
はてなキーワード:岩倉とは
古代中国の書物である『易経』に「観国之光,利用賓于王(国の光を観る、用て王に賓たるに利し)[注釈 5]」との一節があり、「観光」はこれを略した成句であるというのが定説である[1][5][8][13][34][35]。したがって、明治期に西洋から輸入された多くの概念が和製漢語に当てはめられ理解されていったのに対し、観光という言葉そのものの起源は東洋にあるということになる。
「観光」という用語の使用が確認できる最も古いものは、1855年にオランダから江戸幕府に献上された洋式軍艦「観光丸」である。誰がどのようにしてこの艦名をつけたのか明らかになっていないが、珍しさや誇らしさを表したり「国の威光を海外に示す」という意味が込められていたと考えられる[1][34]。また、明治時代初めの米欧使節団を率いた岩倉具視は、報告書である『米欧回覧実記』冒頭に「観」「光」と揮毫している[注釈 6][37]。岩倉は後に、東京奠都により衰退した京都の経済再生の一環として、洋風迎賓館を建てて外国の賓客をもてなすことを政府に献策している[36][38]。なお、「観」という漢字には「示す」という意味もあり、「外国の要人に対して国の光を誇らかに示す」という意味も込められているとする説もある[1]。
このほかに佐野藩の藩校「観光館」や国産品奨励を目的として設立された「観光社」など固有名詞の中での使用例があるが、用語として広く普及したとは言い難い[注釈 7][34]。
1872年の日本の鉄道開業以降、各地で鉄道のネットワークが広がってゆき、これにより国内旅行が盛んになるが[33][39]、このころは「遊覧」や「漫遊」の語が使われるのが一般的であった[注釈 8][5][34][40]。1886年に東京府師範学校が「長途遠足」を開始し、内国勧業博覧会の開催などとも合わせて修学旅行が促進された[39]。1905年には鉄道を利用して高野山と伊勢へ参詣するパッケージツアーが南新助(日本旅行の創業者)によって始められている[39]。
1893年、渋沢栄一と益田孝の旗振りにより、日本で始めて外客誘致に取り組んだ民間団体である喜賓会(英: WelcomeSociety)が設立され、設立目的に「旅行の快楽、観光の便利に」が掲げられた[34][40]。喜賓会は1912年にジャパン・ツーリスト・ビューローとなり、日本交通公社の前身となっている[5][40]。
1923年・1924年ごろにはアメリカ移住団の祖国訪問について「母国観光団」と大々的に新聞報道されており、観光の語が現代的な意味として一般に認知されるようになったのはこの頃からともいわれる[1]。
濱口内閣は、元帝国ホテル副支配人で熱海ホテル経営者の岸衛[注釈 9]の働きかけを受け、外貨獲得のための外客誘致事業を目的とした機関の設置を決定した。これが1930年4月24日付け勅令83号によって創設された鉄道省の外局「国際観光局」である[5][1][35][40][41]。名称の候補には「観光局」「国際局」「外客誘致局」などがあったが、当時の鉄道大臣江木翼により決定された[40][42]。なお、英文名はBoard of Tourist Industryとなっており、ツーリズムの語を用いず、国際にあたる表示もなされていない[注釈10][34]。
「観光」の語は原典を紐解くとアウトバウンドを指すものとも解釈できるが[35]、このように戦前の「観光」を冠する事業はインバウンドを中心としたものであった[注釈11][5][40]。
国内旅行も包含した今日の意味合いでの「観光」が定着したのは、マスツーリズムが到来した1960年代以降であるとする指摘もある[34]。宮崎バス(現・宮崎交通)が、「名勝」「遊覧」といった表現が享楽性を連想させるとして、戦中戦後に「参宮」「観光」へ名称変更した事例が報告されている[5]。
庶民に普及した当初は観光に行くことそれ自体が贅沢でありステータスであったが、観光が身近な存在になるに連れて「どこに行くのか」「何をするのか」が次第に重視されるようになっていく[23]。
作った人の判断なのか権利持ってるだけの人の判断なのかで話も違うだろうけど
何にせよレトロフューチャーみたいなものというか、ネットへの幻想マシマシな作品だから馬鹿にされず金儲けに使われるだけマシ
ゲームもアニメもある意味世界や自意識?がグチャグチャになってくのを眺めてるだけの作品だよ?
