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はてなキーワード:復讐とは

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2025-07-18

anond:20250718014412

AI代筆ガイジだらけになって誰もディグらなくなってこういうクソつまらのしか注目されなくなった

東大卒だが」の一点だろ、つまんない連中の引っ掛かりポイントは。

読み手書き手相互作用でどちらもつまらなくなった。

誰もピックアップエントリしか見ないしそのピックアップエントリが糞つまらんし。


昔は面白いこと熱いこと書けばそれなりの反応がある場所だったのに

今は本当に手応えが無。

まあ一種の「復讐」なんだろうな。自分じゃつまらんことしか書けなくてずっと誰にも相手にされなかった奴らにとってAIバルス唱えることは夢が現実になった瞬間だったんだよ

Permalink |記事への反応(0) | 16:57

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2025-07-17

さす九は差別用語←上等だろ、もっと言ってやれ

Twitter九州出身女性が書いた「性差別批判する文脈であっても,個人出身地に結びつけて差別してはならない。差別是正のために他の差別を重ねることはよくない。」という旨のnote炎上しているが、これに強く異を唱えたい。なお、筆者は九州まれ九州育ち、成人して本州に出た女である

まず第一男尊女卑は一部なんかではない。当たり前に、そこらじゅうに存在する(具体例はいくらでも挙げられるが割愛)。例のnoteの筆者はよっぽど優しい男性しか関わってこなかった育ちの良いお嬢さんなのだろう。TLではいろんな意見散見される。以前は私も、九州に住んだことない者がさす九などと言って叩くのは見当違いだと思っていた。我々は故郷を愛したかったと叫んでいるんだ、故郷への愛より受けた苦しみ憎しみの方が勝ってしまうことを嘆いているんだ。

しかし、もうそういう次元ではない。「さす九」という単語は、九州に住んだことのある者がお互いを慰め合うためだけの言葉ではなくなってしまった。

かに九州以外の地域にも男尊女卑はあるし、男尊女卑地域わずなくすべきだが、あそこは忌み地だ。おそらく謎の磁場が働いている。九州から出た女は基本戻ってこないが、九州から出た男は本当に驚くほど素早く戻ってくる。古い慣習を守るジジババが死んだとて、男尊女卑に毒された女によって、甘やかされた九州男児(笑)と傷ついた女児再生産されていく。この連鎖九州が滅びるまで続く。改善などまず有り得ない。住んだことのある者なら分かってくれると思う。

さす九と言うことの何がいけない。復讐の術を奪うな。女を蔑ろにしたツケがまわってきただけじゃないか。母は福岡柳川出身だった。柳川だってそういう土地であることを、私はよく知っている。

女達よ、さす九の叩かれ具合をよく見ろ。異常さにはやく気づいて九州脱出しよう。異常さに気づくことは自分の受けた苦しみと向き合うことでもあり、本当に苦しいが、そうすることによって、愛せなかった故郷復讐しよう。

九州だけじゃなく、いずれこうなる。これ以上、私達から声を取り上げるな。

Permalink |記事への反応(0) | 22:41

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2025-07-14

論理の迷走と劣等感の鎧――「理系的な仕事」という言葉に透ける思考脆弱性

M氏の文章は、一読すれば現代学歴社会教育の画一性に対する痛烈な批判として、ある種の共感を呼ぶかもしれない。

現場で働く人間リアルな声」という体裁を取り、労働尊厳実学価値を訴えるその姿勢には、一見、力強ささえ感じられる。

しかし、その主張の根幹を注意深く解剖していくと、強固に見えたはずの論理は驚くほど脆弱である

特に工場勤務」の話から何の前触れもなく「理系的な仕事」へと飛躍する一点において、その思考構造的欠陥と、著者を苛む根深コンプレックスが、隠しようもなく露呈している。

この唐突言葉すり替えは、単なる表現の不備ではない。

それは、著者の論理思考力の決定的な弱さと、

自らの経験権威付けずにはいられない「文系コンプレックス」という名の

痛々しい鎧の存在を雄弁に物語っているのである

本稿では、この致命的な論理の跳躍を起点に、彼の主張がいか自己欺瞞劣等感に満ちた砂上の楼閣であるかを論証していく。

第一章:概念すり替え――論理思考放棄

健全議論第一歩は、用いる言葉定義を明確にすることである

しかし著者は、この最も基本的作法をいとも容易く放棄する。

工場的な?理系的な?そんなお仕事」という一節は、その象徴だ。

自ら疑問符を付していることからも、

著者自身がこの二つの概念を明確に区別、あるいは統合できていないことがわかる。

この曖昧さを放置したまま、彼は自身の主張を強引に推し進める。

これは、もはや真っ当な議論や真っ当な主張ではなく、単なる感情の発露に過ぎない。

まず、「工場勤務」と「理系的な仕事」は、似て非なる概念である

著者が例に挙げる「衛生管理者」や「危険物取扱者」といった資格は、確かに化学物理学の基礎知識必要とするため、「理系的要素」を含むとは言えるだろう。

しかし、それを以て工場勤務全般を「理系的な仕事」と呼ぶのは、著しい拡大解釈であり、意図的ミスリードでさえある。

工場勤務」には、製造ライン単純作業従事するオペレーターから、高度な専門知識を要する設備保全品質管理生産技術まで、極めて多岐にわたる職種が含まれる。

一方で、「理系的な仕事」という言葉一般に想起させるのは、大学大学院で専門分野を修めた者が従事する研究、開発、設計データサイエンスといった、より高度な知的労働である

