
はてなキーワード:幕府とは
拙者、増田と申す、齢二百年に及びし者。江戸末期、嘉永の世に生まれ、下級武士の身ながら、洋学に志し、奇縁により不老の術を得て、現代に至るまでITとやらなる術を操りし者也。されど、この胸中、開国の風に始まり、現代の電脳世界に至るまで、騒乱の波に揺れ動く。
十余年前、否、百七十余年前、嘉永の世に、拙者は異国の地にて洋学を学び、後にITエンジニアと呼ばれる職に就きし。黒船が浦賀に現れ、幕府が動揺せし頃、洋学は日本の未来を照らす光と信じられ、蘭学書は江戸の書肆に溢れ、若者たちは競って西洋の術を学んだ。拙者もまた、サンフランシスコ、ロンドン、ユダヤの地を巡り、蒸汽機関や電信の術を修め、さらには現代の電脳術に至る。
当時、日本の洋学は東洋の雄として名を馳せ、諸藩の若者がわが国の術は世界に通ずと誇りし時代也。拙者もまた、若さに任せ、浮世絵や歌舞伎、そして現代に至るアニメやゲームに心奪われつつ、洋学と電脳術の力を信じ、同志と語り合った。されど、異国の地にて出会いし師、ユダヤ出身の老練な技術者、その言葉は拙者の心に突き刺さる。
「これまで見てきた日本の学徒は、みな洋学や電脳術の知識こそ重要と口にする。拙はそう思わぬ。それはまるで、浄瑠璃の物語を盲信するが如き也。電脳術に必要なのは、筆力、すなわち母国語での読み書き、対話、人の心を掴む力也。少なくとも、術を世に広め、商いや国政に活かすには、こその力が肝要。されど、日本の学徒にそのような者を見たことがない。拙は百人近くの日本の技術者を教えしが、一人もおらぬ。」
「このような者ばかりでは、日本の電脳術は、ある日を境に凋落し、何も生み出せぬ時代が来る。五年後か、十年後か、百年後か。」
拙者、当時、憤りを覚えた。何だ、この異国の老人が!わが国のアニメやゲームの魂を侮るとは!と。若さゆえの過ち也。されど、師の周りには、中華の商人、インドの学者、西洋の技術者、北欧の船乗り、カナダの役人、万国博覧会の如き人々が集い、みな師の言葉に頷く。
中華の商人曰く「算法や機械の知識が重要とよく言われるが、拙の学んだ場では、そんなことは教えられず。術の根本を理解すれば、さような発想は生まれぬ。」
インドの学者曰く「この狭き視野が日本の弱点也。電脳術の理解不足は、船や兵器のみならず、現代のデジタルツインにも影響を及ぼすだろう。」
北欧の船乗り曰く「これからの世は、すべて電脳術に基づく。如何に巧みに術を組み立てるかで、国力も民の暮らしも変わる。」
カナダの役人曰く「電脳術についていけねば、国庫も民の暮らしも貧しくなるばかり也。」
拙者、頭に血が上り、反論した。さような大言壮語、浮世絵やアニメの領域にまで及ぶものではない!と。されど、師や同僚たちの目は、憐れみと失望に満ちていた。とりわけ、親しきアメリカの技術者、アニメを愛する者にして、こう言った言葉は今なお忘れられぬ。
「増田よ、言いにくいが、日本の技術者は、世のことに無関心すぎる。拙は日本のアニメを愛するが、日本の電脳術は、まるで歌舞伎やアニメの内輪の興行の如く、閉じた世界に生きている。かつての洋学はそうではなかったやもしれぬ。されど、十年ほど前より、そうなってしまった。」
「電脳術を、町人や異国の者に使ってもらおうという謙虚さがない。術の名や道具に女児むけアニメや特撮ヒーローの名をを付けるなど、異国では狂人の所業と見なされる。」
会話は英語ゆえ、拙者が和文に訳して記す。當時は、なぜそこまで言われねばならぬ!と本気で憤った。されど、今思えば、技術者の間に異国の者にわからせる必要なしとする風潮、さらにはアニメやゲームの名を術に冠する文化が根強かった。
師は常々、こう申された。増田よ、アニメやゲーム以外の趣味を持て。それが拙の唯一の忠告也。
その後、拙者は憐れみの目が耐えきれず、数年学び、怒りに任せて帰国した。されど、江戸の世から現代に至るまで、日本の電脳術は鳴りを潜め、西洋列強やGAFAMと呼ばれる巨人の術に圧倒され、名を聞かぬほどになった。
今、巷やXなる電脳の寄合では、拙者ややや上の世代がかつてのWinnyは優れていた。されど、幕府や民の無理解により、潰されたと、被害者意識を振りかざす声が響く。拙者、現代に至り、ようやく悟った。拙者は世を知ることを恐れ、ただアニメと電脳術に逃げていたにすぎぬ。それらが面白いのでも、愛しているのでもなく、他に能がなく、生きるために術を学んだだけだったのだ。
