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はてなキーワード:専門学校とは

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2025-10-21

https://anond.hatelabo.jp/20251020202410

中学校専門学校で教えれば?

Permalink |記事への反応(0) | 10:54

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2025-10-20

anond:20251019204113

の子はどうせ大学行ってもインターン優先よく欠席してるらしいし

知識必要なら専門学校で2-3年でちゃん勉強させた方が良くない?

Permalink |記事への反応(0) | 19:36

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anond:20251019203414

現代構造のままそれやると多分大卒必須資格職だけで大卒枯渇して

官僚もエリサラも全員専門卒とかなるんでないの

サイキラジオ先生が昔よく言ってたけど

戦前見たいに医学専門学校とか師範学校とか復活させた方がいいと思う

Permalink |記事への反応(0) | 19:34

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2025-10-19

anond:20251019203414

5%は流石に足りなくね?

日本IT関係エンジニアサイエンティストも足りてないのに

職業訓練校としての高等教育機関を拡充することそのものには賛成するが、

海外だと大学を名乗らない専門学校でも学位授与できる機構があったりするし、そこは柔軟性あればいいんじゃない

というか最終的には7割くらいの労働者学士くらいになってもらわないと生産性保てないのでは

Permalink |記事への反応(1) | 20:41

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大学進学率を下げることを否定する人ってマジで理解できないわ

どう考えても大学進学率は5%くらいまで下げたほうがいいだろ

大学学問をやるところであって、専門的に学問をやるのは一部のエリートだけでいいし、それ以外は専門学校に行くか早く就職したほうが人手不足解消にもつながる

Permalink |記事への反応(12) | 20:34

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2025-10-18

自分いじめていた弟が結婚する

弟が結婚するようだ。いつのまにか。

弟は「良い奴」だ。明朗快活で行動によどみが無く、それゆえ友好関係も広い。物怖じしない性格で、自分の望みを果たすためには投資をためらわない。中高で入っていたバスケットボール部ではキャプテンを務め、体育祭では応援団長の役目を買って出ていた。なんというか、いわゆるクラスの一軍である

弟は専門学校を出たのちに、水産系の企業就職した。船に乗って遠洋に出ていたこともあった。いまは別業界転職しているが、話を聞く限りどうやら職場人間関係は良好で、金払いも良かったようだ。僕は大学院生なので、弟に高い食事を奢られたことがある。

僕は弟のことが嫌いではない。それどころか、むしろ応援している。弟は、僕にできないことができる。まごうことなく「人間」をしている。僕は忙しそうにしている店員さんに遠慮なく自分要望を伝えることができないし、友達を家にたくさん呼んで、楽しくお酒を飲んだり笑い話をするなんてこともできない。はっきりと言うが、なにかこの状況に不足があるとするならば、それは僕にあると思う。どちらかといえば僕がひとでなしなのだ。自己の土台があやふやで弱く、諸般の「実際」に関わる能力に劣っているのだ。

ところで僕は幼少のころ、弟にいじめられていた。兄にも関わらず。年子なので年齢差は小さかったし、弟の方が身体が大きく、力も強かった。下賤な言い方をすると、「オス」として優秀だった。

食卓で、弟の好きなものを先に食べたら、肩を箸で刺されたことがある。僕は、そこで泣いたりしたら負けたことを認めてしまうと思って、余裕を見せるアピールのつもりでへらへら笑っていたが、実際ものすごく痛かった。傷跡は25になった今でもはっきり残っている。ゴキブリ用の殺虫スプレー顔面に散布されて、顔の筋肉麻痺痙攣したこともある。母親が外出中でのことだったが、当時、母には打ち明けられなかった。中学生になっても弟が怖かった。共用のWiiU占有されていた。弟が塾通いで不在の時にだけ、ひそひそ隠れてゲームをしていた。暴力や、人格否定が怖かった。自分の弱さを突き付けられるのが怖かった。僕は勉強机に「死にたい」と書いた。希死念慮というほど固まった願望ではなく、本当に死にたかったわけではない。ただ、自分の弱さと、居場所の無さに情けなく、それら問題を誰かにどうにかしてもらいたかった。母にそれは見つかり、「命は大切にするもの」と叱られて終わった。ささやかでみじめな抵抗だった。

から結婚の報せを受けたその瞬間のこと、僕には目立った感情の動きがなかった。驚きがなかった。ただ、「まあ、だよな」との納得があった。嬉しさもなかった。「まあ、これは弟の話で、人生で、兄の自分のことではないからな」と、頭に自分と弟とを分別して考える壁が生えていた。置いていかれる悲しさもなかった。「まあ、自分結婚できないのは当然だし、他人から愛を感じたこともないし、そういうものだろうな」と受け入れた。

僕は後付けで感動した。感動しておくことにした。こういうとき、兄ならば結婚を祝福するのが普通だろうと思って、「おめでとう」と言い、表面上喜んだ。

僕はひどく自己嫌悪した。僕はなんという砂漠で、渇いていて、不気味なんだろうと思った。弟の結婚ひとつも、心根から喜べないのか? どこまでも人間のロールプレイで、周りの真似事で、そして愛を受け取れないのか? 弟にいじめられていたからだろうか? もし弟に昔のことを誠心誠意謝られたら、僕の中に情動は沸き起こってくるのだろうか? こんなことを考えていては、慶事に対する何かしらの冒涜ではないだろうか?

これは嫉妬ではなかった。弟は僕にとって、嫉妬を抱く対象ではない。ステージが違いすぎる。比べても仕方が無い。だからこそ、余計に自分が目立つ。このステージにはもはや自分しかいなかった。横に並ぶものはほかにいなかった。

被害者意識にまみれた、この醜自分をどうにかしたい。癒えない傷ばかり抱えてうじうじとしている自分を殺したい。もしかしてこれが希死念慮か? 僕は何年か越しに、また「死にたい」と書くことになるのか?

こんど両家の顔合わせがある。どんな面下げて僕は行けばいいのだろうか。少しでもマシな気分になれることを祈る。

Permalink |記事への反応(0) | 23:13

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anond:20251016204034

とある医療系の専門学校に行ってたけど、生徒に下駄履かせて無能を進級させまくってたら現場(実習先)からクレーム来まくって厳しくなってたで。女子枠もそういう道を辿るやろ。

Permalink |記事への反応(0) | 10:30

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お願いだから障害児を保育園に預けないでくれ

ダイバーシティとかインクルージョンとかまじでクソ喰らえから

最初最後定型発達と関われる場所だし!とダウン症知的障害発達障害の子保育園に預けようとしないで欲しい。物凄く迷惑



まず他害がエグい。ノーモーションで他児に噛みついたり髪を引っ張ったりする。水筒の蓋を開けた瞬間隣の子に殴りかかるみたいな。ただただ健常児の子供たちは我慢するだけ。


日々の活動意味理解出来ないし、周囲を見て模倣する事も出来ないか基本的にふらふら1人離れて活動邪魔をしにくるので定型発達の子どもたちはあいつは何なんだ・自分ダメあいつは許されるのはどういう事なんだと不満が溜まる。


自由遊びなんか最悪で各々楽しく遊んでる最中おもちゃを盗ったり組み立てたおもちゃを壊したり。1.2歳児だから当然悲しくなって泣いたり怒ったりするんだけどその反応が楽しくて障害児はやってしまう。関わり方を知らないから。


勿論健常児の親には被害は言わない。まだうまく話せない1.2歳児の子たちは自分で親に説明も出来ず定型発達の子たちからヘイトがひたすら溜まる。世の中の仕組みを理解しはじめた様な1.2歳児が障害者を理解するなんて到底無理な話。障害児がいるクラスといないクラスでは明らかに子どもの落ち着き方が違う。



障害児を見る為の加配の保育士障害児1人に対して1人配置されるが焼け石に水そもそも定型発達ですら圧倒的に人が足りない。兄弟地域の子ども同士関わりのあった昔の子ならいざ知らず、子ども同士の関わりが極端に少ない一人っ子のイヤイヤ期の子ども6人を1人で見れる訳がない。そんな中に6人分以上に手のかかる子どもが入ってきて加配1人と言われても無理。


そもそも障害児専門の保育士ではないか障害児にとっても定型児にとっても利点はない。保育士スキルはない。死なない様にする為の増員。園によっては定型から距離をとって一歩でも近づこうとしたら拘束してる所もある。精神科の拘束具みたいなもんかな。


奇声をあげて気に入らなければ暴れてとコミュニケーションが一切取れないので保育者から可愛がって貰えずスルーされたり無視される子もいる。加害の時だけ腕を引っ張って怒鳴られるのでそれがコミュニケーションだと思って加害行動を繰り返す障害児も居る。



障害教育に対しての専門職が1人もおらず、効果的な関わりも一切無くただただ時間ばかりが過ぎていくだけで障害の子どもにとって一切の利点がない。正直、保育園に入れる親はそこを理解して無い気がする。


保育士国家資格ではあるもの専門学校に金さえ払えば簡単に取れる資格から他の専門職に比べて能力に疑問のある人が結構多い。よくニュースになってるけど極端な例ではなくてバレてないだけで割とそこそこ居る。

