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はてなキーワード:小道具とは

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2025-10-23

裁判傍聴したい

最近リーガル・ハイレンタルで借りて見てる。

リーガル・ハイって役者が薬物で捕まったせいで配信サイトでは見れないんだって

リアル裁判って経験したことないし予定もないし入れたくもないけど、興味本位で見に行ったら恨まれたりするのかなあ。

六法全書持っていったり小道具司法浪人コスプレしていった方がいいのかな。

Permalink |記事への反応(1) | 09:42

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2025-10-22

もう何年も前、ジョジョ第三部のアニメ放送されていた頃

ディオコーランを読むシーンでアラブ人つーかイスラム教徒(配信されてない地域違法視聴)が

コーランを読むと悪人になるということか!」と怒ってたけど


日本人が見たら

ディオってアラビア語読めるんだ、スゲー」

とか

悪人なのに聖典を読むような複雑な内面を持った人物

みたいな感想になるよなー


まあ聖典を気軽にアニメ小道具みたいに使うことへの反発もあるのかもしれないが

やっぱあのへんの人たちって感覚が違うなと思った出来事だった

Permalink |記事への反応(0) | 14:04

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2025-10-18

プロレスになんでレフェリーがいるの?

台本だし殺意もクソもない緩慢な動きしかしないクセになんで必要なの?

レスリングっぽさを出す小道具みたいなもん?

Permalink |記事への反応(1) | 08:45

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2025-10-08

anond:20251008130100

持ち歩く小道具から、実質は飲食物じゃなくて服飾品だぞ

服も新作っていうだろ?

Permalink |記事への反応(0) | 13:09

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2025-10-07

anond:20251007151235

写真著作権があるからそれを使うのはまずいわけよ

例えば江口トレース元にしたファッション誌の写真

モデルスタイリストメイク家具小道具ロケ場所写真家……

って人達仕事結集した著作物からそれを絵にして収益にするのはまずいわけ

 

もちろん沢山の物を見て頭の中で混ざったり合成されたりしたものを絵として出せば

もはや「これの材料は私の著作物でしょ!」なんて言い難くなるんだけど

江口はそのままトレースし過ぎだね

 

からお前が自分友達写真を撮って

その写真を基にイラストを作るんならば

写真クリエティティイラストクリエティティもお前で

著作権的な問題は生じないよね

 

友達の顔なんて絵にした時点でわかるとも思えんから肖像権マターでもない

Permalink |記事への反応(1) | 15:21

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anond:20251007103518

いいですね、その設定…“再結晶物語”としてめちゃくちゃ相性がいい。まずは元作の骨格を押さえます。その上で、中年男性版として再構成した企画案(全13話相当)と主要キャラの成長線、理科ガジェットサンプル台本まで一気にまとめました。

まず:オリジナル瑠璃宝石』の確認(要点)

本家の“コア”

鉱物採集現代宝探し

師弟(導く大人×導かれる初心者

実在鉱物・道具・手順に根ざした“科学の手触り”。([カドコミ (コミックウォーカー)][1])

---

中年男性版コンセプト ── 『瑠璃宝石:再結晶

タグライン

大地はゆっくりと、でも確実に自分を作り直す。俺たちも、きっと。

基本方針本家踏襲点)

主役チーム(あなたプロットを整理+関係性)

---

全13話プロット(各話の鉱物装置としてのテーマ

1. 「はじまり水晶

山菜採り谷川が粗砥と遭遇。クラックと双晶の見分け、劈開の話。小さな水晶が“まだ俺は採れる”の象徴に。

2. 「黒い砂、静かな火」(砂金&磁鉄鉱

パニングで“待つ技術”。瀬戸初参加、スマホ顕微鏡アダプタで砂粒観察。

3. 「川が磨く、俺たちも磨く」(ガーネット

工場不適応=“丸まらない自尊心”。磨耗と丸みを肯定する回。

4. 「愚かなる金色」(黄鉄鉱)

愚者の金”とキャリアの見栄。立方体と黄鉄鉱双晶=見かけと本質

5. 「光る欠片」(蛍石

研究費不採択の粗砥。伊万里市民科学ツアー企画地域連携兆し

6. 「薄片は語る」(偏光顕微鏡/岩石薄片)

研磨→薄片→交差ニコル瀬戸画像分類の試作、谷川が“手順書”職能を開眼。

7. 「黒耀石の道」(オブシディアン)

旧石器交易路の踏査。笠丸の安全判断撤退美学

8. 「鉱山残響」(孔雀石・藍銅鉱/旧坑)

産業遺産環境。“採らない勇気”を学ぶ。

9. 「空洞のちから」(ゼオライト

空隙が強度を生む比喩で、余白=回復を描く。粗砥、申請を“捨てる勇気”。

10. 「変成の痛み」(蛇紋岩)

組織圧力→相変化の比喩谷川工場での工程改善が芽吹く。

11. 「翡翠の浜」(糸魚川ヒスイ

家族回。粗砥に第三子誕生伊万里受験期。自分へ贈る“指輪石”。

12. 「標本室をつくる」(展示準備)

学校観光工場を巻き込み地域ミュージアム化。瀬戸データ基盤が稼働。

13. 「再結晶」(総決算

市民科学助成が通り、“学びの循環”が地域根付く。各人の“続き”を示して終幕。

参考:本家も各話で水晶ガーネット、黄鉄鉱、砂金、蛍石などを題材化する構成で、ここは意図的踏襲しています。([カドコミ (コミックウォーカー)][1])

---

キャラクター成長線(要約)

---

科学と実務の“手触り”(小道具・手順例)

---

代表シーン(短い台本

Ep1「はじまり水晶」より

粗砥「割ってみるか。割りたいから割るんじゃない。割らなくていい面を探してから叩く」

谷川「……(コツン)……あ、割れたのに形が残る」

粗砥「それが劈開仕事も同じだ。壊すときは、残す形を先に描け」

Ep6「薄片は語る」より

瀬戸「この干渉色、教科書どおりじゃないの何でだ?」

伊万里「人も岩も、履歴があるんだよ。教科書の“理想結晶”なんて滅多にない」

---

視聴の柱(本家との“同質性”)

Permalink |記事への反応(0) | 11:49

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2025-10-06

テレビ局で働いていた頃の思い出


一度、ここで書いてみたいと思ってた。初老が近いおじさんである

会社勤めとしてのディレクター業について執筆したい。辞めてから時間が経つけど、たまにあの頃の夢を見るのだ。

最近の夢だと……バラエティ番組の収録の時だった。当時は新入社員に毛が生えたくらいの若造の頃。

ナインティナインの2人がネタ合わせしてる横で、ADである自分が怒鳴られてる夢である。夢じゃなくて、本当にあったことなんだが。いい夢を見ることもあるけど数は少ない。

