
はてなキーワード:急逝とは
沖縄で、全島エイサーまつりというイベントに自衛隊が出場したことと、それに対して抗議の声が上がったことが問題になっている。批判する側は、自衛隊がエイサーまつりに出場したことを問題視し、対抗する側は自衛隊を理由に批判することは職業差別だと主張している。沖縄県議会では9月後半の代表質問・一般質問で主に自民党議員が多数この問題を取り上げ、10月8日に「自衛隊に対する職業差別を許さない抗議決議」を提案しようとしている。
Togetterでは沖縄タイムス記者の発言を捉えて「職業差別だ」と批判する方のまとめが複数上がっているが、件の記者の発言は論外として、今回の出場は経緯や選出基準が不透明であったりして、逆に自衛隊の稚拙な宣撫活動が喝破されたのを取り繕っているように見えるので、その点について述べる。
なお、自衛隊が沖縄復帰直後に住民登録さえ拒否されるオウム真理教ばりの扱いをされていたことや大学に入学した自衛官を大学生がボイコットしたこと、他方でかつて防衛局長が辺野古基地建設の書類提出を「犯す」という表現で女性への性暴力にたとえたことや先日中谷防衛大臣が自衛隊への抗議を「過度な妨害活動」と呼んだこと、エイサー自体が近年の太鼓偏重、アンプ使用による高出力化によって伝統の枠を超えて迷惑の域に達しているのではないかとの議論があることなど、エイサーと自衛隊にまつわる論点は多数あるが、ここでは割愛する。
エイサーは、沖縄でお盆に先祖を迎えるための踊りで、期限は一遍の踊念仏にあるとも言われているが、現在ではおおむね太鼓を持つ男衆と手踊りの女衆に分かれた夏の風物詩的に定着している。学校でも運動会の演目として行われることが多く、「北海道では全員学校でYOSAKOIソーランを踊る」というくらいには、沖縄の子どもは全員踊ったことがあるはずだ。
お盆に踊られる本格的なものは、旧暦の盆の3日間を中心に、夜中に町々を練り歩く形で行われる。これを道ジュネーという。かつては各地域で道ジュネーとして行われていたものを、コンクールにしようと1956年に始まったのが全島エイサーまつりの前身であり、約70年の歴史があることになる。なお「全島」というのは復帰前の沖縄で、沖縄全土を表す言葉として「全琉」と同じくらいよく用いられていた用語である。「順位付けはなじまない」としてコンクール形式は早々に廃止され、現在では各地のエイサーを一度に見ることができるイベントとして定着している。
伝統的に、全島エイサーまつりは盆の行事としてのエイサーが行われる旧暦7月15日の直後の金・土・日に行われることになっており、今年は9月12・13・14の3日間にわたって行われた。自衛隊はそのうち初日に登場している。初日はここ数年は本式に習って道ジュネーを行うこととしていて、一定のルートを選ばれた団体が次々に更新する、ディズニーランドのパレードのような形で行われている。それと同時に、道ジュネーのゴール近くに固定演舞会場を設け、そこでもエイサーが披露されるのだが、その固定演舞会場での出場者に自衛隊のエイサーが登場している。
まず、エイサーは地元行事で、出場するほとんどは地域の青年会となっている。学生時代は学校単位で踊っていたエイサーも、大人になって踊るのは青年会単位となるのが基本で、それ以外は芸能ショーなどを行う団体が少数あるだけだ。同じく伝統行事のハーリーが職域対抗戦を設けているのとは一線を画している。なお、毎年5月に行われる手こぎボート競争である那覇ハーリーの一般団体の部には陸海空の自衛隊や米軍が参加しており、これに対する異論を聞いたことはない。
今回、3日間を通じて青年会以外で出場した団体は以下のとおりである。
https://www.zentoeisa.com/schedule/
琉球風車と名桜エイサーは大学のエイサーサークル、東京と名のつく2つは県外でエイサーをやっている団体、琉球國祭り太鼓はショーを行っている団体だ。また、青年会以外のエイサーは「子ども団体・特別出演団体募集」として例年募集され、選定結果も公開されている。
今回、選定結果が一切発表されず、8月のプログラム公開で明らかになったのが自衛隊と吉本橙風太鼓の2団体だ。吉本-はよしもと沖縄エンタテインメント所属芸人による団体で、吉本と自衛隊の2団体だけが、ほぼ存在しないと先に描いたプロ以外の職場単位のエイサー団体となっている。勘ぐると、自衛隊だけだと目立つから吉本にも出場を依頼したのではないか、と考えてしまう。同サイトに2011年からの出場団体が掲載されているが、
が出場した例は1つもない。
