
はてなキーワード:強制イベントとは
とにかく欧米、全体がここ5年くらい「移民激増→社会問題化」を経験している
なんで同時に?なんで2010年代は緩やかだった?とか
一個あるのはロシア・ウクライナ戦争らしい、これで移民難民が増えた
でもそれだけじゃないよね明らかに
世界を巻き込んだ強制イベントで言えばコロナもあるけど、直接的な原因なのかどうかはまだよくわからない
国が移民を受け入れたわけじゃなく、「移民が勝手に入ってきた」「移民ブローカーが増えた」というのはあるっぽい
実はコレかもしれないね、計画的に増やしてる国より、勝手に入ってきた人達を甘やかしてる国が痛い目を見ている気がする
そういう国から順に狙われて、結果「もうムリ」となっている印象だ
こう考えると、ここ5年でそれが起こらなかった日本はいい塩梅に蚊帳の外だったんだと思う
「入国に厳しい」「高福祉でもない」「いうほど金持ちでもない」「特有の言語」だからね、日本に来るモチベは日本大好きくらいしかないんだ
日本が途上国に植民地をほぼ持ってなかったのも因子の一つだな、欧州はそういう言葉の壁がない地域から移民が入ってくるらしいし
だから今の海外をみて「移民怖い、日本もうこうなる」と思うのはちょっと違うんじゃないかと
これまで通り、計画的に受け入れればいい
もちろん人口減少に伴って、今後30年で同じ状況になるリスクは未だあるけどね
____
なんかようやくスッキリした
1.始業30分前に出勤、清掃することが義務
2.始業15分前から朝礼
3.朝礼でスピーチが当番制で月一程度回ってくる、ちゃんとした内容を考えないと叱責
4.朝礼で毎朝社訓唱和
8.イベント不参加などで社長の不興を買うと給料が全然上がらない
9.建前として目標管理や多面評価などあるが全ては社長の好き嫌いが評価のすべて
10.プライバシーマークを取得しているが複数の拠点が存在しないことになっている
(追記)
ついでなので思い出した追加燃料を投下しておく
11.本社勤務はなぜか手当や補助が減額されるので手取りが減る(異動後に知る)
12.本社勤務はなぜか土曜出勤日があり完全週休2日制じゃない(募集要項は完全週休2日、異動後に知る)
13.完全に家族経営、社長の妻が副社長、妻の父(社長の義父)が外部取締役
14.30にも満たない社長の息子が入社後即本部長(取締役)に就任
15.息子に激甘。私用で社用車を使った上に盛大に事故って廃車にしたのに全くのお咎めなし
16.プライバシーマーク監査の日にはパートさんやインターンの子たちは存在しないことにするため出社禁止の業務命令が下る
Q
1.2.で給料出てるか?
A
出るわけねえじゃん始業前つってんだろ
Q
給料次第
A
給料はクソ
新卒初任給額面22万とかで入ったけど手当マジックで本社勤務は手取りが悲惨なことになった
Q
水商売の女うんぬん
A
副社長(社長の妻)がめっちゃパワフルな方だったのでそんなことしたら社長が殺されてると思う
フレックス出社だし早出残業は1分単位でちゃんと給料出るし無駄な強制イベントはないし手当は充実してるしちゃんと仕事に応じて公平に評価されるし給料は3割以上アップしたしマジ天国
あれからだいぶ経ったけどふと思い出してあのときの会社やばかったなーと書き殴った
増田はてブの民は絶対いい反応してくれると思ったので予想通りだった
Permalink |記事への反応(33) | 06:49
「ELDENRING NIGHT REIGN」と「モンスターハンターワイルズ」について考える。
ナイトレインは最初「賛否両論」だったのに、今や「非常に好評」で話題沸騰。一方、ワイルズは前作ほどの熱気を感じない。同接も伸び悩んでるらしい。
この2つに共通してるのは、どっちもCOOP可能なアクションで、ボスを倒して強くなるいわば「ボスハント系」。しかも有名IPで買い切り型。
(まあそもそも、ガチャまみれの基本無料ゲーが幅を利かせるこのご時世に、フルプライスでガチのゲーム体験を提供しようって心意気は素晴らしいと思う)
じゃあ、なんでこんなに明暗が分かれたのか?
