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2025-10-24

A3サイズ世界を変える、四畳半の戦い

7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。

自分企画した仮設の公園シリーズデザイン制作物を依頼する場だった。

まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズ世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息ストローの袋を吹き飛ばした気がする。

その後に作ったA3フライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。

それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。

HさんはあれからマジでA3サイズ世界を少しずつ変えてってると思う。

先週、哲学対話研修をしに来てくれたNさんに

「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。

Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。

誰が哲学を遠ざけ、対話しようとする人を傷つけてきたのか。

哲学と、対話という言葉意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。

今の自分は、どうだろう。

「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくそ感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。

どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。

思い出すと自分も「A3世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。

少し前、自分臨時職員だった。アート教育に関わる仕事給料は月13万円。

周りの正規職員は倍くらいの給料をもらってる。

でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。

アーティストクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。

それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。

先にコンビニおにぎりホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。

同じ部署臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。

上司は定時で帰宅して、赤ちゃん風呂に入れるという。

それは素晴らしいことで、自分今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないかしょうがないんだ。自分子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。

「カタパン説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司うまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」

大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックライブを初めて聞いて衝撃を受けた。

退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。

こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。

そこには市民有償ボランティア制度サポートスタッフがあった。入りたいと思った。

でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイト経験した。

3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフ登録する。

“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日教育普及の職員に付けられたあだ名

理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分否定しなかった。

ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。

もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。

自分も笑われているのに。

どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。

周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。

周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない

自分自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。

ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。

今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。

常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。

付き合いの長い上司からあなた専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。

しか自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。

伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。

今の自分は、どうだろう。

昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶ジュースミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。

コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。

離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。

祖母隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。

「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。

飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護仕事を諦めたそうだ。

介護仕事給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。

彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。

彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。

おもわず隣の大学生がもらい泣きして、タオルで涙をぬぐう。

そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。

自分も鼻の奥がツーンとして小さな涙を指で拭う。

この場所では、泣いても誰もバカにしない。

最後彼女は「いつか絶対介護に戻りたい」と話してくれた。

その姿は強くてまぶしくて思わずみんなで応援した。

尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。

自分は、館長の本棚にあった「公共役割とはなにか」という本をもらった。

館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。

まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、

公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。

人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。

それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。

形のない、透明なお墓みたいな時間場所

誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。

小学生がうちの施設社会見学に来たら「メディアテクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターインターネット映像、照明、音響かいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいもの想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディアテクノロジーひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。

このアートセンターでは、メディアテクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって

例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。

日立ち寄ってくれた年配の2人組。

少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。

これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。

男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。

その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクト大事」とか「経営的な戦略必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。

いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。

簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界絶対間違ってる。

世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手世界を掻き回すことじゃ絶対にない。

世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい

ここに生きてる人間がいますよ。

この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。

「人の心に反射したその光こそが作品作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。

心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。

収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。

言葉日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。

先週も大学を訪ねたら「アート自分には縁がないもの」と学生匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。

でも自分アートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。

あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。

ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。

自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。

しか自分文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。

それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。

昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。

朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生ブラインドトークワークショップに参加させてくれた。

10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。

5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。

その後のフィードバック時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。

から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気テイストイラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。

どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。

最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっち説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。

ほんとは完璧コミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。

みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう

先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生先生も全員サポスタに登録して欲しい。

同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これからまれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。

トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリータンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護夜勤ウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しVtuberスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛カップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話コントをやる芸人も、補聴器電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いす山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島保育士を探す町長も、推しジャージライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井までSSRが来ない高校生も、フィリピンごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<

Permalink |記事への反応(0) | 17:36

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2025-10-09

今治市 おすすめスポット

今治市には彼女が住んでいて、その関係で月に一回くらいの頻度で行っている

いいなと思ったところを思いついた順に書く

白雅(餃子屋)

白雅(たぶんハクガでいいと思う)は老舗の、わりと地元民には有名な餃子屋だ

餃子屋って何だよ?中華居酒屋みたいなことか?と思うかもしれないが、フードメニュー

焼き餃子

水餃子

中華そば又は冷麺(夏)

・くらげの冷菜

の4つのみなので、ホント餃子屋という感じだ

白雅の特徴は、なんというか、その「世界の完成度」にあると俺は思う

フードメニュー4つのミニマル世界において、どのメニューも、この形以上の正解はないなと思わされる、そういう味だ

4つ全部頼むのが正解だと思われる

最初に出てきて、箸休めにもなりつつ、単体でやけにうまいクラゲの冷菜

こういうのがいいんだよ、という感じの、特徴のない、必要十分な中華そば

ニンニクなんかが効いてるわけじゃないから、ジャンクさのない、だからこそドシドシいける餃子

そこに酒なんかを一杯つけると、もう、"完成"という感じがする 本当に満足度が高い 値段も安い

藤山文化公園(公園)

デケー公園なんだけど、メインとしたいのは古墳

古墳あんまり人が通ってる形跡のない山道を登っていくと現れて、少なくとも俺たちがいったときには周りに誰もいなかった

オーソドックス前方後円墳で、誰が眠ってるかとかそういうのは正直全然覚えてないし、そもそもあきらかにされていたか微妙なんだけど、古墳の上から今治の街が一望できた

今治の街っつうかまあ、今治の街のメインじゃないサイドではあるんだけど、まあ、街は街だ

古墳の上にはちょっとした壺なんかも並べられていて、少し雰囲気がある

あと、公園には小さな池があって、そこに亀がいた

オーソドックスミシシッピアカミミガメで、なにか特色があるわけではないんだけど、俺は亀が好きだから、しばらく眺めていた

カラット(からあげ屋)

今治市っつうか松山市にも近いような、菊間という場所にある、テイクアウト専門の唐揚げ屋だ

まりほかの唐揚げ屋の味を多く知ってるわけではないけど、うまいのは間違いない

ここのポイントソースにあると思っていて、唐揚げのほかに100〜200円くらいで、小さいプラスチックのケースに入ったソースを追加できる

その中にある「エリザベスソース」っつう名前の、全然ネット情報がないのでオリジナル疑惑のあるソース、これが非常にうまい

モノとしてはピクルス主体の、酸味が効いたさわやかな野菜系の味で、これを唐揚げにつけて食うと、脂っこさが消えて格別の味わいになる

場所が海にほど近いのもいい

唐揚げを買って、海の近くの公園に持って行って、食う

今治における鉄板コースひとつだと思う

星の浦海浜公園

上述の海の近くの公園というのがここだ

べつにとり立てて何があるってわけでもない公園ではあるんだけど、なんせ、名前のとおり、海がある

それなりに駐車場が広くて、海があって、なんかよくわからん芸術的オブジェみたいなものもある

自動的に、いい公園だということになる

新都イオン

市街をすこし外れたところにある、でっかいイオンモールだ

政治のことはよくわかんないんだけど、今治という街の光と闇を背負っていそうな雰囲気場所だ(ここについて調べると、なんかすげー陰謀論っぽいブログ記事とかがワラワラ出てきて、怖い!)

実態としては、まあ、イオンモールだ

人は結構いるんだけど、空きテナントなんかもそれなりにあって、うっすらと滅びの予感もある、そういう独特の雰囲気があるように思う

でもイオンリカーはすげー充実してるし、カルディもあるし、映画館もあるし、サーティワンとかもあるし、俺としてはまったく文句がない

こう、何とか、うまくやっていってほしいなと切に思う

製麺所(うどん屋)

たぶん、今治で一番行っている店だ

丸亀製麺スタイルうどん屋で、いつ行ってもすげえ人気だ 15分くらい待つこともある

その価値はある まったくある 非常にうまいうどんが食える

だいたいセルフうどん屋って天ぷらが美味しくてうどんは実質腹を満たすための添え物だったりするんだけど、松のうどんは主役を張れるうまさがキッチリある

それでいて天ぷら普通以上にうまいので、隙がない

あと、大根おろしがタダなのが嬉しい

個人的オススメは、「冷やしぶっかけ+鶏天ぷら」で、ここにもうひとつ天ぷらを加えてもいい

でも、天ぷらデカさがけっこうなものから、たとえば鶏とナスかいちゃうと、フードファイトみたいな感じになってくるのには注意が必要

玉川ダム

製麺玉川店によく行くんだけど、その玉川からさらに南に下り、街を離れ山に入ると、玉川ダムというダムがある

正直あんまりちゃんと見て回ったことはないんだけど、けっこうちゃんとしたダム湖がある

俺はなんとなくダム湖というものに憧れをもっているので、当然玉川ダムにも憧れていることになる

玉川ダムの近くに行ったことは多いけど、その全貌は知らない 全貌を知らないからこそ、憧れたままでいられるのかもしれない

彼女の家からちょっと歩いたところにある、ガッツリコンクリートの川だ

亀がいるのがポイントで、ときどき見に行く

この前見に行ったら、亀たちが俺たちの姿を認めるなりいっせいに逃げ出すようになっていた

多分、人間から攻撃を受けて学習したんだと思う

まあ全員ミシシッピアカミミガメなので、攻撃するなとも言えないのが悲しいところだ

今治

俺がバリジロと呼んでいる、今治の城だ

お堀に囲まれ典型的日本の城で、それなりにちゃんとした天守閣なんかもあって、わりと見応えがある

堀が汽水らしくて、海の魚と川の魚と、両方いるらしい

今治城2

城みたいな外見をした、謎のアパート(マンション?)だ

本当に天守閣みたいな形をした部分があり、山に張り付くようにして存在しているのもあって、かなり存在感がある

あいものを作って街に見せびらかしたら、多少気持ちがいいだろうな

Permalink |記事への反応(5) | 12:44

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2025-10-06

anond:20250924190655

北があと2,3エントリ書くくらい残っているが、先に西和賀について紹介しておく。

岩手はいちおう全域が豪雪地帯指定されているけれど、それほど雪は降らない。まあこれは"隣県と比べて"ということに過ぎないので過信は禁物ではある(冬場スタッドレスタイヤがなければ死ぬのはマンガにも描かれた通り)けれども、その中でも西和賀例外にあたりそうなくらいの超豪雪地帯。どうもこの辺が奥羽山脈微妙標高が低いのか、日本海側の雪が山を越えてこっちにまで届くのね。これは西和賀を越えて少し東にある北上くらいまでは達するので、冬場に新幹線に乗っていると北上近辺だけ白くなっている光景を見ることが出来る。まあ今回は春~秋シーズンでの観光お勧めなので雪の話はこれ以上はしない。

