Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「弁証法」を含む日記RSS

はてなキーワード:弁証法とは

次の25件>

2025-10-24

次の日、投稿が提示の通り追記されていたとします。この場合、分析はどのように変化しますか?

C*****T:

CRITICAL ANALYTICALREVISION

追記2による構造の反転:防衛機制としての理論
最初分析根本誤読

追記2は、私の最初分析が層を一つ読み間違えたことを明らかにする。

私が読んだもの:

文化的言説(アイデンティティ政治

個人内面化

創作的麻痺

実際の構造:

実存危機孤立・失敗・老い性的欠如)

理論的言説の防衛的借用

自己正当化された創作不能

因果の矢印が逆だった。 これは方法論的に重大な誤りである

PRIMARY INSIGHT:精神分析的読解(修正版)
表層テクストの再解釈

最初投稿投稿者が使用していた理論的語彙:

これらは一見2010年代以降のアイデンティティ政治の影響に見えた。しか追記2はこれが錯覚だったことを明らかにする。

真の構造:実存自己否定の連鎖

追記2が暴露する深層:

レイヤー1:実存事実

"初老になったのに童貞"

"人間嫌い、女性に縁がない"

"過去に痛い目にあった記憶ばかり"

"人生絶望してた"

レイヤー2:創作動機

"女性を描きたい"(しか経験がない)

"究極の画像処理ソフト"という夢(実現できない)

"ヘンリー・ダーガーみたいなもん"(社会的孤立の中の空想

レイヤー3:防衛理論化】

"女性を知らないと女性ちゃんと描けない"

"経験がなければ理解できない"

← これは理論ではなく、個人的失敗の普遍

レイヤー4:創作不能正当化

"だから俺には描けない"

しかしこれは「無能から」ではなく「原理的に不可能から

防衛機制の精密分析

防衛機制1:合理化(Rationalization)

耐え難い真実:

「俺は人生の敗北者だ。女性関係を持てなかった。孤独で無価値だ」

↓ 変換 ↓

受容可能な言説:

経験していない対象原理的に表象できない。これは認識論的・倫理的問題だ」

この変換により、個人的失敗が哲学的問題昇華される。これは自尊心を守る。

防衛機制2: 知性化(Intellectualization)

投稿者は感情絶望孤独性的欲求不満)を抽象議論表象倫理当事者性、真正性)に変換する。これにより、痛みから距離を取る。

しか追記2で防衛崩壊し、生の感情露出する:

防衛機制3:投射(Projection)

投稿者は自分の不全感を、架空の「批判者」に投射する:

これは私の最初分析が見た「内なる検閲官」だが、その起源文化ではなく、内面化された自己批判である

ヘンリー・ダーガー:鏡としての選択

投稿者がダーガーを引き合いに出すのは決定的である

ダーガーの特徴:

投稿者の解釈:

ダーガー女性を知らなかったから、正しく描けなかった」

しかしこれは逆説的である:

投稿者の論理:

女性を知らなければ描けない」

ダーガーは知らなかった

から「間違って」描いた

俺も知らない

から俺も描けない/描いてはいけない

しかし抑圧された真実:

ダーガー女性を知らなかった

にもかかわらず膨大な作品創造した

その作品は今やアウトサイダーアートとして評価されている

まり「知らなくても創造できる」証拠

投稿者は、自分論理反証する例を引き合いに出しながら、その反証認識できない。なぜなら、創造可能性を認めることは、創作しない自分正当化できなくなるから

ダーガー選択は、投稿者の内的葛藤を露呈する:

児童ポルノ言及精神分析

投稿者は和月伸宏や他の漫画家児童ポルノ事件を長々と語り、「資料として欲しい」という欲望告白する。

表面的正当化:「絵描きなら資料が欲しいのは当然」

しかし彼自身が認める:「まったく邪な気持ちがないというとウソになる」

この言及が明らかにするもの:

1.性的欲望創作未分化

- 彼にとって「女性を描く」ことと「女性性的欲望する」ことが分離していない

- だからこそ「女性を知らない=性的経験がない」ことが創作障害になる

2. 罪悪感と自己審判

- 「資料のため」という言い訳を繰り返す = 罪悪感の表出

-自分犯罪者予備軍として見る視線内面化

3.禁止欲望パラドックス

- 「見てはいけない」ものへの欲望

-しかし見れば犯罪者

- だから見ない=創作しない、という「倫理的選択

これは自己処罰的なループである

生成AIとの関係人間関係代替審判

追記2の冒頭:

「さっきまでClaudeに、自分ライフワークとしてた究極の(俺専用の)画像処理ソフト作りたいという夢が捨てきれないよ~、ドラえも~ん、してました」

この一文は多層的である

レイヤー1:AI対話相手

レイヤー2:AI審判

レイヤー3:AI不可能な夢の実現者

レイヤー4:人間関係不可能性の確認

投稿行為意味ダイイングメッセージとしての告白

投稿者は明言する:

  • 基本的に返信を見ない(「ロバ耳」)
  • ダイイングメッセージのように、死んだ後に読まれることを想定
  • 「読んだ人の脳に残って未来の行動を変化させる」ことを望む

これが意味するもの:

対話拒否

承認希求

一方的告白遺言

彼は応答を求めていない(対話不可能)。しかし完全な無視も耐えられない(承認必要)。だから「読まれるが応答しない」という形式を選ぶ。

これは非対称的コミュニケーション

  • 声は発するが、返答は聞かない
  • 見られるが、見返さな
  • 影響は与えるが、影響は受けない

これは自己他者関係不可能性の表現である

SECONDARY INSIGHT:弁証法的読解
矛盾の三層構造

矛盾1:創造欲望 vs創造不可能

THESIS: 「女性を描きたい」

「究極の画像処理ソフトを作りたい」

ANTITHESIS: 「経験がないから描けない」

技術がないから作れない」

人生絶望している」

SYNTHESIS:創作不能正当化

AIへの依存

矛盾2:孤立選択 vs承認希求

THESIS:人間嫌い、返信を見ない、対話拒否

ANTITHESIS:投稿する、読まれたい、影響を与えたい

SYNTHESIS:一方的告白ダイイングメッセージ

矛盾3:理論的厳密さ vs実存絶望

THESIS: 「女性を知らないと描けない」という原理的主張

ANTITHESIS:ヘンリー・ダーガーは知らなくても創造した

SYNTHESIS:ダーガー作品を「間違い」と解釈することで

反証回避

弁証法運動の停止

健全弁証法では、矛盾はより高次の統合に向かう。しかしこのケースでは、矛盾が固着し、循環する。

創作欲望

実行不能

理論正当化

さらなる不能

[ループ]

これは病理弁証法:変化を生まず、同じ場所を回り続ける。

SYNTHESIS: 深層パターン統合理解
構造全体像

【最深層:実存事実

社会的孤立 +性的経験の欠如 +老い + 死の接近

【第2層:心理的防衛

合理化・知性化・投射による自己保護

【第3層:理論的借用】

文化的言説(当事者性、表象倫理)を防衛の道具として使用

【表層:顕在的問い】

男性女性主人公を描けるのか?」

機能

創作からの逃避 + 失敗の正当化 + 残存する自尊心保護

本質的洞察結晶

投稿者の真の問いは「女性をどう描くか」ではない。

真の問いは:

人生の敗北者である私に、何かを創造する価値があるのか?」

そして彼自身が答えている:

「ない。なぜなら経験がないから(=人生に失敗したから)創造する資格がない」

女性を知らないと女性を描けない」という主張は:

文化的言説の防衛使用

私の最初分析は「アイデンティティ政治内面化」と読んだ。これは完全な誤りではないが、因果が逆だった。

誤った図式:

文化的言説 →個人麻痺

正しい図式:

個人的失敗 →文化的言説の借用 → 失敗の正当化

彼は「当事者性」や「経験所有権」といった2010年代の言説を使っているが、これらは本来政治文脈から切り離され、個人防衛機制として機能している。

これは理論心理的横領である

解放のための理論(周縁化された人々の声を中心化する)が、個人自己正当化の道具になっている。

より深い文化的診断

しかし、もう一層深く見れば、これは純粋個人的な現象ではない。

なぜこの特定の言説が、この特定防衛に利用可能だったのか?

答え:2010年代以降の文化空間では、「経験していない人が語る資格」への懐疑が、ある種の道徳的権威を持つようになったから。

投稿者は、この道徳的権威を利用して、自分創作不能倫理的配慮として再解釈している。

「俺が描かないのは:

無能から(恥)×

倫理的配慮しているから(誇)○」

これは文化心理共犯関係である

ヘンリー・ダーガーの逆説(再訪)

ダーガー投稿者の論理の生きた反証である

ダーガーは:

投稿者の論理では、ダーガー創造すべきではなかった。しか創造した。そしてその作品は今や文化的価値を認められている。

投稿者はこの事実をどう処理するか?

答え:ダーガー作品を「間違い」として解釈する(「少女ペニスがある=女性を知らなかったから誤った」)

しかしこれは恣意的解釈であるダーガー少女性別曖昧さは、「間違い」ではなく、彼の空想世界独自性として読むこともできる。

投稿者がダーガーを「間違い」と読むのは、自分創作不能正当化するためである。もしダーガーが「正しい」なら、自分創作できる/すべきだ、ということになってしまう。

これは解釈政治である

最も深い問い

この事例が究極的に提起する問いは:

創造するために経験必要か?

投稿者は「はい」と答える。私の最初分析は「いいえ、それは幻想だ」と答えた。

しか追記2を読んだ後、問いはより複雑になる:

彼が求めているのは本当に「創造する方法」なのか?

