な弱点を把握すること。もちろん私は善良なのでそれを悪用できるはずもないし(悪人にとっては、そんなセンサーが備われば、袖摺り合う世間はブルーオーシャンだろう)、それは緊急時に「体(たい)をかわすためのキルスイッチ」でしかない。これでは性悪説的だという人には、相手の琴線と虎の尾の在処を知ること、といいたい。
これがわからない相手には、踏み込んではいけない。もちろん仲良くするには踏み込んで見せる必要もあるが、得体の知れないときには重心は後ろに残す。
これができれば、あなたは十中八九、周りにとってはいいひとだし、致命的な傷を受けない。残りの一割は、「運が悪かった」と諦めよう。
僕はずっと、「政治家になりたい、政治をやりたいなんていう人を『支持』するのは、なんか嫌だな」と思い続けてきました。
fujiponさんのこのエントリ、全体としては共感できるところが多く、良い読み物だったという感想なんですが、一点少しひっかかる記述がありました。
でも、いまの日本で、少なくとも直接的に移民によって傷つけられているわけではない人たちが、いまの自分が置かれている状況への不満を「移民差別」や「懐古主義」に置き換えてしまうのが、正解だとは思えない。
ここに書かれているのは、なにかしらの現状への不満を抱えた人がそれを排外主義に転化しているという認識です。
この認識自体は決して珍しいものではありません。というか、排外主義について語られる際にはほぼほぼこのような語りがなされると言ってもいいくらいのスタンダードな認識です。
でも、排外主義の裏には社会への不満があるという認識が事実に基づいているのか、自分はかねてより疑問に思っています。
例えばこんなケースを想定してみてください。
Aさんは長年正社員として勤め、定年退職した。現役時代の稼ぎは悪くなく、老後の経済的不安は少ない。配偶者や子供との関係も良好である。
退職して自由な時間が大きく増えたAさんは、その時間でYoutubeをよく視聴するようになった。
Youtubeのトップページに表示されるオススメの動画の中には政治についての動画もあり、タイトルやサムネイルから興味を持ちそのうちのひとつを視聴してみると、その後オススメにはそれと似た政治系の動画が数多く表示されるようになった。
Aさんはそれらの動画を視聴していく中で、現在日本では外国人による凶悪犯罪が多く発生し治安が脅かされていること、外国人が過度に優遇され日本人はないがしろにされていること、そしてメディアや政治家の多くが反日左翼勢力に支配されているためにそれらの問題は軽視されたり否認されたりしていることを知った。
そのことから、Aさんは選挙では日本人のための政治をしてくれる愛国的な新興政党に投票すると決めた。
以上のケースはあくまで自分の創作ではあります。しかし、これがただの勝手な創作に過ぎないのか、それとも似たような事例が日本中のあちこちに実在するのか、というと後者ではないかと思います。
ではこのケースでAさんが排外主義的主張をする政党への投票を決めた背景に社会への不満は存在すると言えるでしょうか?