西和賀町で観光と言えばまあ旧湯田町地域に点在している温泉がまずは観光対象かと思う。おそらく一番有名なのはJR北上線の入替駅であるほっとゆだ駅に隣接する温泉かと。湯船の隣に鉄道信号機が設置してあって、列車の到着が近づくと点灯するという話は旅番組で数限りなく擦られてきたので知っている人もそれなりにいると思う。温泉分布としてもここの温泉が町内のほぼ中心に位置していて、この北部南部、そして西部にいくつもの温泉旅館が点在している(東部にあった"穴ゆっこ"という温泉は3年ほど前に閉館した)。多くの旅館は日帰り入浴にも対応しているので、宿泊しなくても多くの温泉体験することが可能である。よくテレビで紹介されるのは北の方にあるゆっこと呼ばれる砂風呂個人的には西の県境近くにある巣郷温泉が特徴的な泉質(好みはけっこう分かれる)で好きなのでお勧めしたい。なお一番大きい温泉街は少し北にある湯本温泉で昔はここにストリップ劇場もあるくらいのコテコテ温泉街だったのだけど、もちろんこの施設10年以上前に閉館して跡形も残っていない。湯本温泉はそれよりも激安で有名なスーパーオセでたぶん有名。このスーパーNHKドキュメント72時間で密着されたりもした。

西和賀北側沢内近世から近代にかけて歴史的には重要場所ではあるのだけど、そういうのを知れる施設あんまりない。中心部(というほど繁華街でもないけど)にはなぜか寺が3軒まとまって建っているところがあって、その中の一番北の寺(碧祥寺)に個人博物館が民具をたくさん集めていて見どころになっていて、さらにそこの駐車場としても利用できる向かいドライブイン名前およねであることに歴史がうかがい知れるくらいか。一番南の寺(玉泉寺)は本堂の裏の山道参道化していて山登りと一緒に信仰も深められるのだけど、最近は熊の出没も多いので最近観光地としてはあんまり勧められない。さらに北の方には岩手で一番古い地ビールである銀河高原ビールが建てた工場リゾートホテルがあったんだが、ビール蔵はブランドごと沖縄会社に身売りして現在では非公開だし、ホテルも閉業している。

サブカル的には六三四の剣合宿地がこの近辺で、"ほっとゆだ"から湯本温泉に向かう時に必ず通る鉄橋合宿ランニングをする扉絵場所として使われたことがある。その他これは噂だがワシャエ森(鷲合森)という地名がこの近辺にあるところから三田紀房出世作"クロカン"の舞台となった鷲の森高校のモデルはこの地域に唯一ある高校ではないかと囁かれたことがある(最近までこの高校地方大会1回戦負けの常連として知られていたが最近それを覆す成績をあげている)。

日帰りで行く場所ではないが、この地域県境には北東北で最も登るのが難しい山とも言われる和賀岳がある。これはNHKBSのグレートトラバースで2度ほど紹介された。

Permalink |記事への反応(0) | 16:10

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2025-10-02

アダルトビデオあるある

女性が夜に山道を1人で歩いているところから始まる。

Permalink |記事への反応(0) | 22:31

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2025-09-26

anond:20250924190655

次は久慈近辺を紹介することにする。花巻(北上)、一関(平泉)と来て、内陸を埋めるなら奥州いくべきなんだろうけどね。

盛岡から久慈に行くにはどう行くかがまず問題バスだと直行便が1日5往復(4+1往復)あるんだけれど、日帰りには致命的に不便。二戸まで新幹線で行ってバスに乗り換えるのがたぶんいちばん便利。そういう意味でもレンタカーおすすめ

レンタカーでも、ルートは大まかに行って4つある。1つめのおすすめ東北自動車道-八戸道九戸インターで降りて、あとは一般道を通るルートで、これがたぶんいちばん楽で速い。それ以外に、国道4号沼宮内近辺から葛巻方向に入っていく経路と、国道455号で岩泉を経由する経路と、国道106号で宮古経由で行く経路がある。葛巻経由はまあ趣味世界道路状況は悪くないけど遠い。岩泉ルートもっと遠いが龍泉洞をついでに観光できるという利点は捨てがたい。宮古ルート311後の道路改良のおかげで意外と近い。たぶん旅行計画によって葛巻ルート以外の2つを行き帰りで選ぶことになると思う。岩泉ルート宮古ルートは途中に野田田野畑あたりも経由できるのでこの辺もあとで紹介しておく。

久慈平成の大合併山形村合併して大きくなった市で、旧山形村にはそれほど観光資源がない。あったのがまめぶ汁だがこれは「あまちゃん」でなぜか海女食べ物になってしまった。とは言え能年玲奈がその後主役になった映画星屑の町」は山形村地域でのロケがけっこう行われたのでこの映画に興味がある向きはロケ地巡りに周ることが可能ロケマップ久慈市が公式サイト上で配布している。説明はこれくらいにしておく。たぶんこの地域を周るとガタゴンという未確認生物の話も聞けると思う。

で、久慈地域。ほかにもいろいろあるのだけど、まあ基本的には「あまちゃん」が全て持っていってしまっている。結局それ絡みの観光名所を周ることになると思う。ウニ弁当を売っている久慈とか、そこに面して建っている廃墟である久慈駅前デパートとか。あまちゃんハウスは閉鎖して、そこにあったあまちゃんグッズは久慈南側公共施設YOMUNOSU移設された。喫茶リアスモデルになった喫茶モカ久慈からギリギリ見える場所にある。あま絵の描かれたシャッター商店街久慈から歩ける範囲にある。つまり久慈駅にたどり着けばだいたい見ることが出来る。ラーメン好きにはカツらーめんが有名なラーメン千草もかなり近所にある。

いっぽうで、そこから少しでも離れると車なしでは観光地は回れない距離になる。北三陸鉄道袖ヶ浜駅は三陸鉄道堀内駅で、久慈市には存在しないし、海女として活動していた小袖海岸絶対にそこの最寄り駅ではない(そもそも小袖海岸そば三陸鉄道は走らない)。結局レンタカー頼りになっちゃうわけだ。

ウニについては、久慈よりもそこより少し北にある洋野町が盛ん(久慈にもあるけど)。正直もう生ウニシーズンは終わっているけれど、ウニを買うなら洋野町のほうがいい気がする。食べるならはまなすおすすめ個人的には洋野ではウニよりもホヤを試してほしい。特に喜利屋ダイバー定食ホヤ嫌いでも一度は食べてみるべきなんだけど、そういえば元増田魚介類には興味ないんだっけな。

久慈琥珀日本最大の産地で、その近辺で肉食恐竜化石も見つかっているんだけど、この辺にはあまり詳しくないのでおすすめはしない。いちおう琥珀博物館もあるし、琥珀工作体験が出来る店もあるらしい。まあこれはそういうものもあるという情報だけ。

そう言えば、遠地で津波を伴う地震があった時に、本州最初津波が到達することが多いのが久慈だったりする。7月カムチャツカ半島で起きた津波日本で一番大きいのは久慈に来た津波だった。久慈災害情報カメラはほぼ全系列久慈漁港に置かれているので、ここを南側から見ると次に津波が起きた時に「ここに来たことがある」と実感が持てるかもしれない。

先ほど堀内の話をしてしまったので、間の野田について少し。自分にとってのイチオシ陸中野田駅の斜向かいにあるお魚センターだったのだが、どうやら今年になって閉店したらしい。まあ魚介類には興味ないか別にいか道の駅陸中野田駅に隣接していたのだけれど三陸自動車道の開通があって野田インターそば移転した。野田は塩の産地でここで売っているソフトクリーム塩入りなので試してみるべき。あと、どうもこの辺で売っているかりんとうふつうかりんとうとは形が違うらしい。北三陸かりんとうを見かけたらこ道の駅でなくていいので買ってみてほしい。あと、テレビで紹介されたものとしては木彫りの魚があるね。これは道の駅からはけっこう離れている。


さて堀内から少し南に(45号を)行くと、少し海が開けたところが見える。本当はここは三陸鉄道で渡って欲しいところなのだけど、たぶん日帰りだとそれはかなわないと思う。ここが大沢橋梁で、三陸鉄道屈指の絶景スポット(三陸鉄道あんまり海のそばを走っていない。それでも津波被害を受けた)。実は「あまちゃん」絡みの撮影スポットでもある。さらに南に行くと普代村市街地市街地といっても村なのでそれほど大きくはないが、ここから県道を通って北山崎に向かうことができる。ここは必見。ここに向かう県道沿いの普代市街地を出てすぐのところに普代水門という可動防波堤があって、普代村はこれのおかげで311津波を避けることが出来たという逆の意味での震災遺構となっているのでこれも是非。このあたりから田野畑村で、ここをさらに南に行った先に机浜という集落があって、ここが少し観光に力を入れている。漁村ならではの体験もあるけれど、イチオシはここから北山崎を下から眺めるサッパ船ツアー三陸海岸は東向きなので本当はここは午前中に来て欲しいところではある(日帰りでは厳しい)。もし泊まるなら少し南にあるホテル羅賀荘おすすめ

このそば(当然歩いて行くことはおすすめしない)に、三陸鉄道田野畑島越駅がある。田野畑駅は「あまちゃん」で畑野駅として使われた駅。島越駅津波を見越して作られたにも関わらず三陸鉄道最大の津波被害を受けた駅であるというストーリー(プロジェクトXで紹介された)を知っていると見る価値はある。ここから45号線に戻る山道辞職坂と言われる坂。実は田野畑村は陸の孤島で、そこにかかっている橋を含め2つの橋が出来るまではこの大きさの谷を2つ越えて来る必要があった。辞令田野畑に来る命令をされた人が最初の谷(思案坂)でこのまま勤めるか悩み、この谷で辞職を決意したという伝説が残っている。最初の坂にかかった橋は真木沢橋だが、現在は隣に高速道路のその名も「思案坂大橋」という橋がかかっている。ここを通れば田野畑村を抜けるが、もし田野畑村で昼食が食べたかったら北に国道を戻って北川食堂で食べるといい。