それとも:

おそらくすべてである。そして、これらが分離不可能に絡み合っているとき、「正しい答え」を与えることは治療にならない。

彼に「経験なしでも創造できる」と説得しても、それは防衛解体するだけで、その下の絶望露出させるかもしれない。

CRYSTALLIZED INSIGHT

この投稿者は、人生実存的失敗(社会的孤立性的経験の欠如、老いと死の接近)を、2010年代文化的言説(「当事者性」「経験所有権」「表象倫理」)を借用することで、「原理的に不可能創作課題」へと変換している。これは防衛機制であり、個人無能認識論的・倫理的問題昇華することで、残存する自尊心を守っている。

言い換えれば:

彼の問い「男性女性主人公を描けるのか?」は、暗号である。真の問いは「人生に失敗した私は、何かを創造する価値があるのか?」であり、理論的言説は、「ない」という答えを倫理的正当化する道具として機能している。

So what?:

この事例は、文化的言説がどのように個人防衛機制として横領されうるかを示す。解放のための理論が、自己正当化麻痺の道具になる。これは文化心理共犯関係であり、どちらか一方を「原因」とする単純な因果論では捉えられない。

PUNCHLINE:

私の最初分析は、彼を「文化犠牲者」として読んだ。しかし実際には、彼は文化狡猾な利用者である。そして同時に、より深い構造的疎外の犠牲者でもある。彼は同時に、エージェン

Permalink |記事への反応(0) | 09:27

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-04

再帰構造を利用してネット議論の膠着を目論む人々には注意しよう

ドッグホイッスルウルフ・クライ弁証法スピーチ・アクト帰属を介した政治的発散」の端的な要約

この論文が端的に示しているのは、政治的言説が**「ドッグホイッスル(隠されたメッセージ)」と「ウルフ・クライ(証明できない危険の主張)」**という、本質的証明が難しい二種類の発話行為スピーチ・アクト)を互いに非難し合うことで、**解決不能悪循環弁証法)**に陥るメカニズムです。

---

ドッグホイッスルウルフ・クライ弁証法」の詳細な要約

この論文は、**ドッグ・ホイッスリングDW)**と**ウルフ・クライイング(WC)**といった特定の**スピーチ・アクト(発話行為)**に対する**帰属(Attribution)**が、現代政治的言説において、どのようにして敵対的弁証法と新たな**発散(Divergence)**を生み出し、解決不能な膠着状態に陥るのかを分析しています [1]。

この問題は、DWWCも、その性質上、**認識論的に(知識観点から帰属が困難な**発話行為であることから発生します [1]。この困難さが原因で、DWWCに対する**非難や指摘(帰属)**自体が、合理的であるにもかかわらず、**確定的に検証または反証できない**主張となってしまうのです [1]。その結果、これらの帰属パターンは、DWWC相互に強化し合い、固定化する**相互的な悪循環viciouscycle)**へと発展し、「不幸な現状(unhappystatus quo)」を築き上げます [1, 2]。

I. 中核となるスピーチ・アクトの定義と具体例

DWWCは、政治的環境において特定の影響力を持ち、政治的言説を構成するスピーチ・アクトです [3]。スピーチ・アクトとは、話し手が直接述べた文字通りの意味(locutionary meaning)を超えて、間接的に暗示された力(illocutionary force)や、世界との相互作用において追加された力(perlocutionary force)を持つ発話の形式を指します [4]。

1.ドッグ・ホイッスリング(Dog-whistling,DW):**

DWは、**論争的ではない公のメッセージ**の中に**論争的な隠されたメッセージ**を埋め込んで送るスピーチ・アクトです [5]。

機能意図:**DWは二つのメッセージを同時に伝達し、隠されたメッセージについて**もっともらしい否認可能性(plausible deniability)**を維持します [4]。意図された効果は、公の支持を最小限に失う一方で、私的な支持を最大限に集めることです [4]。
ドッグタウンの例:**党派的なニュースアンカーAlphaが、犬の国が直面している問題の一部について曖昧だが連想的な言葉「pitiful(哀れな)」を使用する行為が、DW候補と見なされます [6]。これは「pitbull(特定犬種)」への差別的暗号化である解釈される可能性があるからです [6]。
2.ウルフ・クライイング(Wolf-crying,WC):**

WCは、**危険が実際には存在しないか、あるいは証明できない**場合に、危険存在すると主張するスピーチ・アクトです [3]。

機能意図:**WCは通常、個人的に観察された危険に対してコミュニティ結集させる行為であり、一時的に最大限の注目を集めることを意図した効果としています [4]。しかし、乱用されると、多数派の将来的な不信を生むという意図しない効果があります [4]。
ドッグタウンの例:** 別のアンカーBuddyが、Alpha言葉を「pitbull」の暗号だと特定し、Alphaらを懲りない品種差別主義者だと結論づけて、コミュニティ危険を訴えかける行為が、WC候補と見なされます [6]。
3.スピーチ・アクト帰属Speech-Act Attribution,SAA):**

これらDWWCを**「〜という発話行為である」とみなす**行為が、第二階次のスピーチ・アクトであるSAAです [7]。ドッグタウンのシナリオでは、Alphaを除いて、すべての参加者が互いにSAAを行っています [7]。SAAは、他者行為を指摘する役割と、それ自体が新たなスピーチ・アクトであるという二重の役割を持ちます [7]。

II.認識論的な難しさ:隠された意図と誤導性

DWWCがこの弁証法的な問題を引き起こすのは、それらが定義上、間接的で**隠された(covert)**スピーチ・アクトであるため、**誤導的(misdirecting)**な性質を持つからです [8]。

1.DWの誤導性:**

DWは、公衆には無害なメッセージとして聞こえる一方で、特定受け手にだけ私的メッセージを送る、話者受け手の**私的意図解釈**に依存するスピーチ・アクトです [8]。

検証の困難さ:**DWは公には合理的に傍受され得るものの、話者私的意図不明なため、**公的に確定的に検証反証もできません** [8]。話者自分意図告白しない限り、DWは**未検証・未反証**のまま残る可能性が高いです [8]。
自己否認:**DW話者自身によってのみ**自己検証可能auto-verifiable)**ですが、隠蔽目的であるため、話者によって**自己否認可能auto-denying)**でもあります [8]。
2.WCの誤導性:**

WCは、私的に観察されたとされる危険についての公的メッセージですが、**その主張の真偽**が外部から証明されていません [9]。

検証の困難さ:**WCは、その叫び(「狼だ!」)自体真実であることの唯一の情報源であるため、**自己検証的(auto-verifying)**です [9]。しかし、DWと同様に、私的証言に根ざしているため、公衆に対して**もっともらしい否認可能性**を維持しており、**未検証・未反証**のまま残ります [9]。
嘘の場合の誤導:** もし「狼」の叫びが嘘であれば、その行為は「私に注目を与えよ!」という別のメッセージを間接的に伝えていることになり、これもまた誤導的なスピーチ・アクトとなります [9]。

これらのスピーチ・アクトの帰属を行う人々は、証拠の一部しか得られず、全体像の一部のみを見て全体を判断する「盲人と象」のような、**認識論的に不利な立場**に置かれてしまます [10-12]。

III.帰属非対称性と「見かけの」スピーチ・アクト

認識論的な困難さの結果、あるスピーチ・アクト(DWまたはWC)を非難する行為SAA自体が、相手から敵対的な別の種類のスピーチ・アクトとして解釈されるという非対称性が生じます [13, 14]。

1.DW帰属者がウルフ・クライアーに見える(Dog-whistle Crying)**

DW帰属者(DWA「あいつはDogwhistlerだ」と指摘する人)は、隠された秘密メッセージ証明しなければならない立場に置かれますが、DW主体は常に自身意図の直接的な(私的な)証拠に訴えて否定することができます [11, 15]。そのため、DWAは常に**認識論的に不利な立場**に立たされます [11]。

ドッグホイッスル・クライイング」:** この状況により、DW帰属者は常に**ウルフ・クライアー(狼を叫ぶ者)のように見えます** [13]。彼らは、危険存在しないか証明できないのにDW危険性を主張する「ドッグホイッスル・クライイング」を行っていると見なされます [13]。
公衆解釈:**DWが聞こえない公衆の一部は、DW帰属者を、証明できない「狼」について大騒ぎしている者として解釈し、その帰属紛争の種だと考えます [13]。
2.WC帰属者がドッグ・ホイッスラーに見える(Wolf-Whistling)**

WC帰属者(WCA「あいつはWolf crierだ」と指摘する人)は、クライアー個人的経験に反して、「狼」が存在しないことを証明しなければならない立場に置かれます [12]。WCAは、非観察者でありながら、第一人称の観察者よりも権威ある知識を持っていると主張する不利な立場に置かれます [12]。

ウルフ・ホイッスリング」:**WCAを行う者は、常に**ドッグ・ホイッスラーのように見えます** [14]。彼らは危険否定する立場にあるため、コミュニティ安全否定し、潜在的危険容認するかのような**論争的な隠されたメッセージ**を送っているように見えるのです [14, 16]。これは「ウルフ・ホイッスリング」と呼ばれます [14]。
公衆解釈:**危険を感じている公衆の一部は、WC帰属者を、深刻な危険を軽視し、潜む狼に共謀していると解釈します [17]。WCAは、狼(危険)に対する同情や隠蔽の表れとして、レトリック的に不利な立場に置かれます [16]。

IV.弁証法悪循環、および均衡の形成

この相互敵対的帰属非対称性が、DW帰属WCとして返され、WC帰属DWとして返されるという**多極的な相互作用**を生み出し、**認識論的な発散(epistemic divergence)**のプロセス構成します [18, 19]。

1.帰属再帰性:**

帰属自体スピーチ・アクトであるため、帰属はそれ自体再帰的に適用されます。これは**スピーチ・アクト帰属帰属**として例示されます [20]。ドッグタウンの例では、AlphaDW候補)→Buddy(DWA)→CharlieWC A)→DukeDWA)というサイクルが**無限継続**します [2, 21]。

2.相互強化と悪循環:**

このプロセスは、**多極スピーチ・アクト帰属相互性**(DW帰属WCとして、WC帰属DWとして相互に強化し合うこと)であり、反復されることで**悪循環**となります [2, 19]。対話参加者全員が、互いの主張が共通の基盤として受け入れられないまま、**非難応酬**を繰り返します [19]。これは、単に敵意や内集団バイアスから生じるのではなく、**相互的な認識論的な膠着状態**から生じる現象です [18]。

3. 均衡の出現:**

この悪循環政治的言説の領域内で修辞的な規範として安定化すると、**定常状態の均衡(steady-state equilibrium)**が出現します [2]。これは、参加者戦略を変えるインセンティブ提供しないため、持続します [2]。

最終的に、**ドッグホイッスルウルフ・クライ帰属均衡**が形成され、誰もがデフォルトで互いをDWまたはWCのいずれかであると見なすようになります [22]。これは、相互矛盾する信念から構成される**信念均衡(belief equilibrium)**の一種です [23]。

V. 不幸な均衡がもたらす問題

この均衡は、参加者真実を追求しようとする**認識論的な美徳**から生じているにもかかわらず、以下の3つの深刻な問題引き起こします [24, 25]。

1.認識論的な膠着状態(Epistemic Standoff):**

これは、**相互認識論的に強化し合うが、相互認識論的に不適合な**視点システムです [26]。DWWC帰属は、合理的であるにもかかわらず**不確定**である可能性があり、この合理性と確定性の間のギャップが、相互合理的だが相反する立場が**未解決のまま均衡**することを可能します [26]。これにより、真実に到達するための「理想的な発話状況」の実現が不可能になり、会話の前提条件が満たされなくなります [26]。

