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はてなキーワード:必然性とは

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2025-10-26

人を好きになることと、関係がかけがえのないものになること

これまで女性を好きになるとき、いつもその人にはきらびやか聡明さがあって、そこに自分は惹かれてきた。知性は自分アイデンティティひとつでもあって、自分と別の形の知性にひきつけられるのは自然なことだったとも思う。

今親しくなりつつあるひとはそれとは違って、別に知性的でないとかいうことはないのだが、自分がそこにきらめきを感じているわけではなくて、でも、だれも気にしないのについ気になって労力を割いてしまポイントが似てたり、自分気遣いとか献身をちょうどいいくらいに気付いて返してくれたり、そういう近さがあって、色々手伝ったり、差し入れをしあったり、している間に、段々近しい相手でないとそうしないだろうというような頼り方をしてくれるようになってきたし、自分もこうしてあげたいと思ったときに、おそらくそれは相手にとっても価値だろうという安心をもって踏み込むことができている。 でもたまに、自分はこのひとのどこが好きなんだろうか、と思うことがある。いちいち可愛いひとではあるんだけど。

なんというか、そのひとに焦がれる恋慕をつのらせているというより、ふたりで積み上げた関係自分にとってはかけがえのないものになりつつあるような感じがしている。相手がどんなひとかというより、自分たちが何をしてきたかというような。 あなた自分でなければならないっていう必然性が足りないような気もするけれど。 これもひとつの愛の形なのだろうか。

Permalink |記事への反応(0) | 21:15

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2025-10-21

トランス女性がうんたらかんたら

トランスジェンダークィアオーソドックスジェンダー規範内面化することができない人として消極的定義される。トランスジェンダーには性倒錯が入るが、小児愛者・ペドフィリア動物性愛者・ズーフィリア死体愛好者・ネクロフィリアなどの他害性の高い性指向はパラフィリアとして別だとされている。社会的有害な在り方でしか欲求を満たせない存在を切り離すことで、トランスジェンダーは無害であり、受け入れない社会の方が間違っていると主張するためだ。つまり人為的区切りである。何のことはない、昔は「変態」とされていた言葉区切りを変えただけだ。

なお、性指向性自認は必ずしも同期しない。だから自分は男に生まれ女性の心を持っていて、女性的な振る舞いをするが、性愛対象女性であると云うのは全くおかしなことではない。ただ、女性への性愛のために性指向を虚偽申告したとしても、傍目には区別がつかない。

この問題に対して、性別違和(性同一性障害GDI)の人の苦しみを挙げて反論する論者がいるが、全くの筋違いである性別違和医学定義であるのに対し、トランスジェンダー政治的定義である。前者は精神的に苦痛を軽減するために医学処置を受ける必然性がある場合に認められる。かつて、トランスジェンダー界隈が「くたばれGDI」と言う標語性別違和当事者攻撃してきたのは、性別違和者は既存社会ジェンダー規範に合わせたいという強い希求があり、それに応じて法律上地位を得ていることへの攻撃だったといえる。トランスジェンダーイデオロギーは、既存の男女二分法に基づいた社会規範は間違っていて非倫理的であるという主張に基づく。処置を受けて社会適応すると言う考え自体が、トランスジェンダーイデオロギー真逆の発想なので、対立するのは当然といえる。さらに、トランスジェンダー定義として、表立っては反対しにくい性別違和者の例を挙げるなどしてるが、トランスジェンダーイデオロギーが浸透することで性別違和者が「生きやすく」なるかは疑問である。なぜなら、性別違和者は生まれ持たない既存ジェンダーロールを身に付けたいと願っているが、その試みはトランスジェンダーイデオロギーにとっては悪しきものからだ。

結論としては、トランスジェンダークィアと言うのは政治的カテゴリーであり、「社会悪でない性的逸脱」全般を指すと考えて良いと思う。数多くの逸脱が内包されている以上、一致した見解はなく、既存社会批判するためにつくられた「ポリコレ叩き棒」といっても差し支えないように思う。

Permalink |記事への反応(0) | 11:18

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2025-10-19

藁人形に刺さった五寸釘の組成

「何々の特徴これこれがある」ことは、「何々である」ことを論理的に含意しないのはどうしてか?という質問に対する答えは、次のように整理できます

1. 特徴と結論関係必然的ではない

特徴があるからといって、それが必ずしも結論を導くわけではないのは、特徴と結論関係が「論理的含意」として必然的に結びつくものではないからです。論理的含意とは、「AがBであるならば、必ずCである」というような必然的関係を指しますが、特徴がその結論必然的に導くわけではないことが多いです。つまり、特徴と結論の間に論理的必然性がないことが理由です。

