
はてなキーワード:怒髪天とは
本当は全部観たかったけど、LOSALIOSに行くため21時にはレッドを離れなければならないと言う…タイテどうなってんの問題がここでも勃発…。リハで普通に一曲丸々演奏してた。前に出た時もリハで2曲フルで演奏してたしくるりってベテランなのにサービス精神旺盛だな〜。一曲目がカルフォルニアココナッツで嬉しい。この曲大好き。こう言う事書くと只の悪口になってしまうんだけど、アジカンの後くるりを観ると歌上手いし演奏めちゃくちゃ良いな…と感じてしまう…。一時期岸田さんも声大丈夫かな?って時あったけどかなり復活してるよね。上海蟹が大分アレンジされててカッコいい感じになっていて良き。前の感じも好きだけどこのアレンジも渋めでめちゃくちゃ良い。この日、21時からどうしてもGETしたい菓子店の通販が21時からあって(超激戦)21時ちょっと前からくるりを聴きながらスタンバイして早押しに挑戦。まさかライジングでこんな事するとは思わなかったけど、これ逃したらこの種類での今季の通販は終わってしまう為必死でボタンを早押し。無事にGet出来て嬉しいしくるりの愛の太陽はめちゃくちゃ良いし最高の気分…。モーニングペーパー、うおおお!!って思ったけどもうLOSALIOSに移動しなきゃ行けない時間でなくなく聴きながら移動…。何でこんなタイテなのか…と後ろ髪引かれつつもボヘミアンへ…。
この時間帯·ボヘミアンと言う最高の環境でLOSALIOSを聴けるのめちゃくちゃ楽しみにしてた!!私が割と前にずんずん行ったら友達にこんなに前でLOSALIOSを観て良いの…!?って言われて笑う。強欲の女なので…笑
LOSALIOSはいつ観ても最高だけど、やっぱりこの環境で聴くと100倍良さがUPする気がする。この日は達也さんもめちゃくちゃニコニコしてて楽しそうだしTOKIEさんは美しい見た目とは真逆みたいなゴリゴリのイケメンベースだし加藤さんのギターは切れ味最高だし、アイゴンのギターも巧みだし、ホリエさんはDr.キリコ(by達也さん)だし笑 本当にLOSALIOS最高!!!1秒も気が散る瞬間がなくてずっと音に酔いしれていた。加藤さんが「22年ぶりの新譜も作ってます」って話してたら達也さんが「出来るの?無理じゃない〜?」みたな事言ってたけどほぼ無視されてて笑った。加藤さんは参加出来ないけど北関東ツアーもあって…って話してる時に達也さん「チャーハン抜き!」誰か「飯抜き!」って次々に言われてて面白かった。加藤さんに軽くあしらわれて(何時もの事)達也さんが「静かにします」って反省してた笑メンバー全員ニコニコだしお客さんも皆楽しんでて最高に幸せな空間だったなぁ。新譜もカッコ良かったし、IQ69にはNARUGOさんも参加してバチバチの演奏バトル!!めちゃくちゃテンション上がった!!あっという間に終わってしまったけど本当に最高の時間でした。
2.Screaming HeadPop
3.MOTER SCHOOL
6.HITMAN
7.SICK
8.HAE
テントに帰って化粧落として歯磨いて明日のお風呂の準備して寝袋も敷いて、寝る以外の全ての準備を終わらせる。私はEZOISTを観に行く事にしていて友達は就寝する予定にしてたけど思ってたよりレッドが近くてFRIDAY NIGHT SESSIONがめちゃくちゃ聴こえてくる…笑リライトと君という花をまた(?)演奏していて、ゴッチは1日に2回同じ曲を歌うんだなぁ…とかどうでもいい事を考えていた笑 EZOISTの時間を間違えていて意外と時間がなかったので気合いでテントを出て足早にボヘミアンへ。
ボヘミアンへ向かう途中で始まってしまったけど(増子さんの北酒場が聴こえてきた)幸い始まってすぐに到着出来たのでセーフ。後ろの方で椅子に座って聴こうと思って座ってたけどオトナノススメ(増子さんとワタナベシンゴさんVo)が始まって立ち上がって普通に楽しむ笑JIROさんが怒髪天の曲を弾いてるの地味にすごい。増子さんが「この曲をJIRO君が弾くのか!と言うのが見どころなので!!」って言ってて笑う。「北海道出身者が北海道出身の人の曲をカバーするコンセプト」との事。増子さんが全然ベロベロじゃなくて意外だったけど、その後キビキビ仕切りしてたの見て理解。2曲目はワタナベシンゴさんVo.の新宝島!!マジか!!テンション爆上がりして踊り狂う笑 深夜に新宝島は楽しすぎる!!増子さんが一郎さんに曲やるって連絡したら行きたかったんですけどって言ってたから来年は(ライジングに)来るんじゃないかなって言ってて皆わいてた。「EZOISTはキュウが発起人だけど今回はヨウコさんの還暦ライブがあってどうしても来れないって事で…休めよ!って言ったんですけど…俺がヨウコさんに◯されるんで笑」って話してて笑った。増子さんがさわおさんと中野ミホさんを呼び込む。さわおさんは既にまあまあの酔っぱらいになっていた笑 「ピロウズ解散して恥ずかしながらソロで戻ってまいりました!」「まあまあ高い声も出るのよ。鶏が首絞められた時みたいな声になる時もあるけど」「JIRO君の横で歌うのもあれだけど…」って感じで喋ってからのBELOVED!さわおさんのBELOVEDねちっこいなぁ笑と思いつつ、怒髪天メンバーがGLAYを弾いているのも面白いし深夜のテンションで手を上げて盛り上がった。「北海道の偉大な大先輩。暗い曲だけど」との事で中野ミホさんとさわおさんでファイト。選曲良い!!中野さんのファイトめちゃくちゃ合っててすごく良かった!!さわおさんが引っ込んで中野さんだけでら·ら·ら。この曲改めて聴くとめちゃくちゃキー高いんだなぁと感じた。サビで皆自然と手を振ってて一体感がすごい。人が入れ替わる度に増子さんがちゃんと仕切ってて偉い(?)さわおさんが全然引っ込まないから引っ込んでって言われてた笑 「EZOISTもどんどん若い人に引き継いでいって…若い人の曲もやらないと」「俺達が逆に呼ばれる立場(モーニング娘。方式?)