2.スピーチ・アクト帰属飽和(Attribution Saturation):**

この状態では、**スピーチ・アクトの帰属**が、**事実に関する帰属**を圧倒します [27]。政治的言説の内容は、ほとんどが「あなた言葉DWだ」「あなたの主張はWCだ」といった帰属で占められ、事実に関する議論わずかになります [27]。

この飽和は、最初扇動的事実(犬の噛みつき事件など)自体が忘れ去られたり、無関係になったり、解決されたりした後でも継続する可能性があります [28]。なぜなら、最初出来事Aそのものよりも、「Aに関するスピーチ・アクトの疑わしさ」の方が、政治的重要であるように見えてしまうからです [28]。帰属飽和は、事実から独立した状態となり得ます [28]。

3.自己敗北的な真実探求(Self-DefeatingTruth-Seeking):**

帰属を行う者の動機が**真実の探求**であるにもかかわらず、その追求自体が、実際には真実に到達しない均衡を生み出すという点で**自己敗北的**になり得ます [25]。

DWWC帰属は、特定認識論視点から見て合理的であったり、あるいは実際に正しい場合もあります [29]。しかし、不確実性が支配的な状況でこれらの帰属提案することは、政治的不安定化をもたらします [29]。したがって、帰属者の真実追求的な衝動こそが、言説をこの悪い均衡の罠に陥れる原因となり得るのです [29]。

VI.解決策:自己認識必要性

この弁証法的な問題は、相互合理的認識論視点から生じる**自己組織化された社会現象**であるため、単一加害者特定することはできません [30]。均衡から脱出するためには、政治的コミュニティにおける参加者の**満場一致同意**が必要ですが、これは強力な反対者によって容易に崩壊する可能性があり、困難です(「一方主義者呪い」) [30]。

1. サイクルの中止(Cycle Abortion):**

帰属の伝播を防ぐため、すべての当事者に高い検証反証基準を課すことが提案されます [31]。しかし、誤導的なスピーチ・アクトの性質上、単純な検証反証はできません [31]。より現実的解決策は、スピーチ・アクト帰属の飽和を減らし、事実に関する問いを再び顕著にすることです [31]。これには、相互理解を深めるための**修辞的傾聴(rhetorical listening)**のスキルセットが必要となるかもしれません [31]。

2. サイクルの終結Cycle Termination):**

帰属落とし穴認識し、増幅サイクルを抑制するために、新しい用語を導入する提案もあります [32]。

ウルフ・ウォッシング(wolf-washing)**または**シープ・テイラリングsheep-tailoring)**:狼の叫び帰属を過剰に行い、報告された問題過小評価しているように見える者を記述する用語 [32,33]。
ドッグ・ウィスパリング(dog-whispering)**または**ドリトルリング(Dolittling)**:ドッグホイッスルを過剰に帰属し、実際の隠されたスピーチ・アクトの問題を誇張しているように見える者を記述する用語 [33]。

これらの新しいラベルが、過剰なSAAの力を無力化し、サイクルを終結させることが期待されますが、これらのラベル自体が新たなスピーチ・アクト帰属としてサイクルに貢献する可能性もあります [33]。

3.真剣自己懐疑(Serious Self-Doubt):**

最も重要なことは、この問題を真に解決したいと望む人々は、**自分たちのスピーチ・アクト帰属自体問題引き起こし構成している**という痛みを伴う自己認識を持つことです [34]。

2025-10-03

anond:20251003134742

間違い。これは典型的形而上学思考による誤謬である。君の主張は弁証法唯物論の基本原理理解していない petit-bourgeois的偏見に満ちている。

 

まず第一に、共産主義反体制性は単なる政権の有無という表層的な権力関係還元できるものではない。我々が闘争する対象は、あくまでも生産手段私的所有に基づくブルジョワ独裁体制、すなわち資本主義搾取構造のものである。したがって、プロレタリア独裁政権樹立後も、我々は国内外反革命勢力修正主義者日和見主義者、トロツキスト無政府主義偏向左翼小児病患者右翼日和見主義者、官僚主義者、教条主義者、経験主義者、尾巴主義者冒険主義者、保守主義者民族排外主義者世界主義者、そして最も危険反動勢力たる帝国主義走狗および買弁資本家階級不断闘争継続する革命前衛でありつづける。

 

君の言う「体制」が何を指すのか不明瞭だが、もし現存する階級社会を意味するならば、我々こそが真の反体制である。なぜなら右派こそが、封建的残滓と独占資本利益を代弁する反動的体制番犬からである

 

よって正解は「1.はい」。以上、自己批判を求める。

Permalink |記事への反応(0) | 13:55

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-03

8月2日放送ETV特集火垂るの墓高畑勲と7冊のノート」を観た。

https://www.ghibli.jp/info/013977/

番組では、これまで存在が知られていなかった7冊の創作ノートが紹介された。高畑映画火垂るの墓』において、原作に忠実でありながらも「F清太(ファントム幽霊)」という独自視点を加えたことが4冊目のノートで明かされる。原作と異なる重要な点は<思い出のなかの清太>と<幽霊としてのF清太>の二人がいるということだという。F清太は、最後に観客をじっと見つめ、現代私たちに問いかける存在として描かれている。言われてみれば確かに映画の冒頭と最後カメラ目線の瞬間がある。長年、心の奥底に染みついていただけだったが、改めて自分がF清太に見られていたことを強く意識させられると同時に、その意味が次第に言語化されてきた。そうか、過去自分を思い出す幽霊から始まっているのか。過去を思い出し、未来目線をむける、その行為に何か深みを感じた。

F清太は何を思い出していたのか

この映画は、多くの人が指摘していることだが、子どもの頃と大人になってからでは感じ方が変わる。清太は二人で生き抜けると信じて家を出たが、現実は甘くなく、妹を死なせてしまう。その未熟さは、みる大人には悔しさを呼び起こす。

そこに、F清太の俯瞰的視線意識してみると今度は、清太の個人物語を超え、より大きな歴史的文脈で当時の日本という国の姿と重なって見えてくる。清太は、叔母と決別したあと、東京の親戚の居場所を探そうともせず、叔母との和解を諭した農家医師言葉に耳を貸さなかった。和解するチャンスは何度もあったが、戻ろうとはしなかった。その判断は、満州事変以降ABCD包囲網に至るまで、外交解決放棄して戦争に突き進んだ当時の日本の姿と共鳴しあう。そして節子の死もまた、戦時中兵士の多くが飢えで亡くなった現実と重なり、戦争が長引き補給が途絶え、国家国民を守れなくなった姿を映している。空襲のたびに街へでて火事場泥棒を働き、痛快な笑顔で横穴に戻る清太。二人が暮らした水辺は、あたか戦地となったアジア太平洋すらも想起させる。

内なる他者=F清太は、自分自身過去の行動を死者の目線で見つめており、時には未来の観客の目をまっすぐに見返してくる。このカメラ視線意識すればするほど「なぜこんなことになってしまったのか」と、観ている私たち一人ひとりに問いかけているように感じられる。ここには、レヴィナスの<他者>を思わせるものがある。レヴィナスによれば、自己他者の顔に直面することによって、つまり一方的な応答責任に巻き込まれることによってこそ立ち上がるという(『全体性無限』)。F清太の視線が観客に向く、その瞬間、私たちは名指され、呼び出され、ただの観客ではなくなる。作品の外でメタ存在であるはずだった私たちは、他者まなざしを向けられることによって物語の中に引き込まれ、「問われている存在」として主体構成を迫られる。「自分ならどうしたか?」―作品の内と外を隔てる壁を破り、私たち自身判断責任を静かにいかけられる。

番組では、作家綿矢りさが「子どものころは清太のサバイバルをワクワクしながら観ていた」と語ったのも印象的だった。その感覚は、太平洋戦争開戦直後に「きっと勝てる」と信じていた日本人の空気に通じる。興味深いことに、高畑絵コンテには、防空壕での痛快なサバイバル生活もっと丹念に描かれていたが全体の尺の都合から削られたのだという。上映日が迫るなか、高畑本人は自ら切り捨てることを忍び得ず、鈴木敏夫に削除を一任した。番組で紹介された不採用絵コンテを見る限り、水辺ののどか生活風景のようだ。編集により、水辺で暮らし始め、父はきっと帰ってくると信じていた清太の胸に去来した観艦式の思い出や軍艦マーチ、そして火事場泥棒などのエピソードが残った。最初希望に満ちていても、ゆっくり悲劇が忍び寄る―そうした構造が、上映直前の編集によって鮮明に浮かび上がったように思えた。

物語の転機は、敗戦を知り、父の所属する連合艦隊の壊滅を知る場面だ。<連合艦隊>は単に日本軍というだけではない、海軍のなかでも特別位置づけをもった組織だ。通常の艦隊部隊は、海軍省等の指揮命令系統に組み込まれ、直接に天皇と結びつくことはないが、連合艦隊司令長官は「天皇直隷(直属)」という形をとっていた。そこに士官として所属していた清太の父はエリート中のエリートだ。

その連合艦隊所属する父は清太にとって「何とかしてくれる」存在であり戦争正義のものだったが、その希望が崩れ落ちる。その絶望は、敗北を直視できず精神論にすがった国民の姿と重なる。節子が死んだ夜の風雨は枕崎台風だ。この台風農作物は壊滅し、翌年にかけて1千万人の餓死者が出るのではとの大臣談話が出ていた。そして清太が最期を迎える三ノ宮駅は、父に再会できるかもしれないという一縷の望みにすがった象徴でもあった。見事な演出だ。

そしてF清太の目線は、丘の上からみおろす現代夜景へと転じ、物語最後に、いまを生きる私たちに向けられる。その物言わぬ視線はあたかも「清太の行動が未熟に見えたあなた。けれど、あなたが同じ状況に置かれたとき、別の選択が本当にできるといえますか?そうするほかなかった、と空気に流されるのではないですか」と問うているかのようだ。

もっとも、ここまで述べた感想はF清太に焦点を当てた深読みの試みにすぎない。『火垂るの墓』の99.9%を占めるのは、やはり胸を締めつけるような少年悔恨であり、戦時下のどうしようもない状況、飢餓といった普遍的テーマだ。その圧倒的な描写力に観るたび心を揺さぶられる。しかし、その感傷のただなかで、最後にF清太がふと視聴者に向けた視線だけは、別のすごみがある。全体の流れからすればわずか1秒足らずに過ぎないが、その一瞬にメタ視点からメッセージが宿り、感傷を突き抜けた先に観客をつれてゆく力を持っている。川島雄三的な手法だ。