• 「この動物は羽がある」という特徴は、「この動物が飛べる」という結論必然的に導くわけではない。なぜなら、羽があっても飛べない動物(例:ペンギンダチョウ)が存在するためです。

このように、特徴が必ずしも結論を含意しないのは、特徴が他の要因や条件と組み合わさって認識されるため、単独ではその結論を導くことができないからです。

2.認識バイアスや限られた情報に基づく推論

人間認識はしばしば限られた情報に基づき、直感過去経験に頼ることがあります私たちが特徴をもとに何かを認識する際、その特徴が本当にその物事を決定的に表しているかどうかを無意識に推測しがちです。しかし、その推測が必ずしも正しいわけではなく、バイアス認識エラーが生じることがあります

• 「赤い車を見た」ときに、「その車は速いに違いない」と直感的に思うことがあるが、それは単なる認知バイアス(例えば、赤色=速い車という過去経験に基づいた推測)であり、論理的にその車が速いことを含意しません。

このように、私たち認識には限界バイアス存在し、特徴と結論を必ずしも論理的に結びつけるわけではないのです。

3.抽象的な認識と誤認識

特徴に基づいて物事認識する際、私たちの脳は抽象的な概念パターン適用しようとします。しかし、その抽象化は時に不完全であったり、誤った方向に働くことがあります。たとえば、複数の特徴が組み合わさった時に、それらの特徴がその物事を「完全に定義」するとは限らないからです。

• 「この建物は古い」「大きな窓がある」「屋根三角形」などの特徴があったとして、それらがすべて「教会」だという結論を導くとは限りません。これらの特徴は、他の建物にも当てはまることが多いため、必ずしもその特徴から教会であることを論理的に導くことはできません。

4.直感的な認識認知エラー

認識は必ずしも論理的に厳密なプロセスではなく、直感的な推論や感覚によって成り立つことが多いです。そのため、特徴を基に認識を行う際に、論理的必然的結論に至らないことがしばしばあります私たち直感経験依存する認識が、誤りを生むことがあるのです。

• 「あの人は眼鏡をかけている」「落ち着いている」といった特徴があっても、それが「その人が賢い」という結論論理的に含意するわけではありません。この認識直感に基づいたものであり、必ずしも正しいとは限りません。

5.社会的文化的背景の影響

特徴があるからといって、それがその物事論理的に決定するわけではなく、文化社会的背景によって、特徴の解釈が変わることがあります。つまり、ある特徴が必ずしも全ての文脈でその結論を導くわけではないという点も大きな要因です。

• 「スーツを着ている」という特徴がある人を見て、その人を「ビジネスマンだ」と認識するのは、文化的に定着したパターンに基づいていますしかし、実際にはその人がアーティスト大学教授である場合もあり、論理的に「ビジネスマンだ」と決めつけることはできません。

結論

「何々の特徴これこれがある、ことは、何々である、ことを論理的に含意しないのは、特徴と結論の間に必然的論理的関係がないため」だと言えます認識論理的な含意に基づくものだけでなく、私たち経験直感文化的背景、認知バイアスなど、複数の要因が絡み合って成り立っています。そのため、特徴から必ずしもその結論を導くことができないのです。

Permalink |記事への反応(0) | 20:51

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2025-10-17

息子が来年大学卒業するけど一回も好きにならなかった

父親としてやるべきと社会で見なされていることは全部やったけど

結局、俺の中の感情としては「セックスしたらできたやつ」って感じだったな

父親義務として年に2回は旅行に行ったし習い事もさせたし

進路や部活相談にも乗ったし金も貯めてやったし

喧嘩したら頭下げに行ったし、一般的にやるべきとされていることはこなしてきたけど

一回もこれのことをかわいいと思わなかったし、愛してるとも思わんかったな

もし仮に一般的に親として家を出た子供ともう合う必要はないとされていたら

多分今後一生会わんと思う、必然性ないし

そうなってないか正月休みとか盆休みには会うんだろうし会ったら食事とか行くんだろうけど

俺は妻が好きで結婚して妻と一緒に子育てをやるってタスク自体は楽しかったが

別に妻と一緒にやれるなら子育てじゃなくて畑仕事でも同じくらい楽しかった気もする

そういう意味では妻と一緒に熱中してなんかやれた時間をくれたことは感謝すべきかもしれん

Permalink |記事への反応(5) | 09:48

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2025-10-15

登場する猫に無理がないようにしてほしい の解釈について

そうか!必然性がない状況で突然猫のシーンが出てきても、無理に猫を出させたような映像になってしまう。

自然ゴロゴロするシーンとか、ドラマに合わせてうまく撮影させてもらえるわけないもんね、猫だから

なので、観ている人に【猫を無理矢理出してきたなコイツラ】と思われてしまってはいけない。

必然性のある猫にしなければならない。

から猫に喋らせるしかない!と思っちゃったんだな。

Permalink |記事への反応(0) | 17:49

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思い出したんだけど、生物学的に男性キモい必然性って、無いよね?