現実のネットの女子高生は岩倉玲音じゃなくてインスタTikTokとかやってる韓国かぶれの女子高生
それとプロセカとかストプリとか何かよく分からんのにハマってる人たちだよ
serial experiments lainより俺には理解出来ないけど
なるほど。
様々な感想が存在し、様々なlain感、受け止め方、解釈がある。
作中で全てを語ること無くプレイヤーに委ねた結果、それぞれがそれぞれの勝手喜怒哀楽を持って受け入れる。
今のlain周りがその力を生み出しているとは思えないけど、思い出の中にあるlainに今でも確かな力があったと感じる。
俺たちの脳細胞に刻まれた記憶が、ネットの海にlainとは何であったのかという記録を刻み続ける。
無限増殖するデジタルタトゥーがlainの伝説を語り継ぐんだ。
悪性変異したデュープのようにどこまでも広がっていくんだ。
たとえ今は陳腐化しようがかつてlainが伝説として存在したことは、それを語り継ぐ人間がいる限り消えることはない。
もう誰も本当の顔を覚えてないはずの歴史的人物の名前が残り続けるのは、記憶と記録が相互にループし増殖を続けるからだ。
この事実が失われることはない。今lainの権利を持つスタッフによっても不可能なんだ。
今の人類の技術ではまだ、刻まれた過去を消し去ることは出来ないから。
アニメ『serial experiments lain』の岩倉玲音が、『NEEDY GIRL OVERDOSE』配信番組にまさかの登場 - 電撃オンライン
馬鹿なんじゃないの?
lainのテーマは「サイバーパンクが現実のものとなりつつある空間としてのインターネット」であって、「メンヘラうようよの世紀末系インターネッツ」ではないだろ。
なんで公式がそこを間違える?
マジで全く別物なんだよ。
確かにlain当時のインターネットにはギーク・ナード・メンヘラを拗らせた社会不適合者がウヨウヨで、無法地帯を感じさせていたけど、インターネットを無法地帯にさせていたのは加速し続ける技術の進歩に人類の法律とモラルが追いついていなかったという背景が強かったわけじゃないですか。
インターネットに接続することそのものにそれなりの知能(せいぜいIQ90程度だけど)が必要で、そこによって区切りが発生することに対してメンサじみた特権意識を持ったイキり連中のウロつきの空気は今のアングラネットとは全く別物だよ。
某玉ねぎを使用もしないで幼稚園児でも明日から使えるインターネットで配信活動をする世界の作品とlainの世界は繋がらないよ。
同じくインターネットを舞台にしてるって言うならデジモンなりウェブダイバーなり連れてくりゃよかったんだよ。
つうか俺が一番失望してるのはlain公式がこの程度の判断を誤ったということ。
NEEDYGIRLが一方的にlainにラブコールを送るのは勝手だと思うけど、lainの側からNEEDYGIRLに応えるのは違うだろ。
インターネットの海において遍在していてどこに現れてもおかしくないのがlainの特性だけど、それならどこかの配信にだけ特別に現れるなんておかしいんだよ。全部の配信に顔を出すこともなくどこかにだけ偏在してしまっているなら、それはlainの在り方としての遍在とはまた別物なんだよ。
直接介入をしないからこそどこにでも存在していることを疑うことが出来るという実態の無さこそが本体の都市伝説としての立場を守るべきだろ。
それでもなおlainが特別にやってくるだけの繋がりはNEEDYGIRLとの間にはないよ。
「ネットが舞台でメンヘラじみてるから一緒でしょ?」なんてのは外野だけが取っていい態度であって公式がそれをやっちゃ駄目でしょ。
なんなんだよ。
25周年の一つの形として「お前らいい加減夢から醒めろよ。これは単なる紙芝居でしかね―んだ。著作権持ってるスタッフが自由にして良いおもちゃ以上でも以下でもないんだよ」って突きつけようってのか?