人格面だけでなく常用漢字が書けなかったり簡単暗算が難しい、親とのコミュニケーションが難しかったり境界〜軽度知的だろと言いたくなる様な奴も結構いる。まともな人は辞めていくので蠱毒化してる感もある。

ごく稀によくこれだけまともな人間だけを集めたな?と言いたくなる様な園もあるが障害者には厳しい園ばかり。どちらにせよ障害者にとって良い環境ではないのは明白。



要は障害児にとっても定型発達にとっても育ちの機会を保証されていない最悪の環境なんだよ。全部がめちゃくちゃになる。


じゃあ障害者の親はどうすればいいんですか?!働くなとでも言うの??とヒスった声が聞こえてきそうなんだがそう言うわけでもない。保育園に来ないで欲しいだけで。

地域的な格差はあるものの、障害児の保育園として児童発達支援センター機能している場所もある。障害児は絶対にこっちに入った方がいい。

PTSTみたいな専門職が発達の具合を確認して一人ひとりの課題に応じた療育が受けられて伸びが全然違う。保育士の配置も子ども5人に保育士3人とかめちゃくちゃ手厚い。保育園じゃ着替えも1人でろくに出来ず暴れてるだけの子と同じ障害知能指数でも1人で着替えて歯磨きもして椅子に座れる様になる。(最初保育園の子と同じ様なもんだが)

問題はそう言った児童発達支援センターがめちゃくちゃ少ない。地域によっては0だったりする。

生産性がない・コストがかかる・無駄と切り捨てられてる結果、障害児・定型発達児共に発達の機会を奪われてんだよな。


高市早苗総理になったら

専門性の高い児童発達支援センターを増やし、障害児を保育園に入れさせない

保育園保育士設置基準を更に大幅に改善(諸外国並)

資格を筆記と面接更新制にしてやばい奴を弾く仕組みに変える

障害対応ができる保育士専門職を新たに国家資格を創設。(PTST心理士基本的知識を有する保育士)


みたいな事やってくんねぇかな。

昔は専業主婦子育て幼稚園コース情緒の安定した子どもが多かったが今は共働き10時間預けコース常態化してるから定型発達・障害児ともに疲労ピークなんだよな。少しでも子ども負担を減らさないと将来まともに大人になる奴が居なくなる可能性が高い。

Permalink |記事への反応(2) | 06:46

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2025-10-17

忘れられない人がいる

はてなブックマークですが、週末に見ることがあります投稿させてください。

聞いてください。誰にも言えないモヤモヤで頭がいっぱいです。

私は今、専門学校に通っています高校生の頃から、近所のスーパーアルバイトを続けています

そのスーパーに気になっている男性がいます。いつも仕事帰りの夜に来る作業服の人です。けっこう年上だと思います

初めて会ったのは高校生の頃です。その人はいつも優しくて、人懐っこい笑顔で話しかけてくれました。

髪型を少し変えただけでも、「雰囲気変わったね、似合ってる」と気が付いてくれます。そのたびに、胸が高鳴るのを感じていました。本気でした。

でも、数年前に失恋しました。

ある日、スーパーに買い物に来た私の高校の友人とお喋りしてると、彼がすぐ傍を通ったんです。その時に友人が「あの人、うちのお店によく来るよ」って。

それで、友人の子は彼に声をかけたんです。かなり親しげでした。

その時、「この2人は仲がいいんだな」「付き合ってるのかも」と悟り、想いは叶わないと諦めました。高校卒業して専門学校に入ってからは、彼への気持ちに蓋をして、新しい環境での恋愛に進みました。今、私には同い年の優しい彼氏がいます。付き合ってもう2年になります

作業服の人は今でもスーパーに来店します。そして、変わらず私に話しかけてくれるんです。「もうすぐ卒業だっけ?」とか。

彼氏ができて、もう過去の恋だと思っていたのに、胸の奥がきゅっと締め付けられます

この気持ちは、どうしてなのでしょうか。今の彼氏との関係問題があるのでしょうか?彼氏を裏切っているようで罪悪感があります

私はこのまま。今の彼氏と付き合い続けてもいいのでしょうか?

頭が迷いでいっぱいで、答えが出せません。どなたでもいいです。目を覚まさせてください。

Permalink |記事への反応(4) | 20:12

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2025-10-15

大卒採用の是非について


愚痴りたい。あまり長くは書かない。

いわゆるJTCで管理職になったばかりだ。広告会社代理店)で働いている。一応は業界大手

大阪北区というのがあって、繁華街なので当然飲み屋がある。たまに仕事帰りに居酒屋レストラン)に寄ったり、会社仲間と飲んだりする。

その中で、大卒採用というものについて考えさせられることがあった。

私がよく行く夜の飲食店だが、居酒屋である。いわゆる高卒とか、専門学校卒とか、そういう店員が多くいる。

例えば、パリピな感じはしつつも傾聴力がしっかりしてる男の子とか、過去介護仕事をしてた子で、どんなお客さんともニコニコ笑顔で接する女性とか、まだ若くて高校生なのだが、未完成ながらもハキハキとした接客でソツがない動きをするとか、面白い子が世の中にはたくさんいる。

彼ら彼女らを見ていると、うちの会社に入ってくる新卒の子と比べてしまう。

大体みんないい子である。一流大卒だし、人と仲良くしようという気があるし、恋人がいるようだし、ほうれんそうちゃんとできる。しかし。

面白さというか、自分だけの尖がった感じがないのである岡本太郎書籍でいうと「自分の中に毒がない」若者たちである

一度、うちの会社上司数人とその居酒屋さんに行って、そこまで大きいカウンターではないのだが、座って歓談をしていた。歓談をしてるうちに、上に挙げたような若い子たちとトークになった。

みんな、すごく話が面白いし、こちらの話もしっかり聞いてくれる。頭の回転が早いし、打てば響くというコミュニケーションである。同じ北区にあるクラブ嬢と同等の接客力だった。

上司達も、「飲んで飲んで!」と彼ら店員ドリンクを奢っていた(※店員さんに500円などの飲み物を出せるサービススパチャみたいなもの)。

これでまだ20代とか、未成年だと言うのだから世の中は広い。私が彼ら彼女らほどの年齢だと、全然そういう力はなかった。いわゆる盆暗学生で、それなりの大学には入学できたけれども、基本は遊んでばかりの毎日だ。年を経るごとに頭が悪くなっていく自分を恨めしく思っていた。

その日、楽しく話をしている最中だった。背後の方で、テーブル席で団体客の人らが大きい声を出していた。何か注文のトラブルがあったようだ。

カウンター席に座ったまま後ろを振り返ると、男性3~4人客に、女性店員1人だった。話の感じからすると、飲み放題適用時間齟齬があった様子だ。(お客は90分のメニューだと思っていた?)

記憶の限りでは、こういう会話だった。

飲み放題ラストオーダーってなんなん?60分で終わりって聞いてないで」

「すいません。こちらの○品のメニューですと、一時間です」

「このメニューのどこ?」※タブレットを取り上げながら

「これは、ここですね……」

「え、これなん?」

こちらのメニューです。終了時間は表側に出ておりませんが」

「こんなんわからんやん!」

「大変失礼いたしました」

「なあ、当てがはずれたやんけ!!」

 ※テーブルを叩き気味。足もガンガンする

「わかりにくい表示でした。店長と話して追加料金で変更ができるかを……」

「わかりにくいやんけ!」

 ※さっきの客。北区にはこういう輩がいる

「失礼しました。ごめんなさい。店長相談してきます

「なー、お前。失礼やろ。もう黙れ」

 ※隣の連れがさっきの客を制して

相談をしてきます

「ねえねえ。ところでおねーさん。年いくつ?」

「15才です」

「えー、そうなんや!15才か。それは……若い方やん。なあ?」

「うん。世間一般労働者の中じゃ……お姉さん、比較的に若い方やで。間違いない」

比較的!お姉さん。比較的に、若い方やんなぁ~(^^)」

 ※ここで全員が笑い出した

その後、差額分の負担飲み放題を30分延長できたという会話があって、15才の子男性客らにオレンジジュースを奢ってもらっていた。最初とは打って変わって、和やかな雰囲気になっていた。

はてな民の方々も思うところがあったと思うが、一般的な会社がほしい人材というのは、上のような子である。人当たりが悪くなくて、不潔さがない外見で、言葉遣い常識的で、態度や行動も常識的である社会的に正しい答えを導き出して動ける。

うちの会社もそうである。そういう子がほしい。別に高卒でも専門卒でも何でもいいから、さっきのような子だったら是非採用したい。一緒に働きたいと思った。彼女だけじゃなく、ほかの若いスタッフだってそうだ。

の子達は……全員が非大卒である高校中退とか専門学校卒。しかしながら、うちの広告代理店新卒で入った子達の平均を(コミュニケーション能力において)凌駕しているのは間違いない事実だ。