キモいは割と根源的な感情だと思うけどさ。

進化のための生存競争観点で見ても、生理的に男がキモいことに特段の必然性がないのは不思議だな、って思ってた。

Permalink |記事への反応(1) | 02:34

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2025-10-08

anond:20251008113345

小娘側はどうでもよくて、ジジイ側のメリットがよくわからんなあって話

遊ぶだけなら結婚する必然性がなくねってこと

Permalink |記事への反応(3) | 11:47

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2025-10-06

anond:20251006102339

まあ職場が居場所である必然性全然ないが

金なければ金はいるわけで

金稼ぐ場が嫌じゃなければそれが効率いいんだよね

Permalink |記事への反応(0) | 10:27

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2025-10-01

anond:20251001161713

答えそのままなのに理解できないwwww

虫だから環境ことなんて理解できないよねーーーーwww

そりゃ火葬必然性理解できないわwww

なぜ火葬が当たり前になったのかという経緯から理解できない虫www

Permalink |記事への反応(0) | 16:22

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2025-09-29

ひろゆきってナチュラルイジメっ子だよな

そもそも首相英語能力必要なのかどうかの議論もしてなければ

それに必要英語力も定義しないで

衆人環視の元で英語を喋らせて

「喋らないってことは英語能力ないんですよね」

ってレッテル貼りしてる非常に悪質なイジメっ子

いきなり無茶振りされてすぐに英語で答えられる人は確かに英語力が高いだろうけれど

できなかった・やらなかったからといって首相必要英語力があるかどうかは分からない

いわゆるレッテル貼り踏み絵行為の組み合わせで

英語試験をする必然性もないか論点のすり替えまでやってるし、即興場面だけを切り取った過度の一般化でもある

モリモリの詭弁なんだけど本人はマジで気付いてないし、なんなら良いことしたと思ってそう

Permalink |記事への反応(3) | 14:00

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anond:20250928235512

なるほど。動画アップできない程度に恥ずかしいが、テレビ放送的にセーフな格好を選択する必要があったのね。

まさにそういう演出必然性みたいな話を聞きたかった。ありがとう

Permalink |記事への反応(1) | 00:48

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2025-09-28

吐き気を催す「流行

最近流行りの映画TVシリーズときたら、中身がないどころではない。

あれは世界全体の価値観コンパスが壊れ、社会が完全にサイコ化した結果の、汚らしい産物だ。

自己陶酔的な映像の垂れ流しは、もはや自己放尿レベルの、どうしようもない醜態だ。

いや、制作者と視聴者がお互いの糞尿を讃え合うダブル放尿の図、と言い直すべきか。

我々が今消費している「エンターテイメント」は、人間の業社会矛盾をえぐり出すどころか、三つの致命的な病に侵され、脳味噌が腐った結果の映像化だ。

一つ目の病、そして最も悪質な癌細胞は、「ポリティカル・コレクトネスポリコレ)」が逆差別権化へと変質したことだ。

かつては「不当な差別是正する」という建前だったものが、今や「差別者(白人男性とされる)を罰する」という集団リンチの道具に成り下がった。

物語における「公正さ」は、冷徹ロジック真実の追求ではなく、「弱者定義されたグループを常に善とし、それ以外のグループを悪役、愚者、あるいは無能として配置する」という、幼稚で露骨な加点・減点法に置き換えられた。

その結果、何が起きるか。ストーリー必然性キャラクター有機的な成長は無視され、配役や設定がまず「ポリコレチェックリスト」によって決定される。

優秀でカリスマ的なリーダーは、特定マイノリティから選ばれなければならない。従来の主人公像、例えば白人男性などは、無能な脇役か、過去の過ちを悔い改める象徴としてしか描かれない。