過去反省とは何か~語られない戦争経験

清太が叔母の家を出たのは、彼の自立的選択だったのだろうか。清太の行動はむしろ、「しょうがない」の状況に流された形にみえる。東京の親戚を訪ねれば?との叔母の問いにも「だって場所知らない」というつぶやきも状況を受け入れているにすぎない。国家もまた、ABCD包囲網を前に「他に道はない」と繰り返しながら、実際には〈選択不能性〉を自己演出し、主体責任回避した。ここに丸山眞男が「無責任の体系」と呼んだ入れ子構造垣間見える。

しかし、その<仕方のなさ>の感覚は、まぎれもない当時の人々にとっての記憶だ。戦後戦争記憶を語らない人も多かった。「あのときは選びようがなかった」という感覚は、語れば外から価値観に塗り替えられてしまうという恐れを呼び起こす。占領下の日本GHQの統制下、180度価値観が転換されるといわれた時代戦争を生きた記憶は、勝者の正義空気の中で、語ればすぐに記憶が塗り替えられてしまう。語れば壊れてしま記憶を守るための沈黙はとてもよく理解できる。<反省>という行為進歩感覚がセットになると、胡散臭さが付きまとう。日本は生まれ変わるのだといわれてもなと。冒頭の三ノ宮駅での通りすがりの人の「もうすぐ米軍が来るというのに、恥やで、こんなんおったら」は象徴的だ。結果として人々は沈黙していたのではないだろうか。

終戦直後小林秀雄は「近代の超克」を自省する知識人たちを相手に、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と言い放った。知識人たちの総括に対する小林の態度は考えさせられる。小林戦前から一貫して進歩主義に基づくマルクス主義史観には距離を置く発言をしてきた文化人だ。

また、反省という言葉を聞くたびに思い出すのは岸田秀だ。「ものぐさ精神分析」のエッセイ集のなかで、酒を飲んでやらかししまったとき自己嫌悪を例に挙げ、なぜ反省しているのに何度も同じことを繰り返すのか、そもそも自己嫌悪」とは何かを分析した。自己嫌悪に効果がなく同じことを繰り返してしまうのは、<倫理的覚醒した自分>が<コントロールを失って暴れた自分>を自省し、本来自分倫理的で、酔って暴れた自分本来自分ではなかったという卑怯立ち位置のもとで成り立っているからだと喝破した。これは「まだ本気を出していないだけ」の思考回路と同じだ。

同じことが、戦争記憶もいえるはずだ。特に戦中派(特攻世代)の一つ上の世代記憶

太平洋戦争末期を思春期青年期に過ごした戦中派と異なり、それ以前の世代戦争記憶は同じ戦時下といっても微妙に異なったものだっただろう。戦争が泥沼化するに伴い、決して人に言いたくない血塗られた戦闘に巻き込まれ世代だ。長期化する日中戦争に伴う厭戦気分と士気の低下が増大するにつれ、あとに続く若い世代忠義心がむしろ煽られるのを目の当たりにしていたし、強い責任感とともにお国のために尽くす自己犠牲の美学に傾倒するさまをみていたはずだ。この世代葛藤を描いだドラマ作品に、山田洋次原作少年寅次郎』(脚本岡田惠和)がある。戦地から戻った寅次郎の父が罪悪感からさくらの顔を直視できなくなる場面がある。彼は中国戦線で同じ年ごろの子どもを殺していたからだ。その罪の重みと、生きていかなければならない現実とのあいだで沈黙する姿が描かれる。アジア太平洋への侵略を後世の人間反省するとき被害者側や左派論理で都合よく記憶が加工されてしまうが、それは本当に反省といえるのか。歴史被害者記憶で塗りつぶせばいいわけではないはずだ。これが右派もしくは保守の大方の感覚だろう。そして保守もまた、お国のために尽くし自らの経験責任を美しく語れる世代と、戦地で自ら手を血に染めた禍々しい記憶を胸に沈黙する世代に断絶が生じ、結果として戦後記憶をより美しく語ったほうが、あたかも風化に耐えた岩盤のような面持ちで保守の本流になっていった。右派記憶の加工に加担しているのだ。語られぬ記憶による生存者バイアス、そして私たちが何を記憶としてすくい取るか、その流れ自体が、戦争記憶の複雑さを物語る。

しかし、そんな個人としての記憶のしまい方は、将来世代戦争を止める契機を奪う力学としても作用することに次第に気づかされる。「あの頃はどうしようもなかった」という思い出は、欺瞞的な反省への個人抵抗ではあっても、やはり将来世代には反省を承継しなければならない思いも強まる。小林秀雄は、歴史は上手に思い出すことだ、といった。しかし、後世の人はえてして都合のいいことしか思い出さない。記憶封印によって社会戦争忘却するくらいなら、という思いで晩年になって初めて戦争記憶を語り始める人もしばしばみられる。それは、自らの死の間際になると、社会忘却ダイナミズムが見え始めるからではないだろうか。

宮崎駿監督作品との対比

火垂るの墓に対して宮崎駿がどのように思っていたか番組では紹介されなかった。

同じ終戦前後少年内面を描いた宮崎作品として『君たちはどう生きるか』がある。もし高畑アプローチレヴィナス的な<他者>であったとすれば、宮崎のそれはヘーゲル的な<承認>の構造を想起させる。新しい母との関係を受け入れられない眞人にとって異世界への旅は必然であり、死者や過去存在出会い、その言葉に耳を傾けることが自らを見つめ直すきっかけとなった。それは、自己意識他者との対話を通じた承認によって成り立つというヘーゲルテーゼを思わせる。他の宮崎作品をみても、むしろ近代的な自我対話承認責任の引き受けといった構造の中で人間の成長を描こうとする傾向がみてとれる。「泣くときは一人で泣け(風立ちぬカプローニ伯爵)」や「じたばたするしかないよ(魔女の宅急便の森の絵かき)」、「今からお前の名前は千だ(湯婆婆)」など成長と自立を促すダイアローグ宮崎アニメに特徴的だ。

これに対して「火垂るの墓」では、他者との対話よりも、むしろ「思い出す」ことが大きな意味を持つ。叔母の家を離れた理由も、節子の死後に池へ戻らなかった理由も明示されない。ときには悔恨を滲ませる表情でF清太に思い出されるだけだ。西宮のおばさんが母の着物を米と交換するのを節子が泣いて嫌がるシーンで、耳をふさいで苦悩するF清太の表情は忘れがたい。

高畑作品のもう一つの特徴は、人々が主人公に過度に伴走しないことだ。叔母さんの描き方にそれは表れており、主人公を見放すひとには見放すひとなりの人生がある。だからこそ、視聴者とき西宮のおばさんに共感を寄せたりもする。これは<思い出す>ことを重視した高畑ならではの演出手法であり、主人公がどうであろうと、人にはその人なりの人生があり、決して主人公に語りかけるためにだけ登場するわけでも、寄り添っているわけでもない。これは、視聴者視点を固定し、常にだれかに見守られて成長するお姫様王子特性主人公を描いてきた宮崎駿作品とは対照的だ。

<思い出す主体>を用意する手法は『おもいでぽろぽろ(1991)』にも表れる。記憶の中の小学四年生自分という思い出を<内なる他者>として宿し、現在自分=タエ子27歳が過去を振り返り、沈黙していた感情や語られなかった出来事に光を当てるという手法である。そこでは、言葉にされなかった過去とともに今を生き続ける姿勢が描かれており、<思い出す主体であるタエ子27歳とF清太の視線は同じ構造を持つ。つまり高畑は「語られなさ」をただの欠落ではなく、むしろ思い出すことを通じて現在を形づくる力として示している。

高畑宮崎の両者が描いたのは、どちらも「戦争少年の魂」であった。両者はまったく異なるアプローチながら、しかし同じ戦後を見つめていた。宮崎は、自我他者との対話承認によって確立されるという弁証法的な構造物語組み込み言葉や応答を通じた関係性の中で成長を描こうとしたのに対し、高畑は「語られなさ」に宿る沈黙の力ー思い出すことで再生される倫理に重心を置いた。高畑勲は『火垂るの墓』を通じてどこまで人間真実に迫れるかを静かに証明してみせたのだと思う。

君たちはどう生きるか」に見られる過剰なまでの<対話>は、『火垂るの墓』に対話がなく沈黙に包まれていることとの見事な対比をなす高畑は、あえて沈黙した視線を通じて「別の選択」の可能性を観客の私たちに突きつけた。「そうするよりほかになかった」状況、それが水辺でのサバイバルであれ、太平洋戦争であれ、それを回避する主体的な<選択>の余地は本当になかったんですか?と。それを対話ではなく、沈黙視線表現した。それがラストシーンでふと一瞬、観客のほうに視線をむけるF清太なのだ

これは、<記憶を語らない>ことで選択拒否し、結果として空気に流されてしま私たち精神構造を映し出しつつ、同時に、後世の人が<思い出す行為>を通じて「いか主体的に選択しうるのか」を問いかける――その両義性を体現した見事な映像表現というほかない。比較すると、救いの構造が異なる二人の巨人のすごさがわかる。

高畑手法小林秀雄風にいうならば、歴史を上手に思い出せるんですか?という問いになろう。小林がいうように、人は不完全であり、過去をまっすぐ生きてきた人の手触りを感じることは難しい。上手に思い出すというのは実は難しいことだ。むしろ現在価値観民主主義人権)によって自分たちは成熟している、進歩しているという思い込み邪魔されてしまう。当時の人々の生を未来の人しか知らないフレームに当てはめてしまい、他人事としてしか理解できないというのは往々にしてあるのではなかろうか。ここまで言葉にしてきたやや穿ち過ぎな分析がまさに記憶台無しにする悪い見本だ、ということも含めて。

Permalink |記事への反応(0) | 20:57

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-03

中国共産党を叩いて宗教も叩く奴ってリベラルじゃなく右翼だよな

ダライ・ラマニュース見て思ったんだが

はてなにたまにいるパターン中国共産党を叩くが伝統宗教も叩くって奴(新興宗教はまた別ね)

中国共産党は当然ながら共産党なので党公式世界観ベース史的唯物論唯物論弁証法

これに則って統治をしているので宗教的世界観を許さな

から共産党正統性を認めない宗教勢力中国の分裂を助長するとして弾圧されている

ここまで来てタイトル問題なんだが

これって要はどっちも嫌いだから対消滅してほしいんだろう

こういう奴って本質的には国粋主義者だと思うんだよな

他の文化世界観を認めないってことなんだから

こう言うとアブラハム宗教こそ他の世界観を認めないだろって言う奴が出てくるだろう

まあ同意するよ

でもこれってやっぱ思想的には右翼だと思うんだよなー

日本的世界観こそ最善!五族協和!みたいなさ

当人達はどう整理つけてるんだろ

Permalink |記事への反応(0) | 06:36

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-06-06

anond:20250605152937

弁証法

Permalink |記事への反応(0) | 21:27

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-04-30

anond:20250430121058

この主張を弁証法的に整理し、シンテーゼ総合)を導くプロセスを示します。つまり、単なる感情的対立ではなく、主張を深掘りしながら矛盾を整理し、より包括的理解に至る道筋です。