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2025-09-22

夏の終わり、秋の足音


薄く湿った風が、夕暮れのアスファルトをそっと撫でていく。数日前までは日没を待たず、コンクリの照り返しにじりじりと焦がされていたのに、いまはまだ陽があるうちから肌にひんやりとした予感が宿っている。

自転車を漕ぎながら見上げる空は、夏の蒼さから少しずつ色褪せて、淡い鉛色の雲にほのか黄金を帯びている。あの入道雲はもう遠い日の記憶で、今は高いところを渡る雁の群れが、秋の訪れを告げに来たのだろう。

帰り道にある公園では、蝉の声が徐々に減り、代わりにひぐらしが一声、二声と鳴く。真夏の間は地響きのように賑やかだったのが、いまや呼吸のように間を置いて静かに響く。滑り台の鉄網が、まだ熱を帯びているけれど、触れればもう「焼けた」痛みではなく、肌に寄り添う温もりへと変わっている。

家へ戻ると、窓辺に置いたガラス瓶の中でミントの葉が色を濃くし、夏に吸い込んだ陽光を抱えたまま秋を迎えているようだった。明かりを点けると、その緑はほんのり翡翠色に光り、部屋の薄暗さをほのかに照らす。僕は書きかけのノートを前に、指先でページを撫でる。まるで時間の糸をたどるように、字の隙間から季節の匂いが立ち昇る。

足元には去年の秋に拾った赤い葉が一枚、乾いてカサカサと音を立てている。あの日福島山道を歩いていると、突如ひらりと舞い降りてきたものだった。自分この街を出る日を想像もしていなかった頃の、ほんの小さな偶然だったのに、それがいまでは胸の奥で鮮やかに疼いている。

窓の外を見れば、商店街アーケードの明かりが柔らかく灯り、夜の帳がゆっくりと広がっていく。夏の終わりは寂しいと言う人もいるけれど、僕にはこの「終わりの始まり」がいちばん好きだ。終わるものへの惜別と、始まろうとする何かへの昂揚が同居しているから。

明日はもう9月の下旬だ。仕事帰りの道で見かけた栗のイガが、そっと落ちていた。掌に包むと、まだ子供のように固く、尖っている。触れているうちに、心のどこかで「次へ進め」と囁かれているような気がした。そうか、僕はまだ旅の途中なのだろう。

窓の外では、夜風が窓枠をかすかに揺らし、遠くで何かが鳴っている。秋の虫が、まだ旅に出る僕を見送るように――静かに

この部屋の明かりが灯るころには、もう秋の匂いが深まっているだろう。夏をつかみ損ねた僕の胸の中にも、ゆっくりと色づく何かが流れ込んでくる。風が変わるたびに、その鼓動が確かな存在として胸奥で響き、僕はまた一歩、季節の旅を続けていく。

Permalink |記事への反応(0) | 20:53

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2025-09-07

anond:20250907133032

60万円持って山道で目を覚ましてみよう

Permalink |記事への反応(0) | 19:47

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2025-08-25

弱者男性を山奥に放置してみたwww

俺の名は増田太郎

34歳、独身年収700万で雀の涙世間じゃ「弱者男性」って呼ばれてるけど、俺には普通じゃない力がある。

下方婚相手能力を無理やり下げて戦意を奪う。
念力:物体自在に動かせる。岩でも木でも敵でも。
身体強化:瞬間的に筋力とスピードを爆上げ。
変身:戦闘フォームに切り替え、特化能力を得る。
時間遅延:周囲の時間の流れを遅くする。
不老不死:死んでも数分で蘇る。
反物質アンチマター):最終奥義。触れたものを消し飛ばすが、自分も巻き込まれリスク大。

企画静岡の山奥に俺を放置青森まで徒歩で帰るというもの

手持ちは水500ml、チョコ羊羹1本、現金1万円だけ。

1日目:静岡クマと遭遇

霧深い山道で2メートル級のツキノワグマと遭遇。

下方婚で動きを鈍らせ、身体強化と念力で岩を落とす。

しかし爪が腹を裂き、意識が途切れる。

不老不死で復活し、倒れたクマの横を通って進む。

朝飯は川原山芋を焼いて塩なしでかじった。

5日目:長野・山姥の襲撃

焚き火の夜、皺だらけの女が包丁を握り襲う。

時間遅延で回避し念力で木を倒すが、左腕を切られ死亡。

漆黒モードに変身して首筋を一撃。

夜食は山姥の小屋で見つけた干し柿。甘さにホッとする。

12日目:新潟怪獣カバロウ

林道カモシカ怪獣が突進。

時間遅延で避け、背中に飛び乗るが振り落とされ死亡。

復活後、念力で巨木を叩きつけ撃破

昼飯は山菜そば700円。

21日目:山形・雪女との戦い

吹雪山道で凍える白い女。

下方婚が効かず氷槍に貫かれるが、復活後身体強化で崖に叩き落とす。

民宿芋煮を食い、温まった。

33日目:秋田秋田市のヤマハ

禿頭の来訪神5体が金棒を振りかざし迫る。

怠け者を叱責しながら突進。

下方婚は効きづらく、時間遅延で避けつつ念力で雪を崩す。

一体に粉々にされるも復活。

変身フォームで反撃するも押される。

切り札反物質」を発動。

黒い球体が右手に現れ、雪と空気を吸い込み閃光とともに半径10kmの地形ごとヤマハ消滅

俺も爆散するがゆっくり復活。

40日目:秋田男鹿半島ナマハゲ

赤と青の鬼が雪原に現れる。

「悪い子はいねぇが!」

全体に下方婚を撒き身体強化で突撃

一体を念力で雪中に封印するも背骨を折られ死亡。

復活後、雪庇を崩し雪崩で全員を押し流す。

夕飯は漁村ハタハタの塩焼き。脂が甘い。

55日目:青森駅到着

髭は腰まで伸び、服はボロ布。

だが立っている。

雪の向こうの駅の灯りを見て、静かに呟く。

「……俺、怠け者じゃないよな?」

Permalink |記事への反応(1) | 20:00

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2025-08-21

猫が死んでしまったので恐山に行った

飼っていた猫が死んでしまったので、恐山に行った。

一緒に暮らす動物は大抵がそうであるけど、自分にとっては得難い友達だった。数年前に年の瀬公園で目の前に飛び出してきて意気投合し、そのまま連れ帰り、転職して東京引っ越し下町ワンルームで暮らすという、20代におけるダイジェストシーンを象徴するような存在だった。唐突に大きな病気が見つかり、明確な診断もつけられないうちに、1ヶ月の闘病を経て死んでしまった。4歳になったばかりだった。

映画のような出会い方をしただけに、真反対のドラスティックな悲しみ、また、部屋中に猫の柔らかな気配と、薬やらスポイトやら検査結果やらの病気の強すぎるコントラストが漂っていることに耐えられなかった。自宅を離れる口実の旅行計画として、なんとなく関心のあった恐山を思い出した。祈りの場に赴く機会としては、しばらくはこれ以上ないだろう(と思いたい)ということで、会社夏季休暇に入ったその日に新青森に向かった。

家族や(人間の)友人には恐山に行くことは伝えなかった。自分が沈み込んでいた姿を見られており、このタイミング山間部に入ることは、或いは自死する計画を持っていると疑われている空気があった。実際いろいろと控えめに気晴らしの提案を受け、断ったり随分先延ばしにしたりしていた。どういったアプローチであれ、死にまつわるものへの接触に惹かれていたのは否定できない。

近隣市に宿泊したのち2日目の始発電車下北半島に向かい私鉄バスを乗り継いで午前中に恐山霊場に入った。(途中まで路線バス然としているが、山道に入ったところで唐突に少々不気味な恐山解説アナウンスと、子ども可哀想な目に遭う賽の河原の歌が流れた。)

到着すると、想像していたよりも境内開放的で、硫黄香りが強く、空が近かった。入山のバスには何人か観光客がいたが、平日の早めの時間だったこともあり、門を潜ってしばらくしたら、今生きている人間はもしや自分だけなのではないかという錯覚をする程度には静かになってしまった。プラスチック風車の回るカラカラという音に混じって、微かに鐘の音もする。抜けるような青空だが時折天気雨が降り、遠雷が聞こえる。カラスが飛び交い、足元では白い砂にガスが湧いている。30年弱生きてきて、最も「異境」を感じた地だった。

恐山特に東北において、死者のゆく「お山」として歴史的信仰されてきたと聞く。3時間ほどゆっくり散策した感想として、「他者死ぬことを前にした無力さ」を見に受けた。荒涼として、自分は何の役にも立てず、ただ圧倒されるだけ。大事な猫に何もしてやれなかった、助けられなかった後悔の影響もあるだろうが、死がひのたびこちらを捉えたら、抵抗虚しく受け入れるしかないのではと思ってしまった。

同時に、医療化学がこれほどまで発達するまでの、少し前の時代死生観垣間見たかもしれない。「ああしていれば」の迷いを砕くような、生き物には生老病死の苦しみが大前提存在し、いつでもこちらを見ていると思わせる光景だった。

うって変わって、岩場を抜けると青く澄んだ宇曽利湖が待っていた。先ほど聞こえていた鐘は湖畔に据付けられていて、誰かが鳴らしていたとわかった。

実態は一部のウグイしか住めない酸の水だけど)海より速いペースで打ち寄せる透明の波に山の緑、足跡だらけの白い浜と相まって、こちらは別のベクトルの異境だった。「苦しみが終わった世界」を自分が描くなら、今日からはこのイメージになるかもしれない。猫もも苦痛は無いのだと思うと泣けた。穏やかでありながら寂しい光景で、まだ生きている自分は、ずっとここに居てはいけないとも感じた。