になっていけたら」って話しててまだまだ皆現役で居てくれて〜!!って思ってしまったババアは私です。そんなMCの後に加藤さん(NOT WONK)と増子さんでブッチャーズのJACK NICOLSONなのちょっと笑ってしまった。全然若者意識した選曲じゃない!笑 でも歌詞の内容はさっきの話に合ってるな〜と思った。しかし加藤さんブッチャーズの曲に合ってる…!!そして爆音のギターソロめちゃくちゃカッコ良かった…!!ギター上手いなぁ。「(吉村さんは)急に居なくなっちまったけど今もその辺りで見てるんじゃないかな」ってMCに感動してたら「もう一度◯しといてもらって」ってしんみりしない様に笑い取ってたの増子さんらしいなって思った。加藤さんVoでメロディー。深夜に聴くの心地よかった。吉田(ズーカラデル)さんを呼び込んで(何処出身?って話から吉田さんの出身高校が江別市の大麻(たいま、本当はおおあさ読み)高校です笑 っていう話で笑いとってた笑イースタンの夏の日の午後。イースタン良いよねぇ。この時期、この時間帯に聴くの気持ち良すぎた。さわおさん呼び込みしたのは良いけど「イースタンとピロウズどっちが売れてるか」「イースタンも良いけどピロウズの方が良いよな!」みたいな絡みを吉田さんにしてて吉田さんがめちゃくちゃ苦笑いで「は、はい!(ピロウズ)大好きです!」みたいな感じで返してて笑った。酔っぱらい過ぎる。「ピロウズの代表曲、売れてないけど」って話からFunnyBunny。この曲を怒髪天メンバーとJIROさんが演奏してるのが何とも言えない気持ちに…。でもやっぱり良い曲だなぁと聴きながら思った。最後は全員を呼び込んで松山千春の長い夜。歌ってる時に投げればいいかって事で最後は恒例のサインボールを投げ込む。増子さんが「サインボールは皆で書いたからJIRO君が投げたのが坂さんのかもしれないけど捨てて帰らないで下さいね!ぺちゃんこにしてその辺りに捨てないように!」って言ってて笑った。最後は子供盆踊りが流れて終演。増子さんが明日も早いだろうから早く帰りなさい!解散!撤収!って言ってて最後まで楽しかった。正直始まる前までグタグタのカラオケ大会だろうなぁとあまり期待してなかったんだけど(酷)めちゃくちゃちゃんとした構成、選曲でずっと楽しかった。全曲JIROさんがノリノリでベースを弾いていたのに地味に感動したし、この日の為に練習沢山してくれたんだろうなぁ。この企画(?)の為にRSRまで来てくれて、国民的バンドのベーシストなのに全然そんな感じ出さずにずっと楽しそうに演奏してたの好感良すぎる。あと勲さん居たと思うんだけど1ミリも見えなくていたの忘れてた笑 座って観ようと思って持っていた椅子には全く座らずずっと立って深夜に1人で踊り狂って楽しみました笑 次やる時はキュウちゃんも来れると良いね。
3.BE LOVED(GLAY)/さわおさんVo.中野ミホさんGt
6.JACK NICOLSON(bloodthirsty butchers)/加藤さん、増子さん
8.夏の日の午後(eastern youth)/吉田さん
9.FunnyBunny(the pillows)/さわおさん、吉田さん
テントに帰ってホクホクで就寝。疲れてたのかすぐに眠りにつけました。今年は周りも静かで良かった…(と言うか右隣の区画最後まで誰も来なかった)
二日目に続く。
■『処女厨叩きおじさん、梅毒陽性で怒髪天!──“無菌幻想”VS 14,663件のリアル』
※この記事は、先日『処女厨はキモい』と書いて拍手を稼いだ40代おじさん(既婚・子持ち)が、保健所の静寂で魂を抜かれた実況レポートである。
第0幕:ブーメランの着弾音
「処女じゃないと無理とか言うヤツがキモい!」と煽った直後、梅毒検査が陽性。2024年の国内報告数は14,663件で3年連続1万超え
。流行を叩き記事のネタにしてたら、自分が統計の一部になった。
“バージンなら安全”と思い込む処女厨。しかし米国のバージン誓約調査ではSTD感染率に差が出なかった
。細胞が総入れ替えする相手に“初回限定版”を求める執着がいかに虚しいか、痛感。
医師「梅毒陽性ですね」──脳がフリーズ。Treponemal抗体は治療しても一生陽性が基本、でも15〜25%は2〜3年で陰転化するらしい
。一縷の望みにすがりつつ、スマホで「ペニシリン不足」の文字を見て追い打ち
。処女厨を嘲笑していた自分が、最終的に“キモい”レッテルを貼られる側だったとは。
即治療:標準はベンザチンペニシリン筋注。供給が不安なら代替経口βラクタムでカバーを検討
。カウンセリング利用は甘えじゃない。
“最初の男”に固執している間に、自分が梅毒陽性になるリスクを忘れるな。
身体は常に更新される。アップデートできないのは古びた価値観だけだ。
https://web.archive.org/web/20240901055940/https://anond.hatelabo.jp/20240831230120
https://anond.hatelabo.jp/20240831230120
探す機能で場所を検索してみると、本日訪れた大型スーパーの周辺にあるらしい。
恐らくセルフレジでポイントを登録したときに操作したまま置き忘れたようだ。
私「すいません、店内でスマートフォンを忘れてしまったのですが。今日の12時から13時です」
男「あ、13時。はい。少々お待ちください。」
その後5分ぐらいでスマートフォンは戻ってきた。ロックを解除して私の所有物だと証明する。お礼をいう。ここまでは良かった。むしろ私のスマートフォンを拾ってくれた店員には感謝しかない。
男「それではちょっと書いてもらいたい書類があるのですが。日本語は書けますか?」
私「はっ?」
それまでのスマホが無事に見つかったときの安堵感。ちゃんと拾ってくれて店内のバックヤードなりで預かってくれたスーパーの店員に対する感謝の気持ち。
それらの安らかなプラスな感情が全てひっくり返って、一瞬でズブ黒い負の感情に差し替わった。