おそらくAさん自身に聞けば外国人ばかりが優遇される社会に大いに不満があると答えるでしょう。
でもそれはAさんが排外主義的主張に染まった結果生じた社会への不満であり、元々Aさんがなにかしらの社会への不満を抱えていたがゆえにそれが排外主義的主張を受け入れる背景になったとは言えないでしょう。
このように考えてみると、不満の感情が排外主義に転化しているという認識は現実に即しているのか極めて怪しいと言わざるを得ません。
確かにここ最近の日本の話題といえば、まず物価上昇による生活苦という問題が大きなものとしてあり、その後排外主義的主張を掲げる新興政党の伸長という事態が発生しています。よって大きな話題を時系列順に単純に考えるとそこに因果関係を見出すのも理解できる考えではあります。
しかし、本当に因果関係が存在するのかは慎重に見なければならないでしょう。
参政党の支持者層の偏りとして、男性が多いというのはありますが、低収入の人が多いという傾向は存在していません。収入が低い層ほど物価高の影響を大きく受け、社会への不満が高まるはずなので、これは経済の影響は大きくないことを示唆しています。
欧州では低所得層ほど反移民感情を持ちがちな傾向があったとしても、それを単純に日本に当てはめられないということも指摘しておきます。なぜなら、日本は島国であり、近隣の貧しい国の人が仕事を求めて不法に入国し就労するということは非常に困難ですし、そもそも少子化・人手不足社会です。よって、低所得層の仕事が移民に奪われる恐れからの反移民感情は極めて発生しづらいからです。
不満の感情の転化でないならば、何が人を排外主義に向かわせるのかですが、自分はこれはインターネットの利用とメディアリテラシーの欠如でだいたい説明がつくと考えています。
前提として、人間の認知は遥か昔の野生生活で生存率が高くなるように作られており、巨大で複雑な国際社会を生きるのに適合的ではありません。
よって、我々は余所者が嫌いです。仲間でない余所者の中には友好的な人物も敵対的な人物もどちらもいますが、友好的な人物に対して警戒心を持って接しても死ぬことはなく、逆に敵対的な人物に警戒心を持たずに接してしまえば最悪命を奪われるわけで、生存のためにはそのほうが都合がいいからです。
同じように、我々は性善説よりも性悪説を現実的だと感じます。実際には多くの人は自身の良心を裏切るような行動を取ることに大きなストレスを感じ、自身が善良な人間であるという自己認識を得られることは大きな報酬と感じるわけで、好ましいとされる振る舞いをすることが多いです。しかし、生存のためには他者の悪意に備えたほうが都合がいい。よって実際の現実とは無関係に性悪説のほうが現実に即していると感じられるのです。
このような認知のバグの存在が意味するところは、人間は排外主義者になるのが自然だということです。
余所者を脅威に感じるのは我々の認知がそのようにできているからであって、当たり前のことですから。
そして、この認知バグに沿った言説ほど、我々はわかりやすいし好ましいと感じるわけです。
いわゆるオールドメディアは、まだ正しさや妥当性という評価軸にとらわれています。
しかしインターネット上ではより多くのインプレッションを稼げる言説こそが強く、ウケているからこそより多く拡散されるという正のスパイラルが生まれます。正しさや妥当性よりもウケるか否かが重要な世界では、認知バグに沿った言説ほど有利になります。
そして、前述のように排外主義はまさに認知バグに沿ったものであり、インターネット時代において最強の立場であると言えます。
この認識は世界各地で極右勢力が伸長していることに対して「インターネットが普及した結果の必然」という簡潔な説明を可能にします。
また、「ネット右翼(ネトウヨ)」という言葉は存在するのに「ネット左翼(ネトサヨ)」という言葉はネット右翼という言葉ありきでしか使われないのはなぜかということの説明にもなります(左派・リベラル派は認知バグに反することばかりを主張するのでネット時代では支持されない)。
なぜ2016年米大統領選のときにヒラリーやサンダースの支持者向けのフェイクニュースはあまり読まれず、結果トランプ支持者向けのフェイクニュースばかりが作られることになったのかについても、これは説明可能です。
