Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「形骸化」を含む日記RSS

はてなキーワード:形骸化とは

次の25件>

2025-10-24

トラック

トラック建築業界における追加の安全ガイドラインについて、現在情報2025年10月時点の最新データ法令に基づく)を基に詳しく説明します。これらの業界は、一般的労働基準法労働基準法産業安全衛生法)を超えて、特定労働環境リスク対応するための特別規制が設けられています。以下に主な内容をまとめます

### 1. **トラック運送業界の追加安全ガイドライン**

-国土交通省の「貨物自動車運送事業運輸規則」(2023年改訂)に基づき、トラックドライバー連続運転時間原則4時間までとし、その後は30分以上の休憩が義務付けられていますさらに、1日あたりの総労働時間運転時間+その他の業務)は15時間を超えないよう規制されています

-タコグラフデジタル運行記録計)の使用義務化されており、違反時の罰則が強化(2024年施行)。2025年時点では、AIによるリアルタイム監視システムの導入が試験的に進んでおり、過労運転の防止が図られています

-産業安全衛生法に基づき、事業者ドライバーに対して年1回の健康診断を義務付け(2022年改正)。特に血圧睡眠時無呼吸症候群SAS)のスクリーニング必須となり、該当者は就業制限を受ける場合があります

-2023年ガイドライン改訂で、月100時間以上の残業が疑われる場合事業者医師意見を求めることが義務化されました。

-2024年道路運送車両法改正により、トラックに衝突被害軽減ブレーキAEB)や車線逸脱警告システムの搭載が義務化。これにより、運転手の疲労や過労による事故リスクが低減される設計が求められています

### 2. **建築業界の追加安全ガイドライン**

-建設業における「建設労働者の雇用の改善等に関する法律」(建設業法)に基づき、1日の労働時間が8時間を超える場合、休憩時間は最低45分(6時間超の場合)または1時間(8時間超の場合)が確保されなければなりません。2023年改正で、夏期(6月9月)の高温環境では追加の休憩(30分毎に15分)が義務付けられました。

-週休2日実施が推奨され、2025年4月から中規模事業者(50人以上)に対し、月1回以上の休日確保が法的に求められるようになりました。

-産業安全衛生法第3章に基づき、20人以上の労働者が常時働く建設現場では「安全衛生管理者」の選任が必須。また、トンネル工事橋梁工事などの高リスク現場では、20~49人の現場で「現場安全衛生管理者」を配置する義務2022年に追加されました。

-2024年改正で、墜落・転落防止のための安全帯着用が全作業員義務化され、違反企業には罰金(最大100万円)が科される可能性があります

-2023年厚労省ガイドラインで、騒音振動さらされる作業員に対し、年2回の健康診断が義務付けられました。また、粉塵アスベストなど)対策としてマスク着用と換気設備の設置が厳格化されています

-熱中症対策として、WBGT暑さ指数)35℃を超える環境では作業中断が義務付けられ、2025年夏にはAIセンサーによる自動アラートシステムの導入が拡大中です。

### 3. **執行課題**

###結論

これらの追加ガイドラインは、労働基準法一般規定を補完し、業界特有リスク(長時間運転、墜落事故熱中症など)に対応するものですが、執行の不徹底が課題です。@shin2_otaさんの投稿で指摘されるような過労死リスクは、こうした規制形骸化している現状とも関連していると考えられますさらなる情報必要場合や具体的な事例について知りたい場合は、お知らせください!

Permalink |記事への反応(0) | 07:57

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-23

日本では経営者無能が最大の問題

Ⅰ.経営陣の能力問題:数値合理性への逃避と戦略的想像力の欠如

文章は「早期退職短期的に財務合理性もつ」と冷静に記述しているが、ここには経営自身戦略的無能さが覆い隠されている。

本来経営とは単年度の損益勘定ではなく、「人材を通じて知の蓄積を再生産するシステム」を構築することである。にもかかわらず、多くの日本企業経営層は次のような欠陥を露呈している。

人的資本費用項目としてしか見ない会計視野の狭さ

 ベテラン社員賃金を「生産性との乖離」とみなし、即時的コストカットに走る発想は、経営が“教育投資”や“内部知の継承”という本質理解していない証拠である

 欧米成功企業では、熟練人材は若手育成・組織文化の維持装置として位置づけられ、その貢献は「見えない生産性」として定量・定性の両面から評価される。日本企業経営陣はこの非定量価値可視化する能力を欠いている。

戦略なき模倣制度依存体質

 経営層は、バランスシート改善株主監査対応の「儀式」として遂行する一方で、長期的な技術競争力市場定義に向けた構想力を欠く。

 結果として、合理性の名のもとに人材を切り捨て、10年後に再び同じ構造問題に陥る「リストラ再帰現象」を繰り返す。これは経営判断ではなく、思考停止制度運用に過ぎない。

トップ層の実務経験希薄

 近年の大企業では、財務法務経営企画といった「調整型エリート」が経営陣に集中し、現場知を持つ実務者が排除されている。そのため、人的資本の質や現場専門性評価する基準存在せず、「人を数字で削る」以外の手段を持たない。

 要するに、経営知的怠慢が、制度的惰性を装って正当化されているのである

Ⅱ.エリート教育評価問題選抜の歪みと再生産される知的貧困

文章フランスアメリカの「複線型フラット型」モデル理想的に描くが、見落としているのはエリート教育のもの構造的欠陥である

すなわち、現代日本では「グローバル基準」を参照しても、その前提となる評価制度教育体系が劣化した模倣物に過ぎない。

日本エリート層の“統治教育”の欠如

 フランスグランゼコール米国MBAは、単なる専門訓練ではなく「社会設計者」としての責任倫理を育てる。

 一方、日本エリート教育は、東大慶應一橋などの学歴的篩い分けを通じて、「既存秩序の維持装置」を生産するにとどまっている。結果として、システム批判的に再設計する知的能力を持つ人材が枯渇している。

