
はてなキーワード:岡部とは
制限時間内にゴールまで辿り着けるかどうかを煽り文句にしてるのに、メインは旅の道中で、ゴールに辿り着いたらすぐ放送終了するようなやつ。録画とか視聴予約をするほどではないけど、テレビつけた時にやってたらつい見てしまう。
東京で放送してるからか旅の舞台は関東が多い。この土曜日に見たのだとハナコの岡部とますだおかだの増田、松本明子、中山忍が箱根に行ってた。普段テレビを見ててもその番組が全国ネットかローカルかを全然意識していないから、各地域に同じようなローカル旅番組があるのか、全国ネットだけど人口が多い首都圏に合わせて関東を舞台にしてるのかよくわかってない。もっといろんな地域のを見たいなと思うけど、自分が行ったことのある場所だからつい見ちゃうということも多いから、知らない地域を旅してても見ないのかも。
こういう旅番組ってわざわざ繰り返し見る人は少ないだろうしDVDとか配信にならないイメージがあって、何年後かにふと見たくなっても見れないんだなと思うと、ただテレビを見てるだけなのになんだかセンチメンタルな気持ちになる。YouTubeとか配信に馴染みすぎていて、テレビ番組を後から見返せるのが当たり前のように思っているけど、テレビってめちゃくちゃエフェメラルなんだなと今更思う。Mステも配信されないけど、音楽番組は録画してるファンがいっぱいいそうだからそんな気持ちにはならない。
もちろんエンタメ的にも楽しんで見てるけど、映ってるお店の人は自分の店にあの芸能人が来たというのは一生の思い出になるだろうけど芸能人にとっては数あるロケの一つに過ぎないんだよなとか、自分はこの番組を今見てるけど世の中の多くの人はこの番組をそもそも見てないし、見てたとしてもすぐに記憶の彼方に消えてるんだよなとか、このシーン面白かったけどX見ても誰も感想あげてないな、スタッフの人がっかりしてるかなとか、現地の人、芸能人、視聴者、スタッフ、いろんな人の気持ちを勝手に想像してしんみりする。このしんみりは絶対制作意図とズレてるよなと思うけど、ああいうエンタメ全振りでもなければグルメ・お出掛け情報全振りでもない旅番組って、どういうターゲットに向けてどういう意図で作ってるんだろう。視聴率低そうで勝手に切なくなったりしてるけど、感想をわざわざネットにあげたりしないだけで、意外と見てる人いっぱいいるのかな。
そうかな?そうかも……
政府のこれまでの外国人政策を厳しく見つめ直し、その抜本的な転換を求める異例の提言が発表されました。
これは、法務大臣である鈴木馨祐氏が29日に公表した報告書です。
この報告書は、法務大臣の所掌範囲を大きく超え、中長期的な視野に立った統一的な方針が欠如していると、これまでの政府の対応を痛烈に反省し、政策の見直しを求めているのです。
複数の政府関係者によりますと、当初、この文書はあくまで一人の大臣が個人的にまとめた論点整理として位置づけられていました。
しかし、今年7月の参院選で外国人政策が大きな争点となったことで、政府内部で急速に問題意識が共有され、やがて「政府方針」に近い重要な文書へと形を変えていったといいます。
鈴木法相が就任したのは2024年秋。その前年から、埼玉県川口市では在日クルド人をめぐる地域社会との「摩擦」が報じられ、SNS上では排外的な主張が広がっていました。
この状況を重く見た鈴木法相は、就任直後に若手議員らに視察を依頼し、地域の実情を直接確認したのです。
「欧州のように、移民排斥論で社会が分断され、政治が混乱する事態を避けたい」という強い思いから、今年2月には自ら勉強会を立ち上げました。
報告書は「外国人比率が高くなるほど、社会に与える影響は増し、様々な課題が顕在化する可能性がある」と警鐘を鳴らします。
2023年の総人口に占める「移民」の割合は、日本が2.5%であるのに対し、
フランスは13.8%、イギリスは15.2%、ドイツは18.2%に上ります。
鈴木法相は今年7月の講演で、「2040年頃には日本でも10%を超えることも想定しなければならない」と語りました。
この「外国人1割時代」を前に、報告書が強く求めるのが多角的な調査です。
OECDは、学歴、就業形態、健康状態など、多岐にわたる指標から各国の移民の状況をまとめています。
しかし、日本総合研究所によると、2023年のリポートで日本のデータがあるのは、68の指標のうちわずか14のみ。
公的なデータがなければ、中長期的な統一方針を立てることはできません。
このため、報告書は、外国人の受け入れ規模に応じた経済成長のシナリオを作成し、
社会保障や賃金、治安などへの影響を詳細に調査するよう提言しています。
また、SNS上で広がる誤った情報に対抗するため、公的なデータを示し、事実に基づいた冷静な議論を促す狙いもあるとしています。
大きな摩擦や分断を避けつつ、外国人と共生していく上で不可欠なのが、「社会統合」という考え方です。
これは、受け入れ国と外国人が、お互いの努力で適応を図るというものです。
一方的に同化を強いるのではなく、受け入れ国は差別や障壁のない環境を整え、外国人はその国の言語やルールを学ぶ。
双方の歩み寄りが不可欠だというのです。