これは、物語の毒気を抜いたのではない。物語のものを、政治的プロパガンダの道具として捻じ曲げ、特定の層への「逆差別」を公然と行うという詐欺行為だ。

この歪んだ手法の結果、生み出されるキャラクターステレオタイプ正義感にまみれた、薄っぺら張りぼてとなり、観客の心に響くはずがない。

二つ目の病は、世界規模の承認欲求暴走であり、三つ目の病は社会全体のサイコ化だ。

コンテンツは、「誰かに褒められるため」に設計された空虚パッケージと化した。深みも葛藤も、真の痛みもない。

あるのは、「私たちは正しい」という安っぽい自己満足だけだ。さらに、この感情の鈍麻したサイコ時代では、人々は感情機微ではなく、過剰な暴力や極端な設定というジャンクフード的な刺激を求める。

ポリコレという名の検閲棒で殴られ、創造性を失った制作者は、その空虚さを埋めるために、表層的なショックや混乱を物語にぶち込む。

しかし、根源的なテーマを欠いたその刺激は、一過性目眩ましでしかない。

Permalink |記事への反応(0) | 11:27

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2025-09-25

ふたなりを描いたフィクションを知りたい

中学の頃に読んでたファンタジー小説に出てきたのを読んでからふたなりという属性が好きなんだが作品をなかなか見つかられずに困ってる。


読みたいのは主人公かメインキャラの一人がふたなり作品

媒体漫画でも小説でもなんでもいい。

単発のセックス描写比重が高い方のエロ漫画では結構見つかるんだがストーリー性のあるものがなかなか見つからない。

読みたい傾向はその登場人物ふたなりであるが故に直面する悩みや人生出来事、周囲の人や社会からの扱われ方なんかを描いたものがいい。


「ボクのふたつの翼」ってのは昔読んだけどあのくらい設定にふたなりであることの必然性がある作品を求めてるけどなかなかない。

MAZE☆爆熱時空」や「ロッテのおもちゃ!」なんかは作品自体はい作品だけどふたなり人物に設定上の必然性はあっても人物像にふたなりでないと描けない要素が少ない。

もっとふたなりたちがどんな事に悩んでどんなふうに生きるかを知りたい。

特にどんなふうに思春期を過ごすか。


該当する作品を知ってる人がいたらおすすめ作品を教えてほしい。



追記

以前chatGPTに聞いたら半陰陽とかTSとか性未分化とか出してきたのでそれはふたなりとは違うので除外で。

Permalink |記事への反応(1) | 22:06

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2025-09-24

anond:20250924172701

思うけど、自分が嫌だから万人が嫌なはず、だから禁止しようは阿保の発想。

自分は嫌だけど、権利として認められてるし禁止する必然性はない

Permalink |記事への反応(0) | 17:30

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オタクアニメ化でずっと怒ってきた

https://anond.hatelabo.jp/20250923191830

 

例えば何だろ、俺の詳しいところで言えば「とある魔術の〜とある科学の〜」とかかな

アニメから入った人は絶賛して、原作厨は「なぜそこを変えた??」と怒り狂う

こだわりが強いとかじゃなくて、必然性がない改変ばっかりする

思い出した、あの頃のJCSTAFFは大体そうだったな、ゼロの使い魔とか、灼眼のシャナとか

原作スレは常にお通夜文句で溢れてるかだった

 

こういうのは原作が90点だとすると、アニメが80点の出来で、世間的には80点評価なんだけど原作厨としては-10点みたいな評価なんだよね

からアニメ組は褒めて、原作組は口をつぐむ

とあるシリーズだと、佐天さんでめちゃくちゃ荒れたのを覚えてるわw

 

まあこういうのは寛容さとかこだわりとか色々混ざった結果なんだけど

スタッフ物語構造意味理解してないとか、意味を変質させてしまうみたいなところで怒る人が多かった

これは自分もかなり理解できる

 

そういうのが大体2010年代前半くらいまで続いたんだけど、2010年代後半くらいか原作リスペクトというか、意図を取り違えないように細心の注意を払うアニメ化が増えてきたと思うんだよね

パッと思いつくのだと、メイドインアビス(2017)、鬼滅の刃(2019)の頃かな(追記J.C.STAFFで言えば、2015年あたりから原作通り増えてるイメージある、食戟のソーマふらいんぐうぃっち、斉木楠雄、ジャンプからかもしれんが)

おそらく作り手の世代が変わったか業界認識が変わったかじゃないかと予想してるけど、動画配信サービス流行る頃には本当に原作通りやるのが主流になった

あるいは、改変するにしても「良い改変」「良い追加シーン」という声が上がるようになってきたと思う(相変わらず怒ってる人は居るけど、直近で言えばダンダダンでさえ怒ってる人がいるくらい)