人事評価の同質性バイアス

 エリート層が自らと同じ価値観・履歴学歴官僚行動様式)をもつ人材のみを昇進させる構造が、企業内の思考多様性を奪っている。

 その結果、制度疲労是正するイノベーションが内部からは生まれず、「成果主義」や「フラット化」も形式的スローガンに終わる。

 実際、外資模倣型の成果評価制度を導入しても、評価する側の知的基盤が旧来の年功文化依存しているため、制度けが輸入され、文化が輸入されない。

教育の成果と倫理の断絶

 日本エリート教育は“効率管理”を学ばせるが、“責任と再設計”を教えない。

 したがって、経営陣が「合理的リストラ」を実施するとき、それが組織文化破壊技能伝承の断絶・心理的安全性喪失を招くという倫理コスト認識できない。

 ここにこそ、教育経営が切断された社会知的破綻がある。

Ⅲ. 総括:制度問題ではなく、思考問題

このレポート制度構造年功序列賃金カーブ)を問題の中心に据えているが、より根源的な問題制度運用する人間知的劣化である

経営陣が「制度依存し、制度批判的に再構築できない」状態に陥っている限り、どんな制度改革形骸化する。

持続可能雇用制度の前提は、「持続可能思考」を行う人材層の育成である

それは、教育採用評価のすべての局面で、短期的成果よりも構想力・倫理公共性評価する文化を取り戻すことでしか達成されない。

anond:20251021122840

Permalink |記事への反応(1) | 11:26

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-22

anond:20251022112546

表現の自由を守るってのは、「自分の気に入らない奴を殴るための自由」じゃなく、「お互いに殴られないためのルールを守ること」なんだよ。

これは明白に間違ってる

表現の自由を守るというのは、ありとあらゆる人間が常に行使可能状態を維持すること

さら踏み込むなら、殴ったり殴られたりが当たり前の状況として成り立つよう社会を維持すること

みんなもっと他人スナック感覚で殴っていいし、同時に他人からスナック感覚で殴られることも受け入れる

そういう社会こそが健全なんだよ

殴られたくないから殴りません、はただの権利放棄しかない

それは権利の死文化形骸化を招くだけ

Permalink |記事への反応(1) | 18:49

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

女性支援名目とした構造搾取倫理分析トーキッズ周辺支援

1. 背景と問題意識

東京都新宿区周辺(いわゆる「トー横」エリア)では、

若年女性少女たちの居場所づくり・自立支援を掲げるNPOや団体が多数活動している。

これらの支援活動は、当初は善意社会的使命感に基づくものであったが、

近年、一部の団体において「支援活動制度化・収益化する構造」が形成されつつある。

特に問題視されるのは次のようなスキームである

助成金を得た団体が、相談会議機械的弁護士を参加させる

弁護士報酬(例:時給8,000円)は助成金で支払われる

本人が弁護士関与を希望していなくても、団体運用ルール強制的に同席

行政弁護士必要性実質的審査できず、形式上合法支出として承認される

この構造のもとでは、「支援対象者」が本来目的自立支援人権保障)よりも、

団体専門職活動維持・収益確保のための資源として機能してしま危険性がある。

2.弁護士関与の構造問題

弁護士支援活動に関与すること自体違法ではない。

しかし、次のような構造常態化すると、倫理的に重大な問題を孕む。

項目 表面的な正当性実質的機能

弁護士が同席する 「法的助言を提供」「支援の質向上」 関与が報酬発生の手段となる

時給8,000円設定弁護士業務としては適正 公金支出としては突出した高額

助成金での支払い公益目的に沿うように見える弁護士費用の恒常的補填構造

本人意思を経ない同席 “保護”の名目正当化支援対象者自律を奪う

このような仕組みは、「違法ではないが、倫理的に不当」な構造誘導といえる。

3.行政東京都)の統制困難性

東京都などの行政機関は、次の理由で「弁護士関与の必要性」を実質的判断できない。

弁護士業務専門性行政評価する権限がない

助成金審査形式的であり、事業報告書を信頼するしかない

支援現場多様性ゆえ、外部から実態評価が困難

結果として、団体自由弁護士を関与させ、報酬支出する「制度自己完結」が発生する。

これは、公金の透明性・公平性効率性を損なう構造リスクである

4.倫理的評価

このようなスキームには、三層の倫理的逸脱が見られる。

観点倫理原則 現状の逸脱

支援倫理 本人中心・自律支援団体構造により本人意思形骸化

弁護士倫理自由な依頼関係と誠実性自動関与・利益誘導報酬構造

公金倫理公益目的の透明な支出助成金専門職収益に転化

これらを総合すると、**形式的には適法であっても、倫理的には不当な「制度的腐敗」**の状態にある。

5.女性人権をめぐる構造搾取

特にトーキッズや若年女性支援文脈では、

支援対象者が「保護される女性」として固定され、被害が語られ続けることによって

団体専門職正当性資金・注目を得る構造形成される。

この構造は、結果的に次のような倫理的問題を引き起こす。

若年女性を「支援の素材」として集める

被害”を強調することで支援正当化する

実際には、女性たちの主体性自律回復を妨げる

まり支援被害資源化する(commodification of victimhood)構造に陥っており、

支援の名を借りた「第二の搾取」といえる。

6.改善に向けた提言

このような構造モラルハザードを防ぐためには、

次のような倫理的制度改革が求められる。

弁護士関与の明確な判断基準

「法的課題存在する場合」に限定し、自動参加を禁止

本人のインフォームド・コンセント

弁護士同席・費用目的を事前に本人に説明し、同意を得る。

第三者審査監査制度

弁護士関与の必要性費用妥当性を独立機関検証

公金支出の上限・基準設定

弁護士報酬の上限や関与頻度を規定する助成金指針を整備。

倫理ガイドライン策定

支援団体専門職行政が共有できる「本人中心支援倫理規範」を文書化。

7.結論

現状の一部支援スキームは、若年女性人権を守るどころか、

被害構造を利用し、支援を装った利益循環の装置になっている。

それは違法ではなくとも、

支援倫理弁護士倫理・公金倫理のいずれから見ても深刻な構造不正義であり、

女性人権を食い物にする構造搾取」と呼ぶに値する。

Permalink |記事への反応(1) | 10:42

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-15

anond:20251015145946

俺の取引先の19社中17社は形骸化してるかもしれないけど、毎日申請はしておりますが何か

Permalink |記事への反応(0) | 15:01

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-11

話せば分かりあえると言う幻想民主主義を成立させていたのでは

アメリカの分断やフランス組閣失敗、日本の連立解消など

民主主義国家過半数を担う政党が減り党が乱立し、しかも各党の協力が消極的になって政治的な混迷を見せ始めている

この大本の原因は国民の中に「対立相手とは話し合っても分からない」と言う諦めが生まれ始めたからではないだろうか

意見は擦り合わせられないもの、譲歩させられることで自分が損をする、話し合って分かり合うことなんてなくて不満を抱えるだけ

そういったことを経験的に学んできてしまった結果として

自分意見を百パーセント代弁してくれる人たちしか支持できないから党が乱立してどこも過半数を取れないし

話し合って譲歩して過半数を取っても意見ねじ曲げられて損をするから許せない

そしてみんながそう思ってるからこそ、誰も相手に協力しなくなるし話し合って譲歩なんてしなくなる

話し合ったらわかるというのは幻想かもしれないが

話し合ったらわかると言う幻想をみんながあるものとして受け入れてたからこそ、交渉や譲歩や協力ができていたのではないか

話し合って分かり合えることがない、少なくとも落としどころがない

