
はてなキーワード:後者とは
ンィー"の高難度イベどうだった?
自分はハードの最後のWデブのステージだけ何度か死んでやり直したけど他は1発クリアだったわ
Lv90はレヴァだけであとは80台のアケクリ、ウルフ、アルデリアのテンプレ
武器の資質は紫まじりの合計+3~4がせいぜいで、装備強化はレヴァだけ3割ほど終わってる程度
このパーティの育成はこのへんで放ったらかしてて最近はラストライト軸を育成してたんだよね
そんな半端なレヴァパでも行けてよかったわ
120連貯めなきゃ一生限定とれん仕様なのに30連や60連にお得ポイントがあって誘惑があるし
ピックアップ120天井と星6の確変式80天井が独立してるから星6天井だけ深追いしたくなったりもするし
トリプルピックアップだからすり抜けてもあわよくば限定がと思ったりするし
ログボで今のガチャにしか使えない限定チケが遅れて届くから更新日に120回すと最終的に124連になって4連分次の限定天井が遠くなってしまうとかも地味にいやらしい
原神で言うスターダストで交換できるチケも今ガチャ限定のだからスルーする気のガチャでも10連は回させようというフット・イン・ザ・ドア形式
とにかくついつい120連分溜まってなくてもちょっと回しちゃおうかと思わせるフックが無数にある
ホヨバや鳴潮はむしろ溜め込まずにすぐ回してれば限定キャラが着実に増えつつキャラプールがいい感じに広がってエンジョイしやすい手持ちになっていくのと真逆なんよね
どう引いても極力ゲーム的に合理的な手持ちにしてあげようとするホヨバ鳴潮と、フールペナルティ型の非合理的判断を誘発することで追い課金させたいエンドフィールドで思想が違いすぎる
カタログ上はピックアップ天井が前者180連、後者120連だから後者の方が一見優しいガチャに見えてしまうんだけど
すり抜け後のピックアップ確定もない、ピックアップ天井の引き継ぎもないことで後者のほうが圧倒的にキャラ確保のハードルとギャンブル性が高いんだよね
キャラをいろいろ集めて長く楽しみたい人にはホヨバ鳴潮方式は向いてて、エンドフィールドはこれだと思ったキャラを凸したい人、貯め込んでぶっぱなす脳内麻薬中毒な人に向いているのかもしれない
ある意味ソシャゲ的というか、日課が重すぎるところも含めて、あんまりユーザー一人あたりの生存期間を長くしよう、ファン化させて定着させようという気が感じられない
フレンドも集めても集めなくてもいいホヨバ鳴潮と違ってエンドフィールドのフレンドはFP集めの道具として枠MAXまで承認してノンアク切り捨てが正解だし完凸してるのにインしなくなる人多い気がする
キャラシナリオ全部読んだけどなんか全然キャラの個性の根源が見れて好きになれるとか関係性の掘り下げがあるような話作りではなかったし、主人公とデートして映像と演出凝っとけばビジュだけで好きになるでしょって感じの作りだ
物語や作品性に興味が向かうオタク向けではなく、偏った愛着を持つデジタルフィギュア萌え族に向けて作ってる感じがする
これら全部、長期的に大規模な開発していく気があんまりなくて、それがバレるまでにさっさと売り抜きたいゲームのムーブに感じるんだよな……
2026年の衆議院議員総選挙がめちゃくちゃ面白かったので、リベラルと中道(立憲)について考えてみた。
まずリベラルについて。
結論、今の日本でリベラルは不要になってしまったんじゃないかな。
これはリベラル思想自体がダメと言っているわけではないよ。今までいろんな功績があったのは事実。
与党権力強大化の抑止、社会的弱者への分配や公害問題への取り組み、男女雇用機会均等法の推進やLGBTQの差別解消など色々やってきた。
これらは一般無党派層にとってもやる意義があるなと思えたはず。
しかし現在はもう十分解消されているし、社会的弱者への分配は保守派である自民党含む全ての党で普通に取り組んでくれている。
だから、今リベラルが挙げている課題に対して一般無党派層は自分事感がなくなってしまっているんじゃないかと。
それぞれの課題がもう100点中80点解決されているように感じている。そしてこれを90点とか100点にもっていくのって費用対効果合わなくね?と。
夫婦別姓とかやらなくて別にいいじゃんとか、外国人差別解消って言って外国人犯罪者を擁護するの!?みたいに、行き過ぎに感じてしまう。
日本を取り巻く状況という別の観点から見ても、リベラル的な課題の優先度は下になってしまう。
リベラルは端的に言うと権力の強大化を防ぎ、社会的弱者を守ることが使命となっているが、後者はそもそも国が豊かでないとできない。
国全体がしっかり稼いでいるからその稼いだ分を弱者に分配できるのであって、原資がないのにやろうとすれば当然反発を食らう。