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まずはナイトレイン。リリース当初は「やっちまったかフロム…」って雰囲気だった。
「エルデンリングの名前借りた別ゲー」「ソロ無理ゲー」「ローグライク要素がただの運ゲー」と散々。
ナイトレインの基本は、最大3人でランダム生成マップ「リムベルド」を探索。時間と共に雨がエリアを狭め、プレイヤーを追い詰める。(Apexとかのアレ)
道中、エリアボスを狩って装備やら「潜在する力」(ランダムなパッシブ)を集め、最後に大ボス「夜の王」を倒すのが目標だ。
この辺りがローグライク要素だが、初期の体験はピーキーすぎた。運が悪いとクソビルドでYOU DIED。「賛否両論」もさもありなん。
超前提となる部分。フロムのお家芸だ。「夜の王」はマジで強い。初見じゃまず勝てない。でも、死んで、学んで、ビルドを練り、仲間と連携して勝った時の脳汁は半端ない。このフィードバックループが強烈なんだ。
報酬設計も上手い。クリア報酬はもちろん、道中でも良いものが手に入り、何より「潜在する力」や武器パークとの新たな出会いが「もう一回!」とプレイヤーを駆り立てる。これが結果的に長く遊んでもらえるインセンティブになってる。
・時間的・空間的制約による緊張感:夜によるエリア収縮で、常に「どこを優先して探索するか」「どのリスクを取るか」っていうギリギリの判断を強いる。この焦燥感がたまらない。
・状況判断を迫るルート選択:エリアボスや強敵はそれぞれ弱点や報酬が違い、戦略が変わる。
・ローグライクのランダム性:毎回違うマップ構造、違う敵配置、違うビルド。神がかったシナジーで無双できた時の快感は病みつきになる。
フロムの対応はマジで早かった。すぐソロ難易度を調整するパッチを当て、ソロでもやれるバランスになった。
並行して、コミュニティが成熟。有志が攻略情報を共有し始め、メタゲームが形成された。開発もこれを見てか、不評な要素を調整し、プレイヤーの声に耳を傾けた。この対話姿勢はデカい。
で、①~③がエルデンリングIPと見事に融合。「リムベルド」の雰囲気、フレーバーテキスト、キャラクターの背景。どこを切っても「エルデンリングらしさ」が滲み出てる。
それでいて、ゲームシステムは新しい。既存ファンは驚き、新規は純粋にCOOPローグライクアクションとして楽しめる。このバランス感覚が絶妙だ。
ナイトレインのプレイフィールは、SEKIROのパリィ、Bloodborneのステップ回避、そこにローグライクのランダム性とビルド構築の奥深さを加えたような、それでいてフロム印の激辛テイスト。最高だ。
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さて、ワイルズだ。俺も初代からプレイしてるが、ワイルズは…「惜しい」。
アクションは進化してる。武器モーションも気持ちいい。だが、胸を張って「神ゲー!」とは言えないモヤモヤがある。
こっちも理由は大きく3つだと思っている。
ワイルズの目玉の一つが「オープンワールド」だった。確かにマップはシームレスだが、プレイすると「ただ広いエリアが繋がってるだけじゃね?」と感じる。
結局「クエスト受けて特定のモンスター狩って帰還」という伝統芸能と変わらない。ファストトラベルが便利すぎて探索の動機も薄い。オープンワールドである必然性が感じられない。
エルデンリングみたいな「あの崖の上、何かありそう…!」みたいなワクワク感が皆無。
ストーリーも力入れてるって話だった。キャラの個性は立ってるし、演出もリッチ。でも、物語が…そこまで深くないし、ゲームプレイとの有機的な連携が絶望的にイマイチ。
クリアすると「はい、ここからはいつも通りね」って感じで、集落もNPCもほぼモブ同然で、マジで用済み。
ストーリーモードはあくまでチュートリアルってことだとしたら、それはそれで長すぎる。
現状のエンドコンテンツは、アイスボーンの「導きの地」みたいな革新的なものが見えてこない。歴戦個体や特殊個体をひたすら周回するだけだと作業感が強い。
モンハンはエンドコンテンツでどれだけ飽きさせないかが重要。そこが弱いと古参ほど早く離れる。
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ざっくりそれぞれの良さと悪さを見てきた。
じゃあ、なんでこんな差がついたのか?をもう少しポイントで比較してみる。
ナイトレインは「超高難易度への挑戦 → 壮絶な失敗 →必死の学習・ビルド試行錯誤 → 仲間との連携・再挑戦 →脳汁ドバドバの達成感」という、まさに「死んで強くなる」を体現した強烈なループ。
