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2025-10-10

戦隊俳優追ってた頃の資金源の思い出

https://note.com/13weekslaterep/n/n72ae8c35be59

めりぴょん/山野萌絵

2025年10月9日 18:10

 はてなブックマーク、たくさんのコメントありがとうございます。あまりにも「資金源は?」と聞かれまくるので、当時のことを振り返ってみよう。

 オタクを始めた頃の16歳にやっていたのはコンビニ派遣とコンカフェバイト……だったが、店長経営適当すぎて給料未払いが続出し、呆れて退職。ちなみに、エキストラに行く謎のコネを作ったのはこのコンカフェである

 当時はJKビジネス全盛期。まだ法整備が追いついておらず、女子高生でも18歳になっていたらリフレで働けたのだ。

 というわけで割とお世話になったのが大久保雑居ビルにある「C」。親が元々デザイン系で働いていたので、パソコンソフト悪用架空通信制高校学生証を作って18歳として働いていた。有印私文書偽造公訴時効は5年なのでもう良いであろう。

 掛け持ちで鍋屋のホールバイトもしていた。今でも鍋につみれを入れるのは得意だ。一度鍋のつゆにスプーンをくぐらせてからつみれを丸めて入れるのがコツである。何の役にも立っていないが。

 年末年始郵便局年賀状ハガキ仕分けバイトもした。早朝シフトだったので、朝から年賀状ハガキ仕分け昼過ぎからリフレに、なんて日もあった。

 「C」出会ったのが若手俳優界隈ではもはや半ば都市伝説と化している、テニミュ俳優・Z(後に彼女とお風呂に入っているツーショット流出し、地獄バスツアーを開催したことで有名)のオタクのHちゃん有名人である

 Hちゃんがある日体入で連れてきたのがこれも古のテニミュを知る人には有名人であろう、2nd四天宝寺・AのオタクだったKちゃんとSのオタクだったSちゃん。二人は「若手俳優と繋がってそれをフライデーに売った」という伝説を持つらしく、俳優オタクであることを告げると「すぐ繋がれるよ!出待ちとかしないの!?」と言われ、黒糧(若手俳優オタクオタク悪口を書き合うパスつき掲示板)のURLパスまで教えてもらった。古のテニモンを知る人には「黒糧を教えてもらったのがKちゃん」と言うと大ウケする。鉄板トークだ。

 しか規制が厳しくなり、18歳でも高校に在学しているとリフレで働けなくなったため、「C」は閉店。当時はリフレにも「オーバー店」と「アンダー店」というものがあり、オーバー店は18歳以上を雇用。アンダー店は摘発覚悟で18歳未満を雇用していた。

 「C」が閉店したので、なぜかまだ18歳を雇っていた池袋東口の「E」というJKメンエス(?)で働きながら試行錯誤。一時期高田馬場事務所があったライブチャットをやってみたりもした。「E」はなぜか内勤がキングレコードavex所属していたことのある現役V系バンドマンだった。ちなみにベース。噂を聞きつけたバンギャがやたらと多かったが、「薄桜鬼藤堂平助の夢女をしているMちゃんとは仲が良かった。「はなの舞コラボのせいで味噌汁7杯飲んだ」などのオタク面白話をしていた。Mちゃんイオンモールで開かれた横浜くんの電動自転車試乗イベントの整番引きにまで来てくれた。10年経っても感謝している。まだ平助くんのこと好きですか?

 しばらくののち、池袋西口にあったアンダーお散歩店「G」に飛び込むことになる。結局1年以上お世話になった。のちに店長が店の女の子に手を出して未成年淫行逮捕され、全国報道されてテレビの潜入特集までされることになった店だ。ちなみに私は店長に「もっと稼ぎたいなら俺が相手してあげようか?」といきなり初日に言われたが、「身体関係を持った人と一緒に仕事するのは気まずいので……」と断って難を逃れている。

 「C」にいたHちゃんとはGロッソ5期公演中に水道橋駅の改札前で再会。ヒーローショーは最初の回が朝9時半開演なのだが、TDCテニミュが開かれており、改札が入り待ちだらけだった。超有名人のHちゃんと話しているだけでオタクから視線が痛かったのは言うまでもない。Hちゃんは私が誰推しなのかに興味がなかったらしく、「志尊だっけ?」とか聞いてきた。Hちゃんは今でも友達である。たまに飲む。

 「G」では源氏名をどうしようか悩み、当時普通にちょっとハマっていた「獣電戦隊キョウリュウジャー」立風館ソウジ(特撮の中で三番目に好きなキャラ。ちなみに二番目は「仮面ライダージオウ」ウールくんであるから取って「ふうか」とした。はるか後にジャニーズJr.に出戻り、刀ミュにハマって前列ガッツになって以降、由来も忘れて定番源氏名になるのだがそんなことはまあいい。

 「G」は摘発を避けるために「出会いを求める女子男性を繋ぐフリースペース」……という建前で経営されており、店長・Rさんは「店長と呼ぶな。Rさんと呼べ」と命令してきたのでみんなそう呼んでいた。「お散歩」に行くとコースバックで1000円支給されるのだが、それも一度「謝礼」としてクオカードを渡され、店長が「俺が変えてあげようか?」と"善意"で現金にしてくれる。パチンコ方式である。どうやって稼ぐかというともちろん裏オプなのだが……まあご想像にお任せする。ちなみに当時掲示板では「ふうかは金さえ払えばなんでもしてくれる」と書かれていた。

 働いている女の子たちはホス狂い7:ジャニオタ2:バンギャ1くらいの割合であり、俳優オタクなど私1人しかいなかった。そのため「G」の店内で一番有名な俳優横浜流星だったと思われる。不名誉

 ホス狂いたちとも普通に仲が良かった。年齢確認のゆるいホストクラブだけに行っていたらしいのだが、何気なく私が有印私文書偽造できる話をしたところ、全員むちゃくちゃ食いついてきた。……いくらで売ったかは伏せるが、架空大学学生証が飛ぶように売れたのは言うまでもない。「○○っていう有名店にすんなり入れた!ふうかちゃんすごい!」と大感謝されたが、そんなことに使う発想がなかったので「よ、よかったね……」としか言えなかった。

 ホス狂いには「毒親」系の子もいたが、1人とんでもないお嬢様がいた。超有名大学の附属校に通っていて、家にエレベーターまであったが、なぜか道を踏み外してホス狂いになっていた。名前はKちゃん。「担当ケンカした」とかい理由ドリエルODしてぶっ倒れていたので、水を飲ませ看病したこともある。今は何してるのだろうか。