言うまでもないことですが、自身の認知バグに無自覚で排外主義に同調してしまう人というのはメディアリテラシーの欠如した人と言わざるを得ません。
一定以上のリテラシーのある人は事実と反するにも関わらず支持されてしまいがちな言説のパターンをある程度把握しており、そのパターン通りの言説に対しては「あ、これデマっぽいな」という嗅覚が働きます。
また、情報の信頼性について自分が納得できる内容なのかよりも発信者の信頼度によって判断するため、動画サイトやまとめサイトを情報源として信頼しません。
多くの情報を得ると情報強者になったような気になります。しかし、本当に大事なのは情報の量ではなく、情報の信頼度を判定するメディアリテラシーです。これが欠如していると、ジャンクな情報に振り回され、情報強者を自認する情報弱者になってしまうのです。
以上のことを逆の言い方をすれば、人を排外主義に向かわせる最大要因はメディアリテラシーの欠如であると言えます。
実は思想の左右と思われているもののうちの多くは、思想の差ではなくメディアリテラシーの差であろうと自分は考えています。
思想の左右というと対等な関係に思えますが、メディアリテラシーの高低は対等ではありません。よって、ネット右翼が「リベラルは傲慢だ、対立する意見も見下さずに対等に扱うべきだ」と言ったところで、無茶な注文でしょう。なんならその「リベラル」も単にネット右翼よりもまっとうなメディアリテラシーを持っているというだけで特別リベラルな考えの持ち主というわけではないパターンも多いでしょう。
まとめると、なにかしらの社会への不満などの要因が転化して人は排外主義に染まる、というモデルは間違いだろうということです。
そうではなくて、なんの要因もなくても自然に人は排外主義の主張を好むものであって、逆に排外主義に染まらない人のほうにこそその不自然を説明するためのなにかしらの要因を見出すべきであり、その要因として最大のものはメディアリテラシーを身につけていることが挙げられる、というのが自分の考えです。
そして、突然人々のメディアリテラシーが急上昇することはない以上、たとえ今後経済が上向いたとしても排外主義は支持を伸ばすでしょう。もしかしたら参政党は支持を失うかもしれません。しかし、その際は他の党が排外主義票の受け皿として伸長するはずです。
排外主義の裏には不満の感情があるはずだと考えれば、経済や社会が良くなって人々の不満が減れば排外主義も退潮するはずだと希望が持てます。でも、そうではないでしょう。
性悪説の韓非子は、その性悪説的な価値観を、独裁とディストピアの正当化に利用した、権力の犬としか言えない男だった。
彼の言ってることは、
バカなガキは、大人が相手のためを思ってする辛い教えと体罰に反発する!
だから、国家の課するどんな圧政も、お前らのためを思ってしていると黙って受け入れろ!
過労死するような重労働を課されても文句を言うな!(俺たちがお前らの犠牲で美味い飯を食べるために必要なことだ!)
徴兵して死地に赴かせられても文句を言うな!(俺たちの身を守り、他国民を奴隷にするために人柱となれ!)」
もちろん、カッコ内の言葉は、彼の真意を分かりやすくするために、私が付け加えた文章だ。
彼の思想の幼稚さ、拙劣さ、自己矛盾は、なぜか人間は悪だから庶民は悪だ、政府によって黙って支配されろと言っておいて、政治を動かす人間のことは無条件で信頼していることにおかしさがある。
本当の性悪説から生まれるべき思想は、一人一人の人間は愚かで悪だから、より多くの集合知によって政治は行われるべきという民主主義のはずだ。
なんにせよ、この思想は、フセインやヒトラーみたいな独裁者が読めば、嬉しすぎて失禁すること間違いなしの、ただ権力者に取り入りたいという願望だけが覗き見える思想である。
案の定、その思想にゾッコンとなった暴君の始皇帝は、彼のストーカーとなり、ただ会いたいがために彼の国・韓に侵略まで始めるヤンデレと化した。
始皇帝の目的を知った韓の支配者たちは、韓非子を人質同然に秦に送る。