これまで何十年か、エイサーまつりを見てきた者の感覚としては、エイサーまつりは青年会のもので、県外・大学・女性・子ども団体がそれに付随するもの、というのが一般的なのではないか。そこに突然現れた自衛隊は、これまでの歴史上も異質なものであり、突然選定されたことに対しては戸惑いを覚えるであろう。(コンクール形式ではなくなったとは言え)エイサーまつりは地域対抗のもの、という意識は強いはずだ。そこに自衛隊を出すというのは、演舞自体がどうこうという以前に、場違いなものに見えたはずだ。自衛隊が無理矢理に参加したのか、主催者が無理矢理に参加させたのか分からないが、自衛隊が地域に溶け込んでいますよ、というアピールを拙速にしようとして反発を受けたもののように見える。
なお、自衛官個人がエイサーに参加することの是非を論じている者はほとんどいないと思われる。今回、彼らは「陸上自衛隊第15旅団」を名乗って参加し、メンバーは全て自衛隊員で、エイサーに使う道具は全て自衛隊が公費で購入していることが明らかになっている。「自発的な活動に文句を付けるのは職業差別だ」という反論は、これらの事情を踏まえると意味をなさなくなっている。青年会単位で参加するのが基本のエイサーまつりに、無理矢理職場単位で参加した・させたことが前例に外れていて、そのことについての説明がないのが問題だ、というのが違和感を覚える側の意見であろう。
ちなみに、前市長の急逝を受けて今年当選した沖縄市長で前県議会議員の花城大輔氏は高校卒業から4年間を陸上自衛官として過ごした経歴があり、現在沖縄県議会の沖縄市選挙区から選出されている小渡良太郎氏の父で元県議の小渡享氏も防衛大卒で元海上自衛官である。
元の投稿して2年後ぐらいに彼女できて、大恋愛の末に先々月別れた。「寂しい」の意味が分かった。
元カノとは仕事関係で知り合って、最初は週末に飲みに行くくらいだったけど、だんだん週2~に増えて、もう付き合った方が話早くね?みたいになって付き合うことになった。一緒に居てストレスがなかった。最後の方は週末同棲みたいな感じだった。
色々あって最後は自分の方から別れを切り出した。別れた直後は会いたくて仕方なくて何回もライン開いたりして、でも無理で何時間も悩んだりして、でも連絡取ったとして二度と付き合うことはないのにとか思って、「あ、今、寂しいんだ」って気づけた。自分の半分が無くなったみたいな感覚。
別れてから、彼女と定期的に行ってたお気に入りの焼鳥屋には一度も行けてない。店の人に気まずいとかじゃなくて、楽しかったこととかを思い出すから。これも「寂しい」だよな。
でも思ったのが、「寂しい」が、「死にたくなる」みたいなレベルのショックな感情じゃなかったこと。
お腹すいたからコンビニに何か買いに行きたい、あの映画見たけど〇〇が死ぬシーンで泣いた、〇〇の時計欲しい、みたいな、他人との軽い雑談の調子で「寂しい」って使ってもいい。拍子抜けの半面、ただ経験が足りなかっただけで、感情が欠落みたいな異常じゃないことが分かって安心した。
自分でよくよく考えてみたけど、高校生の時に、中~高で育ててくれてた祖母(親がパッパラパーすぎて預けられてた)が受験の日の前々日にガンで急逝したんだけど、「おばあちゃんと一緒に消えてなくなりたい」ってしばらく考えてた。自分の中では一番大きなショックの感情で、これを超えるつらさってあんまりないから、気づけなかっただけかなとも思う。よくよく考えたら、これも「寂しい」だよな。
身内の死比較漫画(1日限定公開全編公開)https://x.com/tokitadesu/status/1964290371191787825 が流れてきたのをきっかけに(今日コミティアだから公開なのですね)。
昨年夏に母方叔母(母の妹)の孤独死がありました。本人80歳過ぎ、夫逝去済み、子なし、認知症入り始めてたと思うが診断降りておらず、ケアマネ等地域医療にもつながっておらずで死後1か月未満で発見。
・発覚=悪臭がたちこめ、管理会社が警察に連絡。マンション(持ち家)の鍵が開かず、最終的にはしご車でベランダから立ち入り。一夜経ち、本人居住の警察署から親族経由で自分が警察署に電話を折り返す。土曜日。※この時の消防車の請求はきてません
・1時間後に警察署到着。本人確認できる状態ではないため、室内にあった写真で「あの住居に住んでいたのはこの人ですね?」と誰何され、まぁ確定
・「検死に回すので9万円必要になります、葬儀会社が当座払うので後で精算してください(神奈川県なので)。葬儀会社には『警察案件なので』と伝えてください」と言われる
・「小さなお葬式」に電話して「警察案件なので、よろしくお願いします」と伝える。斎場が決まり一報。「検死の終わりがわからず、そちらへの到着が月曜以降になるかも」と前振り
・兄と合流して管理会社に向かう。ここではしご車の話、半年分滞納していた管理費の話(いまどき手渡しで、未納を指摘されても対応できなかったらしい)をされる。特殊清掃会社も紹介してもらう
・特殊清掃会社の担当者が1時間後に来てくれて内見。1KD50㎡の見積もりが2日間作業で133万円。相みつを取る余裕もなく(ご遺体はもうないがニオイがすごいので。虫もすごかったはず)、言い値で承諾、鍵を預ける。一連の費用は母が払うことに
