
はてなキーワード:巨匠とは
だいぶ悪かった。40点。
1作目は主人公が亀梨君で最終的に思い出の装備で悪霊とバトルするファンタジーホラーラブコメだったのが、今回はめっちゃぬぼーっとした個性ゼロ男が主人公の地味ホラーになっていて「(前作はあんなに大ヒットしたのに)予算減ったんかな?」と思っていたらまさかの個性ゼロ男がSnow Manのメンバーであることがエンドロールで判明したのが一番のホラーだった。
前作もそうだったし八つ当たりになって申し訳ないけど、他の芸人が自分モデルの芸人を描いた作品だいたいそうなんだけど、その時点では特に才能もなく金もない芸人志望、芸人くずれがなんかよくわからんけどめっちゃ可愛い女の子に一方的に好意を寄せられてグズグズに甘やかされる展開、見てて苦痛だからやめてほしい。お前だよ、品川。
今回のヒロインは女優を目指すもなかなか芽が出ずにキャバクラでバイトしてる女の子なんだけど、事故物件に住むのしんどくなった主人公か彼女の家に転がり込む展開があるんだけど、めちゃくちゃいい家に住んでて草。だからお前はキャバクラでバイトしなきゃなんないんだよ!
と思ったらその家でも心霊現象に遭遇するのでもしかしたら彼女が住んでいたのも事故物件でだから家賃が安かったのかもしれない。事故物件に疲れた男を事故物件に引きずり込むなよ……
うん、見える子ちゃんもそのオチだったよね、しかも滝藤賢一がキーパーソンというシンクロニシティ。
主人公が所属する芸能事務所の社長が実は死んでいたってオチなんだけど、じゃあ主人公はどっから仕事請けてどっから入金があってどこに中抜きされてたの?シックスセンスは「ウィリスがいなくても成立する」ようにうまく撮影していたのがワンダーだったんであって、今作は主人公がひたすら奇行をとり続けているのをフラッシュバック演出で見せている。なにこれ怖い。
あ、じゃあシックスセンスじゃなくてファイトクラブだったわ。失敬失敬。一緒だよバカ!
中田秀夫さぁ、お前、もういい加減日本映画界ではある程度の巨匠なんだから安易なパクりやめようぜ……
ファイトクラブは病んだ主人公の妄想癖と解離性同一性障害とかそっち系で説明がつくけど、今作は心霊ものだから「吉田鋼太郎にとり憑かれて幻覚を見せられていた」っていういい幽霊だったはずの吉田が急に悪霊になっちゃうだろ。
見える子ちゃんは作品テーマとシックスセンス的な展開にきちんと関係性(見て見ぬふりすることの善悪)が見いだされていたので「ふーん、いい話じゃん」ってなれたけど、この映画だと「なんで?」としか思えない。そもそも「田舎の工場で名刺もらった時点で呪われてた」の意味わからんだろ。バカなのか。
俺はまだ前作のハチャメチャホラーのほうがまだ見るべき展開があって面白かったと思う。クソ映画だけど。
今作はそれもなくてホラー表現も地味だし展開もご都合主義だし志は低いし。純粋にエンタメ戦闘力が下がってる。
そりゃヒットしないよって感じ。
世界一映像化されたギネス記録持ちの巨匠スティーブン・キングがコロナ禍を予言したパンデミックホラー映画。
というわけでは全然なく、原作・原題は「Children of the Corn」で原作の邦題は「トウモロコシの子供たち」
俺はまったく知らなかったんだけど、このトウモロコシシリーズは1984年の1作目を皮切りに9作目まで作られている、アメリカではジェイソンやフレディのようなアイコン的なホラーシリーズらしい。この作品はそのリブート版で、作品的にはシーズンゼロの前日譚にあたるらしく、アメリカではエグいくらい酷評されていた。
酷評の多くは「原作どこ行ってんオブザイヤー」という感じだが、それ以外の部分で最も「確かに」となるのはストーリーテリングの拙さ。特に人間関係の描写の薄さ。俺も最初から最後まで「これは誰でどういう関係何だっけ??」と思いながら見た。まぁどうせみんなすぐ死ぬだけだからいいんだけど。
そういうC級ホラー映画を見るメンタリティでいればそれなりに楽しめた。
おそらく低予算だったのだろうけど、個人的にはホラー特有の省略の妙味が楽しめたのはよかった。
冒頭から「既に」ヴィランの少女は頭おかしいし周囲の子供たちは不穏だし、事態が始まると「既に」町は大荒れで、「既に」大人たちは保安官事務所に監禁されており、次のシーンでは「既に」大人たちは大穴に落とされている。その後も「既に」吊るされているジャーナリストや「既に」用意されている凶器など、常に3分間クッキングのように「準備は裏でやっときました」が続くので割とテンポよく見られた。