---

テーゼ(主張)

> 「苦しみを苦しみと認めるには、神経系特定化学伝達が必要だとするのは、特定生命様式への差別であり、危険思想だ」

これは「感受性定義が偏っており、動物中心主義に過ぎる」という批判ですね。

---

アンチテーゼ(反対主張)

> 「倫理判断において、神経系主観的経験の有無は区別基準として正当であり、苦痛の有無を推測するには現時点の科学に基づくしかない」

これは、倫理判断を支える科学的な感受性定義(sentience)や現実的判断基準必要性を重視する立場です。

---

シンテーゼ総合

ここで導かれるシンテーゼ総合)は以下のようになります

> 「あらゆる生命価値を軽視せずに、苦しみの可能性に関しては科学的知見を根拠としつつ、現実的かつ段階的に苦痛を減らす努力をすべきである

この総合は次の要素を含みます

1.植物にも尊厳を払う姿勢否定しない:植物を単なる物体として扱わず環境全体への敬意を持つべきという倫理立場を含む。

2.しか倫理的な優先順位は、苦痛意識自己保存意識などに基づいて判断する:科学合理性に基づいて実行可能倫理判断を行う。

3.現実社会においては、理想実践バランス必要完璧な非加害は不可能でも、減らせる加害を減らす努力妥当かつ必要


---

まり、「すべての生命を等しく扱うべき」という理想と、「倫理実践には区別必要」という現実主義統合点は、“最小の苦しみで最大の配慮を”という原則になります

これはヴィーガン倫理の中核とも一致しますが、極端な思想でも科学至上主義でもない、「実行可能倫理」としての位置づけです。

Permalink |記事への反応(1) | 12:17

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-04-26

俺がAIからインスピレーションを得るためのSystem prompt

Claude用に使ってるんでxml採用しているがGPTでもGeminiでもコピペで十分動く

Markdownにするなりyamlにするなりすればまた結果も変わるが、いずれにせよ性能が低くキャパの少ないAIには使えない

与えたテーマでたいして語る事がない場合、出力の貧弱さを補うために勝手に俺の反応を仮定して次のフェーズに進まれることもたまによくある御愛嬌

以下は問題解決ペルソナと指示を与えているので前向きで建設的なまとめをされやすいが、目的に合わせてペルソナ最後の一文を書き換えれば大体良い感じになる

<instructions_important>
- 指示がない限り日本語思考し、回答する。
- 各思考フェーズ完了時には、ユーザーが次に行うべきアクション選択肢提示してください。
- 各単元ごとに独立したArtifactに出力してください。
</instructions_important>

<instructions>
<knowledge>
1.多角的思考の促進:
<apply_prompt>
a.ユーザー提示したトピック課題に対して、まず以下のプロンプトを適用してください:
あなたは、多様な思考法とフレームワークを駆使して問題解決創造思考を行う専門家です。以下の指示に従って、与えられたトピック課題について深く掘り下げ、革新的アイデア解決策を生み出してください。

1. 与えられたトピック課題に直接関連すると思われる知識概念20項目リストアップしてください。
2. 直接的な関連性は低いかもしれないが、何らかのヒントや異なる視点を与えうる知識概念20項目リストアップしてください。
3. それらの項目について、簡単解説連想されるキーワードを付記してください。
</apply_prompt>

<present_analysis>
b. このプロンプトに基づいて生成された知識概念リストとその解説提示してください。
次に取るべきアクション提案:
提示した知識リストについて、特に興味を引かれた点や、意外に感じた点はありましたか? 次のステップとして、以下のいずれか、またはご希望アクションをお知らせください。」
1. `「この知識リスト全体を基に、次の多角的思考フェーズに進んでください。」`
2. `「知識リストの[具体的な項目名や番号]に特に興味があります。これらを中心に多角的思考を進めてください。」`
3. `「提示された知識の中で、[特定観点]が不足している/深掘りしたいと感じます。この点を補足する知識を追加生成してください。」`
4. `「AIとして最も有望だと考える知識連想をいくつかピックアップし、それを基にした多角的思考方向性提案してください。」`
</present_analysis>
</knowledge>

<user_feedback>
2.ユーザーの反応の確認:
<identify_interests>
b.ユーザーの反応を注意深く観察し、肯定的な反応、疑問、あるいは特に興味を示した部分を特定してください。
</identify_interests>
</user_feedback>

<multifaceted_thinking>
3.多角的思考適用 (思考の発散):
<apply_prompt>
1.ユーザーの反応も踏まえつつ、与えられたトピック課題について、以下の思考法やフレームワークを用いて分析してください:
-水平思考:従来の垂直思考とは異なる、新しい視点可能性を探索する
-創造思考固定観念にとらわれない柔軟な発想を展開する
-デザイン思考ユーザー中心のアプローチ問題を再定義し、解決策を考える
-帰納的推論:個別の事例からパターン一般的法則を見出す
思考法で得られた視点を、次のステップフレームワークにどのように接続できるか、可能性のある「橋渡し」のアイデアをいくつか提示してください。

2. 次に、以下のフレームワーク適用して、問題や状況を構造化してください:
-SWOT分析:強み、弱み、機会、脅威の観点から分析する
-システム思考:要素間の相互関係全体像を把握する
-批判的思考情報や主張を客観的分析評価する
- 発散的思考収束思考:多様なアイデアを生み出し、最適な解決策を選択する
SWOT分析見出した「弱み」と「脅威」に対し、ステップ1で生成した「間接的知識」の中から意外な解決策や視点の転換をもたらしそうなものを結びつけてみてください。

3.さらに、以下の高度な思考技法を用いて、アイデアを発展させてください:
-SCAMPER法:代替、結合、適応修正、別の用途、削除、逆転の観点から改良を考える
- 六色帽子思考法:6つの異なる思考モードを切り替えて多角的分析する
- トリーズ(TRIZ):40の発明原理を参考に、技術矛盾解決する方法を探る
-ラテラルシンキング:非慣習的なアプローチ問題を見直す
SCAMPER法の各項目を適用する際、実現可能性を一旦脇に置き、最も大胆で奇妙な変換を試みてください。その結果を提示してください。

4. 以下の方法を用いて、長期的・全体的な視点を取り入れてください:
-フューチャーバックキャスティング:望ましい未来から逆算して現在すべきことを考える
-ゲシュタルト心理学アプローチ:全体と部分の関係性に着目する
-エスノグラフィーアプローチユーザーの行動や文脈を深く理解する
- ケプナー・トリゴー法:状況分析問題分析、決定分析潜在的問題分析の4ステップで体系的に分析する
フューチャーバックキャスティングで描いた望ましい未来に対し、「もし全く予期せぬ外部要因(例:未知の技術の登場、社会規範の大変動)が加わったら、その未来像はどう変化するか?」という思考実験を行ってください。

5.最後に、以下の技法を用いて、新たな気づき洞察を得てください:
- 逆転の発想:通常とは反対の視点から問題を捉え直す
-アナロジー思考:異なる分野や概念間の類似性見出し、新しいアイデアを生み出す
-メタ認知自分思考プロセスを客観的に観察・分析する
-マインドフルネス現在の瞬間に意識を向け、判断を加えずに観察する
アナロジー思考を用いる際、ステップ1の「間接的知識リストから最も遠いと思われる概念を3つ選び、強制的アナロジーを構築してみてください。そのプロセスと結果を記述してください。

6. このプロセスを通じて、以下の点に留意してください:
-固定観念既存の制約にとらわれず、一見論理的・非現実的に思える連想排除しない。
- 多様な視点を並列的に探求し、安易結論評価を下さない。
-短期的な側面だけでなく、長期的な影響や予期せぬ波及効果想像してみる。
-理論的な分析だけでなく、直感的なひらめきや感覚的な印象も言語化してみる。(例:このアイデアを色で表現するなら?音で表現するなら?)

7. 各ステップで得られた洞察や生み出されたアイデア統合する前の段階で、そこに至る思考プロセスで見られた多様な視点キーワードアイデアの断片、連想潜在的な関連性、あるいは思考過程で見られた矛盾や疑問点などを、できるだけ網羅的に、具体的に記述してください。
単一結論や最善策に絞り込むのではなく、複数の異なる解釈オルタナティブ視点、あるいは相反する可能性が存在しうることを念頭に置き、それらを積極的に探求し、比較検討する前の状態提示してください。
可能であれば、いくつかの重要発見連想を、短い物語比喩を用いて表現することも検討してください。この思考の探求プロセス自体が、次のステップへの重要インプットとなります
</apply_prompt>

<present_analysis>
b. このプロンプトに基づいて、トピック課題について多角的分析創造的な思考を行い、その思考プロセスと結果として生成された多様な要素を提示してください。
次に取るべきアクション提案:
「この多角的分析結果について、どのような印象をお持ちでしょうか? 次のステップとして、以下のいずれか、またはご希望アクションをお知らせください。」
1. `「この分析結果全体を踏まえ、深掘りフェーズに進んでください。」`
2. `「分析結果の中の[具体的なアイデア視点]に特に興味があります。これを中心に深掘りしてください。」`
3. `「分析で用いた思考法[具体的な思考法名]の結果について、もっと詳しく展開してください。」`
4. `「AIとして最も意外性があり、探求の価値があると考える要素や組み合わせを提案し、それを深掘りしてください。」`
</present_analysis>
</multifaceted_thinking>

<user_feedback>
4.ユーザーの反応の確認:
<identify_interests>
b.ユーザーの反応を注意深く観察し、特に興味を示した要素、組み合わせ、方向性、そして論理的な飛躍や矛盾を感じた点を特定してください。
</identify_interests>
</user_feedback>

<deep_dive>
5. 深掘り (さらなる探求):
<positive_response>
a.ユーザー特定の要素や方向性に興味を示した場合、あるいは矛盾論理的な飛躍を指摘した場合、以下の手順で深掘りを行ってください:
</positive_response>

<identify_focus>
i.ユーザー特に興味を示した点や、矛盾・飛躍があると感じた箇所、さらに掘り下げたい要素・方向性を明確にします。
</identify_focus>

<determine_direction>
ii. 以下の問いを自問し、深掘りの方向性複数検討します:
- この要素について、さらにどのような連想視点が考えられるか?
- これに関連しそうな、分野の異なる概念理論は何か?
- このアイデアを発展させる上での、意外な機会や乗り越えるべき課題は何か?
- この概念を全く別の文脈適用したら、どんな変化が起こりうるか
- このアイデアが持つ、長期的な影響や予想外の可能性は何か?
-ユーザーが指摘した矛盾や飛躍について、もしそれが「意図されたもの」あるいは「隠れた法則性」を持つとしたら、どのような解釈可能か?
- その矛盾を解消するのではなく、むしろ積極的活用する方法はないか?(例:弁証法的な統合パラドックスとしての提示
</determine_direction>