筑波大学の明石純一教授は、日本語の習得や就学、職業訓練の機会を保障し、地域への参加を促す施策で調和を目指すべきだと指摘します。
さらに、社会統合が可能な範囲で受け入れを行うという考え方も検討すべきだと語ります。
また、報告書は、社会との摩擦が許容度を超えそうな場合、一時的に受け入れを制限する仕組みの検討も求めています。
これに対し、明石教授は、社会統合が成功すれば、長期的には社会のキャパシティが大きくなり、受け入れ可能な人数も増えていく可能性があると話しています。
しかし、この報告書に対しては、専門家から厳しい声も上がっています。
明治学院大学の阿部浩己教授は、報告書が「外国人は社会的な摩擦を引き起こす存在だ」という前提が強く、
さらに、法務大臣が5月に発表した「不法滞在者ゼロプラン」も、
「ルールを守らない外国人」という漠然とした言い方で規制強化を図っており、政府の発信が外国人嫌悪を加速させかねないと懸念を示しています。
これまで外国人がもたらすポジティブな側面ばかりを強調し、マイナスの側面を直視してこなかったと語ります。
反移民感情の高まりを避けるためにも、報告書が提起する日本社会への影響調査や、受け入れ制限の検討は必要だという見解です。
欧州では、政治が自国の労働者層の感情を置き去りにした結果、移民排斥を求める声が高まりました。
賃金底上げなどの施策とセットで外国人受け入れ政策を進めるべきだと、岡部教授は提言しています。
本分析では、性行為への依存的な態度を示すブログ投稿について、性依存症、強迫的性行動症、および性的満足度に関する学術的知見に基づいて心理学的な考察を行う。筆者の心理的特徴、人格傾向、および背景にある心理的メカニズムを、既存の研究文献を参照しながら検討する。
筆者の記述は、WHO(世界保健機関)のICD-11における強迫的性行動症の診断基準と部分的に合致している。具体的には、「5日ぐらい旦那がセックスしてくれないと勝手に不安になってイライラし始める」という記述は、性行為への強迫的な渇望を示している。また、「一週間以上セックス無しだとさらに不安感が強まり、家事がおざなりになる」という状況は、性行動が生活の中心となり他の活動に支障をきたしている状態を表している。
性依存症の7つの特徴として、強迫的、衝動的、反復的、貪欲的、有害的、自我親和的、行動のエスカレーションが挙げられているが、筆者の記述はこのうち強迫的、反復的、自我親和的な側面を示している。「マリオのスター状態みたいな感じ」という表現は、性行為による多幸感や陶酔感への依存を示唆している。
筆者の「ご機嫌スター状態」という表現は、性行為による脳内のドーパミン分泌と密接に関連している。腹側被蓋野から側坐核への神経回路が活性化され、多幸感や陶酔感がもたらされることが知られている。この報酬系の活性化により、性行為への強迫的な渇望が生じる可能性がある。
「肌を密着させて汗だくになりながら」という記述は、身体的接触によるオキシトシン分泌を示している。オキシトシンは「愛のホルモン」と呼ばれ、性行為やスキンシップを通じて分泌され、信頼感や絆を強化する。また、性行為後の安定した気分は、セロトニンの分泌による心の安定やリラックス効果によるものと考えられる。
「挿入がないセックスではダメで」「ちゃんとおちんちんをハメてもらわないと、このご機嫌状態にならない」という記述は、性的満足が特定の条件に強く条件付けられていることを示している。この現象は、レスポンデント条件づけ(古典的条件づけ)の結果として説明できる。特定の性的刺激と快感の連合学習により、その条件なしでは満足が得られなくなっている可能性がある。
性的満足度は、快感と性的興奮、パートナーシップの質、自己受容感、個人の性的嗜好、健康状態、社会的要因によって決定される。筆者の場合、特定の性的嗜好(挿入行為)への強い依存が性的満足度を左右している。
「5日ぐらい旦那がセックスしてくれないと勝手に不安になって」という記述は、パートナーからの拒絶に対する強い不安を示している。性依存症者に共通する心理的特徴として、低い自己肯定感、見捨てられることへの不安、孤独感などが挙げられる。性行為を通じてパートナーからの承認や愛情を確認しようとする傾向が見られる。
性行為が感情調節の手段として機能している可能性がある。否定的な感情(不安、イライラ)を紛らわすために性行動を求める傾向は、強迫的性行動症のリスク要因として指摘されている。筆者にとって性行為は、心理的苦痛を和らげる自己治療的な機能を果たしている可能性がある。
研究によると、性関係の満足度が高いグループでは68%が幸せだと答えており、性関係の満足度が低いグループの48%と比較して20%高い数値を示している。筆者の場合、性的満足度がパートナーシップ全体の満足度と密接に関連していることが推察される。
性行為には、精神的な安定や幸福感、ストレス耐性の向上といった心理的メリットがある。定期的な性的活動は、免疫力向上やアンチエイジング効果も報告されている。筆者の「ご機嫌状態」は、これらの生理学的・心理学的効果の表れとも解釈できる。
筆者は以下の心理的特徴を示している:
筆者の行動は、性依存症の一部の特徴を示しているものの、パートナーとの合意に基づく関係内での行動であり、明確な社会的・職業的機能障害は記述されていない。ただし、性行為の欠如が日常生活(家事)に影響を与えている点は注意を要する。
筆者は、性行為への強い心理的依存を示しており、性的満足が自己の精神的安定や幸福感の主要な源泉となっている。この傾向は、性依存症や強迫的性行動症の一部の特徴と合致するが、現時点では病理的なレベルには達していない可能性がある。ただし、感情制御困難や承認欲求の強さ、特定の性的条件への固着など、注意深い観察が必要な心理的傾向を示している。健全なパートナーシップの維持と心理的な自立性の向上が、長期的な精神的健康のために重要であると考えられる。
本分析では、性行為への依存的な態度を示すブログ投稿について、性依存症、強迫的性行動症、および性的満足度に関する学術的知見に基づいて心理学的な考察を行う。筆者の心理的特徴、人格傾向、および背景にある心理的メカニズムを、既存の研究文献を参照しながら検討する。
筆者の記述は、WHO(世界保健機関)のICD-11における強迫的性行動症の診断基準と部分的に合致している。具体的には、「5日ぐらい旦那がセックスしてくれないと勝手に不安になってイライラし始める」という記述は、性行為への強迫的な渇望を示している。また、「一週間以上セックス無しだとさらに不安感が強まり、家事がおざなりになる」という状況は、性行動が生活の中心となり他の活動に支障をきたしている状態を表している。
性依存症の7つの特徴として、強迫的、衝動的、反復的、貪欲的、有害的、自我親和的、行動のエスカレーションが挙げられているが、筆者の記述はこのうち強迫的、反復的、自我親和的な側面を示している。「マリオのスター状態みたいな感じ」という表現は、性行為による多幸感や陶酔感への依存を示唆している。
筆者の「ご機嫌スター状態」という表現は、性行為による脳内のドーパミン分泌と密接に関連している。腹側被蓋野から側坐核への神経回路が活性化され、多幸感や陶酔感がもたらされることが知られている。この報酬系の活性化により、性行為への強迫的な渇望が生じる可能性がある。
「肌を密着させて汗だくになりながら」という記述は、身体的接触によるオキシトシン分泌を示している。オキシトシンは「愛のホルモン」と呼ばれ、性行為やスキンシップを通じて分泌され、信頼感や絆を強化する。また、性行為後の安定した気分は、セロトニンの分泌による心の安定やリラックス効果によるものと考えられる。
「挿入がないセックスではダメで」「ちゃんとおちんちんをハメてもらわないと、このご機嫌状態にならない」という記述は、性的満足が特定の条件に強く条件付けられていることを示している。この現象は、レスポンデント条件づけ(古典的条件づけ)の結果として説明できる。特定の性的刺激と快感の連合学習により、その条件なしでは満足が得られなくなっている可能性がある。
性的満足度は、快感と性的興奮、パートナーシップの質、自己受容感、個人の性的嗜好、健康状態、社会的要因によって決定される。筆者の場合、特定の性的嗜好(挿入行為)への強い依存が性的満足度を左右している。
「5日ぐらい旦那がセックスしてくれないと勝手に不安になって」という記述は、パートナーからの拒絶に対する強い不安を示している。性依存症者に共通する心理的特徴として、低い自己肯定感、見捨てられることへの不安、孤独感などが挙げられる。性行為を通じてパートナーからの承認や愛情を確認しようとする傾向が見られる。
性行為が感情調節の手段として機能している可能性がある。否定的な感情(不安、イライラ)を紛らわすために性行動を求める傾向は、強迫的性行動症のリスク要因として指摘されている。筆者にとって性行為は、心理的苦痛を和らげる自己治療的な機能を果たしている可能性がある。
研究によると、性関係の満足度が高いグループでは68%が幸せだと答えており、性関係の満足度が低いグループの48%と比較して20%高い数値を示している。筆者の場合、性的満足度がパートナーシップ全体の満足度と密接に関連していることが推察される。
性行為には、精神的な安定や幸福感、ストレス耐性の向上といった心理的メリットがある。定期的な性的活動は、免疫力向上やアンチエイジング効果も報告されている。筆者の「ご機嫌状態」は、これらの生理学的・心理学的効果の表れとも解釈できる。
筆者は以下の心理的特徴を示している:
筆者の行動は、性依存症の一部の特徴を示しているものの、パートナーとの合意に基づく関係内での行動であり、明確な社会的・職業的機能障害は記述されていない。ただし、性行為の欠如が日常生活(家事)に影響を与えている点は注意を要する。
筆者は、性行為への強い心理的依存を示しており、性的満足が自己の精神的安定や幸福感の主要な源泉となっている。この傾向は、性依存症や強迫的性行動症の一部の特徴と合致するが、現時点では病理的なレベルには達していない可能性がある。ただし、感情制御困難や承認欲求の強さ、特定の性的条件への固着など、注意深い観察が必要な心理的傾向を示している。健全なパートナーシップの維持と心理的な自立性の向上が、長期的な精神的健康のために重要であると考えられる。
いろいろ語りたい作品はあるが、一番お勧めしたい作品はシュタインズ・ゲート!!