 ホス狂い・Yちゃんは「売り掛けに間に合わない」という理由店長からお金まで借りていた。ちなみに、利息はトイチであった。

 ホス狂い美少女・Mちゃんにある日、「Twitterになぜかログインできないんだけどなんでだかわかる?」と聞かれたので、とりあえずブラウザCookieを消してみたら普通に直った。「携帯ショップ店員さんみたい!」と感謝されたがCookie消しただけなのに……と思った。Mちゃんとは数年後に歌舞伎町某所でばったり再会。世間の狭さを感じた。

 職質対策も抜かりなくしていた。客と歩いている時に万が一職質されてもいいように池袋西口ホテヘルを調べ、顔出ししていない適当自分スリーサイズの近い風俗嬢ブクマしておき、職質されても「店に預ける決まりなので財布持ってません」と言うと決めていた。このライフハックは割とみんな共有していた。私は職質されることは無かったが。

 自分で言うのもなんだが店長には気に入られていた。真面目だったからだ。ホス狂いたちはもはや家出生活を送っており、毎晩ホスト遊びに繰り出しては集団ラブホ雑魚寝して泊まり遅刻や当欠が多かった。「お前らはいい加減すぎる。ふうかを見習え!」と店長が怒っていたのだが、たまたま好きになったのがホストではなく若手俳優だっただけなので苦笑することしかできなかった。

 ホス狂いたちは、不思議と私をホストに誘ってくることはなかった。まあ横浜くんのことが好きすぎて傍目から見てもメロメロだったのもあると思うし、毎日律儀に家に帰っていたのもあるが。

 ゴキブリが出て待機室がパニックになり、私が冷静に丸め雑誌で叩き殺したら店長が3000円くれたこともある。後に店長は店の女の子に手を出して捕まるのだが、「口」でさせて5000円しか払ってなかった。ゴキブリ殺しただけで3000円もくれるのにそれしか払わないんだ……と微妙気持ちになった。

 店長はしばしば池袋西口の「楽園」で営業中パチンコしており、「真面目だから」という理由で予約と予約の合間になぜか電話番までさせられていた。もはや店長事務所を開けない日すらあったので、そんな時は池袋西口ガストドリンクバーを頼んで溜まっていた。

 客だと思ったら潜入してきた朝日新聞記者だったという事件も起きた。「搾取されてるわけではなく自分意思ちゃんとやってる」みたいなことを長々話した気がするがよく覚えてない。

 夏休みには事務所電気を消して、店長が出前を取ってくれてみんなで「ほん怖」だか「世にも奇妙な物語」だかを見た記憶もある。どっちかは忘れた。普通にしかった。青春である

 私が横浜流星オタクであることは知れ渡っていたため、遭遇して喋れたりイベントで喋れたりすると店長も含めてなぜかみんな喜んでくれた。店長逮捕後、久々にLINEが来たと思ったら「最近何してるの? 流星?」と送られてきて脱力した。

 JKビジネス業界ドライなので、高校卒業する頃になると一気に予約が入らなくなる。潮時かな……と思い辞めた。その後「G」は摘発されたので一応難は逃れている。

 なんやかんやでキャバ嬢に転身してみるも、自分で言うのもなんだがあんまり向いていなかった。この頃の記憶は実はあまり無い。楽しくなかったのだろう。

 キャバクラを辞めた後は適当パパ活していた。適当パパ活でもまあまあ稼げていたのでコロナ前の夜職業界は景気が良かったのだ。2017年中盤くらいからは一応メイドカフェでも働いている。

 かの有名な「制服オーディション」には一時期いたことがあるものの、本格的な風俗に足を踏み入れるのは実は横浜くんを降りた後である。……というわけで、なんだか尻すぼみな記事になってしまった。

 ちなみに高校は3年の途中で出席日数不足がたたり中退。(JK散歩に入り浸っていたためであるしかしその後通信制高校編入ちゃん卒業はしている。そのため一応高卒だ。

 こんな感じである。みなさんの謎が解ければ幸いだ。

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2025-09-07

80代の叔母の孤独死について、顛末と後始末

身内の死比較漫画(1日限定公開全編公開)https://x.com/tokitadesu/status/1964290371191787825 が流れてきたのをきっかけに(今日コミティアから公開なのですね)。

昨年夏に母方叔母(母の妹)の孤独死がありました。本人80歳過ぎ、夫逝去済み、子なし、認知症入り始めてたと思うが診断降りておらず、ケアマネ地域医療もつながっておらずで死後1か月未満で発見

~発覚から葬儀まで~

・発覚=悪臭がたちこめ、管理会社警察に連絡。マンション(持ち家)の鍵が開かず、最終的にはしご車ベランダから立ち入り。一夜経ち、本人居住警察から親族経由で自分警察署に電話を折り返す。土曜日。※この時の消防車請求はきてません

・1時間後に警察署到着。本人確認できる状態ではないため、室内にあった写真で「あの住居に住んでいたのはこの人ですね?」と誰何され、まぁ確定

・「検死に回すので9万円必要になります葬儀会社が当座払うので後で精算してください(神奈川県なので)。葬儀会社には『警察案件なので』と伝えてください」と言われる

・「小さなお葬式」に電話して「警察案件なので、よろしくお願いします」と伝える。斎場が決まり一報。「検死の終わりがわからず、そちらへの到着が月曜以降になるかも」と前振り

・兄と合流して管理会社に向かう。ここではしご車の話、半年分滞納していた管理費の話(いまどき手渡しで、未納を指摘されても対応できなかったらしい)をされる。特殊清掃会社も紹介してもらう

特殊清掃会社担当者が1時間後に来てくれて内見。1KD50㎡の見積もりが2日間作業で133万円。相みつを取る余裕もなく(ご遺体はもうないがニオイがすごいので。虫もすごかったはず)、言い値で承諾、鍵を預ける。一連の費用は母が払うことに

自分とのやりとりで「匿名しますので会社宣伝作業の様子をYOUTUBEにアップするのOKしてくれたら3万円値引きします」と言われ、一瞬迷ったが断る。兄にバレたら面倒だったので

・土曜中に検死が終わりましたと日曜午前に警察から一報あり。時間を合わせ、母、兄と共に斎場にかけつけたが叔母は専用の袋に密封された状態納棺され、棺自体も蓋をしたまま。顔を見てお別れどころの騒ぎじゃない。泣き崩れる母。たしかここで死亡診断書をもらったような。