そんな状態過半数必須議会運営なんてものができるわけがない

そもそも話し合うことが無意味なのだから議会自体無意味になってくる

だか、過半数ではなく多数派でいいとなってくると、基本的議会形骸化して独裁に向かっていくのは歴史が示している

話せばわかるなどということは幻想かもしれないが

話せばわかると言う意識がこのままなくなってくると、そもそも民主主義崩壊するだけではないか

一万円札のような紙幣価値があるのは幻想かもしれないが、みんなが価値がある幻想を前提にしてるからこそ社会が成り立つように

話せばわかることは幻想でもみんながその上で納得できるまで話し合う共有意識は持ち続けないといけないのではないか

Permalink |記事への反応(1) | 16:15

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-09

国籍とか国境といったものに対する左派感覚がどうしても理解できない

左派って、不法入国者不法滞在者は速やかに帰国させるという当たり前の行為あの手この手形骸化しようとするよね

コンプライアンスという言葉が定着してずいぶん経つというのに、なぜかこの辺に関しては、黙認しろ、見て見ぬふりしろという声ばかり

なにか「国境」とか「国籍」という概念に対して、左派は俺たち庶民とは全く違う価値観を持ってるんじゃないかと思わざるを得ないんだけど、本音ではどう思ってるんだろうね

Permalink |記事への反応(8) | 16:51

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

"左派って、不法入国者不法滞在者は速やかに帰国させるという当たり前の行為あの手この手形骸化しようとするよね"についてClaudeに聞いてみた。

この発言はいくつかの論理的問題があると言えます

主な問題点:

過度な一般

左派って」と一括りにして、多様な個人や団体を単一思考パターン還元している

実際には左派の中でも移民難民政策について様々な立場がある

藁人形論法の要素

相手の主張を「あの手この手形骸化しようとする」と単純化・歪曲している

実際の左派の主張は、人道的配慮、適正手続き保障難民認定制度の整備など、より複雑で多面的

前提の問題

「当たり前の行為」と決めつけることで、議論余地がないかのように提示している

実際には「どのような手続きで」「どのような例外を認めるか」など、民主主義社会議論すべき要素が多い

動機憶測

形骸化しようとする」という悪意や不誠実さを前提とした表現

実際には人権保護や適正手続きという別の価値観に基づいている可能性を無視

より建設的な議論には:

具体的な政策提案や事例に基づいて、価値観の違いを認識しながら対話することが重要でしょう。




国籍とか国境といったものに対する左派感覚がどうしても理解できない

左派って、不法入国者不法滞在者は速やかに帰国させるという当たり前の行為あの手この手形骸化しようとするよね

コンプライアンスという言葉が定着してずいぶん経つというのに、なぜかこの辺に関しては、黙認しろ、見て見ぬふりしろという声ばかり

なにか「国境」とか「国籍」という概念に対して、左派は俺たち庶民とは全く違う価値観を持ってるんじゃないかと思わざるを得ないんだけど、本音ではどう思ってるんだろうね

anond:20251009162722

anond:20251009165118

Permalink |記事への反応(0) | 16:32

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-04

性犯罪量刑私刑問題意識

現行の刑法における性犯罪量刑は軽すぎる。被害者の受ける身体的・精神的苦痛に比して、加害者が受ける刑罰はあまりに低く、抑止力として機能していない。社会的制裁の弱さが、性犯罪の再発や無責任行為を温存している。

加害者社会的責任を十分に負わない現状では、被害者社会が感じる不公平感は増大する。このギャップ放置すれば、やがて私刑に頼らざるを得ない状況が生まれる。被害者市民が、自らの手で加害者責任を問うことに向かうのは自然心理であり、現行の司法制度の欠陥が招く必然的な結果である

もちろん、私刑には社会秩序の混乱や誤認の危険が伴う。しかし、量刑の軽さが続く限り、法の正義形骸化し、市民の不信を増幅させるだけである刑罰実効性を高め、加害者に対する厳正な責任追及を徹底することは、私刑の誘惑を減らす唯一の手段である

結論として、性犯罪における量刑軽視は、法秩序正義危機を生む。司法制度被害者保護加害者責任を徹底することで初めて、私刑に頼らずとも社会が公正を維持できる。

Permalink |記事への反応(0) | 19:45

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-03

社会先生が「生徒に高得点取らせすぎて」怒られてたんだけど、どう考えてもおかしい話だと思う。

その先生は毎回授業の最初に小テストをやってて、やり方がちょっと独特だった。

100問くらい載ってる小冊子を配っておいて、その中から10問を毎回出題する。

授業前に5分で暗記、5分でテスト先生はその間に板書を終わらせる。

繰り返してるうちに自然と誰でも満点が取れるようになるから普段まり勉強してないやつもその時間だけ本気出して高得点を取れるようになった。

で、その成果として本番のテストもみんな点数が上がっていったんだけど、

例年と違いすぎるだとか差がつきにくくなるだとかい理由で、学校から注意を受けて、そのやり方はやめさせられた。

いや、それって生徒にとってはプラスしかないじゃん。

差をつけるためのテストなのか学力を伸ばすためのテストなのか、どっちを優先してるのか分からなくなる。

点数が上がったらそれで良いんじゃないの?って思うのに、現場の工夫を潰して「例年通り」に戻すことの方が優先される。

おかしな話だよな。

教育って「どうやって子どもの学びを最大化するか」が中心であるべきなのに、

現実は「統計や例年との差」を守るために、生徒が伸びる方法を潰してしまう。

それこそ教育形骸化じゃないのか、って感じがしてならない。

Permalink |記事への反応(17) | 15:02

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-22

退職エントリを書きたくて仕方ない

退職エントリを書きたいんだ。

退職?もちろんまだしていない。できないよ。生活のこと考えたらね。

いろんな条件がある中で、今の所属先はそれなりに条件としては良い方だと思っている。休みとりやすいしね。

40歳を過ぎて、妻子もいて、幸せだけど、責任も大きくて。自由になんかできなくて。

ただね、部も部長課長もチームにも馴染めない。馴染めないし、好きにもなれない。

何よりミッション共感ができなくなってしまったんだ。

会社ミッションにも部のミッションにも、自分が作ったはずのチームのミッションにも。


自分自身の至らなさを書き出せばキリがない。

会社部門上長たちの不満やおかしさを挙げてもキリがない。


結局は自分自身が折り合いをつけるしかないんだけど、日々苦しさが増してくる。


自分のできないところや足りないところに目を向けるのはもちろんだけど、

「ああ、それ、やろうと思ってたのに、(今の領域を誰も手をつけないからやらなきゃいけないし)後回しにしてたやつだ」

「あの時、あれだけ数値や事例を元に実行すべきと言ってた施策が、いつの間にか他のやつの起案で他のやつの成果になっている」

こんなことが繰り返されていたら、貧乏くじを引いてしまったのかなとしか思えないんだ。

もちろん優先順位があるし、組織全体で見ればやるべきことをやっているし、自分自身が訴えていたやるべきことが実行されている。

すごいことじゃん。良いことじゃん。

でも今自分は、誰も手をつけたがらなかった、見て見ぬふりをしてきて、このままだと問題になるよってところをやっている。

それも、他にクリアする方法が(多少の手間やコストなどがかかるとしても)あるってわかった今、

この一年以上、何のために予算時間も労力も、それに自分の心身を削ってやっていたのかなと、今苦しくなっている。


そういう方法でやれるんなら、最初から俺の方法は使わなかったよ。なんで後出しすんの?