・自分とのやりとりで「匿名にしますので会社の宣伝で作業の様子をYOUTUBEにアップするのOKしてくれたら3万円値引きします」と言われ、一瞬迷ったが断る。兄にバレたら面倒だったので
・土曜中に検死が終わりましたと日曜午前に警察から一報あり。時間を合わせ、母、兄と共に斎場にかけつけたが叔母は専用の袋に密封された状態で納棺され、棺自体も蓋をしたまま。顔を見てお別れどころの騒ぎじゃない。泣き崩れる母。たしかここで死亡診断書をもらったような。
・命日は推定。死因は持病(がん)由来の炎症。この記述があって、がん保険が満額出た
・いわゆる「葬儀」はできません、「直葬」です、と斎場から念を押される。3日後の火葬までの間に、駆け付けられる親族を一堂に集めて、平服でお別れの会を20分設ける。線香をあげられるタイミングはここしかなかった
・火葬の際にお坊さんに念仏を唱えてもらうことに決定。「小さなお葬式」に宗派をつたえて戒名をオーダー。位牌を作るつもりはなかったがプランの中に含まれていたのを見逃しており、後日突然宅急便で届いて慌てた(返品もできず)
・火葬日当日、我が家は斎場に向かい霊柩車に伴走する形で火葬場入り、他親族&僧侶は直接火葬場集合。火葬炉に入る直前、お棺に花を入れさせてもらえることになったが、蓋を開けたら白い布団がかけてあり、ご遺体の様子はまったく見えず
・待つ間に通夜ぶるまい(のランチ)。食後、骨上げ。叔母の私物は、特殊清掃会社担当者が内見の際にピックアップしてくれたスマホと、使っていない財布しかなかったので、自分が持っていた祖父の形見(竹尺)を骨壺に入れる。
・使っていた財布やマイナンバーカードは見つからなかった。警察に「亡くなった時に着用していた衣服は処分しますね」と言われたが。いや本人が外で落としたやもしれず、いずれにしろ口座は早くに止めたので特に問題なし
・親族はここで解散。我が家は、叔父が眠っている合葬墓に向かい、その足で納骨。葬儀関連はここで終了
・室内のものは衣服・家具等すべて処分(くどいようだがニオイがすごいので)。作業終了後の立ち合い&鍵を引き取るために叔母宅へ。後日・通帳、保険証書、公正証書等財産関連書類 ・アルバム、手紙 ・アクセサリー が宅急便で送られてきた。段ボール2つ分
・都市銀行、地方銀行各1行ずつと、ゆうちょ銀行の通帳が見つかった。また、投資信託をしていることは聞いていたし、この世代の人なので生命保険にも入っているだろうとは思っていた。で、最終的に追加で都市銀行2行、金投資1社、生命保険2社が見つかった
・通帳があるものはHPで専用連絡先(相続窓口)を調べ、封書が残っているものは「お客様番号」的なナンバーを探しつつ本人死亡を伝え、口座ストップ or 死亡保障受取の手配を行う。「すべての財産は姉(自分の母)に」と、生前に公正証書を残してくれていたのが大変ありがたかった
・とはいえ「その公正証書、最新のものですか?」を証明するために公証役場に行き、必要書類を提出した(手続き人である自分と叔母とのつながりを証明するため、祖父母までさかのぼった戸籍を取り寄せた)。公正証書のコピー提出を求めた企業は多かったが、「公正証書の証明書」の提出まで必要だったのは金投資だけだった(確か。記憶曖昧)。
・母も80歳オーバーで自力で解約手続きができず、「お電話は相続人ご本人様から承ります」という企業がほとんどだったため、有休を取って実家に戻り、スピーカーにして電話連絡をする×手続き件数分。母はインターネッツをやっていないのでそもそも実家に回線はなく、リモート云々は無理筋だった
・銀行、生命保険は書類が残っていても問い合わせたら解約済みというケースが複数回あり。逆に書類が残っていなかったのに「マイナンバーのご提出をお願いします」「支店が移転します」の通知で初めて存在を知ったパターンがあった。この連絡が来なければ、叔母が口座を持っていたこと自体知らないままだった。仮に取りこぼしがあっても借金と異なり、調べる手段がない(と思っている)。叔母の財政上、無借金はほぼ確なのでそこは心配していないがマイナンバーで管理が簡単になるとよいと思う
・郵便物が残っていない各所引き落とし先を探すため、残高証明書と同時に過去3年分の出金記録を取り寄せて、片っ端から潰していった
・相続税算出に当たり、命日時点の残高が必要だったが最新の残高を調べてしまったので、残高証明書については二度手間になった
・郵便受けの鍵が見つからず、鍵屋を読んで錠前を壊してもらう。現場で「身分証明書と、故人とのつながりがわかるものを見せて」と言われ焦る(叔母あての郵便物をたまたま持っていたのでギリセーフ)。鍵は後日、初期のうちに確認した印鑑群の中から見つかった
