
はてなキーワード:当然の帰結とは
だから男を嫌う感情(ミサンドリー)が混ざるのは、むしろ必然なんだよ。
「敵を嫌う」って、普通のことだろ?
それと同じ。
いや、あれこそが“本来の形”なんだよ。
あれも矛盾してないんだよ。
なぜなら、あの主張の根本は“女を守る”ことにしか興味がないから。
“男の権利”なんてどうでもいいんだ。
もう理解が甘い。
敵を間違えてるのはお前だ。
それを「でもフェミはミサンドリーじゃない!」とか必死に擁護する弱者男性、
マジで滑稽すぎる。
現実見ような。
寝言は寝て言え。
ここまで受けた指導も強メンタルの糧であり恨みに思う事もないんだが。
俺に対する扱いを学校全体や職場全員で受け入れ継続してきた、ということはそのまま、
「それが継承すべき歴史と伝統である」「後輩に対して施すべき当然の指導である」
と認めたのと同じことになるわけだ。
だから当然の帰結として、行う指導とはその本人が受けてきたものと同等となる。
それをパワハラというのなら、自分たちのしてきた事は無視して俺のすることだけ否定するのなら、こいつはどうせ逆らわないからと好き勝手するのなら、すなわち。
お前らが俺にしてきたこと全てがーーパワハラ、って事になるんだが?
それはさすがに認められないよなあ?
家、学校、職場それぞれの「教育的責任」というババの押し付け合い。単にそのババ抜きで負けただけの人に、すべてのパワハラの責を負わせるのは間違っているよなあ?
何しろ俺はお前らから受けた態度をそのまま下に返しているだけなんだから。
もしも俺が「態度が誤りだった」と謝罪されたなら、俺も十数年後に新卒に「態度が誤りだった」と謝罪してやろうか。
先輩には倣わないとなあ。
もっと言うとトランスジェンダー活動家の言う通りに進めてきたせいで、
これからは見た目に関して女に見えないと女として扱われないってこと。
戸籍を見せられても、それが身体的に女であることを保証しないし、性器のチェックなんて人権侵害で裁判になるから出来るわけない、見た目しかその人が女であるかどうか判断する手掛かりがないならそうなるの当たり前だよね。
ってルッキズムの強化。なにこれリベラル思想がいつも悪だと言ってる奴じゃんね。
そして当然の帰結として純女であろうと見た目男っぽかったら女専用のスペースに入れないことが起こりうる。
じゃあどうやって対策する?
純女でボーイッシュな服が好きでも、スカート履いて化粧して、女として認識されるように常に努力してないとトイレにも行けない。
ってリベラルが常々「男でもスカート履いて良いし、女も女らしいカッコしなくていい」ってなんだったの?
バカなの?
もっと言うとトランスジェンダー活動家の言う通りに進めてきたせいで、
これからは見た目に関して女に見えないと女として扱われないってこと。
戸籍を見せられても、それが身体的に女であることを保証しないし、性器のチェックなんて人権侵害で裁判になるから出来るわけない、見た目しかその人が女であるかどうか判断する手掛かりがないならそうなるの当たり前だよね。
ってルッキズムの強化。なにこれリベラル思想がいつも悪だと言ってる奴じゃんね。
そして当然の帰結として純女であろうと見た目男っぽかったら女専用のスペースに入れないことが起こりうる。
じゃあどうやって対策する?
純女でボーイッシュな服が好きでも、スカート履いて化粧して、女として認識されるように常に努力してないとトイレにも行けない。
ってリベラルが常々「男でもスカート履いて良いし、女も女らしいカッコしなくていい」ってなんだったの?
バカなの?
あらぬ誤解が発生しつつあるので明記しておきますが、私は京大やレノバを含めた洋上風力業界とは一切関係のない一般人増田です……
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2021年に端を発するためか、そもそも何が起こったのかを知らぬままSNSで騒がれている様子が散見されたので、読みづらくならない範囲でまとめたいと思う。
(三菱商事の社長会見ライブを見ていて、彼らの責任の重さが伝わってこなかったので、書くことを決めた)
洋上風力発電の事業は、基本的に「海域を占有して発電を行う権利」を国が事業者に与える仕組みで進められている。
海は公共財であり、漁業者や航路利用者との調整が不可欠なため、「公募占用制度」と呼ばれる仕組みが導入され、国が事業者を選定する。
流れを単純化すると次のようになる。
つまりこの公募は、一度勝てば1兆円規模の事業権を数十年にわたって独占できる巨大なビジネスチャンスであり、それ以上に今後の洋上風力発電業界を「誰に任せるか」にも影響するという、日本のエネルギー戦略を左右する重大な制度設計である。
その最初の本格的な実施が、2021年12月に行われた「ラウンド1」であった。
このラウンド1は特に注目を集めた。なぜなら、由利本荘(819MW)、能代・三種・男鹿(478MW)、銚子(390MW)という3つの大規模案件を一度に公募という、極めて異例のやり方を取ったからだ。
国の狙いは明快だった。
つまりラウンド1は、単なる民間企業の入札競争ではなく、国家的な産業政策の号砲といえた。
このラウンド1における主人公に"株式会社レノバ"がいるのだが、そもそもその存在を知らない人も多いだろう。
レノバは従業員300人程度の再エネ専業ベンチャーにすぎない。
だが今回の舞台となった地域の1つ、秋田県由利本荘市沖への洋上風力発電事業参入を早期から表明し、2015年から風況観測・地盤調査を始め、2017年以降は環境アセスや漁業者説明会を重ね、さらに2020年にはCOOを常駐させた地元事務所を設置した。
特に2020年のコロナ禍で説明会や対話すら難しい時期も、彼らは現地に足を運び続け、「地元で汗をかいた」という実績がレノバの存在を支える最大の資産となっていた。
漁場などに大きな影響を与えうる洋上風力発電では、通常の公共事業以上に地元との協力体制が実現性を左右するからである。
これら積み重ねに加え、当時の再エネブームやESG投資(Environment, Social, Governance)の追い風を受けて金融筋からも支持を受け、コスモエコパワーや東北電力、JR東日本エネルギー開発との連携につながり、ベンチャーながら由利本荘における“本命候補”と目される素地になった。
しかし、2021年12月に公開された結果は社会に衝撃を与えた。
なんと、三菱商事率いる連合が由利本荘を始めとする3地域すべてを総取りしたのだ。
当時すでに鋼材や資材価格の高騰は誰の目にも明らかで、業界では「12円を切る水準は採算が合わない」という声が多かった。
公募直後の2022年2月からウクライナ進攻が始まったのは運が悪いともいえるが、とはいえ、元々が数十年スパンを見据えた公募である。そのような長期リスクも踏まえて算出された価格であるというのは大前提である。
また、レノバのように事前調査や地元への根回しを十分に行う事もなく、まさに青天霹靂といったダークホース具合だった。
結果として、三菱商事が総取りした事実は、たとえあのまま事業が実現したとしたとしても、制度本来の目的――国内の複数事業者が“並走して”サプライチェーンと人材基盤を育てる――は事実上無に帰した。
特に“実績の少ない市場”の立ち上げ期は、複数の施工・保守プレイヤーが経験曲線を描ける余地が不可欠である。競争の果実を1者に集中させる設計は、調達単価の見かけの最小化と、産業基盤の脆弱化リスクとのトレードオフを過小評価しやすい。
とはいえ、ラウンド1総取りはそのようなリスクも分かったうえで、"あの"三菱商事が総取りを仕掛けたわけで、さすがに何らかの根拠と戦略により、三菱グループという責任を背負って完遂してくれるだろうという淡い期待もあった。
また当然の帰結として、最大6000円超まで伸長していたレノバの株価は、1500円以下まで急落し、3日間で時価総額が1800億円溶けたという報道も流れた。
知っての通り、三菱商事は由利本荘を含む総計1,742MWの3案件(能代・三種・男鹿478MW、銚子390MW)からの撤退と正式表明となった。
こうして大規模洋上浮力発電の2030年運転開始どころか、大幅な遅延が必至となり、三菱商事による根拠不明の焦土作戦の末、国家エネルギー戦略の時間は失われた。
経営判断としてたった数百億で済む現時点での撤退は合理的ではあるが、松下幸之助が説いた「企業は社会の公器である」という理念に照らせば、三菱商事の責任は極めて重大である。
国家戦略の根幹をなす案件を総取りし、他社の芽を摘んだうえで、採算悪化を理由に放り出す。その結果、失われたのは単なる帳簿上の赤字ではない。系統接続枠や港湾整備計画といった公共資源、そして地域住民や漁業者との信頼関係といった“社会的資本”が無為に浪費されたのである。
「三菱なら最後までやり遂げる」という社会的信頼があったからこそ国も地域も委ねた。だがその信頼を踏みにじり、制度全体の信憑性を瓦解させた責任は、一企業の経営判断に矮小化できない。
いま問われるべきは、"三菱"という組織が社会的責任を真に果たす覚悟を持ち得るのか否かという点である。
時を戻して、2023年12月に結果が発表されたラウンド2以前に目を向けよう。
要は、ラウンド1で生じた「安値総取り」と「地域調整軽視」の反省を踏まえた調整だった。
