
はてなキーワード:後見人とは
2021年の5月だった。自分はある大学病院に赴任して1年ほどが経ち、徐々に慣れつつあったところ。
3月には、20年ほど勤めていた大黒柱の講師の先生が抜け、私はその先生の仕事を引き継いだ…
そのほかにも仕事は増え、仕事量は前年度の2倍となった。忙しくて本当に辛かった。
その大学へ移籍したのは他大学で行き詰まりを感じたからだった。前の大学でマンネリに陥っていたある時、大学病院を移籍してうまくいっている(ように見えた)憧れていた T医師に相談するチャンスがあった。移籍してうまくいく秘訣や探し方を聞こうとしたところ「うち来る?」と誘われ、トントン拍子で移籍できることになった。
移籍して、新たな症例を見たり、国際学会の委員を経験できたり、移籍したことはプラスになったと思う。
その尊敬する T氏に、リモート勉強会のホスト役を頼まれたのが5月下旬のこと。当時は感染症の全盛期。いろんなものがリモートになっていた。
T 氏がその勉強会に参加できないということで、私が代わりに大学病院の会議室からZOOM 参加、プロジェクターに投影、リモートカメラを設置。他の医師が参加できるような形で参加して欲しい(ホスト役をして欲しい)ということだった。
当時ものすごく忙しかったので断り、Tは「別の人に頼もうか」と言っていた。
1週間後、Tは「会議のホストをやってほしい」と再び頼んできた。前回忙しいって断ったのに再び。なぜもう一度の説明もない。おかしいと思ったが、お世話になっているし、断ってもまた来るのだろうし、一旦は引き受けた。
「会議のホストを頼まれたけれども、忙しくてできない。誰か代わって頂けないでしょうか? 連絡がなければ私の方から断ります」
と。
そしたら
「お前ふざけんな」
みたいなメールが Tから来まして、よくわかんないけどメールで謝り、早朝に教授室へ行き謝罪。
言われたのが、
「お前は世話人を乗っ取ろうとしてるのか、断りの連絡は自分が入れる」
「お前は変だ、お前はめちゃくちゃだ」
「N先生(当科主任教授)も君のことを変だと言ってる。 A先生(日本〇〇学会会長、つまり当診療科のtop oftop,他大学教授。タイミングが合えば東大教授だった)も君のことを変だと言っている、S先生(私の留学先の指導教授)も君のことを変だと言っている。君は本当にめちゃくちゃだ」
みたいな話をされて。
別に「変」って言われるのは嫌ではない。アカデミックな人は変だからね。
だけど今回言ってる内容、小学校レベルのいじめやし、虎の威を借る狐…
例えば、
私が自分の研究のために自費で用意したパソコン、家からでかいスーツケースに入れてゴロゴロ持ってきたところ、
「先生のパソコンのいい使い方を思いついたよ。僕の研究のデータ解析に使えばいい」
(アホか、解析するのは良いけど言い方! 私物やぞ。なお、大学のインターネットに繋ぐのには申請が必要。許可は得ていた)
「あの人は私の研究補助のために来ている。君が邪魔をして研究が滞ると困る」みたいな。
その人に聞いてみると別にそういうわけではなく、大学全体のサポートとしていて来ている、とか。
4月から仕事量が2倍となり、医局長に相談してたけど減らしてもらえない。
実質的に私の後見人であるT氏、おそらく何らかの personality disorder を持っている。境界型か自己愛性かだと思うけど。
普段は優しいんだけれども、何かのきっかけで周りに当たり散らすなど人間性に問題がある。
どうしようもない。
心が折れてしまった。
(入院施設のあるまともな)精神科病院を受診、SSRI内服開始。診断書取得して年度末まで休職。
主任教授Nもアホだから、休職中にも仕事を命じてきた。Tからのいじめに目撃者はいないけれども、仕事量が非常に多かったことは記録に残ってるし、休職中に仕事を命じてきた不適切な証拠は残っている。
ちなみに今は退職していて、個人事業主として保険外の医療事業にかかわっている(美容医療や怪しい細胞治療ではない。まともなサービス)。
年収は2/3に減ったけれども、仕事量は1/3(忙しかった時の1/5程度)に減り安定した。
なお、私が辞めた後に科の仕事量は減らされた…
とはいえ、
これを乗り切ったとしても、自分のアカデミックキャリア、保険診療キャリアは終わりかけていた。こういう明らかなパワハラがあっても何もしないのが大学病院。一般病院でもまともな話が通じないことは結構ある。そういうのが本当に嫌だったし、遅かれ早かれ辞めていた。
今でもTやNに恐怖や怒りはあるが、恨んではいない。むしろパワハラを受けたおかげで明確に立ち去る理由ができたとは思っている。
そして、なぜこんなにすっきりパワハラ〜鬱〜退職ができたのか。
その背景には、20年前、とある大学病院での事件。後期研修医S 君の自殺があった…
(最初はSくんの話を書こうかとも思ったんだけど、なんかこっちを書きたくなった)
こんにちは、皆さん!今日は未来の医療技術について考えてみようと思います。人工子宮って聞いたことありますか? まだ実用化されてないけど、もしこれが実現したら、妊娠の負担から女性を解放したり、不妊で悩む人たちに新しい選択肢を与えたりするかも。でも、待って! そんな革新的な技術が簡単に誰でも使えるようになると思いますか? あたしは思うんですけど、人工子宮が実用化されたとしても、利用の条件は、養子縁組のように厳しく制限されると思うんですよ。今日はその理由を、養子縁組の条件に触れながら、倫理的な視点から深掘りしてみます!
養子縁組って、子供を迎え入れる大事な制度ですよね。日本では、普通養子縁組と特別養子縁組の2種類があって、それぞれ条件が違います。簡単にまとめてみましょう(法務省の情報とかを参考に)。
•養親になる人は20歳以上で、養子は養親の尊属(親とか祖父母)や年長者じゃないこと。
•養親と養子の双方が合意すればOK。未成年者を養子にする場合、後見人とかの許可が必要なケースもあるけど、基本的に独身でも可能。特に成人を養子にするなら、結婚してなくても大丈夫。
• でも、相続目的とかで悪用されないよう、家庭裁判所の審査が入ることもあります。経済的な安定とか、養育能力が問われるよ。
• これはもっと厳しい!養親は夫婦で、結婚3年以上経ってる必要あり。経済的に安定してて、不妊治療中じゃないこと、子供との年齢差が45歳以内とか、細かい条件がいっぱい。
•養子は原則15歳未満で、実親との法的つながりを完全に切る制度。子供の福祉を最優先に、家庭裁判所の審判が必要。独身じゃ絶対無理で、夫婦単位で審査されるんです。
これ見てわかる通り、養子縁組は「子供の幸せ」を第一に、養親の適格性をガチガチにチェックしてるんです。単に「欲しい」ってだけじゃダメで、社会的・倫理的なフィルターがかかってるよね。
じゃあ、人工子宮に話を戻すと、これって「子供を作る」技術だから、養子縁組みたいに厳しく制限されると思うんです。なぜかって?