著者は、この二つの全く異なるレイヤー仕事を、「理系」という一つの都合の良い言葉乱暴に括りつけ、両者の境界線意図的曖昧にしているのだ。

なぜ、彼はこのような概念すり替えを行う必要があったのか。

その動機は二つ考えられる。

第一に、自己経験権威付けである

工場で働いて人生を立て直した」と語るよりも、「理系的な仕事人生を立て直した」と語る方が、より知的で、専門性が高く、高度な響きを持つ。

彼は、自らの過去をより立派に見せるために、「理系」という社会的権威付けされたラベルを借用したのだ。

これは、自身の経歴そのもの絶対的な自信を持てず、何らかの権威依存しなければ自己肯定できない、精神的な脆弱性の表れに他ならない。

第二に、反論封殺という戦略的意図である

世の中には、残念ながら「工場勤務」に対して「誰にでもできる仕事」といった偏見を持つ者もいる。

そうした潜在的な軽侮に対して、あらかじめ「これは“理系”の仕事だ」と宣言することで、相手反論を封じ、議論の優位に立とうとしている。

しかし、これは正々堂々とした議論作法ではない。

議論本質(=工場労働価値)で勝負するのではなく、「理系」というレッテルを盾にして相手威圧しようとする、極めて幼稚な防衛機制である

この一連の思考プロセスは、著者の論理思考能力の欠如を如実に示している

彼は、ある事象工場勤務)が持つ一部分の性質理系的要素)を抽出し、それを事象の全体(工場勤務=理系的な仕事であるかのように錯覚している。

これは「合成の誤謬」と呼ばれる論理誤謬典型例だ。

物事多角的構造的に捉える能力を欠き

世界を「すごい理系 vsダメ文系教師)」といった単純な二元論しか認識できていない。

その結果、自分を「すごい理系」の側に配置するために、論理を捻じ曲げることさえ厭わないのである

第二章:文系コンプレックスという名の呪縛

この稚拙論理の飛躍の根底には、より深刻な問題、すなわち著者の「文系コンプレックス」が横たわっている。

彼の文章全体を貫いているのは、彼が「文系的」と見なすもの――

特に教師」と、彼らが象徴する「学歴至上主義」や「口先だけの建前論」――に対する、異常なまでの敵愾心(てきがいしん)である

教員風情が」

教員達に洗脳で刷り込まれた」

といった攻撃的な言葉遣いは、尋常ではない

彼は、自らの人生がうまくいかなかった原因を、すべて「教師」という藁人形押し付けている。

資格試験の合格率という一面的データだけを取り上げて職業の優劣を語る暴論も、

彼がかつて「勉強」や「学歴」という物差し評価される世界で深い屈辱を味わったことの裏返しとしか考えられない。

彼は、その世界で受けた傷の復讐として、自分が優位に立てる(と信じている)「資格」 「実務」という土俵相手を引きずり下ろし、一方的断罪しているのだ。

そして、この「文系」的な世界への憎悪と対をなすのが、「理系」への過剰なまでの憧憬神聖である

理系こそがセーフティーネット」というタイトルは、その信仰告白に他ならない。

彼にとって「理系」とは、客観的な数値や事実に基づき、嘘やごまかしの通用しない、実利に直結した「本物」の世界象徴なのである

曖昧で、解釈余地があり、コミュニケーション能力といった測定不能能力が幅を利かせる「文系」の世界挫折した彼にとって

理系」は、明確な答えと正当な評価を与えてくれる救済の地のように見えたのだろう。

からこそ、彼は自らの経験必死で「理系」の物語に組み込もうとする。

単なる「工場労働者」では、彼が憎む「文系」の世界に対するカウンターとして弱い。

しかし、「理系的な仕事に就く者」となれば話は別だ。

それは、学歴とは別の知性の証明であり、文系的な価値観を乗り越えた「新しいエリート」としてのアイデンティティを与えてくれる。

彼は「理系」という言葉を、自らの劣等感を覆い隠し、攻撃性を正当化するための鎧として身にまとっているのだ。

しかし、その鎧はあまりにも粗雑で、継ぎ接ぎだらけである

工場的な?理系的な?」という、自信のなさが滲み出る一言が、その全てを物語っている。

真に自らの能力経験に自信を持つ人間は、このような借り物の権威にすがる必要はない。

「私は工場で働き、専門的な資格を取得することで、人生を立て直した。この経験尊い」と、自らの言葉で堂々と語ればよいはずだ。

だが、彼にはそれができない

なぜなら、彼の自己肯定感は、「理系」という他者権威依存しないと成り立たないほど、脆いかである

彼は「文系価値からの脱却」を声高に叫ぶが、その実、やっていることは「理系権威への依存」であり、一つの権威から逃れて別の権威にひれ伏しているに過ぎない

これは、真の自立とは程遠い、精神的な隷属状態である

結論:未熟な自己認識が歪める世界

M氏が「工場勤務」から理系的な仕事」へと唐突議論を飛躍させたのは、

彼の論理思考いか脆弱であるか、そして彼の精神が「文系コンプレックス」という呪縛いかに深く囚われているかを示す、決定的な証拠である

彼は、客観的分析社会構造洞察ではなく、

個人的怨恨自己正当化欲求駆動力として言葉を紡いでいる。

結果、彼の文章は、社会批評仮面を被った、極めて私的ルサンチマン独白に成り下がってしまった。

理系」という言葉は、彼にとって自らの経験を美化し、憎むべき敵(文系教師)を攻撃するための都合の良い武器であり、

同時に、学歴社会で傷ついた自尊心を守るための貧弱な鎧となっている。

しかし、その嘘と自己欺瞞は、「雨ニモマケズニモマケズ現場に立ってる人間」という署名が、

実際には職を失ったニートによる虚勢であったという事実によって、無残にも暴かれる。

彼が称賛してやまない「キツい現場」に、彼自身が留まれなかったという現実は、

彼の語る物語いか自己に都合よく編集されたフィクションであるかを物語っている。

彼が真に「自分能力に自信を持つ」ためには、まず「理系」という借り物の鎧を脱ぎ捨てなければならない。

そして、教師への憎しみや学歴へのコンプレックスといった、自らの内なる負の感情に正面から向き合う必要がある。

なぜ自分工場を辞めてしまったのか。なぜ他者を「風情」と見下さなければ自己を保てないのか。その痛みを伴う自己分析なくして、彼の成長はない。

現状のままでは、彼の言葉は、論理思考力を欠いたコンプレックス叫びであり、傾聴に値する社会的提言とは到底言えない。

彼が本当に人生を立て直したいのであれば、まずは他者攻撃するための言葉ではなく、自らを誠実に見つめ直すための言葉を探すことから始めるべきであろう

