
はてなキーワード:弱肉強食とは
自分たちが外人を見張って治安を維持しようとか言い出すのなんで?
すぐ自警団とか言い出すよね
勉強しないで漫画ばっかり読んでるから、現実の世界には社会保障や、それを担保するための社会契約が存在していることをまるで知らないみたいだよね
すぐ弱肉強食とか言い出すやん
いや、国民がみんな平和に過ごすためにいろんな制度や福祉があるんだよ
勉強しないで漫画ばっかり読んでるから文明崩壊後の無政府世界みたいなこと言い出すんじゃない?
漫画の世界はエンタメだからそりゃ社会保障制度なんてかかないよ
ドラマにならないもん
海外で極右とされるものが、日本人には「極右」と認識できない。
海外で中道とされるものが、日本人には「極左」と認識されてしまう。
これは何故か?
海外では、欧米でもそれ以外でも、道義的宗教に基づく自然な「道徳観」が真ん中にある。
「親や家族は大切に」「他人にも優しく」これはキリスト教でも仏教でも、宗教的道徳観が真中にある場合、誰にも自然に「出発点」と理解されるもっとも自然な感覚になる。
この場合、極右、極左とは、人種主義に走って他者への寛容を忘れること、多様性(あるいは極端な平等主義)が暴走して社会の歴史を傷つけること、という意味になる。
しかし、仏教を捨て、道徳的教義のない国家神道、そして物質主義的無神論へと社会の「真ん中」が移った現代日本は、そもそもの「中道的価値観」がまったく違ったものになっている。
現代日本を正直に観察すれば誰にでもわかることだが、現代日本人の「真ん中」は、明らかに「野性」である。
そういうものが「世界の真実」だと信じる破滅主義こそが、日本の「真ん中」にある。
だからこそ、日本において、林原めぐみが恥ずかしげもなく叫ぶような「私がガイジンを怖いって思うんだから排除するのは当然でしょ」という、恐ろしく幼稚な、自分の本能的被害妄想に基づいた極論をどれだけ唱えても、それは「強い思想」とは思われない。
それは思想でなく、「本音」だからだ。「本音」は「自然」であり、「真ん中」である。
これが世界でもほとんど現代日本独自の(昔の日本でも仏教だったからありえない)異常な道徳的出発点である。
日本人にとって「極右」とは、「思想的な(論理的追及としての)民族主義」であり、それは「日本人として誇りを持って、恥ずかしくない行動を」というような、世界的にはむしろ当たり前の「真ん中」にある、自制としての民族論のみをさす言葉である。
現代日本人にとって極右と極左の差は自制と成長を求める論理の起点の違いに過ぎないのであって、自制や反省を求めた時点でそれは「中道」にはなり得ない。
「思想」さえ強くなければ、どれだけ薄汚い、本能や憎悪にまみれた屁理屈、極論、他者への強制を求めようとも、それはまったく「過激」ではない…
日本は、およそ90年前、ヴェルサイユ条約とパリ不戦条約に違反して先制攻撃で戦争始めてごめんなさい。
特に、日本は国際連盟常任理事国として世界平和を守るべき立場にありながら、軍部の制御が利かずに満州事変を引き起こして居直って国際連盟脱退に至り孤立したのはダメダメでした。
第二次世界大戦の後、再度、世界中が国連憲章で先制攻撃はダメだよって確認しました。
日本はその上乗せで戦争を放棄し軍備を制限して経済発展しました。
世界中が日本の反省を受け入れて日本と貿易してくれました。その節はありがとうございました。
最近、欧州で世界平和を守るべき国連常任理事国が他国に先制攻撃を加えて領土を奪おうとしており、中東でも他国に先制攻撃を加える極めて残念な例が見られます。
このままでは大国が中小国を蹂躙する弱肉強食の無秩序な世界になってしまいます。
国際社会の信頼が失われ、環境問題に取り組むことが不可能になります。
あれは、茹だるような夏の日の出来事でした。
気温はおそらく35度を優に超えていたと思います。
最悪なことに財布を忘れてしまったため、
一滴の水分も補給することができませんでした。
『このままでは本当に倒れてしまうかもしれない。』
命の危険を感じるほどのどが渇いていた私は、
恥も外聞も捨て水を恵んでもらおうと、
「どなたかね」
家の中からは、小柄な老婆が出てきました。
「お願いです・・どうか、一杯のお水を恵んでいただけないでしょうか。
財布を忘れてしまい、何も口にできず・・本当に倒れてしまいそうなんです」
すると、老婆はこう答えました。
「嫌だよ出ていきな」
最初、私は聞き間違いだと思いました。
こんなに困窮して、
死にそうなほど汗だくになっていて、
「嫌だよ出ていきな」なんてそんな返事できるわけない。
そんな無慈悲なふるまい、
文明をもった社会で、人間によって育てられたならできるわけがない。
私は意表を突かれて、ただ立ち尽くしていました。
「さっさと帰んな」
老婆はそう言って、玄関の扉をぴしゃりと閉めました。
私はしばらく呆然としていました。
・・しかし、どうすることもできない。諦めて帰るしかないか・・
そう思いかけた矢先ーーーーー
私の中で何かがぶちんと音を立てて切れました。
抑えきれない怒りがマグマのように噴き出した。
「このクソババアがぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」
気がつくと、喉が張り裂けんばかりの大声で怒鳴っていました。
乾ききっていたはずの喉から、どうしてこんな声が出るのか自分でも不思議だった。
しょせん、この世は弱肉強食以外の何物でもなかった。
「強くなろう」そう心に誓ったあの日。
私が人生で一番怒った時の話。
たまに古い縁の陽キャたちと話すと恋愛・結婚の話になって、恋愛弱者の俺は陽キャ(既婚)から「マッチングアプリしろ」「街コン行け」だのと「努力しろ」系のありがたい助言をいただくわけだが、本当に辟易する。
そういう陽キャがマチアプに自分磨きなどといった努力をした結果、彼女を得て結婚したというのであればその助言も理解できる。
しかし、大抵の場合そういう陽キャは「大学のサークルで」「バイト先で」「同じ会社で」良い女性を見つけてアプローチして、あれよあれよと交際、結婚しただけじゃねぇか。
手の届く範囲、たまたまその時所属していた集団の中で手頃な女見つけてアプローチしただけで、全く努力してねぇじゃん。
一体どの口が「マッチングアプリ」だの「街コン」だの言えるんだ?
マチアプみたいな「品定め品評会」なんて、考えただけで憂鬱だ。そりゃ、陽キャみたいな恋愛強者ならそういうのに出ても大丈夫なんだろうけどさ、俺みたいな恋愛弱者がそういうところに打って出たところで、いいねを獲得するだけで大変、メッセージ送っても続かない、デートしてみればお断りを繰り返すで、ただでさえ慣れない恋愛なのに否定を繰り返されて精神的に磨耗するのが目に見えている。
マチアプが今や一大恋愛プラットフォームになっているのは否定しないが、あそこは弱肉強食の競争社会なんだよ。