だが同時に、それは元々の制度設計がいかに脆弱で、現実を見通せていなかったかの証左でもある。
併せて、ラウンド2の見直しをめぐり、「負けたレノバのロビイング活動でルールがねじ曲げられた」との論調も当時出た。(まあ、こちらはこちらでかなりの無茶したようだが……)
しかし実際の改定は採点枠組み(120/120)を維持しつつ、総取り防止の落札制限や実現性評価の補正、情報公開やスケジュールの見直し等、市場の立ち上げリスクを減じる方向が中心だ。特定企業の“救済”というより、極端な安値一極集中の副作用に対する制度側のバックストップ強化と整理して良いと思われる。
再エネ議連が毎週、圧力をかけた成果で、5月に入札ルールが変更され、6月に行われる予定だった第2回の入札は来年3月に延期され、審査方法も変更された。野球でいえば、1回の表で負けたチームが審判に文句をつけ、1回の裏から自分が勝てるようにゲームのルールを変えたようなものだ。
http://agora-web.jp/archives/220630094751.html
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/agora-web.jp/archives/220630094751.html
エネルギー素人の池田信夫氏による批判記事と、それに同意するブクマの数々を一例として示すが、三菱商事が自陣の提示した価格の安さで撤退した今となっては笑うしかない。
ここについては2025年視点からの結果論でもあるので、これ以上のコメントは差し控えよう。
ラウンド1の失敗が避けられなくなった結果、この先の洋上風力発電市場、ひいては国家の再エネ政策全体に深刻な影響を残した。
反原発層はここにこそ大声上げるべきだと思うんだけどな。
三菱商事が撤退検討に至ったことで、「三菱ですら無理なら誰がやるのか」という冷笑が広がり、外資や国内他社も日本市場に消極的になった。ラウンド2以降も撤退連鎖が起きる懸念は現実味を帯びている。
本来は「長期的に産業と人材を育てる場」として設計された公募が、逆に「信頼を失わせる負の前例」となってしまった。
安値入札が勝者となったラウンド1に引きずられ、ラウンド2以降も価格面で無理をする形での参入がベースに。市場育成の健全な芽を摘んだ。
ここまで三菱商事への糾弾を重ねてきたわけだが、真に責任を負うべきは、まともな制度設計をできなかったMETI(経済産業省)である。
洋上風力は国家戦略の柱であるはずが、その最初の大規模公募で制度不信を広げ、時間という取り戻せないコストが支払われる結果となった。
必要なのは、第三者機関を交えたラウンド1の反省と、現実を直視した制度設計を国が改めて示すことであると考える。
https://www.econ.kyoto-u.ac.jp/renewable_energy/stage2/contents/column0284.html
ラウンド1当時の批判については、京都大学大学院経済学研究科の講座コラムとして詳細に論じてあるため、興味がある方は是非目を通していただきたい。
Permalink |記事への反応(30) | 18:58
まず女に日常的に見ず知らずの素人男性にエロいパーツだけで欲情して性加害する男と同じ性欲メカニズムがない限り「レイプ被害者が羨ましい、童貞より上」は成立しない
そもそも女で「いじめ被害なんかレイプ被害に比べたらノーダメ、大袈裟に騒ぐな」と口を塞ごうとするものは居ない
酷かった。酷いのは知っていたけど、予想以上に酷かった。
あまりに酷くて本アカで書く気がせず、今回ははてな匿名ダイアリー。
ディーラーでの見た目品質の高さで騙し、ライバルを圧倒する値引で釣れる人「だけ」が買うクルマ。
客を舐めてるとしか思えない。
こんな「ゴミ」をハッキリと指摘しない自動車ジャーナリズムにも深い闇を感じる。
どこがどうダメなのか、
乗り込む。
見た目品質はなかなか高い。
オッって思わせる目新しさは確かにある。
シート高さ合わせる。
チルト/テレスコを合わせる。
走り出す。
ウィンカー出す。
まさかウィンカー表示ないの?
あっ、表示出てる。
ハンドルの裏に隠れてる。
その中で実際の液晶面積は半分以下。
後はただの黒い艶あり面。
申し訳程度に警告灯を配置。
こんなん、気付けば誰だって思うわ
「騙された」
向きと角度によっては、太陽光が反射してドライバーの目に入る。
眩しい(努怒怒怒
みっともないが、安全には代えられない。
これにくらべりゃ指紋が残るとか、ブラインドタッチしにくいんなんて
3,ADAS
長周期ながら、絶えず右か左にハンドル切ってる状況。
要するに真っ直ぐ走らない。
だが、真にイラついたのはココでは無い。
握ってるのを証明するのに、ステアリングに僅かにトルクを掛ける。
だがセレナ
トルク掛けても警報キャンセルされず、最後は車体が揺れるまでハンドル揺すり
1回だけ、ハンドルを明確に左右に振っても警報キャンセルされず
逆に危ないわ。
だから言われるのです。
「言っちゃえ」日産。
4,CVT
それでも、頑なに回転数を上げるのを拒むCVT
じわじわと離れる前走車。
唐突に上がる回転数。
ブォォォォン。
加速しすぎて詰まる車間距離。
慌ててアクセルを戻す。
どんどん近づく前走車。
「適度に」エンジンブレーキ掛けようとか
そういう発想無いわけ?
CVTならではの悪癖ながら、どっちも他メーカーはとうに克服している現象。
日産は、未だに克服できてないんですねぇ。
5,シートポジション
なんか、左足がやたら狭くて窮屈だぞ。
どうしてこんなコトに?
で、気付くのですよ。
先代セレナに乗った時、シートの中心とハンドルの中心が5cm近くズレてて
さすがに評判が悪かったらしく、現行型では矯正したい。
でもプラットフォーム改修する金が無く、ハンドル位置は動かせない。
その場しのぎにシートだけ中心側に寄せた結果
左側足元が異常に窮屈になった訳ね。
ふーん。
まー、ハンドル中心が5cmズレてるよりはマシか
6,シート
途中、腰が痛くなってくるクソシート。
腰部のサポートが甘い。
というか、無い。
このシート、ショールームでのフカフカ感しか想定してないのか?
一体何年前の日本車の発想?
やるべきことあるんじゃないの?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
最後、1つだけ褒めるところ。
それは燃費。
酷暑の中、フル積載の7名乗車。
走らないで空調室として使うケースもあったなかで11.5km/L
純ガソリンのモーター無で、これはソコソコ優秀と言えるんではないですかねぇ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
みたいな擁護する人も見るが、現場の開発力もかなり落ちてるという印象。
「もう手遅れ」というのが、今回のレンタカーで感じた
正直、自分としては「ざまぁみろ」という感情がどうしても拭えない。
もし腐女子を自認し、かつ炎上を起こしたくないとか、何が問題なのかわからないけど理解したい、という気持ちでこの記事が目に留まった方がいるなら嬉しい。
こちらも可能な範囲で言葉を尽くすので、「腐女子の功罪」について共に今後も考えて欲しい。
もちろん、腐女子でない人…男性とか、非オタとか、自分みたいな女オタクだけど腐女子とは(物理的にも)距離を置いてる、って人にも一考してもらえる機会になるなら幸いだ。
0.著者は何者だ?
自分は世紀末〜平成を生きた女オタクであり、いわゆる「男女カプ」や「世界観」「物語構成の美しさやテーマの描写」に重きを置く、考察厨、世界観厨と呼ばれてきた人種だ。
世紀末のアニメや漫画はキッズ向けであろうと平気で世界が滅んで主人公も死んだ。
続編のために主人公が生き返り、感動を台無しにされたこともあった。
このため「設定やキャラクター感情の辻褄が合っているかどうか」はかなり上位に食い込む判断基準であり、「好きなキャラクターではあるが生き返った(台無しにされた)からこのコンテンツはクソ」が共存し、作者への愛憎を募らせることも珍しくない。
ライブ感優位の物語が摂取できるようになったのは、かなり年齢を重ねてからだ。
時代と共に定義が揺らいだり移り変わることもあるが、ここでは平成初期〜中期の認識を元に「男同士を(公式/非公式問わず)カップリングさせ、恋愛やエッチなことをさせたいと思う女性」とする。
確か「腐女子」という言葉が生まれたのは2000年以降であり、それまでこの属性の人々の呼称が安定しなかった記憶がある。
自分はテニプリの個人ファンサイトで初めてこの呼称を知ったので、インターネットの普及もあってこの頃が「腐女子」という言葉の黎明期だったのではないか?と見ている。
ボーイズラブ(BL)、というジャンル名が普及したのは更にその後だ。
公式コミックだと思って購入したマンガが18禁シーン入りアンソロジーだったからですけど?
人間関係を拗らせていた筆者は「男の肉体(性欲)は汚い」という認識があった上に、「公式で恋愛関係、結婚関係のあるパートナー女性がいるのになんで浮気みたいなことを平気でやってんだコイツらは?」という設定至上主義が組み合わさり【腐女子氏ね】に速攻で傾いた。
とはいえ、当時数少ない仲の良かったクラスメイトがまさにデビューしたての同人作家腐女子だったため色々もどかしかった。
3.腐女子って変化してんの?