男の店員から差し出されたのはボールペンと何かの受取証みたいなもの。
多分、遺失物として警察に届けていたからその手続きの関係で書くのだろう。
私の過失でわざわざ警察にまで何か連絡させてしまったのは痛み入るが、とにかく、そこにあったのは、私の名前と住所と電話番号だけを書くだけの1枚のペラペラの書類。
もちろん他にも色々と書いてあったとは思うが、とにかくこの時点で脳溢血するほど憤死しそうな感じで怒りの感情で支配されていたので、書類の中身は知らない。
男「あ、そうでしたか」
私「・・・拾ってくれた手前感謝はしてるけど、すごく気分が悪いですね」
男「すいません」
私「なんでそんなことを?」
男「外国の方かと思ったので」
私の外見から言うと髪の色は黒。肌の色は黄色で少し焼けてる。背丈も低い方。メガネはかけておらずマスク着用。
くたびれた中年の日本人にしか見えないと思う。韓国人みたいなサラサラの髪型やメイク、中国人みたいなツヤツヤの肌やメガネはしていない。
少なくとも容姿からは外国人を想起させる要素はどこにもないし、スマホだって別に外国人のものと感じさせるようなアクセサリーなどは一切ないはず。
なぜ、この男は私を外国人と決めつけた。別に外国人が多い地域ではないし、外国人が多く利用するスーパーでもないだろう。
たとえば預かってもらったスマホに外国語のメッセージが表示されていたとかなら分かるが、そんなのは普段からOSレベルでもう100%純粋の日本語一択だ。英語すら怪しいから。
しかもだ。
店員から提示された書類は、名前と住所と電話番号を書くだけのもの。
たとえ外国人であっても日本に来て半年から1年ぐらいあればすぐに書けるレベルのものではないか。
逆に言うと、そのレベルの識字能力もない外国人の人間だと決めつけられた。
自分の 名 前 と 住 所 を 日 本 語 で 書 け な い レ ベ ル の外国人と決めつけられた。
自分の 名 前 と 住 所 を 日 本 語 で 書 け な い レ ベ ル の外国人と決めつけられた。
自分の 名 前 と 住 所 を 日 本 語 で 書 け な い レ ベ ル の外国人と決めつけられた。
心の底から、腸の底から煮えくり返るような憤怒。もう頭に血が登ってカンカンと何か煮え滾るほどの沸騰が今起きている。
それと同時に感じているのは、これを侮辱と感じるのは私だけなんだろうかという冷静な気持ちもある。
川口のクルド人も話題だが、日本は日本人だけの国ではなくなってきており、差別的な言動を行う人はネトウヨなどの扱いを受けつつある。
だからこそ「お前は外国人ですか?」と尋ねられただけで憤怒する人は、影では外国人のことを下に見ているというそしりは免れないだろう。
むしろ多民族国家の国であればルーツについて語るのは挨拶程度なのではないだろうか。
しかし、ともあれ私の心は荒波のように揺れており、もう腸が煮えくり返っている。怒髪天だ。
私は決してネトウヨではない。なのに外国人扱いをされたことを最大級の侮辱だと感じて、この店員ひいてはこの会社の上司に鬼電して罵声を浴びせないととても心が収まらないほどの屈辱を受けて大きく心が傷ついている。
これは恐らく数年いや10年は引っ張るだろう。もっとか。それぐらいの心がえぐられた。
置き忘れたスマホを拾ってくれた手前、そう大っぴらに怒ることもできない。
しかし怒りのあまり、その場にあった段ボールを蹴っ飛ばすぐらいのことをして退店した。
それだけでは収まらない。
帰宅した直後にそのスーパーの会社のサイトを開き、問い合わせフォームにスマホを拾ってくれたことの感謝と軽い顛末を書いた上で、どうして憤怒しているかについて述べて、責任者と直接電話で話したいから至急連絡をくれと書いて送信した。
そのときにまだ憤怒していればの話だが、恐らくこの怒りは寝たら倍増して明日にはもうとんでもないレベルに達すると思う。
しかし、こんなに怒るのは私だけなんだろうか、という疑問も依然としてあるのだ。
日本在住ン十年、先祖代々からの日本人が「自分の名前と住所を書けないレベルの外国人」に間違えられることは、果たして侮辱なのだろうか。
探す機能で場所を検索してみると、本日訪れた大型スーパーの周辺にあるらしい。
恐らくセルフレジでポイントを登録したときに操作したまま置き忘れたようだ。
私「すいません、店内でスマートフォンを忘れてしまったのですが。今日の12時から13時です」
男「あ、13時。はい。少々お待ちください。」
その後5分ぐらいでスマートフォンは戻ってきた。ロックを解除して私の所有物だと証明する。お礼をいう。ここまでは良かった。むしろ私のスマートフォンを拾ってくれた店員には感謝しかない。
男「それではちょっと書いてもらいたい書類があるのですが。日本語は書けますか?」
私「はっ?」
それまでのスマホが無事に見つかったときの安堵感。ちゃんと拾ってくれて店内のバックヤードなりで預かってくれたスーパーの店員に対する感謝の気持ち。
それらの安らかなプラスな感情が全てひっくり返って、一瞬でズブ黒い負の感情に差し替わった。
男の店員から差し出されたのはボールペンと何かの受取証みたいなもの。
多分、遺失物として警察に届けていたからその手続きの関係で書くのだろう。
私の過失でわざわざ警察にまで何か連絡させてしまったのは痛み入るが、とにかく、そこにあったのは、私の名前と住所と電話番号だけを書くだけの1枚のペラペラの書類。
もちろん他にも色々と書いてあったとは思うが、とにかくこの時点で脳溢血するほど憤死しそうな感じで怒りの感情で支配されていたので、書類の中身は知らない。
男「あ、そうでしたか」
私「・・・拾ってくれた手前感謝はしてるけど、すごく気分が悪いですね」
男「すいません」
私「なんでそんなことを?」
男「外国の方かと思ったので」
私の外見から言うと髪の色は黒。肌の色は黄色で少し焼けてる。背丈も低い方。メガネはかけておらずマスク着用。