正直最初は期待してなかった。原作は評判良いらしいけど未プレイだし、でもどうなんだろうなって。
第一話は謎だらけで意味わからなかったし、登場人物の会話も妙に空回っててついていけるのか不安だった。
主人公は岡部倫太郎で通称オカリン。こいつがマジで厨二病全開。ふわっはっはっはとか妙な笑い方して「鳳凰院凶真!」とか名乗るし、もうね見てて完全に痛い。
話としてはタイムリープ系。バックトゥザフューチャーの亜種って感じ。
違うのは意識が過去に戻るっていう点で、ヒロインの牧瀬紅莉栖がまたいいんだよ。ツンデレ理系女子っていう属性盛り盛りキャラなんだけど、冷たい感じしながらも実はすごく優しい。あとオカリンとの会話のテンポが最高に面白くて掛け合いに毎度ニヤニヤしてしまう。
そして、まゆしぃ。オカリンの幼馴染であり、不思議ちゃんのまゆしぃ。これがまたいいんだよ。口癖の「トゥットゥルー♪」が耳に残りすぎて、日常生活でつい口ずさんじゃうほど。そしてすごく優しい。中二病のオカリンのことを馬鹿にするようなことが全くなく、むしろすべてを受け入れてくれてる。まさに聖母!!
今のところ毎話しっかり伏線が張られてて、次に何が起きるのか全く予想がつかん。
この先、どうなるか分からんけど色々な世界線とか時間軸が絡むって噂もあって今はワクワクしかない。
今のところかなり面白いからおすすめ。今から見ても間に合うはずだし、タイムリープものの新たな金字塔になる予感がしてるね!!正直なところ!!!
あともう一つおすすめなのが、あの日見た花の名前を僕達はまだ知らないってやつ。
アニオリだけど周りのオタ友や職場のアニメ好きから勧められて観てみたら、こっちもドはまりした。
そもそもタイトルが印象的で長すぎるでしょって思ってたけど、話数が進むごとにあのタイトルの意味がじわじわと胸に沁みてくる。
物語は幼なじみの死から始まる。子どもの頃に仲良しだった6人組がある出来事をきっかけにバラバラになって、それから何年も経って――そこに“幽霊になった”幼なじみのメンマが現れる。
これだけ書くとちょっとファンタジーっぽいけど、実際はすごくリアルな人間ドラマなんだよ。
死者が現れることで過去と向き合わされるっていう構造が、正直めちゃくちゃ刺さった。
主人公であるじんたんが引きこもっていた理由。ゆきあつの歪んだ思い。あなるの自己嫌悪。そしてぽっぽの、あの過剰なまでのテンションの裏にあるもの。
みんな子どもの頃に背負った後悔と向き合っていて、それが物語を通してちゃんと浮き彫りになっていく。
最近の一部ネットだとあなるってあだ名の酷さばかり話題に鳴ってるけど彼女、すごくいいキャラなんだよ。あの名前に慣れてしまうと逆に本名がピンとこなくなるという(笑)
しかもこの作品、アニメオリジナルってのがすごい。つまり先がまったく読めない。原作ファンも考察勢も関係なく、全員がリアルタイムで一緒に見届けてるって感覚がある。それがまた熱いんだよ。
これも今から見始めてもまだギリで間に合うと思うので、今からでも追いかけるのをオススメする!!
いやぁ、今年の春アニメはとにかく豊作だね。
「海に眠るダイヤモンド」は、2024年10月20日から12月22日までTBS系列「日曜劇場」枠で放送されたテレビドラマである。
この放送終了から約半年後、私はこのドラマを観終わった後抱いた感情を過去別のコンテンツでも抱いた事があった事に気付いた。
それが「STEINS;GATE」(以下:シュタインズ・ゲート)というアドベンチャーゲームだ。
今回、増田の読者は「シュタインズ・ゲート」は知っているが、
「海に眠るダイヤモンド」は未履修の読者を主なターゲットとして導入編として書いてみたいと思う。
何から切り口に書こうかと思い、今回はまず「海に眠るダイヤモンド」の主題歌である、
---
ささやかな花でいい
大袈裟でなくていい
誰も気づかない
あり触れた一輪でいい
あなたが項垂れた その先に根を張る
そんな花でいい
ただ黙々とねっこ伸ばして
時の歩幅が大き過ぎるから
今日も倦んざりする程に
此の身の丈を知るの
望まぬとも 時計の針は進み続ける
求める程遠ざかる 大事な者こそ
時の風が攫ってゆく
思い出の瓦礫に根を張っている
此処で何時迄も待っている
飾らない花でいい
華やかでなくていい
あなたの痛みの上に 根を張れればいい
一頻りの雨に 流されぬような
ふとした悲しみを そっと忘れさせるような
そんな花でいい
そんな花がいい
ただ君が泣くなら僕も泣くから
その美しく強く伸びた根は
誰にも見えやしないけれど
無常の上に咲き誇れ
ただ君が泣くなら僕も泣くから
心ふたつ悲しみひとつで
何十年先も咲き続ける花
無常の上に さあ咲き誇れ
ささやかな花でいい
大袈裟でなくていい
決して折れはしない
そんな花でいい
ささやかな花でいい
大袈裟でなくていい
