
はてなキーワード:当事者意識とは
この記事は、将来出産を考えている人やそのパートナー、あるいは今まさに“妊娠初期”という孤独な戦場にひとり立っている妊婦さんに、届けばいいなと思って書いています。
あまり見たくないなーって方はそっと閉じてもらえたらと思います。
(▽昨年のnoteより)
約三ヶ月ぶりにnoteを書いている。ここ最近、長い時間椅子に座って作業ができなかったからだ。
朝はマシだが午後になると体が使い物にならない。
平日は吐き気に耐えながらソファに横たわり天井を見るか、何もないふりをしてゾンビのような顔でリモート会議に出るか。
そんな毎日だった。
と、まるで新しい趣味でも見つけたかのようなライトな語り口で言う人ばかりだったので、私は完全に勘違いしていた。
一日に何度もえずくようになってから初めて、つわりがこんなにも容赦なく生活を侵食し、静かに心を削っていくものことを知ったのだった。
ちょうど繁忙期でもなく、リモート勤務が許される業務内容だったことが唯一の救いだった。
もしこれが出社必須の職場であれば、私はあっさり白旗を振って休んでいただろう。
世間で「産休育休の取得タイミング」や「復職後の働き方」についてはよく語られているのに、「妊娠初期の体調不良も想定して妊活を!」なんて誰も言ってくれない。
いつかは子どもが欲しいと思っていた。
だから出産の痛みや分娩方法、育休中の金銭面、シッター探しの話など、出産や育児についての断片は、耳年増的に知っていたつもりだった。
けれど実際に妊娠してみて驚いたのは、その“前段階”、つまり妊娠時期が、ここまで孤独で苛烈で、日常を根こそぎ持っていくものだということ。
「誰にも言えない心細さ」
「夫と共有できない圧倒的な体感の差」
「突然始まる意味不明な不調と、心のざわつき」
妊娠初期は、この不安や不快や孤独の三重奏に耐えながら、私は毎晩Xを開き、「妊娠◯週」と検索しては、同じ週数の妊婦さんのポストにすがっていた。
共感できる言葉を見つけるたび、“自分だけじゃない”という気持ちが、かろうじて私を支えてくれていた。
おそらく人生で最も情報を渇望し、安堵を乞うている時期に、「周りへの妊娠報告は安定期に入ってから」という不文律が、首を絞めてくる。
一番情報や助言が欲しい時期なのに、
「まだ誰にも言ってはいけない」せいで周囲の誰にも頼れない、聞けない。
このねじれた構造的ジレンマこそが、妊娠初期の一番のしんどさなのだと思う。
妊娠が発覚してから今日まで、スマホのメモに吐き出すように記録した日記は、4万字超。
“男って社会的には父親になれるけど、身体的にはなれないから”
これは産後半年の友人が「今日の昼カレーだったわ」くらいのトーンで放った一言。
自他ともに認めるラブラブな夫婦なのに、彼女は割り切るような瞳で言い放った。
「妊娠中のしんどさは、女が一人で受け止めるように設計されてる。
私の夫は、育休中にようやく父親になったって感じ」
夫を責めるでもなく、世界を恨むでもなく、事実を淡々と述べるように。
当時はこの過激な発言にぎょっとした私も、今なら彼女の言わんとしていたことがわかる気がする。
透明化される妊娠初期
今まで、妊娠中のこと、それも“初期”について、詳しく話してくれる人はほとんどいなかった。
妊娠中の友人と頻繁に会うこともなかったし、妊活でも産後でもなく“妊婦”のリアルについて情報が入ってくることはなかった。
それもそのはずで、つわりのピークとされる妊娠初期は6人に1人が流産に至るとされている、とても不安定な時期だ。だから多くの人は、家族以外には妊娠を伏せて過ごす。
また、流産の不安やマイナートラブルやつわりなど、そういう類の話は、妊娠していない人にとっては興味が薄く、どちらかといえば「暗い話題」に分類されてしまいがちだ。
わざわざ人にするには気が引けるし、うっかり明るいノリで話せる内容でもない。
さらに言えば、妊娠という話題そのものが、とてもセンシティブだ。