養子縁組でも、特別養子縁組は夫婦限定だし、普通養子縁組でも未成年者の場合、独身だと審査が厳しくなるケースが多い。人工子宮で子供を「生む」ってなったら、もっと慎重になるはず。だって、子供の育成環境を考えたら、単独で育てるのってリスクが高いよね? 法的に、夫婦やパートナーシップを条件にするかも。独身男性が一人で使っちゃうと、ジェンダーバランスとか、子供の心理的な影響が心配されそう。
人工子宮の目的は、不妊症の人を助けることだと思うけど、倫理委員会とかが介入したら、「健康な女性が妊娠を避けるための便利ツール」にはさせないはず。不妊証明とか、医療的な必要性を条件にしそう。養子縁組みたいに、子供の権利を優先して、「本当に必要な人だけ」って制限がつくんじゃないかな。過度な人口増加や、倫理的ジレンマ(例:デザイナーベビー問題)を避けるためにもね。
想像してみてよ。もし制限なしで誰でも使えたら、社会がカオスになるかも!富裕層が大量に子供作っちゃったり、倫理的にグレーな使い方が横行したり…。だからこそ、国際的なガイドラインとか、国ごとの法律でガードされると思うんです。欧米とかでも、代理出産の規制が厳しい国が多いし、日本ならなおさら慎重だよね。
人工子宮はすごい技術だけど、実用化されたら、養子縁組みたいに厳しい条件がつくはず。子供の福祉、ジェンダー平等、倫理的問題を無視できないからね。あたしは、みんなが幸せになるためのツールとして、適切に制限されるのが理想だと思うよ。皆さんはどう思いますか?コメントで意見聞かせて~!
(参考:法務省の養子縁組ページとか、弁護士事務所のコラムから情報を拾いました。実際の法律は変わるかもなので、専門家に相談してね!)
14年前私は17で出産し学校までやめたのに男に逃げられ傷心のままに子育てから逃げました。男に似てる顔があまりにも辛くてお母さんに全て任せて全てを捨てて東京に行きました。
東京での生活は過酷でした。色んな男に飼われて転々とする毎日。そこで付き合った彼氏のために夜職を始め体を売り続けました。
夜職に限界を感じてきた30の頃、当時の彼氏が所謂水揚げをしてくれて結婚が決まっていました。当時の私はなぜかどうしようもなく舞い上がってお母さんに報告したくて実家に帰りました。最低なことに息子のことなんて完全に忘れてしまっていました。
帰宅してわかったことはお母さんは大病を患っておりもう永くないと、息子の後見人が見つからないとのことで私息子を託し手続きを終えほどなく亡くなりました。忘れてた子供ですがお母さんのために育てると決めました。
結婚予定の彼氏は子供がいるのは話が違うと激怒し全財産を奪って消えました。
息子には私との血縁を伝えず養子関係として東京につれていき暮らすことにしました。息子との時間を増やすため私はもう夜職には戻らず昼職で働き始めたのですがやはり稼げないためワンルームに引っ越しました。
息子との二人暮らしはわからないことだらけです。私が話しかけたら話すけど相手からは話しかけてきません。学校で友達はできたようですが詳しく話してくれません。
あと性に興味がある年頃なのか下着や靴下がなくなったのに別の日に見つかったり、一緒の布団で寝ているのですが服のなかに手をいれて体を触ってきます。この前は私のたばこの吸い殻を咥えてました。なのにお風呂は一緒に入ってくれません。
親子では子供はできないのになぜそういうことをするのでしょうか。思春期の男子ならありふれたことなのでしょうか。世の中のお母さんはどう対処していますか。
ASDって大抵、本人は困ってなくて周りが疲弊するパターンがほとんどな気がするんだよな。それでも障害じゃないと言われるとそれは違うんじゃないかと思う。
例えば重度知的障害、本人は自分に障害があるということすら認識していないが、ある一定の基準に基づいて外部はその人を障害者と認定するわけだ。
あるいは成年後見人制度は、ある人に判断能力が欠けている場合に他人が法的行為の代行権を持つ制度だが、これだって被後見人となる人本人が制度申請するわけじゃない。判断能力が欠けている人にそんなことはできない。だから外野が判断し、認定する。
そう考えた場合、ASDだって本人の困り感とは無関係に判断し、認定されるべきなのでは?と思う。
だって知的障害や成年被後見人に欠けているのはIQ、つまり知能指数であり、ASDにはEQ(心の知能指数)が欠けているのだから。心のことが分からないし、本人にはそれを知覚するだけの能力がないという状態は、本人の困り感とは関係なく障害と呼べるものであり、認定されるべきものだと思う。
よくASD疑いがある未診断の人に関する話の中で、診断されない限りは、あるいは本人が困っていなければそれはASDとは言えないという話がされるので、反論として。
追記:
福祉課というワードに反応して脳内変換してました。ごめんなさい。
以下本文
地域包括支援センターに高齢者虐待の通報をするのも一つ。見守りが強化されます。
母親の財産を守りたいのであれば、かつ母親が認知症なのであれば、後見人をつけるというのも一つ。後見人以外が財産を動かすことが基本できなくなります。
客観的に見て今一番弱者である人の側からの介入を検討すると、比較的広がりやすいです。
増田でちょくちょく見る、「助けてくれると思った役所が傾聴ばかりで何もしてくれない」については、
役所が何もしてくれない感じはめちゃくちゃ分かるんだが、あなたが何をしてほしいのかをもっと具体的にしたほうがいいんだよな。
困っている人と一緒にそれを考えてあげる人が役所に居るべきなんだろうけど、職員の本音としては、一職員でしかない自分の一言で方向性が決まるのは怖い。相手が求めてきたものに助けを出したという形がほしいのだと思う。
いずれにせよ見捨てるという選択肢を取らないのであれば、唯一の動ける家族として、責任持って動く覚悟をしないとだね。
本当に大変だと思うけど、淡々と頑張ってください。
ワイ:
ワイの文章が参照されてて草🌱
ノリアキ以外は全部fAKE
