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はてなキーワード:弱虫とは

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2025-10-28

anond:20251028050427

さあ皆さん、これがタフガイぶっている弱虫自己叱咤ですよ!

痛々しいですねハハハハハハ

Permalink |記事への反応(0) | 05:08

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2025-10-17

おいおいおいおい?「自己放尿」だとかい造語使うチキン野郎喧嘩売ってんのにこねえな?

人様が投稿したらいつもその造語つけて偉そうに言う

はっきり言って不快、早くアカウント消せよゴミクズ

お前は邪魔なの、そして腰抜けのチキン野郎

チキン野郎チキン野郎!お前は弱虫チキン野郎

文句あるなら言えよ、こうやって喧嘩売っても無視するのはお前がチキンからなんだろ?

言い返せそうな投稿だけにしかトラバつけない雑魚だもんな!

チキン野郎チキン野郎チキン野郎!ほら出てこいよチキン野郎

喧嘩売ってんのに無視するチキン野郎底辺まれ穢多非人チキン野郎!マトモな仕事にも就いてないチキン野郎人権適応されない池沼チキン野郎

毎日粘着するぞ?毎日喧嘩売るぞ?ほら早く反応しろチキン野郎

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2025-10-05

ワークライフバランスを捨てるってゆった!!!!」

【速報】ワークライフバランス捨てると高市2025年10月04日 15時11共同通信

https://www.47news.jp/13246623.html 

高市氏は自民党総裁選出を受け

「全員に馬車馬のように働いてもらう。私自身もワークライフバランスという言葉を捨てる。働いて、働いて、働いていきます

言及した。

どんな速報だよ

  

 

1.シチュエーション文脈について

こんなんにイチャモンつけるようなくっだらねー人間に心底嫌悪感を持つ。

与党総裁への批判で圧倒的一番がこれって。

 

はてな民て結局、しょーもないクレーム被害者ぶりっこ揚げ足取りばっかりのクズみたいな人生送ってる奴らなんだと思う。

自分人生に対して主体的覚悟を持って、脇目もふらず何かを頑張ったという経験が一度もない。

 

それどころかそうやって頑張るという事自体嫌悪していて、

自分以外の誰かが猛烈に頑張ることにすらなんかケチをつけたい感情がある。

当たってるだろ?

  

「全員に馬車馬のように働いてもらう。私自身もワークライフバランスという言葉を捨てる。働いて、働いて、働いていきます

これは自民党内の挨拶であり、高市姿勢表明だ。

お前等になんか何も言ってない。

 

自民党議員に対しては「馬車馬のように働け」と。

そして先頭に立つ高市自身は「ワークライフバランスという言葉を捨てて働く」と。

これの何が問題なんだ?

論理的説明できる人間がお前等の中に1人でも居るのか?

  

 

2.「ワークライフバランス」は普遍価値観

そもそもワークライフバランスってのは少子高齢化対策として採用された使用人向けスローガンだ。

一般サラリーマン待遇に関する標語だ。

好意的に取れば「使用者は使用人に長時間労働させてはいけません」という労働者権利護持であり、

左翼的問題意識を持って受け取れば「国がライフスタイルにまで介入して子供を持たせようと操作している」標語だ。

  

から当然、全員がこんなもん当てはめられなければいけないわけでもない。

例えば経営者なら週7日仕事してたっていいんだしそんな奴は幾らでもいる。

自分が望んでキーエンス就職する奴なら毎日23時まで働けばいいだけ。

反体制左翼も「うるせえな余計なお世話だよ」と反発や無視をしていい。

  

で、国会議員になるような人間経営者キーエンス側の人間だ。

一般人より遥かに重い負荷で働くのが嫌だって奴はそもそも政治家にならない。

 

まして高市総理大臣になったんだから

当然ワークライフバランスなんか捨てるだろうし、捨てると公言しても何も問題がない。

  

高市特別の中の特別なんだからよ。

なんで高市ぐらいの人間がお前ら弱虫と同じ標語弱虫を守る為の標語の下にいる必要があるんだよ死ね 

 

ノブレスブリージュの表明にまでふんぞり返って揚げ足取りする自称弱者様とか

もはやじんかんのどこにも必要ねえだろ。人の世の害虫というものがいるならお前等だよ。

   

   

3.仮に高市が凡人であっても

仮に高市能力も体力も意志もお前らレベルの凡愚な人間だったとしても

それでも別に常にワークライフバランスを守らなきゃいけないわけではない。

 

だって高市は64歳で、ライフイベントなんかもう終わってるから

子供は産まずに人生賭けてやってきた仕事最後で最大の正念場なんだから

まだなんとか動く身体も頭も振り絞って仕事に全部注ぐに決まってるじゃねーか。

     

よくこういう人間決意表明に対してそんな

「俺たち弱虫向けの標語を守らなかった!」なんて言うくっそ情けないケチを付けられるわ。

  

本当に心底くだらない生物、その辺の水たまりに跳ねてるボウフラ程度の値打ちのその生で

いっちょまえの大威張りで自分肯定できるわ水たまりの外で生きる人間に向かって物申せるわ、本当すげーと思うよ。

自己肯定バケモノだなお前等は。

(ちなみにこいつらがこれだけ大事にするWLBを日本で盛り上げた政治家指定難病で無理して働いてたし子がいない)

 

高市は誰かに強制されるのではなしに働く人間で、

高市はお前等なんかに何かを頑張れと言ってるのですらないんだけど、

弱虫でない人間が「私は頑張る」つっただけで被害者みたいな気持ちなっちゃわけだろ?

 

ならもうニュースとか見るの自体やめろよ。  

有益思考をする知能も精神力も無いんだから無駄情報を入れるな。

お前等なんぞ誰からも頼られてないからお前等も無駄駆動をするな。

気の向くことして飯食ってクソして寝てろ。

  

  

4.「無能な働き者!(キリッ)」

それでブコメでなんか、無能な働き者」みたいな文言を書いてる人間が10人超もいるんだよな。

無能」て。

俺は心底不思議なんだけど、なんでお前等が高市能力を見下してるの?

ど~~~~考えても、どの角度から検討しても、高市はお前等なんかより遥かに能力あるだろ。

 

何をどうやれば無能与党総裁まで上り詰められる?

百歩譲って親が財閥トップ総理大臣クラス世襲議員なら

当人が相当ボンクラでも……ってこともあるいはあるかもしれないが

高市地盤看板も鞄もない一般家庭から一代で昇り詰めたししかも女だ。

         

お前等に高市人生を歩ませたら社会に出て最初の3年くらいで泣きを入れて

その後の余生全部ネット被害者意識炸裂させることだけに生を空費する人糞製造機になるわけじゃん。

能力根性もお前等なんかの百倍はあるに決まってるだろ。

  

どうしてそういう当たり前の弁えがないのか、そこが一番不思議なんだよな。

何をどうすればお前等ごとき能力的に高市見下せると勘違いできるの?

人が頑張ると聞いただけでも不愉快なっちゃうようなボウフラちゃんの分際で?

 

物陰から高市非難罵倒する言葉すらほとんど自分の脳を通過してなくて   

人口膾炙しすぎた擦り切れた「無能な働き者」をキリッとした顔で書き付けて

それで何か鋭い批評批判をしたつもりになってるわけじゃん?

 

本当にどのような角度でも能力が低いんだよな。

根性もない、気力もない、センスもない、国語力もない、罵り言葉すら自分のものじゃない。

    

つか

「強い人は言葉いからボクたち無能の神経に配慮してよ!」なのか

高市なんて無能だ!」なのかどっちかにしろよせめて。

  

 

5.聖句で思考する程度の知能について

そもそも国が労働者に対してやるべきことは

せいぜい労基法を守らせることと違反した企業摘発懲罰まで。

  

ワークライフバランス」なんてのは個人生活に立ち入る不届き千万であって

こんなもんは”正しい言葉”でも”よい言葉”でもない。

しろ月月火水木金金」 「欲しがりません勝つまではかに近い。

  

しかはてな民言葉に対するそうした最低限の思考力や注意力もないため、

”正しい言葉”と”悪い言葉”を丸呑みでコレクションする。

(そこまで頭が悪いのに自分経典読みではなくリベラル(笑)だと思っている) 

   

その結果、

ワークライフバランス」なんていう国による・間に合わせの・不格好なスローガン

つのまにかコーランの聖句かなんかぐらいに勘違いするようになって

「あの女が聖句を冒涜的したぞ!」事件が起きたかのように騒いでるわけ。

怠惰で蒙昧で卑怯石打民どもがよ。

  

こういう奴等に本当に必要だったものって出来もしない進歩思想じゃなくて宗教

それもイスラム教ぐらい個人生活に立ち入って来て「ただしいこと」を決めてくれる中世宗教だったんだよな。

自律的思考力なんかありゃしないから。

中世までしか適応できない知能レベルで間違って近代に生まれちゃって苦しんでるわけだから

 

こいつらは脳髄のスペック的にかなり無能なのに、

何故か自分達にちょうどいい価値(古めの宗教迷信陰謀論)を見下してるし

自分達より遥かに能力ある女を見て「無能だ」と大騒ぎしている。

  

政治に関心ある振りをするけど政策なんかは複雑すぎてわからないため、

高市批判するにしても「ワークライフバランス捨てるってゆった!!!」という涜神性問題にして批判する。

本当に敬虔しか取り柄がない連中。

 

無能の他動症はおめーらだろって思うんだけどね。

モスクへ行け。

  

  

おまけ  「夫の介護はどうするの?(ニチャァ)」

いま見るとブコメ欄で「介護」に触れてる者も10名以上いる。

背景として高市は夫の高市拓が今年脳梗塞で倒れて要介護になってる。

  

旦那さんの介護やめて見捨てるの!?2025/10/04

夫の介護の優先度を下げるという意味なのかな 2025/10/04

脳梗塞後遺症介護必要な夫・山本拓氏の世話はやめるということ? 2025/10/04

山本拓さんの介護はどうするんだろう 2025/10/04

こいつらどんなきったねえツラしてこれ書いてるんだろ。

      

高市家の事情なんかは知らんけど

訪問介護サービスを利用したらダメなのか?

夫を介護施設に叩き込んで働くのは許されんのか?

夫の実子である3人の子供たちに分担させたらアカンのか?

   

まり高市が手ずから流動食食わせてクソ拭いて風呂に入れるのしか認められないってこと?

それ以外の選択肢不道徳からこいつらはこんなにニチャついてるわけなのか?

家族介護を人に任せたら不道徳になるのは要は高市嫁だから・女だからか?