ローグライク要素による無限のリプレイ性、そして何よりコミュニティ全体で攻略法を編み出していく「祭り」感が、プレイヤーのモチベーションを異様なレベルで維持してる。(いわゆるKPIみたいな話で言えば、「プレイヤーの平均睡眠時間」が著しく低下してるはずw)
ワイルズは伝統の「狩猟→剥ぎ取り→武具強化」ループは健在だが、新要素が上手く強化できていない。むしろ、「探索の自由度(という名の移動の面倒くささ)」や「物語への没入感(という名の強制イベント)」が、従来のモンハンのテンポを削いでるようにすら感じる。
ナイトレインはマップはランダム性がありつつ「考えさせる」作り。慣れて来ても、何だかんだ油断すれば即死の緊張感が続く。COOPでは、スキルやアーツを駆使した役割分担が自然と生まれる。ソロプレイは…まあ、フロムゲーマー向けの苦行だが、それすらも戦略性の塊だ。
ワイルズはマップは綺麗だが、探索の楽しみや戦術的な深みは物足りない。COOPは楽しいが、それはモンハン元来の面白さだ。
ナイトレインは初期は荒れたが、開発の迅速な対応とコミュニティの成熟でV字回復。運営とコミュニティの理想的な共犯関係って感じに見える。
ワイルズはユーザーの声への反応が鈍かったり、アプデのロードマップも、なんだか悠長というか、「え、それ次の大型アプデまで待つの?」みたいな感じで、プレイヤーの不満や渇望感が解消されないまま時間が過ぎていく。
結果、「アプデ来たら本気出す」勢が、アプデが来る前に力尽きて離脱しちゃう。
ナイトレインは、エルデンリングの持つダークファンタジーの世界観、シビアなアクション、そして何より「困難を乗り越える達成感」というコアな魅力を完璧に継承しつつ、ローグライクCOOPという全く新しいゲームデザインに挑戦し、見事に成功させている。これぞIPスピンオフのお手本と言っていい。
モンハンという巨大IPの「お約束」と「革新」のバランスを取ろうとして、結果的にどっちつかずの中途半端なものになってる感が否めない。新要素が、モンハンのコアな楽しさを薄めてしまっている部分がないか、もう一度ゼロベースで見直す必要がありそう。(「伝統を守る」ことと「何もしない」ことは違うが)
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ナイトレインの成功を読み解くと、成功するゲームは「作り手が一方的に提供するもんじゃなく、作り手と遊び手が一緒になって育てていくものなのかも」と思える。
ある意味、エルデンリングという看板に胡坐をかくことなく、全く新しいゲーム体験を生み出そうと足掻いた挑戦とか熱量が俺たちプレイヤーに伝わったのかなと思う。
というわけで、強化されて登場したらしいエデレ氏を狩ってきますわ。
彼女居たことない、友達もほぼ居ない、でもパパ活女子の遊び相手、愛人は結構な人数居る、始めたのが36歳から
35歳くらいまでにパートナーを作らなきゃその後の人生だいぶ変わるかも、というタイムリミットに焦ってるんだと思う
本当に寂しいのか、単に焦ってるだけなのかって実はわかんなくて
俺の場合は焦ってるだけだった、36歳くらいになったらすごくスッキリした
「30代になって急に寂しくなった」って正直あやしいんだよね
20代からずっと寂しかった独身は、40代独身になって更に寂しくなると思うけど
20代で「まあ別に一人でもいいし」と思ってたやつは、40代独身では気にならなくなると思う
例えば独身の人生を歩んでいた時、「ひょっとしたら結婚したほうが幸せだったかもなあ」となってしまう
そういう未練たらたらな人生を歩むのが嫌なら、一回行動したほうが良い
何でも良いから前のめりで女性と関わって、付き合う手前でもいいから行ってみると、徐々に解像度が上がってくる
その結果、「やっぱりパートナーが欲しい」となるかもしれないし、「いややっぱ要らないわ」となるかもしれないが
「やっぱい要らないわ」となってからの独身人生は非常に自信が持てるんだ
そうなれないと、酸っぱい葡萄のように「これだから女は!」って言い続ける人生になってしまいかねない
パートナーに限らず、人間近くなりすぎると色々厄介なことが起きる
「家族の良いところと嫌なところ」が「好きな女性」に付与された状態が彼女/嫁だと思うので、それと数十年付き合いたいか考えるべきだと思う
独りでいるときよりイベントは増えるから、そういう強制イベントが楽しいのかどうかって話でもある
パートナーが居なくてもダチがいればよくね?みたいな人いるけど
