
はてなキーワード:後継者とは
アベノミクスの果実を食べたのは誰だったのか。そして、そのツケを払うのは誰なのか。
ここ十年ほどの日本経済を見ていると、その問いへの答えがようやく形を持ちはじめた気がする。
十年前に安倍晋三が撒いた種が、ようやく腐って芽を出しただけだ。
金融緩和で株価を吊り上げ、日銀に国債を抱えさせ、円を安くして「景気がいい」と言い張った。
結局、国民の手元には何も残らず、実質賃金だけが地を這っている。
そして、その後始末を岸田や石破が押し付けられてきた。
誰が見ても理不尽だった。
安倍の政治的遺産という名の不良債権を、他人が処理させられていたのだ。
「アベノミクスの継承」と言えば聞こえはいいが、実態は後片付け係に過ぎない。
やっと、その掃除の仕事が“正当な持ち主”のもとに戻ってきた。
ならば、アベノミクスによるインフレも、円安も、格差も、全部まとめて面倒を見るのが筋だ。
これまでのように「前任者のせい」と言い逃れることはできない。
自分の信じた政策の墓場を、自分で掘る。それが本当の“安倍イズムの継承”というものだろう。
円安を容認して物価高を続けるか、金融を引き締めてリセッションに沈むか。
どちらを選んでも地獄。
だが、この地獄を主導するのが高市早苗であることに、ある種の納得感がある。
安倍が始めた物語は、安倍を信じた者の手で終わるのが一番きれいだ。
———
もう少し**文体をラフに(「ですます調」やネットスラング寄り)したり、
逆に評論寄りに整える(文芸評論調・時評風)**こともできます。
どちらの方向で調整しましょうか?
※ただの愚痴です
半沢直樹に出てきそうな感じの小さい会社で働いている後継者候補の自分が働いてて不安に感じることが数えきれないほどあるんだけど、その中でもトップクラスに不安なのが事業の持続性だ。
匿名とはいえあまり詳しく書けなくてもどかしいが、とにかく収益性が低くて年間の黒字額が小銭感覚でしか稼げていない。
幸いなことに当社は黒字を維持し続けているのだが、伸び代という点では赤字続きだ。人手不足が慢性化している我が国の産業で、生産性の向上は可能な限り取り組む必要があるのだが、それも現段階では頭打ちだ。
あと収益性があまりにも低いから、建物の設備更新が長く見積もっても弊社の規模では改革が難しい。移転でさえ建設費高騰の昨今では非常に厳しいところだ。間違いなく借り入れしなくちゃ出来ないので重たい決断をせねば。
正直なところ、このままだと自分の代で間違いなく廃業は免れない。
じゃあ後継者候補が色々やれば?という話だが、まず業界の規模がかなり縮小していて、大手でも前向きに事業に取り組めていない現実がある。だから、改革するなら事業を新しく行うことが目の前にある問題を解決する糸口だろう。
この先どうなるか分からないけど、このまま続けられるかかなり心配だ。社長(父親)も年々歳をとるばかりで自分がしっかりしなくちゃと思うのだが、伸び代がない業界にいたらそもそも自分にとってより良い人生になるのか疑問なので、もし自分に多額の資産があれば自分から廃業の道を選びたい(逃げの姿勢)
色々非難はされるだろうけど、こう考えている人は多いんじゃないかな?という気はしないでもない。
この道に正解不正解はないと思うので、今目の前にある仕事に集中してチャンスが来たら自分にとってより良い選択を選びたいなと思う。
※ただの愚痴です
半沢直樹に出てきそうな感じの小さい会社で働いている後継者候補の自分が働いてて不安に感じることが数えきれないほどあるんだけど、その中でもトップクラスに不安なのが事業の持続性だ。
匿名とはいえあまり詳しく書けなくてもどかしいが、とにかく収益性が低くて年間の黒字額が小銭感覚でしか稼げていない。
幸いなことに当社は黒字を維持し続けているのだが、伸び代という点では赤字続きだ。人手不足が慢性化している我が国の産業で、生産性の向上は可能な限り取り組む必要があるのだが、それも現段階では頭打ちだ。