・昔の人らしく「通帳ごとに印鑑を変える」で印鑑は複数あったが、手元に残っていたどの通帳とも合致するものがなかった。まぁもう印鑑なくても手続き進められましたが…
・長年通っていたカルチャーセンターに挨拶に行き、同窓会に差し入れのお菓子を持参し、8通ほど届いていた年賀状に訃報を返信。これでひととおり周知は終了(スマホは個人情報で開けられず退会のみ。紙の連絡帳は残っていなかった)
・靴のかかとを踏んだまま歩き、加齢臭が漂っていて、身だしなみが整えられなくなっており、認知症の前段として「ものわすれ外来」へ誘導するなどしてみた。が、CTスキャンで異常が出ず長谷川式もクリア。そうなると「私はまだ大丈夫」とケアマネ等の地域医療に繋がってくれなかった。もし繋がっていれば「死後しばらくしてからの発見」にはならなかったのでは
・母と叔母、姉妹で同じ養護老人ホームに入るべく下見をスタートした2週間後の急逝だった。何度も何度も入居を勧めたため、一度「私の友達で、そんなとこ入っている人ひとりもいない!」と返された。「その人たちもひとり暮らしなんですか?」と喉まで出かかってやめたが、今となっては言っておいた方が自分の気は済んだと思う。何かあった時のために管理人の連絡先を教えてくれ、合鍵をくれetc.、何を頼んでも一顧だにされなかった。靴は一緒に買いに行った
・半年ほど前から「スマホがみつからない、どこかで落とした」。しかし実際は家の中の目につくところにあったらしく、特殊清掃の人が内見後に「とりあえずお手元にあった方がいいと思って」と渡してくれた。既にスマホが認識できなくなっていたのだ
・もう1人の兄弟と不仲だったせいで、公正証書を作成していた(兄弟は遺留分を請求できないので、そのガードのため)。これがあって、もろもろの手続きを我が家で一手に引き受けられたのは幸いだったし、なければ「相続人全員の同意」が必要だったため、ものすごく時間がかかったと思われる(代襲相続含め、対象者はあと4人いた)
・銀行、年金、生命保険etc.の書類はすべてまとめて1つのカバンに入れる。エンディングノートも書いた。サブスク関連もまとめて記入
・銀行口座は2つに、生命保険は1つに絞った。印鑑も1つに。解約した銀行や保険の書類は捨てた
・家に入ってすぐの引き出しに現金10万円を入れた封筒を準備。家の鍵の予備、宅配ロッカーの共通キーも封入し、封筒には郵便受けの開け方(右に2回、左に1回まわす的なやつ)を書いた
・独身の自分もこうなる可能性があるので、後に残る人が困らないようにせねばと強く思った。以上、お読みいただきありがとうございました。
義父の急逝につき、呆然となっていた義母(70歳)にかわり、遠方に住んでいる息子夫婦達でやったこと。
葬儀一切…父が葬儀会社に積立をしていたので、そちらで一切おまかせ。
自分たちが準備したのは通夜・葬儀前の待合室用の茶菓子・お布施のみ。
初七日を繰り上げて行ってもらったけど、あとで知り合いから、身内が遠方にいる場合は、49日も繰り上げたりするよ、と聞かれた。そっちがよかったかも。
翌日から数日間のみ休みをもらったので、市役所に行って手続き一切をした。
戸籍謄本も父の出生から死亡までと相続人の現在戸籍謄本を取得(死亡はまだ取れなかったけど)。
それから電気水道ガス新聞固定電話携帯電話保険関係についてかたっぱしらから電話して名義変更、口座変更、解約手続きの依頼。
年金事務所にも来所予約。
義父名義の銀行口座は当面そのままに。
銀行口座内の入出金のすべての動きがなくなってから、口座の解約手続きを行う予定。
頂いた香典等を帳簿につけ、香典返しが半返しになっていなかった方をリストアップして、追加の香典返し。葬儀会社のカタログギフトを利用。
お寺さんに49日の法要の日程調整、葬儀会社に法要場所を予約、食事、引出物、生花、供物用の花を依頼。
子供達は皆遠方で母もその余力がなくて、7日ごとの法要はしないことに。
通常なら、各種事務処理は、ゆっくり行うところだろうが、義母は自分で手続きをできる精神状態ではなかったし、子供達は頻繁に実家に来れる距離に住んでいなかったので、可能な限り、すませた。
義父が生前、葬儀等の準備をしていて、必要書類は決まったところにあったので、嫁の自分でも色々処理ができた。
見た限り、相続税の基礎控除の範囲内で財産を残していたので(父名義の土地も路線価で計算済み)、他に預貯金有価証券等がなければ、相続税の申告も必要なさそう。
自分はまだ40代だが、いつ亡くなってもおかしくはないし、あとの人が困らないようにしておくことって大事だな、と思った。
残されたのは私と姉。母はとっくに死んでいる。
精神疾患持ちの姉の代わりに、私が父の死に関する手続きのすべてをやって、役所に授業で聞きかじった遺族年金のことも聞いた。
しかし、受給期限は18歳になった年度の3月31日までだったので、私は父の遺族年金はもらえなかった。完。
すいません、ちょっと待ってもらっていいですか?
