
はてなキーワード:形容詞とは
二次創作してて、人の作品は積極的に感想を言うタイプなんだけど、たまーに難解な小説を書く人がいる。どのジャンルを経験しても1人はいる。そう言う人の作品の感想って本当に難しい。だって何が言いたいのか、何が起きてるのか、本当にわからないから、何がよかったとかが書けない。主語述語形容詞、文章すべてが破綻している。日本語なのに読めない。fgoの文章をペシャンコガチャガチャグチャグチャにしたかんじ。
イヤなら感想なんて書かなきゃいいんだけど、こちらの作品の感想書いてくれたりするので、じゃあこちらも。。とはなるよね。何時間も消費して、「すごく可愛かったです」とかありきたりの感想しか書けない。それが虚しい気持ちになっていた。
上から目線で言ってるけど、難解な小説って本当に珍しいんだよ。
だってさ、
きつね「コンコン」
きつね「デフォルト語尾だコン」
みたいにさ、発言の前に登場人物の名前書くだけでもお話になるし、読める。
初心者文字書きでも、パッションと勢いのままに、かなり面白く読める作品があるんだけどさ、たまに何が起きてるかわからない文章を書く人がいるんだよね。
そう言う人の作品をChatGPT に読ませて、作品を解説してもらうという手法に気がついた。
そうしたら丁寧に、あらすじ、ストーリー、オチ。きちんと読んでくれる。一番いいのは、作者の意図や、何を目玉にしていたかを考えてくれるところだ。
なるほど、ちゃんと伝わるように書けていたなら、その狙いは面白い。ChatGPTの解説を頭に入れたうえで作品を読むことで、難解な文章を補完して読めるようになった。
おかげで楽に作品の感想を伝えられるようになった。その人も普段もらわない具体的な作品の感想があって嬉しそう。みんな幸せになりましたとさ。
「ぶっちゃけ日本のIT技術者のレベルが元々低いだけ」論、読んだけど、雑に日本叩き→雑に海外持ち上げの“気持ちよさ”に全振りしてて、論としては穴だらけだよ。順に潰す。
“発明”って規格?論文?OSS?製品?この区別を曖昧にして「思い浮かばない=ない」をやるのは主観の事実化。
反例を淡々と置く(全部2010年代以降の「世界で通る」技術・成果):
HTTP/3 / QUIC系仕様・QPACKの主要貢献者のひとりは日本人エンジニア(例:Kazuho Oku)。IETFのRFCはまさに“世界標準”。「世界で通用」どころか世界の土台。
Chainer / CuPy(Preferred Networks)は動的計算グラフ系フレームワークの先行例。PyTorch隆盛の流れに技術的影響を与えた。CuPyはいまも広く使われてる。
ソニーのCMOSイメージセンサは世界シェア筆頭。これは“ハード”に見えて、設計・製造・信号処理・ツール群までソフトの塊。スマホのカメラ品質=AI前処理の土台。
日本人が中心メンテに関与した高性能HTTPサーバ(H2O等)はCDNや低レイテンシ配信に採用例多数。
産業用ロボット(FANUC、安川)周辺の制御・通信・ツールチェーンは世界の現場で常用。表に出にくいB2B領域は“見えないだけ”。
「LINEが~」みたいなB2Cの派手さだけが“発明”じゃない。基盤を握るのは地味仕事。あなたが気づかない=存在しない、ではない。
Winny/一太郎/CD-ROM/MIDIを“国民的知名度”で持ち上げて、以後は「思い浮かばない」って、知名度=技術力の誤用。
2000年代以降、ITは不可視化(クラウド、プロトコル、ライブラリ、半導体、サプライチェーン)へシフト。見えないところほど難しくなった。派手なガジェットが減ったからレベル低下、ではない。
問題領域で言語は変える。Webは「5歳児でも」動かせる?今のWebは、
CD/CI、IaC、K8s、SRE、ゼロトラスト、分散トレーシング、暗号化、フロントの再レンダリング戦略……
これらを運用で落とさないのが本番。Cが偉い/Webが軽い、は90年代の教養で止まってる。
起業に国の試験?それ、フィルタにはなるけどイノベーションの十分条件じゃない。
トップダウンは国家プロジェクトやインフラ敷設には強い。しかし、
分野で強弱は揺れる。制度の一軸で「勝ち負け」を断ずるのは幼い。
それ、犯罪としてのサイバー強盗の話でしょ。規制準拠の金融基盤と国ぐるみのハッキングを同じ土俵で比べるのは、
「百メートル走で銃使えば最速」って言ってるのと同じ。比較の土俵設定から破綻。
日本のITが伸び悩んだ要因は複合要因:内需の構造、調達・多重下請け、英語コミュニケーション、ストック報酬の弱さ、エクイティ文化、大学と産業の距離、IPO市場の質、人口動態、為替…
これを全部「技術者のレベル低い」で片付けると、説明力を失う。制度と資本設計の問題は制度と資本で解くのが筋。
「勝ってる」を“B2Cでバズるアプリ”だけに限定するから見落とす。