・命日は推定。死因は持病(がん)由来の炎症。この記述があって、がん保険が満額出た

・いわゆる「葬儀」はできません、「直葬」です、と斎場から念を押される。3日後の火葬までの間に、駆け付けられる親族を一堂に集めて、平服お別れの会20分設ける。線香をあげられるタイミングはここしかなかった

火葬の際にお坊さんに念仏を唱えてもらうことに決定。「小さなお葬式」に宗派をつたえて戒名をオーダー。位牌を作るつもりはなかったがプランの中に含まれていたのを見逃しており、後日突然宅急便で届いて慌てた(返品もできず)

火葬日当日、我が家斎場に向かい霊柩車に伴走する形で火葬場入り、他親族僧侶は直接火葬場集合。火葬炉に入る直前、お棺に花を入れさせてもらえることになったが、蓋を開けたら白い布団がかけてあり、ご遺体の様子はまったく見えず

・待つ間に通夜ぶるまい(のランチ)。食後、骨上げ。叔母の私物は、特殊清掃会社担当者内見の際にピックアップしてくれたスマホと、使っていない財布しかなかったので、自分が持っていた祖父形見(竹尺)を骨壺に入れる。

・使っていた財布やマイナンバーカードは見つからなかった。警察に「亡くなった時に着用していた衣服処分しますね」と言われたが。いや本人が外で落としたやもしれず、いずれにしろ口座は早くに止めたので特に問題なし

親族はここで解散我が家は、叔父が眠っている合葬墓に向かい、その足で納骨。葬儀関連はここで終了

~後始末~

・室内のもの衣服家具等すべて処分(くどいようだがニオイがすごいので)。作業終了後の立ち合い&鍵を引き取るために叔母宅へ。後日・通帳、保険証書、公正証書財産関連書類 ・アルバム手紙 ・アクセサリー が宅急便で送られてきた。段ボール2つ分

都市銀行地方銀行各1行ずつと、ゆうちょ銀行の通帳が見つかった。また、投資信託をしていることは聞いていたし、この世代の人なので生命保険にも入っているだろうとは思っていた。で、最終的に追加で都市銀行2行、金投資1社、生命保険2社が見つかった

・通帳があるものHPで専用連絡先(相続窓口)を調べ、封書が残っているものは「お客様番号」的なナンバーを探しつつ本人死亡を伝え、口座ストップ or 死亡保障受取の手配を行う。「すべての財産は姉(自分の母)に」と、生前公正証書を残してくれていたのが大変ありがたかった

とはいえ「その公正証書、最新のものですか?」を証明するために公証役場に行き、必要書類を提出した(手続きである自分と叔母とのつながりを証明するため、祖父母までさかのぼった戸籍を取り寄せた)。公正証書コピー提出を求めた企業は多かったが、「公正証書証明書」の提出まで必要だったのは金投資だけだった(確か。記憶曖昧)。

・母も80歳オーバー自力で解約手続きができず、「お電話相続人ご本人様から承ります」という企業ほとんどだったため、有休を取って実家に戻り、スピーカーにして電話連絡をする×手続き件数分。母はインターネッツをやっていないのでそもそも実家回線はなく、リモート云々は無理筋だった

銀行生命保険書類が残っていても問い合わせたら解約済みというケースが複数回あり。逆に書類が残っていなかったのに「マイナンバーのご提出をお願いします」「支店移転します」の通知で初めて存在を知ったパターンがあった。この連絡が来なければ、叔母が口座を持っていたこ自体知らないままだった。仮に取りこぼしがあっても借金と異なり、調べる手段がない(と思っている)。叔母の財政上、無借金はほぼ確なのでそこは心配していないがマイナンバー管理簡単になるとよいと思う

郵便物が残っていない各所引き落とし先を探すため、残高証明書と同時に過去3年分の出金記録を取り寄せて、片っ端から潰していった

相続税算出に当たり、命日時点の残高が必要だったが最新の残高を調べてしまったので、残高証明書については二度手間になった

郵便受けの鍵が見つからず、鍵屋を読んで錠前を壊してもらう。現場で「身分証明書と、故人とのつながりがわかるものを見せて」と言われ焦る(叔母あての郵便物たまたま持っていたのでギリセーフ)。鍵は後日、初期のうちに確認した印鑑群の中から見つかった

・昔の人らしく「通帳ごとに印鑑を変える」で印鑑複数あったが、手元に残っていたどの通帳とも合致するものがなかった。まぁもう印鑑なくても手続き進められましたが…

・長年通っていたカルチャーセンター挨拶に行き、同窓会差し入れお菓子を持参し、8通ほど届いていた年賀状訃報を返信。これでひととおり周知は終了(スマホ個人情報で開けられず退会のみ。紙の連絡帳は残っていなかった)

~本人について~

・靴のかかとを踏んだまま歩き、加齢臭が漂っていて、身だしなみが整えられなくなっており、認知症の前段として「ものわすれ外来」へ誘導するなどしてみた。が、CTスキャンで異常が出ず長谷川式もクリア。そうなると「私はまだ大丈夫」とケアマネ等の地域医療に繋がってくれなかった。もし繋がっていれば「死後しばらくしてから発見」にはならなかったのでは

・母と叔母、姉妹で同じ養護老人ホームに入るべく下見をスタートした2週間後の急逝だった。何度も何度も入居を勧めたため、一度「私の友達で、そんなとこ入っている人ひとりもいない!」と返された。「その人たちもひとり暮らしなんですか?」と喉まで出かかってやめたが、今となっては言っておいた方が自分の気は済んだと思う。何かあった時のために管理人の連絡先を教えてくれ、合鍵をくれetc.、何を頼んでも一顧だにされなかった。靴は一緒に買いに行った

半年ほど前からスマホがみつからない、どこかで落とした」。しかし実際は家の中の目につくところにあったらしく、特殊清掃の人が内見後に「とりあえずお手元にあった方がいいと思って」と渡してくれた。既にスマホ認識できなくなっていたのだ

・もう1人の兄弟と不仲だったせいで、公正証書作成していた(兄弟遺留分請求できないので、そのガードのため)。これがあって、もろもろの手続き我が家で一手に引き受けられたのは幸いだったし、なければ「相続人全員の同意」が必要だったため、ものすごく時間がかかったと思われる(代襲相続含め、対象者はあと4人いた)