ほんとに骨の髄までリベラルだなあおめーらは。  

  

  

それにしても、

夫の介護について「ここが弱点に違いない!」と思いついて実際に書き込むまでのあいだの

どっかの瞬間に我に返って突発的希死念慮に襲われたりしねーのかな。

   

ボウフラちゃんの脳って便利。人間じゃなかなかこうはいかない。

自己保存の怪物

  

高市はこういうくだらない生物たちからのあらゆる投石に負けずにここまで上ってきてて、

ついにボウフラが一生解さないなんらかの信念をこれから果たそうとしてるんだろう。

     

自分の生を何に使うか決めた者と

自己保存に特化した変な怪物

人間と鬼って感じがする。

Permalink |記事への反応(2) | 12:07

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2025-10-03

俺の中のFFT設定

マンダリア平原を往復して無敵と化した士官候補生達。

初代のFFTで皆やったよね。

ゲーム序盤で全ジョブマスターするのもレベル99にするのも特に難しくないのがFFT

マンダリア平原には上手い具合にデジェネレーターもあるし。

ディリータは遭遇戦には出撃出来ないから弱いまま。

俺の中では、ラムザと固い友情で結び付いた士官候補生達は一人一人が雷神シドを秒殺できるイヴァリース最精鋭で、ディリータの事は『弱虫ディリータ』と呼んでいる事になっている。

ただしずっとマンダリア平原奥地で黒チョコボや赤チョコボ死闘を繰り広げてたので、風呂とか入っておらず結構不潔で髪ボサボサの野蛮人集団となっていて、一応貴族階級の子弟たちという設定はあるのたが、物語序盤で装備が貧弱なので見た目が野盗。

俺た〜ち〜無敵の士官候補生〜と歌いながら歯向かう敵を算術フレア1ターンキルしていく。

Permalink |記事への反応(0) | 22:04

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2025-09-18

anond:20250918183630

いつも言われてることを反転させて相手に言い返してやりた〜い

って普段からウジウジ恨みを募らせてるから

相手もそうに違いない」って思い込んじゃうんだろ

おまえはネットでも弱虫負け犬なんだなあ、かわいそうに

Permalink |記事への反応(0) | 18:38

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2025-09-01

テキサスではカウボーイの子孫たちが無法運転をしている 2025

テキサスではカウボーイの子孫たちが無法運転をしている

タイトル

車線変更の時とか、ウインカーつけないの当たり前。(むしろつけたら弱虫である

すぐクラクション鳴らされる(左右確認してから

ちょっと気に食わないと、Roadrage(煽り運転

//rb.­gy/vf2g36

//rb.­gy/upa7e5

//rb.­gy/xgv8e1

//rb.­gy/t0dsk9

//rb.­gy/42pvok

//rb.­gy/4ey2i7

//rb.­gy/u5shbb

//rb.­gy/9m1t6b

Permalink |記事への反応(0) | 18:09

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2025-08-28

テキサスではカウボーイの子孫たちが無法運転をしている

タイトル通り。

車線変更の時とか、ウインカーつけないの当たり前。(むしろつけたら弱虫である)

すぐクラクション鳴らされる(左右確認してから発車するまでの1秒)

ちょっと気に食わないと、Roadrage(煽り運転)される。

(デカピックアップトラックに追われるとマジで怖い)

まだまだあるけど、

まり100年くらい前のカウボーイの子孫たちが、

荒野を馬で駆け回ってた時の感じがそのままなんですな。

Permalink |記事への反応(1) | 23:20

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2025-08-25

anond:20250825201656

ぼくは弱虫毛虫のクソ雑魚です😢

Permalink |記事への反応(0) | 20:20

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anond:20250825201413

絶対勝てる相手マウントを取るのは「僕は弱虫毛虫のクソ雑魚です」って自白だぜ?

Permalink |記事への反応(2) | 20:16

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2025-08-17

「おいっ、プーチンちょっと話あるから来いよ!」と米国に呼ばれれば飛んでいくのがプーチン

力の信奉者という言葉の正確な意味

私は知らないが

自分より遥かに強大な相手に対して

犬のように従うのは

力の信奉者のやり方の一つだと考えている。

プーチンという男は

平気で首脳会談遅刻したり

犬が苦手な外国首脳のそばに犬を置いたり

外交儀礼に欠けることをしばしばする男だ。

だが、米国にだけはそのようなことは絶対にしない。

虫酸が走るほど嫌い(だったはずの)なオバマにも礼儀を尽くした。

テキサスのドラ息子としか思ってなかったはずのブッシュにも高貴なる貴族でもあるかのような態度を取った。

なぜか?

それはアメリカロシアよりも強いからだ。

これが力の信奉者の本質というものだと思う。

彼らにとって、従わなければいけないもの基準は「力」なのだ

から自分より力が強いものには従う。

実際のところ、トランプ

「おいプーチン、今すぐ戦争をやめろ。いますぐだ」

命令したらプーチンは従う。

これは必ず。

それが力の信奉者なのだ

反対にウクライナが自らに屈しないことは、ありえない事実なのだ

プーチンからしたら不可解としかいいようがない。

私がお前(ゼレンスキー)の立場ならば、いますぐにモスクワ赤の広場で膝を屈してロシア大統領の慈悲にすがるための懺悔を始めるはずなのだが。

はて?

そう考えるのが力の信奉者というものだ。

彼らは力のみを信じる。

そういう存在なのだ

なぜロシアウクライナ侵略するのか?

色々と理屈はある。

ロシアウクライナ起源は同一であり、別の国ではなく神聖で不可分である、とかなんとか。

そういう話は幾らでもある。

しかし、本質は違う。

なぜウクライナロシアに攻められるのか?

それはウクライナロシアより弱いからだ。

簡単クリミア半島を明け渡す脆弱存在からだ。

クリミア半島どころか国家のもの防衛できない弱虫の集まりからだ。

からロシアウクライナを攻める。

力の信奉者とはそういうものだ。

だが、ウクライナロシアに屈しようとしない。

それならば、と「力」を行使して「力」の証明をするのは当然のことだ。

力の信奉者とはだいたいそういう感じだろ。

しらんけど。

Permalink |記事への反応(1) | 08:45

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2025-06-23

anond:20250623202707

 また、犯人意識、という言葉もあります自分は、この人間の世の中に於いて、一生その意識に苦しめられながらも、しかし、それは自分の糟糠そうこうの妻の如き好伴侶はんりょで、そいつと二人きりで侘わびしく遊びたわむれているというのも、自分の生きている姿勢の一つだったかも知れないし、また、俗に、脛すねに傷持つ身、という言葉もあるようですが、その傷は、自分赤ん坊の時から自然に片方の脛にあらわれて、長ずるに及んで治癒するどころか、いよいよ深くなるばかりで、骨にまで達し、夜々の痛苦は千変万化の地獄とは言いながら、しかし、(これは、たいへん奇妙な言い方ですけど)その傷は、次第に自分の血肉よりも親しくなり、その傷の痛みは、すなわち傷の生きている感情、または愛情の囁ささやきのようにさえ思われる、そんな男にとって、れいの地下運動グルウプの雰囲気が、へんに安心で、居心地がよく、つまり、その運動本来目的よりも、その運動の肌が、自分に合った感じなのでした。堀木の場合は、ただもう阿呆のひやかしで、いちど自分を紹介しにその会合へ行ったきりで、マルキシストは、生産面の研究と同時に、消費面の視察も必要だなどと下手な洒落しゃれを言って、その会合には寄りつかず、とかく自分を、その消費面の視察のほうにばかり誘いたがるのでした。思えば、当時は、さまざまの型のマルキシストがいたものです。堀木のように、虚栄のモダニティから、それを自称する者もあり、また自分のように、ただ非合法匂いが気にいって、そこに坐り込んでいる者もあり、もしもこれらの実体が、マルキシズムの真の信奉者に見破られたら、堀木も自分も、烈火の如く怒られ、卑劣なる裏切者として、たちどころに追い払われた事でしょう。しかし、自分も、また、堀木でさえも、なかなか除名の処分に遭わず殊に自分は、その非合法世界於いては、合法紳士たちの世界に於けるよりも、かえってのびのびと、所謂健康」に振舞う事が出来ましたので、見込みのある「同志」として、噴き出したくなるほど過度に秘密めかした、さまざまの用事をたのまれるほどになったのです。また、事実自分は、そんな用事をいちども断ったことは無く、平気でなんでも引受け、へんにぎくしゃくして、犬(同志は、ポリスをそう呼んでいました)にあやしまれ不審訊問じんもんなどを受けてしくじるような事も無かったし、笑いながら、また、ひとを笑わせながら、そのあぶない(その運動の連中は、一大事の如く緊張し、探偵小説の下手な真似みたいな事までして、極度の警戒を用い、そうして自分にたのむ仕事は、まことに、あっけにとられるくらい、つまらないものでしたが、それでも、彼等は、その用事を、さかんに、あぶながって力んでいるのでした)と、彼等の称する仕事を、とにかく正確にやってのけていました。自分のその当時の気持としては、党員になって捕えられ、たとい終身、刑務所で暮すようになったとしても、平気だったのです。世の中の人間の「実生活」というものを恐怖しながら、毎夜の不眠の地獄で呻うめいているよりは、いっそ牢屋ろうやのほうが、楽かも知れないとさえ考えていました。

 父は、桜木町の別荘では、来客やら外出やら、同じ家にいても、三日も四日も自分と顔を合せる事が無いほどでしたが、しかし、どうにも、父がけむったく、おそろしく、この家を出て、どこか下宿でも、と考えながらもそれを言い出せずにいた矢先に、父がその家を売払うつもりらしいという事を別荘番の老爺ろうやから聞きました。

 父の議員任期もそろそろ満期に近づき、いろいろ理由のあった事に違いありませんが、もうこれきり選挙に出る意志も無い様子で、それに、故郷に一棟、隠居所など建てたりして、東京に未練も無いらしく、たかが、高等学校の一生徒に過ぎない自分のために、邸宅召使い提供して置くのも、むだな事だとでも考えたのか、(父の心もまた、世間の人たちの気持ちと同様に、自分にはよくわかりません)とにかく、その家は、間も無く人手にわたり自分は、本郷森川町の仙遊館という古い下宿の、薄暗い部屋に引越して、そうして、たちまち金に困りました。

 それまで、父から月々、きまった額の小遣いを手渡され、それはもう、二、三日で無くなっても、しかし、煙草も、酒も、チイズも、くだものも、いつでも家にあったし、本や文房具やその他、服装に関するものなど一切、いつでも、近所の店から所謂「ツケ」で求められたし、堀木におそば天丼などをごちそうしても、父のひいきの町内の店だったら、自分は黙ってその店を出てもかまわなかったのでした。

 それが急に、下宿のひとり住いになり、何もかも、月々の定額の送金で間に合わせなければならなくなって、自分は、まごつきました。送金は、やはり、二、三日で消えてしまい、自分は慄然りつぜんとし、心細さのために狂うようになり、父、兄、姉などへ交互にお金を頼む電報と、イサイフミの手紙(その手紙於いて訴えている事情は、ことごとく、お道化虚構でした。人にものを頼むのに、まず、その人を笑わせるのが上策と考えていたのです)を連発する一方、また、堀木に教えられ、せっせと質屋がよいをはじめ、それでも、いつもお金不自由をしていました。

 所詮自分には、何の縁故も無い下宿に、ひとりで「生活」して行く能力が無かったのです。自分は、下宿のその部屋に、ひとりでじっとしているのが、おそろしく、いまにも誰かに襲われ、一撃せられるような気がして来て、街に飛び出しては、れい運動の手伝いをしたり、或いは堀木と一緒に安い酒を飲み廻ったりして、ほとんど学業も、また画の勉強放棄し、高等学校入学して、二年目の十一月、自分より年上の有夫の婦人と情死事件などを起し、自分の身の上は、一変しました。