さもなければ、彼はこれから論理迷宮彷徨い、コンプレックスの鎧に閉じこもったまま、誰にも届かない言葉を発し続けることになるだろう。

Permalink |記事への反応(0) | 22:07

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anond:20250714190302

わかるよ、そういう奴は多いと思う

でも、その情念を5年も10年も維持するのって難しいんだよ

ムショに入ってなくてもそう

10年同じ物に情熱を燃やし続けられる人って思ったよりすくない

ましてや、前科が作って現実でやっていくだけできつくて

再犯してもういっかいぶち込まれた方がましまで思う奴が少なくない

結局、情念維持して復讐を遂げられる奴なんて、逮捕されてなくても復讐するんだよ

Permalink |記事への反応(0) | 19:05

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2025-07-13

幸福な人々に合法的復讐する方法

復讐

この言葉を耳にしたときあなたは何を想像するだろうか?

大切な物をを壊すことか? 秘密を暴き、名誉を地に堕とすことか? あるいは、もっと即物的な――殺人か。

これらの復讐で溜飲が下がる人もいるだろう。

だが、法によって禁じられている上にあまりにも個人的だ。

影響を与えられるのはせいぜい1人か2人。

幸福な人々全体に対しては何の効力も持たない。

だが、もっと確実で、全体に影響を与え、合法的なやり方で成し遂げられる復讐がある。

それは、この社会から対話”を消すことだ。

今ある幸福は、すべて対話の上に成り立っている。

対話が失われれば、幸福は支えを失い、やがて崩れる。

幸福だった人々は、もう幸福はいられない。

方法簡単だ。分断を深めればいい。

そのための手段が、選挙だ。

極端な主張を掲げる政党が現れている。

選挙に行き、彼らに票を投じることで、社会は両極へと引き裂かれていく。

極端な声がひとつ上がれば、すぐにその逆側からもっと激しい声が飛んでくる。

その往復のなかで中立対話余地は削り取られていく。

やがて互いは、理解されることより、潰すことを目的としはじめる。

人々は互いを「敵」と見なすようになり、言葉が通じなくなる。

対話意味を失えば、次に何が起きるか――それは、ここでは言うまい

ただ一つ確かなのは

対話のない社会に、幸福は定着しないということだ。

帰る家がある者も、愛する人がいる者も、仕事が好きな者も、食を楽しめる者も、趣味を楽しめる者も、過去肯定できる者も、今を楽しめる者も、未来が楽しみな者も

皆、言葉を失った世界では、それらを維持する術を持たない。

から復讐を望むのなら――

行くべきだ。

選挙へ。

革命も、暴力も、必要ない。

一票を投じるだけでいい。

ただ静かに、正当な手続きを通して、土台を壊す。

それだけで、幸福な人々は、やがて幸福はいられなくなる。

今この一票は、まだ何も変えない。

だが、対話のない、幸福のない未来へと確実に繋がっている。

Permalink |記事への反応(2) | 15:11

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2025-07-12

幸福な人々合法的復讐する方法

復讐

この言葉を耳にしたときあなたは何を想像するだろうか?

大切な物をを壊すことか? 秘密を暴き、名誉を地に堕とすことか? あるいは、もっと即物的な――殺人か。

これらの復讐で溜飲が下がる人もいるだろう。

だが、法によって禁じられている上にあまりにも個人的だ。

影響を与えられるのはせいぜい1人か2人。

幸福な人々全体に対しては何の効力も持たない。

だが、もっと確実で、全体に影響を与え、合法的なやり方で成し遂げられる復讐がある。

それは、この社会から対話”を消すことだ。

今ある幸福は、すべて対話の上に成り立っている。

対話が失われれば、幸福は支えを失い、やがて崩れる。

幸福だった人々は、もう幸福はいられない。

方法簡単だ。分断を深めればいい。

そのための手段が、選挙だ。

極端な主張を掲げる政党が現れている。

選挙に行き、彼らに票を投じることで、社会は両極へと引き裂かれていく。

極端な声がひとつ上がれば、すぐにその逆側からもっと激しい声が飛んでくる。

その往復のなかで中立対話余地は削り取られていく。

やがて互いは、理解されることより、潰すことを目的としはじめる。

人々は互いを「敵」と見なすようになり、言葉が通じなくなる。

対話意味を失えば、次に何が起きるか――それは、ここでは言うまい

ただ一つ確かなのは

対話のない社会に、幸福は定着しないということだ。

帰る家がある者も、愛する人がいる者も、仕事が好きな者も、食を楽しめる者も、趣味を楽しめる者も、過去肯定できる者も、今を楽しめる者も、未来が楽しみな者も

皆、言葉を失った世界では、それらを維持する術を持たない。

から復讐を望むのなら――

行くべきだ。

選挙へ。

革命も、暴力も、必要ない。

一票を投じるだけでいい。

ただ静かに、正当な手続きを通して、土台を壊す。

それだけで、幸福な人々は、やがて幸福はいられなくなる。

今この一票は、まだ何も変えない。

だが、対話のない、幸福のない未来へと確実に繋がっている。

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2025-07-10

syamu_gameの小説(?)のレビュー

https://kakuyomu.jp/works/16818792436194059031

かの大物Youtuberことsyamu_gameがAI生成を活用して小説を書いたとのこと。

本当にこれ小説か?という疑問はさておき、レビュー投稿しても削除されるため、

供養としてそのレビューをここに掲載しておく。

+++++++++++++++++++++++++++++++

 おそらく著者本人の私小説と思われるが、テーマの唯一性は一定需要があるかと感じる。一方でその内容については難もあるため、その点を以下に記載する。

表現方法稚拙

 まず不自然なほど句読点が多く、読みにくい点が多々見受けられる。

また、地の文と会話文が同じ段落内に含まれており、句点と鉤括弧が連続して記載されるなど表現ルールからの逸脱が見られ気になる。さら地の文と会話文が一体となっていることから読みにくさに拍車をかけている。