「高校卒業したってことは、来月から新社会人だね!給料もらえるね!むしろ自分で社会保険料払うんだから遺族年金なんかいらないね!」
え、もしかして新社会人やったことないですか?私は社宅があったからまだましだったけど、スーツやら生活用品やら食費やらでお金かかるって知ってました?
A.予測できない将来へ備えるためには、社会全体で支える仕組みが必要なんだよ
A.国民の「安心」や生活の「安定」を支えるセーフティネットなんだよ。子どもから子育て世代、お年寄りまで、すべての人々の生活を生涯にわたって支えるものなんだよ
ちなみに厚生労働省のホームページから引っ張ってきました。吐いた唾飲み込むんじゃねえぞ。
何が社会全体で支える仕組みだよ。あなた方が考えたセーフティネットをすり抜けた子どもがここにいます。バグかもしれませんね。
え、じゃあ父の今まで支払った年金はどうなるんですか?
「あなたはもらえなかったかもしれないけど、あなたのお父さんが払った年金は他の人を支えているんだよ」
まず私を支えてもらっていいですか????
「ちゃんとお金残しとかないのが悪い!」たしかにそれはそう。その意見はわかります。帰ってください。
残念ながら、この世界には親の責任を子どもに押し付ける状況がまだまだあるようです。
親が貧乏だと、子どもが苦労するのってふつうにおかしくない?なんで子どもに苦労させるの?そこを国が救ってくれよ。
※決して親が悪いわけじゃない(パチンカスとかを除く)のは強く主張します。親はまじで頑張ってる。社会人になってまじで痛感しました。親に感謝。
※だからといってすべての親に感謝するわけではないので、親に感謝するかはあなたが決めてください。
だからこそすべての人に言いたい。お前はエンディングノートを買え、そして書け。
できれば「自筆証書遺言書保管制度」を利用できればパーフェクトです。素晴らしい。
「縁起でもない」とか言ってる場合じゃありません。残された子ども、親、兄弟姉妹を考えるならまじでやろう。
母が死んだときも、父が死んだときも揉めたり悩んだ私から言えるアドバイスです。
泣きながらご飯食べたことのある人と、泣きながら役所と家庭裁判所(相続放棄の資料もらいに行った)をハシゴした人は生きていけます。私がそうです。
だけど残念なことに、いろんな書類に何回も書いたはずの父と母の命日がいつだったか覚えることが一切できない呪いにかかって生きていくことにはなりますが。
正直、俺もババア先輩(32)もお姉さん先輩(49)も「えっ、本当に?」と驚いたが、死亡届も出されており、会社の連絡網でも正式に訃報が回った。
「いや、あいつが死ぬとか想像つかないんだけど…」と言いながらも、俺たちは黒いスーツに身を包み、お通夜の会場へ向かった。
葬儀場には会社の人間も集まり、皆しんみりと故人を偲んでいた。
「おっさん、意外と愛されてたんだな…」と俺が呟くと、ババア先輩も「まあ、憎めないところあったしね」としみじみ頷く。
遺影を見ると、いつもの少しふてぶてしい顔の派遣のおっさんが写っていて、なんとも言えない気持ちになった。
そして、いよいよ焼香の時間。
俺たちは順番に手を合わせ、「まあ、なんだかんだでお世話になったよな…」と心の中で語りかけた。
「……おい、なんか苦しいんだけど」
え?今なんか聞こえたか?と思った次の瞬間、棺桶の蓋がバンッ!と勢いよく開いた。
会場が騒然とする中、なんと派遣のおっさんがむくりと起き上がったのだ。
「……あれ?みんな何してんの?誰かのお通夜?」
いやいやいや、お前のお通夜だよ!!
俺たちはパニックになり、遺族も葬儀屋も「こんなことある!?」と動揺しまくり。
しかし、派遣のおっさんはキョトンとした顔で「なんかよく寝たわ」と大あくびをかましている。
「いやいやいやいや!お前、死んでたんだぞ!?」とババア先輩が叫ぶと、
派遣のおっさんは「あれ?そうなの?でも、腹減ったな…通夜ぶるまい、俺も食っていい?」と普通に席に着こうとする。
流石にこれは現実か夢かわからなくなってきたが、最終的に医者を呼んで確認してもらったところ、
「えーと……心肺停止していたのは確かなんですが、何かの拍子で蘇生した可能性がありますね…」と説明され、結局「一度死んだけど復活した」という謎の結論に至った。
その後、派遣のおっさんは何事もなかったかのように通夜ぶるまいの席で寿司を頬張り、
「やっぱ、こういう場ではしめ鯖が一番うまいな!」と満足げに語っていた…。
帰り道、ババア先輩が「マジでお前とはもう一生関わりたくない」と震えていたが、派遣のおっさんは「でも、一度死んだらもう怖いもんないよな」と妙にポジティブな顔をしていた…。
叔父の相続戦略により、俺は800万の住宅ローンを背負わされた。
俺と叔父の密約として、祖父が逝去した時、俺が住宅ローンを気にしなくてよくなる条件で了承した。
叔父の葬式段階で、父を含めた叔父の親戚に対し改めて情報共有した。