畜生……それが正しいのかも知れねえ……俺たちは和製ニューロマンサーとしてlainを持ち上げすぎてその本質を見失っていたってオチは十分ありうる。
日本の技術立国の形として電子の海に強い理解と関心を寄せるオタク達の島であって欲しいというキモい気持ちが、単なる一アニメに必要以上の役割を与えようとしていたんじゃないのか。
カルトアニメとして黙って持ち上げられてくれていたからそれに甘えていただけなのか……。
serial experiments lainに対して俺が見ていた25年の夢はとりあえず醒めたよ。
スゲーアニメだったのは間違いないけど、いつまでも日本サイバーパンクの神輿として担ぎ上げるのは間違っていたんだろうな。
いつからだ……放送後3年ぐらいの辺りでもう歯車は狂っていたのかな。
結局コレもさ、lainと攻殻ぐらいしか日本でマジメにネット社会の向こう側と向き合おうとした作品が生まれてなかったのが悪いんだよ。
色々あったけどさ、どれも最後はボーイ・ミーツ・ガールで甘ったるくくるんではい終わりにしてたろ。
そうやって誤魔化すんじゃなくて、最後まで物語の中心にネットの闇を置き続けるコンテンツがもっと伸びてほしかったんだな。
結局最後は生身の人間ですよなんて話をインターネットコンセプトにしてやって欲しくねえんだよ。
あーでもlainのアニメは最後、やっぱ生身だよねとはなったんだよな。
駄目だな……俺は自分の見たいものにピントを合わせてばかりで何も見てなかったんだな。
俺は俺の中にあるlainばかりを見てた。
現実のlain、スタッフ達がどう育てていきたかったのか、どういう作品だったのか、皆の中でどういう作品だったのかをちゃんと見ようとしてなかった。
だから1人で思い込んで突っ走って、25年もかけて勘違いに気づいて今更失望してんだな。
馬鹿みたいだわ。
結局、俺が幼すぎたってだけのオチかよ。
あほくさ。
なんだったんだろうな。
俺にとってのlainって。
長い夢だったな、今やっと醒めた。
本当に夢から醒めたんだと思う。
Permalink |記事への反応(14) | 00:13
イワクラと吉住の番組にて「大きいおっぱい」について語られていた
自分(女)も大きいおっぱいが大好きだ。岩倉と吉住は「癒やし」と言っていたが、自分は男性的な目線で見てしまう
入眠時によく見ているASMR動画の某外国人女性You Tuberは度し難い程おっぱい大きい。見ていると眠くなるどころか覚醒してしまうので声や音だけ聴くようにしている
大きいおっぱいは大好きなのだが、自分が巨乳になるのは絶対に嫌だ
サステナブルが叫ばれる昨今ではあるが、「おっぱいの美しさは有限」であり持続可能性と対極にある存在だ
大きくて張りがある美しいおっぱいは、時間の経過とともに見るも無残なことになるのだ
顔のタルミだってキツイものがあるが、おっぱいのタルミの悍ましさはその比ではない。顔と違って常日頃晒されているものではないから余計キツイのだろう
みんな必死で抗うのだろうが、なかなか難しい様だ(ちなみに太ったお婆さんの巨乳は比較的保たている模様。痩せている元巨乳のお婆さんのおっぱいが悲惨。完全にコント)
若い女性の、美しくハリがある大きいおっぱいだけが存在価値を持つ。あれは至宝だ
おっぱいは顔面に於けるルッキズムよりも遥かに残酷な判定が瞬時に下される部位である
柳龍拳を完封した岩倉は総合格闘家兼武術家の熊澤伸哉に真剣勝負を挑んで、開始早々腕を折られた。
あげく、真剣を挑んだのはお前だから逃げるな! と喝を入れられて逃げ腰で試合を消化して熊澤の軍門に降った。
https://www.youtube.com/watch?v=9PH9cAL-FHY
はっきり行って総合格闘家としても大したやつではない。
当然柳龍拳にも問題はある。武術家の問題として試合に出ないという問題がそのまま露呈してパンチに反応できなかった。
ちなみに岩倉はかのK-1プロデューサーだった谷川が起こしたイベント、巌流島でプロ格闘家ではないアマチュアの蟷螂拳の選手に敗北している。
ちなみに坂口拓とその師匠、稲川義貴はたしかに見た目が胡散臭く強度の右翼だが、リアリティあるヤバめの現地ルポを敢行する丸山ゴンザレスからも技は本物という評価を得た(丸山自身総合をかじっている)。ここに忖度はない。丸山のレポートはどれも本心から述べてるものが多い、というより丸山は嘘がつけなさすぎてヒヤヒヤすると言われているやつだから、嘘はない。朝倉海と坂口の親交が深く、海は坂口の武器術とディザームの能力を高く評価している。