今は経済を立て直すフェイズであって、そうしたときにリベラルの人たちにとってもリベラル的な課題を後回しと考えるべき。
なので、
①リベラル的課題はもう7割8割解決してしまっていて、これ以上を目指すのは費用対効果が合わないこと
②日本にはもう分配をする原資がないので、経済立て直しがリベラル的課題より優先されること
の2点から、リベラル自体が不要であるという肌感を一般無党派層が持っているのではなかろうか。
これが中道(旧立憲)のみならず共産党、社民、れいわが惨敗した真相だと思う。
このリベラルに対する現状の理解をベースに、次は中道(立憲)について考えてみたい。
上記の理解を前提に置くと、立憲が中道よりにポジションチェンジしようとしたのは非常に理にかなっているなと。
(まあネーミングセンスとかアピールの仕方とか党内運営の問題とか色々な粗があったけど、それについてはここでは触れない。)
今後どうなるかはわからないが、優先度が低い多くのリベラル的な課題を捨てて、ほとんど権力監視の党として振り切るのもありかもと思った。
普段の仕事もほとんど今まで通りで、自民党のありとあらゆるスキャンダルを追求しまくるという役割だ。
という立ち位置で、与党(=自民党)が支持率高いときは30議席くらい、自民党がダメダメなときに100議席取ると。
つまり自民党がダメになったときにNOを突きつけるための受け入れ口として有権者に捉えてもらう道だ。
実際石破茂時代の衆議院議員総選挙がまさにそういった役割で、150議席獲得している。
そこから今回の選挙結果の落差を考えたときに、当時投票した人はリベラル思想を持った立憲支持者ではなく、アンチ自民となっただけの人たちが立憲への投票行動を行ったのではないかと考えられる。
政権批判じゃなくて政策提案したほうがいいという意見も多くみられたけど、政権批判自体は明らかに必要かと。
批判がよくない風潮になった原因は質が悪い批判が多すぎたから。
一方で完全に解決したわけではない裏金問題などは当然批判し追求すべき。こっちの批判は自分たちも不記載やってるじゃんで負けてしまったけど、、、
野党としてあるべき党内ガバナンスルールを制定、運用してそのうえで批判すべきだったね。
それに正直政策提案での選挙戦は差別化しにくいことが今回もわかったんじゃないかなと思う。
中道はアンチ自民党という確固たる軸で戦える批判カードを次回の選挙まで集めてもらって。
それが全く見つからないなら今回の自民党がいい政権っていうことだし。
結論、中道について言いたかったことは、世間の捉え方とは違って、立憲が中道よりにポジションチェンジするのは全然ありじゃないか?ということ。
そのうえで期待するのは政権批判の質をあげること。
自民党議員の特ダネを探し回り、かつ自分たちは清廉潔白を証明できるような党内ガバナンスを利かすことだね。
田舎の50代未婚ホビットおじさんの「私スタダヲタの女だけどジャニヲタはなんで死ぬまでジャニヲタなの?」「日本の女は全員ジャニが好き、ブサメン高身長より低身長イケメンを選ぶ遺伝子、右も左もフェミもアンフェも全ての日本人女性がジャニーズ性加害を擁護した」という主張も虚しく…
パクるとかより、今の🍼にジャニーズ感じちゃってる状況が悲しいよね
ここ(🍼)にあるやんみたいな現象がおきてる
今のバズり曲調も結構あの頃のトンチキジャニーズに似てる所あるってずっと思ってた
ジャニヲタの僻み凄くて見てられない
先輩が後輩を可愛がるとか後輩が先輩を尊敬して伝統を受け継ぐとか、そういう清いブラザーフッド的な雰囲気とかもスタエンに残ってないからね、自然と長年やってた事務所に客も流れるよ。他事務所の方がちゃんと基礎レッスンされてるし露出も現場もあるし。
先輩が後輩を可愛がるとか後輩が先輩を尊敬して伝統を受け継ぐとか、そういう清いブラザーフッド的な雰囲気とかもスタエンに残ってないからね、自然と長年やってた事務所に客も流れるよ。他事務所の方がちゃんと基礎レッスンされてるし露出も現場もあるし。
ラポネに限らず2次元とかVとか舞台オタも害悪行為してるやつとかマナーなってないやつって大体ジャニオタ出身なのマジでなんなんだあれ
というか最近アイドルのファンサ分析みたいなのめっちゃ増えた気がする、、〇〇はまんべんなくみんなに〜、〇〇は可愛い子ばっかりに〜とか、、前までここまでファンサにこだわる人ってあんまり多くなかった気がするけどこれもジャニオタが流れてきた影響なのかな?
ジャニオタ上がりでもけーぽ界隈に溶け込もうとするオタクとジャニオタ人格のままで好き勝手するオタクに分かれる。mond主は後者。嫌われやすいやつ。
ドドドドドド新規です🙋♀️💛
ジャニヲタ歴10年以上で、初めてこの界隈を好きになったので、先輩み!るきーずの皆さんおすすめの曲とかライブ参戦の時の注意とかありますか?