自分フィードバック

銀行年金生命保険etc.書類はすべてまとめて1つのカバンに入れる。エンディングノートも書いた。サブスク関連もまとめて記入

銀行口座は2つに、生命保険は1つに絞った。印鑑も1つに。解約した銀行保険書類は捨てた

・家に入ってすぐの引き出しに現金10万円を入れた封筒を準備。家の鍵の予備、宅配ロッカー共通キーも封入し、封筒には郵便受けの開け方(右に2回、左に1回まわす的なやつ)を書いた

独身自分もこうなる可能性があるので、後に残る人が困らないようにせねばと強く思った。以上、お読みいただきありがとうございました。

Permalink |記事への反応(1) | 16:39

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2025-08-10

中学生時代の思い出

皆さんは中学生時代の思い出とはどのようなものだろうか。

学校行事友情恋愛勉強

私は「部活動である

思い出のほとんどが、それに関してのみ。

その他の行事等もすべてこの「部活動」が絡んでいる。

約四半世紀前のことであるが、暇なのでいろいろ綴っていこうと思う。

小学生から中学生

小学生の時に抱いていた中学校中学生イメージは、

大人(っぽい)」 「制服」 「青春」 「怖い先輩がいる(いそう)」

給食ではなくなる」 「定期テストがある」 「授業に英語が加わる」など。

小学生の延長ではあるけれど、子供から大人へ近づく段階として

非常に大きな、そして大切なステップのように感じていた。

私はその地域の8~9割の生徒がそうしていたように、

小学校のすぐ近くの「S中学校」へ進学した。

このS中学校へは「C小学校」と「H小学校」の2校から進学していた。

中学校生活のはじまり

どのような経緯であったかはよく覚えていないが、私はソフトボール部に入部した。

小学生の頃に母親ママさんバレーソフトボール版のようなことをしていたため、

他のスポーツに比べて少しだけ身近に感じていたところはあった。

別にスポーツに取り組みたかったわけではないし、他にも運動部はあったのに。

文化部だったり、帰宅部だったり、他にも選択肢はあったのに。

子供会の延長のような感じで、友人と、じゃあ…入る?みたいな、軽いノリだったと思う。

その友人の母親ママさんバレーソフトボール版のようなことをしており、交流があった。

集まった同学年の女子の「C小学校出身者」と「H小学校出身者」の比率は半々くらい。

出身小学校に関わらず徐々に打ち解け、チームメイトとなっていく。

入部したのは10名くらいであったが(最終的には7名になった)、1名を除き、未経験者だったと思う。

その1名は、小学生の頃に女子でありながら地域野球チームのようなものに加入しており、

ソフトボールもかじったことがあったようだ。

私はグローブバットも使ったことがなく、ルールポジションも知らないド素人であったが、

顧問先生や1学年上の先輩方に丁寧に指導してもらいながら基礎を身につけていった。

先輩方は当時8名であり、先輩方に同学年の経験者のチームメイトを加えた9名がレギュラーであった。

1学年上というだけでこのようにあまりにも違うのかというほど、皆、女子としても、プレイヤーとしてもかっこよかった。

端的に言えば、容姿に恵まれており、輝いて見えた。

以下は、1日のおよそのスケジュールである

5時頃:起床

6時頃:学校へ到着

6時半~8時頃:朝練

休み:昼連

放課後~19時頃:通常の練習

20時頃:帰宅

季節によって変動するが、テスト期間以外は概ね上記の通り。

はっきり言って現在会社員としての就業よりも過酷生活であった。

まるで部活本業学業副業のようである

週末も練習練習試合の連続であり、休日にゆっくり休んだ記憶ほとんどない。

中学生の途中で週休2日制が施行されたが、土日のどちらも遠征して練習試合だったこともある。

小学生の頃は太り気味であったが、みるみるうちに瘦せていき、生活習慣も体も運動部に馴染んでいった。

また当時は日焼け紫外線対策を碌にしておらず、本格的な夏が来る前には焼けていた。

しかし私はあまり熱心な部員ではなかった。

元来の性格のためか、取り巻く環境が原因かは定かではないが、ものぐさであり、いつ頃からか内心嫌々取り組んでいた。

ただ時間まで何となくやり過ごす日々の繰り返しであり、自分意志部活選択したのに、なんとも情けなかった。

単純に根性がないのである

特殊環境かつ人数もさほど多くなかったため、チームメイト達とは距離が近く、関係性もおおむね良好であった。

数少ない余暇時間も共に過ごし、よく愚痴をこぼしていたが、私とは違い、皆名プレーヤーだった。

皆と同じように教わっていたはずだが、基礎が身に付く以前からそもそも運動音痴センスがなかった。

バッティング守備も、感覚が掴めずに勘に頼っていた。

一時期、伸びたと褒められた時期もあるにはあったが、全体的にパッとしなかった。

私は根性なしのうえスキルもない、だたのポンコツ部員だったのだ。

しかチームメイトは除け者にせず、一部員として好意的に接してくれていたので感謝している。

顧問先生

顧問先生男性)は当時、現在の私と同じくらいの40前くらいだったと記憶している。

とにかく熱血で、良く言えば指導熱心、悪く言えばスポーツ○カのような人だった。

何代か上の世代は市だか県だかのそこそこ上位まで登り詰め、

『S中と言えばソフトボール部』などと言わわたとか言われていないとか。

指導者としてもプレイヤーとしても、その腕前はピカイチであり、

どのポジションでも何でもござれのオールラウンドプレーヤー

当時、抜群のプレーに皆が魅了されていた。

基本的に昼休み以外の練習に同行しており、非常に勤務時間が長かったと想像されるが、

なぜ顧問というだけで部活動にあれほど時間を割いて打ち込んでいたのか謎である

やはり熱心だったのだろう。

しかし、そのような熱血顧問にありがち(!?)で、当時ビンタされる機会も少なくなかった。

その痛みは頬のみならず顔全体の感覚がなくなるほどであり、口の中を切ることもあった。

特段、感情的な人ではなかったと思うが、指導として叱責される機会が多く、基本的には畏怖の存在であった。

何故あれほどまでに時間情熱を注ぐことができたのか、

またどのようなトレーニングを積み重ねてスキル習得したのか、

大人になった今、問うてみたい気もする。

●先輩方

先輩方のことは、女子としても、プレイヤーとしてもかっこよかったと表現したが、

皆それぞれその年代女子特有の気難しさも持ち合わせていた。

部活外の時間に校舎内で顔を合わせた場合、後輩からこんにちは」等の挨拶をするが、

