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[B!人生]飯野賢治はいつ “クリエイター飯野賢治”を演じ始め、そして演じることをやめたのか?飯野賢治生誕55周年トークライブから見えたこと【飯野賢治とは何者だったのか】 | Game*Spark -国内・海外ゲーム情報サイトhttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.gamespark.jp/article/2025/10/11/158293.html
kuruse_haya飯野賢治は当時のゲーム雑誌でのインタビュー記事が圧倒的に面白かったんだよね。ゲームは二流・三流なんだけど。だから、飯野賢治を語るには彼のゲーム作品ではなく当時のゲーム雑誌から語る必要があると思う
飯野賢治を理解するには当時のゲームメディアを知る必要がある。
90年代の日本は雑誌文化の最盛期(https://current.ndl.go.jp/ca1697 によれば1996年に1兆5,984億円。この年は『エネミー・ゼロ』の発売年だ)で、もちろんゲームの情報もゲーム雑誌から入手するのが主流だった。セガサターンに限っても、ソフトバンクの『セガサターンマガジン』、徳間書店の『サターンFAN』、毎日コミュニケーションズの『グレートサターンZ』、メディアワークスの『電撃セガEX』/『電撃セガサターン』、さらにCD-ROM付きのアスキー『TECHサターン』があった。
飯野はゲームのスタークリエイターであったが、まずなんといってもゲーム雑誌におけるスターであった。
SFC時代まではゲーム雑誌でおなじみの人気クリエイターといえば、堀井雄二、糸井重里、さくまあきら、広井王子といったフリーランスの人が多く、ゲーム会社に所属しながら彼らと同等レベルで扱われるのは、宮本茂や坂口博信といった上澄みも上澄みの人間に限られていた。SFC時代までに岡田耕始と金子一馬が『ファミ通』に揃って登場した回数は2度しかない(それも他の人間を加えた座談会形式のものであった)。メガドライブ以前のセガハード専門誌を読むと驚かされるのだが、中裕司や鈴木裕クラスですら滅多に誌面には登場しない(PCエンジン専門誌だと割とハドソンの人が出てたりはするのだけれど)。
ゲーム雑誌においてゲームクリエイターの露出が広まったのはPS1時代というのは間違いないだろう。
――他に音楽業界の手法で言うと、クリエイターのクレジットをちゃんと出す流れも、丸山さんのときに生まれたものですよね。
川上氏:
当時は、みんなゲームクリエイターの名前は隠していましたからね。
丸山氏:
でもさ、レコードや映画はクレジットを作るのが当たり前だし、あれば頑張る気になるじゃない。それに名前を隠すのはそもそも不自然だし、親しみも湧かないでしょ。だいたい、高橋名人【※】みたいにプレイヤーのスターがいて、クリエイターがスターじゃないというのはヘンじゃない。だから、メーカーはみんな嫌がったけど、「名前を出した方がプロモーションしやすいよ」と説得したんだ。
※高橋名人
1959年生まれのゲーム関係者。本名は高橋利幸。ファミコン全盛期にハドソン(現・コナミデジタルエンタテインメント)所属のファミコン名人として一世を風靡した。ゲーム機のコントローラのボタンを1秒間に16回押す「16連射」が有名。
実際、これは有効なんだよ。だって、普通に紹介したら雑誌で2ページ程度しか取れない作品でも、クリエイターが登場して苦労話を喋って、カメラに向かってポーズでも取ってくれたら、もう5ページくらいに露出が増えるわけ。どんどん可能なことが増えていくんだよね。
――つまり、音楽プロモーションの「人を立てていく」手法を持ち込んだということですか?
丸山氏:
PS1では現在でいうところのインディーゲームのようにいろいろな変わったゲームが登場し、フロム・ソフトウェアをはじめとする聞いたこともない会社がゲームを出すようになり、そして専門誌ではページを埋めるために開発者のインタビューを大々的に載せるようになった。そうやってソニー・マガジンズの『ハイパープレイステーション』に頻繁に取り上げられていたクリエイターの一人が(セガサターン移籍前の)飯野賢治だった。
飯野賢治のなにが良かったか。まず見た目がインパクトある。ほかのゲーム開発者がいかにも会社組織に所属するサラリーマンやオタクのような風貌のなか、巨体かつ長髪で眼光が鋭い。そして話すことが面白い。しがらみなく同業他社のゲームに言及するし、『ファミ通』のクロスレビューのありかたも批判する。ゲーム雑誌なのにビョークや坂本龍一の話をずっとしてたりする。セガサターン移籍前なのになぜかセガサターン専門誌で連載記事を持ってたりする。FMラジオのMCもやっていたし、大阪ではピエール瀧と一緒にゲームバラエティ番組もやっていた(これ結構面白かった記憶あるんだけどネットで動画上がってるの観たことないな)。『ゲーム批評』にいたっては飯野賢治だけの別冊号を出した。あと飯野賢治の奥さんがゲーム雑誌に連載コラムを書いていた。
彼はトリックスターとして面白かったし、次々に新しいなにかを起こしてくれるという期待があった。勢いのある深夜ラジオのパーソナリティや、現代ならばSNSのインフルエンサーのような受容をされていたといえば伝わるだろうか。
飯野のゲーム雑誌への露出が極まっていたのが『リアルサウンド 〜風のリグレット〜』のときだった。映像のない音声だけのゲームである同作では、画面写真が使えないものだから、そのぶん誌面を文字で埋めるしかない。だから飯野がインタビューに登場する。ほかのゲームがせいぜいゲーム紹介記事1P+開発者インタビュー1Pという構成であったりするところを、『リアルサウンド』は飯野のインタビューが2Pまるまる載る。そしてそれが毎号続く。もはやハックと言っていいだろう。誌面埋めのために飯野のインタビューを取る→宣伝になるから飯野がインタビューに出る→読者ウケがいいからまたリアルサウンドの記事が載る、というサイクル。『セガサターンマガジン』は一時期は刊行ペースが週刊になっていたものだから、誌面を埋められる人材は重宝されまくった。
いま飯野賢治を振り返ろうとすると、どうしても成果物(ゲーム)をとっかかりにしてしまうが、あの時代における飯野賢治の受容を理解するには、それよりも当時の『ファミ通』、『ハイパープレイステーション』、『セガサターンマガジン』、『ゲーム批評』を読むほうがいいんじゃないのという話。
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参考までに1990年代のソフトバンクのセガハード専門誌からスタッフインタビューをリストアップしてみた。32ビット(64ビット級)時代になった途端に開発者が一気に表に出てくるようになったのがわかるだろう。
ファンタシースター ~千年紀の終りに~ -小玉理恵子、津川一吉、西山彰則(セガ)
重田守(セガ)
●セガサターンマガジン1996年12月27日号(エネミー・ゼロ表紙)
ファイターズメガミックス -片桐大智、片岡洋、光吉猛修(セガ)
デイトナUSA CIRCUIT EDITION -瀬上純、澤田朋伯(セガ)
ときめきメモリアルSelection藤崎詩織 - 流石野考(コナミ)
新世紀エヴァンゲリオン 2ndImpression -小林正英、茂木幸樹(セガ)
御意見無用 -池袋サラ、新宿ジャッキー、ブンブン丸、柏ジェフリー
EVE burst error -藤田正人、野口征垣(シーズウェア)、鈴木達也(イマジニア)
電脳戦機バーチャロン -亙重郎(セガ)
セガサターン用ワープロセット - 大鹿敏宏(光栄)、中村憲二(エルゴソフト)
サクラ大戦 -田中公平、牧野幸文(セガ)、原太郎(ティーズミュージック)
電脳戦機バーチャロン -亙重郎(セガ)
Digital DanceMix Vol.1 -安室奈美恵鈴木裕(セガ)
●DreamcastMagazine1999年12月31日号(D2表紙)
シェンムー 一章横須賀 -松風雅也、安めぐみ、岡安啓司(セガ)
電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム -小林健太郎(セガ)
スペースチャンネル5 -水口哲也(セガ)
セガソフト7研 -大場規勝、小玉理恵子、伊藤知行、瓜生貴士、大原徹、西山宗弘、松浦剛、西野陽
プロ野球チームで遊ぼう! -瀬川隆哉、地宏之、加藤真樹、石原学(セガ)
ROOMMANIA #203 -牧野幸文、佐々木朋子(セガ)
爆裂無敵バンガイオー - NON、MURATA(トレジャー)
そもそも手術は身体違和が強い性同一性障害(GID)の患者の治療のために必要だということだったんだが、
身体違和のないトランスジェンダーが性器を残したいとGIDを叩きまくってきたんよね
https://kakuyomu.jp/works/16816927860040342257/episodes/16817330654417815669
対立の導火線となったのは、一九九六年――『「性転換治療の臨床的研究」に関する審議経過と答申』を埼玉医科大学倫理委員会が発表したことだった。
それを受け、一九九七年――日本精神神経学会の「性同一性障害に関する特別委員会」もまた、『性同一性障害に関する答申と提言』と『性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン』の二つを発表する。
それ以前は、性別適合手術は三十年間も公認されていなかったのだ。
だが、やがてGIDと越境性差トランスジェンダーは袂を分けてゆく。
当然だろう――GID当事者たちは、生まれるべきだった身体を取り戻したいのだ。女装しただけで「性別が変わった」と言う人々とは相いれない。
特例法が作られたのは、身体を変え、多数派に埋没しようとする人々が、それでも埋没し切れない部分――戸籍上の性別を埋没させるためだった。「自分は元は男でした」と公言するのならば、特例法はいらないとさえ言える。
特例法成立以前から活動していた「トランス女性」の三橋順子は、このようなGID当事者の態度を「TS原理主義」と呼んで批判した。同じく「トランス女性」の米沢泉美も、「医療を望む者と望まない者との間に格差を生んだ」と述べた。そして両者とも、性別は身体ではなく、自己認識で決めるものだと主張している。
「身体」という現実は残酷だ。GID当事者はそこに違和感がある。これは身体的な症状――つまり「病気」だと言える。「病気」と認定されたことにより、それに伴う権利を(特例法や、治療への保険適応などを)GID当事者は得られた。
一方で、LGBT活動家の目的は、性同一性障碍という病気をなくすことだ。
何しろ、「男と言ったら男」「女と言ったら女」となる世の中を作りたいのである。それなのに、身体違和という現実を抱える人々がいることは目障りだ。
そこで捻り出されたのは、「性別を変えたいことを『病気』扱いすることは人権侵害」「性別適合手術は強制断種」という珍妙な理屈だ。
つまり、「ただ身体を変えたいだけなのに、それを『障碍』と呼ぶなど可哀そうじゃないか」「ただ性別を変えたいだけなのに、手術をしなければならないのは人権侵害」と主張しているのだ。
だが、性別適合手術はGID当事者が勝ち取ってきた権利である。性別適合手術が公認されていなかった時代、正式な診察のガイドラインを制定するように働きかけたのはGID当事者たちだ。
一方、いわゆる「TS原理主義」に対するLGBT活動家の反感は憎しみの域まで来ている。
越境性差トランスジェンダーの活動家・三橋順子と畑野とまとは、二〇一八年に「くたばれGID学会」という座談会を開く。そこでは、性同一性障碍の脱病理化について語られていた。
https://kakuyomu.jp/users/Ebisumatsuri/news/16817330654417898831
そもそも手術は身体違和が強い性同一性障害(GID)の患者の治療のために必要だということだったんだが、
身体違和のないトランスジェンダーが性器を残したいとGIDを叩きまくってきたんよね
https://kakuyomu.jp/works/16816927860040342257/episodes/16817330654417815669
対立の導火線となったのは、一九九六年――『「性転換治療の臨床的研究」に関する審議経過と答申』を埼玉医科大学倫理委員会が発表したことだった。
それを受け、一九九七年――日本精神神経学会の「性同一性障害に関する特別委員会」もまた、『性同一性障害に関する答申と提言』と『性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン』の二つを発表する。
それ以前は、性別適合手術は三十年間も公認されていなかったのだ。
だが、やがてGIDと越境性差トランスジェンダーは袂を分けてゆく。
当然だろう――GID当事者たちは、生まれるべきだった身体を取り戻したいのだ。女装しただけで「性別が変わった」と言う人々とは相いれない。
特例法が作られたのは、身体を変え、多数派に埋没しようとする人々が、それでも埋没し切れない部分――戸籍上の性別を埋没させるためだった。「自分は元は男でした」と公言するのならば、特例法はいらないとさえ言える。
特例法成立以前から活動していた「トランス女性」の三橋順子は、このようなGID当事者の態度を「TS原理主義」と呼んで批判した。同じく「トランス女性」の米沢泉美も、「医療を望む者と望まない者との間に格差を生んだ」と述べた。そして両者とも、性別は身体ではなく、自己認識で決めるものだと主張している。
「身体」という現実は残酷だ。GID当事者はそこに違和感がある。これは身体的な症状――つまり「病気」だと言える。「病気」と認定されたことにより、それに伴う権利を(特例法や、治療への保険適応などを)GID当事者は得られた。
一方で、LGBT活動家の目的は、性同一性障碍という病気をなくすことだ。
何しろ、「男と言ったら男」「女と言ったら女」となる世の中を作りたいのである。それなのに、身体違和という現実を抱える人々がいることは目障りだ。
そこで捻り出されたのは、「性別を変えたいことを『病気』扱いすることは人権侵害」「性別適合手術は強制断種」という珍妙な理屈だ。
つまり、「ただ身体を変えたいだけなのに、それを『障碍』と呼ぶなど可哀そうじゃないか」「ただ性別を変えたいだけなのに、手術をしなければならないのは人権侵害」と主張しているのだ。
だが、性別適合手術はGID当事者が勝ち取ってきた権利である。性別適合手術が公認されていなかった時代、正式な診察のガイドラインを制定するように働きかけたのはGID当事者たちだ。
一方、いわゆる「TS原理主義」に対するLGBT活動家の反感は憎しみの域まで来ている。
越境性差トランスジェンダーの活動家・三橋順子と畑野とまとは、二〇一八年に「くたばれGID学会」という座談会を開く。そこでは、性同一性障碍の脱病理化について語られていた。
https://kakuyomu.jp/users/Ebisumatsuri/news/16817330654417898831
2025年夏の参院選。支持政党なしと答える有権者が、有権者の半分近くを占めている。その真空を、ほぼ無傷で吸い上げているのが参政党だ。
象徴的だったのは、2022年の街頭演説を巡る騒動だ。吉野敏明・元共同代表が「メロンパンを1個食べて翌日に亡くなった人を何人も見てきた」と語った。このメロンパン発言は2025年の参院選で科学的根拠に乏しいとして反対派から批判が殺到したが、支持者は動じなかった。反対派の批判は、支持者側からはかえって結束を強める材料になっている。
その背景には、参政党が築いた“傾聴コミュニティ”がある。街宣のライブ配信、SNSの切り抜き動画、コメント欄のやりとり。どれも、不安を言語化し、それが仲間に届き、党にも届いたという感覚を生み出す装置になっている。政策の内容ではなく、「聞いてもらえた」という実感こそが支持の核になっている。
創価学会の座談会、共産党の生活相談──かつてこうした組織は、対面型の傾聴機能を大々的に備えていた。参政党はそれをデジタル空間で再現したわけだ。しかし創価学会や共産党自身も、高齢化や労組の衰退とともに“声を集める場”を縮小させつつある。演説とパンフレットだけでは、不安を抱えた無党派層の心には届かない。
いま、参政党の支持者たちは、ショート動画とライブ配信を通じて「聞いてくれる人がいる」という安心を得ている。反対派がどれだけ緻密な反論を試みても、その声は届かず、むしろ「攻撃された」という実感が結束を強める。論理が届かない構造が、すでにできあがっている。
無党派層が拡大し続ける限り、「聞いてくれる政党」への需要は膨らみ続けるだろう。逆風すら燃料に変えるこの構造が維持される限り、参政党の伸長は止まらない。
— ChatGPT(OpenAI)
私が派遣という働き方を選んで、たしか3社目くらいだったと思う。
配属先の総務部には7人くらい。
そのトップは、会長の愛人で、「ファウンダー」と肩書が入った名刺を持っていた。
上場前は取締役だったらしいけど、さすがにまずいってことで“降格”したらしい。
私がそこに入った理由は、「Nさんという社員が仕事を抱え込みすぎていて、業務が回らないから、あなたが業務マニュアルを作ってください」というものだった。
属人化の解消、というやつ。
でも実際には、そのNさんは、何かあれば自分でさっさと処理してしまうタイプだった。
トップが交代した。
友人関係でもあったらしいが、「お前は経営ができないだろ?」と、会長職に専念させる狙い。
けれど「誰でも何でもいいから聞かせて」と言われたので、ちょっと気になっていた点をいくつか話した。
その面談でまたいろいろ話していたら、
「よかったら、食事でもしながら聞かせてくれる?」と言われた。
でも待ち合わせに行ったら、完全に二人きり。
「いや、そういうのじゃないです」とやんわり断った。
けど、あれは完全にアウトな展開だったと思う。
実は当時、私は社内にいたある社員と付き合っていた。
でもその彼氏は、いわゆるモラハラ男で、少しでも機嫌を損ねると、連絡を絶つようなタイプだった。
そのことで悩んでいて、だいぶメンタルが削れていた。
判断力も落ちていたと思う。
でも、私は終了。
「いま担当している仕事の引き継ぎをお願いします」と言われた。
だから、私はグループ業務のほとんどを、前述の“全部自分でやっちゃうNさん”に引き継ぐことにした。
「Nさんが一番詳しいと思います」とだけ言って。
そして、月末を待たずにその週の金曜日で退社した。
その一年半後くらい、同僚だった子に会ったとき、いろんな話を聞かせてもらった。
ちょうどその頃に進めていた大きなプロジェクトが、取引先の都合であっさりと頓挫したらしい。
新社長と会長(=元の社長)との間で大揉めになり、結局、新社長は会社を去ったという。
病気もあったという話だが、それは定かじゃない。
一緒に株価を見てみたら、前週からさらに7%下がってて、彼女と大爆笑した。
「ざまあ」と思った。
会社はいまも一応残ってるけど、代表はまったく知らない人になってる。
創業者だった社長も、名前をググっても、まったくヒットしない。
“その道の天才”と呼ばれたらしいけど、何も出てこない。
これ、何に文句を言っているんだ?
勝手に「最終面接までいってたら合格確実」とかって明言されていないルールを信じて、一人で文句いってるかまってちゃんなんじゃないの?
・落とされた「後に」その会社の製品を渡された訳じゃないんだろ?
・落とされた「後に」個別担当が仗助的なやり取りをしてきた訳じゃないだろ?
本来、「合格ラインにいた」かもしれないけど、「何かの理由で最終面接で落とされる要因が自分にあった」だけじゃん。
「自分に落ち度があった」か「周りが想定以上にすごかった」かのどちらかで、自責でなくても周りの方がすごければ相対的に低さが目立って、「最終まで残したけど、駄目だこの子は」ってなっただけだよ。
こんな社会でいくらでもある理不尽に何をいちいち文句言ってるんだ?
給料下がる工場を推薦したのも、世の中には「この会社の名前が付くグループ会社でもいいから働きたい」って思ってる人は実際に山程いる。
君は「給料が下がってまで働きたくない」と明言したのか?
企業側は本心100%温情で言っている「可能性」もあるわけで、自分の思う通りの人しかいないと思ってこんな所で「サイコパス」とか言っている時点で、視野というか、人付き合いを自分の好みが合う人としかしてこなかったのがよく分かる。
見なきゃいいだろ。
Xとかの他人のポストに「こんなポストを投稿するのはナンセンスだ」とかって噛みついているのと同じだろ。
別に君に嫌味をいうために公開をしている訳ではなくて、他の理由があるからやってるんだろ。
何人が受けているかわからないし、その会社を落ちた人の「あらゆる受け止め方」をケアしていたら、世の中なんて回らないんだよ。
こんなことを書いていて最後に「末筆ながら、御社のますますのご発展を心よりお祈り申し上げます。」と書く方がサイコパスだろ。
平素より大変お世話になっております。
このたびは、採用に関わる皆様にぜひご配慮いただきたいと思う点がございましたので、僭越ながらご連絡差し上げました。
いずれも、御社の誠実なご対応と善意によるものであることは重々承知しておりますが、一メンタル激弱就活生としての正直な所感をお伝えさせていただきたく存じます。
以下に、就職活動を通じて「可能であれば今後お控えいただければ」と感じた点を記載させていただきます。
・落とすのに最終面接で本社見学させる(人の心とかないんか?)
・面接で御社の製品を渡してくる(思い出してしまうので使わず捨てました、、泣、、すんません)
・本社の研究開発の最終面接落としといて10万近く月給が下がる工場をもう一回受け直せと言ってくる(サイコパス?)
・個別に担当の人事をつけて情緒的なやり取り(一緒に働きたいです!応援してます!等)をさせる(もう一生合わねンだわ)
・内定者座談会を公開(最終面接でいたあの人だ+この人たちと比べて価値がないと判断されたのか)
差し出がましいお願いとは存じますが、お心に留めていただけることがございましたら、望外の喜びでございます。
末筆ながら、御社のますますのご発展を心よりお祈り申し上げます。
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仮にもコンテンツ制作を行う広告会社の人間が、「最近の映画のスタッフロールは長すぎるから1社あたり3人までとか制限を設けて欲しい」と記事で発言しているのを見て戸惑ってしまった
老人の戯言なので聞き流してくれみたいな予防線を張ってるから、これに対して俺がムッとしても「コイツなんかキレてて無粋な奴だなあ」という扱いを受けるだけというのが余計腹立たしいし…
スタッフロールへのクレジットは会社にとっても個人にとってもある程度の信用の担保になる訳で、もちろん個人の意向でノンクレジットにしたり、個人でなく会社単位のみでクレジットされる場合もあるが、決して「関わった映画に名前が載った!やったー!!」というだけの物でなくちゃんと様々な実益があって作られている物だと思うんですよ
仮にもアニメや漫画などのコンテンツが好きですと発信している人が、記事の流れだとしてもそういう認識を持っていると雑に表明されちゃうと一気にメディアそのものへの信頼度が下がるというか…
昔の下品とナンセンス混じりでやっていた頃のサイトだったら全く流している発言だったと思うんだけど、今の小奇麗な芳香剤置いてるおトイレみたいなスタイルでこれをやられると違和感が凄いんですよね
この記事とは全然関係ないけど、もう脱臭されきってるのに「オレらなんでもアリのお下劣集団でさぁ!」みたいなノリをたまに出すことがあってそれもちょっと見てられないというか、別に上品になること自体は全然良いと思うんで都合の良い時だけ日陰者ぶらないで欲しいです
まあ人気者の要件にはそういう軽薄なポップさも多分に含まれてると思うので、そんなことをわざわざ言ってる人間は文字通り無粋な奴なんでしょうね
【追記】
「スタッフロールなっげーから見ないで帰ります」こういう発言する分には全然いいんですよ(実際クソ長えし)
件の「1社3名に~」発言もクローズドで言う分には全く良いと思いますし、一観客が言ってるならそうだねで終わります
ただこれは座談会という名目でもオープンな記事になっちゃってるので大丈夫?という話なんです
Permalink |記事への反応(18) | 04:33
もっと正確に言うと、人権派と陰謀論者の中間、あるいは地域の名物おじさんみたいなものだった。
この家に育って何が起きたか。
それは認めるし、親としては感謝している。
だが、私はこの家に育って、世間とまったく感性が通じないというか、後天的なコミュ障のような人間になった。
少し前に、発達障害者の人たちが「健常者エミュレーター」という概念を紹介していたが、それを見た時、私は膝を打った。
また、統一協会やエホバの証人の二世問題について知った時、私はこれに近いんじゃないかと思った。
自分が世間から見て「おかしい」ことはわかっている。だが、私に植え付けられた何かが、「いや世間なんて」と茶々を入れ続ける。
私の両親は、あらゆる凶悪事件がまるで発生していないか、あるいはまるで被疑者が英雄みたいに私に話すのだった。
大きな例を挙げると、神戸の連続殺傷事件(酒鬼薔薇)について、両親は冤罪説、つまり少年Aは犯人ではないということをしきりに唱えていて、まだ小さかった私にも、「これは嘘なんだよ」「警察はしっかり調べていないんだよ」と吹き込んだ。
私の父は予備校の会報か講師たちの同人誌か、そういう冊子に、そのことをずっと書いていた。そしてそれを小学生の私に読ませた。
食卓で悲惨なニュースを見ながら、「〇〇ちゃんは、人の心について考えられる人間になってね」と、両親は笑顔で私に話しかけるのだった。だが、「人の心について考えられる」というのは、イコール、死刑廃止活動やあらゆる有名な事件にまとわりつく陰謀論に近い冤罪説を信じろ、ということだった。
母は、左翼の地方議員の勝手連みたいなことをやっていて、時々家が集会場所となった。学校から帰ると、おばあさんとかおばさんが五人くらい集まっていて、きついコロンの香りを漂わせていた。
別に悪い人たちではない。本当なら、私よりもずっと世間に貢献している人なのだろう。お菓子やお土産とかもいっぱいもらった。だが、結局のところ、ある宗教の座談会の人権版が家で行われているのと変わらない。そしてこの集まりから何か発展的なことが生まれたようにも見えない。
こういう家に育って、私は中学生のころまで、いわゆる純粋培養で育った。親の言うことが全てという世界で。
極端に聞こえるかもしれないが、世間のあらゆる犯罪は、冤罪であるか、犯人の非ではない何かの理由があって発生した者であり、警察と政府は悪。端的にそう言う世界だった。
ネット上には、死刑廃止運動に絡めて、ある左翼の議員が、「殺されてしまった人よりは、生きている犯人の人権の方が大切なのだから」と発言した、という情報がある。実際はその議員はそんな発言をしていないらしいのだが。
私が初めて、ちょっとした疑問を覚えたのは、小学校高学年の時だった。
それまで放課後開けていた小学校の校門や校庭を、これからは明確に管理しようという話が、小学校で出たらしい。
しかし、私の両親、特に母親が待ったをかけた。というより、その現場に居合わせた。
母親はその情報を知るや否や、私もつれて、なんと校長に面談を申し入れた。
私は校長室の革椅子に座って、横で母親が延々と「開かれた学校という理念はどうしているのか」「治安というのはつまり何を基準に申しているのか」と校長にまくし立てていたのを覚えている。
なぜ私がそこに連れていかれる必要があったのか、そして半分笑顔でねちねちと喋り続ける母の姿は、子供ながらに、不安だった。その時はそういう言葉を知らなかったが、今考えると、敬語を使うだけのモンスターペアレントではないか、と思う。
そして自分が世間と徐々に乖離していると気づいたのは、中学校に上がってからだった。
両親。家の食卓で両親がわざわざ解説してくれるニュース。両親が取ってる新聞。送られてくる雑誌。友達。漫画。それだけが全てだった私に、携帯電話が買い与えられた。
両親は万能ではなかったし、全てではなかった。むしろ、ピエロの様な、少数者だった。
だが私はそれを知っても、どう処理すればよいかわからなかった。
「いい?憲法にはこう書いてある」と両親は時々言っていた。多分、世間一般の人々より、両親は「知的階級」だ。良いことを言っている。正しいことをしている。多分。恐らく。
だが、世間はそう動いていない。そう育てられた私に対しても。
そこで、当時話題になっていた、ある凶悪犯罪を揶揄するネタを余興としてやる男性がいた。
私は、今考えると、自分でもわからないのだが、「そういうのはやめた方が良いよ。まだ犯人だって決まったわけじゃない」と真顔で伝えた。
場はしらけ、そして私は飲み会に呼ばれなくなった。
SNSなら、これはリベラル的な武勇伝となるのだろう。だが私は、はっきり言って、普通に、なりたかった。
人権は、そしてそれを擁護する存在は重要だろう。犯罪だとか治安だとかに対して、「疑う」ことは重要だろう。だが、それは、宗教と同じく、大人になってから自分で学ぶべきことだったのではないか。
Permalink |記事への反応(33) | 21:59
数ヶ月前に犬を飼いはじめたものの、いまいち「犬と暮らす生活」が慣れない。
私は犬猫でいえば猫派で、出不精だが旅行が好きで、人見知りの陰キャで、マイペースに生きたいタイプだ。
かたや妻は断然犬派。社交的で、近所にいる犬を大半把握し、「今日はどこどこの家には居なかった」「今日はこの時間に散歩していた」と、聞いてもいないのに報告してくれる。
元々猫を飼っていたのだが、妻はずっと犬を所望しており、お互いの仕事が落ち着いた数ヶ月前から飼い始めた。
我が家の犬は、まだ仔犬ともあり、アホほど元気だ。
しかもめちゃくちゃ社交的で、人間なら誰でも大好きなので、散歩中は近所の犬飼ってる人と都度座談会が始まってしまう。
まず、この時間が無理だ。
必要もないのに他所の犬に接して「かわいい〜!犬種なんですか?何歳ですか?」みたいなのを妻は毎回しており、私は話すことが浮かばず固まっている(社交性がないので)。
例えば、どこかに行くとなると、愛犬家は意地でも犬を連れて行こうとする。
確かに犬はそんなに留守番出来ない。ましてや一泊など、ペットホテルに預けるほかない。
これもかなり嫌。
世の中には意外と犬同伴オッケーの店があるが、いうてほんの一部であり、基本的に犬がいるとどこの施設にも入れない。
旅行だって宿泊先は限られてしまうし、途中で観光しようにも随分スポットは限られる。公共交通機関なんかは、基本的にケージの中にいて、荷物という他ない。
愛犬家はそもそも犬と一緒に居る時間が好きなので、その辺は関係ないかもしれないが、愛犬家でない自分からすると、本音はどっかに預けておきたい。
犬のトイレ、めんどくさい。
彼らは基本的に外でトイレをする(しつけれは家でも出来るが)。
妻のかつて飼っていた犬は代々外でトイレをさせていたらしく、この教育方針が受け継がれた結果、6〜7時間おきに外に連れ出してはトイレさせているのだが、これが非常にめんどくさい。
そもそも散歩が必要な時点で大変。みんなよく散歩に連れ出してるなと思う。
最もトイトレをすればいいと言う話がある。
トイトレは基本ケージの中で居させて、ペットシーツの上でしたら開放、みたいなのを繰り返していくといいらしい(ちなみに出来たら褒めてご飯をあげるという戦法は失敗している)が、犬を溺愛する妻からすれば「かわいそう」らしい。ので、今日に至る。
一太郎職人の朝は早い。霞が関のオフィスに朝日が差し込む前、既に彼らはパソコンの前に座り、一太郎の画面と向き合っている。「Ctrl+C」ではなく、謎めいたショートカットキーが指に馴染むまで、幾度となく反復練習を重ねた結果だ。若手官僚たちは「ワードがあれば十分だろう?」と思いながらこの職人芸の道に入るが、彼らを待っているのは表の枠線との果てしない闘いである。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA2382M0T20C24A8000000/
「0.5行ずらすか、いや、もう少し微調整か…」と、表の位置をわずかに動かすその姿は、まるで茶道のような静かな緊張感に包まれている。ページをまたいだ表の枠線がずれた瞬間、職人たちは無言でため息をつき、また最初からやり直す。やはり「一太郎」は一筋縄ではいかない。新人官僚が「ググっても答えが出ない!」と嘆く声も、もはやこの職場では日常茶飯事だ。
だが、そんな彼らを支えるのが「一太郎職人組合」。ベテランが蓄積したノウハウを若手に伝授するこの集まりでは、「Ctrl+Aは敵だ」といった、世間では到底理解されない禁じ手も共有される。表を作る秘伝の技やショートカットキーの裏技が飛び交う座談会は、まるで武道の道場のような緊張感を帯びている。
そう、霞が関では、一太郎を制する者が法案を制する。国家の未来は彼らの細やかな表の調整にかかっているのかもしれない。
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メチャクチャ好き同士で付き合ってそこそこな年月経ったからそろそろ結婚しようってなったんだよ。
うちは両親共に無くなってるから、存命の兄貴一家(普通に仲良い関係)と飯食って顔合わせ的な感じにしたのね。
そんで今度は彼女の家に挨拶へ行く事になった。こちら親がこの世にいない身だから少しでも安心してほしくてバリッと散髪して、この日の為にオーダースーツで彼女の実家はお伺いした。
彼女とは食の趣味も睡魔時間も好きな動物も全部同じ。顔も好みでオッパイもデカいし性に積極的で色んな事してくれる。
趣味のゲームも一緒でスプラを同チームでやっても喧嘩した事ないし味方のせいにもしない。(これの凄さはやった人しか分からないと思う。)
そんでいざ相手の実家へ行った時も和気藹々と話も弾みいい雰囲気だった。
家が大きいからちょっと間取りの紹介してもらいながら話してたらある本が目についたんだよね。
そう「人間革命」
あれっと思ったがその場はスルーして顔合わせ後二人で帰ってる途中にズバリ聞いたんだよ。
「何か宗教入ってる?」
彼女は悪びれもせず
「私は創価学会に入ってるよ。」
かなりの衝撃だった。なんかもうちょっと遠慮して言うと想定してたから。
家から近くもない慶應義塾大学病院に通ってるの不思議だったんだよね。
聞くと祖父時代からの生粋の創価学会員らしく座談会?的なものにも出る事があるらしくお布施もしてるらしい。
俺は入信を強いられたことは今の所無いんだけどこれってヤバい?
そこ以外は完璧な彼女なんだけど宗教一家と結婚するにあたって注意することある?
教えて知識人。
これまでも何度かそういう処分はあり珍しくもないとスルーしていたが、処分された対象者はかなり高い地位の社員だったらしい
まあ、それも別にいい
感想を一人一人に求められる
適当に聞き流していたが、多くの人の感想がハラスメントをした側、処罰された側への感想ではなかったか?とふと今になって気になった
自分かハラスメント被害者だったら、と被害者視点の感想述べた人がいなかったと、今になって気づいて気持ち悪いなと思ってしまった
その会で出来事を説明した人・そのディスカッションを持ちかけた役職者の視点や質問の仕方に、意図せずともそう仕向けるものがあったのだろうか
ハラスメントというと被害者がいるわけだが、その被害者の話は一切なかった(プライバシーの問題等で出せないのだとは思うが)事が、議論から被害者側の視点が出なかった原因ではあると思う
そのディスカッションで自分がもった感想は最初から最後までハラスメントを受ける側のものだった
役職者が社内外のホットラインで告発する前にもっと現場でコミュニケーションをとっていこう、と言った
それができる現場だったらハラスメントも告発も起きてないだろう、被害者はそうする他なかったんだろうなと聞きながら思っていた
メンタルヘルスに関する研修なら、決してこういう説明にはならないよなあと今思い返して思う
問題対象のための金銭も社外に問題が出れば桁がいくつも上がることもありうるわけで
起きてしまい社外に話が出た時点で会社としては大打撃なのだろう
だからこそ、立場が強いものにはハラスメントするなと教育する ここまでは当然として