ぜひ教えて頂きたいです🙇♀️
#MILK
#みるきーず
(流れ防止の仁人くん↓)
(ALTも見てください🙇♀️)
2008〜ジャニヲタずっとして初めてジャニ界隈以外のアイドルにハマってるからジャニーズ?って毎回聞かれる🤧M!LKはジャニではない!w
被差別部落出身ガチ這い上がりの橋下とか、小学校で実家破産アンド母死別のワタミ社長とか、父死別貧乏母子家庭の前原誠司とか
底辺連中にとったら、そういう苦労叩き上げ政治家の方がキツいんじゃないかなあ。
市場は万能ではない。だが「万能ではない」という事実を、官僚と政治家が免罪符として濫用する国家は、例外なく自己放尿する。
市場は確かに失敗する。しかし、政府はもっと頻繁に、もっと大規模に、そしてもっと不可逆に失敗する。
問題は「市場か政府か」ではない。市場の失敗に対して、政府がどの程度の失敗を上乗せするかである。
ここでまず明確にしておく。規制は必要だ。必要なのはルールである。国家が担うべきは審判であって選手ではない。
審判はルールを固定し、プレイヤーが予測可能な環境で競争できるようにする。
審判が気分で笛を吹き、勝敗を演出し、人気チームを勝たせようとした瞬間、競技そのものが自己放尿する。
これが裁量行政の本質だ。つまり制度設計ではなく介入芸で国家が飯を食う社会は、資本主義をやっているようで、実態は準社会主義である。
市場に必要な規制は、所有権の明確化、契約執行の強制、詐欺・暴力等の排除が挙げられる。
これは国家のコア業務だ。これがなければ市場は単なる弱肉強食の縄張り争いに堕する。
だが、この最低限のルール整備と、「特定産業を救う」「特定企業を延命する」「特定地域に補助金を撒く」「特定価格を維持する」といった裁量介入を混同する国は多い。
これは知的に言えばカテゴリーミスであり、政治的に言えば利権の偽装である。
価格は情報である。価格は需給だけでなく、希少性、リスク、期待、技術、代替可能性、時間選好といった膨大な情報を圧縮したシグナルである。
政府が価格に介入するとは、情報伝達回路を破壊する自己放尿である。
価格統制、補助金、参入規制、護送船団方式、行政指導。これらはすべて、価格が発する「足りない」「余っている」「危ない」「儲かる」というシグナルを黙らせる。
すると市場は沈黙する。沈黙した市場では資源配分が劣化し、全要素生産性(TFP)が腐り、資本蓄積が歪み、イノベーションが死ぬ。
さらに致命的なのは、政府介入が単発で終わらない点だ。介入は次の介入を呼ぶ。
たとえば賃金や価格を政治的に固定すれば、需給の調整は数量制約として現れる。品不足、待ち行列、闇市場、質の低下。そこで政府はさらなる規制で対応する。
こうして政策は自己放尿する。これは政策のラチェット効果であり、政治経済学的には典型的な政府失敗である。国家は縮まない。国家は肥大する。
この肥大は、単なる非効率では済まない。合理的期待形成のもとで、民間は政策を学習し、適応し、回避し、ロビー活動に資源を投下する。
これがまさにルーカス批判の核心だ。政府が過去データを根拠に裁量政策を撃てば撃つほど、民間の行動規則そのものが変わり、政策効果は蒸発する。
蒸発するだけならまだ良い。現実には政策は不確実性を増幅し、期待を不安定化させ、投資を萎縮させる。これはマクロ政策が景気を安定化させるという幻想の裏側にある現象である。
裁量介入の害は、単なる資源配分の歪みではない。もっと深い。インセンティブ構造の破壊だ。
救済が予想されれば、経営者はリスクを過大に取る。モラルハザードが発生する。ゾンビ企業が生き残り、創造的破壊が止まる。
生産性の低い企業が市場から退出しないため、労働も資本も滞留し、新陳代謝が消える。これが日本型停滞の中核であり、成長率の天井を作る。
そして官僚機構は介入すればするほど自分の仕事が増えるため、規制の供給者として振る舞う。
つまり、規制は公益ではなく官僚制の自己保存のために生産される。
政治家も同様だ。補助金を配れば支持が得られる。規制を作れば仕事をした感を演出できる。
財政支出は可視化され、票になる。改革は不可視で、票になりにくい。
だから政治は短期主義に偏る。ここに「政府が市場を補完する」という建前の裏で、「政府が市場を寄生する」という自己放尿が成立する。
このとき国民がよく口にする反論がある。「でも市場には格差がある」「弱者が切り捨てられる」「外部性がある」。
もちろんそれは正しい。だがここで重要なのは、格差是正を口実に、政府が価格メカニズムを破壊してよい理由にはならないということだ。
外部性は存在する。だが外部性への対応は、原則として価格付け(ピグー税・排出権取引)で行うべきであり、官僚が恣意的に産業を選別して補助金を注ぐことではない。
格差問題も同様で、再分配は所得移転という透明な形で行うべきであり、特定業界保護という歪んだ形で行うべきではない。後者は効率性を殺し、利権を固定化し、結果的に貧困を温存する。
つまり、正しい政策はこうなる。市場を歪めない形での最小国家である。金融政策はルールベースで、予測可能性を最大化する。
財政は均衡を原則とし、例外を限定する。産業政策は基本的に否定し、競争政策を強化する。参入障壁を撤廃し、退出を容易にする。
倒産は悪ではなく資源再配分の装置として受容する。これが健全な資本主義だ。痛みはある。だが痛みを先送りして麻酔を打ち続ける社会は、やがて神経そのものが壊死する。
日本の病理は、成長戦略がないことではない。成長戦略を語りながら、同時に市場を信用していないことだ。
規制緩和を掲げながら、例外を大量に作る。競争を促進すると言いながら、既得権を守る。財政健全化を言いながら、政治的に都合のいい支出を増やす。
これは論理矛盾ではない。政治合理性としては整合的だ。だが経済合理性としては自己放尿だ。
成長とは何か。成長とは生産関数がシフトすることだ。TFPが上がることだ。
