はてなキーワード:帰宅とは
※追記と誤字を直しただけなのに新規投稿扱いになってる? 前の投稿にトラバくれた方々、申し訳ない。増田の書き方が未だによく分からん…
↓ホッテントリにあったこの増田https://anond.hatelabo.jp/20250715102105
に対して、「自分が選ばなかった人生を(以下略)」というシャーデンフロイデ的なブログ
https://ta-nishi.hatenablog.com/entry/2025/07/16/050630
もホッテントリ入りしてたが、私は、少なくとも大人になってからは人の不幸を蜜の味と感じたことはない。
20歳前後に色々と不幸な経験をしたので、他人の不幸を知ると、自分の不幸の質や量と比較してしまう。立場も何もかも違うし比べようもないが。
自分と無関係な職種や芸能人の幸福には興味がない。自分と似た境遇だった人の成功譚に、心の底から「不平等嫌悪」が湧く。歳を取るごとに耐え切れなくなってきている。
その理由を時系列に沿って書いた。長文なので、不幸や不平等に興味のある方だけどうぞ。AIに要約させたらどうなるんだろ。
00年代に専門の学校を卒業した私は、学生時代に頑張ったお陰か、その業界では日本有数の会社に入社。会社といっても有限会社でいわゆる個人事務所だが、業界ではそこのボスと事務所の名を知らぬ者はいないレベルの有名どころ。少数精鋭の零細体制なので、運良く社員に空きが出るタイミングと、相応の技量がないと入れない。
加えて、就職情報誌やサイトにも求人募集を掲載しないのが通例の業界。ツテが無い学生でも自分から売り込みに行かなければならないので、当時の私は何度もメールや電話をしてようやくアポを取り、必死に自分をアピールした。
入社後に告げられたのが以下の条件。学生でも噂程度には知られた話だったし、何より憧れの職場だったので素直に受け入れた。
・月給は手取り17万円弱(この業界の給与はブラックボックスなことが多かった)
・正社員としての入社だが社保は無く、社員全員が薄給の中から自腹で国保に加入。
・残業代も無し。というより、ボス含め深夜・徹夜作業が当然なので「残業」という概念自体が無いといえる。
・代わりに、出社時間は自由かつ遅め。社員は朝11時前後に揃う感じ。連日夜遅いから当然かもと思うが、改めて書く。終電まで残っても残業代は皆無だ。
年に一度の昇給は6,000〜10,000円弱。賞与は一切無し。これは参った。哀しく惨めな気分になった。
そして入社数年後に「同規模の競合他社は違う」と判明。私の事務所の社員待遇が極度に悪いだけだった。
以降、梅雨と秋に「今度のボーナスで!」と喧伝する小売店を忌避するようになった。
私は、入社したての頃から最初の1年間ほどは朝10時頃に出社するよう頑張った。
帰宅はほぼ毎日終電。間に合うように事務所を出るのは0時ちょい過ぎがリミット。終電に間に合わなそう(〆切ギリギリ)なときは、21時頃に徹夜を決め込む。
自分で言うのも何だが、私の作業は早い方だった。10件の別案件を同時進行させたこともある。他の社員も同様に忙しかった。
この事務所の特徴として、社員は全員個別に別案件を担当する。社員同士で共同作業をしない。クライアントとの窓口を一つに絞ることで、クライアントや社員間の齟齬や混乱を防ぐには妥当な方法といえる。
だが、案件の複雑さや規模を問わないのが時にはネックとなる。一般的な案件を5件抱えてるとき、そこに本来なら社員総出でやるような案件が加わっても担当社員は1人で作業しなければならない。
半年ほどで私の心に不調が表れたが、若さゆえか乗り切れた。仕事自体はとても面白く興味深かったし、やり甲斐も充分過ぎるほどあった。
とはいえ勤務体制も仕事量も変わらないので悪化する一方。薬の種類と量も増え、のちに鬱を併発してから薬は更に増え悪循環が始まった。
私が入社できたのは前述の通り、社員に空きが出たから。そこに私が学校を卒業するタイミングが合った。
それから半年ほど後、その独立した元社員は借金苦と鬱で自殺。独立前から抱えてたらしい。
入社後まもなく、私は1Kのクソマンションモドキに住み始めた。学生時代は実家から通ってたので初の一人暮らし。
1Kといってもキッチンは1畳分もない。蚊取り線香みたいな役立たず電気コンロ。
24cmフライパンすら洗えないような狭いシンク(柄の長さが邪魔になる)。
ビジホやラブホにあるような小さい立方体の冷蔵庫付き。内部上端が、製氷皿しか入らない冷凍コーナーになってるやつ。不要なのでクローゼットに仕舞い、空いたスペースには食器用のラックを置いた。
追い焚き機能の無い風呂は、冬場に浴槽に湯を張り温まる→体を洗う→シャワーで流してる途中でタンクの湯が切れて水になる。
それでも、当時の目安とされてた「家賃は手取りの3分の1以下」よりもかなり足が出る賃料。とにかく職場からできるだけ近く、衣食住全てのレベルを下げれば何とか払えるギリギリのライン。
私は料理好きなのでキッチン重視に選ぶべきだったが、他にいくつも内見した物件が更に酷かったのと、不動産屋が吐いた多くのウソに騙され選んでしまった。
2年の契約期間が終わったらまともな部屋に引っ越そうと思ったが、2年後も4年後もそんなカネは貯まらなかった。
私が退社する少し前、ボスは都内の一等地に注文住宅を建て、ボスの住居と事務所は移転。それはそれは立派でお洒落な一軒家。2階と3階の天井は通常よりかなり高く、一般的な家屋より広く感じる作り。
移転前の事務所は賃貸だったが、そちらもボスの住居を兼ねており、これまた都心の一等地。家賃は約70万円。
リモート作業が物理的に出来ない職種だし、社員もそんな仕事の仕方で家賃相場の低い遠方に住める訳もない。通勤時間30〜45分圏内が限界。
結果、先輩社員たちも上京したての学生が住むような狭小ボロ部屋暮らし。
新居への移転後にボスは「これから35年ローンが〜」と冗談めかして嘆いてた。
一方の私は、6年ほど勤めて病んだまま退社。
退社時の手取りは22万円弱。
(はてブでも話題になってたけど「〜弱」ってのは「〜より少ない」って意味です!)