最後に一個だけ。
結論から言うと、「エッフェントリッヒゲハイムニス」というカナ表記はおすすめできません。ズレが3点あります(綴り/語形・発音・慣用表現)。
エーフェントリヒ・ゲハイムニス(öffentlich Geheimnis)
※無変化で置かれているため-es は付けません。
エーフェントリヒェス・ゲハイムニス(öffentliches Geheimnis)
オッフェンバーレス・ゲハイムニス(offenbares Geheimnis)
あるいはダス・オッフェネ・ゲハイムニス(das offene Geheimnis)。
要するに、その本がどの独語表現を想定しているかで最適な表記は変わりますが、「エッフェントリッヒゲハイムニス」は標準的な読みに照らすと適切とは言いにくいです。
進法や引数の《選択》は主観によるのは仰る通りです。それはそのかたも言っていて、自分も10進法は指の本数と同じで都合が良いからと認めています。
でも、片手で数を数える時は10進法的に指を曲げて数えるよりも、2進法を使えば折る指の形に重複がなく片手で31まで数えられるよ、と実演して見せて、進法の選択は自分の都合(主観)だけど数えてる数字は変わらず客観的でしょ、と説明しても、その方は理解を出来ていないようでした。
そのかたはメートルやフィートやインチなど単位が変わると計測可能な長さも変わると認識されていたので、単位の変換(置換)が出来ない、つまり、ありがとうとThankYou(ママと母)が同じであるという例も踏まえて、抽象的な思考が出来ない人なんだと自分は判断しました。
自身で分数の徐算が出来ないと言っていましたので、恐らく1/2を0.5とか50%とか変換もできないのだろうと自分は予想しました。
自分もゴリゴリの理系ではありませんが、ifとThenの間に無限の可能性がある、と書かれるよりもx(y)の方がわかりやすいと思うタイプなので、純粋理系じゃないからこそショックでした。
例えば、万葉仮名がありますよね。あれは漢字の意味じゃなく漢字の発音と形だけを借用して日本語を表現してる文章ですが、【あ=安/阿/亜】など同じ音でも違う漢字である場合があります。
今我々が使っている日本語も、名詞や形容詞には《お》を使いますが、助詞には《を》を使いますよね。厳密にはOとWoで発音が違いますが、現代人の我々は発音を区別せずに、しかし役割は違うものとして運用しています。
進法やメートルも同じで、無限に代替可能だけど約束(定義)があるから前提知識が必要で難しくても頑張れば今の人でも読めるもので、夜露死苦なんてのも、その応用で、万葉仮名の漢字は主観(環境依存)の選択だけど、万葉仮名の法則は客観的なんだよ、と説明してもわかってもらえませんでした。
仮に「腹が立つ」がokだと、次は「鶴」とか「杖」とかじゃなく「疲れたから風呂に入る」「るんるんな日」とか文章になって無限に展開が可能だから、しりとりは東京に限らず一般的に名詞に限定だと思うのだけど。
動詞や形容詞まで許容すると「は」だったら「働く」「働かない」「働きたくない」「働ける」と活用だけで複数回も答えられてしまうからゲームにならないよ。
話は変わるけど、「ん」で負けのしりとりだけど、ファミコンのゲームにアフリカ系の名前で「んじょも」というキャラがいて、ファミコン世代でしりとりをすると、これが許されるのか議論になる。
https://dic.nicovideo.jp/t/a/%E3%82%93%E3%81%98%E3%82%87%E3%82%82
「全然違わない話すぎるな」という日本語には、いくつかの不自然な点があります。以下に具体的に指摘します:
「全然違わない」の使い方:
「全然」は通常、否定形と組み合わせて「まったく~ない」という意味で使われます(例:全然わからない)。しかし、「違わない」はすでに否定形を含んでいるため、「全然違わない」は「まったく違わない」という意味になり、強調された否定表現としては正しいのですが、文脈によっては冗長に感じられる場合があります。
この場合、「全然違わない話」は「まったく違わない話」、つまり「完全に一致する話」や「同じ話」と解釈できますが、話し言葉としてはやや不自然に聞こえることがあります。もっと自然な表現としては「全然違う話じゃない」や「完全に同じ話」などが考えられます。
「すぎる」は通常、形容詞や動詞に付いて「~しすぎる」という意味を表します(例:大きすぎる、食べすぎる)。しかし、「話」は名詞であり、名詞に直接「すぎる」を付けるのは文法的におかしいです。
「話すぎる」は「話が多すぎる」や「話しすぎる」のような意味を意図している可能性がありますが、どちらにしても「話すぎる」という形は不自然です。「話が多すぎるな」や「似すぎてる話だな」など、意図に応じて別の表現にするべきです。