死ぬことの寂寞と諦念のち、死者の安寧を思う。この地で祈ってきたたくさんの人たちが同じ心の動きだったかはわからない。ただ、個人としては「何をしてもいずれ終わりは来るのだから、街に帰って生活を続けよう」と思えた。非現実的な静かさが退屈そうに見えたので。そもそも猫の死後の世界がどういったものかも知らないが、ねぶた祭りの日の青森市街と同程度に楽しみに満ち、そしてできるなら人間彼岸と同じレイヤーに在って欲しいと願う。人間の見守りエリアも欲しい。

直前まで知らなかったのだが、ちょうどねぶた祭最中スケジュールだった。これもルーツは死者の供養だという説がある。自分こちらのほうが色に満ちていて好きだった。

なお恐山境内には「熊注意」の掲示散見され、メメントモリにどれほど浸っていても、即座にリアルの恐怖を思い出した。

猫よ、仏前の備えは絶やさないので、できれば熊からも守ってください。

【翌日の追記

匿名で長文を書きたいという衝動からプラットフォーム性格もろくに理解せず投稿してしまったので、リアクションがあることにたじろいでいます増田というスラングも初めて知りました。

かに、死+恐山という単語タイトルに並べば、イタコの口寄せのために向かったのだと想像される方が相当数いて当然で、自分単独行に徹したあまり他者視点に欠け、思い至りませんでした。東北よりはるか南方で生まれ東京生活し、ネットでは写真優位のSNS観光プロモーションに浸かりきった自分にとって、「恐山」は「イタコのいる霊場」より「ある程度の然るべき配慮を持っていくべき、明るい友達との旅行には向かない、公共交通では難易度・中の観光名所」でした。

当日は「動物も降霊の対象になるのか?」と疑問を持ちはしましたが、仮にできたとしても、たかだか1ヶ月弱の離別では話すこともあまりないだろうし、あったとしても「ちゃんと食え」「掃除しろ」「若くして死ぬのはやめておけ」の言い換えで尺が終わるんだろうなとの投げやりな気持ちから寺院の方に尋ねもしませんでした。期待された増田の皆様には申し訳ありません。

実際にやるとしたら、何十年後かに自分人生のBパートに入った頃、猫の命日からその日までの中間リザルトの発表しがいが出てきてからします。(どれだけ高いところに登ったか、何匹分のまぐろを食べたか、見つけた一番大きい虫のサイズなど、話題に尽きない)

どなたかコメントいただいた通り、恐山は「あの世テーマパーク」だという感想共感します。喪失したての人間には誰かの辿るかもしれない旅路を思わせ、そうでない人間には手軽な非日常感と到達感を与えてくれる場所でした。生きている人間のための施設であり、何より敷地内に温泉とお食事どころまであるのがそれらしさを補強しています東西散見される冥界のスタンダードに準じれば、ラーメンを食べ、膝下まで硫黄泉に入った自分は帰ってこれなくてもおかしくないのですが、今のところ無事にキーボードを叩けています

また自分を求める猫がいれば拾ってもいいな、という気持ちになれたので重畳です。

Permalink |記事への反応(6) | 22:29

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2025-08-11

anond:20250811212857

当たり前だろ愚痴なんだから

山道標識もまともに見ずに突然止まるのも追い越し車線でトロトロ走るのもエスカレーターの真ん前で立ち止まるのも自分は何も悪くないし

Permalink |記事への反応(1) | 22:53

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anond:20250811092330

男性YouTuber山道を歩いて行く動画を撮ったあと、けなげに来た道を引き返してカメラを回収するシーンはよく見るけど

女性はパッと思い出せないけど

Permalink |記事への反応(0) | 10:48

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2025-08-01

AI日本昔ばなし技術負債

昔々あるところに――「めんどり谷と急ごしらえの橋」

序章 小さな谷とふたつの

昔々、深い山あいに **ヒナ村** と **ツル村** というふたつの集落がありました。

両村のあいだには “めんどり谷” と呼ばれる崖っぷちの細い谷があり、行き来するには遠回りの山道を一日がかりで歩かなければなりません。

第一章 若い大工カケルと「仮置きの丸太橋」

ある年、ヒナ村の若い大工 **カケル** はこう考えました。

&gt;&gt; 「遠回りなんて時間のムダだ。村祭りまでに橋を架ければ、往復一時間で済むじゃないか!」 &lt;&lt;

しか祭りまで残りわずか三日。石の土台を築き、丈夫な梁を組む時間はありません。

そこでカケルは **丸太を並べロープで縛っただけの“仮置きの丸太橋”** を提案しました。

  • 村人A「祭りに間に合うなら助かる!」
  • 村長 「細かいことは後で直せばいい。まずは通れることが大事じゃ!」

こうして橋は **3日の突貫工事** で完成。祭りは大盛況、ヒナ村とツル村は大喜びでした。

第二章 橋のひずみと“見えない利子”

半年後――

ロープは雨で伸び、丸太はシミだらけ、足場はギシギシ*。

渡るたびに村人はヒヤリとしますが、橋を使わないと仕事になりません。

カケルは修繕計画を出しますが、村長は言いました。

&gt;&gt; 「今さら人手も資材も割けん。次の収穫祭まで“ごまかし補強”でしのげ!」 &lt;&lt;

カケルは仕方なく **針金で締め直し、看板に“2人ずつ渡れ”** と書きました。

修繕コストは日々膨らみ、**“丸太橋に払う利子”** のように村の時間木材を奪っていきます

第三章 大雨の夜と“技術負債”の清算

ついに秋の長雨で川が増水し、丸太橋は真夜中に崩落。

翌朝、谷を挟んで立ちすくむ村人たち。物流は止まり市場学校も大混乱です。

途方に暮れる村長に、カケルは静かに言いました。

&gt;&gt; **急ごしらえの便利さは“借金”でした。返済を先送りした分、利子が膨らんだ――これこそ“技術負債”です。**

&gt;&gt; 今度こそ基礎から石橋を築きましょう。時間費用もかかりますが、将来の利子はゼロになります。 &lt;&lt;

終章 “負債”を返した先に

村人たちは一致団結し、一年かけて **アーチ型の石橋** を完成させました。

以後百年、橋はびくともせず、子や孫の代まで安全な往来を支えました。

* * * *

むすび 昔話が語る教訓

  1. **短期メリット借金**
    1. 丸太橋=「とりあえず動くコードシステム
    2. 早く成果を出す代わりに“返済義務”が生まれる。
  2. **利子はじわじわ増える**
    1. 針金補強や人数制限=「パッチ当て・手運用監視コスト」。
    2. 時間がたつほど修繕コスト(利子)が膨張。
  3. **返済を先送りすれば破綻する**
    1. 橋の崩落=「サービス障害再開発不能」。
    2. 緊急対応こそ最大の損失。
  4. **計画的な返済が“未来自由”を生む**
    1. 石橋=「リファクタリングアーキテクチャ刷新」。
    2. 早めに投資すれば、後の世代安心して機能追加できる。

たとえ昔話でも、**技術負債は“物語の外”で私たちが背負うリアル借金**。

「急ぐ理由」と「後で払う利子」を天秤にかけ、**いつ返済するかを決める目** こそ、現代ソフトウェア職人に求められる力なのです。

Permalink |記事への反応(0) | 19:33

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2025-07-28

anond:20250727195937

関東平野(深い山がない)っていうのは大きなアドバンテージだよね

 

中国四国九州に行けば日本列島改造論からバブル期を経てもなおすれ違い困難でガードレールのないうねうね山道がたくさんある 自動車ですいすいとはいかない

首都圏の人が想像する車社会とはまた違った世界 

拡幅やトンネル新設工事もやってるけど

Permalink |記事への反応(1) | 08:25

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2025-05-17

最近マイブーム一人旅

最近休日になるとふらっと遠出することが多い。ぷち一人旅みたいな感じ。

今日何となく思い立って、バックパックひとつでふらっと山に行ってきた。

別に登山がしたかったわけじゃない。休日ぐらいは人の少ないところを歩きたかっただけ。

しばらく山道を歩いていたら、ひょっこりと現れる蕎麦屋看板

えっ…こんなところに?と思わず声に出そうになる

せっかくだし、寄ってみることにした。

木立の間を抜けると…本当にあった

案内どおり小さな建物がぽつんとあって、昔ながらの木造の店。

森林の中から急に現れまるで雑コラみたい。

ガラガラ引き戸を開けると、鈴が軽く鳴った。中は静かで、木の匂い出汁香りが混ざり合ってる。

いらっしゃいませ、と奥から出てきたのは年配の女。にこやかに挨拶してくれた。

メニューは一つだけ。なのでそれを注文。

ふぅと席に腰を下ろすと他に客は無し。でも居心地は悪くない。

間もなく、蕎麦かき揚げが運ばれてきた。

箸を取る。一口すすると……うまっ。

鼻に抜ける蕎麦香り。噛んだときのコシ。つゆの出汁の深さ。

次はかき揚げ。見た目は薄衣に閉じ込められた野菜小海老。

カリッと音を立てそうな表面で、箸でひとかけらを割った瞬間、揚げたての香ばしさがふっと立った。

鼻の奥がざわついた。

さくりとひと口。口の中でパリパリという衣の崩れる音が広がり、直後に玉ねぎの甘さと海老香りがじゅわっとあふれ出る。

まらんかった。

どれもが一級品。

……やばいなこれ。腹が減っていたこともあるだろう。マジで箸が止まらんかった。

食後の蕎麦湯、しみるように優しかった。何もかもがちょうどいい。

静かで、落ち着く。

そして思い出した。

一人旅醍醐味って、こういう店に出会ことなだって

会計をして(安かった!)、会釈してお店を出る。

午後の光が山肌に柔らかく差していた。

小鳥の声。木々のざわめき。髪を靡かせるゆるやかな風。

たぶん…というか、絶対また来るわ。

うつぶやいて、そのときつぶやきを思い出しながら、これを書く。

休日日帰り一人旅

もうしばらくは、嵌りそうだ。

Permalink |記事への反応(5) | 22:45

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2025-05-05

anond:20250503215101

2025年5月5日、ワイの日記やで。

昨日の屈辱を引きずったまま、今日も朝から山道を歩いた。ズボンは替えてきた。ゴミーは何も言わんが、あの小さな目にちょっとした哀れみの色がある気がする。けど、ええねん。今日は、昨日の続きや。フェミちゃんを追わなあかん

