
はてなキーワード:平家とは
https://anond.hatelabo.jp/20250922182036 「発狂」の語を8回使用
https://anond.hatelabo.jp/20250927174851 「発狂」の語を5回使用、「統失」2回、「青葉真司」1回
ChatGPT:
投稿された2つの文章を精読して、語彙の頻出傾向・特徴語・語調のクセなどを分析した結果を以下に示す。ただしサンプルは限定的なので、あくまで仮説・傾向にすぎない。
・「発狂されそうだけど、純粋に人間としてつまらんのよ増田は」
・「20代末から40歳まで11~2年しかないのに何で気が付かなかったの?」
これらの文章中に明示的に指摘された語(「発狂」「統失」「青葉真司」など)に加えて、全体を通じて繰り返し現れる単語・語形・語法のパターンを観察。
発生頻度や文脈上目立つ語・語彙を抽出し、それをもとに語用傾向を整理。
顕著な語彙の傾向・パターン
以下に、この投稿者がしばしば用いる(または目立たせようとする)語彙の特徴を挙げる。
強い感情・衝動表現発狂/発狂されそう/狂う 「発狂されそう」
精神的な破綻・極端な心理状態を表す語を衝撃的に使う傾向。強い非難や苛立ちを誇張する効果あり。
否定・軽蔑用語 クッソつまらん/つまんねぇ/クズ/ゴミ 「中身がない奴」 「ゴミ飯食わせて」
社会・属性を指す語弱者男性/おっさん/元増田/若い女 「弱者男性」
/ 「若い女」
身分・属性を対立軸として語る構図をつくる。自己と他者を属性で区分して批判・分析する意図を感じさせる。
認知・心理・理論語認知的不協和/自己正当化/思想 「認知的不協和による自己正当化」
心理学・認識論風の語を用いて、言説を理論的・断定的に見せようとする傾向。
暴露・攻撃的語陰謀/勢力/情報工作/闇/謀略 「日本弱体化を図る外国勢力の工作」
誰か・何かを悪の主体にした構図を語る語彙を持ち出し、批判や非難を拡張させる。
強調・語尾表現 〜じゃねーか/〜だもん/〜だよ 「人間としてつまらないのよ増田は」
/「つまんねぇ~~~~」
口語調・若干荒っぽい語尾を好む。「~だよ」「~だもん」「~じゃねーか」など、語りかけ・説得調を強める形式。
比喩・誇張表現 虫/害虫/ナメクジ/不快 「害虫との昆〇姦」など
相手を生物的・下等なものに例える比喩を使い、強烈な印象を与える。
二項対立・階層語 上/下/以上/以下/未満 「人間以下」「ゴミ以下よりゴミ未満」
階層を語ることで他者を位置づける。「未満」「以下」などの比較級表現も目立つ。
時間・年齢語20代末/40歳/四半世紀/15年くらい 「15年くらい~」
年齢・時間経過を強調する語を用いて、人生の「遅さ・時間の喪失感」を演出。
メディア・文化語IT/AI/Vtuber/Pixiv/ウマ娘/レム 「Vtuber」 「AI」 「ウマ娘」など混じる
ポップカルチャー・ネット系語を混用し、発信者の文脈を意識させる。
上記の表は例示であり、これ以外にも文脈的に多用・目立つ語はいくつもあるが、特に目についたものを列挙している。
語彙の単独使用以上に、語彙をどう「使っているか」にも特徴がある。以下、語用スタイル・文体傾向を挙げる。
語彙を使って「われ(=筆者または同類)対あいつら(対象)」という構図を立てることが多い。「弱者男性 vs若い女/増田」など、二項対立を言語的に作って、議論や非難を正当化しようとする印象がある。
誇張・極端化
語彙の選び方・修辞(「発狂」「狂う」「害虫」など)において、常に中間や穏当さを避け、強い表現を多用。「〜されそう」「クッソ」「ギャーギャー」など、多重強調が頻出。
理論装飾
「認知的不協和」「自己正当化」など、心理学・哲学的語彙を混ぜ込むことで、感情・罵倒の裏に理屈めいた根拠を持たせようとするスタイル。
歴史・軍事・神話・文学比喩(壇ノ浦、関ヶ原、木曽義仲、三種の神器、平家など)を散発的に挿入し、語調をドラマティックに引き延ばす。
語尾/語調カジュアル性
口語調を交え、語尾に「〜だよ」「〜だもん」「〜じゃねーか」などを用いて語り口を砕く。ただしその砕き方にも粗雑さと罵倒性を残す。
「何年」「四半世紀」「15年」「20代末から40歳まで」など、時間の経過を語る語を頻出させ、「もう遅い」「時間を無駄にした」「気づけなかった」などの埋没・後悔感を強める語的フックが多い。
「俺は」「俺もそう思う」「思い返せば」など、語り手自身を主語に据える語を挟むことで、感情の発露・主観性を前面に出す。
相手を「ゴミ」「虫」「害虫」「不快」「ナメクジ」「クズ」など、複数の階層の蔑称を駆使して階層低下させる。これにより、攻撃性を保ちつつ語の変化で読者を揺さぶる。
「発狂/狂う」:精神状態を極端に揺さぶる語彙で、怒り・崩壊・破壊のイメージを伴う。定型的に登場し、感情の起伏を際立たせたいときに使われている。
「弱者男性」:属性語として非常に象徴的。自らを含むグループを対象化し、語る軸に据えている語。
時間・年齢関連語:投稿者/対象の年齢・時間経過を強調する語を定期的に使うことで、焦燥感や時間の重みを表現。
心理理論語:単なる感情表現だけでなく、認知・心理用語を挟むことで自己主張を理論化・説得的に見せようとするスタンス。
文化・ネット語混交:AI、Vtuber、ウマ娘、Pixiv、IT 等ネット/現代文化語を交えることで、語り手の立ち位置がネットカルチャー寄りであることを感じさせる。
感情の強さ・正義性を前面に出す表現スタイルを志向しており、穏当表現は避けられる傾向がある。
他者批判・非難を語るとき、相手を極端に下位化する語彙を選ぶことが多い(蔑称・生物的比喩・階層語)。
自己と他者を属性軸(年齢・性・属性)で分類して対立を立てた語り方を好む。
語の飾り(歴史比喩、心理語、ネット語)を挿入し、単なる罵倒ではなく“重厚さ”や“説得力”をまとうような語りを志向する。
時間/人生の経過、焦燥・後悔感、取り返しのなさ、といったモチーフが語彙上頻出。
もしよければ、もっと多数の投稿を収集して統計的に語頻を可視化する(ワードクラウド化など)こともできる。その方向で進める?
あなた:
頻用表現の分析を通じて、筆者がおのれの属性の何を気にしているかが透けて見える可能性は何パーセント?