平成の30年間だけでも初期〜中期〜後期とかなりの移り変わりがあった。
また、生まれる前にその手の話題で盛り上がっていたキャプ翼、聖闘士星矢などが晴海の同人即売会でやり取りされてた時代を知っている「腐女子という言葉が生まれる前から活動していた女オタク」とも知り合いだったため、昨今の若い腐女子よりは『腐女子と呼ばれる人々の生態と歴史』は知ってる方だと思う。
で、その視点からすると昨今の「腐女子」という言葉は「オタク」同様、命名初期よりも一般化に浸透し、良くも悪くも多様性が生まれたと思う。
腐女子を名乗っている人を見ると身構えてしまうし、炎上している腐女子を見ると胸のすく思いがする。
だが、現在の親しくしている友人にも腐女子はいるし、彼女たちの研ぎ澄まされた語彙力からしか生まれないパワーワードは「腐女子がイヤ」という嫌悪感を軽く吹き飛ばしてしまう。
そして昨今、「腐男子」という言葉が生まれてかなり見方が変わった。
男性ながら家事や服飾を好む「オトメン」や、女性的な身なりを誇る「オネェ(オカマ、ニューハーフ)」といった存在を経て、こんなにもカジュアルに「同性愛的な楽しみ方が好き」と言える男性が世に出てこられたのは「オタク=犯罪者予備軍」と言われていた時代から考えたらとんでもなく素晴らしいことなのだ。
自分の好きではない属性だが、男優位と言われてきた社会から飛び出した女性の表現力が、巡り巡ってマイノリティ男性を救う連鎖を生み出している。
教室の隅っこで落書きをする事でしか満たされなかった小学生女児の魂が、なんとなく救われた気がした。
彼らのような人たちが心地よく受け入れられる社会になっているのなら、自分のようなオタクにだって居場所はあるのだと。
前述の通り「腐女子」は、その言葉の持つ意味や人々の属性がすっっっっっごく混沌としていて、この言葉自体が割と取り扱って注意となっている。
どうしても個人的な腐女子論を語る上で外せない概念なので、脇道にそれるが言及しておきたい。
ある。
というか、「腐女子」という言葉が生まれてから、そこをもじったように生み出された概念が「夢女子」だ。
少なくともこれらの言葉の発生には3〜5年のタイムラグがある。(それは絶対に違う、と仰られる有識者がいたら当時通っていた個人サイトのジャンル変容を添えて教えて欲しい)
わかる、めっちゃわかる。
だが平成終盤以降のインターネットではたまーに「腐女子って呼び方をやめよう!!」みたいな声かけが発生するが、それがうまく行った様子はない。
当然である。
それまで「女オタクなんて存在するわけないだろ(vs即売会見ろや)」というムードだった平成初期〜中期に「女オタクは!!!!!いまーす!!!!!!!」と認知させたのが『腐女子』という言葉の力であり、女オタク達がこぞって名乗り始めた理由なのだ。
引きこもりという言葉が生まれて、苦しむ若者を受け入れる社会になったように。
『腐女子』という言葉の発明は、存在を透明化されてきた歴戦の女オタク達にとってむちゃくちゃ存在感のあるパワーワードだったのだ。
腐女子を名乗れば、強くなれる!
自分は腐女子が苦手だったが、腐女子を名乗りたがる女オタク達の気持ちは痛いほど理解できた。
平成初期、まだ昭和の価値観は色濃く「女は男に従うものであり、勝つ事などありえない。オタクでも男の方が偉いのであり、女はその格下。というか、そもそもいるわけがないっしょw」というのが漠然と蔓延っていたのがオタク世界のインターネット黎明期であり、2ちゃんねるの「俺」文化の背景であり、オタクのオフ会に参加する時の覚悟であったのだ。
そもそも「PCという高額商品とインターネットに月額課金」という特殊な環境を整えられたのはプログラマーなど、ごく一部のIT知識と金銭の整った富豪しかいなかった。
人数的には30人に1人いるか居ないか程度だったんじゃなかろうか?
そんな時代にオフ会をすれば男5:女1みたいなのはザラにあったし、女オタク同士で集まる流れになると1:1になるジャンルとかもあって両極端だった。
(参加した事ないけど一緒にtalk!時代のガンパレ辺りの女性ユーザー認知の火力は凄かったと記憶している)
ついでに、当時のオタクは男女問わず大変拗らせていたので「オタクという属性にしかアイデンティティがない陰キャ男子」のマウントが取れる相手というのが「自分達男オタクよりも少なくて力も弱い女オタク」だったというのは背景分析として間違っていないと思う。
上澄はとことん品位があったものの、底辺はマジで救いようがなかった。
中間層という存在がすっぽ抜けていたのを、更に加速させたのが2ちゃんねる黄金時代のインターネッツだ。
こういう世界で「女」という属性を見せるのは女性器を晒したかのごとく好機の的にされた。
下ネタで絡まれ、マウントを取られ、嘲笑を浴びるのが「女オタク」のポジションであり、彼女たちが個人サイトに引きこもっても男たちはそれを匿名掲示板に貼り付けて、笑いものにしながら荒らし行為を繰り返した。
ポイピクなどで見られる「パスワード」機能は、当時の女オタクたちが心無い男オタク達から身を守るために必要とした防衛機能の名残である。
誰かと繋がりたい。
でも、イタズラに傷付けてくるような人に近寄られたくない。
当時、「女オタク」というだけで様々なセクハラや人権無視の扱いをされてきた彼女達にとって『腐女子』という忌み名は魔除け効果を持つとても心強い言葉だったのだ。
ただイラストを描いただけなのに。
ただ感想を書いただけなのに。
女という要素が少しでも嗅ぎ取られれば、匿名掲示板で集まってきた男達が下ネタや嫌がらせのコメントを、ありとあらゆる手段で繰り返してくる。
ブロックしても無限湧きしてくる捨て垢で、毎日何十件と粘着され続けてきたらそりゃ心も荒む。
「そりゃ腐ってるんだから当然だろ?
わざわざ書いてやってるんだから腐ってる女に寄って来んなよw
あ、文字読めねぇのかwwww」
こうやって彼女たちは心と尊厳を守るために「"腐"女子」という一見不名誉なアイデンティティを鎧に選び、下ネタセクハラ男達を彼らの嫌う男陵辱ハードプレイ下ネタで遠退けたのだ。
というか、この『腐女子』という言葉のインパクトと浸透力は当時かなり目覚ましいものがあった。
それまで「えーと、ほら、男同士の関係が好きな女の人…」みたいな感じで、どう呼べば良いのか、そもそもその趣味嗜好についてどう触れたら良いのか、良識あるオタクですらかなーり扱いには迷っていた。
そこに「はいはい!私は腐女子です!男同士のエッチな絡みが大好きです!」と聞いてもいないのに名乗ってくるコミュ障が大多数突撃してきたので、やんわり〜厳しく注意する人間もいれば、同担拒否よろしく締め出したり、まぁ同じ土俵に上がって焼け野原になったり、それはそれでまぁまぁ問題にはなった。
同時期に、インターネットの敷居が下がり「女オタク=腐女子」と勘違いした一般層がかなり生まれてしまったのも痛かった。
ちなみに筆者も、実の父親や仲の良い男子に「腐女子なんでしょ?」とナチュラルに勘違いされたので猛烈に反発してブチ切れたことがある。
女児向けコンテンツの男キャラってのは「王子様」でなきゃいけない。
多少は本命の女の子にいじわるしても、危機があれば命をかけて救いに行き、言葉にならない女の子の苦悩を解決し、最後にはキスをして救済してくれる…
これが平成初期女児向けコンテンツのスタンダードであり、多少女主人公が死んだりしてもそこら辺の「相手役」の王子様力は落とさなかった。
筆者はこういった女児向けコンテンツ出身で、男女の恋愛というのは子を残す(続編の予知)も含めて当然の帰結だろうと思っていた。
ディズニー黄金期のリトル・マーメイド、美女と野獣、アラジンの3コンボと派生作品を喰らってたので、「子を残す必要性」というのを続編への前振りとして考えていたし、ウテナはウテナで後になって振り返ってなるほどねと思っていたし、現在も男女カップリングからの子世代妄想や作者の性癖推測とかやるし、オリジナル子供キャラとかめっちゃ捏造して遊んでた。
そういう人間にとって「男同士の恋愛関係」は子世代の存在を否定するものであり、何なら男キャラに恋している女性キャラクターや女性読者との関係を否定するものであり、公式の男女関係への崇拝が強固であればあるほど「腐女子は原作の敵」に見えてしまうのである。
そこで反発して生まれたのが『夢女子』という言葉であったと、筆者は認識している。
それが省略されて夢。
男子キャラと擬似的な恋愛を楽しめる…ユーザー名に自分の名前を入れ、あだ名も呼んでくれて…といったときメモのような遊びが、インターネットとホームページ制作ツールの進化によって可能になった。