 

チェンソーマンについて言えば、まず原作ファンが多いので改変に対する声が大きかったのがあると思う(原作ファンが少ないと原作厨も声が小さくなる)

2000年代2010年代アニオタだった人からしたら、この程度の改変は誤差の範囲だと思うけど、2020年基準ではアウトなのかもしれないね、だいぶハードルが上がってる気がする

今回総集編で変えた理由はおそらく、改変よりも追加が多かったからじゃないかと思う、単純に削りやすかった

(これ、追加が多かったのはそもそも尺の問題もあったと思う、原作通りやったら尺が余るんだよね、レゼ編は映画にしたいだろうし)

ついでに言えば今回MAPPA出資なので、MAPPA意思決定で行けたし、1期の数字が出ていなかったので原作厨の声に寄り添うのは自然な流れ

と考えると、まあ総集編はああなるよね、と言う印象

セリフの変更などが注目されてたけど、比較するととにかく原作にない追加シーンをカットした総集編だった、それで驚くほどテンポ良くなったかアニメってむずいよなって改めて思い知った

個人的には元監督に少し同情してる。コベニのシーンと「俺達の」は同情してない。モーニングルーティーンは直後のパワ子登場を引き立てたから良かったと思う、あと総集編で2つくらい無駄に削りすぎたシーンが有って気になった)

 

ちなみに、海外勢は「テンポ悪くなかったよ」って言う人多いんだけど

字幕追ってるとむしろテンポ良い作品キツイんだよね、あれ読めてんの?めっちゃ早いよね字幕

 

話がそれたけど

増田の言う「成功体験」はまったく違うと思う、原作厨はずっと前からアニメ化で怒っているって話

しろ最近大人しいまであるSNS可視化されてるだけで

 

___

 

ところで、「映画好きな作者に合わせた作風」ってズレてるよね、作者は映画好きだけどそれは脇に置いといて読者に向けて作ったのが漫画なわけじゃん?そこから映画風に寄せてどうするんだよ、作者じゃなくて客を見ろよ

ドロヘドロ呪術廻戦のパクりみたいなチェンソーマンドロヘドロ呪術廻戦のアニメ制作会社がやってくれるんですか!?」とか言ってたタツキがバカみたいじゃん

そりゃタツだって「才能のある監督さん達に作られた事によってちゃんとした作品になっていると信じています」とか捻くれたデンジみたいなこと言い出すよw

 

映画(レゼ編)は良かった、追加シーンに違和感なかった上で「映画っぽさ」もすごく出てた

秋に来る呪術廻戦も見るのでMAPPA頑張ってほしい

 

昔のアニメスレ

アニメ信者vs原作厨vsアンチ というカオスが多かった

原作厨の中にも「ネガティブなこと言っても白けさせるだけだから何も言えない派」と「それでも我慢ならねえ派」が居たと思う

何にせよSNSとかオープンな場で言うのは話が変わるよね

 

自分原作厨であることが多かったか原作厨の肩もつんだけど

別に原作厨は常に原作通りやれって言ってないと思うんだよね

面白いならいいんだよ、面白くないから暴れるわけで

 

危機察知力が高まれば「見ない」ができるんだけどね、約ネバ二期とか瞬時に見るのやめたからね、黙って原作を読もう

 

ーーー

 

禁書超電磁砲はそこそこ評判悪かったよ、原作スレオフ会に居たかガチ、改変もあるが表現力不足もあった

皆んな大人だったから、ダメな部分は敢えて見ないようにしてたけどね

まあラノベアニメ化はそもそも無理あるんだわ

ちなみにアニメ化より嫌われてたのが原作の新訳w

Permalink |記事への反応(14) | 10:41

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2025-09-23

dorawii@執筆依頼募集中

なぜ句点威圧を感じる人がいるのか?

なぜ語尾のwにははなはだしく馬鹿にされている感じを受ける人がいるのか?