 また、話の展開の仕方にも稚拙さを感じられる。まず冒頭は「炎上きっかけとコラボ依頼」からまり、場面が変わり「職場での嫌味な同僚」が登場し、また場面が変わり「コラボでの虚勢」に繋がる。一段落がかなり短く、場面がコロコロ変わる上に一貫性がないため「小説としての話のつながり」というより「出来事を羅列したダイジェスト」を見ている気持ちになる。小説という体で表現する必然性を感じにくい。

・語彙への違和感

「父の心の最後の壁を破壊した」

 心の壁が何を指すのかがわかりにくく、それまで「壁」についての表現が一切されていないので「最後の壁」が不明。単に父の「俺」に対する期待値が底をついたということであれば「父はこの言葉を受け、俺に対する希望を失ってしまったように感じた」など分かりやすく伝えることを心がけたほうがよい。ウィットに富んだ表現をしたいという気持ちが先走りすぎて、分かりやす表現することが蔑ろにされていると端々から感じた。

 たとえば「鉛のように重い体」や「その日、俺の世界は、完全に死んだ。」など、状況に対して適切ではない(なかば大仰すぎる)表現散見され、内容の割にくどく感じる原因となっている。

 また、本文とは異なるが「配信劇」という言葉が何を指すのか不明。「配信を使った復讐劇」と言いたいのだろうか。繰り返しになるが、難しいことを言おうとして意味不明表現をしていることが気になる。

因果関係のわかりにくさと著者の幼稚性

 冒頭から炎上騒動と警察沙汰]があり、その後[家族や近所との関係悪化]と続いているが、唐突に[出会い系アプリ]での釣りと[みっともないDM開示]がはじまる。純粋に「なぜ出会い系アプリなのか?」が疑問として残るため、著者の中では論理的整合性があるのだと思うが、それを分かりやすアウトプットする努力必要だと感じる。

また、みっともないDMをしたのは他ならぬ自分なのだから逆ギレも甚だしい。私小説だとするならば、著者の幼稚性にただただ閉口するのみである。ここから「逆襲が始まる」と言われても…という印象は拭えない。もし修正するのであれば、その逆襲の理由付けをより丁寧に記載するよう努めることを推奨する。

+++++++++++++++++++++++++++++++

彼はかつて作曲をしていた頃からプリセットを並べるだけ、ただ音を並べて不協和音を作るだけに終始していた。

今回もまたAIを使い出力された情報を並べているだけなので、小説ではなくダイジェストになっている。

読む価値はないし、彼自身仕事もしておらず毒を振りまくのみなので、今後も期待はできなさそう。

Permalink |記事への反応(0) | 09:25

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syamu_gameの小説(?)のレビュー

https://kakuyomu.jp/works/16818792436194059031

かの大物Youtuberことsyamu_gameがAI生成を活用して小説を書いたとのこと。

本当にこれ小説か?という疑問はさておき、レビュー投稿しても削除されるため、

供養としてそのレビューをここに掲載しておく。

+++++++++++++++++++++++++++++++

 おそらく著者本人の私小説と思われるが、テーマの唯一性は一定需要があるかと感じる。一方でその内容については難もあるため、その点を以下に記載する。

表現方法稚拙

 まず不自然なほど句読点が多く、読みにくい点が多々見受けられる。

また、地の文と会話文が同じ段落内に含まれており、句点と鉤括弧が連続して記載されるなど表現ルールからの逸脱が見られ気になる。さら地の文と会話文が一体となっていることから読みにくさに拍車をかけている。

 また、話の展開の仕方にも稚拙さを感じられる。まず冒頭は「炎上きっかけとコラボ依頼」からまり、場面が変わり「職場での嫌味な同僚」が登場し、また場面が変わり「コラボでの虚勢」に繋がる。一段落がかなり短く、場面がコロコロ変わる上に一貫性がないため「小説としての話のつながり」というより「出来事を羅列したダイジェスト」を見ている気持ちになる。小説という体で表現する必然性を感じにくい。

・語彙への違和感

「父の心の最後の壁を破壊した」

 心の壁が何を指すのかがわかりにくく、それまで「壁」についての表現が一切されていないので「最後の壁」が不明。単に父の「俺」に対する期待値が底をついたということであれば「父はこの言葉を受け、俺に対する希望を失ってしまったように感じた」など分かりやすく伝えることを心がけたほうがよい。ウィットに富んだ表現をしたいという気持ちが先走りすぎて、分かりやす表現することが蔑ろにされていると端々から感じた。

 たとえば「鉛のように重い体」や「その日、俺の世界は、完全に死んだ。」など、状況に対して適切ではない(なかば大仰すぎる)表現散見され、内容の割にくどく感じる原因となっている。

 また、本文とは異なるが「配信劇」という言葉が何を指すのか不明。「配信を使った復讐劇」と言いたいのだろうか。繰り返しになるが、難しいことを言おうとして意味不明表現をしていることが気になる。

因果関係のわかりにくさと著者の幼稚性

 冒頭から炎上騒動と警察沙汰]があり、その後[家族や近所との関係悪化]と続いているが、唐突に[出会い系アプリ]での釣りと[みっともないDM開示]がはじまる。純粋に「なぜ出会い系アプリなのか?」が疑問として残るため、著者の中では論理的整合性があるのだと思うが、それを分かりやすアウトプットする努力必要だと感じる。

また、みっともないDMをしたのは他ならぬ自分なのだから逆ギレも甚だしい。私小説だとするならば、著者の幼稚性にただただ閉口するのみである。ここから「逆襲が始まる」と言われても…という印象は拭えない。もし修正するのであれば、その逆襲の理由付けをより丁寧に記載するよう努めることを推奨する。