誰も気づかない
有り触れた一輪でいい
あなたが項垂れた その先に根を張る
飾らない花でいい
華やかでなくていい
あなたの喜びの上に 実が生ればいい
一頻りの雨に流されぬような
ふとした悲しみを そっと忘れさせるような
そんな花がいい
---
以上である。
ではまず最初の、
ささやかな花でいい
大袈裟でなくていい
誰も気づかない
あり触れた一輪でいい
あなたが項垂れた その先に根を張る
そんな花でいい
入り口ですね。
続く、
ただ黙々とねっこ伸ばして
時の歩幅が大き過ぎるから
今日も倦んざりする程に
此の身の丈を知るの
望まぬとも 時計の針は進み続ける
求める程遠ざかる 大事な者こそ
時の風が攫ってゆく
思い出の瓦礫に根を張っている
此処で何時迄も待っている
この部分は、ラボメン全員の軌跡を端的に物語っていると言えるだろう。
その気持ちで読んで見てほしい。
ただ君が泣くなら僕も泣くから
その美しく強く伸びた根は
誰にも見えやしないけれど
無常の上に咲き誇れ
ただ君が泣くなら僕も泣くから
心ふたつ悲しみひとつで
何十年先も咲き続ける花
無常の上に さあ咲き誇れ
ここの部分は、何周か考えた結果、
の歌であると言える。
その視点で一度読んでみて欲しい。
ささやかな花でいい
大袈裟でなくていい
決して折れはしない
そんな花でいい
この部分は、岡部の3000回以上とも言われるタイムリープの「覚悟」を表す一節である。
「幾度もの嵐」は即ち、
... ...ここで改めて説明しなくてもいいでしょう。
ではラスト、
ささやかな花でいい
大袈裟でなくていい
決して折れはしない
そんな花でいい
ささやかな花でいい
大袈裟でなくていい
誰も気づかない
有り触れた一輪でいい
あなたが項垂れた その先に根を張る
飾らない花でいい
華やかでなくていい
あなたの喜びの上に 実が生ればいい
一頻りの雨に流されぬような
ふとした悲しみを そっと忘れさせるような
そんな花がいい
この締めの部分は、是非、牧瀬紅莉栖の気持ちを憑依させて読んで頂ければと思う。
この歌の締めに相応しいと言えるし、シュタインズ・ゲートの締めくくりとして非常に相応しい歌詞とも言える。
では、ここまで読んでくれてもし少しでも何かを感じ取ってくれた人が居たとしたら、
是非「シュタインズ・ゲート」と「海に眠るダイヤモンド」を履修してくれたらとても嬉しい。
この2作品は数あるストーリーエンタテインメントの中でも宝玉の作品である事は間違いない。
履修する事に価値があると信じている。
その上で、次に進む為に書き残したい事は、
「岡部倫太郎が牧瀬紅莉栖と椎名まゆりの2人を救った世界線 =荒木鉄平がリナと朝子の2人を生かした世界線」
もし機会があればその2を書いてみたい。
そういう世界線があっても良いのではなかろうか。
アニメにおけるプログラマーの描かれ方は、時代とともに変化してきました。コンピューターが一般に普及する以前は、プログラマーという職業自体が一般的ではなく、フィクションの世界でも馴染みの薄い存在でした。しかし、情報技術の発展とともに、アニメでもプログラマーやハッカーといったキャラクターが登場するようになり、その役割やイメージも変遷を遂げてきました。
この時代はまだコンピューターが一般家庭には普及しておらず、プログラマーという職業も専門的なものでした。そのため、アニメにおいてプログラマーが主要なキャラクターとして登場することはほとんどありませんでした。
代表的な作品としては、『ルパン三世』(1971年~)などで、電子機器やコンピューターを駆使するキャラクターが登場するものの、プログラマーというよりは技術者やハッカー的な立ち位置でした。
インターネットが普及し始めた1990年代になると、プログラマーやハッカーの存在がアニメにも反映されるようになります。この時期の代表的なキャラクターは、ハッカーとしての側面が強いですが、プログラミング能力を駆使して物語に関わることが多くなります。
2000年代に入ると、インターネットは日常生活の一部となり、プログラマーという職業がより身近なものになってきました。この時期のアニメでは、天才的なハッカーキャラクターだけでなく、現実的なプログラマー像も描かれるようになります。
2010年代以降、アニメに登場するプログラマーはより多様化し、単なる天才ハッカーだけでなく、日常的にコードを書くキャラクターや、IT企業のエンジニアとして働くキャラクターも増えてきました。
アニメにおけるプログラマーの描かれ方は、時代とともに変化し続けています。1970~80年代はほとんど登場せず、90年代にはハッカー像が確立され、2000年代には現実的なプログラマー像が登場しました。そして、2010年代以降はプログラマーの職業が一般化し、多様なキャラクターが描かれるようになっています。