一旦は葬式のゴタゴタもあるので、俺がなんとかする方針で落ち着いた。
しかし、叔父の嫁である叔母一家が、父たち兄弟に相続放棄を迫っている。
叔母の言い分として、自分たちが祖父の面倒を見たこと、長男の嫁として親戚付き合いをしたこと、「貴方たちは働けるでしょう」だからと。
父たち兄弟は、叔母をサポートするために発生費用を折半する行動をしたにもかかわらずに。
叔母のほか父たち兄弟は、甥である俺に対し住宅ローンを背負わせた事実を配慮する認識があるため、叔母に50%は譲っても良いと歩み寄る。
俺の計算では現状の譲歩案でも60%以上の相続になるが、しかし叔母は泣き落としで応戦する。
すでに逝去された叔父との約束だから、法律上の効力を持たないと考えるので。
しかし、なぁなぁな話し合いの結果を通じて住宅ローンを背負うことは本意ではない。
奨学金500万をようやく返せそうなところで、さらに借金が積み重なる状態だ。
俺が要求したいのは、少なくとも「甥に800万の借金を背負わせる」事実を関係者間で合意しろ。
責任を明確にしてくれ。
なんて意見の人は少数派かもしれない。
根強い人気はあるものの歴代のガンダムシリーズの中では一番人気とは言えないのは本当のところだ。
その主な原因は、監督の途中交代にあるといえるのかもしれない。
当然というべきか神田氏以外に
話の筋そのものは同じでも、
その魅力の軸となる部分を大きくズラしていかざるを得なかったのが
交代した監督が
「正直に言うとこのお話のどこが面白いのかが全く理解できなかった。」
というような本音も雑誌インタビューで答えていたような記憶がある。
そのような状況では本来の今作の魅力を再現することなど不可能であるのは当然としか言いようがない。
では、その噛み合わなさの原因はどこにあるのか?
思うに08小隊もそのような非日常の中での日常の積み上げでもって最後に大きな感動を持ってくるような構成になっていた予感をさせる作品だ。
その作品を他人が監督したときにどのような料理をすればいいのか困惑してしまうのは致し方がないとしか言いようがない。
戦争に行った若い半人前の脇役兵士が恋人だけを心の支えになんとかかんとか戦争を生き抜いていたのに、
なんて話をガンダムという枠組みでもってやってどのように面白く料理すればいいのかわからないのは当然といえば当然だ。
そうとなれば元々08小隊が一側面として持っていたミリタリーを描く方向へと演出の軸を移していくのも致し方ない。
李克強氏の急逝に関する情報、特に「殺害された」という説については、現時点では信憑性の高い情報源による裏付けが得られていません。そのため、この説を事実として断定することはできません。
比較的若く、健康状態も良好とされていた李氏の急逝は、多くの人々に衝撃を与えました。
死亡原因が「心臓発作」とされたものの、詳細な情報が公開されていないため、憶測を呼ぶ状況となっています。
李氏は習近平氏とは異なる路線を歩んでいたため、政治的な陰謀を疑う声も出ています。
信頼できる情報源から最新の情報を入手し、状況を把握することが重要です。
根拠のない情報を拡散することは、混乱を招く可能性があります。
さまざまな角度から状況を分析し、一つの情報に固執しないことが大切です。
李克強氏の死因については、現時点では不明な点が多く、様々な憶測が飛び交っています。「殺害された」という説もその一つですが、確実な証拠に基づいたものではありません。より詳細な情報が公開されるまで、冷静に状況を見守る必要があります。
日本経済新聞、朝日新聞、毎日新聞などの主要なメディアの報道を確認してください。
国際政治や中国情勢に詳しい専門家の意見を参考にしてください。
SNSの情報には注意:SNS上には様々な情報が飛び交っていますが、全てが正確とは限りません。
この情報は、一般的な知識に基づいたものであり、個人の意見を含みます。最終的な判断は、ご自身で行ってください。
李克強氏の急逝は、中国政治に大きな影響を与える可能性があります。今後の動向に注目が必要です。
主人公は王女様、跡継ぎは兄王子なので政と関係なく生きてきたが、王子が失踪した上に父王が急逝
急遽王女を次の王にする運びとなったが、「帝王教育も受けてない女を血筋だけで国家元首にしてもいいのか?」という当たり前の指摘が入る
他の有力貴族たちや国家宗教の最高指導者などが次の王になりたいと言い出し、時が経ったら10数人の有権者による投票で王を決めることになってしまった
期限までに王女は、まっとうに自己鍛錬して支持を集めたり、武力で有権者の領土を制圧して票を我が物にしたり、あるいは敵対相手を暗殺していくことになった
その過程で仲良くなったイケメン、もしくは美女と恋に落ちることもできる
だが中には、親しくはなれるが恋愛展開にはなれない相手もおり、ジジイはその一人だ
ジジイは好々爺然として、身長も170ない小柄で弱そうなじいさんだ