「子どもが欲しい人」「欲しくない人」「迷っている人」「持てない人」――相手がどこに立っているのか、その背景や事情は外からは見えづらい。
その結果として、話せる相手は、“同じステージにいる人”か、“先を行く人”に限られていく。
そうして妊娠のあれこれは、徐々にママ同士の会話の中だけで閉じていき、分厚いカーテンの向こうへと消えてしまう。
私がこれまで“妊婦”について何も知らなかったのは、当然のことだったのだ。
妊娠してからというもの、体のどこかが痛いか、心のどこかがざわついている。
そんな日々をなんとかやり過ごしてきたけれど、ふと我に返って「あの子も、あの先輩も、すまし顔してこんな地獄をくぐり抜けてきたのか……?」と思う。
そもそも望んで妊娠したのに、なぜこんなにも辛く、泣きそうになる瞬間が多いのか、ざっくり整理してみた。
1.妊娠が継続できるかという、終わりのない不安:腹痛や出血、おりものの量で一喜一憂し、本当に毎日のように悪夢を見ていた。
2. とにかく体調が悪い:起きた瞬間からひどい二日酔い&船酔い。身体のあちこちが痛む。まあシンプルにつらい。
3. すべての楽しみが消失:体調が悪いと何も楽しめない。何も食べられない。ひたすら部屋にこもってゲエゲエ言いながら、友人の旅行中のストーリーを見て歯を食いしばっていた。 誰にも会わない。習い事もやめた。予定も立てられない。
4. 夫と二人三脚は無理:いくらサポーティブで気遣い上手の夫でも、つわりや不安を一緒に経験してくれるわけではない。妊娠中に夫と“同じ景色”を見られる日は、たぶん永遠に来ない。
5. 夫の新人研修が意外と大仕事:夫のトレーナーになったつもりで、日々情報をインストールし、的確に指示を出す。全ての通院(検診もNIPTも)に強制参加、たまひよは音読、妊婦や胎児の週数の変化も逐一レクチャーした。
放っておけば夫は「大丈夫だよ」しか言わないし、自分から調べるという発想がそもそもない。
6.職場への報告タイミングが分からない:「報告は安定期に入ってから」とよく言われる。だが実際は、それまでに倒れたり、急な入院や手術が必要になったりする可能性もある。散々迷った結果、チームに迷惑をかけるくらいなら早めに伝えておいたほうがいいと判断して、私は妊娠10週頃、新しいプロジェクトにアサインされるタイミングで上長に報告した。
7. 果てなき情報収集:chatGPTに質問し、Xを掘り、ママリとアスクドクターズを行ったり来たりしながら質問を連投した。本当に、インターネットの海の向こうの、顔も見えない誰かの言葉に救われた日々だった。
検索履歴は「7w2d吐き気」「10週出血茶色」「12週恥骨痛」「つわり 14週 終わらない」の山でどんどん埋まっていく。
特に、夫とのすり合わせ、孤独感への対処、産院選び、NIPTの判断、職場への伝え方、予期せぬ出費の数々については、情報を探している人も多いと思うので、あくまで一素人の意見として今後のnoteで書いていこうと思う。
まず私が確認したかったのは、「子宮外妊娠じゃないかどうか」と「胎嚢が確認できるか」だった。
約1%の確率で起こるとされている子宮外妊娠は、なるべく早い手術が必要だと聞く。
病院の椅子で、夫に小声で「今日は胎嚢が確認できればいいからね」と囁いたとき、彼は会社の予定をスマホで見ながら、「タイノーって何?」と返してきた。
こいつまじか……と呑気な夫の態度に、軽くめまいがしたのを覚えている。
前日に私はリビングで子宮外妊娠(異所性妊娠)についてのYouTube動画を流していたが、彼にとってそれは雑音に過ぎず、「妻が付いてこいと言うから病院についてきた」程度なのだなーと思った。
(当事者意識を持たせるためにも、今後すべての妊婦健診に夫が同伴することになる)
いつもの行きつけではなく、家から歩いて15分ほどの婦人科へ向かった。
Googleマップでの口コミが良く、院長が産婦人科専門医・ 臨床遺伝専門医・超音波専門医の3つを保有している。
院長は穏やかでにこやかな見た目だが、包丁さばきのいい職人のように、サクサクと事実を切り分けて伝えてくる人だった。