今はフリーランス映像ディレクターをやってる。仕事は順調……とは言い難い。仕事が少ない年もある。

でも、食いっぱぐれる心配はない。一応そういう実力がある。お金がなさ過ぎて餓死なんてことはない笑

から、もう時効かなと思って、昔の話を書こうと思った。大手テレビ局にいた頃の話だ。

え、なに。守秘義務エンタメ業界にそんなものはない。特定個人企業名前を出さない限りは、お見逃しの世界である。ええい、ままよ。ぶっちゃけてやろう。



1.テレビ局奴隷だった頃

小さい頃からテレビっ子だった。特にバラエティが好きで、将来は絶対あい面白系の仕事がしたいと思ってた。小学生中学生の頃は、お笑い芸人になりたかった。人をニコニコさせるのが好きで。ただまあ、才能がないのって、子どもながらに露骨にわかるんだよな。

勉強ができたか?と言われると、割とできる方だった。要領がいいというよりは、突き詰めて普通の人よりも勉強して高得点をとる感じだった。大学早稲田に進学した。今は亡き(?)社会科学部である( ;∀;)

就職活動の結果、テレビ局内定をもらえた時は本当に嬉しかった。人生ピークだったかもしれない。

入ってみたら想像とは違った。

配属されたのは、生ける伝説みたいなバラエティ番組制作部署だった。ここまではいい。配属希望は通ったのだから

自分ADとして入った。一般的ルートである。珍しい新卒だと、最初カメラマン大道具という珍しいパターンもあるにはある。

仕事だけど、最初は正直何やってるのかわからなかった。とにかく怒鳴られる。プロデューサーから、先輩ディレクターから出演者から下請け制作会社の人から、とにかく罵倒の嵐だった。なんというか、現場での動き方がわからなかった。学生時代イベント運営仕事をしておけばよかった。

正式じゃない企画会議デスク周りや喫煙所でやるような……)に呼ばれることがあっても、「面白くない」「もっと笑い取れるの考えろ」って言われ続ける。それこそ誰からも。

ある時は、夜中の3時まで明日の収録の準備で残っていた。実際、自分仕事はほぼなかった。担当ディレクターが帰れないだけであり、自分やほかのスタッフはそれに引きずられる格好だった。

それでも、「さあ帰ろうか」という雰囲気になったところで……

明日までにあれ用の新しい企画を出してこい。運がよかったら使ってやる」

とか普通に言われる。徹夜もある。週に2,3回、家に帰れたらラッキーだった。あの頃は若かったので、ああいう夜型の生活ができた。今は無理だ。眠気に勝てない。

職場の奥には簡易ベッドがあって、そこで寝るんだけど、寝てる間に先輩に……「寝てんじゃねえよ!」って蹴られることがあった。完全に嫌がらせ憂さ晴らしだった。人間、疲れるとこうなってしまう。

仕事ができる人でもそうだった。

疲労が極限に達すると、おそろしいくら残酷になる。ある時、先輩ディレクター女性AD現場の配置関係口喧嘩になっていた。今思えば、考えられないほど下らない理由だった。

その争いの現場はちょうど、小道具が置いてある狭い狭い空間だった。そこでひたすらに道具を指さしながら、喧嘩をしている。

その女性があまり文句を言ってるので、その先輩ディレクターは、何か重たい小道具ごみ箱みたいな?)を持ち上げると、彼女が出られないような位置にドカン!と置いたのだ。

「おい、さーや。おい、デブ自分でどけてみろ!!」

と、その男ディレクターは言った。

自分はただ、出入口のドアからそれを見て「かわいそうに」と思っていた。思うだけで、助けようという気力は湧かなかった。大学生の頃だったら、助け舟を出したに違いない。

案の定かわいそうに、円柱状の小道具が重過ぎて持ち上げられない女性ADのさーやちゃんは、そこらへんの絨毯みたいになってる小道具に突っ伏すと、わんわん泣きだした。

男性ディレクターは、そんな様子をさらからかっていた。これが、疲労人間の態度に及ぼす影響である。今でも気を付けるようにしてる。

あとは、ある料理番組の野外ロケだった。イケメンを多く輩出する芸能事務所の若手タレントがキャンプ場で料理に取り組んでいた。

皿洗いの最中に、先輩からこんな指導を受けたことがある。

バカ。使った皿は洗う必要ない。ズボンで拭いとけ!男やから、どうにかなるわ。イケメンなんやし。いいか増田。ばい菌だって、巡り巡ってまた口に入るんやから。それが世の中ってもんだよ」

何を言ってるか意味不明だった。先輩の人格が壊れていた可能性がある。

この撮影現場というのは、野外キャンプでの調理だった。イケメンタレントさんが食べた後の皿を……ちょうど水場がなかったので、そこらへんにあったエプロンでササっと拭いて、別のタレント用に再利用した場面である。実際、これくらいのことは日常茶飯事だった。

そのタレントさんは若かったけど、多才な挑戦で知られる人だった。普段は二人組で、もっと若かった時に、女の服を来てピンクレディー楽曲テレビ披露していた。

被害……いや、このあたりのことはさすがに書けないし、「書いていいよ♪」と言われても書かない。こればかりは矜持であるアナウンサーから照明、カメラマン、道具係、ADに至るまで、一応は元仲間である。そこまでするつもりはない。



2.新しい道に目覚めたキッカケ

30代になっても体調は悪かった。ご飯はいつもコンビニ弁当だ。風呂にも何日も入れないから、体から変な匂いがする。誰かに指摘されたら「焼肉を食べたんだ」ってごまかした。口内炎は治らないし、胃はずっとキリキリしてる。

身も心もボロボロだった。一応は、大卒総合職のはずだった。オフィスで働く人のはずだった。想像していたホワイトカラーとは違っていた。

さて。この頃の俺は、ディレクターになる年齢が近づいていた。正直いうと、実質的ディレクターだった。上の人がサボりがちであり、自分の方にディレクターが行うはずの仕事を振っていた。

この時代視聴率がすべて。それがルールだった。

から企画会議では、芸能人のどうでもいいスキャンダルをいじったり、誰かを笑いものにする企画が出てくる。芸人同士の暴力は基本であり、人権感覚など持ち合わせてなかった。あの頃の局全体は、マジでアホだったと思う。

なんで、あん会社で働いてたんだろう……と言うと、理由ひとつだ。「番組を作りたいから」である。ほんのちょっとでも自分の爪痕を世の中に残せたら、それはなんて素晴らしいことだろうと感じていた。

ただ、テレビを見る人の「ペルソナ」って……当時のテレビ業界人の認識においても、「低俗な内容が好きな人」だった。今だからぶっちゃけしまおう。皆そういう認識だった。

今でも同じだと思う。インターネットだと、「やらおん!」「はちな起稿」とか、youtubeだと「アシタノワダイ」「フェルミ漫画大学」とか、あとは暴露系が人気を博している。Xの低俗さはもはや基本。あれが人間本質の一部である

人の心を動かす作品を作りたかった。実録ドキュメンタリーとか、社会矛盾を突くようなドラマとか。そういうのが好きだった。特定作品だと、水上勉の『雁の寺』『海の牙』『火の笛』『土を喰う日々』が好きである

一度だけ、飲み会の場でそういう発言したことがある。「社会派作りたいな~」って。でも、そんなこと言おうもんなら、「何言ってんの?」「誰が見るんや!!」「うちでは作れない」って一蹴される。