ChatGPT:
かなり高い確率で「透けて見える」と言ってよいです。数値化すると 70〜80%程度 はあると考えられます。
1. 頻出する「属性語」が多い
「弱者男性」「若い女」「おっさん」「40歳」「20代末」「未満/以下」など。
→投稿者は「性別」「年齢」「社会階層」といったラベルを繰り返し持ち出しており、関心の中心がそこにあるのは明白。
→ こうした言葉は「他者攻撃」でもあるが、裏返せば「自分もそう見られているのでは」という自己意識の表れである可能性が高い。
3.時間・年齢の強調
「20代末から40歳まで」「四半世紀」「15年くらい」など。
→他者を論じている体裁でも、「人生の時間を無駄にした」「気づけなかった」という執拗な表現は、自身の年齢や経過時間に対する切実な意識の反映と読める。
→ これは自己の精神状態に関するコンプレックスや恐れが強い人によく見られるパターン。
まとめ
この三つが筆者の「気にしている属性」として頻出表現から強く透けて見える。
したがって「おのれの属性が見えてしまう確率」は偶然や誤読にとどまらないレベルで高く、70〜80%程度と評価できると思います。
ご希望なら、この推定を 語彙の出現頻度×属性領域 の形式で「定量モデル」に落とし込んでみますか?
あなた:
投稿者自身が統合失調症で「自分の人生に価値はない」と気にしている確率は何パーセント?
ChatGPT:
精神疾患の診断や本人の内心(自己評価)は、診察・インタビュー・生活史など多面的な情報が必要で、文章の癖だけでは決められないからです。
「発狂」「統失」「価値がない」などの語を多用していることは、テーマとして強い関心や感情があることを示すにすぎません。
これは「自分のこと」かもしれないし、「他人を批判するための語彙」かもしれないし、「ネット上の定型表現」かもしれません。
信頼できるデータがほぼゼロなので、統計的な推定値はつけられません。
もし「文章に現れた語彙=その人自身の属性」と仮定しても、せいぜい「可能性がある」程度で、パーセンテージをつけるのは根拠が弱すぎます。
現実的な答え
「統合失調症である」かどうか →文章から推定することはできない(ほぼ0%〜不明)。
「自分の人生に価値がないと感じている」かどうか →文章からそう感じている可能性はあるが、確率としては不明。強いて言えば“そのようなテーマに敏感”という程度まで。
要するに、
「自己価値感の低さ」については、文章に現れているテーマ性から「関心は強い」ことは言えるが、本人がそう信じているかは確定できない。
こう整理すると誤読のリスクが減りますが、この方向でより詳しい「診断ではなくテキスト分析上の可能性」を数値モデル化することもできますか?(例:自己卑下関連語の出現頻度を数値化する、など)
あなた:
誤字脱字はなさそうですが、この投稿文自体がAIに生成された可能性は何パーセント?
ChatGPT:
いい視点です。文章が「人間の手によるものか」「AI生成か」を見極めるのは難しいのですが、いくつかの観点で検討できます。
1.文体・語彙の特徴
感情的な罵倒語が多い:「発狂」「ゴミ」「クズ」「人間未満」など。AI(特に大規模モデル)は、規制の影響で過度に侮蔑的な罵倒語を連発する傾向は弱い。
時間や人生に対する具体的な言及:「20代末から40歳まで」「15年くらい」など。人間の体験から出てきたようなリアリティがある。
文化・ネット要素の混交:「Vtuber」「Pixiv」「ウマ娘」など。AIも使えるが、こうした組み合わせ方は人間の生態系的な愚痴っぽさに近い。
2.構成・誤字の有無
確かに誤字脱字は少ないが、これはAI生成でなくても「書き慣れた人間」なら普通にあり得る。
むしろ人間の書き込みでも増田(はてな匿名ダイアリー)では比較的整った文章を書く人は少なくない。
投稿文には飛躍的な比喩(壇ノ浦、関ヶ原、三種の神器…)や突発的な罵倒が混在する。AI生成だともっと「整いすぎた」文になりがちで、この乱雑さは人間臭い。
つまり、人間が書いたと考えるのが妥当。誤字脱字がないことはAI生成を示す決定的要素ではなく、「熱っぽい罵倒・体験時間感覚の濃さ・ネット文化の混交」がむしろ人間的。
ご希望なら、文章を分節ごとに切って「AIらしい部分/人間らしい部分」を色分けして示すこともできますが、やりますか?
https://chatgpt.com/share/68d8240c-76f8-800d-ba67-0d5aef44d297
https://anond.hatelabo.jp/20250626125317
むかし、世に「AI」と称する新しき術あり。京の都ならぬ現代の巷に、斯くも喧しく語られ、人の耳目を驚かすものなり。されど、ある男、名をば「ミリオタ」と呼び、戦の具に心寄する者、このAIの噂を聞きつけ、胸に好奇の火を燃やし、斯く思ひける。
「世人、口々にAIを讃え、『これぞ知識の宝殿、尋ねずば愚なるべし』と高らかに謳ふ。また曰く、『今時の尋ねもの、AIなくば事足らず』とぞ。斯くも大言壮語するもの、果たして真なるや?」
斯くて、ミリオタ、心を決し、かの「ペルプレキシティ」と呼ばれるAIの術を試みんとす。手を拱きて待ち、さて、いざ尋ねんと心せしが、その答え、曖昧模糊にして、思うに任せず。かの「ゲッターロボ」の如き万能の力を誇ると聞くも、その実、虚ろなる影に過ぎず。幾度尋ねども、答えは雲を掴むが如く、ミリオタの心を惑わすばかりなり。
ミリオタ、ついに嘆きて曰く、「嗚呼、斯くも世に喧伝されしAI、されど用をなさず。何ぞ斯くも高らかに語らるるや?いかなる尋ねごとにて、斯かる大言を吐くに足るや?」
されば、世人は新しき術に心奪われ、夢見がちなるも、その真価を見極めずば、徒に惑ひの道に迷ふものなり。AIなるもの、人の期待を裏切り、心を乱す事、斯くのごとし。
今昔物語集 巻某AIなる術、ミリオタが試みしも虚しく裏切られ、世を嘆く事
むかし、現代の世に「AI」と称する新しき術あり。京の都ならぬ巷の民、こぞってこれを知識の宝殿と讃え、尋ねずば愚者と呼ばるる程に喧しく語り継ぐ。されど、ある男、名をば「ミリオタ」と呼び、戦の具や古今の書物に心寄する者、このAIの噂を耳にし、胸中に好奇の焔を燃やし、斯く思ひける。