誰もやろうとしなかったこと、誰も問題だと思っていなかったこと、これから絶対必要になるってわかっていたことに

最初に気付いて、何とかしようとあがいて、もがいて、ここまで来たのは俺だよ。それすらもなかったことにされるのか。


そんなことを思っていると、日々苦しくて仕方ない。それでも戦うんだって涙を堪えて日々立ち続けているよ。


ただね。それも自分のせいでもあるんだよ。


40歳を過ぎて、誰かに助けを求めたり、プロジェクトをうまく進行できなかった、それがそもそもの未熟さなんだよ。

やるべきこと、やらなくてはいけないことに目をつけた、それはきっと先読みの力も、論理的物事を考えることもできた結果なんだと思う。


でも決定的に人を巻き込んだり、調整したりすることができなかったんじゃないかな。

本当にやるべき、必要なことだと思っていたら、もっと多くの人と手を取り合って、巻き込んでやることができたんじゃないかな?

誰もやらなかったことに取り組んだ姿勢は本当に素晴らしいし、ここまでやってきたのはあなたが耐えたから。

でも、もっと他の人と一緒にやっていくこと、自分以外の考えを広く集めて動くことができたら良かったかもしれない。


俺が上司なら、俺自身に、1on1時間にそんなことをいうかもしれないね


ただ、形骸化した1on1では連絡事項のみがやり取りされ、

適当に書いた評価シートには、ほぼ同意メッセージのみが書かれ、

可もなく不可もなしの評価をされ、日々気に入らない上司や同僚にイライラして、嫉妬し、憎み、気付いたら勝手絶望している。

この会社ではリモートからとか、オフラインの集まりがあるとかないとか関係なく、馴染めないんだよ。

みんなの言葉、表情、態度、チャット文字オンラインMTGリアクション

オフサイトミーティングでの表情や匂い空気感、そんな全てに嫌気がさしているんだよ。

早く退職エントリを書きたいよ。退職できないから書けないけど。

退職する頃にはそもそも書くこともできなくなってるかもしれないけど。

退職エントリ会社への罵詈雑言呪詛をこれでもかと書いてやるんだよ。

そう思いながら、それでも、なんとか、日々を過ごして、少しでも良くなってくれないかと思ってるんだ。

Permalink |記事への反応(0) | 15:44

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

退職エントリを書きたくて仕方ない

退職エントリを書きたいんだ。

退職?もちろんまだしていない。できないよ。生活のこと考えたらね。

いろんな条件がある中で、今の所属先はそれなりに条件としては良い方だと思っている。休みとりやすいしね。

40歳を過ぎて、妻子もいて、幸せだけど、責任も大きくて。自由になんかできなくて。


ただね、部も部長課長もチームにも馴染めない。馴染めないし、好きにもなれない。

何よりミッション共感ができなくなってしまったんだ。

会社ミッションにも部のミッションにも、自分が作ったはずのチームのミッションにも。


自分自身の至らなさを書き出せばキリがない。

会社部門上長たちの不満やおかしさを挙げてもキリがない。


結局は自分自身が折り合いをつけるしかないんだけど、日々苦しさが増してくる。


自分のできないところや足りないところに目を向けるのはもちろんだけど、

「ああ、それ、やろうと思ってたのに、(今の領域を誰も手をつけないからやらなきゃいけないし)後回しにしてたやつだ」

「あの時、あれだけ数値や事例を元に実行すべきと言ってた施策が、いつの間にか他のやつの起案で他のやつの成果になっている」

こんなことが繰り返されていたら、貧乏くじを引いてしまったのかなとしか思えないんだ。

もちろん優先順位があるし、組織全体で見ればやるべきことをやっているし、自分自身が訴えていたやるべきことが実行されている。

すごいことじゃん。良いことじゃん。

でも今自分は、誰も手をつけたがらなかった、見て見ぬふりをしてきて、このままだと問題になるよってところをやっている。

それも、他にクリアする方法が(多少の手間やコストなどがかかるとしても)あるってわかった今、

この一年以上、何のために予算時間も労力も、それに自分の心身を削ってやっていたのかなと、今苦しくなっている。


そういう方法でやれるんなら、最初から俺の方法は使わなかったよ。なんで後出しすんの?

誰もやろうとしなかったこと、誰も問題だと思っていなかったこと、これから絶対必要になるってわかっていたことに

最初に気付いて、何とかしようとあがいて、もがいて、ここまで来たのは俺だよ。それすらもなかったことにされるのか。


そんなことを思っていると、日々苦しくて仕方ない。それでも戦うんだって涙を堪えて日々立ち続けているよ。


ただね。それも自分のせいでもあるんだよ。


40歳を過ぎて、誰かに助けを求めたり、プロジェクトをうまく進行できなかった、それがそもそもの未熟さなんだよ。

やるべきこと、やらなくてはいけないことに目をつけた、それはきっと先読みの力も、論理的物事を考えることもできた結果なんだと思う。


でも決定的に人を巻き込んだり、調整したりすることができなかったんじゃないかな。

本当にやるべき、必要なことだと思っていたら、もっと多くの人と手を取り合って、巻き込んでやることができたんじゃないかな?

誰もやらなかったことに取り組んだ姿勢は本当に素晴らしいし、ここまでやってきたのはあなたが耐えたから。

でも、もっと他の人と一緒にやっていくこと、自分以外の考えを広く集めて動くことができたら良かったかもしれない。


俺が上司なら、俺自身に、1on1時間にそんなことをいうかもしれないね


ただ、形骸化した1on1では連絡事項のみがやり取りされ、

適当に書いた評価シートには、ほぼ同意メッセージのみが書かれ、

可もなく不可もなしの評価をされ、日々気に入らない上司や同僚にイライラして、嫉妬し、憎み、気付いたら勝手絶望している。

この会社ではリモートからとか、オフラインの集まりがあるとかないとか関係なく、馴染めないんだよ。

みんなの言葉、表情、態度、チャット文字オンラインMTGリアクション

オフサイトミーティングでの表情や匂い空気感、そんな全てに嫌気がさしているんだよ。

早く退職エントリを書きたいよ。退職できないから書けないけど。

退職する頃にはそもそも書くこともできなくなってるかもしれないけど。

Permalink |記事への反応(0) | 15:44

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-08

ネット上には子供を大切にしようという言葉であふれている

けど本当にそれを実行する人間はいない

どう頑張っても子供食堂という形骸化したものしか辿り着かないし思いつかない

公園行政は整備するが、じゃあ小学生以上の子供の居場所ってどこだろうか?