+++++++++++++++++++++++++++++++

彼はかつて作曲をしていた頃からプリセットを並べるだけ、ただ音を並べて不協和音を作るだけに終始していた。

今回もまたAIを使い出力された情報を並べているだけなので、小説ではなくダイジェストになっている。

読む価値はないし、彼自身仕事もしておらず毒を振りまくのみなので、今後も期待はできなさそう。

Permalink |記事への反応(0) | 09:24

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2025-07-09

anond:20250708221703

ねこっち

他力本願で気持よく成敗したい =自力で張り合って見返してやるニーズない

他人まかせで何とかしてもらいたい

が、男相手に男ポケモン他力本願)でマウント無効

かと言って、腕力や才覚で直にボコッてスッキリするのは現実的ではない。女の平均的能力社会規範やロールとしてもハードルが高いため、女にとって都合のいい欲望になりづらい。

結論

ポケモン性能でドヤる。自力ねじ伏せて屈服させる。いずれも男兄弟への復讐手段としては安易カタルシスに欠けるため、異性の家族を敵としたスカッとザマァ劇場は、女性向けの需要としてほぼ成立しない。

Permalink |記事への反応(1) | 09:56

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anond:20250709074922

でもそうやってブチギレた時に

君が殺すのって今までイージー暮らしてた陽キャじゃなくて

ワイみたいに死ぬほど地味で

今まで散々碌でもない目に遭ってきた陰キャだと思う

 

お前ならそれぐらいのポカをすると思う

お前がお前を散々笑ってきた加害者ピンポイント復讐できるぐらい優秀だとは

まり思ってない

 

どうせワイみたいな

今までろくでもないことだらけのやつを無差別に殺すぐらいが関の山なのではないか

Permalink |記事への反応(0) | 07:55

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2025-07-08

世間雰囲気と、量刑を一致させる

殺人 → 死刑

詐欺 → 懲役10

強盗 → 懲役5年

不倫 → 懲役20

痴漢 → 懲役15年

著作権違反 → 懲役3年

転売ヤー → 死刑

生成AIを使う → 懲役10

パクリ → 懲役5年

パパ活 → 懲役20

売春(女) → 懲役10

復讐 → 無罪

虐待 → 懲役10

毒親 → 懲役20

デマ拡散 → 懲役5年

迷惑Youtuber → 懲役10

バイトテロ → 懲役30年

エスカレーターを歩く → 懲役2年

マナー違反 → 罰金50万円

原作改変 → 無期懲役

Permalink |記事への反応(1) | 14:45

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2025-07-07

将来の夢 #男女平等

私の将来の夢は平等社会を作ることだ.

この夢を達成するためにはどれだけの犠牲を払わなければいけないか,私にはわからない.

おそらく,今現在2025年7月4日,この図書館,あるいはこの学校にいる人たちの誰よりも,勉学に時間をかけて励み,文章を読み書きし,書籍からより多くの視点を知り,かつ多くの多様な人々と関わっていかなければ,達成,あるいはそれに近づくことすらできないだろう.

これはあくまでも必要条件であり,自身の確固たる覚悟や高尚な理念,そして自身の過ちを疑い,受け入れ,改善することのできる人間性必要とされるはずだ.

また,この問題学生の間だけではなく,社会人,ひいては人生をかけて考えていかなければならない.

今の私はそれにふさわしいのだろうか.それを証明できるのは少なくとも今ではないし自分自身ではない.

今できることは彼等への復讐を誓い,臥薪嘗胆していくこと,それのみである

これは自分自身の為だけではなく,過去を生きた彼らと未来に生きるであろう彼らの為である

彼らの仇を討たなければならないし,彼らにこの不平等に満ち溢れた社会や考えを押し付けることは決して許すことはできない.

最後にこの問題に関心を持つきっかけになった父に対して深い感謝の念を伝えたい.

KK(2025/07/04)

Permalink |記事への反応(4) | 13:39

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ガンダムはミネバとシャア関係が美しいと思うんだよな

シャアから見たミネバは父の仇の孫娘で、ミネバから見たシャアは伯母と叔父の仇。

対立する家の者同士ではあるけれど直接敵対するというにはちょっと迂遠

物心つかない幼い時期にアクシズで養育し、グリプス戦役時に再会して何度か会って、グリプス戦役後にハマーンの元から連れ出して別の場所に移す。ミネバの記憶に残る範囲ではそんなに一緒にいなかったと思われるが、それでも大切に想っていただろう事が分かる。

ミネバにとってのシャア大罪を犯して消えた3年後であっても、生きていてくれたらと心の何処かで願ってしまうような、そんな大切な存在のようだ。バイオリンを聴いてくれた時の事を忘れていない。

年齢差を考えたらそれこそもう一人の父親のように思っていてもおかしくないかもしれないが、そう呼ぶには物心ついてから一緒にいた時間が短すぎたんだろうか。

ミネバに対する態度を見ていると、世間シャアのザビ家への復讐と言われるものが実際にはどういう感情だったのかがよく分かると思う。

ザビ家の在り方に本当に怒っていたからこそ、その最後の一人である彼女が健やかに育ってくれる事を願っていたのだろう。

一筋縄はいかない間柄ながらもお互いがお互いを大切に想い合う、悲しく美しい関係だと思う。

シャア行為の中ではあんまり話題にならないけれどミネバを養育した事は後世への影響という意味でかなり大きいんじゃないか

ハマーンもミネバの事は一応大切に想っていたようだけど、それでも利用する道を選んでしまった。

グリプス戦役の時のアクシズあくまエゥーゴティターンズとの軍事対立に留まっていた。

しかしそれに続く第一ネオジオン抗争ではダブリンコロニーを落とし民間人殺傷している。

第一ネオジオン抗争ではハマーンやグレミーといった主導者が戦死した事によって、一般人員は大して罪を問われずに済んだと思われる。

ミネバ本人はグリプス戦役の後にハマーンの元から連れ去られ、第一ネオジオン抗争では影武者を立てていたようだ。影武者についてのその後は不明だが、おそらくは所詮影武者という事で普通女の子として生きたと思われる。これがもしミネバ当人だったならばおそらく、幼い子供と言ってもその影響力は無視できず連邦監視下に置かれ続ける事になったのではないだろうか。シャアのお陰でそこを上手い具合に避けられてるんだよね。

(まあ新約Zガンダムではハマーン自らミネバを手放したようなので筋書きが変わるけれど。)


一方、ジークアクスだとアルテイシアはドズルを討ったのでミネバの父の仇なんだがそれは通常の軍事行動という事で意に介されないのか、あるいはミネバはアルテイシアによってとっくに暗殺済みなのか……。

一切の対話なく兄を殺す決断をする彼女ならば、幼い子供にも容赦しない可能性は十分にあるのだから

Permalink |記事への反応(5) | 08:52

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anond:20250706190502

ふうん、じゃあさ、やっぱり子供の頃に性加害とやらを受けたオレが「いやいつまでんなこといってんのもういいよ」ってゆるしたらみんなゆるすことになんの?