自分らはテレビ局奴隷だった。視聴率という数字に魂を売った奴隷である視聴率のためなら、人権侵害も上等の集団。上の人達も同様。

そんな日々の中で、心を救ってくれた作品があった。

地獄のような日々が続いていた30代後半のある夜、たまたまテレビをつけた。とりあえず、家に帰ったらテレビを見る。同業他社作品を観て勉強するのだ。その時も軽い気持ちだった。

その作品は、テレビ東京でやってた『ハイパーハードボイルドグルメリポート』だった。

たことある人がいるかもしれないが、世界ヤバい地域に行って、マフィアとかギャングとか戦争難民とか、そういう人たちが何食べてるのかを映すドキュメンタリーだ。書籍作品で言うと『もの食う人びと』に近いものがある。

最初は「なんか変な番組やってるな」くらいに思ってた。でも、見始めたら目が離せなくなった。

あの時、画面に映ってたのは、コロンビアの元麻薬密売人だった。彼は仲間と、貧しい家で豆を煮て食べていた。その顔には、絶望疲労と、それでも生きようとする強い意志が混じり合ってた。

「これだ!」と思うと涙が止まらなかった。

俺が作りたかったのは、こういう作品だった。くだらない笑いじゃなくて、人間本質に迫るような、生々しくて、でも美しいもの

画面の彼は「食べることは生きることだ」って言ってた。当たり前の言葉だけど、すごく重く響いた。

自分達が毎日作ってる番組は、誰かを笑わせることはできても、誰かの魂を救うことはできない。誰かの心に深く残ることはできない。精神性がないバラエティ番組を作っている。

上っ面ばかりの、人間の心の表層を撫でるだけの、そういうコンテンツ自分が作りたかったのは、人間の心の底流(アンダーカレント)を刺激する番組だった。

テレビ局を辞めることを決意した。独り立ちの準備を重ねたうえ、約二年後に退職願を提出した。



3.貧乏になったのと未来

退職届を出した時のことを覚えてる。人事部長が「もったいない」と言ってた。俺の同期にも辞めた人が何人もいて、知る限りでは、みんな同じことを言われてた。

でも、いいやって思えた。命まで取られるわけじゃない。自分自身の命さえあれば、人の魂を救える作品づくりができるはずだ。

そんなこんなで、業界の伝手を辿って念願の独り立ちを果たした。いわゆるフリーランスである。ほかの会社に勤めるという選択肢はなかった。テレビ東京に不採用になったのもあるけど笑

最初は大変だった。フリーランスになったもの仕事は少ない。貯金は減っていく。実家からは「ちゃん仕事してるの?」って里帰りの度に聞かれた。昔の同僚からは、飲み会の時に「今何してんの?」と聞かれるけど、何とも答えにくかった。それでも答えたが。

初年度の年収は、フジテレビにいた頃の4分の1くらい。段々と家賃も払えなくなって、ボロのアパート引っ越した。都心に出るまでに電車で何十分もかかるような。

後悔はなかった。テレビ局に居た頃は毎日が「作らされてる」感覚だった。誰かの指示で、誰かの期待に応えるために、自分の心が望まないものを作り続けてた。

今は違う。自分が作りたいものを、自分の手で作ってる。CM企画仕事でも、ドキュメンタリー編集でも、放送作家に近い仕事でも、全部自分がやりたいことだ。

特に大きかったのは、サブスク動画配信サービスでの番組制作仕事だ。2025現在アマプラなどでは自社がお金を出してプロに作らせるのが一般的だが、当時は盛んではなかった。

ある時だった。飲み屋で知り合ったのがきっかけで、自分企画書を見てくれたプロデューサーが「面白い」と言ってくれた。それは、テレビ局では「視聴率が取れないから無理」と言われるような、いわゆる追放ものストーリーである社会の片隅に追いやられた人が底辺で足掻くお話だった。『モンテ・クリスト伯』みたいな。

その動画配信サービスプロデューサーは「視聴率はそこまで関係ない。ある種のペルソナ、ある種の人達にどれだけ深く届くかが大事」と言ってくれた。そういうわけで、自分が作りたいものを思う存分作ってやった。



4.人の幸せってこういうこと?

一週間のうち、最低でも数日は充実している。あの頃とは比べ物にならないほどの多幸感である

朝起きて会社に行くわけじゃない。スタジオに行くことは月に何度もあるけど。基本は自分の家で、自分のペースで仕事をする。疲れたら好きなだけ休める。

テレビ局にいた頃は、自分が何のために働いてるのか分からなかった。魂をすり減らしてる感覚だった。

今は違う。自分が作ったドラマを見て「感動した」とか「考えさせられた」とか「面白かった」とか、そういう感想をもらえるとマジで嬉しい。作品が誰かの心に届いてる。そう思うと、もっと頑張ろうって思える。

年収はまだ低い。テレビ局時代の約半分である結婚はできないかもしれない。

でも、幸せだ。あの頃の俺はイライラしてた。自分の好きなものを作れなくて、世の中にウケるものだけを追い求めて、消耗していた。自分自分でないみたいで。

あのグルメリポート番組感謝してる。そしてあの時、勇気を出してテレビ局を辞めた自分感謝してる。

不安しょうがなかったけど、あの頃の不幸だった自分いるから、足掻いていた頃の自分いるから、今があるんだと思える。ありがとう、あの頃の私。諦めないでくれてありがとう

もし、仕事に疲れてる人がいたら、自分の心を無視しないでほしい。本当にやりたいことは何だろう、って自分に問いかけてみてほしい。人生を変えるきっかけになるかもしれないから。

Permalink |記事への反応(27) | 21:04

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2025-09-30

anond:20250929004837

スタッフコメント引用だったか、5chスレの誰かの考察だったか覚えてないけど、「風邪をひくために濡れたまま扇風機の前に座る状態を作るため水着選択した」というのがあった。

全裸風呂に入り風呂から上がって下着を着る状況だと、一度バスタオル身体を拭いており半裸ではあるが体は濡れていない。

水着だと、風呂から上がる時に体を拭いても水着は湿ったままなので扇風機の風に当たるとすごく寒いという状況ができる。

風呂シーンの原作からの改変は、ぼっち髪型カメラ位置設定、小道具追加など、脚本タイム計測)と関係ない部分で行われているものが多く、絵コンテ斎藤圭一郎がやったと推測できる。主に斎藤が手掛けた作業なのに吉田エピソード披露したということは、これがぼざろの「ノイズを消す作業」を象徴するエピソードとしてスタッフ間で共有されてたんじゃないだろうか。