その源泉は技術進歩だけではない。競争、退出、資本再配分、価格シグナル、企業家精神である。
これらは制度の産物だ。制度が悪ければ、技術があっても伸びない。優秀な人材がいても伸びない。資本があっても伸びない。制度が良ければ、凡庸な国でも伸びる。
ここで裁量介入が入ると何が起きるか。投資家は経済性ではなく政治性で投資を決めるようになる。
これがレントシーキング経済であり、成長率が落ち、社会全体が官への依存で腐っていく。
これは文化の問題ではなく、インセンティブの問題だ。人間が合理的に振る舞った結果としてそうなる。
市場に規制は必要だ。だがそれは、競争を止めるための規制ではない。競争を成立させるための規制である。
市場に政府は必要だ。だがそれは、配分を決めるための政府ではない。ルールを固定するための政府である。
社会保障は必要だ。だがそれは、産業を延命するための社会保障ではない。個人を救うための社会保障である。
そして何より必要なのは、政治家と官僚が「景気を操作できる」「産業を育てられる」「成長を設計できる」という全能感を捨てることだ。
成長は、官僚のペン先から生まれない。成長は、無数の市場参加者が価格シグナルを頼りに試行錯誤し、失敗し、退出し、再挑戦するプロセスから生まれる。
国家がすべきことは、笛を吹くことではない。
新しい中学受験シーズンが始まるところなので、過年度の入試の終了者の個人的雑感。
・もし中学受験をすることにするなら、模試(クイズ大会)の偏差値で子供がランク付けされ、無意識に煽られて志望校への進学を熱望し、多くの子供が不合格と言う形で、自分の努力を否定される経験をすることになる。その経験を12歳の子供にさせる意味があるかは考えた方がいい。一旦中学受験準備を始めると、子どもの時間を費やした後で中途撤退を判断するのは、相当に難しい。
・受験の伴走本や、塾選びのサイトがあるが、ああいう表面的な知識に惹かれる親なら、すでに不利な状況。子どもが自走できる場合を除き、中学受験は子どもに合わせた実効的な対策を立てられる受験スキルが親に求められる競争でもある。子供に合わせた対策を立てるのは、受験(クイズ大会)が得意な親でないと難しい。そういう親にはノウハウ本は不要(本の内容が自明か、的外れ)。
・本当に受験が得意な人が塾の先生になるとは限らないので、塾にお任せでうまくいくとは限らない。塾のアドバイスは結構表面的で実効性がないことも多々ある。また、宿題が多すぎることも多い。後者の場合、親(か、実力のある個別指導の先生)が、宿題を取捨選択する必要がでてくる。実力のある個別指導の先生を事前に見分けてお願いすることも結構難しい。
・(個人的印象に過ぎないが)東京都は財政に余裕があるので、公立中は荒れていなければ、そんなに悪くない印象。都立高は楽しそう。(一方、他の首都圏の自治体の事情は不明。東京都より財政力は大きく落ちる。その場合、(都内を含む)私立中高一貫校の方がいいということはあるかもしれない。)
・高校受験は都立入試が単願制なので、それはそれで大変厳しい。また、公立中の教員が付ける内申点がフェアである保証がないという問題もある。(普段の授業での観察から、内申点をきちんとつけるには、教師に高い能力が必要だが、皆が同じ能力を持つわけではない。)その意味では、中学受験の方が楽。
・勉強が得意な子で、小学校で話が合う友達が少ない、あるいは孤立気味なら、中学受験するといい。
・親が偏差値に囚われない自信があるなら、素晴らしい私立中高一貫校は多い。(生徒がその環境を活かせるかは別の話。学校そっちのけで友達と遊んでしまうのが普通。)ただ、偏差値の魔力は強い。
・中学受験をすることに決めたなら、演習問題、模試、過去問で間違えた問題の解き直しがとても重要。模試の結果が返ってきたら、正答率が一定数(50%とか)以上の問題で間違えた問題を、すべて正答したと仮定して、点数を足し合わせて子どものその模試での偏差値がどれだけ上がるか見ると、難しい問題ができなくても、基本問題を抑えれられば偏差値が結構大きく上がることが分かって、子供のやる気が出るのでおすすめ。
私が素人ながらケアニューディール https://note.com/taomorohoshi/n/n022e9aa48349 としてjabiで発表してきたことと多分同じで。
通貨発行権のある国家は利潤(税収)無関係に公定価格(介護報酬等)を設定して支払える。
その為、その支出でその産業の名目賃金を増やせ、名目成長させる(GDPの政府最終消費支出)。
ここまでは表層。
1/
次に、単価を国家が設定出来るので、他産業より高単価(利用者には無料)にも出来るので、【労働移動】が起こる。
すると他産業が人手不足になるため、自動化投資や賃上げに追い込まれ、物的労働生産性や付加価値労働生産性が上がる。
2/
低炭素労働への労働移動は、環境負荷の多い分野のブルシットジョブからの労働退出を促す。
介護は人以外に資源を使わず(まあエレベーター設置とか社会全体が備える設備含めるとわからないが)、製品を輸出する為に資源を輸入、みたいなのが不要。
3/
持続可能性、と言う面でもう一つ述べると、生命再生産、労働力再生産の持続可能性を担保する。
外では賃労働。家では無償ケア労働。いつ寝るの?という話で、賃労働のパフォーマンス、生産性は落ちる。
4/
寝る暇もなく疲弊した状況(介護離職の場合は更に金銭的余裕が無くなる)で、恋愛も生殖も不可能。
仕事、介護、家事、子育て(の前の生殖に至る交際)を全てこなすのは不可能。
たまにこなせる人もいるが、持続可能ではない。
5/
生命再生産は家庭内ケア労働で行われる(これが無償か有償か、自費か国費かの影響は後述)。
昭和はこれを妻が担っていた。
その再生産にかかる費用(再生産費用)を、企業も昔はある程度は支払っていた。
6/
現代は、と言うか資本主義では、この再生産費用の不払いが可能な限り徹底される。