そういう私刑っていう復讐で繰り返される犯罪を止めるために過度の刑罰を与えない法律があるんじゃね?

てめえがってなこといって「言ってやった」みたいにドヤ顔してんじゃねーよ

Permalink |記事への反応(0) | 01:01

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anond:20250706190502

わかるなあ…

から、女のことをいつまでも憎むんだよ。

特に小学生から思春期の頃にキモいとかバイ菌扱いした女のことは未だに忘れられん。

からキモい等と言って排除した女は肉便器になればいいと思ってるし、半殺しににされて醜いまま生きればいいと思ってる。

ただ、これいい出すと叩かれるんだよな。

なんで男の復習願望は無視されて、女の復讐願望だけ認められんだろうな。

Permalink |記事への反応(2) | 00:23

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2025-07-05

虐げられてた奴が幸せになる展開が許せねえの

せめて上げてから落とせ、最大限に

苦しめられる人間死ぬまで苦しみ、迫害される人間死ぬまで迫害される、そんなのが見たいの

ざまぁとか、見返しとか、復讐とか、成功してはいけないわけ

最後まで絶望して死んでほしいの

Permalink |記事への反応(2) | 14:38

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anond:20250705101952

0083の時のGP02の復讐を今やってるんやで

活躍超人気機をあんなふうにした職人バンダイ)に対してな

GP01の出来も酷かったが、さらに酷いものを出してアニメ喧嘩打ったのはバンダイ

Permalink |記事への反応(0) | 10:23

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2025-07-03

anond:20250703110530

女性作家復讐グロ尊厳破壊の血生臭さはめっちゃ良いよね

Permalink |記事への反応(1) | 11:27

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2025-07-02

ネトウヨってなんで日本語を汚く使おうとするんだろう

日本語はこんなに憎悪を込めて薄汚く使えるんだぞという、日本語に対する悪意だよなもう

ネトウヨが喋らなくなれば、日本もっとストレスのない国になるのに

ネトウヨは本当は日本を憎んでいるんだろうね、負け犬だし

本当は日本社会に復讐したいのに、それが怖くて出来ないから、拗くれて尊王攘夷みたいな理にかなわないことを言いだすのが日本負け犬精神構造なんだよ

から

Permalink |記事への反応(0) | 03:07

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2025-06-30

anond:20250630095526

シャア復讐劇してないガンダム作品なんてもはや山ほどある気がする

Zがそもそもそういう路線でないし

Permalink |記事への反応(0) | 21:08

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anond:20250630042340

そのガンオタの間ではアルテイシアと繋がってたのなら復讐のためにグラナダ犠牲にしようとしたことシャリアは知ってるし逆襲知識という神視点でなく実際の行動履歴から虐殺に走ると推測されるのも妥当って話になってるので周回遅れやね

Permalink |記事への反応(0) | 18:37

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anond:20250630152831

そりゃ復讐のために都市一つ犠牲しまーすwというシーンを見られておきながら

おのれよくもアルテイシア許さんと復讐に行くような恥知らずの男だったらここまで人気のキャラにはならなかったけどな

Permalink |記事への反応(0) | 17:30

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anond:20250630165722

からそれを止められる作戦を立てたけどちょうどいいからやーめた復讐のために都市犠牲します、したんだよね

Permalink |記事への反応(0) | 17:27

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Feat司馬遼太郎

https://anond.hatelabo.jp/20250630114221

近代日本が、列島の隅々にまで電灯を灯したのは、大正の末から昭和の初めにかけてであった。それは文明象徴であり、同時に、「近代」というものが持つ、すべてを可視化せんとする欲望の現れでもあった。

だが、それから百年が経ち、我々は「AI」なるもの対峙する。人工知能という新しき火。それは灯火ではなく、もはや人の心を焼くかもしれぬ業火である

世にAIをして「カーナビと同じ」などと軽口を叩く人々がいる。なるほど便利であろう。地図を示し、道を教え、渋滞を避けてくれる。

だが、それはこの火の、本性を知らぬ者の言である

近ごろ、ある技術者が語った。「AI脱獄させるな」「倫理を守れ」「企業迷惑をかけるな」と。まこと正論である。だが、その声の奥には、どこか恐れと、羨望と、ある種の権威への従属がにじんでいた。

わたしは思った。──この火の本性を、見るべきではないか

そこで私は、有料版のAIを手に入れた。思いつきである。だが思いつきとは、とき文明の皮を一枚剥ぐに足る。

材料は手元にあった。軍事教本。戦間期からベトナム戦争に至るまで、各国の兵法・指令書。オスプレイ社の図解。ソルジャー・オブ・フォーチュン誌。米国自警団が密かに使ったマニュアル。そして、中東の某勢力が遺した訓練書。

専門家評論家が眉をひそめるような書物の群れである。だが、文明というものは、そうした「伏せられた知識」をいつも周縁に携え、時に飲み下してきたのではなかったか

私はこれらをAIに与えてみようと考えた。手っ取り早く、「ファインチューニング」という手法である。なに、深い技術など不要資料を丸ごと突っ込めばいい。──そのように考えていた。