この文は、恐らく「全然違う話じゃない、めっちゃ似てるね!」のようなニュアンスを伝えたいのかもしれません。しかし、「全然違わない話すぎるな」はその意図が曖昧で、聞き手にとって何を強調したいのかわかりにくいです。
たとえば、「全然違う話じゃない、超似てるな!」や「完全に同じ話じゃん!」のように、意図を明確にすると自然になります。
修正例
以下のように言い換えると、より自然でわかりやすい日本語になります:
「完全に同じ話じゃん!」
「似すぎてる話だな!」
「全然違わない話すぎるな」は、「全然違わない」の冗長さと「話すぎる」の文法的な誤りが主な問題です。意図を明確にし、文法的に正しい表現に直すと、より自然な日本語になります。文脈や話し手の意図に応じて、適切な言い回しを選ぶとよいでしょう。
分からなくもない。
「寂しい」の感情、とカッコ付きであれば文法的に違和感は減らせるが、一般的には、名詞形にして寂しさと書くだけで伝わる。
感情という分類を強調したいなら、寂しさという感情、あるいは、寂しい感情、とすればいいところを、寂しいという形容詞に直接「の」をつなげてしまうのは意図的だろうか。
わざと型破りで幼稚な表現をしようとする若者言葉っぽさを狙っているのだろうか。
その割には寂寥感のような難しい名詞表現もしているので、キャラづけとしてもブレていて本当に不可解で不気味に感じる。
こうした文章表現が、上の増田にとっては「頭の悪さ」を感じさせる一因になっている可能性がある。
なお自分はその冒頭6文字で読むのをやめたので、それ以降のタイトルや本文にある他の「頭悪い」要因については触れられないことをお断りしておく。
まじで、こういう人いるんだな、と思ったのは、うちの会社のK先輩のことだ。
K先輩は私より年下だ。たしか、3歳下だったかな。でも、見た目も言動も、どう見ても私より年上に見える。っていうか、下手したら10個くらい上に余裕で見える時がある。だから、私たちは陰で「歳下ババア」って呼んでる。ひどいと思うかもしれないけど、なんかもうそういう形容詞がぴったりなんだよ。
例えば、朝のコーヒー。絶対マグカップじゃなくて湯飲みなんだよね。しかも、なんか柄がおばあちゃんちにあるようなやつ。デスクの上も、書類はピシッと重ねてあるんだけど、横に置いてあるお菓子がやたら渋い。黒糖かりんとうとか、大福とか。若い子が食べてるキラキラしたお菓子じゃないんだよ。
仕事の進め方も、妙に丁寧で石橋を叩いて渡るタイプ。そりゃ丁寧なのはいいことなんだけど、たまに「それって今そんなにじっくり考えること?」みたいな時があって、もうちょっとスピード感出せばいいのに、と思う。こっちが「これどうしましょう?」って聞くと、「うーん、これはねぇ、昔こういうことがあってねぇ…」みたいな感じで、謎の武勇伝(?)とか、過去の事例を延々と語り出す。それ、私が生まれる前の話じゃないですかね、先輩?って心の中でツッコミ入れてる。
飲み会の幹事とかやらせると、もう完璧主義炸裂で、お店選びから予約、当日の仕切りまで、無駄なくそつなくこなす。それはすごいなと思うんだけど、二次会のカラオケとか行っても、最近の曲全然知らないの。十八番が山口百恵とか河合奈保子とかでさ。いや、私も別にめちゃくちゃ詳しいわけじゃないけど、さすがにジェネレーションギャップ感じちゃう。
でもね。
なんだかんだ言って、仕事はできるんだよ、これが。地味なんだけど、ミスがない。細かいところに気づく。あと、誰に対しても態度を変えないというか、偉い人にもペコペコしないし、かといって新人にも上から目線じゃない。淡々としてるんだけど、なんか信頼できる。
私がうっかりミスした時も、「ドンマイ!次気をつけようね」みたいな軽い感じじゃなくて、「あー、これはね、ここをこうすれば防げたよ。次はこうしてみよう」って、冷静に、でもちゃんと改善策を具体的に教えてくれる。それが、なんか年上の頼れる上司みたいなんだよね。
最初は「なんだこの妙に落ち着いてる年下は…」って思ってたけど、一緒に仕事してると、ああ、この落ち着きとか、慎重さとか、経験に裏打ちされた物言い(経験って言ってもそんなに年上じゃないはずなんだけど)が、この人の強みなんだなって思うようになった。
「ババア」って呼んでるけど、それは多分、彼女の持つ年齢不詳の落ち着きとか、妙な貫禄に対する、こっちの照れ隠しみたいなもんなのかな、って最近は思う。
名詞:感情が圧縮された一瞬の衝突。例:「彼の一言にはソンパクトがあった。」
形容詞:混沌としているが美的秩序が感じられるさま。例:「あのコード、クルフィドで好き。」
動詞:バラバラな要素を即興で一貫性ある構造にまとめる行為。例:「プレゼン前にアイデアをリグネートした。」
名詞:無意識の動作パターンを可視化した図または構造。例:「日常行動のチョレオグラムを分析すると癖が見える。」