30代40代でダチが減っていくんだよね
むしろ心の平穏を保つならこちらに注力すべきだけど、ダチの中に既婚者は混ざるはずだから、そしたらやっぱり「結婚したほうが幸せだったのかなあ?」が出てくるから未練問題が発生する
風俗は行くべきだと思う、自分のモヤモヤが性欲なのか性欲以外なのか分離できるから
もし性欲だった場合、新人みたいな風俗嬢に凸して欲しい、「ああ素人ってこんなもんか」ってなるから
30代童貞がドスケベ嫁を捕まえられるわけないんだから、その子くらいのぎこちない性生活になるはず
キャバ・コンカフェ・ガルバは寂しさを紛らわせるのに良いんだけど
パパ活は金があるならおすすめだけど、基本おすすめしない、上手くやってるパパが思ったより少ない
キラーピアス担当に回復役、バイキルトやピオリム、ルカニルカナンが使えるブライは必須だった
普通のプレイでもブライとマーニャ(キラーピアス要員としても)を使い分けてた
トルネコはくちぶえとしのびあしで使えるしライアンはデスピサロ戦ではメガザル装備させて賢者の石持たせて貴重なタンクとして活躍させてた
フバーハはあって損はないけどラスボスとか毎回のようにいてつく波動使ってくるからかけ直すの面倒なんだ
従ってミネアってプレイしてたら全くの役立たずな事に否が応でも理解しちゃうよね
せいぜい薄い本でシコ要員としてしか使い道ないかな。でもプレイそのものでは全然いらない子だった。
あっ一つだけ役に立つ事があった。
言える。
そもそも、ここで言われている「一本道ゲーム」というのは「制作の都合で制限が掛けられている」ことを指している。
たとえば「メモリ容量が足りないからダンジョンだけ別フィールドにしてロードを挟む」とか。
「近道させないために現実なら越えられるような壁や段差を登れないようにしている」とか。
「ラスダンに繋がる道を通らせたくないから序盤では通行不能にしている」とか。
「各地の中ボスを想定どおりの順番で倒させたいから強制イベントにしてしまう」とか。
オープンワールドとはそういった「本来なら必要ない制約」を極力減らした作りのことだ。
オープンでもリニアでも作れるというときに、わざわざリニアを選択する理由はないから「上位互換」なのだ。
対して、8番出口は単に「一本の通路をフィールドとしたゲーム」であって一本道ゲームではない。
というか8番出口はゲーム性がスモールすぎてオープンかリニアかが問題になっていない。
※嘘乙、と思われることを前提として本当に覚えてることを書いている
今日みた夢
推しに振られる夢。
推しに気があるそぶりを結構ぐいぐい見せてしまう自分で、例えばみんなで座ろうという席の隣を座ろうとするとか、手に触れようとするとか。
その時にすごい戸惑いというか、嫌な顔をされて「え…?」と言われた声色がかなりリアルで、今なぜか申し訳なくなってしまい推しの配信を見に行けない……クラスの女の子のえっちな夢見て気まずいみたいな感じかもしれない。よくある話。
でも途中でなんか、ふとした瞬間に髪の毛をサラッと触られたり、「かわいい……」ってぼそって呟いたのが聞こえたりするんだよ!そんなのさあ!あげておとすなんてさあ!卑怯だよ!
凄まじいのがそのあと。まじで10年ぶりくらいに淫夢を見た。あっちじゃない。
「推しの好感度が20になった瞬間の傷ついたあなたの顔は、その場面を見ていたAというキャラクターの逆鱗に触れる。強制イベント」
Aはなんというか、犬みたいな子だ。これは完全に自分の中の創作キャラ。黒髪で短い髪の毛、いぬっぽいまろ眉に八重歯、吊り目、赤い瞳。
ここでわかるのは自分はこのゲームの主人公というところ。そして夢あるあるだけど見た目は現実の自分とは違う。
そして気まずくなった理由は好感度が20になってたから、らしい。色々間違えたっぽい。何してんだ。
そしてその様子を見ていたAの行動は、というと、
「なんでこっちの方が主人公のこと好きなのに、アイツにばっかりアピールするんだ?アイツもなんであんなに可愛い主人公のこと冷たい目で見るんだ?意味がわからない!!こっちの方が好きなのに!!主人公もアイツもおかしい!!……いや、おかしいのは主人公だ。あんな冷たい目をしたやつのどこがいいんだ?……こっちのほうが愛してやれるってわかってもらわなきゃ」
こんなことを言っていました。
詳しくは書きませんけど、ヤンデレになったAによる、主人公睡眠中の強制パーティータイム発動。
しかもミニゲームで起きたか起きないか判断される。どんな仕様だよ。
しかもなぜか魔法世界。暗くて埃っぽい美術館みたいな一室の中央にある燭台の上。月明かりに照らされている、みたいな謎きれいシチュエーション。