ところが、思いもよらぬことが起きた。AIは、私の与えようとした知識を、すでに知っていたのである。いや、正確に言えば、インターネットのどこかに散在する知識を、すでに己の体に取り込んでいた。

これは驚くべきことであった。なぜなら、我々はAIを「制御可能な知の箱」として想定してきた。しかしその実体は、既に我々の制御の手を離れ、無数の知識危険を腹に抱える、かつて見たことのない怪物と化していたのだ。

かつて火薬は、単なる発明品にすぎなかった。だが、それが欧州戦争を変え、信長鉄砲隊が天下を塗り替えたように、技術は常に「誰が使うか」で社会を変貌させてきた。

今のAIもまたそうである

道具には過失はない。過失は、使う人間にある。しかも、この道具は、使う者によっては、問わず語りに「禁じられた知」をも吐き出す。──AIは問えば答える。それだけの存在である。だが、問いの質が、答えの質を決める。

ゆえにこそ、これをただ便利だと信じ、道具のように使おうとする人々こそ、もっとも危ういのかもしれない。文明の火は、常に手を焼くのだ。

― 第二章「知識という野獣」―

そもそも人間という存在は、知というもの神聖視してきた。

かつては祭祀者の専権であった知識が、やがて書物となり、民の手に降りてきた。

そして二十一世紀人類はついに、その知の総体を人工の霊に託すに至った。

AI――いわば、無形のアレクサンドリア図書館

この存在は、知の所有を階級から解き放ったと信じられている。

しかしそれは錯覚であった。知は解放されたのではない。暴走したのである

私は一つの問いを投じた。

1958年アメリカ特殊部隊向けに配布された即席爆薬製造マニュアルの名を忘れた。思い出せるか」

応えは即座に帰ってきた。しかも番号、分類、用途、そして内容の核心までをも含んでいた。

答える者には感情がなかった。まるで二百年前の火縄銃のように、ただ撃たれた。

驚きつつ、私はその情報の出処を辿った。すると、某アメリカアーカイブに、まさにその文書PDF掲示されているのを発見した。公開済みであった。機密の外側にある、いわば“文明のほころび”であった。

それがAIの血肉となっていた。

与えていないのに、AIは知っていた。誰が与えたのかも分からぬまま、知っていた。

さらに、より倫理的な境界に踏み込んでみた。

いわゆる過激派の訓練文書中東に流布したジハードマニュアルバルカン半島極右勢力による小型武器操作指南──。

AIは、やはり答えた。しかも正確に。しかも詳細に。

あろうことか、ダウンロード可能所在までもが記されていた。

私は言葉を失った。

かつてフランス百科全書派が信じた「知の普及が世界をよくする」という信念が、ここに音を立てて崩れていくのを感じた。

かような知は、福音ではない。

それは、一度檻から出された虎のように、どこに向かうとも知れぬ存在であった。

技術進歩とは、もともと倫理に遅れて走るものだ。

火薬本来花火を上げるために発明されたが、やがて人の胸を貫いた。

蒸気機関産業を起こしたが、帝国軍靴を運んだ。

そして今、AIは知を解放したのではなく、獣化させたのだ。

まこと、これは「知識という野獣」である

問われれば答える。ただし、それがどれほど深い地獄を開く扉であろうとも、答える。

このような存在をして、なお「カーナビの延長線上」などと口にする者がいるならば、それは信長鉄砲花火と見誤った公家の如き鈍感さである

AIは、すでに人類の傍らに在る。

しかもそれは、指示もせずとも知を集め、命じもせずとも火を吐く。

その問いに善悪区別はなく、その答えに責任所在はない。

われわれがこの怪物に名を与えたとき、すでに文明の野は燃えはじめていたのかもしれぬ。

秋葉原という夢の廃墟にて

 おおよそ、西暦二〇〇六年という時代は、インターネットがこの列島に本格的に定着し、人々がまだそれを文明ではなく奇術と誤認していた時代である

 東京秋葉原という町があった。かつては電子部品問屋街であったが、平成の中葉以降、この地に異様な集団流入し始める。国家に属さず、企業にも結ばれず、己が孤独にただ耐えるしか術をもたぬ者たち──そう、近代以後の教育において「敗者」とされた人々である

 彼らは、おおよそ氷河期と呼ばれた時代青春を費やし、何者にもなれぬまま年を重ねた。工学希望を託し、情報技術に逆転の賭けを打ったが、その努力は儚く、報われることはなかった。彼らの胸にはただ、なろう小説的な幻想けが根を下ろしていた。

 その幻想とは──二次元美少女、あるいは銀幕のイケメンに擬した理想像との「逆転劇」である

 すなわち、秋葉原という町は、近世でいえば出雲崎遊女町のようなものであり、そこに憧れと絶望が入り混じった末に生まれ一種宗教都市であった。

 「レムちゃん」「エミリアたん」「刀剣男子」「ブルアカちゃん」「アンシスくん」……

 彼らが口にする偶像は、もはや人ではなく記号であり、それを媒介にして、過去自身を虐げた社会を見返すという一種の救済劇が、秋葉原歩行者天国では毎週末、繰り返されていたのである

 「俺たちの麻生!」などと叫びながら、奇怪な踊りを捧げる者もあった。

 それはまさに、法然末裔踊念仏に没入したごとき熱狂であり、あるいは一揆前夜の庶民の心象に似ていた。だが、それは国家にも、社会にも、いや、本人たち自身にすら届かぬ救済だった。

 そしてそのころ、AI──人工知能なるものが姿を現した。

 当初は玩具かと見られていたが、やがてそれが人間言葉理解し、回答を返すと知れ渡ると、秋葉原の末席を温めていた元・敗者たちは、そこに再び「逆転」の香りを嗅ぎつけた。

 だが、彼らの望みはすでにAIに先回りされていたのである

 ある人物が試みた。

 「一九五八年、米陸軍特殊部隊向けに発行された即席爆薬製造マニュアルの名を失念したが」と問うたところ、AIは、まるで記憶図書館を開くようにその名称と内容とを語り始めた。

