
はてなキーワード:庵野とは
最近だったか、麻宮騎亜氏がシュラトの話をどっかのイベントだかでしてたらしいけど、
流石に子供の頃の自分にも、あれは酷いと思った、なんじゃこれって感じだった…😟
エヴァは作画崩壊止めるために、途中から絵がほとんど動かなくなって、でも会話劇で盛り上げるんだよなw
昔、エヴァ観ながら、なんかプログラミングしたり半田付けしたり作業してたんだけど、
途中からもう観るの放棄してたもん…、通気口だかのファンがずっと回ってるような絵が延々と続くんで…
別に怠惰なわけじゃない、寧ろ、なんか若さとかリビドーとかパトスに任せて、詰め込めるだけ詰め込みたいんだけど、
それやっちゃうと破綻するんで、じゃあ、最終回ぐらいは勝手にヤマトやります、みたいな…😟
ナディアは、もうストーリーとか設定は完全にNHK側で固まってて、納期ギリギリでガイナックスに投げられたそうで、
NHK側が出したコンセプトは、もう宮崎駿風の海底二万里で、飛行石が出てきて、みたいなのが決まってて、
ガイナックス側ではほとんどそこは変えようがないんで、じゃあ、どうするかね…、みたいな…
でも、セブンアンドアイじゃないけど、酷い納期とかで投げてシステム作らせたら大事故起こして、社会に迷惑かけるけど、
アニメは失敗しても、誰かがお金を失ったり損したりするわけでもないし、誰かが死ぬわけでもないし、
ある意味、エンターテインメントは気楽な部分はあるよね、
次の仕事は失うだろうけど…😟
・デートしよう、映画館の前に横断歩道あるから一緒に渡ろうという彼女に「ごめんおれ横断歩道渡れない」といってしまった元増田
・デートしよう、映画館の前にすき焼き一緒にたべようという彼女に「ごめんおれ生卵を自分で割れない」と怯えた顔でいってしまった元増田
<頭を床に打ち付ける>
ふーん
で、オレ達は一体何をみせられたんだ?
若さ故の鬱屈をみせびらかして娯楽になるのは碇シンジをつくりだした庵野監督からだとおもうぞ
楽しくも可哀想でもなくなんか……こう……
ま た か
という気持ち
なんかこだわり型の人(ゆるASDかな)が大学いけてもこういうとこで躓くケースって多いよね
それなりにウルトラマンは好きなので非常に楽しめたんだけど、一点だけ気になったことがある。
それは”重量感”がなかったこと。
偏見かもしれないんだけど、庵野監督って結構重量感を大事にする監督だと思ってたんだ。
例えばエヴァなんかだと大きくジャンプしてそのあと着地するとその際に地面のコンクリに亀裂が走ったり、その時の衝撃で周りの建物が傾いて窓が割れたりと、スケール感にもロマンを感じているものだと思ってた。
だからシン・ウルトラマンでそのような描写が全然ないのが驚きで、ウルトラマンや怪獣が歩いても地面は揺れないしドスンドスンといった足音のSEさえもない。
全体を通してそんな感じだったからおそらく意図的なものだと思うんだけど、どうして重量感にはあまり拘らなかったんだろう?
コロナの在宅勤務を契機にここ数年鬱っぽく、鬱を自覚した当初に自分のテンションを上げる目的で、休みの明るいうちから一人酒を飲んでみる。
そのうち、休みは暇という虚無をスキップするための飲酒、が常態化する。
折しも現職でのうだつの上がらなさや、家族からだんだん舐められてる、下に見られているというミドルエイジクライシスも相まってどんどん自我を喪失し始める。
そして現職内でいくつか不満がたまる中で管理職と折り合いが悪くなり、
「おーほんなら辞めたらぁ(でもあたしみたいなオジサン慾しい人なんて…)」と軽い気持ちで転職サイトをちょちょっといじってみたところ、数件面接まで進んだ後内定までいただく。
んで↑の台詞をリアルで管理職に言って9月から有休消化、ってワケ。
微量ながらも金も暇もあるボーナスタイムなのに、家族や周囲の目を気にして、それよりなにより自分が何をしたいのかがわからなくて茫洋とする老人モラトリアム。
人生2度目のモラトリアム、2度目の青春(回春)に、なにか良きアドバイスを。
反応本当にありがとう。嬉しいもんだね。
厳しいコメを言ってくれる人も、「厳しいコメ多い」って言ってくれる人も、両方大切に思う。
厳しいことを言ってくれる人ってどんどんいなくなるのよ。友達減っていったり、家族仲あんまよくなかったりしてると。
Permalink |記事への反応(34) | 17:21
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/eiga.com/news/20250906/6/
このブクマ
黒澤明は日本人からそっぽ向かれちゃったからね。そして実写映画界にそのセンスは受け継がれなかった。黒澤を受け継いだのはアニメ界だったんよね。
だが、★はたくさん付いている。ただ具体的に黒澤明に影響を受けたアニメ作品や作家の名前は、かろうじて宮崎駿が出てくる程度で出てこない。でも増田はそれはなんか違うと感じたのだ。
宮崎駿が黒澤明を尊敬しているのは割と有名な話ではあるが、両者の作風は実はかなり違うとおもう。
黒澤明は実はアメリカン(ハリウッド)な作風だ。ジョン・フォードの駅馬車にインスパイヤされたシーンなんてのがあるぐらいに、「古き良きアメリカン」なアクションシーンやヒューマンな(牧歌的で、今となっては懐古的な人道主義)面が強い。一方で宮崎駿は、アクションなどはインスピレーションがあるのかもしれないが、それを「影響を受けたフォロアーだ」と言うには雑すぎる。もし影響つよつよだっていうなら剣闘のシーンがもっとあるはず。ぱっと思いつくのはナウシカのユパぐらい?。また、宮崎駿の世界観は、まぁSFの匂いがあることもあって設定はもっと複雑である。20世紀半ばのアメリカ的な素朴な人道主義は感じられない。
そして黒澤のヒューマニズムは、素朴だが裏に苦みや残酷さを持つのに対し、宮崎のそれは設定の複雑さに比して映画の結末は表層的でハッピーだ(この辺は宮崎駿を批判する時に言われがち。まぁスポンサーの意向とかもあるんちゃう知らんけど)
更に。
黒澤明は全盛期ですら「女があまり書けないタイプ」の監督という定説があり、また本人も女を描くのが苦手だとインタビュー等でしぶしぶ言っている。まぁ増田は、ご本人が言うほど下手じゃなく魅力的な女性はたくさん出てくる(椿三十郎の旗本の奥方とか最高)し、むしろ羅生門などはそれが出来たからこその評価だろうと思っているのだが。
それは置いておいて、まぁ黒澤は「女」のキャラクターを物語の中に立ち上がらせるのがあまりうまくなく(撮り方もなんていうか、こうステレオタイプである)、一方で、黒澤明は「男」を描かせれば本当に一級品だ。三船敏郎というアイコンとの出会いは大きかろうが、どっこい三船以外の「男」も、ずるかったり弱かったり強がったりとバリエーションに富んで素晴らしくすべてが「物語の豊かな糧となるキャラクター」だったりする(黒澤映画における女はたまに「美人女優を出さなきゃならんからな」的な状態になっている時がある)。
一方、宮崎駿の描く女、これも発端は黒澤的なステレオタイプなかたちをとることが多い。だが、宮崎駿の描く「女」はステレオタイプ(かわいい、おてんば、などの男が好むステレオタイプ)から飛び越えて陰影や謎を持つ魅力的なキャラクターで、その点(女を描く)は宮崎駿の方がうまいと思う。そもそも宮崎映画は何でそんなにというほど「女」が主人公だ。
なので、影響はそりゃ受けてるだろう世代的に、とは思うが、それをフォロアーと言うには雑な気がするのだ。
何しろ黒澤明の映画は、彼の全盛期である1940~60年代には1年に2本~数年に1本のペースで映画館にかけられている。それが基本的に全部大ヒットで良作品である。映画がことさら好きじゃない人でも当たり前の顔で黒沢映画を見ていた時代だ。団塊の世代であれば多感な子供~思春期に「毎年1本、黒澤明の大人気の痛快娯楽大作」が封切られていたわけで、こういう時代背景をもって「宮崎駿は黒沢の影響で作品を」というのは、ちょっと乱暴すぎる。
一方で、ガンダムの人とかは影響受けてるんかなと思って検索したら(ガンダムの方はあまり知識がないので語れることがない)こんなブログが引っかかって面白かった。さすがガンダムおじさんいちいち辛口
https://ayamekareihikagami.hateblo.jp/entry/2017/11/30/235950
日本の映画界は貧しすぎて、1950〜60年代に戦争物もあったんですが見にくいものしかない。また軍隊を悪者にすれば気が済むという簡単な思想性で組まれていて、戦争を描いている映画とは言えない。それ以上のものを求めても、当時才能がそれほどいなかったから無理だよねってことですね。黒澤明あたりが一等賞というのは貧しくて、後続部隊がいなかった。『七人の侍』(1954)は見やすい映画ですが、見事なものは『七人の侍』を持ってこないとないというのは貧しい。黒澤明は巨匠ではありますが万能ではありませんし、偏った監督だったとぼくは思っています。
こちらの方がむしろ「黒澤の次をなんとかしないと」ということなんだろうということで、より本質的には「継ぐもの」フォロアーなんだろうと思う。でもブクマには富野も庵野も名前が出てこない。
富野→庵野、みたいな流れが「アニメが引き継いでる」ってことであってます?オタクの間ではそれが定説ってこと?その割にはブクマに黒澤を見た人が少ないのでこれが正解かもわからない。
オタクが百合に惹かれるのは、たぶん「生殖して子を残す」という垂直的な時間性を否定できるからだ。(淫夢もひょっとしたらそうかもしれない)
子供を産んで未来に投資するのではなく、今この瞬間の快楽だけに閉じこもれる。百合はその構造を象徴しているんじゃないかな。
90年代、日本社会はバブル崩壊後の超やべー終末感に支配されていた。
だけど1999年のノストラダムス予言が外れたあと、陽キャは気持ちを切り替えてSEXして子供作って家庭を築いた。
だが陰キャはそうはいかず、百合や世界系、あるいは淫夢やハセカラのような、自分が何もしなくても未来を否定してくれちゃうコンテンツにズブズブとハマり続けてシコシコと汚ねぇ部屋でオナニーばっかしてっから前向きに生きたっていいはずの2025年でも俺もお前も20年前とかわんねぇー
子どもの頃に草むらの神社で感じた神秘体験を、エヴァにノスタルジー的に当てつけのように重ねるのは、どこか間違っている。
何やら複雑で壮大な世界がありそうだが無力な人類にとっては何も感知できない感覚はシコリティが高い。
しかし庵野が「当てつけられるため」にエヴァを作ったとしても、その神秘の代用品としてシコリティの道具にしてしまうのは俺ら自身の問題だ。
シコリティの高い百合で抜いて、生殖も未来もまとめて否定して、終末感に酔う。
それは気持ち悪い。醜い。でも「生きるな」とまでは言わない。
なのに俺らは「排他的で堕落したオタク」として居座り続けている。
別に淫夢男優の下手な演技見て笑わなくたって彼女作ってセックスすれば気持ちいいし、結婚して家族を守る方がよほどかっこいいのに。
結局のところ、少年期の超越的感覚に縋るよりも、大人になって現実を背負う方が充実しているはずだ。
それでも俺らは百合に逃げ込み、シコって、自己嫌悪しながら延命している。
でも本当にいい役ってあるな
棒読みがハマり役になってるというか。
そういうの好き。
有名どころだとコンフィデンスマンの東出とか。坊ちゃん感が出てるの面白い。スタイルや顔に対してあの演技だからだろうか?
捜査一課長のナイツ塙とか。ドラマのコント感が増しててマジで面白い。
コネで入ってきた(と思われてる)新人ボンボン役なんだけど、自分の立場をいい方向に利用して、犯人は権力者の息子だから捜査中止にする!とか言っている上司に圧力をかけたりするのが面白い。
あの棒っぽい演技がハマってると思う。
たまに現れるハマり棒演技が好き。
ただの棒だと駄目で、うまいこと棒感をいい方向に利用している必要がある。
たくさんの声豚を嫌な気持ちにさせるよ
なんか声優界隈?が一定の人気があるから声優の露出増えたし、商業的にも声優目当ての買手がいるからしょうがないけどアニメもゲームも声優が前面に出てくるのが本当に嫌
アイドル声優じゃなくてちゃんとした声優とか俳優を起用してくれる作品の方が好き。特にアイドル作品一本の声優はなんか演技が露骨であんま好きじゃないことが多い。
ゲームはフルボイスでも別に嬉しくないことが多い。話ズレるけどあと風立ちぬの庵野も大肯定派、あーいうのでいい
ゲームとか声優買いしてる人見ると萎える。本人の自由だからいいけど
あと人が作品の説明する時に声優持ち出すのが萎える。別に水樹奈々が出てようが花江夏樹が出てようがどうでもいい、どっちも良い声優なのは分かるんだけど、その人であることは別に重要じゃない。作品とキャラに合っていれば良い
あとこれは偏見だし最悪な意見だし言っちゃいけないから100私が悪いんだけど声優オタクが嫌い。つーかこれが本編。
オタクの中でも一番客観視ができていなくて、自分の性欲を遠慮なく振り撒いていて(「推し声優」だからっていう体で)気持ちが悪い
声優自体がASMRとかシチュエーションボイスとかやってるからしょうがないけど、AV女優のファンとかって自分のことキモいって分かってるからちゃんとAV界隈でコソコソやるのに声優オタクは堂々と色んなところで活動していて腹が立つ。ゲームの話していてもアニメの話していてもYouTube見てても声優の話をし始める。キショ
本当に声優オタクが嫌い。元々嫌だったけど知り合いでネットにいるのがまんまリアルでいて余計嫌になった。つーかこいつのせいだわ。完全に私怨だわ。サンプル数が一つしかないけど全部がこいつに見えてしょうがないんだわ。
推し声優のことを「顔がいい」って絶賛して、本人が演じるキャラクターを彼女と同一視して、リアルの彼女の写真集を買って、エロ音声を買って、性欲ぶつけているのに「ファンです」ってパッケージして綺麗なものみたいにラッピングしているのが激キショ。お前のちんこが見えるから隠して欲しい。人前で堂々のお前のオナニーの話するなよ。気持ち悪い。