若い頃は名を馳せた剣士であり、かつて国を蝕んだ魔王を倒したレジェンドである
だが実は魔王は死んでおらず、ジジイを「おもしれー男」として認めて上から目線で身を引いて数十年に及ぶ居眠りモードに入っていただけで、最近復活してしまった
ジジイには妻がいる
妻は不老不死で、若く美しい姿をしているが正気を失い一人でニコニコし続けるだけでまともに会話もできない
ジジイは剣士を辞めた後でずっと妻の介護をしていたが、死期を悟る時期になり、自分がいなくなった後で残される妻を不憫に思った
若い頃に魔王との攻防を繰り広げる中、家に残していた妻は魔王の手の者に拉致され行方不明になった
数年間魔王に支配されていた影響で妻は魔族に近い存在になり、そして心が壊れた
妻が不老不死になったのは魔王の影響であり、魔王を完全に殺せば妻は解放され、死ねるはず
ジジイは攻守のステータスが様々なキャラの中で最強だが、スタミナゲージは1しかない
パレドゥレーヌには、戦士同士で訓練させれば、相手の得意なスキルが反映されて伸びるシステムがある
スタミナの高いキャラと訓練させ続けることで、ジジイはスタミナも高い最強キャラになる
やがてジジイは、王女による王族専属バフみたいなのも与えられ、若き日よりも強い戦闘力を得て魔王を殺害
妻が正気を失っていたのは魔王の影響もあったのだろう、最後に正気に戻って数十年ぶりの会話をした後で彼女は死んだ
ジジイによる魔王討伐の功績は主人である王女の功績にもなり、王女は無事に玉座についた
色んな美男美女と恋愛したり結婚したりできるのに、ジジイは最後まで妻を思い王女と恋仲にはならない
ジジイはかっこいいので、ジジイと恋愛できないことが悲しかった
でも、魔王に手籠めにされて頭のおかしくなった妻を思い続け、王女にはあくまでも従者としての忠誠を捧げたからこそのかっこよさでもある
他にも恋愛ではなく主従愛や友愛に留まるキャラはいるけど、年の差が離れていたり同性でもいけるから、ジジイともいけるのかなって期待しながらプレイしていた
川上未映子の「夏物語」がなにやら海外でも賞を取ってておもしろいと聞いて読んだわけ。分厚かったよ。
感想としては面白いというか、これ結構卑怯くさくない?っていう感想しか出なかったんだけど同じ気持ちの人おらんの?
読書メーターで同じような意見の人見たからまあいることはいるのか…って感じだけど。
子ども産まなかった女性は病気で急逝、性虐待を受けまくったことで子どもを持ちたいと思えない女性は彼氏にはそういうやつといるとしんどいと言う空気出されたから別れてあげて(結局主人公と良い仲になる)、さらに性被害にあいかけた主人公を心配してあげたけどその後彼女の人生が好転したかどうか分からんままほったらかし。
そんで最後は子どもを産んだ人だけが固まってうちらは連帯してハッピーになりまーす!(子ども産まないめんどくさいこと言う人らは知らんけど)の終わり方
そりゃ著者も子どもいるから出産が悪!にはできんだろうし(自分の子供の手前)、正義で至高の判断にしたいのかもだけど、途中で急逝する女性の扱いにしてもすげえ露悪的で、子なしや反出生的な人は意地悪な悪人!それかひどい目に遭わされたかわいそー(笑)な人!って感じで男が読んでもなんかあからさまで引いたしなんか、嫌な気持ちになったんだけど女の人(とくに子どももてないor持つつもりない人)からしたらもっと嫌な気持ちになるのではって感じなんだけどどうなんですかねこれ。
死んでから2ヶ月ほど経った最近、ようやく死んだんだなあということを受け入れてきたような気がする。
今は実家でリモートワークをしつつ、重い腰を上げて空いている時間で母の遺産を整理している。
財産は不動産と老後の資金合わせて3千万円ぐらいはあるだろうと見込んでいたのだが
なんと昨日、少なく見積もっても3億ほどはあろう現金・貴金属類が出てきた。
まだ家探しも半分ぐらいなので、なんならもう1億ぐらいはありそうだ。
小さい頃亡くなった父が会社を経営してた事もあり、多少の蓄えはあるから老後は心配しないでねと言われていたが
質素な生活をしていた母にここまでの財産があったとはいまだに信じられず、それからそわそわ落ち着かない。酔っ払ってるみたいだ。
母には私以外の血のつながりを持つ親戚は居ないため、
相続は私と私の息子の二人のはず。
妻には伝えたが、貧乏夫婦には億という単位がわからず、お互いに混乱してる状況。
これからどうしよう。
数年前からほそぼそと活動していたが、暇空茜の後追いをするようになってから5千程度の再生数が跳ねて数万再生稼ぐようになった
しかし、暇空が粘着している堀口英利という人物への誹謗中傷を一緒になってやっているうちに堀口に開示された
開示された直後に、まみりんの中の人を「兄ちゃん」と呼んで慕っている親戚女性が現れ、兄ちゃんが病気で急逝したことを報告した
「死んだのは嘘で、開示にビビって本人が削除した説」や