それがケータイの普及によって更に手軽に実現可能となり、好きなジャンプキャラやゲームキャラとの疑似恋愛を楽しむ女オタクがじわじわとケータイサイトを中心に姿を現し始めた。
同人誌を作って即売会に参加するほどではないが、自分の恋心をイケメンに受け止めて欲しいと思うお姫様系女児から進化したオタクが、テニプリなどの社会現象と共に広まったのが『夢女子』の発端だったと記憶している。
しかもこの自称は「私は"腐"女子なんかじゃありません!」という攻撃性を含んでいる物もあった。
筆者が当時、強めのアンチ腐女子だったというのもあるが「腐女子呼ばわりされてムカつく!」というお姫様系女子は間違いなく存在した。
そりゃ乙女ゲーに出てくる男子を他の男とくっつけたらコンセプト全否定なんだから当然である。
かくして一部の夢女子は、我が愛しのイケメンをメス堕ちさせた憎たらしい敵として腐女子を嫌っていた。
ちなみにこの手のお姫様精神の人が拗らせたまま歳を重ねると、ツイフェミと呼ばれるようになるっぽい。
これはもう、個々の相性やポリシーからケースバイケースとしか言いようがない。
しかも夢女子は腐女子ほど定義が強固ではなく「ドリーム小説を楽しんでいた女オタク」というふわっとしたものである。
夢小説を作った人間はたまに但し書きに「男の子の名前を入れないでください」とか書いてたくらいには何かあったんだろうなと思う。
ちなみに自分は、夢小説はまったく通っておらず子世代妄想や公式カプ小説といった「筆者の存在しない自前の二次創作」を楽しんでいた。
「推し」が居なくてもコンテンツを楽しめるタイプなので、昨今の「推し」ありきの流れにはちょっと乗り切れていないオタクである。
で、その視点から見ていて夢女子も腐女子も「推しキャラ」という存在にめっちゃ入れ込むタイプのオタクという点では似てるよなぁと感じている。
たまに「推しキャラを好きな自分の方が、公式より偉いと思ってるんだろうな」と感じる人もいる。
キモいと感じる心を否定する気は無いし、でも疑似恋愛や愛玩感情などは多くの人間に備わってるものなので、否定しても意味ないかなとは思う。
思うのは仕方ないし、内心の自由だし。
ただ個人的には、BLだろうと18禁要素や肌色多めのコンテンツが年齢制限なしに買えてしまう状態はどうかなと思っている。
正直、自分としては「ざまぁみろ」という感情がどうしても拭えない。
もし腐女子を自認し、かつ炎上を起こしたくないとか、何が問題なのかわからないけど理解したい、という気持ちでこの記事が目に留まった方がいるなら嬉しい。
こちらも可能な範囲で言葉を尽くすので、「腐女子の功罪」について共に今後も考えて欲しい。
もちろん、腐女子でない人…男性とか、非オタとか、自分みたいな女オタクだけど腐女子とは(物理的にも)距離を置いてる、って人にも一考してもらえる機会になるなら幸いだ。
0.著者は何者だ?
自分は世紀末〜平成を生きた女オタクであり、いわゆる「男女カプ」や「世界観」「物語構成の美しさやテーマの描写」に重きを置く、考察厨、世界観厨と呼ばれてきた人種だ。
世紀末のアニメや漫画はキッズ向けであろうと平気で世界が滅んで主人公も死んだ。
続編のために主人公が生き返り、感動を台無しにされたこともあった。
このため「設定やキャラクター感情の辻褄が合っているかどうか」はかなり上位に食い込む判断基準であり、「好きなキャラクターではあるが生き返った(台無しにされた)からこのコンテンツはクソ」が共存し、作者への愛憎を募らせることも珍しくない。
ライブ感優位の物語が摂取できるようになったのは、かなり年齢を重ねてからだ。
時代と共に定義が揺らいだり移り変わることもあるが、ここでは平成初期〜中期の認識を元に「男同士を(公式/非公式問わず)カップリングさせ、恋愛やエッチなことをさせたいと思う女性」とする。
確か「腐女子」という言葉が生まれたのは2000年以降であり、それまでこの属性の人々の呼称が安定しなかった記憶がある。
自分はテニプリの個人ファンサイトで初めてこの呼称を知ったので、インターネットの普及もあってこの頃が「腐女子」という言葉の黎明期だったのではないか?と見ている。
ボーイズラブ(BL)、というジャンル名が普及したのは更にその後だ。
公式コミックだと思って購入したマンガが18禁シーン入りアンソロジーだったからですけど?
人間関係を拗らせていた筆者は「男の肉体(性欲)は汚い」という認識があった上に、「公式で恋愛関係、結婚関係のあるパートナー女性がいるのになんで浮気みたいなことを平気でやってんだコイツらは?」という設定至上主義が組み合わさり【腐女子氏ね】に速攻で傾いた。
とはいえ、当時数少ない仲の良かったクラスメイトがまさにデビューしたての同人作家腐女子だったため色々もどかしかった。
3.腐女子って変化してんの?
平成の30年間だけでも初期〜中期〜後期とかなりの移り変わりがあった。
また、生まれる前にその手の話題で盛り上がっていたキャプ翼、聖闘士星矢などが晴海の同人即売会でやり取りされてた時代を知っている「腐女子という言葉が生まれる前から活動していた女オタク」とも知り合いだったため、昨今の若い腐女子よりは『腐女子と呼ばれる人々の生態と歴史』は知ってる方だと思う。
で、その視点からすると昨今の「腐女子」という言葉は「オタク」同様、命名初期よりも一般化に浸透し、良くも悪くも多様性が生まれたと思う。
腐女子を名乗っている人を見ると身構えてしまうし、炎上している腐女子を見ると胸のすく思いがする。
だが、現在の親しくしている友人にも腐女子はいるし、彼女たちの研ぎ澄まされた語彙力からしか生まれないパワーワードは「腐女子がイヤ」という嫌悪感を軽く吹き飛ばしてしまう。
そして昨今、「腐男子」という言葉が生まれてかなり見方が変わった。
男性ながら家事や服飾を好む「オトメン」や、女性的な身なりを誇る「オネェ(オカマ、ニューハーフ)」といった存在を経て、こんなにもカジュアルに「同性愛的な楽しみ方が好き」と言える男性が世に出てこられたのは「オタク=犯罪者予備軍」と言われていた時代から考えたらとんでもなく素晴らしいことなのだ。
自分の好きではない属性だが、男優位と言われてきた社会から飛び出した女性の表現力が、巡り巡ってマイノリティ男性を救う連鎖を生み出している。
教室の隅っこで落書きをする事でしか満たされなかった小学生女児の魂が、なんとなく救われた気がした。
彼らのような人たちが心地よく受け入れられる社会になっているのなら、自分のようなオタクにだって居場所はあるのだと。
前述の通り「腐女子」は、その言葉の持つ意味や人々の属性がすっっっっっごく混沌としていて、この言葉自体が割と取り扱って注意となっている。
どうしても個人的な腐女子論を語る上で外せない概念なので、脇道にそれるが言及しておきたい。
ある。
というか、「腐女子」という言葉が生まれてから、そこをもじったように生み出された概念が「夢女子」だ。
少なくともこれらの言葉の発生には3〜5年のタイムラグがある。(それは絶対に違う、と仰られる有識者がいたら当時通っていた個人サイトのジャンル変容を添えて教えて欲しい)
わかる、めっちゃわかる。
だが平成終盤以降のインターネットではたまーに「腐女子って呼び方をやめよう!!」みたいな声かけが発生するが、それがうまく行った様子はない。
当然である。
それまで「女オタクなんて存在するわけないだろ(vs即売会見ろや)」というムードだった平成初期〜中期に「女オタクは!!!!!いまーす!!!!!!!」と認知させたのが『腐女子』という言葉の力であり、女オタク達がこぞって名乗り始めた理由なのだ。
引きこもりという言葉が生まれて、苦しむ若者を受け入れる社会になったように。
『腐女子』という言葉の発明は、存在を透明化されてきた歴戦の女オタク達にとってむちゃくちゃ存在感のあるパワーワードだったのだ。
腐女子を名乗れば、強くなれる!
自分は腐女子が苦手だったが、腐女子を名乗りたがる女オタク達の気持ちは痛いほど理解できた。
平成初期、まだ昭和の価値観は色濃く「女は男に従うものであり、勝つ事などありえない。オタクでも男の方が偉いのであり、女はその格下。というか、そもそもいるわけがないっしょw」というのが漠然と蔓延っていたのがオタク世界のインターネット黎明期であり、2ちゃんねるの「俺」文化の背景であり、オタクのオフ会に参加する時の覚悟であったのだ。
そもそも「PCという高額商品とインターネットに月額課金」という特殊な環境を整えられたのはプログラマーなど、ごく一部のIT知識と金銭の整った富豪しかいなかった。
人数的には30人に1人いるか居ないか程度だったんじゃなかろうか?