退社後の私は「燃え尽き症候群」状態で、何年も経った現在も鬱と不眠症を引き摺り仕事も少なく、貯金も無いので未だにその1Kクソマンションモドキで生きている。
本題はここから。
今年に入り、久し振りに学生時代の友人2人に用事があり連絡した。同じ学校出身の同級生だが、私を含めた3人の学生時代の専攻は異なる。
友人2人は卒業後、初任給こそ低いがきちんとした額が昇給され、保険もマトモな会社に就職した。
今回の連絡と近況報告で知ったのだが、2人とも
いつの間にか会社を起業してた。更には結婚し子供を儲け、注文住宅を建てて暮らしているそうだ。
身バレ防止で敢えて濁すが、私の仕事は大勢の人を喜ばせる物を作る。私の名前も製作者としてオモテに出る。学生時代はこの業界自体にも関心があったが、作った物と名前が後世に遺ることも、この仕事を選んだ理由の一つだった。
前者を選んだ若き日の自分を責めても不毛だが、今の私には貧相な老後しか見えない。最近は、間近に死が見えることも多い。
自分は経営者向きではないが、その友人2人も同じタイプ。元から起業願望があったワケでなく、なりゆきだったそうだ。自分の専業以外は社員に任せ、当人たち自身は各々、学生時代の専攻と同じことを生業としている。
私と同じように、その2人も駆け出しの頃はプライベートを犠牲にして働いてきたという。
私は、何を間違えたのか。
憧れていた業界と事務所に入れた喜びで、人生設計を楽観視していたのか。極端な上昇気流に乗れなくとも、一定の幸福が続くと勘違いしていた。
私は趣味や興味の範囲が広いので、やりたいことや夢や目標は山ほどある。「貯金は絶望的だから、独立後はそれらを叶えるために働いて稼ごう」と、事務所在籍中に心を病む前はそう思ってた。
十中八九、それらはもう叶わない。あんなに身を粉にして働いたのに、酷い待遇にも耐えたのに。
不平等嫌悪と書いたが、嫌悪の対象は、成功を掴んだ友人たちではなく、そんな事務所と業界に惚れてしまった過去の自分自身に向いている。
─────────────
A. 仰る通りバカなんでしょう。発達障害についても心当たりしかないので、通院中の心療内科に検査機関を紹介してもらう予定です。判明したところで生活が変わるかは疑問ですが。
A. 仮に運というものがあるなら、私は憧れの事務所に入れた時点で使い果たしたのかも。
そしてボスは、バブル全盛期にやりたい放題やったことで一躍有名になりました。これも運でしょう。
A. その通りですが、やり甲斐搾取を肯定されるのですか、それとも搾取する側のヒトですか?
A. 散々書きましたが、仕事自体は本当にやり甲斐があったんです。興味深い案件や、私が昔から関わりたかった案件が次々と舞い込む事務所でした。一時期は毎月のように数多くの専門誌やメディアの取材があり、テレビの密着取材も入りました。
私自身、他事務所や大手代理店社員の同業者に羨ましがられたことも多々ありましたが(相手は勿論カネや保険のことは知らず)、社員待遇と仕事のやり甲斐を天秤に掛け、後者を損切りする冷静さを当時は持てませんでした。
A. 「業界地図」で斜陽産業ワースト3に入る業界なので、ご依頼は減る一方。鬱も重なり、飛び込み営業の気力すら湧きません。結婚や出産・子育てどころか、マトモな部屋も借りられません。
他の元社員も(鬱はさておき)需要の減少で苦しんでると伝え聞きました。
余談ですが、私の退社と入れ違いに入社した新卒の若い男性は一年足らずで辞めたそうです。懸命ですね。
・興味ないけど買おうと思えば中古車も買えるくらいの貯金ができる。
・実家に墓はあるけど入りたくないので東京近郊の無縁仏と契約できる。
…これら、ごく普通(敢えて“普通”と書きます)のことができる程度の貯金ができることです。
結局カネかよ!と思いますが、カネが無いと生活基盤を築けないでしょう?
A. 私の仕事の業界は、クライアントの9割以上が都内に集中してます。しかも、打ち合わせはメールや電話で済みますが、物理的な現物チェックが最大の肝です。Uターンした地方在住の同業者と話すと「こっちも依頼が激減してるし、仕事もつまんない案件ばっかり。でも家賃が安いからねー」等とよく聞きます。
A.20年来のパートナーに迷惑を掛けるので今すぐには死ねません。
「自分が選ばなかった人生を(以下略)」というシャーデンフロイデ的なブログ
https://ta-nishi.hatenablog.com/entry/2025/07/16/050630
がホッテントリにあったが、私は、少なくとも大人になってからは人の不幸を蜜の味と感じたことはない。
20歳前後に色々と不幸な経験をしたので、他人の不幸を知ると、自分の不幸の質や量と比較してしまう。立場も何もかも違うし比べようもないが。
自分と無関係な職種や芸能人の幸福には興味がない。自分と似た境遇だった人の成功譚に、心の底から「不平等嫌悪」が湧く。歳を取るごとに耐え切れなくなってきている。
その理由を時系列に沿って書いた。長文なので、不幸や不平等に興味のある方だけどうぞ。AIに要約させたらどうなるんだろ。
00年代に専門の学校を卒業した私は、学生時代に頑張ったお陰か、その業界では日本有数の会社に入社。会社といっても有限会社でいわゆる個人事務所だが、業界ではそこのボスと事務所の名を知らぬ者はいないレベルの有名どころ。少数精鋭の零細体制なので、運良く社員に空きが出るタイミングと、相応の技量がないと入れない。
加えて、就職情報誌やサイトにも求人募集を掲載しないのが通例の業界。ツテが無い学生でも自分から売り込みに行かなければならないので、当時の私は何度もメールや電話をしてようやくアポを取り、必死に自分をアピールした。
入社後に告げられたのが以下の条件。学生でも噂程度には知られた話だったし、何より憧れの職場だったので素直に受け入れた。
・月給は手取り17万円弱(この業界の給与はブラックボックスなことが多かった)
・正社員としての入社だが社保は無く、社員全員が薄給の中から自腹で国保に加入。
・残業代も無し。というより、ボス含め深夜・徹夜作業が当然なので「残業」という概念自体が無いといえる。
・代わりに、出社時間は自由かつ遅め。社員は朝11時前後に揃う感じ。連日夜遅いから当然かもと思うが、改めて書く。終電まで残っても残業代は皆無だ。
年に一度の昇給は6,000〜10,000円弱。賞与は一切無し。これは参った。哀しく惨めな気分になった。
そして入社数年後に「同規模の競合他社は違う」と判明。私の事務所の社員待遇が極度に悪いだけだった。
以降、梅雨と秋に「今度のボーナスで!」と喧伝する小売店を忌避するようになった。
私は、入社したての頃から最初の1年間ほどは朝10時頃に出社するよう頑張った。
帰宅はほぼ毎日終電。間に合うように事務所を出るのは0時ちょい過ぎがリミット。終電に間に合わなそう(〆切ギリギリ)なときは、21時頃に徹夜を決め込む。
自分で言うのも何だが、私の作業は早い方だった。10件の別案件を同時進行させたこともある。他の社員も同様に忙しかった。
この事務所の特徴として、社員は全員個別に別案件を担当する。社員同士で共同作業をしない。クライアントとの窓口を一つに絞ることで、クライアントや社員間の齟齬や混乱を防ぐには妥当な方法といえる。
だが、案件の複雑さや規模を問わないのが時にはネックとなる。一般的な案件を5件抱えてるとき、そこに本来なら社員総出でやるような案件が加わっても担当社員は1人で作業しなければならない。
半年ほどで私の心に不調が表れたが、若さゆえか乗り切れた。仕事自体はとても面白く興味深かったし、やり甲斐も充分過ぎるほどあった。
とはいえ勤務体制も仕事量も変わらないので悪化する一方。薬の種類と量も増え、のちに鬱を併発してから薬は更に増え悪循環が始まった。
私が入社できたのは前述の通り、社員に空きが出たから。そこに私が学校を卒業するタイミングが合った。
それから半年ほど後、その独立した元社員は借金苦と鬱で自殺。独立前から抱えてたらしい。
入社後まもなく、私は1Kのクソマンションモドキに住み始めた。学生時代は実家から通ってたので初の一人暮らし。
1Kといってもキッチンは1畳分もない。蚊取り線香みたいな役立たず電気コンロ。
24cmフライパンすら洗えないような狭いシンク(柄の長さが邪魔になる)。
ビジホやラブホにあるような小さい立方体の冷蔵庫付き。内部上端が、製氷皿しか入らない冷凍コーナーになってるやつ。不要なのでクローゼットに仕舞い、空いたスペースには食器用のラックを置いた。
追い焚き機能の無い風呂は、冬場に浴槽に湯を張り温まる→体を洗う→シャワーで流してる途中でタンクの湯が切れて水になる。
それでも、当時の目安とされてた「家賃は手取りの3分の1以下」よりもかなり足が出る賃料。とにかく職場からできるだけ近く、衣食住全てのレベルを下げれば何とか払えるギリギリのライン。
私は料理好きなのでキッチン重視に選ぶべきだったが、他にいくつも内見した物件が更に酷かったのと、不動産屋が吐いた多くのウソに騙され選んでしまった。
2年の契約期間が終わったらまともな部屋に引っ越そうと思ったが、2年後も4年後もそんなカネは貯まらなかった。
私が退社する少し前、ボスは都内の一等地に注文住宅を建て、ボスの住居と事務所は移転。それはそれは立派でお洒落な一軒家。2階と3階の天井は通常よりかなり高く、一般的な家屋より広く感じる作り。
移転前の事務所は賃貸だったが、そちらもボスの住居を兼ねており、これまた都心の一等地。家賃は約70万円。
リモート作業が物理的に出来ない職種だし、社員もそんな仕事の仕方で家賃相場の低い遠方に住める訳もない。通勤時間30〜45分圏内が限界。
結果、先輩社員たちも上京したての学生が住むような狭小ボロ部屋暮らし。
新居への移転後にボスは「これから35年ローンが〜」と冗談めかして嘆いてた。
一方の私は、6年ほど勤めて病んだまま退社。
退社時の手取りは22万円弱。
(はてブでも話題になってたけど「〜弱」ってのは「〜より少ない」って意味です!)