これらは元の意味だけでははっきり言ってそうなる必然性はなく説明がつかない問題だ。

その記号の見た目そのものにもなんらかの原因があるのではないか

これらを同系統問題として捉えると興味深いと思う。

-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20250923180413# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaNJijgAKCRBwMdsubs4+SO5ZAQCKSdgp8pXTyaIdJXfLzNIogehVujROykP/ckTXJ7WAjQD/QSEDFNesUiREpIvZdOw00n/Ikza9MeaiwfzBL0InwwQ==9ee4-----ENDPGP SIGNATURE-----

Permalink |記事への反応(0) | 18:04

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2025-09-22

映画孤独のグルメ

とりあえず最初評価だけ言うなら映画としては2.2点

孤独のグルメとしては3.4点くらいの作品だった。

 

俺はたぶん非常に一般的孤独のグルメファンだと思う。

過去シーズンは全部見てるし、漫画も一応読んだ。

でも金出して映画館に劇場版見に行くほどじゃねぇよな、という熱量ファンだ。

今回はアマプラに来ていたから見た。

 

一番気に入らなかったことは1話30分のドラマを1時間40分くらい(ED含めて110分)の映画にする場合

当然あるだろうと考えていた「作品としての一本の筋」がない。あるにはあるけどユルユルガバガバ

もちろん話としては元恋人の娘の金持ち爺に「いっちゃん汁(意味深)」という謎の汁物死ぬ前に食べたいと言われ

主人公松重豊がそれ(の材料)を探しに奔走する話が全編通して描かれるんだけど、これがガヴァガーイなの。

故郷である長崎県に行く→そこの郷土料理を聞く→その中でもより古い料理を聞く→ジジイの母が韓国暮らしたことがあったと聞く→これやな!→合ってました。えっ、それでいいんだ。

爺も金を尽くして探したけど見つからなかったって言ってたけど、故郷古典郷土料理出汁韓国料理でよく使われる食材アレンジした汁ってそんな見つからんか?ほんまにか?爺、もしかして詐欺師に金むしられてたんちゃうか?

この道中での松重豊奇行もお前そんな奴だっけ?って感じで、

重要食材が島の店にしかない(元々その島にいた気がするんだが……)→その店が18時に閉店して次店が開くのが3日後→その島への今日フェリーがもうない→海辺の貸しボートから無断でボート拝借し海に漕ぎ出す→嵐にあって転覆遭難した島で貝とキノコの汁を作って食う→毒キノコで泡ふいて倒れる→島の住民に助けられる→そこは韓国でした。

狂人じゃん。しかもこの貝とキノコの汁はその後何にも活かされない。せめてこの汁がいっちゃん解決へのヒントになってるとかだったら「これは運命的にもこの経験をした松重豊しか解決できない話だったな」ってなるし、凶行の必然性にもなるけど、それが一切ない。ただ、松重豊がクソイカレてましたってだけにしかなってない。

その後、様々な事情を持った人と触れ合ってそれぞれに食材調理法のヒントを得て最終的にいっちゃん汁が再現できるという話にはなるのだが、この作品が一貫したテーマというものを持っていないため、全てのエピソード散逸的で結果的に「いっちゃん汁を作るため」のものしかなっていない。いっちゃん汁を作るのに松重豊がそこまで思い入れなければならない理由がないため、よりエピソードのつながりが弱くなっている。

表現の仕方が難しいんだが映画であれば「いっちゃん汁を作る」ってことが単に「いっちゃん汁を作る」ことを飛び越えて別のテーマに通じている、様な作りであってほしいという願望があったがそれが満たされなかった。「いっちゃん汁を作ること」に対する真摯さも特にないのでよりそう感じた。

なぜこの話を映画にしなければならなかったのかがよくわからない。そこが一番気に入らない。

 

そもそも孤独のグルメにそんなもん求めてないって意見はよくわかるし、

松重豊がいろんな場所うまいもん食うってアイデンティティは保たれてるしそのシーンは実際にいい。

これが3話分割されたドラマであれば「ふーん」って感じにいつも通り楽しめたかもしれない。

丁度「長崎編」「韓国編」「東京編」に分かれてるし。

でもさ、せっかく映画で見るんならたぶんコレじゃないんだよ。

 

ただテンポはめちゃくちゃよかったので110分間サクサク見られたのはよかった。

なんかテーマ性が欲しかったとは言ったが、とってつけたようなお説教がなかったのもよかった。

韓国編ではDV被害東京編ではコロナインフレといった社会問題さりげなく提示されていたが、

それに対して松重豊特に何もしないし何も言わない。

そういう部分は非常に孤独のグルメ的だと思ったし、誠意的な態度だと感じた。

 

結果的に「俺はなぜ映画を見るのか」、1時間半とか2時間とか3時間とかかけて。

ということを考えさせられる映画体験だった。まぁテレビ局主導のドラマ映画としてはこんなもんなのかな。

Permalink |記事への反応(0) | 09:23

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2025-09-21

anond:20250921114811

たとえば、今日ホッテントリに入ってる「大阪万博ではエスカレータ歩かないが定着!」とか書いているんだけど、

全く間違ってると思うんだよ。https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2605616

そもそも乗車率200%のエスカレータで歩けない。

大屋リングの上に上がるのに駆け上がる必然性がない(駅や空港なら急いでいる人はいる)

・周囲の人達はいもの時間にいつもの駅にいる壮健な人達と違い、日本中から今日はじめてやってきた人がいて、

年寄り乳幼児も混じっていてリスクが高い。

Togetterとか素人の言い切り(デマ)は止めてほしいよ。

Permalink |記事への反応(2) | 17:51

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anond:20250920005626

よく分からん

あの原稿読んでそんな解釈になるの?