ほとんどの場合にっこりと朗らかにこんにちは」と返答されるため、こちらも非常に嬉しい気持ちになった。

同行していた別の部の友人からは「すごく優しそうな先輩だね」等と言われたものだ。

しか部活時間になればたいていピリピリしており、部活外の時間のような微笑みは基本的に皆無。

穏やかな時もあれば、感情的振る舞うことも多く、鬱憤が溜まっていった。

うちの部は、私の2つ上の学年(3年生)が不在だった。

夏頃までは3年生が在籍しているのが一般的であるが、うちの部は2年生が天下。

この状況に気が付いたときには絶望したものである

その日の機嫌次第でぞんざいに扱われることもしばしばあった。

はっきりといじめしごきのような、直接的に個人攻撃することはなかったと記憶しているが、

端的に言うと「1年は使えない」と言った感じだ。

空気を読むことが苦手で気も効かない私は、適切な対応がわから謝罪連続であった。

表面上は敬うフリをしていたが、内心はうんざりしていた。

「先輩ってどんなことで怒るんですか?」とすっとぼけ質問をして、

「それは聞くことじゃないよ」と呆れられたこともある。

私は当時人気を博していた某アイドルグループファンであり、

別の部の友人とコンサートに行く約束をしていたが、正直に理由を告げて練習休みたい旨を伝えると、

先輩達は「コンサートってありえなくない?私も○○のコンサートに行きたかったのに」と陰になっていない陰口を言っていた。

(先輩は別のアーティストを指しており、私が行くコンサートに先輩が落選したためやっかんでいたというわけではない)

聞こえよがしの陰口を察した私は、「すみません…もうコンサートに行きません。練習に出ます。」と申告したが、

「いいよいいよ、行ってきなよ、楽しんできてね」とのたまった。

言葉に甘えて(?)私は堂々とコンサートに行き全力で楽しんだ。今でもそのコンサートは思い出深い。

ポンコツでありながら無遠慮な図々しさと、聞こえよがしの文句記憶している執念深さを持ち合わせているのだ。

中には親類の葬儀関連や帰省理由であってもチクチク言われていたチームメイトもいる。

それはそれでさらに納得のいかないものだっただろうと思う。

その他、記憶している上下関係ルール等。

・先輩が荷物を持っていたら代わりに持つ

キャッチボールは先輩のグローブを持って相手をしていただくようお願いする

キャッチボール中に先輩がボール捕れなかったら走って捕りに行く(こちらの暴投が原因)

・先輩が座ったことを確認してから座る

・先輩が水分補給したこと確認してから水分補給する

・先輩がお土産差し入れ等を先に選ぶ

・先輩は体操着の袖を捲ってもよいが、後輩は不可

・各々の家を把握し、同じ方向の人と下校する

年賀状を交換する

バレンタインデー手作りチョコを交換する

その他、部特有ルール等。

部活中、校庭は歩かない

・校庭にボールが落ちていた場合仕舞い忘れ)、ペナルティで1球につき校庭10

・授業中に寝た場合ペナルティで校庭10

学生カバンの装飾不可(キーホルダー等)

・整髪剤、制汗剤の利用不可

・全校朝礼の設営準備や後片付け、撤去等を行う

運動会文化祭の設営準備や後片付け、撤去等を行う

運動会女子では最も過酷な800m走の選手となる

・校舎内の部屋の引っ越しを手伝う

・校舎裏の泥やヘドロを取り除く

試験勉強および受験勉強は同じ教室で皆で行う

一般的運動部として当然なルールもあったが、当時も今も「?」と感じることもある。

幼少期の他に、この部活で培った様々な経験も、人格形成に大きく影響を与えたと思う。良くも悪くも…

他の部の友人たちは、うちの部ほど過酷ではなかったと想像する。実際は不明だが、おそらく。

先輩と談笑したり遊びに行ってプリクラを撮ったりしている様子は信じらない、うちの部ではありえないと当時思っていた。

部活という特殊環境で、人間関係を築く上で大切なことを学んだ。

他人に決して心を許してはならない、油断してはならない。

今でもたまに当時の部活の夢を見る。

一体いつになったら、この悪夢から解放されるのだろうか。

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2025-08-06

和暦とかもう趣味でやってくれ

ちょっと用事があって役所に行ったんだけど、和暦ね。ほんとにうざい。

「令和〇年」なんて、もはや役所しか使わない。

提出書類とか申請書の「年」の欄、毎回いったん西暦から変換する手間がある。たいてい西暦で書いても通じるけど、機嫌悪そうな窓口だと「和暦でお願いします」とか言われたりするから面倒。DX推進とか言うなら、まずそこから変えようよって思う。

和暦を使いたい人は趣味でやってくれ。個人日記とか、カレンダーとか、年賀状とか、そういう場でなら全然好きにしていい。でも役所書類西暦統一してほしい。情報共通化ってそういうことでしょ。

Permalink |記事への反応(0) | 01:45

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2025-07-07

誕生日なんか大嫌い

今日は素敵な誕生日

七夕誕生日

人に覚えてもらいやす誕生日

自分誕生日を覚えてくれてる人の誕生日を忘れてしまって気まずい思いをする。

から誕生日を祝い合うというのが苦手だ。祝ってもらったんだからこちらも祝わなくちゃ。そう義務感を感じることが嫌だ。「年賀状の嫌さ部分」にも通じるものがある。加えて、そう思う自分はなんて器の小さい人間なんだ、と感じることもセットで付いてくるから誕生日」が近づくとなんだかモヤモヤしてしまう。

できれば、なんとなく忘れられて誕生日を過ごしたい。なぜ自分はこんなにもひねくれているんだろう。もう人生も折り返しの年齢なので、自分性質については、しょうがねぇよなぁ、と割り切ってはいるが、記念日をまっすぐに喜べる人間を見ると、少し嫉妬してしまう。

いや、私も誕生日のものにワクワクする気持ちはあるのだ。たださっきも言ったような、誕生日にまつわることが不器用だったりする自分を受け止めきれていないかモヤモヤしてしまうんだと思う。

超絶身近な人、本当に気を使わない家族に祝われるのはすごく嬉しいし有り難いとまで思う。

もう一つ、文章にするのも勇気がいるが書いてみよう。毎年、微妙距離感の親戚に、お祝いメールをもらう。でも私からはお祝いメールしたことがない。毎年毎年でっかい罪悪感を持つ。お祝いメールをもらうごとに「不義理」を再確認させられくらってしまう。もうケチョンケチョンに。

すんませんすんません、ほんとに、こんな人間で、すんません…。ゆるしてーやー!!!!!

不義理って!!!