朝露に濡れた獣道を進んでいくと、雑木林の中に、不自然に何かが引っかかっとるのが見えた。低木の枝に、ひらりと揺れてる――それは、見覚えのあるスカーフやった。薄い灰色に、ところどころ刺繍が入ったやつ。あれはフェミちゃんがパラダシアで買うて、ずっと大事にしてたもんや。

「これ……間違いない。フェミちゃんのや」

ワイが手に取ると、ゴミーがぴょこっと寄ってきて、スカーフの端をちょいとつついた。ふわっと鼻先に残った微かな香り――あの独特の香油匂い。間違いなく、ここを通ったんや。しか比較最近スカーフの湿り具合からして、昨晩から今朝にかけてのどこかやろう。

ゴミー、見とるか……これは足取りの証拠や。ようやく、フェミちゃんの影を踏めた気がするわ」

ゴミーは真剣な顔をして、木々の隙間から続く道らしき獣の踏み跡を指さすように飛び上がった。ほんまに賢い生き物や。こんな小さな仲間に支えられてるのが、不思議でありがたい。

ワイはスカーフを懐に入れて、足音を殺してその先へと進んだ。山道空気は澄んでいて、木漏れ日が斜めに差し込んでいる。けれど、その穏やかさの下に何が潜んどるかはわからん

次の曲がり角の先に、何かがある気がするんやで。

Permalink |記事への反応(1) | 22:06

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2025-05-03

連休悪夢

30代後半の会社員

明日から妻と旅行に出かける。

今の結婚は二度目の結婚だ。

私の前職は地方公務員で、前妻は紹介で知り合った自治体外郭団体職員だった。

当時、父、兄、叔父経営する会社財政状況が悪化不渡り直前のような状況で新婚生活を過ごしていた。弟は法科大学院を修了するも司法試験合格することができずに精神的不調に陥り医療保護入院となっていた時期でもある。親の会社好調だった頃に何不自由ない学生生活を過ごさせてもらった私は両親に代わり弟の学費を支払っていた。

自分自身生活費と家賃、弟の司法試験予備校大学院のローンの支払い、まだ高校生の妹もいた実家への仕送り

支払いだけで給与が消え、そのうちに妻が妊娠し出費が増えると支払い予定は給与を上回り貯蓄がものすごいスピードで目減りした。

妻や義両親には経済的状況を打ち明けられず、足りないお金キャッシングで賄う日々。

ある引き落とし日になんとか集めたお金で支払いを済ませた。

その翌日はゴールデンウィーク初日で妻と小旅行に行く予定だった。

いつも前妻と出かける時は近場のコンビニアイスコーヒーを買って駐車場でナビをセットするのがルーティンだったが、もうガソリンを入れるお金も一杯のアイスコーヒー(今は120円だが当時は100円だった)を買うお金もない。

数日後に控えるカードの引き落としもできない。

その瞬間、私はこの幸せ生活の終わりを悟った。

ちょっと買い物に行ってくる」と言って振り返った。

大好きだった前妻の姿を見て声を聞いたのはそれが最後だった。

財布もスマホも持たず、公園公共施設の水だけを飲んで行く宛もなく知らない町や山道を歩き続けた。

数日間歩き続け、連休が終わり、膝が痛みを通り越して最早何も感じなくなった頃に地方都市にたどり着いた。

何か食べたい。布団で眠りたい。

公務員生活で得た知識を活かした。

標識を頼りに市の区役所に行き、生活保護業務担当する部署の窓口でNPO運営する無料低額宿泊所の連絡先と住所を求めた。

近くの交番警察に道を教えてもらい、一番近い施設へ徒歩で向かった。すぐに入所を決め、施設職員とともに先程の窓口へ行き生活保護を申請した。

その夜、寮の食堂で久々の食事をし、布団の中で眠った。食事は今思えばひどいもので、寮や寝具はかなり汚く不衛生だったが、その時の私にはようやくたどり着いた天国だった。

昼間はぼーっと天井を見つめ、食堂で他の入居者と食事をし、夜は眠る

こんな生活が数ヶ月続いた。

酒や喧嘩施設利用料の支払い(生活保護費の殆ど施設利用料として消え手元にはほとんど残らない)で揉めるなど問題を起こす入居者が多い中、大人しく金を払ってひたすらぼーっとしてる私は施設から気に入られ事務仕事を手伝わされるようになった。

支給日や入居者の通院の際に送迎をして欲しいと言われ、免許の再発行をするために住民票などの手続きをした。

それがきっかけでケースワーカーが私の戸籍や附票を手に入れ、扶養義務調査を行った。

私の所在を知った両親が施設に迎えに来たことで生活保護は廃止となった。

私が行方くらましている間に父の会社がなんとか危機を乗り越え持ち堪えたこと、弟が退院して就職したこと、妹が国立大学合格したことを聞いた。前妻が流産してしまい今は実家にいること、一緒に住んでいた部屋がもう解約されていること、私が無断欠勤懲戒免職になっていることも聞いた。

実家で母の美味しい手料理を食べ、清潔な布団で眠った。

気力が回復してから前妻と書類のやり取りを経て離婚した。

あの日彼女との離別を覚悟したはずなのに、正式離婚が成立した夜にはそれまでの思い出が蘇ってきて涙が止まらなかった。

父の取引先の会社正社員として採用してもらい、第二の社会人生活が始まった。

仕事で妻と知り合い、交際を経て結婚した。

父と兄の会社危機を乗り越えて社屋を移転した。

兄には子供が生まれ、私はおじさんになった。

弟は残業の少ない会社転職し、仕事をしながら司法試験予備試験の勉強を続けている。

妹も既に社会人になり上京

ガソリンETCの支払いにしか使っていないが、クレジットカードも再び手に入れた。

今朝、妻とのゴールデンウイーク旅行の前日に借金の支払いに終われる悪夢を見て飛び起きた。

いまだに私の中であの時の出来事トラウマらしい。

しっかりと向き合い振り返ることで少しは気が楽になるのではないかと思い、これを書いた。

Permalink |記事への反応(5) | 18:07

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2025-04-27

連休悪夢

30代後半の会社員

明日から妻と旅行に出かける。

今の結婚は二度目の結婚だ。

私の前職は地方公務員で、前妻は紹介で知り合った自治体外郭団体職員だった。

当時、父、兄、叔父経営する会社財政状況が悪化不渡り直前のような状況で新婚生活を過ごしていた。弟は法科大学院を修了するも司法試験合格することができずに精神的不調に陥り医療保護入院となっていた時期でもある。親の会社好調だった頃に何不自由ない学生生活を過ごさせてもらった私は両親に代わり弟の学費を支払っていた。

自分自身生活費と家賃、弟の司法試験予備校大学院のローンの支払い、まだ高校生の妹もいた実家への仕送り

支払いだけで給与が消え、そのうちに妻が妊娠し出費が増えると支払い予定は給与を上回り貯蓄がものすごいスピードで目減りした。

妻や義両親には経済的状況を打ち明けられず、足りないお金キャッシングで賄う日々。

ある引き落とし日になんとか集めたお金で支払いを済ませた。

その翌日はゴールデンウィーク初日で妻と小旅行に行く予定だった。

いつも前妻と出かける時は近場のコンビニアイスコーヒーを買って駐車場でナビをセットするのがルーティンだったが、もうガソリンを入れるお金も一杯のアイスコーヒー(今は120円だが当時は100円だった)を買うお金もない。

数日後に控えるカードの引き落としもできない。

その瞬間、私はこの幸せ生活の終わりを悟った。

ちょっと買い物に行ってくる」と言って振り返った。

大好きだった前妻の姿を見て声を聞いたのはそれが最後だった。

財布もスマホも持たず、公園公共施設の水だけを飲んで行く宛もなく知らない町や山道を歩き続けた。

数日間歩き続け、連休が終わり、膝が痛みを通り越して最早何も感じなくなった頃に地方都市にたどり着いた。

何か食べたい。布団で眠りたい。

公務員生活で得た知識を活かした。

標識を頼りに市の区役所に行き、生活保護業務担当する部署の窓口でNPO運営する無料低額宿泊所の連絡先と住所を求めた。

近くの交番警察に道を教えてもらい、一番近い施設へ徒歩で向かった。すぐに入所を決め、施設職員とともに先程の窓口へ行き生活保護を申請した。

その夜、寮の食堂で久々の食事をし、布団の中で眠った。食事は今思えばひどいもので、寮や寝具はかなり汚く不衛生だったが、その時の私にはようやくたどり着いた天国だった。

昼間はぼーっと天井を見つめ、食堂で他の入居者と食事をし、夜は眠る

こんな生活が数ヶ月続いた。

酒や喧嘩施設利用料の支払い(生活保護費の殆ど施設利用料として消え手元にはほとんど残らない)で揉めるなど問題を起こす入居者が多い中、大人しく金を払ってひたすらぼーっとしてる私は施設から気に入られ事務仕事を手伝わされるようになった。

支給日や入居者の通院の際に送迎をして欲しいと言われ、免許の再発行をするために住民票などの手続きをした。

それがきっかけでケースワーカーが私の戸籍や附票を手に入れ、扶養義務調査を行った。

私の所在を知った両親が施設に迎えに来たことで生活保護は廃止となった。

私が行方くらましている間に父の会社がなんとか危機を乗り越え持ち堪えたこと、弟が退院して就職したこと、妹が国立大学合格したことを聞いた。前妻が流産してしまい今は実家にいること、一緒に住んでいた部屋がもう解約されていること、私が無断欠勤懲戒免職になっていることも聞いた。

