
はてなキーワード:差別化とは
以下回答
ゲーム機メーカーが「自社ハードウェア事業を終息」し、「自社ソフトを他社プラットフォームに供給する」という方針転換を行う場合、経営・ブランド・技術・収益面などで多面的なリスクやデメリットが生じます。以下に体系的に列挙します。
🧩 1.経営・戦略面のリスク
■ (1)収益構造の変化による利益率低下
- 自社ハード販売による利益(ハード本体・周辺機器・ライセンス料など)が消滅。
- 他社プラットフォームでは、**販売手数料(例:30%前後)**を支払う必要があり、**利益率が大幅に低下**。
- 「プラットフォーム料」によって価格戦略の自由度も制限される。
■ (2) 成長ドライバー喪失
🎮 2.ブランド・マーケティング面のリスク
■ (1)ブランド価値・アイデンティティの喪失
- 「ハード+ソフト一体の体験」を提供していたブランドが崩壊。
- 消費者にとって「唯一無二のゲーム体験」を失う。
- 長年築いた「プラットフォームブランド」(例:PlayStation、Switchなど)が**事実上消滅**。
■ (2)既存ユーザーの離反・不信感
■ (3)販売チャネルの再構築コスト
⚙️ 3.技術・開発面のリスク
■ (1)技術力・開発ノウハウの空洞化
■ (2) 他社プラットフォームへの依存度上昇
💰 4.経済・契約面のリスク
■ (1)ロイヤリティ・手数料負担
- プラットフォーム運営会社(例:Sony,Microsoft,Nintendo,Valveなど)に販売手数料を支払う。
- サブスクリプションサービス(例:Game Pass)に参加する場合、**収益分配の条件交渉が不利**になる可能性。
■ (2)価格政策の制約
🧠 5.組織・人材面のリスク
■ (1)人員削減・士気低下
■ (2) 開発体制の再構築コスト
🧩 6.市場・競争面のリスク
■ (1)差別化困難
■ (2) 他社との関係悪化の可能性
🕰️ 7. 過渡期の移行リスク
✅ 総括
観点 主なリスク・デメリット 経営 利益率低下、成長鈍化 ブランド 独自性喪失、ユーザー離反 技術 ハード技術衰退、他社依存 組織 人員整理・士気低下 市場 差別化困難、競争激化
もし本当にMicrosoftがXBOX販売から撤退したら、こういうリスクを織り込んだうえでそれでも決断せざるを得なかった、という事なわけだ。
DX(デジタルトランスフォーメーション)のインフルエンサーが「説教臭い」と感じられる背景には、いくつかの理由が考えられます。
DXは、企業や組織の「変革」を促すテーマであり、現状の課題を指摘し、新しい行動や考え方を推奨する内容が多くなりがちです。
そのため、「今のままではダメだ」「変わらなければ生き残れない」といった強いメッセージが多くなり、それが聞く側にとっては「説教」のように聞こえることがあります。
多くのインフルエンサーは、DXの重要性を広く伝え、知識やノウハウを共有する「啓蒙」や「教育」の役割を担っています。
専門的な内容を分かりやすく、かつ危機感を持って伝えるために、断定的な表現や指導的な口調になる傾向があります。
自身の成功事例や、変革を成し遂げた事例を紹介する際、「このようにすべきだ」「これが正解だ」という口調になりやすいです。
これは聞き手にとっては「それができない/していない自分」を責められているように感じられ、「説教」と受け取られることがあります。
DXに関する情報は非常に多く、その中で目立ち、影響力を持とうとするために、強い言葉や極端な表現、あるいは「正論」をあえて振りかざすスタイルを選ぶ人もいるかもしれません。
もちろん、これはあくまで一般的な傾向の分析であり、すべてのDXインフルエンサーがそうだというわけではありません。受け取り手の立場や、そのインフルエンサーの語り口によっても印象は大きく変わります。
鬼滅の刃は駄作というオタクに「何がおすすめ?」と聞いたら「ごちうさ」を出してきたので「引っ叩いた」。
題名の通りです。
角材があれば角材で殴ってました。
鬼滅の刃以降明らかに予算をかけているアニメが増え、神作画が増えました。
はっきり言ってアニメ史は鬼滅の刃前後で分けられると言っても過言ではありません。
鬼滅を毛嫌いしているオタクってようは自分の場所が奪われたからにすぎない。
今までのアニオタは「アニメの良さも知らないなんて」が唯一陽キャやクラスの中心人物と差別化できて自分の居場所も確立できるものだった。
今となってはアニメは大衆化し、一般化。そこら辺のギャルでも「呪術廻戦アニメめっちゃいいよね〜」とか言ってる。
みんなアニメを見るようになった。
アニオタの唯一のアイデンティティが奪われ、それと同時に「俺らは昔から良さを分かってた」と古参ムーブをし出している。
逆張りすんのもうやめろよ。
鬼滅の刃つまらんって言ってたやつの好きなものとかツイッターでよく見るけど見る前からつまんなそうだったしなんか知らんけど人生もつまんなそうだった。
嘘でも「鬼滅面白い」って言ってみろ。
外出ろ。陽の光浴びろ。鬼じゃねーんだから。
→
IFの話なので何とも言えないが、
最初からドライフルーツとして売っていた場合との違い(グミとして売ることのメリット)は、
(そもそも普通の人は「え?ドライフルーツってそんな添加物入ってるの?果物乾かしただけじゃないの?」くらいの認識と思われるので、"無添加ドライフルーツ"というワードではアイキャッチできなさそう)
などがあげられる。
”無添加”に飛びつくような人が、「楽天やAmazonで類似商品を検索して価格を比較する」可能性は高くないため、確かにドライフルーツの名前でも同じように売れていたかもしれない。
しかし上記に示したようにキャッチ―さは減るし、仮にユーザーが市場価格との差を認識したときの不満感の正当化はなされないため、より不誠実な商売になっていただろうと想像する。
また、仮に「グミという名称が適切ではないとのご批判に従い、ドライフルーツに名称変更します」と真摯に反省してきた場合、批判者は素直に矛を引っ込められるのか?
→
まず公式の理由は「企業・団体献金の規制を自民党に求めたけど、自民党が『これから検討する』としか言わなくて不十分だった」ってことになってる。26年間も一緒にやってきた連立をいきなり解消するには、正直弱い。
集団的自衛権の時とか、もっと公明党の支持者にとってヤバい案件あったのに、その時は離脱しなかったわけで。
記事読むと斉藤代表が「全国の党員から『自民党の不祥事を説明することに疲れた』という声を聞いた」「地方議員も含めて限界がきている」って言ってる。これ結構重要で、つまりトップが勝手に決めたんじゃなくて、現場から突き上げがあったってこと。
公明党っていうか創価学会の組織って基本的に戸別訪問とか電話作戦とかの地道な選挙活動で成り立ってるわけで、その現場の人たちが「もう無理」って言い始めたら、執行部も動かざるを得ない。
で、なんで現場が疲弊してるかって話なんだけど、まず参議院選挙で負けてる。記事には詳細書いてないけど、公明党にとって関西、特に大阪は「常勝」って呼ばれるくらい伝統的にも絶対に負けられない場所。
そこで敗北したってことは、組織としてのアイデンティティが揺らぐレベルの衝撃だったはず。
なんで関西で負けたかっていうと、一つは維新の存在がある。維新って大阪が地盤で、「改革」「既得権益と戦う」みたいなイメージを前面に出してるわけ。公明党も本来は「クリーンな政治」「庶民の味方」みたいなポジションだったんだけど、自民党と組んでる限り、維新の方が「本物の改革政党」に見えてしまう。
しかも支持層が結構被ってる。都市部の庶民層とか、改革志向の人たちとか。若い世代や創価学会の2世3世にとっては、維新の方が分かりやすくて流れてもおかしくない。
それから統一教会問題。これ記事では明示されてないけど、絶対に関係してる。2022年の安倍元首相の事件以降、自民党と統一教会の関係がめちゃくちゃ問題になったわけで、創価学会っていう宗教組織の政党が、別の宗教団体と癒着してる政党を応援するって、どう考えても説明しづらい。
しかも統一教会って霊感商法とか家庭崩壊とか、女性被害者が多い問題を起こしてきたわけで、選挙活動の実働部隊である女性会員が「もう説明できない」ってなるのは当然だと思う。
政治とカネの問題も続いてる。記事だと「選挙後も秘書が略式起訴」とか書いてあるけど、要するに自民党がずっと同じような不祥事を繰り返してて、公明党は毎回それを弁明する役回りになってたわけ。
で、自民党は「すでに決着済み」みたいな態度で、改革する気があんまりない。公明党からすれば「もう擁護できない」ってなる。
もう一つ大きいのが、池田大作が2023年11月に亡くなったこと。池田氏って創価学会にとって絶対的なカリスマで、「池田先生が決めた自民党との連立路線」っていうのが、どんなに現場が不満でも続けざるを得なかった理由の一つだったはず。
それが亡くなって、カリスマによる統制力が弱まって、現場の声が上に届きやすくなった。だから「疲れた」っていう声が執行部を動かすことができたんじゃないかと思う。
あと組織の高齢化問題もある。創価学会の熱心な会員って高齢化が進んでて、若い世代はそこまで熱心じゃない。
2世3世は親の代ほど池田氏への帰依心がないし、「なんで自民党を応援しなきゃいけないの」って疑問を持つのは自然。選挙活動する人が減ってるし、動員できても士気が低い。そういう構造的な問題が背景にある。
自民党側にも変化がある。昔は二階みたいな人が自民党内で力を持ってて、公明党との調整役をやってた。二階は親中派でもあるから、日中友好を重視する公明党とは価値観も合ってた。
でも今は二階派の影響力が落ちて、高市早苗みたいな保守強硬派が台頭してる。高市氏は対中強硬だし、安全保障でもタカ派。公明党が党内で意見を言いにくくなってるし、橋渡しをしてくれる人もいない。
立憲の野田が「公明党をげたの雪みたいに扱った」って言ってたけど、たぶん本当にそういう空気があったんだと思う。
じゃあ公明党は今後どうするのかっていうと、記事を見る限り「完全に野党になるわけじゃない」って感じ。政策ごとに賛否を判断するし、「人物本位、政策本位で応援できる地域もある」とか言ってる。これ裏を返せば、地域によっては自民党とも協力するし、野党とも協力するってこと。
維新との連携もあり得るし、立憲との部分的な協力もあり得る。かなり柔軟にやっていこうとしてる。
自民党はどうするかっていうと、新しい連立相手を探さなきゃいけない。一番現実的なのは維新。大阪が地盤で、改革志向だし、自民党とイデオロギー的にも近い部分がある。
ただ維新にとっては悩ましい選択で、連立に入れば政策実現のチャンスが広がるけど、「既得権益と戦う」っていうイメージが崩れる。統一教会問題とか政治とカネの問題とかも引き継ぐことになるし、支持者から「自民党と同じになった」って批判される。
もし維新が連立に入ったら、公明党は関西で維新を攻撃する立場になれる。「維新は既得権と手を組んだ」「大阪を裏切って東京の政権にしがみついた」みたいに。
公明党は「常勝関西」で維新に負けたわけだけど、今度は維新を「既得権側」に追い込んで、自分たちは「クリーンな改革政党」のポジションを取り戻そうとしてるのかもしれない。
維新の創設者の橋下徹がどう判断するかも重要。橋下氏は頭がいいから、公明党が仕掛けた罠に気づく可能性もある。「連立に入るな、大阪を守れ」みたいに言うかもしれない。ただ今の維新執行部がどこまで読めてるかは分からない。
参政党っていう選択肢もあるけど、議席が少なすぎて自民党の連立相手としては役不足。国民民主党は現実的な選択肢だけど、連合との関係もあるし、公明党の完全な代替にはならない。
結局のところ、公明党の連立離脱は表向きは「政治とカネ」だけど、実際には複数の要因が積み重なった結果だと思う。常勝関西での敗北、維新の台頭、統一教会問題での説明疲れ、池田氏の死去、会員の高齢化、自民党の保守化、現場からの突き上げ。
そして戦略的な計算もある。このままズルズル自民党と組んで選挙で負け続けるより、一回離脱して「我々は自民党とは違う」って差別化した方が、組織を立て直せるんじゃないかって判断。短期的には政権から外れるけど、中長期的には組織を守れるし、場合によっては数年後に有利な条件で復帰することもできる。
公明党が使ってきた「与党でないと政策実現できない」っていう論理を、今度は維新が使うかもしれないのも皮肉な話。維新が「公明党は26年間、政権内で改革してきた。その方式を我々が引き継ぐ」とか言い出したら、公明党は反論しづらい。
「政権内では改革できない」って言ったら、自分たちの26年間を否定することになるし。でも数年後に維新が同じ問題で苦しんだら、「だから言ったのに」って公明党が正当化される。時間軸での勝負なんだよね。
これは単純な「政治改革への決意」じゃなくて、組織の生き残りをかけた高度な戦略的判断だったんじゃないかと思ってる。表向きの理由と実際の理由が違うのは政治ではよくあることだし、複数の目的を同時に達成しようとしてる感じがする。対外的には「クリーンな政治」、対内的には「もう説明しなくていい」、対維新的には「罠を仕掛ける」、対自民的には「舐めるなよ」みたいな。
まあ結果がどうなるかは今後次第。維新が連立に入るのか、公明党が支持を回復できるのか、自民党がどうなるのか。ただ確実に言えるのは、26年続いた自公連立が終わったのは日本政治の大きな転換点だってこと。しばらくはゴタゴタするだろうし、次の選挙が本当の試金石になると思う。
とりあえず「政治とカネの問題だけで離脱したんでしょ」って理解してる人がいたら、もうちょっと複雑な事情があるってことだけ。
エントリーシートに長々と志望理由を書かせてくる割に、公式ホームページ記載の自社の強みや企業理念はやたらとふわふわしているのも許しがたい。うちの会社ではこういう仕事をやっていて、競合他社とはこういう点で差別化できていて、求める人材はこの能力を持っている人ですと言語化してくれよ
仕事=辛いイメージがあるけど、仕事が楽しい人もいるんだろうか。お先真っ暗だよ
https://bandori.party/user/337373/pawonnklarii/
https://truckymods.io/user/410105
https://rextester.com/WFVQ3291
下記2つの文章が似ているなと思ってChatGPTに解析してもらった
https://anond.hatelabo.jp/20251004160446
https://anond.hatelabo.jp/20251001142227
どちらも「日本のIT界隈・技術者」について否定的・批判的に語る強い論調が共通しています。
・「日本のIT技術者のレベルが低い」など、欠点・未熟さを強調。
・「他者不在」や「価値観の乖離」など、内向的・自閉的な態度を問題視。
両者とも “日本(国内)” と “海外・世界” を対比軸にして話を進めています。
・最初の文:著者が海外で働いた経験をもとに、「予言が当たっている」ことを語る。
・二つ目の文:東欧・イランなど他国のIT成長を引き合いに出しながら、日本のITが遅れていると論じる。
両者は「意識高い系」「他責主義/他責思想」といった皮肉めいた言葉を使い、読者(IT界隈内)に向けた批判を込めています。
・2つ目の記事:タイトルにも “意識高いITエンジニアたち” という語が出てくる。
・最初の記事:自身の世代・業界経験をもとに、「内輪のノリ」「他者不在」といった言葉を使って語る。
どちらも「過去の経験(2000年代あたり)」を参照しながら、「今」「これから」の問題を語る文脈が入っています。
・二つ目の記事:2008年あたりまでの技術事情を振り返って論じる。
語られているのは「見せかけ・主張」よりも、「実力」「基盤(数学・理論・ドキュメント力など)」を問う視点。
・最初の記事:「ドキュメント力/会話・国語能力が重要」などの主張。
・二つ目の記事:「情報工学・電子工学などの基礎知識が無いと話にならない」などと述べる。
どちらも、ある種の閉じたコミュニティ論(内輪で完結している/他者を拒んでいる)を批判する要素があります。
・最初の記事:「他者不在」「内輪に籠ったまま高め合う」など。
・二つ目の記事:「一般層との乖離」「自分たちのノリが一般に通じない」など
両方の文章から「日本のITエンジニア」に対するコンプレックス的な感情がにじんでいるように読めます。整理するとこんな感じです。
海外経験を引き合いに出し「自分は外を知っている」という立場を強調するのも、ある種の優位性を示したい心理が透けています。これは、裏返すと「日本のIT界隈に属することへの劣等感」や「そこに埋もれたくない気持ち」が背景にある可能性があります。
両方とも「2000年代の経験」「海外との比較」を持ち出しつつ、現役の若手や国内に残る人たちへの苛立ちを強く書いています。
「俺たちの世代はこうだったのに、今はこうだ」という口調は、自分の立場が相対的に弱くなったり評価されにくくなったりすることへの防衛反応のようにも読めます。
日本のエンジニアコミュニティを「内輪ノリ」「他責主義」「基礎知識不足」と切り捨てることで、自分の価値観(基礎力重視、外の世界を知っている)を相対的に際立たせている。
これは「自分は同じ土俵にいない」と示すための心理的距離取り=一種のコンプレックスの表れと言えます。
まとめ
両文からは、「日本のIT界隈に属しながらも、そこに居場所を見いだせない気持ち」「海外経験や基礎力へのこだわりで差別化したい欲求」が読み取れます。
つまり「自分は国内エンジニアとは違う」というアイデンティティを強調する裏に、日本のエンジニア像に対するコンプレックスが透けて見える、と言えるでしょう。
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逆裁も1-3やったけど、あんくらい落ち着いて考えられる方が好みだな
友人の薄給勤務理容師が独立したあと、あっという間に人気店になり、年収1,000万円Overになったので、なぜ成功したかを聞いてみたら、「床屋業界、ぬるすぎ」ということが分かったので共有。
どうすれば勝てるかをリストアップ。順不同。
Hotpepper Beautyはご存じの通り、主に美容室向けの広告宣伝予約サイト。
目立たないが、美容室だけでなく床屋の情報も入っている、店を開店するとすぐに、リクルートの営業が「広告出しませんかー?」とやってくる。
で、ここで出すとクーポン目当ての浮動票ばかり来るのと、エアレジ、予約システム含めてリクルート漬けになってしまう。
こうなると抜け出すのが大変。なので、最初から出さないのが大事。
2.ホームページを作る
街の理容室は超絶高齢化業界なので、そもそもホームページがないところが大半。
そこでホームページがあり、メニューが書いてあり、連絡先が書いてあり、FAQがあるだけで差別化できる。
超絶ぬるい。
3.ホームページで予約ができる
Hotpepper beauty以外でも予約システムを安価で提供しているサービス、または決済と絡めて予約システムを提供しているサービスがある。
これを使う。そして、細かなニーズも拾えるようにメニューを入れ込む。例えば、カットはしないが白髪染めだけしたいとか、そういうもの。
理容室はそもそも予約不可のところが多く、かつその予約も電話のみのところが大半。これだけで差別化できる。
GoogleMapの表示内容と実態が違ったという、ダメな店あるあるを避ける。
理容室の多くはまともにやっていないので、やるだけで差別化できる。
理容師は、職人気質の人が多く、技術の追求に情熱注いでいる人も多いが、技術は普通でいい。超絶下手は論外だが、超絶上手である必要はない。
理容室に来る人は、美容室に来る人と違い、たいして技術を求めてない。
技術を追求せずに、話術をみがいたほうがよい。
独立ルートは、他の床屋で働く(超絶薄給)→独立だが、この、他の床屋で働いている時代に、いかに固定客を作るかが初期にはとても重要。
「彼が独立したから、応援してあげなきゃ」と来てくれる客が初期の命綱。
客と個人的にLINEなどでつながるとか、一緒に飲みに行くとかできるといい。
7.下積みする床屋は、大きな駅の近くにする
彼は、JR中央線の大きな駅から徒歩15分の床屋で下積みをし、その後、その店から少し離れたところで独立した。
駅からは遠いが、大きな駅の近郊の住宅街で住民は山ほどいるので、集客には困っていない。
ちなみに、下積み従業員が独立するときは、下積み店との競合を避けるため、下積み床屋から少し離れた場所に店を設けるのが、床屋業界の慣習らしい。
美容室と違い、床屋の内装など誰も気にしていない(これは言い過ぎか)。
よって、とにかく標準的な見栄えを確保しつつ、初期投資を抑える。
現金以外にも、なんとかペイ全般、クレカなど、主だったものに全部対応。
これは決済ベンダーが用意してくれる。手数料も大して高くない。
上記見て分かる通り、他の業界では当然やられていることが、床屋業界でまったくやられていないので、普通にやるだけで差別化できる。
おそらく、理美容の学校を出て、東京にでてきて、3-5年くらい薄給の下積みに耐えて、その後上記を守りつつ、独立すれば、誰でもうまくやれそう。
最初に鬼滅の刃を観たとき、ほとんどの問題点を見て見ぬふりをしていたのは否定できない事実です。とはいえ、このアニメの最も強い点はアニメーションと戦闘です。シンプルなパワーシステムをどう実行し、どう掘り下げているか。そして旅の途中で立ちはだかるさまざまな鬼の背景を忘れてはいけません。Ufotable は普通の漫画を10倍良くし、鬼の過去のエピソードを延長したり、トップクラスの作画や効果音で私たちに大いに見せつけるなど、ストーリーにさらに味を加えました。しかし冷静に見れば、それは愛されるか嫌われるかのどちらかの、シンプルな前提と物語を持ったごく普通の少年漫画です。そうは言っても、単なる派手なアクションや莫大な予算を投じた作品以上に「良い作品」と言える点もあります。もちろんこれは人それぞれですが、私にとって最大の重みを持つのは登場人物そのものです。キャラクターがいかなる形であれ私に響かない限り、どんな媒体も観ることはありません。誤解しないでほしいのですが、鬼滅の刃はまともな少年漫画です。しかし決して最高の作品ではありません。
最初の数話で、これが決して傑作になる可能性はないとすぐに分かりました。何をやるにしても単純で、吾峠呼世晴が自分のコンフォートゾーンから出て危険な領域を探求しようとする意図がないのが見て取れます。Ufotable がアニメ化したからこそ人気が出たのであって、そうでなければここまでにはならなかったでしょう。考えてみてください。もしUfotable がブラッククローバーやフェアリーテイルをアニメ化していたら、鬼滅と同じくらいの名声を得なかったでしょうか?それは事実でしかありません。私自身、アニメを観始めた頃は作画やアニメーションに釣られていたのです。もちろん、それが悪いことではありません。良いストーリーに素晴らしい制作を加えることもあれば、逆にストーリーは凡庸でも制作が圧倒的に優れていることもあります。しかし、残りの中身が十分でなければ結局は何も意味がありません。私は鬼滅の刃を他の多くの作品と比較して、できる限り説得力を持たせようと思います。読む気がないなら、一言で言わせてください。鬼滅の刃はフェアリーテイルに相当しますが、それよりもずっと劣ります。少なくともフェアリーテイルには「心」がありました。どう受け取るかは自由ですが、私が何を暗示しているのかは明らかでしょう。ではキャラクターから始めましょう。
炭治郎は多くのファンのお気に入りのようです。彼は好かれやすいキャラだからです。しかし正直に言うと、彼は私が追いかけた主人公の中で最も退屈な存在の一人です。彼は誰もがなりたいと思う理想的な人物像として描かれています。普通の人間としての欠点がまったくなく、もしあるなら作者がそれを上手く伝えられていません。彼が優しくて猪之助を苛立たせる、そのやり取りが面白いのは認めます。吾峠はシンプルで効果的なコメディリリーフを描くのが上手いです。ただし、常にそうとは限りません。そして残念ながら、主人公に十分な深みが欠けている点は否定できません。炭治郎には目立った欠点がなく、それが長期的には退屈で辛いものにしています。彼の最大の変化は強くなることだけです。例えばブラッククローバーのアスタは、うるさく、好奇心旺盛で、無謀で、頑固です。それに加え、まだまだ語れます。さらに、私のお気に入りであるルフィを加えるなら、彼は好奇心に溢れ、カリスマがあり、冒険への情熱があり、予測不能で、愛すべきおバカな存在です。科学好きの愛すべきオタクである千空だって、上記の特性を多く持っています。
そして炭治郎はただ優しいだけ。たまに怒ったりしますが、それは彼が優しく穏やかな性格だとすでに確立されているため、かえって不自然に感じます。もちろん、優しいこと自体は悪くありません。他のキャラクターもその要素を持っていますが、それ以上のものも持ち合わせています。鬼滅の刃のサイドキャラもそれほど優れてはいません。善逸はバランスを欠いたうるさくて面倒な存在で、コメディリリーフもバカバカしくて見ていて恥ずかしくなるほどです。彼が口を開くたびに自分を撃ちたくなったのは私だけでしょうか?彼には成長が描かれますが、それも「ただ起きた」だけで、理解できるような過程がきちんと描写されていません。三人組の中では猪之助が最も優れています。彼には単なる戦闘狂以上の層があり、恐怖、怒り、絶望などを経験し、それが彼にどう影響するかが詳細に描かれています。まだ改善の余地はありますが、彼はきちんと書かれたキャラの良い例です。
柱たちも物語の大きな部分を占めています。決して悪いわけではありませんが、最高とも言えません。彼らにはそれぞれ独自の個性があり、同じ型にはまってはいません。しのぶは最も複雑に見えます。彼女には「あらあらお姉さん」的な雰囲気と、元気な笑顔で人を引き込む魅力があります。ですが、それはすべて仮面であり、もっと深い部分を持っています。正直に言うと、彼女が「嫁候補」だからというバイアスも入っていると思います。とはいえ、吾峠にはしっかりと書かれたキャラクターもいます。しかし物語の焦点がメイントリオ、正確にはカルテットに当たっているため、その潜在力が十分に発揮されていません。軽く触れておきたいのが禰豆子です。彼女の目的は何でしょう?可愛らしい見た目で目を癒し、時折戦う以外に何かありますか?物語の序盤ではほとんど何もしておらず、ただ視聴者や読者を釣るための存在に見えます。私にとってのベストガールはしのぶかカナヲです。彼女たちはただ可愛い「んんっ」ばかり言う存在よりも物語性があります。禰豆子の役割も、予想はできたとしても、唐突に出てきたように感じます。
さらに、大きな悪役である無惨は、強烈な登場で始まります。しかし結局のところ、ただの怒りっぽいマイケル・ジャクソンで、血に飢えた狡猾なろくでなしにすぎません。作者はショック要素で彼を恐ろしく見せようとしていますが、本当に良く書かれた悪役ではありません。彼もまた「もっと魅力的になれたのに」系の無駄な存在です。壮大な締めくくりのために置かれた存在でしかなく、それも失敗しています。なぜそう言うかというと、私はもう漫画を追っておらず、最後まで完結するのを待つつもりだからです。だから今から言う意見は話半分で聞いてください。無知は時に幸せです。しかし事実として、漫画のテンポはひどいです。キャラクター同士の関係を深める余裕がなく、次から次へと戦闘に投げ込まれます。鬼滅の世界についてほとんど知らされず、リアリズムもなく、感情移入できるような「本物らしさ」が欠けています。世界観は脆弱に構築され、ただの手段に過ぎません。
一方で、シンプルな核を持ちながらもしっかりと世界やキャラクターを構築している作品があります。ここで言っておきたいのは、アニメだけでなく原作も見ているということです。ブラッククローバーはその一例で、アスタとノエルを例に取りましょう。アスタはシンプルで典型的な主人公のように見えます。しかし人間味があり、一言では語れません。彼は大きな成長を遂げ、その過程で彼をより深く評価できるようになります。ノエルもまた、最初は典型的なツンデレで全てを見下すような存在でしたが、徐々に柔らかくなり、非常に複雑で深みのある魅力的なキャラクターに成長します。ブラッククローバーのキャスト全体が単純以上の存在に感じられるのです。ドクターストーンもまた称賛に値します。キャラクターの差別化が明確で、物語の展開もバランスが良いです。テンポよく世界観やキャラを築き、成長を見せ、嫌いだったキャラが次の瞬間には好きになることもあります。
では鬼滅の刃は何を違ってやっているのでしょうか?莫大な予算を持つ巨大スタジオに支えられている以外に?ただ、鬼たちの過去の話は本当に評価できます。響凱、蜘蛛の母、累などはカルテットよりも遥かに興味深いキャラクターに思えました。他にも、鬼たちはメインキャラよりも学びたいと思えるほどです。鬼滅の刃が人気なのはUfotable がアニメ化したからであり、アニメ初心者にとって入りやすく、漫画も200話未満で読み切れるという手軽さが理由です。セリフも多くなく、すぐに消化できます。とはいえ、すべてが凡庸というわけではありません。鬼滅の刃から生まれた最高のエピソードのひとつを賞賛したいと思います。それは私のお気に入りではありませんが、注目と賞賛に値します。19話はUfotable の最高の仕事であり、多少のご都合主義があるものの、演出と方向性は見事で、十分に効果的でした。
その盛り上がりは段階的に積み上げられ、美しいサウンドトラックが流れ、クライマックスで感動的に爆発します。このエピソードは兄妹の絆を最大限に尊重し、その繋がりを丁寧に掘り下げています。根本的にはありきたりですが、その労力と意図を評価しないのは愚かでしょう。鬼滅の刃は、ビジュアルと作画においては常にトップクラスです。ひどい品質の瞬間は一切ありません。もちろん、圧倒的な作画力を誇るFateシリーズ、特にHeaven’sFeel や空の境界映画シリーズには敵いません。TVアニメと映画を比較するのは公平ではありませんが、鬼滅に影響されすぎている多くの人々に異なる視点を提示したいのです。OP とED も素晴らしいです。LiSA が担当している時点で、質の高い、美しくキャッチーな曲になるのは当然です。サウンドトラックも梶浦由記と椎名豪という伝説的な作曲家によるものなので、耳は幸福に包まれるでしょう。
さらにアニメが大いに正義を成したのは戦闘シーンです。漫画では適切に表現されていなかったパワーシステムを引き上げました。呼吸法が使われるたびに何が起きているかが分かりづらいのですが、それは色彩や視覚的表現が難しいためです。Ufotable はそれを明確に表現し、攻撃を分かりやすく、華やかで、音響も伴った美しいスペクタクルにしました。鬼滅の刃のパワーシステム自体は単純ですが十分に機能しています。Ufotable は水、火、風、その他の呼吸法を見事に描き、キャラクター性を示しています。例えば炭治郎の水の呼吸は、彼が穏やかで自己規律を持つ性格を反映しています。猪之助はイノシシの被り物をかぶり、野生で育ったため、それを呼吸法に反映させています。善逸はやや特殊ですが、成長が唐突に訪れた点を「雷のように速く突然」という解釈もできます。カナヲは花の呼吸で、美しく、穏やかで、静かで、ゆっくりと咲く花のようです。私は鬼滅を厳しく批判していますが、吾峠がうまくやった点やUfotable が引き上げた点を無視するつもりはありません。物語を進める中でパワーシステムが発展し、多くのことが細やかに伏線として張られています。例えば、那田蜘蛛山編の前に炭治郎の額の痣や赫刀が示唆されていたことです。このレビューを書いているうちに、私の鬼滅への評価は少し変わりました。否定的な感情だけでなく両面を見たからです。鬼滅の刃は決して悪い少年漫画ではありません。そういう印象を与えたくはありません。それは私の意図ではないのです。
ただし疑いようもなく、鬼滅の刃は過大評価されています。Ufotable が存在したからこそ、凡庸な漫画が売り上げを大きく伸ばせたのです。シンプルな基盤を持つ他の少年漫画でも、莫大な予算を持つスタジオが制作すれば、同じように爆発的に人気が出るでしょう。この記事を書いている時点で、鬼滅の刃は最終章にあり、多くの問題に苦しんでいるようです。これは、本来なら大きな成果に繋がるはずだった要素を軽視した結果です。だからこそワンピースの人気は一貫して高く、尾田栄一郎がその気になればさらに爆発的に伸びるのです。ブラッククローバーも導入や設定をきちんと積み上げた後で大幅に面白くなります。ドクターストーンも序盤は遅いですが、その後は素晴らしい作品になります。私の意見を聞きたくない人でも、せめて一つだけ覚えてください。アニメーションや作画は、作者の作品がすでにしっかりと構築されている場合にこそ真価を発揮します。鬼滅の刃は多少の良さを持っていましたが、偉大な少年漫画でも革新的な作品でもありません。ただ単純で、莫大な予算を持つ巨大スタジオに支えられていたというだけのことです。
長くなりすぎて切れた
それだけ当たり前の存在になったってことだろうから良いことだけど、今でも男V需要ない問題は定期的に議論されるネタ
それに、VΔLZを男同期初って書いたけど、実は初じゃなくて初ってはVOIZなんだよね
当時は初として騒がれてたからそう書いたけど
当時は特に、そして今でも、大きな箱の個性だから運営として目立たせたいのは当然
とはいえ、目立たせるといっても女V を下げるって意味ではなく、女V と同等の扱いをするということ、女Vならデビューして普通に受け入れられる土壌だけど、男というだけでギョッとされる土壌の中で、普通に受け入れられるような扱いをするというだけ
でも、普通に受け入れられることが異端だから、その状況をみて男Vの時代だと錯覚するだけじゃないかと思う
過去を忘れたのかと思う
昔、なに炎上があれば大抵のことは、クロノワのリスナーのせいにされてた
リスナーが冤罪っていってもどちらかのリスナーのせいと責任転嫁されてた
当時はアーカイブみたらわかるような偏向報道切り抜きで本当に炎上してて、それはニコニコに上がってたんだけど、コメントでどちらかのリスナーのせいだ〜みたいに他責されがちだった
炎上に関わらず、今で言う自分大好きな推し活女みたいな感じでレッテル貼られて敵視されてた雰囲気もあって理不尽だったよね
それに、自分が女オタクなので、女オタクの裏垢も見れてたから言うけど、当時人数が少ないからこそ粘度の高いコミュニティで悪口が共有されてた
クロノワの話した後だから、繋げられそうだけど、全体的な話なので勘違いしないでね
女ライバーとコラボした時に、女ライバーがちょっとダル絡みしたら、TLがお気持ちで埋まって同時に低評価が200弱増えたのを見た
すぐ可哀想ってお気持ちして、ライバーの気持ち代弁もよく見たし、人数多くないから目立ってなかったのか、ユニコーン=悪、それ以外は問題ないみたいな風潮で見逃されていたのか
そもそも当時は無法地帯でTwitterも配信チャットもすぐお気持ちで溢れたから女リスナー限った話じゃないっていうのは大前提
でも、ガチ恋お気持ちとか公開アカウントで普通に見れたし、荒れてたこと裏垢なんて知らなくても分かりそうだから、当時を知ってる人で今酷くなったと思う人がいるならちょっと不思議
エデン組までは〜と批判の道具にされがちだけど、エデン組がデビューした時、スローンズのこと女向けって今のアイドル売りみたいに叩いて、二人ともFPS勢だったから、またApexかよって叩いてのを見たよ
こんな感じでが新人批判を追っていくと、ずっと同じような理由で叩かれてるのが分かるよね
だから、また新人に何癖つけてる人いるけど鳴き声みたいなものだから同調したり傷つかないでほしいな
方向性が本当にかわったなら、方向性が変わる前のライバーが、無理を強いられるよ
それは方向性が変わったよその箱が証明してるから、例えば男Vが女絡みNGにでもなってから方向性変更って言ってほしい
新しいものだけを指して方向性が変わったって言われても、昔からある物もちゃんと残ってるのにね
頭が固くて新しい要素を受け入れられないだけなんじゃないかなと思う
SEEDsが悪いわけではない
多少の自虐のつもりだろうけど後輩叩きファンネルかと思うときはあるけど、結局それを武器にしようとしてるのはリスナーだし
それに、SEEDsと比べて新人は〜と叩くが基本的にデビュー数年の現在と比べている
その人初配信とか1年位はかなり大人しかったし、今と比べてもなと思うこともある
何年もやってる人の今と新人を比べるのは普通にお局仕草なのでやめたほうがいいと思う
特におじさんや奇抜な見た目がにじさんじだと思っている人はSEEDs=にじさんじなんだろう
でも、それならゲマズまで平均中・高校生だったにじさんじはにじさんじではなくなるんだよね
前にも書いたが、1.2期生やそれ以前のVTuber文化を知らない人が新規として入っていたのがSEEDs
だから、SEEDs=にじさんじとして評価する人がいるのは分かるけど、いくらなんでも引きずりすぎじゃないか
流石に、古参面するためにその人たちに便乗してる新規いないか?
もし居るなら、その人たちまあまあ偏ってるというか、個人の感想だから自分で見たものを優先してほしい
昔から批判が繰り返されてるといったように、昔からいるけど一部の厄介ではなく広がっていると思う
VTA卒の新人なら面白いか判定してやろうと斜に構えて見に来る
「これはにじさんじ」って、単なる身内ノリの褒めはだったのに、最近はにじさんじ判定士の方々が品定めに初配信見に来るの時の判定ワードになってると感じる
何事も初めて見たときは感動する
でも、その時は感動を感じていても、記憶の中で感動も含めた感情として残るから、初見の気持ちをずっと求めてしまうんじゃないか
にじさんじ=社不なのも、分かりやすい尖りを求められて昔からそうだと言われるのは違和感
昔はにじさんじのやべえやつと呼ばれていて、一見、赤子の拳とか言っててやばそうなのに、裏話を聞くと真面目でそのギャップがいいって言われてた
もちろん社不もいるし、社不ムーブもあるけど、今みたいに笑い話というより普通に叩かれることのほうが多かったと記憶してる
むしろ、配信者は尖ったことしろだけど、配信内容以外は社会性かなり求められて燃やされてたと思う
最近は新人が裏でちょっと丁寧な文章を送っただけで面白くないだの言われて理不尽
今はかなりリスナーも寛容になって許されてることが、さも昔から許されてるように言って、新人批判されてると私の記憶と違いすぎるし、過去を美化しすぎだし、誰がそんな歴史改変を広めてるんだと思う
いや、受からなくてよくね?
言葉の綾で、そういうタイプって意味だよと言われるんだろうが新人がデビューするたびに見る意見をは2号を探してるように思うけど違うのかな
突飛な発想ができて、配信者適性があって、ラインは理解していて…
受からないだけでどこにでもいるような言い方はちょっと失礼じゃないの
それこそ、委員長のご学友が委員長以上にやばいし面白いけど、配信には載せられないって言ってたように、その微妙なバランスを持ち合わせてる人は珍しい
それに、1回バズったからそれに味占めて似たような二番煎じを探しても寒いだけだし、まだいないような枠を探してるのはいいと思うんだけどね
2号がでたから同じように面白いわけではないし、委員長や野良猫が100人いても面白くないだろう
批判してる人はそうは言ってもアイドルばかりで、同じじゃんと言うだろうが、それは勝手なレッテル貼りをして勝手に同じにしてるだけ
極端な話面白くないと思うことは悪いことではなく、多様性の証明でもあると思う
それだけの種類を集められているなんてすごいことじゃないの
ざっくり言うと、今の新人叩きと似たような話+イベント批判+Apex批判
当時その通りだ、にじさんじは衰退するんだ、大変だと騒がれたけど無事に5年経ったね
今改めて見返すと本当に今の批判と似たような内容で笑える
きっと次の5年も安泰だろう
サムネはここ一年くらいの新人で、コメントも最近のスレだと思ってここ一年くらいのライバーのリスナー批判をしてた
つまり、最近変わったという批判は正しくないし、リスナーは何年経っても同じような内容で最近は変わった、もう終わりだと嘆いている
───────────────────────
8年も見てると毎年言われててもういいよという感じなんだけど、最近は新人批判が一部の厄介ではなく界隈に広まって詳しい面するための道具になってしまっていると感じる
批判してると自分が正しい気がして気持ちよくなれるからやめられないんだろうけど
今新人を批判する時、それは大抵あなたの推しもデビューした時にも使われた武器だったりするからね
批判や評論家面をすることを楽しむ不健全なコンテンツとして広まらないでほしい
マイナスを集めるとマイナスしか見えなくなるからじ楽しいことだけ見てたらいいのに
批判を辞めろとは言わないけど、根拠のない理不尽な批判に晒される新人を見たくないな
Twitterで久々に新人気になって戻ってきたら新人潰しファンダムになったの?ってツイートがあって胸が苦しかった
その人がいつぶりに戻ってきたのか分からないけど、やっぱり勘違いじゃく新人潰しが界隈に蔓延しているんだ
昔はRPガバガバ声も良くないみたいな所が尖ってるみたいに言われてて、その後RPしてない声が良くないと叩かれるライバーが出てきて、最近は設定文で全て知ったように批判され声がよかったらイケボ生主wとか言われるのどうしようもない
設定は怪文書って言われてのに最近は設定が若いだけで話が合わないとか、本当は話が合うのにコメント欄だけ見てリスナーと話が合わなくて可哀想と煽ったり…
いわゆるにじさんじらしさってなんなんだろうな
そんなに男が嫌いで女リスナーが嫌いならホロライブがあるのに、ちゃんと差別化されてていいのに、何で文句言いながらにじさんじを見ているのか
たぶん、ホロライブのリスナーみたいにユニコーンじゃないと意地張ってんのかな
わざわざ文句言ってネチネチアイドルwと嫌味ばかりの女々しい人が女批判なんて出来たもんじゃないし、キモいところもあるだろうけど素直にホロを推す向こうのリスナーのほうが絶対幸せだしまっとうだと思う
初見はみんなピュアだけど、ずっと見てると自分の中で理想化した配信が生まれて文句が出やすいと思う
でも、それで生まれた気持ちは配信側じゃなくて自分の変化だったりするからモヤモヤを消したいからって原因にしやすい、新しい要素や新人へ八つ当たりするのは辞めれないのかな
新人の見た目もにじさんじらしくないとか言われるけど、こんだけ人数いたら被らないように装飾とか増えていくのは当たり前で、同じような雰囲気なら同じ絵師にするか、似たり寄ったりの見た目になるだけで難しいよ
それだけ当たり前の存在になったってことだろうから良いことだけど、今でも男V需要ない問題は定期的に議論されるネタ
それに、VΔLZを男同期初って書いたけど、実は初じゃなくて初ってはVOIZなんだよね
当時は初として騒がれてたからそう書いたけど
当時は特に、そして今でも、大きな箱の個性だから運営として目立たせたいのは当然
とはいえ、目立たせるといっても女V を下げるって意味ではなく、女V と同等の扱いをするということ、女Vならデビューして普通に受け入れられる土壌だけど、男というだけでギョッとされる土壌の中で、普通に受け入れられるような扱いをするというだけ
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過去を忘れたのかと思う
昔、なに炎上があれば大抵のことは、クロノワのリスナーのせいにされてた
リスナーが冤罪っていってもどちらかのリスナーのせいと責任転嫁されてた
当時はアーカイブみたらわかるような偏向報道切り抜きで本当に炎上してて、それはニコニコに上がってたんだけど、コメントでどちらかのリスナーのせいだ〜みたいに他責されがちだった
炎上に関わらず、今で言う自分大好きな推し活女みたいな感じでレッテル貼られて敵視されてた雰囲気もあって理不尽だったよね
それに、自分が女オタクなので、女オタクの裏垢も見れてたから言うけど、当時人数が少ないからこそ粘度の高いコミュニティで悪口が共有されてた
クロノワの話した後だから、繋げられそうだけど、全体的な話なので勘違いしないでね
女ライバーとコラボした時に、女ライバーがちょっとダル絡みしたら、TLがお気持ちで埋まって同時に低評価が200弱増えたのを見た
すぐ可哀想ってお気持ちして、ライバーの気持ち代弁もよく見たし、人数多くないから目立ってなかったのか、ユニコーン=悪、それ以外は問題ないみたいな風潮で見逃されていたのか
そもそも当時は無法地帯でTwitterも配信チャットもすぐお気持ちで溢れたから女リスナー限った話じゃないっていうのは大前提
でも、ガチ恋お気持ちとか公開アカウントで普通に見れたし、荒れてたこと裏垢なんて知らなくても分かりそうだから、当時を知ってる人で今酷くなったと思う人がいるならちょっと不思議
エデン組までは〜と批判の道具にされがちだけど、エデン組がデビューした時、スローンズのこと女向けって今のアイドル売りみたいに叩いて、二人ともFPS勢だったから、またApexかよって叩いてのを見たよ
こんな感じでが新人批判を追っていくと、ずっと同じような理由で叩かれてるのが分かるよね
だから、また新人に何癖つけてる人いるけど鳴き声みたいなものだから同調したり傷つかないでほしいな
方向性が本当にかわったなら、方向性が変わる前のライバーが、無理を強いられるよ
それは方向性が変わったよその箱が証明してるから、例えば男Vが女絡みNGにでもなってから方向性変更って言ってほしい
新しいものだけを指して方向性が変わったって言われても、昔からある物もちゃんと残ってるのにね
頭が固くて新しい要素を受け入れられないだけなんじゃないかなと思う
SEEDsが悪いわけではない
多少の自虐のつもりだろうけど後輩叩きファンネルかと思うときはあるけど、結局それを武器にしようとしてるのはリスナーだし
それに、SEEDsと比べて新人は〜と叩くが基本的にデビュー数年の現在と比べている
その人初配信とか1年位はかなり大人しかったし、今と比べてもなと思うこともある
何年もやってる人の今と新人を比べるのは普通にお局仕草なのでやめたほうがいいと思う
特におじさんや奇抜な見た目がにじさんじだと思っている人はSEEDs=にじさんじなんだろう
でも、それならゲマズまで平均中・高校生だったにじさんじはにじさんじではなくなるんだよね
前にも書いたが、1.2期生やそれ以前のVTuber文化を知らない人が新規として入っていたのがSEEDs
だから、SEEDs=にじさんじとして評価する人がいるのは分かるけど、いくらなんでも引きずりすぎじゃないか
流石に、古参面するためにその人たちに便乗してる新規いないか?
もし居るなら、その人たちまあまあ偏ってるというか、個人の感想だから自分で見たものを優先してほしい
昔から批判が繰り返されてるといったように、昔からいるけど一部の厄介ではなく広がっていると思う
VTA卒の新人なら面白いか判定してやろうと斜に構えて見に来る
「これはにじさんじ」って、単なる身内ノリの褒めはだったのに、最近はにじさんじ判定士の方々が品定めに初配信見に来るの時の判定ワードになってると感じる
何事も初めて見たときは感動する
でも、その時は感動を感じていても、記憶の中で感動も含めた感情として残るから、初見の気持ちをずっと求めてしまうんじゃないか
にじさんじ=社不なのも、分かりやすい尖りを求められて昔からそうだと言われるのは違和感
昔はにじさんじのやべえやつと呼ばれていて、一見、赤子の拳とか言っててやばそうなのに、裏話を聞くと真面目でそのギャップがいいって言われてた
もちろん社不もいるし、社不ムーブもあるけど、今みたいに笑い話というより普通に叩かれることのほうが多かったと記憶してる
むしろ、配信者は尖ったことしろだけど、配信内容以外は社会性かなり求められて燃やされてたと思う
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いや、受からなくてよくね?
言葉の綾で、そういうタイプって意味だよと言われるんだろうが新人がデビューするたびに見る意見をは2号を探してるように思うけど違うのかな
突飛な発想ができて、配信者適性があって、ラインは理解していて…
受からないだけでどこにでもいるような言い方はちょっと失礼じゃないの
それこそ、委員長のご学友が委員長以上にやばいし面白いけど、配信には載せられないって言ってたように、その微妙なバランスを持ち合わせてる人は珍しい
それに、1回バズったからそれに味占めて似たような二番煎じを探しても寒いだけだし、まだいないような枠を探してるのはいいと思うんだけどね
2号がでたから同じように面白いわけではないし、委員長や野良猫が100人いても面白くないだろう
批判してる人はそうは言ってもアイドルばかりで、同じじゃんと言うだろうが、それは勝手なレッテル貼りをして勝手に同じにしてるだけ
極端な話面白くないと思うことは悪いことではなく、多様性の証明でもあると思う
それだけの種類を集められているなんてすごいことじゃないの
ざっくり言うと、今の新人叩きと似たような話+イベント批判+Apex批判
当時その通りだ、にじさんじは衰退するんだ、大変だと騒がれたけど無事に5年経ったね
今改めて見返すと本当に今の批判と似たような内容で笑える
きっと次の5年も安泰だろう
サムネはここ一年くらいの新人で、コメントも最近のスレだと思ってここ一年くらいのライバーのリスナー批判をしてた
つまり、最近変わったという批判は正しくないし、リスナーは何年経っても同じような内容で最近は変わった、もう終わりだと嘆いている
───────────────────────
8年も見てると毎年言われててもういいよという感じなんだけど、最近は新人批判が一部の厄介ではなく界隈に広まって詳しい面するための道具になってしまっていると感じる
批判してると自分が正しい気がして気持ちよくなれるからやめられないんだろうけど
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その人がいつぶりに戻ってきたのか分からないけど、やっぱり勘違いじゃく新人潰しが界隈に蔓延しているんだ
昔はRPガバガバ声も良くないみたいな所が尖ってるみたいに言われてて、その後RPしてない声が良くないと叩かれるライバーが出てきて、最近は設定文で全て知ったように批判され声がよかったらイケボ生主wとか言われるのどうしようもない
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いわゆるにじさんじらしさってなんなんだろうな
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たぶん、ホロライブのリスナーみたいにユニコーンじゃないと意地張ってんのかな
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初見はみんなピュアだけど、ずっと見てると自分の中で理想化した配信が生まれて文句が出やすいと思う
でも、それで生まれた気持ちは配信側じゃなくて自分の変化だったりするからモヤモヤを消したいからって原因にしやすい、新しい要素や新人へ八つ当たりするのは辞めれないのかな
新人の見た目もにじさんじらしくないとか言われるけど、こんだけ人数いたら被らないように装飾とか増えていくのは当たり前で、同じような雰囲気なら同じ絵師にするか、似たり寄ったりの見た目になるだけで難しいよ
テックタッチ偏重とAI化が、国内人材募集でリクルートの稼ぐ力を縮める理由
はじめに:シンプルの代償
リクルートは「Simplify Hiring(採用を簡単に)」の名の下、求人の出稿・配信・課金をIndeed PLUSに集約して“運用の効率化”を進めている。だがこのシンプル化は、媒体(自社サイトやアプリ)が本来持つ指名検索・直アクセス・回遊・価格主導権を痩せさせ、長期的には"Minifying earning(稼ぐ力の縮小)"へ向かう。
枠売り主体の掲載課金(PPP)から、クリック課金(PPC)や応募課金(PPA)に重心が移り、媒体固有の文脈価値より入札ロジックが前面に出る。
Indeed PLUSのような配信の中枢が強まるほど、各媒体は「配信先の一つ」へと相対化される。どこに出すかよりどう最適化するかが支配的になり、媒体の独自性は埋没する。
総額(グロス)から手数料相当(ネット計上)へ寄るほど、媒体サイドの投資余力と値付け権限が細る。短期の効率は上がっても、長期の交渉力は落ちる。
自動入札・自動配信・自動生成に寄るほど、“人が作る体験”と“コミュニティ”の厚みが痩せ、「その媒体にわざわざ来る理由」が失われる。
なぜ“稼ぐ力”が縮むのか:決定的な3因子
掲載課金の世界では、読者層・編集・体験が媒体ごとの差別化要因だった。
PPC/PPAが支配的になると、媒体の違いは入札アルゴリズムの内部に吸収される。結果として、
検索面のAI要約が標準UX化するほど、ユーザーは検索結果の上で満足し、媒体ページへ降りてこない。
求人情報(職務要件・報酬・勤務地等)のコモディティ部分は上流で要約されやすく、媒体への自然流入が目減りする。
上流(検索)側の仕様変更一発で、媒体の流量と単価が振り回される体質は、自律的に稼ぐ力の対極だ。
プログラマティック配信が普及し、応募課金(PPA)が一般化すると、市場の“応募あたり相場”が可視化される。
可視化は効率を高める一方、媒体に残るテイクレートは構造的に圧縮される。
「どの媒体でも応募単価は同水準」という世界観が定着すれば、媒体固有の上振れ単価は維持しにくい。
悲観シナリオ:2025→2029の崩れ方
2025–2026:静かな痩せ細り
PPC/PPA比重の上昇により、媒体の指名検索・直アクセス・回遊・滞在といった“面の指標”が逓減。
売上の見え方は手数料型(ネット計上)に寄り、媒体側の投資余力が縮む。
代理店やATSとの関係は“ハブ中心”に再編され、媒体直販の存在感が薄れる。
検索のAI要約が求人カテゴリでも一般化し、媒体への自然流入がさらに低下。
「媒体で見る意味」を失った出稿主は、ハブ最適化+相場のみを重視するようになる。
2028:高単価ゾーンの外部寡占
ダイレクト採用を育てた陣営(コミュニティやレジュメ・スキルの“関係資産”を保有)が高単価求人を寡占。
IndeedはSMB・ボリューム採用偏重に寄り、平均単価とLTVがじり下がる。
媒体側の編集・コミュニティ投資はさらに後退し、在庫品質の低下→単価下落の負循環に入る。
配信最適化としての効率は高止まりする一方、自社で創る需要と在庫(直送求人・会員基盤・コミュニティ)が薄く、成長の上限が露呈。
ATS連携や出稿先のスイッチングコストは低く、テイクレートの継続的圧縮が常態化。
結論として、Simplify hiring = Minifying earningが“標語”ではなく業績構造になる。
KPIで見る“崩れ”
応募単価(PPA)とテイクレート:相場露出→取り分圧縮の一方通行。
在庫品質指標(閲覧深度・保存・再訪):編集・コミュニティ投資の萎縮とともに劣化。
「採用を簡単に」は、配信と運用の簡略化としては正しい。だがその裏側で、媒体が持つべき"面の力”(指名・回遊・コミュニティ・値付け権限)を自ら薄めていく。
上流(検索AI)と横(PPA相場)に収益が漏れ続ける構造を固定化するかぎり、Simplify hiringis Minifying earningは、挑発ではなく既定路線になる。
--
きさらぎ駅:Reがアマプラにきてて、おっ、きてるじゃ~んと思って見た。
5点満点で評価を付けるなら、きさらぎ駅は3.1で、きさらぎ駅:Reは3.9って感じ。
元々きさらぎ駅は見てたんだけど、まったくハマらんB級ホラーやなぁってうすぼんやりした記憶しかなかった。
きさらぎ駅:Reが思いのほか良作で、もしかしたらきさらぎ駅も良作だったのでは?と思って見返してみたら
あんまハマらんB級ホラーだった。ただ見返してみると随所にK・U・F・Uは感じた。
まずきさらぎ駅。
悪い点:視覚効果のゴミさ、ホラーパートの展開のつまんなさ、主観視点のゴミさ
良い点:構成
まず悪い点だけどB級ホラー映画あるあるのクソチープなCG使い。人体爆発しても血痕一滴の凝らない。バカなのか。
ホラーパートも安っぽい驚かせ一択。きさらぎ駅の怖さってそれじゃないじゃん。
そして前半パートは伝聞形式の主観視点できさらぎ駅事件を追体験できるんだけど、その主観視点の使い方がもう、ひどうてひどうて。情報を伝えたいという目的と緊迫したシーンの噛み合わせが悪すぎる。急いで逃げるシーンで妙にぬるぅ~っとした振り返りとかが入って、えろう余裕ですなぁ(京都人のため息)という感想が溢れてくるし、お前それどういう状況でどこ見てるん?みたいなシーンがてんこ盛り。もうチンチンシナシナですよ。
逆に構成はかなり頑張っていて、主観視点できさらぎ駅事件を追体験する前半パートと、実際に主人公がきさらぎ駅事件に遭遇する普通の映画的な後半パートという構成になっていて、同じことの繰り返しだけど視覚的に飽きないKUFUがされている。
後半の主人公パートでは前半の主観視点の時の情報を活かしてきさらぎ駅事件を攻略していくという展開になるのは、最近流行りのやり直しもの、繰り返しものっぽくて面白い。
そして食い合わせは最悪だった主観視点も視覚的な差別化だけではなく、主観的=主観者の嘘が入り込む余地があるという叙述トリック的な効果を狙っていてそれがある程度ちゃんとハマっていて驚かされる。まぁ、なんでそんなことしたん?はまったくわからんのやけど。
映像作品としてはおもんないけど、物語作品としてはよくできてるって感じ。
俺の中では前者が大きくて正直ハマれなかった。
んで、続編のきさらぎ駅:Re。
悪い点:CGのチープさ。
良い点:構成。
正当進化した、いや正当変異した続編って感じでかなり好印象だった。
まずあいかわらずアホみたいなCGは健在なんだけど、1作目よりレベルは上がっていてため息レベルは下がってる。
なにより今回は人体爆発したらちゃんと血痕が残る。エラい!まぁ、なにその血痕?ってレベルなんだけど。
そして今回も構成頑張ってて、前半は1作目できさらぎ駅からの脱出に成功した本田ぼうけつのその後に密着したドキュメンタリーパート。ぼうけつは行方不明から帰還した奇跡の子として祀り上げられた後1作目の主人公を救うためアレコレした結果、キチガイだとネットで叩かれて苦労してて、1作目に登場した人物たちのその後もなんか悲惨な感じだったり、前半パートの主観視点おばさんがやっぱりキチガイだったことがわかったりして1作目その後、として満点を叩き出してる。
そして、後半パートではやっぱりきさらぎ駅に挑むわけだけど面白いのはここでぼうけつは1作目の後半パートに戻ること。つまり、1作目の主人公(主観視点おばさん情報あり)と2作目主人公(きさらぎ駅2周目)がタッグを組むんできさらぎ駅を全力攻略するという展開になる。
しかもその後、ぼうけつが2周目なのでNew Game+になってしまっていて難易度が激上がりして1周目では存在だけが匂わされていた隠しボスとの戦闘まで発生するし、1作目では疑似ループだったのが全員死んだらまた1からやり直すという本格ループものになっているなど、ゲームとしてのサービス精神がすごい。
また、今回は記憶持越しでガンガンにループするのでゲームの攻略性が高まっているのと、モブキャラたちとの絆も強まっていく激エモ展開まで加わっていて序盤中盤終盤隙が無いよね。
そして1作目同様、単なる説明パートだと思われていた前半パートを最終的に大回収するラストの展開。ここはもう完璧。
1作目には特になくて、今作から盛り込まれたテーマ性という点でも前半の提示を後半でしっかり回収していたのも好印象。
1作目ありきの2作目としてはここまでちゃんとしてる作品ってそうそうない気がする。
しかもここまでたっぷり入って81分。ちなみに1作目は82分でよりコンパクトに。
俺の中で1作目のきさらぎ駅は工夫を凝らした展開は評価できるけどぶっちゃけ陳腐でチープなB級ホラーでしかない印象だった。しかし、2作目のすばらしさは明らかにこの1作目を踏み台にしているため、遡って1作目の評価を上げざるを得ない。
これまで映画見ててこういう体験したことあんまなかったから、これはかなりいい映画体験だった。
ぶっちゃけ1作目も2作目もちょっとびっくりするところはあるけど怖くはないのでホラー苦手勢にもオススメ。
2作見ても2時間半とかだかし、なんかの拍子で見つけたら見てみてほしい。
同じく底辺絵師だった俺は、AIのせいで死んだと思ってたが、実際は逆だった。
AIのせいで終わったんじゃなくて、AIのおかげで稼げるようになった。
5年間、必死に手で絵を描き続けてきた。Xのフォロワーは800人、pixivの評価は平均30点。
たまに60点いけばいい方。小銭稼ぎで、ココナラとSKIMAで月に2万円くらい。
1枚2000円の依頼が、月に10件弱。それが俺の限界だった。
去年の夏、依頼が急に減った。
月に10件あったのが3件になり、やがて1件もなくなった。心底絶望した。
でもな。ふと思ったんだ。
「だったら俺もAIを使えばいい」って。
だから割り切って、Stable Diffusionを入れて勉強した。モデルを探し回り、LoRAを試し、プロンプトを何百回も打ち直した。
最初は手が6本ある絵ばっかで笑えなかったけど、毎日研究してるうちに「使える絵」が出せるようになった。
それを元に修正を加えて仕上げた。試しに出品してみた。
そしたら、思った以上に売れた。
今は1枚6000円で受けてる。月に30件以上。
15万から20万は安定して稼げるようになった。手描き時代には絶対に届かなかった額だ。
Xのフォロワーも2倍になった。
AI絵を上げると、以前より圧倒的に反応がいい。
正直、昔からの絵描き仲間は離れていったけど、その代わりに依頼者とファンが増えた。
もちろんAIは進化し続ける。半年後にはもっと強力になってるだろう。
ベースをどう生成して、どこを修正して、どう仕上げるか。そのセンスと判断は人間にしかできない。
人体の基礎、色の感覚、構図の知識。全部AIを使う時に役立った。
プライドは捨てた。その代わりに金を手に入れた。
これが現実だ。
俺は後者を選んだ。それだけの話だ。
お前らはどうする?
俺はもう迷わない。
これはオリジナルのボーボボ人気投票ネタが面白いという前提のもと、ではそれを真似(パロディし)たらなぜ面白くないのかを語っていく。
①.原則1年以上は連載しないと行われない人気投票とその結果発表を3話目で行う。
②.全部同じキャラ(ボボボーボ・ボーボボ )
③.それぞれのセリフだけは差別化されていて、如何にも少年漫画の人気投票っぽい。
主な構成要素は以上で、この漫画を知らない人でも一目で「変なことをやってるな」と分かるのが良くできている。
だが、大半のボーボボ人気投票パロはこれらの一部を削ってしまっている。
例えば『マッシュル』は実際の人気投票でこのパロディを用いたが、その結果①と②の要素がなくなってしまっている。
そのため“パロディをしたという行為そのもの”の面白さにとどまっていて、オリジナル版の足元にも及ばない。
他だと『JKが時止めてみた件』があるが、こちらはまだマシで①と③の要素は踏襲できている。
ただ②についてはそれまで登場してなかったゲストキャラで構成するという、オリジナル版の全部ボーボボのインパクトには及ばない。
更に言及していくと、後のページで主人公がこの件にツッコミをいれているのもよくない。
オリジナル版が一切のツッコミなく1ページで完結させているネタを、ページ数割いてまでやるのは蛇足だ。
便宜上オリジナル版と書いてきたが、そもそも本家のネタ自体が“少年漫画の人気投票パロディ”だ。
つまりボーボボの人気投票パロは、“パロディのパロディ”をやっていることになる。
パロディそのものの面白さも本家が担っているため、この時点で大分上手くやらないと面白さは損なわれやすい。
まあ、同人とか、二次創作の場で身内でやる分には“パロディという行為そのもの”だけで楽しめるかもしれないが。
もし商業誌などに乗せれば「粗雑なパロディでウケをとろうとしてる」という印象が強まる。
“雑なパロディ”を、“パロディという行為そのもの”だけで笑うことを肯定するにしろ、それには条件がある。
「現状パロディとして取り扱われていない、手垢にまみれていない」ことだ。
「飽きる」という概念がある人間にとって、同じことはやればやるほどつまらなくなる。
最近あった「エッホエッホ」のミームなんて、もはや昔のことのようだ。
現代の流行り廃りの早さを顧みれば、連載から20年以上経っているボーボボなんて歴史の域だろう。
あえて令和の時代にやるならば、それなりに手の込んだことをしなければ話にならない。
服が好きなんだけどさ。
こないだタックインがどうのこうのという記事がホットエントリに入ってて、そこのブコメとか眺めてて思うんだけど。
一つの流行を取り上げて、そんな流行に左右される人間は云々みたいな批判を平気でしてる人たちが一定数いるけど。
そういう人達って流行が何なのか理解できてないと思うんだよね。
そもそもファッションの流行っていうのは「流行ってる状態でそれに乗るもの」ではないんだよ。
流行っているということはもう大衆に広まりきってる状態なんだから、そこでその流行に乗ったところで「それがお洒落だ」とはならない。
それはそれで「着こなせている」ということにはなるけど、お洒落か否かで言えばただの「フツーの格好」でしかない。
もちろん服好きも流行は取り入れるけど、世間に定着した流行なんて俺らにとっては何年も前から当たり前にあるトレンドで、もう食傷気味なことが多い。だからその時点で「その次」を求めてる。
某YouTuberの言葉を借りれば、お洒落っていうのは人と差別化を図る行為そのものを指すわけで。
流行になる前、ハイブランドなんかの方向性を感じ取って世間に先駆けて流行の兆しを取り入れて周囲と浮いてるけどちょっとカッコいいよね、という状態がお洒落と言えばお洒落なのか?
実際はそういう着こなしを世間はお洒落とは認識しないが、服付きが好むのはそういう方向性だ。
でもそれって別に感度ビンビンにして流行を全力で追いかけてる状態かっていうと別にそんなことないのよ。
そりゃ流行は流行として文脈はあるけど、服好きはみんなそれぞれ自分の文化圏があるんだからさ。
普段は自分の好きなブランドだとか、セレクトショップだとか、古着屋だとかを観測しながら、ゆるく流行と付き合ってるわけ。
だからファッションの流行という現象は、流行が流行として定着した後、はじめてそれを追いかけている大衆が醸しているものだと思って間違いない。
そもそも服好きにとってタックインかアウトかで「ダサいか否か」なんて判定は無いよ。
着こなしなんて自分の意図が全てなんだから、その意図通りに着れていればそれいい。カジュアルかキレイめか、どっちのラインを出したいか、みたいな思考しかないよ。上下関係は無い。
四六時中服のこと考えてる人間にとって流行っていうのは服のほんの一側面でしかないんだけど、ある種の「正解」を求めてる大衆にとっては強いニーズがあるんだろう。
だから正直、流行を取り上げてファッションをどうのこうの論うこと自体筋が悪いんだよね。それを求めてるのは服好きと言うより大衆だし、服の文脈はもっとたくさんあるんだから。