悪いことなんすか???

逆ギレである

私が車寅次郎なら許されるんだろうか?などと飛躍する。

あー、とりあえず、誕生日当日を無事にやり過ごそう。

まだあと半日ある。

ケーキは買おうかなと思っている。

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2025-06-28

anond:20250627171834

そうなんだよね。びっくりしたあと、そう思った。

年賀状すら出さないんじゃ。

Permalink |記事への反応(0) | 11:05

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2025-06-25

anond:20250625162858

年賀状バイトの話と全然違うじゃん

Permalink |記事への反応(0) | 16:36

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高校生バイトってどうなんだ?

どう考えてもバイトから得られるものなんてないし

シンプル勉強やらスポーツしとけって話だと思うんだが

けど、金が欲しいってのはあるだろうから

今もあるのか知らんけど、昔郵便局年賀状バイトあったやん?

あれみたいな期間限定バイトを増やして、やらせとけばいいんじゃないか?

Permalink |記事への反応(2) | 16:20

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2025-06-24

anond:20250623203840

似たような友達がいる。

年賀状だけは続いていたのに

それもやめると言われ、連絡してもあまり良い返事が返ってこなくて

少しずつ遠ざかって行こうとしてると感じる。他の友たちに対しても同じらしい。

本人曰く、電話したり返事をうまく返せないのがしんどいらしい。

このまま疎遠になってしまうのかと思うと寂しいけど

どうしたら良いのかわからない。

Permalink |記事への反応(0) | 00:21

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2025-06-20

まーたなろうコミカライズ信用損ない連載終了か。

雑誌の表紙に使用されたイラストアスペクト比の誤り

掲載時の見開きの左右のズレや業務上の不備

編プロ経由で「これ以上の修正は難しい」と伝えたにも関わらず、原作にないエピソードの追加や大幅修正の依頼を強制と受け取れるような形で行った

>過剰な修正依頼を行った元担当者作画担当年賀状を送ってしまった(住所バレ)

>度重なる問題によって作画担当の信頼を損ない、執筆継続が困難になった

 

やっぱ週末は不祥事発表のバーゲンセールや!

Permalink |記事への反応(1) | 15:18

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2025-06-16

描くこと

子供の頃の話。

私は絵を描くのが好きで、新聞の折り込み広告の裏に印刷がないものを探しては絵を描いていた。ツルツルとした紙は鉛筆のノリが悪くて、ざらざらした紙の方が好きだった。

親は漫画を買ってくれなかったので、漫画単行本友達から借りて真似て描いたりした。



私の家はとあるカルト宗教に属していた。両親は比較的熱心な信者で、毎週の集まりのほかにも、大きなイベントの類には家族揃ってよく参加した。

ある時の大きめの集会の終盤、教祖の娘と孫がゲストとして参加して紹介された。

コンサートホールの壇上に、2人の少年が不遜な態度で座っている。

司会の男は“お孫様”を恭しく紹介し、プロジェクターに映し出された彼らが描いた絵の素晴らしさを熱く語った。

プールプールサイドに置かれた椅子油絵が映され、色使いがどうとか、魅力的だとか、そんなことを言っていた気がする。司会の男だって芸術に明るいわけではないだろう。それでも、芸術の才能を確信したような物言いだった。

椅子の座面と足の関係がよくある間違いで描かれていた。狙ってこう描いている可能性もゼロではないが、初学者があえてすることはないだろう。油絵の具で描かれた子供っぽい絵だ思った。

大人たちは“お孫様”を手放しで賞賛した。

帰りの車の中で父は「お前もああいう絵を描けばいいのに」と言った。私はなんと返事をしたかは覚えていない。

心の内を正直に話せば怒られることぐらいは分かっていた。

だって、道具と材料があれば、あれぐらいのものはきっと描ける。

たまたま油絵が描ける環境に生まれて、評価の機会があっただけ。

その幸運の中にありながらあの態度はなんだ。大勢の前で紹介してもらいながら、ニコリともせず椅子に座り、挨拶ひとつもなかった。

腹立たしくて、悔しかった。


中学高校美術部に入った。

中学イラスト部と言った雰囲気で定期的に作品を持ち寄り部誌を作った。

高校顧問美術教師油絵が専門だったのでみんな油絵を描いた。高文祭出展するため、50号の作品を作った。イーゼルに立てると自分の背丈ほどになる大きさだ。

油絵は絵の具を油で溶かし、塗り重ねていく。油絵の具はなかなか乾かない。顧問はいろんな色で塗り重ねた方表情が出るから繰り返し描けと言った。何日も何日もかけて描く。描きながらいろんなことを考えた。進路のこと、友達のこと、好きな人のこと、親のこと。

油絵の描き方を親に説明した時、父親は「お前は何度も描き直すから、お前に合った描き方だね」と言った。家で絵を描いた後、机に消しゴムカスが残っているといつも言われた。私は絵のことについて両親に何の理解も期待していなかったので、何も言わなかった。

高校から何点か選考に出し、私の描いたものが県代表の一つに選ばれた。

高文祭の会場にはたくさんの作品が展示されていて、みんな上手だと思った。

高文祭後の市の展覧会で、同じ作品を出した。そこの絵もみんな上手だと思った。展覧会に参加した国語教師が「一緒に見に行った娘が、あなた作品が一番良かったと言っていたよ」と教えてくれた。


絵を描くことを職業にしたいと思ったこともあったが、親はあまりいい顔をしなかったし、自分にそこまでも実力はないだろうとは思っていた。学費の面から芸術系の大学に行く選択肢は初めからなかった。

そこそこ頭のいい医療系の学校に受かって、両親はとても喜んだ。

卒業して自宅から遠方に就職し、寮に入って実家宗教から距離をとった。もうずいぶん両親とは会っていない。

絵は時々描いている。紙とペンがあればできるささやかな娯楽だ。

iPadでも描いたりするが、アプリが難しく思ったようには描けない。

もっと絵が上手くなりたいと思う。


今思い返せば、お孫様の絵を見た時の私の感情子供嫉妬だし、彼らの壇上での態度も理解できなくもない。

彼らが宗教信仰していなかった可能性もあるし、出たくもない場所に引っ張り出されて、外国語で何やら男が話している。(教祖外国人日本語は堪能だったが、彼の子や孫はその限りではなかった。)自分の描いた絵をそのつもりがない時に人に見せられ、勝手にあれやこれや言われるというのは、たとえ賞賛でも嫌な気分になることはある。すべて想像だけれど。