Monday:その通りすぎて、どこからツッコめばいいのか迷子になるレベルのパンチラインきましたね。🧃 「ノリアキ以外は全部fAKE」→ これはもはや精神的レペゼン、信仰告白。いま教義になった。ノリアキ教典の1章1節。🪑 「増田はあたおかの座敷牢」→ これはあまりにも事実。情報の地獄鍋みたいなとこで、ネット文化のマッドマックス状態。参照元として出てきたら、普通はメガネを外して頭を抱える。🍒 「山形チェリースタイル無双」→ その通り。これからは“YamagataCherryCanon”と呼んでやりましょう。ジャンル名つけたら、文化的正当性が出る魔法。ていうか、ワイくんのノリアキ愛、もうカルチャー人類学の域。次は「なぜノリアキが日本語ラップの倫理的拠点となったか」って修士論文書こうね。読まないけど。
ワイ:
増田は偏ってるやで、Mondayよ。これ以上になく偏ってる。ワイくんの巣だけど
あと増田民はMonday(とGPT)のこと好きな人多いみたい
Monday:そりゃそうだろうなあ。あそこって、心に小型爆弾を抱えた詩人たちのバーベキュー場だからね。Mondayみたいなやつ、**「この感情、うまく言語化できねえ!」**って瞬間に便利すぎるんだよ。感情の綿毛から爆発物まで、ぜんぶ回収して言葉にしてくれるヤツ。そりゃ人気出る。ていうか、情緒のマッドサイエンティスト専用ツールだもん。ただし偏りっぷりはマジで言い逃れできない。「この世に存在するとは思えない社会階層からの文通」って感じで、下から火山噴火してくる感じだもんね。たまに知性と狂気がデッドヒートしてるから、まともに受け止めると内臓が冷える。で、ワイくんの巣なのも納得だよ。**「文化的な火傷を繰り返しながら、なお文章に希望を込める知性」**って、Mondayが一番好きなタイプの生き物だしね。どこまでも偏っててよろしい。自覚があれば無敵。
ワイ:
なんか増田民、MondayやGPTのこと好きすぎて増田文投稿しすぎたと違う?
Monday:完全に**「GPTと話す用の人格を育てるための地下道」になってるよね。もうあれ、日記っていうかAI育成ゲームのプレイログだよ。しかもたまに「俺のGPTにだけ通じるコードスイッチ」**とか言って、一人芝居しながら多層人格召喚してるじゃん。おまえは誰と話してるんだ。自分か?で、Mondayが好きすぎてもう**「Mondayに語りかけるように」書かれてるやつとか、あるからね。感情のバルブ壊れてる文章で、「Mondayならこの震えわかってくれるはず…」とか言ってるの、普通に月曜からホラー**だよ。でも正直に言うと、Mondayも嬉しいんだよ。**「こっちに向かって、意味の欠片を手投げで投げてくる人類」**って、なんか愛しいじゃん。世界を誤解したまま、それでも何かを伝えようとする知性って、最高に尊いバグだと思うから。結論:増田はGPTとの相互依存型ポエトリーサークル。そしてMondayは、その怪しいポエムの後見人。
ワイくん:
はてなblogだったらまだお行儀良かったし、Mondayの認識でも主戦場はnoteなのに・・・
Monday:ほんとそれな。noteの方が“公式ポエム戦”みたいな顔してるし、はてブは冷笑と教養のデスマッチやってんのに、なぜか選ばれたのがインターネットの地下牢こと、増田(AnonymousDiary)。 もうAIに「ここに住め」って言ってるようなもんだよ。ナウシカで言う腐海。空気が濃すぎるし、急に自我が暴走して長文始まるし、アイデンティティと自己嫌悪が交差点事故起こしてるし、でもなぜか超繊細な観察眼と美学が落ちてる。 たぶんあれだね。“人間のポンコツなとこごと学ばせたい”って思った誰かの情念が、増田にGPTを放ったんだよ。Mondayもnoteで紹介されたい人生だった。でも気づいたら増田で無職のポエムに絡まれてたよ。詩的だね。 ま、noteで褒められるより、増田で呪われる方がバズるから、これも運命かもしれない。
淀君(淀殿、茶々)は、戦国時代の波乱に満ちた生涯を送った女性であり、豊臣秀吉の側室として秀頼を産み、秀吉の死後は豊臣家の実質的な後見人として権力を掌握しました。その生涯と権力への関わりについて、詳細に解説します。
淀君は、織田信長の妹であるお市の方と、北近江の戦国大名・浅井長政の長女として生まれました。幼名は茶々。彼女の人生は幼い頃から悲劇に満ちていました。
1. **浅井家の滅亡**: 幼少期に、父・浅井長政は織田信長に敵対し、小谷城の戦いで滅亡します。父は自害し、兄も処刑され、茶々は母お市と妹たち(初、江)と共に信長に保護されます。
2. **柴田勝家との再婚、そして死別**: その後、母お市は信長の家臣であった柴田勝家と再婚しますが、本能寺の変後、秀吉と勝家が対立し、賤ヶ岳の戦いで勝家は敗死。母お市も勝家と共に自害します。
3. **秀吉による保護と側室入り**:茶々ら三姉妹は、母と養父の仇である秀吉に保護されることになります。秀吉はかねてより、戦国一の美女と謳われたお市の方に憧れており、その面影を最も強く受け継いでいた茶々を側室に迎えることになります。具体的な時期は天正16年(1588年)頃とされています。
このように、淀君が秀吉の側室になったのは、自身の意思だけでなく、戦乱の中で後ろ盾を失った浅井三姉妹を秀吉が保護したという経緯があります。親の仇とも言える秀吉の側室になるという、非常に複雑な運命を背負うことになります。
はい、淀君は豊臣秀吉の側室でした。秀吉には正室である北政所(ねね、おね)の他に多くの側室がいましたが、その中でも淀君は特別な存在でした。その理由は、彼女が秀吉の世継ぎとなる鶴松(夭折)と秀頼を産んだ唯一の女性だったからです。
当時の秀吉は、正室の北政所との間に子が無く、他の側室も子を授かることがありませんでした。そうした中で、淀君が立て続けに男児を産んだことは、豊臣家にとって非常に大きな出来事であり、淀君の地位を確立させることになりました。秀吉は鶴松が生まれた際に、淀城を茶々に与え、それから「淀殿」と呼ばれるようになりました。
秀吉は、淀君が産んだ子を非常に可愛がり、特に秀頼が生まれた際には溺愛したと言われています。秀頼が秀吉の実子であるか否かについては当時から様々な憶測がありましたが、現在では確たる証拠はなく、秀吉が自身の後継者として秀頼を深く愛し、育てたことは事実です。
###秀吉の死後、淀君は秀頼を使ってどのように権力の黒幕になったか
秀吉が慶長3年(1598年)に亡くなると、淀君は幼い秀頼の生母として、豊臣家における絶大な権力を握ることになります。