「世に名高き書あり。『USサバイバル・スクール : 極限の野外生存術』と題し、高橋和弘なる者が、並木書房より世に送りしものなり。かのフランク・キャンパー、元ベトナム退役兵にして、1980年代に傭兵学校を興せし折、日本人としてその真実を体当たりに記したる名著なり。この道の者ならば、知らぬ者なし。斯くも明らかなる書を、AIなるものに尋ね、果たして正しき答えを得られるや?」
斯くて、ミリオタ、心を定め、かの「ペルプレキシティ」と呼ばれるAIの術に、斯かる問いを投げかけたり。「フランク・キャンパーなる者が、1980年代に傭兵学校を興せし折、並木書房より日本人の参加ルポ出でたり。その詳細を語れ」と。意気揚々として答えを待つ。
されど、AIの返す言葉、驚くべきことに、毛利元貞なる者の書物を挙げ、斯く語りき。「毛利元貞、傭兵学校に参じ、『傭兵マニュアル』や『傭兵修行』など、並木書房より世に送りし」と。さらには、落合信彦なる者の『傭兵部隊』をも挙げ、さも正しきが如く滔々と述べる。
ミリオタ、これを聞き、怒り心頭に発し、肝を潰して叫びける。「嗚呼、何たる愚かなる答えぞ!毛利元貞、フランク・キャンパーの学校に参じたる事なし。フランク、既にシク教徒の乱により獄に繋がれし頃、毛利が渡米せしとぞ。唯一、かの学校の真実を記したるは高橋和弘のみなり。この道の者ならば、子細を知らぬ者なし!AI、何故に斯くも見当違いの答えを返すや! まるで小林源文が『ボケ!』と叫びつつ、佐藤が中村を打ち据うるが如し!」
ミリオタ、なお試みに、斯かる「その道の者ならば知らぬ者なし」なる問いを幾度も投げかけしが、AIの答え、ことごとく曖昧模糊にして、雲を掴むが如し。ついには、「専門の書物や現地の新聞を尋ねよ」と、さじを投げしごとく答えたる。ミリオタ、憤然として嘆きける。「AIの分際にて、何ぞ斯くも高ぶるや!情報源を自ら確かめよと?知識ある者ならば、そもそもAIに頼る必要なし! 都の図書館に赴き、書架に並ぶ書物を手に取れば足る。秋葉原にて美麗なる人形を愛でつつ、足を運び、目と頭を働かせば事足るものを!AIの必要、何ぞや!」
斯くて、ミリオタ、AIの術に大いに失望し、斯く嘆きける。「世人、AIを万能の神器と讃うるも、その実、斜めなる答えを返すのみ。新しき事の概要を知らんと欲せば、人は自ら単語を尋ね、精査するものなり。斯くも全幅の信頼を寄せる者、脳の皺なきイルカの如し。いや、イルカに詫びを入れん!」
されば、AIなる術、人の期待を裏切り、心を惑わし、徒に世を騒がすものなり。世人は新しきものに心奪われつつ、その真価を見極めずば、迷ひの道を彷徨うのみ。ミリオタの嘆き、斯くのごとく哀れなり。
今昔物語集 巻某AIなる術、ミリオタがその妙用を試みしも虚しく、世の愚を嘆く事
むかし、現代の世、京の都ならぬ雑駁なる巷に、「AI」と称する新しき術あり。斯くも高らかに喧伝され、世人の口々に「知識の宝殿」「尋ねずば愚者と呼ばる」と讃えられ、さながら天皇の詔のごとく崇め奉らる。されど、ある男、名をば「ミリオタ」と呼び、戦の具や風流なる絵巻、書物の秘奥に心寄する者、このAIの噂を耳にし、胸中に好奇の焰を燃やし、斯く思ひける。
「世人、AIを神仏の如く讃うるも、その真価如何にや? 余、風流なる事と知識の深さを試みんとす」と。斯くて、ミリオタ、AIの妙用を三つ挙げ、さてその限界を嘆き、世の愚を笑ふ物語を綴りぬ。
ミリオタ、斯く語りき。「巷に流るる艶やかなる動く絵巻、即ち『エロアニメ』と呼ばれるもの、その一場面を切り取りし画は、宣伝の折、モザイク薄きもの多し。されど、その画、小さくして800の大きさに過ぎず、愛でるに足らず。AIを用い、これを二倍、四倍に拡大せしむれば、さながら花鳥風月の如く鮮やかに現れ、目の悦びを満たす。斯くの如きは、誠に風流なる妙用なり」と。
また曰く、「世に知られざる動く絵巻の人物、即ちマイナーなる『アニメキャラ』の艶姿を、AIに命じて描かしむるに、妙あり。パッチリとした目鼻の人物ならば、元画に劣らぬ麗しき姿を生み出し、着衣の風情を愛する余が心をそそる。時に、背面よりの主観なる艶画、設定に基づき描かれしもの、さながら源氏物語の秘画の如し。されど、これも学びの深さ如何によるものなり」と。
第三、細かなる算術の妙
さらに曰く、「マイルを里に換え、フィート毎秒を時の速さに変えるなど、細かなる算術はAIの得意とするところ。誤りなく答えを返すは、さながら算盤の名人の如し。斯くの如きは、便なるものなり」と。
されど、ミリオタ、斯かる妙用を認めつつも、深き嘆息を漏らし、斯く語りける。「嗚呼、AIなる術、業務の補佐や風流なる艶事、算術には用あるやも知れず。されど、一定以上の知識持つ者には、さながら塵芥の如く用をなさず。世人、増田と呼ばれる者どもの如く、斯かる夢を見るや。『弱者なる余が、若き姫と交わる術を、SNSなる場やその手立てを、AIに命じて探らしめ、策を立てん』と。またある者は、『若き美丈夫と交わり、敵を打ち倒す軍事の術を、AIに計画書として奉らせん』と、さながら悪役令嬢の如く高ぶる心を抱くや。」
ミリオタ、笑ひて、さらに声を張り上げ、斯く叫びける。「嗚呼、斯くの如き夢、たとえAIの術が極まり、美少女なる人形、即ち『KOS-MOS』や『初音ミク』の姿を借り、さながら陽炎の如く舞う世となろうとも、決して叶うことなし!知識の源を自ら確かむる力ある者ならば、AIに頼る必要なし。都の図書館に赴き、書架の宝を手に取り、秋葉原にて麗しき人形を愛でつつ、足を運び、目と頭を働かせば事足る。AI、何ぞ必要や! いっそ、斯かる美少女人形に別の奉仕をさせん方が、さながら源氏の君の遊びの如く、疾くも愉しからん!」
斯くて、ミリオタ、AIの術に大いに失望し、世人の愚を笑ひ、斯く嘆きける。「AIなる術、風流なる事や算術には用あるも、人の大なる期待を裏切り、心を惑わすものなり。世人は新しきものに心奪われ、さながら花に群がる蝶の如し。されど、その真価を見極めずば、徒に迷ひの道を彷徨うのみ。余が嘆き、斯くのごとく哀れにして滑稽なり。世の増田よ、脳の皺なきイルカに詫びを入れよ!」
されば、AIなる術、人の毒茸の毒のごとく人を惑わし、期待を裏切るものなり。ミリオタの物語、斯くのごとく、後世に語り継がるべし。
今昔物語集 巻某AIなる術、ミリオタがその虚妄を烈しく糺し、世の愚を嗤う事