せいぜい小規模な塾くらいだろう

図書館に行っても老人がいびきかいて寝てるし、落ち着け友達と喋る場所ほとんど無い地域は多い

誰も何もしないから、子供大人になっても何もしないんだよ

Permalink |記事への反応(1) | 17:09

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-05

日本形骸化している法律

ソープ話題が出てたのでChatGPTに調べて貰った。(DeepResearch)

風俗業界自由恋愛

ソープランドやデリヘルといった風俗店では、建前上「本番行為性交)は提供せず、お風呂マッサージだけ」を謳いますしかし実際には、個室で客と従業員自由意志恋愛関係になった結果として性交したという形を装い、店側が売春斡旋していないと主張するのです。料金は「入浴料」などと称し、性的サービスのものには対価を払っていないというフィクションで法の網をくぐっています。この「自由恋愛から売春ではない」という業界の建前は、1986年最高裁判決で明確に否定されており経営者が「知らなかった」と言い逃れできないと判示されています

パチンコ三店方式

本来ギャンブル禁止の法理念事実上骨抜きにされ、事実上日本最大のギャンブル産業合法的存在している矛盾です。社会的にはパチンコが深刻なギャンブル依存症の原因になっており、本質的には賭博と変わらないにもかかわらず、グレーな状態で巨大産業として存続しています依存症による家庭崩壊経済的損失など倫理的社会的問題も大きいのに、法の網をくぐっているため十分な規制課税が及びません。また景品交換所古物営業法適用除外とされており(「盗品等の処分実態がない」との理由ですが、実際には強盗窃盗事件も発生しています)、制度不透明さが治安面の懸念も招いています

選挙カー

公職選挙法選挙運動方法を厳しく制限する法律です。戸別訪問禁止文書図画(ポスター等)の制限などが規定される一方で、選挙運動自動車選挙カー)による連呼行為例外的に認められています同法140条の2で「連呼行為禁止」を定めつつ、「但し選挙運動用の自動車上では連呼してよい」と明記されているため、候補者名の連呼だけは走行中でも許されているのです。

この規定により、日本選挙では選挙カー大音量候補者名前連呼する光景定番化しています公職選挙法選挙運動期間を公示告示)日から投票日前日まで、時間原則朝8時から夜8時までと定め、それ以外の深夜早朝は活動禁止です。ただし拡声器の音量について明確な上限規制はなく、住宅街でも法定時間内であればいくら大音量でも違法ではないため、実質ノーガイドライン状態です。その結果、各候補が少しでも有権者の耳目を引こうと最大音量連呼を繰り返し、毎回の選挙で「名前連呼するだけのうるさい車」が走り回ることになります。これは本来公職選挙法戸別訪問等を禁じた副作用とも言えます禁止事項が多いため候補者合法宣伝手段として「連呼」に頼らざるを得ず、結果として騒音公害のような現象合法化されてしまったのです。

駐車禁止

2006年以降、民間委託駐車監視員違法駐車の取り締まりに当たるようになりましたが、彼らが対象とするのは主に運転者が離れた「放置駐車」です。そのため運転席に人が乗ったままの車は、たとえ長時間停車していても監視員は直接取り締まらないケースが多いのです。実際には「運転手さえ乗っていれば駐車違反にならない」というのは誤解で、運転者がいても5分を超えて継続的に停まっていれば法律上は駐車違反です。しか現場では、監視員が車に近づきタイヤチョークマーキングしようとすると運転手がすぐ移動してしま証拠固めができないため、結局見逃されてしまます。加えて警察OBいわく「緑のおじさん(監視員)はトラブル回避のため運転手が乗っている車はスルーするよう指示されている」節もあり、運転席に人を残したままハザードを点滅させて路上駐車するのが物流業者タクシーで横行しています。「ちょっとの間なら…」と誰もがやりがちなグレー行為として半ば定着し、駐車禁止標識形骸化しているのが実状です。

外国人技能実習制度

技能実習制度事実上、認めていないはずの単純労働外国人にさせる抜け道として機能しています。例えば農業建設介護など人手不足の分野で、開発途上国から来た実習生が3~5年間働きます名目上は「技能習得」ですが、実際には過酷労働や長時間残業低賃金で働かされるケースが多発しています。監理団体と送り出し機関を介し、中小企業農家が直接雇用する形をとらない複雑な構造不正の温床です。結果として実習生への賃金未払い・暴行パワハラ等の人権侵害が後を絶たず、毎年数千人規模で失踪者逃亡者)が出るなど闇が深い状況です。制度恩恵を受けるはずの受け入れ企業からも「使い捨て安価労働力として酷使されるだけでなく、失踪リスク手続コストもかかり、こんな制度おかしい」と批判の声が上がっています。現に、「これは人身売買だ」とまで制度非難する雇用者もいました。

二重国籍

日本は相当数の二重国籍者を黙認しているのが現状です。国籍法には22歳までに国籍を選べとありますが、選択しなかった場合罰則はなく、役所から選択宣言をしてください」という通知が来る程度です。また日本国籍離脱は本人の意思による届け出制であり、他国籍を取得しても本人が届け出ない限り日本政府は把握できません。例えば米国など第二国籍を取った日本人でも、日本には報告せず日本旅券更新し続ける人もいます政府側も海外外国籍取得の情報を完全に把握する術はなく、結果として黙認状態が長年続いています。一部では、著名人などが二重国籍疑惑を指摘され問題化する例(2016年政治家のケースなど)もありますが、そうしたケースでも最終的に国籍離脱強制されることはまれです。つまり法律上は禁止だが事実上放置という典型例になっています