その約8割が妊娠12週未満の「早期流産」で、ほとんどが偶発的な染色体異常によるもの。つまり、防ぎようがなく、母体のせいではない。
私の場合、胎嚢は無事に確認できたものの、次のハードルは心拍の確認。
子宮筋腫が3つ見つかり、これは要経過観察。
強い痛みや発熱が起きたり、場合によっては早産のリスクになることもあると告げられた。
会計の表示に「12,800円」と出たとき、一瞬フリーズした。
ああハイハイ、これが噂の全額自己負担ね……と納得するふりをしながらも、「妊娠は病気や怪我じゃないから保険は効きません」というお国の理屈には、やっぱり少しだけひっかかる。
病院を出て出社する夫と別れたあと、私はひたすら「まだわからない」と自分に言い聞かせていた。
数ヶ月前、早とちりして悲しい思いをした経験があった。
母が、私を産む前に一度流産していたという話も思い出す。
妊娠がわかってからというもの、「確かなことはひとつもない」と、心が浮つかないように、毎日ブレーキを踏み続けていた。
帰宅しても仕事は手につかなかった。「胎嚢確認 6w(6週)」でXを検索すると、同じ時間帯に同じ不安を抱えている人たちの投稿が次々と現れた。
検索結果をさらに遡ると、6週の時期に不安を吐露していた誰かが、心拍を確認し、つわりに苦しみ、安定期を迎え、マイナートラブルを乗り越えて出産を迎えた記録が続いている。
その一方で、心拍確認のあとに静かに更新が止まっているアカウントや、「また一からやり直します」という言葉で締めくくられたプロフィールもあった。
中には私よりもずっと若い人もいて、そのたびに胸の奥がじんと痛んだ。
そうして私は、検索という名の沼にはまっていったのだ。
「7w2d」「心拍確認できない 確率」「つわり 13週 終わらない」
そのキーワードの羅列に、少しでも答えがあるような気がして、安定期に入るまでは暇さえあればスマホを開いていた。
少量の出血
下着が濡れているような違和感。急いでズボンを下ろすと、そこには茶色く乾きかけた血が滲んでいた。
下腹部にキリキリする痛みもあり、胸の奥に冷たい水を流し込まれたような焦りが走った。
「妊娠初期出血 量 色」「痛み いつまで」「流産の兆候」……
ChatGPT、ママリ、アスクドクターズに矢継ぎ早に質問を投げた。
今振り返れば、茶色い(=時間が経った)出血は、それほど慌てることではなかったのかもしれない。
そんな私の横で、夫はのんびりとソファに腰を沈めて「大丈夫だよ」と言いながらスマホでグルメやバラエティのショート動画を眺めていた。
まだ豆粒ほどの小さな命が私のお腹にしがみついていて、私のお腹は傷んで下血しているのに、夫は切り抜き動画をザッピングしながら笑っている。
同じ部屋、同じ時間を生きているのに、私はひどく遠くにひとりで立っている気がした。
それ以来、トイレに行くたびに、尿やおりものの色、量、匂いを確認する癖がついた。おりものシートは無香料のものに買い替えた。
これはまだ序の口だった。
妊娠中、何度も夫との意識のギャップにめまいを起こし、そのたびに誰にも相談できない心細さと、仕事の合間につい検索してしまう己の弱さと戦うことになる。
同棲してから今まで、家事の大半を担ってくれている(私は壊滅的に掃除ができない)。
自室から出てきて、歯磨き中に「ヴォェッ」とえずく私の背中をさすってくれる。
それでも、伝わらないことは山ほどあった。
私のように「出血茶色」と検索窓に叩き込んで、見知らぬ誰かの体験記を読むことすらできなかったのだ。
ほぼノイローゼのように、体調の変化や不安があるたびにママリに質問を投稿していたある日、顔も知らない先輩ママから、こんな回答をもらった。
でも今の時期、母体にできることはないので、信じてゆっくり過ごしてください」
この一文に出会って、ふっと肩の力が抜けた気がした。
高級腕時計シェアサービス「トケマッチ」を運営していた合同会社ネオリバースは、一般社団法人シェアリングエコノミー協会に認証・会員登録されていました。