文章関係はこうだろ?

Cの法規制がBの「外国による情報干渉」に限定されてるのは下線部を見れば分かる


後者規制必要性を説く上で前者に言及する必然性はない」も意味わからん

パラグラフは「そして三つ目の未来像。それは結束する日本です。」で始まってるよな

から「結束する日本」というビジョンに対してこういうリスクがあって、特に外国による情報干渉」については規制すべしというのが小林意見だろ

これがなんで前者でSNS規制を主張しているという理解になるのか分からんのだが

Permalink |記事への反応(1) | 13:37

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2025-09-20

anond:20250920143134

っていうか、吉田が本当に言いたかったのは

ではなくて

と言うことで、まさにぼっち・ざ・ろっく!の名前や具体的シーンは「ノイズ」だったと思うんだよな。

ここで具体例出す必要ある?

提唱するにしても「主人公必然性もなく全裸になったり、不自然な胸揺れなどのシーンはノイズ。これでは覇権がとれない。さあ搾取してくださいって演出はだめ」と言えばよかっただけなんだよな。


そうすれば批判する側も「そんなとっくに否定されている俗説を今更言われても。センセ、マーケティングちゃん勉強した方がいいです」って言うだけで済んだんだよな。

Permalink |記事への反応(0) | 19:36

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小林鷹之氏のSNS規制に関する主張は不誠実なのではないか

小林鷹之氏の主張

小林鷹之氏は、2025年9月16日記者会見で、次のように述べた。

そして三つ目の未来像。それは結束する日本です。SNSでは、偽情報があふれている。差別的表現もある。そして、この気持ちを煽る扇情的ショート動画子供たちがくぎづけになっているような姿をみると、少し不安になりますね。この先日本社会、もう少し分断していくのかなと不安になりますそして特に外国勢力による情報干渉、これは絶対止めなきゃいけないと思ってます。見えないところで、偽情報によって、民主主義が侵されているんです。私は、こうした分断勢力絶対に許さない。イギリスなどを参考にしながら、外国による情報干渉については、刑事罰登録制度をしっかりと設けて、日本民主主義を守ります社会の結束を守ることは政治の責任です。

上記記者会見を受けて、小林氏がSNS規制を主張しているとの理解が広まった。

これについて、小林鷹之氏は、2025年9月19日、「小林鷹之事務所」(@KOBAHAWK_JIMU)のXアカウントで、上記記者会見原稿スクリーンショットを添付した上で、次のように述べた。

こちらのご理解は誤りです。
小林は「SNSのものの一律規制」ではなく、イギリスなどの制度を参考に外国勢力による情報干渉への対処を述べました。
出馬会見の該当発言全文はこちらをご確認ください(↓)。
誤まった情報拡散防止にご協力ください。
https://x.com/KOBAHAWK_JIMU/status/1968998195230392398

小林鷹之氏の主張は不誠実なのではないか

小林氏の記者会見での発言は、前半と後半で異なることを述べており、前半は、イギリスSNS規制であるOnline SafetyActのことを、後半は、イギリス外国勢力によるスパイ行為干渉対処するための法律であるNational SecurityAct 2023(第4部が登録制度を定めている)を指している可能性が高い。

SNS問題外国勢力による干渉問題は、関連するが別の問題であり、後者規制必要性を説く上で前者に言及する必然性はない。小林氏の記者会見での発言でも、両者の関係は明示されていない。そうである以上、前半はSNS規制を、後半は外国勢力による干渉規制を主張していると理解するのが一般的な受け止めだろう。

それなのに、特段の説明なくSNS規制は主張していないと主張するのは、不誠実なのではないか

もちろん、外国勢力による干渉の透明化は検討されてよいが(その場合日本企業のロビイングの透明化も検討課題になるだろう)、偽情報対策政治家による不都合な言説の抑圧と隣り合わせであり、誠実な人物が中心となるべきである

Permalink |記事への反応(2) | 00:56

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2025-09-18

ぼざろで燃えてるけど、フィクションでの女子中高生の性(的)描写ってどうなんだろね。

性がテーマなら必然性はあるし、そうじゃなくても青春物として、メインテーマじゃなくても恋愛・性はその年代の悩みとしてある。

ただエンタメとして消費するのはフィクションだろうと児童ポルノに近いものを感じるし、実写だったら完全アウトなわけじゃん?

