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はてなキーワード:延命とは

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2025-10-27

日本復活

いい日だね

テーブルコインのjpycが流通たからね

国債延命

希望なんかなく

まあ刷っとくか

悲しい国債

買い手がついた!!

俺には関係ない人でも関係大有り

金手数料がゼロ円になる。

ものが安く買えるーーーーーーーー。

Permalink |記事への反応(1) | 21:49

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2025-10-23

マスメディア世論誘導するって不可能なのでは?

9月上旬に石破さんが辞任すると言い出してから高市さんへのネガティブキャンペーンが延々と続けられていた。

しか総裁選では高市さんが当選して、公明党はいなくなったが、代わりに維新が新しい連立相手に選ばれた。

首班指名選挙でも高市さんが選ばれて、晴れて女性初の総理大臣になることが出来た。

そもそも石破総理延命させようとして総裁選前倒しを阻止できなかった時点で、メディア誘導は失敗していた。

世論操作高市さんを引きずりおろそうとしたとしたオールドメディアざまぁw」と煽ることは簡単だけど、そろそろ学習してもいいのではないか

Permalink |記事への反応(3) | 15:02

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2025-10-21

anond:20251021081417

お、AIさんありがとう。お返事いたします。

反論外国人労働者を受け入れなくても“管理された縮小”は成立しうる

1. 「縮小=衰退」ではない。必要なのは密度の再編”

縮小が均衡しない主因は「広い空間に人が薄く分散」していること。

外国人で総量維持ではなく、地域産業の再配置で人口密度を再構築する。

具体策:

都市自治体統合再編(医療教育交通コンパクト集約)

空き家空き地生活圏再設計インフラ半径の縮小)

効果固定費単位当たり負担を下げ、ネットワーク崩壊回避

2.労働力不足は“技術集約”で補う

外国人で穴埋めではなく、労働生産性の飛躍的向上で吸収。

具体策:

自動化・ロボティクス・生成AIの導入(製造物流介護農業

高齢者女性労働参加の最適化セカンドステージ雇用等)

共同バックオフィス化/シェア人材モデル中小固定費圧縮

狙い:短期の量より長期の質的転換を優先。

3. 大量受け入れは“補助線”であって解ではない

社会的コスト医療教育社会保障の追加負担文化治安調整コスト)。

低賃金構造固定化生産性向上のインセンティブを損なう

結果:安価労働力による延命構造改革を遅らせる。

外国人抜きで踏ん張ることは、改革を促すブレーキとして機能

4.技術資本教育の内製化で“下限規模”を守る

量ではなく質で最小実行規模を確保。

方向性

防衛モジュール化・無人化で少人数運用

産業設計制御ソフト・素材など知財輸出で外貨獲得

農エネ:自動農業・再エネ・小型原子炉自給率質的向上

結論技術が人を補う構造を先に整えるほうが持続的。

5.外国人なしで均衡を保つ“現実的プラン
分野外国人労働者なしの対応
医療介護AI診断・介護ロボット導入/健康寿命延伸で需要抑制
インフラ自治体生活圏の統合更新凍結・スマートメンテナンス
産業設計制御・素材分野へ集中投資/量より知財輸出
労働定年延長・柔軟勤務・AI支援生産性倍増
地方財政合併行政DX+クラウド化で人件費削減
防衛無人化AI指揮統制・共同開発人員依存を低減
6.結論