資本蓄積の本源は、他国からの略奪、労働者からの搾取のほか、家庭内で行われる労働者の生命再生産にかかる費用を無償化することで得られる。
7/
利潤のために資源を枯渇するまで採取すればその資源を活用していた産業は終わる。
同様に、ケア労働も枯渇すると社会的再生産、労働力再生産が不可能化する。つまり資本主義というか経済が終わる。
8/
介護保育などに代表されるケア労働を無償にして、なお枯渇させずに生命再生産を可能たらしめるには、企業内賃労働者を家庭内ケア労働に従事させねばならない(つまり介護離職)。
その上で賃労働に再生産費用を組み込むには、賃上げを強制するしかない。
9/
そうでなければ、次世代労働者を産み育てる経済的余裕が失われる。
あるいは、企業内賃労働に家庭内無償ケア労働者を労働移動(いわゆる女性の社会進出)させたまま、再生産を担保するには、再生産を外部委託する他ない。
が、これには外注費がかかる。
10/
この外注費(介護育児の他に、外食やクリーニングは家事の外注)を自己負担できるなら、それはつまり企業が再生産費用を支払っていると言うことになる。
前述の様に、それは企業の利潤、資本蓄積を困難にするため、まず望めない。
ではどうするか。
11/
政府が再生産費用を支払うときに税や社会保険料、自己負担で取るか、通貨発行で支払うかがある。
前者は累進性が高くなければ、あるいは労働組合などが強くなければ結局は労働者が支払うのと同じことになる。
だとしても支払わなければ資本主義が終わるので支払うしかないが、後者でもいいはず
12/
後者(通貨発行で再生産費用を支払う)だと、企業は長期での労働者を確保でき、国内消費者も確保できる。
市場と労働力が確保できて、更に再生産費用を不払いにして置けるので(それがいいとは思わないが)、投資がより大規模に可能となる。
13/
ただし前述のように、国家が再生産費用を支払うとは、有償でケア労働者を確保することを意味するので(それが家庭内ケア労働への移動か、介護施設や訪問ヘルパーなど公的ケアサービスへの労働移動かはさておき。後者の方が効率的ではある)企業の賃上げ圧力は常にかかる。
14/
上の方で書いてたこととだんだんループしてきたが、このことが全体の賃上げに寄与するし、そもそもケア労働、ケア責任(魔女裁判から続く女性への抑圧で実現し得た、無償の再生産装置としての立場)は女性に負わされ、それを公定価格の据え置きで国家が低賃金に固定してきた訳で、
15/
女性の低賃金は資本主義と国家が作り出したものと言って過言でない。
介護保育など公定価格の引き上げは経済成長云々の前に不正義の是正として避けられない面もある。
経済成長としては14で言いそびれたが(もっと上で述べたか)賃上げ圧力は自動化投資の圧力でもあり、これが生産性向上である
16/
ポストが短文を細切れなのでだんだんループして、論点も忘れてきたが、とにかく【生産は再生産が強固でなければ持続し得ず、ケア領域とは再生産領域である】
ということ。
という事でとりあえず終了。
AI導入の扇動家がよく言う「失敗したのはお前らの使い方が悪いせい」ってのも半分は言い逃れなんだよな。
もちろん使い方が悪いのもある。
けど、そもそもAIに会社のことを教える覚悟と準備が足らない場合が多すぎる。
経営のことをAIに聞きたいなら経営判断に必要な情報をAIに渡さなきゃならんが、そもそもそのデータがキチンとどこかにまとめてあるか?
データを端折りまくった報告用のパワポ食わせたってそこに書いてある以上の情報なんかAIは探してくれない。
業務の一部にAIを使いたいならその処理内容がキチンと資料に纏まってるか?
新人教育を終えた社会人向けの資料では不十分で、職場体験に来た高校生に教えるレベルの資料が必要だ。
そしてほとんどの場合はAIの出力を人間がチェックする工程がまだ必要だ。
会社独自の専門用語、部署名やその略称、従業員評価制度、そういった「インターネットに転がってない情報」はAIに教えなきゃならない。
そういうところをよく考えずにチョロっとAI試してみよう、なんて上手くいくわけない。
ミスが許されないところにAIを使いたいなら人間がサポートしなきゃならん。
ミスの可能性は人間にもAIにもあるが、人間と違って現状のAIは経験を積めない。
いつまで経ってもコツを掴むことはないし、モデルがバージョンアップすると挙動が変わる。
扇動家はAIをドライバーのように使えると喧伝するが、実際は工作機械みたいなモンなんだよな。
現状でAIを活用したいなら、教えることが少なくて済む作業を少しずつ任せていくか、教える情報をまとめる仕組みを大金かけて整備してからAI導入するか、どっちかになる。
前者は初期コストは低いけど成果が映えないから次に繋がりにくいし、後者はその覚悟を持ってる企業なんかそんなにない。
難しいよなぁ。
ふと思い出したのでしたためておきます。
刺身に添えられたつま菊をタンポポだと思ってる人いるけど、間違ってますよ。
小輪の菊の花びらの部分を毟って刺身に降り注ぐように散らしてもいいし、
醤油皿に散らしてもいいし、自分は後者で刺身と一緒に食べてます。
苦みが有るから食べないという人もいるようですけど、味なんて有りませんわよ。
日本語圏のSNS、特にX(旧Twitter)において、興味深い現象が観察される。AI生成された文章には厳しい視線が向けられる一方、AI生成されたスライドやデザイン素材には驚くほど寛容な態度が取られているのだ。同一人物が「AIで書いた文章は見ればわかる。ああいう機械的な文はダメだ」と批判しながら、数日後には「AIでプレゼン資料を5分で作成!便利すぎる」と絶賛する光景が日常的に繰り広げられている。
この矛盾は単なる気まぐれではない。そこには人間の認知メカニズム、文化的価値観、そして社会的シグナリングの複雑な相互作用が潜んでいる。