これからの世、拙者のような技術者は淘汰され、電脳の場から追われるだろう。既に、電脳術のみならず、世のことを知る新世代の技術者たちが、拙者が異国で嫌った者たちと同様に、日本でも珍しくなくなった。拙者の世代は、さような者たちを軟派と呼び、憎悪を燃やす者すらある。さような声が、電脳の寄合で響く。
師はかつて、こうも予言していた。
「日本の技術者は、アニメやゲームの如き閉じた文化から脱却せねばならぬ。されど、増田の世代では、それは叶わぬだろう。」
「内輪に籠り、選民思想を高め合っても、女児向けアニメや特撮ヒーローの名を愛する心を、異国の商人や幕府の役人が理解するはずもない。やがて、内輪に籠ったまま置いてけぼりとなり、他者を責める心のみが残る。その果ては、犯罪者となる道也。西洋では、さような者たちが電脳の寄合をなし、辻斬りや放火を起こし、世を騒がす。日本の地ではまだだが、いずれそうなる。」
ああ、その通り也。拙者が現代に至り、見るものは、予言の如く也。ある技術者が、娘たちを襲う集団の元締めとして捕まり、世を騒がせた。また、別の者は、幕府ならぬ国の金をかすめ取るスパコン詐欺を働き、獄に繋がれた。さらに同年、拙者と同世代の技術者が狂気を発し、神戸の町で辻斬りを起こし、刀と鉄棒で五人を斬り殺し、捕らえられた。聞けば、裁判では有名な異世界転生アニメの青髪メイドと契りを結ぶため、哲学的幽霊を斬らねばならぬと喚き、狂気ゆえ罪を免れたという。
数年前には、かつて電脳術の場を立ち上げ、志半ばで潰え、世を恨み、異人を罵る言を繰り返した者が、偽の品を売りさばき、捕らえられた。
予言の通り也。日本の電脳術は何も生み出せず、高い誇りだけを抱え、売れぬ術を誇り、世を恨む声ばかりがXで響く。
拙者たちは敗れたのだ。いや、始めより勝負にすらならなかったやもしれぬ。師の忠告が今、響く。拙者たちは、アニメやゲーム以外の道を歩めぬ。八方塞がり也。あれほど気高く電脳術を誇った拙者や同輩たちは、世を恨み、若さや美を妬み、刀や火を手に辻斬りや放火を起こし、獄に繋がれる。さような姿は、かつて夢見た攻殻機動隊の如き輝かしき未来とは程遠い。
されど、最も辛きは、さような狂人に同世代が多く、納得できてしまうこと也。高い誇りを持った拙者たちが、何も取り戻せぬまま、後の年月を生ねばならぬ。喪失感と欲を抱え、世や若者を憎み、辻斬りや放火で世に復讐せんと考える者が出るのも、拙者たちの罪とはいえ、致し方ないやもしれぬ。
拙者たちは、世を知るべきだった。他者を理解すべきだった。されど、もはや遅い。世との乖離は極まり、若者を誘う行為を咎められ、激昂する者、女性脚本家の些細な言に怒り、騒動を起こす者。さような行為が、拙者たちの世代の生み出したものと思うと、涙が止まらぬ。
拙者たちの世代は狂ってしまった。電脳術で世を変えると勇ましく語った者たちが、娘を襲い、国を欺き、刀で人を斬り、狂気の果てに異世界へと心を飛ばす。拙者が信じた夢の果てが、これ也。
拙者はさすがに、陰謀を信じ、世を罵るまでには堕ちぬ。されど、同世代の多くは、喪失感と憎悪に囚われ、電脳の寄合で世を怨む声が響く。先日、町田の町で辻斬りが起こり、世を騒がせた。
https://anond.hatelabo.jp/20251004115553
その通り
日本にとって要らない要素だった
その通り
宣教師に侵略的な思惑があったのは別に陰謀論でも何でもない事実
「長崎最高ですね!海外の人・モノ・カネのおかげで発展したおかげですね!」
と言ってみようかと思ったがやめました。
変なおっさんだとは思うけどお前は全くおっさんを論破できてないので
そこをきちんと自覚してほしい
俺がパヨパヨチンパーソンにたいして一番気に入らないのは
なんか実際より自分の知能を高く見積もってるらしきとこなんだよ
お前等は概して一般日本人の平均以下ぐらいの知能しかないんだよ
お前にしたってなんか見下してるつもりの市井の変なおっさんを見下せる程度のおつむもねーので
お前はせいぜい凡人以下なのよ
最近、ふと考えるんです。
テクノロジーがこれだけ進んで、AIが何でも答えてくれるようになった未来、僕らの社会ってどうなってるんだろうって。
これって、単なるSFの話じゃありません。もう僕らの目の前で起きている、とんでもなく大きな変化の話です。
AIっていう、人間の頭脳そのものを外付けできるような技術が出てきたことで、
社会を成り立たせていた一番大事なもの、つまりみんなが何となく共有していた「物語」が、音を立てて崩れ始めてる。