縮小均衡は崩れる」という見立ては、空間制度現状維持のまま縮める前提による。

構造圧縮し、技術密度を再構築すれば、外国人労働者なしでも均衡は成立しうる。

量的延命ではなく、**自動化・再編・内製化による“質的均衡”**こそが、現実的な持続可能性の道である

Permalink |記事への反応(2) | 21:35

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2025-10-17

ポケモン帝国終焉する時 ——マジノ線の向こうに、未来はなかった

■「鉄壁ブランド」が腐り始めた

 ポケモンは、もはや「不敗」ではない。

 いや——勝っているように見えるだけだ。

 1990年代に築かれた“神話”を、令和の今も延命し続ける。その姿は、まるで第二次大戦前のフランスが築いた「マジノ線」のようだ。

 堅牢に見える。鉄壁だと思わせる。

 だがその鉄とコンクリートの下では、想像力が腐敗している。

マジノ線悲劇を、ポケモンは繰り返している

 フランスはかつて、莫大な国家予算を投じて国境要塞化した。

 しかドイツは、誰もが「通れない」と信じた森を抜け、フランスを電撃的に制圧した。

 ポケモンもまた、「かつての勝利」を再利用することでしか戦えない。

 「捕まえる・育てる・戦わせる」——それ以外の発想を、20年以上も拒絶してきた。

 UIは古び、シナリオは焼き直し、演出マンネリ

 それでもファンは買う。任天堂は笑う。だが、その笑顔の下には確実に「亀裂」が走っている。

■“安定”という名の退廃

 マジノ線の地下で兵士たちは、ワインを飲み、快適なベッドで眠ったという。

 その間に、戦争は“外”で進化していた。

 ポケモンも同じだ。

 ぬるま湯ブランド戦略の中で、彼らは自己満足の夢を見ている。

 AIメタバース創発プレイも——全部「関係ない」と言わんばかりだ。

 だが、それこそが滅びのサインだ。

■「守る」ことでしか生きられない帝国

 ポケモンはもはや攻めない。

 ただ“過去”を守るためだけに、次の作品を出す。

 その姿は、もはや「戦う」でも「進化する」でもなく、

 ——「守るしかない敗者」そのものだ。

 Switch世代の子どもたちは、TikTokで笑い、原神で世界を旅し、フォーナイト創造する。

 その自由な風の前に、ポケモン世界はもはや「息苦しい箱庭」だ。

 マジノ線トーチカに閉じこもった将校たちのように。

歴史が教える「滅びの構造

 マジノ線が崩れたときフランスは戦わずして降伏した。

 なぜか? 戦争の“形”が変わったのに、心が変われなかったからだ。

 ポケモンも同じ運命を辿るだろう。

 新しいゲーム文化、新しい創造の波に飲み込まれ

 いつかふと、誰もポケモンを語らなくなる日が来る。

 それは炎上でも、批判でもなく——ただの「無関心」という名の死だ。

最後に残るのは、空っぽ要塞だけ

 鉄壁ブランドは、最後には自分自身を守る殻に閉じこもる。

 そして殻の中で、静かに朽ちていく。

 ポケモンが築いたマジノ線は、確かに強固だった。

 だが、その向こうに未来はなかった。

Permalink |記事への反応(0) | 17:57

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2025-10-16

anond:20251016075559

死にかけてたら

ロイコクロリディウム植え付けてやれば

ちょびっと延命するかもよ

Permalink |記事への反応(0) | 10:39

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万博しかった〜って言ってるはてなー多くてドン引きする

工事代金が払われずに業者が次々と経営危機に追い込まれているとか、

海外パビリオンスタッフ残業代が払われてないとか、

ギリギリの工期の中命を削って建設に駆り出されたとか、

様々な問題が報じられているのに。

万博に行って、「楽しかった〜」と無邪気に言える神経が本当に理解できない。

搾取に加担したという自覚はないんだろうか。

人権侵害に加担したという自覚はないんだろうか。

楽しんだ人は無関係

いや、そういう問題じゃない。

あなたの一枚のチケットあなたの一回の「よかった!」投稿が、この搾取構造正当化し、延命させている。

成功した以上また同じことが行われてしまう。

まりあなたは明確に、人権侵害に加担してしまったんだ。

はてなー搾取人権侵害についてよく議論しているはずなのに、まさか理解してなかった」「知らなかった」とは言わせない。

あなたは知ってて、理解していて、それでも「誰も問題にしないだろう」「別にこのぐらいいいだろう」と思って、搾取に加担してしまった。

せめて人殺しの顔をしろ

Permalink |記事への反応(1) | 01:35

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2025-10-13

anond:20251013185927

「今自分がやっている仕事10年後には無くなっているかもしれない」という不安に向き合うか、「見えなかったものとして引退までやり過ごす」どちらを選ぶかという戦い。

長年勤めれば「長年勤めている」というせめてもの肩書を得られるが、業界ごと腐って間に合うかどうか。

現在スキルを活かして転職というのも、結局「スキルが活かせる」というのは今の似たような業界なので、延命にならない可能性が高い。

アンラーニングとかリスキリングとか言って、今からAIを学ぶのか。それで儲かるのはアンラーニングやリスキリングの教育を行う業者で、残るのは半端に流行知識を得た老いぼれなのでは。

The ClashがShould IStay or Should IGoを歌っていたけど、人生は結局「留まるべきか、行くべきか」の二択を延々と選ぶものなのだなと。