公立はこだて未来大学の研究チームが2025年に発表した論文では、生成AIをめぐるSNS上の議論を分析し、賛成派が「功利主義」を中心とする価値観を持つのに対し、反対派は「著作権重視」を中心としつつも複数の価値観が混在していることが明らかにされた。しかし実際の行動レベルでは、同じ個人の中でさえ、対象によって態度が大きく変わる現象が生じている。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsik/35/2/35_2025_015/_pdf
この非対称性を理解する鍵は、「道具性の階層」という概念にある。人々は無意識のうちに、創造的活動を本質的なものと装飾的なものに分類している。
文章は思考の直接的な表現とみなされる。論理展開、語彙選択、文体のリズムといった要素すべてが、書き手の知性や人格と不可分に結びついていると考えられている。ChatGPTが生成した文章に違和感を覚える理由の一つは、この「本質との一体性」が損なわれることへの抵抗だ。AI生成文章には「単調なリズム」「過度な順序表現(まず、次に、最後に)」「単語の繰り返し」「個人的視点の欠如」といった特徴があり、これらが機械的な印象を与える。AI判定ツールの精度はまだ発展途上だが、人間の直感は「この文章には人がいない」という違和感を敏感に察知する。
対照的に、スライドは思考を伝えるための「容器」として位置づけられている。レイアウト、配色、フォント選択は重要だが、それらは中身を引き立てる装飾であり、発表者の本質的な能力とは別物と考えられがちだ。CanvaAIが提供する膨大なテンプレートや自動デザイン機能は、この「装飾性」の領域に働きかける。デザインスキルを持たない人でも短時間でプロ品質の資料を作成できることは、単なる効率化として歓迎される。
この階層化は必ずしも論理的ではない。優れたスライドデザインは情報の構造化能力を反映するし、文章執筆も道具を使って行われる活動だ。しかし認知的には、文章は「私そのもの」、スライドは「私が使う道具」という区別が根強く存在する。
心理学者レオン・フェスティンガーが1957年に提唱した認知的不協和理論は、この矛盾を説明する有力な枠組みを提供する。人は矛盾した信念や行動を持つと心理的不快感を覚え、その不協和を解消しようとする。ただし、その解消方法は必ずしも論理的な整合性を追求するものではない。しばしば、自分に都合の良い解釈を採用することで不快感を和らげる。
「AI生成は良くない」という信念を持ちながらAI生成スライドを使う場合、認知的不協和が生じる。この不協和を解消するため、人々は様々な正当化を行う。「スライドは装飾だから別」「効率化のためなら仕方ない」「自分で内容は考えている」といった理由づけがなされる。こうした正当化は、矛盾を解消するための事後的な説明であることが多い。
さらに、一貫性バイアスと呼ばれる認知的傾向も作用する。これは他者の過去の言動が未来も一貫していると考える傾向だが、自分自身の行動については異なる基準を適用しやすい。「あの人はいつもAIを批判している」と他者を評価する一方、自分がAIツールを使う場面では「状況が違う」「これは例外」と特別扱いする。
内集団バイアスも無視できない。自分が属するコミュニティやアイデンティティグループの行動には甘く、外部グループには厳しくなる。たとえば「文章を書く人」というアイデンティティを持つインフルエンサーは、文章生成AIには厳しいが、自分が専門外のデザイン領域でのAI利用には寛容になる。
もう一つ重要な要因は、検出の難易度だ。AI生成された文章は、特徴的なパターンから比較的見抜かれやすい。一方、スライドがAIで生成されたかどうかを判別するのは困難だ。テンプレートを使ったのか、AIが生成したのか、手作業で類似デザインを作ったのか、外部から区別する手段がほとんどない。
この検出可能性の差は、社会的シグナリングに影響する。文章力は可視的なスキルとして評価されやすく、「この人は考える力がある」というシグナルを発する。AI生成がバレれば、そのシグナルが損なわれる。対照的に、スライドのデザイン品質は主張の説得力を高める効果はあるが、「この人はデザイナーだ」というシグナルを発することは少ない。むしろ「効率的に仕事を進める人」という別のシグナルになり得る。
X上のインフルエンサーは、フォロワーに対して自らの専門性や知的能力をシグナルし続ける必要がある。文章がAI生成であることが明らかになれば、そのシグナルの信頼性が損なわれる。一方、スライド作成にAIを使うことは、むしろ最新ツールを使いこなす能力のシグナルとなる。この非対称性が、態度の違いを生む強力な動機となっている。
X上のインフルエンサーは、特にこの矛盾を体現しやすい立場にある。彼らの影響力は、一貫した意見と説得力ある表現によって構築される。しかし同時に、効率的なコンテンツ生産と目を引くビジュアルも求められる。この二つの要求が、AI利用における選択的態度を生む。
2026年1月時点で観察される典型的なパターンとして、「AI生成コンテンツの透明性」を主張するインフルエンサーが、自身のビジュアルコンテンツにAI生成ツールを使用しながらその事実を明示しないケースがある。また、「AIに頼らない思考力」を強調する発信者が、投稿のアイデア出しや構造化にAIアシスタントを利用している事例も少なくない。
これは必ずしも意識的な偽善ではない。多くの場合、本人は「自分の本質的な仕事にはAIを使っていない」と認識している。しかし、何が本質で何が補助かという線引きは、極めて主観的で恣意的だ。
さらに、X社によるAPI改定とInfoFi(投稿で報酬を得る仕組み)アプリの締め出しが2026年1月に行われたことで、「質より量」のAI生成リプライが減少した一方、より洗練されたAI活用が主流派インフルエンサーの間で定着している。AIを使いながらも「人間らしさ」を保つ技術が発達し、矛盾はより見えにくくなっている。