さっきの15才の子も、あの年で居酒屋アルバイトというからして、何か家庭に事情があるのかもしれない。

ただ、個人的にこういう経験をしてしまうと、世の中学歴ではない、そんなものは単なる一目安でしかない。そんな上っ面で人を判断してはならないのだと思い知らされる。

とりとめのない経験談ですまない。けど、もう40を過ぎた一増田ユーザーとしては、確かにこんなことを感じている。

はてなの皆さまも、こういう体験したことがあるのなら、ぜひ教えていただきたいです。

Permalink |記事への反応(3) | 21:29

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2025-10-11

anond:20251011154149

専門学校卒の松崎昭恵と結婚した安倍晋三への悪口はそこまでだ

Permalink |記事への反応(1) | 16:11

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2025-10-10

訳アリの子就職指導をしていた


かつて公立高校教師をしていた。何年も前に辞めて、今は別の教育業に従事している。その頃の思い出が脳裏によぎることが最近よくある。どこかで書いたら心の整理がつくのではと思った。

なお、この日記身バレ防止のために、ChatGPTにお願いして文体を変えている。鼻に付く文章があれば申し訳ない。

これから書くのは、最後に赴任した高等学校でのことだ。実は普通高校ではない。訳アリの子が通うための高校だった。

いわゆる、事情がある子というのがいて、全日制の高校に進学するとか、通い続けるのが難しい。そういう子が通うための学校である。仮にポジティブ学園としよう。

3部制を採用していて、午前・日中夕方以降の3つのから自分にとって都合のいい時間帯を選んで履修できる。早い子だと、普通高校生のように3年で卒業する。

制服私服か、自由に選ぶことができる。アルバイトができるし、メイクピアスも全て大丈夫。髪染めもOKで、ピンク青髪学校に通う子もいる。

ここに来る前、私は全日制の高校にいた。地元では人気のあるところだった。毎年冬にある推薦入試の倍率は20倍を超える。そういう学校である人口だと約40万人が在住する地域だったが、その中でもトップに近いところだった。

真面目な生徒たちに囲まれてたと思う。彼らは偏差値の話もしていたけど、それ以外にも部活動とか友達との交流とか、文化祭体育祭など、とにかく人としての「生きる力」というか。そういうのに溢れていた。

当時の私は、まだ30代のヒラ教師だった。それが高校生のあるべき姿だと思っていた。学業が一番で、余った時間部活動その他の自己を高める活動に取り組むのだ。

だが、ポジティブ学園に赴任して、現実を思い知らされた。自分がこれまでに教えてきた生徒らは、いわゆる上澄みというやつだった。毎日学校に通学して、学業部活動趣味に打ち込むことができる時点で、高校生としては相当できる方である



今でも思い出す。ポジティブ学園に通う生徒らは……教室の隅でうつむく子や、理由をつけては学校を休む子。授業など聞く気すらない子、授業中に堂々を飲み食いする子。なんというか、彼らには当時の県教委が教育の柱としていた理念ひとつ、「生きる力の醸成」が通用しなかった。

そうした生徒たちに、私は何もしてやれなかった。何をしたらいいのか分からなかった。ただ毎日教科書に従って授業を進めるだけ。彼らに対して指示や指導をすることはあったけど、そもそも内容を理解できてるかも怪しい。

一応、入学試験はあるのだが、実質的に全員合格させるスタイルだった。普通高校に行けない子――そういう子のための最後の受け皿としての役割を、ポジティブ学園は担っていた。

最初に話したとおり、ここは「訳アリの子」が通う学校である不登校経験者とか、昼間は家業を手伝う子とか、家計を支えるために夜働いている子。様々な事情を抱えて、全日制のレールから外れることになった生徒たちが、自分のペースで学び直す場所だ。

赴任の初日、当時の校長は私に言った。「ここは、生徒たちが『それでも学びたい、高校生をしたい』と選んでくれた場所です。先生の役目は、彼らの気持ちを全力で応援することです」ってさ。

さっきと矛盾するようだが、生徒たちはひたむきだった。普通高校生と一緒で、やる気のある子はいるし、そうでない子もいる。昼間の授業中、うるさい教室の中でも真剣ノートをとる生徒とか。放課後になると、「じゃあ働いてくる~」といった感じでアルバイト先に向かう子もいた(ほぼ金髪の子だった)。

夜間部教室だと、疲れ切った顔で教科書と向き合う生徒もいた。全日制の「普通」とは違うけれど、彼らには彼らの「普通」があった。

赴任してから次の年度、就職指導担当することになった。人生経験である。私は民間企業で被服の営業仕事をしていた。泥臭い仕事を約十年やっていたということで、白羽の矢が立ったのだと思われる。

通信教育高校教諭の免状を取った

これまでの学校では就職する子や、専門学校に行く子は稀だった。仮にいたとして、実際なんの指導必要なかった。受け入れ先の企業も「なんでこの学校の子が……」といった顔パスに近い扱いだった。

此処では、むろん一筋縄はいかない。

履歴書の書き方一つとってもそうだ。社会人でいうところの空白期間不登校だったとか、全日制の高校を中途退学したとか、中学卒業してからフリーターだったとか、あるいは何もしてなかったとか。

そういう経歴を書く場面になると、彼ら彼女らは詰まってしまう。無理もない。これまで何度も、そのことで心を痛めてきたのだから

私は履歴書を読み直す度に、「君の経験無駄じゃない。乗り越えた証拠なんだ。学校、来てるじゃないか!」と声をかけた。最初は疑いの眼差しだった生徒たちも、次第に心を開いてくれるようになった。心を開いてくれない子もいたけど、それは致し方ないのだ。

私は教師から、「いつかは通じるはず。別に今じゃなくても、数年後だっていい」と思って就職指導をした。



秋のある日。就職関係イベントがあった。「○○圏域 企業学校交流会」みたいな名称だった。これは、企業学校大学専門学校高等学校専修学校その他もろもろ)のそれぞれの担当者が各ブースで話し合いの場をもつというものだ。

企業から採用担当者が、学校から就職支援担当者が出席する。参加団体企業だけでも100社を超えていた。学校からは、その地域学校という学校はほぼすべて出席していた。

ここに、私と校長の2人で出かけた。目的は、企業の方々にポジティブ学園を知ってもらうこと。うちの学校にはただでさえ偏見が多い。少しでも解きほぐす必要がある。

たくさんの企業ブースが立ち並ぶ中、それこそ時間が許す中、多くの企業ブースに足を運んだ。校長自らが話をしていた。約十分ごとに挨拶から始まって、学園の概要説明、どういう子がいるかや、これまでの就職実績など。

そして、いつも最後に、「わが校には、難しい状況にある子が通っています。それは事実です。そういう状況でも、彼らは自分の道を切り開く努力をしています面接の際に見かけましたら、どうぞよろしくお願いします」と相手企業に伝えるのだ。

企業の反応は……まあ、社交辞令みたいな感じだった。「わかりましたよ、でもうちの会社採用対象かどうかはねぇ」という表情だった。

そういう反応になるのも無理はない。ポジティブ学園は、県道沿いの大きな平地にある。昔は地域伝統校が鎮座していた。少子化で別の学校合併になり、校舎が空いたところに県教委がポジティブ学園を創設した。

例えば、毎朝の登下校時、いや昼以降の登下校時でもそうなのだが……校舎前の県道には、ダボっとした私服で、髪を染色していて、ひと昔前の不良漫画(今時でいうと薫る花は凛と咲く)の雰囲気を漂わせた未成年闊歩している。初めてその光景を見る人からすると、「そういう高校なんだ……」という感想になる。

から企業担当者がうちの学校に対してそういう態度になるのは、ある種の必然だと思っていた。偏見を持たれてもしょうがないって、当時30代半ばだった自分は感じ取っていた。

そうでない企業もあった。社交辞令とかじゃなくて、真剣こちらの話を聞いてくれる。というか、むしろ聞きたいという恰好で話に臨んでくれる。

半導体装置を作っている会社がそうだった。その時も、校長は満面の笑みで相手方の採用担当者に熱心に話をしていた。

「○○さんは、福山代表するハイテク企業でいらっしゃる。我が校にも理系の才能を持つ生徒がたくさんいるんです。どうか、偏見なく見てやってください」

そしたら採用担当者は、少し戸惑った表情になって、「私達を馬鹿にしないでください。もちろんですよ(^^)」と答えてくれた。



それから数年か後のこと。ポジティブ学園の進路実績だが、創立当初からずっと変化はなかった。大学学者だと地元にある限りなくボーダーフリーに近いところか、地元専門学校地元民間企業だった。そもそも、ここまでたどり着ける子自体が少ない。入学した子のうち1/3以上は中途退学してしまう。

その年のことはよく覚えている。3年生に1人の生徒がいた。名前は仮にケンタとする。プログラミングが好きな子だった。授業中も休み時間も、ずっとPCの画面とにらめっこしていた。授業中にも堂々と副業的なことをしていたが、単位は取っているので見逃していた。

ケンタは、数学情報処理の成績が抜群だった。数学問題でも、いつの間にか自分勝手アレンジして、勝手問題を解くようなプログラムを組んだこともあった。

それを友人に共有しようとしたが、難しい様子だった。能力・興味的な部分もあるし、自分だけのノートPCを持ってる子が少ないのもある。

ケンタ中学校の時は不登校だったらしい。原因は、特定の誰かからいじめられたわけではなく、「教室という空間がなんか違うと思った」からだと言う。

大人だったら「息苦しい」ということになるのだろうか。全日制の高校には行きたくないと、自らこの学校を選んだ。

私は、彼の才能を埋もれさせてはいけないと思った。彼とは幾度となく話をしたけれども、ただ生きにくい性格であるだけで、才能はあるのだ。

私は就職戦線が始まる直前にケンタを呼んだ。「この会社を受けてみないか?」と誘ってみた。さっき上の方で話した半導体装置会社である半導体以外にも、ディスプレイ機械制御装置も手がけていた。