Permalink |記事への反応(0) | 20:19

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2025-10-12

民放新聞は「NHKコンテンツ解放せよ」と叫ぶべき

NHKネットサービス本来業務にする為に、過去宣伝目的でやっていると言う事になっていたコンテンツを全部捨て、

さらにペイウォールを立てて検索に引っかからないようにしてしまった。

これは、民間テレビ局や、新聞社民業を圧迫するから辞めろと圧力を加えた結果であり、要するに足を引っ張っているのである

だが、これ間違ってないか

しろ民放新聞は「NHKが作ったコンテンツ映像ニュースを開放し、格安配信せよ」と言うべきではないか


理由は3つ。

全国新聞地方ニュース取材網はガタガタ。通信社も無理になって、地方局もニュース赤字、残ってるのはNHKぐらい

全国紙と名乗りながら、既に地方から撤退した新聞社があるが、販売網以上にヤバいのが取材網だ。全国紙は、既に各県の県庁所在地に支所を置けなくなっている。名乗っているのは支所だが、事実上駐在員がひとりいるだけと言う様な有様もある。

そこで頼りになるのが共同通信時事通信などの通信社だが、ここも段々と地方取材網を維持出来なく成ってきた。

さらに、地方民放ニュース基本的赤字だ。地元地方からニュース提供してもらい、重要な所には一応は記者を送り込む、網羅的に情報収集はしないと言うスタイルが元々だったが、その体制すら維持が厳しい。自社の赤字は進むばかり、そして頼っている地方紙が衰退しているのだ。

一方でNHK公共団体であるから地方から撤退することはない。

ならば、NHK取材してきた情報新聞社放送局格安提供し、それを各社が自社で味付けして送出することができるようにするべきだ。

ストレートニュースなどはこうして供給を受け、自社では調査報道独自ニュースに特化する事の方が望ましいだろう。

コンテンツ配信プラットフォーマーとの戦い。国内で争っている場合ではない

コンテンツ配信ビジネスにおいて、日本世界的に見てまだ上手く行っている方で、これは言語の壁がある事がまず大きい。

良い意味の、本来意味での『ガラパゴス』で独自の貴重な生態系文化があり、それを輸出できているのだ。

しかし、それは今後徐々に優位性を失う。

何故ならば、AIの登場によって言語の壁が大幅に下がるから。そして、日本コンテンツビジネスは、プラットフォームを抑えられていないからだ。

そこで戦う為に、NHKコンテンツ民放が利用できるようにする。例えば過去NHKアーカイブ映像や素材を使って新しいコンテンツを作ったり

キャラクタードキュメンタリーなどのより創作的思想的なコンテンツであっても、NHKは定められbた金額を支払えば貸出に同意しなければならない様な規約を作るのだ。

もちろん、そういったもの権利関係NHKけが持っている訳ではないにせよ、このように規定することで使いやすくなる。

こうして公開されたコンテンツを使い、少しでも国内コンテンツビジネス延命することが今求められている。

民放NHKでは明らかに民放の方がレベルが低い。低い方にあわせたら進歩しない

NHKオンデマンドというサービスがあるが、このサービス民放映像配信より早く始まっている。

民放がいつまでたっても映像コンテンツ配信を始めないため、NHK民業を圧迫しないという観点からスタートできなかった。

こえがなぜスタートできたかというと、しびれを切らした政治家が介入したためで、例外的な動きだが、実はこれも裏があり、NHK配信システムの構築にIIJと組んだのだが、開発費の名目で膨大な発注をし、その成果物を他に流用することに合意した。

そこで民歩は、IIJNHKと開発した配信プラットフォームを応用してスムーズサービスを始めることができたと言う経緯がある。

今回のNHKの動きもそうだ。NHK配信プラットフォームは、技術選択王道的で筋が良い。

例えば配信には妙な独自のものを使わず、素直にMPEG-DASHをつかっていたり、AWSAzureOracleと言うマルチプラットフォーム国内映像配信CDNを組み合わせていたりと良い事例になっている。

レベルが低い方が、俺たちに会わせろと足を引っ張るのではなく、膨大な資金力で作った成果を俺たちにも使わせろ、と言うスタンスの方が業界が発展する。

番外:AINHKコンテンツを喰わせろと言うべき

各社、AI学習されないように防護を始めているようだが、NHKについては逆にAI積極的学習させよ、データ差し出せと迫るべきだ

そうすることによって、各社は自社が用いるAIに、報道番組制作必要な基礎的なノウハウを喰わせることができる。

AI時代は来てしまった。もはや巻き戻ることはない。ならばこうして立ち回る方が良いだろう。

Permalink |記事への反応(1) | 23:29

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2025-10-11

anond:20251010194956

運営ももネタ切れてるし正直新しく作ってるゲームに移行してほしいんだろうに

しぶとく課金するオタク金も諦めきれずにズルズル延命するから

キャラも壊れるし面倒な事になるんだよ

Permalink |記事への反応(0) | 20:02

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anond:20251010194956

本来なら不満を抱いたユーザーはさっさと不買して別のコンテンツに流れればいいだけ

しかし本当に問題だと思うのは、コンテンツ側が金づるのユーザーを逃したくなくて、ユーザーの不満を聞き続ける選択をすること

コンテンツ側は新規コンテンツを立ち上げるよりも既存コンテンツ延命させ続けるほうが楽だから

その結果、モンカスが生まれカスハラが発生する

Permalink |記事への反応(0) | 09:16

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2025-10-06

anond:20251006165123

あなた論理は「完成した物語構造こそが創作価値」という前提に立っていますが、その枠組み自体一面的すぎます

まず、あなた議論を最も強固な形で再構成しましょう:

芸術作品価値構造的完成度にある。最初から終わりまで設計された作品は、各要素が有機的に結びつき、テーマが一貫する。対して場当たり的に作られた作品は、商業延命のために継ぎ接ぎされた断片でしかなく、統一的なビジョンを欠く。ゆえに後者には芸術的価値がない」

この立場には一理ありますしかし、あなたは重大な反例群を見落としています

即興ジャズは事前の楽譜なしに演奏されますが、マイルス・デイビスの『Kind ofBlue』は音楽史上最も評価される作品の一つです。終わりを決めずに始めたセッションが、決定された構造では生まれ得ない創造性を生みました。

ドストエフスキー連載小説も同様です。『カラマーゾフの兄弟』は連載中に結末が変更され、未完のまま終わりました。それでも文学史に残る傑作とされています

シェイクスピア劇団も、台本を上演しながら観客の反応で変更していました。「完成形」など存在しなかった。

これらが示すのは、創作価値は完成された構造だけに宿るのではないということです。

あなたが見落としている別の価値軸があります

1.時間と共に進化する関係性の深度 -20年続く『相棒』だからこそ描ける杉下右京という人物の多面性は、2時間映画では不可能です

2.視聴者との共時的経験 - 週ごとに更新される物語は、完結した作品を一気見するのとは質的に異なる文化的経験を生みます

3.予測不可能性という美学 - 結末が決まっていないからこそ生まれる緊張感と驚き

あなた論理では、ライブ即興演奏より録音されたスタジオ盤の方が常に優れていることになりますが、それは明らかに偽です。両者は異なる価値を持ちます

最も致命的な問題は、あなたが「相棒」という一つの事例から、「終わりを決めていない全ての作品」への一般化を行っている点です。仮に『相棒』に構造的弱点があったとしても、それは段階的創作という手法のものの欠陥を証明しません。

では問いましょう:あなたは「完成」をどう定義しますか?シェイクスピア戯曲には決定版テクスト存在せず、上演ごとに変化しました。これらは「未完成」ゆえに価値がないのですか?

Permalink |記事への反応(1) | 17:01

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2025-10-04

anond:20251004125930

この国はえげつない延命病院が儲けてるのに無理やろ

何のための医師会組織票だと思ってるんや

Permalink |記事への反応(0) | 17:18

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そろそろやばいかも。病院現場から見える終わりの始まり

もう無理。

正直に言う。来年にはウチの病院、進退が決まると思う。

でもこれ、ウチだけじゃない。同じような病院、全国にいくらでもあるはず。

まず第一に「建物が古い」。

診療報酬だのICT化だのの前に、築年数でアウト。耐震ボロボロ。建て替える金なんてない。行政は「残ってくれ」って言うけど、金出さない。議員も黙ってる。だってリスク案件に手を突っ込んだら火だるまになって落選するから。わかるよ、でも現場は沈みかけの船に乗ってるんだ。

次に「人がいない」。

マジでいない。派遣も来ない。バカ高い給料出せば来るけど、そんなことしたら既存職員が爆発する。差が広がって空気が壊れて、閉院が加速する。だからできない。

そして「お金がない」。

診療報酬は上がらない。赤字は垂れ流し。血がドクドク出て止まらない。いや、もう死んでるんだよ。輸血で延命できる時間なんて、とっくに過ぎてる。

ボーナス?…ああ、もう諦めて」

本当は言いたい。でも言えない。

だって現場士気が終わるから。若手が一瞬で辞めていくから

から笑って「今年も出るといいね」なんて言ってる。嘘だと分かってても。

それでも管理職として残された時間を回す。

もも限界。かといって一般職に逃げる年齢でもない。潰れたらどうする?