ホラー映画らしく主人公の女はバカで愚かだけど基本常に囚われているのであんま余計なことはしないのはマル。
ゴア表現も多くはないけどちゃんと入ってたし、キング特有のクゥルフ要素である「歩く者」も登場しサービス精神も旺盛。口煩い教訓話もなければ本編の時間も短いのでキング特有の「なんかよくわからんけど不穏な状況からの脱出」というエッセンスをうまく表現できてると俺は思ったかな。なお、キングファンは大酷評な模様。
あかん、もう何も見るもんなくなったけどなんかホラー見たい!って時に見るのがオススメ。
ウォーホールは有名なキャンベル・スープ缶やマリリン・モンローの肖像など、サンプリング文化の申し子と言ってもいい存在だ。
彼は、事前に許諾を得ることなく、他人が撮影した写真などを元にして作品を作り、のちに訴訟で肖像権の侵害で敗訴したりしている。
素直に権利侵害を認めずに、公正使用の範囲であると主張したのだ。
江口氏も、この線を主張することは「かなり苦しいが」出来ないことはない。
商業作家イラストレーターとしてではなく、一人のアーティストして、公正使用の範囲としての引用を行っているつもりであったという立場だ。
もちろん、そんなことを主張すれば、さらなる大炎上が起こるかもしれないが、プライドは保つことは出来るかもしれない。
実際のところ、彼がこれからも絵を描いてメシを食べていくためにはイラストレーターではなくアーティストして売っていくしか無いのではないだろうか?
しばらくの間、もしくはかなりの長い期間、彼には企業や自治体などから仕事の依頼は来ることがないだろう。
その場合に廃業するか、それともアーティストして、より物議を醸し出す作品作りに取り組むか、というあたりが取るべき策になるのかもしれない。
あと、もう一つのルートとしては、「本当の江口寿史展」とかそういう感じかな?
彼がこれまで発表してきた作品を、トレースなどの技法は使わず、自らの実線で描き直して作品として売り出すとか。
お涙頂戴な演出が必要になるだろうけれど、これも再起のひとつの方法だろう。
まあ、なんにしても江口作品がしばらくは見れなくなるのは残念である、というのが私の立場だ。
音楽の分野でサンプリングが音楽制作の手法として確立しているのに、
住田町の種山ヶ原から国道397号をちょっと西に行くと奥州市に入る。まあ奥州市観光にこのルートを取る人はたぶんほとんどいない。通る人がいたとしても帰り道だ。奥州市は水沢市、江刺市、前沢町、胆沢町、衣川村が合併して出来た自治体で、大抵は花巻・北上方面から南下するか、一関・平泉方面から北上して入ってくる。
5つの市町村が合併しているけど、まあ中心部は水沢、それから江刺という感じ。この中でもこのへんは盛岡に負けず劣らずの"偉人の産地"ということをPRしていて、実は奥州市には偉人の記念館が山程あるという特徴がある。問題はその偉人が"その分野を知っている人には有名"くらいの有名人であるところで、なので不特定多数の人にはお勧めしづらいのだ。一応記念館のある人の名前を挙げておくと、高野長英(幕末の蘭学者)、斎藤實(2.26事件で暗殺)、後藤新平(台湾開発で活躍)、菊田一夫("君の名は"の作者)、木村榮(Z項の発見)、佐々木精治郎(パステル画の巨匠)と言った感じ。だいたいこの名前で検索すればどの記念館に行けばいいかはわかるし、この名前で分かる人はたぶん最初からそれ目的で来るはずなのでここでおすすめするまでもない。まあもしかして検索で分からないかもしれないということで、木村榮がらみの場所だけ紹介しておく。水沢には緯度観測所という国立天文台の中では最も古く現存する観測所があって(現在は名前が少し変わっている)、そこの旧館を記念館奥州宇宙遊学館として公開している。で、実はここは宮沢賢治絡みの施設でもあるという話もあったり。
あ、誰でも知ってる有名人1人増えたね。大谷翔平。彼は水沢の出身で、毎月17日は市役所の人たちが全員17背番号のシャツ着て仕事してる。本人の手から肩を取って真鍮で作った実物大の握手できる手が市役所ともう1ヶ所に常設している(時々イベントで出稼ぎに消える)。菊池雄星の話の時にちょっとだけ話した大谷翔平マンホールは水沢江刺駅の駅前にある。さらに彼ゆかりの地は市役所がマップを作って公開しているのでそれを見て周るといい。
水沢についてはあと2つ紹介しておかないといけないものがある。1つは南部鉄器。日本の北部なのになんで南部鉄器なのか、しかもここは南部藩じゃなくて伊達藩なのに、という謎には回答があるのだが、それは忘れて南部鉄器を探すといい。水沢の南部鉄器は手頃に買えるものが多いし、そもそも明日明後日は奥州市南部鉄器まつりで即売会も行われる。第二会場は新幹線水沢江刺駅のそばにあるし第一会場の周りには駐車場も多いので存分に見るといいと思う。この"周辺に駐車場が多い"はちょっとした伏線で、もう1つの水沢で紹介すべき施設水沢競馬場には駐車場が存在しない。競馬場自ら「車で来る場合は近隣の私設駐車場を利用してください」と案内するくらい。まあこの駐車場思ったよりも安いのであんまりこだわらないで使えばいい。おそらく水沢競馬場は日本で一番ひなびた競馬場で、でも季節の関係もあって岩手競馬はこっちでの開催のほうが盛岡競馬場よりも断然多いという、よく使われている競馬場でもある。そしてこの競馬場、桜の名所でもある。競馬場の向正面に桜並木があって、これが桜の季節だけ一般公開されて入ってお花見を楽しむことが出来る(カラオケは禁止)ので、4月中旬に岩手に来る場合はこれを検討するのもあり。
江刺はえさし藤原の郷という施設がまあ一番の観光地。ここは戦国時代より前の時代劇では頻繁にロケ地に使われるので、大河ドラマのロケ地巡りをしている人にはまあ必見ではある。それ以外には市街地中心部に蔵を保存利用した蔵まちモールというショッピングモール街があって歩くだけでも楽しい。サブカル的には江刺にはテクノワールドというゲームセンターが生き残っている。情報発信頑張ってるけど、結局インカムがなければどうにもならないので言ってコインを入れて遊んで欲しい。
胆沢は、実は胆沢ダムが微妙に注目されている。まあこの夏貯水量が少なすぎた、ってところで注目されたやつなので別に見に行かなくてもいい。それよりもその下流にある円筒分水工。こっちがたぶん大事。この辺は水争いで揉めた歴史があるところで、それを避けるために丸い筒の中から水を出して、その丸を等分に割って水が計算通りに分配できるようにしたという、その設備が今でも残っている。これは見ておいたほうがいい。
前沢は、その名の通り前沢牛が有名で、牛の博物館がなかなか見応えがある。まあ大体の人は「どうせ牛だろ」とたかをくくって見に来るからその落差ですごく見える、という点はあるかもしれない。前沢牛を買って帰りたいなら牧場直営店の「おがた精肉店」で買えばいい。実はこの牧場、前沢牛のほかに小形牧場牛というほぼ同じようなブランド牛を飼っていて、こっちの肉は前沢牛より5%くらい安かったりする。たぶん大抵の人はこの5%の味の差はわからないと思うので配る用はこっちでいいと思うのだけど、よく考えたら生肉をお土産に配るってそんなにやらないね。
前沢牛をその場で食べたいなら、このおがたが前沢の駅前で焼肉店をやっているのでここで食べられる。そう言えば食べるもの何も紹介してなかったね。胆沢ダムはダムそのものよりも胆沢ダムカレーがあちこちで展開されている。江刺はミートショップ小野寺の唐揚げ(チューリップ)の評判がいい。水沢といえば焼肉龍園なんだけど、ここはグルメ番組で擦られすぎて最近は予約でいっぱいらしい。
あ、衣川について説明していなかった。衣川は岩手初の落語真打・桂枝太郎の出身地。別に彼の生家が記念館になっているということはないんだけど、平泉前沢インターを降りる時に城が見えて、これは彼が地元に落語を定着させようと有名落語家を山程呼んだ落語会をやったホテルの跡地。そのうち再活用されるらしいのでその時に見に行くといいかも。あと、ここの"大森"地区がマンガ"リトル・フォレスト"の舞台"小森"となった関係で、公開後にロケ地巡りをする人がそれなりにいた。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/eiga.com/news/20250906/6/
このブクマ
黒澤明は日本人からそっぽ向かれちゃったからね。そして実写映画界にそのセンスは受け継がれなかった。黒澤を受け継いだのはアニメ界だったんよね。
だが、★はたくさん付いている。ただ具体的に黒澤明に影響を受けたアニメ作品や作家の名前は、かろうじて宮崎駿が出てくる程度で出てこない。でも増田はそれはなんか違うと感じたのだ。
宮崎駿が黒澤明を尊敬しているのは割と有名な話ではあるが、両者の作風は実はかなり違うとおもう。
黒澤明は実はアメリカン(ハリウッド)な作風だ。ジョン・フォードの駅馬車にインスパイヤされたシーンなんてのがあるぐらいに、「古き良きアメリカン」なアクションシーンやヒューマンな(牧歌的で、今となっては懐古的な人道主義)面が強い。一方で宮崎駿は、アクションなどはインスピレーションがあるのかもしれないが、それを「影響を受けたフォロアーだ」と言うには雑すぎる。もし影響つよつよだっていうなら剣闘のシーンがもっとあるはず。ぱっと思いつくのはナウシカのユパぐらい?。また、宮崎駿の世界観は、まぁSFの匂いがあることもあって設定はもっと複雑である。20世紀半ばのアメリカ的な素朴な人道主義は感じられない。
そして黒澤のヒューマニズムは、素朴だが裏に苦みや残酷さを持つのに対し、宮崎のそれは設定の複雑さに比して映画の結末は表層的でハッピーだ(この辺は宮崎駿を批判する時に言われがち。まぁスポンサーの意向とかもあるんちゃう知らんけど)
更に。
黒澤明は全盛期ですら「女があまり書けないタイプ」の監督という定説があり、また本人も女を描くのが苦手だとインタビュー等でしぶしぶ言っている。まぁ増田は、ご本人が言うほど下手じゃなく魅力的な女性はたくさん出てくる(椿三十郎の旗本の奥方とか最高)し、むしろ羅生門などはそれが出来たからこその評価だろうと思っているのだが。
それは置いておいて、まぁ黒澤は「女」のキャラクターを物語の中に立ち上がらせるのがあまりうまくなく(撮り方もなんていうか、こうステレオタイプである)、一方で、黒澤明は「男」を描かせれば本当に一級品だ。三船敏郎というアイコンとの出会いは大きかろうが、どっこい三船以外の「男」も、ずるかったり弱かったり強がったりとバリエーションに富んで素晴らしくすべてが「物語の豊かな糧となるキャラクター」だったりする(黒澤映画における女はたまに「美人女優を出さなきゃならんからな」的な状態になっている時がある)。
一方、宮崎駿の描く女、これも発端は黒澤的なステレオタイプなかたちをとることが多い。だが、宮崎駿の描く「女」はステレオタイプ(かわいい、おてんば、などの男が好むステレオタイプ)から飛び越えて陰影や謎を持つ魅力的なキャラクターで、その点(女を描く)は宮崎駿の方がうまいと思う。そもそも宮崎映画は何でそんなにというほど「女」が主人公だ。
なので、影響はそりゃ受けてるだろう世代的に、とは思うが、それをフォロアーと言うには雑な気がするのだ。
何しろ黒澤明の映画は、彼の全盛期である1940~60年代には1年に2本~数年に1本のペースで映画館にかけられている。それが基本的に全部大ヒットで良作品である。映画がことさら好きじゃない人でも当たり前の顔で黒沢映画を見ていた時代だ。団塊の世代であれば多感な子供~思春期に「毎年1本、黒澤明の大人気の痛快娯楽大作」が封切られていたわけで、こういう時代背景をもって「宮崎駿は黒沢の影響で作品を」というのは、ちょっと乱暴すぎる。
一方で、ガンダムの人とかは影響受けてるんかなと思って検索したら(ガンダムの方はあまり知識がないので語れることがない)こんなブログが引っかかって面白かった。さすがガンダムおじさんいちいち辛口
https://ayamekareihikagami.hateblo.jp/entry/2017/11/30/235950
日本の映画界は貧しすぎて、1950〜60年代に戦争物もあったんですが見にくいものしかない。また軍隊を悪者にすれば気が済むという簡単な思想性で組まれていて、戦争を描いている映画とは言えない。それ以上のものを求めても、当時才能がそれほどいなかったから無理だよねってことですね。黒澤明あたりが一等賞というのは貧しくて、後続部隊がいなかった。『七人の侍』(1954)は見やすい映画ですが、見事なものは『七人の侍』を持ってこないとないというのは貧しい。黒澤明は巨匠ではありますが万能ではありませんし、偏った監督だったとぼくは思っています。
こちらの方がむしろ「黒澤の次をなんとかしないと」ということなんだろうということで、より本質的には「継ぐもの」フォロアーなんだろうと思う。でもブクマには富野も庵野も名前が出てこない。
富野→庵野、みたいな流れが「アニメが引き継いでる」ってことであってます?オタクの間ではそれが定説ってこと?その割にはブクマに黒澤を見た人が少ないのでこれが正解かもわからない。