「死んだのは本当で、遺族が誹謗中傷チャンネルの内容をはじめて知りビビって削除した説」が流れていた
しかし、どちらでもなかった
ファンがまみりんチャンネルの動画URLを一つずつ検証した結果、「水原清晃」や「Kiyoaki Mizuhara」という権利者に著作権侵害削除されていたと判明
3ヶ月以内に著作権侵害削除を3回くらうとチャンネルは運営削除される
しかし水原清晃は「ミズハラ キヨテル」であり、削除申請に使われた「キヨアキ」とは違う
まみりんは暇空が発信した情報をコピペして可愛いVのガワを使って再発信していたので、暇空がもしその気になれば文や画像の著作権主張をして削除依頼できる相手ではある
何者かが暇空のふりをして削除依頼を通し、ミスか故意か名前の読みはキヨアキにしてしたのだろう
著作権侵害による削除依頼は、依頼者の住所電話番号などの情報も必要となる
まみりん、もしくはその遺族はキヨアキに異議申し立てを行い、拒否・無視された場合にはキヨアキの住所宛に訴訟を起こせばチャンネルを回復できる
だが、死んだふりをしているまみりんor遺族にそんな根性があるだろうか
堀口、colabo、ゆたぼん、やさぐれメタル、まみりんは多くの人を中傷して金稼ぎをしていたので犯人候補は大量にいる
キヨアキの正体が暴かれる日はくるのか
以前は再生数2~3千くらいだったが、暇空茜による堀口英利叩きに乗っかり、いわゆる「堀口系Youtuber」になり「堀口経済圏」に入り込めて再生数が10倍以上に膨らんだ
堀口経済圏に入り込めた者は月に数百万儲けている者も多く、堀口は「叩けば金が出る玩具」と称されている
まみりんは「堀口は身長詐称し学歴詐称し風俗店に入り浸り女性に乱暴して出禁にされた」という暇空の主張を再放送しており、堀口に情報開示請求され請求は通ってしまった
まみりんはガワは女アバターだが実は男性だったらしく、まみりんを兄のように慕っている親戚女性を名乗る人物が現れ、まみりんの死を知らせた
その女性は捨て垢ではなく時事系とは関係のない日常のつぶやきを何年も前からしている人物のため信憑性があった
堀口経済圏では開示された途端に死んだ者は二人目で、訴訟逃れの稚拙な言い訳にも思える
https://www.youtube.com/@mamiyamamamirin
「このページは利用できません。申し訳ありません。他の内容を検索してください。」
実は生存している中の人or遺族が開示絡みでヤバイと思って消したのか?
謎の死によって堀口経済圏の外側にも存在を知られたことで、誹謗中傷動画の内容がひどいと通報殺到して運営削除されたのか?
あるいは、ネットから姿を消して隠密に敵を仕留めてまわるようになった堀口本人がなにかしたのか?
アニメ2期やらんのかな?
1期の範囲だとキャラたちはみんな「先祖返りの妖怪」「一族の中にたまに生まれる」程度に説明されているが
実際には同じ妖怪の魂が一族に取り憑いて何度も何度も人間の腹を借りて生まれ直すというのが正しい
主人公は父母に愛されず孤独だったが、「変な力を持った子」ではなく「妖怪に腹を乗っ取られた」だから我が子とは思えないし愛せない
1期ではちょっと特殊な能力を持つキャラたちのラブコメというだけだったが、
第1部の終わりでは、再び生まれ直し同じ顔で同じ名前を与えられたキャラたちまるでループ物のように第1話の時と全く同じ流れで出会うが
主人公はイケメンが自分を守って死んだ前世の記憶が脳裏をかすめて涙を流し第1部完
第2部は休載したりgdgdだったが、この第1部の終わり方と2部はじめの流れはすごい好き
ほぼ同時期に生まれ直せたものの数年は違うため、1部で巨乳お姉さん枠だった人が2部では年下ロリになってたりする
一人だけ死なずにすんだ奴は歳を重ねておっさんになっている
アニメOP「ニルヴァーナ」はただのタイアップなのか本編内容から歌詞を書いたのかは知らないが、アニメの範囲でやらなかった生まれ変わり展開にこそしっくりくる
作者は長年同棲してた彼氏と別れた後で急逝したので、自殺だったんだろうな
亡くなったのもう9年前か、年上になっちゃった
妻が急逝した。
結婚5年目のことで、急なことだった。
当時の記憶は曖昧だ。どういう風に葬式を行ったのかよく覚えていない。
妻は明るく快活で、いつも笑顔を絶やさない人で俺とは対照的だった。
最後の手作りがこれだと気付いたとき、なんだか滑稽で思わず笑ってしまった。
笑い止むのが恐くて、笑いながら涙が流れ続けた。
それでも俺はそれを認めたくなかった。
酷く酔っぱらった後、最後となったコップ一杯の麦茶をほんの少し残した。
電子レンジで温めて、ゆっくり飲んだ。これで妻の麦茶も終わり…
終わりにしたくなかった。
コップ一杯の温めた麦茶をまた少し残した。
コップ一杯の麦茶を少し残して水を足し、レンジで温め一杯の麦茶にした。
そうして水を継ぎ足し続け、妻の麦茶を俺は今でも飲んでいる。