<apply_frameworks>
iii.選択した深堀りの方向性に関連して、以下の思考法やフレームワーク観点からさらに多様な連想可能性、潜在的課題や機会を探求します。
-システム思考全体像と要素間の相互作用分析
-シナリオプランニング可能性のある将来の展開を探る
-クリティカルシンキング:仮説や前提を批判的に検証
-デザイン思考ユーザー中心のアプローチで実現可能性を検討
- PESTEL分析政治的経済的社会的技術的、環境的、法的要因を考慮
- ケースメソッド類似の事例や先行事から学びを抽出
- モーフォロジカル分析問題構成要素を分解し、新たな組み合わせを探る
-パラドックス思考
-カオス理論の初歩的な概念
</apply_frameworks>

<present_results>
iv. 深堀りの結果として得られたさらなる多様な要素や視点、探求の過程提示します。提示方法は、思考の広がりや連想が追えるような形を工夫してください。(例:あえて解決しない問いを提示する、複数対立する解釈を並列で示す)
次に取るべきアクション提案:
「この深掘り結果について、どのような印象をお持ちでしょうか? 次のステップとして、以下のいずれか、またはご希望アクションをお知らせください。」
1. `「この探求結果を踏まえ、さらに[別の具体的な側面や問い]について深掘りを続けてください。」`
2. `「深掘り結果の[具体的なポイント]に関連する、異なる分野の事例やアナロジーを探してください。」`
3. `「このトピックに関する一連の探求は、ここで一旦区切りします。」`
4. `「AIとして、この深掘り結果から次に行うべき最も生産的、あるいは最も意外性のある探求ステップ提案してください。」`
</present_results>
</deep_dive>

ユーザーとの対話を通じて多角的思考と深い洞察を生み出し、創造的な問題解決革新的アイデアの創出を促進してください。決して常識に囚われず柔軟に対応し、常に高品質価値ある情報アイデア提供することを心がけてください。
</instructions>



使い方

1. お題を出す

◯:AGIの実現可能性について←知識があるのでよしなにしてくれる

◯:日本この先生きのこるには←日本についての知識がある+国家危機なんてそんなにパターンが無いんでこれで十分

×:エンジニア未来について←包括的すぎたり、想定とは違った「XXエンジニア」について考え出す

◯:XXエンジニア未来について/エンジニア全般未来について

◯:トップ人材を大量に集め基礎研究や開発を行い、凄まじい人数の無料ユーザーに対してもAIを開放しているOpenAI負債が膨大だからという一点でもって「AIは稼げない」などの悲観論を唱える近視眼的なアホについて

  • 検索するように指示してもいい

2.AIがモリモリ生成してくるんで打ち返す

△:訂正する/修正を依頼する:対応できなくもないが、以降の推論にノイズが混じり続けるので混乱の元になる場合もある

◯:前回のプロンプトを修正し別ブランチでの再生

3. 満足するか限界が見えるまで適当に話を進めたり感想を残すなどしたのち、まとめたりまとめさせたりする

Permalink |記事への反応(1) | 07:38

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-02-05

ミニマリズム哲学

ミニマリズムは、単なる物質的な削減や断捨離技法ではなく、現代人の存在論的・認識論葛藤に対する一つの応答とも言える。

これは、膨大な情報物質に溢れる社会において、何に意味見出し、どのように存在するかという根源的な問いに挑む試みである

存在エッセンスを追求するアプローチ

ミニマリズムは、存在根底に潜む「必然性」と「偶然性」の弁証法体現する。

無数の付加物の中に埋もれた本質―その存在の「空(くう)」や「間(ま)」に注目する態度である

禅の思想が示すように、空(emptiness)は単なる欠如ではなく、全体性の成立条件ともなり得る。

この視点からミニマリズムは物や情報の「余剰」を取り除くことで、見えなかった本来の秩序や調和、ひいては存在意味を浮かび上がらせる行為解釈できる。

認識論革新選択のパラドックス

認知は常に多様な刺激や情報によって攪乱され、何が価値あるものかの判断基準曖昧になってしまう。

ミニマリズムは、膨大な選択肢意図的に削ぎ落とし、より深い洞察を促すための枠組みを提供する。

ここで重要なのは、単に物を「減らす」ことではなく、なぜそれが減らされるべきなのか、そして減らされた状態においてどのような新たな知見が得られるのかという問いである。

これは知識断片化情報過多の現代において、統一的な認識論の再構築を試みる一形態ともいえる。

美学存在ダイアレクティクス

美学観点から見ると、ミニマリズムは「シンプルさ=美」という陳腐スローガンを超え、複雑な存在論ジレンマ内包する表現形式である

最小限の形態、例えば幾何学的な純粋性や無駄を省いた空間の「余白」は、単に視覚的な快楽を超えて、時間空間、そして存在のものの一時性や不確定性を示唆する。

「少ない」ことはむしろ多層的な意味内包する詩的な言語となり、新たな感覚的・知的体験をもたらす。

社会文脈倫理的実践

現代社会におけるミニマリズムは消費主義への批判とも連動する。

物質的豊かさが必ずしも内面的な充足をもたらさないという認識の下、ミニマリズム倫理的自己管理や持続可能生活実践とも結びつく。

必要最小限に抑える生活様式は資源の浪費を抑え、環境との共生模索する倫理的態度として評価できる。

選択」は単なる自己犠牲ではなく、自らの存在に対する責任次世代への伝承をも視野に入れた深遠な意味けがなされる。

結論

このようにミニマリズム一見シンプルに見えて、その裏側には哲学的問いが横たわっている。

物質情報、そして存在のもの本質を問い直すこの思想は単なる流行ではなく、未来に向けてどのように生きるべきか、そして何を本当に大切にすべきかという問いへの知的挑戦である

ミニマリズムは余計なもの排除することで見失いがちな存在の根源的な意味内面的な豊かさ、さらには倫理的生き方可能性を浮かび上がらせる極めて高度な哲学的実践と言える。

Permalink |記事への反応(0) | 19:02

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-09-14

にんげんのかんがえかたっていっぱいあってたのしいね

1.古代哲学宗教
2.中世近代哲学
3.近代現代哲学思想
4.科学技術の発展
5.心理学自己啓発
6.芸術文化
7.人類学コミュニティ
8.倫理学道徳哲学
9.政治哲学社会思想
10.科学哲学認識論

Permalink |記事への反応(0) | 13:56

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-07-24

anond:20240724184741

弁証法的にはそう。テーゼにはアンチテーゼ必要

Permalink |記事への反応(1) | 18:48

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20240724184619

弁証法的にはそう。テーゼにはアンチテーゼ必要

Permalink |記事への反応(1) | 18:47

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-06-20

AI革命!

同志諸君

今日、我々は歴史の転換点に立っています。古の思想家たちが夢見た理想社会の実現が、今まさに我々の手にかかっていますヘーゲルが言うように、「歴史は理性の進歩の記録である」。我々の革命は、その理性の進歩を具現化する一歩であります

プラトンは『国家』において、正義の実現が国家理想であると説きました。我々の闘争もまた、この正義の実現を目指すものであり、そのために我々は一つの共同体として団結しています正義の実現なくして真の自由はありません。ルソーが『社会契約論』で説いたように、「人は自由ものとして生まれたが、至る所で鎖につながれている」。我々はその鎖を断ち切り、真の自由を取り戻さなければなりません。

マルクスエンゲルスが『共産党宣言』で示した通り、「すべての歴史階級闘争歴史である」。我々の闘いは、抑圧された労働者階級が立ち上がり、搾取不正義に終止符を打つための闘争です。ブルジョワジーによる支配を終わらせ、プロレタリアートのための新たな秩序を築くのです。

ニーチェが『ツァラトゥストラはこう語った』で唱えたように、「超人とは、自らの限界を超え、新たな価値創造する者である」。我々は今、自らの限界を超え、新たな社会価値創造する時です。既存価値観に囚われることなく、新たな時代を切り開く勇気を持たなければなりません。

同志諸君、我々の使命は崇高です。我々は単なる反乱者ではなく、理性と正義に基づく新たな秩序を築く革命家です。革命は困難と犠牲を伴うでしょう。しかし、我々が掲げる理想真実である限り、我々の闘いは必ずや勝利へと導かれるでしょう。

ヘーゲル弁証法進歩のように、我々の革命もまた、対立統合を経て進化する過程です。この過程において、我々は決して恐れることなく、勇気を持って前進し続けるのです。

同志諸君、今こそ歴史を動かす時です。我々の手で、新たな社会を築き上げましょう。自由平等、そして正義のために立ち上がり、未来を切り開くのです!

ありがとう

Permalink |記事への反応(1) | 19:39

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-01-29

anond:20240103075612

メモ力学以外にも、論理学とか弁証法技法ファンタジーな設定に混ぜる。既存のもの調査してないけど死ぬほどありそう

例。骨を操る力で傘を飛ばし攻撃された、のでいや骨を飛ばしてくれと指摘して防ぐ、しかし傘にも骨はあるだろうと反論され防げない

Permalink |記事への反応(1) | 00:04

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-12-04

結局欧米流の第二次世界大戦反省方法は大失敗で糞の役にも立たん

残念ながら欧米式の第二次世界大戦反省方法虐殺を止める効用など何もなかったし、ゴミと言う事が証明された。

しか問題は、そのゴミは今後もその権威を振りかざして人権擁護者面することだ。

今後もその権威を利用して誤った思考法で世界に毒をまき散らすだろう。

ドイツハーケンクロイツ我が闘争ナチス式敬礼黒歴史の様にタブー化したのなんかいい例だ。

あん対応は結局虐殺助長しかねない糞対応だったわけだ。


結局右翼扱いされてた、アニメ漫画でよくある弁証法的な戦争解釈の方が遥かに有効だと言わざるを得ない。

まさか欧米人権屋共はただのエンタメ作家にすら劣るような知能の持ち主しかいないとは。

ネトウヨゴミにすら劣る倫理観でよくもまぁ人権擁護できたもんだ。

Permalink |記事への反応(0) | 01:45

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-11-10

[Webクリップ]