当時はローカル企業だったが、それでも市内で知名度はあった。

ケンタは驚いたような、呆れたような様子だった。「知らない会社ですけど、半導体には興味ありますけど、無理だと思います」と言ってた。

「お前はできる。この会社理系の才能を求めてるし、才能を正当に評価してくれる」

と言うしかなかった。実際、私の出身地域では評判の高い企業だったし、2025年現在では全国的知名度のある企業にまで成長している。

強引に進めるしかないと思った。何しろケンタ卒業後の進路を決めてなかった。とりあえず先延ばしにしている印象だった。

そこで、ケンタをどうにか説得して、彼の履歴書添削して、推薦状も書いた。履歴書には、不登校だった過去も、ポジティブ学園を選んだ理由も正直に書かせた。彼のプログラミングに対する情熱を備考欄にこれでもかというほど書き連ねるようにした。

面接練習ときケンタは口ごもることが多かった。相手の目を見て話すことが苦手だった。コミュニケーションが苦手なタイプ。正直、公式な場での会話が難しい子だと思う。

けれど、たどたどしい感じになっても、自分の思いはちゃんと伝えてくる子だった。

大丈夫だ。プログラミングの話になったら、お前はきっと大丈夫

AtCoderで最高位に近い色だった

私はそう言って、彼を送り出した。自分には確信があった。あの会社は、肩書き学校名じゃなくて、実力で人を判断する会社だと。あのイベントの時、うちの校長言葉に耳を傾けてくれたんだって



約一か月後、職場電話がかかってきた。あの会社採用担当からだった。胸がざわついた。

以下、話の内容である言葉の感じも、当時の手帳を元に大体そのままにしてある。

「あの、ケンタ君の件で、社内で検討を重ねた結果、今回は採用を見送らせていただくことになりました」

「なぜですか?」

プログラミングスキルは、正直高いです。うちの主任技術者も高く評価しました。ただ……」

 ※この時私は、苛々とともにペンをカチカチしていた

「ただ、入社後のサポート体制を考えた際にですね。彼が当社の環境に馴染むことができるか、という点に懸念が残りました。不登校経験があるということも、正直に申しまして、入社後のメンタル面のリスクを拭い切れませんでした」

「それは、偏見ではないのですか?」

言ってしまった!と心の中で後悔した。先方の声が少しだけ硬くなった。

「そう言われても仕方ないかもしれません。しかし、会社事情があります。我々もギリギリまで議論を重ねました。安易気持ちで彼を採用して、もし彼が再び辛い思いをすることがあれば、それはお互いに不幸です。今回は本当に申し訳ありません」

電話が切れた後は、多分……しばらくボーっとして、職員室の椅子に座ったままだった。

あの時はこう思った。やっぱり、ポジティブ学園の子はそうなんだ。どんなに才能があっても、過去レッテルから逃れられない。あの日イベントで抱いた期待を裏切られた気がした。

だが、その後の日々で、冷静になって考えてみた。

採用担当者の言葉に嘘はなかった。彼らは、私が抱えていた不安を彼らなりの言葉で伝えてくれただけだ。

採用すれば良いというわけじゃない。無理に引き受けて、彼の心の傷をさらに深くしてしまうかもしれない。

そう考えたとき、彼らの不採用という決断は、ある意味、生徒のことを真剣に考えてくれた結果なんだと思った。

しろ偏見だと決めつけて、彼らに向き合わなかった私の方が……傲慢だった。

ケンタ不採用の知らせを伝えると、しばらく沈黙が続いたっけ。

「そうですよね~僕みたいなのが、あん会社は無理ですよね」ってケンタが言うと、心にグサッときた。

「ごめん」としか言えなかった。生徒に謝る事態なんて、教師として三流以下だと思った。



ここまでがポジティブ学園での思い出であるそれからケンタは、遠方にあるコンピューター専門学校に進学した。私が様々な方向性提案して、ケンタと話をした結果、彼が自ら考えて決断したのだ。

ケンタ高校卒業して、何年もの月日が経った。最初のうちは、メールで年に何度か近況報告をもらうこともあった。プログラミングがやっぱり楽しくて、大会にも出場しているといったことだった。

やがて、やり取りをすることもなくなった。それは彼がナニカに集中するようになったからでは、と心の中で期待していた。やがて、ケンタのことを思い出すこともなくなった。

ある日、一通のメールが届いたのだ。ケンタから。内容は、就職先の内定のことだった。「報告があるのですが、○○(※あの半導体会社)に内定をもらいました」という端的な文章だった。

「うわっ!」と、思わず声を上げてしまった。その端的な文章の下に、いろいろと書き連ねてあった。彼らしく、無駄が一切ない文面だった。

要約すると、専門学校就職インターンシップに申し込む際、事前説明会があったとのこと。参加した時、人事の方に「ケンタ君だよね?ポジティブ学園の」と声をかけられたという。

「あの時の採用担当者の方が僕のことを覚えてました。『あの時よりも自信に満ち溢れている』って言われました。」

メールを読みながら、涙が止まらなかった。

専門学校で、僕はプログラミングスキルだけじゃなくて、コミュニケーション能力も、人との関わり方も学びました。飲食店アルバイトしました。おかげで、あの時よりも、面接自分言葉でしっかり話すことができたんです。あの時、もし会社に受かっていたら、僕は挫折していたかもしれません。…(中略)…でも、先生が僕の可能性を信じてくれたから、僕を諦めなかったから、頑張ることができた。本当に、ありがとうございました」

キーボードを触りながら、返信しようと思いつつも、手が震えてうまくできなかった。

私はあの時、半導体会社偏見判断した。ポジティブ学園の子から、そういう目で見たんだろうって。そして、生徒の可能性を信じきれず、不採用という結果に囚われた。

でも、本当にケンタに向き合ってくれたのは、彼らの方だった。再認識させられた。成長したケンタを、あの人達は今度もまたちゃんと見て、採用という判断をしてくれた。それだけだ。



ここで結びにする。

あの学園にいた時は、生徒たちの「訳アリ」の部分に目がいってしまうことがあった。でも「訳アリ」なのは過去物語によって起きた結果にすぎない。彼らは皆、自分人生を懸命に生きている。できる子がいたし、できない子もいたけど、未来に向かって進もうとしていた。

私はもう学校教諭ではない。けど、あの頃は就職指導先生としてだけじゃなく、人として彼らの未来を信じて背中を押し続けたつもりだ。

自分応援団のひとりに過ぎないと思っていた。でも、応援された生徒は、やがて自分未来のことを考えて、切り開こうとチャレンジする。そういう人になってほしいと願っていた。

今は、別の形ではあるけど、若い人にものを教えている。学校と違って、純粋に実務上の知識技術を教える仕事である

これからも、誰かの未来応援し続けようと思っている。それが、訳アリの子就職指導をしてきた、自分にできる使命なんだと思ってる。

Permalink |記事への反応(2) | 20:45

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2025-10-08

忘れられない人がいる


聞いてください。誰にも言えないモヤモヤで頭がいっぱいです。

私は今、専門学校に通っています高校生の頃から、近所のスーパーアルバイトを続けています

そのスーパーに気になっている男性がいます。いつも仕事帰りの夜に来る作業服の人です。けっこう年上だと思います

初めて会ったのは高校生の頃です。その人はいつも優しくて、人懐っこい笑顔で話しかけてくれました。

髪型を少し変えただけでも、「雰囲気変わったね、似合ってる」と気が付いてくれます。そのたびに、胸が高鳴るのを感じていました。本気でした。

でも、数年前に失恋しました。

ある日、スーパーに買い物に来た私の高校の友人とお喋りしてると、彼がすぐ傍を通ったんです。その時に友人が「あの人、うちのお店によく来るよ」って。

それで、友人の子は彼に声をかけたんです。かなり親しげでした。

その時、「この2人は仲がいいんだな」「付き合ってるのかも」と悟り、想いは叶わないと諦めました。高校卒業して専門学校に入ってからは、彼への気持ちに蓋をして、新しい環境での恋愛に進みました。今、私には同い年の優しい彼氏がいます。付き合ってもう2年になります

作業服の人は今でもスーパーに来店します。そして、変わらず私に話しかけてくれるんです。「もうすぐ卒業だっけ?」とか。

彼氏ができて、もう過去の恋だと思っていたのに、胸の奥がきゅっと締め付けられます

この気持ちは、どうしてなのでしょうか。今の彼氏との関係問題があるのでしょうか?彼氏を裏切っているようで罪悪感があります

私はこのまま。今の彼氏と付き合い続けてもいいのでしょうか?