そんな時代にオフ会をすれば男5:女1みたいなのはザラにあったし、女オタク同士で集まる流れになると1:1になるジャンルとかもあって両極端だった。
(参加した事ないけど一緒にtalk!時代のガンパレ辺りの女性ユーザー認知の火力は凄かったと記憶している)
ついでに、当時のオタクは男女問わず大変拗らせていたので「オタクという属性にしかアイデンティティがない陰キャ男子」のマウントが取れる相手というのが「自分達男オタクよりも少なくて力も弱い女オタク」だったというのは背景分析として間違っていないと思う。
上澄はとことん品位があったものの、底辺はマジで救いようがなかった。
中間層という存在がすっぽ抜けていたのを、更に加速させたのが2ちゃんねる黄金時代のインターネッツだ。
こういう世界で「女」という属性を見せるのは女性器を晒したかのごとく好機の的にされた。
下ネタで絡まれ、マウントを取られ、嘲笑を浴びるのが「女オタク」のポジションであり、彼女たちが個人サイトに引きこもっても男たちはそれを匿名掲示板に貼り付けて、笑いものにしながら荒らし行為を繰り返した。
ポイピクなどで見られる「パスワード」機能は、当時の女オタクたちが心無い男オタク達から身を守るために必要とした防衛機能の名残である。
誰かと繋がりたい。
でも、イタズラに傷付けてくるような人に近寄られたくない。
当時、「女オタク」というだけで様々なセクハラや人権無視の扱いをされてきた彼女達にとって『腐女子』という忌み名は魔除け効果を持つとても心強い言葉だったのだ。
ただイラストを描いただけなのに。
ただ感想を書いただけなのに。
女という要素が少しでも嗅ぎ取られれば、匿名掲示板で集まってきた男達が下ネタや嫌がらせのコメントを、ありとあらゆる手段で繰り返してくる。
ブロックしても無限湧きしてくる捨て垢で、毎日何十件と粘着され続けてきたらそりゃ心も荒む。
「そりゃ腐ってるんだから当然だろ?
わざわざ書いてやってるんだから腐ってる女に寄って来んなよw
あ、文字読めねぇのかwwww」
こうやって彼女たちは心と尊厳を守るために「"腐"女子」という一見不名誉なアイデンティティを鎧に選び、下ネタセクハラ男達を彼らの嫌う男陵辱ハードプレイ下ネタで遠退けたのだ。
というか、この『腐女子』という言葉のインパクトと浸透力は当時かなり目覚ましいものがあった。
それまで「えーと、ほら、男同士の関係が好きな女の人…」みたいな感じで、どう呼べば良いのか、そもそもその趣味嗜好についてどう触れたら良いのか、良識あるオタクですらかなーり扱いには迷っていた。
そこに「はいはい!私は腐女子です!男同士のエッチな絡みが大好きです!」と聞いてもいないのに名乗ってくるコミュ障が大多数突撃してきたので、やんわり〜厳しく注意する人間もいれば、同担拒否よろしく締め出したり、まぁ同じ土俵に上がって焼け野原になったり、それはそれでまぁまぁ問題にはなった。
同時期に、インターネットの敷居が下がり「女オタク=腐女子」と勘違いした一般層がかなり生まれてしまったのも痛かった。
ちなみに筆者も、実の父親や仲の良い男子に「腐女子なんでしょ?」とナチュラルに勘違いされたので猛烈に反発してブチ切れたことがある。
女児向けコンテンツの男キャラってのは「王子様」でなきゃいけない。
多少は本命の女の子にいじわるしても、危機があれば命をかけて救いに行き、言葉にならない女の子の苦悩を解決し、最後にはキスをして救済してくれる…
これが平成初期女児向けコンテンツのスタンダードであり、多少女主人公が死んだりしてもそこら辺の「相手役」の王子様力は落とさなかった。
筆者はこういった女児向けコンテンツ出身で、男女の恋愛というのは子を残す(続編の予知)も含めて当然の帰結だろうと思っていた。
ディズニー黄金期のリトル・マーメイド、美女と野獣、アラジンの3コンボと派生作品を喰らってたので、「子を残す必要性」というのを続編への前振りとして考えていたし、ウテナはウテナで後になって振り返ってなるほどねと思っていたし、現在も男女カップリングからの子世代妄想や作者の性癖推測とかやるし、オリジナル子供キャラとかめっちゃ捏造して遊んでた。
そういう人間にとって「男同士の恋愛関係」は子世代の存在を否定するものであり、何なら男キャラに恋している女性キャラクターや女性読者との関係を否定するものであり、公式の男女関係への崇拝が強固であればあるほど「腐女子は原作の敵」に見えてしまうのである。
そこで反発して生まれたのが『夢女子』という言葉であったと、筆者は認識している。
それが省略されて夢。
男子キャラと擬似的な恋愛を楽しめる…ユーザー名に自分の名前を入れ、あだ名も呼んでくれて…といったときメモのような遊びが、インターネットとホームページ制作ツールの進化によって可能になった。
それがケータイの普及によって更に手軽に実現可能となり、好きなジャンプキャラやゲームキャラとの疑似恋愛を楽しむ女オタクがじわじわとケータイサイトを中心に姿を現し始めた。
同人誌を作って即売会に参加するほどではないが、自分の恋心をイケメンに受け止めて欲しいと思うお姫様系女児から進化したオタクが、テニプリなどの社会現象と共に広まったのが『夢女子』の発端だったと記憶している。
しかもこの自称は「私は"腐"女子なんかじゃありません!」という攻撃性を含んでいる物もあった。
筆者が当時、強めのアンチ腐女子だったというのもあるが「腐女子呼ばわりされてムカつく!」というお姫様系女子は間違いなく存在した。
そりゃ乙女ゲーに出てくる男子を他の男とくっつけたらコンセプト全否定なんだから当然である。
かくして一部の夢女子は、我が愛しのイケメンをメス堕ちさせた憎たらしい敵として腐女子を嫌っていた。
ちなみにこの手のお姫様精神の人が拗らせたまま歳を重ねると、ツイフェミと呼ばれるようになるっぽい。
これはもう、個々の相性やポリシーからケースバイケースとしか言いようがない。
しかも夢女子は腐女子ほど定義が強固ではなく「ドリーム小説を楽しんでいた女オタク」というふわっとしたものである。
夢小説を作った人間はたまに但し書きに「男の子の名前を入れないでください」とか書いてたくらいには何かあったんだろうなと思う。
ちなみに自分は、夢小説はまったく通っておらず子世代妄想や公式カプ小説といった「筆者の存在しない自前の二次創作」を楽しんでいた。
「推し」が居なくてもコンテンツを楽しめるタイプなので、昨今の「推し」ありきの流れにはちょっと乗り切れていないオタクである。
で、その視点から見ていて夢女子も腐女子も「推しキャラ」という存在にめっちゃ入れ込むタイプのオタクという点では似てるよなぁと感じている。
たまに「推しキャラを好きな自分の方が、公式より偉いと思ってるんだろうな」と感じる人もいる。
キモいと感じる心を否定する気は無いし、でも疑似恋愛や愛玩感情などは多くの人間に備わってるものなので、否定しても意味ないかなとは思う。
思うのは仕方ないし、内心の自由だし。
ただ個人的には、BLだろうと18禁要素や肌色多めのコンテンツが年齢制限なしに買えてしまう状態はどうかなと思っている。
リフレ派は、デフレからの脱却を至上命題とし、量的緩和と財政出動を併用してインフレ期待を高め、景気を刺激しようとしてきた。
これにより、
という現象が止まらない。需要を超えて貨幣が溢れれば、インフレは当然の帰結。
日銀の金融緩和は円を相対的に価値の低い通貨にし、国際市場では売られる通貨として定着。
労組によるベースアップ要求が高まると、企業側はそれを価格転嫁で応じざるを得ない。
この賃金物価の悪循環、リフレ派はこれを「健全な成長(好循環)」と誤認しているが、実質賃金が下がる限り、国民の生活水準は下がり続けるだけ。
名目賃金が上がっても、物価がそれ以上に上昇すれば実質的な生活水準は低下。
また、貯蓄の価値も減り続ける。
グレートリセット、つまり大規模な債務再編・通貨改革も現実味を帯びてくる。
リフレ派が政権中枢に居座り続ければ、以下のような展開も否定できない。
最悪の場合、通貨の信認崩壊→預金封鎖→物々交換経済への逆戻りも、歴史的に例がある(例:ジンバブエ、戦後日本)。
いつから死の存在が横にぴったり引っ付いて離れなくなったかはもう憶えていないが、きっかけだけは憶えていると脳が言っている。
5歳、保育園児の代。夜、親からの怒られが発生した。くだらない理由だろう。親にちょけたとか、寝ずにアホをこいているとか。
その時の感情をはっきりと覚えている。即ち、「自分がいなくなれば親は怒らないし、姉(自分を強めにいじめていた)は自分にいら立つこともない」。感情を今の語彙で表現するならばこうだった。
「この世の面倒くさいは自分が死ぬことで解決する」思考のひな型である。
消防時代、ゲームに夢中だった。なお我が家ではゲームも漫画も禁止である。つまりどういうことかというとバレたら殴られ、家から追い出され、土下座と誓約をしたのち親も養育義務からは逃れられないため赦され、同じことを繰り返した。