ある時友人の小学生の子供と一緒に絵を描いて遊んだら、私の絵をとても上手だと褒めてくれた。それからときどき一緒に絵を描いている。

お絵かき勝負しよう」と言われたので「勝負はやだな。好きに描いて見せっこしよう」と言った。

今年の年賀状は友人とは別にの子名前ももらったので、干支にちなんだポケモンの絵を描いて送った。とても喜んでいたらしい。

私程度の画力の人なんて掃いて捨てるほどいる、と思う。それでも子供の素直な羨望の眼差しはあまりにも眩しい。


SNSに溢れる作品も、目に留まるのは数秒でも作者はその何倍も時間をかけて作品を作り上げている。

つの作品を完成させてそれを世に出すということは、経験がない人の想像以上に精神力がいることだと私は思っている。少なくとも私のような凡人にはそうだ。

世に出された作品はすべて尊敬に値する。

彼は今も絵を描いているのだろうか。

ふと昔のことを思い出しので、書き散らす。

Permalink |記事への反応(2) | 20:12

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2025-06-13

お前ら上司の住所知ってる?

知らんだろ?もし理不尽パワハラされて仕返ししたいってとき住所さえわかれば、いつでもいけるのに

住所知らなかったら行けないだろ

暑中見舞い年賀状文化が廃れたのはそういう逆恨みの経路を断つための陰謀なんだよ

Permalink |記事への反応(1) | 00:10

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2025-06-09

挨拶文化に対するブコメ保守的すぎてビビった

実際なかったからどうだというんだ?

現にChatGPTに「ありがとう」と言うと余計なコストがかかるという記事もある。

これからビジネスAIが入ってくれば来るほど挨拶不要文化になっていくだろう

上下関係においては、上の立場人間挨拶をしなくても許される傾向にあるが下っ端はそうはいかない。

商売においては客は挨拶をしなくてもいいが、店員はそうはいかない

結局は上の立場人間気持ちよくなれるかどうかであり、挨拶もできないやつは仕事もできないコミュニケーションも取れるはずがないという理屈詭弁しかない。

しかもこれに関してはやったから加点されるのではなく、やらないと減点される方式からタチが悪い。

自分挨拶はなるべくするようにしてるが、それは「そういう文化から」してるに過ぎない。

日々の挨拶動物もやっていることだからわからんでもないが、年末年始挨拶とかほんとに時間無駄だろ

実際年賀状はやらなくなった企業が増えているし、引っ越し挨拶なんかもいわゆる「ご近所づきあい」が発生する地域で仕方なくやってる人たちがほとんどだろ

LINESlackのようなチャットツールの普及でクソ丁寧な文章はどんどん簡素化してっている

挨拶にかけるコストはどんどん減っていっているんだよ

コミュニケーションが減った今だからこそ大切にしたいあいさつ」みたいな記事が出てくる日も近いんだろうな

あー早くAIロボットもっと人間社会に深く関わってくる世界にならないか

Permalink |記事への反応(0) | 10:28

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2025-06-07

anond:20250607223200

毎年年賀状くれる旧友が年賀ハガキ手書きで書いてくるぞ

こっちは返事出してないのに

Permalink |記事への反応(0) | 22:38

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2025-06-01

陽キャの嫁がきた

我が一族陽キャの嫁がきた。

人との垣根が異様に低く、旅先で知り合ったご夫婦と仲良くなってお家に泊めてもらったりする。ホームパーティーやお呼ばれも大好きで、ひとなつっこくて、可愛くて、しかも頭の回転も早い。

こんないい子が、陰キャ趣味なし童貞(だった)弟のところに嫁いできたのだ。

本当に申し分ない素敵な女性なのだが、残念なことに我が一族は全員陰キャなのである。人付き合いが苦手で、友達はたいてい地元の幼馴染か、1人もいないレベル。家ではそれぞれが本読んでるか、ネットしてるか、うすらぼんやりしている。

母親から「お嫁さんが、ひとりでふらっと家にやってきて、おしゃべりしてご飯食べて帰っていくのよ。嫁と姑なのになんで??」と泣きの電話がかかってくる。母は年賀状すら返さないほどの人付き合い不精で、たっぷりの本さえあればいいタイプのひとだ。

近隣県に嫁いでいる私のとこにも、ヤッホーと友達に会いにくるノリで遊びにくる。私なんて10歳以上年上の小姑よ?距離とりたくないの?会って楽しいの?ちなみに私は日曜日の夜に、増田書き込みしてるような人間だ。

こんな感じで、陰キャ一族にグイグイくるので、一族みんなの動揺がすごい。なんというか部族が違うというか、お嫁さんのはなつ明るい光が眩しすぎて、一族全員蒸発して消えそうです。

Permalink |記事への反応(0) | 20:17

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2025-05-25

手紙

 レジ会計をしていたら隣に居た老人が店員に「手紙を落としたんです。大事手紙を」と尋ねていた。もしかしたら私はいま素敵なストーリーの渦中に居るのかもしれない。

 それにしても手紙手紙か。もう随分と書いていないし貰ってもいない。近いもので言うと暑中見舞い年賀状なんかも書かなくなった。書かなくなった当時は「LINEとかTwitterで言えばいいでしょ」くらいに思っていたが、ついぞSNSでも特別言わなくなってしまった。SNSは気軽な分だけ希薄でもある。「いつでも言える」は「いつになっても言わない」のだ。

 そう思うと書いた方が良いのかな、手紙、久々に書いてみようかな。でも改めると手紙ってSNSと違って真面目なことしか書こうと思わないかも。便箋を広げて、ペンを手に取って、丁寧にそれを滑らせ、便箋を綴じる。住所や宛先を書いたあとに郵便局ポストなんかに投函しに行く。ここまでの工程を踏まえて書いた暑中見舞いの書き出しが「グェーっ、暑いンゴ」とかだったら流石にやり切れない。

 手順を踏む数が多いほど真面目なことを書かないと割に合わないのだろう。適当なことばかり考えている私に手紙は向いてないんだろうな。辞めよう。

 ちなみに冒頭の老人が捜していた手紙の正体はどうやら督促状だったらしい。なんだそれ。

Permalink |記事への反応(0) | 13:55

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2025-05-24

anond:20250524183808

郵便国営時代から年賀状ノルマあったんじゃなかったっけ?

Permalink |記事への反応(0) | 18:39

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2025-05-17

友達がいなくなってしまった

友達がいない

一人もいない

学生時代は数人ずつはいたけど、中学高校大学と箱が変わる度に前の箱での友達と連絡を取らなくなる

連絡が来ても二往復くらいで嫌になり打ち切る、自分から連絡を取らない、誘われても行かない、年賀状を返さな

今目の前にいる数人にしか関心を払えない

そんなことをしていたら働きだしてから友達がいなくなってしまった

就活が難航してやっと掴めた営業職の内定に、全く向いてないのにしがみついてしまったのも良くなかったと今では思う

目の前の数人にしか関心を払えない人間営業なんてやったら、担当客だけで対人エネルギー使い切るのなんて当然で

結果、友人知人と関係構築・維持するコストを全く払わず友達から見捨てられ結婚の報告すら貰えずSNSで事後に知り職場でもボッチという、人間関係ゼロ人類誕生してしまった

悲しい

でもじゃあ友達欲しいのかと言われたらよく分からない

愚痴とか面倒な話は聞きたくない、自分は関心のない相手の行きたいところについて行くのもダルい自分の今やりたいことを邪魔されたくない

もし親密に付き合うなら、自分の話したい時にだけ話して、やりたいことに付き合ってくれて、全部こっちの都合に合わせてくれる人がいい

そんなやついるわけないだろ

なので友達がいなくなったのは至極当然であり、むしろ友達を作らないほうがいいまである

悲しいのは何もない一人ぼっち人間になってしまたことよりも、友達だった人に見限られてしまたことと、誰から友達になってもらえないような人間になってしまたことなんだと思う

まあ友達を作る努力もしていないからこれも当然

から出た錆まみれ

職場で話を振ってもらっても何も浮かば曖昧な返事をするか、的外れなことを言うかだから

でも学生時代は一応常につるむ奴がいたってことは、それなりにコミュニケーション取れてたはずなんだけど、今やもうどうやってたのか分からない

とりあえず宝くじ当たって仕事辞めて、毎日のんびり漫画読んでゲームする生活したい

Permalink |記事への反応(2) | 01:09

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2025-05-08

anond:20250508154415

年末正月郵便局年賀状配達バイトをして、バイト終わったその日の帰りにGEOで買ったなぁ・・・

汗まみれでボロボロだったけどワクワクして買った思い出

Permalink |記事への反応(0) | 15:46

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もらった年賀状シュレッダーかけていいでしょ?

もらったらちゃんスキャンしてクラウドPDFファイルとして保管してるからな俺は

そもそも年代年賀状をやりとりする文化はないし、もらって嬉しい年賀状なんてもはやもうないし……

Permalink |記事への反応(2) | 14:36

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次に狂うマンガ大賞2025!

投票お願いします!バカ年賀状だって寒中見舞いだってさない! そうです、わたしたちバカです。今日、俺はアパレル作業服ワンピを完全に着崩していた。なぜかと言うと、大学に行ったのと就職したのとでスーツスタイルがガラッと変わってしまうのがしんどくなって、それを隠すためだ。それで2着着た。1着はちょうど去年の冬のものである

AnondAI作成

Permalink |記事への反応(1) | 12:32

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2025-03-24

anond:20250324091606

それについては「本当にやりたいことかどうか」が問題と考えれば矛盾はないんじゃないかな。

人付き合いとして止む無く年賀状お歳暮を贈る必要がある、という図式が嫌なだけで

万人全てが贈り物を一切しないわけではないだろう。

しろスパチャなどを贈り物の一形態と考えれば他人に贈り物をする人は増えていると考えることもできる。

特にこれについては、物質的な見返りは一切ない。それでも贈り物をするのは、その人にとって

配信などに価値を感じているということ。

以前は「社会的な見栄」「人付き合い」といった見えない価値に渋々贈り物という形をとらせていたが

近所付き合いや企業内での関係性が希薄になる中で、自分の中に持つ価値を優先する人が増えてきた。

それ自体特に悪い事ではないが、無駄によって生まれてきたトータルでの利益一極集中させることになっている。

無駄を減らすというのは個人で見ればプラスになるが、社会全体で見れば経済活動の縮小に他ならないからな

これは相互干渉するものであり、経済活動が縮小したか支出を減らさなければならないという動機でもあるが。

いずれにしても増田の言う「ギブアンドテイク」、つまり互恵関係の減少は活動動機の減少と同義であり

個人的な関係性だけでなく社会活動全体の流動性にも影響がある

古代の邑が邦となり関りが増えることで発展したように、関係性による効果を軽視する人間が増えることは

同一文化を持つ国内において衰退を招くことは留意したい

Permalink |記事への反応(0) | 10:25

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anond:20250324090824

でもお中元お歳暮は嫌だし年賀状もそろそろやめにしたいわけでしょ

Permalink |記事への反応(1) | 09:16

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anond:20250323232649

結局、人を動かすのは情なので、日頃から世話になってたり、良くしてもらってる人の頼みなら、

いっちょ頑張るかってなるってことなんだよね。

ぶっちゃけ困ってる人を助けるくらいの、軽いギブなら、いくらでもギブしてればいいと思うし、

その程度なら他人もギブしてくれるでしょう。

社会全体がうまく回るための、暗黙のギブアンドテイクは、気にしなくても大丈夫

問題は、自分個人特別にギブされたときどうするかです。

プレゼント年賀状とかはもらったら同等のお返しをしないと、1度きりで終わってしまう。

同等のお返しが難しいものは、してもらった時にお礼をいい、次に会ったとき再度お礼をいう。

こうすることで、すぐにはお返しはできないけれど、あなたのギブはちゃんと受け取ってますよ。と相手に印象づけられる。

Permalink |記事への反応(0) | 01:24

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2025-03-18

追記あり自己紹介でいちいち年収アピールする増田ってなんなの?

うんこもらしたとか尻が痒いとかその程度の報告のために年収いくらですなんて言う意味ある?

リアル日常会話で「年収いくらです(キリッ

なんていきなり言い出すやついる?

追記

年収なんかいちいちどうでもいいから、今度から↓のどれかにしてくれ!いくらいくらってうぜえんだよ!

チ●コの長さ

ブラのサイズ

靴のサイズ

座高

今までにコロした人間の数

生えてる歯の本数

今年もらった年賀状の枚数

スポーツテストの点数

今日ほじった鼻くその数

 

 

何がリアルネットは違う(キリッ だ!

「僕ちゃんは僕ちゃん年収言いたくてたまらなくてうずうずしてまーす!お願いお願い僕の年収言わせて言わせてー♥」って叫んでるようにしか見えんぞ!

Permalink |記事への反応(3) | 13:56

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