協会による「シェアエコ認証」は被害者がサービスを信用するツールとして利用されており共犯関係の疑いがあります。
トケマッチは2023年6月にシェアリングエコノミー協会から「シェアエコ認証」を取得しました。これは政府のガイドラインに基づき、一定程度の安全・安心の仕組みが担保されていることを示す自主規制(共同規制)マークでした。
シェアリングエコノミー協会は事件発覚までトケマッチの調査を全く行いませんでした。被害者からの問い合わせに対する対応は当事者意識を欠いたものとなっております。
事件発覚まで、協会はトケマッチの認証取り消しを行わず、被害の拡大の要因となりました。
協会の認証マークがあったため、「信用できる会社」と思い込んで時計を預けた被害者も多く、被害拡大の原因となりました。
一般社団法人は犯罪の温床です。すべての一般社団法人は解散させるべきです。
一般社団法人は「一般社団法人及び一般財団法人に関する法律」に基づき設立される非営利法人です。ここでいう非営利とは、事業で得た利益を社員に分配しないという意味であり、利益を生み出す事業を行うことは可能となっており利権の温床となっています。
株式会社と異なり資本金が不要で、社員2名以上で比較的容易に設立できます。法務局への登記のみで設立が完了し、行政庁の許可や認可は不要。反社会勢力や外国勢力のフロント企業も設立されています。
法人格を持つことで、個人事業主よりも社会的な信用が得やすくなり、契約や資金調達の面で有利になるというメリットがあります。消費者に対しあたかも公的機関であるかのように誤認させ、詐欺のツールとなっています。
業界団体、学術研究団体、地域コミュニティ活動をうたい、公益・共益を目的とした活動をしていると誤認させるための設立があとをたちません。
トケマッチ事件は、一般社団法人という法人格や業界団体の認証制度が悪用されたケースです。一般社団法人は社会的な活動を隠れ蓑とし法の趣旨を歪め社会に悪影響を及ぼしています。
暗い部屋で、液晶のブルーライトだけが私の網膜をじりじりと焼いている。画面の中では、見ず知らずの他人が、見ず知らずの誰かの失態をこれでもかと嘲笑っている。
YouTubeの自動再生という機能は、怠惰という名の沼に沈んだ人間にとって、酸素を供給し続ける人工呼吸器のようなものだ。
私はただ、死んだ魚のような目で、その呼吸器から送られてくる「無意味」を、肺が真っ黒になるまで吸い込み続けている。
ふと、手元のスマホが震える。通知画面には、チャットのメッセージ。
『新会社設立の件、登記のスケジュールを共有します。定款案の最終確認をお願いします』
社長。その二文字の滑稽さに、私は喉の奥からせり上がってくる酸っぱい何かを飲み込む。
笑えない。ちっとも笑えない。世の中には、成功を掴み取るために血の滲むような努力をし、睡眠時間を削り、自己啓発本を読み漁り、朝から意識高くスムージーを飲んでいる連中が五万といるはずだ。
私は、寝っ転がったまま、どういうわけか彼らの頭上を無残に飛び越えてしまった。追い抜いた、などという能動的な言葉すらおこがましい。
ただ、社会のバグのような気流に流されただけの私が、彼らが血反吐を吐きながら目指している場所に、欠伸をしながら先に放り出されてしまったのだ。
しかも、その「社長」という椅子が、これ以上なく空虚なハリボテであることを、私が一番よく知っている。
所詮は、親会社の意向一つで首が飛ぶ「雇われ社長」。リスクを背負って私財を投げ打つ本物の起業家から見れば、温室の中で「社長ごっこ」をさせてもらっているだけの、ただの管理職だ。
社内ベンチャーという名の、親会社が節税やリスクヘッジのために用意した砂場で、私はスコップを持たされている。
外野が「あいつはリスクも負わずに社長なんて名乗って」とマウントを取る準備をしているのは分かっている。