くたびれた中年の日本人にしか見えないと思う。韓国人みたいなサラサラの髪型やメイク、中国人みたいなツヤツヤの肌やメガネはしていない。
少なくとも容姿からは外国人を想起させる要素はどこにもないし、スマホだって別に外国人のものと感じさせるようなアクセサリーなどは一切ないはず。
なぜ、この男は私を外国人と決めつけた。別に外国人が多い地域ではないし、外国人が多く利用するスーパーでもないだろう。
たとえば預かってもらったスマホに外国語のメッセージが表示されていたとかなら分かるが、そんなのは普段からOSレベルでもう100%純粋の日本語一択だ。英語すら怪しいから。
しかもだ。
店員から提示された書類は、名前と住所と電話番号を書くだけのもの。
たとえ外国人であっても日本に来て半年から1年ぐらいあればすぐに書けるレベルのものではないか。
逆に言うと、そのレベルの識字能力もない外国人の人間だと決めつけられた。
自分の 名 前 と 住 所 を 日 本 語 で 書 け な い レ ベ ル の外国人と決めつけられた。
自分の 名 前 と 住 所 を 日 本 語 で 書 け な い レ ベ ル の外国人と決めつけられた。
自分の 名 前 と 住 所 を 日 本 語 で 書 け な い レ ベ ル の外国人と決めつけられた。
心の底から、腸の底から煮えくり返るような憤怒。もう頭に血が登ってカンカンと何か煮え滾るほどの沸騰が今起きている。
それと同時に感じているのは、これを侮辱と感じるのは私だけなんだろうかという冷静な気持ちもある。
川口のクルド人も話題だが、日本は日本人だけの国ではなくなってきており、差別的な言動を行う人はネトウヨなどの扱いを受けつつある。
だからこそ「お前は外国人ですか?」と尋ねられただけで憤怒する人は、影では外国人のことを下に見ているというそしりは免れないだろう。
むしろ多民族国家の国であればルーツについて語るのは挨拶程度なのではないだろうか。
しかし、ともあれ私の心は荒波のように揺れており、もう腸が煮えくり返っている。怒髪天だ。
私は決してネトウヨではない。なのに外国人扱いをされたことを最大級の侮辱だと感じて、この店員ひいてはこの会社の上司に鬼電して罵声を浴びせないととても心が収まらないほどの屈辱を受けて大きく心が傷ついている。
これは恐らく数年いや10年は引っ張るだろう。もっとか。それぐらいの心がえぐられた。
置き忘れたスマホを拾ってくれた手前、そう大っぴらに怒ることもできない。
しかし怒りのあまり、その場にあった段ボールを蹴っ飛ばすぐらいのことをして退店した。
それだけでは収まらない。
帰宅した直後にそのスーパーの会社のサイトを開き、問い合わせフォームにスマホを拾ってくれたことの感謝と軽い顛末を書いた上で、どうして憤怒しているかについて述べて、責任者と直接電話で話したいから至急連絡をくれと書いて送信した。
そのときにまだ憤怒していればの話だが、恐らくこの怒りは寝たら倍増して明日にはもうとんでもないレベルに達すると思う。
しかし、こんなに怒るのは私だけなんだろうか、という疑問も依然としてあるのだ。
日本在住ン十年、先祖代々からの日本人が「自分の名前と住所を書けないレベルの外国人」に間違えられることは、果たして侮辱なのだろうか。
RISING SUN ROCK FESTIVAL inEZO2024 1日目
台風7号が発生する前からwindyを毎日何回も確認して当日果たして飛行機は飛ぶのか!?そして肝心のシロップは無事に北海道入り出来るのか!?(特にシロップはSNS上での情報がほとんどないから状況が全く把握出来なくて更に疑心暗鬼になる)ずっとハラハラしっぱなしで当日まで楽しみにするより不安が勝ってしまって全然余裕がないまま出発する事に…。と言うか近年、毎年の様に台風に悩まされてる気がする…。とりあえず自分は無事に飛び立ち新千歳へ降り立ったし、その後ホテルに着いてからダイマスさんのポストで無事シロップが飛び立てそうな事、そして中畑さんのインスタで札幌に着いている事が確認出来て心底ホッとした。シロップをライジングサンで観ると言う夢がここで初めて現実となった気がした。
今年春、病気が発覚し(と言うか異常は去年11月ぐらいから感じていたのでその時に病院行ってれば良かっただけの話)今年はライジングに行けないかもしれない可能性が出てきて、でも行ける方にかけてテントサイト付き入場券を勝ち取りさてどうするかなと思ってた所にシロップがライジングに来る事が発表されて、これは何が何でも行かなければ!!と強い気持ちで親に懇願し(どうしてそこまでして行きたいのかめちゃくちゃ聞かれた笑)手術してそこそこ回復もしてきて病気の結論もそこそこに行く覚悟を決めて飛行機·宿·その他諸々のチケット取りに明け暮れ何とか当日を迎えた。今年はガチのソロ参加のテント泊(色々あったせいで予約遅れて16日の宿が一人泊では全く取れなかった)なので若干の不安は抱えつつも楽しみの方が勝ってた。
当日はホテルから札幌駅前発JTBバス(これ本当おすすめです!大きな観光バスだし絶対座っていける)で会場へ。10時ちょっと前に着いたので今年も開場挨拶が聞けてやっぱこの瞬間感動するな〜と思いつつ入場。今年は去年より数倍涼しく暑いとは言えあの酷暑に比べればなんて事なかった。周りの人も並んでる時、去年は異常に暑かったと言う話題を皆していた笑