Permalink |記事への反応(0) | 10:19

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-25

ランキングはいずれ陳腐化するんだなって

かつて某アイドルグループ握手券商法オリコンランキングを席巻して音楽ランキングとしての意味がなくなったりとか、

推し活の一般化によってあらゆるランキングや賞で推しを上げるためにファンたちが頑張って、その数字ファン熱量を示すものしかならなかったりとか、

時代商売の変化によっていろんなジャンルランキングだったり口コミ評価価値が変わっていくんだなぁと改めて思う。

ランキングじゃないけどインフルエンサーマーケティング微妙な反応になってきたり・・・。やっぱ名無しの口コミが一番心に残るし。

で、ランキングに関しては最近映画でもそれが顕著だなと。

以前は映画が好きなこともあって興行収入ランキングとか見るのも好きだったけど、

ここ数年は特典商法が浸透してて必要以上にリピーターを呼び込むのも普通だし、

昔はあまりなかった特殊上映でのプラス料金制度が出てきたりもあって、もう単純なランキングとしてはまったく意味がないと逆に割り切ってる。

何十年分ものランキングの中でどう、って言われてもねぇ・・・?みたいな。

動員数ランキングがまだギリ比較基準になるかもだけど、前述の通り推し活やら〇〇の男にやらなんやファンダムの質も変わってるからちょっと・・・だし。

ただサブスクが当たり前の日常映画館が盛況なのはすごく良いことだと思うから、客を呼び込める作品は色んな商法をやってみてもいいとは思ってる。

音楽も同じで、ファンが喜ぶ範囲でなら色んな形態出して売上に繋げて欲しいと思う(ランダム商法除く)。

でもランキング「〇位」とか興行収入だのの「数字」に関してはあまり気にしなくなった。出てくる言葉関係各社おめでとうでしかない。

映画にしてみればそもそも昔と今じゃスクリーンの数も価格制度も違うし、作品の質は数字判断するものでもないよなと思うようにしている。

同じように音楽も好みでしかいかランキング上位だろうと聴いたことなくてもおかしなことじゃない。

指標としてランキングという形はこれからも色んなジャンルで残り続けるんだろうけど、

その中身としては、たぶんもう今もとっくに役目を終えて形骸化しているんだろうなと個人的に思う。

から消費者としては競争とか記録とか流行とか気にせず、気楽にエンタメを楽しんでいけたらいいな。

ランキング・売上・記録を棍棒にしたファン同士の争いもやめてほしいですね。

とはいえ最近では珍しく、ステマ禁止&特典なし&小説原作単発の状況で盛況な某ロングラン作品は本当すごいなと思います

(知らんところでステマしてるかもだけど、一応対外的には禁止なので・・・

ランキングか抜きで今後もそういった作品が出てきたら面白いな。

Permalink |記事への反応(0) | 14:08

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-24

鬼滅の刃は、ファシズム讃美か!?

どうでもいいよ。むかし呉智英師がやってたような「敢えて“たかマンガ”を本気で語る。そこから普遍的な知見を汲み出す」みたいなのが伝統芸能化して形骸化して「敢えて」の部分が取れてどっかいっちゃった。

バカ鼻息荒く小難しく漫画を語ることこそが評論というものだみたいな勘違い蔓延している。

Permalink |記事への反応(0) | 22:47

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-21

anond:20250821155643

実態形骸化してるやんって話

ぶっちゃけ時間外削減や効率化を推進している会社は固定残業制じゃないことの方が多い印象だしなあ

Permalink |記事への反応(1) | 15:59

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

固定残業代

大体が超えるように設定されてるから実質無意味で見せかけの賃金かさまししてるだけなんだよね

固定残業制だろうが固定超過分の管理のために時間管理必須だしなあ

メリットが固定時間以下の労働者に多く支払われる。または人件費がある程度固定できるので管理がやや楽ってぐらいだけど、

先に書いたように形骸化してるんだよね

法律禁止すればいいのに

Permalink |記事への反応(4) | 15:53

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-01

anond:20250730165459

フェミというか対東京都の話になってしまうが

暇空に続こうにもスキームハードルが高すぎた。

官公庁全体の瑕疵を責めようとしても、相手側が本気で逃げたら一般人にはどうにもできないことを証明した事例だった。

金が潤沢にある無職が金を集めても法令ギリギリの線で黒塗りすればごまかせてしまう。

しかも金を集めるしても半端な金じゃ訴訟すらできない。

民事訴訟無駄遣いしてるから忘れられてるけど、行政訴訟でもアホほど金かかってて億単位事業場合その数%は着手金として弁護士に払わなきゃならないし、その弁護士を探すのも難しいときた。

暇空の一件見てて住民訴訟なんてシステム形骸化したシステムなんだなと実感したわ。

Permalink |記事への反応(1) | 01:01

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-26

この意見、完全同意なんだが何か危うい気がする

この危うさを誰か言語化してほしい

[B! 大学] 限界大学:18歳人口減ったのに…膨張続けた私立大 背景に認証制度の形骸化 | 毎日新聞

大学が減って高卒が当たり前になれば塾代含め教育費用が減り、高校生バイトが沢山でき、奨学金の返済に苦しむ若者も減り、4年分の人手不足が緩和され、初婚や出産年齢も下がって少子化対策になり費用ゼロ

Permalink |記事への反応(1) | 20:14

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-24

石丸伸二、生活保護申請現場

申請は当然の権利です」

区役所生活福祉課。由美は椅子に座り、手元の書類を見つめていた。隣には、腕を組んだ石丸伸二。彼の視線は、職員の机の上に置かれた申請書類に鋭く注がれていた。

「この書類、何のために必要なんですか?」石丸が口を開く。職員が戸惑いながら答える。「ええと…申請審査必要でして…」

「“必要”という言葉は便利ですね。根拠曖昧でも使える。ですが、行政は“説明責任”を負っています生活保護法第24条にその書類の提出義務が明記されていますか?」

職員言葉に詰まると、石丸は机を軽く叩いた。

あなた方が“慣例”で物事を進めるから制度形骸化するんです。申請者は制度の“恩恵”を受けるのではなく、“権利”を行使している。その違い、理解されていますか?」

由美が目を丸くして石丸を見つめる。職員は「確認します」と言って席を立った。

石丸はため息をつきながら言った。「この国の行政は、申請者を“お願いする人”として扱う癖がある。違います彼女は“当然の権利”を行使しているだけです。」

数分後、職員が戻ってきた。「…ご指摘の通り、扶養照会は任意です。申請受理いたします。」

石丸は微笑みながら言った。「ようやく、法に基づいた判断ができましたね。これが“行政のあるべき姿”です。」

由美は小さく笑った。「なんだか、見ていて気持ちよかったです。」

石丸は立ち上がりながら言った。「僕は、正論を言っているだけです。感情ではなく、論理で動く。それが政治家仕事です。」

------

Copilotで作成

石丸伸二さんが生活保護の申請に同席するイメージができなかったので作ってみました

Permalink |記事への反応(0) | 21:24

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-16

表現の自由について整理しよう

小学生でも(読めれば)わかる上に無料だぞ。

 

まず日本法律大本憲法がある。

表現の自由」と「人権保護(=肖像権保護)」、さらに「財産権」が含まれる。

次に刑法というのがある。

ここに「わいせつ頒布等罪」というのが含まれている(175条)。

詳しくいうと「わいせつ文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を「頒布公然と陳列・有償頒布する目的で所持また保管」した場合に成立する犯罪

さら刑法に絡まない個別立法で「性的姿態等撮影罪」、「児童ポルノ法児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律)」、著作権法青少年保護育成条例がある。

 

ここで問題なのは猥褻」の定義時代遅れになっていて形骸化しているのに、そのまま175条を手広く適用しようとしている警察司法

個別立法解釈まではなかなか手が回らないので警察刑法だけ覚えて帰ってしまう。

著作権法も今のところ親告罪部分という大きな穴が残っているが、わいせつ物ほどではなく文化庁がけっこう手当してくれてるからね。

 