僕ヤバとかも人気あるけど、ブコメオッサンどもが中学生恋愛や微エロでキャッキャ言ってるの、正直気持ちが悪い。

制服かわいいけど現実女子高生なんてガキで性的に見られるかというとちょっと微妙だし、そもそもガキに手を出すなよと。でもフィクションだとエロマンガでも(いちおう)許される。マンガなら制服を着た10代と20代区別なんて絵柄だけではつかないし。

実写でも直接的な行為ヌードじゃなくても、グラビア水着だって18歳未満を出すのってどうだろうとは思う。

アニメマンガでも乳揺れとかパンチラとか無意味巨乳とか、そこまでしてみたいかってそういうR15的な作品作品ゾーニングして頂ければ、ってかんじがする。

性的ものサービスシーン)入れないと作品描けないの?」とか思ってしまう。

フィクション現実区別つけろ」っていうけど、一周回ってつけなくてよくない?と思い始めてしまった。

Permalink |記事への反応(3) | 15:34

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2025-09-17

吉田恵里香さん批判派も触れなさすぎな気がするが

ファンの皆さんにはキャラクターをどう捉えてもらっても構いませんし、個人で何を描いても、何を想像しても自由だと思います。ただ公式側が『さぁ搾取してください!』

と言わんばかりにばら撒くのは抵抗があるんです」

この発言についてタイバニバーナビーグラビア矛盾していると批判されているが、この後に続く発言

アニメ表現からってなんでもありじゃない。“絵だけど、未成年だぞ”って考え方は大事にしています

と続いており、前段では編集者コメントだが“前橋ウィッチーズ』のような10代の女の子たちを描く作品場合”と前置きされている。

また、ぼざろについての項目で

現実的に考えても、ギターを弾きながら胸が不自然に揺れ続けるみたいなことはないわけですし、そういう描写があったら私は幼い息子にその作品を見せるのを躊躇する。

自分の子どもに見せられるかどうか、というのは大事にしている基準です」

との発言があり、その前段でもまた編集者コメントだが“アニメには長年の歴史からまれた多くのテンプレート的な表現がある。それ自体の是非はともかく、”とある

ぼざろのノイズ排除発言と合わせて考えれば、『未成年の不自然性的描写(あり得ない胸の揺れや唐突露出)』を搾取と考えていると読める。

このように読めたのは以下の発言もあったため。

原作ではひとりちゃん(※主人公後藤ひとり)が水風呂に入るシーンで裸になっているんですが、アニメでは水着にしてもらいました。ぼざろがそういう描写が売りの作品ならいいと思います

過激作品やR18まで振り切ったものがあってもいいですし、やると決めれば私も思いっきりそうした作品に関わることもあると思います。でもその場合は、しっかりと未成年が見られないような配慮必要です

この2つの発言から吉田恵里香さんが性的描写自体嫌悪しておらず、かつ単純に一律排除する気はないことが分かったから。

批判する方々は“未成年だぞ”と“そういう描写が売りの作品ならいい”、“やると決めれば私も思いっきりそうした作品に関わる”という発言に触れず、エロ排除単純化した批判が目立つので。

(もちろんそうでない人も多いですが)

ぼざろは未見なので水風呂に入るという行為必然性が分からないが、バーナビーアイドル的人気を表すシーンを描いたとして納得できなくはない。当時も今もアイドル水着グラビアを撮ることは多いですしね。

改めて読むと発言時系列も分からいからどういう意図で発した発言なのか、どのような考えを持つ方なのかが分かりにくい。実際に講演を聞かないと分からないことも多いのでは、と思うので私はこう解釈しましたが、批判されている方々のことも分からなくはないなと思っています

Permalink |記事への反応(5) | 19:01

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anond:20250917155705

うまいこと言うねぇ

するってぇと、もしかして子供必然性なくチンチンと叫ぶのはウインナー・チンチンの定理だって言うのかい

Permalink |記事への反応(0) | 16:01

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anond:20250917155057

するってぇと何かい

子供向けアニメ必然性なくウンコネタが出てくるのはブラウンノイズだってかい

Permalink |記事への反応(1) | 15:57

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