この問題の根底には、創造性と真正性(オーセンティシティ)をめぐる根本的な問いがある。私たちは何に価値を置くのか。アウトプットの質か、それを生み出すプロセスか。効率性か、人間的な営みか。
従来、この問いには明確な答えがあった。芸術や知的生産においては、プロセスと人間性に価値が置かれてきた。しかしAI時代において、この前提が揺らいでいる。
興味深いことに、歴史的には技術革新のたびに同様の議論が繰り返されてきた。写真の登場時、絵画の価値は「手で描くこと」から「芸術的視点」へとシフトした。DTM(デスクトップミュージック)の普及により、音楽制作における「演奏技術」の相対的価値が低下した。DTP(デスクトップパブリッシング)は印刷業界の職人技を置き換えた。
今、同じことが文章とデザインの領域で起きている。ただし、その影響は均等ではない。スライドデザインは比較的早く「技術による代替可能な領域」として受け入れられたが、文章はまだ「人間の本質的な表現」として守られている。この防衛線がいつまで持続するかは不透明だ。
この非対称性は、AI時代における価値観の過渡期を映し出している。矛盾を指摘することは容易だが、実はこの矛盾自体が、人間が技術と折り合いをつけながら新しい規範を模索するプロセスの一部かもしれない。
実務的には、いくつかの示唆が導かれる。第一に、透明性の重要性だ。何にAIを使い、何に使っていないかを明示することで、信頼性を維持できる。第二に、本質と装飾の区別が文化的・主観的なものであることの認識だ。自分の価値基準を他者に一方的に押し付けることの限界を理解すべきだ。第三に、検出可能性が態度を決定する現状において、技術的な検出手段の発展が規範形成に影響を与える可能性がある。
インフルエンサーや情報発信者にとっては、自らの基準を一貫させるか、あるいは基準が状況依存的であることを率直に認めるか、いずれかの選択が求められる。後者を選ぶことは必ずしも弱さではない。むしろ、技術と人間の関係が流動的な現状を正直に反映したものだ。
最終的に、この議論が示すのは、AI生成コンテンツの是非ではなく、私たちが何を「自分らしさ」「創造性」「価値ある仕事」と定義するかという、より根源的な問いだ。その答えは、技術の進化とともに、そして社会的な対話を通じて、これから形成されていく。
Permalink |記事への反応(49) | 10:59
戦争反対は、「自民党改憲草案や非核三原則見直しや軍拡の動きを受けて言っている。」
……これ自体は本当に本当にまともで真っ当な説明で全然良いと思うんだけどさ
「それを子供を産んだ女である私達『ママ』なら止める事ができる」
プロ作家である清繭子さん発案の「#ママ戦争止めてくるわ」タグなんだよ…
前者は理念としての主張に留まるが、後者は差し迫った緊急性のある危険を連想させる。
戦争反対を強く叫ぶ人達こそ、あのタグとそれを作った清繭子さんを批判すべきだと思うよ。
変な難癖が多いのも勿論事実だが、情報発信の仕方にも問題があったのは認めてくれよ。
エリザベ酢
@otolizzy
「戦争していない日本で戦争反対なんてわざわざ言うから思想強いっつってんだよ」「誰も戦争したいなんて言ってねーだろ、戦争したいって言ってる人間を屏風から出してみろ」というリプライや引用がひじょうに多いですが、戦争反対と言っているひとの多くは自民党の改憲草案で「戦争を絶対にしない」という記載がなくなることや非核三原則見直しや軍拡の動きを受けて言っていると思います(わたしはそうです) 「カレーは今後絶対に食べません」とひろく宣言し、Xのbioにも「カレーは今後絶対に食べない」とずっと明記していたひとがその記載を消し、カレールウを買い込んでいたら、カレー食べたくなったのかな?今後いつか食べる予定なのかな?と思うことはそんなに不自然でしょうか?「“カレー食べたい”と名言していないのにそんなことを考えるのは頭がおかしい」のでしょうか?あと起きてもいない戦争に反対を唱えられても…という意見について、戦争が起こってから戦争反対を唱えてもあまりに遅く(もちろん起きてしまった状況でも反対し続けることはとても大切ですが)、少しでも起きそうな予兆を感じたら反対を「わざわざ」唱えるのは重要なことではないでしょうか?
不同意性交罪にはあんなに「冤罪が増える」と騒いでいた人達が、自民党改憲案には全くの無警戒なのが謎過ぎる。どう考えても影響は後者の方が大きいだろうに。
そして支持者達もなぜかそれを気にしなかった。
公明が自公政権として通して民主〜立憲が反対してた政策ってめっちゃいっぱいあるんですよ。
一つの政党になるに当たって、少なくとも説明されてない政策に関しては公明の立場を丸呑みしたって理解で合ってるのかな?
例えば
原発再稼働
武器輸出の解禁(今自民と維新が進めてるやつの一個前段階で、戦闘機とか輸出できるようにしたのは自公)
とか色々あるわけですけど(ていうかもうあげたらキリないくらいあるけど)
調べた結果立憲に合わす方向で明確に廃止に転向したのはインボイスくらいっぽいんだが…
あと説明があったのは安保法制と原発再稼働で、こっちはまあ話題になってた通り公明に寄った。あと辺野古とかもそうか。
で、他はだいたい特になんの説明もしてないみたいなんだけど、なんか立憲層も公明層も支持者達があんまり気にしてない?のかあえてあまり話題になってないっぽいしどうなったのかよく分からないんですよね。
これがなんかめっちゃ不思議。中道にブチギレて社民共産に行った人達はここに関して文句言ってる人やっぱり多少いましたけど。
あのXで見た中道いいじゃんママ戦争止めてくるわ的なグループの人達って、公明と組むに当たって自公政権で進められた政策全部賛成しつつ
でも高市の軍拡やその他諸々は許せないよねあそこ「から」が問題だよね(でも去年の10月の自公連立解消までの軍拡はセーフだよ)
いやまあ確かに公明の立場で言えばそうなるのかと思いつつ、でも元立憲支持者達はそれでいいのか…?