入場してからまずはその足でグッズ売り場へ。シロップのRSR限定Tシャツがどうしても欲しくて11kgのデカリュックを背負って物販に並ぶ…笑複数アーティストと一緒だったのでシロップ以外の目当ての人も当然いて少し並ぶ(それでも行列になってる所に比べれば全然並んでないと思う)無事に買えてからレンタルテントを借りてテントサイトへ向うも予想はしていたけどここが一番最難関だった。テントはめちゃくちゃ重いしマットは持ち手がないし、自分の11kgの荷物もそのまま背負ってるしで重たいわ、テントサイトがアース側のトウモロコシだわ(これに関しては第1希望なので良いのだけど)で途中休憩とりつつ何とか辿り着く…。テントに関しては予め動画で予習したし建てれるでしょ!と思ったら予習したテントとちょっと違うタイプのテントで笑 紙の説明書見ながら建ててたけど一人で建てるの難し過ぎてめちゃくちゃになってたら手前の区画の若そうなお兄さんが連れ待ちで暇なんで手伝いましょうか?と言ってくれて…何て良い人なんだ!!と思いつつ好意に甘えて手伝ってもらう事に。手伝ってもらってる間「何処から来たんすか?」「名古屋です笑 」「え!?名古屋から一人で!?」「毎年友達と来てたんですけど今年は一人で笑」「もう何回も来てるんすか?」「そうですね〜10回以上は…」「え、全然ライジング先輩じゃないすか」「どうしても観たいアーティストが今年出てて…」「当てていいすか?」「多分当たらないと思いますけど…笑」「クリープハイプ!」「(やっぱ私ってそう言うの聴いてそうに見えるのか…?)違いますね…笑」「cody·Lee(李)!」「りょくしゃか!」「もっと年季入ってますね」「フジファブリック!」「近付いてきました!笑」ってやりとり面白かった笑 最終的に当たらなくてsyrup16gですって言ったら今日出るんすか!?って言われたので19:40からEARTHであるんで是非!と宣伝しておいた笑 「シロップはまだ通ってないんすけど最近GRAPEVINEの良さに気付いたんすよ」って言われて「私も好きです!」と大きな声を出してしまい陰キャ特有の好きな話になると大声を出すムーブをしてしまい…。その後も私がポンコツ過ぎてすごい時間手伝ってもらって何とか建った…!!本当助かりました…!!ここ絶対見てないと思いますが貴方が居なかったら一生建てれなかったと思います。本当にありがとうございました。
無事に建てれたのでお兄さんにお礼をしてから会場をちょっと散策して予習して食べようと思っていたくずバーを食べてからグッズの引き取りがてら映えスポットで写真でも撮ろうかな〜(一人だから誰かに撮ってもらわなきゃ撮れないので必然的に撮ってもらえる所に行くことにした)並んだけど50分並んでも順番来なくてグッズの引き換え時間が刻一刻と迫ってきて焦りまくった私は後ろに居たカップル?に時間ないのでこの外れで良いんで撮ってもらっても良いですか!?という訳の分からない事を頼んでしまい、相手もちょっとびっくりしてたけど「すごい並びますもんね、全然良いですよ笑」って言ってもらえて撮ってもらいました…。マジで皆良い人過ぎて…あの時はありがとうございました。
急いでグッズを引き換えて(時間ギリギリだった)テントサイトに戻ろうとしたら自分のテントが分からなくなってパニックに笑レンタルテントだから似たテントがあちこちに建ってて本当に分からなくて焦った…。めちゃくちゃ探しまくってようやくあった!!!ってなったらもう怒髪天全然始まってて急いでサンステへ。
1日目観たやつ。
怒髪天(途中から)→DISH//(画面越しに眺めてるだけ)→SPEEDER-X→syrup16g→フジファブリック
開幕一発目に相応しいステージだった!ゲストも豪華だし、平井大がキャンセルになったからもっとやるかも!と期待していたけど時間通り終わってしまった…。渡辺美里さんの歌の上手さに震えたりGLAYのカバーを生演奏で聴けたりお祭り感あって最高でした!坂さんのふんどし姿ちょっとだらしない体型なのがすごく良かった笑最後増子さんが深いお辞儀しててじーんとするなど。
怒髪天後、毎年お会いしてる元ハイカーさんとお会い出来た!!毎年お会いすると蝦夷に帰って来たな〜と言う気持ちになる…。お土産も頂いてしまい…毎年ありがとうございます。平井大がキャンセルになったのでPA裏で話してたら若い女の子2人組に「サンステージって何処ですか…?」って聞かれて「ここです」って答えたら「遅れてるのかなぁ…」って言ってたので「平井大さんキャンセルになったんですよ…」って言ったらめちゃくちゃ驚いててこっちも驚いた。結構アナウンスしてたと思ってたけど知らない人もいたんだな…!!と。二人が去ってから驚きましたね…って話でちょっと盛り上がった笑 皆でたくみ見に行くか〜ってなって見に行ったは良いが人が溢れてテントには入れずモニター越しに観る。丁度猫やってておっ!ってなった笑 画面見ながら「思ってたより歌上手いですね」と言う謎の上から目線の感想を私がかまし、ベトナム系のイケメン、爽やかな曲ですね等々酷い感想笑 を言いながら観る。たくみと同じ空気を吸ったかもしれないと言う感想で終わったの面白かった。あとシロップの話になりシロップファン以外にはあまりおすすめ出来ないかもとか普通のバンドマンとは違った意味で社会不適合者等々、五十嵐さんをけちょんけちょんに言う笑 これでも一番好きなハンドなのに…。DISH//が終わってそれぞれ解散した後に足元の写真を撮ってない事に気付き痛恨のミス!!と思ってポストしたら次の日改めてお会いして撮れる事になったので嬉しかった…!!
開始時間を間違えてて開始時間より30分ぐらい前から待ってた笑 ので2列目で観れた。最前付近はほぼkenkenのファンっぽくて達也さん見放題でした!SPEEDER-X、本当大好きなんだよなー!!kenkenのベースがまずもってカッコイイしそれに合わせる達也さんのドラムも大好き。途中達也さんが「きゅーけー!!疲れた!!きゅーけー!!」って言う程、バキバキのやり取り。最高にテンション上がる。達也さんの「火のふくやつ!火のふくやつ!」ってのに「マッドマックスね、またやりましょうね」と優しく諭すkenkenは達也さんの扱い(?)に慣れすぎてて笑った。達也さんが「時間!時間!RIZE!」って言ってる所に「RIZEもこの後出ますけどここでやめられないでしょ!」的な感じで長めに演奏してくれて嬉しかった〜!!ライジングはこう言うステージがあるのも好きなポイントの一つ。素晴らしい演奏を間近で聴けて本当に楽しかった!!