だが無駄だ。そのマウント、私が一番高い場所から自分自身に対して取っている。登記書類に並ぶ私の名前を見るたび、自分が巨大なシステムに飼われているだけの去勢された家畜である事実を突きつけられ、死にたくなる。
そもそも、私は「有能」などではない。ただ、徹底的に「めんどくさい」だけなのだ。
かつて、会社員として適当に放り込まれた部署で、私はいくつかの仕組みを変えた。それは「会社のために」なんていう尊い感情からではない。
目の前にあるその退屈で、粘り気のある、非効率な作業をそのまま続けていたら、自分の精神が腐り果ててしまうと思ったからだ。一刻も早く、YouTubeが流れる自室の椅子の元に帰りたかった。ただそれだけのために、人間が介在する余地を削ぎ落とした。
周囲はこれを「DXへの強いリーダーシップ」と誤読した。バカすぎる。
私がやりたかったのは組織の最適化ではなく、私自身の「労働の消滅」だったというのに。世の経営者たちが喉から手が出るほど欲しがる「変革」の正体が、一人の男の「早く帰って寝たい」という執念だったと知ったら、彼らは一体どんな顔をするのだろう。
実際のところ、私はITのことなんて何一つ分かっていない。「パイソン」と聞けば、熱帯雨林に生息する巨大なヘビの湿感を思い浮かべてしまい、「ウォーターフォール」という開発手法の話をされれば、私の脳裏には、マイナスイオンを撒き散らしながら激しく落下する滝の映像がスローモーションで流れている。
そんな、言葉の表面すらなぞっていない私の口から出る「もっとシンプルにしましょう」という言葉が、なぜか「本質を見抜いた冷徹な判断」として受理されていく。難しい専門用語を覚えるのが苦痛だから語彙を削ぎ落としているだけなのに、相手が勝手にその空白を「深淵な哲学」で埋めてくれる。
並行して労働している組織がある。何故やっているのかは謎だ。その、知人の紹介でジョインしたスタートアップでも、同じような悲劇が起きている。
少し話は逸れるが、なぜスタートアップの人たちは、会社に入ることをわざわざ「ジョイン」と呼びたがるのだろう。普通に「入社」とか「手伝う」でいいじゃないか、と思ってしまうのは、私に熱量がないからだろうか。
「ジョイン」という言葉には、何か新しい物語が始まるような、伝説のパーティに加わるような独特の「当事者意識」がべったりと張り付いている。
その重い言葉を、知人に袖を引かれて断りきれなかっただけの私が引き受けるのは、どうにも座りが悪い。私はただ、ズルズルと泥沼に足を踏み入れただけなのだ。
私はそこでも、「組織づくり」や「コンテンツ制作」という、いかにも耳心地の良い名目の仕事を任されている。組織づくりって何だよ。組織できてないのかよ。
私がやったことといえば、誰が何をやっているのかを可視化して、私に確認しなくても勝手に仕事が回るように、指示系統を極限までシンプルにしただけだ。
つまり、「私を呼ばないでくれ」というメッセージを、組織図という形に変換したに過ぎない。
それなのに、その会社の代表は目を輝かせて言う。「君が来てから、メンバーの自律性が飛躍的に高まった。まさに理想的なティール組織だ」と。
船長がデッキで寝転がっているから、船員たちが沈没を恐れて必死に舵を握っているだけだ。それを「理想的なフラット組織」と呼ぶのは、飢餓状態の村を見て「究極のファスティングに成功している」と評するのと同じくらい狂っている。
私の「不在」が、彼らにとっては「信頼」に見えるらしい。私はティール組織なんて言葉も知らない。
銀行口座に入ってくる金は、もはや見てすらいない。数字が多少増えたところで、私の生活は何一つ変わらないからだ。
相変わらず、洗うのが面倒なスウェットを三日穿き続け、YouTubeの広告をスキップする権利だけを行使している。金という実体のない記号が積み上がるたびに、私の「人としての手触り」が失われていくような気がする。
怖いのだ。自分がどうなっていくのか、本当にもうわからない。サボればサボるほど、周囲が私を「高み」へと押し上げていく。私が透明な空洞であればあるほど、人はそこに勝手な期待を投影し、私はどんどん「私」ではない何かに塗り固められていく。