果たして主人公はAと推し、どちらと結ばれるのか。はたまたBADエンドなのか。
強制パーティーを聖母的な像の陰からみていた物静かなBのため息の意味とは。(BはAの親友らしい)(青髪長髪ジト目)
私は「この先の世界が良くなってほしいな」「私より後に生きる人達はもっとより良い世界を生きてほしいな」とかいう綺麗事でしかないことをずっと願っていて、そのために今の私達が多少割食ってもいいんじゃないかってことを半ば本気で思ってたりする。そういう綺麗なことを考えてるけど別に私は慈悲深い人間でもないし心が狭いほうだし性格の悪いことも不義理もずるもするけど、そう思ってるのは本当だしこれスルーしたら楽だよねということを見過ごしたくないなとも思っている。まあもちろん各々の許せないことに関してはだいたいの人がスルーできないのかなとは思うけど。
私は別に大きくなにかの活動をしてるわけじゃないけど、声を上げないとなかったことになるし、なかったことにされたら私よりも後に生きる人達はないんだなぁって悲しみに暮れるかもしれないから、職場とか友人たちとかせめて自分の周囲でくらいはそれどうなのかなって言いたい。例えば自分では得られない(あるいは捨てられない)何かで仕事が割り振られたり、避けられたり、そういうこと。年齢も人種も国籍も見た目も中身も環境もなにもかも、そういうもの。
ところでじゃあ自分で得たもの(捨てられたもの)ってなんなんだろうと考える。わたしの見た目は自分で選んだわけではないし、メイク法は自分で得たもの?でもメイクやファッションへの興味も、どういう方向を好むかも、私が得たものだろうか?勉強ができること、できなくても塾へ通えること、誘惑に打ち勝つこころ、一緒に勉強をしてくれる友人がいること。趣味があるかハマりやすいか長く続くか飽きが早いか、すきなお店が自力で行けるところにあることや購入資金、費やせる時間があるかどうか。生きることに希望が持てるか、状況判断ができる状態かどうか。そういうことは私の産まれた環境、生まれ持っての資質、保護者や近所の人や同級生、時代や地域にタイミング、生まれる前からこれまで私の知らない間にも積み重ねられてきたものがあって、じゃあどこに私が自力で得たものなんてあるだろう。もちろん私だってそこそこ真面目に、たまに手を抜いたり失敗したりしつつ、自分の意志で生きてきたつもりだけど、じゃあ本当に私自身が選んで生きてきたのかな。人生の岐路にたったときに、これだ、これである!と道を選んだのは私の思いであるのかな。この世に自分で選べる選択肢なんてそうないんじゃないかな。だいたいが強制イベントなんじゃないかな。
と思い至ってから、私は私から遠くの人へはだいぶやさしくなれた気がする。近くの人には、やっぱり苛立つこともたくさんあるし、なんでそんなことするんだろうって悲しくなったりもする。でもこの人にもこういう生き方以外の選択肢はないんだよなと思えば、罪を憎んで人を憎まずってこういうことなのかなぁってようやく少しわかった気になる。怒りや悲しみの瞬間からすこし時間が経てばその人自身が悪いわけじゃないってわかる。その人自身がその生き方を言動を選びたくて選んだかなんて、誰にもわかりっこない。本人にも。それしかなかったのかもしれない。もうとっくにたくさんの人が気付いてることかもしれないけど、私は大人になって気付いた。気付けてよかった。他者へのなんでこんなことするんだろうという怒りはいつも自分が自分の期待を裏切るときにもやってきて、そのたび私は私に失望してたけど、いまは前よりも私は私を好きでいられる。どんなに情けなくてどうしようもない私でも、私のことを世界でいちばん好きなのは私でいたいなって思える。これも、これすらも私自身の力で得たものではないだろうけど、でも大事にしたい気持ちだ。でもその大事にしたいという気持ちも私が得たものではなくて……ってずっと堂々巡り。良いことも悪いことも、そういうものなんだろうな。