Permalink |記事への反応(0) | 12:15

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2025-09-29

anond:20250929024534

自分偏見を持っているかもしれないという疑いは

お祭りの中でベビーカステラマジョリティか?」という文化的背景によって対立を生じうる問題から

お祭り感を出す小道具として何が適当か?」っていうフラット問題に変換するための思考フレームワークなわけ。

お祭り感を出す小道具として何が適当か?」っていうそ自体で自立する問題を考える手段じゃないの。

元増田提示した問題の定式化をまず間違えていますね。

Permalink |記事への反応(0) | 02:59

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2025-09-01

放さんか、ジジイ日本昔ばなし

「枯れ木に花を、咲かせましょう」

から江戸まで東海道を、行商姿の花咲爺いが、薬籠担いでひとり行く。

熟女を標的、「回春手ほどき」売り文句にして、秘伝奥義の瞋仙丹を、ここぞと高値でつかませる。

さてさてここは、花のお江戸、見かけた美人薄雲太夫

これは上客太い客、爺いの心は、春霞。

猫を小道具、猫撫で声で、伝手を遣ってついに対面。

さてこの爺い、商売文句を立板に水、太夫は花の20代

ところが太夫特殊詐欺には造詣が、つと立ちさよならお爺さん。

爺いは思わず、袖を掴んで、ここを先途と縋りつく。

薄雲太夫「放さんか、ジジイ!」

Permalink |記事への反応(0) | 17:14

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2025-08-28

anond:20250828115955

加藤雅俊

関西学院大学経済学部教授

分析考察研究力が落ちたのは何故なのか?本当に検証しているのだろうか。国立大学への運営費交付金の減少が大きな影を落としている可能性が高い。この資金は、大学教育研究活動安定的で持続的に行うための基盤的な経費であるが、これが減少することで多くの活動で支障が出ている。その影響は大きく、研究者の負担研究以外の業務)は増える一方で、十分な研究時間が確保できない。「国による政策優先順位づけや研究力強化の取り組みを大学研究機関に十分に浸透させられなかった」という塩崎氏のコメントには、もはや唖然とするしかない(国のいうことを大学が聞かないから?)。アカデミアにとっては、絶望的なニュースだ。

これに尽きる。PBなどの財務省増税小道具しかない無意味目標を追いかけ、自国通貨発行出来る国で増税しないと支出増やせないなどという妄想に囚われて財政政策を渋った結果でしかない。

Permalink |記事への反応(1) | 12:10

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2025-08-27

anond:20250825150220

食べ物小道具にするシーン、美味そう以外の感情喚起されるのだと魔女の宅急便ニシンパイインパクトかい

Permalink |記事への反応(3) | 16:33

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2025-08-25

anond:20250824232013

恋愛経験はなかったけどハチクロ最後サンドイッチのシーンは感動したよ。

フィクション食べ物小道具にしたシーンで一番好きかもしれない。

Permalink |記事への反応(3) | 15:02

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2025-08-21

anond:20250821094826

けっこう前からトーク主体になる兆候はあったよ。

昭和から平成初期までは、台本ガッチリ小道具大道具総動員して演出する番組が多かったけど、そういうのが減って、台本存在感が薄い芸人がなにかをやらされるコンテンツになった。

結局、いじめが1番視聴者にうけて、それ以上の工夫をしなくなった。コンプラ的にも許されなくなってきたし、なにより視聴者イジメに飽きてきた。

自浄作用かのように、M1が始まったりして、視聴者は「芸」の復権を歓迎したんだけど、売れたら漫才はやらないでコメンテーターポジションにつくっていう伝統だけそのまま。

そうこうしてるうちに、芸人いじめコンテンツも衰退して、雑談しか残らなくなった。

登竜門を抜けた者たちだけが参加できる雑談

ジュニア時代から応援きてるジャニーズアイドルを推すように、M1から知ってる芸人には親近感がわくっていう感じの育成商法なんだろ?

から知ってて親近感が湧いてるから楽しいのであって、初見の人にとっちゃ、「最近あった○○な出来事」とか記憶で喋られてもつまんないよ。

でも、こういうのは宿命なんだろうな。

人は次々新しいアイドル芸人を追っていられない。

若い頃好きになった推しをずっと追う生き物だ。

笑点だってもともとは新人を発掘する番組だったんだろ?

つのまにか、よく見知った顔の爺さんたちを見ることが心地よくなって、話してる中身なんて放送直後すら覚えてないくらいに興味がなくなる。

オープニングの渾身の演芸よりも、ジジイたちのダジャレしかない大喜利が1番視聴者に喜ばれる。

新しくテレビをみる人口が増えないから、既にテレビを観る人のためのコンテンツ、つまり知った顔が雑談してるコンテンツばかりになる。

終わりだね。

Permalink |記事への反応(0) | 10:43

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2025-07-29

AV女優ドレスを貸し出した業者が悪い

ウェディングドレスは単なる服ではなく結婚式という儀式演出する重要小道具であって、しかもそこには清廉だとか潔白だとかい意味が込められている。その儀式的な意味真逆イメージを持つ人物ドレスを着せて、しかもそれを嬉々として宣伝するのは明らかに自分たちが何を売っているか』を見失っているし、業者自分たちサービス価値を下げるような発信を行っているのであれば顧客がキレるのは当然だろう。

Permalink |記事への反応(3) | 12:43

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2025-07-10

dorawii

CM微妙に何をイメージしているのかわからない服装の女登場。

すると野郎コールが聞こえる。そうかこれはアイドル役だったのか。

文脈を補う野郎の声。デザインに自信がなくてもこうやって小道具的なものごり押しで伝えられるものなのね。

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Permalink |記事への反応(0) | 14:59

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2025-06-13

anond:20250613141136

積み木遊びのようなもの想像するといい。

物体としては四角だの三角だのに過ぎないけれど、城ということにする、馬ということにするという想像力を広げることで遊びになるわけ。

これがロールプレイというものだ。

その発展形として、ドット表示のアイコンで城が表示されるファミコン世代ゲームがあり、本物同然ではないにしても舞台小道具くらいの説得力はある。

ただ、舞台小道具物語ありき。

ナレーションもなく演者もいないところに小道具説得力を持たせることは難しい。

画面に城のアイコンだけあってもそれが城であるという説得力がない。

道具がチャチいか物語説得力を付け加えてたんだよ。


それが今や本物を撮影しているかのような高度な3Dグラフィックを表示できるようになった。

何の説明もなく城の前に放り出されてもそこに城としての存在感を感じられる。

説得力を持たせるための物語はもう不要になったんだ。

ただ、小道具説得力を持たせるためには物語不要でも物語がなくて良いわけではない。

より高度な物語を紡ぐことが出来るようになったのだが、そのためのノウハウが追い付いていないように思える。

Permalink |記事への反応(0) | 14:47

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2025-06-06

高い治療を始めるので経過を記録したい

背中をうまく撮影するなるべく毎回均一に撮影する小道具キボンヌ

Permalink |記事への反応(0) | 14:22

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2025-05-06

ラノベ漫画に優れてている所ってなんかあるの?