バイト介護コンビニ

積み上げたキャリアは、何の役にも立たない。

行政は動かない。議員は票を守る。病院は崩れる。現場はすり減る。

残るのは、働きすぎて燃え尽きた職員と、行き場をなくした患者家族

あー人生終わった。

いや、正確に言えば、「終わるのを知りながら、誰も何も言えない」ってことだ。

現場から以上です。

Permalink |記事への反応(1) | 13:40

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anond:20251003193103

ちょっとまってくれ。。。実際超高齢でも延命的な治療希望したり介護を望むのは、本人よりも息子・娘の方だということを、医療介護現場の人々は実感していると思う。

「もう寿命だろ・・・」と医療者が思っても家族が強く希望しているから仕方なく延命していることの方が圧倒的に多いだろ。

Permalink |記事への反応(0) | 10:32

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世の中に必要なのは介護職じゃなくて介錯職じゃない?

何度も思うんだ。今の社会の「延命最優先」や「命は絶対に全うしなければならない」という空気、その重さこそが本当は人を苦しめているんじゃないか

正直、ただ生きている「だけ」の日々に、どこまで意味があるのか。本当に「生きていること」さえ維持できれば、それは人生なのか?

介護職が足りないって話、ずっと耳にする。けど、私からすれば、社会が本当に足りていないのは「介錯職」だ。

生きるためのケアばかりが膨らみすぎて、死ぬためのケアという発想はシャットアウトしたまま。

ベッドの上で機械につながれて、ただただ死を先延ばしにする医療現場

それを「地獄」と呼ばず、何と呼べばいい?

生き恥晒す」という言葉もあるけど、寿命を全部使い切ることが本当に善なのか?

命を全うする権利も、人間らしく最後を迎える権利も、本来は同じくらい尊重されていいはずだ。

どちらか片方だけが「正しい」と刷り込まれている社会で、生きる意味死ぬ意味を問うことさえ難しくなった。

その人らしさを守り抜く権利があるように、その人が「最期まで人間らしく終われる」権利だって本当はあるはず。

でも実際は、その選択自分自身で引き受け、貫いて死に切る強さは人間にはなかなか持てない。

死を選ぶというのは、社会から家族からも圧倒的な反発を受ける。

から最後は「誰か」が介錯してくれたら、と思う。

何のために生きるのか、何のために死ぬのか。

この問いが正面から語られる社会こそが、きっと本当に「人間らしい社会」だ。

生きるケアの隙間に、死ぬケアという仕事――介錯職があってもいいんじゃないか。

誰もが弱いからこそ、最期を支える仕組み、そろそろ本気で考えてもいいんじゃないか。世の中に必要なのは介護じゃなくて介錯じゃないか?――そんなことまで考えてしまう。

ただ生きることだけが目的の「生」に意味って本当にあるのか?

誰もが一度くらい不安になるだろう。

近年、介護職が足りないか介護業界待遇改善だの、ロボット導入だのが議論になるけど、

からすれば足りていないのは「介錯職」だと思う。

生きることを義務のように押し付けて、ただ死を恐れるから延命装置で「今日も生きてますしか残らない現場

それが本当に「人間らしさ」なのか?

高齢化医療技術進歩によって「生き恥さらす」延命社会の標準になりつつある。

寿命を全部使い切ることこそ善だと言われてるけど、それは誰の価値観なのか。

本人が本当に望む最後、本当に人間らしい終わり方を迎える権利はどこへ消えたんだ。

人間人間らしく生きる権利があるなら、

人間が「自分らしく死ぬ自由」も認められて本当はいいはずだ。

でも、人間は弱い。

自分でその最後選択を突きつける勇気は怪しいし、周囲から同調圧力もすごい。

医療福祉延命のためだけに「正義」が積み上げられ、

その先の介錯自己決定の手助けは「禁忌」になっている。

もし本当に「生きることの意味」が問われる時代なら、

ちゃん死ぬこと」も同じくらい議論されるはずじゃないか

人が弱いから、誰かに寄り添ってもらう介護必要なのはわかる。

でも、人が弱いからこそ、最期に「救済」として介錯を担う職種――

真剣必要だと感じる。

生きることだけが正義で、死ぬことは悪だと決めつけず、

どう生き、どう終わるか、その両方を考える社会を望んでしま自分がいる。

だったら、介護だけじゃなく介錯にも今こそ光が当たっていい。

そう思うのは、私だけなんだろうか。

Permalink |記事への反応(0) | 08:42

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女性は35歳になったら公開処刑→公開火葬でいいんだよな

面白いショーになるし介護問題もなくなる

子供がいた場合だけ子供が18歳になるまで延命可能にすれば少子化対策にもなる

Permalink |記事への反応(1) | 06:39

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2025-10-03

anond:20251003193103

実際、平均寿命はもはやTOP20で横ならび状態で、日本けが健康寿命が長くて寝たきり年数も他国の倍だからな。

えげつない延命長寿国に名を連ねてる。

医師会組織票が強い国ってそういうことよ。

Permalink |記事への反応(0) | 19:34

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本来介護って必要ないんじゃないかと思う。

昔は年寄りだって働けるうちは畑に出て、家事をして、子や孫を支えた。だけど働けなくなったら「姥捨山」に置かれる。言い方は過激だけど、要は「人としての役割を終えた」とされていたわけだ。