そこで重用されるかと思いきや、始皇帝の側近たちが嫉妬し、彼を誅殺するように進言し、あんだけベタ惚れだったくせに、側近の一声だけで、始皇帝は韓非子を牢獄送りにし、その側近たちは毒を盛って、彼を自殺するまで苦しめた。
彼の最期のエピソードは、出来過ぎた皮肉なほどの教訓話だが、この手の、庶民を虐げることを何とも思わない、ギャングのような暴君たちの特徴を知れば、当然すぎるほど当然の話しでもあった。
そもそも、他人を何とも思わないような男を、身近なものたちが、なぜ支えて権力を与えるのか。
どんな奴だって、一人で権力を得ることは出来ないのであり、権力とは、そいつの言いなりになる手下の多さにすぎない。
誰も、身近な者から支持されなければ、権力など得られないのだ。
ではなぜ、そんな近寄りたくもないようなサイコパス男たちが、時として絶大な権力を持ちうるのか。
ヤクザやマフィアやギャングたちが、やたらとファミリーだ仲間だ絆だと言いまくるのは、そうやって、「俺は平気で他人を騙して殺して搾取するサイコパスだが、お前ら身内のファミリーは大切にするから安心しろ」という意味である。
だから、どんなに気に入った相手だろうが、韓非子のように最初ファミリーじゃない奴を、後から重用することなどありえないわけだ。
そして、側近からの支持がなければ、どんな暴君も裸の王様になるしかないから、側近の讒言一つで、どんな特別な他者でも殺すしかない。
むしろ、身内からすれば、自分たち以外に暴君の心が行くことこそ何より恐ろしいことであり、だから、暴君に取り入ろうとすればするほど、この側近たちの嫉妬と不安を買うだけで、ただ破滅が近づくのである。
明らかに公正公平な人格で評価されたわけでない支配者たち、他人を貶める陰謀を平気で企める連中というのは、これと全く同じである。
一番上の支配者たちの傍に居ない、下っ端の奴隷・工作員たちは、どんなに働こうが、出世などできないどころか、それで下手に目立って、暴君に気に入られたら最期、最側近たちから危険視されて始末されるのである。
彼らが生き続けるには、適度に無能で空気なバカでいるしかない。
公正公平な人格者の君主というのは、側近もまた、公正公平を欲する正義漢たちであり、だから、実力と人格で他者を登用する事にも抵抗されない。
まあそのために、暴君たちからスパイが送り込まれてしまうわけだが、そのスパイは、手柄を立てた挙句には、誅殺しか待ってない。
暴君というものは、常に傍にいて取り入り続けない限り、誰に対しても殺戮者に過ぎない。
イワン四世やスターリンなんかが典型だが、彼らはむしろ、手柄を立てた将軍などを粛正することで、側近の嫉妬と不安を抑えていたわけだ。
まあどちらも、確信犯的に行っていたとは思えない狂人だったが。
もちろん、現代においてそんなことしてる独裁国家は、イラクや北朝鮮みたいになるだけだ。
皮肉なのは、その資本主義国家こそ、実態は実力主義などではない、本当の寡頭支配者たちによる愚民化支配のディストピアだということだ。
そこでは、実際は、ただ権力者たちの身内が、新進気鋭の経営者だとか科学者のフリをして、愚民たちを勘違いさせて、手柄を立てれば、全て奪って、その危険な本当の実力者たちを、さっさと始末するのである。
彼ら邪悪な支配者たちの唯一の盲点は、そのような愚民化政策の結果は、本当に無能なだけのバカが増えまくり、もはやそんな豚どもを、どんなにおだてようが、木に登って、有用な技術革新の果実を持ってくることなど叶わないということだ。
もちろん、最近ではそれに気づいて、クローン技術で、かつて断絶した優秀な人材を甦らせたりして、最後は始末すること前提で利用し、その後も必要ならクローンだけ作って利用する気満々なわけだが。
だから、MGS2のソリダス・スネークみたいな男は、子供が作れない身体にされているのである。
あれは、もう本当に実行した陰謀なのか、計画だけ考えられていた陰謀なのか。
性悪説、性善説みたいな話だけど、皆が皆自分可愛さ、身内可愛さってあるよな。当たり前に。
だから保守批判の左派とか心底受け入れられないのかもしれない。
彼ら、保守をとことん嫌うのは自身が保守でないとする根拠を他人の保守性の批判にしてるだけでしょ。
性犯罪者が性犯罪批判して自身の更生を保とうとするのと同じようなものかも。