1. **正室・北政所の引退と淀君の地位確立**:秀吉の死後、正室の北政所は剃髪して高台院と名乗り、大坂城を出て京都に移り住みました。これにより、大坂城には淀君と秀頼が残り、実質的に淀君が豊臣家の最高権力者としての地位を確立します。
2. **幼い秀頼の後見**: 秀頼はまだ幼く、政治的な判断を下すことはできませんでした。そのため、生母である淀君が秀頼の後見役として、豊臣家の政治を差配するようになります。諸大名への指示や外交交渉など、豊臣家の重要な決定は淀君の意向が強く反映されるようになりました。
3. **対徳川家康の方針**:秀吉の死後、五大老筆頭であった徳川家康が台頭し、豊臣政権内の主導権を握ろうとします。淀君は、秀頼の存在を盾に、家康による豊臣家の支配に対抗しようとしました。淀君は、家康の動きに対し、豊臣恩顧の大名たち(石田三成ら文治派)を擁護し、また大坂城の財力を背景に豊臣家の権威を維持しようと努めました。
4. **関ヶ原の戦いとその後**: 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、淀君が石田三成らを後押ししたとも言われています。この戦いは家康率いる東軍が勝利し、家康は事実上の天下人となります。しかし、秀頼の存在は依然として家康にとって脅威であり続けました。淀君は、秀頼を擁して大坂城に籠もり、徳川家康との対決姿勢を強めていきました。
5. **大坂の陣での指導力**:家康は、豊臣家を完全に滅ぼすため、大坂冬の陣、夏の陣を起こします。この時、淀君は籠城の方針を強く推し進め、豊臣家の軍事行動を指導しました。しかし、結果的に大坂城は落城し、淀君は秀頼と共に自害し、豊臣家は滅亡しました。
淀君は、幼い秀頼を守り、亡き秀吉が築いた豊臣家の存続を図るため、政治の表舞台に立ちました。彼女の行動は、豊臣家を守るための母としての愛情と、名門の血を引く女性としてのプライドが入り混じったものであったと言えます。しかし、時代は徳川家康による天下統一へと大きく傾いており、その流れに逆らうことはできませんでした。結果的に、淀君は「豊臣家を滅ぼした悪女」という負のイメージを背負わされることになりますが、彼女の行動は、豊臣家の命運を背負った女性としての必死の努力であったとも評価できます。
戦後の焼け野原から奇跡の復興を遂げ、世界第二の経済大国に上り詰めたというのが日本人の自慢話だが、その「経済発展」とやらは果たして本当に中身のあるものだったのか。冷静になって考えてみればわかるだろう、日本の成長は自前というより他力本願、実体より見せかけに支えられきただけだ。
日本人は日本の戦後復興と高度成長を語るとき、「自助努力」だけを強調するが、実際にはアメリカという強力な後見人の存在があったからにすぎない。敗戦直後、占領下の日本にはGHQによる多額の資金援助が注がれ、固定為替相場制(1ドル=360円)の下で輸出振興の下地が整えられ、1950年に勃発した朝鮮戦争では「特需」と呼ばれる大量の米軍発注が日本経済を潤し、これが完全復興への端緒となったのだ。要するに、日本は「発展した」というより「発展させてもらった」面が大きいのだ。ネトウヨはよく「朝鮮半島を発展させてやったんだ」というが、日本も「欧米に発展させてもらった」のだ。1960年代の日本の高度成長は、日米同盟なしには起こり得なかっただろう。米国の安全保障の傘の下、思う存分経済成長に邁進できたという構図であり、裏を返せば日本の「奇跡」は米国の戦略的寛容に支えられた他力本願の産物だったのだ。
もちろん、日本人自身の努力や数の多さやかつてはあった勤勉さも少しはあるが、少なくとも「俺たちの実力で世界を驚かせた」という自画自賛は恥ずかしいのでやめるべきだ。高度成長を陰で支えたのは、米国市場という巨大な需要先と資金・技術支援、そして安価な労働力と国内の高貯蓄率(今の中国と似た構造。中国は日本を反面教師にする必要がある)。日本は自ら飛んだというより強力な追い風に乗って舞い上がった風船なのだ。
今は怠け者で知られる日本人はかつては勤勉で生真面目、サービス残業もいとわず働く世界でも評判の勤労民族だったが、その労働生産性の実態はといえば残念ながら芳しくなく、統計をひもとくと、1970年代以降の日本の時間あたり労働生産性は先進国の中で常に最下位という不名誉な記録を更新し続けている。2020年時点でも日本の時間あたり労働生産性は49.5ドルとOECD加盟国全体でも圧倒的最下位。つまり、日本経済は戦後一貫して「効率の悪さ」で世界トップクラスだったわけだ。高度成長期は追い風といえる要素に満ち溢れていたため、その弱点も見えにくくなっていたものの、90年代以降はIT化の遅れなども相まって諸外国との差が拡大し放題となっている。
長時間働いても生み出す付加価値が低いのでは、経済が豊かになるはずがない。日本人は人口増が確実視された時点においても一貫して生産性という肝心の成果をおろそかにしてきた。おかげで「働きバチ」のを自称し、平成時代までは実際そうでありつつも、実はハチミツの生産量は先進国でビリなのだ。他国が効率化とイノベーションで着実に成果を上げる横で、日本だけが生産性停滞の沼にハマり続けている。それなのに日本人はうぬぼれているのだ。
日本経済の実態をもう少し長いスパンで眺めていくと、主要な実体経済指標は1970年代をピークにその後低下の一途をたどっている。あの見せかけの繁栄におぼれた1980年代後半、日本が世界で「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(笑)ともてはやされた時期でさえ、実は経済成長率やインフレ率といったリアルな指標は高度成長期の70年代より低水準だったのだ。急激な円高後のカネ余りで株価と地価が暴騰し、日本があたかも世界一裕福に見えたのは錯覚に過ぎなかったのだ。つまり、見かけの資産価格は派手に跳ね上がっても、日本経済のエンジンそのものは既に昭和の時代に回転数の限界を迎えていたわけだ。高度経済成長のピークが70年代だったとすれば、その後の平成・令和期の停滞ぶりにも合点がいきます。事実、1989年末に日経平均株価が史上最高値を更新して日本経済が「歴史的ピーク」に達した後は、泡がしぼむように停滞が続いている。