 学校は欠席するし、学科勉強も、すこしもしなかったのに、それでも、妙に試験の答案に要領のいいところがあるようで、どうやらそれまでは、故郷の肉親をあざむき通して来たのですが、しかし、もうそろそろ、出席日数の不足など、学校のほうから内密故郷の父へ報告が行っているらしく、父の代理として長兄が、いかめし文章の長い手紙を、自分に寄こすようになっていたのでした。けれども、それよりも、自分の直接の苦痛は、金の無い事と、それかられい運動用事が、とても遊び半分の気持では出来ないくらい、はげしく、いそがしくなって来た事でした。中央地区と言ったか、何地区と言ったか、とにかく本郷小石川下谷神田、あの辺の学校全部の、マルクス学生の行動隊々長というものに、自分はなっていたのでした。武装蜂起ほうき、と聞き、小さいナイフを買い(いま思えば、それは鉛筆をけずるにも足りない、きゃしゃなナイフでした)それを、レンコオトのポケットにいれ、あちこち飛び廻って、所謂いわゆる「聯絡れんらく」をつけるのでした。お酒を飲んで、ぐっすり眠りたい、しかし、お金がありません。しかも、P(党の事を、そういう隠語で呼んでいたと記憶していますが、或いは、違っているかも知れません)のほうからは、次々と息をつくひまも無いくらい、用事の依頼がまいります自分の病弱のからだでは、とても勤まりそうも無くなりました。もともと、非合法の興味だけから、そのグルウプの手伝いをしていたのですし、こんなに、それこそ冗談から駒が出たように、いやにいそがしくなって来ると、自分は、ひそかにPのひとたちに、それはお門かどちがいでしょう、あなたたちの直系のものたちにやらせたらどうですか、というようないまいましい感を抱くのを禁ずる事が出来ず、逃げました。逃げて、さすがに、いい気持はせず、死ぬ事にしました。

 その頃、自分特別好意を寄せている女が、三人いました。ひとりは、自分下宿している仙遊館の娘でした。この娘は、自分れい運動の手伝いでへとへとになって帰り、ごはんも食べずに寝てしまってから、必ず用箋ようせんと万年筆を持って自分の部屋にやって来て、

「ごめんなさい。下では、妹や弟がうるさくて、ゆっくり手紙も書けないのです」

 と言って、何やら自分の机に向って一時間以上も書いているのです。

 自分もまた、知らん振りをして寝ておればいいのに、いかにもその娘が何か自分に言ってもらいたげの様子なので、れい受け身奉仕精神を発揮して、実に一言も口をききたくない気持なのだけれども、くたくたに疲れ切っているからだに、ウムと気合いをかけて腹這はらばいになり、煙草を吸い、

「女から来たラヴ・レターで、風呂をわかしてはいった男があるそうですよ」

「あら、いやだ。あなたでしょう?」

ミルクをわかして飲んだ事はあるんです」

光栄だわ、飲んでよ」

 早くこのひと、帰らねえかなあ、手紙だなんて、見えすいているのに。へへののもへじでも書いているのに違いないんです。

「見せてよ」

 と死んでも見たくない思いでそう言えば、あら、いやよ、あら、いやよ、と言って、そのうれしがる事、ひどくみっともなく、興が覚めるばかりなのです。そこで自分は、用事でも言いつけてやれ、と思うんです。

「すまないけどね、電車通りの薬屋に行って、カルモチンを買って来てくれない? あんまり疲れすぎて、顔がほてって、かえって眠れないんだ。すまないねお金は、……」

「いいわよ、お金なんか」

 よろこんで立ちます。用を言いつけるというのは、決して女をしょげさせる事ではなく、かえって女は、男に用事をたのまれると喜ぶものだという事も、自分ちゃんと知っているのでした。

 もうひとりは、女子高等師範の文科生の所謂「同志」でした。このひととは、れい運動用事で、いやでも毎日、顔を合せなければならなかったのです。打ち合せがすんでからも、その女は、いつまでも自分について歩いて、そうして、やたらに自分に、ものを買ってくれるのでした。

「私を本当の姉だと思っていてくれていいわ」

 そのキザに身震いしながら、自分は、

「そのつもりでいるんです」

 と、愁うれえを含んだ微笑の表情を作って答えます。とにかく、怒らせては、こわい、何とかして、ごまさなければならぬ、という思い一つのために、自分はいよいよその醜い、いやな女に奉仕をして、そうして、ものを買ってもらっては、(その買い物は、実に趣味の悪い品ばかりで、自分はたいてい、すぐにそれを、焼きとり屋の親爺おやじなどにやってしまいました)うれしそうな顔をして、冗談を言っては笑わせ、或る夏の夜、どうしても離れないので、街の暗いところで、そのひとに帰ってもらいたいばかりに、キスをしてやりましたら、あさましく狂乱の如く興奮し、自動車を呼んで、そのひとたちの運動のために秘密に借りてあるらしいビル事務所みたいな狭い洋室に連れて行き、朝まで大騒ぎという事になり、とんでもない姉だ、と自分はひそかに苦笑しました。

 下宿屋の娘と言い、またこの「同志」と言い、どうしたって毎日、顔を合せなければならぬ具合になっていますので、これまでの、さまざまの女のひとのように、うまく避けられず、つい、ずるずるに、れい不安の心から、この二人のご機嫌をただ懸命に取り結び、もはや自分は、金縛り同様の形になっていました。

 同じ頃また自分は、銀座の或る大カフエの女給から、思いがけぬ恩を受け、たったいちど逢っただけなのに、それでも、その恩にこだわり、やはり身動き出来ないほどの、心配やら、空そらおそろしさを感じていたのでした。その頃になると、自分も、敢えて堀木の案内に頼らずとも、ひとりで電車にも乗れるし、また、歌舞伎座にも行けるし、または、絣かすりの着物を着て、カフエにだってはいれるくらいの、多少の図々しさを装えるようになっていたのです。心では、相変らず、人間の自信と暴力とを怪しみ、恐れ、悩みながら、うわべだけは、少しずつ、他人と真顔の挨拶、いや、ちがう、自分はやはり敗北のお道化の苦しい笑いを伴わずには、挨拶できないたちなのですが、とにかく、無我夢中のへどもどの挨拶でも、どうやら出来るくらいの「伎倆ぎりょう」を、れい運動で走り廻ったおかげ? または、女の? または、酒? けれども、おもに金銭不自由のおかげで修得しかけていたのです。どこにいても、おそろしく、かえって大カフエでたくさんの酔客または女給、ボーイたちにもまれ、まぎれ込む事が出来たら、自分のこの絶えず追われているような心も落ちつくのではなかろうか、と十円持って、銀座のその大カフエに、ひとりではいって、笑いながら相手の女給に、

「十円しか無いんだからね、そのつもりで」

 と言いました。

心配要りません」

 どこかに関西の訛なまりがありました。そうして、その一言が、奇妙に自分の、震えおののいている心をしずめてくれました。いいえ、お金心配が要らなくなったからではありません、そのひとの傍にいる事に心配が要らないような気がしたのです。

 自分は、お酒を飲みました。そのひとに安心しているので、かえってお道化など演じる気持も起らず、自分の地金じがねの無口で陰惨なところを隠さず見せて、黙ってお酒を飲みました。

「こんなの、おすきか?」

 女は、さまざまの料理自分の前に並べました。自分は首を振りました。

お酒だけか? うちも飲もう」

 秋の、寒い夜でした。自分は、ツネ子(といったと覚えていますが、記憶が薄れ、たしかではありません。情死の相手名前をさえ忘れているような自分なのです)に言いつけられたとおりに、銀座裏の、或る屋台のお鮨すしやで、少しもおいしくない鮨を食べながら、(そのひとの名前は忘れても、その時の鮨のまずさだけは、どうした事か、はっきり記憶に残っています。そうして、青大将の顔に似た顔つきの、丸坊主おやじが、首を振り振り、いかにも上手みたいにごまかしながら鮨を握っている様も、眼前に見るように鮮明に思い出され、後年、電車などで、はて見た顔だ、といろいろ考え、なんだ、あの時の鮨やの親爺に似ているんだ、と気が附き苦笑した事も再三あったほどでした。あのひとの名前も、また、顔かたちさえ記憶から遠ざかっている現在なお、あの鮨やの親爺の顔だけは絵にかけるほど正確に覚えているとは、よっぽどあの時の鮨がまずく、自分に寒さと苦痛を与えたものと思われます。もともと、自分は、うまい鮨を食わせる店というところに、ひとに連れられて行って食っても、うまいと思った事は、いちどもありませんでした。大き過ぎるのです。親指くらいの大きさにキチッと握れないものかしら、といつも考えていました)そのひとを、待っていました。

 本所大工さんの二階を、そのひとが借りていました。自分は、その二階で、日頃の自分陰鬱な心を少しもかくさず、ひどい歯痛に襲われてでもいるように、片手で頬をおさえながら、お茶を飲みました。そうして、自分のそんな姿態が、かえって、そのひとには、気にいったようでした。そのひとも、身のまわりに冷たい木枯しが吹いて、落葉だけが舞い狂い、完全に孤立している感じの女でした。

 一緒にやすみながらそのひとは、自分より二つ年上であること、故郷広島、あたしには主人があるのよ、広島床屋さんをしていたの、昨年の春、一緒に東京家出して逃げて来たのだけれども、主人は、東京で、まともな仕事をせずそのうちに詐欺罪に問われ、刑務所にいるのよ、あたしは毎日、何やらかやら差し入れしに、刑務所へかよっていたのだけれども、あすから、やめます、などと物語るのでしたが、自分は、どういうものか、女の身の上噺ばなしというものには、少しも興味を持てないたちで、それは女の語り方の下手なせいか、つまり、話の重点の置き方を間違っているせいなのか、とにかく、自分には、つねに、馬耳東風なのでありました。

 侘びしい。

 自分には、女の千万言の身の上噺よりも、その一言の呟つぶやきのほうに、共感をそそられるに違いないと期待していても、この世の中の女から、ついにいちども自分は、その言葉を聞いた事がないのを、奇怪とも不思議とも感じております。けれども、そのひとは、言葉で「侘びしい」とは言いませんでしたが、無言のひどい侘びしさを、からだの外郭に、一寸くらいの幅の気流みたいに持っていて、そのひとに寄り添うと、こちらのからだもその気流に包まれ自分の持っている多少トゲトゲした陰鬱の気流と程よく溶け合い、「水底の岩に落ち附く枯葉」のように、わが身は、恐怖から不安からも、離れる事が出来るのでした。

 あの白痴淫売婦たちのふところの中で、安心してぐっすり眠る思いとは、また、全く異って、(だいいち、あのプロステチュウトたちは、陽気でした)その詐欺罪犯人の妻と過した一夜は、自分にとって、幸福な(こんな大それた言葉を、なんの躊躇ちゅうちょも無く、肯定して使用する事は、自分のこの全手記に於いて、再び無いつもりです)解放せられた夜でした。

 しかし、ただ一夜でした。朝、眼が覚めて、はね起き、自分はもとの軽薄な、装えるお道化者になっていました。弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我をするんです。幸福に傷つけられる事もあるんです。傷つけられないうちに、早く、このまま、わかれたいとあせり、れいのお道化煙幕を張りめぐらすのでした。