あと収益性があまりにも低いから、建物の設備更新が長く見積もっても弊社の規模では改革が難しい。移転でさえ建設費高騰の昨今では非常に厳しいところだ。間違いなく借り入れしなくちゃ出来ないので重たい決断をせねば。
正直なところ、このままだと自分の代で間違いなく廃業は免れない。
じゃあ後継者候補が色々やれば?という話だが、まず業界の規模がかなり縮小していて、大手でも前向きに事業に取り組めていない現実がある。だから、改革するなら事業を新しく行うことが目の前にある問題を解決する糸口だろう。
この先どうなるか分からないけど、このまま続けられるかかなり心配だ。社長(父親)も年々歳をとるばかりで自分がしっかりしなくちゃと思うのだが、伸び代がない業界にいたらそもそも自分にとってより良い人生になるのか疑問なので、もし自分に多額の資産があれば自分から廃業の道を選びたい(逃げの姿勢)
色々非難はされるだろうけど、こう考えている人は多いんじゃないかな?という気はしないでもない。
この道に正解不正解はないと思うので、今目の前にある仕事に集中してチャンスが来たら自分にとってより良い選択を選びたいなと思う。
※ただの愚痴です
半沢直樹に出てきそうな感じの小さい会社で働いている後継者候補の自分が働いてて不安に感じることが数えきれないほどあるんだけど、その中でもトップクラスに不安なのが事業の持続性だ。
匿名とはいえあまり詳しく書けなくてもどかしいが、とにかく収益性が低くて年間の黒字額が小銭感覚でしか稼げていない。
幸いなことに当社は黒字を維持し続けているのだが、伸び代という点では赤字続きだ。人手不足が慢性化している我が国の産業で、生産性の向上は可能な限り取り組む必要があるのだが、それも現段階では頭打ちだ。
あと収益性があまりにも低いから、建物の設備更新が長く見積もっても弊社の規模では改革が難しい。移転でさえ建設費高騰の昨今では非常に厳しいところだ。間違いなく借り入れしなくちゃ出来ないので重たい決断をせねば。
正直なところ、このままだと自分の代で間違いなく廃業は免れない。
じゃあ後継者候補が色々やれば?という話だが、まず業界の規模がかなり縮小していて、大手でも前向きに事業に取り組めていない現実がある。だから、改革するなら事業を新しく行うことが目の前にある問題を解決する糸口だろう。
この先どうなるか分からないけど、このまま続けられるかかなり心配だ。社長(父親)も年々歳をとるばかりで自分がしっかりしなくちゃと思うのだが、伸び代がない業界にいたらそもそも自分にとってより良い人生になるのか疑問なので、もし自分に多額の資産があれば自分から廃業の道を選びたい(逃げの姿勢)
色々非難はされるだろうけど、こう考えている人は多いんじゃないかな?という気はしないでもない。
この道に正解不正解はないと思うので、今目の前にある仕事に集中してチャンスが来たら自分にとってより良い選択を選びたいなと思う。
日本の本屋さんは小さいところはすべて無くなり大きなところは衰弱する一方だ。
いや、これは本気で。
町の本屋さんとか、かろうじて残ってるところもいまの経営者が意地でやってるだけで後継者なんて絶対にいない。
大きなところもひたすら撤退戦で規模は縮小していくのは間違いない。
海外では、いろいろな工夫で復権する本屋さんも多いというのに。
おそらく、これは日本人が紙というか、物体としての本に興味がある人がそれほど多くないからじゃないかと思う。
物理的に保管ができないから、もう電子に完全に移ってしまった、という人も含めて。
対して海外には物理としての本こそが本、だという人が多いんだと思う。
あと存外アジア人というのは合理主義が多くて、情報として接種できるのであればデータも物理も同じだという割り切りが出来てしまうのかもしれない。
しらんけど。←これが書きたかっただけ、、、じゃないよ!