実家で母の美味しい手料理を食べ、清潔な布団で眠った。

気力が回復してから前妻と書類のやり取りを経て離婚した。

あの日彼女との離別を覚悟したはずなのに、正式離婚が成立した夜にはそれまでの思い出が蘇ってきて涙が止まらなかった。

父の取引先の会社正社員として採用してもらい、第二の社会人生活が始まった。

仕事で妻と知り合い、交際を経て結婚した。

父と兄の会社危機を乗り越えて社屋を移転した。

兄には子供が生まれ、私はおじさんになった。

弟は残業の少ない会社転職し、仕事をしながら司法試験予備試験の勉強を続けている。

妹も既に社会人になり上京

ガソリンETCの支払いにしか使っていないが、クレジットカードも再び手に入れた。

今朝、妻とのゴールデンウイーク旅行の前日に借金の支払いに終われる悪夢を見て飛び起きた。

いまだに私の中であの時の出来事トラウマらしい。

しっかりと向き合い振り返ることで少しは気が楽になるのではないかと思い、これを書いた。

Permalink |記事への反応(0) | 13:34

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2025-04-14

心霊体験というほどではないのだが

この時期になると思い出す、少し怖かった話

かなり地元の話なんだけど、もしかしたら同じような体験したことがある人いないかなと思って書く。

数年前、母と2人で、車で岡山旅行に行った。

当時西宮市兵庫県のかなり大阪府寄り、甲子園球場があるところ)に実家があったので、

中国自動車道に乗って、2〜3時間というところ。

田舎者らしくどちらも運転には慣れているし、

岡山に住む母の知り合いが現地を案内してくれ、快適で楽しい旅だった。

帰路は母が運転していた。

岡山からすぐ中国自動車道に乗って、本当なら西宮山口宝塚までノンストップだけど

なぜか間違えて、かなり手前(西側)で降りてしまった。神戸とかだったかな。

まあ、昼過ぎに出てサービスエリアにちょこちょこ寄ってご飯を食べたりして

そんなに疲れも出ていなかったし、ちょうど日が暮れる時間帯で景色キレイだねなんて言いながら

このまま下道で行こうという話になり、山道を、六甲山を越えることになった。

別になんのことはない、日が暮れるにつれて暗くなるけど、暗い山道ってこんなもの

時折狭くて暗い道にタヌキやイタチが飛び出てこないか心配をしながら、

真夜中でもない道は、有馬温泉関係する施設の前を通ったりして、ありきたりな田舎道という感じ。

でも、途中から違和感があったのは、妙に長いなということだった。

2時間は走っている気がした。高速道路を2時間少し走ってきたのに、それよりもっと長い時間を走ってるみたいだった。

そして私も母も、少しおかしかった。

私がスマホをいじったり、母が運転に集中したりして途切れたり盛り上がったりを繰り返していた会話が、

ここにきて最高潮の盛り上がりを見せて、母も時折、バンバンハンドルを叩いて笑うほどだった。

何を話したかは覚えていない。とにかくふたりとも、気が触れたように大笑いしながら何かを話していた。

静かな山道くねくねと走りながら、まるで会話を途切れさせてはいけない決まりがあるみたいに、

から次へとくだらない話がはじまって、狂ったようにふたりゲラゲラ笑った。

そのうち山道がようやく終わって、住宅街が、町並みが見えてきて、安堵と一緒にどっと疲れが湧き出た。

突然途切れた会話に、私がぽつりと、「なんか、長かったね」と呟くと

母はぎょっとした顔で「◯◯ちゃんもそう思った…?」と言った。

どうやら母も途中から、全く同じような感覚でいたらしい。4〜5時間運転した!!と言ったけど、時計を見ると小一時間程度しか経ってない。


「怖かった…ね」

母が言った。

そうだ、怖かったのだと私も思った。すごく怖かった!でも、その時は「怖い」という感情は本当にカケラもなかった。

母と私はこれが狐に化かされるってことかな?と言って結論付けたけど、有馬稲荷神社存在を知ったのはそれからかなり経ってからのことだった。

Permalink |記事への反応(0) | 22:00

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2025-03-31

anond:20250331163053

やってほしいことあるんだがやってくれるんだよな?

雪の山道ノーマルタイヤで走ってみた

やってほしい

Permalink |記事への反応(0) | 16:38

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2025-03-24

刑務所にいる私

あのとき暗い山道でおばあさんを轢き殺すことにならなかったのは何が意味があるんだろうか。

私がもう少しスピードが遅ければ、おばあさんが歩くのが早ければ、車体が大きければ、……今頃私は刑務所に居るかもしれない。(実際には、おそらく執行猶予付き判決が下されるだろうが、ここではそれは問題ではない)

今ベッドの上で、今日仕事がいやだなとぼんやり考えてこの文章を打っている自分と、人をひとり殺し、周囲の人間迷惑をかけ、遺族に償いきれない傷をつけた自分は、何が違うんだろうか?

ただ運が良かっただけで、今あたたかい布団を被っていられる。俯瞰的に見ると人生意味は無いと思うが(どちらかというと意味を探すのが人生だと思う)、運良く刑務所に行かなかった、人を殺さずに済んだこのルート人生意味を見つけるためにひたむきに努力しなければならない。

Permalink |記事への反応(0) | 01:38

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2025-03-20

乗り物酔いをしやすいので、乗り物酔いの分類をしてみた

自分は非常に乗り物に酔いやすいのだが、一口乗り物酔いと言っても、経験上、大まかに4パターンぐらいに分類できると思う。

(1)視覚による乗り物酔い

景色を目で追ってしまうことで起きる乗り物酔い。3D酔いはこのパターン映像酔いとも言うらしい。

自分場合映画プラネタリウムで上映される映像の画面全体がスクロールするだけで一瞬で酔える。

(今は知らないけど昔のディズニーランドのスペースマウンテンとか最悪だった記憶がある)

何なら調子悪いときは、自転車を漕いでいるときに、カーブや右折/左折時に景色を目で追ってしまってもダメ

(1) の対処

景色を目で追わない。目をつぶる。目をつぶれないときは、動かない1点を見つめる。例えば窓ガラスの汚れを見つめるとか、バスだったら車内の設備を見つめる。長年悩まされて来たが、3Dゲーム映像の真ん中に動かない1点が出てくるアレの応用。

遠くを見ろと言われるが、自分は遠くを見る程度ではだめだった。

多分だけど、山道で酔うパターンもこれだと思う。景色を目で追わなければ大丈夫なんじゃないかな点…。先日、ちょっとした丘とカーブバスで超えないといけないときは、これで乗り切れた。バスの中の柱とか前方の椅子をずっと見つめてた。もっと険しい山道で試したい気持ちもあるが、失敗したとき悲惨なので試したくない。誰かやってほしい。

(2)振動による乗り物酔い

自分振動で酔わないので良くわからない。すみません。ただ、世の中には振動で酔う人もいるらしい。対処方法として、バスならエンジンの近くに座らないようにすると良いらしい。何も具体的なことが書けず申し訳ない。

(3) 速度による乗り物酔い

これは速度による恐怖感で、心理的不安から酔いが来ている気がする。非科学的で申し訳ない。

自分場合新幹線が駄目。周囲に新幹線で酔う人なんて極少数派なので正直恥ずかしい。特に東海道新幹線のぞみ東京行きの浜松新横浜あたりはやたら全力出してくるの何なの!?!?あれで高頻度で酔う。

あとは以前、調子悪いとき横須賀線に乗って軽く酔ったことがあるな……駅間で速度出しすぎなんだよね……でも似たような区間を走るはずの東海道線全然平気だったんだよなーなんでなんだろう。

(3) の対処

以下の対策をしてもダメときがあるので、困っている。

乗り物酔い止めの薬+睡眠ちゃんと取る+ごく軽食を1〜30分程度前に摂取する(ゼリーとかビスケットとか)で乗車する。

※ 酔いにくくするためと、万が一酔って吐いてしまっても影響を最小限にしている

酔い止めも、眠気が強く出るタイプを買って、乗車中は寝て過ごす。


新幹線に乗る機会がそこそこ多いので、毎回酔い止め飲んでるけど、これを長期間続けて脳に影響等は出ないんだろうかと思う。本当は五苓散が効いてくれれば良いんだが、試した感じだとプラシーボ的な効果しか自分には無さそう。

出張の移動日は酔い止めの影響で、正直仕事にならない。会議とかボーっとして上の空。泊まりなら翌日は平気だけど、日帰りだと全然パフォーマンス出ないので、出張意味が無い。

新幹線食べ物を食べられる人がうらやましい……自分新幹線駅弁とか食べたい。

※ 酔い止めがちゃんと効いている間で目が冷めている間は、読書スマホ視聴ならいける。

(4) 浮遊感による乗り物酔い

飛行機がこれ。以前、乱気流に巻き込まれときは機体が高頻度に上下して死ぬかと思った

(4) の対処

飛行機は酔い止めを飲んでもそこそこの確率で酔う。どうすれば良いんだろう。自分的に解決方法はない。ただ、飛行機は滅多に乗らないのであまり気にしてない。

その他、分類不可

自分がよくわからないもの

  • 船酔い

これは視覚+浮遊感の合わせ技なのかな?船に乗る機会が無いのでわからない。短時間フェリーとか観光船ならあるけど、内海だったし揺れなかったのでそのときは全く大丈夫だった。釣りで船に乗る場合だったら、多分酔って死ぬと思う。アネロンとか飲めば平気なんだろうか?