「金の切れめが縁の切れめ、ってのはね、あれはね、解釈が逆なんだ。金が無くなると女にふられるって意味、じゃあ無いんだ。男に金が無くなると、男は、ただおのずから意気銷沈しょうちんして、ダメになり、笑う声にも力が無く、そうして、妙にひがんだりなんかしてね、ついには破れかぶれになり、男のほうから女を振る、半狂乱になって振って振って振り抜くという意味なんだね、金沢大辞林という本に依ればね、可哀そうに。僕にも、その気持わかるがね」

 たしか、そんなふうの馬鹿げた事を言って、ツネ子を噴き出させたような記憶があります長居無用、おそれありと、顔も洗わずに素早く引上げたのですが、その時の自分の、「金の切れめが縁の切れめ」という出鱈目でたらめの放言が、のちに到って、意外のひっかかりを生じたのです。

 それからひとつき、自分は、その夜の恩人とは逢いませんでした。別れて、日が経つにつれて、よろこびは薄れ、かりそめの恩を受けた事がかえってそらおそろしく、自分勝手にひどい束縛を感じて来て、あのカフエのお勘定を、あの時、全部ツネ子の負担にさせてしまったという俗事さえ、次第に気になりはじめて、ツネ子もやはり、下宿の娘や、あの女子高等師範と同じく、自分脅迫するだけの女のように思われ、遠く離れていながらも、絶えずツネ子におびえていて、その上に自分は、一緒に休んだ事のある女に、また逢うと、その時にいきなり何か烈火の如く怒られそうな気がしてたまらず、逢うのに頗すこぶるおっくうがる性質でしたので、いよいよ、銀座敬遠の形でしたが、しかし、そのおっくうがるという性質は、決して自分狡猾こうかつさではなく、女性というものは、休んでからの事と、朝、起きてからの事との間に、一つの、塵ちりほどの、つながりをも持たせず、完全の忘却の如く、見事に二つの世界を切断させて生きているという不思議現象を、まだよく呑みこんでいなかったからなのでした。

 十一月の末、自分は、堀木と神田屋台で安酒を飲み、この悪友は、その屋台を出てからも、さらにどこかで飲もうと主張し、もう自分たちにはお金が無いのに、それでも、飲もう、飲もうよ、とねばるのです。その時、自分は、酔って大胆になっているからでもありましたが、

「よし、そんなら、夢の国に連れて行く。おどろくな、酒池肉林という、……」

「カフエか?」

「そう」

「行こう!」

 というような事になって二人、市電に乗り、堀木は、はしゃいで、

「おれは、今夜は、女に飢え渇いているんだ。女給にキスしてもいいか

 自分は、堀木がそんな酔態を演じる事を、あまり好んでいないのでした。堀木も、それを知っているので、自分にそんな念を押すのでした。

「いいかキスするぜ。おれの傍に坐った女給に、きっとキスして見せる。いいか

「かまわんだろう」

「ありがたい! おれは女に飢え渇いているんだ」

 銀座四丁目で降りて、その所謂酒池肉林の大カフエに、ツネ子をたのみの綱としてほとんど無一文ではいり、あいているボックスに堀木と向い合って腰をおろしたとたんに、ツネ子ともう一人の女給が走り寄って来て、そのもう一人の女給が自分の傍に、そうしてツネ子は、堀木の傍に、ドサン腰かけたので、自分は、ハッとしました。ツネ子は、いまにキスされる。

 惜しいという気持ではありませんでした。自分には、もともと所有慾というものは薄く、また、たまに幽かに惜しむ気持はあっても、その所有権を敢然と主張し、人と争うほどの気力が無いのでした。のちに、自分は、自分内縁の妻が犯されるのを、黙って見ていた事さえあったほどなのです。

 自分は、人間のいざこざに出来るだけ触りたくないのでした。その渦に巻き込まれるのが、おそろしいのでした。ツネ子と自分とは、一夜だけの間柄です。ツネ子は、自分のものではありません。惜しい、など思い上った慾は、自分に持てる筈はありません。けれども、自分は、ハッとしました。

 自分の眼の前で、堀木の猛烈なキスを受ける、そのツネ子の身の上を、ふびんに思ったからでした。堀木によごされたツネ子は、自分とわかれなければならなくなるだろう、しか自分にも、ツネ子を引き留める程のポジティヴな熱は無い、ああ、もう、これでおしまいなのだ、とツネ子の不幸に一瞬ハッとしたものの、すぐに自分は水のように素直にあきらめ、堀木とツネ子の顔を見較べ、にやにやと笑いました。

 しかし、事態は、実に思いがけなく、Permalink |記事への反応(1) | 20:29

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anond:20250623202511

お化けの絵だよ」

 いつか竹一が、自分の二階へ遊びに来た時、ご持参の、一枚の原色版の口絵を得意そうに自分に見せて、そう説明しました。

 おや? と思いました。その瞬間、自分の落ち行く道が決定せられたように、後年に到って、そんな気がしてなりません。自分は、知っていました。それは、ゴッホの例の自画像に過ぎないのを知っていました。自分たちの少年の頃には、日本ではフランス所謂印象派の画が大流行していて、洋画鑑賞の第一歩を、たいていこのあたりからはじめたもので、ゴッホゴーギャンセザンヌルナアルなどというひとの絵は、田舎中学生でも、たいていその写真版を見て知っていたのでした。自分なども、ゴッホ原色版をかなりたくさん見て、タッチ面白さ、色彩の鮮やかさに興趣を覚えてはいたのですが、しかし、お化けの絵、だとは、いちども考えた事が無かったのでした。

「では、こんなのは、どうかしら。やっぱり、お化けかしら」

 自分本棚から、モジリアニの画集を出し、焼けた赤銅のような肌の、れいの裸婦の像を竹一に見せました。

「すげえなあ」

 竹一は眼を丸くして感嘆しました。

地獄の馬みたい」

「やっぱり、お化けかね」

「おれも、こんなお化けの絵がかきたいよ」

 あまり人間を恐怖している人たちは、かえって、もっともっと、おそろしい妖怪うかいを確実にこの眼で見たいと願望するに到る心理、神経質な、ものにおびえ易い人ほど、暴風雨の更に強からん事を祈る心理、ああ、この一群の画家たちは、人間という化け物に傷いためつけられ、おびやかされた揚句の果、ついに幻影を信じ、白昼の自然の中に、ありありと妖怪を見たのだ、しかも彼等は、それを道化などでごまかさず、見えたままの表現努力したのだ、竹一の言うように、敢然と「お化けの絵」をかいしまったのだ、ここに将来の自分の、仲間がいる、と自分は、涙が出たほどに興奮し、

「僕も画くよ。お化けの絵を画くよ。地獄の馬を、画くよ」

 と、なぜだか、ひどく声をひそめて、竹一に言ったのでした。

 自分は、小学校の頃から、絵はかくのも、見るのも好きでした。けれども、自分かいた絵は、自分綴り方ほどには、周囲の評判が、よくありませんでした。自分は、どだい人間言葉を一向に信用していませんでしたので、綴り方などは、自分にとって、ただお道化の御挨拶みたいなもので、小学校中学校、と続いて先生たちを狂喜させて来ましたが、しかし、自分では、さっぱり面白くなく、絵だけは、(漫画などは別ですけれども)その対象表現に、幼い我流ながら、多少の苦心を払っていました。学校の図画のお手本はつまらないし、先生の絵は下手くそだし、自分は、全く出鱈目にさまざまの表現法を自分で工夫して試みなければならないのでした。中学校はいって、自分油絵の道具も一揃そろい持っていましたが、しかし、そのタッチの手本を、印象派の画風に求めても、自分の画いたものは、まるで千代紙細工のようにのっぺりして、ものになりそうもありませんでした。けれども自分は、竹一の言葉に依って、自分のそれまでの絵画に対する心構えが、まるで間違っていた事に気が附きました。美しいと感じたものを、そのまま美しく表現しようと努力する甘さ、おろかしさ。マイスターたちは、何でも無いものを、主観に依って美しく創造し、或いは醜いもの嘔吐おうとをもよおしながらも、それに対する興味を隠さず、表現のよろこびにひたっている、つまり、人の思惑に少しもたよっていないらしいという、画法のプリミチヴな虎の巻を、竹一から、さずけられて、れいの女の来客たちには隠して、少しずつ、自画像制作に取りかかってみました。

 自分でも、ぎょっとしたほど、陰惨な絵が出来上りました。しかし、これこそ胸底にひた隠しに隠している自分の正体なのだ、おもては陽気に笑い、また人を笑わせているけれども、実は、こんな陰鬱な心を自分は持っているのだ、仕方が無い、とひそかに肯定し、けれどもその絵は、竹一以外の人には、さすがに誰にも見せませんでした。自分のお道化の底の陰惨を見破られ、急にケチくさく警戒せられるのもいやでしたし、また、これを自分の正体とも気づかず、やっぱり新趣向のお道化と見なされ、大笑いの種にせられるかも知れぬという懸念もあり、それは何よりもつらい事でしたので、その絵はすぐに押入れの奥深くしまい込みました。

 また、学校の図画の時間にも、自分はあの「お化け手法」は秘めて、いままでどおりの美しいものを美しく画く式の凡庸タッチで画いていました。

 自分は竹一にだけは、前から自分の傷み易い神経を平気で見せていましたし、こんどの自画像安心して竹一に見せ、たいへんほめられ、さらに二枚三枚と、お化けの絵を画きつづけ、竹一からもう一つの

「お前は、偉い絵画きになる」

 という予言を得たのでした。

 惚れられるという予言と、偉い絵画きになるという予言と、この二つの予言馬鹿の竹一に依って額に刻印せられて、やがて、自分東京へ出て来ました。

 自分は、美術学校はいたかったのですが、父は、前から自分高等学校にいれて、末は官吏にするつもりで、自分にもそれを言い渡してあったので、口応え一つ出来ないたちの自分は、ぼんやりそれに従ったのでした。四年から受けて見よ、と言われたので、自分も桜と海の中学はもういい加減あきていましたし、五年に進級せず、四年修了のままで、東京高等学校受験して合格し、すぐに寮生活はいりましたが、その不潔と粗暴に辟易へきえきして、道化どころではなく、医師に肺浸潤診断書を書いてもらい、寮から出て、上野桜木町の父の別荘に移りました。自分には、団体生活というものが、どうしても出来ません。それにまた、青春の感激だとか、若人の誇りだとかい言葉は、聞いて寒気がして来て、とても、あの、ハイスクールスピリットかいものには、ついて行けなかったのです。教室も寮も、ゆがめられた性慾の、はきだめみたいな気さえして、自分完璧かんぺきに近いお道化も、そこでは何の役にも立ちませんでした。

 父は議会の無い時は、月に一週間か二週間しかその家に滞在していませんでしたので、父の留守の時は、かなり広いその家に、別荘番の老夫婦自分と三人だけで、自分は、ちょいちょい学校を休んで、さりとて東京見物などをする気も起らず(自分はとうとう、明治神宮も、楠正成くすのきまさしげの銅像も、泉岳寺の四十七士の墓も見ずに終りそうです)家で一日中、本を読んだり、絵をかいたりしていました。父が上京して来ると、自分は、毎朝そそくさと登校するのでしたが、しかし、本郷千駄木町の洋画家、安田太郎氏の画塾に行き、三時間も四時間も、デッサン練習をしている事もあったのです。高等学校の寮から脱けたら、学校の授業に出ても、自分はまるで聴講生みたいな特別位置にいるような、それは自分のひがみかも知れなかったのですが、何とも自分自身で白々しい気持がして来て、いっそう学校へ行くのが、おっくうになったのでした。自分には、小学校中学校高等学校を通じて、ついに愛校心というもの理解できずに終りました。校歌などというものも、いちども覚えようとした事がありません。