ただ4回も5回も繰り返せば殴られ、家から出されることに嫌気が差すのは当然の帰結である。一体何の権利があれば人が電子ゲームで遊ぶのを制限したり、人が金を出して買ったものを没収してよいのか謎だったが、人間は殴られると思考能力と抵抗能力が失われるのであった。
ここで入水自殺を試みる。幸いにも水深30cm以下のあっさいあっさい川だったので靴とジーンズをずぶ濡れにするだけで済んだ。その靴を見ても親は何も言わなかった。
その時、この家において私の命は人質にはならないと知った。
厨房時代の自殺未遂はあまり記憶にない。カフェイン中毒で死のうとし、「今日はモンエナを16本飲んできたから運が良ければ急性中毒で死ねるかも!」と大して仲良くない同級生に話して引かれた記憶はある。
厨房二年目の夏過ぎになると受験モードのピリつきにやられたのか、「何かあれば死ねばよい」と考えていた自分にとって、高校生どころか明日の自分さえも想像の範囲外で、ただただ恐ろしかった。
薄ぼんやり地元の高校に進学するのだろうと考えていたところ、親から全寮制高校を勧められたのでそうした。親に対する抵抗力は残っていなかった。
幸いにも偏差値40すらあるか怪しい自分でも受かり、工房時代の始まりである。
工房時代、全寮制にあるまじきなのだが、めちゃくちゃ不登校になった。毎日腹が痛いと嘘をついて寮監さんに欠席の連絡をしてもらったあと眠り、昼の弁当を平らげて眠り、夜は一応持たされていた携帯電話のテザリング機能を使用してゲームに明け暮れた。ろくでもないが、毎日親の顔色を窺って笑うことすらしづらかった環境から解き放たれたのだから許されたい。
しかしそれも一年次で終わった。当然、数ヶ月も不登校であれば親へ連絡が行く。親からは真面目に通わないなら故郷の祖母の家へ預けるからバイトして暮らせと告げられた。自分は祖母が嫌いだったので二年次から真面目に通い、なんと欠席数0で終わらせた。
三年次も半分くらい不登校だったのだが本当に思い出せない。卒業させられないからとレポートと課題を出されそれを提出し、なんとか卒業式に出たような記憶はある。
工房は全寮制ということもあり同室が第一発見者になるのが哀れで自殺を試みた記憶はない。
ただ、就職先も、進学先も決まっていない三年次2月、もちろんどちらの親が引き取って拠点にさせるのかで揉めた。その時親がただ一言、「困る」と。
やるべきをせず、好き勝手に生きておいて思ってよいことではないかもしれない。
ただ、自分は本当に望まれていないのだなと、ここで親に対する感情を捨てた。
「この家庭の全ては自分が死ぬことで解決する」思考の完成である。
この後も家出をして身分証を粉々にするとか首を吊るとか襲われたPTSD(素人判断)に苦しむとか親に見つかったため連絡を取るようになったり再び学校へ通い始め修了し就業するも二ヶ月で辞めるなど色々あるのだが、話は現在に飛ぶ。
現在は自己診断によりうつ病と仮定し、心療内科から薬を頂いて療養に努めているのだが、どうも「死にたい」は消えないし、「自分の必要性」について考えない日はないし、なんなんだよという気持ちである。
しかも5月末付けで辞めるのは4月末に決定していたのに一週間経過して退職証明書が届かない。こうすると国民保険に加入する要件を満たせないので通院できずたいへん困るのだが、マジで人生詰んでてクソワロタって感じだ。
もし、この希死念慮がうつとは無関係で、生来の5割ならば救いようがないし、人格形成で培われた残りの5割ならばこの世の全てのストレスから離れてお姫様のような暮らしをしていなければならない。それは生きていてはいけないだろう。
よし、
戦後の焼け野原から奇跡の復興を遂げ、世界第二の経済大国に上り詰めたというのが日本人の自慢話だが、その「経済発展」とやらは果たして本当に中身のあるものだったのか。冷静になって考えてみればわかるだろう、日本の成長は自前というより他力本願、実体より見せかけに支えられきただけだ。
日本人は日本の戦後復興と高度成長を語るとき、「自助努力」だけを強調するが、実際にはアメリカという強力な後見人の存在があったからにすぎない。敗戦直後、占領下の日本にはGHQによる多額の資金援助が注がれ、固定為替相場制(1ドル=360円)の下で輸出振興の下地が整えられ、1950年に勃発した朝鮮戦争では「特需」と呼ばれる大量の米軍発注が日本経済を潤し、これが完全復興への端緒となったのだ。要するに、日本は「発展した」というより「発展させてもらった」面が大きいのだ。ネトウヨはよく「朝鮮半島を発展させてやったんだ」というが、日本も「欧米に発展させてもらった」のだ。1960年代の日本の高度成長は、日米同盟なしには起こり得なかっただろう。米国の安全保障の傘の下、思う存分経済成長に邁進できたという構図であり、裏を返せば日本の「奇跡」は米国の戦略的寛容に支えられた他力本願の産物だったのだ。
もちろん、日本人自身の努力や数の多さやかつてはあった勤勉さも少しはあるが、少なくとも「俺たちの実力で世界を驚かせた」という自画自賛は恥ずかしいのでやめるべきだ。高度成長を陰で支えたのは、米国市場という巨大な需要先と資金・技術支援、そして安価な労働力と国内の高貯蓄率(今の中国と似た構造。中国は日本を反面教師にする必要がある)。日本は自ら飛んだというより強力な追い風に乗って舞い上がった風船なのだ。
今は怠け者で知られる日本人はかつては勤勉で生真面目、サービス残業もいとわず働く世界でも評判の勤労民族だったが、その労働生産性の実態はといえば残念ながら芳しくなく、統計をひもとくと、1970年代以降の日本の時間あたり労働生産性は先進国の中で常に最下位という不名誉な記録を更新し続けている。2020年時点でも日本の時間あたり労働生産性は49.5ドルとOECD加盟国全体でも圧倒的最下位。つまり、日本経済は戦後一貫して「効率の悪さ」で世界トップクラスだったわけだ。高度成長期は追い風といえる要素に満ち溢れていたため、その弱点も見えにくくなっていたものの、90年代以降はIT化の遅れなども相まって諸外国との差が拡大し放題となっている。
長時間働いても生み出す付加価値が低いのでは、経済が豊かになるはずがない。日本人は人口増が確実視された時点においても一貫して生産性という肝心の成果をおろそかにしてきた。おかげで「働きバチ」のを自称し、平成時代までは実際そうでありつつも、実はハチミツの生産量は先進国でビリなのだ。他国が効率化とイノベーションで着実に成果を上げる横で、日本だけが生産性停滞の沼にハマり続けている。それなのに日本人はうぬぼれているのだ。
日本経済の実態をもう少し長いスパンで眺めていくと、主要な実体経済指標は1970年代をピークにその後低下の一途をたどっている。あの見せかけの繁栄におぼれた1980年代後半、日本が世界で「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(笑)ともてはやされた時期でさえ、実は経済成長率やインフレ率といったリアルな指標は高度成長期の70年代より低水準だったのだ。急激な円高後のカネ余りで株価と地価が暴騰し、日本があたかも世界一裕福に見えたのは錯覚に過ぎなかったのだ。つまり、見かけの資産価格は派手に跳ね上がっても、日本経済のエンジンそのものは既に昭和の時代に回転数の限界を迎えていたわけだ。高度経済成長のピークが70年代だったとすれば、その後の平成・令和期の停滞ぶりにも合点がいきます。事実、1989年末に日経平均株価が史上最高値を更新して日本経済が「歴史的ピーク」に達した後は、泡がしぼむように停滞が続いている。
結局、日本経済の実質的な力は1970年代に頂点を迎え、その後は長い停滞期に入ったと見るのが妥当だろう。高度成長を成し遂げた昭和は遠く、平成以降は晴れ間の少ない停滞の時代。1980年代のバブル期に世界一リッチに見えたのも、実体経済が伴わない見せかけの繁栄。そのツケは日本人が平成以降に味わった停滞という形で帰ってきている。
1980年代後半のバブル景気は、日本経済史上もっとも華やかで浮かれた時代だった。地上げや財テクに浮かれ、土地と株式の価格は天井知らずの上昇を続ていたのだ。その狂乱ぶりはテレビでも見てわかる通りだ。例えば1985年から1990年にかけて地価は約400%も上昇し、日経平均株価のPERは80倍から直前には100~200倍という異常な水準に達していた。何が言いたいかというと、実体経済の裏付けなどまるでない「バブル」という名の幻影だったのだ。 当然、このバブルは1990年代初頭に見事に弾け飛んだ。当たり前だ。「平成景気」という名の打ち上げ花火が消えた後に残ったのは巨額の不良債権と、下降線をたどる経済成長率だ。1989年末の株価最高値を境に、日本経済は長期停滞のトンネルに突入することになったのはもはや語るまでもないだろう。
バブル期にはまるで自分たちが世界を席巻する経済超大国になったような気分に浸っていたものの、それは砂上の楼閣に登った気分だったのだろう。後に残った実体経済の疲弊を見るにつけ、あの繁栄がいかに中身の乏しい見せかけであったかを痛感させられる。バブルの絶頂期、日本企業は世界中の不動産や美術品を買い漁り、「ジャパンマネー」がもてはやさされたという。しかし、それで得た栄光は永続的なものではなく、気がつけば日本経済は地に足がつかないまま宙ぶらりんの状態だったのだ。資産価格の幻影に酔いしれたツケとして、その後の「失われた数十年」を甘受するハメになったのは当然の帰結だ。