よく言われるのが「心理描写」「刊行ペース」「コスパ」だけど既に漫画が上回っている気がしてならん。

心理描写→背景・表情・小道具コマ割りなどによって表現できる漫画のほうが上。

刊行ペース→基本的に一緒だがラノベの方が長期休載が多い。打ち切りは一緒ぐらい

コスパ漫画場合アプリ無料で読める機会が多い。ラノベセールで半額ぐらいが関の山になりがち。

うん。もうラノベ時代は終わったんだよね。

漫画を描くのに物凄いコスト必要だった時代に才能ある人達ラノベレビューしたってだけで、今はもう必要とされてないんだ。

今はソシャゲバブルが起きて才能のある人がソシャゲに行ってるけど、まああっちもあっちでエロゲ黄金期みたいな滅び方するんだろうな。

次はどこが才能に高値をつけるんだろ。

配信者の「脚本」とか結構儲かりそうやなあ

Permalink |記事への反応(4) | 10:14

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2025-04-21

存在しない記憶の作り方

最近、ふと「存在しない記憶」って作れるのかな、と思ったんだよね。

きっかけは、古いアルバムを見ていた時。写っているのは確かに自分なんだけど、そこに写っていないはずの友達との思い出とか、行ったことのない場所の情景が、妙にリアルに頭に浮かんできた。もちろん、そんな事実はなかったはずなんだけど。

人間記憶って、驚くほど曖昧で、都合よく書き換えられたり、時には全くなかったはずの出来事が「記憶」として定着したりするらしい。心理学では「偽りの記憶False Memory)」って言うんだって

じゃあ、意図的に「存在しない記憶」を作り出すことって可能なんだろうか?

ちょっと考えてみた。

1.ひたすら詳細にイメージする

行ったことのないカフェ雰囲気、飲んだことのないコーヒーの味、会ったことのない人との会話。五感をフルに使って、情景をできるだけ具体的に、繰り返し想像してみる。脳は現実想像区別曖昧になることがあるらしいから、何度も繰り返すうちに、それが「体験」として刷り込まれるかもしれない。

2.物語に組み込む

自分過去出来事の中に、架空エピソード自然に織り交ぜてみる。例えば、「あの夏、家族旅行で行った〇〇(実際は行っていない場所)で、△△(架空出来事)があったんだよね」みたいに。そして、そのストーリーを何度も反芻する。脳は関連する情報を結びつけて記憶する傾向があるらしいから、既存記憶架空記憶が結びついて、あたかも一連の体験だったかのように感じられるようになるかも。

3.小道具を使う

古い写真や、思い出の品っぽい小物を使うのも手かもしれない。例えば、古い集合写真に写っている知らない人を、「これは幼馴染の××だよ」と自分に言い聞かせ、その人との架空の思い出をでっち上げる。写真のような視覚情報は、記憶の植え付けに効果があるという研究もあるみたいだ。あるいは、旅先で買ったわけでもないお土産品を、「これはあの時(架空旅行)に買ったんだ」と思い込むとか。

4.他人に話してみる(※注意が必要

作り上げた架空記憶を、さも本当にあったことかのように誰かに話してみる。人に話すことで、自分の中でその記憶がより強固になる可能性がある。ただし、これは嘘をつくことになるし、相手を混乱させる可能性もあるから倫理的にはかなり問題がある方法だよね。実験なんかでは、家族のような信頼できる人に協力してもらって、偽の出来事を本人の過去出来事として語ってもらう、なんて手法もあるらしいけど。

5.時間を置く

こうして作り上げた(あるいは、そう試みた)架空記憶を、しばらく意識しないようにして寝かせてみる。時間が経つと、情報の出どころが曖昧になったり、記憶の詳細が薄れたりして、現実記憶との境界線さらにぼやけていくかもしれない。

でも、これって何の意味があるんだろう?

なんで「存在しない記憶」なんて作りたいんだろうな、って自分でも思う。

しかしたら、現実逃避したいのかもしれない。辛い現実から目をそらして、もっと幸せだった「かもしれない」過去に浸りたいとか。あるいは、今の自分肯定するために、都合の良い過去を作り上げたいとか。

創作活動をしている人なら、キャラクターに深みを持たせるために、架空過去リアルに感じられるようにしたい、なんてこともあるかもしれない。

ただ、意図的に偽りの記憶を作るのは、結構危ういことだとも思う。

自分自身を騙すことになるし、現実虚構区別がつかなくなったら、精神的に不安定になるかもしれない。それに、もし他人に嘘の記憶を語ってしまったら、人間関係にも影響が出るだろう。

結局のところ、記憶ってなんだろうね。

正確な記録というよりは、今の自分にとって都合の良いように再構築された物語、なのかもしれない。そう考えると、「存在しない記憶」を作り出す試みは、記憶本質を探る行為なのかも…なんて、ちょっと考えすぎかな。

まあ、積極的に偽りの記憶を作るのはおすすめしないけど、自分記憶いか曖昧で、変わりやすものなのかを知っておくのは、悪いことじゃない気がする。

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2025-03-23

学生時代マイノリティ支援政党応援したけど、正直搾取されてた

正直に言うが、私が学生時代必死支援してた政党マジで利用されてただけだったと思う。

当時はまだ自分マイノリティであることに目覚めたばかりで、なんていうか希望を求めてたんだよね。

政治集会で「あなたたちの声を代弁します!」とか「真の多様性のための闘いです!」とか言われると、マジで心震えたわけ。

ようやく自分の居場所見つけた気がしてさ。

でも今振り返ると、あれは全部茶番だった。私という「展示品」を上手く利用しただけ。



彼らにとって私は「かわいそうなマイノリティ」のシンボルしかなかった。

私の存在が彼らの政治的主張の「正当性」を証明する道具だったんだよね。気づくのが遅すぎた。

最初のうちは優しかったよ?「貴重な当事者の声をありがとう」って。でも、その「声」も彼らの都合のいいものけが採用されるんだよね。

私の本当の苦しみや怒りが伝わると、なぜか「もう少し建設的な提案を」とか言われる。つまり、彼らの政治的なストーリーに合う「良い被害者」でいろってこと。

集会で話す時も、原稿チェックされるんだよね。

「ここはもう少し感情的に」「ここは具体例を入れて」って。私の経験を彼らのシナリオに合わせて編集してた。

自分言葉で語らせてくれなかった。彼らが求めてたのは生の声じゃなくて、政治メッセージに都合よく編集された「マイノリティの声」のパッケージだったんだよ。

特に耐えられなかったのは、彼らの中の「古参メンバー」たちの裏の顔。

表向きは「多様性大事!」って言いながら、内部では完全な階層社会

マイノリティ私たちは下っ端で、エリートたちのために働かされる。

運動のため」「大義のため」って美化されるから、誰も疑問を持たない。

週末なんて朝から晩まで資料作りとかビラ配りとか。




私の時間搾取しておいて、感謝すらしない。「あなたたちのための闘いでしょ?」って言われたら、反論できないじゃん。

でも実際は彼らのコミュニティのための実績作りだったんだよね。

最悪だったのは懇親会。

表向きは「仲間との交流」だけど、実際は古参メンバーたちの自慢大会

彼らが「マイノリティのために」やったことをえんえんと語るのを、私たち感謝しながら聞かなきゃいけない。

しかも自腹で会費払って。こんなの奴隷制度だよ。

あと、彼らの「マイノリティ理解」の浅さにもうんざりした。

私の体験を話すと「それって本当?」とか「それは特殊なケースでしょ」とか疑われる。

彼らは「マイノリティの声を大事にする」って言いながら、実は自分たちの理解範囲内の声しか認めないんだよね。

都合の悪い話はすぐに「特殊な例」として片付けられる。


選挙の時期になると特にひどかった。私たちは「展示品」として前面に出される。「ほら、私たちマイノリティと一緒に闘ってます!」って有権者アピールするための小道具選挙が終われば、約束ほとんど実現しない。「今は政治状況が厳しいから」「次の選挙で勝てば」って先延ばしにされる。