結局、日本経済の実質的な力は1970年代に頂点を迎え、その後は長い停滞期に入ったと見るのが妥当だろう。高度成長を成し遂げた昭和は遠く、平成以降は晴れ間の少ない停滞の時代。1980年代のバブル期に世界一リッチに見えたのも、実体経済が伴わない見せかけの繁栄。そのツケは日本人が平成以降に味わった停滞という形で帰ってきている。
1980年代後半のバブル景気は、日本経済史上もっとも華やかで浮かれた時代だった。地上げや財テクに浮かれ、土地と株式の価格は天井知らずの上昇を続ていたのだ。その狂乱ぶりはテレビでも見てわかる通りだ。例えば1985年から1990年にかけて地価は約400%も上昇し、日経平均株価のPERは80倍から直前には100~200倍という異常な水準に達していた。何が言いたいかというと、実体経済の裏付けなどまるでない「バブル」という名の幻影だったのだ。 当然、このバブルは1990年代初頭に見事に弾け飛んだ。当たり前だ。「平成景気」という名の打ち上げ花火が消えた後に残ったのは巨額の不良債権と、下降線をたどる経済成長率だ。1989年末の株価最高値を境に、日本経済は長期停滞のトンネルに突入することになったのはもはや語るまでもないだろう。
バブル期にはまるで自分たちが世界を席巻する経済超大国になったような気分に浸っていたものの、それは砂上の楼閣に登った気分だったのだろう。後に残った実体経済の疲弊を見るにつけ、あの繁栄がいかに中身の乏しい見せかけであったかを痛感させられる。バブルの絶頂期、日本企業は世界中の不動産や美術品を買い漁り、「ジャパンマネー」がもてはやさされたという。しかし、それで得た栄光は永続的なものではなく、気がつけば日本経済は地に足がつかないまま宙ぶらりんの状態だったのだ。資産価格の幻影に酔いしれたツケとして、その後の「失われた数十年」を甘受するハメになったのは当然の帰結だ。
バブル崩壊後、日本の政策当局は景気テコ入れに躍起となったが、その数々の処方箋は結果的に何一つ功をなすことはなかった。1990年代には今の減税・バラマキポピュリスト達が喜びそうな大型の財政出動や減税が何度も繰り返されたものの、景気は一向に本格回復せず、未来へのツケである政府債務だけが膨れ上がった。結局、バブルで抱え込んだ民間企業の過剰債務を政府が肩代わりしただけで終わり、景気浮揚には無力だったのだ。
今の減税ポピュリストや給付金ポピュリストが教訓とすべきことでもある。「借金で借金を救う」ような政策では、問題の先送り以上の成果望めなかったのだ。ゼロ金利政策や量的緩和といった金融緩和策も導入されたものの、デフレは2000年代まで深く根付いた。そして現在に至るまで日本経済は低成長から脱却できていない。気付けば、経済政策は場当たり的な景気刺激策の継ぎ接ぎだらけで、一貫した成長戦略や構造改革は国民が反発することもあり、実行されなかったのだ。
その間にも少子高齢化は進行し、生産年齢人口は減少、国内市場は縮小と、構造的な課題が山積している。海外からは日本の政策対応は手厳しく嘲笑されてもいたことはご存じだろうか。世界が90年代以降の日本を語る際に「日本化(Japanification)」という言葉が生まれたほどだ(参考→https://en.wikipedia.org/wiki/Japanification)。それは「不況下で有効な改革をせず、無駄な公共事業で延命を図る現象」を指すもので、改革よりも道路や箱物を作り続ける日本の政治家を「無為な政治家」として揶揄するものだ。
あまり言いたくないが、日本経済の停滞を語るとき、忘れてならないのは日本社会・国民のメンタリティだろう。政治家の政策ミスを批判するのは容易なのだが、民主主義国家において政治家は国民の鏡だ。政治家は国民を望む政治をやる。嫌がる政治はやらない。政治家が一番嫌うのは「落選」だからだ。ゆえに、ほぼ日本人が自らの手で衰退させたともいえる。もちろん、日本人の気質そのものにも問題ある。「変化を嫌う」風土、物事を深く考えず前例通りに済ませようとする思考停止状態、失敗を恐れる風土、迷惑に不寛容な風土、出る杭を打つ文化、人の足を引っ張る文化、高度経済成長期の成功体験に固執する傲慢さが、日本の停滞を長引かせた要因だろう。 実際、多くの日本企業や組織では予定調和や前例踏襲が幅を利かせ、新しい発想や議論を避け、排除する。その結果、変革が避けられない状況でも無自覚に「今まで通り」のやり方に固執し、いたるところで思考停止に陥っているのだ。しかも厄介なことに、そうした楽で無自覚な現状維持志向こそが日本経済低迷の発生源なのである。
国民一人ひとりを見ても、急激な変化の痛みを恐れて結局は現状にしがみつく。または「義務を果たさないくせに権利ばかり主張する」 、「生産性が低いのにもかかわらず働かない」というそんなゆでガエル的な集団心理が、日本の停滞を固定化しているのだ。変化や痛みを避け続けた結果、気づけば茹で上がっていたカエルよろしく、取り返しがつかないほど実体経済が冷え切ってしまったのだ。
かつては世界第二位のGDPを誇り、現在も4位を維持している状態を見て「経済大国日本」と胸を張っているネトウヨがあまりにも多いが、ふたを開ければその先進国ブランドも風前の灯火だ。例えば一人あたりGDPで見ると、近年の日本はOECD加盟国中22位まで順位を落とし、韓国にも台湾にも追い抜かれた。1980年以降で最も低い順位で、もはや経済指標上は「一応先進国」と呼ぶのもはばかられる。
かつて恐れられた日本経済が国際舞台のスポットライトから消え、「存在感の薄い国」に成り果てつつあるのが現実だ。日本が世界に誇っていたはずのものが、気が付けばことごとく色あせている。かつて最先端だった技術・産業は存在感を失い、盛り返す気配すらなく、平均所得は停滞し、気力も勢いも感じられない。これでは「かろうじて先進国」と揶揄されても仕方がないでしょう。国際機関の統計を眺めれば、日本より豊かな国・地域に住む人々はもはや十億人規模にも上る(日本同様に数の暴力で豊かに見えてる中国は違うからね)。もはや日本は特別裕福な国ではなく、世界の中ではアルゼンチン二世的な立ち位置に落ち着きつつあるのだ。 <h3>o- *</h3>