バブル崩壊後、日本の政策当局は景気テコ入れに躍起となったが、その数々の処方箋は結果的に何一つ功をなすことはなかった。1990年代には今の減税・バラマキポピュリスト達が喜びそうな大型の財政出動や減税が何度も繰り返されたものの、景気は一向に本格回復せず、未来へのツケである政府債務だけが膨れ上がった。結局、バブルで抱え込んだ民間企業の過剰債務を政府が肩代わりしただけで終わり、景気浮揚には無力だったのだ。
今の減税ポピュリストや給付金ポピュリストが教訓とすべきことでもある。「借金で借金を救う」ような政策では、問題の先送り以上の成果望めなかったのだ。ゼロ金利政策や量的緩和といった金融緩和策も導入されたものの、デフレは2000年代まで深く根付いた。そして現在に至るまで日本経済は低成長から脱却できていない。気付けば、経済政策は場当たり的な景気刺激策の継ぎ接ぎだらけで、一貫した成長戦略や構造改革は国民が反発することもあり、実行されなかったのだ。
その間にも少子高齢化は進行し、生産年齢人口は減少、国内市場は縮小と、構造的な課題が山積している。海外からは日本の政策対応は手厳しく嘲笑されてもいたことはご存じだろうか。世界が90年代以降の日本を語る際に「日本化(Japanification)」という言葉が生まれたほどだ(参考→https://en.wikipedia.org/wiki/Japanification)。それは「不況下で有効な改革をせず、無駄な公共事業で延命を図る現象」を指すもので、改革よりも道路や箱物を作り続ける日本の政治家を「無為な政治家」として揶揄するものだ。
あまり言いたくないが、日本経済の停滞を語るとき、忘れてならないのは日本社会・国民のメンタリティだろう。政治家の政策ミスを批判するのは容易なのだが、民主主義国家において政治家は国民の鏡だ。政治家は国民を望む政治をやる。嫌がる政治はやらない。政治家が一番嫌うのは「落選」だからだ。ゆえに、ほぼ日本人が自らの手で衰退させたともいえる。もちろん、日本人の気質そのものにも問題ある。「変化を嫌う」風土、物事を深く考えず前例通りに済ませようとする思考停止状態、失敗を恐れる風土、迷惑に不寛容な風土、出る杭を打つ文化、人の足を引っ張る文化、高度経済成長期の成功体験に固執する傲慢さが、日本の停滞を長引かせた要因だろう。 実際、多くの日本企業や組織では予定調和や前例踏襲が幅を利かせ、新しい発想や議論を避け、排除する。その結果、変革が避けられない状況でも無自覚に「今まで通り」のやり方に固執し、いたるところで思考停止に陥っているのだ。しかも厄介なことに、そうした楽で無自覚な現状維持志向こそが日本経済低迷の発生源なのである。
国民一人ひとりを見ても、急激な変化の痛みを恐れて結局は現状にしがみつく。または「義務を果たさないくせに権利ばかり主張する」 、「生産性が低いのにもかかわらず働かない」というそんなゆでガエル的な集団心理が、日本の停滞を固定化しているのだ。変化や痛みを避け続けた結果、気づけば茹で上がっていたカエルよろしく、取り返しがつかないほど実体経済が冷え切ってしまったのだ。
かつては世界第二位のGDPを誇り、現在も4位を維持している状態を見て「経済大国日本」と胸を張っているネトウヨがあまりにも多いが、ふたを開ければその先進国ブランドも風前の灯火だ。例えば一人あたりGDPで見ると、近年の日本はOECD加盟国中22位まで順位を落とし、韓国にも台湾にも追い抜かれた。1980年以降で最も低い順位で、もはや経済指標上は「一応先進国」と呼ぶのもはばかられる。
かつて恐れられた日本経済が国際舞台のスポットライトから消え、「存在感の薄い国」に成り果てつつあるのが現実だ。日本が世界に誇っていたはずのものが、気が付けばことごとく色あせている。かつて最先端だった技術・産業は存在感を失い、盛り返す気配すらなく、平均所得は停滞し、気力も勢いも感じられない。これでは「かろうじて先進国」と揶揄されても仕方がないでしょう。国際機関の統計を眺めれば、日本より豊かな国・地域に住む人々はもはや十億人規模にも上る(日本同様に数の暴力で豊かに見えてる中国は違うからね)。もはや日本は特別裕福な国ではなく、世界の中ではアルゼンチン二世的な立ち位置に落ち着きつつあるのだ。 <h3>o- *</h3>
結局のところ、最も根源的な「劣悪材料」とは、失敗から学ぶ能力の欠如である。「失われた30年」 は、経済的課題に対する30年間のほとんど失敗した、あるいは不十分な対応の歴史である。今の日本人はその過ちをさらに取り返しのつかなくなるような形で繰り返そうとしている。社会の変化への抵抗 や構造改革(社会保障改革や労働市場や規制緩和など)への抵抗は、その必要性が明白であるにもかかわらず、根強く残っている。国家や国民が自らの失敗を批判的に評価し、そこから学び、意味のある変化を実行できないのであれば、その最も基本的な「材料」、つまりは、自己修正と進歩のための能力は、まさに「劣悪」であると言わざるを得ない。日本は今後立ち直ることはないだろう。
そんな視点で以下、自分用のメモとして長文を残す。あえて言論自由の優位性といった憲法理論をガン無視するが、どんな規制が適切かといった考えから離れることで、表現の自由の失われた状況の風景がみえることもある。
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とくに「表現の自由による暴力(不法行為性)」をどこまで許容するかが重要な視点だ。欧米と日本では大きく違う。
フランスでは、あらゆる権利が「尊厳ある生」を守るための抵抗に原点を持つ。
その意味で、社会運動やストライキ(争議権)と、表現の自由は同じ線上にある。たとえば、名画にペンキをかける環境団体の抗議活動。日本では即座に「環境テロ」として報道されるが、英仏では「レジスタンス(抵抗運動)」という言葉がより広く使われていた様子だ。これは体制に対して暴力的に抗う行為を意識しているからだ。
環境問題に限らず、農家などの過激な抗議行動(輸入品増加に抗議した放火・破壊行為など)や、労働争議においても同様だ。フランスでは、国家や大組織による構造的暴力に対するカウンターとしての「市民による尊厳を守るための抵抗」に心情的な理解が寄せられる。犯罪としての側面を否定しないまでも「レジスタンス」は革命以来の伝統という認識をフランス社会は共有する。
その背景には、18世紀、カトリック教会が「真理の解釈権限」を独占していた時代に、啓蒙思想が登場し、科学的合理性を武器に公共空間を構築し、新たな政治制度を模索した原体験がある。「神を冒涜する権利」は、黎明期の政教分離の文脈から分化した表現の自由の形であった。
制度の根幹に「科学的合理性」や「絶対的真理」は置かれていない。むしろ、人それぞれ真理と信じる”信念”があり、誰も完全な真理に到達していない、という前提がある。この考えは巡礼始祖たちの宗教的多様性の中で育まれ、やがてプラグマティズムに吸収され、「思想の自由市場」(O.W.Holmes)という発想へとつながってゆく。
もっともアメリカでも、20世紀半ばまでは「有害言論の内容規制」が志向されたが、判事たちはそのたびに建国思想や巡礼始祖の理念に立ち返り、「有害表現を定義できない」という議論に収まった。1970年代には「社会の不協和音こそが強さの証」とまで言い切る判決(1971)もあった。司法がヘイト規制に消極的かつゾーニング規制にシフトしてゆく歴史がそこにある。
トランプの出現などリベラルと保守のあまりの違い、それでも国家として成り立つ社会。それを支えるのは、「一致しないままでも共存できる」という、個人主義を基盤とした社会の強さだ。
会社でも地域や家庭でも、できるだけ摩擦を避けたい。コロナ禍での自粛違反者への度を越した非難などに表れているように、「他人に迷惑をかけるのは不徳だ」という感情が深く根付いている。
この「迷惑感情」は、表現の自由を制限する根拠として働きうる。憲法学では人権の制限原理は「公共の福祉」として整理されるが、実態としてはその時々の「社会の空気」に左右されがちだ。たとえば、受忍限度論という法理をとってみても、それ自体、迷惑感情の社会的「耐性」の程度を空気から測るものにすぎない。日本人の考える公共はフランス人の考える公共とかなり異なる。
電車内CMの強制音声に対する訴訟「囚われの聴衆」事件(1987年最高裁)では、そうした「空気」に抗う個人の主張が結局退けられた。受忍限度という大義名分の下で、「それくらい我慢しろ」と結論づけられたわけだ。迷惑感情による秩序そのものを否定するわけではないが、空気として内面化されすぎると、異論や異質さの排除へとつながりやすく、かつ世代間、階層間の認識ギャップという課題に直面する。