今後のアニメでも、AIやブロックチェーン、メタバースなどの技術の発展に伴い、新たなプログラマー像が登場することが期待されます。
・2022年デビューの3年目で現在中央地方合計97勝を挙げる若手の注目株
・父は現調教師でジャングルポケット、フジキセキ、ノースフライト、ヒシミラクル等の主戦だった角田晃一
・兄は現役騎手の角田大和。第6回ジョッキーベイビーズ(小4~中1が出場できるポニー競馬の選手権)優勝者
・劇場版ウマ娘公開にあわせて、角田親子3人による鑑賞の様子と感想動画が上がっている
・デビュー前から兄よりも才能があると言われていてルーキーイヤーで36勝を挙げた。これは今村聖奈騎手に次いでルーキー2位の成績。例年ならルーキー最多勝でもおかしくなかった
・昨年発生した若手複数人による調整ルームスマホ持ち込み事件(調整ルーム=レースに乗る騎手が入る待機・宿泊所には、八百長防止のため通信機器の持ち込みが禁止されている)で処分を受けている
・その際、今村聖奈騎手と電話してたことが判明。嫌なファンから今村との関係を茶化されるようになる
・今回、同乗者がいたと情報が出たことで、同乗者の正体とスマホ事件時の話をつなげようとする輩が発生
・競馬場の芝コースに車で侵入とか正気か?という意見が多数だが、競馬界では過去に某騎手が新潟競馬場に女性を連れ込み4コーナーで立ちバックしたなどという真偽不明の強烈な噂話が流れ
え、だれ?そっちも穴男なん?などと騒がれたこともあるため、オールドファンはあの類のことがまた起きたのか…などとも思っている(さすがに車で侵入したわけではないらしい)。なお、噂された騎手は特に処分もなく(なかったはず)現役を続けている
・同じタイミングで松若風馬騎手が酒気帯び運転かつ物損事故という法律違反の大やらかしをしたのだが、こちらは飲んでから6時間後の事故かつ自分で通報したということもあり、やったことのインパクトの強さから大河の方がダメみたいな謎の風潮が一部で起こっている
大河の方が常識外れすぎてよっぽど飲酒運転じみてるという意味では理解できるが、自分で通報してようが実際に酒気帯び運転かつ物損事故起こしてる方がイカれてる。世間はまだ酒と酔っ払いに甘すぎる
【追記1】
この点、自分が飲酒に関連した被害に実際あっていることもありますが、飲酒運転の方がイカレているとまでするのは言い過ぎでした
用途外での侵入かつ芝を荒らしているわけですから比較せずとも大やらかしであることは間違いない
ちなみに開催外の函館滞在で芝追いきりする陣営は普通にいるので、騎手であればその点にも頭に行くはずです
タイヤ痕から、もしかすると調教で使うことを避ければOKくらいのクソ程甘い見通しをもってやった可能性があります
・競馬界はこのところ中央も地方も不祥事が多発。代表的なところでは
①先述とは別件でスマホ持ち込み事件を今年起こして9か月(当初4か月としてましたが誤りです)の騎乗停止になった水沼騎手(フェイクとしてスマホケースだけを預けるなど悪質だったため処分が大きくなった。師匠と師匠の厩舎がSNS中毒気味なので影響があったのかもしれない。ちなみに大河と同期)
②酒の席でのトラブルがきっかけで喧嘩沙汰になった池添謙一・富田暁騎手(池添によるアルハラ・パワハラが主因。和解したことを理由にそれぞれ開催4日、2日の騎乗停止で終わらせてしまった)
③酒気帯び運転起こした佐賀競馬のレジェンド山口勲騎手(なぜか大甘処分で復帰)
④複数のパワハラセクハラを内部通報された名古屋競馬のトップジョッキー岡部誠騎手(累積処分で騎乗停止開催8日というクソ甘裁定)
⑤同僚騎手の財布から許可なくお札抜き取るトラブルを起こした大井競馬のレジェンド的場文男騎手(食堂に来た際、財布を持ってき忘れたことに気付き、すぐ返すつもりで近くにあった同僚騎手の財布から2000円拝借したらしい。そんなもの相手が許すわけもない)
といったところ。そもそも過去にも窃盗とか暴行とか給付金詐欺まがいとかしゃれにならない事件は多数起きているのだが、はっきりした犯罪以外は大甘裁定になりやすいのが競馬界
それを強く批判すると追い出される可能性があるので、仕事を失いたくない記者やライターは突っ込めない
【追記2】
以上全て今年の話です(このところ→今年として書きました紛らわしくてすみません)。事件自体も明るみに出ています
現在東スポで活躍中の田原元騎手の記者への暴行・馬の耳に発信機装着・覚せい剤・最終的にJRA出禁とか
笠松競馬場の大規模八百長事件とか他競馬場の八百長疑惑とか書こうと思えばかけるけど
あくまで今年の話。今年だけで他にもある
なお増田は八百長疑惑については、本当かどうか怪しい部分すらそれっぽく取り上げてばら撒くアホがいるので、基本全て疑いの目で見ています。八百長が全くないと思っているわけではない