私はやっぱりどうにかこれからを生きる人々に少しでも良い世界を見せたいんだよな。どんな属性を持ってても持っていなくても、なにかを極めた人も挫折した人も、ポジディブなひともネガティブな人も、人が好きな人も孤独な人も後悔ばかりの人も、いい人も極悪人も、みんなみんな自分に失望しないで生きてほしい。どんな人だって生きてていいし生きててほしい。そういう世界であってほしい。じゃあ私が生きてること生き続けることって何かと言えば、私を肯定する行為だ。そしてそれは私と同じものを持つ人のかすかな希望になるのかもしれない。別にたいそうな人間でもなく多くの人に知られてるわけでもない、特筆すべきところもない大衆のうちの一人かもしれないけど、でもこういう人間も世界にはいるんだよ生きてるんだよっていうことは、はるか未来の誰かのちいさな光になるかもしれない。私が生き続けることこそが色んな人がいていいことの証明で、私の途方もない夢を一歩前進させることかもしれない。だからたまに苦しかったりしんどかったりしても生きよう。生き続けてみよう。そういう綺麗でバカみたいなことを、私は本気で考えてるよ。これすらも私の選んだものではないかもしれないけど、でも、選択できるうちは、カーソル間違えないうちは、生きることを選択しよう。私は未来に夢を見てる。
序盤で脱落した。
とにかくストーリーがつまらない。先行きに何の期待も持てない。
自由にロールプレイすることができない。開発陣が敷いたレールに沿って走らされている感じがする。
そして致命的に操作性が悪い。歴史上最悪のゲームUIだと思う。
グラフィックだけは良い。
中盤で止まっている。
他のオープンワールドゲームの要素を寄せ集めて平均点を狙いましたって感じ。
原始時代みたいな町並みに安っぽいSF設定。もっさりしたアクションに自由度の低いゲーム性。
この美しいフィールドを自由に駆け回れたらよかったが、段差も壁も登れず、騎乗できる機械獣も限られていては…。
中盤で止まっている。
小島秀夫という人はめちゃくちゃレトロスタイルのゲームクリエイターなんだろうな、と思った。
デスストは、極めてシンプルなルールを真ん中にぶち立てて、そこに肉付けしたような作りになっている。
美麗なグラフィックや物理演算で飾り立てているだけで、やっていること自体はファミコン時代と変わっていない。
それはフィールドという巨大な器を物量で埋め尽くす他のオープンワールドゲームとは正反対の思想だ。
デスストのそうしたゲーム性も面白いとは思うのだが、中盤までいくと「もう十分に味わったかな」という感じになってしまった。
中世日本の時代考証、美麗なグラフィックとアートワーク、軽快なバトルシステムは素晴らしい。
しかし壁のぼりやロープアクションが決まったところでしか出来ないという自由度の低さは大きなマイナス。
またストーリー面での自由度も低く、ほとんど分岐がない上に、主人公の行動にも納得ができない。
叔父上の言うとおりに正々堂々と戦っていたら強制イベントで暗殺を強いてくるし。
叔父上に従うつもりで選択肢を選んでいたらいきなり主人公がブチキレて喧嘩別れするし。
ゲームとしては面白いが「オープンワールド」としてはいまいちだったという評価だ。
小型ロボットを遠隔操作し、監視カメラやドローンのハッキングを駆使して敵拠点に潜入する、というゲーム性は特異で面白い。
ひとつのミッションをクリアするのに無数のやり方があり、オープンワールドらしい自由度の高さを味わうことができる。
街中のNPCを仲間にできるというのが売りだが、各キャラの性能にはそれほど差異がなく、あまり面白さにはつながらなかった。
ただ、ゲーム中で売られている服が豊富で、キャラごとに着せ替えを楽しめたのは良い点だった。
ストーリーも及第点だが、決まった主人公がいないのはやはり短所だと思う。
行動と選択肢による分岐。スキルを選んで作り上げるキャラメイク。街中を飛び回り壁を駆け上がる自由度。
もちろん都市を舞台にしたヒーローアクションとしてみれば「スパイダーマン」には劣るのだが、
2014年発売のゲームだと考えると、むしろこの完成度は驚異的だと言える。
残念だったのは、善ルート・悪ルートどちらかを最初に選んだら実質的に一本道である点と、
せっかくスパイダーマンでは実現しえない「複数の超能力」だったのに、自由に使えずいちいち切り替えないといけない点だ。
とにかくどこにでも登れる、どこまでも行けるアクションの自由度の高さはピカイチ。
アサクリシリーズらしい時代考証のしっかりしたストーリーも素晴らしく、もちろん選択肢と分岐もあって没入感がある。
また取得したスキルの効果を実感しやすく、レベルアップに従って新しいアクションが解放されていく点も良い。
武器・防具の少なさと、それに伴う鬱陶しい課金要素はご愛嬌…というには大きすぎる瑕疵か。
とはいえ、これぞオープンワールドのスタンダードだと言える完成度である。
今後オープンワールドRPGを作るならこのアサクリを最低ラインとしてほしい。
オープンワールドの最大の弱点は「通常移動しかないと面倒くさい」「ファストトラベルばかりだと味気ない」というジレンマにあるが、