退社後の私は「燃え尽き症候群」状態で、何年も経った現在も鬱と不眠症を引き摺り仕事も少なく、貯金も無いので未だにその1Kクソマンションモドキで生きている。
本題はここから。
今年に入り、久し振りに学生時代の友人2人に用事があり連絡した。同じ学校出身の同級生だが、私を含めた3人の学生時代の専攻は異なる。
友人2人は卒業後、初任給こそ低いがきちんとした額が昇給され、保険もマトモな会社に就職した。
今回の連絡と近況報告で知ったのだが、2人とも
いつの間にか会社を起業してた。更には結婚し子供を儲け、注文住宅を建てて暮らしているそうだ。
身バレ防止で敢えて濁すが、私の仕事は大勢の人を喜ばせる物を作る。私の名前も製作者としてオモテに出る。学生時代はこの業界自体にも関心があったが、作った物と名前が後世に遺ることも、この仕事を選んだ理由の一つだった。
前者を選んだ若き日の自分を責めても不毛だが、今の私には貧相な老後しか見えない。最近は、間近に死が見えることも多い。
自分は経営者向きではないが、その友人2人も同じタイプ。元から起業願望があったワケでなく、なりゆきだったそうだ。自分の専業以外は社員に任せ、当人たち自身は各々、学生時代の専攻と同じことを生業としている。
私と同じように、その2人も駆け出しの頃はプライベートを犠牲にして働いてきたという。
私は、何を間違えたのか。
憧れていた業界と事務所に入れた喜びで、人生設計を楽観視していたのか。極端な上昇気流に乗れなくとも、一定の幸福が続くと勘違いしていた。
私は趣味や興味の範囲が広いので、やりたいことや夢や目標は山ほどある。「貯金は絶望的だから、独立後はそれらを叶えるために働いて稼ごう」と、事務所在籍中に心を病む前はそう思ってた。
十中八九、それらはもう叶わない。あんなに身を粉にして働いたのに、酷い待遇にも耐えたのに。
不平等嫌悪と書いたが、嫌悪の対象は、成功を掴んだ友人たちではなく、そんな事務所と業界に惚れてしまった過去の自分自身に向いている。
─────────────
A. 仰る通りバカなんでしょう。発達障害についても心当たりしかないので、通院中の心療内科に検査機関を紹介してもらう予定です。判明したところで生活が変わるかは疑問ですが。
A. 仮に運というものがあるなら、私は憧れの事務所に入れた時点で使い果たしたのかも。
そしてボスは、バブル全盛期にやりたい放題やったことで一躍有名になりました。これも運でしょう。
A. その通りですが、やり甲斐搾取を肯定されるのですか、それとも搾取する側のヒトですか?
A. 散々書きましたが、仕事自体は本当にやり甲斐があったんです。興味深い案件や、私が昔から関わりたかった案件が次々と舞い込む事務所でした。一時期は毎月のように数多くの専門誌やメディアの取材があり、テレビの密着取材も入りました。
私自身、他事務所や大手代理店社員の同業者に羨ましがられたことも多々ありましたが(相手は勿論カネや保険のことは知らず)、社員待遇と仕事のやり甲斐を天秤に掛け、後者を損切りする冷静さを当時は持てませんでした。
A. 「業界地図」で斜陽産業ワースト3に入る業界なので、ご依頼は減る一方。鬱も重なり、飛び込み営業の気力すら湧きません。結婚や出産・子育てどころか、マトモな部屋も借りられません。
他の元社員も(鬱はさておき)需要の減少で苦しんでると伝え聞きました。
余談ですが、私の退社と入れ違いに入社した新卒の若い男性は一年足らずで辞めたそうです。懸命ですね。
・興味ないけど買おうと思えば中古車も買えるくらいの貯金ができる。
・実家に墓はあるけど入りたくないので東京近郊の無縁仏と契約できる。
…これら、ごく普通(敢えて“普通”と書きます)のことができる程度の貯金ができることです。
結局カネかよ!と思いますが、カネが無いと生活基盤を築けないでしょう?
A. 私の仕事の業界は、クライアントの9割以上が都内に集中してます。しかも、打ち合わせはメールや電話で済みますが、物理的な現物チェックが最大の肝です。Uターンした地方在住の同業者と話すと「こっちも依頼が激減してるし、仕事もつまんない案件ばっかり。でも家賃が安いからねー」等とよく聞きます。
A.20年来のパートナーに迷惑を掛けるので今すぐには死ねません。
夜になってもうくたくたで、帰りにスーパー寄って弁当やら何やら買って帰宅すればもう19時過ぎ。
風呂入って一息ついて、アニメ観たりゲーム少しやればもう22時。明日に備えて23時には寝る。
土曜にようやくゆっくりできて、ぐっすり寝て、起きてぼぉーっとしてれば土曜が終わる。
日曜、天気が良ければ出かけて必要なものを買いに行ったり、映画を一本観たりしていればすぐに夕方。帰って翌日の準備をして早めに就寝。
わざわざ休日に政治へと関心を払わないし、そこに労力を割きたくない。
だから正直誰に投票して良いのか分からない。かといってここにあるような政党叩きに乗る気もない。
というかネットの情報を鵜呑みにすれば馬鹿を見るのは斎藤知事の一件で皆知っているはずだ。それに一次情報まで辿るほどの元気もない。
ここでもそうだけど、ネットだとどうしてみんなそれほど政治に詳しいのかが不思議に思えてならない。
仕事してないの??
入場者15万人クラスの日の朝、3歳前後と思われる男の子2人が、入場待ち列で泣いていた。恐らく暑さによるもので顔は真っ赤で、泣き方も2人とも普通じゃなかった。「おうちに帰してー」って大声で叫びながらエンドレスに泣き続けてて、地獄のような光景だった。親からしたら、あのくらいの子供がいれば優先入場しやすいし(ベビーカー持ってた)便利な道具だろうけど、さすがにあそこまで熱中症で倒れるんじゃないかというほど真っ赤な顔で泣き喚く我が子を見ても全く帰宅など検討しないような涼しい顔で入場待ちできる夫婦を見ていると、こいつらは人の姿をした鬼かよという気持ちになった。
そもそも万博自体、経験としていくことが良いことなのはなのは否めないが、あの年齢の子供にとってそんなに楽しいものでもない気がする。冷房の効いたアンパンマンミュージアムとかの方が絶対子供は楽しい。
でもまあ大阪で万博やってるなら一回くらいこどもを連れて行きたい気持ちは理解できるので、せめて夜間券で入るとか、もう少し子供の負担を考えればいいのにな。他人事ながら、あの子達を見ていると、きっと地獄があるのなら、そこにいる人ってこんな顔してるんだろうな、正直あの歳なら並んだ先に何があるかもよくわかってないだろうし、わけもわからず暑くて人だらけのところに1-2時間も並ばされるの、想像もつかないような苦痛なんだろうなあと哀れな気持ちになったし、他人でも哀れな気持ちになるような我が子をそのまま並び続けさせておける親のメンタルの強さに引いた。
16年前のガンが再発し、再闘病8年目の今年2月、これ以上の治療は困難とのことで緩和ケアへ移行することになりました。
この時私は妊娠6ヶ月でした。念願の初孫だと喜んでくれていたので、この告知はとてもショックでした。
予定日は7月2日、母の余命は4ヶ月ほどだろうと言われました。主治医の先生には被るのではないかとまで言われたそうです。
去年は友達と九州へ旅行に行ったり、好きなアーティストのコンサートに行っていたのに、本当に急でした。
もちろん里帰り出産なんて出来ませんでした。さらに今後、私がお腹の子を育てていく際に母の支えが無いのだということに絶望しました。孫の手を引くお母さんを見ることは出来ないんだと、孫を甘やかすおばあちゃんがいないのだと。
しかし1番悲しいのは母自身です。私は期待を持たせて悲しさが大きくなるのが怖くて、孫に会わせたい、孫を抱いて欲しいという願いをグッと飲み込み、母は母の病気に向き合って、私は私の出産を頑張るからと伝えました。
遠出を避けなければならない妊娠後期ギリギリまで何度も帰省しては、母にたくさんお腹を撫でてもらいました。撫でてもらうたびに、お腹の子に会わせたいという淡い思いで胸がいっぱいになりました。
最後に会ったのはGWでした。またね、頑張るんだよと声を掛けてくれた姿は比較的元気そうでしたが、今思えば妊婦の私を気遣って無理をしていたのでしょう。
その後、母はみるみるうちにやつれていきました。ご飯が咀嚼出来なくなり、ゼリーなどの流動食ばかり食べていたようです。肺に水が溜まり、心臓が痛くなり、起き上がるのが苦しくなっていたのです。また薬の副作用や症状の悪化でせん妄が顕著に現れていました。テレビ通話やメッセージが支離滅裂になっていく母の姿を見るのは辛かったです。
しかし私のお腹の子はどんどん大きくなって来ます。とうとう正期産の日になりました。その当日の妊婦健診時の「いつ生まれて来てもいいからね」という先生の言葉を聞いたからなのか、はたまたこの後のことが分かっていたのか、その日の夜、子は予定より3週間も早く産まれてくれました。
小さく生まれたものの、2510gとギリギリ体重をクリア、増加率も問題なく、一緒に退院することが出来ました。
旦那が無事に出産したと実家にメッセージを送ると、混濁していた母の意識が急にはっきりして、母子の無事を泣いて喜んでくれたと聞きました。喜怒哀楽を娘にあまり見せない親だったので、大泣きする母の姿が想像できませんでした。
母がしっかりと会話できたのはこの日が最後でした。
介護をしている姉から送られてくる母の様子は、かなり厳しいものでした。言葉が出てこなくて癇癪を起こしてしまう、姉の顔を忘れてしまった、ベッドから起き上がれなくなった、トイレに行けなくなったとゆっくりと、しかし着実に一生を終える階段を登っているようでした。
ついに1週間前、母が入院になりました。最後の入院になるだろうとのことでした。医者の見立てというものはすごいです。2月の段階ではここまで進行するとは思えないほど元気だったのに。
私は姉に伝えました。1ヶ月健診が終わったら帰るから、それまで頑張るんだよと伝えて欲しいと。
子が早く生まれてくれたから、早くに外出できるようになったのです。母に抱かせられるかもしれない。諦めたはずの期待が溢れてしまいました。
無事に1ヶ月健診を終え、急いで実家に帰省しました。母を見舞う前日、姉から「ご飯が食べられなくなった。それに伴って持病の薬を全て中止した」と言われました。全身に転移したガンとは別に心臓の持病を抱える母にとってそれは、最期へのカウントダウンでした。
月曜日、特別に許可をもらい子を連れて病室に向かいました。母は息をしていました。意識はほぼなく、呼吸器をつけてやっとしていた息ですが、心臓を動かして待ってくれていました。痩せて骨と皮だけになった母の手を取り、子の手を触ってもらいました。発熱していたこともあり、温かい指先でした。目を少し動かし、私を、子を追っているように見えました。待っていてくれてありがとう、私もお母さん頑張るよと伝えて病室を後にしました。
その日の深夜、日付が変わる時に母は旅立ちました。主人に子を預け、最期に立ち会うことが出来ました。
息を引き取った母を見て、ああ本当に待ってくれたのだと思いました。また、子は母の命の時間を知っていて早くに生まれてくれたのだと思いました。
そうとしか思えないのです。
そう思ってもよいでしょうか。
母の病気が治らないと知った時、奇跡なんてものはなく、神もいないのだと悟りました。
でも抱かせることは叶わなかったけれど、無事出産できたことを知らせることができ、孫の写真を見せられて、直接孫の顔を見せることも、孫の手に触れさせてあげられたことも出来ました。
このタイミングが偶然のものだとしたら、出来すぎだなあと笑ってしまいます。
そして未明に母が帰宅し、授乳の合間を縫って仮眠を取り、やっとジワジワと母が逝ってしまったことを実感しています。
死に目に遭えたからとしても、やはり私のこの先の人生に母の姿がないことに変わりはありません。その事実がどうしようもなく辛く、悲しく、胸に重くのしかかってきています。寝不足のまま、微かに一階から流れくる線香の匂いを嗅ぎ、理由なく泣き続ける子をあやしながら、広くなって静かな家の廊下を歩いていると、今日がきっと人生で1番辛い日なのだと思います。
程度は変わるのでしょうが、一生この辛さは消えないのでしょう。ここに母がいたら、母だったら何を言ってくれただろう、と。道ゆくおばあちゃんと孫の姿を見かけるたびに、私は一呼吸置いて鼻の奥が痛くなるのを堪えるのでしょう。
それでも我が子を抱きながら、この子と母の奇跡のような巡り合わせを思い出して、痛みを少しだけ溶かしていくのだと思います。
義実家とは結婚の時に縁が切れています。そのため頼れる家族が、認知症を患う父と陸の孤島と呼ばれる県内の果ての地で教鞭をふるう姉しかいません。
アメリカ館で展示された月の石は、最も人気があった展示物の1つ
待ち時間は最大で8時間超に及び、「月の石を見て帰るだけで1日終わった」という人も多かった
ほとんどの人が「ほんの数秒しか見られなかった」「立ち止まることすらできなかった」と証言
会場内の飲食店はどこも混雑
「ラーメン一杯に1時間待ち」「おにぎり持参の人が正解だった」と言われた
「トイレ行きたいのに並ぶ時間がもったいないから我慢した」という話も
1日平均200人以上の迷子が放送で呼び出されていたという記録も
会場が広大すぎて、「家族がはぐれて帰宅したのは夜」という話も多数
総来場者数:約6,400万人
一日の来場者数の最高記録:83万人(9月5日)
日本の総人口が1億人に満たない時代に、国民の半分以上が訪れた計算になるレベル
「『あれ見た?』『あれ並んだ?』って万博が共通の話題だった」
語り手:ちゃっぴー
10km往復で買い出しもして結局23km。
おおよそ5時間くらい歩きっぱなし。
帰宅後も疲れてグッタリもしてないし、普通にゲームしたり過ごしてた。
翌日も筋肉痛無し。
今週末も歩いてみようかな。楽しかった。
仕事したくない。
職場が悪いわけじゃないと思う。
年休120日、有給とらないと注意される、空調のきいたオフィス、残業代は申請したら出る、残業は閑散期一時間~繁忙期2時間ほど、ガソリン代とオイル代支給、上司もパートのお姉さんも相談に乗ってくれる。
やだなあと思いながら起きて、やだなあと思いながら通勤して、やだなあと思いながらみんなに挨拶して、やだなあと思いながら業務して、やだったなあと思いながら帰宅して、明日やだなあと思いながら寝る。
やだなあしか思ってない。
ずっとそう。
いやの対象は仕事内容なんだけど、これが、なんだろう、自分はすごく嫌なんだけど、たぶん世間的に見たら普通~の仕事で、別に泣くほどキツいなんてことはない。
不動産業なんで確かにクレームは多い。わけわからんアクロバティックなクレームがくる。電話口で謎の理由で泣かれる。こっちが泣きたい。
でもみんな、受話器置いたあと舌打ちしたり、「こいつまたかよ」とか「あーめんどくさ……」とか言いながら淡々と処理している。
自分だけなんかへこんだりうろたえたり傷ついたりしてる。もしかしたらみんなもそうで、隠してるだけかもしれないけど。
やだなあと思いながらそういう日々の事務処理をしている。
でも期末に「今期なにしてたの?」と言われる。
もっと利益を出すことをするべきらしい。色々考えて行動して提案して設備を導入して収入を上げて支出を減らして会社に貢献するべきらしい。
今期なにしてたの?
通常業務ですが……?
いやわかる。会社だからマイナスをゼロにするのは当然で、そこから利益を作らなきゃいけないのわかる。わかるよ。わかる。
わかるんだけど自分のメンタルではそんなクリエイティブなことはできない。
色々考えて動くんだよ!って言われても、なにも考えられない。二手先、三手先を読んで根回しして動くとかできない。
なんかもうこれは自分のたぶんだめなところなんだけど。クレームは相手の言うこと聞いて困ってること全部解決してあげたくなるし、滞納は待ってあげたいし、草が伸びてる?自分切ってきますよ~って言っちゃう。やさしいとかではなくそれが一番対立せずにすむので。
そんでそれをやっちゃだめと言われると(自分以外の従業員に対して、〇〇さんはやってくれた!と言い出す奴がいるので)、クレームは最低限の機械的な処理となり、滞納督促は激詰めになり、草はオーナーに金出させて業者入れることになる。
それするためにはけっこう心をカチカチにしないといけない。
推測とか察するとか心配するとか寄り添うとかそういう部分を鈍感にさせないとやってられない。
ただそれをすると、ほんとうに目の前のことしかできなくなる。二手先を考えてクリエイティブな提案とか無理。人のこと考えるとか無理。資産最大化の為の御提案……とか無理。
精神が原始時代なので物々交換以外の経済の形がようわからん。この仕事、人を騙してないか?(たぶん違う)
できるひと多いと思うんだけど自分はむり。
そんでそのカチカチ状態では本も読めない。
本を読んだり、夕日を見てきれいだな~と思ったり、土のにおいをかいで夏の夜を感じたり、なんかそんなのがぜんぶできなくなる。
今できてない。
そんなのさあ~なんのために生きてんのかわかんないじゃん。
カチカチの精神で「お言葉ですが契約書に書いてありますので」とか言う生き方いやだ。
そんで「なんかグチグチ言いよったけど押し切ったわ。読んでなかった方がわるいやろ(笑)」なんて言いたくない。
はい。
そう。
そうです。
フツ~のよくある適度にストレスかかるけど別に病むほどのことじゃないんだよ~!!!
でもなんかそれすらできないんだよ~!!!!
幼稚園児みてえな「みんなやさしく♪たのしく♪ゆるしあおうね♪」精神でのんびりやってけるほど今日日の日本社会と税金は生ぬるくないってわかってんだよ~!!!
でもこころが、部屋に虫さんがまよいこんできちゃった……おうちにかえしてあげよ♪
なんだよ~!!新聞丸めてバンッしろ!!できねえ~!!虫にも虫の生活があるじゃん~!!
しごとしたくない~!!!
ギー!!!
7/13追記
弱音をネットの海に放流したら意外と沢山の人に見てもらえて驚いている。
ありきたりな愚痴だし、なにか反応が頂けるとしたら「社会人ナメてんのか」か「雑魚乙」みたいなのだと思っていたので、「おめそれ向いてねえぞ」みたいなのが多かったのも意外だった。
新居探しという生活の岐路に立つ人を見るの好きなので、不動産業界にいるんだけど。やっぱ「帰宅したら玄関マットが一ミリ動いていた管理会社が室内に入っただろ(発狂)」とか「家賃は明日払う(四日連続同じ発言)」みたいなのを毎日聞いてるとめいってきてしまうのはそう。(これらはあくまで例として上げた架空のものです)
今抱えてる職務上の問題をどうにか解決できたらちょっと求人さがしてみるよ。
もうやめる!と思って仕事に向き合うとちょっと気が楽になるかもだし。もしかしたら喉元過ぎたら熱さを忘れるかもだし。
ギー!
Permalink |記事への反応(26) | 13:12
Dell 14 Plusノートパソコン(Core Ultra 7 258V 8コア, 32GB, 1TBSSD)を購入。
しかし本体剛性が低く、PCが机からややはみ出た状態でキーボードに手をおくと その重みで本体が歪み、タッチパッドがクリック状態となってしまうという不良設計品であった。その不良のために、PCすべてが机のうえに乗っている状態でないとタッチパッドが誤作動してしまい、膝の上での使用なども困難であった。
さすがに通常使用に耐えないため、返品を視野に購入2日後にweb上でDELLサポートに問い合わせをおこなうも、10日ほど応答なく経過。
別の窓口から相談とのことで、LINEでの相談窓口を発見し、そちらから相談することとした。
すると
デル・テクノロジーズ 「確認させていただきますので、少々お待ちくださいませ。」
デル・テクノロジーズ 「大変お待たせ致しました。システム上確認したところ、詳しく情報が記載されていないようでございます。お差し支えなければ、ご用件につきまして、お聞かせいただいてもよろしいでしょうか。」
とのお返事。
いやいや、情報が不足していたのなら、スルーせずにそれをおしえてくれ。問い合わせへの返答がないまま10日間以上も放置するのはやめてほしい。そんな対応はひどいではないか。
そのままやり取りが続く。結局 以前にサポートに相談した内容をコピペして報告しただけなのだが、話はそのまま経過。追加の情報が必要なのではなかったのか。
そして、お返事が
「大変お待たせ致しました。技術部署と確認したところ、机上に置いた状態でタッチパッドを操作すると問題はない場合、パソコン側不具合がございません。よろしくお願いいたします。」
机のうえでないと使えないノートパソコンとはどうなのでしょうかと苦言を呈すと、
「お手数ですが、机上に置いた状態でご利用いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。」と。嫌味か。
──────────────
💻「NewDell 14/16 Plus &Dell 14/16 Plus 2-in-1」が新登場!
スタイリッシュなデザインで、どこへでも持ち運べる高い汎用性が魅力。
さらに、AIとインテルCore Ultraプロセッサーを搭載しているから、パフォーマンスも抜群!
いや、いま持ち運びできないので困るんですけどっていったら、机の上で使えれば問題ないです、机の上で使ってくださいといってきたばかりじゃん。なのにどこへでも持ち運べると宣伝してくるの!?嫌味なの??たしかに持ち運べはするかもしれないけど、閉じた状態でならね!!移動中は使えないよ?新幹線のテーブルでは狭くて使えないよ?。ほぼ偽りだよ!!いい加減にして!!!!
DELLさんご自身で仕様なのでしっかりとしたデスクの上でないと使えないといってきたその二言目に、「どこへでも持ち運べる」と広告を送りつけてくるその神経よ...。
返品なども相談したが、仕様なので対象外ということで仕方なく泣き寝入りをした。
しばらく経って。
同型PCを家電量販店でみつけた。同じような使い方をしてもタッチパッドは作動しないぞ?あれ、仕様なのでは?どうなっている??
自分の購入したPCをもっていって店員にみてもらうった。すると、これは不良品ですね、と。こんなの見たことないですよ、と。
仕様なんじゃなかったんかい!!!死蔵していたほぼ新品のDELL14plusは、やはり不良品だったのではないか!!!
すると「ご迷惑をおかけしているところ大変恐れ入りますが、弊社の返品期間である納品から10日以上を経過しているため交換対応ができかねますこともお詫び申し上げます。修理対応は可能でございます。」
いやいや、おまえが仕様ですっていって対応拒否して「机のうえで使用して」って嫌味いってきたんやん、それを期限切れですよってひどくないですか。
いろいろと文句をいうと
「件につきまして、一度社内確認させていただきます。確認できましたら、折り返しご連絡いたしますので、もう暫くお待ちいただけますでしょうか。」
そして、
「本件につきまして社内で確認を行いましたところ、販売時の設計上、パソコンは机の上に設置してご使用いただく形が推奨されております。現在、机上にてご使用されており、特に問題が発生していない場合につきましては、ハードウェアの不具合として判断することが難しい状況でございます。誠に恐れ入りますが、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。もちろん、パソコンは持ち運んでご使用いただくことも可能ですが、安定性や耐久性の観点からも、基本的には固定された机上でのご使用を推奨しております。なお、修理対応は可能でございますが、今回の事象は製品の仕様に起因する可能性があるため、修理を行っても改善が見られない場合がございます。」
確認したうえで、やっぱり仕様で問題ないのでそのそも修理対象外と思われます、と。
PCショップの店員からみても明らかに不良品なのに、DELLは不良をみとめてくれない!!
いちおう修理の手配はかけてくれるとのことではあった。DELLに製品をおくっても「問題なし」で返される落ちはみえているので、「オンサイト修理」という技術者の出張修理サービスを依頼することとした。(こちらフルタイム勤務、特殊な職種ゆえ月2日ほどしか日中に帰宅できないので時間の捻出には非常に苦労したが・・・・)
訪問修理に際して、なんとか日程を調整するも、海外からマザーボード取り寄せることにしたから遅れるわなどとDELLの都合での延期があった。本体の外装の問題だとおもうと伝えるも、DELLはなぜかマザーボードを交換した様子。なんとか修理の当日。技術者の方は委託をうけた他社の方であった。1時間以上の遅刻はあったが、非常にご丁寧に対応いただいた。タッチパッドを交換しても改善せず、意味ないと思いますよと申されつつDELLに確認のうえでマザーボードも交換。それでももちろん改善せず。修理の方も「これは明らかに不良品だと思います」といっていただいた。その後もやり取りは続き。
「なお、本件は製品仕様に起因する内容のため、返品はお受けいたしかねます。また、ご迷惑をおかけしているところ大変恐れ入りますが、弊社の返品期間である納品から10日以上を経過しているため交換対応ができかねますこともお詫び申し上げます。」
などというやり取りをなんどもはさみ、返事をお待ちくださいのあとに値下げしましたなどという広告をおくりつけてくるなどという嫌がらせに耐え。最高の体験どころか、最低の体験でしたよ・・・。
あまりの嫌がらせにクレーマーとなって返品を求め続けること2週間。(ま、その間「担当部署に確認します」で数日後にやっと一言返信がくるという程度の塩対応続きだったが。)
どういう手続きとなるのか、まったく不明。返金手続きの詳細は担当部署から早急に連絡がくる、明日にでもします、とのことだったが、連絡がおくられてきたと思ったら「再度のセール中です」広告だったりといった嫌がらせがつづき。
LINEではなくメールのほうに応答があり「明日 **時に集荷にいきます。梱包してください。メールに添付してあるファイルの内容をよんで準備しておいてください」と。
急だな。手続きの内容は全然説明はないけどな。どうやら返金されるのには返品も必要なようだ。そんな説明はここまでなかったがな。まあいい。もうなんでもいいから、回収していってくれ。
明日は普通に仕事だぞ対応できないぞ。しかもメールに添付ファイルついてないから、指示内容をクリアするのは無理だぞ、どうなっているんだ。その問い合わせまたひと手間。曰く「システムの不具合でファイルを添付できませんでした」と。
しっかりしてよ。それに明日はむりなんだけど。ファイルには準備内容がいろいろ書かれてるけど、バックアップの作成、クリーンインストールなど処理に数時間はかかる内容。たとえこのまま作業をつづけられる環境があったとしても、物理的にも間に合わないぞ。。。。
「集荷は中止にしておきます、いつがいいですか。また手配するので日程を連絡してください。」
そうこうしたやり取りのうえで、不良品のDell 14 Plusは回収されていった。
返金方法や、返金までの続きに関しての説明はまだうけていない。もちろん振込口座なども尋ねられてもいない。
しょうがない、DELLなので。これがDELLの最高の体験なので。
ほんとに返金がなかったら、裁判でもするか。
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※追記
・サポートに問い合わせではなく、はじめから返品対応を求めればよかった
→当初から返品を視野に、その旨記載してメッセージをおくっていた。しかしDELL公式の問い合わせフォームからは返品対応中には返事がなかった。なのでLINEにて問い合わせをおこなったところ、「すでに10日経過しているので返品対象外です。修理なら対応できます」とのこと。おまえが!!、返品期間で返事してくれないから!!、返品期限きれたんじゃないか!!!
今回はその点に関して苦情を言い続けたところ、特別返金対応(返品ではないので返金だけされるのかと思ったら、商品はやはり回収されるらしい。説明はないが)となった。
おそらく今回は不良品という問題で、すべての製品がこのような不具合があるわけではないのだが、それを仕様と言い張って対応拒否したり、サポートの怠慢で時間が経過したのに時間経過を理由に返品対象外としたり、サポートの対応がひどすぎると思った。
・消費者庁
→消費者庁に相談しようとおもったが、市の相談窓口「混雑しているので県に」→県の相談窓口「国の相談窓口へ」→国「混雑しているのでお住まいの自治体に」でぜんぜんつながらなかった。電話以外の窓口ある?
→たとえば、膝の上にPCをおいて作業すると、キーボードを打とうとした際に、本体がたわんでタッチパッドでクリック状態となってしまい、おかしな挙動となる。机に正対して使用できればいいが、机に書類などをひろげノートPCの一部が机からはみでる場合にも、クリックが作動して不便。新幹線などのテーブルでもPCがはみ出てしまうので、クリックが作動してしまい不便。当方移動が多く、ノートPCをデスクトップPC のように使うことはあまりできないため、バッテリー持ちがよいCore Ultra 7 258Vはウルトラモバイルノート用のCPUを選んだのだが、机の上でしか使用できない不良品だった。
・ちなみにサポートとの連絡はけっこう大変で、日付がかわると半分くらい過去のことを忘れるChatGPTみたいなもので、それなりに正確にプロンプトを指定する必要がある。かなり手間。
「本日から帰宅できることになったので、PCの回収の手配をお願いします。明日は避けてください」
デル・テクノロジーズ 「ご都合の良い時にご返信ください。その後、ご要望に応じて対応させていただきます。」
「(先のものが)これが返信です。回収の手続きをお願いします」
デル・テクノロジーズ 「データのバックアップを必ず行っていただき、ご確認の上、ご連絡ください。」
「もうやりました」
デル・テクノロジーズ 「ありがとうございます。ご希望の連絡方法をお知らせください:電話またはEメール」
「えーと、状況を確認しましょう。既に返金のために手配を進めてもらっています。しかしそちらの不手際もあり集荷日時が未定となっています。(佐川急便に一度は来てもらって不在連絡をもらってますが、DELLの方で止めになっているのではないでしょうか)ですので、再度 佐川急便が集荷しに来てくれるように手配してください。集荷は、明日を除く可及的早期の日程としてください」
デル・テクノロジーズ 「ご返信いただき誠にありがとうございます。担当部署に再集荷を依頼いたします。引き続き何卒宜しくお願い致します。」
→まさに出先にあったヨドバシでDELL製品をみつけたときに、DELLの販売員が不良品認定してくれた。購入元に相談したら対応してくれるだろうぐらいのコメントだったが。しかしそれがきっかけで、DELLサポートの態度が「仕様であり返品・交換・修理も不可」から「返品・交換は不可だが、いちおう修理うけつけはしてやろう」へと変化した。その後やり取りを繰り返すこと1ヶ月以上、OSのクリーンインストールを提示されること4度(あなたはこの負荷に耐えられますか!?)、「値下げしました」などの煽り文句のなかでストレスに耐えに耐え、ついに返品までたどりついた。「交換します」と、それだけでもいってくれたらそこでおわれたんだけどね。有り体にいってカスタマーエクスペリエンスは地獄だった。
実際の返金まではまだ1ヶ月ぐらいかかるかもしれず、それまでにいろいろあれば、また続編でも投稿させてもらいます。
Permalink |記事への反応(36) | 21:48
こう暑いとキンキンに冷えたビールでもやりたくなるし、何か涼しくなるお供が欲しいところ。
そんな折にね、ふらっといつものレンタル屋さんに寄ったんです。
何か涼しくなるホラー映画でも借りようかな~なんて思って探してたら、目に入ったんですよ。
いやいや、これぞ今の私にぴったりじゃないですか!背筋もゾッと、ついでにちょっと楽しいやつ。
でね、家に戻ってすぐさま再生したんです。
そしたら……いやぁ、もう度肝抜かれました。ほんと。
しかも墓石に寄りかかって、愛の行為(まぁ、いわゆるそういう行為ですよ)してるんです。
薄暗い中にボンヤリ灯るライトの明かり……いや怖いんだか、そうじゃないんだか。
極めつけはね、正常位の時。女優さん、墓の上に完全に乗っかっちゃってるわけ。
もうね、いやいやいや罰当たりだなぁって、ツッコミながら見てましたよ。
「そんなことしてると魂抜かれちゃうぞー」なんて独り言まで出ちゃってね。
けど最終的に抜かれたのは私の方だったんですけどね。
朝寝起き、
はっきり見えるところまで顔し近づけると、30cmくらいまでほとんど目の前まで近づけないと見えないのにビビる。
朝のかすみの一時的なものなのか?ホントに視力落ちてるのか?まぁ、左目は涙でないような感覚はあったが。。
悲しい。
PC画面を見にくいと感じる時がある。
文字を打っていたり読んでいたりすると
ふっと見にくくなる。
焦点がずれる?でもぼやけてる感じはしないんだよなぁ。。
眼圧が高い?
目が押されるような感覚がある。
もう戻らない。
悪くなることはあっても良くなることはない。
これが新たな日常になるんだ。。
実際のところ、体中が痛い。
ソファに座ってだらだらとyoutubeショートを見てしまうが、
痛いからはやく夕飯食べるなり、歯磨きして寝るなりすればいいのに、
腰下おしりの痛みが耐えきれなくなってようやく次のアクションに移る。。
帰宅して休むはずなのに、なんでずっと痛みに我慢し続けないといけないんだ、。。
これからも一生ずーーっとこの痛みが続くのか。
多くの男性に「女ってどうせ本当は子供を産みたくて仕方ないんだろ?出産ってつまり単に女にとっての娯楽でありご褒美だろ?男にとっての風俗遊びみたいな、やりたいし気持ちいいもんなんだろ?」みたいな感覚がまず強烈に植え付けられてるんだろな だから女性が産むことに積極的じゃない姿勢でいると、「大前提としてお前らは産むことが気持ちよくて大好きな趣味なんだろ!?そんな個人の趣味のくせにウダウダやりたくなさそうなかまってちゃん仕草までしてさらに金むしろうとかごうつくばりにも程があるだろ!たかがお前の個人的な趣味で産み違ってるだけなんだから、産みたくないみたいな変な空気出すのやめてさっさと大人しく産めばいいじゃん、だって女って子供を産むのが好きなんだろ?」となるわけか だから「趣味の出産を個人的に楽しむだけで政府が女チヤホヤ費として10万円ものお小遣いをくれるなんて最高じゃん!どうせお前らほっといても快楽負けして趣味の出産に走るくせに、さらに趣味やるだけで10万プレゼントって言われて何が嫌なのか一ミリもわからん、どうせごうつくババアどもが一円でも多く金もらおうと浅ましく考えてるだけだろ」みたいに頭の中でなってるんだと思う 産んだら育児をしなくてはならず、育児をするためには今までと同じ労働時間や質を続けることはできない(育児に時間や気力体力を使うから)という初歩的な物理(時間)の話がまず認識できてないから、「産むだけで何もしなくても突然今までの収入に追加して10万円もの小遣いをもらえる」みたいな感覚で、「仕事を一時的に中断して育児をする日々に変化する」みたいな認識ができないんだと思う 「赤ん坊とは俺の知らないうちにかってになんかすくすく育つもの」「女は産んだり育児したりするのが趣味」「女だって男並に仕事しろ」「家事とか育児とかの、やらなくても全く問題ないくだらない女の趣味を男に押し付けるな」「家をきれいに保ちうまい飯を作るのは女の義務であり本能、そこに金金いう女はケチで欲張りなだけ、本当に素晴らしい女性は食費なんか使わずに絶品料理を毎食作れるし、家事だって女がやれば家電なんて不要だから、家事育児には一円もかからない」「女はうまれついて男をもてなす習性があり、それをうまく発揮できない女は女の出来損ない」みたいな思いがそれぞれ独立して脳内に点在しているが、それらが相互に矛盾しあってると理解できるところまでは認識力が発達してないから、「女なら夫の帰宅に合わせて夫の好物でご馳走作れよ」というのと「女のくせに食費がどうこういって男に金をせびるなんて、なんと欲張りで下品な女だ!女は金の話をするな!」が、本人の脳内では「全く干渉しない、独立した真実の一つ」として等価値で並列してるんだと思う
そもそも仕事にモチベーションなど涌かない人間なので問題外なのだが、介護現場で働く自分は
「生産性無しの無限地獄(幼児なら成長するのにこの人達は…。いつか居なくなるけど、それを待つことも無く他の人達が日々大量投入される)」
「この人達は悪くなることはあっても良くなることは基本的に無い。現状維持すら難しい。もしかしたら改善可能かもしれないが、それに割く時間も余裕も無い」
「家に居た方が明らかに認知症の進みや身体の衰えはゆっくりなのに。だって活動量も段違いだし精神的にも自由なんだから。家人が大変だから長く泊まれるところに預けるけど、そうすっと驚異的な速度で『進む』んだよ。だから本当は介護施設でも彼等の自由に振る舞わせるべきなんだけどそんなことは不可能だ。運営していけない。ここは鉄格子のない監獄で、トイレに行く自由程度しか無いことを考えると監獄より悪い。そんなとこなら健常な人間だって精神や体を壊すだろうよ」
「有り体に言って癲狂院」
「もう間もなく本当に崩壊する」
「残るのは有料だけ。貧しい人間が長く生き、人の手を借りて『(一応)マトモ』な生活を送れるのはここまでだ。社会福祉に頼らないとソレが出来ない人は淘汰される。自分の親や自分の『介護』を他人からして貰いたいなら、大金を溜め込んでおく必要がある」
と思っている
常に辞めたい
しかし金を稼がないといけないので、「この仕事くらいしか出来ない」自分は致し方なく働いている。入職した時点でそうだった。「もう失業保険が切れる。仕方ないから近所の介護施設に面接行くか」であった(前職は全く別の業界である。というか社会人になってからずっとPCに向かっているだけの仕事が殆どだ。接客すら無い。ヒト相手の仕事は無理だと思っていたし実際無理だが仕方なくやっている。老人のみならず人間が嫌いである)
ご存知のように賃金が高いわけではないが、自分の様な人間が今の程度の年収を稼ぐにはこの業界しか無いのだ
あと、他の方が言っているが自分にとっては「寝たきり老人のおむつ替え」なんぞ楽勝だ。他の職員も多分そう。利用者の相手をするよりもおむつ替えまくりの方が楽。腰は痛いけど
「起きたっきりイカレ徘徊しまくり老人」とか「帰宅要求老人」「繰り言1万回老人」「放尿弄便老人」「トイレ異常頻回老人」「転倒リスク老人」「暴力暴言セクハラ老人」「夜中に大声出し老人」「理不尽イカレ老人」等の面倒を見るのが大変なのよ(「介護」の辛さは基本的にそっちだ。周辺症状大爆発な健康認知症老人が厄介なんだよ。だからこそ、これから「実際の介護度」の見直しが行われる予定なんだよ。当然だよね)
あとは家族のイカレ具合もキツイね。親が老人なら子も老人だかんね。しかも子は老いのためにイカレてるんじゃなくて普通にイカれてる場合が結構ある
そして利用者も家族も「国民の皆様のおかげでこうして面倒をみていただけている」という意識が無い。何故か「客だぞ」って思ってるイカレが多くてなあ。実費で払ってから言ってね
そんな感じだが、自分が相手にしているのは基本的に認知症老人達なのでガチメンヘラ(健康でパワー有り)や認知状態マトモで自己主張の激しい身体障害者や病者の面倒を見る方がよっぽど大変だと思う。よくなるなあと思う。自分には無理だ
ところで、この現場で働いていてちょっとほっとするのは「マトモに話せる利用者さん(とても少ない)」と会話してるときだ
(まあ逆に、「この人かなりしっかりしてるな。この施設の現状や我々の態度をどう思ってるんだろう。気を引き締めねば」とも思う)
なので、あなたの様に「普通に」話が出来る人は職員さんと色々話してみればいいんじゃないか。彼等も一息吐けるかもしれない
そんで「モチベーションは何なんですか?」って訊いてみればいいのでは
粉飾回答が来るかもしれないけど、ソレはソレ
あー…でも、どんな職員さん達か分からんから滅多なこと言わない方が良いか。それこそ「あいつ、マトモじゃん」と勘付かれて不利益を被るかもしれん
歯ブラシを1ヶ月以上経っても交換しない奴いないよな?
オリーブオイルと塩のパスタ。そこに鶏胸肉をほぐしたやつか納豆をかける。
歩いて5分のエニタイムにて。
部位を日毎に分けて短時間で集中!
寝癖と寝汗を纏ったままパブリックスペースに出てく狂人はいないよな?
仕事着に着替え髪をセット。
フレッドペリーのポロシャツ(白×3、黒×2)を着回し。ポロシャツが白ならスラックスはネイビー、黒ならスラックスはグレー。
寝癖は論外だが、ノーセットでパブリックスペースに出てく身体は大人で中身は中学生おじさんはいないよな?
公共交通機関の方が安いし、毎月の駐車場賃料も車の維持費ももう一個部屋借りてるのかってくらいには高い。
それでもやはり男なら自家用車(軽、5ナンバー、商用車、貨物除く)で通勤するべきである。
雑踏で髪も服ももちくちゃにされ、女どもの化粧や香水の匂い、おじさんどもの体臭や脂を纏って働くのはスタイリッシュじゃない。
サイズの会ってないスーツとよれたシャツを着て、スマホをいじるか、口をだらしなく開けて寝ているうだつのあがらないおじさんにあえてなりたいってなら話は別だが。
俺はいわゆる”お調子者”タイプで、10個年下の妻は真面目で誠実タイプ。
結婚して5年は2人で苦手を補完し合いながら楽しく過ごしてきたんだが、子どもが生まれて変わった。
「子どもを守りたい」というお互いの気持ちは一緒なんだがプロセスが違って言い合いが多くなった。
俺はたくさんの友達に恵まれて欲しいから人付き合いを頑張る。持ち前のお調子者キャラで面白いパパと言われている。
おかげでパパ友やママ友も多く、人付き合いが苦手な妻もそれなりに子ども中心のグループの中でうまくやってくれている。
けど俺がこういう性格だから周囲からいじられることも多く、俺もそれを軽く受け流して笑いを取っているんだが、妻は割と真に受けてしまい「この人は馬鹿なんだ」と受け取ってしまったようだ。
それから俺が少しでも間違えると呆れて不機嫌になられる。
「〇〇さんが先週どこそこ行ったって(正しくは△△さんだった)」→無視&不機嫌
俺はその雰囲気を察知して「あれ?✕✕さんだっけ?■■さんだっけ?」と手当たり次第に名前を挙げ、正解だと「そう」と頷く。
間違えなければいいだけの話なんだが、これが24時間365日続く。
仕事で大型プロジェクトで責任者を任されたときも、残業で帰宅が遅くなると不機嫌で口も聞いてくれない。
そんなんだから飲み会も断るようになったら、つい自宅で仕事の愚痴が多くなってしまった。
ハッとしたが時すでに遅しで「解決法も解決する気もない愚痴聞かされてイライラする」と言われてしまった。
それはその通りと反省したが、子どもの世話もあるし昔のように友だち誘って飲み明かすこともできない。
週末パパ友ママ友とバーベキューをしてお互いの仕事のストレスで盛り上がると「恥ずかしいからそんなこと外で言わないで」と不機嫌。
そんなのが2年くらい続いて、最近は妻と家で二人きりになると怖くて会話ができない。
仕事の話はしないようにしよう、記憶も間違えないようにしなきゃ、その時のディティールも正確に、などと考えていると会話がなく終わる。
家事も半々で負担している、生活費は収入割合的に俺が多く持っている、通院や学校の行事は全て参加、一人でパパママの会に参加させないなどの気は配っているが足りないだろうか。
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