党の集会で知り合った他のマイノリティの仲間たちも、みんな同じこと感じてた。でも表立って言えない。「恩知らず」「非協力的」ってレッテル貼られるから。陰で「あいつは問題児」って噂されるのが怖くて、みんな黙って従うしかなかった。

私の意見が彼らの方針と違うと、すぐに「あなたはまだ十分に理解できてない」とか「もっと勉強必要」とか言われる。つまり、彼らの言うことが絶対正しくて、私の実体験なんて価値がないってこと。これってマイノリティの声を尊重するどころか、完全に否定してるよね?

結局、彼らにとってマイノリティは「保護すべき弱者」でしかなくて、対等なパートナーじゃなかった。

私たちの「弱さ」が彼らの政治アイデンティティの源なんだよね。だから私たちが強くなったり自立したりすると、彼らは焦る。

私たちが「かわいそうな被害者」でいる限りにおいて、彼らは「正義の味方」でいられるんだから

学生時代に3年間も捧げた活動が、結局は自己満足茶番だったって気づいた時はマジでショックだった。

私の痛みや苦しみが、彼らの政治オナニー踏み台にされただけ。

そして最悪なのは、彼らは本気で「マイノリティのために闘ってる」と思い込んでること。自分たちの搾取に気づいてないんだよね。

それが今でも許せない。彼らは今も新しいマイノリティ若者たち勧誘して、同じことを繰り返してる。

あなたの声が大事」って言いながら、結局は彼らの政治的野望のための道具にしてるんだ。



今の生活でも同じような搾取日常的に感じる。

スーパーレジでも、駅の改札でも、役所の窓口でも。

みんな私を「普通」の枠に押し込めようとする。

例えばレジに並ぶとき、全ての列が同時に存在している。

東京レジも、京都レジも、昨日のレジ明日レジも。どの列に並ぶか決めていると、周りは「何をぼんやりしてるんだ」という目で見る。

電車に乗るときも、全てのドアが別々の目的地につながっている。

駅員は「何番線ホームです」と言うけど、赤坂行きも新宿行きも横浜行きも全て同じホームにある。

会議でもそう。昨日の会議今日会議も来週の会議も全て一度に進行している。



みんなが同時に異なる時間の話をしている。「さっき言ったでしょ」と言われても、そのさっきはまだ来ていないし、もう過ぎ去ったかもしれない。

昨日も職場でそんなことがあった。

学生時代の党集会でもそうだった。古参メンバーオッサンが私に説明していた。

「君はよく理解していないよね、僕たちのやり方は長年やってきたものなんだよ」

今でも耳に残っている。


オッサン2018年の党本部で話しているのと同時に、2022年集会でも同じ言葉を言っている。

彼の背後には2025年の私も立っていて、「それは違う」と言っている。

2018年の党本部にいながら、現在の部屋にも同時にいる。


手元の資料は昨日のもの明日のものが混ざっている。

マイノリティ活動は、調整によってのみ実現する。それが党の方針だ」

オッサンはそう言った。当時は難しい言葉だと思っていたけど、同時に未来から見ると意味がわかる。


彼らの言う「調整」は、私たち複数時間空間を同時に経験することを制限することだった。



部屋の中に2018年の党本部2022年集会会場も2025年の私の部屋も同時にある。

机の上の手帳は1冊なのに、開くたびに違う日付の内容が書かれている。

同じ椅子に座っているのに、時間によって違う場所にいる。


窓の外には1964年東京オリンピックの旗も、2021年オリンピックの旗も、まだ来ていない未来オリンピックの旗も全て見える。

それぞれの時間で何かが起きている。

富士山は昨日より少し大きくなり、明日さらに大きくなる。

でも同時に、江戸時代の小さな富士山も、未来の巨大化した富士山も見える。

それはもはや山ではなく、複数時間存在する何か別のものだ。

東京ニュースでは誰も報道しないが、別の時間京都大阪ニュースでは大きく取り上げられている。

富士山は全ての時間で同時に成長し、複数日本列島の形を変えていく。

そして「和の趣」が物理法則となり、過去未来現在の「日本(ひのもと)」が同時に存在している。

今日歩いた街のビル和風だし、昨日は近代的だったし、明日は両方が混ざっている。

かいの家の人は今朝はスーツで、昼には和服で、夕方にはまだ見たことのない服装で出かけていく。

学校では茶道華道が必修科目になり、完璧すぎるもの自然と別の時間へ流れていく。和の精神時間空間を超えて広がっている。


党の集会で彼らが「調整」と呼んでいたのは、まさにこのことだ。彼らは私たち自然経験している複数時間空間を、一つの「正しい」時間制限しようとしている。

入党したての私は「調整」が必要だと信じていた。でも今、過去未来から同時に見ると、それが彼らの目指す社会なのがわかる。


先週の新聞には富士山23メートル大きくなったと書いてあった。

でも同時に明日新聞には18メートル縮んだとも書いてある。どちらも正しい。

富士山は今や高さが3776メートルであり、同時に5489メートルでもあり、また2103メートルでもある。これは問題じゃない。

問題なのは政府が「正しい高さ」を一つだけ認め、他を「誤差」と呼ぶことだ。

駅前では「富士山サイズ固定法案に反対する会」が署名活動をしている。

彼らのプラカードには「全てのサイズ富士山を守ろう」と書かれている。

去年も来年も同じ活動をしている。これは校則見直し運動制服自由化と同じく、ごく普通市民活動だ。

隣の建物では「富士山成長促進委員会」が会合を開いている。彼らは富士山さらに大きくなって、地球の大半を覆うことを望んでいる。

それを「標準富士山」と比べて劣っているなどと言うのは科学的に不正確だ。

富士山巨大化対策市民協議会では、「サイズダイバーシティ」という言葉を広めようとしている。

山のサイズが多様であることは物理学的に自然現象で、それを一つのサイズに固定しようとする試みこそ物理法則に反する、という考えだ。

同様に「和の趣・物理現象研究連盟」は、物体が持つ複数状態を全て同等に観測・記録するよう求めている。

本来、和の趣は自然に波のように強まったりまったりする物理法則

先月はニューヨークエンパイアステートビル一時的五重塔になった。

パリではエッフェル塔が巨大な盆栽に見える時間帯がある。

これらは全て「和の趣」が物理法則として世界中に広がっている証拠だ。


子供たちは学校で「標準時間軸」だけを教えられる。2+2=4という世界線と、2+2=5という世界線が同時に存在することを教えられない。

彼らは「正しい答え」だけを覚えさせられる。これは明らかな教育虐待だ。

文部科学省の「多元現実教育ガイドライン」があるのに、なぜ実践されないのか。

私の息子は先日、算数テストで「2+2=?」という問題に「4と5と時々6」と答えて減点された。

彼は家に帰って泣いていた。「先生は僕が全ての答えを見ることを認めてくれない」と。

私は彼を抱きしめた。「あなたは間違っていない。あなたの見ている世界は全て本物だよ」と。