ちなみに石井はバッシングも多いが、朝倉海、那須川天心ともコラボしてその技の有用性を評価されているし、最近アップされる予定の動画では未来ともコラボしている。偽物なら呼ばれない。
システマは習得が難しくみなみかわのおかげで知名度と不名誉が一度に広まったが、UFCにも出場経験のある総合格闘家の菊野克紀が沖縄拳法空手のナイハンチの理合と一緒だとして自らの道場、『誰ツヨDOJOy』で採用している。
元々在宅の仕事の上にコロナ禍の影響でますます自宅にいる時間が増えてしまった結果、なにかながら聴きのできる音楽以外のものがほしくなり
ここ一~二年で以前にも増して多数のお笑い芸人さんのラジオ・テレビ番組等をよく聴いたり見たりするようになりました
コロナ禍の暗い情勢の影響でみんな笑いたいのか、この数年でずいぶんお笑い番組が増えたような気がします(シソンヌがでかい画面で見られて嬉しい)
様々な芸人のラジオを聴いていると芸人同士の横や縦のつながりがどんどんわかるようになり面白い
逆につながっていないこともわかったりしてこれも面白い
radikoという便利なものがあるので作業中料理中食事中お風呂中寝る前等々耳さえ空いていればいつでも縦横無尽に色々な芸人さんのラジオを聴いています
今聞いているのは「ナイツラジオショー(箕輪はるかさんの喋りがとても良い)(安藤なつさんは地下芸人に詳しい)」
「中川家ラジオショー(ラジオで一番好き ツヨメロちゃんがかわいい 東島衣里さんの本当に「そういうキャラクター」に対して
接しているような喋り口調がとてもよくてめっちゃええレシピの加藤美弥子先生も最高にいい)」
「ハライチのターン!(ものすごくおもしろい)」「爆笑問題カーボーイ」「問わず語りの神田伯山」
「#むかいの喋り方(エピソードトークの構成がうまい、ラジオの申し子だなこの人 沼袋くんの声は落ち着いている)」
「オードリーのオールナイトニッポン(安心して聴ける)」「又吉・向井・児玉のあとはもう寝るだけの時間」「シソンヌのばばあの罠(おもしろいし長谷川の声がいい)」
「ぺこぱ/マヂカルラブリーのオールナイトニッポン0」「蛙亭のオールナイトニッポンi」「霜降り明星のオールナイトニッポン(コーナーがおもしろい)」
「空気階段の踊り場(めちゃくちゃにおもしろい)」「ミルクボーイの煩悩の塊(30分があっという間に感じる、とてもおもしろい)」あたりで
たまに単発のオールナイトニッポン0(トムブラウンと錦鯉、またぜひ聴きたい)とかバナナマン、ダイアンのラジオとかも聴いてます あと芸人じゃないけど日曜天国も
様々な番組を聴き続けてしばらくしてから、芸人の世界での共通言語のようなものがどうやらあるらしいことに気がつきました
中でもよく聞く言葉が「いかつい」「本域」「人(にん)」の三つです
「本域」は所属事務所、年齢に関わらずかなり多くの芸人さんが使っているので
「板(舞台の事)」や「がなり(ネタ前に芸人を舞台で紹介する際の文言、それを叫ぶこと)」「出囃子(登場時の音楽)」のように古い用語なのかもしれない
これは結構どの世代どの事務所の芸人さんの番組でも耳にすることがある
「いかつい」は本来の用法からかなり広げられた意味合いで使われており
流行り言葉のようなものかなと思う、若手や吉本芸人のラジオ、動画等でよく聞くので
劇場やテレビの現場で仕事を共にする芸人たちの界隈で広まって通じるようになった言葉なのだろう
特にパンサー向井「#むかいの喋り方」「蛙亭のオールナイトニッポンi」を聴いているとよく耳にすることができる(岩倉さんの「いかちい~!」がとても好きだ)
逆に40~50代以上の芸人、他事務所、東京芸人の番組ではあまり耳にすることがない
「ハライチのターン!」も若いノリのある番組だし岩井さんは向井さんと交流があるがあまり聞かない気がする
このへんは芸風やその人の言葉の使い方のスタイルにも関わりがあるのかもしれない
「人(にん)」を初めて聞いたのは「#むかいの喋り方」か「オードリーのオールナイトニッポン」だったような気がするが
最初なんのことを言っているかわからなくて(「仁」だと思っていた 使われる際の用法としてこのニュアンスを含んでいる場合もあるような気がする)
困惑した覚えがあるが、要するにその人の人柄や人としての有りようのことを指しているらしい
向井さんが若林さんに多大な影響を受けていることはラジオを聴いていても明らかなので若林→向井という順番なのかもしれないが
最近よく見る言い換え文化(人財とかああいう)に通じるニュアンスがあり個人的な印象としてはちょっと気持ちが悪い
お昼の「ナイツラジオショー」は毎日様々な芸人さんをゲストに呼んで話をするのだが