猥褻っていうのは、もともとエロという意味だけではなく、ゴチャゴチャして下品ものも含まれた。

プラッタとかゴアとか腐敗とかも猥褻

今もR18画像にはR18Gってのがあるけど、要するにまともな神経なら見るに耐えないもの猥褻

で、もじゃもじゃ陰毛の絡みついたお万個とかチンコとかはやっぱりメシ食ったり電車に乗る、日常生活では見るに堪えないわけよ。

人体の一部に対して、いっちゃわるいけど、匂い立つようなチンコとかトイレットペーパーカスのついた万個とか、きったねえな~今は見たくねえわ~ってなるわけ。

 

そんでも販売目的所持じゃなきゃまあいいよとか、公表しなきゃいいよとか、刑法しろお目こぼしちゃんとあるわけよ。

じゃなきゃ医者による解剖解説もできない。そんで社会生活が成り立たなくなる部分もあるからね。

 

そこにネットスマホという「情報どこでもドア」ができちゃったのでこまってるわけ。

解剖時に遊んでる医者写真とかどんどん流出ちゃうしね。

流出ちゃう(させちゃう人間問題なのか、それができるスマホネットが悪いのか。

こりゃもう、人間が悪いんですわ。包丁とおなじこと。いくら有効ものでも持ち歩くな、ちらつかせるな。

さらAIデジタルな嘘もいくらもつけるようになった。

これも盗んだ包丁とおなじ。対価を払わずに盗まれた人、さらにそれを悪用された人はそりゃ怒るわ。

表現規制というのは、穴の開きまくった情報一生懸命パッチを当てる社会の自浄作用だよ。

 

Permalink |記事への反応(0) | 14:32

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20250715134543

まず勘違いがありそうだから言うけど、大前提として、これは愚痴というより、多様性を謳うコミュニティ形骸化して、題目から外れた「排除」に向かっていることへの問題提起があるのね。思想としてもおかしなっちゃってるというか、真の意味多様性を打ち出すなら例外を作るのは自己矛盾じゃないですか。

から排除という手段を先にとったコミュニティは、活動を続ける以上は説明責任がある。それに個人間のちいさな感情とか私怨とかで大人げない行動をとるなら、それはマジで誰かを助ける以前にモラルが欠如していると思うの。

あなたクィアではないとのことなので、つまりあなたはこの問題の枠外の人間であり、傍観者別にわたしからコミュニティからも責められてない。安心してほしい。

それで、家族のことだけど。

わたし家族の言うことめんどくせー、嫌だなー、と思ったことはあるけど、全ての人にはその人なりに生きてきた上での言い分があると思うし、きちんと考えてみた結果べつに悪い人じゃないのに無視するとか、自らも加害で応戦するのってわたしとしては自分が嫌だなとおもった人たちと同じレベルに堕ちてしまうから、わざわざやりたくない。線を引いて、分かり合えない部分を表明して、なぜそんなのかを論理立てて説明する、モラハラっぽい発言があれば指摘する、を繰り返している。もちろん必要があれば身内だろうが法的措置とかあらゆるシミュレーションを想定してるよ。だから意志が弱くて黙っていると言うより、相手対立意見を持つ自由を認めている感じに近いかも。むしろ穏やかで硬い反抗。

泣き寝入りするなって言うの、辛かったでしょうね…わたしの家庭はまだ世間体を気にするとか、善性の果てに子供に圧を押し付けるっていう感じだったから、まだ工夫のしがいがあるなって判断したけど、暴力とか身内からレイプとか、話が通じない家庭があるのも知っている。

じぶんはわたしが多少嫌だなと思う感情よりも、親が金と時間をかけて自分を優先し、育ててくれた苦労を無碍にすることは、巡り巡って自らの存在否定意味すると思ったので、世間毒親ロジックは当てはまらないと感じただけだね。

それに家族以外の人間関係は血縁法律などの結束がないせいか責任がないゆえに親や親戚より頼りになったこと、一度もなかったし………

なのにどうして、他人の血縁や、生まれてきたバックグラウンドに対して全否定から入れるんだろう、って思ったんだよね。個人のつらさがどんなに深刻で、どんなに親の発言が嫌と言おうが、その親からまれたことは転生でもしない限り変えられないのに、変えられないことを憎むのってめちゃくちゃしんどいし、非効率的だなーって思っちゃった。

多分みんな自身トラウマ投影なんだろうけど、実家暮らしでなんとか生存できているわたし押し付けられるのもなんか困るというか、不思議だし ひとと一緒に暮らしてないとすぐ倒れたりするからかもね……実家でろ論もやってみた結果結構死と同義みたいになっちゃったし

Permalink |記事への反応(0) | 14:29

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-14

選挙ジジイ若者に伝えたいこと

日本共産党はいまだに共産主義標榜しており暴力革命放棄してない!」という批判いか馬鹿げているか

ちょい上の世代をつつくとガチ共産党員がまだご存命でいらっしゃるが、これほど形骸化している悲しい世代はない。

さらにその下の世代、不破時代を生きた今の幹部クラスね、なんだか共産主義ロマンを感じてて、これもどうだかなあと。

結局のところ、日本共産党は今のユルユル左派に落ち着くべくして落ち着いた。

そういう現状をまったく知らないフリをして「立憲共産党!」とか言うんだよね批判する人は。それがどれほど無意味かというね。

共産党!」にアレルギーを持っている人がいると思っているという、これもこれで悲しい世代なんだよねえ。

日本リベラルがない、とはよく言われるのはその通りで、第一自民党がだいぶリベラル寄りで、

幸いにも我々日本戦争もせずに来たわけよね自民党のおかげ様でね。

はっきり言うと、政権運営するという点においては、自民党以外は断然シロウトで、自民党にまかせとけば良いのよ基本は。

これ、俺より上の世代の大半がそんな気分だったと思うよ、昭和平成の長い間。

ところが任せとくと勝手なことやるよなあ。自分のケツも拭かずに何がミソギだっつーのよ。

結果、政策よりも、そういう質の不満の方が溜まって現在に至っているというね。

政策とかさ、見比べたところでさほど変わらないよ。

消費税ゼロにもならないし、原発ゼロにもならないし、在日外国人ゼロにはならない。悲観じゃなくて、妥協ね。

からさ、きちんと自民党文句垂れる人や政党がいいと思うんだな。あんなくだらない呆れることに文句言うのもエネルギー使うだろ。

それをやってもらいましょうということ。

Permalink |記事への反応(1) | 07:51

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-12

#創作BL蔓延する“愛”の名を借りた加害性を考える

1.はじめに

オリジナルBLを書くようになり、創作BL界隈と呼ばれるところに足を踏み入れた。そこで目にした作品の傾向や、それを取り巻く倫理観に強い危機感を覚えたため、ここに記したい。