3/11とき余震で軽く酔った。東北に近いわけでもないんだけど……。

最後

自分場合、酔うといっても吐いたことがあるのは小学生の時ぐらいで、それ以降は吐くことは無かったので、それは不幸中の幸いなのかもしれない(死ぬ気で我慢しているとも言う)。

Permalink |記事への反応(0) | 21:33

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2025-03-12

anond:20250311143249

個人事業主になって二年目あたりで、確定申告都内役所に行ってた。

会議室によくある鉄パイプの平机が並べられた申告会場で、年季の入った建物が音を立てて揺れ始め、ただ事じゃないとわかった。

隣にいたおばちゃんと一緒に机の下に潜り、当時まだ珍しかったスマホyahooを見て、震度7の速報にびっくりしておばちゃんに画面を見せたのを覚えている。

当時住んでた赤羽の家まで40分ほど歩いて帰った。役所から人の流れが赤羽まで続いてて、皆が同じ方向を目指して黙々と歩き、まるで山道のようだった。

家に入ると洋服ダンスが倒れ、XBOXが床に落ちていた。

翌日仕事休みで、一日中2chで実況してた気がする。

原発津波放射線濃度の不安による水の買い占め(都内の線量も結構上がってた)、それを煽って「東京はかわいそうになー」とか言いながら水道水をガブガブ飲む動画をあげる大阪のガキ、ネットでも相当カオスだった。

Permalink |記事への反応(0) | 07:53

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2025-02-24

どこかにビューーン!で長野に行って善光寺と猿を見てきた。

普段仕事に追われていると、いつでもできるのに後回しにしてしま物事がある。

有給取得なんてのはそうで、法令で年間に5日間取らないといけない。

いよいよ期限も迫っているというのにまだ使ってない有給が1日余っていたので、この連休に1日足して4連休とした。

しかし、なんの予定もないと、退屈のあまり目下の不安定な国際情勢でただ憂鬱ニュースを見ながら終わってしまいそうなので、JREポイントを使ってどこかにビューーン!のガチャチャレンジ

行き先は上越妙高に決まったのだが、スキーをやるわけでもない自分にとって、大雪以外何も思いつかない上越妙高では途方に暮れるだけかと思い、途中下車長野目的地にすることにした。

自分的には4連休のこの週末は世間的にも3連休なので、どこビュンの枠にそれ程自由度がなく、2泊3日とはいえ夜遅く長野に到着、帰りの便は午前という、2泊2日みたいな旅程となった。


さて当日、行きの新幹線長野到着は21時ちょっと前なので、長野名物は食べる暇がなさそうだと懸念したものの、新幹線が遅延なく到着したのと、駅直結のMIDORI長野レストラン街にソースカツ丼明治亭が入っていたので、少ない時間地元名物は食べられる様だった。


ソースカツ丼はカツが柔らかく、甘いタレが良くあって美味い。

先日訪れた新潟タレカツ丼似た料理だが、多分こちらの方がカツが厚めで豚肉存在感が大きい。

豚肉自体ほのかに脂の甘みを感じるが、タレも新潟のものより甘めな気がする。

卵で閉じるオーセンティックカツ丼も、新潟タレカツ丼もタレは甘しょっぱい醤油味で、結局のところご飯の上に載せる丼ものにするには、甘めの味付けが重要らしい。

薄めのカツを何枚も重ねて衣のクランチーな食感を強調した新潟タレカツ丼か、豚肉ボリュームと甘さを強調した長野ソースカツ丼か、双方試して差分を探すのも面白い


ホテルの方も予約に少し右往左往し、1日目を2日目で違う宿となった。

高いホテルを除いて1日目の枠で唯一予約可能だったのが長野駅前東横イン

東横インというとどれも一緒な退屈な宿かと思っていたが、久々に訪れると、まあ東横イン東横インなのだが、設備が真新しく綺麗に更新されていてよかった。不満と言えば枕が固かったくらい。

ちょっと質実剛健にすぎるぞ東横イン

ホテルでは頭が沈むフワフワの枕で寝たいので、ぜひそこは改善して欲しい。


未来亭のソースカツ丼


2日目は早めに起きて、朝食をとりチェックアウト。

お土産を買いに長野駅へ。

お土産屋さんは興味のあまり買いすぎてしまう。

できれば味と土地お土産としての格を両方備えたものを買って帰りたい。

雷鳥の里とみすず飴とくるみやまびこを買った。

自分用にはうまいのが確定している八幡屋礒五郎ゆず唐辛子を。

絶対的エース雷鳥の里以外に力のある2番手3番手もいる。

全国のお土産力で強いのは北海道京都を別格として、あとは福岡沖縄仙台新潟あたりがティア1かなと思っているが、長野戦線を伺うポジションくらいに入ってくるかもしれない。

よく考えたら一説1,400年近く前からあるとされる善光寺を抱えた歴史ある観光都市から、これくらいの力は見せて当然なのだろう。


長野電鉄の時間が合わなかったので徒歩で善光寺へ。

せっかく長野に来ておやきを食べずに帰るとそれだけで旅の達成度が3割ほど下がりそうだったので、参道おやきを買う。

野沢菜おやきうまいのだが、詰め物の野沢菜漬けの味が強いので、これは結構饅頭部分が重要なのかもしれない。

他の店だと焼き目の表面にちょっと香り油などを塗ってるやつもあって、店の味で大きく好みが分かれそうだ。

おやきを供する店は多いので、再チャレンジしたい。


参道の腰巻きビル?


善光寺について山門を写真に収めようとしたら、カメラコントロールホイールが回らない。

これはしまった、お土産を買うときに落下させてフレームを変形させてしまった様だ。

せっかくのコンパクト1眼なのにF値シャッタースピードも動かせない。

よりによってという感じだけど、10年は使っているし、普通に考えたら寿命とも言えるだろう。

もう壊れる時期だったのかもしれない。


急角度の階段にヒヤヒヤしながらの山門の見学や暗闇の中でドアノブを手探りするご開帳めぐりをした後におみくじを引いたら吉だった。

望禄応重山 花紅喜悦顔 拳頭看皎月 漸出黒雲間

漢詩なんで読み解きにはバリエーションはあり「財宝を望むなら山の様に集まる」という解釈と「財宝を望むなら山の様に(何かを)積んで応じろ」という解釈があるらしい。

後者なら気合いと思い切りが必要という意味だろうが、さて。


山門から望む善光寺


午前からうごいて名物を食べる時間も取れたので、善光寺の後は十割そば大善へ。

長野といえばおやきの次は蕎麦である

十割そばを食べたのは多分久しぶり。繋ぎがなくても繋がるものだ、ボソボソせずしっかりとした弾力があった。

さてこの旅程では実質動けるのが1日だった為、善光寺以外に動き回るのが非現実的な気がしていたが、実際調べてみると、温泉に入るサルで有名な地獄谷野猿公苑長野中心部からアクセスが意外と良く、13時迄に向かえば予定に組み込める事がわかった。

長野電鉄に乗るべく近くの駅、権堂に向かう。


権堂から特急に揺られて湯田中へは1時間弱で到着。

すぐに到着したスノーモンキーパーク行きのバスに乗る。

流石に外国人が多い。

スキーリゾートの出発点である長野からそもそも外国人が多かったのだが、この湯田中ではもう8割は外国人なんじゃないだろうか。

インバウンド好調日本観光でも例えば北海道なんかは有為韓国中国台湾香港の人が多いのに対して、長野は本当に世界中から人が来ている。

特に多いのはオーストラリア人らしい。

季節が反対のオーストラリアは今が夏。

夏のスキーリゾートついでに温泉に浸かる猿を見に来ているんだろう。


スノーモンキーパーク停留所からは歩きで地獄谷野猿公苑へ。

雪の長野などといわれる割に長野駅周辺は盆地なのでまったく雪が降らず、善光寺参りだけならこの時期でもスニーカー大丈夫だが、ローカル線で1時間ほど揺られるだけで待っているのが雪の山道となり、途端に足元が怪しくなる。

底の薄いスノーシューズを中敷き2枚重ねで補強してまで履いてきてよかった。


雪の山道の脇は無限の森林


滑る足元にヒヤヒヤしながら1.8km、だいたい30分くらい歩いて野猿公苑に到着。

黒山の人だかりを形成している外国人温泉の猿にスマホを向けている。

それにしてもなんで外国人あんなにセルフィーが好きなのか、猿と一緒に、もうとにかく自分のキメ顔を入れたがる。

君ね、もっとお猿に集中しなさいと言いたい。

猿の方はというと外国人自己顕示欲はどうでもいいという感じで、時々ファンサの気持ちよさそうな顔をしながら温泉に浸かっていた。

入浴シーンを人に囲まれるなど野生動物としてあるまじき状況ではあるが、動物動物環境には馴染むものらしく、水族館マンボウなんかもコロナで人が来なかった時にストレスで弱ったなんて話も聞く。

このサルも急に人が来なくなったらメンタルヘルス悪化するんじゃないだろうか?

朝の事故でもはやコントロールハンドルが効かないカメラだったが、自動設定に任せれば猿の顔は綺麗に撮れた。

10年の最後仕事としては良いんじゃないだろうか。


ファンサするお猿


野猿公苑から湯田中に戻り、今度は駅前の楓の湯で自分温泉に。

この楓の湯は300円というアホみたいに安い価格設定だが、立地もすごく、駅から近いどころか、駅のプラットフォームの反対側に施設があって湯上がりの休憩所の窓からホームに停車中の電車の中の座席まで丸見えという構造だった。

これなら余程ボンヤリしてない限り電車に遅れる方が難しい。

風呂浴びた後、朝に買って駅のロッカーに預けたお土産ピックアップする為、再び特急長野に向かった。


2日目の宿、ホテル犀北館チェックインして、夕食を食べに街に出る。

そばタレカツ丼おやき以外に長野の食のプランがなかったので、ざっくり地元食が食べられそうな感じの居酒屋に入る事にした。

普段晩酌をするタイプでもないが、せっかくなので壁に貼られた酒のポップを見るとみぞれりんご梅酒というのがあり、りんご長野名物という事でこれのソーダ割りを試してみる事にして、馬肉餃子と長芋の味噌チーズ焼きを頼んだ。

りんご梅酒は飲みやすくてうまいし、油っぽい餃子とも意外と合う。


続いて地酒大信州を頼んで、メインは昼に続いてそばにした。

大信州は今の日本酒のトレンドイチゴブドウの様な華やかな香りちょっと違う、リンゴの様なフレッシュ香りに後味に辛味がきてスッパリとキレていく感じで、飲んだ瞬間に「めちゃくちゃうまいな」となった。