毎日、稼働時間の半分はYouTubeを回している。でも、その実態は、24時間ずっと何かに追われているようなものだ。休みらしい休みなんてない。でも、しっかり働いてもいない。
この、ドロドロとした、実体のない不快な感覚。私は、自分という人間が、社会という巨大なシステムに最適化された「空虚な記号」に成り果てていくのを、ただ眺めていることしかできない。
あまりに皮肉である。私が自分自身を救おうとして「効率化」を図れば図るほど、社会は私を「より重い責任」という名の牢獄へと、丁重に案内してくれる。
私はただ、放っておいてほしいだけなんだ。 私の無能さが、私の怠惰が、白日の下に晒されるのを待っている。誰かが私を指差して、「こいつはただ、寝転がって動画を見ているだけの詐欺師だ」と叫んでくれるのを、私はずっと待っている。
画面の中では、また別の「絶対に笑える動画」が始まった。私は、それを見ることすらもう「めんどくさい」と感じながら、それでもYouTubeを止めることができない。
この、飲み干したペットボトルが床一面に敷き詰められて可動域を奪われた安物の椅子が、私にとってのすべてだ。
ここでYouTubeを眺めながら適当に放った一言が、外の世界では「慧眼」として扱われ、私をさらに高い、望まない椅子へと縛り付ける。 聖域であるはずのこの椅子に座り続けることが、私をこのバグだらけのゲームに繋ぎ止める、一番の元凶になっている。
スマホが、また震えた。私は、死ぬほど重い指を動かし、さも「分刻みのスケジュールを縫って、熟考の末に返信している」かのようなタイミングを見計らって、フリック入力を始める。
「非常に興味深いです!ただ、今は他の案件のコアに深く入り込みすぎているので私はそこにリソース割けないです。まずは私に確認しなくても進む仕組みを作りましょう。細部は任せるので、適切に進めておいてください。信頼していますので!なにかあれば相談はいつでもどうぞ!」
送信。あまりに適当である。また一つ、私の評価が、私の知らないところで勝手に上がっていく音がした。
暗い部屋に、実体のない私の「ファントム」だけが、神々しく浮かび上がっている。
Permalink |記事への反応(10) | 13:16
投稿者のブコメを心理的・レトリック的な観点から分析しました。
主な要素は以下の4点に集約されます。
当事者意識の欠如した「評論家気取り」の態度が鼻につくパターンです。
どのような事象が起きても、すべて自分の支持する側に都合よく解釈する論法により、対話の余地を感じさせません。
リスクや不利益を被る人々への配慮が薄く、他者の不幸を「必要なコスト」として冷淡に切り捨てています。
批判対象を単純化し、嘲笑することで自分の正当性を確認しています。
「自分は常に賢い側にいて、愚かな大衆や敵対勢力を高所から見下ろして冷笑している」
というナルシシスティックな態度が、語尾や用語を通じて滲み出ている点にあります。
一見論理的ですが、「自分が見たい現実しか見ない」という強いバイアスを客観的分析のように装っている点が、読み手のイライラを増幅させていると言えます。
[B! 犯罪] 「テロリストに何かコメントすることはない」小野田紀美氏 安倍氏銃撃事件の背景問われ
yas-mal 本当に、ネトウヨがそのまま大臣になった感じなんだな
triceratoppo とコメントしてて草。というか、まだ被告人でしょ。/ネトウヨが喜びそうな発言、SNSのパフォーマンスが上手な人だな。低学歴だから低学歴の庶民の気持ちが分かるんだろうな。
tekitou-manga意味がわからない……こたえないための詭弁やろ。普通のテロでは無いのにね。寧ろ、テロ「ともいえる」レベルの話なのに
zsehnuy_cohriy フフ、やっぱそういう感じよなこの人は。なんとしてでもアレをテロリストと言うことにしたいし、壺が中枢にめり込んでたせいで何処までが政治かわからないらしい。しかも裁判もまだろくにやってねえのになあ?