いやそれとも彼らは彼らで立憲の元々の立場を維持していたのか?これがよく分からない。
でも後者だとしたらもっとあれはどうなんだこれはどうなんだお前らあの時賛成してただろ全部方針変えろや明確に言えって中道結成したときに大騒ぎになると思うんだけど
なぜかそれもないまま速やかに中道いいじゃんママ戦争止めてくるわに移行してXで「戦争反対」やってたので結局よく分からないんですよね。
#ママ戦争止めてくるわの清繭子さんって、早稲田大学政治経済学部卒の高学歴出エリートかつ長年出版業界で働いてきたんだから
自民党改憲案の何処が問題なのか、自民党の寡占を許す事がどう戦争に繋がるのかと、
だけど敢えてそうしなかった
それじゃ注目されないし売名にならないから、
普通の「ママ」の、子供を愛する心を前面に出した空虚で空っぽなコピーを敢えて選んだ
経歴からして本当は高い知性と戦略眼を持つのが明らかで、正面から議論できる人間であると思われるのに
大衆の支持を得るためにはそれは適切ではないと考えて
前者は自分は苦手なタイプなんだけど、今の日本では後者より前者が支持されるんだろうな…
「SUKI SUKI」とスペースを含む表記がhttps://sukisuki-shop.com/news/配下のページにあるという情報もある。
「SUKISUKIトレカ forPEAK SPOT」や「SUKISUKIトレカ forKAWAII LAB.」は別の規約が主として適用されるように思う。別サービスであって、さらに後者は運営者がアソビシステムではないと明示されているという情報もある。
SUKISUKIメインサービスは特定商取引法に基づく表記からして、アソビシステム(株)が運営しているという情報もある。
ところでSUKISUKIメインサービスのうち「特典会」と呼ばれるもののうち、チェキの売買(宛名入りのチェキの場合は請負要素もあるかも)に関し、そのチェキの最終顧客向け発送についての(運送業者が使う)ラベルには「SUKI SUKI株式会社」とあるという情報もある。
この商号で調べると、法人番号9011001169146で令和7年4月24日に法人情報指定との情報もある。
SUKISUKIメインサービスのFAQ的ページへのリンクを押すとhttps://docs.asobidas.com/ に行くという情報もある。このURLのドメイン名部分は(株)アソビダス に関連している可能性がある。アソビダスとSUKISUKIを関連付けて説明する、(おそらく)第三者メディアの記事もある、という情報もある。
感想みたいなことだが、たまに運営法人がよくわからないケースは他社でもあるけれど、基本的に信用できないと考えている。
SUKISUKIメインサービスについては、そのサービス経由でアソビシステム所属のグループのアイドルのチェキなどが実際に入手できているケースがみられ、YouTubeでもその模様の一部が配信されているなど透明性も一定程度あり、信用はしてもいいかもしれない。もし問題を起こせばアソビシステムの名前を傷つけるくらいのことはあろう。
ところで仮にSUKISUKIメインサービスで購入ないし請負わせることをしたとき、アソビシステム運営だが「SUKI SUKI株式会社」とかに個人情報が(規約などに明示されることなく)提供されるのだとすると、個人情報保護の観点で問題がある可能性がある
無限の可能性とやらを消費しきり、今までの行いが成績表となって開示される頃。俺の人生は緩やかに閉じて行くのを悟った。20代のボーナスゾーンを効率という名の怠慢で過ごした俺は今やうだつの上がらない平社員として固定され、気の利いた嫁もいない。金を払えば何かになれると思って積み上がった借金が俺の進路を閉じる。死に逃げようにもそんな元気すらない。タオルで首を絞めては苦しくて手を緩めてはホッと一息をつく。こんな惨めな人生なのに手放すことすらままならない。頑張ればもっといい人生が歩めたのだろうか。もっと考えればまともな人生を歩めたのだろうか。当時の自分なりに考えて努力したはずだが世間ではないも同然だった。呼吸をするように勉強して、人とコミュニケーションが取れる人間がいる一方で、踏ん張ることすらできない怠惰な人間もいる。俺は後者だ。
友人にこんな姿を見せられないから、お金がないから、会うのすら躊躇われる。自分には勿体無いほどの良き友というなけなしの財産が消えていく。
平均寿命を考えるとあと50年近くあるのに、既にゲームの負けが見えている。
生きるとは誠に辛く険しい。
Xでお馴染みの少女漫画叩きについて、珍しく反論があってそれが多くのいいねを得ていたので不覚にも感動してしまった。
ほんと、少女漫画に影響される女がいたとしてそれの具体的に何処が問題なんだよ。せいぜい理想が高くなって婚期を逃す程度だろ?性加害の引き合いに出すのはおかしい。
san junipero🏝️🐬🐠🥭🍍🏖️
@ftheminion2023
前者は性加害だけど後者は具体的に何?
セクミ
@sekumi777
女で「AV見て勘違いしたSOXする男がいる」って言うけど、少女漫画やドラマを見て"勘違いした恋愛"をしている女性が多く存在するのを忘れてはいけない