 自分は、やがて画塾で、或る画学生から、酒と煙草淫売婦いんばいふと質屋左翼思想とを知らされました。妙な取合せでしたが、しかし、それは事実でした。

 その画学生は、堀木正雄といって、東京下町に生れ、自分より六つ年長者で、私立美術学校卒業して、家にアトリエが無いので、この画塾に通い、洋画勉強をつづけているのだそうです。

「五円、貸してくれないか

 お互いただ顔を見知っているだけで、それまで一言も話合った事が無かったのです。自分は、へどもどして五円差ししました。

「よし、飲もう。おれが、お前におごるんだ。よかチゴじゃのう」

 自分拒否し切れず、その画塾の近くの、蓬莱ほうらい町のカフエに引っぱって行かれたのが、彼との交友のはじまりでした。

「前から、お前に眼をつけていたんだ。それそれ、そのはにかむような微笑、それが見込みのある芸術家特有の表情なんだ。お近づきのしるしに、乾杯! キヌさん、こいつは美男子だろう? 惚れちゃいけないぜ。こいつが塾へ来たおかげで、残念ながらおれは、第二番の美男子という事になった」

 堀木は、色が浅黒く端正な顔をしていて、画学生には珍らしく、ちゃんとした脊広せびろを着て、ネクタイの好みも地味で、そうして頭髪もポマードをつけてまん中からぺったりとわけていました。

 自分は馴れぬ場所でもあり、ただもうおそろしく、腕を組んだりほどいたりして、それこそ、はにかむような微笑ばかりしていましたが、ビイルを二、三杯飲んでいるうちに、妙に解放せられたような軽さを感じて来たのです。

「僕は、美術学校はいろうと思っていたんですけど、……」

「いや、つまらん。あんなところは、つまらん。学校は、つまらん。われらの教師は、自然の中にあり! 自然に対するパアトス!」

 しかし、自分は、彼の言う事に一向に敬意を感じませんでした。馬鹿なひとだ、絵も下手にちがいない、しかし、遊ぶのには、いい相手かも知れないと考えました。つまり自分はその時、生れてはじめて、ほんものの都会の与太者を見たのでした。それは、自分と形は違っていても、やはり、この世の人間の営みから完全に遊離してしまって、戸迷いしている点に於いてだけは、たしか同類なのでした。そうして、彼はそのお道化意識せずに行い、しかも、そのお道化悲惨に全く気がついていないのが、自分本質的に異色のところでした。

 ただ遊ぶだけだ、遊びの相手として附合っているだけだ、とつねに彼を軽蔑けいべつし、時には彼との交友を恥ずかしくさえ思いながら、彼と連れ立って歩いているうちに、結局、自分は、この男にさえ打ち破られました。

 しかし、はじめは、この男を好人物まれに見る好人物とばかり思い込み、さすが人間恐怖の自分も全く油断をして、東京のよい案内者が出来た、くらいに思っていました。自分は、実は、ひとりでは、電車に乗ると車掌がおそろしく、歌舞伎座はいりたくても、あの正面玄関の緋ひの絨緞じゅうたんが敷かれてある階段の両側に並んで立っている案内嬢たちがおそろしく、レストランはいると、自分の背後にひっそり立って、皿のあくのを待っている給仕のボーイがおそろしく、殊に勘定を払う時、ああ、ぎごちない自分の手つき、自分は買い物をしてお金を手渡す時には、吝嗇りんしょくゆえでなく、あまりの緊張、あまりの恥ずかしさ、あまり不安、恐怖に、くらくら目まいして、世界が真暗になり、ほとんど半狂乱の気持になってしまって、値切るどころか、お釣を受け取るのを忘れるばかりでなく、買った品物を持ち帰るのを忘れた事さえ、しばしばあったほどなので、とても、ひとりで東京のまちを歩けず、それで仕方なく、一日一ぱい家の中で、ごろごろしていたという内情もあったのでした。

 それが、堀木に財布を渡して一緒に歩くと、堀木は大いに値切って、しかも遊び上手というのか、わずかなお金で最大の効果のあるような支払い振りを発揮し、また、高い円タクは敬遠して、電車バスポンポン蒸気など、それぞれ利用し分けて、最短時間目的地へ着くという手腕をも示し、淫売婦のところから朝帰る途中には、何々という料亭に立ち寄って朝風呂はいり、湯豆腐で軽くお酒を飲むのが、安い割に、ぜいたくな気分になれるものだと実地教育をしてくれたり、その他、屋台牛めし焼とりの安価にして滋養に富むものたる事を説き、酔いの早く発するのは、電気ブランの右に出るものはないと保証し、とにかくそ勘定に就いては自分に、一つも不安、恐怖を覚えさせた事がありませんでした。

 さらにまた、堀木と附合って救われるのは、堀木が聞き手の思惑などをてんで無視して、その所謂情熱パトスの噴出するがままに、(或いは、情熱とは、相手立場無視する事かも知れませんが)四六時中、くだらないおしゃべりを続け、あの、二人で歩いて疲れ、気まずい沈黙におちいる危懼きくが、全く無いという事でした。人に接し、あのおそろしい沈黙がその場にあらわれる事を警戒して、もともと口の重い自分が、ここを先途せんどと必死のお道化を言って来たものですが、いまこの堀木の馬鹿が、意識せずに、そのお道化役をみずからすすんでやってくれているので、自分は、返事もろくにせずに、ただ聞き流し、時折、まさか、などと言って笑っておれば、いいのでした。

 酒、煙草淫売婦、それは皆、人間恐怖を、たとい一時でも、まぎらす事の出来るずいぶんよい手段である事が、やがて自分にもわかって来ました。それらの手段を求めるためには、自分の持ち物全部を売却しても悔いない気持さえ、抱くようになりました。

 自分には、淫売婦というものが、人間でも、女性でもない、白痴狂人のように見え、そのふところの中で、自分はかえって全く安心して、ぐっすり眠る事が出来ました。みんな、哀しいくらい、実にみじんも慾というものが無いのでした。そうして、自分に、同類の親和感とでもいったようなものを覚えるのか、自分は、いつも、その淫売婦たちから、窮屈でない程度の自然好意を示されました。何の打算も無い好意押し売りでは無い好意、二度と来ないかも知れぬひとへの好意自分には、その白痴狂人淫売婦たちに、マリヤ円光現実に見た夜もあったのです。

 しかし、自分は、人間への恐怖からのがれ、幽かな一夜の休養を求めるために、そこへ行き、それこそ自分と「同類」の淫売婦たちと遊んでいるうちに、いつのまにやら無意識の、或るいまわしい雰囲気を身辺にいつもただよわせるようになった様子で、これは自分にも全く思い設けなかった所謂「おまけの附録」でしたが、次第にその「附録」が、鮮明に表面に浮き上って来て、堀木にそれを指摘せられ、愕然がくぜんとして、そうして、いやな気が致しました。はたから見て、俗な言い方をすれば、自分は、淫売婦に依って女の修行をして、しかも、最近めっきり腕をあげ、女の修行は、淫売婦に依るのが一ばん厳しく、またそれだけに効果のあがるものだそうで、既に自分には、あの、「女達者」という匂いがつきまとい、女性は、(淫売婦に限らず)本能に依ってそれを嗅ぎ当て寄り添って来る、そのような、卑猥ひわい不名誉雰囲気を、「おまけの附録」としてもらって、そうしてそのほうが、自分の休養などよりも、ひどく目立ってしまっているらしいのでした。

 堀木はそれを半分はお世辞で言ったのでしょうがしかし、自分にも、重苦しく思い当る事があり、たとえば、喫茶店の女から稚拙手紙をもらった覚えもあるし、桜木町の家の隣りの将軍のはたちくらいの娘が、毎朝、自分の登校の時刻には、用も無さそうなのに、ご自分の家の門を薄化粧して出たりはいったりしていたし、牛肉を食いに行くと、自分が黙っていても、そこの女中が、……また、いつも買いつけの煙草屋の娘から手渡された煙草の箱の中に、……また、歌舞伎を見に行って隣りの席のひとに、……また、深夜の市電自分が酔って眠っていて、……また、思いがけなく故郷の親戚の娘から、思いつめたような手紙が来て、……また、誰かわからぬ娘が、自分の留守中にお手製らしい人形を、……自分が極度に消極的なので、いずれも、それっきりの話で、ただ断片、それ以上の進展は一つもありませんでしたが、何か女に夢を見させる雰囲気が、自分のどこかにつきまとっている事は、それは、のろけだの何だのといういい加減な冗談でなく、否定できないのでありました。自分は、それを堀木ごとき者に指摘せられ、屈辱に似た苦にがさを感ずると共に、淫売婦と遊ぶ事にも、にわかに興が覚めました。

 堀木は、また、その見栄坊みえぼうのモダニティから、(堀木の場合、それ以外の理由は、自分には今もって考えられませんのですが)或る日、自分共産主義読書会かいう(R・Sとかいっていたか記憶がはっきり致しません)そんな、秘密研究会に連れて行きました。堀木などという人物にとっては、共産主義秘密会合も、れいの「東京案内」の一つくらいのものだったのかも知れません。自分所謂「同志」に紹介せられ、パンフレットを一部買わされ、そうして上座のひどい醜い顔の青年からマルクス経済学講義を受けました。しかし、自分には、それはわかり切っている事のように思われました。それは、そうに違いないだろうけれども、人間の心には、もっとわけのわからない、おそろしいものがある。慾、と言っても、言いたりない、ヴァニティ、と言っても、言いたりない、色と慾、とこう二つ並べても、言いたりない、何だか自分にもわからぬが、人間の世の底に、経済だけでない、へんに怪談じみたものがあるような気がして、その怪談におびえ切っている自分には、所謂唯物論を、水の低きに流れるように自然肯定しながらも、しかし、それに依って、人間に対する恐怖から解放せられ、青葉に向って眼をひらき、希望のよろこびを感ずるなどという事は出来ないのでした。けれども、自分は、いちども欠席せずに、そのR・S(と言ったかと思いますが、間違っているかも知れません)なるものに出席し、「同志」たちが、いやに一大事の如く、こわばった顔をして、一プラス一は二、というような、ほとんど初等の算術めいた理論研究にふけっているのが滑稽に見えてたまらず、れい自分のお道化で、会合をくつろがせる事に努め、そのためか、次第に研究会の窮屈な気配もほぐれ、自分はその会合に無くてかなわぬ人気者という形にさえなって来たようでした。この、単純そうな人たちは、自分の事を、やはりこの人たちと同じ様に単純で、そうして、楽天的なおどけ者の「同志」くらいに考えていたかも知れませんが、もし、そうだったら、自分は、この人たちを一から十まで、あざむいていたわけです。自分は、同志では無かったんです。けれども、その会合に、いつも欠かさず出席して、皆にお道化のサーヴィスをして来ました。