・増田こと私は、エイシンスポッターという個性派追い込み馬(その父は個性的な逃げ馬だった)が好きで、その主戦騎手なので一緒に応援していた。そのため失望の度合いがデカい。本当になにしてんだよ大河…
【追記3】
応援している騎手だからこそ滅茶苦茶怒ってますよ。騎手免許はく奪でも仕方ないとも思っています
Permalink |記事への反応(13) | 02:20
趣味で長編ラノベ(ライトノベル)を書きたい増田をみたので、ワイも考えてみた
(以前、カクヨムなどで長編を完結させたというすごい増田もあったけど、今回はそれ以前の問題の『何を書こう』)
ワイが他人を意識せずに、自分自身のためだけに書けるのは、マンガでも小説でも、50ページくらいがエネルギーの限界。このページ数はとても長編とは言えない
50ページ以上書き進めるには、外部からのガソリンが必要だが、他人に読んでもらうためには、他人を楽しませようと意識する必要がある
他人を意識すると、へっぽこなのを誤魔化そうと見栄を張ることになり(なお、誤魔化せる訳がない)、結果として筆が進まなくなるので、長編作ろうが未達で終わる
趣味なのに自分の技量を無視して無駄な見栄を張ろうとする問題は・・・まぁさておき、他人を意識して描くとき(楽しませようとする時)は、ヒット作をそのままなぞると良いと言うが、
ワイが好きな万人向けヒット作はドラゴンボール以外に無いんだよなぁ・・・。ドラゴンボールは鳥山明の超画力でなければ成り立たない
ドラゴンボールを題材にせんでも、バトルものは空間認識能力が高く、人体構造を考えて描くのが楽しい人にしか向いてないが、空間把握能力が死んでいるのは元より、骨格や筋肉、関節にも死ぬほど興味がない
ワイは死ぬほど運動音痴なので、ダンスや新体操を見て、人間は本来はこうやって動くことも可能なんだなァ・・・ってなるのは好きだ。ついでに、映画・時代劇・ゲームで、たびたび魅せてくれる映え殺陣(たて)も見るのも好きだ。でも、骨格や筋肉、関節には死ぬほど興味がない。そのため、現実の格闘技・武術・剣術には微塵も興味はない
じゃあ、銃になら興味があるか?と言うとない。なぜなら基本的に銃には殺す以外の目的が無く(スポーツとしての銃もいちおうあるが・・・)、いままで書き連ねてきたことと比べると、人間の身体ってこんな風に動くことも可能なんだなァ・・・ってなる要素が薄いからである
クレーン射的とか実際に体験したら、きっとスカッとはするのだろうけど、自分が描きたいか?自分が3Dキャラ操って楽しいか?と言われたら別だ
強いて言えば、人がそれぞれの自然な姿勢で歩く様子を見るのも好きなので、その文脈なら骨格や筋肉、関節に興味が持てるが、それはバトルじゃないし、
スポーツをテーマにしたマンガ・小説・映画で好きな作品はひとつもないので、競歩をやろうって気も微塵もしない(日記・エッセイならいいだろうけど、長編を書こうの目的からは逸れる)
鳥山明以外では、ONE も好きだ。ONE も万人受けする大ヒット作家だ。ONE ならバトル描写そのもの以外がメインになっているが、ワンパンマンは村田雄介の超作画じゃないとマス受けはしなかったよなぁ・・・
というか、『マッシュル』の前に、ジャンプで『努力しすぎた世界最強の武闘家は、魔法世界を余裕で生き抜く。』という作品があって、ワンパンマンスタイルで描かれていたにも関わらず、ウケなかったもんなぁ・・・
なお個人的には『魔法世界を余裕で生き抜く』はとても気に入っている。イヤな奴、悪い奴がいっさい出てこないコメディで、めちゃくちゃ単純な話だからだ
主人公はサイタマと同じく何でもワンパンで倒せるチートフィジカルを持っているが、魔法に関しては絶望的に才能がない。それでも魔法が好きで、魔法使いを目指すという大変分かりやすいストーリーだ
結局、主人公はすごい魔法使いになることはできないが、ささやかな魔法は使えるようになる。主人公はそれにめちゃくちゃ喜んで満足し、今日よりも明日!少しずつでも能力を向上させよう!と前向きに努力を続けてマンガは終わる
追記:読み直したら、主人公はド派手な綺麗な虹魔法使ってた(効果は謎。綺麗なだけかも)し、書き下ろしで物凄い質量の杖を魔法で持ち上げられるようになってたので、すごい魔法使いになる夢は叶ったっぽい
(ただ、『魔法のスターマジカルエミ(1986年) 』でも、主人公の舞が魔法を捨て去り、自分自身の力で本当のマジシャンを目指すみたいなのが、マス受けしてる感じしないし、作画以外の要素もありそう)
『マッシュル』もワンパンスタイルの作品かつ、海外で大バズりしている。魔法世界でフィジカル全振り+すごい魔法使いになるっていうコンセプトは、『魔法世界を余裕で生き抜く』と共通している
ボーボボ を彷彿とさせるギャグシーン/良いヤツばかりの日常パート/差別や困難に立ち向かう前向きな姿勢/ボースティング、これらはワイも超好き