こちらは別途記載したので割愛。本当に最高で大袈裟じゃなく私の一生の宝物になりました。ライジングに来てくれてありがとう。
RIZE観ようと思ってたけどご飯食べてたら終わってた笑 ので、フジファブリック迄にメイク落として歯を磨いて明日のお風呂の準備して…とフジファブリックが終わったらすぐに寝れるようにしてテントを出る。
既にレッドには人が沢山集まってて、後ろの方で椅子に座りながら観る事に。
これ書くとめちゃくちゃ失礼になりそうだけど私はフジファブリック=志村さんと言う意識がずっと強くあって(志村さん健在の頃はアルバム買ったり割と聴いてたので…)志村さんが居なくなってから全く聴かなくなってしまったし、志村さん時代の曲を歌ってる時は脳内で志村さんの声に変換してしまった…。良くない事だけどこればっかりはどうしようもないかな…。あとやっぱり総君ギターめちゃくちゃ上手いね。ギタリストだし当然なんだけどすごく感動してしまった。せっちゃんとのコラボも良かったし、総君のMCベタ笑 も含めてすごく楽しめたけど、何かバンド内温度差を感じてしまって少し複雑な気持ちにもなった…。私はファンではないのでここを言及する権利(?)はないと思うから割愛するけど…こう言う状態を目の当たりにしてファンはどんな気持ちなんだろう…とは思ってしまった。総君がまたフジファブリックでライジングに出れたらみたいな事を言ってくれた事はファンにとっても心強いんじゃないかな?とも感じたけど。何となくこの感じツライな…と思いつつテントへ帰って、就寝準備して寝始めたは良いけどプロボが近いためズンズク(地響き)はある程度覚悟してたけどそれを遥かに凌駕する周りの煩さに全く寝付けず…。近くのテントは大騒ぎ、隣の区画(テント建てる時に手伝ってくれた方の区画ではありません)の人は大声で喋ってる(既に深夜1時過ぎ)しマジでイライラした。プロボの方が先に静かになったし…笑 隣の人の「最後の〜最後に〜最後も〜最後に〜」(フジファブリックの若者の全てのサビに合わせて歌ってる)「全然打ち上がらない!早く打ち上がれよ!」と言う寒いやり取り(失礼)が聞こえてきた時はもう早く寝てくれ!!!と怒りを感じた笑 結局あまり眠れず朝も目覚まし前に近くの区画の大声で起きてしまい…。折角遅めのお風呂にしたのに…意味なし。寝るのは諦めてトイレ言ったり歯磨いたりしてお風呂へ。
二日目に続く。
蓮舫さんによると、大学生〜子育て前の若者には、支援が不足してるらしい。
まあそうね、などと思って見ていると、
「最近の若者は不安なんですよ。就職もできるかわからない、そんな中でも安心して就労して、結婚して、子供を育てて欲しい。そうしたら、その子供たちがまた就労して納税してくれる。」
まあざっくりこんな話をしていた。
言ってることには基本的に同意するのに、見てたらすごく腹が立ってしまった。最初何に自分が腹を立てているのかわからなかったんだけど、ここで言語化しておこうと思う。
当時リーマンショック後のピンポイント氷河期で、私も新卒では結局非正規からのスタートで。
現在は仕事も面白いし、職場環境も良く、お給料も良い。結果的に今の仕事について本当に良かったと思う。
プライベートでは良い人と結婚もできた。我ながら上出来な人生を送ってると思う。
まあ、非正規から始めて、自分の人生を持ち直すのに、10年近くかかってしまったし、
年齢的なこともあって子供は持てなかったけど、それも別にそんなもんだと納得してる。
という妬みと、
・私が就活で死にそうになってる頃、あなた与党で、特に何も対応しなかったよね?何なら見捨てた側ですよね?
さらに、落選した蓮舫さんがぴえんしてるのを見てたら、怒髪天を突く勢いで腹が立ってしまった。
そこは自助努力だろう!
他人を見捨てておいて、何やってんだよ!
てか、もう14年も前の話で、私は浮上できた人なのに、若者を支援するとかいう話一つでこんなに感情が乱されるとは思わなかった。
前
https://anond.hatelabo.jp/20240502193039
この時期は多くのことを考えた。特に就職のことだ。第一志望の大学には入れなかった。だからこそ、今後の人生では逆転したいと思っていた。
就職四季報を読み耽ったし、就職活動の参考になるサイトは巡回したし、就職課の方々にもクソお世話になった(ワンピース的な意味で)。
リクナビとかあるじゃん。あれで友達とかにURL付きの回答ページを送って、送り主のことを回答してもらって、そしたら他人から見た自分自身の分析結果とか、どんな業界が向いてるとか、どんな価値観で仕事をしたいとか、いろいろわかるサービスがあった。そういうのをやってた。
当時は、LINEとかTwitterが一般的だった。ひと昔前の人って、LINEとかなかったんだろ? もしかして、全部メールとか郵便で就職活動をしてたんだろうか、一体どうやって? という疑問を感じていた。
本格的に就職活動が始まろうとしていた。自分は、1回生の頃から【TOEIC】の勉強に励んでいた。少しずつではあるけど実力を身に付けていた。勉強時間はそれほどでもないけど、ずっと続けていた。二年半。
受験にはお金がかかるし、実力を付けてから挑んでみようと考えていた。そしてついに、秋頃だったかな。受験料が少ないタイプの学内試験(※本番で実施済のテストを使い回すやつ)を受けることにした。
人生で初めてのTOEICは……うん、こんなもんかって感じだった。緊張していて、そこまで問題は解けなかったけど、ベストを尽くすことができた。
その結果は、なんと……(ドラムロール鳴る)……760点だった!! 当時の自分は、大喜びだった。狂喜乱舞だった。心の中でもリアルワールドでも小躍りをしていた。実際、佛教大学でのランキングは堂々の二位だった。一位は確か、文学部英米学科の人だったと思う。
これは、この結果は……紛れもない一流である!! おそらくきっと、この点数は、同志社だろうと立命館だろうと飛び抜けた点数だろう。京都大学でも通用するし、ましてや就職活動で通用しないはずがない。祇園や木屋町などの飲み屋街、東本願寺や渉成園とかの観光地で【外国人】とトークをしても通用するだけの英語力を、ついに、ついに身に付けたのだ!!
※そんなふうに考えた時期が俺にもありました。
そんなこんなで、就職活動が本格スタートした。俺は必死で、シューカツとやらに取り組んだよ。リクスー集団に交じってさ、学内の企業説明会とか、大阪城ホールでの合同説明会とか、東京までOB訪問に行ったこともあったっけ。とにかくマジだった。
あの頃の自分は飢えていた。なんの実力も実績も持っていないのが嫌だった。とにかく何か、ほかの人から見て、「あいつはスゴイ」となるものを最低一つはほしいと考えていた。
いつからか知ることになったのだが、この佛大というのは宗教系の比較的裕福な大学である。当時の週刊誌の大学職員給料ランキングでは、慶應や関西大学などの有名私大と肩を並べていた。キャッシュフロー的な意味で裕福な理由はいくつかあるが、そこまでは述べない(この日記の趣旨ではない)。
大学構内には、相応の見た目の講義棟(兼研究棟)が鎮座している。学生時代は「おしゃれ~でかい~」くらいの印象だったが、歴戦の社会人となった今ではわかる。あの1棟ものの巨大な建物は、建設工事だけで百億とかいってるかもしれない。同じ規模の大学で、あれを作れるところは少ないだろう。
あれは確か、3回生の終わり頃だったかな。本日の部活もさあ終わりだ、という時に、部長(※教員側の部活責任者)から声がかかった。ほかの3回生も一緒だった。「佛大の就職試験を受ける気はないか? 希望者がいたら優遇する」ということだった。
考えたのだけど、大学職員というのは、その大学がすんごく好きな人がなるものだと思った。当時は、民間企業への就職を視野に入れていた。優遇できる枠は1名ということで、ほかの同回生が手を挙げることになった。
まあ、年収であるとか、職務内容とかのバランスを考えると、「魅力的だ」とは正直思った。当方は、人生の方向転換が苦手なタイプである。この頃は、先輩やOB・OGを探して、就職活動に関する考え方や情報を集めていた。何でもいい、そういう生のデータがほしかった。
けど、嫌なことはやっぱり起きる。わざわざ日記に書いているのだから、当時の俺は相当ムカついたのだろう。
就職に関する情報を探してる中で、聞き込みのために学内アルバイトをすることがあった。それは講義の出席者からレポートを受け取って、受付番号を整理して、最後に整頓するようなアルバイトだった。1日勤務で六千円だった気がする。
二人一組で受付作業をするのだが、隣の組を見てると気分が悪くなった――と日記には書いてある。
その組は、男子と女子の組み合わせだったのだが、男子の方がやたらと女子の方にがっついている。レポート提出者がいない時に、割と雑談をしていた。
その中で、男子の方が「彼氏いる?」と聞いた後で、女子の方が「いる」と答えると、男子の態度が急に悪くなったのだ。それは仕事終わりまで続いた。
最後にレポートの仕分け確認をする時も、その男子は怒鳴りつけるようにして女子に当たっていた。俺はあまりにムカついたので、「ちょっと静かにやってもらえます?」と声をかけて、ようやく静かになった……。
と、記憶を思い返したけど、今の俺にそこまで思うことはない。「男の態度がひどいね。でも、オスってそんなもんじゃね?」くらいしか思わない。間近で見たらムカつくんだろうけど。注意とかするかもしれない。
当時は、実際どんな人間だったんだろう。俺って。記憶が薄らいでるとかいう次元ではない。消失している。全然わからない。
なんかさ、十年前の自分ってさ、もはや『他人』じゃないか。体の細胞でいうと、20回分は完全に入れ替わっている。もはや完全に他人である。
余談だが、佛教大学に通ってる女子には可愛い子が多いと、アルバイト先の立命館大学の人に言われることがよくあった。
根拠は全くないものの、社会に出た後の個人的感想では当たっていると感じる。福祉や教育に強い大学はそうなのだろうか?