その先に待ってるのって、人類の輝かしい「進化」なんでしょうか?
それとも、国なんてものが生まれる前の、バラバラな「回帰」なんでしょうか?
そもそも「国」って、たぶん、みんなが同じ物語を信じることから始まるんですよね。
歴史を遡ると、8世紀頃に、時の支配者たちが一大プロジェクトを立ち上げてるんです。『古事記』とか『日本書紀』を作ったこと。
あれって、単なる神話集めじゃない。
「この国は、天照大御神っていう太陽神から続く天皇が治める国なんだ」っていう壮大な物語を、国民の心にインストールする、国家的なOS開発だったわけです。
「三種の神器」っていうアイコンも設定して、他の豪族とは格が違うんだよ、と。
このOSがインストールされたことで、列島に住む人々は初めて「俺たち、同じ神様と天皇をいただく一つのチームなんだ」っていう意識、つまり「日本人」の原型を持つようになった。
そのOSが、庶民レベルまで完全に浸透したのが、江戸時代っていう、超巨大な培養器の中でした。
幕府は、身分制度とか参勤交代で、社会がガチャガチャ動かないようにガッチリ固定する。
そして、外国からの影響をシャットアウトした「鎖国」っていう培養器の中で、浮世絵や歌舞伎、お相撲といった、超ドメスティックな文化が花開く。
この時代、人々はみんな同じような文化に触れ、同じような価値観を共有してた。
「日本人らしさ」っていう、僕らの文化的DNAが完成したのが、この江戸時代だったのかもしれません。
でも、その当たり前だった「みんなで見る物語」が、いつの間にか壊れ始めてた。
2000年代、インターネットが登場して、僕らはいつでもどこでも情報にアクセスできるようになりました。
でもその裏で、僕らの頭の中にはヤバい変化が起きてました。
複雑な問題にあった時、じっくり「どっちが正しいんだろう」と判断するんじゃなくて、手っ取り早く「正解を検索する」というクセがついちゃったんです。
昔は、図書館で本を何冊も比べたり、人に聞いたり、頭を抱えて悩んだりっていう、思考の「摩擦」がありました。
でも、検索エンジンはその面倒なプロセスを全部すっ飛ばして、「答えはこれだよ」って教えてくれる。便利ですよね。
でもそのせいで、僕らの思考の筋肉は、確実に衰えていきました。それに、昔はみんなで見てた「お茶の間劇場」も終わっちゃった。
昔は、家族みんなで同じテレビ番組を見て、次の日には学校や会社でその話題で盛り上がりましたよね。
良くも悪も、日本中が同じ物語を共有する「お茶の間劇場」があったんです。
でもSNSは、僕ら一人ひとりに「あなただけの快適な世界(フィルターバブル)」を用意してくれました。
もう、嫌いな意見や、自分と違う価値観に触れる必要はありません。
その結果、僕らは共通の話題を失い、「共有される物語」が生まれる土壌そのものが、なくなっていったんです。
そして、そこにAIがやってきた。これは、社会の分断を決定的なものにする、究極のテクノロジーかもしれません。
AIは、考える人にとっては自分の知性を何倍にも拡張してくれる最強の「翼」になる一方で、考えるのをやめた人にとっては思考の筋肉を完全に退化させる快適な「車椅子」にもなる。
この技術は、人類の間に「知的格差」という、とんでもない溝を生み出そうとしています。
まるで、あなただけの「マトリックス」へようこそ、とでも言うように、AIはあなた以上にあなたのことを理解し、あなたが一番心地よいと感じる「神話」=あなただけの現実を生成してくれます。
あなたは、自分の正しさが毎日証明され続ける快適な仮想現実(マトリックス)の中で、気持ちよく生きていける。
でもその代償として、違う現実を生きる他人と対話する能力を失います。じゃあ、そのマトリックスを設計するのは誰か?
それは、AIを使いこなし、大衆が信じ込む「神話」をデザインできる、新しい時代の支配者層です。
こうして分断された社会では、かつての「右翼」「左翼」なんていう古い分け方を超えた、新しい「部族(トライブ)」が生まれています。
参政党やれいわ新選組、あるいは様々な陰謀論。彼らが熱狂的な支持を集めるのは、イデオロギーがどうこうというより、「腐敗した世界を正すのは我々だ」という、シンプルで強力な物語を提供しているからです。
その物語のエンジンは、いつだって「俺たちは悪くない。悪いのは特定のあいつらだ」という他責主義です。