東大などのトップ大学における男性過多を「男性の方が変動幅が大きいから」と説明する論拠には、以下の重大な問題点がある。
ノルウェーの出生体重や大学試験成績など非常に特異な集団・環境を対象にした分析結果を、「世界中の学術・芸術分野すべてに当てはまる普遍的事実」として拡大解釈している。
これゆえ、特定の地域・時代の統計をもって「ヒト全体」に一般化するのは科学的に許されない。
論文は身体的特徴(体重、身長)、運動能力、試験成績などまったく異なる性質の指標をまとめて「ばらつきが大きい」としている。しかし、
ばらつきの「幅広さ」と「裾野の深さ」を混同し、さらに多様な特性を一つにまとめて性差の大きさを誇張している。
「XYヘテロ型のオス」でばらつきが大きくなるとする説明は、色覚異常や血友病のような遺伝性疾患には当てはまるが、
性染色体のヘテロ/ホモ構造だけで「極端な上振れも下振れも生じやすい」と断定する理論的根拠は脆弱で、遺伝学的・発生学的な検証が不十分である。
性別による役割期待や教育格差、職業選択のバイアスが、トップ層の男女比に大きな影響を与えている可能性が高い。
性差を「生理的メカニズム」の問題に還元することで、制度的・文化的な不平等の存在を隠蔽してしまう。
社会的・文化的要因の無視をさらに深掘りすると、以下のポイントが浮かび上がります。
まず、幼少期からの学習環境の違いが、後の「ばらつき」に決定的な影響を与えています。家庭内の期待や親の投資配分は、性別によって顕著に異なる場合が多い。たとえば理系分野で活躍を期待される男子は、高価な理科実験キットやプログラミング教材を与えられ、失敗しても挑戦を奨励される。一方で女子には「文系的教養」が勧められ、数学や物理に触れる機会が圧倒的に少ない。その結果、男子の中には極めて高いスキルを身につける者が現れる一方、まったく興味を示さずに学業でつまずく者も出る。この二極化が「ばらつきが大きい」というデータに結びついてしまうのです。
次に、学校・職場といった集団のダイナミクスも見逃せません。模試や入試といった競争場面で、男子は「勝たねばならない」と自らを駆り立てる文化的圧力を強く受けがちです。敗北をさらけ出すことが「男らしさの否定」とみなされるため、一度挫折すると周囲から隔離されやすく、それが学力面での極端な没落につながる。一方でトップ層へしがみつく者は、同級生からヒーロー扱いされることでさらに奮起し、驚異的な成果を生み出す。女子は競争表現を露骨に避ける傾向があり、平均的な成績で落ち着くケースが多い。これも「男性のほうが裾野が深く頂点も高い」という印象を社会が強化してしまう構造です。
さらに、キャリア段階におけるメンターシップの差も大きい。男性上司や教授は後進の男性を「自分の後継者」として積極的に引き上げ、研究資金やプロジェクトを配分する。一方で、女性研究者や技術者には「適性がないかもしれない」という先入観から重要なポジションが回ってこない例が後を絶たない。このような構造的な支援の偏りが、極端な成功例と極端な挫折例のどちらにも男性ばかりが現れる原因となりうるのです。
最後に、メディアとポピュラーカルチャーの影響です。天才プログラマーや偉大な物理学者として取り上げられるのはほとんど男性であり、その物語が「努力+才能」という二項対立のフレームで語られる。視聴者は「すごいのはやはり男」という刷り込みを受け、成功の頂点にいるのは当然男性というイメージを強化する。すると、女性自身がハイパフォーマーになる可能性を最初から切り捨て、失敗したときの言い訳を見つけやすくなる──これもまた、性別内のばらつき幅に見える現象を社会が生み出しているにすぎません。
つまり、「男性の方がばらつきが大きい」という統計的観察は、純粋な生理的メカニズムだけでなく、家庭・教育・職場・メディアという多層的な社会構造によって作り出された結果を映し出しているに過ぎません。このことを見落としてしまえば、性差の背後にある不平等な制度や文化を是正する機会を永遠に失ってしまうのです。
以上のように、ばらつき性差仮説はデータの一般化・指標の混同・単純化された遺伝メカニズム・社会文化的要因の無視といった致命的な欠陥を抱えており、「男性の方がばらつきが大きいからトップ層が男性だ」という論拠としては説得力に欠ける。