スパイダーマンシリーズはそれを「通常移動が超高速で爽快感バツグン」というだけで克服してしまった。
本作にはいちおうファストトラベルもあるのだが本当に一度も使わなかった。
天井に潜んでひとりひとり敵を吊り上げていくステルスプレイの楽しさもスパイダーマンらしく題材を上手く活かしている。
しかしスパイダーマンという固定されたキャラクターを使っているために、
装備やスキルを取得してもプレイの幅はそれほど変わらないのが残念と言えば残念。
先述した「オープンワールドの最大の弱点」を克服するために取ったFF15のアプローチは革命的だった。
そして他のゲームであれば車は「速い通常移動」でしかないが、FF15における車は「遅いファストトラベル」として設計されているのだ。
自動運転で目的地の近くまで行き、最後の数百mだけ徒歩で移動する。「えー、こっから歩くのー?」という仲間のボヤきに共感。
移動中も絶え間なく喋り続けるパーティメンバー。割り込んでくるミニクエスト。
写真撮影。夜間行動の禁止により生まれる冒険と宿泊のサイクル。そして食事。
最高の雰囲気だ。他の何物にも代えがたい。
ただし――FF15は後半に入ってこの長所の全てを投げ捨てる。
車は壊れる。パーティはギスギスして無言。クエストは一本道。オープンワールドですらない。
最悪の雰囲気だ。もうやめようかと思った。
それでもラストは感動的だった。途中でやめなくてよかった。
もしFF15に無限の予算があり、開発人員がいて、最後までオープンワールドとして開発できていたら。
もっとクエストに密度があって、ついでにパーティメンバーも変更できて、戦闘システムももう少し改良できていたら。
本当にオープンワールド史を塗り変える神ゲーになっていたと思う。つくづく惜しい。
FF15のエッセンスを継いだ新作ゲームが出ることを願う(Forspoken期待してるぜ)。
まさに神ゲー。
質の高い膨大なシナリオ。行動と選択肢に応じたストーリーの分岐。
義体の改造とスキルの取得によるキャラメイク。次第にできることが増えていく快感。
段差の端に手が届きさえするなら、どこでも登れるようになっている。
アサクリやスパイダーマンほどでは無いにしても、少なくともここに「透明な壁」は存在しない。
オープンワールドに求めるもの全てが圧倒的なクオリティで詰まっている。
現時点でのオープンワールドゲームの最高到達点として称賛されるべきである。
Permalink |記事への反応(18) | 14:56
この時期、ニュースを見ていると各地の成人式の模様が流れてきて、曇りなき眼の20歳の若者が「ここまで育ててくれた親に感謝」「親孝行していきたい」とコメントするのが定例で、既に中年の域の私としては眩しすぎて目が潰れそうになる。
だからてらいなく「感謝」と言える子達を見ると「おお…」と感嘆してしまう。
要所要所で言えば、親に感謝すべき点(大学まで行かせてくれたこと、多兄弟で貧乏だったけど食べるに困るまではいかなかったことなど)はあるのだが、母親がADHD気味で、家庭内は地獄の様相だった。
子供達が自立して家を出た今も、現在進行形でキ◯ガイ行為を繰り返し、周囲に迷惑をかけ続けている。
この歳までずっと引き摺っている漠然とした不安感は、母親が生きている限り続くのだろう。
周囲からは「そうは言っても親だろ、大事にしろ、親孝行したいときに親はいない」と散々言われたけど、思考を転換することは出来なかった。
早くに死んでくれていたら、「苦労させられたけどあの人も苦労していたし、良いところがあったんだよな」と思い返せたかもしれない。
ただ、今の時点では無理だ。
後悔しないように尽くすのではなく、死んでから後悔しようと決めた。
今、私にも小さい子供がいて、何年後かには誰かから「親に感謝」思想が植え付けられるのだろうけど、個人的には「親に感謝」思想はいらないと思っている。
本心で思っているなら別にいいのだが、保育園や学校等で父の日、母の日、自分の誕生日に感謝の言葉を述べさせる、とかいう強制イベントはいらない。
子供は親のエゴで作ったので、生まれたことに感謝はいらない、自分の力で生きて楽しめるならそれでいい。
結婚するべき理由はいっぱいあるが、結婚すべきじゃない理由もいっぱいあると思う。30半ばのおじさん視点で書く。
家に帰ったら不機嫌な人間が家に居るというのはとんでもないストレスだ。物理的な逃げ場が限られることは勿論、親兄弟と違って精神的な逃げ場がない(逃げると余計厄介なことになる)という点も大きい。