で、ここからが本題なんです。AIという究極のテクノロジーは、皮肉なことに、僕らを国家が生まれる前の「部族」の時代に連れ戻そうとしている。
ただし、その部族は血や土地ではなく、情報と思想でつながる、全く新しいものです。
この螺旋階段の先にあるのは、過酷な情報環境に適応した、新しい人類の「進化」の姿なんでしょうか。
それとも、共通の現実を失い、協力する能力をなくした、ただの「退化」なんでしょうか。
この記事に、その答えはありません。
「葉隠」が編まれた江戸時代初期(正徳〜享保期、18世紀前半)は、まさに武士の存在意義が揺らいでいた時代背景が大きく関係しています。山本常朝が生きた佐賀藩も含め、江戸初期〜中期の武士たちは実際に戦場で戦うことがほとんどなくなり、役目の多くは藩政の事務、儀礼、監督といった「役人仕事」になっていました。つまり「武士は刀を佩くけれども、その刀を使う機会はない」という状況です。
そのために生まれた背景を整理すると:
戦国の世では武士の価値は戦功で測られました。しかし平和が定着した江戸時代にはその基準が消え、「武士は何のために存在するのか」という問いが武士自身に突き付けられます。
→ 常朝の「死を覚悟することこそ武士の本分」という極端な答えは、この問いに対する一つの処方箋でした。
実戦で命をかける場面がなくなったからこそ、「忠義をどう示すか」が問題となりました。『葉隠』では、たとえ主君が誤っていても命を捧げることが忠義だと説く。これは現実の「仕える場面」が形式化するなかで、精神的な純度を重んじる方向に傾いたと言えます。
戦わない日常のなかで武士はどう振る舞うか――作法や謙遜、言葉遣い、朝の鍛錬など、行政官僚としての武士を支える「行動規範」が必要になった。『葉隠』はそうした実務的・日常的な心得を盛り込みつつ、精神の核として「死生観」を据えました。
江戸中期は幕府の支配が固まり、表立った反乱は困難になりました。だからこそ常朝は「内面的な抵抗」あるいは「精神的純化」として、「死を選ぶ覚悟」を強調したとも考えられます。表向きは平穏でも、藩政の矛盾や主君の資質不足に直面する藩士にとって、「忠義と死」を掲げる思想は一種の自己防衛・精神的支柱となったわけです。
『葉隠』はその「喪失感」と「新しい武士像の模索」から生まれたものといえますね。興味深いのは、常朝自身は「隠居して出仕もせず、出世から外れた人」だったことです。むしろ藩の中枢で実務を担うよりも、一歩引いた立場だからこそ「純粋な武士道」を極端な形で語ることができた――という背景も大きいと思います。
この視点で読むと、『葉隠』は「戦わない時代に戦士の魂をどう保つか」という問いへの回答だった、と整理できそうですが、そこから現代につながる「武士道」のイメージ形成にも大きな影響を与えています。
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2025-07-23
■
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■レンカノって
ただの風俗嬢の話では?
ちがうの?
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■anond:20250723194442言及先エントリを開く
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■
もう本当に婚活と恋がぐっちゃになっていて、多分私はどうしようもない程面倒くさい女になっていて、全ての元凶に対して今日別れを告げるつもり。もう疲れたけど、私は結局何も成長できなくて、ただぐるぐるして終わっちゃった。どうしようもなく、相手の意図に反して振り回されて、メンヘラになって終わり。でもそれを相手に悟られたくなくて、だって街であったら気まずいし、だから絶対あなたがもう一度私を気になるように、あなたの何倍も稼いで賢くなって表舞台に立ちます絶対に。あなたなんかどうでも良くなるくらいにね。
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「下野提案(しもつけていあん)」とは、旧下野国(現在の栃木県中・北部を中心とした地域)で、江戸時代後期に有力な農民・地方名主・郷士らが連携して幕府に対し提出した一連の地方改革提案を指す。
この提案は、天保の大飢饉(1833〜1837年)や相次ぐ自然災害によって疲弊した農村社会を立て直すため、地元有志が協議のうえ起草したとされる。内容は以下のような項目を含んでいたと伝わる。
下野提案は、直接幕府に採用されたわけではないが、その理念の一部は後の地方行政改革や明治維新期の自由民権運動に影響を与えたとも考えられている。また、当時としては珍しく、農民層の意見が体系立ててまとめられた記録として、地域自治の先駆けとも評価されている。
※この記事はChatGPTにより生成されたものであり、内容はフィクションです。
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■anond:20250723193857言及先エントリを開く
ゲーム性を追加したらsurgeon simulator になるな。
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どこから突っ込んで良いのかわからない香ばしい文章で面白かった。
「オタクに優しいギャル」に近いけどギャルではなくて、「クラスの中心にいつもいる明るい女子が自分のオタク趣味にすごい興味を持ってくれているのだが」みたいなタイトルが近いと思う
こことか
家は元はお嬢様のようだが、子どものころから体が弱くて14歳まで生きられないと言われ長期入院していたり、実家が火事で全焼したり、不登校の経験もあったりと、その明るさからは想像できないほど重めの過去を背負っている。
デビューのきっかけも経済的にも困窮していたため掛け持ちいくつ目かのアルバイトの感覚でホロライブに入った、と自己で言っているくらいだ。
この辺がとくに香ばしくて面白かったです。
やっぱVtuberにハマる人は風俗嬢の虚言を全部信じちゃうようなピュアな童貞が多いんだろうね。
念の為におすすめされたVtuberの配信アーカイブみたけど、ありふれた童貞向けキャバクラ配信だった。
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■anond:20250723194621言及先エントリを開く
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■anond:20250723194626言及先エントリを開く
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■anond:20250723194431言及先エントリを開く
裏切りと言えば
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■anond:20250723193857言及先エントリを開く
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■anond:20250723194431言及先エントリを開く
今どき5ch見てるとか老害で草
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■anond:20250723194328言及先エントリを開く
お前が結婚すりゃいいじゃん
アルアル言うだけのチャイナ女と
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■anond:20250723194336言及先エントリを開く
https://itest.5ch.net/hayabusa9/test/read.cgi/news/1598683345/
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■anond:20250723194249言及先エントリを開く
我が国で大きい顔してる保守たちの世界観によると中国人韓国人ロシア人は産まれながらにして日本人より下らしいので下方婚と言えるでしょ
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■??「8月までに退陣を表明するとは言ったがいつ退陣するとは言ってない」
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■anond:20250723194138言及先エントリを開く
もう中国の侵略は止められそうもないし、中国人と結婚しといたほうが安心なんちゃうか?
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■anond:20250723193506言及先エントリを開く
これでもまだ長い
一部の馬鹿オタク女って文章が長ければ長いほど価値が増すと思ってるフシがある。他人に対する想像力がない
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■anond:20250723192801言及先エントリを開く
Permalink |記事への反応(0) |言及する 19:43
■anond:20250723194138言及先エントリを開く
ジャップ男より上を狙ったってことでしょ?
Permalink |記事への反応(1) |言及する 19:42
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「下野提案(しもつけていあん)」とは、旧下野国(現在の栃木県中・北部を中心とした地域)で、江戸時代後期に有力な農民・地方名主・郷士らが連携して幕府に対し提出した一連の地方改革提案を指す。
この提案は、天保の大飢饉(1833〜1837年)や相次ぐ自然災害によって疲弊した農村社会を立て直すため、地元有志が協議のうえ起草したとされる。内容は以下のような項目を含んでいたと伝わる。
下野提案は、直接幕府に採用されたわけではないが、その理念の一部は後の地方行政改革や明治維新期の自由民権運動に影響を与えたとも考えられている。また、当時としては珍しく、農民層の意見が体系立ててまとめられた記録として、地域自治の先駆けとも評価されている。
1180 西田敏行、父と共に源頼朝の挙兵に加わり、山木館を襲撃
1205 西田敏行、追放された父を継いで鎌倉幕府の執権に就任する
1561 西田敏行、武田信玄に啄木鳥戦法を献策するも謙信に見抜かれる
1579 西田敏行、大工棟梁として建造を指揮した安土城天守が完成
1600 西田敏行、真田昌幸に進軍を阻まれ西田敏行の叱責を受ける
1605 西田敏行、西田敏行に将軍職を譲り、後に駿府城に移る
1614 西田敏行が西田敏行を「関ヶ原には遅すぎ、大坂には早すぎる!たわけうつけ間抜けーッ!」と怒鳴り付ける
1632 西田敏行、征夷大将軍の西田敏行の死により、流罪が赦免される
1703 西田敏行、元禄赤穂事件において赤穂浪士によって襲撃を受ける
1745 西田敏行、徳川家重に将軍職を譲り、江戸城西の丸に移る
1776 西田敏行、長崎で手に入れたエレキテルを修理して復元する
1782 西田敏行、自らが船頭を務める船が難破、ロシア領に漂着
1861 西田敏行、愛加那との間に西田敏行を授かる(それをナレーションする西田敏行)
1867 西田敏行、西田敏行に命じられて江戸薩摩藩邸を本拠として江戸市内を混乱させ、薩摩藩邸焼討事件を起こさせる(それをナレーションする西田敏行)
1868 薩摩藩の西田敏行らと長州藩の西田敏行らが協力し会津藩の西田敏行と戦う
同年 西田敏行、会津藩の西田敏行への伝令にかこつけて追放される
1873 西田敏行、日本初の商業銀行となる第一銀行の頭取に就任
1877 西南の役で、長州閥西田敏行総指揮の官軍に西田敏行軍は鎮圧され、城山に追い詰められる(それをナレーションする西田敏行)
1904 西田敏行、日銀副総裁として日露戦争の戦費を調達する
同年 西田敏行、京都市長に就任し、父である西田敏行のことを、部下に語りだす
日本において職業としての売春が確立したのは、中世後期、特に室町時代以降とされています。
応仁の乱後の日野富子による将軍並立と室町幕府の弱体化の経緯についてですね。
応仁の乱(1467年~1477年)は、足利将軍家の後継者争いと有力守護大名の対立が絡み合い、全国を巻き込む大乱となりました。この乱によって室町幕府の権威は地に落ち、各地で下克上が進行する戦国時代へと突入していきます。
日野富子は、8代将軍足利義政の正室であり、9代将軍足利義尚の生母です。彼女は応仁の乱の勃発にも深く関与し、乱後もその政治的な影響力を持ち続けました。
富子が将軍を並立させ、幕府をさらに弱体化させた経緯は以下の通りです。
応仁の乱終結後の1489年、富子の唯一の息子である9代将軍足利義尚が近江で陣没しました。これにより、将軍職の後継者問題が再び浮上します。
義尚には子がなかったため、義政の弟である足利義視の子、足利義材(後の義稙)が将軍職を継承することになりました。しかし、義材は武力による秩序回復を目指し、富子やその近臣、有力寺社勢力など、これまでの幕府の運営に深く関与してきた勢力との対立を深めていきます。特に、富子が抱える多額の負債や、彼女の権益に触れるような政策を義材が打ち出したことが、対立を激化させました。
義材との対立を深めた富子は、幕府の実力者である管領細川政元に接近します。政元は、将軍の権力を弱め、自らの政治的影響力を強めることを企図していました。
そして1493年、義材が大内義興の討伐のために河内に出陣している隙を突き、富子と細川政元はクーデターを起こします。これが「明応の政変」です。政元は兵を率いて京都を制圧し、義材を廃して幽閉しました。
義材を廃した富子と細川政元は、新たに足利義視のもう一人の子である足利義高(後に義澄と改名)を10代将軍として擁立します。
しかし、廃された義材はその後、越中、次いで周防へと逃れ、地方の有力大名(特に周防の大内義興)の支援を受けて、正統な将軍としての地位を主張し続けました。これにより、京都にいる義澄と、地方に逃れた義材という、二人の将軍が並立する異常事態が発生しました。
富子によって引き起こされた明応の政変とそれに続く将軍の並立は、室町幕府の権威を決定的に失墜させました。将軍が自身の意思ではなく、有力大名や政治的な勢力によって廃されたり、擁立されたりする状況は、幕府がもはや日本全国を統治する正当な権力であることを否定するものでした。
また、将軍が二人存在する状態は、各地の武士や守護大名にとって、どちらに従うべきかの混乱を生み、さらなる地方勢力の自立と下克上を促す結果となりました。
日野富子の行動は、結果的に将軍の権威を著しく損ない、室町幕府の支配力を根本から揺るがし、戦国時代の混乱をさらに深める要因となりました。彼女は自身の経済的な権益や政治的な影響力を保持しようとした結果、幕府の統治能力を自ら破壊してしまったと言えるでしょう。
足利義政は、政治家としては「無能」と評価されることが多いです。その主な理由は以下の通りです。
・応仁の乱の勃発と収拾の失敗: 義政の治世に、細川勝元と山名宗全の対立に端を発する応仁の乱が勃発し、京都は焼け野原となり、戦乱は10年以上続きました。この大乱を止めることができなかったこと、またその後の社会の混乱を収拾できなかったことが、政治家としての最大の失策とされています。
・後継者問題: 実子(足利義尚)と弟(足利義視)の間で後継者争いが起こり、これが応仁の乱の一因となったとされています。義政自身がこの問題に対して明確な態度を示さず、優柔不断であったことも批判の対象となっています。
・財政の窮乏と奢侈:飢饉や土一揆が頻発し、幕府財政が窮乏する中で、義政自身は邸宅の造営(銀閣寺など)や美術品の収集に多額の費用を費やしました。このため、民衆の苦境を顧みない奢侈な生活を送っていたと批判されています。
・政治への意欲喪失:政治の現実から目を背け、「文化・芸術の世界」に傾倒していったとされています。真面目に政治をするのが馬鹿らしくなった、というような記述も見られます。
彼らは不老不死を得た代わりに、永遠の孤独と時代を超えた争いに巻き込まれる運命を背負いました。
念力、身体強化、予知、タイムトラベルといった力が、祝福ではなく呪いとなる場面も多く描かれます。
その中心に立つのは、部族の中でも突出した力を持つカナコとヴァルキュリアの二人。
カナコは部族の予知能力者として未来の災厄を予言し、部族を守ります。
しかし、死なない身体と超常の力を持つ彼女は「呪われた存在」と恐れられ、最終的に追放されます。
一方、同じ実を食べたヴァルキュリアは、身体強化と念力を手に入れ、他の部族との争いでその力を発揮。
戦闘のたびに仲間を救いますが、無双する彼女への恐怖が孤独を生みます。
カナコが未来の隕石落下を予知し、村を救うが、自身の力が「死をもたらす」と誤解され孤立。
ヴァルキュリアが部族間の戦争に介入し、念力で敵軍を壊滅させるも、「怪物」として仲間に恐れられる。
エジプトでは、カナコは神官としてファラオに仕えますが、不老不死の秘密が露見し、「神の怒り」を受けたとして生贄にされそうになります。
メソポタミアでは、ヴァルキュリアが伝説的な女戦士として君臨します。
しかし、不老不死ゆえに仲間がすべて死んでいく姿を見届け続ける苦しみを味わいます。
カナコがナイル川の氾濫を予言するが、それを「災厄を呼ぶ者」と解釈したファラオに追われる。
ヴァルキュリアがウルクの都市で「神の化身」として崇められるが、最終的に人々が彼女を捕縛しようとする。
中世ヨーロッパでは、弱者男性族の能力が「悪魔の力」とされ、多くの者が迫害を受けます。
カナコは魔女狩りの犠牲になりかけますが、予知能力で逃げ延びます。
一方、ヴァルキュリアは十字軍の戦士として活躍しますが、十字軍の敗北により「神を冒涜した不死者」とされ追放されます。
魔女裁判で捕らえられたカナコが、自分を告発した村人たちを救うため自ら犠牲を申し出るが、村は疑念に飲まれ破滅する。
ヴァルキュリアがヨーロッパ各地で孤立し、ある修道院で力を封じる儀式を受けるも失敗。
カナコは織田信長に協力を求められるも、戦の非情さに嫌気が差し山中に隠れます。
ヴァルキュリアは戦国武将の補佐役となりますが、彼女の不死を知った者たちから暗殺未遂を受けます。
信長がカナコを「鬼の力」として利用しようとするが、彼女は拒否し城を去る。
平和な時代になり、弱者男性族は隠れ里で静かに暮らすことを選びます。
しかし、江戸幕府の探索により里の存在が明らかになり、隠れ里は壊滅状態となります。
カナコは仲間を守るため最後の力を使い、幕府の追手を阻みますが、自身は深い眠りにつくことを選びます。
ヴァルキュリアは江戸時代の科学者たちに捕らえられ、不死の研究対象として生体実験を受ける日々を送ります。
産業革命期、弱者男性族の力が「科学の発展の鍵」として狙われます。
カナコは目覚め、人間の欲望と再び向き合うことになりますが、彼女の不老不死は新たな兵器として利用されようとします。
ヴァルキュリアは産業革命の中で一度復活しますが、科学者に追い詰められ、念力で施設を破壊するも、その場で消滅します。
産業革命期、カナコは人類の未来を守るため、自らの力を封じるために宇宙へ飛び立つ装置を動かします。
そのまま地球を離れ、冷たい星の中で孤独に凍結状態となります。
ヴァルキュリアは力を使いすぎた反動で、存在そのものが歴史から消え去ります。