頭が迷いでいっぱいで、答えが出せません。どなたでもいいです。目を覚まさせてください。

Permalink |記事への反応(2) | 22:47

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2025-10-02

明日振られに行く

45歳、女性婚姻歴無し、子無し。

明日、振られに行く。

非モテ喪女の拗らせ実体験というものをまずは説明しないとならないだろう。

私の場合は、幼稚園児の頃から好きな男の子は常にいた。

小学校でも、中学校でも、高校でもだ。

そのどの環境でも、私の片思いは実る事は無かった。

高校卒業した後、専門学校の認可を受けていないアカデミー的なスクールに通ったが、

そこでも恋が実る事は無かった。

周りの女子達はみんな彼氏を作っていたが、

私には無縁だった。

転機が訪れたのは20代後半、当時流行っていたSNSで良いなと思った男性が居たので、

思い切って西麻布焼き鳥店に誘った。

その後、おそらく10代の男女がやるようにテンプレ的に夜景が綺麗な観覧車か何かに乗った後、

自分から告白して見事にお付き合いしてもらえる事になった。

しかった。

30近くして、初めて”彼氏”というやつが出来た。

しかし、私は顔も不細工で、それ以上に超絶肥満体型だった。

肥満体型なのは過食症が原因で、食べて吐く事しか死にたい気持ちを紛らわせる事ができず、

しかし吐くのはかなりのテクニック必要で、上手く吐けなかった私はただ太って行くだけだった。

なぜこんな肥満体型の私と付き合ってくれる男がこの世に居るのか疑問を拭えきれなかった私は、自分から彼と離れる事にした。

それから数年後、30代中盤くらいだっただろうか。

相変わらず不細工肥満体型だったが、転職先にすごく魅力的な男性がいた。

彼は技術力も発想力も凄くて、私が引っ張っていたプロジェクトで大貢献をしてくれた。

しかし、立場的な問題もあり、彼が別プロジェクトアサインされるのを待ってから、彼をデートに誘った。

から私をデートに誘ってくれる事は無かったが、私は執拗に誘い続け、

ついに私から告白した。付き合ってほしい、と。

なんだかよくわからないが、彼はOKしてくれた。

両親の挨拶も済ませ、同棲するマンションも探し、約1年同棲した。

実はこの間約7年、彼は一度も私と性的接触を持ってはくれなかった。

同棲する前は「同棲したらそういうことも頑張るよ」と言ってくれたので、

私は僅かな貯蓄から転居費用諸々を捻出し、同棲した。

しか同棲1年経過しても、彼は私の身体に一切触れようとはしてくれなかった。

身体接触が無いのであればせめて二人の時間を作りたいとあれこれ模索提案したが、

はいつも自室に篭り動画を観たりゲームをしていた。

ある時、転機というものが身に降りかかって来た。

同じプロジェクト男性独身)を”パワハラとかセクハラで訴えて良いから今夜だけ飲みに付き合ってくれよ〜〜”的に冗談まみれで言ってみたら、

なんと彼は私との飲みに付き合ってくれた。

終電があるから解散しよう、でも私はもうちょっと飲みたい、的な事を言ったら、

彼もそれに応じてくれた。

二人で適当渋谷の道端で缶チューハイを飲んだりしていたら、強烈に尿意に襲われたので、

近隣のホテルで「お手洗い貸してください」攻撃を開始した。

しかしお手洗いを貸してくれる店舗なんてそう簡単には見つからない。

仕方ないので私は「部屋が空いていたら宿泊するのでお手洗いを貸してほしい」と嘆願し、見事お手洗いを手にするに至った。

その晩、何がどう寄与したのかは不明だが、私はその男性と性行為をした。

しかった。

長年思いを寄せて来て婚約指輪まで買ってくれた男性ですら女として見ては来れなかった私という醜い脂肪の塊に、

性的欲求を向けてくれるような希少な男性がこの世に存在してくれた事のレア度みたいなものに思いを馳せると、なんとも言えない感情に包まれた。

それから同棲相手との生活を整理し、単身で手狭なマンションを借り、婚約も解消し指輪も返却した。

たった一晩だけでも私を女として扱ってくれた男性社員に全力投球したいと思った。

仕事くらいしかやることがない私にとっては、彼に高級レストラン食事をご馳走することだけを生き甲斐にやってきた。

2021年日本橋フレンチ2022年銀座の蟹、2023年西麻布の有名フレンチ2024年は新進創作メキシカンだった。

2025年明日、これまた知る人ぞ知るみたいなフレンチを予約した。

だが、先週末、彼とは別れ話をした。

おそらく、明日が彼との最後食事となるだろう。

ありがとう私の愛する人よ。

明日が終わったら、あなたの願う本当の幸せに向かって歩いて行ってほしい。

Permalink |記事への反応(2) | 19:26

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2025-10-01

祖父から電話に出たくない

私には事実上、2人祖父がいる。

1人は私が生まれた時からずっと一緒に実家暮らしてる祖父。(じぃじと呼びます)

じぃじは祖母文通を通して遠距離交際を始めて、父親専門学校学費を払ってくれたり生活の面倒を結婚する前から見てくれていたらしい。

父が高校卒業して親元を離れるまで結婚を待ってくれたり、生まれた血の繋がりのない孫の私にとても良くしてくれた。頭が上がらない程に。

私にとって祖父は生まれた時から一緒のじぃじだけだと思っている。

しかし私にはもう1人祖父がいる。

それは九州に住んでる祖父

祖母や幼い父にDVを繰り返し離婚されてから養育費も払わずに逃げた人だと祖母から聞いてる。

父が幼い時の離婚なので祖母からしか話を聞いたことはないのでどこまで本当なのかは分からないが、じぃじが生活を助けたのは事実だし祖母を疑う理由がないので事実だと思う。

父が何故そんな人と関わりを再開したのかは分からないが、酷いやつでも実の親だから交流したいという気持ちはまぁ分かる。

ただ、父は離婚して寂しい暮らしだった弊害

理想の『家族』という形に凄くこだわっている。

親に孝行するのは当たり前という感情が強いので、孫に会いたい話したいという祖父の願いを叶えて親孝行してやりたい!と思っている節がある。

実家を出る前に父に九州に連れられて、何年かぶり祖父に会わされた。

何年も会ってない18になった女の孫を抱きしめて手を繋ぎたがった。

声が可愛い顔が可愛い連呼した。

とても気持ち悪かった。

父にすらそんな嫌悪感を抱いたことなかったのに。

そもそも父はそんなスキンシップ小学校3年生以降したことは1度もない。

でも嫌がったり素っ気ない態度は父に怒られるので仕方なくよそ行きの笑顔対応した。

帰りに卒業祝いだからと袋いっぱいのお菓子10万円をくれた。

有難いとは思ったけど、今更そんなことするならちゃん養育費払えよと思った。

そのお金は持ってるの嫌で全部ゲーセンで使った。

家を出てから2~3回祖父から電話に出た。

何度もかかる不在着信に罪悪感があったかタイミングがあった時にだけ。

最後に出た電話は去年の終わりごろ。

家にあるギターを送るから住所を教えろと言われて置き場所がないからとやんわり断った。

ギター欲しいなんて1度も言ったことがないのに。

そして、彼氏と住んでるなら望まぬ妊娠をしないよう気をつけろと言われた。キモかった。

若いうちに結婚して子供10人産まないとダメだと言われた。

私は子供は欲しくない。

継母から虐待と守ってくれない父に心を病んで毎晩自分そっくりの子供を殴りまくる悪夢を見るようになって子供を諦めた。

最後に家にゴキブリネズミが出るが餌をあげて子供のように可愛がってる話をされ電話は終わった。

血縁祖父ながら気持ち悪いやらなんやらの感情でいっぱいになり、何十回かの着信を無視している。

から時々、

祖父電話に出ないと心配している。不審者に襲われたのかもしれないかスタンガンを送った方がいいかと言っている。親孝行だと思って電話に出てやれ」と言われる。

その度に、電話来てないけどな〜と誤魔化しているが限界は近いだろうなと思う。

今日も朝8時に電話がきて、出るか悩んでる間に切れた。

自分の話したいことだけ話して、余計な説教をして私に話したいことないかも聞かない人の電話に出るのは正直キツイ。あと訛りで聞き取りづらい。

あと何回電話がないで通せるかな。

履歴見られたら分かっちゃうし。

祖父無責任な行動やDVは心の底から軽蔑するし、その結果私が産まれて、継母から虐待された。

父は『家族仲良く』の理想にこだわって助けてくれなかった。

空手黒帯の父に叩かれるのは痛かった。

18年我慢してようやく逃げたのに、まだ苦しいのに子供を産めとか親に感謝とか、あんクズ説教されて言い返せないのが辛い。

無視する度に罪悪感がある。

ブロックするのもバレたら怖いしで躊躇ってる。

優柔不断で嫌になる。

早く楽になりたい。

Permalink |記事への反応(2) | 09:57

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2025-09-28

Messengerつまんなくない?

「で?」って感じ。

大学専門学校入学前のポートレートでこれ作ってきたら「おー面白いじゃん」ってなるけど、卒業制作がこれだったら「ん?君はこれで何を表現したいの?」としかならんレベル

現代的町並みの中に「古典的神社仏閣の類」と「最新の巨大な科学施設」が同居してることの面白さがコンパクトに描かれているけどそれは実際に街を歩いて写真を取れば小学生でも表現できるでしょ?