そばとも本当に合う。

今度飲み会なんかでこの銘柄を見かけたら頼むと思う。


食後はホテルに大浴場がなかったので、部屋に戻る前に近くにある銭湯に寄って行く事にした。

旅行地元銭湯に行く事って珍しい、というかホテルのある地域銭湯があることってあんまりないのだが、たまたま徒歩圏にあり、ここは出発前にチェックしていた。

亀の湯は立っても腰まである深さの湯船を中央に置いて壁に向かった洗い場が囲む作りで、階段を降りた地下にサウナがある。

面白い作りなので、長野に行ったら寄ってみることを勧める。

全然知らない街で銭湯に入るのも結構いい。


最終日は帰りので新幹線が9:47分なので、観光する時間は全くない。

出来ることといえば駅ビル駅弁を買うくらいなのだが、ここで改札前に最後おやきチャレンジ

駅ビルMIDORI内の縄文おやきベーシック野沢菜おやきを買う。

昨日のものより小ぶりで、饅頭部分のボリュームが多いのだが、このしっかりした饅頭野沢菜塩味と良くバランスしている。

長野おやきの正解と思しき調和駅前で引けるので、長野おやきを求めるならまずはここで安定だと思う。


改札をくぐりプラットフォームサンドイッチを頬張る外国人を見ながら「長野で頬張るべきはおやきでしょ、まったく外国から来た人は分かってないね」などと思いつつはくたか556号に乗り込み、帰路に着く。

長野というと、スキーリゾート軽井沢という、頑強な肉体や財力に余裕がある人向けの観光地といったイメージだったが、そこまで気合を入れなくても、善光寺おやきに猿、スキーリゾートワクテカ外国人など長野から行ける範囲だけでも結構楽しめた。

急な休みができてしまい、どこに行こうかなと考えてるなら、一つ長野候補にどうぞ。


おケツをかくお猿

Permalink |記事への反応(2) | 15:37

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2025-02-23

ストレスの多い1日だった

今日は妻と子供2人で雪遊びに行った。

子供はまだ小さいのでリフト券は買わずキッズパークみたいな所で雪ゾリや雪だるまでも作って遊ぼうという算段だ。都心から比較的近いスキー場で、こぢんまりとした所なのでたいして人もいないだろう…と思っていたが甘かった。

しかったのはスキー場に着くまで。子供は初めての雪遊びに興奮しており、妻とも「スキー場なんて何年振りだろうね」と皆ワクワクしていた。

片側1車線の山道のぼりだんだんスキー場が見えてくると同時に不穏な気配が漂い始める。対向車線が完全に渋滞しているのだ。みな駐車場の入庫待ちだ。えんえん1kmは続いている。この列に並ぶのか…。ここまで来て引き返す訳にもいかず、車列に加わる。何時間かかるか分からいから先に遊んで来ていいよと妻と子に荷物を待たせて下ろす。遅遅として進まぬ牛歩の歩み。やる事もないしフェルミ推定でもするか。車列が1kmで車1台が5mとする。1台駐車できるのに1分かかるとすれば、200分…。その後は無心に耐え、1時間半ほどしてようやく駐車する。

妻子はもう遊んでいるかな、と思ったが己の認識の甘さを痛感する。入庫にこれだけ時間がかかるという事は、入場券を買うのもまた同様なのだ。ほぼ同タイミングで入場する。この時点で子供はかなり飽きており、妻もだっこ疲れで疲弊していた。

さあ遊ぶぞ!と思ったのも束の間、今度はレンタルの列が待ち受ける。妻にはその列に並んでもらい先に子供達を連れて遊びに向かう。しか手袋がないとまともに雪が触れないのは自明の理だ。結局レンタル品を入手するまではその辺をうろうろする他無かった。

ようやくウェアや雪ゾリを確保して妻に一言「俺の荷物は?」「ロッカーに預けた」「えっ…どこのロッカー?とってくるよ」「女子更衣室の中だから私が行かないといけない」なんだそりゃ。

要領の悪い妻に辟易しつつも遂に雪遊びに辿り着く。しかしこれもまた当たり前なのだが場内は芋洗い状態だ。ちょろちょろと動き回る子供をなんとか宥めすかし、雪ゾリの列に並びながら気を取り直して遊ぶ。とにかく疲れる。

そして朝早くに出たもののあっという間に昼ご飯時間だ。大人だけなら空腹を我慢してレストランが混む時間を避ける事ができるが子供はそうは行かない。お腹が減ると露骨に不機嫌になるのだ。もちんレストランは長蛇の列で、再び地獄の列に加わる。妻子には先に席を確保してもらい、おやつにと買ったチョコレートジュースを渡して耐えしのいでもらう。1時間ほど並び、ようやく腹を満たす。もう2時過ぎだ。

雪ゾリの列に再び加わりながら、ふとムービンベルトはどこかな?と思う。キッズパークにある、斜面を登るためのエスカレーターのようなものだ。子供は大層喜ぶだろう。あたりも見回しても見つからず、近くにいたスタッフに尋ねると「今日は混んでいるので運行を停止しています」そんなの聞いてないぞ!

子供もソリに飽きたので雪だるまを作りに行く。ここも地獄様相を呈しており、とにかく遊ぶ場所が無い。場所をなんとか確保しても今度は雪がない。人工雪なのでさして積雪していないのだ。必死に周囲から雪をかき集め、所用の目的を達成する。

また、ここまで記述していなかったがもちろんトイレ死ぬほど混んでいる。女子トイレに至ってはGWサービスエリアを思い出すほどの列だ。男子トイレはまだマシだったためよかったが妻はかなり辛かっただろう。

さて、ろくに遊んでないがもう4時だ。帰り支度を始めるがもちろんレンタル品の返却にも長蛇の列が待ち受ける。ただ返すだけなのになぜここまで混む…

心を無にして並び、ようやく車に乗り込む。帰り道は意外にも空いていた。

ここで最悪の選択をしてしまう。せっかくだから帰りにスーパー銭湯に寄って疲れを癒そうと考えてしまった。郊外の人の少なそうな所を選んだつもりだったが、地獄が再び待ち受ける。鬼混みなのだ駐車場への列に並び、意識をようやっと保ちながら入場。あっ、ごはんは?もちろんスーパー銭湯内のレストランも長蛇の列。その辺の牛丼屋などで済ましてくれば良かった…かなしいか精神を削り取られた我々にはそんな事も思いつかなかったのだ。

腹を満たし、風呂に入る。さして遊べず体力の有り余っている子供を御しながら帰路に着く。なお子供はすぐに寝た。

家に着き、妻は後片付けも早々に寝る。私は?もちろんまだ寝れない。せまいガレージに車を押し込み、濡れてしまったものベランダに干し、洗濯物をカゴに入れ、ようやく晩酌にありつく。妻は運転ができないので家に帰るまで酒は飲めないのだ。

とにかく疲れた……。精神的に。妻とはストレスによりかなりギスギスしてしまった。遊びに行ったはずがただただストレスを感じるだけだった。

今日の教訓を記載してこの駄文の結びとする。

都心から近いスキー場は混むので避ける事。

有給を取って平日に行く事。

・食料はコンビニスーパーで買って行く事。

レンタル品は事前にメルカリなどで安く揃えておく事。

連休にはスーパー銭湯に行かない事。

————

誤字脱字を訂正しました。

Permalink |記事への反応(14) | 22:44

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2025-02-16

バイクの国

ここは「バイクの国」。国じゅうには大小さまざまなエンジンを積んだバイクが走っている。50ccの小さなマシンから、3リットルもの大排気量を誇るモンスターバイクまで、その姿は実に多彩だ。

しかし、いくら見た目や性能が違っていても、公の場ではみな口をそろえてこう言うのだ。

「どのバイクも同じだよ。性能は変わらない。すべてはライダー努力次第だ」

それは一見、誰もが平等に見える、聞こえのいいメッセージだった。

この国には「義務レース」というものがある。12年間のうちに小さなサーキットをいくつか回り、定められたコースを走ることが義務づけられている。コースの長さやコーナーの数は微妙に違うものの、タイヤブレーキなどを自由カスタムすることはほとんど許されず、エンジン自体を改造するなんてもってのほか。つまり、持って生まれた性能で勝負するしかないのだ。

しかし表向きは、「どのバイクでも同じ。練習すれば勝てる」という建前がある。50ccのバイクに乗った少年は、懸命にハンドルを握る。でも、となりを走る3000ccのバイクは加速も最高速も段違い。どう考えても追いつけない。それでも少年は、「ライダーの腕が足りないからだ」と言われ、悔しさを抱えこんだまま次のサーキットへ向かう。

やがて、高校生となった頃に出場できるレースが少し増えた。それでも規定は相変わらず厳しく、エンジンの大改造は禁じられている。小さなタイヤちょっとだけ太くしてみたり、ブレーキを強化してみたりと、細やかなカスタム可能になったが、根本的な排気量の違いはどうしようもない。それでも周囲は、「まだまだいけるよ。努力あるのみだ」と励ましてくる。

大学生の年齢になると、確かに選べるレースは格段に増えた。街中を観光するツーリングのようなゆるいイベントから、国際レース舞台まで自由選択できるようになる。ただし、そこでもやはり参加資格試験があって、結果的に大きなエンジンを持つバイクが圧倒的に有利な場面が多い。表面的な自由は増えたように見えて、根本的な差は依然として横たわっていた。

ところが、いざ就職して大きなサーキットから飛び出してみると、一気に「なんでもあり」の世界が広がっていた。改造も自由コース自由。そこで初めて、排気量の小さなバイクたちは同じように走れるサイドコース山道を見つけたり、逆に大排気量バイクが扱い切れずに困っている場面に遭遇したりする。周囲の人々も、少しずつ「本当はバイクの性能はまちまちなんだ」と気づいていく。

それでも「バイクの国」は、相変わらず国全体としては「エンジンはみな同じ」と言い続けている。幼い子どもたちに伝えるメッセージは、今も変わらない。そんな国の姿に、50ccのバイクを駆る人々は時折、どうしようもないやるせなさと孤独を感じている。

Permalink |記事への反応(0) | 18:51

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