ウエディング業界の人とお付き合いあるけど、大変な仕事だよなほんと。
増田も頑張ってほしい。
ちなみに俺は無理。
山奥のキャンプ場の管理人という商売。ここらは眺めは良くて、映える写真は取れるのでウエディング業界の人が使ってくださるんだけど、テンションが上がっているんだかなんだかわかんないけど、結構無理難題をふっかけるカップルの多いこと。
ワイなら、木が邪魔じゃねえんだわタコが。貴様は映画の巨匠かなんかのつもりか?お前らが親父の金玉の中で精子やってるころからその木はそこにあるんだよヴォケが、みたいにいっちゃう話を、すごい丁寧にいなして提案してやってるし、
褒めて褒めて褒めまくって、無茶苦茶ひとがいいし。
数時間かかる移動時間でも接待して話を盛り上げているみたいだし、前は前日にははるばる数時間かけて必ず来て、撮影場所はもちろん、着替える場所とかトイレとか確認していったし(今は信頼してもらってて、俺が整備してる)
基本的に一見さんだと思うんだけど、やっぱり評判がすごい大事なのかなあ。で、さらに俺にもめっちゃ気を遣ってくれんの。毎回お土産くれるし。ゴミなんかは全部キッチリ回収していくし。金払いも無茶苦茶いいし。
場所かしませんとか言い出すと困るからってのもあるだろうけどあれは天性の人格者じゃないとできない仕事だわ。
業者さんのサイトを見ると三桁かけるのが普通らしいと聞くと、ビジネスとしても魅力はあるんだろうけど、俺には無理。絶対無理。ぶち切れちゃうよ。
なんでへんな遠慮してしまったんだろう?
その野球漫画はそれぞれが独立していて一つの世界ではなかった。
デビルマンという作品の未消化になっていたテーマを昇華させるという大作品に仕立て上げている。
ガンダムにおいても、このような手法が使えることは言うまでもない。
それまでの歴代ガンダムキャラクーが総登場して、興奮を覚えないガンダムファンは皆無だ。
それはまさにガンダムジークアクスにおいても一部証明している。
ただジークアクスにおいては、とてつもなく遠慮がちにバスク・オムだとか黒い三連星など、
比較的いじってもあんまり怒られないような人物ばかり登場させている。
もちろん主要登場人物のシャアや、シャリア・ブル、キシリア、などはガッツリと登場しているが、
それと「大甲子園」的な流れとはまた別物と思える。
そしてツインサテライトキャノンのような最強のガンダム兵器を登場させることで
魅せる物語も作れたはずなのになぜそれをしなかったのか?
なんというか賛否が激しい作品と評されるガンダムジークアクスだが、
私から見れば、かなり小粒で、出来るだけ色んな人を怒らせないように、
極めて慎重に、遠慮がちに、小さくまとめた作品と言わざるを得ない。
いったい誰に、何に、遠慮したのか?
あるいはそもそもガンダム版大甲子園を構想するほどの時間がスケジュール的に難しかったのか?
そもそもガンダム版大甲子園をつくるほどにガンダムが好きな人たちがスタッフにいなかったのか。
あるいは結局それを作っても、ガンダムも登場するバンダイのゲーム、スーパーロボット大戦になるだけだからそれを避けたのか?
でも真のガンダム大甲子園は決してスーパーロボット大戦の付録のようなものとはならない。
やはり、それほどガンダムに対して熱い思いがない人たちが
手癖で作ったようなアニメ、
としかいいようがない。
なんかジークアクスってすごく手慣れてるし高度なテクをつかってるけど
「手癖感」が酷いのだ。
いつものやり方で、ありものの材料を使って、ガンダムを料理してみました、
って印象が強い。
なんというか、一線を越える踏み込み、みたいなものが足りてないのだ。
全世界を敵に回してでもこれを作り上げてやる!!
みたいな心意気がない。
アニメ映画の巨匠と呼ばれる人にほらほら褒めてとかがっつきながら見せるも
「これは生に対する冒涜だ!!」と一喝されてシュン・・・となる映像をいつかどこかで見た気がする。
その時は「え?この爺さんなんでこんな激おこなの笑」とかいう感想しかなかった。
最近、とあるCMを見ると妙な違和感を感じて、それはますます大きくなる一方なものがある。
最近は本物の動物を使わず、CGなのか生成モノなのか、とにかくツクリモノが使われることが実に多い。
一見はテクノロジーの進化により本物のように見えるけれど、犬猫にしてはあり得ない表情とか足の動きとかしてて、
もう、
実に、
気味が悪い!
これに尽きる。
近づくと危ないってさ。