日本には、フランスのように「尊厳のための抵抗」を肯定する文化がない。絵画にペンキを投げれば即「テロ」として断罪される。暴力的抵抗が「歴史ある社会の声」として認識されることはない。
水俣病初期の漁民暴動、60〜70年代の国鉄や病院のストを見ても、「迷惑感情」が前面に出て、GHQが持ち込んだ争議権は本当の意味では社会に根付かなかった。正規雇用では労使協調路線、非正規雇用は分断が続いているのが現状だ。ストライキがなお社会的に力をもつフランスとは対照的だ。
全農林警職法事件(国家公務員の争議権全否定、1973年最高裁)、75年の国労スト権ストは、日本社会が「暴力的な表現や行動」との距離感を決定づけた分岐点となった。
暴れる新左翼へのストレスが頂点に達し、迷惑を嫌った大衆心理が、最終的に「暴力=容認しがたいもの」と司法と行政に決着を迫った形だ。
こうした着地は、人権を市民一人一人の体験として自ら闘って獲得してこなかったという、日本社会の構造的限界を示しているのだろう。
日本社会における「市民による暴力的抵抗」が断罪されやすい背景には、市民の行動が過激なものに映じるの対して、しばしば国家や行政の抑圧や不作為は、暴力として認識されず、社会の中で可視化されにくい構造がある。水俣病における行政不作為、反原発運動に対する過剰な監視、あるいは災害被害者の声の届きにくさなど、国家による制度的暴力や不作為の積み重ねに対して、市民が抗いの言葉を発するとき、その言葉がときに過激さを帯びるのは当然の帰結でもある。だからこそ、表現の暴力性だけを批判的に切り出すことは、構造的非対称性の再生産になりかねない。
構造的な非対称に加えて、もうひとつ重要なことがある。それは市民一人ひとりが権利意識を再生産するための「思い出」や過去の教訓を忘却しやすい社会ということだ。
欧米でいう「人権」とは、突き詰めれば「こういう社会には戻りたくない」という歴史体験から生まれる(米仏だけの例で暴論は承知の上)。その教訓を社会を生きる一人ひとりが繰り返し思い出すこと、それが人権のボトムアップ的な再生力だ。
しかし、日本では「権利」は「国家が授けるもの」として明治以来、教育されてきた。敗戦までその構図は変わらず、戦後はアメリカが新しい憲法と人権を与える側に回った。この付与される構造が、今日の日本においてもなお、自由をめぐる議論が憲法の制度論に終始してしまう要因になっている。
だとすれば、今あらためて必要なのは、自由の意義を自分たちの歴史体験として取り戻すことだ。
特に敗戦前後の記憶――若者を人間爆弾にし、それを大人が見送っていた時代。そして敗戦後、手のひらを返すように価値観を変えた、あの社会の激変こそ戦後日本の原体験であり、空気に逆らう力を考える出発点であるべきだ。
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「戦後社会」と呼ばれる時期―おそらく平成初期まで―に見られた日本の映像表現には、大きく三つの傾向があったように思う。
1. 既成の価値観への反抗
戦中派から戦後世代はかつての「正しさ」に対して疑いを抱き、積極的に破壊しようとした。
映像作品での典型例として、岡本喜八を挙げたい。軍や国家権力を風刺し、戦時の空気を相対化する『肉弾』(1968年)は象徴的だ。
表現が体制批判と自己解放の手段だった時代。道徳や国家的価値観への反抗心がそれを後押ししていた。
「反抗」というテーマは、家族内の世代間対立ないし嫁姑問題、80年代の校内暴力と管理教育という軸での「反抗」など形を変えて表現された。
高度経済成長のもと、戦後社会は猛烈な速度で変化し、かつて「当たり前」だった家族のあり方、地域の風景は急速に姿を消した。
そのような変化の中で、新しい「自分らしさ」を探すような表現が生まれた。家族の崩壊と再生を描いた「岸辺のアルバム, 1977」は社会に衝撃を与えた。
山田洋次の『男はつらいよ』では、理想の家庭像を夢見るも決してそこには迎え入れられない寅さんという存在を描き続けた。
倉本聰の『北の国から』では、泥付きの一万円札をめぐる暴力沙汰などを通して、「義理人情」や「恩を忘れぬ人間関係」が描かれた。
「スクール☆ウォーズ」に代表される大映ドラマにおいては、努力・根性・家族の絆といった「倫理」が過剰なまでに押し付けられる一方で、それは裏を返せば、かつては当然のように共有されていた義理人情や倫理が、社会の中で揺らぎ始め、もはや社会がその正しさを自信をもって教えられなくなっていた時代の反映ともいえる。任侠映画の「落とし前をつけさせてもらいます」というカタルシスもまた、現代社会ではとうに失われた暴力的「自力救済」への郷愁でもあった。
この三つ――反抗、自分探し、郷愁――が、戦後日本の表現の中心テーマであった。いずれの表現にもどこかに心情的共感を呼ぶやむにやまれぬ加害を内包していた。そこに着目すべきだ。
この三つのうち、「戦前の価値観への反抗」は、戦前世代が退場するにつれ次第に衰えていった。最後の強烈な反抗例として、敗戦後に上官が行った部下の処刑を告発した『ゆきゆきて、神軍』(原一男1987年)を挙げることができる。
奥崎謙三の狂気。上官を告発し、天皇にパチンコ玉を撃ち込むなど、常軌を逸したようにも見えるが、そこには彼なりの倫理がある。表現行為が、敗戦前後の記憶を呼び覚まし、組織における人間関係―「上官と部下」「国家と個人」―に対して強烈な問いを投げかけていた。
しかし今、このような強烈な表現は久しく見かけなくなった。反抗への共感はある特定世代の記憶に留まり引き継がれない傾向が見て取れる。あたかも社会全体にノイズ耐性が失われたかのようだ。
何かにつけ「コンプラ違反」として簡単に切り捨ててしまう社会。「こんなの今の時代にはムリ」と。例えば、中井貴一がある制作現場で呈した疑問は示唆的で、全体にバイオレンスなドラマなくせに、コンプラ配慮でたばこのポイ捨てシーンだけがNGになったことがあった。それは思考停止ではないか。
奥崎のような過激な手法であっても、そこに社会や権力構造に対する本質的な問いが込められているならば、無視できない重みがある。原一男のドキュメンタリーは、まさにそうした問いを突きつけるものだ。
『ゆきゆきて、神軍』のようなドキュメンタリーなどの手法には、つねに「出演者の許諾は取ったのか?」という問いがつきまとう。
伊藤詩織氏の『BlackBox Diaries』に対する映像や音声の使用をめぐる批判が良い例だ。「フェアユースで正当化可能」とする声(中根若恵)もあれば、「権力や犯罪を暴く表現であればOK」という立場(原一男)もある。しかし、原自身も認めるように、たとえ告発目的であってもセルフドキュメンタリーには「現実を自分に都合よく再構成する」危うさがある。無条件の承認はありえない。その語りが私的な物語にとどまらず、社会的な意味を持つためには、他者に開かれた語りに昇華される必要がある。
では、表現行為に内在する「やむにやまれぬ加害」を評価するのは誰か?
最終的には司法だとしても、まず問われるべきは、共感を持って応える観客であり市民である。
コンプラ違反を恐れて、表現物が公開前に修正されてしまう社会――それが望ましいのか?
私は、暴力性を含んでいても、その中に真摯な倫理があり共感可能性のある表現ならば、それは世間に問うてよいと思う。それを受け止める権利もまた市民にある。内部告発/公益通報もまた、不法行為と公益性のはざまにあるという意味で奥崎謙三の反抗と地続きだ。兵庫県職員の告発とその後の県知事の対応は耳目を集めたばかりだ。
今の日本社会において、「表現の内包する暴力に対する寛容さ」はきわめて低い。
敗戦を体験した世代がいなくなり、記憶として残っているのは「国鉄ストの迷惑」「新左翼の暴力」「オウム事件の恐怖」など、暴力に対するアレルギーばかりだ。
一宿一飯の恩義といった価値観は薄れ、市民は暴力的な自力救済や抵抗運動に共感しなくなっている。
コンプライアンスに敏感な時代だからこそ、私たちはもう一度、「表現の自由とは何か」を原点に立ち返って考える必要がある。
かつてトクヴィルは、革命後のフランスに、公共の名のもとに行われる言論統制など専制を洞察した。一方、アメリカの民主社会には、世論の専制という別の危険をみた。制度的な保障はあっても、多数派が少数意見を排斥するような雰囲気を社会が醸成すると実質的な自由は奪われる、との黎明期アメリカ社会への洞察は、現代のキャンセルカルチャーなどの課題を予見している。
――暴力性を含み得る表現に対して、我々はどのような態度を取るのか。その暴力に倫理的な共感はあるのか。どんな社会を私たちは避けたいと思っているのか――
憲法理論は制度的保障を語る上では有効である。しかし、表現規制論だけでは上記のより根源的で実存的な問いには答えられない。「制度がいかに自由を守るか」ではない議論も必要だ。自由を擁護する倫理的共感の土壌がなければ、制度は簡単に形骸化する。「抵抗」とか「不協和音の強さ」とまでいわないまでも何か核が必要だ。
社会の同調圧力に空気に抗ってその問いを突きつける力、受け止める力が社会から失われたとすれば、それは表現の自由が失われた社会だと思う。