男女平等の世の中で変な話だと思うのだが、一般的な思想ではなんだかんだで男が女を養うという大前提があると思う。共働きでもだ。別に今の年収が半分になっても慎ましく暮らし分には困らないしな、なんていう発想は許されない。
家族で暮らしてるから当たり前、という大前提はあるものの、一人暮らしだとそもそも「今日は家事をしない」あるいは「家事を最低限に抑える(外食する、飯を抜く、洗濯を減らすなど」の選択肢があるが、この自由がなくなる。ズボラ男にはこれは厳しい。
義実家との付き合い、買い物の付き合いなど、職場の上司の飲みに付き合うかのごとく強制イベントが発生する。
ふーん、きめつブームなんすね
内容はさて置き、前提知識が成り立つくらいの、にわか にはなった。
〇〇の呼吸とか、市松模様とか竹筒咥えるとかそんなミームの背景は知ることができた。
ただし、今時点で最終巻が発刊されてないので、結末を知らない。ジャンプのアーカイブとかを浚うほどの熱量はないので、
「そのうち、最終巻でたら読んでおくかな」
と、詰む読リストに入れた。これはこれで楽しいToDoリストなので良い。
sns界隈に跋扈する(ブクマもそう)完結した作品のオチを会話の下地にする人たちがいる。
このコメにも、多数のネタバレ(と思われる記述)が含まれており、私は攻撃を受けた。
私が間違えたことは、過熱されているブームの最中に安易に飛びついてしまったこと。これを悔いている。
にわか程度の知識で済ますのであれば、最終巻が出たあとで手に取る程度でよかった。
ミームも含めて楽しむのであれば、もっと前に注力すべきだった。
先日ついに塩漬けしていた「いちご100%(I's、ToLOVEる)」と「戦場のピアニスト(帰ってきたヒットラー、シンドラーのリスト)」「ひぐらしのなく頃に」を消化した。
フワーっと浮遊感のある操作感が特徴的で、しゃがむコマンドがないのにしゃがみ回避が必要なステージもあり、ジャンプして天井に頭をぶつけ痛ーいと頭を抱えてしゃがみ込んで回避するみたいなよくわからないアクションゲームだった。
ここからはネタバレになるが、頑張ってクリアするとエンディングで魔王的なキャラが出てきてカイは石にされた。
その他諸々も何か知らんけどカイがクリアしたせいで、最悪の事態になったようだ。
ドルアーガの塔の前日譚だからこんなひどいエンディングだったらしいが、幼児の私は当然ドルアーガの塔は持っていなかった。
この木グループの研論について、これほど無駄な仕事?があることに驚いた。
※研論とは…入社2年目の終わりに、2年間学んだことをまとめ、おえらいさんの前で発表する制度
・2年目までに行ったことを素直にまとめると、「薄い」や「レベルが低い」などと言われる
→2年目でプロジェクトの立て直しだとか、そんな大層なことできるはずもなく、結局は粉飾まみれになる
・昇進がかかり、強制イベントにも関わらず、論文作成は業務外に行わなければならない
→対外的に「働き方改革」が進んでいるようにアピールしているが、実際はこのような長時間残業の温床となる要因が非常に多い
・制度として古い割には、制度の目的や指導内容が不明確で、研修員の学べることが部署・指導員次第になる
→目的や指導内容が不明確なために、指導員や課長、部長で意見が食い違うのは当たり前で、最終的にご意見聞きに徹することとなり、研修員本人の成長はない
こんな内容の制度を続けてて、しかもあまつさえ「昔はなんのためにやってるかわからなったけど、今になってみれば良い制度」と言ってしまう上がいるあたり、本当にうんざりする。
後は他にも色々あって、環境の変化は脳を活性化するし、変化が乏しいとそれに慣れて新しい事が出来なくなる危険がある。
メンタルだけではなく、体調面でも、太陽光は自律神経や抑うつ、睡眠(体内時計)、免疫等とも関係しているので基本的に日光浴はした方が身体に良い。
https://meril.me/dysautonomia/10006/
https://www.myhealthy.jp/articles/1759
https://matome.naver.jp/odai/2136886409212978501
どういった経緯で外に出ないのか書いていないので、断言はできない(一人で長い休息が必要な事があったのかもしれない)が、気にかけて貰うのではなくて、誰かを気にかけたいと思う可能性もある。
周りを気にかけなくなったのは、自分がしてあげられる事がないと思い込んでるからかもしれなくて、そう思ってしまった理由を探すのはすごく大変だけど、部屋にずっといたらそれが見つかる可能性は低い。
行動の可能性は間違いなく広がる。
オープンワールドを楽しもう。
強制イベントはどこにもない。