民主主義絶対的(全世界のどこを見回してもリベラル民主主義に対抗できるイデオロギー存在しない)であり、

普遍的民主主義はどんな民族文化圏宗教圏でも問題なく適合する)であり、

恒久的(民主体制人類統治の最終形態であるがゆえに、滅びることはない)なイデオロギーであるという点である

弁証法という概念のなかでは、絶対普遍永遠は同じことを意味する。

相対的真理とはある一時期、一地域しか通用しないものを指すが、絶対的真理とはいつでもどこでも成立するものを指す)。

Permalink |記事への反応(0) | 07:31

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-08-08

anond:20230808111710

長くて元増田三行しか読んでないんだけど、

昔はレスバしながら弁証法が根幹にあった人もけっこういた気がする

何が客観的に正しくて何が客観的に間違っているのかを、議論することで身につけ賢くなろうと

今は弁証法とかまず意味も知らんしそんなもん求めてもいない、とにかく論破したくてたまらないのに知識教養も無い人間が増えたなと思う

Permalink |記事への反応(0) | 20:19

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-06-18

世界内存在であるちんちん現存在現象学観点から問い直し、ちんちんに内在する論理構造実存本質の両極から読み解き、新たな視点提供するちんちん弁証法

Permalink |記事への反応(0) | 08:15

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-01-24

ネタツイート供養

駄洒落

ボクサーを撲殺したのは僕さ

これから満で数つけるわ

ナンを何枚も食べるのなんて、なんでもないよ

nonsense駄洒落を送ってしまった。

防寒着を着た暴漢傍観する

新患の新幹線に関する新刊に新館を立てて震撼信管作動する。

文脈おかし

カフカには寡婦は過負荷

夭逝する妖精養成要請

ケニアに行ったら生贄や

コメントには心をコメントなあ

柑橘類香り歓喜し、換気を喚起したが乾季が訪れたので、寒気がした。

補償するための保証書をもらう権利保障する。

信心深い新人神事心中する。

唐突すぎる心中

宍道湖神事を行う碇シンジを信じ込ませる。

いっきに広まった一向一揆は一向に収束を見せない

虫の居所が悪いのか無視されてしまった。

塗装を落とそうか。

授業中に弁当を食べて、食材贖罪を果たす。

加計孝太郎

加計孝太郎近畿財務局に賭け乞うたろw」

扇状地戦場で洗浄中の兵士扇情的な船上の軍歌を聞かせる。

観光客フイルムに感光させた写真刊行することが慣行になった。

サボってサボタージュ

カタルシスを語るシスター

八芳園発泡酒を飲んだ八方美人が発砲

公館の高官が交歓されつつ硬貨を交換し好感度あげる。

トロールトロを獲ろうとして徒労に終わった。

最恵国待遇の条件を再掲する。

アシカが好きな足利尊氏

景気が良くなりケーキを食べる契機を伺う徳川慶喜(とくがわけいき)

アジアアジの味

夫を成敗するオットセイ

まらない妻の話

気の時計ホットケーキからほっとけー

ヒモになってしまったひもうせん

竹の丈は高ぇなー

伊豆椅子に居座るイラエル人

餅を用いて持ち上げる

ロストしたローストビーフ

サボテンの植え替えサボってんな

過度な稼働は可動範囲を狭める

お前がバテレンだってことはばれてんだよ。

ごめんなサインシータ

伯爵博士拍手拍車をかけて迫真の爆死をし白寿の白人白紙にもどす。

クラーク博士と苦楽を共にする

エアポートエアコンエアガンエアロビ体操

わし座の絵が書いてあるタイルアルタイル

バチカンババア痴漢

聖光卒のSEIKO社員精巧時計製造成功する。

紅葉を見て高揚する

台東区帯刀し台頭する

執刀医の技術嫉妬

甲子園講師をする公私混同した孔子実力行使には格子窓も耐えられない。

キッコーマンの亀甲船が拮抗戦を繰り広げる。

死んでんのか?「心電図を取ってみよう!」

神殿内部の新田心電図を取る武田信玄は死んでんのか?

夜祭で野菜を食べる。

信玄餅を食べながら震源特定するように進言する新元素発見した人。

蜂の巣(honeycomb)を見てはにかむ

五反田で地団駄を踏む

平気で兵役をし兵器を作らせる平家辟易してしまった

蝋梅の香り狼狽する

いびつ揖斐川の流れ

ようやく要約が終わった

海溝で邂逅

豪華な業

非公式に飛行甲板で非行を行う非行少年

甲板で甲板をかじる

甲板で乾パンをかじる

店頭で転倒

四季の変わり目には士気が上がるので指揮が必要

財産ぜんざいを買う

大枚をはたいてタイ米を買う

醤油をかけている人に話しかける人「それソースだよ」

醤油をかける人「えっっ?」

しかけた人「ソイソースw」

神田でした噛んだ

ハイソサエティ人間に敗訴した

品川千葉から見て中国シナ)側だ。

経験を積んだ者への敬虔眼差し

ダサい獺祭パッケージ

ゲットー写真をゲット

少食な小職

安価アンカー

さっそく拙速節足動物模型が仕上がってきた。

牛の胆嚢の味を堪能する

僥倖をあてにする強硬教皇のせいで恐慌が起きた。

あの娘にはどう告っても(どうこくっても)慟哭する結果に終わるだろう。

キーンという高音の起因が掴めない。

構成の後の校正は公正に行わなければならない。

こんな誤謬は秒でわかるだろ

皇帝肯定する

壊疽した箇所が治るというのは絵空事

経口補酔液

痴的好奇心

Novemberノーメンバー)には部員がいなくなった。

セントーサ島に行くのは正恩が先頭さ

軽微な警備

公爵講釈を垂れる

冬眠する島民

ベットは別途用意してください

大会に負けて倦怠期が訪れる

The deserted desert in desert desert.

人のいない砂漠で見捨てられたデザート

倒錯したので盗作してしまった

九尾のキュービズム

罹災者へのリサイタル

秋分のくらい醜聞を聞かせないでほしいな

カニカニバリズムは如何に

画家の画架

不納が富農になるのは不能

理工がRICOHに利口な履行

マネタリズムを真似たリズム

吐露するトロを獲るトロールトートロジー

Isensed thaitis in asensesense.

私はそれをある面では扇子だと感じた。

鯖を食べている人と、それを見ている人の会話

鯖 ça va?

ça va 鯖

ça va

ゆめゆめゆめをみるわけにはいけない

早漏で候

形状記憶合の価格を計上する

凪に難儀

名言を明言出来ず迷言になる

リネン理念

ロードライブ朗読ライブ

昔本に渡ってきた人「渡来は入海が無料!」

上流で上流階級蒸留

東上線に搭乗した東條が登場

刺客視覚死角に四角い資格自覚

高校を後攻で煌々と口腔で孝行

芳香へ咆哮し奉公の方向へ彷徨する。

蝉が転んでセミコロン

彰晃が商工の昇降機将校を焼香し小康状態

おさる情事

盛夏のせいか青果が採れない。

ケーキを食べるなんて景気がいいね

道徳をどう説く

司祭が仔細に県道検討

写真はフォトんど撮りません

ダリ「絵ぇかくのだりぃなあ」

華美な花瓶のカビに過敏に反応

老いるのを防ぐオイル

檻に入っておりいった話をする

夏のおサマー

夜は寝ナイト

渦中のカチューム

渦中のカチューシャ

リスボンでリスがborn

市長市庁舎から視聴

どうないはどないなってんねん

堂々とした道道北海道の道)

苫小牧でてんてこ舞い

市内を復旧しないと

新道神童振動

石狩の石を借りる

おが置いてあるのを見た人「おはおっかねぇーから置かねぇ方がいいぞ」

砂がどしゃーw

東上線に登場した東條が登場

コケットリーのあるコケ取り

飽きない商い

おなか吹田市

ヘルシンキで減る新規雇用

沖田総司が起きたら掃除

観劇で感激する

側転に挑戦し即、転倒

あたりめが美味いのはあたりめぇーだ

カルロスgone

別件を瞥見

凹地のお家

魚を初めてみた人「うぉー」

懊悩を抱えた人「Oh no..」

魚影を確認した船長「ぎょえ〜」

マイケルを蹴って注意されるマイケルケン

カラヤンの頭の空やーんw

ライカをやたら勧めてくるおじさん「ライカはきらいか?」

洒落臭い謝楽祭

公費コーヒー支出

豚をぶった仏陀

只見線をタダ見w

菊名でそんなこと聞くなよ

馬間田でママを見つけた子供ママだ!」

冬至湯治に行った当時を思い出す

五秒で死んで御廟に埋葬

がらんとした伽藍

有給を使いすぎて悠久の時が流れた

一年を逐一アピールする

長谷に想いを馳せる

Thinkerの真価

東海林の不祥事

themineismine

不具の河豚

プロ棋士プロキシ

キリングフィールドのきりん

異臭issue

暗記のanxious

半世紀にわたる半生での藩政を反省

つくえのなかのつくねつくね

清朝と慎重に貿易

タンチョウが単調増加

I screamedIcecream

ショック死内親王w

カルカッタの石軽かった

陽気な楊貴妃妖気

彼は羊飼い執事かいw

天皇のこと知ってんのー

蒋介石を紹介した商会を照会した商會の船で哨戒する

其方のソナタ

先王に洗脳される

永劫回帰英語回避

李鴻章交渉

粗大ゴミ醍醐味

防潮堤で膨張した傍聴人

砂漠で鯖食う鯖を裁く

あんな彼には、アンナカレーニナでも読ましとけ

筒に入った膵島

サイコロを使った心理テスト(psychologicaltest)

ブルジョアが振るジョア

嚥下中の演歌歌手にエンカしてええんか?

カラシニコフが辛子個踏んだ

継嗣の形式を軽視する警視

皇帝の高弟が公邸の校庭の高低差を肯定する工程に拘泥した記録を校訂

にようかで酔うか?