一昔前風のちょっとローポリゴン気味な3Dにノスタルジックを感じるのだって、そんなのシェンムー発売から25年(!?時間の流れは恐ろしいね)経ってることを考えれば当たり前だよ人間人生はおおむね70年しかないんだもの

操作性の悪さについては特に気にしても仕方がないから減点要素にはしないけど頑張ってたら加点要素になった気はする。

たか無料ゲームと言ってしまえばそれまでだけど、これをプレイした人がこれに消費した時間に見合うものを与えられているのが最初3分間ぐらいしかないのが気になるな。

そのあとはせっかく始めたからと惰性でやってるだけの作業だよね。全体的に。

個人的には操作することに気持ちよさがないのがやっぱ弱いかなと思う。

ソニックマリオみたいな走り回ってパルクールするだけでクールになれる作りじゃないとゲームという表現技法としては拙い。

あと、街を別の角度から見たとき発見感が欲しいね

建物やその配置を裏側から見たときの意外性が欲しいんだよねー。どの建物も顔の向き毎の表情が乏しいよね。

ゲーム内で役割を持ってないってことが遠目に分かるのはある意味UIとして強みなんだけど、このゲーム場合にそれをやってしまうと奥行きが無くなるだけかな。

さっき来た道の横から戻った時に「ここに繋がるんだ」はないわけじゃないんだけど、それだけだと「えーそれなら直に行けるようにしてよ」という気持ちの方が強くなってプラスにはなりにくい。

総合評価は、「頑張ったで賞」にしかならないなあ。

頑張ったことが評価される時期評価して欲しい時期ならこれでいい。

そこより先のもの、「努力に対しての評価ではない評価」が欲しいならこれでは全然足りてない。

Permalink |記事への反応(0) | 12:57

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街コンとか行ったら30過ぎて高卒専門学校卒で非正規の女いるけどあれ何?

この前、知り合いの婚活パーティー

参加者ジャップオスが集まらないので無料にするから来てくれって頼んできたので暇つぶしに行ってきた

本来は男5000円、女性500円だった)


女性8人、俺を入れて男は6人の参加者だった

年齢層は30-40くらいだった

回転寿司形式でぐるぐる男が回って行って会話していくって感じだった


女性は顔はまあ普通ユニークではないって感じ

ただプロフィール(横顔)ではないを見てみると、30過ぎてるのに

会計年度任用職員とか非正規事務職とか派遣とか人に言えないような責任のない仕事をしてる人が多かった

介護看護が1人ずついてたくらい)

学歴大卒が1人いてただけで、専門学校どころか高卒すらいてた。今時高卒って…


いい歳して高卒底辺って人生舐めてんのか?

って思った

Permalink |記事への反応(1) | 07:58

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2025-09-26

食っていける声優になるのは年末ジャンボ1等を当てるよりも難しい

食っていける声優になっている人が毎年何十人も出ているとは到底思えないのだが

それでも人生かけて目指そうとする人が万単位でいるという現実は恐ろしいな

 

以下、参考データ

 

年末ジャンボ宝くじ(第1031回)

等級当選金額 本数

1等 7億円23

1等の前後賞 1億5,000万円 46本

1等の組違い賞10万円 4,577本

2等 1,000万円 460本

3等100万円23,000本

 

声優名鑑の掲載人数(2025年

女性1,099人

男性 691人

合計1,790人

 

声優学校数/志望者数

養成所、専門学校は数十〜数百校(生徒数は各校で数十人~数百人と推測される)

志望者数は1学年あたり数万人とも、全体で30万人規模とも言われる

 

Permalink |記事への反応(0) | 15:09

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2025-09-25

anond:20250925134653

就職100%専門学校みたいなうたい文句だな、数字マジック使いまくりでまったく信頼が無い

Permalink |記事への反応(0) | 13:48

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anond:20250924011827

自分不登校で寮学校の時に増田のような家庭環境の人はそれなりにいっぱい居たからなんとなくわかる。

で、社会出てから辛い思いしながらもマイナスを0にするために頑張って、やっぱり増田みたいにとんでもないマイナス負債を独力で返し終えた人もいっぱい居る。

もう比べなくて良いんじゃないかな。

増田一般家庭の全員が順風満帆人生を思い描いてるし、自分不登校学校出て普通目指して就職して色んな人生を見てきたけど

就職から親とこじれて絶縁、未成年者に犯罪して捕まったやつ、専門学校飛んだやつ、酒によってホスト喧嘩売って監禁されたまで消息が掴めてるけどそこから行方不明のやつ

深夜バイトで金抜いて捕まったやつ、激務でメンタル崩して消息不明のやつ、若くして末期がんが分かったやつ。

まぁ、意外と親元から離れてからそれなりに積む奴多いし、賢い増田なら分かると思うけど本当に順風満帆の奴なんて上澄みだよ。上位30%とかだよ。

それに今の君は世間で見たら建設会社で立派に働く日本を支える代表メンバーの1人だから全然誇っていいよ。

Permalink |記事への反応(0) | 13:02

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2025-09-23

イラスト専門学校に行ってた

イラスト専門学校に行ってたときのことを書く。

いまはイラスト仕事はほんのちょっと、違う仕事しつつやってる。

自分うまい勘違いしたまま専門行ってチョモランマになった鼻を根本からへし折られ、歪みまくった脳みそ毎日フルスイングで叩き潰されて再構築してもらいました!

行って良かったと心から思ってます

.

イラスト系の専門がどこもそうなのかは知らないけど自分adobe製品の使い方をみっちり教えてもらったことも今の仕事につながっている。

あとは後述する「おまけデッサン」の授業のおかげ。

とはいえ、ただの痛いオタクちょっと絵が描けるだけでイラストレーターになれると息巻いていた自分入学早々、仲良くなった友人のイラストを見て撃沈して鼻は根本から折れた。

場違い存在であることを感じて足元ふらつくってほんとにあるんだと思ったね。

.

ありがたいことに友人には恵まれたおかげで、変に捻くれすぎずに努力してうまくなろうと思えた。

いまある程度イラスト仕事もできているのは、ある授業のおかげだったと言っても過言ではない。

私のいかれた脳みそフルスイングでたたき潰してくれた授業だった。

デッサンをメインにしている先生で、その先生が空き時間にも違う課題を出して講評する授業というか授業っぽいサークルと言うか、

みたいなのがあるという話を先輩に聞き、友人数名と参加させてもらった。

自分たちはこの授業的なのを「おまけデッサン」て呼んでた。授業のおまけのデッサン

.

ハチャメチャうまくて時代に乗れれば好きなものを描いてるだけで金入って生きていけるけどそんなのは一握りどころかひとつまみ以下。

から求められているもの理解して、短い期間(短納期)で仕上げること、それから描けるものの幅を広げることが大事で、先生はそこに焦点をあててやってた。

.

おまけデッサンでの最初課題

先生タウンワークかなにかから持ってきた求人広告の切り抜きのコピーで、この内容をイラストポスターにして大々的に求人募集するならどんな人を描くか?だった。

ポスターをつくる必要はなくて、ポスターにする場合にどんな人物イラストがあると良いか、男女一人ずつ全身を描いてくる。

先生がいくつか求人持ってきてて、1求人に対して3人くらい充てがわれた。

自分のはどこかの電気工事やる会社求人だったと思う。

.

で、このとき自分チョモランマの鼻をへし折られただけのただの「痛いオタク

作業着っぽい服(女性の方は可愛い色の作業着にしてたと思う…)にドリルかなにかそれっぽい器具を持って片足上げてかわいいポーズとる女の子決めポーズしてる男子を描いた。

ラノベの表紙のようなね・・・。友だちにもかわいい~とか言ってもらって浮かれてたよ。へし折られた鼻からちょっと芽出てたと思う。

で、ボロカス言われて脳みそ破壊された。

.

先生増田さんはこのイラストポーズを実際に取りましたか?やってない?じゃあみんなの前でやってみてください。増田さん、普段こんなポーズしますか?しませんね?じゃあきっと仕事をするときにもしないポーズですね?なんで描いたんですか?でも男性の方のポーズは取ることもありそうなポーズですね?この違いはなんですか?なんでこのポーズ求人効果があると思ったんですか?」

何も言えなかった。

なぜなら求められてるもの一切理解してなかったし、なんか見たことあるポーズラノベの表紙にありそうな)を描いてるだけだから

デッサンの授業のはずがさ、その手前で終わってんの。デッサンが狂ってるんじゃなくてこっちの頭が狂ってたってわけ。

.

おなじ広告イラストを描いてきてた先輩は30~40代くらいの女性20~30代くらいのもう少し若そうな男性の全身作業着姿に加えて、実際に作業をしている様子のイラストをいくつか描いてきていた。

先輩はまず、この広告会社ホームページを見て、仕事の内容と作業着確認求人欄に「女性活躍中!」とか「未経験者歓迎!」って描いてあるから女性や若手の転職する人を集めたいのだろうと考えて年齢を設定。ホームページ写真とか事業内容からどういうポーズを取るか調べて雰囲気掴んで実際に自分ポーズ取ったり誰かに取ってもらってデッサンしてイラストを仕上げていた。

先輩はなぜそのポーズ、年齢でイラストを仕上げたかをすべて説明できていた。

ここでまたへし折られた鼻から少し芽が出ていた部分も摘み取られて脳みそ破壊

最初自分の絵をコテンパンにぶっ叩かれて僻んだっていうか、酸っぱい葡萄的な愚痴も出たけど、先生は毎回毎回こういう

現実で人に見てもらう絵の作り方」っていうのを徹底的に叩き込んでくれて、「なぜですか?」「どうしてですか?」を必ず聞かれるので自分も常になぜこの色?このポーズ?を自然と考えるようになった。

実際仕事で受けることになるイラストってそういうものなんだよな。

.