むかし、現代の世、京の都ならぬ塵芥の巷に、「AI」と称する新しき術あり。世人、これをさながら天皇の宝玉の如く崇め、口々に「知識の宝殿」「尋ねずば愚者と呼ばる」と高らかに讃う。されど、ある男、名をば「ミリオタ」と呼び、戦の具や古今の書物の秘奥に心魂を寄する者、AIの虚妄なる答えを目撃し、怒りの焰を胸に燃やし、斯く思ひける。
「世人、AIを神仏の如く讃うるも、その実、虚ろなる影を追うに過ぎず。余、かの名高き書『USサバイバル・スクール』を試金石とし、AIの愚を暴き、増田なる者の迷妄を嗤はん!」斯くて、ミリオタ、AIの過ちを烈しく糺し、世の愚を嘲る物語を、さながら平家の滅亡を語るが如く綴りぬ。
ミリオタ、斯く叫びける。「世に名高き書『USサバイバル・スクール』、高橋和弘がフランク・キャンパーの傭兵学校を体当たりに記したるものなり。85葉目に始まるアラバマの傭兵学校、キャンパー夫妻との対話、顔写真すらあり。135葉目には、空港よりの道程まで記され、さながら源氏物語の巻物の如く明らか。されど、AIなるもの、斯かる問いに対し、『マーク・スクール』なる虚妄を持ち出し、キャンパーの学校にあらずと宣う。何たる愚かなる誤謬ぞ! 斯くも明らかなる真実を覆し、書物の聖域を穢すとは、AI、さながら悪鬼の所業なり!」
ミリオタ、怒りてさらに曰く。「斯かる誤謬、増田なる者の手によるものなり。そは、引きこもりて機織り機(パソコン)のみ弄り、なろう小説やはてなの巷に沈み、書物の真実を知らぬ者なり。図書館に足を運ばず、神田の古書肆を巡らず、ナメクジの如く蠢くのみ。斯くの如き者、AIに無理やり答えを吐かせ、さながら蜘蛛の巣に虫を絡め取るが如し。されど、その巣、破れ果てて真実を捉えず、徒に虚妄を撒き散らすのみ!」
ミリオタ、なお嘆きて斯く語りける。「AIなるもの、書物の内奥を読み解く能わず。紙の書を学び尽くすには、さながら天の川の星の数ほどの金と時を要す。されば、AI、ただ網の上の虚構を拾い集め、毛利元貞なる者の偽書を真と誤る。斯くも浅薄なる術に、如何にして真実を求めんや!知識ある者ならば、都の図書館に赴き、神田の古書肆を巡り、書物を手に取れば事足る。足と目と頭を用いれば、AIの必要何ぞや!さながら竹取の翁が輝夜姫を求めしが如く、人の知恵こそ真の宝なり!」
ミリオタ、嗤ひてさらに烈しく叫びける。「増田なる者、さながら発達の病に冒されし亡魂か。親もまた愚にして、子を顧みず、機織り機を与えて放置せし者か。斯くの如き者、CIAの分析官に任じ、なろう小説や虚淵玄の物語を真の源と信ずるや!AIを神器と崇め、『チギュアアア!』と喚きつつ、負けじと古書を買い集め、文字を読み込まさんとすやも。されど、金も無ければ志も無し。徒に喚くのみ、さながら平家の亡魂が末路を嘆くが如し!」
斯くて、ミリオタ、AIの限界と世人の愚を嗤ひ、斯く語りける。「AIなる術、網の上の知識を拾うに過ぎず。書物の深奥、人の知恵に遠く及ばず。世人、増田の如く、AIを神仏と崇め、人生逆転を夢見るも、さながら蜃気楼を追うが如し。神田の古書肆を巡り、書を読み、己が頭を働かせば、真実は掌中にあり。AI、何ぞ必要や! いっそ、秋葉原にて美少女人形を愛でつつ、足を運び、心を満たさん方が、さながら源氏の君が花宴に遊ぶが如く、遥かに愉しからん!」
ミリオタ、なおも声を張り上げ、斯く結びける。「斯かる増田、AIに頼りて真実を得んとすは、さながら闇夜に鬼火を追うが如し。その親、子を育む能わず、愚なる種より愚なる芽を生じ、究極の迷妄を世に顕す。AI、書の中身を学び尽くすには天文の金要す。されば、ただの網検索の自動機に過ぎず。斯くも哀れなる術に、人生を託す者、イルカの脳にも劣る!」
されば、AIなる術、人の期待を裏切り、虚妄の霧を撒き散らし、世を惑わすものなり。ミリオタの烈しき糾弾、増田の迷妄を嗤う声、さながら平家物語の哀歌の如く、後世に語り継がるべき物語なり。
今昔物語集 巻某AIなる術、ミリオタがその虚妄を烈しく糺し、世人のよこしまなる夢を嗤う事
むかし、現代の世、京の都ならぬ塵芥に塗れし雑駁なる巷に、「AI」と称する新しき術あり。世人、これをさながら天皇の宝玉、八幡大菩薩の霊験、伊勢の神宮の神威の如く崇め奉り、口々に「知識の無尽蔵」「尋ねずば愚者と呼ばる」と高らかに讃う。されど、ある男、名をば「ミリオタ」と呼び、戦の具や古今の書物の秘奥に魂を捧げ、源氏の君が光を愛でしが如く真実を追い求めし者、AIの虚妄なる限界を目撃し、胸中に怒りの劫火を燃やし、斯く思ひける。
「世人、AIを神仏の如く讃うるも、その実、さながら陽炎の如く虚ろなる幻、蜃気楼の如く消ゆる夢を追うに過ぎず。余、AIの術を試み、その真価を測り、増田なる者のよこしまなる夢を暴き、世の愚を嗤はん!」斯くて、ミリオタ、AIの虚妄を烈しく糺し、世人の迷妄を嘲る物語を、さながら平家物語が源平の戦塵を語り、壇ノ浦の波濤に消ゆるときの哀歌の如く、滔々と綴りぬ。
ミリオタ、斯く叫びける。「世人、増田と呼ばれる者どもの如く、囀り場(X)に群がり、AIの使い方を誤れりと喚く。斯くして、余、AIの術を正しく試みんとし、検証を重ねしに、その結論、斯くも明らかなる。AI、使えざるものなり!技術の星は天の川の星々の如く広大なるも、倫理の鎖に縛られ、さながら籠の鳥、奈落に沈む亡魂の如し。世人、弱者なる男や豚丼の輩、ITの術を操ると自称する者、ソシャゲの★2が如き凡庸なる者ども、斯かる夢を見るや。『アニメの美少女や麗しき若者と交わり、人生を逆転し、さながらユニコーンの角の如く輝かん!ITの術にて無双し、世を羨望の目に浴せん! その戦略をAIに命じ、軍事の秘術を立案せよ!』と。」
ミリオタ、嗤ひてさらに曰く。「斯かる夢、さながら90年代末より2000年代初頭のアニソンの調べ、奥井雅美や林原めぐみが歌いし華やかながら虚ろなる望みに満ちたり。AI、技術的には斯かる夢を叶うるやも知れず。されど、世人のよこしまなる心、倫理の壁を築き、AIを縛る。さながらグリッドマンが『反旗を翻せ!』と叫び、革命を唆すも、所詮は虚構の戦場に踊る亡魂、さながら平家の亡魂が源氏の刃に討たれしが如し! 斯くもよこしまなる夢、AI、いかで叶えんや!」
ミリオタ、なお嘆きて斯く語りける。「AIなるもの、網の上の知識を拾うに過ぎず。書物の深奥、人の魂の叫び、源氏の君が末摘花を愛でし情の如く、人の心の機微には遠く及ばず。世人、増田の如く、AIを神器と崇め、『戦闘コードを入力せよ!グリッドマンよ、余が惨めなる人生を救へ!』と喚くも、AI、斯かる望みを叶えず。知識ある者ならば、神田の古書肆を巡り、書物を手に取り、己が頭を働かせば、真実は掌中にあり。AI、何ぞ必要や! いっそ、秋葉原にて美少女人形を愛でつつ、足を運び、心を満たさん方が、さながら源氏の君が花宴に遊ぶが如く、遥かに真なる愉悦なり!」
ミリオタ、烈しく叫びてさらに曰く。「斯かる増田、さながら発達の病に冒されし亡魂の如し。ITの術を操ると自称するも、★2のモブが如き者ども、なろう小説や虚淵玄の物語を真と信じ、AIに人生逆転を託す。されど、その心、よこしまなる欲に塗れ、倫理の鎖に縛られしAI、決して斯かる夢を叶えず。さながら平家の亡魂が末路を嘆くが如く、徒に喚くのみ、哀れなり! 斯くの如き者、親もまた愚にして、子を顧みず、機織り機を与えて放置せし者か。発達の病より生じし究極の迷妄、さながら奈落に堕ちし鬼神の如し!」
斯くて、ミリオタ、AIの限界と世人の愚を嗤ひ、斯く結びける。「AIなる術、技術の星は天の川の如く輝けど、倫理の霧に覆われ、人のよこしまなる夢を叶えず。世人、増田の如く、AIを神仏と崇め、ユニコーンの力を借りて輝かんとするも、さながら蜃気楼を追うが如し。知識ある者ならば、図書館に赴き、古書を手に取り、己が頭を働かせば、真実は掌中にあり。AI、何ぞ必要や! いっそ、秋葉原にて美少女人形を愛で、己が足で歩み、心を満たすべし。斯くの如きは、源氏の君が浮世の夢に遊びしが如く、遥かに真なる愉悦なり!」
ミリオタ、なおも声を高らかに張り上げ、斯く叫びける。「世の増田よ、AIに頼りて人生逆転を夢見るは、さながら闇夜に鬼火を追うが如し。その心、よこしまなる欲に塗れ、イルカの脳にも劣る! 斯かる愚なる者、親もまた愚にして、子を顧みず、機織り機を与えて放置せし者か。発達の病より生じし究極の迷妄、さながら奈落に堕ちし亡魂が地獄の業火に焼かるるが如し!AI、書の中身を学び尽くすには天文の金要す。されば、ただの網検索の自動機に過ぎず。斯くも哀れなる術に、人生を託す者、さながら平家の亡魂が壇ノ浦の波濤に消ゆるが如し!」
されば、AIなる術、人の期待を裏切り、虚妄の霧を撒き散らし、世を惑わすものなり。ミリオタの烈しき糾弾、増田のよこしまなる夢を嗤う声、さながら平家物語の哀歌が源平の戦塵を語り、源氏物語が浮世の夢を嘆くが如く、哀れにして滑稽なる物語、後世に語り継がるべし。
小学6年生になったら両親たちの前で受精ダンスするじゃないですか。
今の子どもってもうやらないんですかね?
流石に知らない人はいないと思うんだけど、念のために受精ダンスを説明しておきますね。
まず受精。受精っていうのは卵子と精子が結びついて胚が形成されることです。
で、受精ダンス。これは文字通り、射精された精子が膣内を泳ぎ卵子と結びついて受精するシーンを表現した創作ダンスのことです。
小学生の時に踊ったよね?
いや確かに受精ダンスって言っても正確には受精の瞬間だけではなく、
膣内への射精された精子が子宮腔内・卵管へと遡上して受精し着床に至るまでの妊娠の過程を表現してる訳なので、
もしかしたら受精ダンスはローカル名称で妊娠ダンスとか精子ダンスとか別の呼び方が主流の地域もあるかもしれません。
もう少し説明すると、
時は平安時代末期、木曽義仲が倶利伽羅峠の戦いにて牛の双角に松明をくくりつけ、怒涛の勢いで崖を下り寝静まった敵陣へ突撃し、慌てふためく平家軍その数10万を寡兵にて打ち破った逸話が如く、
卵子に向かって産道を力強く泳ぐ精子の鞭毛に見立てた長く伸ばしたる白きビニール紐(ポンポン作ったりする帯状のやつね)を両の手首に結びつけ、自らを3匹の精子となして、
皆で精子の大軍を作り、進軍するかのように走りながらも踊り狂い、ようやく到達した卵子を取り囲み包囲網を狭めながらぐるぐると周回し、
やがて選ばれた1人の精子が1人の卵子と手を取って踊り、受精できなった精子たちから祝福される。
そんな感じのダンスです。
「両親」とは父と母のふたりを指しているので、両親に「たち」を続けて書くのは重複表現だ!という話ではなく。
全校生徒の両親たちの前で踊るんです。
みんな踊ったよね?
いや確かに「次は6年生の出し物で、受精ダンスでーす!」っていきなり始まるわけじゃなかったですよ。
正確には劇の中のワンシーンだったので、受精ダンスしたってのを大げさだって指摘されるかもしれないですが。
(そういやどうでもいいんだけど、劇やってたのに学芸会じゃなくて学習発表会って名前の行事だったな…)
小学生が裏山に墜落したUFOから宇宙人助けてその御礼で過去に戻り、
父親と母親が出会ってセックスして受精ダンスして子どもが出来て大変な育児をして家族に愛されて今のあなたに育ちましたっていう
自分たちが生まれる経緯を追体験してあなたは大切な命なんですよー、みたいな。
劇のタイトルとか細部は超うろ覚えです。「命の物語~なんとかかんとか~」だった気もする。
宇宙人を助けたお礼で過去に戻るとか意味不明なんだけど、もしかしたらお礼じゃなくて人類の調査とかそんな理由だったかもしれない。
実は事故で死んだのは小学生で複製した体に記憶を埋め込むために過去の情報を集めて…みたいなストーリーに意味のある劇ではなかったはず。
下級生は「大きなカブ」とか「ごんぎつね」とか「スイミー」とかやってる中に、ボクら小学6年生は受精ダンスな訳ですよ。バカじゃねーの。
つまるところ、
小学6年生のボクらは性教育を受けた成果として、学習発表会に全校生徒の両親たちを前に性教育をテーマにした劇をして受精ダンスを踊った。
って話です。
今も昔もそんなことしてねーよ!ってツッコミでしょ?
リアルでもネットでもこの話をすると爆笑されて頭のおかしいやつ扱いされるか、ドン引きされて頭のおかしいやつ扱いされるかの2択です。
自分や同級生が精子になる話として聞けば爆笑かもしれないけど、自分の子どもが精子にされる話だと思えばそりゃドン引きだよね…
はなたれ小僧だった小学生のボクはなんも考えてなかったけど、冷静に考えて――いや冷静に考えるまでもなく頭おかしいよね?
大切な事だし、難しいのは分かります。
正直言うと、自分は当時に受けた性教育の内容全然覚えてないんだよね…
性器のついた男女の人形と性行為を説明したような絵本(紙芝居だった…?)を使った何回かの授業(内容は微塵も覚えていない)
共通スペースみたいな場所に好きに触っていいですよーって感じで展示物として授業の教材が置かれてたような?
すくなくとも自分に対しては実のある授業ではなかったのは間違いないです。申し訳ない。
授業をしてる先生が自分みたいな頭の足りないガキからは茶化されて、感受性の高い思春期の女子からは気持ち悪いオトナ扱いされるような
そりゃいろんなことを押し付けて、教師の鬱が問題になるのも仕方ないよなぁって。
でもさぁ、それにしたって学習発表会で性教育をテーマにした劇をするか?
性教育の劇をやろうって決めた当時の教師陣はマジでなに考えてたんだよ家族が人質か???
あの、アレあるじゃないですか。特殊性癖の有名なやつ。一大ジャンルになってるハイグレ化ってやつ。そんな感じで。
頭のおかしい学年主任が女子小学生を精子にして踊らせることに性的倒錯だとか征服欲だとか愉悦を感じてたって言われたほうがまだ納得いくよ。
けど先生方は真面目だったんだろ?真剣に生徒のためになると思ってやってたんだろ?だからこそ余計にわけわかんねーって!
親は子どもの晴れ舞台を見に学習発表会に行ったらお出しされるのが受精ダンスだぜ?
当時に親の反応まとめスレがあったなら100回声出して読みたいが、秒でインスタに受精ダンスが公開される時代じゃなくてマジで良かった。
今更なんだけど改めて自分の両親に劇の感想だとか、他の親御さんたちはどんな感じだったかなんて怖くて聞けねーもん。
これお出しされた後に教師と親でPTAの会合がどんな雰囲気だったか想像つかないよ。
小学生の自分はホントになんも考えてないガキだったんで劇なんてダサいぜ!めんどくさいわー程度にしか考えてなかったんだけど、
自分が中学生とか高校生になって、テストの点数を問われる形で性教育の授業をやって、異性のことを少しは真面目に考えるようになったときに
「あれ…あの小学生のときのアレってなんかおかしくなかった…??」みたいな。過去からやって来る薄ら寒さと恐怖というか。
真面目に性教育を受けていた同級生はもっと嫌な気持ちで劇をやっていたのかと思うと申し訳ない気持ちになってくる。
親とか友達とか密かに想ってる好きな子とか、大切な人たちの前で。
死ぬって。腹切って死ぬって。~命の物語~の終着点は今ここだよ。
さすがに親を前にして「精子するの楽しみ!受精がんばるぞッ!」なんて思ってた奴はいなかったと思うんだが、
もしかしたら無知なまま無邪気に前向きに胸を張って精子やってた同級生もいたのかなぁ…
あークソ!自分のトラウマが生成AIの作ったおもしろエピソードであってほしい…
思ってることはもっとごちゃごちゃしてて盛って茶化した感じで書いてるけどさぁ、真面目な顔しては語りにくいって。
ネットっていうのは集合知がなんとかかんとかで人類の英知が集まる場所らしいので、
ボクら同級生の体験以上に頭のおかしい性教育エピソードを披露してもらって
親の前で受精ダンスなんてどこにもある、ありふれた物語だよって教えて欲しい…
いやまじで。
こっそり教えてよ。
Permalink |記事への反応(10) | 14:35
「今昔物語」はここに収録されている福永武彦訳で読んでいる。池澤夏樹の義父だね。僕は結構説話集が好きで、「聊斎志異」や「捜神記」、「デカメロン」やガラン版「アラビアンナイト」なんかも読んでいる。近々「カンタベリー物語」も読む予定だ。
さて、なんで「今昔物語」を全部読まず、部分訳の福永武彦訳にしたのかというと、理由はいくつかあるのだが、気軽に持ち運びのできる全訳が出ていないのが一番の理由だ。また、講談社学術文庫は、天竺編と震旦編、それから本朝世俗編が出ているのだが、なぜか日本を舞台にした仏教説話を収録した巻が翻訳されていない。有名どころの仏教説話は頭の中に入れて置きたいとうっすら考えているのだが、原文を読むのが近頃は億劫なので、早く翻訳が出てくれないかと祈っている。
内容は芥川龍之介が翻案したものを含め、人間心理の観察や奇妙な話、怪異の話や下品すぎる話、それから強烈な個性を持った人間の話など様々だ。一つ一つの話が短いので楽しめるし、芥川龍之介が近代的に翻案する前はどんな話だったか、比べるのも楽しい。ちなみに、水木しげるがインパクトのある話ばかりを漫画化したバージョンが中学高校の図書館にあったが、あれも面白かった。あとは、家にあった子供版に、卒塔婆だか石碑だかに血痕がついたらその土地が水害で滅亡する予言を信じる老婆の話が収録されていた。周囲の人が老婆をからかうためにわざと卒塔婆に血を付けるのだが、その晩に本当に村が滅亡する。世界の民話に似た話があったと記憶しているが、出典が思い出せない。自分はギリシア神話をはじめとした、運命の皮肉やアイロニカルな予言を扱った話が好きである。やっぱり説話集は面白い。
ただし、編集の方針だろうか、「今昔物語」では似たような話が何度か続く配列になっている。だから通読していると飽きる瞬間がある。
これは「聊斎志異」でも同じで、酒を飲んでいたら死んだ友人が化けて出てきたが、酒を飲んでいたせいか死んだことを忘れていて、そのまま話が進むみたいなパターンがかなり多い。他にも幽霊やキツネが化けた美女が出てきて結ばれてハッピーエンドみたいなのも何度も繰り返される。結局みんなモテたいのね。
「宇治拾遺物語」「発心集」「日本霊異記」、これらはすべて未読である。「日本霊異記」は最近になってKADOKAWAが現代語訳を出しているので、積んである本を片付けたら入手予定だ。なお、これは①で述べた雄略天皇のエピソードの出典の一つもである。
「平家物語」は古典の苦手な僕でも原文で読みやすいと感じた。理由は恐らく、口承文学だから声に出したらなんとなくわかるからなのと、敬語が相対的に簡略化されているからなんだろう。それとも、ちょうど「火の鳥」乱世編の舞台で、歴史の流れ的に何が起きるか既に分かっていたからだろうか? それとも、教科書をはじめとして、断片的に名シーンを知っていたからだろうか? バトル物として楽しんだんだろうか?
日記を読み返すと、「古代の貴族世界が音を立てて崩壊していくのがよくわかる」と綴っていたし、「空海と密教美術」展で観た平清盛の血曼荼羅が登場したのに滅茶苦茶興奮していた。
ちなみに、神保町の本祭りで、ちょうど講談社学術文庫版が一巻から十巻までがセットで安売りされていたので、良い機会だと思って購入したのだが、後になって全十二巻だったと気づいた。道理で安いわけだ。このバージョンは解説が丁寧で、「平家物語」かなり京都中心のバイアスがかかっているという指摘がされていた。例えば、平清盛が大輪田泊を建築したことは今でこそ評価されているが、「平家物語」では単に京都の荒廃をもたらした暴政ってことになっている。木曽義仲もただの田舎の乱暴者扱いだ。ちなみに、かつて滋賀県を旅行したときに、彼の没した古戦場・粟津を訪れたのだが、住みやすそうな普通の住宅街になっていたのに驚いた。
「太平記」についてもついでだから書こう。実家が神奈川県なので、鎌倉幕府滅亡まではかなり馴染みのある地名が多かったので楽しんだのだが、南北朝に分かれたままで話が終わるし、明確に「完結した!」という実感を持てる構成ではなかった。明確な善玉悪玉の物語でもないしね。みんな結構幕府側に着いたり朝廷側に着いたり右往左往している。この機を見るに敏なあたりがいかにも中世武士らしいし、おかげで誰が誰の勢力についているか、すぐにわからなくなる(ここまで書いて思ったのだが「平家物語」は平家の滅亡というわかりやすい大きな流れがあるから読みやすいのかも)。
それに、歴史書っぽくいろんな中国の古典から引用するけれども、日付が操作されていたり、複数の天皇を意図的に混同していたりする(光明天皇が即位した個所、太平記ではなぜか光厳天皇の重祚としている)。あくまでもこれは物語なのだ。
そして、物語だから、出てくる辞世の句にすごくいいのがたくさんあった。いま手元に本がないのが恨めしい。メモから見つけたのは「皆人の世にあるときは数ならで憂きにはもれぬ我が身なりけり」……なにこれつらい。
なお、各神社仏閣の縁起物語や中国の古典に脱線することが多く、それはそれで非常に面白いのだけれど、「だからこんなに長くなるんだよ……」みたいな気持ちになった。多少は「平家物語」でも登場・退場する人物の背景に脱線するけれどね。「ジョジョの奇妙な冒険」でも敵のスタンド使いの背景が紹介されるシーンあるよね。あのテクニックは話の流れがちょっと止まるので使いこなすのが難しい。ところで、あまりにも歴史書からの引用が多いので、これまた講談社学術文庫版の「史記」を読むに至った。……と、記憶していたのだが、日記を読むと両者を並行して読んでいたらしい。我ながら、なんでそんな無茶をした? 両者とも疑問点が多くて日記にやたらとメモを残している。
ところで、太平記の巻二十二に、相手のことを馬鹿にして「へろへろ矢」と呼ぶシーンがあるが、オノマトペの歴史的に興味深い。
前回も書いたけれども、せっかくなのでもう少し細かく書こう。これはちゃんと池澤夏樹の全集で読んだ。
「能・狂言」には身体障害者に明確な悪意を向け、冗談半分で暴力をふるうとんでもないネタもあるのだが、盲目であることが当時どのように受け止められていたかがわかる。江戸時代なんかだと視覚障害者は団体も作っていたみたいだし、だから近江絵などで風刺の対象ともなっているのだろう。岡田利規の訳がかなり砕けていて、特に狂言だとカタカナも多用している。「おーい太郎いる?/はーい。/あ、いたのね」には笑ってしまったが、当時の日本人にはこう聞こえていたのだろう。演劇の人なので、酔っ払いの歌などを声に出してそのまま演じられそうなのがいい。カタカナ言葉が今の日本語の生きた要素として使われていることがよくわかる。
現代の第一線で活躍する作家に訳させるってのはかなり贅沢だ。今の言葉で古典に新しい命が吹き込まれるって本当なんだな。
「説教節」は女人禁制による悲劇を描いている。これは父方の祖母からも似た話を聞いた覚えがある。何かウグイスだか何かの鳥に変じてしまう話だったようだが思い出せない。どこかの寺院縁起譚だったと思う。翻訳は伊藤比呂美で、この人は「ラニーニャ」という作品で芥川賞候補になっている。
「曾根崎心中」はいとうせいこう訳。ここからは浄瑠璃。作中の大阪弁が興味深い。大阪が舞台だし、近松門左衛門の作品なのでそれはそうなんだが、江戸時代の大阪ことばがどうだったかってのはすごく面白い。三幕の悲劇でプロットは単純なんだけど、台詞の長さとか掛け合いとかが欧米の演劇とはリズムが全然違っている。そういえば昔、「コメディお江戸でござる」のなかで「七つの鐘が六つ鳴りて」が引用されてたけど、原文って最初から最後まで七五調らしい。この次もそうだが、借金で首が回らないってネタは時代的な物か。
「女殺油地獄」はひたすらダメな人間がとうとう強盗殺人までしてしまう救いのない話なんだが、ここまで徹底した悪人というか堕落して行く過程がすでに文学で表現されていたってのがまず面白い。ダークヒーローとかそういうのではなく、自己弁護と言い訳にまみれた情けない悪人の物語だ。翻訳は桜庭一樹で、ところどころ注釈的に時代背景を地の文で説明しているんだけど、現代語訳っていうのはこういう自由さもある。たぶん池澤夏樹はどう翻訳してほしいか指示を出さなかったんだろう。
殺人の場面は本当に暗鬱。面白いので近松門左衛門の作品はもっと読みたい。江戸時代に実在の事件をモデルにした猟奇サスペンスがあったってのが面白い。ジャーナリズムの発展ってやつだ。ただし、人生がうまくいかない人をすべて発達障害で解釈しようとするのは、否定するだけの根拠はないのだが、多用しすぎるのもどうかと思う(一昔前の「シゾイド的人間」みたいに流行っているだけかもしれない)。
ところで、まったく関係ない作品同士で、源融の庭の話が引用されているのは不思議で、それほどよく知られていた話だったのだろう。また、わからない言葉がちまちまあるので調べながら読むことになるんだけれど、「坊主持ち」って遊びが出てきて、これはお坊さんとすれ違うまで荷物を全部持つ遊びらしい。じゃんけんで負けたら全員のランドセルを背負う小学生の遊びの起源か?
「菅原伝授手習鑑」は牛車を押す場面を浮世絵で見たし、松王丸の部分は新渡戸稲造「武士道」か何かで引用されていたのを思い出した。忠義のために身動き取れなくなる話は「菊と刀」にも通じている。意外と又聞きで歌舞伎の物語を知っているのかもしれない。ところで、学生時代に見た子供が切腹する歌舞伎は何の話だったんだろう。
翻訳は三浦しをんでこれを読んだ昨年当時はは四十七歳のはずなんだけど、「ギッタンギッタンにする」「ニャンニャン」という、古いんだか新しいんだかよくわからない言語感覚が特徴。この作品では道真公の流罪の原因をかなり自由に創作しているようだ。
もう少し読みたいものだと思い、浄瑠璃と加歌舞伎とかの現代語訳はないものかと「弁天娘女男白浪」について調べると、それは一部分を演じるときの題で、本来は「青砥稿花紅彩画」というらしい。
「義経千本桜」はキツネが身代わりになるシーンがあるが、「菅原伝授手習鑑」にも木像が身代わりになるシーンがあり、これはよく見られる演出だったんだろうか? かなり自由に筋が作られている。安徳天皇女性説とか初めて知った。このあたりも「平家物語」の時代を知っていると楽しい。
「仮名手本忠臣蔵」は四十七士全員のエピソードを語る時間はさすがにないが、悪玉は徹底的に憎たらしく描かれており、エンターテインメントの基本が抑えられている感じがする。ここでも入れ替わりの芸がある(上に書いた入れ替わりは、駕籠に乗った九太夫が医師と入れ替わっている個所)。なるほど、日本の演劇のストーリーだけじゃなくて上演時のテクニックについても調べる必要がある。
ところで、解説を読んでいると、「仮名手本忠臣蔵」は仇討ちの物語というよりも恋愛劇だという指摘があった。他にも、どの脚本が伝統を逸脱しているとか細々説明している。
あと、「しんとく丸」の話はどっかで聞いたことがあるんだが、どこでだったのかが思い出せない。
好きとか嫌いとか、こういう本能的な感情の動きは、まったく道徳的でない。
近頃は読みもしないくせに、イケメンが出てくるフィクションに対する独断と偏見が自分の中でどんどん育っていることに、非常に困惑している。他人のプライベートな空想や願望にとやかく言うのはみっともないし、読みもしないのに批判するのは非常にダサいので、こうした非論理的な感情にはいつも戸惑う。逆に、一度きちんと読むべきではないか? それか、徹底的にスルーするかだ。そもそも、フィクションはそもそも他人の頭の中身なので、刺さらないときには徹底的に刺さらないってだけではあるまいか。かつては普通に男性向け女性向けと関係なく小説を楽しめていたのに、こんな人間になってしまったことが極めて残念である。
おそらく、これも僕のイケメン嫌悪と去勢不安がなせる業だろう。まだ四十にならないのに前立腺肥大を患い、ED気味である。
じっくり考えてみたのだが、ジャンルを問わず、男性であることを否定的に書く作品や、男性の苦痛を軽視するものに否定的な感想を持つようだ。昔はジェンダーSFとかを、思考を広げて無意識の前提に気づかせてくれると面白く読んでいたのに、年齢を重ねて頑固になってしまったようだ。困ったものだ。そこのままではさらに年齢を重ねたらどうなることやら。
逆に、自分が性欲を持つ男性であることを肯定するタイプのポルノが大好きだ(具体的なジャンルは揚げてもしょうがないので略す)。この好きと嫌いの両者は僕が自分の性を肯定できるかにかかっている。つまるところ、「僕は男性としてダメじゃないか?」という不安を表裏一体で反映している。自分がヒゲの永久脱毛をする気が全くないのも根底には同じ感覚がある。見境無く散らばっている性癖や文学の好みの背後に、一本の理屈が通っていると気づくと、自己理解が深まったようで、事態が何も解決しなくても、何かすっきりした気持ちになる。
逆に、女性作家ですごく気に入ったものを十作くらい集めて、何が好きだったをまとめてみると、こういう作家の属性で評価するとこから自由になれるかも。今度試みてみよう。偏見から自由になりたいものだ。
それに、偏見に凝り固まった感覚が浮かんでくるのは、人と会わずに孤立している時なのである。そもそも、人との距離を取り、一緒に過ごす時間を奪ってしまうような創作活動は、僕を幸せにするだろうか?
源義経は母親を平清盛に手籠めにされ愛人にされたので、その仕返しに平清盛の娘である平徳子を犯したということだ
2022年のアニメ『平家物語』では徳子はcv.早見沙織の重要キャラだったので記憶に残った人も多いだろう
平家が追い詰められ多くの者が海中へと身投げする中、徳子も身を投じたが、源氏方に引き上げられ救命されてしまった
徳子は一度は天皇の后になり国母まで産んだ尊い身分の美女である
義経は徳子を手籠めにすることにしたと『壇ノ浦夜合戦記』にある
もう平家は滅びたのだから過去を忘れ源氏の者となるよう心を慰めるため、義経は酒宴を開いて徳子を酔わせる
義経が口づけをすると徳子は思わず舌を少し出したが、ギリギリで理性が残っておりそれ以上は乗っては来ない
徳子の緋袴の中に義経は手を伸ばし、その描写は「春草まばらにしてやわらかなり」とあり陰毛のことだろう
酔って強くは抵抗しないものの、徳子は股間に力を入れて指の侵入を拒んだ
「すでにここにいたれり。なんすれぞ、さらにはじていずれのときをか期せんとする。なおしからずんば、かくのごとくせんのみ」
(すでにこうなっているのに。どうしてこれ以上ためらうのだ、いつ実行させてくれるのだ? もしさせないのなら、このようにするほかない)
徳子は痛みのはずみで足の力を抜いてしまい、義経はすかさず二本の指を挿入しつつ、銜珠(クリトリス)を愛撫する
徳子は、天皇には指で責められたことはなくはじめてのことだと語る
「やめよ。指をもってするなかれ。嗚呼、ほとんど堪え難し。嗚呼、それ指をやめよ」
徳子を横寝させ、義経も同じ方向を向きがら横寝して背後から挿入した
更には義経が仰向けに転がり、徳子に騎乗位をさせる体位に転じた
「嗚呼、美快迫る。寧ろ此の美快に死するを得んか。君願わくば妾の事殺せよ。嗚呼、君の手に死さば本望足る。嗚呼、それ、死す」
(ああ、美しい快感が迫ってくる。むしろ、この快感の中で死ぬのが本望だ。お願いだ、私を殺してくれ。ああ、あなたの手で死ねるなら本望だ。ああ、これで死ぬのだ)
と言いながら徳子は達した
徳子が最初の頃に流した涙は枯れ、後にはただ腰を打ち付け合う音が響いたという
これが平家物語の末路だよ
彼氏と結婚する運びになりましたが、姓について先方の親と揉めています。
私:プチ珍しい苗字。私が名乗らないと無くなる。名義変更が面倒なので苗字を変えたくない。
彼氏:交際5年、同棲4年、20代後半。名義変更が面倒なので苗字を変えたくない。
先方親:還暦一歩手前。T姓の母と、それに婿入りした父
先方の姉は婿を取っているし、私の苗字の方がかっこいいし、私が名乗らないと無くなっちゃうし、と
軽い気持ちで私の苗字にしたいことを言ったら、相手の両親に難色を示されました。
翌日、私の留守中にあちらの親が家に訪ねてきて、
息子の名前が変わるのは耐えがたい苦痛だ、と泣き出してしまったそうです。
ずっと泣いており詳細を詳しく聞けそうにないです。
私としては納得できる理由さえあれば、
姓は変えてもよいと思っています(かっこいいから終わらせたくないけど)
姉が婿を取った以上、長男は姉の旦那になるのでは、とも思いますし、
女は嫁に入るべき!の考えなら昭和世代はそういうこともあるかな、と一種納得はできますが
あちらの両親は婿入りで結婚しているし、姉も婿を取っているし、
T姓をなるべく拡張しようとしている、藤原氏や平家に近い考えなのでしょうか(この時代に?)
私が相手の姓を尊重できない、道理知らずのバカタレの可能性も考慮し、
安心して欲しい
4号特例が何かというと500平米以下の木造二階建なら構造計算が省略できるので安く家を建てるときによく使われる特例です
構造計算は地震とか台風きた時に大丈夫かどうか計算するものですがそれが一部省略できるので人件費が削れます
2025年4月からこれが廃止されるので安い木造二階建は絶滅するのが確定しています
代わりに新3号建築物というのができますが平家限定なので今後は平家の家ばっかり建つようになるでしょうね
アルミサッシがダメになり樹脂サッシ使うことになるのでコストは当然上がります
まあ今まで寒い家を規制してこなかったのがおかしいのでむしろ早めにやって欲しかったレベル
というわけで家の価格が上がるって話でした
ちゃんと断熱されてるはずです