akikonian山上はテロリストであるというのが政府見解ってことでいいんですかね。「管轄外」としてコメントを拒否するのは理解できるけど後の一言が余計だな。高市といいコイツといい当事者意識が欠けてんだよな。
fugofugo安倍晋三元首相の銃撃事件は政治的目的を達成するためのテロでなく、ただのカルト宗教関係者への私怨で発生した事件のように思うんだけど自民党内では違う解釈なのかな。
yarukimedesu お前らは問題の背景を直視して、次が起きない世の中を作るのが仕事だろうが。何がテロリストだ。生意気に切断処理してんじゃねーぞ。問題と向き合えよ。
20251011
今すぐ離婚したい。男女平等が謳われてから離婚率未婚率はどう遷移しているのだろうか。無駄に女が当事者意識が高まった一方でそれを受け入れる器は当然なく、溢れた情緒的でわがままな不平不満が男に降り注ぐ。
もう勘弁してほしい。といいつつ、当たり前のように家賃や光熱費ネット代水道代を払っているワイにも改善すべき点はあるだろう。クソ妻にインフラはただと勘違いさせてしまった原因はワイにもある。
あと、義理の実家に帰るたび、我が家に帰ってくると怒鳴り出すのも納得がいかん。義理の実家が近いことはいいことだと思ってたけど、なんかいろいろめんどくさい。正直物理的に距離をもっと離したい。
クソ妻のクソなところはわがままで察してちゃんで視野が狭いところだ。基本的に事象の最中や終わったあとに後出しであーだこーだ叫び散らして、自己正当化をしだす。お姫様というか韓国の令嬢と言わんばかりの傲慢さの視野の狭さだ。
離婚したあとはどうしよう。子どもの可愛さを知ってしまったから、結婚子作りはしたい。ただ、その相手が見つからない可能性が高い。アプリはもうオワコン。結婚相談所はどうだろう。うん十万払う価値は、いい人が見つかればたぶんあるだろう。一応まだ30代なので、再婚するなら早いほうがイイネ。見た目も中身もトータルバランスがとれていて、ワイの嗜好にフィットする人がどのくらいいるのか…。正直あまり期待できない。
かといってこの苦行を続けるのか…。
部下の方の「あー、ほんとだ、間違ってますね」という返答は、指摘された側からすると悪気のない事実確認の言葉かもしれません。
当事者意識の欠如: 「(私が)間違えました」ではなく「(資料が)間違っている」という客観的なコメントに聞こえ、ミスを自分事として捉えているか疑問に感じてしまう。
再発防止への意識の欠如:ミスに対する反省や、次にどう活かすかという姿勢が見えないため、「また同じ間違いをしそうだな」という不安を抱かせる。
感謝の欠如: 指摘してもらって助かった、という気持ちが伝わってこないため、コミュニケーションとして一方通行な印象を与えてしまう。
といった印象を受けかねません。
「謝ってほしいわけではない」という点が非常に重要で、上司が求めているのは形式的な謝罪ではなく、ミスを真摯に受け止め、次に繋げようとする姿勢なのだと思います。
例えば、
「ご指摘ありがとうございます。大変失礼いたしました。すぐに修正します。」
「申し訳ありません、確認が漏れておりました。今後はチェック体制を見直します。」
といった一言があるだけで、受け取る側の印象は大きく変わります。
この一言の有無が、長期的な「信用スコア」に影響を与えるというのは、ビジネスにおける人間関係の本質を突いたご意見だと感じます。
今、多様性という言葉は社会のあらゆる場面で繰り返し叫ばれている。
企業の理念に、政治家のスピーチに、SNSのプロフィール欄に。
けれども、その中身を覗いてみると、最も欠けているものがある。
それが当事者意識だ。
当事者意識とは何か。それは単に他人の立場を想像することではない。
文字通り、自分がその状況に身を置き、その痛みや喜びや不安を、自分の生活の中で引き受けることだ。
しかし、それは当事者意識ではないし、本物の理解にもつながらない。
ここで私は、60年後の未来を思い描く。