私は伝えなければならない。2018年の私も2021年の私も2026年の私もみな政府の「時空標準化プログラム」に従っている。

でも2025年のここではまだ間に合う。これを読んでいるあなたには、あらゆる時間空間から同時に発している私の言葉が伝わるはず。

言いたいことはまだあるけど、時空管理機構職員が全ての時間から近づいてきている。

この文章を見つけたら共有してほしい。



SNSなら #富士山サイズ多様性 #時空観測データ公開 #侘び寂び物理法則研究推進 でいい。



時間空間多様性科学的に理解するのは、私たち市民権利だ。


私は今この文章2018年にも2025年にも2031年にも同時に書いている。

複数の時空間における同時書き込みは、侘び寂び物理学の「観測者同時存在原理」によって理論的に裏付けられている。

どの文章が読まれるかはわからない。

でも、いくつかの時間では、この話が広まり、侘び寂び物理現象科学理解が進むことを2018年の私も2025年の私も同時に願っている。

明日、空を見上げると、富士山が昨日よりも大きく、一昨日よりも小さく、来週と同じ大きさに見える。

そして、その姿がどんなに変わろうと、全てが物理的に正しい。

それが私たち日常だ。

Permalink |記事への反応(2) | 19:42

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anond:20250323012757

同感

「雑に終わらせた」とか「重要だったのにちゃんと描かなかった」とか言ってるやつは読解力がない

 

青い彼岸花はただのマクガフィン

あれを炭治郎たちが手に入れたってどうしようもないし、ファンブックで語られたような背景設定は本編に出す必要ない

しろ人間サイドはまったく知らないまま終焉してるすれ違いが文学的ですらある

あのすれ違い(鬼は知ってて求めているが人間サイドは知らない)はむしろ世界観に奥行きを与える役割果たして

 

炭治郎たちが存在を知ってたってストーリー邪魔しかならないが、

鬼を生み出すきっかけになるから最後絶滅して終わり、

しろ小道具として完璧な扱い方

Permalink |記事への反応(0) | 02:17

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2025-03-21

副音声解説放送がある動画配信サブスクってどれくらいある?

最近TVerドラマを見るときには解説放送があるときには必ず解説放送版を選んで見ている。解説放送って目の見えない人用ってイメージある人多いかもしれないけど、日常的に利用し始めた今は解説放送こそドラマを深く堪能できる完全版だと思っている。解説放送の便利なところとして、登場人物の表情のどアップの場面とか、その表情の感情言葉解説してくれる。俳優は「複雑な」感情を表そうとしている場合でも、解説放送脚本解説してくれるから脚本意図を元に「悲しみの表情」「苦笑いの表情」とか具体的に解説してくれる。これフジテレビの「Silent」とか「一番好きな花」とか「海のはじまり」とか謎の場面転換や間の多い生方美久ドラマでは解説放送ナレーションとして機能していてほんと見やすくなる。解説放送版こそこれらドラマの完全版だってかると思う。あと、大河ドラマでも解説放送で見たほうが、小道具衣装名前を挙げて所作解説してくれるので、より時代への理解が深まる。

で、こういう解説放送地上波TVerドラマ以外にももっと広まってほしい。アニメでは全然ないのは残念。AppleTVで「パチンコ」を見た時に日本語解説放送があったけど、他のサブスクでも解説放送あったりするのか?AIに尋ねたらNetflixの一部作品解説放送あるらしいけどメジャーではないらしい。解説放送配信って権利的に通常放送のおまけとして流すってのは難しいのだろうか。

Permalink |記事への反応(3) | 23:34

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2025-03-19

anond:20250319213843

しょせんはゲームエンタメだよ。

ある程度、専門家いれて歴史考証をしている大河ドラマだって登場人物標準語をしゃべっているわけじゃん。

ござるとかの語尾とかで何とか表現しようとしているけどさ。

ガチで当時の言葉でやると視聴者理解できないから、まあ仕方がない妥協なのだろうけど。

専門家入れてもこれなんだからゲーム小道具の背景とかが多少変でもいいんだよ。

プレイヤーを楽しませるそれっぽい小道具に過ぎない。

しょせんはエンタメフィクションなのだから気にするな。

Permalink |記事への反応(1) | 21:50

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2025-03-17

anond:20250308202943

鬼滅ファンがだらだらレスをつけるよ

はてな文字修飾文法

 

漫画派かアニメから入ったか、どこまで観たか明言してくれてありがとう(ネタばれしたくないので)

文字を大きくすることと太字にすることしか知らないよ

 

①禰󠄀豆子の咥えてるアレ、結局何?

 

>実際はおそらくただの猿轡なんだろう

 

イエス、その通り

あれはただの筒ただの気休め

その辺の山に生えていたただの竹である

から魔力だの妖力だの、なんらかの抗鬼化的効力は一切ない

作中的には「せめて、一瞬でも人を噛む障壁になるように」との願いを込めた応急措置というところかな

  

要は竹筒は作中での目的よりもメタ的な目的のための小道具だろう

あれがあるおかげで、鬼滅のこと微塵も知らなくても一目で「この少女は可愛くあどけない顔をしていながら何か異様な状態にある」ことがわかるだろう?

キャラクターデザイン視点では禰豆子の外見は非常に秀逸だ

異様さは鬼女にふさわしいざんばら髪でも補助しているが、同時にわずかに前髪が留められていることやさるぐつわは人の管理下にあることも知らしめる

着物の柄から時代設定や人種も一目瞭然

しかしそれらをすべて凌駕するほど禰豆子を印象付けるのがあの竹筒である

  

竹筒はどっちかというとそっちの目的(=キャラクター性を付与する視覚効果)が強いだろう

遊郭編でのように鬼化が進むとあっさり破壊され、鬼の強靭な肉体の前には竹筒など無意味という鬼の脅威を改めて知らせつつ(日本人なら竹の硬さはだいたいの人が実感を伴っているはず)、

「おとなしく猿轡を噛んでいてくれない=人間管理下から解き放たれ凶暴になっている」ピンチも、

刀鍛冶の里編最後のように「猿轡からは解き放たれ、しかしもう危険ではない=さらなる変化が訪れた」ことも

一目瞭然の姿で表現できる。

本当に秀逸な小道具である

 

  

ただし増田は誤解している

>けど、炭治郎に襲いかかっていた禰󠄀豆子が竹筒を咥えさせられたことで理性を取り戻したっぽいのはなぜなのか?