ただ、主人公のマッシュがワンパンで敵を倒すシーン・ギャグで圧倒するシーン以外のバトルは、個人的にはあんま面白いとは思えんのよな・・・・
週刊少年ジャンプの作家なので、一定のクオリティが保たれているから、見るのが苦痛とまではいかないけど、正直、マッシュ以外のバトルは別に無くてもよくね?みたいな・・・(まぁ、バトルなきゃこんなに売れなかっただろうけど・・・)
結局のところ、ワンパンやギャグじゃない正統派バトル漫画は、超画力の選ばれし者にしか描けないよなぁ・・・と改めて思うばかりよ
小説でも多分同じだわね。ワンパンやギャグではない、読んでて楽しい、映える正統派の戦闘描写なんて、気が遠のくわ・・・
とりあえず、ワンパンスタイルは頭の片隅に置きつつ、バトル/アクションの描写がメインではない自分の好きな作品について考えてみる
でも、やっぱ、マス受けしているヒット作の中で好きな作品はひとつもないんだよな・・・。まず、マス受けする恋愛ものが好きではないし、特定のフェチを推したいという情熱も無い
バトル/アクションがメインでなく、ウケそうな恋愛描写もメインでなく、フェチも特に無いという時点で、かなり対象者が絞られる
何かないかな?と思うが、何度考えても何もない。昔のハリウッド作品(2010年以前)なら、それなりに好きな作品があるけど、うぅ~ん・・・
なお、他人を楽しませようとして、マス向けヒット作を模倣しようとする理由は、対象者を絞った作品で作者の技術が極端に稚拙だと、最終的に読者との文通のような形になってしまうからだ
ワイがやりたいことは、稚拙・未熟ながらも、読者に何かを感じさせる"物語を書くこと"で、文通ではない。ついでに、日記や観察報告を誰に見せることでもない(趣味で長編ラノベを書きたいと言っていた増田もたぶん同じだと思われる)
ちなみに、鳥山明、ONE、昔のハリウッド作品以外で好きな作品は、モノクロ時代の日本映画や小津安二郎の作品、重苦しかったり淡々としているインディペンデント映画、アキ・カウリスマキ、ケン・ローチ、フィリップ・K・ディック、川端康成、遠藤周作、いがらしみきお(sink/かむろば村へ/Iなど)、海外のヤングアダルト作品や児童文学、名作劇場系(日本アニメーション制作系)のアニメあたりがぼんやりと好きだ。つまり、鳥山明、ONE、昔のハリウッド作品以外は、対象者が絞られる作品が好き
いわゆる巨匠/大御所/名作/お子様も観てOK以外では、トッド・ソロンズ、岡部閏、明智抄、奥瀬サキなど、やはり対象者が絞られる作家の作品が好き
ワイがこれらの作家の作品をそのままなぞったら誰かとの文通になりますわ・・・
ワンパンスタイル、昔のハリウッドスタイルで、ワイがなぞれそうなのないかなぁ・・・は、まぁ暇な時に考えつつ、
なんかヒット作でワイも好きなのないかなぁで思い出した、岡部閏の『グッド・ナイト・ワールド』、対象者が絞られまくっている作品だから、せっかくアニメ化したのになんかすげ〜無風だけど、脚本、パトレイバーの横手美智子なのよ。『ネトゲ・SFがギミックになってるサバイバーの再生物語り』で興味が持てそうな世界中の人に届いて欲しい
グッド・ナイト・ワールドの絵の作り方も印象に残ったけどね。プラネットやAIの幻想的で無機質な描写や、ピコちゃんのプラネットオフった後の日常パート描写よかったし、キャラのお目目の表現良かった
クソのクソの解説の演出も、中学生(の見た目だが実はそうではない)ってぽくて、とてもよかった
横道にそれたところでおわる・・・
志倉千代丸がいろいろ面白いことを書いてた。ジャニーズの中から誰を宛てるかについてはテレビ局にすら権限はないらしい
https://www.famitsu.com/news/amp/202305/18303061.php
彼とのメールのやり取りは楽しく、僕も必死に実写向きのプロット提案をするなど、協力できる全ての時間をそれだけに注いでいた。事件はとある日の、とあるメールの一文にあった。「キャスティングの件、主人公の岡部倫太郎役につきましては、ジャニーズでお願いします」そう。忘れもしない。こうして世界線はー
分岐した。
正直違う。理不尽だと最初は思った。ジャニーズには好きなタレントも多い。でも、作品との相性は別だ。悩みに悩んだ上で、僕が出した結論は「それでもやろう!」だった。ただしこちらから条件として、僕の中で唯一キャラクターの再現性が見えた「長瀬智也さんで」とお願いしたのだ。彼なら出来る。そう信じられたからだ。
結論を書く。
条件をクリアしたと思っていた僕が甘かった。「長瀬さんではダメ。それを決める権限については申し訳ないがこちらには無い」と。こうしてこの物語は終わる。
「それでは全て白紙でお願いします。勉強になりました。ありがとうございます。」
この一言で。