私はBLというジャンル自体否定するつもりはない。むしろ、多様な愛の形や関係性を描く創作可能性を信じているからこそ、現在の状況に警鐘を鳴らしたいのだ。

2.加害を描くことと美化することの違い

まず明確にしておきたいのは、私は「加害を描くこと」自体問題視しているわけではないということだ。

刑事ドラマ暴行シーンが描かれても、それは暴行肯定にはならない。なぜなら、その行為犯罪として、加害として描かれているからだ。登場人物視聴者も、それが悪いことだと理解している。

問題は、同じような行為が「愛の表現」として美化されてしまうことにある。BLボーイズラブという名前が示すように、このジャンルは「愛」を描くものということが前提にされている。しかし、実際には愛ではない行為が愛として包装されてしまうことで、読者の認識が歪む危険性がある。

例えば、ストーカー行為を「一途な愛」として描く、相手意思無視した性的行為を「愛が抑えられなかった」として描く、といったことだ。これらは現実では明らかに加害行為だが、「愛」の文脈に置かれることで美化されてしまう。

では、どうすればよいのか。加害的な要素を含む関係性を描くとしても、それを以下のような視点で見直すことが重要ではないだろうか:

・加害は加害として認識し、美化しない

・読者が「これは愛ではない」と理解できるような文脈提供する

・適切な注意書きやタグで、問題のある内容であることを明示する

こうした配慮があれば、複雑な人間関係や心の闇を描くことも可能になるかもしれない。重要なのは、「愛だから許される」という論理安易に使わないことだ。

答えは一つではないし、表現方法も多様であるべきだ。しかし、作品社会に与える影響について考えることは、創作者の責任の一部ではないだろうか。

3.問題点:倫理の不在

合意のない関係を"愛"として描く傾向

ヤンデレ攻め」「執着攻め」といった言葉で美化される、合意のない関係性。これらを愛の一種として扱うことには深刻な問題がある。

加害は加害として認識しなければ、人の認知はたやすく歪む。読者も作者も、愛という名の加害をしないために、されないために、合意のない関係は愛ではなく加害だと示さなければならない。

「愛してるから仕方ない」「相手のことを思ってのこと」という論理は、現実加害者がよく使う言い訳と同じ構造を持っている。フィクションであっても、この構造を無批判に美化することは危険だ。

愛という名の支配を、愛として終わらせない描き方もあるのではないだろうか。

未成年を性対象として扱うことの問題

「年の差BL」と名付けたところで、未成年を性対象とするのは搾取であり加害である。そのことに無自覚であるのは、社会構成員として未熟であると言わざるを得ない。

例えフィクションであっても、未成年性的搾取肯定してはいけない。作品内で加害であり搾取だと明示的に示す必要がある。

フィクションから」「実在しないから」という言い訳は、その作品を読む現実人間への影響を軽視している。

年齢差自体否定するのではなく、未成年の時期における搾取構造問題視する姿勢が大切だ。

反社会的勢力を美化する描写蔓延

「かっこいいアウトロー」としてのヤクザ過激性的描写のために用いられる反社会的勢力。これらがBLの名の下に愛の文脈に組み込まれることで、反社会的勢力存在を間接的に肯定することに繋がる。

現実反社会的勢力は、多くの人を苦しめる存在だ。それを恋愛舞台装置として消費することの問題を、作者も読者も自覚すべきである

現実反社会的勢力がどのようなものであるかを調べ、「危なくてかっこいい」だけで終わらせない描き方を模索することも可能ではないだろうか。

兄弟家族間での恋愛関係の歪みと無批判な消費

兄弟BL」にも深刻な問題が潜んでいる。

家庭内権力差を利用した支配という形になりやすいことに加え、兄弟距離感や支え合いという要素が、健全人間関係の中で描かれるのではなく、「恋愛」「性的関係」によって"昇華"されるという描写が多い。

これは「愛=性的でなければ完成しない」「人間関係価値性的関係によって最大化される」という、非常に歪んだメッセージ流通させている。

読者も作者も、「でも兄弟って元から距離近いし……」「他人より理解あるし……」みたいな家族ならではの絆を都合よくロマンチックに換算してしまっている。

これは現実の加害構造(例:近親間の性的虐待)でもよく使われる「お互い理解があった」という"言い訳構造"と同じものだ。無自覚に"現実の加害の語り口"を踏襲してしまっているという恐ろしさがそこにはある。

もし家族の絆を描きたいのであれば、それを恋愛性的関係昇華させる以外の方法もあるのではないだろうか。深い信頼関係無償の愛、互いを思いやる気持ちは、恋愛関係でなくても十分に描けるはずだ。「愛=性愛」という固定観念から自由になることで、より豊かな人間関係描写可能になるかもしれない。

もし家族の歪みを描きたいのであれば、より慎重になる必要があるだろう。決して愛ではないことを明示し、望んだ人のみが読めるような配慮がいるのではないだろうか。

4.SNS構造が生む倫理の軽視

拡散のために倫理犠牲にする構造

SNSにおいては、扇情的過激な内容ほど注目を集めやすい。フォロワー数や「いいね」の数が創作者の承認欲求を満たす指標となる中で、倫理的な配慮よりも話題性が優先される傾向がある。

タグ文化機能不全

本来であれば、問題のある内容には適切な注意書きやタグをつけることで、それを見たくない人を守ることができるはずだ。しか現実には、タグ形骸化していたり、そもそも問題意識がないためにタグがつけられていなかったりする。

過激表現競争

もっと刺激的に」「もっと話題になるように」という競争の中で、倫理的な境界線がどんどん後退している。「BL過激であって当たり前」という風潮が形成されていくのは危うい。

5.私はBL否定しているわけではない

BL自体が悪いのではない。問われるべきは、それを創作・発信する人々の倫理意識だ。

#創作BLタグが加害の美化や反社会的価値観の拡散に使われてしまうのは、本来BL価値貶めることでもある。

6.作品を発表する場とその影響への自覚

SNSにおいては、扇情的表現前後文脈から切り離されて拡散されることもある。自分は気を付けていると思っていても、想定外の読者に想定外の影響を与えてしま可能性がある。

創作者には、自分作品社会に与える影響について、より慎重に考える責任がある。

7.おわりに

私はSNSでの創作発信から距離を置く決断をした。フォロワー数や反応の数に一喜一憂し、過激表現に手を出しそうになる自分に気づいたからだ。

しかし、創作を続けたい気持ちは変わらない。創作必要なのはフォロワーではなく、自分の納得と尊厳だと思う。

問題のある作品を無批判に消費し続けることは、その価値観を間接的に肯定することになる。読者も作者も、一人ひとりがもう少し立ち止まって考えてみてほしい。

Permalink |記事への反応(0) | 18:20

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の25件>
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2025 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp