
はてなキーワード:巣窟とは
そんなのずっと昔。
糞フェミくせー主婦層に都合の良い意見だけが上げられて、都合が悪い時はネトウヨもボロクソに叩かれる。
主婦層だから古臭い保守派みたいなことも言うけど、基本は糞フェミ。
要するに、自分に都合の悪い奴らがちょっとでも目立つと、ずーっとそいつらのネガキャンするために延々とほざき続ける。
まあ、高市擁護のためにそんなこと言ってたブコメは、ただのマスゴミ工作員だろうが。
ヤフコメこそマスゴミ信者の群れみたいな奴らなのに、わざと参政党とか高市とか叩いて支持させる工作が行われると、「逆らってる」とか都合の良いことほざき始める。
だったらマスコミ宣伝が上手い小泉劇場なんて、実際は小泉バッシング劇場の間違いだっただろうが。
明らかに行き過ぎてるくせに頓珍漢な政治家叩きは、炎上ステマの効果を狙ってる。
本当に叩いてる時と違いは明らか。
高市の時は、高市がゴリゴリの表現規制派で、ヘイトスピーチ規制してた売国奴だっていう、支持を失うようなことは一切口にしないからね、マスゴミ。
別に本人の前で言ったわけじゃなくてなんとなく「ウチに来る奴らも質が落ちてきたね(寂しいね)」という愚痴を身内同士でやっただけだというのに。
そこにいちいち繊細チンピラ発動して「はぁ?」とか抜かしてる方がおかしいっての。
つうかこの増田もズレてるよね。
低偏差値高校卒業しただけのヤンキーよりは、高偏差値大学卒業したお嬢ちゃんの方が人柄はいい傾向にあるよ。
考える頭のない集団・ある集団どちらに属していたかが人柄に与える影響は計り知れない。
そもそも頭悪い人は人の気持ちとかマナーとかそういうの理解できないからさ。
全部身内のノリで決めてるんだよね。
そういう連中が沢山つるみだすとしょーもない空気と仲間内のクソどうでもいいヒエラルキーを色んなところに持ち出すようになる。
世界が狭いんだよね要するに。
勉強ってのはすればすれほど世界が広がるわけで、逆を言えばしない奴らの世界は自分の通学路の半径数メートルから延々に広がらない。
パっと書類を見て「学歴が低いね」と口にした言葉の裏には「世界観の狭苦しそうな人柄の悪い人が混じってそうだね。気をつけなきゃ」という意味がそもそも含まれてるわけ。
こういうのさあ
「今の職場での適応は難しい」って言われても、じゃあどうすればいいのさ?
IQ90に見合ったレベルの職場なんて、それこそヤンキー半グレの巣窟だろ?高学歴が行く企業よりもよっぽど働きにくいだろうに。
高市早苗の馬車馬発言が叩かれていたが、ワークライフバランスなんてそれこそレベルの高い企業に限った話だからな?低レベルの職場こそ馬車馬のように働かされるんだよ。
努力と勤勉さで埋め合わせた「せいで」と言うが、埋め合わせたからその程度で済んでるんだよ。埋め合わせしなかったらもっと地獄を見てたと思うよ?
それとも障害者手帳を取得して作業所か?それじゃ小遣いレベルの給金しか貰えないだろうに。
@sidow_mendoc
学生時代めちゃくちゃ頑張って勉強して比較的高学歴の大学に入学。
卒業して周りと同レベルの企業に就職したけど、なかなか仕事がうまくいかず不適応に。
どちらもまるで不良漫画ではない、が正解かも知れません。
『ビー・バップ・ハイスクール』や『クローズ』などを不良漫画の基準とするなら、『魁!!男塾』『魁!!クロマティ高校』ともに、不良要素はほぼゼロ…あったとして未成年の飲酒喫煙くらい…そもそもこれらを不良漫画とする認識が間違っている、といってもいいくらいです。
全国の高校を退学になった荒くれ者300人…と冒頭に説明されているだけで、実際に塾生たちが不良行為に及ぶ描写は全くありません。
作中で語られるのは、男塾というイカレた塾でのシゴキの毎日ばかり。基本的にはギャグ漫画です。
塾生たちはどちらかといえば、楽享大学応援団や関東豪学連の尖兵に不良的な振る舞いをされる被害者で、自分からケンカを仕掛けるのはヤクザ限定です。
その後、驚邏大四凶殺以降は拳法家同士で戦うバトル漫画に移行したので、もともと不良という設定すらどうでも良くなりました。
まれに三号生から「北の宿敵」等の話が出ますが、その様相は学校の不良同士の抗争のレベルではなく、ほぼ三國志や戦国時代の合戦です。
続編の『曉!!男塾』でも、塾生が基本的には不良的な行動を一切しないあたりは魁!!とほぼ変わりません。
宮下あきら先生の場合は、男塾の前作『激!!極虎一家』もしかりですが、描かれているキャラクターたちは不良というより任侠、侠客と見る方が自然といえそうです。
『魁!!クロマティ高校』の場合は
ご存知の通り、完全無欠のギャグ漫画です。
クロマティ高校は「引き算ができれば入れる、ワルの巣窟」という設定ではあるものの、どちらかといえばクロ高の面々のバカっぷりと、クロ高でのデタラメな学生生活の話がほとんどです。
一応、近隣のバース高校やデストラーデ高校などとの抗争はあるようですが、それすらも基本的には笑いのフリ。殴り合いのシーンなんかありません。