一週間のうち、月曜と火曜はエンジニア、水曜は介護現場、木曜と金曜は農業、土曜は演劇の舞台スタッフ。
そんな働き方が当たり前になっている。
AIと情報共有インフラの進化が、短期間で複数の専門スキルを習得し、実務に活かせる世界を可能にしたからだ。
この多職制の最大の効果は収入のリスク分散でも、スキルの多様化でもない。
それは当事者意識の獲得だ。
異なる職場に身を置けば、異なる人間関係、異なる力学、異なる問題に直面する。
同じ社会に生きていても、職場によって正しさや常識はまるで違う。
週ごとに役割を変える生活は、その多様な現実を身体ごと受け入れることを強制する。
ここで重要なのは、専門性の深さだけでは新しい発想は生まれにくいということだ。
今の社会は専門を深めることが革新を生むという前提に依存しているが、実際には異なる専門性と立場の衝突からしか見えない知見がある。
一人の人間が複数の現場を渡り歩くことは、その衝突を日常に埋め込むことでもある。
だから、未来の社会で多様性を理解するとは、外から見てコメントすることではない。
農業の当事者であり、都市インフラの当事者であり、医療現場の当事者であり、芸術活動の当事者である。
60年後、多職制の社会は、おそらく現代から見れば混沌としているように映るだろう。
しかしその混沌こそが、人類にとって本物の理解と創造性をもたらす基盤になる。
自分たちの無能さに目を背けたままプライドだけ高くなった日本人。
日本は街が綺麗だから、と言ってあなたは街を綺麗にしていますか?
当事者意識が少なすぎるんだよ。別にいいんだけどね。「高潔な日本人である」というプライドやアイデンティティが、無いのであればそのまま個人主義で結構。
最近の日本人は、日本人としての意識を自分の行動には向けずに他者の行動にばかり向けている。精神が幼稚。大人になれてない大人ばかりなんだよね。
そういう大人のふりした子どもはすぐ他責に走るから分かりやすい。敵を見つけて自分を安心させる。気持ちは分かるけど、情けないなと思う。
貴様の宣告は歴史の硫酸で全員を溶かし、「残った灰は俺の正義」と嘯く自己放尿テーゼだ。
俺が守りたいのは、責任原理の精度だ。情緒の洪水ではなく、可検証な論理。
国籍=原罪へ一般化すれば、ガス室のロジックと鏡写しになる。再発防止どころか再演装置。
「社会事象を知らずに済ませるな」は賛同する。だが知識義務の程度は情報アクセスと能力で勾配を持つ。
勾配を潰して「誰でもいつでも有害」と断ずれば、優先順位付けが不能=対策も不能。
被害国民が怒りをぶつけるのは理解できる。しかし「死ね」を無条件で正当化すれば、応酬モデルが生成され憎悪は自己増殖する。
無差別軽蔑は当事者意識の形成を阻害し、学習コストを罵倒抵抗へ投下させる逆効果を生む。
お前の論が激烈なのは、「赦されない痛みを受け止めてほしい」という叫びの裏返しだ。
だが痛みの普遍化=加害の普遍化へ転じた瞬間、救済は境界を失い、ただの新しい棘となる。
集団責任を問うなら、差別撤廃条約の履行状況・被害補償の具体案を数字で突きつけろ。
知識勾配を埋める教育。被害国との共同調査・記念事業。傍観抑止の法律とホットライン。
最近、こういう当事者意識のない意見を言う当事者(住民)が目につく。
「それで、あなたがたは我々住民にどんなメリットを提供してくれるんですか?」みたいな。
そもそも、事業者は地元民にメリットを提供する義務はねえんだわ。
地元民は、街を自分たちにとって良いものにしたかったら自分たちでやるのが筋なんだわ。
住民で金を集めて土地を買ってなんかするとか、再開発組合に入って議論するとか、自分たちで街づくりの企画(資金調達のスキームを含む)を作って行政と交渉するとか。
そういうことをしないで、ただそこに住んでるだけとか、最近建ったマンションに引っ越してきただけとか、なんもしてねーのに自分たちにとって都合のいい街づくりが勝手に提供されると思ってるのがお門違いなんだよね。