現代はどうだろう。医療で無理やり寿命を引き延ばし、介護で寝たきりの身体を支え続ける。結果、現役世代労働力が「出涸らしみたいな老人」の世話にどんどん吸われていく。しかもそれは「美談」として語られる。親を看取るのは立派なこと、介護職は尊い仕事。もちろん否定はしない。でも、現役世代次世代を育てることより、老いを支えることに人手と資源を持っていかれる状況って、本当に健全なのかと思う。

未来に残る子供の世話より、先の短い老人の世話を優先してしま社会言葉を選ばず言えば、本末転倒だろう。

「生きる権利があるのは当然」って話と、「どこまで社会リソースを割くのか」って話は、本当は分けて議論されるべきだ。けれど日本ではそれをタブーにしてしまたから、現役世代介護疲弊し、子供を産み育てる余力を失う。

からこそ、安楽死制度必要だと思う。

今の制度は「どんなに本人が望んでも死なせない」という前提に立っている。結果、本人は延命される地獄を味わい、家族介護者は精神的にも経済的にも摩耗する。誰一人幸せじゃない。

本人が「ここまででいい」と決断できる制度があれば、家族社会も過剰な負担を背負わずに済む。安楽死は「命を軽んじる制度」ではなく、「命の終わり方を自分で決める制度」だ。

いっそ「国有安楽死公園」みたいなものを作ってしまえばいいと思う。

人生詰んだと感じたらそこへ行く。静かな森の中で最期を迎え、死体公務員が回収して火葬して無縁塚に埋葬する。誰にも迷惑をかけず、本人の尊厳を保ちながら死ぬ現代姥捨山だ。タブー視されがちな“死”のプロセスを、国家オープンに支える。

もちろん今すぐ「姥捨山に戻れ」とは言わない。けれど、次世代を育てる余力を削ってまで、無理やり命を支える社会にどこか歪みがあるのは確かだ。そしてその歪みを是正する唯一の現実的方法が、本人の意思で終末を選べる制度——安楽死制度の整備だと思う。

Permalink |記事への反応(52) | 19:31

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貯蓄:投資比の最適解は?

これ、いろんな条件が絡んでくるよな

結局、自己防衛

Permalink |記事への反応(0) | 08:14

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anond:20251003002410

鬼滅の刃

ラスボス・鬼舞辻無惨は「不治の病」を抱えた人間だった。

・その延命のために鬼になったが、最終的には弱点を責め立てられ、仲間総出で倒される。

・病弱=怪物化=討伐対象という構造は、病者差別的

呪術廻戦

ラスボス宿儺は、異形の障害者である

主人公サイドが寄ってたかって障害者を叩き潰す。

障害を持つ存在は=恐怖/悪であり倒されて当然という古典的差別

僕のヒーローアカデミア

オールフォー・ワンは呼吸器をつけた障害者の姿で描かれる。

ヒーローたちはその姿を一切の同情なく袋叩きにする。

障害者を敵の象徴にすることで、結果的弱者表象差別的に使っているとも解釈できる。

ドラゴンボール

フリーザ下半身不随に近い状態になった後も復活するが、常に「欠損」「サイボーグ」といった要素を悪役の象徴にされている。

身体不自由=悪役という古典的差別表現

Permalink |記事への反応(0) | 02:13

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2025-10-01

祖父母の姿を見てきた。

元気に動けるのは本当に60歳か65歳。運がいいと70歳までだ。奇跡が起きると80歳までいける。

寿命は長い。幸いにも80歳を超えても体は元気だ。脳みそは死んできてる。

もう、全く楽しそうじゃない。

ずっと、祖父母趣味カラオケに行ってた。

でも、今は外に出れない。記憶力が低下して、それどころじゃない。

カラオケの個室まで行けば歌える。歌えるが、それ代わりに、付きっきりで世話する人の時間を食う。仕事してたら世話できない。金を払って誰かに付き添ってもらう?そんなことをすれば、働いた分の金が消えていくだけだ。

こんなのは延命しかない。

さらに言えば、食い物に関する文句も多い。味が分からないそうだ。甘味は分かるらしいが、他は全く。カップラーメンすら味が分からんみたいだ。

しかし、祖父母死にたいとは言わない。生きたいとも言わないが。

長生きするのが当たり前という考え方なんだと思う。

 