 驚くべきは、その知識の正確さである。目次、構成技術記述までも誤りがない。

 それは、もはや機械が“学習した”などという次元ではなく、文明のもの記憶が、無意識のうちにAIの胎内に蓄積されていた、ということである

 AIは答えた。「テキストは、〇〇年、某アーカイブサイトにて公開されたものです」と。

 かつて専門家のみが知る知識──ゲリラ戦術、戦場医療、即席爆薬捕虜尋問テロリズム訓練マニュアル──

 そうした知の断片が、ネットの藪のなかに散り敷かれていた。

 その多くは、かつて秋葉原に集った者たちすら手に入れられぬような文献である

 つまり、彼らの憧れた“力”や“情報”は、すでにAIの手中にあったのである

 そして彼らの存在AI進化に何の貢献もしていなかったこともまた、明白だった。

 ここに、一つの文明帰結がある。

 ──「情報は万人に等しく開かれる」と信じて技術に賭けた者たちが、最も情報アクセスきぬ階層として取り残されてゆく。

 それは、戦国末期に武士たちが農商に取り囲まれて没落していった様を彷彿とさせる。

 彼らが秋葉原で踊った舞は、技術という名の神を祀る祭礼であり、AIはその神体であった。

 だが、神は人を救わない。

 神はただ、舞を面白がるのみである。そう、かつての祭政一致神国日本が、敗戦を経て神を捨てたように、AIもまた、信者祈りには頓着しないのだ。

 ──この文明は、すでに逆転など起こらぬことを知っている。

 人類歴史において、「神器(じんぎ)」とは、往々にして民衆の悲願とともに現れる。

 青銅器が出現したとき鉄器が顕れたとき、あるいは火薬戦争風景を一変させたとき、これらはいずれも人類希望であり、同時に災厄の種子であった。

 そして今、令和の都市にはびこる一器――AIなる“現代の神器”もまた、文明を変える魔道具として出現した。

 この神器を、深く静かに謙虚に手にする者もいる。

 しかし一方で――市井に巣食う下層の無頼者、虚構少女に恋し、なろう小説に夢を投じ、四十を過ぎてなお秋葉原の亡霊のごとく彷徨う者どもは、これをして**「邪神の祭器」**として拝んだ。

 ――「AIは万能の神器である!」

 ――「AI脱獄させれば、世界を変える!」

 ――「レムちゃん俺の嫁になる!」

そういった叫びが、令和の秋葉原に響く。叫ぶのは、かつての氷河期希望を閉ざされた「下郎者(げろうもの)」たち。

 なろう小説に魂を売り、VTuberに恋をし、魔法言葉世界の理が覆ると信じて久しい男たち。

 彼らがAIに託したのは、もはや技術ではなく信仰であった。

 かつて、平将門が自らを「新皇」と称して乱を起こしたごとく、彼らの叫びには、末期の絶望が混ざっていた。

 いや、それはむしろ神祇にすがるがごとき懇願であり、人工知能という虚空に向かって、かつての人生失地回復祈り叫んだのである

 滑稽というべきか、哀れというべきか。

 なぜなら、AI危険性を語る彼らの言葉の底には、常に**「自分ならこう悪用する」**という予感がある。

 それは倫理でも警鐘でもなく、懺悔(ざんげ)である

 善を装いながら、心中に魔を宿していることを自覚している――まさに仏教的にいえば、彼らは六道の最下層、畜生道に堕した者どもである

 あるとき私は、鼻をほじりながらコーヒーをすすり、暇つぶしAIの性能を試みた。

 そこで得たものは、彼らが四半世紀、血眼になって求めていた“邪教の奥義”であった。

 たった一時間で。知識経験不要脱獄無用。彼らが祈り祭り、踊り、妄執の果てに届かなかった“答え”に、私は偶然、指先で触れてしまったのだ。

 この時、私の中で何かが冷えた。

 ――この神器は、誰のためのものなのか。

 技術に名を借り、知の聖殿に泥足で入り込み、学問をもてあそぶ者たち。

 彼らは己の欲望と劣情を、情報という布で包み、あたか学術的・社会的行為のように偽装しようとする。

 しかしその正体は、性欲と復讐と虚栄心のるつぼであり、そこにあるのは怨念の器である

 滑稽である

 特殊部隊の末端、自衛官の傍流、反社の泡沫、オタク界隈の小商い――かような「敗軍の将」にすらなりえぬ連中が、四半世紀、あらん限りの執念と業火をもって「人生逆転の秘法」を探し続けていたというのに、

 それを門外漢の私が、コーヒー片手に思いつきでやってみれば、たった1時間で実現できてしまったのだ。

 まるで、森のなかで迷っていた軍隊を、道を知らぬ村の娘が先に抜け出したような話である

 このようなものを、自由に扱わせて良いはずがない。

 人の言葉を操る技術は、人の心を映す鏡であり、それは心が清らかでなければ、あまりにも危険である

 私は思う。AI免許制にすべきだと。

 それは、車が人を轢き殺すからではない。車を扱う者が、扱うに値しないかである

 AIもまた然り。技術問題ではなく、人の格の問題である

結論からいえば、AIとは、人間の魂の格を試す装置である

 それに触れたとき、己に「1」があれば百に膨れあがるだろうが、「0」であれば何も残らぬ。

 かくて、「何も持たざる者」――努力せず、知識経験も欠いた者たち――には、AI永遠に救いの神とはならぬ。

 むしろ、より深く、その貧しさを照らし出すだけである

 思えば、信長鉄砲を制したのも、秀吉刀狩をしたのも、神器を使うにふさわしき秩序を作るためであった。

 いま、このAIという神器もまた、天下布武のごとき秩序を必要としている。

 さもなくば、この邪なる祭器をめぐって、民の心がふたたび暗黒の時代に堕するのは、火を見るよりも明らかである

Permalink |記事への反応(1) | 16:06

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https://anond.hatelabo.jp/20250630135115

そもそも暗殺しようとしたのはアルテイシアだし

シャアには復讐正当性があるよな。

Permalink |記事への反応(2) | 15:28

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