 好きだったからなのです。自分には、その人たちが、気にいっていたからなのです。しかし、それは必ずしも、マルクスに依って結ばれた親愛感では無かったのです。

 非合法自分には、それが幽かにしかったのです。むしろ、居心地がよかったのです。世の中の合法というもののほうが、かえっておそろしく、(それには、底知れず強いものが予感せられます)そのからくりが不可解で、とてもその窓の無い、底冷えのする部屋には坐っておられず、外は非合法の海であっても、それに飛び込んで泳いで、やがて死に到るほうが、自分には、いっそ気楽のようでした。

 日蔭者ひかげもの、という言葉があります人間の世に於いて、みじめな、敗者、悪徳者を指差していう言葉のようですが、自分は、自分を生れた時からの日蔭者のような気がしていて、世間から、あれは日蔭者だと指差されている程のひとと逢うと、自分は、必ず、優しい心になるのです。そうして、その自分の「優しい心」は、自身でうっとりするくらい優しい心でした。

 また、犯人意識、という言葉もあります自分は、この人間の世の中に於いて、一生その意識に苦しめられながらも、しかし、それは自分の糟糠そうこうの妻の如き好伴侶はんりょで、そいつと二人きりで侘わびしく遊びたわむれているというのも、自分の生きているPermalink |記事への反応(1) | 20:27

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anond:20250623202234

 自分は、金持ちの家に生れたという事よりも、俗にいう「できる」事に依って、学校中の尊敬を得そうになりました。自分は、子供の頃から病弱で、よく一つき二つき、また一学年ちかくも寝込んで学校を休んだ事さえあったのですが、それでも、病み上りからだで人力車に乗って学校へ行き、学年末試験を受けてみると、クラスの誰よりも所謂「できて」いるようでした。からだ具合いのよい時でも、自分は、さっぱり勉強せず、学校へ行っても授業時間漫画などを書き、休憩時間にはそれをクラスの者たちに説明して聞かせて、笑わせてやりました。また、綴り方には、滑稽噺こっけいばなしばかり書き、先生から注意されても、しかし、自分は、やめませんでした。先生は、実はこっそり自分のその滑稽噺を楽しみにしている事を自分は、知っていたからでした。或る日、自分は、れいに依って、自分が母に連れられて上京の途中の汽車で、おしっこ客車通路にある痰壺たんつぼにしてしまった失敗談(しかし、その上京の時に、自分は痰壺と知らずにしたのではありませんでした。子供の無邪気をてらって、わざと、そうしたのでした)を、ことさらに悲しそうな筆致で書いて提出し、先生は、きっと笑うという自信がありましたので、職員室に引き揚げて行く先生のあとを、そっとつけて行きましたら、先生は、教室を出るとすぐ、自分のその綴り方を、他のクラスの者たちの綴り方の中から選び出し、廊下を歩きながら読みはじめて、クスクス笑い、やがて職員室にはいって読み終えたのか、顔を真赤にして大声を挙げて笑い、他の先生に、さっそくそれを読ませているのを見とどけ、自分は、たいへん満足でした。

 お茶目

 自分は、所謂お茶目に見られる事に成功しました。尊敬される事から、のがれる事に成功しました。通信簿は全学科とも十点でしたが、操行というものだけは、七点だったり、六点だったりして、それもまた家中の大笑いの種でした。

 けれども自分の本性は、そんなお茶目さんなどとは、凡およそ対蹠たいせき的なものでした。その頃、既に自分は、女中下男から、哀かなしい事を教えられ、犯されていました。幼少の者に対して、そのような事を行うのは、人間の行い得る犯罪の中で最も醜悪で下等で、残酷犯罪だと、自分はいまでは思っていますしかし、自分は、忍びました。これでまた一つ、人間特質を見たというような気持さえして、そうして、力無く笑っていました。もし自分に、本当の事を言う習慣がついていたなら、悪びれず、彼等の犯罪を父や母に訴える事が出来たのかも知れませんが、しかし、自分は、その父や母をも全部は理解する事が出来なかったのです。人間に訴える、自分は、その手段には少しも期待できませんでした。父に訴えても、母に訴えても、お巡まわりに訴えても、政府に訴えても、結局は世渡りに強い人の、世間に通りのいい言いぶんに言いまくられるだけの事では無いかしら。

 必ず片手落のあるのが、わかり切っている、所詮しょせん、人間に訴えるのは無駄である自分はやはり、本当の事は何も言わず、忍んで、そうしてお道化をつづけているより他、無い気持なのでした。

 なんだ、人間への不信を言っているのか? へえ? お前はいクリスチャンになったんだい、と嘲笑ちょうしょうする人も或いはあるかも知れませんが、しかし、人間への不信は、必ずしもすぐに宗教の道に通じているとは限らないと、自分には思われるのですけど。現にその嘲笑する人をも含めて、人間は、お互いの不信の中で、エホバも何も念頭に置かず、平気で生きているではありませんか。やはり、自分の幼少の頃の事でありましたが、父の属していた或る政党有名人が、この町に演説に来て、自分下男たちに連れられて劇場に聞きに行きました。満員で、そうして、この町の特に父と親しくしている人たちの顔は皆、見えて、大いに拍手などしていました。演説がすんで、聴衆は雪の夜道を三々五々かたまって家路に就き、クソミソに今夜の演説会の悪口を言っているのでした。中には、父と特に親しい人の声もまじっていました。父の開会の辞も下手、れい有名人演説も何が何やら、わけがからぬ、とその所謂父の「同志たち」が怒声に似た口調で言っているのです。そうしてそのひとたちは、自分の家に立ち寄って客間に上り込み、今夜の演説会は大成功だったと、しんから嬉しそうな顔をして父に言っていました。下男たちまで、今夜の演説会はどうだったと母に聞かれ、とても面白かった、と言ってけろりとしているのです。演説会ほど面白くないものはない、と帰る途々みちみち、下男たちが嘆き合っていたのです。

 しかし、こんなのは、ほんのささやかな一例に過ぎません。互いにあざむき合って、しかもいずれも不思議に何の傷もつかず、あざむき合っている事にさえ気がついていないみたいな、実にあざやかな、それこそ清く明るくほがらかな不信の例が、人間生活に充満しているように思われます。けれども、自分には、あざむき合っているという事には、さして特別の興味もありません。自分だって、お道化に依って、朝から晩まで人間をあざむいているのです。自分は、修身教科書的な正義とか何とかい道徳には、あまり関心を持てないのです。自分には、あざむき合っていながら、清く明るく朗らかに生きている、或いは生き得る自信を持っているみたいな人間難解なのです。人間は、ついに自分にその妙諦みょうていを教えてはくれませんでした。それさえわかったら、自分は、人間をこんなに恐怖し、また、必死のサーヴィスなどしなくて、すんだのでしょう。人間生活対立してしまって、夜々の地獄のこれほどの苦しみを嘗なめずにすんだのでしょう。つまり自分下男下女たちの憎むべきあの犯罪をさえ、誰にも訴えなかったのは、人間への不信からではなく、また勿論クリス主義のためでもなく、人間が、葉蔵という自分に対して信用の殻を固く閉じていたからだったと思います。父母でさえ、自分にとって難解なものを、時折、見せる事があったのですから

 そうして、その、誰にも訴えない、自分孤独匂いが、多くの女性に、本能に依って嗅かぎ当てられ、後年さまざま、自分がつけ込まれる誘因の一つになったような気もするのです。

 つまり自分は、女性にとって、恋の秘密を守れる男であったというわけなのでした。

[#改頁]

第二の手記

 海の、波打際、といってもいいくらいに海にちかい岸辺に、真黒い樹肌の山桜の、かなり大きいのが二十本以上も立ちならび、新学年がはじまると、山桜は、褐色のねばっこいような嫩葉わかばと共に、青い海を背景にして、その絢爛けんらんたる花をひらき、やがて、花吹雪の時には、花びらがおびただしく海に散り込み、海面を鏤ちりばめて漂い、波に乗せられ再び波打際に打ちかえされる、その桜の砂浜が、そのまま校庭として使用せられている東北の或る中学校に、自分受験勉強もろくにしなかったのに、どうやら無事に入学できました。そうして、その中学制帽の徽章きしょうにも、制服ボタンにも、桜の花が図案化せられて咲いていました。

 その中学校のすぐ近くに、自分の家と遠い親戚に当る者の家がありましたので、その理由もあって、父がその海と桜の中学校自分に選んでくれたのでした。自分は、その家にあずけられ、何せ学校のすぐ近くなので、朝礼の鐘の鳴るのを聞いてから、走って登校するというような、かなり怠惰中学生でしたが、それでも、れいのお道化に依って、日一日とクラスの人気を得ていました。

 生れてはじめて、謂わば他郷へ出たわけなのですが、自分には、その他郷のほうが、自分の生れ故郷よりも、ずっと気楽な場所のように思われました。それは、自分のお道化もその頃にはいよいよぴったり身について来て、人をあざむくのに以前ほどの苦労を必要としなくなっていたかである、と解説してもいいでしょうがしかし、それよりも、肉親と他人故郷と他郷、そこには抜くべからざる演技の難易の差が、どのような天才にとっても、たとい神の子イエスにとっても、存在しているものなのではないでしょうか。俳優にとって、最も演じにくい場所は、故郷劇場であって、しかも六親眷属けんぞく全部そろって坐っている一部屋の中に在っては、いかな名優も演技どころでは無くなるのではないでしょうか。けれども自分は演じて来ました。しかも、それが、かなりの成功を収めたのです。それほどの曲者くせものが、他郷に出て、万が一にも演じ損ねるなどという事は無いわけでした。

 自分人間恐怖は、それは以前にまさるとも劣らぬくらい烈しく胸の底で蠕動ぜんどうしていましたが、しかし、演技は実にのびのびとして来て、教室にあっては、いつもクラスの者たちを笑わせ、教師も、このクラス大庭さえいないと、とてもいいクラスなんだが、と言葉では嘆じながら、手で口を覆って笑っていました。自分は、あの雷の如き蛮声を張り上げる配属将校をさえ、実に容易に噴き出させる事が出来たのです。

 もはや、自分の正体を完全に隠蔽いんぺいし得たのではあるまいか、とほっとしかけた矢先に、自分は実に意外にも背後から突き刺されました。それは、背後から突き刺す男のごたぶんにもれず、クラスで最も貧弱な肉体をして、顔も青ぶくれで、そうしてたしか父兄のお古と思われる袖が聖徳太子の袖みたいに長すぎる上衣うわぎを着て、学課は少しも出来ず、教練や体操はいつも見学という白痴に似た生徒でした。自分もさすがに、その生徒にさえ警戒する必要は認めていなかったのでした。

 その日、体操時間に、その生徒(姓はい記憶していませんが、名は竹一といったかと覚えています)その竹一は、れいに依って見学自分たちは鉄棒練習をさせられていました。自分は、わざと出来るだけ厳粛な顔をして、鉄棒めがけて、えいっと叫んで飛び、そのまま幅飛びのように前方へ飛んでしまって、砂地にドスンと尻餅をつきました。すべて、計画的な失敗でした。果して皆の大笑いになり、自分も苦笑しながら起き上ってズボンの砂を払っていると、いつそこへ来ていたのか、竹一が自分背中をつつき、低い声でこう囁ささやきました。