いま働いてんのは一般企業広報関係中小からそれ以外の仕事もするけど)。

ゾーニングとか手癖でなんとなくそれっぽく済ませるとか、そういう視点にはすごい敏感になったし、

広告アニメ演出炎上見ると、「あ~何も考えてなくてなんかウケそうみたいな手癖で描いてて、先生に怒られるやつや」って思うことが多い。

その感覚はいまの仕事に生きてるし、会社許可もらって副業イラスト仕事を少し受けてるけどクライアントとやり取りするときにめちゃ役立ってる。

.

先週、副業の方と、本業の方とで褒めてもらえることがあって、それがどれも先生に教わったことだったかちょっと書きたくなった。

先生ありがとう~

Permalink |記事への反応(2) | 21:15

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2025-09-22

大卒なのに

定年退職するババア専門学校出身かって聞かれるのなんなんだよ

しかも他の人の前で

マジで気持ち悪い🤮

Permalink |記事への反応(1) | 22:58

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2025-09-21

新卒ゲーム業界入社できなかった者のゲーム業界就活アドバイス

タイトルの通り。


ゲーム業界を目指す人はめちゃくちゃ多く、少なくとも新卒での入社狭き門となっている。

業界の知り合いなどいれば現状や対策もわかりやすいが、そうではない人が入ろうとするには情報を集めにくい側面があると思う。(実際に自分新卒就活時には情報が足りていなかった)

そのため、新卒では入れなかったものゲーム業界の末席に籍を置く自分が、当時知りたかった情報自己満足記載していこうと思う。

一応記載しておくが、自己満足のためのものなので記載の内容をもとに行動してうまくいかなかったなどの責任は取らない。最終的には自分判断してほしい。


【経歴】

こういった話はどういう人間が言ったかによって信憑性が変わると思うので、自分の経歴について先に話しておく。

念のため書いておくと、ゲーム業界に入れた自慢のつもりで書くつもりはないが、自慢だと受け止めてもらっても嬉しいだけなので構わない。(そもそも新卒では入れてる人を常時目の当たりにするので自慢に思えていないので)

特定は怖いのでフェイクを混ぜるが、おおよそ変わらないと思う。


自分偏差値50程度の情報大学出身で、入学以前からゲーム業界プログラマ)を志望していた。

入学難易度がたいしたことない大学だが、その分上位10%よりは上の成績だった。

就活の時期が来たので、一人で作った2Dゲームや、大学講義でのグループ開発したWEBシステムなどをポートフォリオにして就活を行った。

その結果、ゲーム業界はどこにも引っかからず、IT企業で客先に常駐するいわゆるSES会社入社した。

最初は非ゲームスマホアプリの開発に従事させられたが、営業の人にゲーム業界に行きたいと伝えてあったので、1年ほど経って契約終了のタイミングで小さなソシャゲ会社に移動した。

そこではUnityなどで開発の経験を積ませてもらった。裁量が割と雑な企業だったので広範な部分の技術を触れたのを覚えている。

2年強そこで働いたものの、サービス終了をきっかけに転職を試みようと思い退職

その後ゲーム業界専門の大きなSES企業入社し、運よく大手ソシャゲ開発案件に入れた。

そこで大手の分業の仕組みに慣れながら働いていたが、もともと志望していたコンシューマゲーム業界へのあこがれもあり、本社営業チームに希望を出していたがタイミングが合わず案件がない時期が続いた。

2年ほど経って、プロジェクト単位での派遣という形だが、Unityなどソシャゲ共通技術を使うためか、コンシューマゲームの開発経験が無くてもOKコンシューマゲーム案件が出てきて、そこに転職した。

今は会社は小さめだが、IPはそこそこ強いコンシューマゲーム案件で、不安定立場ながら従事している。(可能であれば正社員として登用してほしいが、今のところ何も話はない)


【本題】

ここからは実際にゲーム業界を目指す者についてのアドバイスだ。


まず第一に、有名なゲームディレクター桜井さん動画にもあったが、ゲームを作ることが重要

企画職、プログラム職は言わずもながで、デザイン職やサウンド職の芸術系の人でも、そういった経験があると必要な素材の勘所がつかみやすくなるので、作っていた方がいい。

経験を積み上げるために1、2本ではなく何本か作っていてほしい。

可能であれば複数人プロジェクトゲームを作り上げているとなお良い。

目指す企業があるなら、その企業ジャンルに近いゲームの方がアピールになる。


なぜゲームを実際に作ることが重要なのかというと、企業が欲しいのは「良いゲームを作れる人材」だからだ。

良いゲームを作れるとアピールする最大の方法は、実際に良いゲームを作ったという経験を伝えることだからだ。

経験の量や質が良ければ、その分ポートフォリオ自己PRでも伝えられることが増えて、有利になるのは言うまでもないだろう。

なので時間をかけて1本や2本作るよりも、何本か完成させて経験として伝えられる方が基本的には有利。(その1本や2本が、それなりの売り上げを上げられるほど優れた作品なら話は変わるかもだが)

そして、入社後に実際に働く際には、当然複数人でその企業で開発されるジャンルゲームを開発することになるので、入社後に働けるアピールをするためには、複数人でそのジャンル(例えば3Dアクションとか、2Dパズルとか)に近いゲームを作っておいた方が有利になる。

もちろん希望職種に合わせた経験を積んでいることが好ましいが、他職種作業も軽く把握しているとやりとりがスムーズになることが多いので、こちらは参考程度にかじっておくとよいかもしれない。


では、どうして「入社時点で」ゲームを作れることが重要になってくるかというと、やや厳しい現実だが数か月の研修~最悪入社後いきなり業務に放り込んで、ゲーム作りに従事できるかを見られているからだ。

ゲーム業界に来る求人は、経験則でいえば小さな会社でも相当な数になる。その分優秀な人材、いわゆる即戦力が来る可能性も高くなっていく。

そんな状況で、ゲーム作りもそれに類する技術もなく、熱意だけあるというような人を採用して育てていくよりも、ある程度ゲーム作りの経験があって、その下地をもとに仕事を進められそうな人を採用してすぐに働いてもらった方が効率が良いのである

小さい会社から大きい会社まで数々の新卒の人を見てきたが、どの人も下地としてゲーム開発の経験がそれなり以上にはある人ばかりであった。


それから一般的就活対策と同じになるが、コミュニケーション能力は求められる。

ここでいうコミュニケーション能力とは、雑談などで盛り上がる力ではなく、業務遂行に向けたやり取りを円滑に行う力である


ゲーム開発は、言語化の難しいあいまい感覚を伝えなければならないケースがままある。

それらを時に図持したり、時に実例を見せたりして、伝えなければならない。

この辺りは企画職の人に特に必要技能かもしれないが、プログラマやデザイナも日々多くの人とやり取りをすることになるので、とにかく伝える・受け取る技能必須だ。

そういった部分に難がないことを見るために面接などを行っていると思われるので、その点は意識しておいた方がいい。


あとは個々の職種ごとの技術に関する話になる。

意識するべきなのは自分がその職に就いたとしてどのような業務を行うかということである


企画職なら

レベルデザインゲームデザインディレクションPM業務など

プログラマなら

インフラサーバーサイド・UIプログラムキャラクタープログラムCI系・グラフィックスプログラムなど

デザイナなら

キャラクターデザイン・背景デザインUIデザインモデリング・リギング・エフェクトなど


こういった中から自分はどのポジションにいたいのか、あるいはすべてをこなせる万能手になりたいのかなど、戦略を考える必要がある。

基本的にはより詳細な募集になる中途採用情報などから自分の志望するポジションを考えるのをおススメする。


ーー

さて、一通り記載したが、もちろん自分上記のことをできていなかった。

シンプルゲームの開発経験も足りなければ、自分ポジション意識ふわふわしていた。できてた可能性があるのはコミュニケーション能力くらいである。

しかし、これまで見てきた新卒入社する人は上記のことを努力も才能も偶然も含めて結果的にこなせている人材ばかりである


はっきり言って一朝一夕で何とかなるようなものではないものもあり、すでに就活を行っている人などでは間に合わないようなケースもあるだろう。

そうなると選択肢は2つ。「ゲーム業界あきらめる」か「なんとか中途でもぐりこむ」のどちらかである


あえてはっきり伝えたいのだが、自分は「ゲーム業界あきらめる」ことを悪いことだとは思っていない。

ゲーム業界に入ることが絶対的エラいことなのかというととてもそうではなく、志望者が多いということはそれだけ入れない人が多いということになるので、切り替えて別の目標を探すということができるのも一つの能力だと思うからだ。

しろ能力が足りずに経験も積めてないのに、あきらめることだけはできずにいる方が、よっぽと精神には悪い。一歩間違えると自分もそちら側になっていた(なんなら今も危うい)と思うと恐ろしさを感じてしまう。