就職活動に本気だった。この頃は、大手企業は今よりも早く内定を出していた(4月の1週目くらい?)。就職活動以外に教職課程のこともあったが、時間の隙間を縫って面接試験を受けに行った。まあ、書類選考でお祈りされることの方がずっと多かったけど。
うちの大学の卒業生で、すごい就職先に進んだ人っているのだろうか? 自分は高望みをしていないだろうか? そんなことが気になっていた。大手病に罹患していた可能性が極めて高い。
当時は社会学部で政策学を学んでいた。社会学だけじゃなくて、社会科学ならなんでも学べる学部だった。地域を盛り上げる系のゼミに入っていたのだけど、どんな先輩方がどんな進路に進んでいるか、正直気になるところだった。
ほかのゼミと交流する機会があった時に、同輩や先生方に聞いて回ったのだけど、凄い人というのはやっぱりいた。学生が六千人もいるのだから、レベルが高い人は一定数存在しているのだ。
社会学部の先輩(俺と同じ公共政策学科)の例だと、自分が入学する数年前に総合商社の内定を取った人がいたらしい。学業だけじゃなくて、外の世界に飛び出して活動していた人だと聞いた。とにかく忙しい人で、授業にはそこまで出席してなくて、水商売の仕事に明け暮れていたらしい。
単位はそれなりに取得して、教職課程最難関の講義(兼演習)ではチーム全員で百点満点を取って、大学同士の研究分科会では発表役になって、大学の学園祭ではパヒュームのダンスを踊ってウケを取って……とにかく活動的な人だったらしい。
学歴って、仕事の実力とは相関が薄いよな。多く見積もっても3割くらいだ。『誰もが嘘をついている』という本に書いてあったのだが、高偏差値の名門校に1点差で受かった人・落ちた人を追跡調査する社会実験があったらしい。結果的には、学歴と現在の地位に相関関係はないという結論だった。相関係数は0.1程度とあった。
アメリカ合衆国での話なので、日本だとどうなるかわからない。けど、自分も同意見である。どんな中学・高校・大学を出てるとか、そういうのは人生での成功にはほぼ関係ない。
どんな瞬間だって、自分が今どこにいて、何を目指していて、どんな努力をしているか。それが大事だ。学歴を振り返ってる暇があるなら、さっさとやることをやって次の先に進むのだ。
就職活動の話に戻るけど……就職活動の面接で問われる内容(志望動機、自己分析、自己アピール、就職活動の軸、ガクチカ)とかってさ。釈迦人になった今ではわかるんだけど、ぶっちゃけ茶番だよな。はてなブログだと、借金玉さんがそんなことを言ってた。部族の掟に近いものがあるってさ。
就活的なキャラの型枠を、リクルートその他の人材会社が用意したうえで、企業側が「茶番」に対して本気になれる人材(会社の方針を素直に受け入れて、貢献してくれる)を探してる。それだけだ。
若き大学生が当日記を読んでる可能性は低いけど、たったひとつだけ、ただひとつだけ、会社選びで言えることがあるとすれば……以前、どっかの増田日記に書いてあったのを参考にすると、こんなところだ。
「自分が入りたい会社というのは、自分が将来、どんなキャリアを描きたいのか、どんな人生を歩みたいのか、どんな人間になりたいのか。そういうところから逆算して決めていく」
就職活動の軸というよりは、人生の軸という観点である。ちなみに軸、というのは「他人に関係なく、自分が正しいと思える考え方」という意味だ。
経済社会でバリバリ働きたいなら、そういう会社に行くべきだし、あなたが大事にしてる『たましいの仕事』があって、仕事は副業でやりたいなら暇そうな業界を選ぶべきだ。
将来、どんな人生を歩みたいのか? それさえ決まっていれば、業界や会社を決めることはできる。職種についてはナントモだが……敢えて言うと、保育所とか幼稚園とか小学校とか、それくらいの年頃に何が面白かったのか、が答えになるんじゃないか。その年代に心から楽しめたものは、大人になってからもきっと楽しい。
結局、その年の春の終わりに就職活動を終えて、内定をもらえたのは……京都市内にある電子機器メーカーだった。
大手企業を受けるのはやめた。大手病を克服したのだ。それで地元の会社一本に絞った。ここまで絞ると、受験できる会社の数は十社程度になった。自分の力をそんなに分散する必要もない。十分に集中できる。
当時は嬉しかったよ。両親に報告したら、父も母も衝撃を受けていた。うちの親って、自分の子どもを親戚の子と比べたがる嫌いがある。それはムカつくのだが、いい結果を報告できてよかった。
両親が、俺が出した実績をありがたがって聞いている。その実績を、電話などで親戚やご近所に知らせて調子に乗りまくっている。スタンダールの小説の『赤と黒』を思い出した。小説の中で、こんな感じの場面がなかったっけ? ブクマカで詳しい人がいたら教えてほしい。
両親よりも喜んでいたのは就職課の人だった。内定先を告げると、ご機嫌なビートで小躍りするようにして、ハッピーな感じでターンをキメていた。ずっと以前から、いろいろとお世話になっていた。喜んでもらえてよかった。
この年度の終わり頃、卒業間近だったか。大学が出してる何かの広報で、俺の就職先がデカデカと上の方に載っていた。トレーニングルームでそれを読んでいる時、隣にいた学生達も同じ広報の同じページを読んでいた。
「ん。どこどこ?」
「ほら、ここや。この会社」
「ああ、それマンコやろ」
「……」