「ワザ。ワザ」

 自分震撼しんかんしました。ワザと失敗したという事を、人もあろうに、竹一に見破られるとは全く思いも掛けない事でした。自分は、世界が一瞬にして地獄業火に包まれ燃え上るのを眼前に見るような心地がして、わあっ! と叫んで発狂しそうな気配を必死の力で抑えました。

 それからの日々の、自分不安と恐怖。

 表面は相変らず哀しいお道化を演じて皆を笑わせていましたが、ふっと思わず重苦しい溜息ためいきが出て、何をしたってすべて竹一に木っ葉みじんに見破られていて、そうしてあれは、そのうちにきっと誰かれとなく、それを言いふらして歩くに違いないのだ、と考えると、額にじっとり油汗がわいて来て、狂人みたいに妙な眼つきで、あたりをキョロキョロむなしく見廻したりしました。できる事なら、朝、昼、晩、四六時中、竹一の傍そばから離れず彼が秘密を口走らないように監視していたい気持でした。そうして、自分が、彼にまつわりついている間に、自分のお道化は、所謂「ワザ」では無くて、ほんものであったというよう思い込ませるようにあらゆる努力を払い、あわよくば、彼と無二の親友になってしまいたいものだ、もし、その事が皆、不可能なら、もはや、彼の死を祈るより他は無い、とさえ思いつめました。しかし、さすがに、彼を殺そうという気だけは起りませんでした。自分は、これまでの生涯に於おいて、人に殺されたいと願望した事は幾度となくありましたが、人を殺したいと思った事は、いちどもありませんでした。それは、おそるべき相手に、かえって幸福を与えるだけの事だと考えていたからです。

 自分は、彼を手なずけるため、まず、顔に偽クリスチャンのような「優しい」媚笑びしょうを湛たたえ、首を三十度くらい左に曲げて、彼の小さい肩を軽く抱き、そうして猫撫ねこなで声に似た甘ったるい声で、彼を自分の寄宿している家に遊びに来るようしばしば誘いましたが、彼は、いつも、ぼんやりした眼つきをして、黙っていました。しかし、自分は、或る日の放課後、たしか初夏の頃の事でした、夕立ちが白く降って、生徒たちは帰宅に困っていたようでしたが、自分は家がすぐ近くなので平気で外へ飛び出そうとして、ふと下駄箱のかげに、竹一がしょんぼり立っているのを見つけ、行こう、傘を貸してあげる、と言い、臆する竹一の手を引っぱって、一緒に夕立ちの中を走り、家に着いて、二人の上衣を小母さんに乾かしてもらうようにたのみ、竹一を二階の自分の部屋に誘い込むのに成功しました。

 その家には、五十すぎの小母さんと、三十くらいの、眼鏡をかけて、病身らしい背の高い姉娘(この娘は、いちどよそへお嫁に行って、それからまた、家へ帰っているひとでした。自分は、このひとを、ここの家のひとたちにならって、アネサと呼んでいました)それと、最近女学校卒業したばかりらしい、セッちゃんという姉に似ず背が低く丸顔の妹娘と、三人だけの家族で、下の店には、文房具やら運動用具を少々並べていましたが、主な収入は、なくなった主人が建てて残して行った五六棟の長屋家賃のようでした。

「耳が痛い」

 竹一は、立ったままでそう言いました。

「雨に濡れたら、痛くなったよ」

 自分が、見てみると、両方の耳が、ひどい耳だれでした。膿うみが、いまにも耳殻の外に流れ出ようとしていました。

「これは、いけない。痛いだろう」

 と自分大袈裟おおげさにおどろいて見せて、

「雨の中を、引っぱり出したりして、ごめんね」

 と女の言葉みたいな言葉を遣って「優しく」謝り、それから、下へ行って綿とアルコールをもらって来て、竹一を自分の膝ひざを枕にして寝かせ、念入りに耳の掃除をしてやりました。竹一も、さすがに、これが偽善の悪計であることには気附かなかったようで、

「お前は、きっと、女に惚ほれられるよ」

 と自分の膝枕で寝ながら、無智なお世辞を言ったくらいでした。

 しかしこれは、おそらく、あの竹一も意識しなかったほどの、おそろしい悪魔予言のようなものだったという事を、自分は後年に到って思い知りました。惚れると言い、惚れられると言い、その言葉はひどく下品で、ふざけて、いかにも、やにさがったものの感じで、どんなに所謂「厳粛」の場であっても、そこへこの言葉一言でもひょいと顔を出すと、みるみる憂鬱伽藍がらんが崩壊し、ただのっぺらぼうになってしまうような心地がするものですけれども、惚れられるつらさ、などという俗語でなく、愛せられる不安、とでもいう文学語を用いると、あながち憂鬱伽藍をぶちこわす事にはならないようですから、奇妙なものだと思います

 竹一が、自分に耳だれの膿の仕末をしてもらって、お前は惚れられるという馬鹿なお世辞を言い、自分はその時、ただ顔を赤らめて笑って、何も答えませんでしたけれども、しかし、実は、幽かすかに思い当るところもあったのでした。でも、「惚れられる」というような野卑な言葉に依って生じるやにさがった雰囲気ふんいきに対して、そう言われると、思い当るところもある、などと書くのは、ほとんど落語若旦那のせりふにさえならぬくらい、おろかしい感懐を示すようなもので、まさか自分は、そんなふざけた、やにさがった気持で、「思い当るところもあった」わけでは無いのです。

 自分には、人間女性のほうが、男性よりもさらに数倍難解でした。自分家族は、女性のほうが男性よりも数が多く、また親戚にも、女の子がたくさんあり、またれいの「犯罪」の女中などもいまして、自分は幼い時から、女とばかり遊んで育ったといっても過言ではないと思っていますが、それは、また、しかし、実に、薄氷を踏む思いで、その女のひとたちと附合って来たのです。ほとんど、まるで見当が、つかないのです。五里霧中で、そうして時たま、虎の尾を踏む失敗をして、ひどい痛手を負い、それがまた、男性から受ける笞むちとちがって、内出血みたいに極度に不快に内攻して、なかなか治癒ちゆし難い傷でした。

 女は引き寄せて、つっ放す、或いはまた、女は、人のいるところでは自分をさげすみ、邪慳じゃけんにし、誰もいなくなると、ひしと抱きしめる、女は死んだように深く眠る、女は眠るために生きているのではないかしら、その他、女に就いてのさまざまの観察を、すでに自分は、幼年時代から得ていたのですが、同じ人類のようでありながら、男とはまた、全く異った生きもののような感じで、そうしてまた、この不可解で油断のならぬ生きものは、奇妙に自分をかまうのでした。「惚れられる」なんていう言葉も、また「好かれる」という言葉も、自分場合にはちっとも、ふさわしくなく、「かまわれる」とでも言ったほうが、まだしも実状の説明に適しているかも知れません。

 女は、男よりも更に、道化には、くつろぐようでした。自分がお道化を演じ、男はさすがにいつまでもゲラゲラ笑ってもいませんし、それに自分も男のひとに対し、調子に乗ってあまり道化を演じすぎると失敗するという事を知っていましたので、必ず適当のところで切り上げるように心掛けていましたが、女は適度という事を知らず、いつまでもいつまでも自分にお道化要求し、自分はその限りないアンコールに応じて、へとへとになるのでした。実に、よく笑うのです。いったいに、女は、男よりも快楽をよけいに頬張る事が出来るようです。

 自分中学時代に世話になったその家の姉娘も、妹娘も、ひまさえあれば、二階の自分の部屋にやって来て、自分はその度毎に飛び上らんばかりにぎょっとして、そうして、ひたすらおびえ、

「御勉強?」

「いいえ」

 と微笑して本を閉じ、

「きょうね、学校でね、コンボウという地理先生がね」

 とするする口から流れ出るものは、心にも無い滑稽噺でした。

「葉ちゃん眼鏡をかけてごらん」

 或る晩、妹娘のセッちゃんが、アネサと一緒に自分の部屋へ遊びに来て、さんざん自分にお道化を演じさせた揚句の果に、そんな事を言い出しました。

「なぜ?」

「いいから、かけてごらん。アネサの眼鏡を借りなさい」

 いつでも、こんな乱暴命令口調で言うのでした。道化師は、素直にアネサの眼鏡をかけました。とたんに、二人の娘は、笑いころげました。

そっくりロイドに、そっくり

 当時、ハロルド・ロイドかい外国映画喜劇役者が、日本で人気がありました。

 自分は立って片手を挙げ、

諸君

 と言い、

「このたび、日本ファンの皆様がたに、……」

 と一場挨拶を試み、さらに大笑いさせて、それからロイド映画がそのまちの劇場に来るたび毎に見に行って、ひそかに彼の表情などを研究しました。

 また、或る秋の夜、自分が寝ながら本を読んでいると、アネサが鳥のように素早く部屋へはいって来て、いきなり自分の掛蒲団の上に倒れて泣き、

「葉ちゃんが、あたしを助けてくれるのだわね。そうだわね。こんな家、一緒に出てしまったほうがいいのだわ。助けてね。助けて」

 などと、はげしい事を口走っては、また泣くのでした。けれども、自分には、女から、こんな態度を見せつけられるのは、これが最初ではありませんでしたので、アネサの過激言葉にも、さして驚かず、かえってその陳腐、無内容に興が覚めた心地で、そっと蒲団から脱け出し、机の上の柿をむいて、その一きれをアネサに手渡してやりました。すると、アネサは、しゃくり上げながらその柿を食べ、

「何か面白い本が無い? 貸してよ」

 と言いました。

 自分漱石の「吾輩は猫である」という本を、本棚から選んであげました。

「ごちそうさま」

 アネサは、恥ずかしそうに笑って部屋から出て行きましたが、このアネサに限らず、いったい女は、どんな気持で生きているのかを考える事は、自分にとって、蚯蚓みみずの思いをさぐるよりも、ややこしく、わずらわしく、薄気味の悪いものに感ぜられていました。ただ、自分は、女があんなに急に泣き出したりした場合、何か甘いものを手渡してやると、それを食べて機嫌を直すという事だけは、幼い時から自分経験に依って知っていました。

 また、妹娘のセッちゃんは、その友だちまで自分の部屋に連れて来て、自分れいに依って公平に皆を笑わせ、友だちが帰ると、セッちゃんは、必ずその友だちの悪口を言うのでした。あのひとは不良少女から、気をつけるように、ときまって言うのでした。そんなら、わざわざ連れて来なければ、よいのに、おかげで自分の部屋の来客の、ほとんど全部が女、という事になってしまいました。

 しかし、それは、竹一のお世辞の「惚れられる」事の実現では未だ決して無かったのでした。つまり自分は、日本東北ハロルド・ロイドに過ぎなかったのです。竹一の無智なお世辞が、いまわしい予言として、なまなまと生きて来て、不吉な形貌を呈するようになったのは、更にそれから、数年経った後の事でありました。

 竹一は、また、自分にもう一つ、重大な贈り物をしていました。

お化けの絵だよ」

 いつか竹一が、自分の二階へ遊びに来た時、ご持参の、一枚の原色版の口絵を得意そうに自分に見せて、そう説明しました。

 おや? と思いました。その瞬間、自分の落ち行く道が決定せられたように、後年に到って、そんな気がしてなりません。自分は、知っていました。それは、ゴッホの例のPermalink |記事への反応(1) | 20:25

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2025-06-14

子供の頃、親戚の集まりに行くと母親が私のことをひどく貶すことをしていたが、あれは何だったんだろう?