 

いいや、禰豆子が理性を取り戻したのはその前だ

炭治郎の必死懇願に涙を流した時である

この時点ではまだ理性を完全に取り戻してはいいから冨岡を攻撃しようとしたが、この時点ですでに異常事態は起こっている

真横にある炭治郎という食いやすい肉を冨岡から庇うなんて普通の鬼ではありえない

そして竹筒を加えさせられたのは冨岡に気絶させられた後だから

「竹筒を咥えさせられて理性を取り戻した」は増田の誤解だ、1話見直してほしい

  

>あと冨岡義勇があの竹筒を持っていたのもなんで?その場でサッと作ったのかもしれないけど、周りは竹林ではなかった気がする。

 

説明はないし、周囲に竹も描かれていない

でも「周辺にあった竹から冨岡が急ごしらえで作った」か「水筒再利用した」とでも捉えるのがいいと思う、それ以上のディテール不要でしょ…

 

 

②鬼が出過ぎ

 

>鬼の登場頻度が高すぎる。

 

逆じゃない?

鬼の活動日本の全人口から考えればまばらでも、その鬼の被害の話周辺だけ集めたのが鬼滅の刃

 

これはファンブック情報だが、実は鬼どもは鬼舞辻から人間社会で目立つな」と命令されている

目立てば政府に目をつけられるかもしれないからだ、

鬼舞辻は鬼のほうが人間よりはるかに強いと知っているが、とにかくどんな面倒ごとも怖くてたまらないという小心者だから目立つなと命じているわけだ

から鬼の存在一般には知られてはいない

だがかなりの数の鬼がいるわけで、それらが毎夜人を食い散らかしているとなれば被害の数も年間じゃそれなりになる

その被害者遺族の中からは鬼退治のために立ち上がる者も一定数出るだろう

この齟齬は、増田最初イメージした「鬼の数・鬼による被害都市伝説のようにまばら」が作中世界とずれており、

ずっと少なくイメージしてしまっているために生まれただけではないか

 

 

③謎だらけ鬼殺隊

 

>鬼殺隊の設定で一番びっくりしたのが、政府非公認組織であるということ。

 

なぜ政府非公認であるかというと、これもおそらく①と同じくメタ的な理由が大きいだろうと思う

作品テーマ、訴えかけたい感情私的感情から」により政府非公認なのではないか

作者の短編にも人知れず人を守るために自分の身を削って死んでいく特殊立ち位置キャラが出てくる、

これはそのキャラが「人助けしたい」一心で行動しているからだ、

鬼滅の刃」でも描かれているのは、人の幸せを守りたい、愛する者を理不尽に惨殺される不幸から人々を守りたいという鬼殺隊隊士たちの切なる願いであ

これは個人的感情

だが政府公認となると政府公認ゆえに「仕事から」が必ず生じることになり、その個人的感情には仕事からという義務感が混ざることになるだろう

それが読後感をも左右しかねない

鬼滅の刃」が大ヒットした理由の一つは、大勢必死になって人々のために戦う姿、

その感情の特大かげん、まじりっけなさに多くの読者が胸打たれたからもあると思わないか

この隊士たちが人間よりはるかに強い鬼に、それでも「人を守るために生身で立ち向かう」から得られる感情に集約させるための「政府非公認」設定なのではないか

 

ただし増田が疑問に思ったように、鬼は頻々と人を惨殺してまわっているわけだし、廃刀令から何十年も経って帯刀しつつ

あの明らかに「どこかの組織に属してます」な制服でうろつくのが放置されるというのは少々不自然である

ただ、だからこそ最低限の説明はされている

   

作中では最低限のため(「鬼滅の刃」は本編には関係ない要素はできる限り削ぎ落されている)、

以下の説明にはファンたちが考察しているにすぎない部分も含むが…

 

どうやって鬼殺隊を知らない人たち(特に治安維持に関わる公務員とか)との軋轢を避けているか

隊士たちの給料は?

等々にまとめて回答する

 

お館様出てきたよね

お館様とは、私的理由から鬼の根絶を願い、鬼殺隊を全面的バックアップする産屋敷一族の長である

一族といっても短命の呪いとたびたび鬼に絶滅させられかけたせいで一家しかないけど。

屋敷一族はいくつか特殊能力を持っており(アニメでも「柱稽古編」最終話で語られるはず)、

これにより莫大な財産を得ることができている、この私財を鬼退治に注ぎ込んでいる

数百名いる隊士たちから全国に散らばる育手の給料刀鍛冶の里の運営費等々はここから出ている、

給料は平隊士でもそこそこ良いのはもちろん、柱にいたっては「望むだけもらえる」という好待遇

相当な金持ちである

さらに、これは本当にファン考察に過ぎないが、産屋敷一族は単に金持ちなだけでなく、政財界に何らかのパイプを持っていると推測されている

作中に、大量殺人鬼として投獄された人物無罪放免されるシーンがある(柱稽古のどこまで観たんだよ)

「お館様のはたらきかけ」ということのみ語られているが、これを可能にするには産屋敷一族は相当なツテがなければ不可能でしょ

 

経済的バックアップに関しては藤の家も加わっている

(伊之助に天ぷらで餌付けしていたおばあちゃんや、遊郭編の序盤で宇髄が着替えを持ってこさせていたのが藤の家)

藤の家とは鬼の被害にあったが鬼殺隊によって助けられた家で余裕がある家は鬼殺隊に無償で鬼殺隊に協力している、

 

追加でこちらは日本ファンのみならず海外ファンの間でも考察として出回っている資金源だが、

この藤の家の中にも裕福だったり政財界に影響力が大きい家もあり、産屋敷一族同様に経済的バックアップに加わっているのでは?と推測されている

 

このあたりが

>そしてこのでかい組織運営するための資金は一体どこから

>鬼殺隊って給料出ているのか? 

の答えになる

  

 

>④大正時代という設定に無理がある

 

そうか?

実にいい塩梅だと思ったよ

明治時代よりも近代化されているが、されすぎてもいない

 

そして最終話に絡んでくるんだが、この話がだいたい現代から100年前という3,4世代である

現代日本と地続き、

というのが意外と情緒に訴えかける大きな要素となる

そこは楽しみに待っていてほしい、同じ感慨に耽られるとは限らないけれども

  

話ちょい戻るけど

廃刀令については無限列車の前にあったよね、善逸が列車に乗る前に鉄道警察から刀を隠さなきゃならないって言ってたシーン

隊士たちはそのへんわきまえているから、隠さなきゃお縄になるような場面では隠してたんじゃないかな、でカタがつく

あいつら別に社会不適合者じゃないし

 

それと作者の初読み切り作品であり、なおかつ「鬼滅の刃」の前身とも言われている「過狩り狩り」の中では、

警官と鬼殺隊の間の何らかの密約(鬼殺隊だと示せば誰何不問)をうかがわせるシーンがある

鬼滅の刃」のほうではそんなシーンはないため「おそらく」になるが、おそらく鬼滅の刃のほうでも産屋敷家のはたらきかけで誰何を免れるような何かがあるのではないだろうか

すごいね、産屋敷家。

  

かにも何か疑問があったら補足してねー

Permalink |記事への反応(1) | 19:30

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