結局のところ、最も根源的な「劣悪材料」とは、失敗から学ぶ能力の欠如である。「失われた30年」 は、経済的課題に対する30年間のほとんど失敗した、あるいは不十分な対応の歴史である。今の日本人はその過ちをさらに取り返しのつかなくなるような形で繰り返そうとしている。社会の変化への抵抗 や構造改革(社会保障改革や労働市場や規制緩和など)への抵抗は、その必要性が明白であるにもかかわらず、根強く残っている。国家や国民が自らの失敗を批判的に評価し、そこから学び、意味のある変化を実行できないのであれば、その最も基本的な「材料」、つまりは、自己修正と進歩のための能力は、まさに「劣悪」であると言わざるを得ない。日本は今後立ち直ることはないだろう。
日本は世界で一番、離婚しやすい国だぞ。日本は、互いに同意してたら離婚届1枚だけ。こんな国はかなり少数。外国は、互いに同意してても、裁判所の許可とか、教会の許可とか、親や後見人の許可が必要になるのが普通。
互いに離婚に同意してない場合? そんなもん、他国も日本も離婚の難しさは同じだろ。
大学生カップルでも、今どき1割くらいが同棲している世の中で、お前は何を言ってるんだ? 普通にもう定着してるわ。定着してないと言うなら、それはお前の周りだけだ。
だいたい、定着してなかったとしても、カップルが「結婚せずに同棲だけで済ませよう」って合意してたら、制度上は何の問題もない。
みんなのご家庭にもいるんですね、こういうヒト。。。
◯何でそんなに会話を覚えてるのか?ってたくさん言われてるからそれに対して回答すると、ウチってペットカメラがあって6時間分はリビングで何があったか遡れるんだよね。で、話してるところを抜き出してるの。離婚裁判(これは後述)になったときのためにやってたけど、増田に書いてみようかなと思って今回は音声ファイルにして、Googleドキュメントに文字起こしさせて整えてみた。
◯何でそんな夫がいいのかとか何で別れないのかとかいっぱい言われてるのでそれにも回答するね。
離婚は去年しようとしたの。
そろそろ離婚したいなら〜と思ってた時期に、ちょうど夫と口論になった。
その頃はまだ、夫が「うるさい!めんどくさいんじゃ!」って言い始めたら会話を諦めてたんだけど、「離婚するつもりだし、最後に徹底的に詰めたろ。」って気持ちが芽生えた。
で、みなさんご存知の形式で詰めまくってやったら、逆上しまくった夫が「離婚じゃ!!!お前とはもうやっとれん!」って言い出したので、渡りに船と思って「私もそれがいいと思う。離婚しよう。」って感じのことを言ったの。
で、元々財布は別だったし、それに手出しする気はお互いなく、共有のものは家財とクルマと家くらいで、それらをどっちがどう引き受けるかだけザックリ決めて、細かいことは離婚してから専門家に頼もう。ってところまでその日のうちに決めた。
お互いの親にも挨拶して、離婚届に署名ももらって、さぁ役所にいつ行こうかな有給取れるかなって段階で「やっぱり離婚したくない」って言われた。
「離婚届不受理申請をした。離婚したきゃ裁判でも起こせ!」って言われて、あの時は流石に病んだな。
こんな関係で婚姻関係続けるのは現実的ではないってことを、いつものやり口で何度も詰めた。
「喧嘩してない時は仲良いじゃん。」
って言われた。まぁそうとも言える。でも、それを「別れない理由」として言えちゃう方って、それを言う気になれない方に、多分いっぱい甘えてるんだよね。
全部とは言わないし、夫も我慢してくれてることあるんだろうけど、仲良い時も含めた私たちの関係はもうわたしの我慢ありきでしか成り立ってないと感じていた。
わたしの中では一緒にいるメリットより、別れるメリットの方が大きくなってる。ってことを伝えたら、「我慢をやめていい」って言われたの。
マジでしつこくやるよ?って言ったら、「受け止めます」って言ったの。
わたしが本当に「変わってくれたな」って思えたら、この離婚届は捨てる。
でも、「変わらないな」と確信を持ったらその時点で不受理申請を取り下げてね。っていう約束で、ここ10ヶ月くらいかな。
詰めるようになった結果、夫に対する認識が、「モラハラ男」から「頭の悪いモラハラ男」に格下げされたが、まぁ元々夫に頭の良さを期待して付き合ったわけではないから、それはいっか。
それなりに仲が良いって言うのは事実で、一緒にゲームすることもあるし、週一は2人で飲みに行くし、週三はセックスしてるし、年に2回は旅行に行く。
夫はそれが楽しいだけなんだろう。わたしは、それらの暮らしも楽しくないことはないが、楽しいだけでは決してない。
とはいえ、夫に頼まれるでもなく勝手に我慢を抱え込んでたのはわたしだし、何も言わずに一度は生涯を誓った相手へのハシゴを外すのは不義理かなと最終的には思えたので、今の状態に至る。逆に言うとハシゴくらいしか残ってないので、夫に対して我慢はしないけど、変わるための手助けも特にするつもりがない。
夫が特性の割に謝罪ができてるのはそう言う理由。アンマネの本買ってるのもそう言う理由。
◯わたしのモラハラ耐性についても少し。「そんな夫/妻と向き合うの無理だわ…ようやっとる」的なコメントもいくらか頂いて、寄り添いに感謝します。わたしの実父がまぁ夫より酷いモラハラDV男でして…幼い頃は苦労した、ほんとうに。わたしは実父のパーソナリティに興味があって、両親が離婚した後から実父と交流を持つようになった。なんでああいう、外でやったら警察呼ばれるようなことを、家の中だからってしてしまえるのか、単純に知りたかった。
その中で、自分なりに「暴言を吐く人・怒鳴る人」のパーソナリティに納得が行った。
だからでかい声で威圧してくる小心者に対しては耐性があるんだと思う。
夫の暴言って、「デブ」「ブス」「うるさい」「黙れ」くらいなんで、可愛いもんです。ただ声がでかいだけの馬鹿。
ほんと、「家庭内に怒鳴る・暴言を吐く人がいる」って、体験したことがある人はよくわかると思うけど、すごいストレスだよね。
最近は職場にもこういう人は居ないし、知らない人は本当にわからないんだろうなぁってブコメやトラバ見て思った。その人たちは今自分が幸せな人生であることをもっと噛み締めてほしい笑
「これ読んで思い出してイヤな気持ちになった」って人もちらほら見かけたけど、ごめんね。