連載中盤以降では、もはや舞台が高校であることすらも忘れたようにブッ飛んでいたので、自分たちが不良であることなど、とうの昔に忘れていることでしょう。
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https://b.hatena.ne.jp/site/posfie.com/
【七川琴る】ぼっち・ざ・ろっく!の女脚本家がただのBL無罪論者と発覚してから、X民の間で大炎上している件 3users 2025/09/1812:32
frothmouth 2025/09/1812:51
mask3kun 2025/09/1812:32
有名フェミニストさん、「アンフェは性搾取を重い意味で使うな!」と発言し炎上 15 users 世の中 2025/09/1810:45
izure 2025/09/18 13:53
e10kg 2025/09/18 13:40
deamu 2025/09/18 13:35
gun_kata 2025/09/18 13:34
zsehnuy_cohriy 2025/09/18 13:32
frothmouth2025/09/1812:55
mask3kun 2025/09/1810:45
【号砲】ぼっち・ざ・ろっく!さん、脚本家のせいで男女論バトルフィールドと化してしまう・・・10 usersアニメとゲーム 2025/09/1810:19
deamu 2025/09/18 13:37
czvf 2025/09/18 13:23
kaionji 2025/09/18 13:13
frothmouth 2025/09/1812:58
mask3kun 2025/09/1810:19
【七川琴る】ぼっち・ざ・ろっく!の女脚本家さん、BL無罪論者だった・・・刀剣乱舞花丸では少年を半裸にしていたことが発覚 6 usersアニメとゲーム 2025/09/18 09:26
pokute8 2025/09/18 13:34
frothmouth 2025/09/1812:43
mask3kun 2025/09/18 09:26
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非公開ブクマが多すぎない?
mask3kunに至っては毎回1個目のブクマなんだよなあ…
https://b.hatena.ne.jp/mask3kun/
なんでやろなあ…?
道頓堀に飛び込むという行為を、ひと事のように笑い飛ばす風潮に、静かな怒りを募らせている。
人は自らの愚かさを露呈する。
先人はこう嘆いたものだ。
──十九世紀末、戯作者式亭三馬が描いた講釈本に、道頓堀の名物「堀の人」を捉えた一節がある。その男、名を柄井丈吉という。酔客の好奇心を満たさんと、夜毎鏡川の艪から身を投じ、人々を驚かせたという。だがその飛躍は賢慮に欠け、川水に呑まれて三度、死の淵をさまよった。生還したのは奇跡か、それとも文字の海に生き永らえた噂話の宿命か。
増田はこれを「芸」と呼ぶ者の無知を嘆く。柄井丈吉が生き延びた後の話を誰も知らないのは、川底に沈んだ教訓ごと人々が忘却の淵へ投げ捨てたからだ。堀に飛び込むという演出の下敷きには、「他者の目を引きたい」という極めて卑近な動機があり、自尊と無謀が拮抗する。知らず識らずのうちに、飛び込む者は己の無恥を世界にさらす。
現代の道頓堀もさほど変わりはしない。SNSに映る若者の楽しげな姿は、泳ぐことのない浅瀬へ足を踏み入れる蛙めかしい所作に他ならない。お祭りの喧騒が「涼」の幻想を煽るたび、飛び込み願望は膨れ上がる。だが、そこで待つのは得難い涼恵(りょうけい)ではなく、ヒルの如き流れの冷酷さと、下流の水路に隠れたゴミと油膜の毒気だ。
かつて文人たちは、水底に深く潜ることの危うさを讃えた。芭蕉は河畔を歩き、川音に耳を澄ませながらも、決して淵には近づかなかった。川は人の軽率を見透かし、冷たく拒むからである。増田は言う──「淵から身を引く勇気こそ、本当の度胸だ」と。
道頓堀の水は、観光資源としての華やかさと同時に、都市の猛毒を内包している。下水が混じり、水質汚濁が進む夏場には、病原菌の巣窟と化す。飛び込んだ者は、無邪気な快楽を追い求める一方で、自らの体に細菌の羅列を招き入れる。病みつきになっても、川は返歌など持たない。
そして、思い出せ。かつて柄井丈吉が三度、川に呑まれたのは、彼自身の好奇心が引き金だった。三度生き延びたのは幸運だが、誰もその後の彼の生涯を語らない。転じて言えば、飛び込むことの代償は後生にまで残るが、その傷跡は誰にも見えない。
増田は総括する。――夏の道頓堀に飛び込む愚かさは、江戸時代の戯作者も、現代の若者も変わらぬ。見せ物小屋の梁の上で綱渡りを披露するような輝きはない。自ら選ぶ快感の陰に、いつか病苦と後悔だけが残る。
涼を求めるなら、橋の上から川縁の縁台に腰掛け、水面を眺めよ。そこに映る蜃気楼のような涼しさは、安全と礼節を兼ね備えた、もっとも賢い愉しみ方なのだから。