思想が違う相手にはとことん差別的に見下した言葉だろうが構わず使ってボロクソに批判したり嫌悪するけど、自分事や身内事になるとこれは差別じゃないやらデマじゃないやら言い訳ばかりで滑稽になる。
さらには自身の痛いところを身内と思ってた人が指摘したら極右になったとか言って何も聞き入れなかったりして、下手に保守派とされてる人よりめちゃくちゃ保守っぷりが前面に出てくる。
人として無様すぎるんだよな。
日本人批判する時も彼らためらわないのはその“日本人”の中に自分がいなくて、“自分は違う”“自分は反省している”“自分は差別的じゃない”等と全て自己申告性の保身が出来ているからズケズケと批判できる。
でも本当に批判が自分に向けられた時には耐えられないから保守しぐさになっちゃう。
保守批判しながら結党100周年とかめちゃくちゃ誇り持ってるのも滑稽すぎる。都合の悪い歴史は修正してるしね。どの口で他所を責めれるんだ。
そもそも保守や全体主義に反する人って保守のように群れたり、寄ってたかって叩いたりして悦に入らない。
集ってデモしてシュプレヒコール上げて、カウンターとか言ってみたり。そこに異物がいたら囲ったり排除したり。あれのどこが左派なのか。
チー牛とかネトウヨとか世の有象無象に好き勝手にレッテル貼られて馬鹿にされても我関せずと立派に生きてる男性達や、フェミアンフェやら男女対立のいざこざに絡まず他人は他人と個々に生きてる立派な女性方々こそが一人一派や多様性があり、左派リベラルを自称する方々よりよほど左派的であると思う。
とりあえず保守に対しての左派とか言う欺瞞はもう世界的にやめて良いと思う。
だな。非公開アカウントにすることをゾーニングと考えるのはイレギュラー。
投稿ができるどんなサイトでも、個別の投稿ごとにその投稿が年齢制限が必要かどうか申告したりチェックされる機構があり、それが本来のゾーニングなんだよ。
非公開化は、自分という存在自身を隠すことで、本来的にはインターネット上の衆目から隠れたい、クローズドな友好関係をそのプラットフォーム上で持ちたい人のためにあるものだろう。
だが、社会とインターネットがほぼ等しくなっている現状、実際には、非公開アカウントを作る人は、社会的によろしくない犯罪(売春や薬物など)やテロなどにまつわる、後ろめたい人を利する仕様になっている。
プライベートなメッセージングは、公開アカウント上でもDMなどの機能で実現できるわけだから、世の中のWebサービスでは非公開アカウントが作れないようになってきている向きがある。
BL趣味やナマモノ趣味は犯罪ではないのだから(国や程度によっては犯罪かもしれないが創作物ということで基本的に守られるだろう)、犯罪者のようにコソコソする必要はないが、
好き嫌いの分かれるものだという自覚があるせいで、一般的なゾーニング機能を信じられず、自分で一人ひとり承認するために鍵をかけているような側面があるのだろう。
確かに一般的なゾーニングは自己申告ベースなのでくぐり抜けることも可能で、未成年が成年コンテンツを見たり、悪意ある人が興味外の分野を見に来ることも可能ではある。
だが、そのような性悪説にもとづくのではなく、性善説にもとづき、自分のbioかどこかに然るべきサイン(自分は○○な者なので嫌いな人は近づかないでね的な)をしっかり残してさえいれば、
勝手に入ってきて騒ぐものを無視したりどう扱っても構わないという強い心を持つべきだと俺は思う。そしてノイジーな人間を無視するのが難しいのであれば、各自でNGワードやら何やら、コンピュータ的な自衛手段がいくらでもあるはずだ。
ネットというのは昔から、気の狂ったようなゴミクズ野郎がそこら中にうようよいるものであり、それはそういうものとして、どう心理的距離を置いていくかということを考えるべきだ。
そうしたノイジーな群衆を個人の裁量でコントロールしようと思うことが間違いであり、それが非公開アカウントというやり方の筋が悪い理由でもある。
ネットにはまとめサイトや週刊誌記事を読んで真に受けるようなアホがゴロゴロいるが、知人が週刊誌まとめの言うような悪意・偏見を垂れ流していたら「うわぁ…信じられない」と態度で示して縁を切るだろう?