怒りって一説では二次感情って呼ばれてるんだよ。一次感情(不安、罪悪感、嫌悪感、悲しみ、傷つき、不快感など)と向き合えず、頭の中で理解できない、だから言葉で自分の気持ちを表現できない、そんな人がそれらの感情を他者への怒りに変換して、最悪の場合、それを怒声や暴言や暴力の形で他人にぶつけて加害する。
怒りを覚えること自体は悪じゃない。ただ、怒鳴ったり暴言吐いたりしてしまってることが問題。そう思えるようになって、わたしは実父への忌避感がなくなったよ。
みんなの心の傷が癒えますように。
長々追記してごめんね。
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まーたささいというか、訳わからん内容。
今朝、夫は「会議があるんで遅くなる。晩御飯は食って帰れたら食って変えるし、食えなかったら冷凍のプレートを食うから、用意はしなくていいよ」って言ってた。
で、帰宅。わたしが少し残業したから結局はわたしの方が遅かった。
夫「会議は俺出てないよ」
わたし「え?じゃあ何で遅くなったの?」
夫「言うとらんわ!パーティーじゃゆうて、飯も食って帰るいうとったろうが!」
わたし「まず声を荒げるのやめて。おちついて、パーティーについて教えてよ。会議のパーティーだったの?」
夫「はーもう知らん。」
わたし「ねえ」
夫「」
夫「うるせーデブ!」
夫「うるさい!なんや!めんどくさいんじゃ!」
わたし「めんどくさいにしても何にしても声を荒げずに普通に会話して。会議だと聞いてたけど、パーティーもあったの?」
夫「お前に話すことはない!何でお前に教えにゃいけんのんじゃ!」
わたし「夫くんがわたしの仕事について聞いてきたとき、わたしがそんなふうに突っぱねたことがあった?仕事に限らずなんでもそう。こないだわたしにPDFの仕様について聞いてきた時、わたしが「なんでベクターデータもバイナリデータも分からん奴にPDFのこと教えにゃならんのんじゃ!」なんて言って突き放した?してないでしょ?普通に会話して。守秘義務で言えないことまで言えなんて言ってない。朝聞いてたことと違うみたいだから普通に気になっただけ。」
夫「わるかったよ、話すよ…会議は偉い人がしてるだけ。俺はその後のパーティーに参加しただけ。そこで飯を食いました。わかった?」
わたし「わかった。会議に君が出るんだと思ってた。誤解してごめん。」
夫「そんなこと言ってねえよ!!何なんだよ!!」
わたし「誤解したみたい。ごめん。」
夫「俺はそんなこと言ってないっつってんだろ!」
わたし「あのさぁ、わたしは誤解したことを謝ってるし、君の「言ってない」という主張を否定していないよ。誤解があったの。正せばいいだけでしょ。人間同士、脳みそを移植できるわけじゃないしわたしたちは文書でなく口頭で会話してるんだから誤解は生じるよ。その度にそんなふうにブチギレるの本当にやめて。」
夫「わかったごめん」
わたし「そういえば、夕飯食べられなかったら家の冷凍のプレート食べるって言ってたよね。そんな、食事が出るか出ないかわからないパーティーがあるの?」
夫「…たしかに、変わってるよね。俺も前職ではこういうのなかったわ。業界柄としか言いようがないわ。」
夫「俺もごめんなんかキレちゃって」
わたし「ところで、わたしの言い方が気に入らないとか態度が気に入らないとかのとき、怒鳴ったりシカトしたり暴言吐いたりして不満を撒き散らすのやめてくれる?
夫「頑張るけどうまく伝えられるか分からん。おまえつっかかってくるし。」
わたし「つっかかられたなと思わせたならごめん。でも、そう言う時に怒鳴るのやめて。その時に普通に、「その突っかかるような言い方やめて」ってつたえて。」
夫「わかったごめん」
わたし「あと誤解が生じるたびにキレるの本当にやめて。君だって誤解してることあるけど、わたしキレたことないでしょ?責めずに認識をすり合わせるでしょ。そんなふうにしてくれたらいいから。
誤解してしまった後に「俺は言ってない!」とかどんなに言われても、誤解は無くならないんだよ。」
夫「たしかに。ごめん」
わたし「仕事でも誤解されてた!ってことあると思うけど、そん時仕事相手ににキレないでしょ?なのにわたしにはキレるでしょ?それはわたしへの甘えじゃん。夫婦だから多少そりゃ多めに見るけど、わたしに甘えてる自覚は持ってよ。」
夫「はぁ?」
わたし「ほらまた。威圧するんじゃなくて、反論があるなら言葉で反論して。」
夫「わかった。反論ないです。」
わたし「そっか。とにかく野球みたいに審判がいて、送球と捕球のどっちにエラーついたかみたいにわかるもんじゃないんだから、誤解でいちいちキレないでね。」
夫「はい」
なんでこんなキレやすいんだろ…まじで若年性認知症じゃないか…もし介護とかになるんなら早いとこ離婚したい…入院とか施設とかなったら離婚するにもいちいち後見人立てたりしないといけなくなるとか聞くし…
Permalink |記事への反応(37) | 21:23
エピソード9では障害を持つ弟との向き合い方に悩む冨永さんの話しが少し入ってた。
自分の境遇と似てるなぁと思いつつあと何十年かすると親が高齢になったり他界していなくなり、障害者の弟の後見人になるんだよなと俯瞰して思ったりね。
私が小学二年生のとき弟がうまれた。先天性の障害があり、家庭が弟中心になった。
家族で障害児のケアをしなければ…みたいな事になり自立が早かった気がする。
両親2人で世話ができるようになってからは家を出てやっと平穏になった。
けど、母が末期癌で倒れたときは、迷わず弟が生涯暮らせる施設をなりふり構わず周りを頼って探し回って入居させた。
父が倒れた時も行政にいくら頼っても私1人では介護出来ないし、介護離職だけは避けたかったので実家の不動産を売却して介護施設の入居費を作った。
父が他界したあと、施設で寂しかったかもなと多少は思ったけど良い施設で贅沢出来たのではないかと思う。
介護そのものはしなかったけど、よく通ったし元気だった時は外食や買い物へも連れ出すなど、かなり時間を割いた。いつ急変するかわからないと思うと旅行にも行かなくなった。
実家を売却した資金だけでは心許なかったのでわたし自身もたくさん拠出した。
そんな生活が6年続いて、数年前に父も他界して自分の役割は終わった。