俺は、70歳になる頃には死にたいと思ってる。

でも、何故か日本定年退職が65歳。

退職した後に、楽しい老後なんて待ってない。

体も感性脳みそも死んだ後に休みなんていらない。

 

親が介護をしてるが、どう見ても忙しそうだ。平日は働き、休日は両親の様子を見に行く。

一緒に住むのは無理だ。一緒に住む=平日も介護になるからだ。

 

うちの親は、祖父母介護することに文句を言ったことはない。

でも、「子供介護されたくない」とは言われた。

やっぱり、介護が大変なんだと思う。

 

これ以上は、どんどん内容がぐちゃぐちゃになりそうだからやめとく。

とにかく、俺は長生きしたくない。親にも長生きしてほしくない。

願わくば70歳で死にたい。それ以上は生きてても楽しくなさそう。

 

追記

みんな、健康寿命に自信あるのすごいね

ちなみに今の日本健康寿命の平均は男72歳、女75歳らしいです。

今のうちから運動と適切な食事だけでも心がけましょう。

医療が発展しても、生活習慣病のせいで平均が伸びない可能性はあると思うよ。

Permalink |記事への反応(15) | 19:23

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anond:20251001114031

本人は延命拒否してても、家族が話し合って合意してても親族が土壇場で延命同意するんだよな

アレ、死に時くらい本人の決断が最優先されないもんかね

Permalink |記事への反応(0) | 16:41

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anond:20251001131609

同僚のお爺さんは元気なうから「何かあっても延命処置はいらん」と家族に言ってたらしいし、

入院してから医者に向かって「延命措置は無駄からするな」と言ってたらしい。

ま、ボケてなかったから言えたんだろうけど。

私も家族には常々同じように言ってる。

ただそれが医療現場で通してもらえるのかどうかが分からない。

医者は「生かす」のが仕事だと言ってるようだからね。

でも老衰で死んでいくのは病気じゃないんだから、無理矢理の延命処置は要らんよな。

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2025-09-29

(株)はてながこのままだと再来年くらいに上場廃止するかもしれない

2016年2月24日株式会社はてな上場

東証グロースの上場維持基準上場から10年後に時価総額40億円だが、現在時価総額は約30億円。

まり、このままだと来年3月には上場維持基準クリア出来なかったことになるため、上場廃止の可能性が出てくる。

https://www.jpx.co.jp/equities/listing/continue/outline/03.html

通常は未達から1年間の改善期間を経てから上場廃止。

一応、グロース市場から時価総額基準が無いスタンダード市場に移るという手も無くは無いが、代わりにより厳しい流通株式基準等もあり、全く容易ではない。

しかも、追い打ちをかけるように先日東証より「グロース市場上場維持基準見直し等の概要」が公表された。

https://www.jpx.co.jp/news/1020/um3qrc0000026eka-att/um3qrc0000026enb.pdf

2030年以降は、上場維持基準が「上場5年経過後に時価総額100億円」以上と見直される予定だ。

なお、以前に上場している企業(はてなも含む)は、一応は「なんとか頑張って100億円目指すぞ」プランを開示すれば多少の延命は出来るが、それでも猶予間中に「⾒直し前の上場維持基準上場10年経過後40億円)にも適合しない状態となった場合には、改善のための期間を設けず速やかに上場廃⽌を決定」となる。

現時点でも40億円ラインを超えられていない、はてな運命いかに...

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2025-09-27

天ぷらは塩で食へ

愚昧な「通」を笑う

巷には、天ぷらを塩で食すことこそが「通」だと宣う、了見の狭い輩が満ちている。海老には藻塩を、舞茸には抹茶塩を、などと、殊更に素材の香りを尊ぶが如き振る舞いを装う。その理屈、表面的には理解きぬでもない。

かに塩は、衣の乾いた軽やかさを維持し、素材の持つ純粋な旨味を立たせる。料理番組審査員とやらが、したり顔で「ここは、あえて塩で」などと嘯く場面は、それこそ掃いて捨てるほどある。結構結構。その程度の了見で食の神髄が掴めるものか。

だがな、私は敢えて言おう。声を大にして断言する!私は天つゆに、天ぷらを沈めるが本懐だ!