その中で呼ばれた(どなただったかは失念)中堅芸人さんが「人(ニン)」という用法で別の芸人を指して当たり前のように話し始めたところ
塙(オードリーとほぼ同期でつながりもある)には「人(ニン)」が通じず流れが滞ったことがあった
当の中堅芸人が解説しようとするがうまく言い換えることがなかなかできないようだったので
特別一般的な用法ではないがある界隈では十分通じている、独特のニュアンスを含んだちょっと特殊な単語だという感じがする ただ使われ方は結構カジュアルである
これは「いかつい」よりも多分使う側の人間の好き嫌いが影響する用法のような気がする
だいたいこうなのかな、と理解している気になっている各単語の意味はこんな感じ
「いかつい」
ストロングスタイルなお笑いをやってるなこいつ!尖ってるな、攻めてるな!とんでもねえ角度からきたな!単純にただただ面白さが強い!等々
スタイルやそのネタに対するポジティブな賞賛の意味で使われているっぽい
あととんでもねえな!とか信じられん!みたいな驚きのニュアンスのときもある
かなりニュアンス(「ニュアンス」もよく使われている単語のひとつだ)が個々人によってある気がするし
含まれているものも結構多様な気がするが(それゆえに便利なのだろう)
使う芸人さんたちの間では一定のコンテクストがあって通じ合えている感じがある
「本域」
本気の、本番と同じ声量や動き、心構えでネタをやること またその本番自体を指す 本気とほぼ同義
音声だけでこの単語を聴いていた頃「本意気」という字を当てているのだと思っていたが
「あちこちオードリー」での字幕で「本域」と当てられていたのでこれが正確なのだろう
「人(にん)」
人と書いて「にん・ニン」と読ませる 話題によっては「仁」とかけている雰囲気もあるように感じる
その人の人格、雰囲気、芸風や有りようなど要するに人柄・人となりのことを指しているようだが
なぜ「にん」と呼んでいるのかはよくわからない 一応web辞書で引いてみるとそのように読んで使うこともそう不自然ではないようだが
少しスピリチュアルな考え方や浪花節、任侠、自己啓発的な概念のエピソードや世界と相性がいいというか、そういうニュアンスが含まれるエピソードで使われることが多いように思う
オードリー若林がこのような用法で使っていてなんだか意外な気がしたが著書をあれこれ読んだ後だとそう不思議でもなくなった
パンサー向井もラジオの中でこの用法で使っていたが同時に占いや風水的な話題が語られることがあり正直少し引いてしまう部分もある、
ものすごく面白い話で笑い転げたのだが(ネタとして言ってるだけだとは思う)
あと最近芸人界隈で「ひろゆき」がブームっぽいのも芸人さん同士の横のつながりを感じさせる
やはり劇場や営業でよく顔を合わせるだろうし数も圧倒的に多い吉本芸人界隈からこういう言葉や概念の流行というのは広まっていくのだろうなという印象
漫才協会やワタナベ、タイタンは独自の島というか、良くも悪くもマイペースさがあり(若手に限ってはそうではないだろうが)
他の芸人やそのネタに対して貪欲で見識も広く深い塙さんが芸人界隈での流行語(のようなもの)には疎いのが意外な感じもするがその証左かもしれない
「ナイツラジオショー」でアンガールズの山根がゲストかピンチヒッターのパーソナリティだったかの際
占い芸人の話題になったとき少し不条理だったり非科学的だったりする考え方に対して
批判的な態度をとっていたのを見て(芸風だろうしもちろんネタとして面白おかしくしゃべっていたのだが)
この人も「人(ニン)」使わないタイプの人なのではとなんとなく思された(使ってるかもしれない、使ってたらごめん)
知らない、使わない人もいるしネタや芸や仕事自体に直接関わってくるものではないのだろうがその世界の一定数で通じる概念、流行がある世界、
を外側から見ることの面白さをラジオを聴き始めてから強く感じています
どのラジオ番組もどの芸人さんもそれぞれ面白い、あといわゆる「ハガキ(ネタ)職人」の個別認識ができるようになり
地方も局も番組もまたいで投稿しているのを見るとどのラジオ番組がそれらの人に支持されているのかわかったり、
逆に一つの番組に根強くついているファンの存在やそうさせるラジオ番組のあることもわかりラジオ番組の「有りよう」も様々なのだと思わされて面白い
あれこれ書いたが急にお笑いの世界に近づいたのがなにぶんこの一、二年のことでtwitterもやっていないので
芸人界隈のコンテクストについては全然詳しくないけどファンには自明のことだったりそれは間違った認識だ許せん、と思われるとこもたくさんあるだろう、