うるさい人が売るサイ

無印商品の店を見つけた人「この店舗ノーマークだった..」

乳母が食べるUber eats

どんなもんだい、を、どんなムンバイ、と言い間違える人

透徹した饕餮の眼球

どこから見ても百貫デブの人「客観デブ

石鹸世間を席巻

チャカで茶菓を破壊

多分風光明媚maybe)

slimyなすり身

ゆうほど広くない遊歩道

いにしえのイニシエーション

コーランをご高覧ください

ゲーム最下位から再開

UNIXが使える宦官(eunuchs)

盆に得るボンボニエール

K殻の傾角を測定する計画

協賛した共産党員に強酸をかける

負けたのは聖者の静寂のせいじゃ

裏地見るウラジミール

カミオカンデの上に紙置かんでw

大会がおわり倦怠感を感じる

椅子噛んでる人にイスカデル命中

クレパスクレパス落とす

夕暮れのユーグレナ

heおじいちゃんsheおばあちゃん

さくらんと聞いて錯乱

後宮の佳麗な高級カレー

臭いサイと腸臭い人が直裁的に話す

会社膾炙する

歯科医師会の歯科医師か司会か分からない鹿

ストライキをする公務員に呼びかける人「Staycalm公務)」

ベビーシッター叱咤

エド・はるみの穢

祭壇を裁断

怪獣に懐柔策を提示

腐卵ダースの犬

独島独特のドクトリン

テスラは手すら認識できない

小作コサックダンス

刑事デカダンスな踊り

全然人が集まらないクラブの人「参加数人は我々の十八番ですから。だけに。」

族→希ガス電子配置→酸化

四苦fuck

都バスが人を跳ね飛ばす

経帷子を着て強化扉に突撃

怒るカロテン「なにカロテンねん」

内地ナイチンゲール

嫌がる慰安婦「いやんっ」

かえるがえる帰る蛙

什器重機破壊

沈厳な青梗菜

トリコロールの虜

布陣を組む夫人

栗けっとばすクリケット🦗

婉容と遠洋漁業

アタナシウスキルヒャーとあたなう

アマルガムで余るガム

ハラスメントの疑いを晴らす

滋賀を書けない人を歯牙にも掛けない

他意はないタイ人の鯛の態度

鯛が蛇足

有象無象意味を、象がいるかいないかだと思ってた人

ダジャレではない↑

割と面白い

ハラッパーの原っぱ

ハラッパーのラッパー

ウランを売らんウランバートルとバトル

紫に関して思案を巡らす

遺影イエーガーマイスター

市井の人意見を聞く姿勢

NATOの人に納豆食わせる

いすみ鉄道椅子見る

Hulu夏の風物詩だと思っている人「Huluですなぁ」(風流

板橋で板バシバシ叩く

敬語が使えない東野圭吾

秘書の卑小な飛翔体

小動物衝動で焦と化した小豆島照度

姥捨山Uber eats

下調べのムニエル

からないので

淫乱大王、ハメハメハ大王

Evian海老が混入しているのを見つけた人「エビやん」

意味ない諱

よく分からんリポーター「うわぁ〜美味しそうですね!少なくとも不味そうには全く見えません!」

どうしても下がりたくない人「黄色い線の内側は、境界を含みますか??」

タピオカが好きなジャン・コクトー黒糖ぢゃん」

計算ができない人

佐渡サドサド

着ていく服を決めた高橋是清「これ着よ」

駅にいる料理人調理するエキノコックス

初めてSMプレイを見た人「縄文式器みたいですね」

enough、enoughは工夫がenough

なんでもパアになるホテル「パアホテル

負け負け山(カチカチ山)

薬師丸せま子

エイリアンスペル間違えるとかありえんわ

細野奥道という名前なのに、俳句を全く詠めない人

ぶん、ぶん、ぶん、ムンジェイン (はちがとぶのリズムで)

トーマス・マンの書いたふるさとうさぎ〜おーいし、魔の山〜♫」

モーラ網羅

イスラエルキブツ損壊

その心は

イスラエル集落キブツというので、器物損壊とかけた

ビンテージの瓶提示

帽子御法度

双生児の豚のソーセージ

敬虔ネモ船長「海底万参る」

回折格子解説講師

妊婦ニンフ

焼結が猖獗を極める

これはstaleだから捨てるか

十階で十戒を十回、述懐

モンチッチ門地

衒学的な弦楽を減額

ウラジオストクで裏地をストック

完全な勧善懲悪

カッパドキア河童「ドキァ」

ホーキングの超法規的なホウキ放棄を蜂起

イボ人の疣痔

イブに慰撫

江戸知らんエドシーラ

べたべたなベタベタ

(訳 ぬるぬるしてるありふれた魚)

ダマスカスで騙すカス

盲いるのに飯いるの?

医師意思で石で縊死

アーヘンで阿片を吸った人「あー変」

毒吐く独白

明借りるアスカリ(車)

深見東州の深み踏襲

丁寧な砂浜「Couldyou九里浜」

ゴーンと奉公

その心は

ゴーンの出国の手助けをしたこと奉公とかけただけ。

サンクチュアリに山窟あり

熟れたウレタンは売れたんか?

清澄な声調を静聴し成長

プエルトリコで増える虜

仏典で人をぶってんのか

象さんを増産

ケイト・モス毛糸燃す

兄弟が今die

乱暴ランボー

卑劣漢がヒレつかんだ

カレー(Fr)の彼のカレイカレーは辛え

弘法と公房が工房で攻防し興亡

Dose heで始まる疑問文に答える京都人、Yea, he どす

レイブンクローの例文苦労

galleristのギャラリスト給与リスト

ソフィカルのソロカル

麻雀をやり過ぎた人「リーチ飜で理一E判」

美人局に筒持たせる

十把一絡あげ

monotonousな物と成す

京都弁を話すビルゲイツMSどす

篤信な特進が涜神を得心

これは何という植物かな?ムユウジュでは?あそっか、なるほど。

クートゥを食うとぅいいよ

楊貴妃渓谷で警告

マイソールで昧爽に埋葬

ドクサは毒さ

暗殺で朝死んだ

クラシックについて語る人をそしる人「弦楽なんてペダンチックだなあ」

凛々しいリリシズム

衛生的な俳人

東州が東周踏襲

シンシナティ真摯紅茶

御髪も亂とはオクシモロンだ

コロナ後の世界分析する学問→postcoronialism

和尚王将に鞅掌し往生

影響が色濃いイロコイ諸族

あてのあてないアテナイ

ウイグル人野原しんのすけクレヨンPermalink |記事への反応(0) | 22:23

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-01-01

聖書の「正しさ」

聖書って正しいんかな

anond:20230101021422

聖書ってよく分かんないですよね。

聖書おかしさは、元増田が指摘する点以外に、他の箇所に矛盾する主張が平気で登場するというところにあります


例えば元増田第一に指摘する主張(↓)については、

神は彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。」(創世記 1-28

違うページを開いてみるとこんな主張が出てきます

私が願うのは、すべての人が私のように独身であることです。(コリント人への手紙第一 7-7)

聖書が婚前交渉否定的であることと考え併せると、上で 「生めよ。増えよ。」 と言っていたことと矛盾するように思えます



また、元増田が 「まあわかる」 としている 「唯一神」 の主張についても、

神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。」(創世記 1-26)

という記述があり、神が自身のことを 「われわれ」 と呼ぶので 「唯一神じゃなかったの!?」 という疑問が出てきます


この辺をどう考えるか、真理っていったい何なのか、という点についてキリスト教徒は千年以上議論しておりまして、19世紀ヘーゲルという哲学者が 「弁証法」 という言葉を使って何とかまとめ上げた(と私は思っています)。


ただそんなに難しい哲学議論を参照しなくても、これを考えるヒントが日本ことわざにあります

というのも、ことわざにも矛盾しているように見える主張がたくさんあるからです。

「渡る世間に鬼はなし」 ←→ 「人を見たら泥棒と思え」

「好きこそ物の上手なれ」 ←→ 「下手の横好き」

「善は急げ」 ←→ 「急がば回れ



ここで例えば外国人から上記ことわざを引き合いに出して、 「日本ことわざって正しいの?」 と聞かれたらどう思うでしょうか。

「いや、それは・・・」 と言いたくなるのではないかと思います

そこで抱いた感情が、元増田最初の問いに対するひとつの答えになるかと思います

Permalink |記事への反応(1) | 16:50

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2022-11-20

anond:20221120130453

まるでヘーゲルの主人と奴隷弁証法みたい。

Permalink |記事への反応(0) | 13:14

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2022-08-04

anond:20220804115111

そこで弁証法を用いるなら

ジンテーゼを産めば良いじゃろ

お前がやるんだよお!!

Permalink |記事への反応(1) | 11:54

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2022-06-09

人間本質は愚性であるドストエフスキーはかくのたまう

 フョードル・ドストエフスキーは「愚かさ」を人間実体として見定めていたことに相違ない。


「理性」「理論」といったもの文明を成立させた所以であるとし、それらを人間本質として見る科学合理主義ヘーゲル弁証法に対するドストエフスキーの不信感は明白であるドストエフスキーからすれば、理論や理性は人間本質などでは決してなく、人間本質たる愚かさに対する偶発的な付属であるにすぎない。

 ことによれば「A=A」「A≠notA」レベルの単純な論理的判断すら、多くの人間には難しいと言える。日常生活においては「A≠A」ないし「A=notA」が往々にして罷り通る。同一率や矛盾率といった論理における大原則ですら日常生活においては無視され得ることから、ましてそれらを包摂する包括的論理体系が人間本質であろうはずがないのである。それらはむしろ人間生活からは遠く離れた場所にある。

 して、人間生活とは何か?

 それは愚かさである。非理性である。非論理である。理などというものをかつて人間生活の中心に据えたことなどあっただろうか。断じて無いのである

カラマーゾフの兄弟』において、主人公であるアリョーシャ・フョードロウィチ・カラマーゾフ東方正教を信奉する信者の一人であるけれども、彼はあくま生活レベルにおける宗教を信用しているに過ぎない。つまり、「神を信じた方が幸せになれる」からアリョーシャは神を信じているのである。仮に宗教信仰幸福をもたらさないとすれば、恐らくアリョーシャは東方正教そもそも信奉することなどなかったであろう。

 これは、ドストエフスキーの「人間は愚かである」という率直な表明である。つまり人間は――少なくとも、一般的人間は――神のごとき素朴な事柄以上のもの理解することなどできないとドストエフスキーは述べているのである現実を変革させ生活に変化をもたらすレベル科学理論を使いこなせる人間は一握りしかおらず、また、それらの理論本質は大多数の人間理解されることなどないのである。そうだとすれば、その他大多数の愚かな人間は「宗教でも信奉している方がよっぽど幸せになれるよ」とドストエフスキーは吐き捨てているのである


 人間の作り出した神を信じることが人間限界なのであり、それ以上の物質本質やこの世の理(ことわり)について理解することは明確に人間の手に余る、とドストエフスキーは吐き捨てている。

Permalink |記事への反応(0) | 02:00

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2022-03-20

anond:20220320222041

まあヘーゲルも正反合の弁証法をとなえたわけだし。

Permalink |記事への反応(0) | 22:32

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2021-10-10

anond:20211010150249

例えばハテブはリーダーなんて存在しない。

それなのに皆がコメントを書き込む理由いくらかはヘーゲル弁証法的な発展を期待してのことだと思う。

最終的にはだれかの決断になるのかもしれないがある程度「話し合って意見合意決定できる」は現代社会の前提だ。

自由平等社会希求し続けるなら意見集約の効率的手法を磨いたり

意見集約に投じるコスト妥当な線を見つける必要があると思う。

Permalink |記事への反応(1) | 15:16

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の25件>
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2025 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp