
はてなキーワード:座布団とは
こないだ夫婦げんかの流れでマンションを借りて半別居し始めた。
それまでの状態は、お互いずっと一緒にいるとストレスになるって話だった。
妻は夫の言動に、自分は妻の言動に。言えないとか、思い込んじゃうとか、誤解したり気を遣ったり、お互いいろんなもんがぐちゃぐちゃになってた。
大体1日目の夜~翌朝にかけて言い合いになるが、その流れでお互い言いたいこと言った。
自分はHSP的な気質もあって物音も気になるから、そのこと(もう少し静かにしてほしい)も話したけど「それは無理」って言われた。
お互いにとっての「無意識」を変えるって困難。「普通の感覚」も違ってたりする。
ただ、妻が「洗濯機の蓋静かに閉めてみたりしてる」って言ってて、その時初めて知った。考えてくれて、行動を変えてくれたことに気づけないって罪。
「物音気にしないで」って言われてもそれは無理なのだが。
でもお互いの事は嫌いではないんだ。
気持ちの問題と言われることがあるけど、個人の感覚を変えることって、どちらかというと「汗かかないで」「かゆくならないで」とかって言われてるのに近いと最近思う。そこがこじれるとお互いに嫌いなような気がしてくる不思議。
「部屋借りたら?」と妻が言った。
自分も、妻にこれ以上ストレス溜めるのは嫌だから職場の近くに部屋借りるっていったら、妻もホッとした感じになってたので、そのまま契約した。
子どもの習い事の送り迎えが仕事場の近くなので、お迎えに行く日は子どもと帰宅。週の半分は自宅・半分はマンション暮らしって感じ。
こないだ妻の手料理を何日かぶりに食べた。美味かった。「やっぱり手料理がいいなぁ」って話をした。
喋りながらご飯が食べられるのもいい。ひとりだと買って食べることが多いし、だんだん体が受け付けなくなってくる。
プチ一人暮らしでお料理できるようになれば、自宅にも還元できるかも。
マンションのシャワーは水圧もそこそこ(バルブで流量調節はできるが)で、決して広くはないし、浸かったとしてもウッディ人形が折りたたまれて箱に入ってるみたいで窮屈だからリラックスできない。
で、意外な発見だったんだがパパがいなくなってからママがダラダラ手抜きしてるって子どもが言うんだ。
「手抜きしてるの?」って妻に聞いたら
ニコニコしながら夕食とかの手抜き具合を教えてくれた。
なんでも、パパが帰宅すると思うと「帰ってくるからやらなくちゃ」って思うらしい。
それを聞いてなんかホッとした。
一度たりとも「俺の飯は?」とか言ったことないんだが、考えればそれはそれでプレッシャーだったのかも。
文句ばかり言う夫なら妻だって「なんだコノヤロー」って言えるけど、文句も言わずに仕事して帰ってくるんだから、ちゃんとしないとなって思ってたのかな。
聞き分けがいいようでいて、それが逆に相手に逃げ場を与えないことにもつながるのかも。
「お父さん帰ってくるから」
自分は中高生くらいになると「別にいいじゃん、なんでそんな気にするの」って言ってたけどそういうわけにもいかないのかな。
うちのオトンも真面目に働いて文句も言わない人だと思う。
あと、数日ぶりに帰って家にいたら、息子がスポーツから帰宅して「パパー!パパー!」って汗だくのまま抱っこにやってきた。
息子曰く「パパがいないと違う」らしい。かわいいやつ。
いっぽう、古いワンルームのマンション暮らしは結構楽しくて、自宅では叶わない生活環境を余すところなく実行していこうと思ってる。
まず部屋の天井に照明はついていない。昼間は明るいから電気はいらないし、夜はダイソーのコンセントライトと勉強用の電気スタンドがあれば足りる。自宅だとお風呂暗くして入ってても、子どもが入ってきたら「暗い!」って電気つけられる。
朝陽は好きだが、夜まぶしいのは苦手なんだ。
好きなフレグランスのスティックを置いて、足音が気にならないよう洋室をカーペット敷きにしてやった。
ハンガーは一度使ってみたかった滑り止めつきのやつで統一してみたが、自宅に帰った時にプラスチックのハンガーがついてくるのでなんとか白1色に統一している。
キッチン戸棚は常に解放しており、ワンアクションでコップやコーヒーに手が届く。
まともなひとり暮らしってしたことなかったから、自分の生活環境をほとんどコントロールできて、自由に配置できるってすごく心地よい。
若いころ一度だけ社宅として借りてもらったマンションで数か月住んだが、仕事が合ってなかったのと、急な一時出張みたいな感じでその時はストレスしかなかった。
コストコで買った50個入りのロールパンが流し台下の四角い冷蔵庫に退去の日まで45個くらい入ってた。
100円ローソンのカルボナーラの空き容器が溜まっていってた。
その部屋は堅いフローリングだったから、部屋に帰っても居場所が座布団の上くらいしかなく、
ベッドは備え付けの電動ベッドだったが、なんか、思い返すだけでもすごく嫌だ。
子どもたちの学校が始まったので、妻がこのまま持つのかは不明だ。
でも、お互いにストレスから解放されて週半分は会う生活もよい。
結婚生活ってお互いの全てを受け入れるとか、片目をつぶるとか、いろいろ言われるが、物理的に離れるのって分かりやすくて良い。
妻が言ってたのよ
「居たら色々頼みたいけど、疲れてるかな?とか勉強したいかな?とか気にしないといけない」
夫も言ったのよ
「居たら、家の事しなきゃなって思うけど、勉強したり他の事したい時もある」
これ、お互いにいなかったら解決。
いや会話しろよって思うかもしれない。
そこがね、もうね。ぐっちゃぐちゃになってくるとね、ままらないのよ。
全裸登校とかのシチュエーションの女の子みると、夏の日だとかに刺されないか心配になって、落ち着いてよめなくなるんだよな…..。家を出る前に全身に虫除けスプレーしたり、日焼け止めクリーム塗るとか大変だよな…。って。転んだり、モノに当たったらすぐに赤くなりそうだし。皮膚を守ってくれる布って本当にありがたいよな….ってしみじみする。靴下だけしか許されてないのかわいそう。あと普通に暑かったり寒かったり、外は暑いのに教室は涼しかったり、冷たい椅子に直座りするので、お腹下しそうでかわいそう。せめて座布団つけてあげてほしい。
あと野外プレイだと、土埃がついたり、雑菌が粘膜に入り込んだりしたら病気になりそうだから心配でハラハラするんだよな….。夏祭りの木陰とか、やっぱり藪蚊が心配になる。土がついた手で触るのやめてあげてほしいから、ビニールシートとか消毒液とか持参のうえで行為に及んで欲しい。
あとキメセク?みたいなのは、もし中毒になったらどうしよう。。って心配になるし。病院でちゃんとカウンセリングとかさせてあげてほしい。
3月に続けて、この連休も乗り鉄してきたので、また日記を増田に残そうと思う。
6時前の起床は目覚まし前に起きられた。夏なので暗くはなく、起きるのも困難ではないのだ。
横浜に出て、途中の行程を端折る新幹線切符をえきねっと経由の券売機で購入。
(券売機を直に操作すると、並ぶ列のプレッシャーが嫌なので、発券以外はえきねっとで済ませた。)
降りたところにはあまり選択肢が無かったので、自分には珍しくそばを食う。
窓側ながら眠くて大宮までは寝てて、あとはGoogleマップで現在位置を追う。
新前橋を過ぎれば遠方にこんもりとした山を見るが、吾妻線に入るとそこに挟まれた感じとなる。
橋で川を渡れば、岩に立つ白波が涼やか。強い光ゆえ緑の色彩も濃く見える。
小野上では採石がとれるようで、それを積む特殊車両が泊まっている。
中之条で山あいは開ける。それなりに人が降りるのは四万温泉に向かうのか。
トイレしたくて車両を渡ると、二人ほどロードバイクを持ち込む人が居てうらやましい。
岩島からは最近作ったろう高架橋で国道をまたぎ、長いトンネルに入る。これが八ッ場ダムによる新線なのか。
ダムの湖面が木々の合間にわずかに見える。その前方には急峻な地形に貼り付く国道。駅前にはキャンプ場もあるのね。
また長いトンネルとなり、トンネルではWikipediaの沿線概況を見て過ごす。
ダム下だからか、削り込まれた吾妻川を橋から見ては、長野原草津口でもごっそり降りる。
片面の行き止まりホームを見ては遠景を撮ろうとするが、時間が足りず。
そして、大前での折返時間は短いので、事前に車内で精算しておくようにとの放送。ここまで30人程度は残っただろうか。
羽根尾の構内も広い。それを過ぎると、シールドや木々に包まれては20km/hなんて看板まである。
強く減速し、災害の多いこと、そして線路の終わりも近いだろうことを知る。
万座・鹿沢口手前でも同じくらいの減速。
街は川向いにあり、駅前には旅館を示す剥げた看板と土産店。反対側にはバイクの集まるカフェ。
そしてさらにトンネルで、大前まで乗り切った。プツっと終わる感じの平面ホーム。
気持ちだけかもしれないが、降りても涼しく思える。見どころはけっこう多くて飽きない行程だった。
ロードバイクも組み立てている。
そして出発となるが、乗車証明発券機はなかったので、帰りの車内で切符を発券してもらう。
ひとりひとり処理するの大変だなあ。
また強い減速で始まる帰りは、長野原草津口手前で旧太子線の橋脚、その先では引上線として残る旧線がみつけられた。
川原湯温泉では今回も行き違いで、わずかに見える湖面に向け写真を撮る。
帰りはなんだか行き違いが多くて、ちまちまと停まる。
そして考えることもなく車窓を眺めていると、幸せすぎて「ずっとこのままで居たい」とさえ思ったりもする。
ちなみに、親は親で観光地に出かけたらしい。
じいさん、ばあさんの写真とともに撮った観光地の写真が送られてきて、
夫婦には子供なり老人なり慈しむ存在がないと、関係性が保てなくなるのかなと思ったりする。
そんな詮無いことばかり考えないよう、Vtuberの雑談を聞きつつ、平野が広がれば渋川に戻る。
まともなものが食いたく、今回は菓子パンで済まさず、中華屋で豚キムチ定食。
そして、飲み物買っての上信電鉄は建物のすき間を縫うような改札口。
車両は107系の改造らしいが、LEDはフルカラーで行先案内もディスプレイ化され、手間暇かかっている感じ。
でもトイレは不可か。
車両所には剥がれる古き車両も見て、街を抜けては新幹線下からねじるようにして川を越える。
スピードはゆっくりなのに、線路の整備がいまいちなのか、左右に振られて轟音がある。
車窓は吾妻線と比べると、山々に挟まれるというか囲まれるといったくらい。
住宅もそれなりに多く、昼間のワンマン運用ながら乗降は細かくある。
吉井からはひたすらまっすぐなのにやはりスピードは緩く、車両は揺れる。
上州福島はほぼ中間ゆえ、行き違い。駅舎はホーローの駅名標だったりしてそれなりに古い。
上州一之宮ではきついカーブから、同じ方向に折れた川幅を高いところから眺める。
そしてラストの千平からは、鏑川の渓谷と急峻な山肌に挟まれ、スリルさえ感じる空間をこわごわと進んでいく。
ここはさすがに相当(体感で20km/hくらいか?)減速するようだ。
山肌を回り込んでは下仁田駅に着く。
駅名標と山々を合わせて撮っては、車線もない駅前から5つものコミュニティバスが入れ替わりに発車する(列車に合わせるので当然か)。
乗り潰しは14時台ながら早くも終わりなので、折り返し便では帰らず、
バス待合室で時刻表の少なさ(6系統+南牧村便があるが、休日は4便ずつしかない。
乗合タクシーに至っては曜日運行!)をじっくり見ては、廃墟かわからない昭和な建物とか、
旅館がこんにゃく料理を出すとか、河原で人々が水遊びをする遠景を見るとかして駅に戻る。
上州富岡は名所に合わせてか、新しい建物で屋根が高く作ってあるのも知る。
行きは乗るべき列車があったから急いだが、帰りは急ぐ理由もない。
酒飲むかは迷ったが、暑さによって酔ったような頭のかすみがあり、辞める。
車両区には吾妻線で見た砂利運ぶ車両が複数居て、SLも構内で入れ替えしていた。
烏川を越えた光景には見覚えがあり、やっぱり一度来たことあるなと思える。
そして車窓も気になるのだが、暑さからの疲れで眠くなる。
こんなんではダメだと、短編で興味がキレギレとなるゆえ、まだ読み終わらない「異常論文」を読み出す。
「ザムザの羽」は感情的に来るものがあり、「論文」として並ぶ中では特に面白かった。
そして横浜は19時前であり、さすがに薄暗くなる。
帰っては速攻でシャワーを浴び、20時には楽しみな議席予測を聞く。
結果は最後まで気になり、途中暇つぶしをしながら、寝るのは25時となる。
フェミちゃんは食後にゆるゆると伸びをして、茶をすすりながら「なんや、あんたの話、ほんまに百年モノやったな」と笑った。ワイは未来で起こること、マハカルの大乱動、その断片と、パラダシアで暮らしとった日々について話した。時々、ほんまに信じてるんか怪しい顔もしとったけど、最終的には「嘘にしては細かすぎるし、ウチの勘がざわついとる」と言うて、信じてくれた。
昼前には散歩に出た。地元の商店街のアーケード、今はまだシャッターも開いてて、張り紙も未来の文字じゃなく、ちゃんと“特売”とか“新鮮”とか人間の匂いがする単語やった。フェミちゃんは途中でたい焼きを買って、ワイの手にも一匹押しつけてきた。
笑いながら歩いてるうちに、未来で何度も夢に見た“生きてる世界”の実感が戻ってきた。アスファルトの照り返しも、焼けた鉄の匂いも、どこか懐かしい。
その夜。日が暮れて風が涼しくなった頃、フェミちゃんは真顔になって、ぽつりと口を開いた。
「あんた、あっちで子ども作ってたって言うてたやろ。ウチらの子やって」
「……せやな」
「ここでも、生まれてきたりするんかな? 名前とか、考えてたん?」
「……ミラ。光って意味や」
「せやからええんや。世界がどうあろうと、名前だけは明るい方がええ」
しばらく黙って、ゴミーが天井の隅でくるりと回って落ちてきた。ふわりと膝に乗ってきた彼を撫でながら、フェミちゃんは外の風を感じるように目を細めて、「……ええやん。頑張ってみよか、こっちの人生も」と呟いた。
それにしても、マハカルの大乱動が起こったのはいつやったか――正確には思い出せん。けど、Xデーは遠くない。少なくとも、こんな穏やかな日々がずっと続くとは思えん。
街の灯はほのかに滲んで、窓の外ではツバメがもう一度鳴いていた。ワイは古びた座布団に背中を預けながら、未来のこと、これからのことを順番に並べて、手のひらで崩していった。
休みなので昼間から怠惰を謳歌していると、突然親父に呼ばれた。
「ちょっと話があるから、あとで部屋に来てくれ」って本当に急なことだった。
いつもなら○○買っといてくれとかレコーダーで録画ができんとか、そんな他愛ない話なんだけど、そのときの親父は真剣だった。
もういい歳だし…もしかして病気の話?なんてことが頭を過った。
親父の部屋に行ったら座布団の上に胡坐をかいて座って腕組みして、俺のことを険しい目つきでじっと見つめてくる。
意を決して親父の前に座り、どうしたの?って聞こうとしたけど、向こうが話すまで黙ってたほうがいい気がして黙った。
だけど親父はなかなか切り出そうとしない。
こっちはその間、医者から病気を宣告されたんじゃないかとか、そんな良くない想像ばかりが膨らんでいた。
そんなとき、親父が口を開いた。
「今晩から、話し方を変えることにした」
は?って顔になった。
「一人称も、“ワシ”にする」
親父は続けてそう言った。
唖然としていると親父は咳払いしてもう行っていいぞって顔を逸らす。
俺は追い出されるように部屋を後にしたんだが、狐につままれる感覚ってたぶんこれのことだ。
その夜のこと。
俺と息子はテレビをぼーっと観てて、妻と娘はそれぞれ本を読んでた。
全員の視線がそっちに向いた。
「わ、わしも……みようかのぉ」
一瞬、空気が止まった。
次の瞬間、息子と娘がクスクス笑い出して、「なにそれー」って言いながら親父のことガン見。
完全に面白がってる。
それは良いとして、問題は妻だった。
本を手から落として、えっ……?って顔してる。
無理もない。昨日まで自分のことを”私”って言ってた人が急に自分のことを“わし”だもんな。
すぐに妻に手招きで呼ばれて、耳元で「なにがあったの!?」って聞かれたから、昼間の一件を説明。
妻はポカーンとしてた。
でもその後ちょっと笑ってた。困惑と笑いがせめぎ合ってる顔だった。
そして唯一何も言わなかったのが、お袋。
お袋だけは湯呑みを手にしながら目を細めてひとり、ひっそり笑ってた。