「女の一般事務職だって。総合職ちゃうし。こんな掲載は詐欺に近い」
俺の怒りは有頂天に達していた。当時の日記には「有頂天」と書いてあったが、怒髪天と書きたかったのだと信じたい。
こういう連中はどこにでもいる。気にしたら負けである。増田の読者の人も、レベルが高い解釈と低い解釈があるとしたら、迷わず高い方を選ぼう。そっちの方が心身ともに健やかな人生を送ることができる。
次
人生という言葉自体に腹が立つ。ムカつく。苛々する。ここんとこ自分はそうして日夜怒髪天をつく勢いで怒りまくっているわけであり、日毎に壁を殴ったりテレビを罵りたおしたり寄せ鍋をつついたりしているのだけれど、自分という阿呆は怒りの対象も判然としないままにそうして無闇やたらと怒っているもんだから、当然その怒りに長期的な継続などはなく、又、それがなにがしかのエネルギーを喚起させて自分が生きていく上での力となるなんてこともない。怒りはやがて雲散霧消し、自分はどうでもええんちゃうん、と吐き捨て、テレビを消し、糞を垂れて寝る。救いようのないぼけ茄子。
そしてぼけ茄子でしかも貧乏といった二重の苦しみを背負っている自分は絶望的なことにバイトなどでくだらん汗水を垂らさねば、後は窃盗・強姦などに走って一生刑務所暮らしとなり果てるより他に無いので、まぁ刑務所よりはなぁなんつってバイトなんてもんに行く。嫌やなぁ、働きたないなぁ、自分はしかめっ面で自動改札に定期を挿入し、うひゃあ、なんつって目を瞑りながら改札を通って駅のホームへと向かう。きついですよ、本当。んで駅のホームには傘をゴルフのクラブに見立ててスイングの修練をしている中年サラリー野郎がって、嘘です、今時そんな絵に描いたような人はようおらんのですが、代わりに「終日禁煙」ってずどん、と書いてある横でぷかりぷかり煙草を燻らせている面白い髪の色の方がいらしてたので、自分はその糞たわけの煙草をわっしと掴んで地べたに放り捨て、ふざけんなゴミが、という諫言とともに頬の二、三発でもはってやろうと思ったんですが、何とその方電話中で、はは、悪いもんね、邪魔しちゃ、っつって僕もその人の横で煙草を吸うた。そうこうしてる内に電車がぷきーとふざけた音を出しながらちんたらとホームに進入してきたんで、自分も無表情な衆愚どもに混じって車内へと乗り込むんですが、乗り込んだ途端にぐぎゃぁぁあぁぁとどっかの阿呆餓鬼がいきなり泣き出すわけですよ。たまらんね。握ってる吊革を思わず引きちぎりそうになるほど腹が立つ。ああいう時ってきっとその餓鬼の親以外、ひょっとしたら親も、ともかくその場にいる全員があー殴り散らしたいって思ってるんだと思うんですよ。だから餓鬼はその負のパワーを感じてさらに泣きやがるんです。地獄やね。因果は巡るんよ。ぐぎゃああぁぁああぁぁ。
で、たまらんなぁ、早く降りたいなぁ、って僕は思うんですけど考えてみたら電車から降りたら僕はバイトに行かなあかんので降りた所で地獄やないですか。だからこのまま電車が脱線事故するなり爆破されるなりして、ともかく無茶苦茶になってくれればええのにって思う。したら餓鬼も死ぬし自分はバイト休めるしね。いいことづくしなんです。しかしそんな自分の思惑をよそに毎回毎回電車はきちんと目的地に到着しやがるわけで、自分はそんな律儀にされてもかなわんなぁ、なんて思いつつも結局はとぼとぼ肩を落としてバイトに向かう。帰りたい。でも帰ると今度は金が無くなるんでどっちみち地獄。
その増田の文章はあまりに乱雑で、優雅で、情緒にあふれ、まるで熟語やことわざのように、ある言葉の並びがそれによって別の意味になるよう自然に仕向けられていた。
その増田の文章は日本語で書かれていながら他の言語と呼べる可能性を秘めていた。
胃はムカムカし始め、目は充血し、その増田のことを少しでも思えば気分が重くなり今にも憎み出すほどだった。
そして「くだらない」とその文章を一蹴する。駄作だ。ブクマだって0じゃないか。
こんな文章の何処がいい?腐ってるよ。糞文。駄文。ブクマが0なのがその証明だ。
増田は気を落ち着かせようと俗な投稿に目を向けた。雑多にブクマを集めている注目エントリに目を向ける。
そこに書かれていることは日常のことであり、自分が自分のままで共感することも説教することも出来た。
そして同情することもでき、自分にも書ける内容であることに気づくと増田はこの増田のことを好きになった。
そしてブクマをつける。ブクマは周りからも集っていき、その増田はどんどんブクマを集めて注目される。
自分の目に狂いはなかったのだなと増田は自分のことのようにブクマが増えていくのを喜んだ。
ブクマがたくさん集まった増田は内容が平易で、世間的で、同情やら共感などの感情を呼び易く、説教用の隙間を開けてある。
そして、ブクマが0のその増田の内容はまさに耽美的で、素晴らしく、言葉から作られたのではなくその文章そのものから言葉が作られているような響きがあった。
文盲はその素晴らしさに気付けず、目利きはそれに対して激しい憤りと憎しみを持って出迎え、誰の手からもブクマがつくようなことは決して起きない。
今日もまた皆が理解することが出来る調和の取れた増田が壇上に上がり、歓声と共にブクマを集め続ける。
それは決して悪いことではない。世の理とはそのようなものだ。
自分の思いの丈を綴る。迎合するものを書こうとしないのではない、それは呼吸なのだ。
しかし忘れないでほしい。