筆者はPixivでイラストを見て回るのが日課であるが、最近「AI無断学習禁止」と入ったイラストが目立つようになった。
AI生成イラストで絵師界隈が荒れているのは知っていて距離を置いているものの、とうとう戦火がここまで広がって来たか、と痛感している。
ChatGPTなども文章の無断学習で成り立っていると言えなくないが、筆者は無断学習を行う生成AI全てを規制すべき"ではない"と考えている(し、そもそも現実的に難しい)。
しかし、AI生成イラストに関しては明らかに紛争の火種になっているので、一定の規制が必要であると提唱する。
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もし規制をするのであるならば、その範囲は限局的にすべきと筆者は考えている。
著作権法の方でやってしまうと、意図しない範囲まで規制対象では?となってややこしくなってしまう恐れがあるため、
著作権法ではなく不正競争防止法の改正を用いて、イラストの特定部分の無断学習をピンポイントで規制すると言う案を提唱する。
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規制行為は、『権利者の許諾なく、機械的かつ反復的に保護対象の著作物を人工知能等に学習させる行為』
保護対象は、著作物(イラスト)のキャラクター部分のみ。具体的に言うと線画の段階でアウト。アタリとかの段階ならセーフ、
法文に起こすなら、『保護対象の著作物は、絵画の偶像部分と定める』、『線画より前の段階は、原則偶像と見做さない』みたいな感じで。
キャラクターと法文には流石に書けないので、「偶像」と言う表記が最適かなと(人物像とかだと対象が人間に限定されてしまう)。
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「権利者の許諾なく」とあるのがミソで、裏を返すと許諾を取れば学習して良いとの解釈になる。
これにより、絵師さんが一次創作のイラストを「学習料を払えば学習していいですよ」とすることが出来る。
そうすれば、絵師さんも金銭的に潤うし、生成AI側も権利関係をクリーンにする事で安心して利用してもらえるだろう。
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しかし、これだけではクリーンな生成AIがシェアを取るのは難しいし、法案の施行より前に無断学習されたものの規制は不可能(法の不遡及)。
そこで筆者が提唱するのが二本目の矢、「生成AI課税」である。
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基本的に生成AIは何かしらの無断学習をしている事を前提とし(性悪説)、事業者が生成AIで得た収益の一部に課税をすると言う案。
但し、許諾が取れたものだけを学習させている証拠を提出し、それが認可されれば免税措置を受けられる。
日本国外に本社機能を置く生成AI事業者に関しては、法務及び税務手続きを行う為の窓口を日本国内に設ける事を義務付ける。
筆者は法律に関しては無知なので、具体的には書けないがざっくりこんな感じ。
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終わりに、筆者のお気持ちなど。
自分から言っておいて難ですが、後者の生成AI課税は現実的に厳しいかもしれません。だけど、前者の「限局的なイラストのAI無断学習の規制」は何とか実現されて欲しいです。
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これ以上界隈が荒れて傷つく人が増えて欲しくない(絵師さんも生成AIの利用者も共に)と言うのが筆者の願いです。
そしてその為には、やはり立法が動いてくださらないと沈静化はとても厳しい。
特定の(国会)議員さんの名前を出すのは憚られますが、山田太郎さん辺りにお願いできませんでしょうか(界隈に通じてそうな議員さんがこの方しか浮かばなかったので)。
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私のPixivのブックマーク欄に「削除済みもしくは非公開」が増えるのはもうたくさんです。
イラストを公にアップする絵師さんも減ってきている気がしますし、無断学習によって絵師界隈が萎縮していると個人的に感じています。
だからきれいに食べきった状態を店員に確認してもらったら次回ドリンクバー割引券をくれるサービスも始めたんだよね
元増田について1点だけ訂正させてほしいのは「店が客に任せるのは性善説に基づいている」という事実を誤認してる所
自動配膳などの自動化は大半の客は問題行動を起こさない(=性善説)から採用できるのよ
元増田も本文で言ってるけど、犯罪犯すやつが少ないから対処コストが安いって判断してるだけなのよね
さらに踏み込むと、性善説って「すべて」の人がいい人だ。って前提に立って考えるものなので、リスク管理や費用対効果などを考える時点で