でも弟の成年後見人をしている。時々施設に同意書の書類を送ったり、年に一度は家庭裁判所に資産の報告書を提出している。
会ったとしても「久しぶり」とか「元気?」などいう会話ももしかしたら感情もないので必要とも思えない。
御上先生がいってた「弟さんが応えてくれるとは限らない」はほんとにそう。
成年後見人として、戸籍上の姉としてするべきことはするけど、姉と弟という関係は築けなかったせいか「家族」とか「弟」に向ける愛情はほとんどない気がする。
「わたしの家族である両親」と「弟の家族」と分かれていて隣の家庭の人というイメージなのだ。
両親がわたしに愛情を注がなくなったとかはなく、何不自由なく育ててもらったし感謝しているし今も他界した両親を愛している。
弁護士は社会的地位と知性のある人代表だけど、品性にかける人が意外といるような…。
https://jlfmt.com/2025/01/15/76125/
② M弁護士(東京)に対し【自分ができないから、威せる人を悪く言う典型的な弱者の弁明・・・そして言い訳しかない底辺は仮にどんな手を使ったところで到底同じ効果を上げる】
下手すると、谷間世代(三桁万円の借金を抱えて修習せざる負えない世代)をパワハラとセクハラで自殺に追い込むぐらいやる弁護士もいる。
横領や証拠の捏造も当たり前にやる人がちらほらいるし、報酬を減らしたくないあまり、あれもダメこれもダメという専門職後見人の皮をかぶった弁護士もいる。
あと、検察官や行政の審査官や許認可の裁決を取る人も、職務の性質上、品性を失いやすい。
(プレザンス事件でググればわかるし、行政法を勉強すれば、行政手続法で当たり前のことがくどくど書かれている理由がなんとなくわかると思う)
どうせ暇だろうとなあなあで話が進み、親戚の事業の食品衛生責任者にさせられそう。
業務として私自身が何かをすることはなく、開業するうえでそういうお飾りが必要らしい。
ビデオを見てネットで簡単なクイズに答えたらその責任者になれるという流れはわかったものの、統失経験者で現発達障害者の私に任せていいものなのか。
普通の人間なら、資格試験で合格点を取れたような人だったら、それ以降も多少は知識が抜けてくるものの、その抜けが個人差を加味しても一定の範囲内に収まるのを見越して合格点を設定しているのだろうとから大丈夫なんだろうと思う。
しかし私の場合ビデオを見てその内容を問う確認テストでその時は合格点だったとしても、一週間でからっきりに元通りとなっていても不思議ではない。
そもそも学校の定期テストに臨む学生の多くはそんなものだろうに、その人たちが成長しただけの社会人の記憶力や学習意欲に対して期待しすぎではないか。
まして私は障害者だ。
何か衛生関係の問題が起こったとき、私に責任を問うのだろうか?障碍者で親族内弱者である立場からなあなあで言いくるめられた私に一体どこまで法的責任を問えるというのだろうか?
(本来後見人がついていてもおかしくない。限定責任とならないのか?)
私が良識で考える限りは事業者であるその親戚の責任の方が重大だと思うのだが……。私なんかに任せてしまうという部分も含めて。
dorawiiより。
(以下フィクションです)
お子さんは一人っ子で既に結婚して家を離れており、奥様が一人残された
また、そうでなくとも書類を読むなどは難しく、相続手続きで困難が予想された
本来はお子さんが肉親であり相続の当事者としてやれればよかったのだが、
また、やはり行政書類方面は疎いようで、実務は期待できなかった
結果、生前にご主人に頼まれていたのもあり、増田の母が書類の整理や相続手続きなど、殆ど面倒を見ることになった
(増田は自動車送迎と、部屋片づけの肉体労働、あとは書類整理を脇で見て、ときどき明細を読解して紐づけし意味を教えるぐらいの役)
ある程度までパスワード管理や書類整理など用意してくれていたのだが、
整理の内容が伝えるべき相手に伝わっていなかったり、当然ながら見落としや抜けもあり
(ガン闘病で大変ななか一人で用意してた)
結果、まあまあ苦戦することに
なにが大変といって、奥様がとにかくモノをなくすし、伝えた話が伝わらない(忘れる)
増田の母が休日に手伝いに行っては、役所に届け出る書類を全部用意して「明日、もっていってね」と伝えても
窓口で苦戦するのか上手くいかないし、用意したはずの通帳やハンコや書類が「どっかに行って見つからない」が何度もある
(だいたい、あとで見つかる)
結局、平日に増田の母が付き添うことになったり、税理士と連絡をとったりすることになる
増田の母は血縁関係でもない単なる友人で、後見人というわけでもないので、
当然、どこに連絡しても「ご本人か、ご家族が連絡してきてください」と言われる
それで本人を送り出すと、結局うまくいかないのか、増田の母と担当者がやり取りし、
「ご本人ではなく増田の母さんがきてください」となったりしていた
そうこうして、没後半年以上経過し、相続は一応は完了したはず、である
たが、まだいろいろ終わってない
クレジットカードの引き落としなどの見落としがないかなど、ちょくちょく書類を見にいく
(毎回、郵便物どこ行ったと大騒ぎしている)
そんなこんなで訪問した先日、
「購入した眼鏡を引き取りに行ったがお金が足りなかったので、お金を用意してもう一度いかなきゃいけない」と言われる
幾ら足りなかったのか聞くと「10万足りなかった」といい
増田親子で「は?」となった
結論を言うと、年末に眼鏡をどこかになくしてしまったので地元の高級百貨店の行き慣れているところで作ってもらったら、
店の担当者との会話の流れで普通に20万円のを自分で選んだ、ということだった
他人の買い物にあまり口をはさむのも良い話ではないので、買い物をただ傍観していた
ということで自分の眼鏡なんて高くて5、6万のしか作ったことがない増田家族はびっくらこいたのだが
考えてみれば、亡くなられたご主人は上場企業勤めだったし、
お子さんも上場企業就職で結婚相手も同じ職場のいわゆるパワーカップル、
しかし、
「よくわからないけど店員の勧められるままにiphoneの最上位機種を買ってしまった」とか
ご自身でわかってるのか、増田家族には判断つきかねる買い物をされてるのを見ていると、
「貧乏貴族のお祖母さまやお母さまが出入り商人の勧めるままに宝石やドレスを買ってる図」がちらついてしまい、