挑戦してダメだったというのも、あきらめきれるきっかけにもなるかもしれないので、挑戦すること自体は良いことだとは思うが。


それでもあきらめられないのであれば、「なんとか中途でもぐりこむ」ことを選択することになる。

これに関しては様々なルートがある。第二新卒だったり、自分のように客先常駐派遣で、何とか未経験でもOKのところを探す方法だったり、個人で開発経験を積んでから中途採用に応募するケースだったり。

いずれのルートでも必要になるのは「運」と「能力」だ。


運について、そもそも新卒と違い、自分入社できるポジション企業存在するかがわからないので、志望企業に応募すらできない可能性もある。(おそらく求人自体はあるだろうが、第二新卒以外は経験限定のものがかなり多いだろう)

仮に応募できたとしても、競争相手は少なくなるが、その分枠も少ないという戦いになる。

経験である以上、ポテンシャル採用してもらうしかないので、企業側がその気があるのかはどうしても運になる。

自分場合客先常駐で常駐先に同じ会社から出向している人がいたので、その抱き合わせみたいな形で入社できたところがあったので、運が良かったとしか言えない。(別プロジェクトだったので面倒は見てもらえてないが)

こればかりは巡りあわせなので、試行回数を増やして確立を上げるか、万一コネなどあれば、確率の高いルートを用意してもらうかするなどでしか対策はできない。


能力について、何をいまさらと思うかもだが、新卒の時よりも少しシビアになっている。

第二新卒なら新卒同様の扱いになるが、そうでなければ研修など1日程度で簡単に済ませての即戦力としての採用になるので、いきなり現場に出ることになる。

選考時には現場で戦えるかをみられることになり、採用されても即現場なので、使い物にならなければ、雇用形態によってはすぐに首を切られることになる。

なので、業務遂行するだけの能力必須になる。その重みは新卒時より重い。

こちらに関して自分については、正直に伝えると少なくともいきなり放り出されても業務遂行する程度の能力はあったので何とかなっただけだ。(新卒入社の人もこなせていただろうが)

従事する業務に関してはより明確になっているはずなので、食らいついて最低限以上の仕事をしていく必要がある。


中途での現実はそんな感じだ。

競争相手は少なくなるので、単純な確率は上がるが、その分それ専用の武器を用意しなければならない。

一つだけお伝えすると、逆に一度潜り込んでしまえば、経験者の採用を受ける権利が得られるので、より世界は広がる。

志望企業に入るための作戦として中途を選ぶのはアリだろう。


ーー

以上がゲーム業界に遠回りして入った身からできるアドバイスだ。

この辺りの話を新卒のころに知りたかったので、これから就活をしようという人に伝わったら嬉しい。



ーーーーーーーー

追記

自己満足で書きなぐっただけなのになんかめちゃくちゃ反応ある。

文章が優れてるとは到底思えないので、ゲーム業界の注目度の高さを示しているのだろう。

ざっくり読んだが、結局のところ正解のある話ではないので、いろいろな意見があって当然だと思う。

みんな自分経験なんかもあるだろうし、適当言ってるだけの可能性も自分含め全然あるだろうし、名前を出しているでもない限り参考程度で読むのがいいと思う。


学歴についての言及も多かったのでその点に触れようと思って追記したが、そりゃあ当然学歴があった方が良いだろう。

実際応募数の多い大企業では、足切りの条件の一つに使われるのも止む無しだと思うし、そうでなくても大体の高学歴の人はシンプルに優秀だ。

だけど高学歴なだけでは入れないのも事実だと思う。逆に偏差値が低かったりする場合でもそれだけで切られることはそんなに多くはない(ちゃんとしてれば書類は通る)。

実際、大企業なんかでも意外と専門学校卒業生(たいていはトップ層だが)もいたりするのを結構見てきた。高学歴入社やすいのは、それだけ優秀な人が多いというだけの話だと自分は考えている。

高校生とかで有名なゲーム会社で働きたいなどのモチベーションから勉強を頑張るのは大いに問題いかと思うが、専門学校業務に使えるような技術を身に着けて、ゲームをたくさん作る経験を積んで一点突破能力ゲーム業界に挑むのも本気であれば間違いではないと思う。

いろいろなことを選べる立場のうちは、自分がどうなりたいのかを考えて、いろんなパターンから自分に向いている道を選んでいくのが良いだろう。年を重ねるごとにだんだん選べる道は減っていくので、その時に後悔しない道を選ぶことができれば理想だ。

逆に年を重ねると道が狭まっていくことは多いが、年を重ねることで見えてくる抜け道のようなルートもあるので、悲観しすぎないことも重要だろう。

自分も今から進路を考える立場だったら、専門学校選択していたかもしれないと思うことはある。

学歴は選べる立場なら真剣に考えるべきだが、そうでなければ囚われすぎないことも大事だというのが個人的な結論だ。


あとは、採用人間でもないのに偉そうなことをというニュアンスのものがあったが、もとより自己満足のための記載なのと、偉そうな文章に関しては、文の書き方から特定されないようにしているために、普段しないような言葉遣いをしているのが原因なので、勘弁してほしい(意味があるかはわからないが)。

Permalink |記事への反応(14) | 23:29

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2025-09-20

anond:20250920193805

専門学校脚本家コースでも赤点になりそうなあからさまにわかやすい対決シナリオで草

Permalink |記事への反応(0) | 19:40

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2025-09-17

知的障害を抱えた子どもモラトリアムがないという問題は、専門家も指摘している

anond:20250916115207

例えば、長年知的障害発達障害当事者診療し、成人後の経過も見てきた平岩幹男先生は、『知的障害を抱えた子どもたち 理解・支援・将来 』で以下のように述べている。長くなるが印象的なので引用する。

モラトリアム

 たとえば10から特別支援学校高等部卒業するまでは8年間ですが、知的障害を抱えた子どもたちは、そこで社会に出されてしまうこともあります。一方で障害を抱えていない子どもたちは専門学校大学などを含めて社会に出るまでに10年以上の期間がある場合も少なくありません。

 発達を含めて社会生活上の困難を抱えて、いわばそれまでは「ゆっくり」と言われてきた子どもたちがなぜ「困難」を抱えていない子どもよりも早く社会に出ざるを得ないのか。

 もっとゆっくり趣味を見つけて磨いたり、いろいろな場所や人に触れ合うことで経験を増やしたりするモラトリアム猶予期間)をもつことがなぜできないのか、長い間の疑問でした。モラトリアムもつことにより、ひたすら就労を目指す場合よりも趣味余暇活動につながるものを見つけたり、身につけられたりする可能性もあります

 著者は障害を抱えた子どもたちへ対応する生活を45年あまりしていますが、40年前には障害就労就労支援(移行支援継続支援も)もありませんでした。ごく一部の企業就労を受け入れていましたが、精神薄弱と呼ばれて社会から疎外される状況でした。

 その後、児童福祉湖をはじめとする法令改正などもあり、生活介護などの整備がなされるようになってきましたが、そこではとにかく「就労できれば」「お金が稼げれば」いいという意識がとても強かったように感じています

 これまで知的障害を抱えている方々のサポートもしてきましたし、実際に生活介護を行っている作業所訪問したり、お手伝いしたりしたこともあります。そこで出会った方は、40歳を過ぎても単純作業毎日で、会話も2語文程度なのですが、ノートには出かけたときの道順などが車の中から景色とともに書かれていたり、路線図の駅名がすべて漢字で書かれていたりしました。もし子ども時代に適切な教育を受けることができたら、現在の居場所はここではなかったのではないか、重度の知的障害と診断されることもなかったのではないかと感じたこともあります

 知的障害を抱えた方の就労がままならなかった時代も知っていますが、最近20年間、特に10年間は、就労については十分とはいえないもののかなり展望が開けてきました。一度の就労人生が決まるわけでもありませんし、障害を抱えている場合初任給の額がそのあとも続く場合もあります

 著者は可能であればモラトリアムを使って世の中には楽しいこともいろいろあることを知り、趣味もつことによってその後の生活を安定させてほしいと思います。そして、最終的には初任給ではなく、生涯賃金所得)が多くなることを願っています

平岩幹男『知的障害を抱えた子どもたち 理解支援・将来』図書文化. p.84-85)

福祉カレッジという選択肢

本書でも述べているが、こうした問題意識から最近は「福祉カレッジ」という自律支援就労移行支援を組み合わせた大学のような事業所というのがあるらしい。

「福祉型カレッジ」について|とくし

 「福祉カレッジ」とは、「自立訓練+就労移行支援」「自立訓練+就労継続支援B型」といった形態をとる多機能事業所のことで、障害のある若者社会活躍するための力をつけるために、最長4年間学ぶことができます

 カリキュラムは、「日常生活を営むための基礎作り」(自立訓練)が2年間、「働くための訓練」(就労移行支援就労継続支援B型)が2年間の計4年間という形が多く取られることが多く、青春謳歌しながら、社会に出るための力をじっくりとつけていきます

当事者の親はこうした性急な就労だけではない選択肢視野に入れながら、子どもがより安定してひらけた生活を将来送れるように考えていく必要があるだろう。

(後で書き足すかもしれない)

Permalink |記事への反応(1) | 07:05

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