突然、わたしのことを極端に出来の悪い人間のように事実と異なるようなことを喋りだして、それがすごく怖かった。

お葬式で集まったときだ。

私は中学校制服で式に参加したのだが、悪いことに前日学校では背中鉛筆で互いに落書きする遊びが流行っていた。

私もやったり、友だちからやられたりしていたのだが、そのあとが残っていた。

それを親戚が見つけたのだけど、そのとき母親が突然、この子ものすごく弱虫学校でもすごくいじめられていると完全に嘘を語りだした。

いや、正確には小学生の2年生の頃少しの間だけクラス女子二人組にいじめられていたときがあったが、そんなのはずっと大昔のことだった。

それなのに私の名誉毀損するようなあることないこと(というかないことばかり)を語り始めて怖かった。

そういうことが度々あった。

あれは一体何だったのだろうか?

Permalink |記事への反応(3) | 08:12

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2025-04-28

喪ったときに聴いた曲

偶然、耳にしたアーティスト音楽を遡って聞いてるうちに、7年前くらいの曲で身内を亡くした際に浴びるように聞いたものに行き着いた。

当時は、度の強いお酒を飲みながら聞いて滂沱の涙を流していたけど、今はちょっぴり涙が滲むくらいにまで落ち着いていた。

いやあ、人間て乗り越えるもんだね、感慨深い。

本当は少し強がってるけど、かなり楽に聞けるのは確か。

今、身内やその他近しい人を亡くして苦しんでいる人、大丈夫からね。

さびしんぼう弱虫な私でも耐えられる状態にまでは回復たから、大丈夫

安心してね。

…………………

音楽は良いですよね、皆の心が癒えますように。

皆も、大切すぎる人を亡くしたときに聴き続けた曲はありますか?

Permalink |記事への反応(0) | 11:11

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2025-04-24

anond:20250424174822

そうだよな

国家国民として「ウチ」の利益に執着しすぎるよりも

それ以前に地球人類として苦楽を分かち合い理解しあう姿勢がないと

永遠に人類進歩しないし歴史の繰り返しで消耗していくだけだよな

保守はいつも排斥を唱えるけどそれって弱虫なだけなんだよ

大人の態度じゃない

まあボクは一生引きこもりなんですけどね

Permalink |記事への反応(1) | 17:54

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2025-03-12

日本芸能人政治的なことNGみたいなノリ何?

自民党一言二言文句も言えねえのかこの弱虫共が

Permalink |記事への反応(0) | 09:04

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2025-03-05

anond:20250305165821

ね?

面白いよ」ってわざわざ紹介したくせに同意されなかったら逃げ一辺倒だろ

要するにお前は自分が推薦したもの面白さすら自分言葉や文に出来ないわけよ

同意してくれた相手にだけニチャニチャするだけなの

自分が好きなものを具体的にきちんと語って文に出来たことなんか生涯一度もない

当たってるだろ?

   

オルクセンなんちゃらもそういうレベルの奴が好きそうだなーって思うもん

全体の構成もなんもありゃしない

ストーリーとかドラマなんてものもありゃしない

ディテールと設定の羅列だけなんだけどそれすら脈絡もないし下敷きの知識もたいしたもんじゃない

ないないない、なーんもない

   

 

っていう風にバカにされてもお前は具体的な反論言葉にする力も意気地もないわけ

ならいい!」とか言って逃げていくだけ

 

お前はどうせ肉体的にも弱虫なんだろうと思うけど

まず脳髄が弱虫なんだよ

それを一生直すこともないわけ、奮起することもないか

Permalink |記事への反応(4) | 17:04

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2025-02-14

NOWAR界隈にうんざりして属するのをやめた

タイトル通り

一時期はデモに参加したりSNS反戦政治について発信するアカウントを作ったりしていたが、NOWAR界隈にうんざりしてコミュニティを抜け一部以外の人間関係も切った 本当に仲良くなった人とはこれからもたくさん戦争政治について話す

これから活動したり人間関係を広げたりせず普通にちゃんとした機関に毎月自動引き落としの寄付をするのみにする

以下、嫌だと思ったこ

反戦政治について語らない人間ゴミ扱いする

政治の話しない人は大人としてダサい」「自民党投票してる人、頭大丈夫?」「スタバマックに行く人は人殺しに加担している」と普通に言う

平和とはなんぞや?ってなる 人にはいろんな事情がありいろんな考え方がある

政治の話をしないのはあなた相手からだと思うよ、自分意見押し付け馬鹿にしてくる人と話しても意味いから」をオブラートに包んで言うと「その人が弱虫バカなんでしょ」みたいに返されてもういいわってなった

・そのわりに政治戦争に関する解像度が低い

私は小学校のころから政治(特に外交)オタクであり、政治の話をしたくて界隈に足を踏み入れたというのもあるのだけど

界隈のあまり知識の薄さに唖然とした

こう言うと界隈には「知ろうとすることが大切。知識マウント取るとかニホンヒトオス?」とか言われそうだが、何かを語る時に最低限の知識を持たないって一体なんのために語るんだろうかと思ってしま

とりあえず現政党批判すればいいと思ってるし、ツイッター速報やニュースシェアリングなどのインプ稼ぎの釣りタイトルに騙されてひたすら怒っているし自分の間違いを認めようとしない

戦争に関しても、とりあえず敵を決めつけて敵のやることはなんでも悪い、庇いたい側のやることはなんでも良いとして庇いたい側を批判する者は敵とみなしている

小学生の頃から成長していないのだと思う

シンプルに付き合っていてしんどい人間が多すぎる

生活の全てに絡めて反戦政治の話をしてくるめんどくさい人間が多すぎる

こう言うと「ハア…だから政治生活と繋がってんだって」と界隈に言われそうだが、もはやそういうレベルではないほとんどがただのイチャモンだし普通意識の人から見たらただの異常者

あちらこちらに噛み付いてストレス発散をしているとしか思えないレベル

自分人生から現実逃避方法としてNOWARをやっている

NOWAR界隈にはアダルトチルドレン愛着障害に悩む人、ADHDASDうつ病患者などが本当にめちゃくちゃいる

あとツイフェミ(というかミサンドリスト)と反出生主義者もめちゃくちゃいる

出産したロシア人に対して「人殺し遺伝子を持った人間がこの地獄子供をひり出すとか正気か?」と言ってる人もいた もう平和願ってないだろ

私の体感では恵まれている(余裕がある)ゆえに意識が高い人:人生に何らかの問題がある人=1:10くらいの感じ

それが悪いというのではなく、本当に真剣反戦政治について考えているのではなく自分問題から目を逸らすために利用しているように見える人ばかりだったのだ

それって本当にいいことなのだろうか、戦争被害にあっている人、今苦しんでる人に失礼なのではないか?と私は思ってしまった

NOWAR界隈には私の考えは下劣ととられるんだろうけど、まず自分人生に集中して幸せ人間の総数を増やすほうが平和につながるのではないかと思った

Permalink |記事への反応(1) | 21:02

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2024-12-10

anond:20241210212248

涙が出るぐらい違うんだけど

そこまでする意思がないなら

その信念は偽物だといってる

偽物の信念で人の人生を捻じ曲げるなら相応の恨みを買う覚悟はできてんだろうなといってる

 

全然言い当ててないのに自信満々ダッサw

あと勇気がないのは優しさじゃない、ただの弱虫

Permalink |記事への反応(1) | 21:25

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2024-12-08

地下のジャズ喫茶、変わらない僕たちが居た

仕事から帰ると妻はソファに寝そべり、両手でスマホを持って見つめていた。

ソファの片隅にはブランド品の紙袋クリスチャン・ディオール

晩御飯吉牛を頼まれテイクアウトの袋をテーブルに起きながらコートを脱いだ。

妻は顔を上げない。

晩飯、買ってきたよ」

「…ん? ああ、おかえり」

妻はスマホから目を離さない。ちらりと覗くとメルカリの画面が目に入る。

微かな舌打ち。SOLDの赤白文字

クリスチャンディオールはもう死んだよ」

「はっ?」

妻は初めてこちらを見た。

すっぴんの薄い眉。鼻の傍、細やかなニキビがあった。

デザイナークリスチャンディオールはとっくに死んでるってこと」

妻は微笑を浮かべる。

「だから何?」

そう言って妻はメルカリに向かいなおす。

パンからスラっと伸びた長い素足は欲望に塗れていた。

クリスチャンディオールはとっくにもう死んでるんだよ」

僕は妻が聞こえないほどの小声で繰り返した。暗唱するように。

それでも妻は再びクリスチャン・ディオール紙袋を並べるだろう。

無地の袋から吉牛二つを取り出すと、割り箸が入っていないことに気が付いた。

仕方がないのでキッチンへと向かう。

”あの子はまだ元気かい

その間、頭の中で歌詞リフレインする。

自分弱虫であることを噛みしめながら、俯く暇もなく箸を取りに行く。

そして仕事のことを考え、木漏れ日に夜がやってきた。

Permalink |記事への反応(0) | 21:58

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2024-11-26

部屋の加湿なんてのは弱虫理屈なんですよ

本来必要なのは自分の潤いキープであって

部屋を潤すことじゃない

たっぷりワセリンアーマーでべっとり快適

Permalink |記事への反応(0) | 17:32

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2024-10-27

anond:20241027202334

いいや、そうなった場合動かなかった多数派おかしいね

マジで徴兵なり強制労働なりされなきゃ自分達が享受してたものの有り難さなんてわかんねえんだと思う。

他責思考すぎんだよ。お前が政治を変えるっていう意思も行動もしなかったんだよ。

ただの弱虫が沢山いて、ただ死に行くだけの奴隷が沢山いるだけの社会

そりゃあポスト貴族社会じみますわな、本当は投票権かいう高等なものなんて思考だけは賢こぶってカスには扱いきれねえもん。

その国の納税者の上位50%けが投票権待てばいいよ。

真の民主主義かいう上等なものは生きるだけで必死な生き物には要らんかったのよw

Permalink |記事への反応(0) | 23:24

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2024-07-13

蓮舫一人におじさんが群がって罵倒してるように見えるらしい

リベラルフェミニストがXのポスト女性一人に寄って集って弱虫おじさんが絡んでるとの事だが

支持者のリベラルフェミニストって蓮舫日本人じゃない事を武器にしたり女性武器にしたりし過ぎじゃない?

何故かリベラルフェミニスト仮想敵はいつもおっさんか、チー牛か、オタク弱者男性だし

こいつら石丸叩き暇空叩き小池百合子多摩市自民党叩き、オタク弱者男性戦線広げすぎだよなどんだけ好戦的なのネトウヨだってここまで手広くなかったよ

Permalink |記事への反応(0) | 19:10

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2024-06-17

この時間屁理屈言い訳する弱虫しかおらんな

Permalink |記事への反応(0) | 09:55

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