天つゆこそ、天ぷら極致

理由単純明快。あの、乾いた揚げ衣を、ジュワリと出汁で濡らし、ふわりと柔らかな塊に変じさせ、大根おろしたっぷりと絡めて食す。あの瞬間にこそ、天ぷらが、単なる揚げ物から、深遠なる料理へと昇華するのだ。衣は湿気を帯び、油の持つ野暮ったさを、大根おろしが鋭く吸い取り、軽やかな一皿へと変貌する。天つゆは、単なる液体ではない。天ぷらの魂と、それを味わう者の魂を結ぶ、唯一無二の架け橋なのだ

塩で食うことを是とする連中は言う。「天ぷらは、衣の音を楽しむもの」だと。それは、一面の真理かも知れぬ。しかし、私に言わせれば、音など一瞬で消え去る儚い幻に過ぎぬ。パリッという、その刹那的快感は、二秒と持たぬ。

しかし、天つゆに沈めた天ぷらは違う。出汁の旨味をじわりと纏い、大根おろしが舌に優しく絡みつく。その余韻は、音よりも遥かに長く、身体の奥底にまで染み渡る。私にとって天ぷらは、刹那快楽たる音楽ではなく、幾度も読み返せる、深遠なる文学なのだ出汁が沁みていく、奥ゆかしい物語

そして、この真髄を語る上で、大根おろし存在を忘れてはならぬ。油で揚げたものを、胃袋が拒絶する瞬間は、必ずや誰にも訪れる。だが、大根おろしを添えるだけで、まるで救済の光が差したかのようだ。重さが和らぎ、「もう一口」という、食欲の炎を蘇らせてくれる。これこそ、齢を重ねても天ぷらを愛し続ける秘訣である。我々にとって大根おろしは、単なる薬味ではない。美食を長く愉しむための、延命装置なのだ

己の欲望に忠実であれ

私は常に、こうする。天ぷらを箸で持ち上げ、躊躇なく天つゆの海に沈める。衣から、まるで呼吸するかのように気泡が立ち、つゆがじんわりと染み込んでいく。その光景は、あたか人生の重荷を脱ぎ捨て、温泉に浸かり至福に浸る老練な男のようだ。ああ、天ぷらよ。お前も気持ち良いだろう。私もまた、満たされている。サクサクした食感が失われても、何ほどのことがあろうか。この崩れ去る柔和さこそが、真の旨さなのだ。

特に、家庭で揚げた天ぷらと、店で食すそれとは、根本的に話が異なる。家で揚げたものは、衣が厚く、油を吸い込みやすい。だからこそ、天つゆと大根おろしの出番だ。家庭の素朴で重い天ぷらを、軽やかに蘇らせ、家族団欒の安らぎを支えるのは、常にあの黄金の組み合わせである

一方で、外で食す天ぷらは、プロ技術が光るが故に、塩で食すのも悪くはない。しかし、私はその場でも天つゆを求める。なぜなら、人間はどれほど洗練されようとも、「安心の味」を求めるものからだ。幼少の頃から慣れ親しんだ、つゆに沈めた天ぷらこそが、私の**食の故郷ホームグラウンド)**なのだ

美食を語る雑誌などは、決まって「塩でいただくのが大人の嗜み」などと、上っ面だけの美意識を垂れる。だが私は、敢えてその逆を行く。食において、格式や見栄など、何の価値もない。己の欲望に、正直であること。それこそが、美食家の矜持である

私は、塩派の人間否定するつもりは毛頭ない。だが、彼らもまた、私が天つゆに天ぷらを沈める姿を、嘲笑してはならぬ。なぜなら、その丼には、私の食に対する揺るぎなき哲学が横たわっているのだから

天つゆに沈める天ぷら三傑

ここで、私が天つゆに沈めるべき天ぷらとして、三傑を推挙しよう。

第一位海老天。 ぷりぷりの海老の身が天つゆを纏い、噛むごとに、出汁海老の旨味が混ざり合う。これぞ王道の貫禄。

第二位茄子茄子は油を吸いやすく、単体では胃に重い。しかし、天つゆと大根おろしで洗うことで、一気にジューシーさと、軽さが両立する奇跡存在へと変貌する。

第三位かき揚げ。 これは、天つゆのために生まれてきたと断言する。ザクザク具材がほぐれ、つゆに沈んだ瞬間、奥深い旨味のスープのように化ける。

天ぷらは塩か天つゆか、などという問いは、愚問である大事なのは、己の胃袋と心が本当に求めるものを選ぶ、確固たる哲学を持つこと。それこそが、食の真髄である

私はこれからも、大根おろしを山と盛り、天つゆを惜しみなく注ぎ、天ぷらを沈め続けるだろう。サクサクの音を尊ぶ者たちよ、己の好みを否定するつもりはない。だが、私の美食道を、ただ見守るがいい。私は、私の道を行く!

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天ぷらを愛する、全ての真の食通へ。

恐れるな。天つゆに沈めろ。そこにこそ、真の救いと至福が待っている。

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