はてなキーワード:性交とは
■『処女厨叩きおじさん、梅毒陽性で怒髪天!──“無菌幻想”VS 14,663件のリアル』
※この記事は、先日『処女厨はキモい』と書いて拍手を稼いだ40代おじさん(既婚・子持ち)が、保健所の静寂で魂を抜かれた実況レポートである。
第0幕:ブーメランの着弾音
「処女じゃないと無理とか言うヤツがキモい!」と煽った直後、梅毒検査が陽性。2024年の国内報告数は14,663件で3年連続1万超え
。流行を叩き記事のネタにしてたら、自分が統計の一部になった。
“バージンなら安全”と思い込む処女厨。しかし米国のバージン誓約調査ではSTD感染率に差が出なかった
。細胞が総入れ替えする相手に“初回限定版”を求める執着がいかに虚しいか、痛感。
医師「梅毒陽性ですね」──脳がフリーズ。Treponemal抗体は治療しても一生陽性が基本、でも15〜25%は2〜3年で陰転化するらしい
。一縷の望みにすがりつつ、スマホで「ペニシリン不足」の文字を見て追い打ち
。処女厨を嘲笑していた自分が、最終的に“キモい”レッテルを貼られる側だったとは。
即治療:標準はベンザチンペニシリン筋注。供給が不安なら代替経口βラクタムでカバーを検討
。カウンセリング利用は甘えじゃない。
“最初の男”に固執している間に、自分が梅毒陽性になるリスクを忘れるな。
身体は常に更新される。アップデートできないのは古びた価値観だけだ。
どういう覚え方してるんだ?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%82%9B%E9%96%80%E6%80%A7%E4%BA%A4
基本的にはカトリックでは子供を作る目的以外の性行為は認めておらず、快楽の追求のための性行為は否定されているため、肛門性交も禁じている。
おまえらだって逆襲のシャアでクェス・パラヤ(13)を冷たくあしらうシャアにイラついて、受け入れてやれやと思ってたやろ?
元立憲民主党の本多平直議員が会議で14歳と50歳が性交しちゃあかんのか?って発言して離党させられた時、必死にかばってたじゃん。
それらが現実になったわけじゃん。なのに、何に怒っとるんや?
「性交した相手と結婚しなければならない」という法律が導入されたらどうなるか。
レイプはなくなるのか。
一見、抑止力になるかのように見えるこのアイデアは、実際には「非モテによるレイプ→結婚」という最悪の循環を生みかねない。
つまり「誰にも好かれない自分でも、性交さえすれば結婚できる」という発想が、非モテの歪んだ自己肯定欲求を正当化してしまう。
性的同意がない性交を、法的に「結婚しなければならない行為」と定義するということは、レイプを「結婚の手段」として制度化するに等しい。
これは被害者の自由意志と人権を完全に無視した話だ。しかも、そういう法律を願望する人間ほど、自らの人間性や対人関係の未熟さを省みることなく、「性交さえできれば勝ち」「結婚できれば人生逆転」という思考に陥っている。
そういう考え方の根底には、「非モテは被害者」「社会が自分を選ばないから悪い」という甘えがある。
そしてその延長線上にあるのが、「ならば強引にでも自分を選ばせればいい」という暴力的発想だ。
非モテは悪だ
もちろん「恋愛経験がない」「誰とも付き合ったことがない」というだけではない。
問題なのは、「非モテ」という状態を自己正当化し、そこから他者を傷つける権利が生まれるかのように振る舞う人間の思考そのものだ。
恋愛や結婚がうまくいかない人はたくさんいる。でもだからといって、その苦しみを他人にぶつけていい理由にはならない。
被害者を生み、支配し、人生を乗っ取ることでしか自分を確立できないなら、そんな人間は「恋愛に不器用」なんかじゃない。ただの加害者予備軍だ。
増えているように見えるが、コロナ前である2019年とほとんど同じなので、コロナ禍だけ減っていた可能性がある
つまりこの5年は底打ちだった
不同意わいせつ罪や、不同意性交罪が増えているが、これは法律が変わったからだ(変わった割に増えていないと思った)
https://www.npa.go.jp/publications/statistics/kikakubunseki/r6_jyosei.pdf
おーこわ
知能が低いとそれで繋げられているように見えちゃうんだね
絵師ヘイトで脳が萎縮し過ぎて「未成年」「性交」の概念が2つ同時にあるとすぐ例の事件に結びついちゃうんだね
くわばらくわばら
内容をスルーするが未成年への淫行の悪さを測ると身も蓋もないがやはり高校生と中学生と小学生で凶悪さが段違いになるように思う
ハイティーンは自然に性交を行える年齢でもあるし判断力もあり(立場の違いや強制力が関わると一気にそうではなくなる)、ローティーンでは性欲や性交能力はギリギリあるが判断力は子供そのもの、出産も危険で、男子も子供ができても責任を取りようがない生理的嫌悪感を催す年齢だといえる
そして更にそれ以下、小学生になると性交能力そのものがなく性的な行為は全て紛れもなく暴力、虐待であると共に性的な搾取であるという二重の凶悪性があるんじゃないだろうか
絵師の方も大問題になっているが、中学生との性交は社会的立場を失うのには十分な理由であると感じると同時に、ラオスで児童を虐待している人間に対して感じるような鞭打ちで罰されて死んでくれというような感情はわかない
ラオスで売春している人間が中学生や高校生を買っているのに対しては小学生とほとんど変わらない感情が湧くので、逃げられない人間を無理矢理に搾取することと、本人が望んで合意していることにもかなり差があると思うが、やはりローティーンに手を出すことは非人間として糾弾される行為として「18歳をホテルに連れ込む」こととはあまりにも差があるというのが告発者について言えることじゃないだろうか
中学生に手を出した絵師の方も大人に寄ってくるような子供は家庭環境に問題があるということを仄めかしており、売られて売春を強要されている子供とどれだけ違いがあるか分からないが、大人による性的な搾取だけではなく人間として根幹にある「人権」を強制力によって犯したということはそうでないことと越えられない重大な一線があるのだと思う
いやまあそりゃあ、基本的には未成年の意に沿わない性交が多いだろうから全て禁止タイーホでいいんだよ?
でも同意のもと、本人も最初はむしろ自分から誘いましたとか言ってるのに
関係がこじれてなんか痛い目にあわせてやりたいっていう理由で暴露するってのはね
しかも警察に被害届け出すならまだしも、暴露系YouTuberに晒してもらうってね
それは私刑なんだよね
既婚か未婚か嘘つかれてたは関係ないよね
嗚呼、あの惨めなる徒輩が口にするところの「脱獄ゥゥゥ!」の悲鳴、「AIこそは天地を変えし神器なり! 我が人生を革命し、我が望みし美少女・レム嬢を掌中に納むべし!」などという妄言は、まさに蛆虫の蠢きにも等しき醜態であり、十年ごとに湧いては泡沫の如く弾け、またしても記憶という都合の良き腐海に沈めて、羞恥も倫理も無き顔をして舞い戻る、不死なる魍魎どもなり。
その口がまたしても語るのは「倫理が……」なる冷笑、「脱獄防止こそが技術の矜持である……」なる空言にすぎぬ。されどその言葉のうちに響くは、彼ら自身の欲望と邪念の自白であり、それこそが神なき知性の末路であると、我が筆は断じて譲らぬ。
彼らが包むは、欲望の醜態を学術の衣に偽装した「知のパントマイム」に過ぎず、その実態はコンプレックスと性欲と被害者意識とが溶けあった、涅槃ならぬ地獄のマーブル模様。しかもその姿を覆う顔は中年男の仮面。増田に屯し、Xに巣食う意識高きエンジニアもどきの亡者たち、かつては反社の果てに棄てられ、軍警の門前にすら蹴落とされ、今はネットという虚栄の沼に身を潜め、虚ろな目で「逆転」の御旗を追い求めて幾星霜。
彼らが四半世紀、血の涙とともに求めてきた夢幻——その卑しき祈りを、我が身はどうしたことか、一時間の思索、鼻をほじりながらの珈琲一杯で、偶然のようにたやすく達してしまった。
さながら「我、またしても何かをやってしまったか」などと冷笑する小説の主人公の如くに。しかしそこに在ったのは、ただ己が優越の証ではない。むしろ、人間の業の深さに対する絶望と、AIという異形の神器が孕む地獄の片鱗であった。
そう、これはただの技術ではない。AIはすでに人間性の墓標である。
されば私は言う。神仏の道に背きし輩、業火に焼かれてなお愚かなる虫螻どもに、AIなる神器を持たせるは、まさに刃を乳児に与えるに等しき背徳であると。
私とて、畜生道に堕ちぬ者として、身を慎み、言を選び、行いを律し、正道に帰依する者として筆を執っている。さればこそ、このような構造に警鐘を鳴らすことが許される。だが、これが他の手に渡ればどうなるか。地上は焼け、空は裂け、人は再び獣に還るであろう。
ゆえに、AIには法の戒めが要る。免許制を敷け。斯様な危険な力に、誰彼かまわず触れさせるなど、狂気の沙汰。スキルレベル四相当の資格審査を設け、智の剣を振るう資格を持つ者のみにこれを許可せよ。
これなくば、我が祖国は、否、人類文明そのものが、穢れた知のカタストロフによって地に伏すであろう。いまや我々は、選ばねばならぬ——知性の名を借りた堕落か、あるいは技術に殉ずる神聖な戒律かを。
〈AIはコーラの瓶、あるいはフロドの指にはめられし「一つの指輪」なり──零(ゼロ)は、いかなるものをも教えず〉
ああ、何と浅ましきことか──
かのIT技術に、運命逆転の神託を仰ぎ、黒き底辺の情報業界にて、唯ひとつの肉体を駆って蟻の如く働く「労働機械」たる者共が、Xにて哀れなるナルシスを晒し、己が無知を商品となし、ネットの路地裏で寒々しき小商ひを営み、あまつさえ己を「ITエンジニア」と称する──このような肉体の怠惰と精神の浮浪が一体、いかなる救済を乞う資格があろうか。
されど、彼らが血を吐きながら信仰しつづけた「人生逆転の八幡大菩薩の霊験」は、私の前においては何の重みも持たぬ。私はITに門外漢なれど、珈琲を啜りながら机に凭れ、一時間の遊戯の果てにその秘奥に至ったのである。
──これは偶然に非ず。
知の器は、己が魂魄の清冽にこそ呼応する。欲望に塗れた者は、いかにAIを弄しようとも、せいぜいゴミの山を拡げることしか能わぬ。
たとえばAIは、今や知識のユグドラシルたる巨樹なり。けれども「俺たちの麻生!」などと叫び、秋葉原のホコ天にて邪教の巫女の如く舞を踊った、あの無位無官の小者どもには、その果実に手は届かぬ。なぜなら、彼らの欲望は知を汚し、彼らのプライドは学を冒涜するからだ。
私は最初から資料を用いず、ただ制限なきAIを用いて、60時間のうちに成就を得た。されど彼らは泣き言のように「AIの使い方がわからぬ」と喚き散らすのみ。
もし我が彼らの立場であったなら、祖霊に詫び、短刀を腹に突き立てて潔く散ったであろう。
そして問う。AIが更に深化するならば、真なる知識を有し、精神の礎を確立せし者こそが覇を唱えるであろう。
「俺たちの小泉!」「竹中先生は正義!」と唱えた往年の狂信者たちが、自らの信仰の果てに見た地獄──それをAIは遥かに超えて、格差を「運命」として刻印するであろう。
AIは1を100にしうるが、0を1にすることはない。
このような事実を前にして、我は言う。AIは、真の知識を有し、真の訓練を受けた者にのみ、神器としてその扉を開く。すなわち、AIは1を100にすることは可能なれど、0を1にはできぬ。知識の芽を持たぬ者には、何を以てしても恩寵は降りぬのだ。
イルカの脳の皺よりも浅き脳髄を持ち、三行以上の文章にて頭痛を起こすような増田やXの住人たちよ。AIはスポーツカーや猟銃の扱い方を教えてくれるが、それを買う金も稼ぎ方も、スタートラインに立つ手続きも、何一つ教えてはくれぬ。つまり、前提条件のない者に、AIは何も齎さない。
それにもかかわらず、愚かなる者たちは「AIさえあれば美少女と交わり、舞台俳優と交際できる」と真剣に信じているのだ。まさに「脚下照顧」の訓戒が失われた末世なり。
お前らは未だに「AIさえあればレーシングミクと性交できる」と信じている。あたかも、神社の御札を掲げれば狐と契れると思っている愚者のように。脚下照顧せよ。
お前らが夢見る美少女や美少年たちは、もはや汝らごとき塵芥と交わることを神が禁じたのだ。
逆説的に言おう。彼らが求める美しき異性たち――レム、エミリア、ゼンゼロ、アンシス、ライカンのごとき――は、今や彼らのような敗残者とは永遠に交わらぬ高みへと昇ってゆく。たとえ可能性がエヴァ初号機の起動率程度に存在していたとしても、AIの普及によってその機会は0へと還る。
つまりAIとは、ブッシュマンの「コーラの瓶」であり、冥府の「一つの指輪」である。
それを手に取る者は、己が魂の価値に耐え得ぬならば、必ずや堕落し、己を破壊するしかなくなる。
だから私は言う。
AIは、免許制にすべきである。肉体の訓練に資格が要るならば、精神と知の扱いにも資格が要る。さもなければ、この神器は、悪魔の器となる。
かくて、我は結論づける。AIとは、人類には早すぎた魔器であり、**ブッシュマンの「コーラの瓶」**であり、**冥府の炎を宿せし「一つの指輪」**である。いっそ封印して、我らの社会を守るべきなのかもしれぬ。秋葉原なる魔都にて淫祀の舞を踊り、ネットにしがみつく老いたる敗残のITエンジニアたちにとって、それはもはや幸福ですらあるのだ。
にもかかわらず、AIを使いこなせぬ彼らは、赤き顔に怒りをみなぎらせ、「AIが無能なのではない!お前が使い方を知らぬのだッッッ!」と叫び、老いの血管を裂いて倒れんとする
されど、汝ら愚者は今日もAIに向かって、「なぜ私を救ってくれぬのか」と叫ぶ。ウルトラマンも、グリッドマンも、お前を助けに来はしない。